第1テモテ書第3章
分類
2 テモテに対する諸種の注意 1:3 - 6:21
2-3 役員の選任 3:1 - 3:16
2-3-イ 監督たるべき人の資格 3:1 - 3:7
3章1節 『人もし監督の職を慕はば、これよき業を願ふなり』とは、信ずべき言なり。[引照]
口語訳 | 「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。 |
塚本訳 | 「監督の職にあこがれる者は善い仕事を欲しがる者」という(言があるが、)この言は信ずべきである。(監督は尊い職であるからである。) |
前田訳 | 「監督になりたい人はよい仕事を求めている」とは信ずべきことばです。 |
新共同 | この言葉は真実です。「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」 |
NIV | Here is a trustworthy saying: If anyone sets his heart on being an overseer, he desires a noble task. |
註解: この格言は当時行われている処のものであった。すなわち監督の職を慕うことは、善き仕事を求めることであるというのであって、当時の監督とは今日の教会の職制における監督とは程度を異にし、専門的の職業としてではなく、その霊の賜物に循い「世話方」ともいうべき仕事を掌っていたのである。殊に教会は未だなお小さき存在であったので、この職を得んと欲する者は少なく、たまたま有ってもそれは野心家の類であったことと思われる。それ故に「これ善き業を願ふなり」と言いて、一面正当に監督の職に即かんとする者を奨励すると共に、他面、空しき野心によりてこれを求むることを避けしめんとしているのである。
辞解
[信ずべき言なり] Tテモ1:15参照、「本当である」というごとき意。
[監督] episkopos は、当時は今日のごとき完備せる職制として考えるべきではない。「世話方」という程度なり。なお新約聖書においては監督と長老とは同一人の別称なり(使20:17、使20:28。ピリ1:1参照)。
3章2節 それ監督は責むべき所なく、[引照]
口語訳 | さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、 |
塚本訳 | だから監督(たる者)は一点非難の打ち処のない(者でなければならない。すなわち)一人の妻の夫であり、真面目で、思慮があり、端正で、接待好きで、教え上手で、 |
前田訳 | 監督は非の打ちどころなく、ひとりの妻の夫、節制家で冷静、礼儀正しく、もてなしがよく、教え上手で、 |
新共同 | だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。 |
NIV | Now the overseer must be above reproach, the husband of but one wife, temperate, self-controlled, respectable, hospitable, able to teach, |
註解: 第一に監督たるべき者の条件として一般的に「非難すべき点の無き」ことを掲げている。これはキリスト者のみならず社会一般の人からも非難されない人であることを意味する。キリストを信ずる信仰の故に非難されることは止むを得ないことであるが、社会一般の常識または徳義の点より非難されることは宜しくない。従ってかかる人は監督の位置につかしむべきではない。
一人の妻の夫にして、
註解: 難解の一句で種々の解あり、(1)多妻主義を実行する者にあらざること(S2)、(2)妻の死後再婚をせずにいる者たること(A1、E0、L2)、(3)一人の妻に対し節操を守り不品行、蓄妾等を為さざる人たること(M0、I0)等の解あり。第一は同時のユダヤ人および異邦人間には多妻主義が実行されていたけれども(S2)、一般的ではなく、キリスト教徒の中には全く行われなかったと見るべき故、特に監督にのみこれを禁ずる必要なく、もし監督にのみこれを禁止する場合一般信者にはこれを許していることとなり不適当である。またかく解する場合Tテモ5:9は一妻多夫主義ということとなり事実に反す。第二は死せる妻に対する思い出を純潔に保つ上において、また継母子の関係の困難を避くる点において美しい行為とされていたことはキリスト教社会に限らず、非キリスト教社会においても事実であり、殊に夫を失える妻の場合がそうであった。古代教父にこの意見を取っている者が多い。しかしながらTテモ5:9に寡婦の籍に記すべき女は「一人の夫の妻たりし者」とあり、もしこれを再婚せざりし女と解すれば、パウロはTテモ5:14およびTコリ7:9に若き寡婦の再婚をすすめておりながら、もしその後再び夫に死別せる際教会が真の寡婦として取扱わないこととなり、かえって不幸をすするめるごとき矛盾を来すのみならず、再婚が監督の職に相応しからざるごとき何らかの悪を含みおるならば女子の場合はなおさらこれをすすめないはずである。かつこの思想の中には多分に禁慾主義を含み、またこの世と神の国との混同あり、パウロの思想と思われない。従って第三がこの場合の真の解釈であるとみるべきで、当時の社会、殊にギリシャ文化の下にある異邦人の社会においては全く罪と見られなかった性的放蕩と、蓄妾のごとき行為が、キリスト者の間にも行われたことはTコリ5:1、2。Tコリ6:15−20等を見れば明かである。キリスト者中にもかかる罪に陥りし者または陥りつつある者は絶無ではなかったので、かかる人を監督とすべからずとの意味である。「一人の妻の夫」なる話法はおそらく「不品行ならざる男」という意味の婉曲話法であろう。Tテモ5:14も同様である。
自ら制し、
註解: 大酒を慎む意味に多く用いる語であるがここでは肉の慾情によって支配されないこと。
愼み、品行正しく、
註解: 前者は内心の慎み深きこと、後者は外部に表われる態度の立派であること。
旅人を懇ろに待し、
註解: 当時の社会における大切なる道徳であった。隣人愛の表われである。
能く教へ、
註解: 監督たる人は信仰について教える役目をも行わなければならなかった。これを好まない者は監督たり得ない。
3章3節 酒を嗜まず、[引照]
口語訳 | 酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、 |
塚本訳 | 酒好き喧嘩好きでなく、むしろ優しく、喧嘩嫌いで、金銭を欲しがらず、 |
前田訳 | 酒に酔わず、けんか好きでなく、寛大で争わず、貧欲でなく、 |
新共同 | また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、 |
NIV | not given to drunkenness, not violent but gentle, not quarrelsome, not a lover of money. |
