黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ロマ書

ロマ書第15章

分類
4 実行論 12:1 - 15:13
4-(1)-(4) 信徒相互の関係(信仰の強弱) 14:1 - 15:13
4-(1)-(4)-(ハ) 信徒相互のコイノーニヤ 15:1 - 15:6

註解: 15-16章がロマ書の一部なりや否やの問題につきては巻末附記参照。1節以下に於て前章に述べられし問題を一般化し、一般的の事柄につき教訓を与えている。

15章1節 われら(つよ)(もの)はおのれを(よろこ)ばせずして、(ちから)なき(もの)(よわき)()ふベし。[引照]

口語訳わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。
塚本訳しかしわたし達強い(信仰をもつ)者は、強くない(信仰をもつ)者の弱さを負い、決して(勝手なことをして)自分を喜ばせてはならない。
前田訳われら力あるものは力のないものの弱さを負うべきです。
新共同わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。
NIVWe who are strong ought to bear with the failings of the weak and not to please ourselves.
註解: 若し信仰の自由に立ちて力強く行動し得るものが、その力に誇りて自らを喜ばせ他の力なき者が種種の弱点に苦しみつつあるのを顧みないならば、それは愛の法則に背ける行動である。
辞解
[強き者] 「力ある者」dunatoi で「力なきもの」 adunatoi の反対、信仰により自由に行動し得る力あるものを指す。パウロは自らをその中に数う。
[弱] asthenêmataで諸々の弱点、即ち律法に捉われる事、その他の肉の弱さ等。
[負ふべし] 「負うの負債あり」でロマ13:7と相対応す。

15章2節 おのおの(となり)(ひと)(とく)()てん(ため)に、その(えき)(はか)りて(これ)(よろこ)ばすベし。[引照]

口語訳わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。
塚本訳わたし達各自は、(弱い)隣の人を喜ばせるように生きようではないか。彼の最善をはかり、(信仰を)造りあげるために。
前田訳自らをよろこばせてはなりません。われらのめいめいが隣びとをよろこばせ、その善になり建設をはかるようにしましょう。
新共同おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。
NIVEach of us should please his neighbor for his good, to build him up.
註解: 己を喜ばす事の反対は隣人を喜ばす事、自己の信仰とその力に誇る事の反対は隣人のために善かれかしと思う事、自己の自由を自己の心の(まま)に用いて他人を顧みざる事の反対は隣人の信仰を建て上げる事である。

15章3節 キリストだに(おのれ)(よろこ)ばせ(たま)はざりき。(しる)して『なんぢを(そし)(もの)(そしり)(われ)(およ)べり』とあるが(ごと)し。[引照]

口語訳キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりであった。
塚本訳キリストすら御自分を喜ばせる御生涯ではなかったのであるから。むしろ(聖書に)書いてあるとおりであった、”あなたを罵る者の罵りが、わたしの上に落ちた”と。
前田訳キリストも自らをよろこばせはなさいませんでしたから。聖書にあるように、「あなたをののしるもののののしりがわが上に落ちた」のです。
新共同キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。
NIVFor even Christ did not please himself but, as it is written: "The insults of those who insult you have fallen on me."
註解: 前節の薦めの最上の実例はキリストである。神の子として完全に己を喜ばすべき権利と力と価値とを有ち給うキリストすら、罪人の益と救の為に苦難の生涯を送り給うた。(いわ)んや罪深き凡人に於て自己を喜ばせんとする如きは(おそれ)多い事である。引用は詩69:9の七十人訳よりの引用で、義しきイスラエル人が神のために苦しむ事の詩であるが、これがその代表者とも云うべきキリストに於て最も完全に実現したのである。「汝」は神、「我」はキリストに相当す。そしてキリストは、世を救わんとして反って神を信ぜざる者神を(そし)る者のために(そし)られ給うた、尊き愛と犠牲の生涯である。

15章4節 (はや)くより(しる)されたる(ところ)は、みな(われ)らの教訓(をしへ)のために(しる)ししものにして、聖書(せいしょ)忍耐(にんたい)慰安(なぐさめ)とによりて希望(のぞみ)(たも)たせんとてなり。[引照]

口語訳これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。
塚本訳なぜなら、(聖書に)前に書かれたほどのことはみな、(後の時代の)わたし達の教訓のために書かれたもので、わたし達が聖書のあたえる忍耐と慰めとをもって、希望を持ちつづけるためである。
前田訳前に書かれたことは皆われらの教えのために書かれたのです。それはわれらが聖書からの忍耐と慰めとをもって希望を持ちつづけるためです。
新共同かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。
NIVFor everything that was written in the past was written to teach us, so that through endurance and the encouragement of the Scriptures we might have hope.
註解: 前半は一般的後半は前節と関連する特殊の場合である。旧約聖書の録されし目的は我らの教訓の為であり、殊に基督者の生涯は隣人の為に苦難を受くる生涯である故その中にありて希望を保つ為には、聖書によりて与えられる忍耐と慰安(なぐさめ)とが必要である。
辞解
[聖書の忍耐と云々] 聖書が我らに与うる忍耐云々の意味。

15章5節 (ねが)はくは忍耐(にんたい)慰安(なぐさめ)との(かみ)、なんぢらをしてキリスト・イエスに(なら)ひ、(たがひ)(おもひ)(おな)じうせしめ(たま)はん(こと)を。[引照]

口語訳どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ、
塚本訳この忍耐と慰めとを賜わる神が、キリスト・イエスの心を体してあなた達が互に思いを同じくするようにさせられんことを。
前田訳忍耐と慰めの神が、あなた方を、キリスト・イエスに従って互いに思いを同じくするようお導きのほどを。
新共同忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、
NIVMay the God who gives endurance and encouragement give you a spirit of unity among yourselves as you follow Christ Jesus,
註解: 神は前節にいう聖書の忍耐と慰安(なぐさめ)との源である。信仰の兄弟の弱きを負うが為には神による忍耐と神よりの慰安(なぐさめ)とを要し、神よりこの忍耐と慰安(なぐさめ)とを受くる者はイエス・キリストに(なら)いて已を喜ばせず互に思を同じくして教会の霊的一致を来す事が出来る。互に高ぶる者、己を喜ばせんとする者は教会の一致の破壊者である。
辞解
[忍耐と慰安(なぐさめ)の神] に就ては「平和の神」(ロマ15:33ピリ4:9Tテサ5:23ヘブ13:20)。「望の神」(ロマ15:13)その他Uコリ1:3Tペテ5:10参照。
[互に思を同じうし] ロマ12:16と異り相互に対しの意味ではなく相互間にの意味である。

15章6節 これ(なんぢ)らが(こころ)(ひと)つにし(くち)(ひと)つにして、(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの(ちち)なる(かみ)(あが)めん(ため)なり。[引照]

口語訳こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
塚本訳これはあなた達が心を一つにし、一つの口をもって、わたし達の主イエス・キリストの神また父をあがめるためである。
前田訳これはあなた方がひとつ心で、ひとつ口で、われらの主イエス・キリストの神また父に栄光を帰するためです。
新共同心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。
NIVso that with one heart and mouth you may glorify the God and Father of our Lord Jesus Christ.
註解: 同じ気持にて口をそろえて神に栄光を帰する事程美わしき光景はない。これは全教会の愛による一致によりてのみ実現する。力なき者の弱きを負う事は結局に於てこの一致に達するの結果となる。
要義 [基督者のコイノーニヤ] 基督者は互に他の重荷を分担し、苦楽を分担するの生活を為すべきである。これ愛の交り(コイノーニヤ)である(ガラ6:1以下)。殊に力ある者が力なきものの弱きを負う事は最も著しき基督教道徳であって、この苦痛を共にしつつ共に神より慰めを受くる事により、その処に何ものを以ても実現し得ざるが如き立派なる教会の一致が実現し、神に栄光を帰し奉るに至るのである。

4-(1)-(4)-(ニ) ユダヤ人と異邦人との調和 15:7 - 15:13

15章7節 ()(ゆゑ)にキリスト(なんぢ)らを()(たま)ひしごとく、(なんぢ)らも(たがひ)(あひ)()れて(かみ)榮光(えいくわう)(あらは)すべし。[引照]

口語訳こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。
塚本訳このゆえに、キリストが(命をすてて)あなた達(みんな)を(神の聖なる家族の)仲間に入れ、神の栄光をあらわされたように、あなた達も互を仲間に入れなさい。
前田訳このゆえに、互いに受け入れなさい、キリストがあなた方を受け入れて神の栄光を現わされたように。
新共同だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。
NIVAccept one another, then, just as Christ accepted you, in order to bring praise to God.
註解: 如何なる場合に於てもキリストが我らの模範である。キリストさえ罪深き我らを容れ給いし以上、罪人同志なる我らが互に()れるべきは当然である。自ら高ぶりて他を排斥する如きは有るべきではない。パウロの思想は本節以下に於て主としてユダヤ人と異邦人との関係に向けられている事は明らかである。
辞解
「この故にキリスト汝らを()れて神の栄光を(あらわ)し給ひし如く汝らも互に相容れよ」(B1、E0、I0、M0)と読むべしとする説が有力である。キリストの思想は神の栄光を(あらわ)す所以となった。親和は神の栄光となり紛争は神を(けが)す。

15章8節 われ()ふ、キリストは(かみ)眞理(まこと)のために割禮(かつれい)役者(えきしゃ)となり(たま)へり。これ先祖(せんぞ)たちの(かうむ)りし約束(やくそく)(かた)うし(たま)はん(ため)[引照]

口語訳わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、
塚本訳(キリストが神の栄光をあらわされたと)わたしの言う意味はこうである。──キリストは神の(救いの約束の)真実を証明するために、割礼のある者[ユダヤ人]の世話役になられた。これは、(一方では彼らの)先祖に与えられたその約束を確かにするためであり、
前田訳わたしはいいます、キリストが神の真実を示すために割礼あるものの奉仕人になられました、と。これは先祖たちの約束を確かにするためであり、
新共同わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、
NIVFor I tell you that Christ has become a servant of the Jews on behalf of God's truth, to confirm the promises made to the patriarchs

15章9節 また異邦人(いはうじん)憐憫(あはれみ)によりて(かみ)(あが)めんためなり。[引照]

