黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マルコ伝

マルコ伝第5章

分類
2 ガリラヤにおけるイエスの活動 1:21 - 7:23
2-5 イエスの奇蹟の例 4:35 - 5:45
2-5-ロ ゲラセネの狂人と豚 5:1 - 5:20
(マタ8:28-34) (ルカ8:26-39)   

註解: イエスは自然力(マコ4:35−41)のみならず、また悪霊をも支配し給う。

5章1節 (かく)(うみ)彼方(かなた)なるゲラセネ(ひと)()(いた)る。[引照]

口語訳こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
塚本訳かくて湖の向う岸、ゲラサ人の地に着いた。
前田訳やがて彼らは湖の向こう岸のゲラサ人の地に着いた。
新共同一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
NIVThey went across the lake to the region of the Gerasenes.
註解: マタ8:28にはガダラ人の地とあり、何れもガリラヤ湖の東より東南に(わた)れる地方にあるギリシャ風の諸都市の一つで、その十市を合わせてデカポリス(十市)と称した。その地点は今日は不明である。

5章2節 イエス(ふね)より(あが)(たま)ふとき、(けが)れし(れい)()かれたる(ひと)(はか)より()でて、(ただ)ちに()ふ。[引照]

口語訳それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
塚本訳イエスが舟からあがられると、すぐ、汚れた霊につかれたひとりの人が墓場から出てきて、イエスを迎えた。
前田訳イエスが舟からお降りになると、すぐ、けがれた霊につかれた人が墓から出て来て彼を迎えた。
新共同イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
NIVWhen Jesus got out of the boat, a man with an evil spirit came from the tombs to meet him.
註解: 墓は岩盤に掘られた横坑で、人これに入ることができる。「穢れし霊に憑かれる」とはその人の精神がその人の自由にならず他の霊の力に支配されること、かかることが有り得るや否やは今日の医学の発達の程度では不明であるが、キリスト者はサタンの実在を経験する以上、これを肯定することができる。なおマタイ伝は二人の悪鬼に憑かれし者につき記す、マルコ伝ルカ伝はその中の一人につき記す。

5章3節 この(ひと)(はか)住處(すみか)とす、(くさり)にてすら(いま)(たれ)(つな)()ず。[引照]

口語訳この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
塚本訳この人は墓場を住家としていたが、もはやだれも、鎖ですらつないでおくことが出来なかった。
前田訳この人は墓を住処(すみか)とし、もはやだれも彼を鎖でつなぐことはできなかった。
新共同この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
NIVThis man lived in the tombs, and no one could bind him any more, not even with a chain.

5章4節 (かれ)はしばしば足械(あしかせ)(くさり)とにて(つな)がれたれど、(くさり)をちぎり、足械(あしかせ)をくだきたり、(たれ)(これ)(せい)する(ちから)なかりしなり。[引照]

口語訳彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
塚本訳幾たびか足桎と鎖でつないだが、鎖を引きちぎり、足桎を打ちこわして、だれの手にもおえなかったのである。
前田訳たびたび足かせや鎖でつないだが、鎖はちぎられ、足かせはこわされて、だれも彼を縛りえなかった。
新共同これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
NIVFor he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him.
註解: これは一種の精神錯乱者の生活状態を記す。その地方の人々の語れる処に従ったものであろう。彼は異常の膂力(りょりょく)を有し、危険で近付けなかった。なお15節およびルカ8:27によれば衣を着ずに生活していた。

5章5節 (よる)(ひる)も、()えず(はか)あるひは(やま)にて(さけ)び、(おの)()(いし)にて(きず)つけゐたり。[引照]

口語訳そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
塚本訳どなったり、体を石でなぐったりしながら、夜も昼も、いつも墓場や山にいた。
前田訳そして夜昼いつも墓や山で叫んだり、石で自分を打ったりしていた。
新共同彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
NIVNight and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones.
註解: 聞く人無きに無用の声をあげ、己を傷つけて顧みなかった。3−5節の姿はサタンに支配される罪人の姿である(要義一参照)。

5章6節 かれ(はるか)にイエスを()て、(はし)りきたり、御前(みまへ)平伏(ひれふ)し、[引照]

口語訳ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
塚本訳遠くの方でイエスを見ると、駆けてきてひざまずき、
前田訳ところで、遠くからイエスを見ると、駆けて来てひれ伏し、
新共同イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、
NIVWhen he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him.
註解: 悪鬼は霊的存在なるが故に、イエスを認識する点においては人間以上である。それ故に逸早くも遠くよりイエスを認めたのであった。

5章7節 大聲(おほごゑ)(さけ)びて()ふ『いと(たか)(かみ)()イエスよ、(われ)(なんぢ)(なに)關係(かかはり)あらん、(かみ)によりて(ねが)ふ、(われ)(くる)しめ(たま)ふな』[引照]

口語訳大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
塚本訳大声で叫んだ、「いと高き神の子のイエス様、“放っておいてください。”後生だから、どうぞわたしを苦しめないでください。」
前田訳大声で叫んでいう、「何のご用ですか、いと高き神の子イエスさま。お願いですからわたしを苦しめないでください」と。
新共同大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
NIVHe shouted at the top of his voice, "What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? Swear to God that you won't torture me!"
註解: 悪鬼はイエスを「いと高き神の子」と知って恐れた。悪鬼は神以外に恐れるものが無い。而して悪鬼の最も恐れたことは「苦しめられること」すなわちその平穏なる生活を脅かされることであった。悪鬼にとりて最も平穏無事な住処は完全に彼に服従している人間である。
辞解
[我は汝と何の関係あらん] マコ1:24註参照。
[神によりて願ふ] 原文「神によりて汝に命ず」(使19:13Tテサ5:27)でこの「命ず」 orkizô は「誓って・・・・・させる」というごとき意、誓いの際に用う。

5章8節 これはイエス『(けが)れし(れい)よ、この(ひと)より()()け』と()(たま)ひしに()るなり。[引照]

口語訳それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
塚本訳これはイエスが「汚れた霊、その人から出てゆけ」と言われたからである。
前田訳これはイエスが「けがれた霊、この人から出よ」といわれたからである。
新共同イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。
NIVFor Jesus had said to him, "Come out of this man, you evil spirit!"
註解: 7節の前に起りし事柄。イエスのこの命令が悪霊の生活を不安ならしめた。

5章9節 イエスまた『なんぢの()(なに)か』と()(たま)へば『わが()はレギオン、(われ)(おほ)きが(ゆゑ)なり』と(こた)へ、[引照]

口語訳また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
塚本訳「あなたの名はなんというか」とお尋ねになると、「名は軍団です、大勢だからです」とこたえる。
前田訳そして彼に問われた、「何という名か」と。彼はいう、「軍団(レギオン)と申します。大勢ですから」と。
新共同そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。
NIVThen Jesus asked him, "What is your name?" "My name is Legion," he replied, "for we are many."
註解: レギオンは六千人よりなるローマの兵団の名称。答は人間の口を借りて悪霊が答えたこととなる。「我」と「我ら」とが同時に用いらる所以は多数の悪霊が一体となりて一つの悪霊であることを示す。ルカ8:30にはルカの説明として録さる。かかる多くの悪霊に憑かれし人の憐れむべき姿をイエスは深き憫みをもって眺め給うた。

5章10節 また(おのれ)らを()()(そと)()ひやり(たま)はざらんことを(せつ)(もと)む。[引照]

口語訳そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
塚本訳また、この土地から追い出さないようにとしきりに願った。
前田訳そして、この地から追い出さないように、しきりにお願いした。
新共同そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
NIVAnd he begged Jesus again and again not to send them out of the area.
註解: 悪霊たちは現に最もその処を得、最も幸福なる場所に落着いていたのであった。かかる霊を()い出すことは容易ではない。人間の中に悪しき心が深く根を卸している場合これを除くことが容易でないのと同様である。
辞解
[此の地の外] 悪しき霊にとりて不慣れの地との意ならんもルカ8:31には「底なき所」すなわち陰府(よみ)の意と解している。

5章11節 彼處(かしこ)山邊(やまべ)(ぶた)(おほい)なる(むれ)(しょく)しゐたり。[引照]

口語訳さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
塚本訳折から、そこの山の中腹で豚の大きな群が草を食っていた。
前田訳そこの山の中腹で豚の大群が草を食(は)んでいた。
新共同ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。
NIVA large herd of pigs was feeding on the nearby hillside.
註解: ユダヤ人は豚を穢れしものとして食わなかったけれども、異邦人はこれを食した。デカポリス地方は異邦人の都市であった。
辞解
[山辺] ▲「山腹」の意訳。口語訳、塚本訳参照。

5章12節 惡鬼(あくき)どもイエスに(もと)めて()ふ『われらを(つかは)して(ぶた)()らしめ(たま)へ』[引照]

口語訳霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
塚本訳霊どもは、「わたしどもをあの豚の中にやって、あれに乗り移らせてください」と願った。
前田訳それで霊どもは彼に願った。「われらを豚につかわしてその中に入らせてください」と。
新共同汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
NIVThe demons begged Jesus, "Send us among the pigs; allow us to go into them."

5章13節 イエス(ゆる)したまふ。(けが)れし(れい)いでて、(ぶた)()りたれば、二千(にせん)(びき)ばかりの(むれ)(うみ)(むか)ひて、(がけ)()けくだり、(うみ)(おぼ)れたり。[引照]

口語訳イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
塚本訳お許しになると、汚れた霊どもは(その人から)出ていって豚に乗り移った。すると二千匹ばかりの群はけわしい坂をどっと湖へなだれこみ、湖で溺れて死んだ。
前田訳おゆるしになると、けがれた霊は豚に入った。群れは二千匹ほどであったが、崖を下って湖になだれ込み、湖でおぼれた。
新共同イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。
NIVHe gave them permission, and the evil spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.
註解: 穢れし霊はイエスの力に圧迫せられ、その前に立つことができなくなった。それ故に彼らはその人を出でて他に転居せんとしたところ、幸いその近くに多数の豚の群がいたのでその中に入った。これにより豚の心が一変し海に落ちて溺死した。かかることがあり得るものなりや否やは難問題であるが、人間の霊魂が死後復活の時まで存続することを主張するキリスト教の立場より、かかる霊の働きの存在を直ちに否定することができず、また霊的現象の研究が不充分なる現下の知識をもってしてはこれを否定し去ることができず、また人の強き精神が動物をも動かすことはフランシスの小鳥に対する説教、その他よりもこれを確認することができる。またイエスが他人の所有の豚を溺死せしめしことは財産権の侵害として非難することもできるけれども、イエスは一人の霊魂を救うがためには如何に多くの財産をもこれを無視し給いしものと見てこの行為の高さを知る。

5章14節 ()(もの)ども()()きて、(まち)にも(さと)にも()げたれば、人々(ひとびと)何事(なにごと)(おこ)りしかを()んとて()づ。[引照]

口語訳豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。
塚本訳豚飼たちは逃げ出して、町や部落に知らせたので、何事がおこったのかと人々が見に来た。
前田訳豚飼いらはのがれて町にも里にも知らせたので、人々が何がおこったかと見に来た。
新共同豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
NIVThose tending the pigs ran off and reported this in the town and countryside, and the people went out to see what had happened.

