エペソ書第3章
分類
3 教理の部 2:1 - 3:21
3-3 奥義の知識 3:1 - 3:21
3-3-イ パウロの示されし奥義とその目的 3:1 - 3:13
3章1節 この
口語訳 | こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ— |
塚本訳 | この故に君達異教人のためにキリスト・イエスの囚人となっている私パウロは… |
前田訳 | このことゆえに、あなた方異邦人のためにキリスト・イエスのとりことなったわたしパウロです。 |
新共同 | こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。 |
NIV | For this reason I, Paul, the prisoner of Christ Jesus for the sake of you Gentiles-- |
註解: この一節は独立の一句をなし2−13節は括弧の中に入れられ14節に連絡する。パウロは14−19節の祈りを述べんとしてまず彼がイエス・キリストの故に囚人とされていること、しかもそれらが異邦人の使徒として異邦人の救いを述ぶるが故にユダヤ人に憎まれて囚人とされていることを示すことを必要と考えた。囚人たるが故に軽視すべきでないことを彼らに知らしめたかったからである。その結果この冒頭は自然に延長して2−13節に自己の使徒職の意義と、彼に示されし奥義の偉大さとを述べることとなった。
3章2節
口語訳 | わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたであろう。 |
塚本訳 | 君達への(使徒たるべき)恩恵の職が神から私に与えられたこと、 |
前田訳 | あなた方のために神がわたしにお与えの恩恵の経綸をお聞きのはずです。 |
新共同 | あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。 |
NIV | Surely you have heard about the administration of God's grace that was given to me for you, |
註解: パウロは異邦人に対する使徒職をもって神より賜りたる恩恵と解していた。この恩恵を賜りたる神の経綸は次節以下に述ぶる処のごときものである。
辞解
[恩恵の経綸] 恩恵を与え給うに至った神の経綸と見る説(目的的第二格)と恩恵そのものがパウロに示せる経綸と解する説(主格的第二格)とあり前者が適当である。
[聞きしならん] 本書は直接エペソの教会に宛てられたものでないことを示す有力なる証拠である。緒言参照。ただし ei ge は確定的事実を指す場合に用いられることを主張して、この一節をもって本書がエペソの教会に宛てられたのではないとの証拠とはならないことを主張する説もある(M0)けれども、新約聖書の用法としてはかく断定することは困難である(L3)。
口語訳 | すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。 |
塚本訳 | すなわち黙示によって(大いなる救いの)奥義が私に示されたことを君達は聞いたに違いない。前に手短に書いた通りである。 |
前田訳 | 黙示によってわたしに奥義が知らされたことは先に短くお書きしたとおりです。 |
新共同 | 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。 |
NIV | that is, the mystery made known to me by revelation, as I have already written briefly. |
註解: 「まへに云々」は「前述せるごとく」の意味に取るを可とす、すなわちエペ1:9、10(B1)またはエペ2:11−22(M0、I0)等を指す。他に紛失せる書簡があったのであると解する(C2)必要なし。
この
註解: 「奥義」は本章の場合は主としてユダヤ人と異邦人とが一つに帰せる事実を指す、これは一つの神秘的事実である。なおロマ11:25辞解参照。「黙示」は「啓示」を意味す、神がその御心の中に隠し置き給いし御旨を特に啓 き示し給うこと。パウロが何時この黙示を得しかは明言し得ないけれども、彼が異邦人の使徒たることを自覚した時であろう。
3章4節
口語訳 | あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。 |
塚本訳 | それを読めば私がキリストの奥義を理解していることを知ることが出来る。 |
前田訳 | それをお読みのあなた方はキリストの奥義をわたしが理解していることをお感じでしょう。 |
新共同 | あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。 |
NIV | In reading this, then, you will be able to understand my insight into the mystery of Christ, |
註解: パウロは本書を受取る教会の人々に対し彼が示されし奥義の悟の重要さを強調し、これによりて彼らの注意を促さんとしているのである(エペソの信徒はすでにこのことを知っていた故、本節も本書が他の教会に宛てられしことの一つの証拠となる)。
辞解
[キリストの奥義] キリストに関する奥義(I0)と見るよりも「キリストなる奥義」の意(M0)と解すべきであろう。すなわちキリストによるユダヤ人と異邦人との一体化である。なおパウロがわざわざかかることに誇ることはパウロらしからずとして本書を偽作とする学者があるけれども、偽作者ならばかえってかかることに触れないのが普通であるとみるべきである。
3章5節 この
口語訳 | この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。 |
塚本訳 | この奥義は今は霊によりその聖なる使徒と預言者達とに(明らかに)顕されているが、他の時代の人の子らにはかく示されなかったもので、 |
前田訳 | それは前の世代には人の子らに知らされませんでしたが、今は彼の聖なる使徒と預言者に霊的に啓示されています。 |
新共同 | この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 |
NIV | which was not made known to men in other generations as it has now been revealed by the Spirit to God's holy apostles and prophets. |
註解: 「前代」は直訳「他の時代」で新約時代以前を指す。この奥義はこれまでは何人にも啓示されなかった。然るに今や新約時代となりて、この奥義は聖別せられし使徒や預言者に顕されたのであった。
辞解
「聖使徒」「聖預言者」のごとく特に「聖」なる語を添加することはパウロに相応しからずとする学者があるけれどもこれは聖別せられし意味であって「人の子ら」すなわち自然人との対照の意味をなす。パウロが自己に誇ってかく言えるにあらざることは8節を見れば明らかである。なおパウロはキリスト者を常に「聖徒」と呼んでいた(ロマ1:7。ロマ8:27。ロマ12:13等々)。
3章6節
口語訳 | それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。 |
塚本訳 | 異教人が福音により、キリスト・イエスにおいて(イスラエルと)共に(天上の王国の)相続人となり、共に一体となり、共に(恩恵の)約束に与る者となるということである。 |
前田訳 | それは異邦人も福音のゆえにみな共に世継ぎであり、ひとつ体であり、キリスト・イエスにある約束に共にあずかることです。 |
新共同 | すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。 |
NIV | This mystery is that through the gospel the Gentiles are heirs together with Israel, members together of one body, and sharers together in the promise in Christ Jesus. |
註解: 前節の「奥義」の説明。異邦人は信仰に入り、キリスト・イエスによりて新生せる場合、その身分としてはユダヤ人と異ならず、彼らと共に神の嗣業を嗣ぐ者となり、その状態としてはキリストを首とせる一体たる教会となり、その希望においては旧約聖書にユダヤ人に対して与えられし約束(エペ2:12)に彼らと共に与る者となる。これは全く考え得られなかった奥義である。
3章7節
口語訳 | わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。 |
塚本訳 | そして私はこの福音の世話役となったのであるが、これは神の力が働いて私に与えられたもので、神の恩恵の賜物である。 |
前田訳 | このことの奉仕者にわたしはなったのです。それはわたしに与えられた神の恩恵の賜物により、彼の力の働きによるものです。 |
新共同 | 神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。 |
NIV | I became a servant of this gospel by the gift of God's grace given me through the working of his power. |
註解: パウロには前節の奥義が示されしのみならず(3節)この福音を異邦人に宣伝えるための役者すなわち使徒とされたのであった。パウロは一面にこの奥義の悟とその使命とにつき充分なる誇りと自信とを有しつつも、しかもこの偉大なる使命を授けられしことは自己の価値によるにあらずして神の能力 の活動 が彼の上に及び、彼を回心せしめ、そうして後神はその恩恵により彼にこの大任を授け給えることを知っていた。ここにパウロの真の謙遜を見る。
3章8節
口語訳 | すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、 |
塚本訳 | 凡ての聖徒の中で一番小さいこの私に、こんな恩恵──異教人にキリストの測り難い富を宣べ伝え、 |
前田訳 | すべての聖徒のうち最小のわたしにもこの恩恵が与えられました。それは、キリストのはかり知れぬ富を異邦人に伝え、 |
新共同 | この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、 |
NIV | Although I am less than the least of all God's people, this grace was given me: to preach to the Gentiles the unsearchable riches of Christ, |