口語訳異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。
塚本訳他方では、異教人が(彼によって神の家族の仲間入りができるという大なる)憐れみのゆえに、神をあがめるためである。(異教人の救いについては聖書に)書いてあるとおりである。“このためにわたしは異教人の中であなたを讃美し御名をほめ歌います。”
前田訳異邦人があわれみのゆえに神に栄光を帰するためです。聖書にあります、「このためにわたしは異邦人の間で神をたたえ、み名を讃めうたいます」と。
新共同異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、/あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。
NIVso that the Gentiles may glorify God for his mercy, as it is written: "Therefore I will praise you among the Gentiles; I will sing hymns to your name."
註解: キリストはユダヤ人(割礼)と異邦人とを共に救い給う。故にこの両者は互に相容れなければならない。併しこの両者の間に或る差別はある。即ちキリストは先づ神の選民としてその約束によりて保たれしユダヤ人の役者として来り給うた(マタ20:28マタ15:24)。かくしてキリストは一面ユダヤ人の先祖に与えられし約束を堅うしてその実現を確実にし、他面約束に(あずか)りなき異邦人をば約束によらず憐憫によりて救い、彼らをして神を崇むるに至らしめ給うた。かかるキリストを主と仰ぐ基督者は、ユダヤ人たると異邦人たるとにより相争うべきではない。

(しる)して『この(ゆゑ)に、われ異邦人(いはうじん)(なか)にて(なんぢ)()めたたへ、(また)なんぢの()(うた)はん』とあるが(ごと)し。

註解: 詩18:49の引用(Uサム22:50も同じ)。ダビデが諸方の敵を征服したる後、ヱホバにささげし讃歌である。パウロはダビデをキリストの型と見、キリストが異邦人を霊的に征服して神を讃美し給う事の預言と見た。

15章10節 また(いは)く『異邦人(いはうじん)よ、(しゅ)(たみ)(とも)(よろこ)べ』[引照]

口語訳また、こう言っている、「異邦人よ、主の民と共に喜べ」。
塚本訳さらに言う。“異教人よ、彼の民と共に楽しめ。”
前田訳またいわれています、「異邦人よ、彼の民とともに楽しめ」と。
新共同また、/「異邦人よ、主の民と共に喜べ」と言われ、
NIVAgain, it says, "Rejoice, O Gentiles, with his people."
註解: 申32:43の七十人訳に近し。「主の民」はイスラエルを指す、異邦人も憐憫(あわれみ)によりて救われる故に約束によりて救われるイスラエルと共に喜ぶは当然である。

15章11節 (また)いはく『もろもろの國人(くにびと)よ、(しゅ)()(まつ)れ、もろもろの(たみ)よ、(しゅ)(たた)(まつ)れ』[引照]

口語訳また、「すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろもろの民よ、主をほめたたえよ」。
塚本訳さらに。”すべての異教人よ、主をたたえよ、すべての民よ、彼を誉めたたえよ。”
前田訳さらに、「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民よ、彼を讃めよ」と。
新共同更に、/「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」と言われています。
NIVAnd again, "Praise the Lord, all you Gentiles, and sing praises to him, all you peoples."
註解: 詩117:1の七十人訳、エホバの憐憫(あわれみ)をうたえる詩(9節)。

15章12節 (また)イザヤ()ふ『エツサイの萠薛(ひこばえ)(しゃう)じ、異邦人(いはうじん)(をさ)むるもの(おこ)らん。異邦人(いはうじん)(かれ)(のぞみ)をおかん』[引照]

口語訳またイザヤは言っている、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう」。
塚本訳さらにイザヤは言う。“エッサイの根ははえ、起きあがる者[キリスト]があらわれる、異教人を支配するために。異教人は彼に望みをかけるであろう。”
前田訳またイザヤはいいます、「エッサイの根ははえ、蹶起(けっき)者は異邦人を治めよう、異邦人は彼に望みを置こう」と。
新共同また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、/異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」
NIVAnd again, Isaiah says, "The Root of Jesse will spring up, one who will arise to rule over the nations; the Gentiles will hope in him."
註解: イザ11:10。七十人訳より引用(但し七十人訳はヘブル原典と差異あり)。エツサイはダビデの父。ダビデの子孫よりメシヤの生るべき事の預言。イスラエルのみならず異邦人も亦このメシヤを望み、次節の如き結果を生ずるに至る。
辞解
ヘブル原典は『その日エツサイの根たちてもろもろの民の旗となり』とあり、万民に仰がれるに至る事を意味す。以上三節は何れもメシヤ預言に関する旧約聖書の章節でパウロはこれらを読みつつその異邦人の使徒たる苦難と光栄とを想い回らしロマ15:4の如き言を発したのであろう。

15章13節 (ねが)はくは希望(のぞみ)(かみ)信仰(しんかう)より()づる(すべ)ての喜悦(よろこび)平安(へいあん)とを(なんぢ)らに滿()たしめ、(せい)(れい)能力(ちから)によりて希望(のぞみ)(ゆたか)ならしめ(たま)はんことを。[引照]

口語訳どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。
塚本訳希望の源である神が、(彼を)信ずることにおいて来る無上の喜びと平安とであなた達を満たし、聖霊の力によって(豊かな)希望に溢れさせられんことを。
前田訳希望の神が、信ずるという全きよろこびと平安とであなた方を満たし、聖霊の力であなた方を希望であふれさせたもうように。
新共同希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
NIVMay the God of hope fill you with all joy and peace as you trust in him, so that you may overflow with hope by the power of the Holy Spirit.
註解: 本来「望なく神なかりし異邦人」(エペ2:12)に取りて「希望の神」を信ずるに至らしめられし事は偉大なる変化であった。パウロがこの神に祈る処は喜悦と平安と希望とが基督者に豊ならん事である。苦難の中の喜悦と紛争なき平安とはキリストを信じ、彼に在りて他人の苦難を負うより来り、希望は聖霊の能力によりて来る。かくしてパウロは最後にロマの教会の内容をなすユダヤ人と異邦人との間の関係及びその神との関係を述べて教訓の部を終り次節以下に於て書簡の結尾をなす。
辞解
[信仰より出づる] 原語「信ずる事による」。

分類
5 結尾 15:14 - 16:27
5-(1)-(1) 私的通信 15:14 - 15:33
5-(1)-(1)-(イ) パウロの伝道者としての態度 15:14 - 15:21

註解: 本節以下は書簡の結尾で14-33節はこの書簡を(したた)めし事情及びパウロの将来の計画を述ぶ。

15章14節 わが兄弟(きゃうだい)よ、われは(なんぢ)らが(みづか)(ぜん)滿()ち、もろもろの知識(ちしき)滿()ちて(たがひ)訓戒(くんかい)()ることを(かた)(しん)ず。[引照]

口語訳さて、わたしの兄弟たちよ。あなたがた自身が、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互に訓戒し合う力のあることを、わたしは堅く信じている。
塚本訳しかし、わたしの兄弟たちよ、(こんな訓戒がましいことを言うのは、あなた達のりっぱな信仰を知らないからではない。)このわたしはあなた達自身が善で一ぱいであり、あらゆる知識に満たされており、互を訓戒し合うことも出来る者であることを、確信している。
前田訳わが兄弟たちよ、わたし自身あなた方が善に満ち、あらゆる知識にあふれて互いに忠告する力もあることを確信しています。
新共同兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。
NIVI myself am convinced, my brothers, that you yourselves are full of goodness, complete in knowledge and competent to instruct one another.
註解: 「この書簡を読まずとも汝らが相当の信仰的高さに達している事を自分は疑わない」との意味でパウロがロマの信徒の価値を充分に認めている事を示す。相手方を尊敬する事なしにこれを教訓する事は不可能である。
辞解
[われは] 原語「われ自らも」で「多くの人の信ずる如く」との意味を含む。
[汝らが自ら] 「汝ら自らも」で「我より教えられずとも」の意を含む。
[「善」と「知識」] 基督者に必要なる二要素で、善なき知識は悪用せられ知識なき善は誤用せらる。

15章15節 されど(われ)なほ(なんぢ)らに(おも)()させん(ため)に、ここかしこ(すこ)しく(はばか)らずして()きたる(ところ)あり、[引照]

口語訳しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた。それは、神からわたしに賜わった恵みによって、書いたのである。
塚本訳ところが、(この手紙の)あちらこちらでだいぶ思い切って書いたのは、わたしが神から賜わった恩恵によって、(あなた達がすでに知っていることを)いま一度思いおこしてもらうためである。
前田訳しかしわたしは時として思い切った形でこの手紙を書きました。これは神からわたしに賜わった恩恵によって記憶を新たにしてもらうためです。
新共同記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、
NIVI have written you quite boldly on some points, as if to remind you of them again, because of the grace God gave me
註解: パウロはこの書簡が彼と直接師弟の関係が無いロマの信者達の誇を傷けざらん為に謙遜の態度を示し、この書簡は新なる事を教えんとにあらず既に學びたる事を思出させん為のものなる事、又所々やや大胆無遠慮に書きたる事を告白している。但しかく云いたる後、彼は本節後半及次節に自己の使徒職を思いて自己の権威を主張する事を忘れなかった。
辞解
[ここかしこに] 「幾分」の意味に取り、「思い出させん為」を形容せしむる読方あれど(G1)本訳は通説である。

これ(かみ)(われ)(たま)ひたる恩惠(めぐみ)()る。

15章16節 (すなは)異邦人(いはうじん)のためにキリスト・イエスの仕人(つかへびと)となり、(かみ)福音(ふくいん)につきて祭司(さいし)(つとめ)をなす。これ異邦人(いはうじん)(せい)(れい)によりて(きよ)められ、御心(みこころ)(かな)献物(ささげもの)とならん(ため)なり。[引照]