5章15節 (かく)てイエスに(きた)り、惡鬼(あくき)()かれたりし(もの)(すなは)ちレギオンをもちたりし(もの)の、衣服(いふく)をつけ、(たしか)なる(こころ)にて()しをるを()て、(おそ)れあへり。[引照]

口語訳そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
塚本訳彼らはイエスの所に来て、前に一軍団の悪鬼につかれていた者が着物をき、正気にかえってじっと座っているのを見ると、恐ろしくなった。
前田訳人々はイエスのところに来て、軍団につかれていた人が着物を着て正気になってすわっているのを見ると、おそれおののいた。
新共同彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。
NIVWhen they came to Jesus, they saw the man who had been possessed by the legion of demons, sitting there, dressed and in his right mind; and they were afraid.
註解: この非常なる変化を見て、住民たちは如何なる原因でかかる大変化がこの人の上に起ったかを思い懼れ戦いた。

5章16節 かの惡鬼(あくき)()かれたる(もの)(うへ)にありし(こと)と、(ぶた)(こと)とを()(もの)ども、(これ)(つぶさ)()げたれば、[引照]

口語訳また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
塚本訳また(現場を)見ていた人たちは、悪鬼につかれていた者におこったことや豚のことを、その人々に話してきかせた。
前田訳目撃者は悪霊つきにおこったことや豚のことを彼らに物語った。
新共同成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。
NIVThose who had seen it told the people what had happened to the demon-possessed man--and told about the pigs as well.

5章17節 人々(ひとびと)イエスにその(さかひ)()(たま)はん(こと)(もと)む。[引照]

口語訳そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。
塚本訳人々は聞いて(気味わるくなり)、イエスにその土地からでて行ってもらいたいと頼んだ。
前田訳そこで彼らはイエスに自分たちの地方を出られるよう願った。
新共同そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。
NIVThen the people began to plead with Jesus to leave their region.
註解: 何事を為すか図り難き力を持ち給うイエスに対する恐怖と、豚に対して為されし損害を惜しむ心とがイエスの退去を請う原因であった。再びかかることの起らんことを恐れたからである。自己の安全と利害とのために人はイエスを見失うのみならずこれを拒むに至る。

5章18節 イエス(ふね)()らんとし(たま)ふとき、惡鬼(あくき)()かれたりしもの(とも)()らん(こと)(ねが)ひたれど、[引照]

口語訳イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
塚本訳そこで舟に乗られると、悪鬼につかれていた者が、ついて行きたいと願った。
前田訳イエスが舟に乗られると、悪霊につかれていたものがお伴を願い出た。
新共同イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。
NIVAs Jesus was getting into the boat, the man who had been demon-possessed begged to go with him.
註解: イエスは彼らの請を容れて直ちにその地を去らんとし給う。イエスを拒むことの不幸を彼らは知らなかったために彼らはイエスによりて救われることの幸福を失った。唯悪鬼に憑かれし者のみ、イエスの弟子の中に加わることを切望した、イエスに対する感謝の心に溢れたからであろう。再び悪鬼に憑かれんことを恐れるためであるとするのは適切ではない。

5章19節 (ゆる)さずして()(たま)ふ『なんぢの(いへ)に、(した)しき(もの)(かへ)りて、(しゅ)がいかに(おほい)なる(こと)(なんぢ)()し、いかに(なんぢ)(あはれ)(たま)ひしかを()げよ』[引照]

口語訳しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。
塚本訳しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。」
前田訳しかしゆるさずにいわれた、「家に帰って身うちのものに主があなたをあわれんでなさったことのすべてを告げよ」と。
新共同イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
NIVJesus did not let him, but said, "Go home to your family and tell them how much the Lord has done for you, and how he has had mercy on you."
註解: イエスが彼の(とも)にいることを許し給わざりし理由は、これがかえってイエスの奇蹟をガリラヤ一般に言いふらす原因となることを恐れ給うたためであろう。またイエスが一般に、彼の何たるかとその奇蹟とを言い広めることを厳しく禁じ給えるにもかかわらず (マコ1:44マコ3:12マコ5:43マコ7:36マコ8:30マコ9:9) この場合これを命じ給えるは一見矛盾するごときも、この場合は単にこれを家人にのみ告げて、異邦人をして神(すなわち主)(L2)に栄光を帰せしめんとしたのであって、一般に言い広めしめんとしたのではなかった。それ故にこの場合はガリラヤにあらざるが故、彼が来給うこと稀なるためなりと解する必要はない(L2)。

5章20節 (かれ)ゆきてイエスの如何(いか)(おほい)なる(こと)(おのれ)になし(たま)ひしかをデカポリスに()(ひろ)めたれば、人々(ひとびと)みな(あや)しめり。[引照]

口語訳そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。
塚本訳すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、デカポリスに言いふらし始めた。皆が驚いた。
前田訳そこで彼は去って、イエスが彼になさったことすべてをデカポリスに伝えはじめた。皆がおどろいた。
新共同その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。
NIVSo the man went away and began to tell in the Decapolis how much Jesus had done for him. And all the people were amazed.
註解: 前に悪鬼に憑かれしこの男はイエスの命に背き、家人に告ぐる代りにデカポリス一般に言い広め、神の御業を告ぐる代りにイエスの御業を言い広めた。イエスは己のことをでき得るかぎり隠さんとしても隠すことができない、隠れたるより顕れるはなし。
要義1 [悪鬼に憑かれしものの姿]この記事の中の悪鬼に憑かれし者の姿は、罪人の心の姿に酷似している。罪人とはその心がサタンに支配せられている者を言う。それ故に彼の心は常に暗黒なる墓場の中にあって天日の光の中に来ることを欲しない。彼の心は罪の裸体の醜さを露出し、律法をもってその悪を制御せんとしても、彼らはその律法や道徳を破壊し去るのである。罪人は自らこのサタンに打勝つ力が無い、唯イエス・キリストの力によりてのみこの状態を脱することができる。
要義2 [悪鬼なるものは存在するや]イエスの時代および新約聖書が書かれた時代においては、悪鬼の存在を疑わなかった。悪鬼はまた悪霊、穢れし霊とも呼ばれていた。而してこれらの諸霊はこれを統御するサタンの配下に属するものと考えられており、従って信仰の戦は、「政治、権威、この世の暗黒を(つかさど)るもの、天の処にある悪の霊と戦う」ことである(エペ6:12)とされていた。今日の科学はかかる霊の実在を証明するには至っていないけれども、今日といえども信仰の体験はサタンの実在を実感する。すでにサタンが実在するとすれば、その霊が種々の活動を為し得ることは否定し得ざることとなる。科学的証明はこれを後世に待たなければならないけれども、今日の科学をもってこの全事実を否定し去ることは早計である。▲最近生命に対する科学的研究が着手され進行しつつあり。やがて悪霊の存在の問題にも触れるようになるであろう。
附記 [この奇蹟に対する反対論]この奇蹟の事実が奇怪なるの故をもって、これを悪鬼放逐に関する異邦の物語に似せて作れる物語なりとし、また豚を溺死せしむることは他人の財産を破壊することであってイエスの行為らしからずとし、またはイエスの奇蹟はみな愛の故に行われるのであるけれども、豚の奇蹟はその中に愛なき故イエスの御業にあらざるべし等と論ずる学者もあるけれども、何れもこの記事の活き活きせる目撃者の筆になりしごとき事実を否定するに足りない。なおマタ8:34要義一、二参照。

2-5-ハ ヤイロの娘の甦りと血漏を患える女 5:21 - 5:43
(マタ9:18-26) (ルカ8:40-56)   

5章21節 イエス(ふね)にて、(また)かなたに(わた)(たま)ひしに、(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)みもとに(あつま)る。[引照]

口語訳イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。
塚本訳イエスが舟でまた向う岸に渡られると、大勢の群衆が彼のところに集まってきた。彼は湖のほとりにおられた。
前田訳イエスが舟でふたたび向こう岸に渡られると、大勢の群衆が彼のところに集まって来た。彼は湖畔におられた。
新共同イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。
NIVWhen Jesus had again crossed over by boat to the other side of the lake, a large crowd gathered around him while he was by the lake.
註解: ゲラセネより去りて対岸カペナウムの近くに来り給う、到る処イエスは群衆に取り囲まれ給うた、彼の名声嘖嘖(さくさく)たりしを見る。マタイ伝にてはこの間にマコ2:1−22の事件を入れている。

イエス海邊(うみべ)(いま)せり。

註解: マタ9:1によればカペナウムに帰り給えることとなる。

5章22節 會堂(くわいだう)(つかさ)一人(ひとり)、ヤイロといふ(もの)きたり、イエスを()て、その足下(あしもと)()し、[引照]

口語訳そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、
塚本訳するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
前田訳そこへヤイロという名の一会堂司(つかさ)が来て、彼を見るとお足もとにひれ伏し、
新共同会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、
NIVThen one of the synagogue rulers, named Jairus, came there. Seeing Jesus, he fell at his feet
註解: 彼のイエスに対する態度を見ても、その心に耐え難き苦悩があり、恥も外聞も地位も身分も忘れていることが判明(わか)る。ヤイロなる名称をここに掲げしことは、この記事の事実なりしことの有力なる証拠である。本書が録されし当時ヤイロもその娘もなお生存中であったかも知れぬ(B1)。
辞解
[會堂司] ユダヤ人の会堂の監理者のごときもの「会堂司の一人」というのは「一人の会堂司」の意味にも取られ、また会堂が二つ以上あった場合とも考うることを得、大体一つの会堂には一人の司あるを常態とす(ただし使13:14、15)。
[ヤイロ] 「彼(神)照らし給う」との意。

5章23節 (せつ)(ねが)ひて()ふ『わが(いとけ)なき(むすめ)いまはの(きは)なり、(きた)りて()をおき(たま)へ、さらば(すく)はれて()くべし』[引照]

口語訳しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。
塚本訳しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」
前田訳ことばを重ねて願う、「わたしの小さな娘が死にそうです。いらしてお手をのせてください、救われて、いのち拾いしますように」と。
新共同しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」
NIVand pleaded earnestly with him, "My little daughter is dying. Please come and put your hands on her so that she will be healed and live."
註解: この娘の年齢は十二歳であった(42節)。ヤイロは気狂わんばかりにその娘のことを憂いてイエスに請うた。彼はイエスならば必ずその娘を醫し得給うとの信仰を有っていた。マタ9:18には「今死にたり、されど・・・・・」とあり、35節の事実と本節の希望とをマタイは一括して記したものであろう。

5章24節 イエス(かれ)(とも)にゆき(たま)へば、(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)したがひつつ御許(みもと)押迫(おしせま)る。[引照]

口語訳そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。
塚本訳イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。
前田訳そこで同行された。大勢の群衆が従って行って彼に押しよせた。
新共同そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
NIVSo Jesus went with him. A large crowd followed and pressed around him.
註解: 群衆はイエスの言を聞かんとし、または彼により病を醫されんとし、またはその行い給う奇蹟を見んとして彼の周囲に蝟集(いしゅう)して彼を離れなかった。

5章25節 (ここ)(じふ)二年(にねん)血漏(ちらう)(わづら)ひたる(をんな)あり。[引照]

口語訳さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
塚本訳すると十二年も長血をわずらって、
前田訳十二年長血をわずらう女がいた。
新共同さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
NIVAnd a woman was there who had been subject to bleeding for twelve years.
註解: ヤイロの娘の年齢とこの女の病気の期間とが同一であることに特別の意味あり(B1)とする必要はない。