註解: テト1:7 paroinos は飲酒の上その度を失い乱暴なる言動に及ぶことであり、パウロは監督にかかることの無き者を任ずべきことを薦めている。
人を打たず、
註解: テト1:7.酒癖の悪い人と密接な関係があるが、夫に限られず、怒って人を打擲するごときことの無き人。
寛容にし、
註解: epieikês 柔和にして節制あり、従って濫りに怒らない。
爭はず、
註解: テト3:2。争闘せざること。
金を貪らず、
註解: 「金を愛せず」と訳すべき文字であるが、その結果貪慾の観念も含まれるに至る。本節は主として社会一般に対する態度の如何を示す。かかる人は社会の信用ができ、監督たるに適す。
註解: 本節および次節は家庭人としての監督の資格を陳ぶ。
3章4節 善く己が家を理め、[引照]
口語訳 | 自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。 |
塚本訳 | 自分の家をよくおさめ、きわめて謹厳で、その子女達が従順な者でなければならぬ。 |
前田訳 | おのが家をよく治め、厳格に子どもらを従わせる人であるべきです。 |
新共同 | 自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。 |
NIV | He must manage his own family well and see that his children obey him with proper respect. |
註解: 家庭の不和、乱脈、不潔はその家長の責任である。
辞解
[理め] 「主宰する」意味の語、教会の主宰と関係があるのでかかる語を用いたのであろう。
謹嚴にして子女を從順ならしむる者たるべし。
註解: 自らは放縦にして子女の不従順なる者は監督たるの資格がない。
辞解
[従順ならしむる者] 「従順に保つ者」の意。
3章5節 (人もし己が家を理むることを知らずば、爭でが神の教會を扱ふことを得ん)[引照]
口語訳 | 自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。 |
塚本訳 | 【自分の家を(すらよく)おさめることを知らない者に、どうして神の(家である)教会の世話が出来ようか。】 |
前田訳 | おのが家を治めえぬものがどうして神の集会(エクレシア)の世話ができましょう。 |
新共同 | 自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。 |
NIV | (If anyone does not know how to manage his own family, how can he take care of God's church?) |
註解: 修身、齋家、治国、平天下は結局同一の原理に支配されると同じく己が家を治むることを知らざるものは教会を治むる資格がない。
3章6節 また新に教に入りし者ならざるべし、恐らくは傲慢になりて惡魔と同じ審判を受くるに至らん。[引照]
口語訳 | 彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。 |
塚本訳 | なお(信仰の)新入生でないこと(が必要である。)そうでないと、(直に)思い上がって悪魔の審判に落ちるであろう。 |
前田訳 | 新参者もいけません。うぬぼれて悪魔の裁きを受けないためです。 |
新共同 | 監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。 |
NIV | He must not be a recent convert, or he may become conceited and fall under the same judgment as the devil. |
註解: 新に信仰に入った者はその当時は異常に熱心であって、他を凌ぐがごとくに見えるものであるが、往々にして時と共にその熱心が冷却し普通の信仰以下に堕落することが有り易いものである。しかのみならず新に入信せるのみにて儕輩(=同輩:広辞苑)の上に立つことは高慢の心をいだき易く、その結果サタンに乗ぜられて非常に大なる罪に陥ることがある。その場合悪魔の受くる審判と同一の審判を受けなければならない。すなわち未熟なる者を重用することはかえってその人に対する不親切となる。
辞解
[新に教に入りし者] neophytos は若樹のこと、すなわち一見盛んに発育繁茂するけれども、真の強さはない。ここでは異教より新に改宗せる者。
[傲慢になる] typhoô は「煙る」の意味あり自己に対して明確なる判断を下し得ないこと。
[悪魔と同じ審判] 原語「悪魔の審判」でこれを「悪魔(または誹謗者)が為す判断」と解する説あれど(L2)、現行訳のごとく解するを可とす(M0、B1、E0、A1)。
3章7節 外の人にも令聞ある者たるべし、然らずば誹謗と惡魔の羂とに陷らん。[引照]
口語訳 | さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。 |
塚本訳 | また外の者の評判も好くなければならぬ。そうでないと悪口を言われて、悪魔の羂に落ちるであろう。 |
前田訳 | 監督は集まりの外での評判のよい人であるべきです。そしりを受けて悪魔のわなにかからないためです。 |
新共同 | 更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。そうでなければ、中傷され、悪魔の罠に陥りかねないからです。 |
NIV | He must also have a good reputation with outsiders, so that he will not fall into disgrace and into the devil's trap. |
註解: 外の人すなわちキリスト者以外の人の判断のごときは歯牙に懸くるに足らずと考えるキリスト者があり、殊に異教国を軽蔑する宣教師等にこの種の態度が多い。しかしパウロはかかる態度を取らなかった。キリスト者以外の社会にも道徳がありこれを尊重すべきものと考えた。たといそれがキリスト教の道徳的標準より低いとしても、その低い標準から非難されるごときことはなおさらキリスト者の恥である。それ故に監督たる人はそれらの人々にも令聞ある人でなければならぬ。然らざれば彼の上に誹謗が加えられ、その誹謗が悪魔の羂となりてあるいは彼を排斥するの声が起り、あるいは教会に分裂を生ずる等のことが起るのである。
2-3-ロ 執事たるべき人の資格 3:8 - 3:13
註解: 本節以下は執事の職に関する注意。最初に執事を選任したのは使6:1−6のエルサレム教会の七人の執事であった。貧民救済、病者慰問等がその職務であった。
3章8節 執事もまた同じく謹嚴にして、言を二つにせず、[引照]