口語訳このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。
塚本訳この恩恵とは、わたしが(神に選ばれて)異教人のためにキリスト・イエスにつかえる者になり、神の福音のために祭司の職をすることであって、こうして異教人が聖霊によって聖別され、御心にかなう捧げ物になるようにしているのである。
前田訳その恩恵とは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕えるものとなり、神の福音のために祭司の役をつとめることでして、異邦人が聖霊によって聖められ、み心にかなうささげものになるためのものです。
新共同異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。
NIVto be a minister of Christ Jesus to the Gentiles with the priestly duty of proclaiming the gospel of God, so that the Gentiles might become an offering acceptable to God, sanctified by the Holy Spirit.
註解: 15節前半に於て謙遜なる態度を示せるパウロは、その後半及本節に於て彼の心に在る深き確信を吐露し謙遜の中に彼の偉大なる使命観を(ひらめ)かせている。即ち彼が大胆に書き送りし所以は、彼が神の恩恵により異邦人の使徒に任命せられているからであって、この使徒職は(あたか)も全世界を神の祭壇とせる祭司の働きの如きものである。即ちパウロはキリストの仕人(つかえびと)(祭司、牧師等の如き聖職の意。ロマ13:6参照)として神の福音を宣伝うる為の祭司となり、そのささぐる献物(ささげもの)は異邦人そのものである。而してこのささげものが聖霊によりて潔められて神の喜び給うものとならん事が、パウロの使命であり又念願であった。本書簡の(したた)められし所以はその処に在ったのである。
辞解
[「仕人(つかへびと)」「献物(ささげもの)」「祭司の職」] 皆比喩的に用いたのであって、パウロの使命の性質を示している。即ち異邦人を神にささぐる祭司であると云うのである。

15章17節 されば、われ(かみ)(こと)につきては、キリスト・イエスによりて(ほこ)(ところ)あり。[引照]

口語訳だから、わたしは神への奉仕については、キリスト・イエスにあって誇りうるのである。
塚本訳だからわたしは誇りをもっているが、それは(ただ)キリスト・イエスにおいて、神(の福音)に関してのことである。
前田訳それで、わたしはキリスト・イエスによって神に対しての誇りを持っています。
新共同そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。
NIVTherefore I glory in Christ Jesus in my service to God.
註解: 前節の如き職務を果せるパウロは、人間として別に誇るべきものが無いにしても、神に関する事柄につきては誇るべき点が充分にあり、誇ることが少しも(やま)しい事でない。
辞解
[神の事] 「神に対する事柄」で神に仕え神の御前に神のために働く事、即ちパウロの使徒職を指す(ヘブ2:17ヘブ5:1)。
[キリスト・イエスに在りて] 信仰によりて次節の如き働きを為しつつと云うに同じ、かかる誇は正しき誇である、肉の誇でないから。

15章18節 (われ)は、キリストの異邦人(いはうじん)(したが)はせん(ため)(われ)(もち)ひて、(ことば)(わざ)と、[引照]

口語訳わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、
塚本訳なぜなら、わたしは(これ以外)何も敢えて語らないからである、キリストがわたしを用いて異教人を(福音に)従順にするために、言葉や業をもって、
前田訳キリストがわたしを通じてはたらかれたことのほかには、わたしはあえて何もいいません。そのはたらきは、異邦人を従順にさせるためであり、ことばやわざにより、
新共同キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、
NIVI will not venture to speak of anything except what Christ has accomplished through me in leading the Gentiles to obey God by what I have said and done--

15章19節 また(しるし)不思議(ふしぎ)との能力(ちから)、および(せい)(れい)能力(ちから)にて(はたら)(たま)ひし(こと)のほかは()へて(かた)らず、[引照]

口語訳しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。
塚本訳奇跡や不思議の力によって、聖霊の力によって、働かれたということでなければ。こうしてエルサレムから、各地をまわってイルリコまで、わたしはキリストの福音(の伝道)を達成した。
前田訳徴や不思議の力により、聖霊の力によるものでした。そのおかげでエルサレムから、各地をめぐってイルリコまで、わたしはキリストの福音を満たしました。
新共同また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。
NIVby the power of signs and miracles, through the power of the Spirit. So from Jerusalem all the way around to Illyricum, I have fully proclaimed the gospel of Christ.
註解: 前節の積極的叙述の消極的理由を示す(原文 gar あり)。パウロの語る所は極めて内輪で且つ信仰的である。自己の力や働きに誇るに非ずキリストにより動かされ、キリストがパウロを通して異邦人に対して働き給える事のみを語るに過ぎなかった、それにも関わらずパウロが偉大なる働きを為したる事は次に述ぶるが如くである。故に彼にはキリストにありて誇るべき充分の理由を持っていた。
辞解
[言葉] 「聖霊の能力」に対応
[業] 「徴と不思議との能力」に対応。「徴」と「不思議」との区別についてはヨハ4:48辞解参照。

エルサレムよりイルリコの[地方(ちはう)]に(いた)るまで、(あまね)くキリストの福音(ふくいん)()たせり。

註解: パウロの活動の両極を示し彼が如何に広汎の範囲に(わた)って福音を宜伝せるかにつきて述ぶ。これ皆キリストに動かされて為せる彼の活動であった。
辞解
[イルリコ] マケドニヤの北でピリピ、テサロニケ等の都市の西北に当る地方。パウロがその地に入りしや又はその地の一歩手前迄到りし意味なりやは文字上では決定し得ず、使徒行伝にはこの地方に入りし記事は無い。大体の範囲を示せるものと見るべし。
[(あまね)く] kuklô は円周を意味し「エルサレム及びその周囲よりイルリコの地方に到るまで」と解する説(G1)と「エルサレムより曲線に進み、即ち迂回してイルリコに到るまで」と解する説とあり後者は旧き読み方なれど優っている(I0)。
[福音を充す] 福音の宣伝を(くま)なく行き渡らしめし事。

15章20節 (われ)(つと)めて他人(たにん)()ゑたる基礎(もとゐ)のうへに()てじとて、(いま)だキリストの御名(みな)(とな)へられぬ(ところ)にのみ福音(ふくいん)宣傅(のべつた)へり。[引照]

口語訳その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。
塚本訳ただしこの場合、キリストの御名がまだとなえられえていない所(だけ)で福音を伝えることを名誉とした。他人の(すえた)土台の上に(自分の事業を)建てないためであって、
前田訳このようにして、わたしはキリストのみ名のとなえられぬところで、福音を伝えることを名誉としました。それは他人の土台の上に建てないためで、
新共同このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。
NIVIt has always been my ambition to preach the gospel where Christ was not known, so that I would not be building on someone else's foundation.
註解: パウロの独立心と聖き野心とをここに認める事が出来る。他人の伝道せる場所に於て伝道する事は難事ではない、凡て開拓者には最大の困難がある。
辞解
[努めて] philotimeomai 「かくする事を栄誉と思う」の意味即ち聖き野心、Uコリ5:9辞解參照。
[御名の(とな)えられぬ処] 精確なる訳語にあらず。次節私訳参照。
尚「基礎を置く事「は使徒の職なる故「他人」は他の使徒を意味すと見るを可とす、パウロの弟子が基礎を置けるコロサイ、ロマ等に伝道する事を彼は実行した。

15章21節 (しる)して『(いま)(かれ)のことを(つた)へられざりし(もの)()、いまだ()かざりし(もの)(さと)るべし』とあるが(ごと)し。[引照]

口語訳すなわち、「彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見、聞いていなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりである。
塚本訳むしろ“彼について知らされなかった人たちは彼を見、聞かなかった人たちは悟るであろう。”と書いてあるとおり(に伝道したの)である。
前田訳むしろ、「彼について知らなかった人々が彼を見、聞かなかった人々が語ろう」と聖書にあるとおりです。
新共同「彼のことを告げられていなかった人々が見、/聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。
NIVRather, as it is written: "Those who were not told about him will see, and those who have not heard will understand."
註解: イザ52:15の七十人訳。ヱホバの僕メシヤに関する預言で王たち及び諸国民に関する言であるがここではこれを福音を宣伝えられてこれを信ずるに至れる基督者を指す。20、21節は次の如くに私訳して幾分原文の語勢に忠実となる。即ち「斯く我が福音を宣伝うるの野心を有するはキリストの御名の既に称えられし処にはあらずして――これ他人の基礎の上に建てじとてなり――却って『未だ彼に就きて告げられざりし者は彼を見、いまだ聞かざりし者は悟るに至らん』と録されし如くせんためなり」。
要義1 [パウロの野心] パウロは他人の()えたる基礎の上に建てず、自ら福音の基礎を世界の各地に()えんとの野心を持っていた。他人の働きを利用しその収穫を盗み取らんとする如き事は彼には出来なかった。創業は常に困難である。而も彼の独創力とその使徒たる自覚は彼をして他人の労苦の上に安眠するを得ざらしめた。この聖き野心が福音の世界的伝播の原因となったのである。
要義2 [パウロの誇] パウロはキリストに用いられる事を唯一無上の誇としていた。「イエス・キリストの僕」なる語は奴隷たる恥辱が絶大の光栄として輝く彼の信仰の誇であった。換言すれば彼の誇は彼自身の誇ではなく主にあるの誇(Tコリ1:31)であり、キリストを誇る誇であった。かくしてパウロは自ら誇る事によりて神の栄光を顕わしたのである。神の役者たる者はかかる誇を有つべきである。福音を恥とし自己の使命を卑下するものは神を辱かしむる者である。

5-(1)-(1)-(ロ) パウロの旅程 15:22 - 15:29

15章22節 この(ゆゑ)に、われ(なんぢ)らに()かんとせしが、しばしば(さまた)げられたり。[引照]

口語訳こういうわけで、わたしはあなたがたの所に行くことを、たびたび妨げられてきた。
塚本訳この(ように、福音を伝えねばならない所がアジヤに残っていた)ため、わたしはまたあなた達の所に行くことを今までいつも妨げられていた。
前田訳このために、わたしはあなた方のところに行くことをたびたび妨げられていました。
新共同こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。
NIVThis is why I have often been hindered from coming to you.
註解: 「この故に」は19節後半より21節までの事情を意味し、福音が伝わらなかった地方が沢山にあったのでロマ行が妨げられた事を意味する。

15章23節 されど(いま)()地方(ちはう)(はたら)くべき(ところ)なく、(かつ)なんぢらに()かんことを多年(たねん)(せつ)(のぞ)みゐたれば、[引照]

口語訳しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤに赴く場合、あなたがたの所に行くことを、多年、熱望していたので、—
塚本訳しかし今は、もはやこの地方に(働く)場所がなくなり、すでに長年あなた達の所に行く熱望があったので、
前田訳しかし今は、この地方にはたらき場所がなくなりました。すでに長年あなた方のところに行く熱望がありましたので、
新共同しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、
NIVBut now that there is no more place for me to work in these regions, and since I have been longing for many years to see you,

15章24節 イスパニヤに(おもむ)かんとき立寄(たちよ)りて(なんぢ)らを()、ほぼ(こころ)滿()つるを()てのち(なんぢ)らに(おく)られんことを(のぞ)むなり。[引照]