註解: パウロがここではTコリ15:9にも優りて、自己を凡ての信徒(聖徒)の中の最下位に置いたのは、一般的に罪人としての意識に基くのではなく、信徒を迫害せる過去の罪の創傷の痛みが何時も彼の心に残っており、時々激しく彼を苦しめたためであろう。ただしこの種の卑下 の語を無意識に濫用することは偽善である故慎まなければならない。なおピリ3:4−15。Uコリ11:16以下。Uコリ12:1以下参照。
辞解
[最 小 き者よりも小き] 形容詞の最上級にさらに比較級の語尾を附加せるもの、意味を強めている。▲原語は elachistoteros で英訳すれば smallester または less than the least というがごとし。パウロの鋳造した語。
キリストの
註解: パウロの使徒職の重点は異邦人の使徒たることであった。ガラ2:7、8。
辞解
[測るべからざる] ロマ11:33に「尋ね難し」と訳されている文字で、その辞解参照。
[富] キリストの救い、およびその結果の広範(▲(+)にして豊富)なるを指す。
3章9節 また
口語訳 | 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。 |
塚本訳 | また万物を創造り給うた神の中に世々隠されていた奥義の経綸の何であるかを露すこんな大きな恩恵が与えられたのである。 |
前田訳 | 万物の造り主にいます神のうちに世々隠されていた奥義の経綸が何であるかを明らかにするためです。 |
新共同 | すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。 |
NIV | and to make plain to everyone the administration of this mystery, which for ages past was kept hidden in God, who created all things. |
註解: パウロの使徒職の第二の重点は、前代未聞の新発見(5節)たる神の奥義の経綸(神の奥義を実現するに至る過程、手段)を闡明 することであった。この奥義の経綸は天地の創造主なる神の御心の中に従来秘められていた処であって、唯示されし人のみに明かにされる処のものである。パウロは恩恵によりてこの奥義を啓示されたのであった。
辞解
何故「萬物を造り給ひし」なる形容辞をこの場合に附加せしやにつき諸説あり、天地の創造主に在すが故に隠すも顕すもその自由の権限内にあるとの意味であろう。
3章10節 いま
口語訳 | それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、 |
塚本訳 | これは今教会によって神の多種多様な知恵が天上における「権威」や「権力」達に示されるためであって、 |
前田訳 | それは今、天上にある支配者や諸権威に神の多面的な知恵が集会(エクレシア)をとおして知らされるためです。 |
新共同 | こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、 |
NIV | His intent was that now, through the church, the manifold wisdom of God should be made known to the rulers and authorities in the heavenly realms, |
註解: 「為なり」は「為に」で前節に接続す。そして(1)「恩恵を賜りたり」に関連させる説(E0)、(2)「萬物を造り給いし」に関連させる説、(3)「世に隠れたる」(M0、I0、Z0)に関連させる説等あり第三説を取る(注意:本節辞解末尾の▲▲箇所参照)。かく解する場合次のごとき意味となる。すなわち「かつては隠されていたのであるが、それは今や新たに発生せる教会によりて、そこに発露せる神の豊麗多彩なる智慧が天にある御使いたちにまで知らしめられんが為であった。その為に従来隠されていたのである」との意味である。すなわち教会の出現が神の奥義の経綸の顕現であり、全宇宙に対するその宣言である。
辞解
現行訳は上記の中第一説を採用せるもののごとし、なお第三説による場合は本節の初めに「かく世に隠されしは」を補充して読むべし。
[豊なる] polypoikilos は豊麗多彩なる意味。
[政治と権威] エペ1:21註および辞解参照。「天にある政治と権威とに知らしむ」とは全宇宙に響き渡らせるというごとき心持。
▲▲原文の構造よりすれば第一説が最も自然であり、従って第三説を採用したことはこれを取り消す。これによってパウロの受けた使命の恩恵の大きさが宇宙大であることを示す。
3章11節 これは
口語訳 | わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。 |
塚本訳 | 神の永遠の計画に基づくものであるが、(今)神は私達の主キリスト・イエスにおいてこれを実現し給うたのである。 |
前田訳 | それは神がわれらの主キリスト・イエスにあってお作りの永遠のご計画に添うものです。 |
新共同 | これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。 |
NIV | according to his eternal purpose which he accomplished in Christ Jesus our Lord. |
註解: 世に隠されていた奥義が今教会によって表わされるに至ることは決して神の一時の思い付きでもなく、また偶然の成行でもない。世の創の前よりキリストの中に定め給いし神の永遠の御旨によるのである。
辞解
[永遠より] 「御旨」に懸る。これを多くの世代 aiôn に関する御旨の意味に解し、「代々の御旨」と読む説あり、しかしむしろこれを「永遠の」の意味に解するを可とす。
[定め] 「実現し」と読まんとする説あれど(M0、Z0)その必要なし。
3章12節
口語訳 | この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。 |
塚本訳 | そして私達はキリストを信ずる信仰により、彼に在って勇気を得、安心して神に近づくことが出来るのである。 |
前田訳 | キリストにあって、われらは彼のまことによる確信のうちに率直に神に接近しえます。 |
新共同 | わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。 |
NIV | In him and through faith in him we may approach God with freedom and confidence. |
註解: 後半私訳「確信をもって臆せず語り、また神に近づくことを得るなり」。神の御旨の決定の中心たるキリストに在り彼を信ずる信仰を有つことは、人間をして大胆ならしめ神に対して懼れなからしめる。これはパウロの使徒として活動する際の実験であった。
辞解
[疑わずして] 「確信をもって」と直訳し得る語で、「臆せず」と「神に近づく」との双方にかかっているものと解す(M0、I0)。
[臆せず] parrhêsia は大胆に語る意味。
3章13節 されば
口語訳 | だから、あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのである。 |
塚本訳 | だからどうか君達のために私の受ける(種々な)患難に気を落とさぬように。この患難こそ(実は)君達の光栄(のため)である。 |
前田訳 | それゆえあなた方のためのわが悩みにお気落ちのないようお願いします。わが悩みはあなた方の栄光です。 |
新共同 | だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。 |
NIV | I ask you, therefore, not to be discouraged because of my sufferings for you, which are your glory. |
註解: パウロは異邦人の使徒たる立場に堅く立っていたためにユダヤ人に迫害されて幽囚の艱難に逢っていた(ピリ2:17)。パウロはこの患難が彼ら異邦人を落胆せしめ、パウロの福音の価値につき疑いを挿むことがないか憂え、そうしたことがないように彼らに懇願した。かつ彼らをしてパウロと同様の誇りを持たせるために、この患難が彼らの恥辱ではなく反対に彼らの誉(光栄)であることを附記している。患難をも喜べる(ロマ5:3)パウロの信仰がここに躍如として顕われている。たしかに当時のローマ帝国の絶大なる権力の下に囚人となっているパウロを見る場合、一般の人々は(たといキリスト者でも)悲歎絶望に陥ることがあり得るからである。
辞解
[されば] パウロの神より受くる恩恵の賜物はかくも偉大なるが故にとの意味。なお本節を「されば我は、わが汝らのために受くる患難につきて落膽せざらんことを(神に)求む。これ汝らの光栄なり」(B1)と解する説あり、文法上可能なれど、前後の関係上現行訳を採る。
要義 [前代未聞の奥義]ユダヤ人と異邦人とが同様に神の世嗣となり一体となることはパウロにとりては真に驚嘆にたえざる奥義であった。このことは今日の我らにとりてはその真義を理解し難くまた往々にしてかえって我らにとりて一種の民族的恥辱なるかのごとくに感じられるのであるけれども、パウロがユダヤ人を特別の民族と確信せる所以は、決して単なる盲目的の民族的自負心ではなく、神の約束を受け神を示され、神の世嗣たる希望をもって生き得る事実の偉大さをそのままに評価したからであった。殊にパウロにとりては「イスラエルより出づるものみなイスラエルなるに非ず」(ロマ9:6)、「信仰に由る者は、これアブラハムの子なり」(ガラ3:7)で、真のユダヤ人は信仰によりて神と一つとなれるものである。ゆえに異邦人がユダヤ人と共に世嗣たることの光栄は、この信仰を共にすることの光栄であって、民族的同化というごとき事実を指すのではないことを思うべきである。そして全世界の全人類がこの神の特別の恩恵に与り得ることは、パウロにとりては真に破天荒の発見であり、従来全く知られなかった神の奥義の黙示を賜ったのであると信じたのであった。
3章14節 - 15節 この
口語訳 | こういうわけで、わたしはひざをかがめて、[15節]天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。 |
塚本訳 | …この故に私(パウロ)は天上地上において凡て「父」と名のつくものの本源である父の御前に跪く──(14-15合節) |
前田訳 | このことゆえに、わたしは父に膝をかがめます。[15節]彼によって天と地のすべての族(やから)が名づけられています。 |
新共同 | こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。[15節]御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。 |
NIV | For this reason I kneel before the Father, [15節]from whom his whole family in heaven and on earth derives its name. |