口語訳 | それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、 |
塚本訳 | 執事も同様に謹厳で、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、汚い金儲けをせず、 |
前田訳 | 同様に、世話人も高潔で、裏表なく、大酒飲みでなく、貧欲でなく、 |
新共同 | 同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、 |
NIV | Deacons, likewise, are to be men worthy of respect, sincere, not indulging in much wine, and not pursuing dishonest gain. |
註解: 謹厳にあらざれば信用を得ることができず、言を二つにする者は多くの人々の間に公平をもって処することができない、従って多くの人々より信用を博し得ない。
大酒せず、
註解: 大酒は正当なる判断を失うに至る。
恥づべき利をとらず、
註解: 執事は教会の財産を管理し、金銭の出納を掌るが故に、この間に不正の利を取るの誘惑に陥り易い(W2)。
3章9節 潔き良心をもて信仰の奧義を保つものたるべし。[引照]
口語訳 | きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。 |
塚本訳 | 潔い良心に信仰の奥義を有っている者でなければならぬ。 |
前田訳 | 清い良心で信仰の奥義を持つべきです。 |
新共同 | 清い良心の中に信仰の秘められた真理を持っている人でなければなりません。 |
NIV | They must keep hold of the deep truths of the faith with a clear conscience. |
註解: 信仰の奥義はイエス・キリストによりて啓示せられし福音の内容である。これを潔き良心をもって保持することが必要である。潔き良心なき者はこれを保持することができない。
3章10節 まづ彼らを試みて責むべき所なくば、執事の職に任ずべし。[引照]
口語訳 | 彼らはまず調べられて、不都合なことがなかったなら、それから執事の職につかすべきである。 |
塚本訳 | (監督と同じく)この人達もまず(これらの点をよく)調べた上で、(少しも)非難すべき所が無ければ、執事の職に就かせよ。 |
前田訳 | 彼らもまず試験期を経、欠点がないものとしてはじめて世話をすべきです。 |
新共同 | この人々もまず審査を受けるべきです。その上で、非難される点がなければ、奉仕者の務めに就かせなさい。 |
NIV | They must first be tested; and then if there is nothing against them, let them serve as deacons. |
註解: 「試みて」は「試験して」の意味であるが、必ずしも今日の教会にて行われるごとき口答または筆答による試験のごときものと解する必要はない。むしろテモテを始め監督、長老、執事等の主脳者は勿論、一般信者の観察や判断をもって試験する意味である。教理的試験よりもその行状の実際的検討である。ただし欧米の学者は多くこの反対の解釈を為す。
3章11節 女もまた謹嚴にして人を謗らず、自ら制して凡ての事に忠實なる者たるべし。[引照]
口語訳 | 女たちも、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、すべてのことに忠実でなければならない。 |
塚本訳 | 女執事も同様に謹厳で、(人の)悪口を言わず、真面目で、何事にも忠実でなければならぬ。 |
前田訳 | 女性も同様に高潔で、ひとをそしらず、冷静で何につけてもまめであるべきです。 |
新共同 | 婦人の奉仕者たちも同じように品位のある人でなければなりません。中傷せず、節制し、あらゆる点で忠実な人でなければなりません。 |
NIV | In the same way, their wives are to be women worthy of respect, not malicious talkers but temperate and trustworthy in everything. |
註解: 女執事に関する一節を加う。「人を譏らず」を特に女に対する注意に加えているのは(テト2:3)、女にこの種の罪に陥る者が多いからである。
辞解
「女」を妻と訳して(1)執事の妻(M0、B1、L2)と解する説、(2)一般に婦女子と解する説等あれど、(3)女執事と解するを可とす。現行訳は単に「女」とあり(2)の説によれるもののごとくに見えるけれどもおそらく(3)の意味に取ったのであろう。
3章12節 執事は一人の妻の夫にして、子女と己が家とを善く理むる者たるべし。[引照]
口語訳 | 執事はひとりの妻の夫であって、子供と自分の家とをよく治める者でなければならない。 |
塚本訳 | 執事は一人の妻の夫で、子女達と自分の家とをよくおさめねばならぬ。 |
前田訳 | 世話人はひとりの妻の夫で、子どもとおのが家とをよく治めるものであるべきです。 |
新共同 | 奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。 |
NIV | A deacon must be the husband of but one wife and must manage his children and his household well. |
註解: 2、4節における監督の場合に同じ。
3章13節 善く執事の職をなす者は良き地位を得、かつキリスト・イエスに於ける信仰につきて大なる勇氣を得るなり。[引照]
口語訳 | 執事の職をよくつとめた者は、良い地位を得、さらにキリスト・イエスを信じる信仰による、大いなる確信を得るであろう。 |
塚本訳 | よく執事の職を務める者は、(教会にて)善き地位と、またキリスト・イエスに対する信仰による大なる確信とを獲る(ことが出来る)であろう。 |
前田訳 | よい世話人はよい地位に達して、キリスト・イエスにある信仰についてはばかることがないものです。 |
新共同 | というのも、奉仕者の仕事を立派に果たした人々は、良い地位を得、キリスト・イエスへの信仰によって大きな確信を得るようになるからです。 |
NIV | Those who have served well gain an excellent standing and great assurance in their faith in Christ Jesus. |
註解: 「良き地位」は教会内における信用とか立場とかを指したるならん。「大なる勇気」はここでは「大なる確信」の意ならん。自己の職務を忠実に尽すこと、殊に教会のために尽すことは教会内に良き地歩を占める原因となり、また信仰上には益々確信が加わって来る。それ故に執事の職を善く果すことは人のためであるけれども結局己のためとなる。