口語訳その途中あなたがたに会い、まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら、あなたがたに送られてそこへ行くことを、望んでいるのである。
塚本訳(今度)イスパニヤに行くときに行こうと思う。(その途中ローマを)通過する際あなた達に会い、あなた達によってまず幾分でも(日ごろの願いが)満足させられたのち、あそこまで見送ってもらいたいと望んでいるからである。
前田訳イスパニアに行くときに行こうと思います。その道すがらあなた方にお会いし、あなた方によってまず幾分なりと心を満たされてから、あなた方にあそこまで送られたいと望んでいます。
新共同イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でも、あなたがたと共にいる喜びを味わってから、イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。
NIVI plan to do so when I go to Spain. I hope to visit you while passing through and to have you assist me on my journey there, after I have enjoyed your company for a while.
註解: 地の極とも考えられしイスパニヤ(今のスペイン、ポルトガル地方)に福音を伝うる事はパウロの大野心であり、その途次(とじ)、世界の都なるロマを訪う事は彼の年来の宿望であった。今は22節の妨げも除かれたことゆえ彼の計画は先づロマを訪いその多年の宿望を達して、十分とまでは行かずとも(ほぼ)満足して後にロマの信徒に送られて、イスパニヤに行く事であった。
辞解
本節は原文の構成上種々の論あれどもここにはこれを略す。
[ほぼ意に満つる] ロマの信徒について不満足を覚えるであろうとの意味ではなく、彼らの許に滞在する事は如何に永くともこれで充分と云う時のなき事を意味する。
[汝らに送られ] 案内して貰う事及び旅費の寄増を受くる事等をも含めるものと見るべきである。使徒としてパウロはこれを当然の事と考えていた(他人の給与によりて自己の私生活を営む事を彼は極端に嫌ったけれども)。

15章25節 されど(いま)聖徒(せいと)(つか)へん(ため)にエルサレムに()かんとす。[引照]

口語訳しかし今の場合、聖徒たちに仕えるために、わたしはエルサレムに行こうとしている。
塚本訳──しかし今(その前に、)聖徒たちの世話をするためエルサレムにのぼって行くのだ。
前田訳しかし今はエルサレムへ行って聖徒たちに仕えます。
新共同しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。
NIVNow, however, I am on my way to Jerusalem in the service of the saints there.
辞解
[されど今] 「やがてはロマに行くつもりであるが今は」との意。
[聖徒に事へん為に] 主なる写本には「聖徒に事えて」diakonôn とあり旅行そのものをも彼の奉仕の中に数えている。
[▲聖徒に事へる] 方法はマケドニヤとアカヤで醵金(きょきん)をしてエルサレムの貧しい信徒に寄付することであった。26-28節、Tコリ16:1-4、Uコリ8:1-9:5参照。
[往かんとす] 現在動詞「往く」と訳すべきである。パウロは既にこの旅に出発しているかの如き心持でこの書簡を(したた)めている。
[聖徒] ロマ1:7Tコリ1:2参照。

15章26節 マケドニアとアカヤとの人々(ひとびと)は、エルサレムに()聖徒(せいと)(まづ)しき(もの)幾許(いくばく)かの施與(ほどこし)をするを()しとせり。[引照]

口語訳なぜなら、マケドニヤとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。
塚本訳それは、マケドニヤ(州)とアカヤ(州)と(の兄弟たち)が、エルサレムの貧しい聖徒たちのためにいささか交わりのしるし(の醵金)をすることに決心した(ので、持参せねばならない)からである。
前田訳マケドニアとアカイアとがエルサレムの貧しい聖徒たちのためにいくらか交わりの徴をすることに同意したからです。
新共同マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです。
NIVFor Macedonia and Achaia were pleased to make a contribution for the poor among the saints in Jerusalem.
註解: 初代基督者の美わしき愛の関係を見る事が出来る。
辞解
[施與(ほどこし)] 原語 koinônia で「交り」を意味し信徒間の苦楽の共有を指して言う。この語が施與(ほどこし)の意味にも用いられている事は甚だ適切である(ガラ6:6Uコリ8:3)。
[幾許(いくばく)かの] 金額及び方法に於て全く自由なる事を暗示している。

15章27節 ()(これ)()しとせり、また聖徒(せいと)(たい)して()くする負債(おひめ)あり。異邦人(いはうじん)もし(かれ)らの(れい)(もの)(あづか)りたらんには、(にく)(もの)をもて(かれ)らに(つか)ふべきなり。[引照]

口語訳たしかに、彼らは賛成した。しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。
塚本訳ほんとうにこんな決心をしたのだが、異教人たちは彼ら(エルサレムの兄弟たち)に対して義務もある。なぜなら、異教人が彼らの霊的財産(の分配)にあずかった以上は、(当然)肉的財産をもって彼らにつかえねばならない。
前田訳同意したのは異邦人がエルサレムの人々に義務もあるからです。それは、異邦人が彼らの霊のものを共にしたのならば、肉のものをもって彼らに仕える義務があるからです。
新共同彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。
NIVThey were pleased to do it, and indeed they owe it to them. For if the Gentiles have shared in the Jews' spiritual blessings, they owe it to the Jews to share with them their material blessings.
註解: マケドニヤ、アカヤの信徒は喜んでその施與(ほどこし)を実行した。又これは彼らの義務であって決して為さずともよい事ではない、異邦人はユダヤ人の基督者にその霊の賜物を負う以上、肉の物質を以てこれに報ゆべきである。この論法はロマ人にも適用し得る事であって、パウロはこの機会に彼らも何時かはかかる(きょ)に出づる事あらん事を間接にすすめて居り、少くともその教訓を与えていると見るべきである。
辞解
[(あづか)り] koinôneô 前節の koinônia と同語源、前節辞解參照。
[(つか)ふ] leitourgeô を用い神に仕うる礼拝の意味に用うる場合が多い。(ひく)き者が高き者に仕うる事を云う。施與(ほどこし)は一種の礼拝であると云う如き心持を以て為さるべきである(Uコリ9:12辞解参照)。
[霊の物] キリストの福音とその教訓「肉の物」は衣食住の必要品。

15章28節 されば()(こと)()()へ、この()(わた)してのち、(なんぢ)らを()てイスパニヤに()かん。[引照]

口語訳そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う。
塚本訳そこでわたしはこの世話をすませ、彼らにこの実を確かにわたしたのち、あなた達のところを通ってイスパニヤへ行こう。
前田訳そこでわたしはこれを済ませて、彼らにこの実を確かに渡してから、あなた方のところを経てイスパニアへ行きましょう。
新共同それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。
NIVSo after I have completed this task and have made sure that they have received this fruit, I will go to Spain and visit you on the way.

15章29節 われ(なんぢ)らに(いた)るときは、キリストの滿()()れる祝福(しくふく)をもて(いた)らんことを()る。[引照]

口語訳そしてあなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと、信じている。
塚本訳しかしあなた達の所に行くときは、キリストの満ちみちた祝福をもって行けるだろうと、わたしは信じている。
前田訳わたしは知っています、あなた方のところに行くときは、キリストの祝福に満ちて行くでしょうことを。
新共同そのときには、キリストの祝福をあふれるほど持って、あなたがたのところに行くことになると思っています。
NIVI know that when I come to you, I will come in the full measure of the blessing of Christ.
註解: エルサレムに於て聖徒に施す事はパウロの喜びであった。これを終った時の事を考えてその時には溢るる祝福が彼の上に降る事を思い、この祝福をもてロマに至らんとの熱き希望があった事を述べている。▲▲然るに事実はパウロはエルサレムで捕らわれ、カイザリヤで二年間幽囚の身となり、そこから囚徒としてローマに護送されたのであった。使22章以下参照。彼には既にこの予感があった。30、31節参照。
辞解
[この果を付して] 原語「この果を印して」であって、種種の意味に解せらる。ここでは「確に付して」の意ならん。

5-(1)-(1)-(ハ) パウロの祈りと願 15:30 - 15:33

15章30節 兄弟(きゃうだい)よ、(われ)らの(しゅ)イエス・キリストにより、また御靈(みたま)(あい)によりて(なんぢ)らに(すす)む、なんぢらの(いのり)のうちに、(われ)とともに(ちから)(つく)して()がために(かみ)(いの)れ。[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい。
塚本訳兄弟たちよ、わたし達の主イエス・キリストを指して、また御霊が注いでくださる愛を指して、あなた達に願う。どうかわたしのために神に祈って、わたしを助けてもらいたい。
前田訳兄弟たちよ、われらの主イエス・キリストによって、また、霊の愛によって、お願いします。わがために神に祈ってわたしを助けてください。
新共同兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、
NIVI urge you, brothers, by our Lord Jesus Christ and by the love of the Spirit, to join me in my struggle by praying to God for me.