註解: パウロは心からの祈りの心持をもって父なる神に向った。その父は天と地とに在る諸々の族(すなわち天上の御使いたちと地上の諸民族と)を創造し給える神である。創造者なる父に祈ることは、その祈りの聴かれる確信があることを示す、またこの際創造者をかかる形容をもって呼ぶことはユダヤ人と異邦人の一体化(6節)とまたこの奥義を天の処にある政治と権威とに知らしめんこととが(10節)前に述べられていたからである。
辞解
[この故に] 第1節の反復と見て2章の末尾を受けると見る説(E0、I0)と2−13節とを受けると解する説(M0)とあり、前者を採る。
[諸族] patriaは本来同族すなわち父祖を共にする一族を意味す。家族、同種族、同国民等これなり。
[名の起る處] 直訳「彼に因りて名づけられる處」は、(1)諸族が神の子と呼ばれることを指すとする説(B1、L2)と、(2)「諸族」 patria なる名称は「父」 patêr より来れる故パトリヤなる名称の起源をなすところの父(パテール)に跪づくとの意味と解する説(M0、I0)と、(3)「名」は「実」を指すことは旧新約聖書を通ぜる思想である故、天地の諸々の族の起源たる父の意味に取る説(Z0)その他種々あり、第三説を採る。Tコリ8:6。
[跪づく] 必ずしもこの書簡を書きながら事実跪坐 したとの意味に解する必要はない。
3章16節
口語訳 | どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、 |
塚本訳 | 願わくはその栄光の豊富なるに相応しく、その霊により君達の「内なる人」に力を与えてこれを強くし、 |
前田訳 | 祈るらくは、その栄光の富を分け、彼の霊によってあなた方の内なる人への力をお強めくださいますように。 |
新共同 | どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、 |
NIV | I pray that out of his glorious riches he may strengthen you with power through his Spirit in your inner being, |
註解: パウロの有てる願望の第一は落胆せんとする人々(13節)を強くすることであった。父は栄光を有ち、力を有ち給う。父の栄光はその恩恵(愛)と真理(義)であり、これを仰ぎ見ればだれでも偉大なる歓喜と希望をいだくことができる。また父は自ら偉大なる力を有ち給う。この父がエペソ書の読者の内なる人を強くすることがパウロの願いであった。愛と義と力とは神の属性の主体である。そしてこれを働かするものは御霊である。
辞解
[内なる人] 「外なる人」に対立し、人間生れながらにして有する精神 nous,psychê の主体である。聖霊によりて新生せる人の場合でも、この内なる人は聖霊によりて強くせられ、信仰の戦いを闘う善き兵卒となることが必要である。
3章17節
口語訳 | また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、 |
塚本訳 | 信仰によってキリストを君達の心の中に宿らせ、(また君達の言と行とをして悉く)愛に根を下ろし、(愛に)基礎を置くものならしめ給わんことを! |
前田訳 | まことによってキリストがあなた方の心にお住みになり、あなた方が愛に根ざし基礎づけられ、 |
新共同 | 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。 |
NIV | so that Christ may dwell in your hearts through faith. And I pray that you, being rooted and established in love, |
註解: 直訳「信仰によりてキリスト汝らの心の中に永住し給い」、内なる人を強くしてもこれを永続的にするためにはキリストが常に心の中に留まり給うことが必要である。
辞解
[住ふ] katoikeô は一般に自動詞として用いられるため上記のごとくに直訳すべきである(ただし他動詞としても読み得ることを主張する学者もなきにあらず(Z0))。この語は「仮寓する」 paroikeô に対する語で、一時の宿を取ることではなく永住することを意味す。
3章18節
口語訳 | すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、 |
塚本訳 | かくて君達が凡ての聖徒と共に神の経綸の広さ、長さ、高さ、深さの如何ばかりなるかを悟り、 |
前田訳 | すべての聖徒とともにその広さ、長さ、高さ、深さを把握する力を得ますように、 |
新共同 | また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 |
NIV | may have power, together with all the saints, to grasp how wide and long and high and deep is the love of Christ, |
註解: 力と信仰とのみで愛が無ければ、無益である故パウロはさらに進んで信者が愛に根ざして深く愛の生命を吸取り、愛を基として凡ての建築物を愛の上に建てることをすすめている。そしてこの活ける建築物の材料をなしているのは聖徒たちであって(エペ2:20)これら凡ての聖徒が一つとなってキリストを中心として神の家が建て上げられるのであって、この神の家の何たるかをその凡ての方面(すなわち広さ、長さ、高さ、深さ)において把握しなければならない。
辞解
この部分難問多し、「愛に根ざし、愛を基とし」文勢上は前の文章に属せしめる方が自然である(C3、A1)。けれども、意味の上よりは現行訳のごとく独立句と見るを可とす(I0、E0、Z0)。なお、「・・・・・基として」と訳して後文中に含ませる読み方あり(M0)。
[キリストの愛] 原文になき故「広さ、長さ、高さ、深さ」が何を意味するかにつき諸説あり、神の宮、神の愛、神の智慧、救いの御業、キリストの愛、十字架の奥義、神の満盈 等々諸説あり、数え尽し難い。パウロの脳中には2章後半および3:14以下において、ユダヤ人と異邦人とを一体とする神の家族、キリストを隅の首石 とせる発育する神の家等の観念が浮んでいた処より見て、キリストによりて充たされし神の家の広さ、長さ、高さ、深さを言えるものと解すべきであろう。一々広さは何を意味し、長さは何を意味すというごとくに解す(B1)べきではなく、また十字架の横木、竪 木、地中に埋没せる部分等にそれぞれを当て嵌 むべきでもない。「全貌」とか「全方面」とかいうが如き意味と解すべきである。
[悟る] 「把握する」の意
3章19節 その
口語訳 | また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。 |
塚本訳 | また(人の)知識を越ゆるキリストの愛を知ることが出来、かくて遂に神の中に充ち満つる凡てのものをもって満たされんことを! |
前田訳 | 知識を上回るキリストの愛を知りえますように、神の全き完成へとあなた方が全うされますように、との祈りです。 |
新共同 | 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。 |
NIV | and to know this love that surpasses knowledge--that you may be filled to the measure of all the fullness of God. |
註解: 直訳「知識を超越せるキリストの愛」で、キリストに関して広さ、長さ、高さ、深さを悟る場合その中心を為す最大の重要なる事実はキリストの愛であり、これは人間の知識を超越せる処の愛である。この愛を知ることが聖徒にとりての最も必要な事柄である。
註解: 直訳「神の凡てのプレーローマに達するまで汝らが満されんことを」。神のプレーローマとは神の本質の万全充実完備の姿を指す語で一々列挙し得ざる底のものである。これを単に「充ち足れる徳」と訳しても不充分であり、または「完全」「栄光」等の語をもっても代えることができない。このプレーローマは具体化してキリストに宿り(コロ2:9)、我らもまたこのキリストのプレーローマに達し、神のごときものとなるべきである(エペ4:13)。これがパウロの祈りであった。偉大なる祈りである。
3章20節
口語訳 | どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、 |
塚本訳 | 願う、私達の衷に(御霊の)力を働かせて、私達が凡て求むるところ、然り、思うところに遥かに優って為し得給う御方に、 |
前田訳 | われらのうちに働く力によって願いまた思うことをはるかに越え、すべてにまさっておできの方、 |
新共同 | わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、 |
NIV | Now to him who is able to do immeasurably more than all we ask or imagine, according to his power that is at work within us, |
3章21節
口語訳 | 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。 |
塚本訳 | 教会により、キリスト・イエスによって千代万代までも栄光あらんことを、アーメン! |
前田訳 | 彼にこそ集会(エクレシア)により、キリスト・イエスによって世々とこしえに栄光がありますように。アーメン。 |
新共同 | 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。 |
NIV | to him be glory in the church and in Christ Jesus throughout all generations, for ever and ever! Amen. |
註解: 14−19節の祈願はその思想の雄大なるがために自らパウロをして頌栄の語を発せしむるに至った。ロマ11:33−36参照。パウロは神を指して我らの求むる処、思う処よりも遙かに偉大なることを為し得る者と呼んでいる。これ14−19節の祈りにより神必ず我らの求むる処以上を為し得給うことを信じていたからである。それ故にパウロは、その祈り求めし処はすでに与えられしもののごとくに信じて神に栄光を帰し奉ったのである。
辞解
[我らの中にはたらく能力に随ひ] 神の力が我らの中にはたらき、我らをして我ら自身の求むる以上のものたらしめる。
[世々限りなく] 「諸世代 aiônes の中の一世代 aiôn の諸時代 geneai に」なる複雑なる表顕法に由っているのであるが、これらの語の意味を一々考慮する必要なく漠然長年代の間の意味に取りて差支えなし(M0)。
[教会により、キリスト・イエスによりて] この両者が共に神の栄光を掲ぐべき者として考えられたのである。