要義1 [教会職員の徳性]信仰によりて義とせられ神に喜ばれる者は必ずしもここに列挙されるごとき数々の特性を具備する者とは限らない。人の目には大なる罪人と見ゆる者でも神の目には最も喜ばれる者である場合がある。しかしながら教会の職員となることは特殊の職務を遂行することである故、これに必要なる各種の条件があり、この条件を充たすだけの賜物の所有者たることを要する。ゆえに教会の職員たることはそれだけの多くの賜物を賜っていることの証拠であるけれども、天国において大なる者である意味ではない。
要義2 [教会の職員]牧会書簡には監督、執事、長老等に対する態度および彼らの資格、責任等につきて述べられているけれども、使徒時代においては今日のごとき法律的意味の職制が有ったわけではなく、実際上の必要に応じ、各人の霊の賜物により、種々の職務に従事したのであった。それ故に名称も互に相共通しており、職権の分離等も明瞭でなかった。しかしそれだけ霊的の世界が広かったということができる。学者も大体において当時の教会の職制が今日のそれとは異なることを認めておりながら、なお往々にして今日の教会制度の観念をもって当時の職制を考えんとすることは、多くの誤謬を生ずる基となることを注意しなければならない。
2-3-ハ 如上の注意を書き送る所以 3:14 - 3:16
3章14節 われ速かに汝に往かんことを望めど、[引照]
口語訳 | わたしは、あなたの所にすぐ行きたいと望みながら、この手紙を書いている。 |
塚本訳 | これらのことを君に書くのは、直に君の所に行こうと思っているが、 |
前田訳 | 早くそちらに行くことを望みながらこれらのことを書いています。 |
新共同 | わたしは、間もなくあなたのところへ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。 |
NIV | Although I hope to come to you soon, I am writing you these instructions so that, |
註解: この望みが必ず実現し得るならば所感を認める必要がないのであるが、あるいは実行不可能のことも無きにあらずと考えたのがパウロがこの書簡を認めた理由であり、そしてその目的は次節のごとくであった。
今これらの事を書きおくるは、
註解: 「これらの事」はこの書簡の全内容を指す。
3章15節 若し遲からんとき、人の如何に神の家に行ふべきかを汝に知らしめん爲なり。[引照]
口語訳 | 万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。 |
塚本訳 | 万一延引した場合、(皆が)神の家で如何に振舞うべきかを君(だけ)に(でも)知らせたいためである──神の家は活ける神の教会、真理の柱、また礎である。 |
前田訳 | 遅れる場合、神の家でいかにふるまうべきかを知ってもらうためです。神の家は生ける神の集会(エクレシア)で、真理の柱と礎です。 |
新共同 | 行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。 |
NIV | if I am delayed, you will know how people ought to conduct themselves in God's household, which is the church of the living God, the pillar and foundation of the truth. |
註解: キリスト者が教会に対し(そしてキリスト者そのものが教会である故、相互に対して)取るべき態度、すなわちあるいは教会の礼拝、統治、救済等に関して教えるためであった。これがパウロのエペソ訪問が後れる場合に対する用意であった。
辞解
[人の] 原文になき故これを「テモテの」と解する人あれど、現行訳を採る。
神の家は活ける神の教會なり、
註解: 教会をここで特に神の家と呼んだ訳は活ける神がその中に住み給うが故である。活ける神なるが故に、教会に関するその命令や規定は充分に行われることを要求し給う。
辞解
[神の家] 本来エルサレムの宮(マタ21:13)を指したのであるが旧約の聖徒(ヘブ3:2、5)新約の聖徒(ヘブ3:6。Tペテ4:17)にも用う。
眞理の柱、[眞理の](また)基なり。
註解: 前掲教会の同格的説明。教会によりて真理が支えられ、基礎を置かれる。あたかも家が柱と基礎とによりて支えられると同じである。すなわち教会は神の家であり神の住家(エペ2:22)また神の宮(Tコリ3:16)である故神その中に住み給い、真理がその中に宿っているのであるが、同時に教会はその真理を支えているのである。教会の破滅は同時に真理の破滅であり、同時に神の臨在の喪失である。ただしこの「教会」はカトリック教会を指すにあらず、ゆえにこの二句を強いて次節に結付ける(B1)必要はない。また組織と制度とを指すのでもなく、神の住み給う処、キリストを首とせる体そのものである。
3章16節 實に大なるかな、敬虔の奧義[引照]
口語訳 | 確かに偉大なのは、この信心の奥義である、「キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた」。 |
塚本訳 | そして確かに(私達の)信仰の奥義は偉大である。(讃美歌にうたう通りである──)彼(キリスト)は肉にて顕され、霊にて義とされ、御使いたちに見られ、諸国の民に宣べ伝えられ、世に信ぜられ、挙げられて栄光に入り給うた。 |
前田訳 | まことにわれらの信仰の奥義は偉大です。「(キリストは)肉にあって現われ、霊にあって 義とされ、天使たちに見られ、諸民にのべ伝えられ、世を通じて信ぜられ、栄光のうちに高められたのです」。 |
新共同 | 信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、/キリストは肉において現れ、/“霊”において義とされ、/天使たちに見られ、/異邦人の間で宣べ伝えられ、/世界中で信じられ、/栄光のうちに上げられた。 |
NIV | Beyond all question, the mystery of godliness is great: He appeared in a body, was vindicated by the Spirit, was seen by angels, was preached among the nations, was believed on in the world, was taken up in glory. |
註解: 「敬虔」は牧会書簡においては「信仰」とほとんど同義に用いらる。次に来る六行詩は当時の讃美歌の一節であろう。これを引用してキリスト教的信仰の偉大さをたたえ、4:1以下の偽教師の誤謬を指摘する前提を為す。
辞解