15章31節 これユダヤにをる(したが)はぬ(もの)(うち)より()(すく)はれ、(また)エルサレムに(たい)する()(つとめ)聖徒(せいと)(こころ)(かな)ひ、[引照]

口語訳すなわち、わたしがユダヤにおる不信の徒から救われ、そしてエルサレムに対するわたしの奉仕が聖徒たちに受けいれられるものとなるように、
塚本訳わたしがユダヤにいる信じようとしない人たちから守られ、エルサレムに対するわたしのこの務めが聖徒たちに喜ばれるように、
前田訳ユダヤの不信の人々からわたしが守られ、エルサレムのためのわたしのこの務めが、聖徒たちによろこばれますように。
新共同わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、
NIVPray that I may be rescued from the unbelievers in Judea and that my service in Jerusalem may be acceptable to the saints there,

15章32節 かつ(かみ)御意(みこころ)により、歡喜(よろこび)をもて(なんぢ)()にいたり、(とも)(やす)んぜん(ため)なり。[引照]

口語訳また、神の御旨により、喜びをもってあなたがたの所に行き、共になぐさめ合うことができるように祈ってもらいたい。
塚本訳神の御心により喜びに満ちてあなた達の所に行き、一しょに休息することができるように。
前田訳神のみ心により、よろこびをもってあなた方のところに行き、ともに休みえますように。
新共同こうして、神の御心によって喜びのうちにそちらへ行き、あなたがたのもとで憩うことができるように。
NIVso that by God's will I may come to you with joy and together with you be refreshed.
註解: この三節に於てパウロはロマの信徒がパウロの為に祈らん事を薦めている。而もパウロと共に祈の努力(相撲)をせん事を勧めているのは事の容易ならざる事を示している。即ちユダヤにいるパウロ反対の基督者及びユダヤ人たちの迫害を受くるのおそれがあった事がその一つ、又彼の奉仕がエルサレムの聖徒らの歓迎する処とならざらん事のおそれがその二つであり、パウロは先づこれらの困難を除かれん事を切に神に祈り、又ロマの兄弟たちにも彼と共に祈の戦を為すべき事を勧めた。而して次に神の御意によりてこの企画に成功しその歓喜を心にたたえつつロマに到る事を得ん事の祈を彼らに求めた、併し乍ら事志と違い、パウロは囚人としてロマに護送されるに至ったのである。使21章以下参照。
辞解
[御霊の愛] 御霊によりて心にいだく愛。
[力を尽して] 奮闘努力の貌で相撲をとる事を云う。祈は神との相撲である。

15章33節 (ねが)はくは平和(へいわ)(かみ)なんぢら(すべて)(とも)(いま)さんことを、アァメン。[引照]

口語訳どうか、平和の神があなたがた一同と共にいますように、アァメン。
塚本訳平和の神があなた達一同と共においでになるように、アーメン。
前田訳平和の神が皆さんとともにいましたもうように。アーメン。
新共同平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。
NIVThe God of peace be with you all. Amen.
註解: パウロは自己に及ぶべき困雖と争闘とを考えた為に殊に「平和の神」が慕わしくこの平和の神に対してロマ教会と共に在し給わん事を折った。
要義 [代祈又は共同の祈について] 他人の代りに祈り、又は他人と祈を共にする事は必要な事である。聖書によれば自分の為に信者に祈らん事を求めたのはパウロのみであるけれども、他の使徒たちも同様であったろうと思う。但しパウロは多くは自分の友人又は同輩として取扱っている教会に対してこれを求めて居り(エペ6:19、20。コロ4:3Tテサ5:25Uテサ3:1)、自分が親の如き心持でいた教会に対してはこれを依頼せず彼らが既にパウロの為に祈っているものとして取扱っている事は注意すべきである(Uコリ1:11ピリ1:19ピレ1:22)。パウロはかかる事柄につきても充分の礼儀を(わきま)え、且つ単なる口先だけの希望としてではなく心からの希望としてこれを述べている事がわかる。

ロマ書第16章
5-(1)-(2) 挨拶 16:1 - 16:23
5-(1)-(2)-(イ) フイベを薦む 16:1 - 16:2

註解: 最後にパウロは個人的の挨拶及び紹介を以て本書の終となしている。

16章1節 (われ)ケンクレヤの教會(けうくわい)執事(しつじ)なる(われ)らの姉妹(しまい)フィベを(なんぢ)らに(すす)む。[引照]

口語訳ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する。
塚本訳ケンクレヤの集会の執事である、わたし達の姉妹のフィベを紹介する。
前田訳ケンクレアの集まりの執事である、われらの姉妹フィベを紹介します。
新共同ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
NIVI commend to you our sister Phoebe, a servant of the church in Cenchrea.
註解: フイベは多分この書簡を持ちてロマに行く使であろうと想像せられている。或はケンクレヤよりロマに所用ありて行く途中コリントに立寄り、パウロは彼に托さんとてこの書簡を(したた)めたのであるかも知れない。
辞解
[ケンクレヤ] アカヤ州コリントの東方の海港でエーゲ海サロニカ湾に臨んでいる都市。
[執事] 職名なれども実際の働きに対して名づけたもので選任の形式や資格や権利義務等が確定せる如き近代的の意味の職名ではない。
[女執事] なる名称の生じたのは二世紀以後である。

16章2節 なんぢら(しゅ)にありて聖徒(せいと)たるに相應(ふさは)しく(かれ)()れ、(なに)にても()(えう)する(ところ)(たす)けよ、[引照]

口語訳どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。
塚本訳どうか聖徒にふさわしく主にあって彼女を歓迎し、彼女があなた達を必要とする事があれば、助力してもらいたい。彼女自身が多くの人の、またわたし自身の、援助者であったから。
前田訳あなた方が聖徒にふさわしく主にあって彼女を迎え、彼女があなた方を必要とする場合には助けてください。彼女自身多くの人の、またわたしの、助け手でしたから。
新共同どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
NIVI ask you to receive her in the Lord in a way worthy of the saints and to give her any help she may need from you, for she has been a great help to many people, including me.
註解: パウロはこれによりフイベの人格を紹介してその信用すべき姉妹たる事を示すと同時に、ロマ人に対し基督者として如何に振舞うべきかを教えている。
辞解
[主にありては] 主に在る者は互に一体となり得るからである。
[聖徒たるに相應(ふさは)しく] 「聖徒らしき態度で」との意味に解し、複数故にロマの信徒の取るべき態度を教えたものとする方が優っている。
[何にてもその要する所を助けよ] 「何にても汝らを必要とする事柄に於て彼を助けよ」彼らの助力を勧めた言。
[「容れよ」「助けよ」] 原文「容れん為、又助けん為に」で前節の薦むに懸る。

(かれ)(はや)くより(おほ)くの(ひと)保護者(ほごしゃ)また()保護者(ほごしゃ)たり。

註解: パウロは一人一人につきての功績を賞揚する事を忘れなかった。フイべは恐らく富裕なる商人で伝道者や貧しき聖徒を助けた事であろう。

5-(1)-(2)-(ロ) ローマの友人への挨拶 16:3 - 16:16

16章3節 プリスカとアクラとに安否(あんぴ)()へ、(かれ)らはキリスト・イエスに()()同勞者(どうらうしゃ)にして、[引照]

口語訳キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。
塚本訳キリスト・イエスにあるわたしの共働者のプリスカとアクラとによろしく。
前田訳キリスト・イエスにあるわたしの協力者のプリスカとアクラとによろしく。
新共同キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。
NIVGreet Priscilla and Aquila, my fellow workers in Christ Jesus.

16章4節 わが生命(いのち)のために(おのれ)(かしら)をも(をし)まざりき。(かれ)らに感謝(かんしゃ)するは、ただ(われ)のみならず、異邦人(いはうじん)(しょ)教會(けうくわい)もまた(しか)り。[引照]

口語訳彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。
塚本訳彼らはわたしの命の代りに自分の首をも差しだした。わたしばかりでなく、異教人のすべての集会も、彼らに感謝している。
前田訳彼らはわたしのいのちのかわりにと自分の首をも差し出しました。わたしだけでなく、異邦人のすべての集まりも彼らに感謝しています。
新共同命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。
NIVThey risked their lives for me. Not only I but all the churches of the Gentiles are grateful to them.
註解: パウロと最も親しく且つ重要なる関係を有っていたこの夫婦に彼は最初に挨拶をなし、且つキリストのための彼らの働きを賞揚している。彼らは実に初代基督教会の大恩人であり異邦人諸教会よりも感謝さるべき人であった。
辞解
[プリスカとアクラ] 夫婦でアクラはポント生れのユダヤ人で(使18:1)ロマに住んでいたがクラウデオ皇帝(41-54年)の迫害によりローマよりコリントに逃れ、パウロに教えられて信仰に入り、同業の(よしみ)を以てパウロと共に天幕を造り、その後エペソに移り(使18:18使18:26Tコリ16:19)、その後叉ロマに移ったものらしく、この書簡の(したた)められし時はロマにいた。恐らく彼らの職業の性質上自由に転々する事が可能であり叉或は有利でも有ったらしく、殊に彼らはパウロの為、福音の為に各地に転居したものと思われる。彼らの至る処によき教会が建てられた。
[己の首をも惜まざりき] 原語「己の首を〔剣の〕下に横えたり」でこれは恐らく徴象的な言い方で生命の危険をさえ冒した事を指すのであろう。但し歴史上の確実なる証拠はなく、何時、何処で、如何にしてかかる危険に身を晒したかにつきては何等の記録も伝説もない。

16章5節 (また)その(いへ)にある教會(けうくわい)にも安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳また、彼らの家の教会にも、よろしく。わたしの愛するエパネトに、よろしく言ってほしい。彼は、キリストにささげられたアジヤの初穂である。
塚本訳彼らの家の集会にもよろしく。わたしの愛するエパネトによろしく。彼は(回心して)キリストのものになったアジヤ(州)の初穂である。
前田訳彼らの家の集まりにもよろしく。わが愛するエパネトによろしく。彼はキリストを信じたアジアの初穂です。
新共同また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。
NIVGreet also the church that meets at their house. Greet my dear friend Epenetus, who was the first convert to Christ in the province of Asia.
註解: パウロの愛の心持はその知人且つ共働者であったアクラ夫婦の上のみならずその家にある信徒の集会に集う未知の人々にも及んで居る。キリストにある者は真の意味に於ける四海同胞である。
辞解
[家にある教会] 初代基督教はユダヤ教より次第に分離するに至り、分離の結果ユダヤ教の会堂に集う事は出来なかった。而して第三世紀頃までは基督教徒の為の特別の会堂が建立せられし形跡が無く(L3)、それまでは信徒はその中の重立ちたる人にして且つ集会に適する室を有する人々の家に集っていた、これを「家にある教会」と云っている、寧ろ「家にある集会」と云う程度の意味であったろう。Tコリ16:19コロ4:15ピレ1:2。又本章14、15節の「彼らと偕にあるもの」も恐らくかかる家の教会であったろう(I0、Z0)。尚5-13節の多数の人名がアクラ、プリスカの家の教会に属せし人々なりとする説あれど(Z0)適当ならず、寧ろ必ずしも所属の教会と云うものを持たざる当時の信徒の独立自由なる生活を反映するものと見るべきである。▲かかる状態はキリスト教発展の原始的段階における必然的状態で、当時の基督者は現在の欧米のごとき制度的儀式的教会を想像だにし得なかったであろう。

(また)わが(あい)するエパネトに安否(あんぴ)()へ。(かれ)はアジヤにて(むす)べるキリストの(はじめ)()なり。

註解: 初の実は種々の意味に於て(たっと)まるべきものである。パウロは本節以後に於ても一人一人に就てその特長を掲げてこれを紹介する事を忘れなかった。パウロが人を見る事に於て如何に注意を払ったかを知る事が出来る。神が人を見給う見方も亦かかるものであるであろう。
辞解
[アジア] 今の小アジアの西端の一州。エペソはその主府であった。従ってエパネトはエペソ人ならんと想像せられるけれども勿論確定は出来ない。当時ロマに移っていたものであろう。