5章26節 (おほ)くの醫者(いしゃ)(おほ)(くる)しめられ、()てる(もの)をことごとく(つひや)したれど、(なに)(かひ)なく、(かへ)つて増々(ますます)()しくなりたり。[引照]

口語訳多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
塚本訳大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
前田訳多くの医者になやまされ、全財産を使いはたしたが、何にも役立たず、むしろ悪くなる一方であった。
新共同多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。
NIVShe had suffered a great deal under the care of many doctors and had spent all she had, yet instead of getting better she grew worse.
註解: 慢性病に対する医療の困難は今日に至るもなお除かれない、いわんやこの当時においてはなおさらである。この病に対しては当時無数の療法が行われた(L2)。その中の主なるもの十二種をS2は掲げている。人力に絶望せる処に神の力が加えられる。医療は神の力に対する信頼と感謝を有ちつつ、謙遜なる心をもって行わるべくまた受くべきものである。

5章27節 イエスの(こと)をききて、群衆(ぐんじゅう)にまじり、(うしろ)(きた)りて御衣(みころも)にさはる、[引照]

口語訳この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
塚本訳イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
前田訳イエスのことを聞いて群衆の中にまじって来て、うしろからお着物にさわった。
新共同イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
NIVWhen she heard about Jesus, she came up behind him in the crowd and touched his cloak,
註解: 絶対絶命の状態に在った彼女は、全心全霊をもってイエスに依り頼み、群衆の雑閙(ざっとう)を利用しレビ15:19−27の戒律を犯して(ひそ)かにイエスの衣にさわりて治癒を盗み取らんとした。イエスの偉大なる治癒力に関する風評を聴いたからである。
辞解
[衣] マタ9:20ルカ8:44には「衣の(ふさ)」とあり民15:38−40参照。

5章28節 『その(ころも)にだに(さは)らば(すく)はれん』と(みづか)()へり。[引照]

口語訳それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
塚本訳「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
前田訳「お着物にでもさわれば救われよう」と思ったからである。
新共同「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
NIVbecause she thought, "If I just touch his clothes, I will be healed."
註解: マコ3:10マコ6:56と同じく衣またはその(ふさ)に触ることによりて多くの人が醫された。これはイエスの力が衣を通して伝わったと見るべきではなく、衣に触る行為によりて病者の信仰的態度がイエスに集注せられしためイエスの霊との間に感応があったと見るべきである。

5章29節 (かく)()(いづみ)、ただちに(かわ)き、(やまひ)のいえたるを()(おぼ)えたり。[引照]

口語訳すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
塚本訳はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
前田訳するとすぐ血のもとが乾いて、病がなおったことを身で感じた。
新共同すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
NIVImmediately her bleeding stopped and she felt in her body that she was freed from her suffering.
註解: 彼女の祈りはイエスの中より霊力を引出しこれによりてその永年の病が直ちに醫された。彼女の主観的心理状態の結果醫されたのであると言い得ないことは次節によりてこれを知ることができる。

5章30節 イエス(ただ)ちに能力(ちから)(おのれ)より()でたるを(みづか)()り、群衆(ぐんじゅう)(なか)にて、振反(ふりかへ)()ひたまふ『()(われ)(ころも)(さは)りしぞ』[引照]

口語訳イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
塚本訳イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
前田訳イエスは自分の中から力が出て行ったのをすぐ感じて、群衆の中で振り返っていわれた、「だれがわたしの着物にさわったのか」と。
新共同イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
NIVAt once Jesus realized that power had gone out from him. He turned around in the crowd and asked, "Who touched my clothes?"
註解: イエスの意思によらずして、イエスの能力は彼より引出された。これは稀有の例であるが、しかし全然不可能事であるということはできない。心と心とは相通ずるのみならず、人の心は自己の意思のみによりて動かされざる部分を多く有っている。イエスがこのことを感得し給うたのは霊的に敏感なるがためであった。神が人の祈りによりて動かされるのもこの働きである。▲生命活動が凡て電気的変化を伴うことが、次第に科学的に研究されつつあり、この現象の解決も科学的にも可能になる時期も遠くはないであろう。

5章31節 弟子(でし)たち()ふ『群衆(ぐんじゅう)押迫(おしせま)るを()て、()(われ)(さは)りしぞと()(たま)ふか』[引照]

口語訳そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
塚本訳弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」
前田訳弟子たちがいった、「ごらんのとおり群衆があなたに押しよせているのに、『だれがわたしにさわったか』とおっしゃるのですか」と。
新共同そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
NIV"You see the people crowding against you," his disciples answered, "and yet you can ask, `Who touched me?'"
註解: 「見て」は「見ながらしかも」というごとき心持。すなわち多くの群衆が彼の身体に觸れているので、弟子たちはイエスの質問を解し得なかった。イエスにとりては一人の女の祈りによる行為と群衆の雷同的行為との区別が明かに感じられた。同一の行為と見ゆる処のものが神の前には全く別のものとして現われる。

5章32節 イエスこの(こと)()しし(もの)()んとて見囘(みまは)(たま)ふ。[引照]

口語訳しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
塚本訳イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
前田訳イエスはこのことをした女を見ようとあたりを見まわしておられた。
新共同しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。
NIVBut Jesus kept looking around to see who had done it.

5章33節 (をんな)おそれ(おのの)き、(おの)()になりし(こと)()り、(きた)りて御前(みまへ)平伏(ひれふ)し、ありしままを()ぐ。[引照]

口語訳その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
塚本訳女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
前田訳女は自分におこったことを知っておそれおののき、イエスのところに来てひれ伏し、真相をすべてお話しした。
新共同女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
NIVThen the woman, knowing what had happened to her, came and fell at his feet and, trembling with fear, told him the whole truth.
註解: 女はイエスの炯眼(けいがん)によりて直ちに発見されることを知り(ルカ8:47)また自己の病の快癒せることを感じ、イエスの御前に平伏して凡ての真実を吐露した。女は自己の苦悩を免れんことの熱望より出発してイエスに来った。しかも今やイエスの前に平伏すに及んで彼の女の心は打砕かれて全心全霊をもってイエスに帰依するに至った。

5章34節 イエス()(たま)ふ『(むすめ)よ、なんぢの信仰(しんかう)なんぢを(すく)へり。(やす)らかに()け、(やまひ)いえて(すこや)かになれ』[引照]

口語訳イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。
塚本訳イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、“平安あれ。”もう病気をせず、達者でいなさい。」
前田訳彼はいわれた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安らかにお出かけなさい。病気しないで、いつも健やかで」と。
新共同イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
NIVHe said to her, "Daughter, your faith has healed you. Go in peace and be freed from your suffering."
註解: イエスの御言は愛に充ちているものであった。その信仰を()めその健康を祝福し給う。このイエスの御言より冷たい神学論を引出して、神が救うのか信仰が救うのかというごときことを論ずることは避くべきである。

5章35節 かく(かた)(たま)ふほどに、會堂(くわいだう)(つかさ)[の(いへ)]より人々(ひとびと)きたりて()ふ『なんぢの(むすめ)()()にたり、(いか)でなほ()(わづら)はすべき』[引照]

口語訳イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。
塚本訳イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家から人々が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」
前田訳彼がまだお話しの最中に会堂司の家から人々が来ていった、「お嬢さまがなくなりました。どうしてなお先生をおわずらわしですか」と。
新共同イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
NIVWhile Jesus was still speaking, some men came from the house of Jairus, the synagogue ruler. "Your daughter is dead," they said. "Why bother the teacher any more?"
註解: これを聴ける時のヤイロの心は如何であったろうか、彼はその娘の復活を如何ばかり希望したことであろうか(マタ9:18)。しかしながら冷静なる常識はイエスを招くことを無用と感じた。常識は不可能を不可能と信じ、信仰は不可能事も神によって可能と信ずる。
辞解
「會堂司の家」の「の家」は本文になし、訳語を補充して意味を明かにしたものである。

5章36節 イエス()()ぐる(ことば)(かたへ)より()きて、會堂(くわいだう)(つかさ)()ひたまふ『(おそ)るな、ただ(しん)ぜよ』[引照]

口語訳イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。
塚本訳イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」
前田訳イエスはそういうのを聞いて会堂司にいわれる、「心配なく。ただ信ぜよ」と。
新共同イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。
NIVIgnoring what they said, Jesus told the synagogue ruler, "Don't be afraid; just believe."
註解: 会堂司はこの御言をきき、夢中でイエスに頼り(すが)ったことであろう。この御言は絶望に陥らんとする多くの人に、起死回生の力を与うる霊薬である。
辞解
[傍より聞き] また「無視して」の意味に取ることもできるけれども(M0、E0)本文のごとく訳するを可とす。

5章37節 (かく)てペテロ、ヤコブその兄弟(きゃうだい)ヨハネの(ほか)は、ともに()(こと)(たれ)にも(ゆる)(たま)はず。[引照]

口語訳そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。
塚本訳そしてペテロとヤコブの兄弟のヨハネとのほかには、だれもついて来ることを許されなかった。
前田訳そして彼はペテロとヤコブの兄弟ヨハネのほかだれのお伴もゆるされなかった。
新共同そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。
NIVHe did not let anyone follow him except Peter, James and John the brother of James.
註解: この三人は最も重大なる機会において特別にイエスと共に在ることを許された(マコ9:2マコ14:33)。他の人々の同行を許し給わなかった所以は、かかる群集はイエスの精神の集注に妨害となるからである。

5章38節 (かれ)會堂(くわいだう)(つかさ)(いへ)(きた)る。イエス(おほ)くの(ひと)の、(いた)()きつ(さけ)びつする(さわぎ)()[引照]

口語訳彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、
塚本訳やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、
前田訳彼らは会堂司の家へ来た。人々がひどく泣き叫んでいる騒ぎをごらんになると、
新共同一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、
NIVWhen they came to the home of the synagogue ruler, Jesus saw a commotion, with people crying and wailing loudly.