[實に] 「承認せられているごとく」の意味で「たしかに」というがごとし。
[奥義] すなわち啓示されるまでは顕われざる真理。
『[キリストは]肉にて顯され、
註解: 原文「キリストは」を欠き関係代名詞「彼は」(または異本「神は」)とあるが「キリストは」と解すべきことは明かである。「肉にて顕され」は受肉のこと、ヨハ1:14。ロマ8:3。Tヨハ4:2。
靈にて義とせられ、
註解: 対句的に肉と霊とを対照す。キリストはその受肉よりその復活に至るまで常に神の喜び給う処であり(マタ3:17。Uペテ1:17)神は彼を義なる者と認め給うた(使3:14。使22:14。Tヨハ2:1)。これは彼の霊性に関することである。なおこれを人類の罪を負うて死に、人類に代って義とせられ給えり(B1)と解する必要はない。
御使たちに見られ、
註解: キリストの顕現は宇宙的である。ゆえに肉にて顕わされて人間の目に見得しのみならず、御使たちにも顕現し給うた(エペ3:10)。これは復活の後(A1、B1)と見る必要はない。
もろもろの國人に宣傳へられ、
註解: 「もろもろの国人」は異邦人を指す。キリストは全世界に宣伝えられた。
世に信ぜられ、
註解: 「世」は「世界」キリストが全世界に信ぜられるに至った。
榮光のうちに上げられ給へり』
註解: 栄光の中に昇天し給いその中に居り給うことを意味す、この六句が二句ずつ三連をなすか、三句ずつ二連をなすか等種々に論じられているけれども、むしろ並列的であり、ほぼ歴史的順序によると見ることができる。
第1テモテ書第4章
2-4 牧者としての注意 4:1 - 4:16
2-4-イ 偽教師の誤れる主張 4:1 - 4:5
4章1節 されど御靈あきらかに、或人の後の日に及びて、惑す靈と惡鬼の教とに心を寄せて、信仰より離れんことを言ひ給ふ。[引照]
口語訳 | しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。 |
塚本訳 | しかし御霊は、後日(必ず)或る人々が虚言者どもの偽善に欺かれて迷いの霊と鬼の教えに心を奪われ、信仰から離れ落ちることを(予め)明らかに言い給う。 |
前田訳 | 霊が明言するように、後の時に、ある人々は迷いの霊と悪霊の教えとに従って信仰から離れましょう。 |
新共同 | しかし、“霊”は次のように明確に告げておられます。終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。 |
NIV | The Spirit clearly says that in later times some will abandon the faith and follow deceiving spirits and things taught by demons. |
4章2節 これ虚僞をいふ者の僞善に由りてなり。彼らは良心を燒金にて烙かれ、[引照]
口語訳 | それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。 |
塚本訳 | この虚言者どもは(私利や貪欲の奴隷となり、あたかも奴隷が額に焼印を押されるように)自分の良心に焼印を押され(ていながら、) |
前田訳 | それはおのが良心に焼き印されたうそつきの偽善によるものです。 |
新共同 | このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。彼らは自分の良心に焼き印を押されており、 |
NIV | Such teachings come through hypocritical liars, whose consciences have been seared as with a hot iron. |
4章3節 婚姻するを禁じ、食を斷つことを命ず。[引照]
口語訳 | これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。 |
塚本訳 | (口では禁欲を唱えてあるいは)結婚を禁じたり、(あるいは)食物を断たせたりしている──しかし食物は信じ且つ真理を知る者が感謝をもって頂くように神が創造り給うたものである。 |
前田訳 | 彼らは結婚を禁じ、食物を絶たせます。しかし食物は、信じて真理を知る人々が感謝をもって受けるよう神がお造りになったものです。 |
新共同 | 結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。 |
NIV | They forbid people to marry and order them to abstain from certain foods, which God created to be received with thanksgiving by those who believe and who know the truth. |
註解: 原文の構造にやや近く私訳すれば「(1節)然れども御霊はあきらかに言い給う、或人々後の日に及びて信仰より離れん、すなわち惑わす霊と悪鬼の教とに心を寄せ、(2節)虚言者の偽善に居り、良心は焼却せられ、(3節)婚姻するを禁じ、食を断つことを命ぜんと」「然れど」は前章末尾の敬虔の奥義の栄光と本節以下の偽教師との対照を示す。御霊は預言者を動かして「あきらかに」明瞭なる言をもって預言せしめる。或人々は偽教師たちを指す、特に名を掲げないのはパウロの智慧であろう。その偽教師らは信仰より離れてしまう。そしてその原因および結果を次の五ヶ条として列挙する。(1)惑す霊と悪鬼の教とに心を寄すること。「惑す霊」は「聖霊」の反対すなわちサタンの霊というに同じ、聖霊は単数であり、惑す霊は複数である。悪鬼の教はキリストまたは使徒たちの教に相対する。悪鬼は複数で、サタンの輩下である。(2)虚言者の偽善にいること、誠実なる心と言とは彼らの中に存在しない。(3)良心は焼印されている。すなわち罪の焼印がその良心に焼付けられて消えることがなく、しかも彼らはその迷いと邪悪と虚偽と不義とをも顧みずして誤った教を為し、(4)婚姻を不潔として禁じ、婚姻せざる生活を聖き生活なりと主張し、(5)食を断つことを良きこととして命じている。これが偽教師の態度であった。
辞解
[後の日] 「終の日」のごとくに終末的の意味が濃くはなく、現在の時代をも含む。
[虚言者の偽善におり] 他の構造に解する説あれど略す。
焼金にて焼かれる場合は奴隷がその主人の名を焼印される場合と、犯罪人がその犯罪人たることを焼印される場合とあり、前者を取れば本節はサタンの名を焼印せられしこととなり(E0)、後者によれば上記のごとき解となる(A1、B1、L2)。
婚姻を不潔なることと考えたのは当時以前より存在せるエッセネ派等にもあり、必ずしもグノシス派の影響と解するを要しない。