16章6節 (なんぢ)()のために(いた)(らう)せしマリヤに安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい。
塚本訳マリヤによろしく。彼女はあなた達のために非常に苦労したのである。
前田訳マリヤによろしく。彼女はあなた方のために多くの労苦をしました。
新共同あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。
NIVGreet Mary, who worked very hard for you.
辞解
[労せし] 不定過去形故「労せし事あるマリヤ」と云う意味、特別の場合(迫害か、疫病か、又は他の事件か)に多く労せし事があったのであろう。その内容はロマの人々には説明を要しなかった。パウロが特にこれを書いたのはマリヤに対する賞賛の意味とロマ人がマリヤのこの労を忘れないが為であった。

16章7節 (われ)とともに囚人(めしうど)たりし()同族(どうぞく)アンデロニコとユニアスとに安否(あんぴ)()へ、(かれ)らは使徒(しと)たちの(うち)名聲(きこえ)あり、かつ(われ)(さき)()ちてキリストに()せし(もの)なり。[引照]

口語訳わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。
塚本訳わたしの同胞で同囚のアンデロニコとユニアスとによろしく。彼らは使徒の中で秀でた者であり、わたしより先にキリストを信ずる者になっていた。
前田訳わが同胞で同囚のアンデロニコとユニアスとによろしく。彼らは使徒の中ですぐれたもので、わたしより前にキリストを信じていました。
新共同わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。
NIVGreet Andronicus and Junias, my relatives who have been in prison with me. They are outstanding among the apostles, and they were in Christ before I was.
註解: パウロの信仰の先輩であり且つ使徒間に定評あり太鼓判を押されているこの二人の人々に挨拶を送っている。
辞解
[我とともに囚人(めしうど)たりし] 何時、何処にて彼らとパウロとが共に囚われしかは不明であるがパウロの入獄はこの時以前にも屡々(しばしば)ありし事であれば(Uコリ11:23Uコリ6:5。クレメント書簡に七回とあり)その中の何れかであったろう。又必ずしも同時に入獄したものとは限る必要がない(Z0)。
「同族」 は「親族」の意味に主として用いられている語であるがここではロマ9:3の場合及1121節の場合と共にユダヤ人即ち同種族と見るべきである。
[使徒たちの中に〔名聲(きこえ)〕定評あり] 彼らをも広義の使徒の中に数え(▲「使徒の中の定評あるもの」即ち「定評ある使徒」の意となり、当時「使徒」の語は広義にも用いられていた事実があることから、かく解する説が生れた。注意すべき説である。)「定評ある使徒にして」と訳す事が出来、又かく訳すべしとする説が多数である(A1、B1、B2、C1、C2、L1、G1、I0)。かく読む事は文字の上からは不可能ではなく、且つ古代教父は全部かく読んでいるけれども恐らく改訳の方が正しいであろう(M0)。
[名聲(きこえ)ある] episêmos は印を押されているとの意味で善悪両様に用いられている。「定評ある」と訳す可きであろう。

16章8節 (しゅ)にありて()(あい)するアンプリヤに安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳主にあって愛するアムプリアトに、よろしく。
塚本訳主にあってわたしの愛するアムプリアトによろしく。
前田訳主にあってわが愛するアムプリアトによろしく。
新共同主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。
NIVGreet Ampliatus, whom I love in the Lord.

16章9節 キリストにある(われ)らの同勞者(どうらうしゃ)ウルパノと()(あい)するスタキスとに安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳キリストにあるわたしたちの同労者ウルバノと、愛するスタキスとに、よろしく。
塚本訳キリストにあるわたし達の共働者のウルバノと、わたしの愛するスタキスとによろしく。
前田訳キリストにあるわれらの協力者ウルバノとわが愛するスタキスとによろしく。
新共同わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。
NIVGreet Urbanus, our fellow worker in Christ, and my dear friend Stachys.
註解: ウルパノはラテン名、スタキスはギリシャ名である。「我らの」と「我が」との使い分けは伝道の事はパウロ一人の事でないのでこれを「我らの」としたのである。尚8節以下に「主に在りて」又はこれに相当する文字を多く用いている事に注意せよ。パウロの友人関係は必ずキリストに在りて結ばれていた。

16章10節 キリストに()りて錬達(れんたつ)せるアペレに安否(あんぴ)()へ。アリストブロの(いへ)(もの)安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳キリストにあって錬達なアペレに、よろしく。アリストブロの家の人たちに、よろしく。
塚本訳キリストにあって試練を経た者であるアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。
前田訳キリストにあって試練を経たアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。
新共同真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。
NIVGreet Apelles, tested and approved in Christ. Greet those who belong to the household of Aristobulus.
辞解
[練達せる] 「試験済みの」と云う如き意味。
[家の者] 家族と解する事を得れどここでは恐らく奴隷の意ならん、アリストプロは信仰に入らずして既に死せる人らしく見える。ヘロデ大王の孫であったとの説が或は事実ならん。

16章11節 わが同族(どうぞく)ヘロデオンに安否(あんぴ)()へ。ナルキソの(いへ)なる(しゅ)()(もの)安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳同族のヘロデオンに、よろしく。ナルキソの家の、主にある人たちに、よろしく。
塚本訳わたしの同胞のヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。
前田訳わが同胞へロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人々によろしく。
新共同わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。
NIVGreet Herodion, my relative. Greet those in the household of Narcissus who are in the Lord.
辞解
[ナルキソ] 伝説によればローマ皇帝の一族の大官であったとの事であるが不明である。

16章12節 (しゅ)()りて(らう)せしツルパナとツルポサとに安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳主にあって労苦しているツルパナとツルポサとに、よろしく。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく。
塚本訳主にあって苦労したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって非常に苦労したのである。
前田訳主にあって労苦したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって多くの労苦をしました。
新共同主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。
NIVGreet Tryphena and Tryphosa, those women who work hard in the Lord. Greet my dear friend Persis, another woman who has worked very hard in the Lord.
註解: この二人は恐らく姉妹ならん、この名称は原語 trophê 「贅沢なる生活」より来り、「労せし」はその反語の如き形をなす。

(しゅ)()りて(いた)(らう)せし(あい)するペルシスに安否(あんぴ)()へ。

註解: 以上の二人よりも多く労せし姉妹であった。
辞解
本節の「労せし」も6節の場合と同じ。

16章13節 (しゅ)()りて(えら)ばれたるルポスと()(はは)とに安否(あんぴ)()へ、(かれ)(はは)(われ)にもまた(はは)なり。[引照]

口語訳主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。
塚本訳主にあって選ばれたルポスとお母さんとによろしく。彼女はわたしのお母さんでもある。
前田訳主にあって選ばれたルポスとその母によろしく。彼女はまたわが母です。
新共同主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。
NIVGreet Rufus, chosen in the Lord, and his mother, who has been a mother to me, too.
辞解
[選ばれたる] ここでは基督者とし選ばれし意味ではなく「選良」と云う如き意味である。ルポスはマコ15:21のルポス(ルフと読み方を別にするは誤りなり)と同一人と思わる、従ってクレネ人シモンの子で当時ロマに移住していたものであろう。マルコ伝はロマにて書かれしものと想像せられ、ルポスを既知の人として取扱っている点が本節の事実に一致している。
「彼の母は我にも亦母なり」 は原語「及び我の」なる二語よりなる、パウロは多分エルサレムに於てクレネ人シモンの家に寄寓した事があり、ルポスの母より親切に待遇されたのであろう。

16章14節 アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス(およ)(かれ)らと(とも)()兄弟(きゃうだい)たちに安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよび彼らと一緒にいる兄弟たちに、よろしく。
塚本訳アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一しょにいる(主にある)兄弟たちによろしく。
前田訳アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスと彼らとともにいる兄弟たちによろしく。
新共同アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。
NIVGreet Asyncritus, Phlegon, Hermes, Patrobas, Hermas and the brothers with them.

16章15節 ピロロゴ(およ)びユリヤ、ネレオ(およ)びその姉妹(しまい)、またオルンパ(およ)(かれ)らと(とも)()(すべ)ての聖徒(せいと)安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳ピロロゴとユリヤとに、またネレオとその姉妹とに、オルンパに、また彼らと一緒にいるすべての聖徒たちに、よろしく言ってほしい。
塚本訳ピロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパ、彼らと一しょにいる聖徒一同によろしく。
前田訳ピロロゴとユリア、ネレオとその姉妹、オルンパ、彼らとともにいる聖徒の皆さんによろしく。
新共同フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。
NIVGreet Philologus, Julia, Nereus and his sister, and Olympas and all the saints with them.
註解: 二つの集会がこれらの主要なる人々を中心として存在していたものと見る事が出来る。恐らくその集会の場所が一定して居ないので家の教会と称しなかったのであろう。但しこれらの人々につきては一切知られて居ない。ユリヤはピロロゴの妻であろう。

16章16節 (きよ)接吻(くちつけ)をもて(たがひ)安否(あんぴ)()へ。キリストの(しょ)教會(けうくわい)みな(なんぢ)らに安否(あんぴ)()ふ。[引照]