5章39節 ()りて()(たま)ふ『なんぞ(さわ)ぎ、かつ()くか、幼兒(をさなご)()にたるにあらず、()ねたるなり』[引照]

口語訳内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。
塚本訳(家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」
前田訳中へ入っていわれる、「何を騒いで泣くのか。子は死んではいない。眠っているのだ」と。
新共同家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」
NIVHe went in and said to them, "Why all this commotion and wailing? The child is not dead but asleep."
註解: イエスはこの幼児を甦らしめ得る確信を有っていた。復活し得る者にとりては死は一時の睡眠と異なる処はない。死の悲嘆の中に復活の希望の嘉信を聴くことができることは、死に支配される人間社会における唯一の希望であり慰籍(いしゃ)である。

5章40節 人々(ひとびと)イエスを嘲笑(あざわら)ふ。[引照]

口語訳人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。
塚本訳人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。
前田訳しかし人々はイエスをあざ笑った。そこで彼は皆を外に出し、子の父と母とご自分のお伴といっしょに子のいるところにお入りになった。
新共同人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。
NIVBut they laughed at him. After he put them all out, he took the child's father and mother and the disciples who were with him, and went in where the child was.
註解: 復活の希望は、これを信ぜざる者にとりては甚だ解し難く、かつ馬鹿らしく思われるものである。しかしながら嘲笑する者が正しいか嘲笑される者が正しいかは時至れば自ら明かとなる。

イエス(かれ)()をみな(そと)(いだ)し、幼兒(をさなご)(ちち)(はは)(おのれ)(ともな)へる(もの)とを()きつれて、幼兒(をさなご)のをる(ところ)()り、

5章41節 幼兒(をさなご)()()りて『タリタ、クミ』と()ひたまふ。少女(せうじょ)よ、(われ)なんぢに()ふ、()きよ、との()なり。[引照]

口語訳そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。
塚本訳そして子供の手を取って、「タリタクミ!」と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。
前田訳そして子の手を取っていわれる、「タリタ、クミ」と。訳すと、「少女よ、あなたにいう、起きよ」である。
新共同そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。
NIVHe took her by the hand and said to her, <"Talitha koum!"> (which means, "Little girl, I say to you, get up!").
註解: イエスの厳かなる一声に幼児は起き上った。世の終りにおいて、終りのラッパの鳴らん時、このイエスの一声によりて、凡て彼を信ずるものは甦るのである。
辞解
[外に出し] マコ1:12の「逐ひやる」と同語。その註参照。
「タリタ」は「少女よ」。「クミ」は「起きよ」で「我なんぢに言ふ」はマルコの附加。なおイエスは平常アラム語で語り給うた。実際の光景を目撃せるペテロの談話の息吹がこの記事の中に充ちている。

5章42節 (ただ)ちに少女(せうじょ)たちて(あゆ)む、その(とし)十二(じふに)なりければなり。[引照]

口語訳すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。
塚本訳ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた。
前田訳ただちに少女は立って歩きまわった、十二歳であったから。それを見るなり、人々はおどろきのあまりわれを忘れた。
新共同少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
NIVImmediately the girl stood up and walked around (she was twelve years old). At this they were completely astonished.
註解: 死ぬる者再び立ち上った時の両親のおどろきと喜びとは如何ばかりであったろうか。
辞解
[十二なりければなり] 歩みしことの理由

(かれ)(ただ)ちに(いた)(をどろ)きおどろけり。

註解: 室の外にこれまで泣き叫びつつあった人々は、反対に驚駭に陥ってしまった。彼らは未だ(かっ)てかかることを目撃しなかった。

5章43節 イエス()(こと)(たれ)にも()れぬやうにせよと、(かた)(かれ)らを(いまし)め、また食物(しょくもつ)(むすめ)(あた)ふることを(めい)(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。
塚本訳イエスはだれにもこのことを知られるなときびしく人々に言いつけ、また子供に(何か)食べさせるようにと言われた。
前田訳彼はこのことをだれにも知らせぬよう彼らをきびしくいましめ、少女に食べ物を与えよといわれた。
新共同イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
NIVHe gave strict orders not to let anyone know about this, and told them to give her something to eat.
註解: (▲ルカ8:55には少女が歩き出すと同時にこれに食物を与えることを命じ給うたことになっている。ルカの医者としての細かい注意である。)この奇蹟の宣伝を禁じ給えることはマコ1:44マコ3:12と同一の理由である。食物を与うることを命じ給えるは、その病の全治せることを示すと同時に病中の絶食のために飢えていることを知り給うたからである。
要義1 [ヤイロの娘の復活について]この記事は重症の病に臥する瀕死の病者を子に持つ親にとっては、非常に強き希望を与え、またその癒される場合に大なる感謝の見本となる。しかしながら子の病癒えずしてついに死するに至れる場合、かえってその親をしてイエスの力を疑わしむるごとき悲痛なる立場に立たしむることが往々にして有り得ることである。しかしながらこの奇蹟は単にヤイロの娘なる一人の肉体の生命を復活せしむることが目的ではなく、イエスが人を甦らしむる力を持ち給うことを示さんがための奇蹟であった。この肉体の生命の復活はやがてまた死ぬべきものに過ぎず、一人の少女の復活は他の多くの少女の死を打消すことができない。しかしながら我らはこの少女の復活によりイエスを信じる力が与えられる。而して「終の日に我之を甦らすべし」と言い給いしイエスを信じて、やがて我らを永遠に生きしむる復活の生命を信ずることができる。
要義2 [切に求むる心]十二年血漏の病にかかれる女の切なる願いは、その醫されんことであった。切なる祈りはついに神を動かすことができる。イエスの御心は知らぬ間にこの女の祈りによって動かされていたのであった。山を移すほどの信仰とはかかる信仰をいう。

マルコ伝第6章
2-6 イエスの活動の頂点 6:1 - 7:23
2-6-イ イエス故郷にて冷遇せられ給う 6:1 - 6:6a
(マタ13:53-58) (ルカ4:16-30)   

註解: イエスはその故郷ナザレにおいては冷遇せられ給うた。ルカはこれを荒野の試誘(こころみ)の直後の事件として記し、マタイはこれをガリラヤ伝道の末期に配置している。彼を冷遇せる事実は終始変らなかったため、三福音書の記者が適宜の場所にこれを挿入したのであろう。

6章1節 (かく)其處(そこ)をいで、(おの)(さと)(いた)(たま)ひしに、弟子(でし)たちも(したが)へり。[引照]

口語訳イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。
塚本訳そこを去って郷里(ナザレ)に行かれた。弟子たちもついて行った。
前田訳彼はそこを去って、おのが郷(さと)へ行かれた。弟子たちがお伴した。
新共同イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
NIVJesus left there and went to his hometown, accompanied by his disciples.
註解: 己が郷はナザレである。イエスはナザレに三十年間生活し給うたので、深い親しみをナザレに持ち給うたことは勿論である。

6章2節 安息(あんそく)(にち)になりて、會堂(くわいだう)にて(をし)(はじ)(たま)ひしに、()きたる(おほ)くのもの(をどろ)きて()ふ『この(ひと)(これ)()のことを何處(いづこ)より()しぞ、()(ひと)(さづ)けられたる智慧(ちゑ)(なに)ぞ、その()にて()すかくのごとき能力(ちから)あるわざは(なに)ぞ。[引照]

口語訳そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。
塚本訳安息日になって礼拝堂で教え始められると、大勢の人がそれを聞いて、驚いて言った、「この人はこんなことをどこから覚えてきたのだろう。この人の授かったこの知恵はなんだろう。また、その手で行われるかずかずのこんな奇蹟はいったいどうしたのだろう。
前田訳安息日になると会堂で教えはじめられた。多くの人々がそれを聞いておどろいていった、「この人はどこでこれを得たのだろう。この人に与えられた知恵は何だろう。その手でなされたこれらの奇跡はどうしてだろう。
新共同安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
NIVWhen the Sabbath came, he began to teach in the synagogue, and many who heard him were amazed. "Where did this man get these things?" they asked. "What's this wisdom that has been given him, that he even does miracles!
註解: 当時会堂にて会衆中の主なる者は立ちて聖書につき教うることができ、イエスは到る処にて安息日に於て教えを垂れ給うた。ナザレの会衆は三十年間見慣れていた青年イエスの顔を見、その一変せる姿を見ておどろき、その智慧と能力とを見て怪しんだ。しかしながらこの驚異の心はついに彼らを捕えてイエスの御前に(ひざまず)かしむることができなかった。その故は彼らがあまりによく外側のイエスを知っていたからである。
辞解
[能力(ちから)ある業] 奇蹟のこと、ナザレの人々はイエスが他の場所にて奇蹟を行い給いしことを聞き及んでいた。

()(ひと)木匠(たくみ)にして、

6章3節 マリヤの()、またヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟(きゃうだい)ならずや、()姉妹(しまい)此處(ここ)(われ)らと(とも)にをるに(あら)ずや』(つい)(かれ)(つまづ)けり。[引照]

口語訳この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。
塚本訳これはあの大工ではないか。マリヤの息子で、ヤコブとヨセとユダとシモンとの兄弟ではないか。女兄弟たちは、ここで、わたし達の所に住んでいるではないか。」こうして人々はイエスにつまずいた。(そのため彼の言葉に耳を傾ける者がなかった。)
前田訳この人は建築家で、マリヤの子でヤコブとヨセとユダとシモンの兄弟ではないか。姉妹たちはここでわれらのところにいるではないか」と。そして彼らはイエスにつまずいた。
新共同この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
NIVIsn't this the carpenter? Isn't this Mary's son and the brother of James, Joseph, Judas and Simon? Aren't his sisters here with us?" And they took offense at him.
註解: イエスをその肉において観察する時、他の人々と全く異なった処がなかった。その三十年のナザレの生活は、普通の男子の普通の生涯であったことがこの一節よりこれを知ることができる。肉によるイエス(Uコリ5:16)を知り過ぎていることは、かえって霊によるイエスの真相を見失わしむる原因となる。ナザレの人々はイエスに躓き彼を信じ得なかった。
辞解
[木匠(たくみ)] techtôn はマタ13:55とこことのみにあり、大工のみならず鋤や軛等をも作るごとき仕事を為す者。ヨセフにつき一言もないのはすでに死去したためと見るべきで、処女降誕の思想からではない(ルカ3:23)。「マリヤの子」とあるのも同様である。なおイエスの兄弟につきてはヨハ19:42の附記2を見よ。

6章4節 イエス(かれ)らに()ひたまふ『預言者(よげんしゃ)は、おのが(さと)、おのが親族(しんぞく)、おのが(いへ)(ほか)にて(たふと)ばれざる(こと)なし』[引照]

口語訳イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。
塚本訳イエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と親族と家族のところだけである。」
前田訳そこで彼らにいわれた、「預言者はおのが郷と親戚と家以外でははずかしめられない」と。
新共同イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
NIVJesus said to them, "Only in his hometown, among his relatives and in his own house is a prophet without honor."
註解: 類似の格言は他の文学書の中にも多く見出される。最も普通の事実であり、如何なる偉人も哲人もそれに最も接近する家人にとりて凡人または厄介者のごとくに見ゆる例は多くある。親族同郷人にとりても同様である。大なる人物はある距離よりこれを見るにあらざればその真相を認めることができない。

6章5節 彼處(かしこ)にては、(なに)能力(ちから)ある(わざ)をも(おこな)(たま)ふこと(あた)はず、[引照]

口語訳そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。
塚本訳(郷里の人々の不信仰のゆえに)そこでは何一つ奇蹟を行うことが出来ず、ただわずかの病人に手をのせて、なおされただけであった。
前田訳そこでは何の奇跡も行なえず、ただわずかの病人に手を置いていやされただけであった。
新共同そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
NIVHe could not do any miracles there, except lay his hands on a few sick people and heal them.
註解: イエスといえども信ぜざるものを救うこと能わざるごとくに、また、彼を冷遇するものに対して奇蹟を行う能力を有ち給わなかった。奇蹟は信ずる心に対する神の力の作用であって機械的に作用する暴力または強制力ではない。
辞解
「能はず」といいてイエスの無能力を遠慮なく記すのがマルコ伝の特徴である。マタ13:58には「為し給はざりき」とあり、幾分イエスの無能力を緩和している。

ただ少數(せうすう)()める(もの)に、()をおきて(いや)(たま)ひしのみ。

註解: 全町の不信の中にも少数の真実なる魂は見出される。イエスはこれらを棄て給わなかった。なおこの一句は本節前半と矛盾するので後世の訂正と見る説あれど(L2)その必要はなくまたその証拠もない。