[食を断つことを命ず] 本節の場合如何なる食を断つべしと唱えたのか、また何故に食を断つべしと教えたかは不明であるが、おそらくモーセの律法により穢れしものとせられし食物につきてならん(テト1:15。ロマ14:2、3)。▲信仰の律法化は当時既にその萌芽を出して人間は神の御心よりも人間を悦ばせようとする。禁慾生活のごときもその一種で、荒野におけるクムラン教団のごとき、よき一例である。
されど食は神の造り給へる物にして、信じかつ眞理を知る者の感謝して受くべきものなり。
註解: 私訳「その食は、信者にして真理を知る者をして感謝をもって受けしめんために神の造り給えるものなり」。如何なる食物も神は人をしてこれを食わしめんために造り給うたのである。ゆえに信者にして神の啓示し給える真理を知る者はみな感謝してこれを受くべきであり、これを断つごときは全く無意味である。勿論信者以外の人のためにも造られたのであるが、信者に取りては殊にそれが感謝の原因となるのである。
4章4節 (其の故は)神の造り給へる物はみな善(く)[し]、感謝して受くる時は棄つべき物[なし](なければなり)。[引照]
口語訳 | 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。 |
塚本訳 | 何故なら、神の創造り給うたものは皆佳く、感謝をもって受くれば廃り物は一つも無い。 |
前田訳 | 神がお造りのものはすべてよく、感謝をもって受けたものは何ひとつ捨てるべきでありません。 |
新共同 | というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。 |
NIV | For everything God created is good, and nothing is to be rejected if it is received with thanksgiving, |
註解: かかる自明の理(創1:31。マコ7:19。使10:15。ロマ14:14、ロマ14:20。Tコリ10:26)が旧約時代においては種々の制限を受けていたことは不思議であるがこれらは凡て福音に到達するための律法的訓練の時代の現象と見るべきである。
4章5節 そは神の言と祈とによりて潔めらるるなり。[引照]
口語訳 | それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。 |
塚本訳 | (食物は悉く食前の祈りにおける)神の言と感謝の祈りとによって聖められるからである。 |
前田訳 | それは神のことばと祈りとによって聖められているからです。 |
新共同 | 神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。 |
NIV | because it is consecrated by the word of God and prayer. |
註解: 食事に際して行う祈りにより神は食物の上に祝福を賜うとの考えから、これを「神の言」と言ったのであろう。すなわち如何なる食物でも、神に対する信頼の心をもって感謝し祈る時、神はその食物の上に祝福の言を賜い、食物はこれによりて潔められ、如何なる物にても穢れているものはないとの意。これを機械的に解し、食前の感謝が穢れた物を潔くする力ありと考えてはならない。この感謝の態度とこれに対する神の喜びとは、そこに穢れの入る余地もなきほど最も潔き世界を造り出し得ることの心持を表顕したものと見るべきである。
辞解
[神の言] (1)神に関する言、(2)聖書のある一句、(3)キリスト教の一般真理、(4)感謝の祈りに交る神の言、(5)祈りと同義等種々の解あり、試に上記のごとく解した。
[祈] enteuxis は子供のごとき心をもって神に近付くこと、なお禁慾主義につきてはコロ2:16−23註および要義参照。
2-4-ロ 良き牧者たれ 4:6 - 4:10
4章6節 汝もし此等のことを兄弟に教へば、信仰と汝の從ひたる善き教との言にて養はるる所のキリスト・イエスの良き役者たるべし。[引照]
口語訳 | これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたは、信仰の言葉とあなたの従ってきた良い教の言葉とに養われて、キリスト・イエスのよい奉仕者になるであろう。 |
塚本訳 | この(結婚や食物の)ことを(正しく)兄弟達に教えるならば、君は信仰と(今まで)随って来た(健全な)善い教えとの言によって育てられ、キリスト・イエスの立派な世話役となるであろう。 |
前田訳 | あなたはこれらを兄弟に教えれば、信仰のことばと、従ってきたよい教えのことばに養われて、キリスト・イエスのよい世話人になるでしょう。 |
新共同 | これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。 |
NIV | If you point these things out to the brothers, you will be a good minister of Christ Jesus, brought up in the truths of the faith and of the good teaching that you have followed. |
註解: パウロはテモテに向いその牧会の義務を示している。すなわち「此等のこと」(本書簡の始めより4:5に至るまでのことを指すと見るべし)を兄弟たちに示唆することである。そしてかく義務を果すことによりキリスト・イエスの良き役者(または執事)となることができ、かつ、信仰においても教においても養われ益々発育するに至る。役者にとりて信仰の言と、善き教えの言とがその霊を養うところの滋養であり、これに養われて良き働きを為すことができる。
辞解
[教へば] 示唆を与えること。
[役者] diakonos 執事と同語、当時職名と実質的称呼との区別が厳格ならざりし一例である。
4章7節 されど妄なる談と老いたる女の昔話とを捨てよ、[引照]
口語訳 | しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。 |
塚本訳 | 信仰的でない、愚にもつかぬ昔話をはねつけよ。(人はともあれ、いよいよ)自分を鍛錬して敬虔となれ。 |
前田訳 | 俗で老婆向きの作り話は避けて、自らを敬虔へと訓練なさい。 |
新共同 | 俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。 |
NIV | Have nothing to do with godless myths and old wives' tales; rather, train yourself to be godly. |
註解: 前節のごとく信仰の言と善き教えの言は霊の滋養となるに反し、「妄なる談」すなわち俗悪にして神聖ならざる架空の談論や、老婆の好んで為すごとき「昔話」 mythos すなわち架空の神秘な物語は信仰に何らの益を与えないものであるからこれと絶縁しなければならぬ。テモテは柔和なる性格であったらしく、他人の言動に引き寄せられ易かったものと思われる。