口語訳きよい接吻をもって、互にあいさつをかわしなさい。キリストのすべての教会から、あなたがたによろしく。
塚本訳聖なる接吻で互によろしくを言いなさい。キリストのすべての集会からあなた達によろしく。
前田訳聖い口づけで互いによろしくいってください。キリストのすべての集会(エクレシア)からあなた方によろしく。
新共同あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。
NIVGreet one another with a holy kiss. All the churches of Christ send greetings.
註解: 接吻は東方諸邦(小アジヤ、アラビヤ等)殊にユダヤ人の挨拶の方式であった。初代基督者はその兄弟愛の印としてこの挨拶を交す風習があり、これは二世紀以後礼拝の儀式の一部となった。パウロは「潔き」なる文字を加えてその弊害を戒めている。但し比較的後期の書簡(獄中書簡、牧会書簡)にはこれを薦めて居ないのは或は弊害が起ったからであろうと想像している学者もある(B1)。「諸教会みな」即ち「キリストにある凡ての教会」とあるは各地に於ける教会一般が如何にロマの教会に対してその関心を持っているかを示している。
要義1 [パウロの挨拶の性質] 3-16節にパウロは二十六人の名を挙げて(他に二人は名を挙げずに)厖大(ぼうだい)なる挨拶を送っている所以は、彼自身がこれ等の人々のローマ教会の建設に対する偉大なる功労を充分に認識しているからである事は勿論であるが、尚その他にもパウロはロマの信徒をして同様にこれらの人々の功績を忘れない様にと願っている心持もあったと見なければならない。又パウロがその一人々々につきていちいち異れる文言を以てその特徴や功績を挙げているのはパウロがこれらの人々の一人々々に対して如何に深い関心を持っていたかが窺われる。且つパウロが自ら建設せる教会に対する場合よりも一層この挨拶に力を注いだのは、パウロが未知の教会に対する礼儀からであって、単に使徒として彼らを威圧せんとせず、彼らの各々に謙遜なる心を以て対している事を示している。一見乾燥無味なるが如き人名録の中にもパウロの深き智慧と愛とを充分に汲み取る事が出来る。
要義2 [ロマの教会と家にある教会] 基督教会の自然の発展の最良の模範を我らはロマの教会に於て見る事が出来る。そこには大使徒が教会の基礎を置いた訳でもなく、唯ユダヤ、アジヤ、ギリシヤ地方より来れる多くの平信徒たちによりて福音の種子がロマの大都市に蒔かれ、それが次第に発育して当時のロマの全教会をなしていた。平信徒の伝道はかくの如く最も有力であり叉自然である。而してそこに特別の会堂がある訳ではなく、又所謂教職や教会組織もなく、唯幾人かの主要の信徒を中心としてその周囲に集会を開いていたのであった。これが所謂「家にある教会」であり、初代基督教会の発展の必然にして自然なる形態であった。而してパウロがこれに対して充分の尊敬と関心と喜悦とを有っていた事は、注意すべきであって、凡てをローマ法王の権威の下に服せしめんとするカトリック教会は勿論、制度とこれに伴える教職なしには教会が存在し得ないと考うるプロテスタント教会に取りても良き指針である。

5-(1)-(2)-(ハ) 偽教師への警戒 16:17 - 16:20

註解: 将に書簡を終らんとしてパウロの心中一の心配が台頭して来た。それはアンテオケ、ガラテヤ、コリント等に侵入してパウロの伝道に妨害を与えたユダヤ主義の偽教師の事であった。それ故に予めこれにつき警戒をしておく事を必要と感じた、卒然に語調を一変したのはこの為である。ピリ3:17参照。

16章17節 兄弟(きゃうだい)よ、われ(なんぢ)らに(すす)む、おほよそ(なんぢ)らの(まな)びし(をしへ)(そむ)きて分離(ぶんり)(しゃう)じ、顛躓(つまづき)をおこす(もの)(こころ)して(これ)(とほ)ざかれ。[引照]

口語訳さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい。
塚本訳兄弟たちよ、あなた達に勧める、あなた達が学んだ教えにそむいて、仲違いや罪のいざないをおこす者に注意せよ。彼らから遠ざかれ。
前田訳兄弟たちよ、あなた方に勧めます、あなた方が学んだ教えに反して、仲たがいやつまずきをおこすものに注意なさい。彼らから離れなさい。
新共同兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。
NIVI urge you, brothers, to watch out for those who cause divisions and put obstacles in your way that are contrary to the teaching you have learned. Keep away from them.
註解: 何れの時代にもこの種の分離と蹟きとが沢山にあった。これを起す原因たる偽教師から遠ざからなければならない。
辞解
[汝らの学びし処] 必ずしもパウロ主義と限らず使徒たちの皆一致して信じた処。
[分離] 教会の統一に関す。
[顛躓(つまづき)] その信仰及び道徳に関連す。

16章18節 かかる(もの)(われ)らの(しゅ)キリストに(つか)へず、(かへ)つて(おの)(はら)(つか)へ、また(あま)(ことば)媚諂(こびへつらひ)とをもて質朴(しつぼく)なる(ひと)(こころ)(あざむ)くなり。[引照]

口語訳なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。
塚本訳こんな者はわたし達の主キリストの奴隷ではなくて、自分のお腹[下等な欲求]の奴隷であり、あまい言葉と諂いとで無邪気な人たちの心を惑わすからである。
前田訳そんな人たちはわれらの主キリストの奴隷ではなくて、自らの腹の奴隷であり、甘言とへつらいとで純な人々の心を迷わしています。
新共同こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。
NIVFor such people are not serving our Lord Christ, but their own appetites. By smooth talk and flattery they deceive the minds of naive people.
註解: 前節の如き偽教師はキリストの僕にあらず、自己の腹の僕、即ち己の腹を神とする者であり(ピリ3:19)自己中心主義、自已満足至上主義者である。而して善言美辞を連ねて悪意無き無邪気なる人の心を欺く。
辞解
[事ふ] douleuô で奴隷となる事、
[己の腹] これを自己の快楽、殊に飲食の満足、享楽等を意味すと解するのが普通であるけれども、寧ろ自己の思想至上主義、霊的自己満足主義、人間中心主義等を指したものと見るべきであろう。ユダヤ主義の教師は必ずしも享楽主義者ではない。唯彼らの律法遵守に自己満足を見出し、これにより己を義としている人々であった。
[甘き言] chrêstologia で善、親切、柔和等を内容とする言、
[媚諂(こびへつらひ)] eulogia は「祝福」と訳される語で美辞を意味す。この二語は何れも善き意味に多く用いらる。本節の場合はこれを用うる者の悪意の為めに、その語る処の「善言」「美辞」が「甘き言」「媚諂(こびへつらい)」と変るのである。

16章19節 (なんぢ)らの從順(じゅうじゅん)(すべ)ての(ひと)(きこ)えたれば、(われ)なんぢらの(ため)(よろこ)べり。[引照]

口語訳あなたがたの従順は、すべての人々の耳に達しており、それをあなたがたのために喜んでいる。しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである。
塚本訳なぜなら、あなた達の(福音に対する)従順は、すべての人に知れ渡っているのだから。そのことをわたしはあなた達のために喜ぶが、善いことに対しては知恵があり、悪いことに対しては純真であってもらいたい。
前田訳あなた方の従順はすべての人に伝わっています。そのことをあなた方のためによろこびますが、善にはさとく、悪には潔癖で、と望みます。
新共同あなたがたの従順は皆に知られています。だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。なおその上、善にさとく、悪には疎くあることを望みます。
NIVEveryone has heard about your obedience, so I am full of joy over you; but I want you to be wise about what is good, and innocent about what is evil.
註解: この改訳は意味として解し易いけれども原文の訳としては無理である。原文は「そは汝らの従順は凡ての人に達したればなり。されば我汝らのために喜ぶされど我が欲する所は云々」となる、即ち17節の勧めの理由としてロマの信徒の従順の聞えが一般に広まっている事を挙げたのである。何となれば不従順の人々には教を与うるも益なき故である。「されば」容易に偽教師に欺かれる事無き事を思いパウロは喜んで居るのである。尚本節前半の「そは……なればなり」 gar の関係につきては数多の解釈あれど前述の如くに解した(I0、E0)。

(しか)して()(ほっ)する(ところ)は、(なんぢ)らが(ぜん)(かしこ)く、(あく)(うと)からんことなり。

註解: 「而して」は「されど」でパウロはロマの信徒の従順を喜んで居るけれどもされど尚彼らに希望する処があるとの意、その希求する事は善に智く、凡ての善に就きて注意、理解、体得が行き渡っている事(正しき福音を確保する事もこの中にあり)。而して悪につきては純粋であり悪を混合せざる事、悪を悪として絶対にこれを拒否する事が必要である。
辞解
[(うと)し] マタ10:16に素直と訳せられし akeraios で悪を混合せず人を害する事なき事を意味す。

16章20節 平和(へいわ)(かみ)(すみや)かにサタンを(なんぢ)らの(あし)(した)(くだ)(たま)ふベし。[引照]

口語訳平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。どうか、わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。
塚本訳平和の神が間もなく悪魔をあなた達の足の下に踏み砕かれるであろう。わたし達の主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。
前田訳平和の神がまもなくあなた方の足の下に悪魔を踏み砕かれましょう。われらの主イエスの恩恵があなた方とともにありますように。
新共同平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。
NIVThe God of peace will soon crush Satan under your feet. The grace of our Lord Jesus be with you.
註解: 偽教師の分争を終焉せしむるものは平和の神である。(あたか)創3:15に女の裔が蛇の頭を砕くと同じく神はこれ等の偽教師として活動するサタンを汝らの足の下に、即ち汝らによりて砕き給うであろう。

(ねが)はくは(われ)らの(しゅ)イエスの恩惠(めぐみ)、なんぢらと(とも)()らんことを。

註解: パウロはロマの教会の敵の砕かれん事を予想していてその時の光景を考えてこの希願の言を発したのであろう。書簡の終を意味したものでは無い。尚寫本によりこの一句は24節に又は27節の後に置かれるものあり一定しない。

5-(1)-(2)-(ニ) 同労者への挨拶 16:21 - 16:23

註解: パウロはここまで書き終って彼と共に居る人々を顧み、その希望に従って以下の挨拶を書き送った。

16章21節 わが同勞者(どうらうしゃ)テモテ(およ)()同族(どうぞく)ルキヨ、ヤソン、ソシパテロ(なんぢ)らに安否(あんぴ)()ふ。[引照]

口語訳わたしの同労者テモテおよび同族のルキオ、ヤソン、ソシパテロから、あなたがたによろしく。
塚本訳(御存じの)わたしの共働者のテモテと、わたしの同胞のルキオとヤソンとソシパテロとから、あなた達によろしく。──
前田訳わが協力者テモテとわが同胞ルキオとヤソンとソシパテロとから、あなた方によろしく。
新共同わたしの協力者テモテ、また同胞のルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言っています。
NIVTimothy, my fellow worker, sends his greetings to you, as do Lucius, Jason and Sosipater, my relatives.
註解: テモテを他の書簡の場合の如くに(Uコリ1:1ピリ1:1コロ1:1Tテサ1:1Uテサ1:1ピレ1:1)彼と共同の発信人の中に加えない所以はロマ書は特に使徒として彼の全責任に於て(したた)められ且つテモテをロマの信徒の上に置く如き心持を避けたからであろう。ルキヨは使13:1のクレネ人ルキオと、ヤソンは使17:5のヤソンとソシパテロは使20:4のベレヤ人ソパテロと同一人ならんと想像されている。彼らはパウロに伴い又はパウロを訪ねてコリントに来たのであろう。