6章6節 (かれ)らの信仰(しんかう)なきを(あや)しみ(たま)へり。[引照]

口語訳そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。
塚本訳イエスは人々の不信仰に驚かれた。それから村々をぐるぐる回りながら教えられた。
前田訳彼は人々の不信におどろかれた。
新共同そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。
NIVAnd he was amazed at their lack of faith. Then Jesus went around teaching from village to village.
註解: 故郷ナザレが彼を信ぜず、故国ユダヤが彼を受けないことはイエスにとりて最大の苦痛であった。
要義 [預言者とその故郷]如何なる偉人といえども近くからこれを観察する場合、種々の欠点に目が付き、かつその偉大さには慣らされる。その結果多くの偉人はその家族、同族同郷人の目には凡人またはその以下の者として見ゆる場合が多い。殊にイエスの偉大さは、普通の道徳家、またパリサイ人らの認むる偉大さとは、その内容を異にしていた(マタ11:19)。従ってこの偉大さを真に認むることは、神の黙示によることであった(マタ16:17)。ゆえに偉人をその肉により知ることは彼を理解するの妨げであって、助けとなることは少ない。「されば今より後われ肉によりて人を知るまじ」(Uコリ5:16)との態度によってのみ真の預言者を見出すことができ、イエスの神の子に在し給うことを知ることができる。然のみならず預言者の任務は神に代りて国人の罪を責むるに在るが故に、国人はこれを好まず、かくして彼を迫害する。イエスはナザレにおいて拒否せられ、ユダヤ人に殺され、全世界に受け納れられなかった(ヨハ1:11)。キリスト者は凡て預言者である。従って同様にその故郷、その国人に納れられない。

2-6-ロ 十二使徒の派遣 6:6b - 6:13
(マタ9:35-10:14) (ルカ9:1-6)   

(かく)村々(むらむら)()(めぐ)りて(をし)(たま)ふ。

註解: イエスが巡回の伝道を行い十二使徒を遣し給える動機はマタ9:35−38に詳述されるごとく、さ迷える羊群を憫み給えるが故であった。

6章7節 また十二(じふに)弟子(でし)()し、二人(ふたり)づつ(つかは)しはじめ、[引照]

口語訳また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、
塚本訳また(前に選んだ)十二人(の弟子)を呼びよせ、二人ずつ(を一組にして伝道に)派遣することを始められた。そして汚れた霊を支配する全権を授け、
前田訳十二人を呼んでふたりずつつかわすことをはじめられた。彼らにけがれた霊を押える権威を与え、
新共同そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、
NIVCalling the Twelve to him, he sent them out two by two and gave them authority over evil spirits.
註解: マコ3:14、15に十二使徒を選び給いしその目的が掲げられている。今やこの十二使徒を選び給える目的の実行に取りかかり給う。二人ずつこれを遣し給えるは証人(あかしびと)の性質として二人を適当とするとの観念からであろう(申19:15)かつ事実上も二人の旅路は互に相助くることを得るの益があったに相違ない。「弟子」はこの時始めて真に「使徒」 apostolos すなわち遣される者となった。

(けが)れし(れい)(せい)する權威(けんゐ)(あた)へ、

註解: イエスの為し給えると同じことを為すの権威を弟子にも与え給うた。病を醫す力(マタ10:1ルカ9:1)が省略せられているのは13節のためであろう。

6章8節 かつ(たび)のために、(つゑ)(ひと)つの(ほか)は、(なに)をも()たず、(かて)(ふくろ)(おび)(なか)(ぜに)をも()たず、[引照]

口語訳また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、
塚本訳また旅行には杖一本のほかに、何も──パンも、旅行袋も、帯の中に金も持ってゆかず、
前田訳旅には杖一本のほか何も持たず、パンも袋も帯の中に金も持たず、
新共同旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、
NIVThese were his instructions: "Take nothing for the journey except a staff--no bread, no bag, no money in your belts.
註解: 伝道旅行中の生活は全くこれを神にまかせ、その食物その他の必要品は、道を伝えられる者の感謝の献物として受くべきことを意味す(マタ10:10後半)。なおマタ10:10ルカ9:3に「杖をも持つな」とあるは、巡廻伝道者の無所有の姿を一層強めんため、また絶対に神にまかせて自衛のための杖をも要せざる心持を示したものであろう。本節はマタイ、ルカに比しかえって長途の旅行に適す。

6章9節 ただ草鞋(わらじ)ばかりをはきて、(ふた)つの下衣(したぎ)をも()ざることを(めい)(たま)へり。[引照]

口語訳ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。
塚本訳ただ草鞋をはくことを、また「下着を二枚着るな」と命じられた。
前田訳草鞋(わらじ)をはいて、肌着は二枚着ないよう指図された。
新共同ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。
NIVWear sandals but not an extra tunic.
註解: 草鞋(わらじ)」 Sandalia は最も簡単なる履物。マタ10:10に「(くつ)hupodêmaをもつな」とあり、(1)草鞋と鞋とを区別せるもの。(2)予備を持つなとの意。(3)本節に否定詞が脱落せるものと見る等種々の説あり、またマタイ、ルカには二つの下衣を所持することを禁じている、精神において差別がない。

6章10節 (かく)()ひたまふ『何處(いづこ)にても(ひと)(いへ)()らば、その()()るまで其處(そこ)(とどま)れ。[引照]

口語訳そして彼らに言われた、「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。
塚本訳なお彼らに言われた、「どんな家でも一度入ったら、その土地を立ってゆくまではその家に泊まっておれ。
前田訳そしていわれた、「どこでもある家に入ったら、その地を去るまでその家にとどまりなさい。
新共同また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。
NIVWhenever you enter a house, stay there until you leave that town.
註解: 使徒たちを受納れる家を中心として伝道すべきこと、多く宿所を変更することは伝道の集中を妨げる。かつ一定の家の特定の個人に深く福音を植付くることは最も賢き伝道法である。

6章11節 (いづ)()にても(なんぢ)らを()けず、(なんぢ)らに()かずば、[引照]

口語訳また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい」。
塚本訳しかしある所で、あなた達を歓迎せず、言うことに耳をかたむけないなら、(すぐその土地を出てゆけ。そして)そこを出てゆくとき、(縁を切ったことを)そこの人々に証明するため、足の裏の埃を払いおとせ。」
前田訳しかし、ある地で、あなた方を迎えもせず、耳傾けもしなければ、そこを去るとき足の裏のちりを払いなさい、彼らへの証のために」と。
新共同しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」
NIVAnd if any place will not welcome you or listen to you, shake the dust off your feet when you leave, as a testimony against them."
註解: 「何地にても」は「何地にもあれ」の意。福音宣伝者の悲しみ悩みはその福音が拒まれ、伝道者がこれと同時に拒まれることである。

其處(そこ)()づるとき、(あかし)のために(あし)(うら)(ちり)(はら)へ』

註解: その土地の人々と何らの関係をも有せざることを示す態度。イエスを受けざる者との区別を明かにすることは、福音の宣伝に必要なる態度である。党派心を持つにあらず、真理を明かにするためである。
辞解
[足の塵を払へ] 外国を旅行してパレスチナに帰る者は、その国に入る時足の塵を払う習慣があった。異邦の穢れを聖地に持ち込まないためである。

6章12節 (ここ)弟子(でし)たち()()きて、悔改(くいあらた)むべきことを宣傅(のべつた)へ、[引照]

口語訳そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、
塚本訳そこで十二人は出かけていって、(罪を赦されるための)悔改めを説き、
前田訳十二人は出かけて人々に悔い改めを説いた。
新共同十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。
NIVThey went out and preached that people should repent.
註解: 悔改めが最初にしてかつ最も重要なる伝道の要素である。

6章13節 (おほ)くの惡鬼(あくき)()ひいだし、(おほ)くの()める(もの)(あぶら)をぬりて(いや)せり。[引照]

口語訳多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。
塚本訳多くの悪鬼を追い出し、また油を塗って大勢の病人をなおした。
前田訳そして多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油をぬっていやした。
新共同そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
NIVThey drove out many demons and anointed many sick people with oil and healed them.
註解: 使徒たちは多くの奇蹟を行ったのみならず、その愛の心より普通の方法なる塗油(イザ1:6ルカ10:34ヤコ5:14)をもっても彼らの病を醫した。この塗油に特別の意味(M0)を附する必要はない。油を塗ることの治病に効あることは今日もこれを経験することができる。
要義1 [使徒の派遣]イエスは始め自ら陣頭に立って伝道し給い弟子たちは唯彼に従っていた。しかしながら、世界の果てまで福音を伝うべきものである以上、イエス一人にてはこれを為すことができない。使徒の派遣が必要なのはそのためであった。すなわち使徒の伝道はイエスの伝道の継続であり、今日に至るまでこれが継続している。この意味において今日の福音宣伝もまた、このイエスの教訓の精神によるべきことは勿論である。
要義2 [伝道の精神]伝道の動機は牧者なき羊の憫むべき状態に対する愛の心であり、その手段は四方の巡回であり、その伝道者は無所有をもって凡てを神に任せ、而してその生活の必要品は彼らを受くる者の献ぐる物資によって充さるべきものである。すなわち神に対する絶対の信頼と、人に対する深き愛と、自己に対する全き無慾とが伝道の根本的要素である。

2-6-ハ ヘロデ、バプテスマのヨハネを殺す 6:14 - 6:29
(マタ14:1-12) (ルカ9:7-9)   

6章14節 (かく)てイエスの()(あらは)れたれば、ヘロデ(わう)ききて()ふ『バプテスマのヨハネ、死人(しにん)(うち)より(よみが)へりたり。この(ゆゑ)(これ)()能力(ちから)その(うち)(はたら)くなり』[引照]

口語訳さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、
塚本訳イエスの噂が高くなったので、ヘロデ(・アンテパス)王の耳にはいった。──「洗礼者ヨハネが死人の中から生きかえったのだ。それだからあんな(不思議な)力が彼の中に働いている」とある人々は言った。
前田訳ヘロデ王がそれを聞いた。イエスの名がひろがったのである。人々はいった、「洗礼者ヨハネが死人の中から復活した。それゆえ彼の中に力がはたらいている」と。
新共同イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」
NIVKing Herod heard about this, for Jesus' name had become well known. Some were saying, "John the Baptist has been raised from the dead, and that is why miraculous powers are at work in him."
註解: ヨハネの死までは(マコ1:14より若干の年月を経過した後ヨハネは殺された)イエスの名声はあまり顕れなかった。ヨハネの死後その名が顕れ、ヘロデはこれを聞きてヨハネの再来と考えてこれを恐れた。疑心暗鬼を生ずる類である。
辞解
[言ふ] elegen は異本に「彼ら言う」 elegon とあり、この場合次節と合して「ヘロデ王これを聞けり、そはイエスの御名あらわれ、人々『 』と云い……或人は『 』と云えばなり」となる(B1、L2、M0)。すなわちこれはヘロデの言にあらざることとなる。参考すべし。16節を見よ。
[王] 不精確なる尊称で真の位は「分封の国守」tetrarchêsこのヘロデはヘロデ大王と妻マルタケとの間の子ヘロデ・アンテパスで紀元前二〇年に生まれ、ガリラヤ、ペレアの分封の国守であった。
[バプテスマのヨハネ] ここでは「バプテスマを施す処のヨハネ」と訳すべき文字を用る。