要義1 [パウロの祈り]エペソ書は讃美と頌栄と祈祷の連続であるということができる。たしかにパウロの心は神の計画の偉大さ、その奥義の深遠さに強く打たれていたために、かかる祈りと讃美と頌栄とが口を衝いて出でたのであろう。そしてパウロがキリスト者に要求する処のものは、神がキリストに由りて成就し給えるこの偉大なる宇宙的経綸にキリスト者も即応すべきことであって、キリスト者はキリストに連なることによりてユダヤ人と異邦人とが一体となり、そこに神の家、神の建物が建て上げられ、この建物の中に神のプレーローマが充満すること、即ちキリスト者に神のプレーローマが満たされ、キリスト者がそのまま神のごとくになることがパウロの祈りの最終目的点であった。世にこれ以上に偉大なる祈祷を考うることができない。この祈りが聴かれる場合、我らは地上に神の国を見ることができる。キリスト者の野心はこれ以下であってはならない。
要義2 [教会の完成の理想]神のプレーローマをもって教会が充たされることは、我ら凡てのキリスト者の切なる努力でなければならない。我らの霊魂や行為の状態如何は我らが救われるや否やの原因ではない。しかしながら救われし我らは感恩による努力精進の生活を送り、かくしてキリストの体に相応しき教会とならなければならぬ。救いは凡てキリストにあり、全く神の恩恵にのみ因ることを理由として自らは怠慢の中に生きんとする者は真のキリスト者ではない。
エペソ書第4章
分類
4 実践の部 4:1 - 6:20
4-1 全教会の一致 4:1 - 4:16
註解: 1−3章をもって教理の部を終り、本章より実践道徳の部となる。パウロの他の書簡におけると同様である。ロマ12:1。ただし本章特にその16節までは教会の本質に関する問題のため、教理と実践との間の橋のごとき役目を演じている。
4章1節 されば
口語訳 | さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、 |
塚本訳 | だから主にある囚人であるこの私(パウロ)が君達に勧める、(神に)召された召しに相応しく歩け。 |
前田訳 | それで、主にあるとりこのわたしはあなた方にお願いします。あなた方が召されたそのお召しにふさわしく歩いてください。 |
新共同 | そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 |
NIV | As a prisoner for the Lord, then, I urge you to live a life worthy of the calling you have received. |
註解: キリストに在る信仰のために囚人であることをも意とせずむしろこれを誇りとするパウロの信仰に注意すべきである。この信仰よりする勧めは権威ある勧めである。国王が王冠を戴くにもまさりてパウロはその縲絏 に誇っていた。
辞解
[されば] oun は論法の大転機であり、1−3章の全体を受けていると見るべきである(B1、I0、E0、L3)。ロマ12:1参照。
註解: 召されて神の子となり世嗣となった以上その身分に相応しき歩みをしなければならない。
口語訳 | できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、 |
塚本訳 | 全き謙遜と柔和を以て、また寛容を以て。愛をもって互に忍び、 |
前田訳 | 全き謙遜と柔和のうちに、寛容をもって、お互いを愛によって受け入れてください。 |
新共同 | 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 |
NIV | Be completely humble and gentle; be patient, bearing with one another in love. |
註解: 謙遜は自己の価値に相応しい取扱いを要求せずまたそれ以下に取扱われることを意に介さない態度であり、柔和は他人の弱点や不完全さに対してこれをいたわる態度であり、寛容は自己の受けし被害に対して忿怨復讐の念を起さないことである。この三者は互に相関連せる三つの徳である。なお原文は前二者と「寛容」とが各々独立の前置詞を持ち、従って前二者を「適 いて歩む」に懸る副詞句と見、第三を次節「忍び」に懸るとする見方あり。また三つとも「歩む」を修飾するものと見る説(M0)または三つとも「忍び」を修飾すると見る説(B1)等あり。
註解: 人間社会に起る種々の不満も憤激も、愛ある場合これを忍び合うことができる。軽々しく怒るは愛なき証拠である。
辞解
[忍ぶ] anechomai はジッとこらえる姿。「忍ぶ」と次節の「一致を守らんことを勉めて」はみな1節の「召 に適 ひて歩み」の内容をなす。
4章3節
口語訳 | 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。 |
塚本訳 | 平和の帯によって(結ばれて)御霊の(与うる)一致を保つよう努力せよ。 |
前田訳 | 平和のきずなによって霊の一致を守るようお努めなさい。 |
新共同 | 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 |
NIV | Make every effort to keep the unity of the Spirit through the bond of peace. |
註解: 平和の繋 とは平和を来たらしむる繋 。〔例えば愛(B1)〕を指すのではなく平和そのものを繋 としての意味である。御霊は聖霊を指す、信者の間には同一の聖霊が宿ること故、そこに御霊による一致があるはずである。これを守りつづけることに努力することが信者の任務である。平和の精神の欠如する処には御霊の一致も自ら乱されざるを得ない。なおこの一致は形式の一致にあらず規則信条の一致にあらず、霊の一致であることに注意すべし。
4章4節
口語訳 | からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。 |
塚本訳 | (すなわち)一つの体、一つの霊──君達が(神に)召されたその召しもまた同じく一つの希望に至らんためである。 |
前田訳 | ひとつ体でひとつ霊、ちょうどあなた方のお召しがひとつ望みによるのと同じです。 |
新共同 | 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 |
NIV | There is one body and one Spirit-- just as you were called to one hope when you were called-- |
註解: 4−6節においてさらに進んで原理に遡り一致について他の方面の諸相を陳 べる。本節は前節の御霊による教会の一体たる姿を録しているのであって教会はキリストを首とする一つの体であり、その中に宿る御霊は一つであり、その召しに伴う希望もまた一つである。すなわち永遠のメシヤの国である。かかるものが分離し相剋 するごときことは有り得ない。何故ならば、本体も動力も方向も同一だからである。
口語訳 | 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。 |
塚本訳 | 一人の主、一つの信仰、一つのバプテスマ、 |
前田訳 | ひとりの主、ひとつ信仰、ひとつ洗礼、 |
新共同 | 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 |
NIV | one Lord, one faith, one baptism; |
註解: 本節は主イエス・キリストを中心として考えており、この主は一つにして二つなく、従ってこの主に対する信仰もまた一つであり、この信仰に入る表徴たるバプテスマもまた一つである。すなわちキリスト者みな同一の信仰により同一の門を経て(バプテスマ)、同一の主の僕となる。聖餐の一つなることを加えなったことにつき種々の理由が論じられているけれども、主として文章の調子より来たのであろう(M0)。かつこのバプテスマも必ずしも礼典としてのバプテスマを指せるものと解しなければならない理由はない。
4章6節
口語訳 | すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。 |
塚本訳 | 凡ての人の一人の父また神──神は凡ての者の上に(立ち、)凡ての者を貫き、凡ての者の内にいまし給う。 |
前田訳 | ひとりの神で万物の父、彼はすべての上にすべてを通じて、すべての中にいまします。 |
新共同 | すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。 |
NIV | one God and Father of all, who is over all and through all and in all. |
註解: 本節は神を中心とせる一体観であって、凡ての信者の父は唯一の神にして二つとはなく、この神は彼ら凡ての上に epi ありてこれを看守り、彼ら凡てのものを貫き dia てその働きをなし、彼ら凡てをその宮としてその中に宿り給う。父なる神はかかる意味において唯一である。以上のごとく3−6節には聖霊、子、父の三位の神、教会、主、神の三つの関係、信望愛の三つの綱領 が織りなされ、さらにそれらが種々の内容をもって三分せられていることに注意すべし。なお他宗教殊に仏教者または哲学者の中にはキリスト教の神は超越神であって神の内在を認めざるもののごとくに非難する人があるけれども、その然らざることは本節がこれを明示している。
4章7節
口語訳 | しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。 |
塚本訳 | しかし私達一人一人に与えられた恩恵は(それぞれ異なり、)キリストから賜わる程度に応ずる。 |
前田訳 | われらおのおのに恩恵がキリストの賜物のはかりに従って与えられたのです。 |
新共同 | しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。 |
NIV | But to each one of us grace has been given as Christ apportioned it. |
註解: 教会は3−6節に示すがごとく、万物が一つに帰した処のものであるが、しかしその教会を構成する我ら各人には決して同一量の賜物が与えられているわけではない。賜物の分量は人によりて異なる。そしてその分量に応じて恩恵の種類もまた異なって来るのである。神は人間を決して機械的に平等視し給わない。なおこの点につきてはロマ12:4−6。Tコリ12:4以下の詳論を参照せよ。
辞解
原文には初めに de (されど)あり。
[恩恵] charis はこれが各人に与えられて「恩恵の賜物」 charismata となる。
4章8節 されば
口語訳 | そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。 |
塚本訳 | だから(聖書に)言う──“かれは高きに昇りて捕虜を捕らえ、人々に賜物を与えたまえり。” |
前田訳 | それゆえに聖書はいいます、「彼は高きに上ってとりこをとらえ、人々に贈り物を与えた」と。 |
新共同 | そこで、/「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、/人々に賜物を分け与えられた」と言われています。 |