16章22節 この(ふみ)()ける(われ)テルテオも(しゅ)にありて(なんぢ)らに安否(あんぴ)()ふ。[引照]

口語訳(この手紙を筆記したわたしテルテオも、主にあってあなたがたにあいさつの言葉をおくる。)
塚本訳(はなはだぶしつけですが、)この手紙を書記しましたわたくしテルテオからも、主にあってあなた達によろしく申し上げます。──
前田訳この手紙を筆記しましたわたしテルテオからも、主にあってあなた方によろしく申します。
新共同この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶いたします。
NIVI, Tertius, who wrote down this letter, greet you in the Lord.
註解: パウロはその書記テルテオに向い「君も一つ挨拶を書き給え」と云ったのであろう。彼を単なる速記者の如くに機械的に扱わない処にパウロの人格の香が表われている。因にパウロは他の多くの書簡と同じくこの書簡をも口授して筆寫せしめたのであった(Tコリ16:21ガラ6:11コロ4:18Uテサ3:17)。

16章23節 (われ)(ぜん)教會(けうくわい)との家主(いへあるじ)ガイオ(なんぢ)らに安否(あんぴ)()ふ。(まち)庫司(くらづかさ)エラストと兄弟(きゃうだい)クワルトと(なんぢ)らに安否(あんぴ)()ふ。[引照]

口語訳わたしと全教会との家主ガイオから、あなたがたによろしく。市の会計係エラストと兄弟クワルトから、あなたがたによろしく。〔
塚本訳わたしの、また全集会の宿の主人であるガイオから、あなた達によろしく。町の会計係のエラストと、(主にある)兄弟のクワルトとから、あなた達によろしく。
前田訳わたしと集まり全体の宿主であるガイオからあなた方によろしく。町の経理係のエラストと兄弟のクワルトからあなた方によろしく。
新共同わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。市の経理係エラストと兄弟のクアルトが、よろしくと言っています。
NIVGaius, whose hospitality I and the whole church here enjoy, sends you his greetings. Erastus, who is the city's director of public works, and our brother Quartus send you their greetings.
註解: ガイオは恐らくパウロが授洗せる者の一人なるガイオ(Tコリ1:14)ならん。使20:4と別人なるべし、エラストは使19:22Uテモ4:20のと同人ならんか。クワルトにつきては何も知られて居ない。
辞解
[全教会の家主] 意味は(1)コリントに於ける全基督者の集会所、(2)既知未知の基督者が皆歓迎せられ、客として扱われる家、(3)パウロと共にその時に集っていた全集合者の主人役。この第三が書簡の前後より見て最も適当であろう。故にここでは「全集会」と訳す方が適当であろう。
[町の庫司(くらづかさ)] コリントの市の財務部長の如きもの。

16章24節 [なし][引照]

口語訳わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように、アァメン。〕
塚本訳[無シ]
前田訳〔われらの主イエス・キリストの恵みが皆さんとともにありますように。アーメン。〕
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。
NIV


5-(1)-(3) 頌栄 16:25 - 16:27

16章25節 (ねが)はくは(なが)()のあひだ(かく)れたれども、[引照]

口語訳
塚本訳わたしの福音すなわちイエス・キリストを説く言葉によって、あなた達を強くすることの出来るお方に──この福音は長い間秘められた秘密の啓示であり、
前田訳わが福音、すなわちイエス・キリストの宣教によって、あなた方を強めうる方に、−−この福音は長い間秘められた奥義の啓示であり、
新共同神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
NIVNow to him who is able to establish you by my gospel and the proclamation of Jesus Christ, according to the revelation of the mystery hidden for long ages past,

16章26節 (いま)(あらは)れて、永遠(とこしへ)(かみ)(めい)にしたがひ、預言者(よげんしゃ)たちの(ふみ)によりて信仰(しんかう)從順(じゅうじゅん)()しめん(ため)に、もろもろの國人(くにびと)(しめ)されたる奧義(おくぎ)默示(もくし)(したが)へる()福音(ふくいん)と、イエス・キリストを()ぶる(こと)とによりて、(なんぢ)らを(かた)うし()る、[引照]

口語訳願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、
塚本訳今現わされ、預言者たちの書き物により、永遠の神の命令に応じて、従順に信仰を受けいれさせようとしてすべての国の人に知らせられたのである──
前田訳今現わされ、預言者たちの書きものにより、永遠の神のおいいつけで、信仰の従順を与えるため、すべての民に知らされました−−
新共同その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
NIVbut now revealed and made known through the prophetic writings by the command of the eternal God, so that all nations might believe and obey him--

16章27節 唯一(ゆゐいつ)(かしこ)(かみ)に、榮光(えいくわう)世々(よよ)(かぎ)りなくイエス・キリストに()りて()らんことを、アァメン。[引照]

口語訳すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン。
塚本訳このただひとりの賢い神に、イエス・キリストによって、栄光、永遠より永遠にあらんことを、アーメン。
前田訳このただひとりの賢い神に、イエス・キリストによって栄光が永遠から永遠へとありますように。アーメン。
新共同この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
NIVto the only wise God be glory forever through Jesus Christ! Amen.
註解: 雄大無比の頌栄であってロマ書全体の主要の思想がこの中に含まれている。これを分解して考察すれば(1)頌栄をささぐる対象は勿論神であり、この神は福音によりて「我らを堅うし」信仰に堅く立たしめ得給う神であり(26節末尾)又「唯一の智き神」(27節)に在し給う。能力と知恵は真の意味に於ては唯彼のみこれを有ち給う。(2)而して我らを堅うする途は「福音」とその「宣伝」である。パウロはこれを26節に「我が福音」と云いて十字架の奥義は彼に特に明かに示されしものなる事を暗示し、又「イエス・キリストを宣ぶる事」と云いて、福音の内容がイエス・キリスト而も十字架につけられ給いし彼(Tコリ2:2)に在る事を示している。(3)而してこの福音とその宣伝はそこに神の御手が加っているのであってこれは「神の奥義の黙示」によるより外なく人智を以て量るべからざる神の秘密が啓示せられて福音が宣伝えられるに至ったのである。(4)この奥義は「長き世の間」(直訳、永遠の時の間)即ち無限の昔より隠されていて今に至って顕わされしものである。この意味に於て本質的に永遠の神の経綸の中にあり乍ら事実としては全く新しく顕われし真理である。(5)而してこの「奥義が顕わされ」、これが「もろもろの国人に示された」のは(a)その方法は「永遠の神の命により」パウロその他の使徒が遣されて凡ての異邦人に伝道せしめられる事であり、(b)その根拠はこれが「預言者たちの書」即ち旧約聖書にその奥義が録されている事(ロマ書中に数多き引用あり)であり、(c)その目的は「信仰の従順を得しめん為」即ち凡ての国人を信仰に導かんが為であった。
辞解
この三節の文字の順序は訳文の都合上原文と異っている。尚原文には構造上の難問題あり。叉27節はこれを直訳すれば「・・・・唯一の智き神に、イエス・キリストにより、その神に栄光世々限りなくあらん事を」となり、「イエス・キリストにより」の後に「感謝す」又は「祈る」等の文字を脱したものと見るか、又は「その神に」 hô を除くに非ざれば文章として不完全である。尚この頌栄の各部の関係につきては異説あり。
「奥義の黙示に循ひ」を「堅し」に関連せしむる説(M0)又「もろもろの国人に」を「信仰の従順を得しめん為に」に関連せしむる説(I0)等あり、改訳を採る。
[奥義] mystêrion はエペソ書コロサイ書等の獄中書簡に最も多く用いられ、神の経綸の最も深き処を指し、種々の内容を有つ語である。
要義 [ロマ書の概観] 聖書中の最も重要なるこの一書簡は神と人との間の関係を最も根本的に解決したものであって、人間の義を粉砕して神の義を堅立せしめ、罪人が義人とせられ、死ぬべきものが永生を与えられ、サタンの僕がキリストの僕とせられ、暗黒の世界が光明の世界に化せられ、要するにキリスト・イエスによる宇宙的革命の宣言書であると云う事が出来る。この意味に於て実に稀有(けう)の書であり、まことに神の言中の神の言であると云う事が出来る。人生問題、社会問題、国家問題、宇宙問題等あらゆる問題の解決の鍵を我らはこの書簡の中に見出す事が出来る。この書簡は量として決して尨大なものではない。併し乍ら質としては実に宇宙大である。
附記 [15、16の両章に就て] 寫本によりては、(1)16:25-27の頌栄が14章の末尾にあるもの又は雙方にあるものがある事、(2)又寫本によりては全然これを欠くものがある事、(3)又マルキオン輯集(しゅうしゅう)の聖書には15、16の両章を欠く事、(4)16:3-16の人名がラテン名が少く殊にプリスカとアクラは少し以前まではエペソにいた筈であり(Tコリ16:19)、パウロに取りて未知の教会としては知人が多過ぎる様に思われる事、その他諸種の理由より最後の2章殊に16章は本来ロマ書に属せずエペソに宛てられしものならんと主張する學者があるけれども、(1)マルキオンの聖書は彼特有の立場より取捨したもの故信頼し難く、(2)教会等に於て朗読される場合の如きは最後の2章はこれを欠くとも差支が無く、殊に16章の如きは必要なき故これを除いたものが行われた事も考える事が出来、(3)人名にラテン名の少き事はロマ人にしてギリシャ名の人もあり叉東方よりロマに移住せる人も多かるべく、パウロの知人の多き事は彼の如き世界的伝道者に取りては極めて自然であり、且つ世界の中心都市のローマとしては他地方よりの移住が頻繁であった事は少しも怪しむに足らず、従って各地に転々せるアクラ、プリスカ夫妻のことゆえこの頃エペソよりローマに移住したものと考える事は差支が無い。然のみならずパウロが却って未知の教会に対して深い個人的関心を示した事は彼の人間としての偉大さと聖なる知恵とを表わすものと考える事が出来る。それ故にこの2章は現在の聖書のままにロマ書に属するものと見るのが至当である。