6章15節 (ある)(ひと)は『エリヤなり』といひ、[引照]

口語訳他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。
塚本訳しかし、「預言者エリヤだ」言う者もあり、「(昔の)普通の預言者のような預言者だ」と言う者もあった。
前田訳ある人々は「エリヤ」といい、ある人々は「預言者のひとり」といった。
新共同そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。
NIVOthers said, "He is Elijah." And still others claimed, "He is a prophet, like one of the prophets of long ago."
註解: エリヤは来るべき預言者として特に期待せられている預言者であった。

(ある)(ひと)は『預言者(よげんしゃ)、いにしへの預言者(よげんしゃ)のごとき(もの)なり』といふ。

註解: これは従来顕れし多くの預言者に伍すべき一人の預言者としてイエスを見る説、かくのごとく、人間の判断は数多くあるも一つも的中せるものはなかった。

6章16節 ヘロデ()きて()ふ『わが首斬(くびき)りしヨハネ、かれ(よみが)へりたるなり』[引照]

口語訳ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。
塚本訳しかしヘロデは聞いて、「わたしが首をはねたヨハネ、あれが生きかえったのだ」と言った。
前田訳ヘロデはそれを聞いていった、「わたしが首をはねたあのヨハネが復活した」と。
新共同ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。
NIVBut when Herod heard this, he said, "John, the man I beheaded, has been raised from the dead!"
註解: 14節の意見の重複となるけれども14節辞解のごとくに訳する場合、この重複は消失し、本節においてヘロデが始めて自己の意見を述べたこととなる。

6章17節 ヘロデ(さき)にその(めと)りたる(おの)兄弟(きゃうだい)ピリポの(つま)ヘロデヤの(ため)に、みづから(ひと)(つかは)し、ヨハネを(とら)へて(ひとや)(つな)げり。[引照]

口語訳このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。
塚本訳それにはこういう訳がある。──このヘロデは(前に)その兄弟ピリポの妻ヘロデヤと結婚したことから、ヨハネを捕えさせて牢につないだことがあった。
前田訳このヘロデは使いにヨハネを捕えさせて牢に縛った。それは、彼の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったことからである。
新共同実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。
NIVFor Herod himself had given orders to have John arrested, and he had him bound and put in prison. He did this because of Herodias, his brother Philip's wife, whom he had married.

6章18節 ヨハネ、ヘロデに『その兄弟(きゃうだい)(つま)()るるは(よろ)しからず』と()へるに()る。[引照]

口語訳それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
塚本訳ヨハネがヘロデに、「あなたは自分の兄弟の妻を妻にするのはよろしくない」と言ったからである。
前田訳すなわち、ヨハネがヘロデに、「あなたの兄弟の妻をめとるのはよくない」といったのである。
新共同ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
NIVFor John had been saying to Herod, "It is not lawful for you to have your brother's wife."
註解: ヨハネは権勢を恐れず、死を賭してヘロデの態度を非難したために、その妻たる姦婦ヘロデヤの(にく)むところとなりこの禍に遭った。ヨセフスの歴史によればヨハネの投獄されし場所はペレアのマケルスで死海の岸である。
辞解
[ヘロデヤ] ヘロデ大王の子アリストボロの娘ですなわち大王の孫に当る。
[ピリポ] ヘロデ・アンテパスの異母兄弟ヘロデのことで他の異母兄弟ピリポと混同すべからず(ヘロデ家の系図参照)。

6章19節 ヘロデヤ、ヨハネを(うら)みて(ころ)さんと(おも)へど(あた)はず。[引照]

口語訳そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
塚本訳(そのため)ヘロデヤはヨハネを恨んで、殺したいと考えていたが、出来なかった。
前田訳ヘロデヤは彼をうらんで、殺したく思っていたが、それはできなかった。
新共同そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
NIVSo Herodias nursed a grudge against John and wanted to kill him. But she was not able to,
辞解
[ヨハネを怨みて] 「ヨハネに狙いをつけて」の意、彼を目の(かたき)とすること。

6章20節 それはヘロデ、ヨハネの()にして(せい)なる(ひと)たるを()りて、(これ)(おそ)れ、(これ)(まも)り、(かつ)つその(をしへ)をききて、(おほい)(なや)みつつも、なほ(よろこ)びて()きたる(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。
塚本訳それはヘロデがヨハネを正しい聖なる人と知って、これを恐れ、保護を加えていたからである。ヘロデはヨハネに話を聞くと非常に当惑したが、それでも喜んで聞いていたのである。
前田訳ヘロデがヨハネを正しく聖(きよ)い人と知り、彼をおそれ、また保護していたのである。ヘロデは彼に話を聞くと大いに戸惑ったが、なおかつよろこんで聞いでいた。
新共同なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
NIVbecause Herod feared John and protected him, knowing him to be a righteous and holy man. When Herod heard John, he was greatly puzzled ; yet he liked to listen to him.
註解: ヘロデは真理と正義とに対する尊敬を有し、ヨハネを心から畏敬し、擁護し、かつその教えを聴いた。ただ彼にはそれより以上にこの世と肉の願望とが強く支配していた。彼はこれに打勝ち得なかったために心に悩みを持っていた。ゆえにヘロデヤの要求を斥けつつも、彼自身動揺する基礎の上に立っていた。一方に真理に対する感受性を有ちながら他方肉の慾に打勝ち難き者は常にこの悩みの中にいるより外にない。なおマタ14:5およびヨセフスの歴史によればヨハネを殺さんとしたのはヘロデであることとなる。
辞解
[大いに悩みつつも、なお] 異本に「多くのことを行い、かつ」とあり意味は平凡となる。

6章21節 (しか)るに(をり)よき()(きた)れり。[引照]

口語訳ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、
塚本訳すると(ヘロデヤにとり)好い機会がきた。ヘロデが自分の誕生祝いに、大官、将軍、ガリラヤの名士たちを招待して宴会を催した時、
前田訳しかし、(ヘロデヤに)よい機会が来た。ヘロデが自分の誕生祝いに自分の高官や千卒長やガリラヤの名士たちを宴会に招いたとき、
新共同ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、
NIVFinally the opportune time came. On his birthday Herod gave a banquet for his high officials and military commanders and the leading men of Galilee.
註解: ヘロデヤにとりてはその多年の宿望を遂ぐる好機会、ヘロデにとりてはその良心の悩みを除かれる好機会であった。

ヘロデ(おの)誕生日(たんじゃうび)大臣(だいじん)將校(しゃうこう)・ガリラヤの貴人(きにん)たちを(まね)きて饗宴(ふるまひ)せしに、

註解: かかる宴会においては虚栄と良心の麻痺がその特徴となり、往々予期せざりし不幸事が起ることがある。

6章22節 かのヘロデヤの(むすめ)いり(きた)りて、(まひ)をまひ、ヘロデと()(せき)(つらな)れる(もの)とを(よろこ)ばしむ。[引照]

口語訳そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、
塚本訳ヘロデヤの娘が席に出て舞をまい、ヘロデと列座の人々とを喜ばせたのである。王が少女に言った、「ほしいものがあったら言ってみよ。褒美にやろう。」
前田訳ヘロデヤの娘が座に加わって舞をまい、ヘロデとお客たちをよろこばせた。王は娘にいった、「ほしいものがあればいいなさい、あげるから」と。
新共同ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、
NIVWhen the daughter of Herodias came in and danced, she pleased Herod and his dinner guests. The king said to the girl, "Ask me for anything you want, and I'll give it to you."
註解: 娘はヘロデヤの先夫の子で当時十六七歳の小娘であった。名はサロメ。

(わう)少女(せうじょ)()ふ『(なに)にても()しく(おも)ふものを(もと)めよ、(われ)あたへん』

6章23節 また(ちか)ひて()ふ『なんぢ(もと)めば、()(くに)(なかば)までも(あた)へん』[引照]

口語訳さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。
塚本訳また、「願いとあらば、“国の半分でも”やろう」と誓った。
前田訳そして彼女に誓った、「ほしければわたしの国の半分までもあげよう」と。
新共同更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。
NIVAnd he promised her with an oath, "Whatever you ask I will give you, up to half my kingdom."
註解: ヘロデは興に乗じて思慮なしに誓いを為した。独裁者の愚なる虚栄である。
辞解
[国の半まで] 文字通りの意味よりも、むしろ慣用句と見るべきである。「何にても」の意(T列13:8エス5:3エス7:2)。

6章24節 (むすめ)いでて(はは)にいふ『(なに)(もと)むべきか』(はは)いふ『バプテスマのヨハネの(くび)を』[引照]

口語訳そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。
塚本訳少女は出ていって母にきいた、「何を願いましょうか。」「洗礼者ヨハネの首を」と母がこたえた。
前田訳そこで彼女は出て行って母にいった、「何をお願いしましょうか」と。母はいった、「洗礼者ヨハネの首を」と。
新共同少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。
NIVShe went out and said to her mother, "What shall I ask for?" "The head of John the Baptist," she answered.
註解: 娘と母の合議をもってこの悪事を行わんとした。悪事は共謀によりていよいよその悪を増す、小娘も母に劣らざる毒婦であることが判明(わか)る。

6章25節 (むすめ)ただちに(いそ)ぎて(わう)(もと)()りきたり、(もと)めて()ふ『ねがはくは、バプテスマのヨハネの(くび)(ぼん)()せて(すみや)かに(たま)はれ』[引照]

口語訳するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。
塚本訳少女は大急ぎですぐ王の前に出て、「洗礼者ヨハネの首を盆にのせてすぐに戴かせてください」と願った。
前田訳娘は入るが早いか王のもとに急ぎ、願った、「すぐわたしに下さいまし、洗礼者ヨハネの首を盆にのせて」と。
新共同早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。
NIVAt once the girl hurried in to the king with the request: "I want you to give me right now the head of John the Baptist on a platter."
註解: 娘の大胆さを見よ。

6章26節 (わう)いたく(うれ)ひたれど、その(ちかひ)(せき)()(もの)とに(たい)して(こば)むことを(この)まず。[引照]

口語訳王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。
塚本訳王は非常に悲しんだが、客の前で立てた誓いの手前、拒みたくなかった。
前田訳王は深く悲しんだが、誓いのためと客の手前とで断わりたくなかった。
新共同王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
NIVThe king was greatly distressed, but because of his oaths and his dinner guests, he did not want to refuse her.
註解: 王は事の重大なる結果となりたるを深く憂いた。しかし正義のためにこの願いを拒む勇気が無かった。おそらく心の中にこれによりて自己の良心の重荷となれる人物を除く口実を得しことを喜んだのであろう。この二種の心が一人の中に同時に存在することは有り得ることである。かかる場合、誓いを守ることの正しき口実に隠れて悪事を遂行するの勇気が出て来る。
辞解
[拒む] 契約を破棄すること。

6章27節 (ただ)ちに衞兵(ゑいへい)(つかは)し、(これ)にヨハネの(くび)()(きた)ることを(めい)ず。[引照]

口語訳そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、
塚本訳そこで王はすぐヨハネの首を持ってくるように命令して、首斬役をやった。首斬役は行って牢でヨハネの首をはね、
前田訳そこですぐ王は衛兵をつかわして首を持って来るよう命じた。衛兵は行って牢の中で首をはねた。
新共同そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
NIVSo he immediately sent an executioner with orders to bring John's head. The man went, beheaded John in the prison,
註解: もしヨハネが17節註に示すがごとくペレヤのマケルスにいたとすれば、往復に相当の日数を要す。ここの記事によればヨハネはヘロデの居所なるチベリアスに在りしものにあらずやと思わしむる(ふし)あれど、果して然りや否や不明なり。
辞解
[衛兵] spekouratôr はラテン語のspecula すなわち見張り櫓より来れる語で守衛、死刑執行人、近衛兵、伝令等のごとき務めをもなす。