NIV | This is why it says: "When he ascended on high, he led captives in his train and gave gifts to men." |
註解: 「云えることあり」の主格は「神」と見るを可とす。本節は詩68:18の引用であるが、原語は「なんぢ高き處にのぼり虜者 をとりこにしてひきい、禮物 を人のなかよりも叛逆者 のなかよりも受けたまへり」とあり、エホバの勝利とその場合の栄光とを、凱旋将軍の凱旋入城に比して歌ったものである。パウロはこれをキリストの復活、昇天と各人に賜物を賜うこととに応用したのであるが、何故に「禮物 (賜物)を人(々)のなかより・・・・・受けたまへり」を反対に「人々に賜物を賜へり」に変更せるやにつきては諸説あり、(1)異本によれるならんと想像する説、(2)パウロの記憶の誤りに帰する説、(3)「受くる」を「受けて与える」の意味に解する説、(4)パウロの使徒たる権威をもって変更を加えしものと解する説、(5)ユダヤの伝統的解釈をそのまま用いて詩の本文とせしものと解する説等々あり。第五説が最も有力である(I0、L2)。すなわちパウロの言わんとする処は凱旋将軍たるエホバが多くの捕虜や分捕品を携えて入城しやがてこれらをその将士に分つがごとくに、キリストは復活昇天し、人々に賜物を分与し給うとの意味である。なお「虜」は、(1)サタンの虜となっている罪人、(2)キリストによりて救われし者、(3)キリストの敵たる御使いたちのごときもの等の解釈あり、(3)が適当ならん。パウロがかくのごとく一見適切ならざる詩の一節をしかも原詩を変更してまで引用せる所以は、復活のキリストが天に在して我らに賜物を賜う姿がこの詩の一節に彷彿たるものがあったからであろう。その一字一句につき対比することはパウロの本意ではあるまい。
4章9節
口語訳 | さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。 |
塚本訳 | 「“昇りたまえり”」とあるからには、まず地の低い所にも下り給うたことを意味するものでなくして何であろう。 |
前田訳 | 「上った」というのは、地の最低のところに下りもしたのでなくて何の意味がありましよう。 |
新共同 | 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。 |
NIV | (What does "he ascended" mean except that he also descended to the lower, earthly regions ? |
註解: 前節の天に昇りしことに関連してキリストが万物を満し給うことを示さんがために(10節)、彼が本来天に在ししが、卑 りて地に下り(ピリ2:7)、さらに地の下なる黄泉 にまで下りし事実をここに掲げたのである。すなわち前節の詩篇の一節はメシヤ預言であり、従ってイエス・キリストの受肉とその死によりて陰府にまで下り給える事実を指す。
辞解
[地の低き處] 上のごとくに解する場合は「地よりも低き處」と訳すべきである(M0、B1)。ただしこれを「地の低き處」と解して陰府の思想をここに介入せしめず、単にイエスの受肉と地上の生活とを指すと解する説あり(E0、L2、Z0、I0)。
4章10節
口語訳 | 降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。 |
塚本訳 | (従って地上に)降り給うたその御方こそ、万物を満たさんために、凡ての天の上に“昇り給うた”御方である。 |
前田訳 | 下った方ご自身、万物を成就するためにもろもろの天の上に上った方でもあります。 |
新共同 | この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。 |
NIV | He who descended is the very one who ascended higher than all the heavens, in order to fill the whole universe.) |
註解: イエスの復活昇天を指す。そしてこの昇天の目的は万物を彼の臨在、活動、経綸、賜物をもって充さんがためである。すなわち陰府より天の上に至るまで彼の在 さざる処なく、彼の満たさざる処がない。
辞解
[もろもろの天] 直訳「すべての天」で七つの天を指す。それよりも上に上ったというのは在 さざる処なきことの形容である。この節はキリストの遍在を述べることが目的ではないけれども、遍在を否定しているものと見る必要がない。キリストは神と共に諸天の上に超然たると同時にまた万物の中に在 し給う。この二つの観念を理知的に調和せしむることは不可能である。
4章11節
口語訳 | そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。 |
塚本訳 | 彼はまた或る者を使徒、或る者を予言者、或る者を伝道者、或る者を牧師また教師として(教会に)“与え給うた”。 |
前田訳 | 彼がお与えのものとして、使徒、預言者、伝道者、牧者と教師があります。 |
新共同 | そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 |
NIV | It was he who gave some to be apostles, some to be prophets, some to be evangelists, and some to be pastors and teachers, |
註解: 11−16節は一つの長き文章をなす。キリストが教会に満つる方法は恩恵の賜物をその各人に与うることである(7節)。この賜物には多くの種類あり、また階級あり、凡てが同一でもなくまた平等でもない。ここに掲ぐるものはその教会に対する職分の高下の順序による。なおTコリ12:28参照。
辞解
[牧師、教師] 二つの職と見る説と同一人の二種の仕事と見る説とあり、文法上は一人のごとくに見ゆるのはおそらくかかる区別をなす必要がないのであろう。
[使徒] ロマ1:1辞解参照。
[預言者] 神の代りに神の霊に動かされて語る人。
[伝道者] イエスの直接の使徒にあらずして福音を宣伝える人。
4章12節 これ
口語訳 | それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、 |
塚本訳 | これは(キリストに対する)奉仕の務めを果たし得るよう聖徒達を準備し、かくしてキリストの体(なる教会)が建て上げられんためである。 |
前田訳 | それは聖徒を奉仕のわざへ、キリストの体の建設へと準備させるためです。 |
新共同 | こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 |
NIV | to prepare God's people for works of service, so that the body of Christ may be built up |
註解: 本節以下は前節の「與へ給へり」の目的を示す。すなわちキリストが使徒、預言者、伝道者、牧者、教師を教会に与え給うたのは彼らをして教会を指導、教育、訓練せしめこれによりて聖徒らを全うし、完備せるものとなし、その結果互に奉仕の行為を為し、キリストの体なる教会を建て上げんがためである。神の賜物を賜える目的は要するに教会の完成のためである。
辞解
本節の三句は pros ・・・ eis ・・・ eis の三つの前置詞をもって始まりその相互関係につき種々の解釈あり。一々記すことは複雑なる故これを略す。上記の解釈は「職」 diakonia を特種の職務(M0、I0)と解せず一般的の「奉仕」と解し(E0、L2)、後の二句を第一句の目的と解した。
[全うし] katartismos は欠けたるを補い、壊れし処を修繕し、旧びたるを新たにして完全具足のものとすること。
[職 ] diakonia は多く教会の公職の意味に解し、そのために本節の理解を困難ならしめているけれども、ここではかく解せず、これを一般的「奉仕」の意味に解するを可とす。
[キリストの體] 「教会」である(エペ1:23)。
[體を建て] 「體の徳を建て」とも解することができるけれどもエペ1:23。エペ2:22と共に体を建て上げる意味に解し、神の宮の観念をも織込めるものと見るを可とす。
4章13節
口語訳 | わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。 |
塚本訳 | かくて遂に私達は皆信仰と神の子を知る知識とにおいて一致するに至り、(信仰において)大人となり、キリストの豊満(と同一)の程度の(熟成した)年令に達するのである。 |
前田訳 | われらがみな神の子の信仰と知識との一致に達し、全き人、すなわちキリストの完成の年齢に至るためです。 |
新共同 | ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。 |
NIV | until we all reach unity in the faith and in the knowledge of the Son of God and become mature, attaining to the whole measure of the fullness of Christ. |
註解: 本節は前節の聖徒の完備の終局の到達点を指し示す。教会は神の子に対する信仰の一致を必要とする。信仰の一致とは信仰箇条の一致にあらず心を一つにしてキリストに信頼すること、キリストに依り頼まない者のないことを意味す。キリストを知る知識の一致はキリストの本質、使命、および教会に対する関係等につきての理解の一致を指す。この一致を欠く時教会は分裂する。
辞解
[神の子の] 「信仰」と「知識」との双方に懸ると見る方がよろし(▲口語訳を見よ)。
「我ら凡て」なる語が原文初頭にあり、全教会を意味す。
註解: 「全き人」はまた「成人」とも訳すべき語で、凡ての点において十分に成長発達せるものを指す、14節の幼童 と相対す。この成人とはキリストのプレーローマすなわちキリストの中に満つるあらゆる徳性、あらゆる性格の程度にまで到達せる人をいう。教会はここに一人の人間と考えられキリストと同じ程度の性質を有するものとなるべきものなることを示す。これが教会の理想である。この理想に到達する時期につきては我らはこれを予定することができず、また濫りに予定すべきではないが、これに向って進むべきことは我らの日々の祈りでなければならぬ。
辞解
[全き人] 完全なる人の意味にも解し得るけれども、ここでは成人すなわちすべての部分が充分に発育せる人を意味すと見るを可とす。
[満ち足れる] プレーローマ(エペ1:23。エペ3:19註参照)はキリストの中に満つるあらゆる美しきものを指す。
[ほどに] 原文「身長の尺度まで」または「年齢の程度まで」と訳すべき文字でこの二者の何れが適当なりやは決定に困難を覚ゆる点である。ここではおそらく年齢を指すのであろう。
[至らせ] 終局の目標。
4章14節 また
口語訳 | こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、 |