また自ら敬虔を修行せよ。
註解: 「修行す」 gymnazô は体操、運動等の練習により身体を鍛えることをいう。ここではこれを霊的に用いている。そしてその鍛錬の目的は敬虔な生涯に入ることである。パウロはここにオリンピヤの競技のために鍛錬する選手のことを考えたのであろう。キリスト者の克己は3節のごときことではなく、この種の霊的鍛錬である。
4章8節 體の修行もいささかは益あれど、敬虔は今の生命と後の生命との約束を保ちて凡ての事に益あり。[引照]
口語訳 | からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。 |
塚本訳 | 「(禁欲ごとき)体の鍛錬は益少ないが、敬虔は凡てに益がある。現世、来世の生命の約束を有つ」(という言があるが)、 |
前田訳 | 体の訓練の益は少なく、敬虔は万事に益します。そこに今のいのちと来たるべきいのちとの約束があるからです。 |
新共同 | 体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。 |
NIV | For physical training is of some value, but godliness has value for all things, holding promise for both the present life and the life to come. |
註解: 「修行」すなわち「鍛錬」より連想してここにパウロは身体の運動や鍛錬も、若干の益あることを述べているが、これは敬虔の益の絶大なると比較せんがために当時ギリシャにおいて重視され、流行していた身体の鍛錬を引合いに出したのである。そして敬虔すなわち信仰の万事につき益ある所以は信仰はこの世の生活および来世の生活に関して希望に充てる約束を(マコ10:29、30)確保し得るからである。キリスト者は世にありて患難多しということも事実であるが、これに打勝ち得る信仰を与えられているが故にさらにさらに大なる幸福が得られる。
辞解
[體] 3節のごとき禁慾的生活と解する説あれど(L2、E0)パウロはこれを幾分の益ありとすることは有り得ない。
[「聊か」と「凡ての事に」] 両者は相対照す。
[約束] 「約束せられし事柄(E0)と解す。
4章9節 これ信ずべく正しく受くべき言なり。[引照]
口語訳 | これは確実で、そのまま受けいれるに足る言葉である。 |
塚本訳 | この言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。 |
前田訳 | このことばは信ずべく、またすべて受け入れるべきものです。 |
新共同 | この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。 |
NIV | This is a trustworthy saying that deserves full acceptance |
註解: Tテモ1:15註参照。前節は当時のキリスト者の間に格言のごとくに用いられていたのであろう。
4章10節 我らは之がために勞しかつ苦心す、そは我ら凡ての人、殊に信ずる者の救主なる活ける神に望を置けばなり。[引照]
口語訳 | わたしたちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、望みを置いてきたからである。 |
塚本訳 | 私達の奮闘も努力も畢竟この生命の約束を目的としている──私達は凡ての人、特に信者の救い主である活ける神に希望を置いているのであるから! |
前田訳 | このためにこそ、われらは労し苦しんでいるのです。われらは生ける神に望んでいます。彼こそ万人の、とくに信ずる者の救い主です。 |
新共同 | わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。 |
NIV | (and for this we labor and strive), that we have put our hope in the living God, who is the Savior of all men, and especially of those who believe. |
註解: 「之がために」は今の生命と後の生命との約束を得ること、すなわち信仰を確保することであり、このためにパウロ始め多くのキリスト者は苦労し奮闘する。そしてかかる苦闘を嘗める所以は活ける神に望みを置き、彼こそはこの凡ての約束を実現し得給うと信ずるからである。この神こそ万人の救い主に在し(Tテモ2:6)、殊に信者の救い主である。かかる活ける神を信じて苦闘することは我らの特権である。
辞解
[之がために] 後の文章を受けると解する説あり。
[凡ての人] キリストは万人のために死に給うた、ゆえに神はキリストによりて万人の救い主である。唯この救いに与る者は信ずる者のみである故、「特に信ずる者の救主」に在し給う。
2-4-ハ 信者の模範たれ 4:11 - 4:16
4章11節 汝これらの事を命じかつ教へよ。[引照]
口語訳 | これらの事を命じ、また教えなさい。 |
塚本訳 | これらのことを(堅く)命令し且つ教えよ。 |
前田訳 | このことを命じ、またお教えなさい。 |
新共同 | これらのことを命じ、教えなさい。 |
NIV | Command and teach these things. |
註解: 「これらの事」は本章に叙べられしごとき敬虔に関する諸問題、「命じ」はテモテに権威をもって臨むべきことを教えているのである。
4章12節 なんぢ年若きをもて人に輕んぜらるな、[引照]
口語訳 | あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。 |
塚本訳 | 自分の年の若いことを誰にも軽蔑されるな。却って言において、振舞いにおいて、愛において、信仰において、純潔なことにおいて(凡ての)信者の模範となれ。 |
前田訳 | だれもあなたを若さのゆえに侮らせなさるな。ことば、行ない、愛、信仰、聖潔において信徒の模範におなりなさい。 |
新共同 | あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。 |
NIV | Don't let anyone look down on you because you are young, but set an example for the believers in speech, in life, in love, in faith and in purity. |