衞兵(ゑいへい)ゆきて(ひとや)にて、ヨハネを首斬(くびき)り、

6章28節 その(くび)(ぼん)にのせ、()(きた)りて少女(せうじょ)(あた)ふ、少女(せうじょ)これを(はは)(あた)ふ。[引照]

口語訳盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。
塚本訳その首を盆にのせて持ってきて少女に渡し、少女はそれを母に渡した。
前田訳そして首を盆にのせて持って来て娘に与え、娘はそれを母に与えた。
新共同盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。
NIVand brought back his head on a platter. He presented it to the girl, and she gave it to her mother.
註解: 神より遣されし人たるヨハネ、預言者中の預言者たるヨハネはかくして姦婦の怨恨と、ヘロデの放縦なる肉慾と薄弱なる意思と虚栄心との犠牲となりて空しく消えてしまった。この世における栄枯盛衰の神意に(もと)ることかくのごとし。

6章29節 ヨハネの弟子(でし)たち()きて(きた)り、その屍體(しかばね)()りて(はか)(をさ)めたり。[引照]

口語訳ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。
塚本訳ヨハネの弟子たちはこれを聞くと、来てなきがらを引き取り、墓に納めた。
前田訳ヨハネの弟子たちはそれを聞くと、来てなきがらを引き取って墓に納めた。
新共同ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
NIVOn hearing of this, John's disciples came and took his body and laid it in a tomb.
註解: これは弟子が師に対する当然の礼である。かくしてヨハネは処分されたけれどもヘロデの良心はこれがために安らかならず、不吉なる予感の恐怖に襲われていた。これがイエスをヨハネの再来にあらずやと恐れし所以である。
要義1 [この世は聖者を容れることができない]神の御旨を行わんとしている者はこの世において忌み嫌われる。何となればこの世は神の御旨に比してあまりに汚れているからである。聖き人はその存在そのものがこの世の人にとりて良心の苦痛となる。それ故に世は彼を除かんとする。それ故に聖き者がこの世に存在せんがためには自己の聖さを棄てるかこの世をして潔きを求めしむるより外にない。この双方共不可能のことである故従ってこの世において聖者が迫害を受くることは免れ得ざる運命である。
要義2 [キリスト者はこの世の良心なり]たといキリスト者はこの世において迫害されるの運命にあり、ヨハネのごとく、暴君や姦婦の手に殺されるごときことありとも、キリスト者の存在はそれ故に無意味であるということはできない。キリスト者はこの世の良心である。この世はキリスト者の故にその罪を感ぜしめられてそのために苦しむ。良心なき者は自己の悪に関して何らの悩みもない、これと同じくキリスト者なきこの世は悪に対して何らの苦悩も反省をも持たない。かくして益々悪より悪に突進する。もしこの世が悪の中に亡び去ることを免れているとすれば、それはキリスト者がその良心となっているからである。少なくともかくあることがキリスト者の立場でなければならぬ。

2-6-ニ 使徒の帰還と五千人の飽食 6:30 - 6:44
(マタ14:13-21) (ルカ9:10-17) (ヨハ6:1-13)  

6章30節 使徒(しと)たちイエスの(もと)(あつま)りて、その()ししこと、(をし)へし(こと)をことごとく()ぐ。[引照]

口語訳さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。
塚本訳(さて旅行から帰った十二人の)使徒たちはイエスの所に集まって、したこと、教えたことをのこらず報告した。
前田訳さて使徒たちはイエスのところに集まって、したこと教えたことのすべてを報告した。
新共同さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。
NIVThe apostles gathered around Jesus and reported to him all they had done and taught.
註解: 12節において派遣され、13節の働きを為した。その後若干日の後帰来してイエスの許に集りその報告をした。
辞解
「使徒」なる語はマルコ伝はここのみに用いらる。弟子が伝道に派遣された場合故、この名詞は殊に適当であり、この場合はその文字通りの意味に用いられたと見るべく(E0)、単なる名称と見るべきではない。
[為ししこと] 治病と奇蹟。
[教へし事] イエスに関するもの、弟子たちの活動もイエスのそれと同一であった。

6章31節 イエス()(たま)ふ『なんぢら(ひと)()け、(さび)しき(ところ)に、いざ(きた)りて(しば)(いこ)へ』これは往來(ゆきき)(ひと)おほくして、(しょく)する(ひま)だになかりし(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
塚本訳彼らに言われる、「さあ、あなた達だけどこか静かな所へ行って、しばらく休んだがよかろう。」人の出入りが多く、食事する暇もなかったのである。
前田訳そこで彼らにいわれる、「さあ、あなた方だけで人里離れたところへ行って、しばらくお休みなさい」と。人の出入りが多くて彼らは食事の暇さえなかったのである。
新共同イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
NIVThen, because so many people were coming and going that they did not even have a chance to eat, he said to them, "Come with me by yourselves to a quiet place and get some rest."
註解: 激しき活動の後、静かなる処において(いこ)うことは必要である。間断なき活動は人をして浅薄ならしむる処がある。イエスは常に寂しき処に祈ることを好み給うた。これによりて彼はその偉大なる力を蓄積し給うた。
辞解
[なんぢら] 原語「汝ら自身」と強き意味を表す語。「他の人は別として汝ら自身」の意ともなりまた「これまで活動し来れる汝ら自身」の意とも解することができる(H0、M0、E0)。
[人を避け] 「自分だけで」「(ひそ)かに」等の意味に用いられる語。

6章32節 (かく)(ひと)()け、(ふね)にて(さび)しき(ところ)にゆく。[引照]

口語訳そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。
塚本訳そこで彼らだけ、舟で(イエスと一しょに)人里はなれた所へ行った。
前田訳彼らだけで人里離れたところへ舟で行った。
新共同そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
NIVSo they went away by themselves in a boat to a solitary place.
註解: ルカ9:10にはこの寂しき処をベテサイダとしている。またマタ14:13はイエスが人を避け給える理由をヨハネの死に関連せしめている。前者は事実らしく後者は時日の不一致あり。

6章33節 ()()くを()て、(おほ)くの(ひと)それと()り、その(ところ)()して、町々(まちまち)より徒歩(かち)にてともに(はし)り、(かれ)()よりも(さき)()けり。[引照]

口語訳ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。
塚本訳しかしその出かけるのを見て、多くの人はそれと感づいた。それで方々の町から陸を走ってそこへ集まり、彼らよりも先に着いた。
前田訳多くの人々が彼らの立ち去るのを見てそれと悟り、すべての町々からそこへ陸(おか)を走って来て、彼らよりも先に着いた。
新共同ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
NIVBut many who saw them leaving recognized them and ran on foot from all the towns and got there ahead of them.
註解: 群衆のイエスを追い行く熱心は驚くべきものであった。イエスの行先をそれと察し、走りてその先に到着するごときはその熱心の発露であった。
辞解
[徒歩にて] 「陸路」とも訳す。この群衆の数は五千人であった。この時がイエスの伝道の成功の頂点ということができる。しかしながら同時にこの時は彼にとりて最も大きい誘惑の時であった(ヨハ6:15)。

6章34節 イエス()でて、(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)()、その()(もの)なき(ひつじ)(ごと)くなるを(いた)(あはれ)みて、(おほ)くの(こと)(をし)へはじめ(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。
塚本訳イエスは(舟から)あがって、多くの群衆が“羊飼のいない羊のように”しているのを見ると、かわいそうになり、多くのことを教え始められた。
前田訳彼は舟からあがって大勢の群衆を見、彼らが牧者のない羊のようなのをあわれんで、多くのことを教えはじめられた。
新共同イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
NIVWhen Jesus landed and saw a large crowd, he had compassion on them, because they were like sheep without a shepherd. So he began teaching them many things.
註解: この五千余人の群衆が霊の糧を切に求めてイエスに従うを見て、あたかも牧者なき羊のごとき憫れさを感じ、心より彼らを憐み給うた。憐憫の情が真の伝道の原動力である。疲労し給えるイエスもかかる者を力付くることのためにはその疲労を忘れて教え始め給い、彼および弟子たちの求むる休息を得ることできなかった。

6章35節 (とき)すでに(おそ)くなりたれば、弟子(でし)たち御許(みもと)(きた)りていふ『ここは(さび)しき(ところ)、はや(とき)(おそ)し。[引照]

口語訳ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。
塚本訳とかくするうち、もう時間もおそくなったので、弟子たちはイエスのそばに来て言った、「ここは人里はなれた所、それにもう時間もおそいので、
前田訳はや時もおそくなったので、弟子たちはおそばへ来ていった、「ここは人里離れたところで、はや時もおそくなりました。
新共同そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。
NIVBy this time it was late in the day, so his disciples came to him. "This is a remote place," they said, "and it's already very late.

6章36節 人々(ひとびと)()らしめ、周圍(まはり)(さと)また(むら)()きて、(おの)がために食物(しょくもつ)()はせ(たま)へ』[引照]

口語訳みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。
塚本訳人々を解散させ、まわりの部落や村に行って、自分で何か食べるものを買わせてください。」
前田訳彼らを解散させてください、まわりの里や村へ行って自分で何か食べ物を買うように」と。
新共同人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」
NIVSend the people away so they can go to the surrounding countryside and villages and buy themselves something to eat."
註解: イエスは霊の糧を与うるに忙しかったので、知らずして多くの時を経過した。弟子たちの心は群衆の肉の糧のことに思い煩っていた。イエス弟子たちの不信を悲しみ、「先ず神の国と神の義とを求むる者には、必要なるものは(ことごと)く与えられること」を示さんとし給う。

6章37節 (こた)へて()(たま)ふ『なんぢら食物(しょくもつ)(あた)へよ』[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。
塚本訳イエスは答えて言われた、「あなた達が自分で食べさせてやったらよかろう。」彼らが言う、「わたし達が行って二百デナリ[十万円]のパンを買ってきて、食べさせるのでしょうか。」
前田訳彼は答えられた、「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい」と。彼らはいった、「われらが出かけて二百デナリのパンを買って食べさせましょうか」と。
新共同これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。
NIVBut he answered, "You give them something to eat." They said to him, "That would take eight months of a man's wages ! Are we to go and spend that much on bread and give it to them to eat?"
註解: 「汝ら自分で」というごとき意。「彼らは熱心に我が言を聴かんとしているではないか。お前たちが彼らに食物を与えたらよかろう」というごとき語意あり、弟子たちを苦しめてその無力をさとらしめ給う(ヨハ6:6)。

弟子(でし)たち()ふ『われら()きて()(ひゃく)デナリのパンを()ひ、これに(あた)へて(くら)はすべきか』

註解: この時イエスを中心とせる一団の財嚢(ざいのう)に二百デナリの金子(きんす)が有ったのであろう。一デナリは労働者一日の賃銀である。この二百デナリをもってしても五千余にとりては充分とは言えない(ヨハ6:7)。ゆえに弟子たちの答はイエスの命令の実行の不能にして無効なることを暗示している。神は人の為し能わざることを為し給う。

6章38節 イエス()(たま)ふ『パン(いく)つあるか、()きて()よ』(かれ)()ていふ『(いつ)つ、また(うを)(ふた)つあり』[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。
塚本訳彼らに言われる、「手許にいくつパンがあるか。見て来なさい。」確かめて来て言う、「五つ。それと魚が二匹です。」
前田訳彼はいわれる、「いまパンがいくつあるか。見て来なさい」と。確かめて来ていう、「五つです。それに魚が二匹です」と。
新共同イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
NIV"How many loaves do you have?" he asked. "Go and see." When they found out, they said, "Five--and two fish."
註解: 弟子たちはその有てる凡てのものをイエスに献げ、その祝福を受けてこれを用うべきであった。

6章39節 イエス(すべ)ての(ひと)組々(くみぐみ)となりて、(あを)(くさ)(うへ)()することを(めい)(たま)へば、[引照]

口語訳そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。
塚本訳そこで皆を一組一組、青い草の上に坐らせるよう弟子たちに命じられると、
前田訳そこで皆を組ごとに青草の上にすわらせるよう弟子たちに命じられた。
新共同そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。
NIVThen Jesus directed them to have all the people sit down in groups on the green grass.