塚本訳 | これは最早私達が(信仰において)幼児でなく、奸計をもって(私達を)迷いに誘おうとするペテンによるあらゆる人間の教えの風のまにまに吹きまわされ翻弄されることのないためであり、 |
前田訳 | われらはもはや子どもではなく、人々の賭けごと、惑わしの計略の悪辣さによるあらゆる教えの風にゆられず、振り回されず、 |
新共同 | こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、 |
NIV | Then we will no longer be infants, tossed back and forth by the waves, and blown here and there by every wind of teaching and by the cunning and craftiness of men in their deceitful scheming. |
註解: 11−13節の全体の事実が現在の教会に対して如何なる企図 を有するかをしめす。(▲本節は hina = so that をもって始まり14、15節にかかっている。これは11−13節の目的または企図 であることの意味である。)そして14節はその消極的方面、15節は積極的方面である。「幼童 」は自己に確信なく、霊的発達は不充分であり従って周囲に影響されやすき故、かかる境地を脱して「全き人」すなわち「成人」となることが目的でなければならぬ。またこの世には人間の作り出せる胡麻化しより成る教え、また惑わしを起さしむる計略のための悪巧みより作られし教えがある。かかる教えはあたかも風が波を動かし砂塵を吹きまわすがごとくに人の心を動揺せしめ混迷せしめる。かかることがないようになるのが、神が教会に使徒以下の人々を与えた目的である。
辞解
[幼童 ならず] 「ならざらんため」の意。
[誘惑 ] planê は「惑 」と訳す文字で、術 は狡猾 なる計略を意味す、ゆえに「惑 の術 」は惑 を引起す術策を指す。
[様々の教の風] 「教の凡ての風」。
[教 ] 単数名詞なれども総称とみるべきである。
[欺騙 ] サイコロ遊びより来れる語で狡猾 さを意味す。
[吹きまわされず] 原語「揺り動かされず、運び廻されず」の二語よりなる。浪と風の形容。
4章15節 ただ
口語訳 | 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。 |
塚本訳 | 否、(むしろ信仰の大人として福音の)真理に生き、愛においてあらゆる点に成長して、彼すなわち頭なるキリストに達せんためである。 |
前田訳 | 愛のうちに真実をつくし、すべてに成長して頭なるキリストに達しましょう。 |
新共同 | むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。 |
NIV | Instead, speaking the truth in love, we will in all things grow up into him who is the Head, that is, Christ. |
註解: 愛と真はキリスト者の生活の基調であり、従って教会の根底である。かつ教会はこの性質を基礎として凡ての点において生育発達しなければならぬ。発育せざる生物は死ぬると同じく、発育せざる教会は死滅する。そして発育の目標はキリストである。まさしくキリストは教会の首であり、教会はその体である故、首に相応しからざる体であってはならないからである。
辞解
[眞を保ち] alêtheuô は一般に「真を言う」と訳すべき語であるが、ここでは真実に生きることを意味している(E0)。
4章16節
口語訳 | また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。 |
塚本訳 | そして体全体は(この頭なる)彼を本源として凡ての支えの靭帯によりつなぎ合わされ、結び合わされ、斯くて(体の)それぞれの部分が相応の活動をすることによって(教会なるこの)体が成長し、愛によって(遂に)自分を建てあげるのである。 |
前田訳 | 体全部が彼によるものです。それはすべての支えの節々によって組まれ結ばれ、おのおの部分はその力に応じて体の成長のためにつくし、愛のうちに自らの建設がなされます。 |
新共同 | キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。 |
NIV | From him the whole body, joined and held together by every supporting ligament, grows and builds itself up in love, as each part does its work. |
註解: 教会全体の整備、結合、発育、成長、建設はみなキリストより来る。すなわちキリストは全体の基をなしており、そしてその教会の全体を構成する構成分子は個々別々の存在ではなく、節々の接ぎ目をそなえられてこれを通して供給(epichrêgia)を受くることにより整然たる結合となり(sunarmologeô)、また確固たる一体をなし(sumbibazô)、かつ肢体たる各人の与えられし賜物の量に応じたる活動によりて教会たる体は成長し、愛の中に自己を建設して立派なる神の宮となり、キリストの体となることができる。かくして教会の各員たる肢体はみなそれぞれの使命と活動と、その一致せる結合とによりて教会を発育せしめ、キリストの体を立派なる姿に仕立て上げるのである。
辞解
[凡ての節々の助にて] 「供給の接ぎ目により」のごとき意味で問題多き一句。学者によりては haphê は「節々」の意味なく唯「接触」「固着」「感覚」等を意味するに過ぎずとし、また「助」と訳されし epichorêgia を「供給」と訳し、従ってこの句を「供給に役立つ凡ての接触により」とし、栄養の供給の意味に訳さんとし(M0、I0、B1)、また他の学者(E0、L2、Z0)はこれに「節々」「接ぎ目」の意味ありとして現行訳のごとくに訳す。上掲の註はこれによる。
[応じて働くにより] 「応じたる働きにより」と訳すべし。
[愛によりて] 「愛の範囲において」の意味で「愛の中に」と訳すべし。
要義1 [超越神と内在神]神は万物の上に超越してこれを支配し給う。このことは神の内在をのみ重視する東洋人にとりて不可解でもありまた幼稚にも思われる場合が多い。しかしながら聖書はこの超越神と共に内在神をも知っているのであって、神は「凡てのものを貫き、凡てのものの内に在し給う」(エペ4:6)、「神は我らの中に生き、動き、また在るなり」(使17:28)等のごとく超越しつつしかも内在し、我らの上に支配しつつしかも我らの内に働き給う。かかる神にして始めて真の神ということができる。我らの外に在すのみにして我らの内に在さざる神は真の神にあらず、我らの内にのみ在して外に在さざる神もまた真の神ではない。
要義2 [教会の完成]教会はキリストの充ち給う所である。そしてこれは恩恵の分与(12節)、聖徒の精進(13節)と一致(14節a)となり、また幼児の域を脱却し発育してキリストに至り、不動の信仰に立ち(14b、15節)、各部分は整頓し結合して堅き一体となり(16a)、成長し建設される(16b)に至る。これがすなわち活ける教会の完成せられし姿である。それ故に連結なく生成なき教会は真の教会ではない。
要義3 [教会の一体たること]教会は本来一つでなければならない。「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ」「御霊は一つ、望みは一つ」、そして「神は一つ」だからである。かかる教会が多くに分立することは有り得べからざる事実である。そして神、キリスト、聖霊の三位の神も、これに対する信仰も望みもみな見えざる事実であり、バプテスマすら霊のバプテスマはこれを目にて見得ない以上、教会もまた本来見えざるものである。これを強いて人間の目に見ゆる限界を持つものたらしめんとした処に教会の誤謬があり、これが教会分立の原因であった。この分立せる教会を、同じく人間の立つる規約により人の目に見ゆる一つの教会たらしめんとしてもそれは不可能でありまた無意味である。教会の肢たる各人が一つの主に立帰るより外に一つの教会を実現する途はない。
4章17節 されば
口語訳 | そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。 |
塚本訳 | (かく君達はキリストの体を建てねばならないの)だから、(今)私は主にあってこのことを言いまた厳命する──君達は最早、異教人が空っぽの考えで歩いているように歩いてはならない。 |
前田訳 | このことをわたしはいい、主にあってお願いします。あなた方はもはや異邦人が空虚な心で歩むように歩まないでください。 |
新共同 | そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、 |
NIV | So I tell you this, and insist on it in the Lord, that you must no longer live as the Gentiles do, in the futility of their thinking. |
註解: 1−3節の実践道徳に続いてここにさらに消極的方面として、異邦人の歩みと同じ歩みを為すべからざることを教えている。たしかに異邦人は虚しき心に歩んでいるのであって、神を知らざるその心は18、19節に示すがごとく智的にも実践的にも凡て無意味にして何らの実をも結ばざる程度のものである。
辞解
[言ひ、證 す] 「勧め」るの意味をも含むもののごとし。
[主に在りて] 「信仰をもって」に同じ、パウロの自分一己の意見にあらず。
[虚無 ] mataiotês 結果を招来せざるごときこと。
4章18節
口語訳 | 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、 |
塚本訳 | 彼らは理解力が曇っており、彼らの中に在る無知の故に、またその頑迷な心の故に、神の(賜わる永遠の)生命に縁無き者となっている。 |
前田訳 | 彼らの思いは暗く、神による生活から離れています。それは彼らのうちにある無知のため、彼らの心が頑なためです。 |
新共同 | 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。 |
NIV | They are darkened in their understanding and separated from the life of God because of the ignorance that is in them due to the hardening of their hearts. |
註解: 異邦人の心の虚無 さを叙す。念 の暗くなりたること、すなわちその悟性、感受性が暗黒の中にありて迷妄に陥り、心中は真理を悟らざる無知が支配し、心情は無感覚にして頑迷固陋 であり、その生命は神の生命に遠ざかり、自己の私慾によりて生くるに至る。以上の四つの状態が互に如何様に関連しているかは原文の文法上の問題として種々の解あり、念 暗くなり、神の生命に遠ざかっていることが心の虚無 き姿であり、無知と頑陋 とはその原因と見るべきであろう。すなわち私訳すれば「その内なる無知の故に、心の頑陋 の故に、念 は暗くせられ、神の生命に遠ざかれり」となる。