註解: パウロが、始めてテモテを第二回伝道旅行に伴いし時の(使16:3)テモテの年齢を仮に十六七歳とすれば(これは全く一つの推量に過ぎないが)この書簡が認められし頃(六十四五年頃)には三十二三歳となる。教会の長老としては若年というべきである。「無価値の老人は年若き長老を軽蔑することを好む」(B1)。パウロは己が子のごとくにテモテに注意を与えている。ただしその半面に一般信徒に「若しとてテモテを軽蔑すべからず」と教えているものとも解すべきである。
辞解
[軽んず] 心で軽蔑してこれを行動に表すこと。
反つて言にも、行状にも、愛にも、信仰にも、潔にも、信者の模範となれ。
註解: その言行の凡ての点において、また信者を愛する愛において、また神に信頼する信仰的態度において、また性的方面にも金銭問題その他にも潔きことにおいて信者の模範とならなければならぬ。かくすれば自然に若年の故をもって軽蔑される様のことはない。
4章13節 わが到るまで、讀むこと勸むること教ふる事に心を用ひよ。[引照]
口語訳 | わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。 |
塚本訳 | 私が行くまで(集会で聖書を)朗読すること、勧めをすること、教えることに心を傾けよ。 |
前田訳 | わたしが来るまで聖書朗読と勧めと教えとに心がけてください。 |
新共同 | わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。 |
NIV | Until I come, devote yourself to the public reading of Scripture, to preaching and to teaching. |
註解: 「読むこと」は集会において公衆の前に聖書を読むことでユダヤの会堂の習慣がキリスト教会に承継されていた。而してこの聖書を読むことに伴い、会衆に対する実際上の「勧め」が与えられ、また信仰上の諸問題に関する「教え」が為される。これがテモテの義務の中心である故、パウロの到るまでこれに心を用うることが大切であるとのこと。
4章14節 なんぢ長老たちの按手を受け、預言によりて賜はりたる賜物を等閑にすな。[引照]
口語訳 | 長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。 |
塚本訳 | (伝道を委ねられた時)長老達の按手と共に予言によって与えられた恩恵を無駄にすることのないように。 |
前田訳 | あなたの中にある賜物を軽んじなさるな。それは預言に従って長老団の手が置かれてあなたに与えられたものです。 |
新共同 | あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。 |
NIV | Do not neglect your gift, which was given you through a prophetic message when the body of elders laid their hands on you. |
註解: テモテはおそらくエペソの教会の牧者に任ぜられる時に、パウロ始め(Uテモ1:6)他の長老たちの按手を受けたのであろう。その時彼らの一人または数人は聖霊に動かされて預言をなし、これによりてテモテは神より聖霊の賜物(Tコリ12:1−11)を受けた。すなわち教会を牧するに必要なる諸々の賜物を受けたのであろう。これを等閑にしてはならぬ。
辞解
[按手を受け、預言によりて] おそらく「按手を伴える預言によりて」で双方が賜物 charisma 賜与の原因となる。
4章15節 なんぢ心を傾けて此等のことを專ら務めよ。汝の進歩の(凡ての人に)明かならん爲なり。[引照]
口語訳 | すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい。 |
塚本訳 | これらのことを努め、その中に生きて、君の進歩を皆の者に明らかにせよ。 |
前田訳 | あなたの進歩がすべてに現われるように、これらを心がけ、それに励んでください。 |
新共同 | これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。 |
NIV | Be diligent in these matters; give yourself wholly to them, so that everyone may see your progress. |
註解: 私訳「なんぢ是らのことに心を留めその中に留まれ。汝の進歩の凡ての人に顕われんためなり」。「是らのこと」とは11節以下のことと解するを可とす。「之に心を留め」はこれにつきて実行を訓練することをも含む。かくしてそれらの中に留まり、これを完了するならばテモテの霊的進歩は人みなの認める処となるであろう。
4章16節 なんぢ己と[おのれの]教とを愼みて此等のことに怠るな、[引照]
口語訳 | 自分のことと教のこととに気をつけ、それらを常に努めなさい。そうすれば、あなたは、自分自身とあなたの教を聞く者たちとを、救うことになる。 |
塚本訳 | 君自身にもまた(自分の)教えにも注意せよ。(いつまでも)これらのことに止まって居れ。これをすれば君自身をも、君の話を聴く人達をも(悉く)救う(ことが出来る)であろう。 |
前田訳 | 自らのことと教えとに気をつけ、それらに努めてください。これらをなすことによって、あなたは自らをもあなたに耳傾ける者をも救いに導くでしょう。 |
新共同 | 自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。 |
NIV | Watch your life and doctrine closely. Persevere in them, because if you do, you will save both yourself and your hearers. |
註解: テモテの性格上その善良なるあまりあるいは幾分軽率に陥る惧れがあったのかもしれない。パウロはここにテモテに「己に関し注意すること」と「教えに関し注意すること」とを命じている。そして11節以下に教えられし「これらのこと」に怠らず、そこに固執すべきである。
斯くなして己と聽く者とを救ふべし。
註解: 唯勧めや教えをあるいは語りあるいは聞くのみにては聴く者は容易に救われず、またこれを語る者も救われない。パウロがここにテモテに教えしごとく、これらの諸点をことごとく守りこれを固執することにより己も救われ聴く者も救われる。真の伝道はまず自己の信仰と救いとをもって始めなければならぬ。
要義 [執事監督の重責]教会の信徒を指導する地位にある者は、自らの信仰と徳行とを慎み、他人に後指を指されず、他人の模範となり得るように努力しなければならない。これはその職責を全うするがために必要なる注意であって、これを疎略にするものは、その職責を帯ぶる資格が無い。教会の執事牧者、監督等の職にある者は、特にこの点を注意することが必要である。人間はみな罪人であるとの口実の下にこれらの職責を怠ってはならない。