辞解
原文は第一、第四、第二、第三句の順序をなす。現行訳のごとくに訳する以外に、第三句(現行訳にては第二句)を第一句の原因、第四句(現行訳第三句)を第二句(現行訳第四句)の原因として訳することもできる(B1)。その他第四句を第三句に従属せしむるか、または対立せしむるかにより、または第一句と第二句との関係を如何に見るか等により種々に訳し得る一節である。
[神の生命] 多くの学者により「神より出で信者の中に新生せる生命」と解せられているけれども、ここではむしろ「我らとの霊の親交の対象となるべき神の生命そのもの」と解すべきであろう(Z0、L2)。その他、「神々しき生命」「ロゴス」等の解あり。
前節の「心」 nous と本節の「念 」 dianoia 「心」 kardia などそれぞれその意味に若干の差別あり、nous は人間の生命の一要素たる精神を指し、dianoia は思考およびそれによる理解、決断等を指し、kardia は心情を指す。
4章19節
口語訳 | 自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。 |
塚本訳 | 鈍になっているので放埒に身を委ね、貪欲をもってあらん限りの不潔を行っている。 |
前田訳 | 彼らは無気力になって放縦に身をゆだね、欲望のままあらゆる不潔な行ないをしています。 |
新共同 | そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。 |
NIV | Having lost all sensitivity, they have given themselves over to sensuality so as to indulge in every kind of impurity, with a continual lust for more. |
註解: 異邦人は前節のごとき心の状態に陥ったために「恥を知らず」無感覚となりて良心の咎を感ぜざる者となり、飽くことを知らずに凡ての道徳的汚穢 を行わんがために好色の行為に自己を付し、自己を好色の捕囚としてしまった。良心の麻痺せる最初の徴候はその性的放縦に表われる。
辞解
[恥を知らず] 本来肉体的に苦痛を感じなくなること、すなわち麻痺せることを意味し、その結果良心の麻痺無感覚をも意味す。
[放縱 に] 「貪慾をもって」でそのままの意味に解するよりも「飽くことを知らずに」の意(C1、E0)に解するを可とす。「放縦 に」は適訳にあらず。
[凡ての汚穢 ] 必ずしも性的汚穢 に限らない。そしてこれらは好色にその最初の萌芽を見ることができる。
[己を付せり] ロマ1:24に神が彼らを好色に付せりとあるのと矛盾するごときも然らず、同一事実の見方による。
4章20節 されど
口語訳 | しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。 |
塚本訳 | しかし君達は、そんな風(のことをするため)にキリストの教えを学んだのではない。 |
前田訳 | しかしあなた方はそのようにキリストを学んだのではありません。 |
新共同 | しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。 |
NIV | You, however, did not come to know Christ that way. |
註解: キリストを学べる者はキリストに倣うが故に、異邦人とは全然その歩みを異にする。
4章21節
口語訳 | あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。 |
塚本訳 | 君達は彼に聴き、彼に在ってイエスにあるような真理に依り教えられたのだ! |
前田訳 | あなた方が彼について聞き、彼にあって教えられたのはイエスにある真理のとおりでした。 |
新共同 | キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。 |
NIV | Surely you heard of him and were taught in him in accordance with the truth that is in Jesus. |
註解: 難解の一節にして種々の訳解あり、私訳「汝らは彼〔のこと〕を聞き彼に在りて〔次のごとく〕教えられしならん。すなわちイエスの場合において事実たるがごとくに汝ら・・・・・を脱ぎ」。「イエスにある真理に循ひて」は種々に訳されているけれども現行訳のごとくに訳すことは困難である。これを上述私訳のごとく「イエスの場合において事実(真理)たるがごとくに」と訳し、中間の挿入句と解し、22−24節がイエスにおいては事実たりしことを示すものと見るべきであろう。
辞解
[彼に聞き] 「彼を学び」というがごとし。
[彼に在りて] 「彼を信じて」というに同じ。
[真理] alêtheia はまた「事実」の意味あり(マコ5:33)、かく訳することが果して正しきや否やにつき学者の説を引用して説明することができないけれども、かく訳することは不可能ではない。
4章22節
口語訳 | すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、 |
塚本訳 | 然り、君達は情欲に欺かれて破滅すべき、以前の生活に属する旧い人間を脱ぎ棄て、 |
前田訳 | あなた方は前の行状による古い人をお捨てなさい。それは欲望に惑わされて滅びるものです。 |
新共同 | だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 |
NIV | You were taught, with regard to your former way of life, to put off your old self, which is being corrupted by its deceitful desires; |
口語訳 | 心の深みまで新たにされて、 |
塚本訳 | 君達の霊も心も(すっかり)新しくされ、 |
前田訳 | あなた方の心も霊も新たにされて、 |
新共同 | 心の底から新たにされて、 |
NIV | to be made new in the attitude of your minds; |
4章24節
口語訳 | 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。 |
塚本訳 | 真理の義と聖とにより神に肖って創造られた新しい人間を着るべき(ことを教えられたの)である。 |
前田訳 | 新しい人をお着なさい。それこそ真の義と聖のうちに神にかたどって造られたものです。 |
新共同 | 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。 |
NIV | and to put on the new self, created to be like God in true righteousness and holiness. |
註解: 22節と24節は互に対照を為す。「舊き人」と「新しき人」、「脱ぐ」と「着る」、「誘惑 」と「真理 」、「亡ぶ」と「造らる」等のごとし、そしてこの22−24節の全文は前節の「教へられしならん」に懸っている(L2、E0)。「脱ぐ」と「着る」とは人間の心と徳性との更新を意味す。旧き人が改良、進歩、発達して新しき人となるにあらず、アダム以来の旧き人を脱ぎ棄てて、新に創造せられし新たなる人を着ることが更生の本体である。この旧き人はアダムの罪により「亡ぶべき人」否むしろ「亡びつつある」人であって(現在分詞)、新しき人は永遠に生くべき生命である。そして旧き人の亡ぶる所以は、惑える慾のためであり、新しき人の永遠に生くる所以は神に象 りて造られしが故である。また旧き人を脱ぎ去ることは、その「前 の動作 に関して」であり、新しき人の造られるは「真実の義と聖とを有する者に」造られるのである。そしてこの大なる変化を来たらせるがためには心の霊において徐々に新たにせられなければならぬ。これらのことを汝らは教えられたはずである。
辞解
上記のごとき解釈を取る場合、この三節は次のごとくに私訳するを要す。「すなわち汝ら前の振舞いにつきて、惑わす慾のために亡びる(または亡ぼされる)旧き人を脱ぎ捨て、心の霊において新たにせられ、神に象 りて真実なる義と聖とに造られたる新しき人を着るべきことなり」。「誘惑の慾」「真理の義と聖」において第二格「の」は「より出づる」「に属する」等と訳することもできるけれども、上記の解および私訳はこれを性質を示す形容詞的第二格として取扱った(B1、C1、L2)。現行訳も誤訳ではない。なお「脱ぐ」「着る」は不定過去形にして裁然たる一時的動作を意味し、「新たにせられ」は未完了過去形にして継続的動作を示す。
[心の霊] この霊は聖霊にあらず、心の最高の働きをなす性能を指す。
要義 [新しき人と旧き人]教会一体の姿を実現せんがためには、これに適 える新しき人となることが第一の必要である。すなわち神を知らざる旧き人はキリストの体たる教会を構成することができない。これに反し新しき人は神によりて新たに創造せられたものであり、かかる者のみが神の教会の要素となることができる。それ故に暗黒と汚穢とを脱ぎ捨てて義と聖とを着ることが、教会に要求される根本的事項である。
4章25節 されば
口語訳 | こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。 |
塚本訳 | だから虚偽をやめ、“各々その隣人と真実を語れ”、私達は互いに(一つの体の)肢であるから。 |
前田訳 | それゆえ偽りを捨てておのおの隣人に真実を語りなさい。われらは互いに体の部分です。 |
新共同 | だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。 |
NIV | Therefore each of you must put off falsehood and speak truthfully to his neighbor, for we are all members of one body. |
註解: 「されば」すなわち真実の義と聖とにより新たに造られし者が教会の各員である以上、この真実とは正反対なる虚偽をその心に蔵していてはならない。キリスト者の第一の要件は真実であり正直である。互に一つの体の肢たる者の間に虚偽は有り得ず、有ってはならない。
辞解
「虚偽」を第一に掲げし所以は前節の真理(または真実)を受けたのも一理由であるが、さらに重大なる理由は教会一致の最も根本的なる要素は真実に存するからである。なお本節以下の各種の教訓はエペソ書の読者層において事実的に存在せる弊風を指摘せるものであるか、また一般的のものかは不明である。
4章26節
口語訳 | 怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。 |
塚本訳 | “怒っても罪を犯すな”。憤ったまま陽を入らせるな。 |
前田訳 | 怒っても罪を犯さないように。太陽が、あなた方が怒っている間に没することのないように。 |
新共同 | 怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。 |
NIV | "In your anger do not sin" : Do not let the sun go down while you are still angry, |
口語訳 | また、悪魔に機会を与えてはいけない。 |
塚本訳 | また悪魔に(付け込む)隙を与えるな。 |
前田訳 | 悪魔に隙を与えないように。 |
新共同 | 悪魔にすきを与えてはなりません。 |
NIV | and do not give the devil a foothold. |
註解: 怒りは一般に共同生活の中に起りやすき魔物である。パウロは怒ることそのことを罪と見ず、従ってこれを禁止しなかった。唯怒りにより罪に陥ることを戒めたのである。神の怒り給うことを怒ることは正しい。しかしながら自己の感情に支配せられ、または自己の利害を基礎とせる怒りは罪である。また怒りは往々にして罪を引起すに至るものである。「憤恚 」憤怒を引起す心情を指す。この心を永続せしむる時は心の平静を失い、その結果不快であるのみならず往々にして罪に陥る故、速やかにこれを制御して和解の途を取らなければならぬ。またかかる心情には悪魔が乗ずる隙が多く生ずるもの故、かかる機会を造らぬようにしなければならない。怒りや憤恚 そのものは罪にあらざる場合があり得るけれども(羔羊の怒り、黙6:16)罪に陥る機会多く悪魔に乗ぜられやすい、警戒しなければならない。
辞解
[怒るとも罪を犯すな] 原文「怒れそして罪を犯すな」で「怒れ」はこの場合「怒るならば」「怒るとも」「怒っても宜しいが」等に解される。最後の解釈が適当であろう(ヴィーナー)。詩4:4の七十人訳による。
[憤恚 を日の入るまで續くな] 直訳「太陽をして憤恚 の上に没せしむる勿れ」で日没から翌日が始まる故、憤恚 をば(速やかに)その日の中に始末をつけよ、との意味である。
[機会を得さすな] 直訳「場所を与うな」。
4章28節
口語訳 | 盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。 |
塚本訳 | 盗みをしている者は最早盗むな。むしろ困る人に分けて与れるよう(うんと)働いて、自分の手で正しく稼げ。 |
前田訳 | 盗びとは盗みをやめ、むしろ精を出して手ずからよいものをかち得て、乏しい人に分け与えるものを持つようになさい。 |
新共同 | 盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。 |
NIV | He who has been stealing must steal no longer, but must work, doing something useful with his own hands, that he may have something to share with those in need. |
註解: 共同生活の陥りやすき欠点は他人の損害を顧みずして自己を益せんとすることである。この時代には盗みをすることがさほどの悪事とは思われなかったので盗むことが教会の中にも存在していたとのことである。が、果して然りや否や、疑わしい。しかしかかる程度まで至らずとも、自己の利益を図って他人の損害を顧みないような事実は今日もなお多く存している。これを「盗む」ということは差支えない。要義2参照。パウロは盗みを禁ずると共に、反対にその手をもって善を行い、正しき労苦を嘗め(窃盗は往々にして怠惰の結果である。B1)、そしてその収得を自己のために用いず、貧しき者に分け与うることをすすめている。この根本的変革もまた旧き人を脱ぎて新しき人を着ることによりて可能である。
4章29節
口語訳 | 悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。 |
塚本訳 | 悪い言葉を一つも君達の口から出すな。もし徳を建てる必要があり、何かそれに善い言葉があるなら、それを言って聴く者を恩恵に与らせよ。 |
前田訳 | 悪いことばは全く口に出さず、徳の建設に必要な場合、よいことばを用いて、聞くものに役立つようになさい。 |
新共同 | 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。 |
NIV | Do not let any unwholesome talk come out of your mouths, but only what is helpful for building others up according to their needs, that it may benefit those who listen. |
註解: 教会生活における重大な注意は言語を慎むことである。悪しき言、他人の心を腐敗せしむる言は口より出してはならない。反対に必要に応じて徳を建つべき善き言、すなわち他人に益を与える言を出して、聴く者の益となるように考えること、すなわち消極的にも積極的にも言語を慎むことが必要である。
辞解
[悪しき] sapros は古くなって腐敗していること。
[時に隨ひ] 「必要に応じ」と訳す方が原文に近い。
[益を得さす] 「恩恵を与える」で建徳の言葉は常にこの結果を生じる。
4章30節
口語訳 | 神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。 |
塚本訳 | 神の聖霊を悲しませるな。君達は贖いの日(に永遠)の(救いに入る)ためこの御霊をもって封印されたのである。 |
前田訳 | 神の聖霊を悲しませないでください。それによってあなた方はあがないの日のために印をつけられているのです。 |
新共同 | 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。 |
NIV | And do not grieve the Holy Spirit of God, with whom you were sealed for the day of redemption. |
註解: 前節と思想の連絡あり、すなわち悪しき言を出すことは我らの中に宿り給う神の聖霊を憂いさせることである。何となれば、神の聖霊はまた教会をもその宮となしてその中に宿り、我らの内に宿り給う聖霊と共に、悪しき言の持つ悪しき影響につき深く憂い給うが故である。たしかに汝らは世の終り、すなわちキリスト再臨の日、換言すれば贖いの日に、完全に救われ神の子とせられんために、今日すでにこの聖霊にて印せられているからである。もしこの聖霊を憂いさせるならば、彼は汝らを離れ去り、従ってまた教会をも離れ給うであろう。
辞解
[印せらる] エペ1:13註参照。
[贖罪 の日] キリスト再臨の日。
4章31節
口語訳 | すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。 |
塚本訳 | 凡ての苦いこと、憤怒、怒り、喧噪、誹謗、並びに凡ての悪意を君達から除け。 |
前田訳 | あらゆる無情、憤り、怒り、騒ぎ、呪いをすべての悪とともにあなた方から捨ててください。 |
新共同 | 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。 |
NIV | Get rid of all bitterness, rage and anger, brawling and slander, along with every form of malice. |
4章32節
口語訳 | 互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。 |
塚本訳 | 互いに親切で、憐憫深く、神がキリストにおいて君達を赦し給うたように互いに赦し合え。 |
前田訳 | 互いにやさしく、あわれみ深く、神もキリストにあっておゆるしのように互いにゆるし合ってください。 |
新共同 | 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。 |
NIV | Be kind and compassionate to one another, forgiving each other, just as in Christ God forgave you. |
註解: 教会の一致を乱すものは31節の諸々の心情や態度であり、反対に教会をして平和幸福の一体にするものは32節の態度心情である。前者は凡て他に対して反撥的に働いて教会を分離させ、後者は凡て他を抱擁して一体となるに至らせる。
辞解
[苦 ] pikria は他人に苦痛を与える態度。
[憤恚 ] thumos は激情の爆発するもの。
[怒] orgê はその感情の永続するもの。
[喧噪 ] 敵意に満てる激情の表顕。
[誹謗 ] blasphêmia は悪意をもって相手を非難すること。
[悪意] kakia は人を害せんとする心。
[および凡ての悪意] 「を凡ての悪意と共に」と訳すべし。悪意は凡てのこれらの諸悪の源泉なり。そして「仁慈 」「憐憫 」「赦し」は凡て上述の諸点の反対であって、この両者は完全なる対立をなす。
要義1 [一致の秘訣]4:25−32は教会一致の秘訣を教えているのであるが、この教訓は如何なる団体の場合にも妥当する。すなわち虚言虚偽をさけ、憤怒を慎み、私利を図らずして他人を益せんとし、悪口を避け、悪意をいだかず、かえって愛と憐憫とをもって互に赦すことである。すなわち真実と愛憐とを基礎とし、感情においても意思においても他人を害せんと企てず、かえってこれを益せんとする処に団体の一致の秘訣が存する。殊に教会の場合においては全体が一つの体であり各々その肢である故、互に相害し相排撃することは要するに自己を損う所以である。教会の内にかかる事実が存すべきではない。
要義2 [キリスト者と盗むこと]28節に「今より後盗むな」とあることはキリスト者にはほとんど適用がないように思われるけれども、厳密なる意味においては、多くの盗みが行われる可能性がある。俸給を受けながらそれに相当する仕事をしないこと、代価に價せざる物品を売ること、代価以下に物品を買うこと等である。その他他人と共同の仕事を為すに際してあるいは惰けたり、または安易なる部分を自分で引受けるごときは他人の努力を盗むことであり、また自らは無為にして他人の労苦の上に衣食する者は他人の労苦を盗む者である。
要義3 [他人を赦すことについて]マタ6:12、マタ6:14、15には神より罪の赦しを得んがためにはまず自ら人の罪を免すことが必要である旨が記され、エペ4:32においては神の赦しが相互の赦免の模範として掲げられている。この両者は一見矛盾するがごときも然らず、マタ6:12等の場合は自己が他人の罪を赦すことが神の赦しを受くる条件ではなく、自らの罪を完全に意識せる際における他人の罪に対する態度を指示したものと見ることができ、エペ4:32の場合は、自己の罪を完全に意識せる者がさらに十字架による罪の赦しを信じたる後における心の状態を指示したものである。何れの場合においてもまず自己の罪を知れるものにして始めて他人の罪を赦すことができる。