6章40節 (あるひ)(ひゃく)(にん)、あるひは()(じふ)(にん)(うね)のごとく(なら)びて()す。[引照]

口語訳人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。
塚本訳あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、一列一列になってすわった。
前田訳彼らは百人、五十人と列をなしてすわった。
新共同人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
NIVSo they sat down in groups of hundreds and fifties.
註解: 組々となるのは家における食卓の形をここに現さんとしたもの。畝のごとく(なら)んだのはその間を弟子たちが食物を分配するために通り易からしめたのである。イエスはここに神の国の家族の食卓の光景を出現し給うた。
辞解
[組々] sumposia sumposia 同一の語を繰返してその数の多きことを示す。「組」は食卓につく一組のこと。「畝のごとく」 prasiai prasiai 畝々。

6章41節 (かく)てイエス(いつ)つのパンと(ふた)つの(うを)とを()り、(てん)(あふ)ぎて(しゅく)しパンをさき、弟子(でし)たちに(わた)して人々(ひとびと)(まへ)()かしめ、(ふた)つの(うを)をも(ひと)(ごと)()(たま)ふ。[引照]

口語訳それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。
塚本訳イエスは(いつも家長がするように、)その五つのパンと二匹の魚を(手に)取り、天を仰いで(神を)讃美したのち、パンを裂き、人々に配るため弟子たちに渡された。二匹の魚も皆に分けられた。
前田訳彼はそのパン五つと魚二匹をとり、天を仰ぎ、感謝してパンを裂き、人々に配るよう弟子たちに与えられた。魚二匹も皆に分けられた。
新共同イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
NIVTaking the five loaves and the two fish and looking up to heaven, he gave thanks and broke the loaves. Then he gave them to his disciples to set before the people. He also divided the two fish among them all.
註解: この時イエスは一家の家長のごとき態度をもって食物を祝し感謝してこれを群衆に分配し給う。五つのパンと二つの魚が如何にしてかく多くの人々に分配せられしかは我らの知識をもってはこれを知ることができない。イエスはここにその創造者(ヨハ1:1、2)たる性質の片鱗を示し給うた。▲今日の精神科学は精神現象の客観的観察だけであって、それ以上の力の根源に関してはほとんど無知である。やがて将来精神科学の発達と共に本節のごとき現象について説明し得る時期が来るであろう。

6章42節 (すべ)ての(ひと)(くら)ひて()きたれば、[引照]

口語訳みんなの者は食べて満腹した。
塚本訳皆が食べて満腹した。
前田訳皆は食べて満ち足りた。
新共同すべての人が食べて満腹した。
NIVThey all ate and were satisfied,
註解: 五つのパンと二つの魚が五千余人をして飽かしむる分量に増加せることはあたかもイエスの語り給う御言が多くの人々の霊の糧として彼らを飽かしむるに似ているのを見る。

6章43節 パンの(あまり)(うを)(のこり)(あつ)めしに、十二(じふに)(かご)滿()ちたり。[引照]

口語訳そこで、パンくずや魚の残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。
塚本訳そして(パンの)屑を拾うと、十二の篭に一杯あった。魚の残りも拾った。
前田訳くずを拾うと魚の残りも含めて籠十二にいっぱいであった。
新共同そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。
NIVand the disciples picked up twelve basketfuls of broken pieces of bread and fish.
註解: 無より有を創造し、少数のパンを数千のパンに増加するを得給う神に在し給いながら、少しの残品をも無駄にこれを棄て給わない。神の御旨の(くす)しきを見よ。

6章44節 パンを(くら)ひたる(をとこ)()(せん)(にん)なりき。[引照]

口語訳パンを食べた者は男五千人であった。
塚本訳パンを食べた者は、男五千人であった。
前田訳パンを食べたものは男五千人であった。
新共同パンを食べた人は男が五千人であった。
NIVThe number of the men who had eaten was five thousand.
註解: マタ14:21には「女と子供とを除き」とあり、何れにしても非常なる多数が集ってイエスの教えを受け、イエスによりて養われた事実は、まことに驚くべきものがあった。
要義 [イエス五千人を養い給いし意義]この奇蹟は四福音書に共通せる唯一の奇蹟である点において特に重要さを有している。(1)かかることが可能なりや否やは、他の奇蹟の可能なりや否やと同一の問題である。イエスがその創造力の片鱗を示し給えるものと見るか、または非常に偉大なる精神力をもって全群集の精神を支配し、この記事のごとくに実感せしめ給いしものと解するか、または一時復活体のごとき肉体に変化し給えるものと見るより外に我らの知力をもって説明することができない。ただし解釈の不可能または困難は事実の存在を否定する理由とはならない。これをU列4:42−44より転化せる作話と解することも凡ての点を説明し尽くすことができない。(2)イエスの愛と、その教えを伝うることの熱心とが彼をして食事を忘れしめたので、かかる結果が来り彼はその熱心の力をもってこの奇蹟を行い給うた。(3)このイエスの力と愛とが顕れる処、そこに神の国が出現し、その民はイエスの言を食いて飽くことを得、イエスはその神の国の家長として全家族を主の聖餐に与らしめ給う(シュヴァイツェル)。なおヨハ6:15要義参照。

2-6-ホ 暴風を静め給う 6:45 - 6:52
(マタ14:22-33)   

6章45節 イエス(ただ)ちに、弟子(でし)たちを()ひて(ふね)()らせ、(みづか)群衆(ぐんじゅう)(かへ)()に、彼方(かなた)なるベツサイダに(さき)()かしむ。[引照]

口語訳それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。
塚本訳それからすぐイエスは弟子たちを強いて舟に乗らせ、向う岸のベッサイダに先発させられた、自分では群衆を解散させる間に。
前田訳それからすぐ彼は弟子たちを強いて舟に乗らせ、向こう岸のベツサイダへ先に行かせて、自分で群衆を解散させておられた。
新共同それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。
NIVImmediately Jesus made his disciples get into the boat and go on ahead of him to Bethsaida, while he dismissed the crowd.
註解: イエスは偉大なる奇蹟を行い給える後は再び弱き人間としての彼を見出し、かえって大なる淋しさを感じ給うたもののごとくである。而してこの淋しさは、唯神との交わりによりてのみ醫されるのであって彼の周囲の群衆が多きに従ってかえって益々増大した。それ故に彼は唯一人にて神に祈らんことを切望し、弟子たちを強いて舟にて送り出し自ら群衆を解散し給うた。強いて舟に乗らせたのは師の評判の素晴らしさのために虚栄心に駆られて群衆の誘惑に陥らざらんがためとも見るべく、または強いて彼らを突き放して困難をもって鍛錬せんがためとも見ることを得。
辞解
[彼方なるベツサイダ] カペナウムの西方の地域を指すと解するを可とす(L2、M0)(ヨハ6:17参照)。反対に東方の地域を指すと解する説あれど適当ではない。
[自ら] 特に強めて言う。
[返す] 「解散する」こと。

6章46節 群衆(ぐんじゅう)(わか)れてのち、(いの)らんとて(やま)にゆき(たま)ふ。[引照]

口語訳そして群衆に別れてから、祈るために山へ退かれた。
塚本訳そして群衆に別れると、祈りのため山に行かれた。
前田訳群衆に別れると、山へ行って祈られた。
新共同群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。
NIVAfter leaving them, he went up on a mountainside to pray.
註解: 弟子たちを送り出したる後は群衆を解散せしむることは比較的容易であった。かくしてイエスは独り神と交わり、神より力を得んとして山にゆき給うた。(▲神より力を与えられるには祈りによるより外に無い。イエスですらそうであった。いわんや我らにとっては祈りの不足は霊の力を死滅せしめる。)群衆の喚呼は神との交わりを妨げる。

6章47節 (ゆふべ)になりて、(ふね)(うみ)眞中(まなか)にあり、イエスはひとり(をか)(いま)す。[引照]

口語訳夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。
塚本訳暗くなって、(弟子たちの)舟はもう湖の真中に出ていたが、イエスはひとり陸におられた。
前田訳夕方になると、舟は湖の真ん中であったが、彼はひとり陸におられた。
新共同夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。
NIVWhen evening came, the boat was in the middle of the lake, and he was alone on land.
註解: キリスト者はイエスを離れては荒海の中の助け無き小舟の中にあるに等しく、イエスはその御心において常に信徒と共に在し給う。
辞解
[夕] 35節の時もすでに「(おそ)く」なっていたので、この「夕」は夜中のこと。

6章48節 (かぜ)(さから)ふに()りて、弟子(でし)たちの()(わづら)ふを()て、夜明(よあけ)四時(よじ)ごろ、(うみ)(うへ)(あゆ)み、その(もと)(いた)りて、()()ぎんとし(たま)ふ。[引照]

口語訳ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。
塚本訳そして向い風のために弟子たちが漕ぎなやんでいるのを見ると、第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ)、湖の上を歩いて彼らの所に来て、(舟のわきを)通りすぎようとされた。
前田訳向かい風なので弟子たちが漕ぎなやむのを見て、午前三時ごろ、湖の上を歩いて彼らのところに来て、通りすぎようとされた。
新共同ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。
NIVHe saw the disciples straining at the oars, because the wind was against them. About the fourth watch of the night he went out to them, walking on the lake. He was about to pass by them,
註解: かかる場合、弟子たちはイエスに祈りその助けを期待すべきであった。しかし彼らはイエスが海の上まで来りて助け給うことが不可能であると思い込んでいた。然るにイエスはその祈りによりて再び超人的力を得、また強いて送り出せる弟子たちの難航を見てこれを棄て措くことができず、これを助けんために海上を歩みて彼らの許に至り給う。往き過ぎんとし給える所以は彼らの信仰を試みんためであろう。彼らは直ちにイエスをそれと見出すべきであった。
辞解
[風] ガリラヤ湖上には往々この種の突風の襲来あり舟子を悩ます。
[夜明の四時] 原語「夜の第四の見張」で夜を四分してその第四番目の見張り、すなわち午前三時頃以後のこと。
[往き過ぎんと〔欲〕し給ふ] マルコのみにあり難解なり、弟子たちをしてイエスに助けを求めしめんがために往き過ぎんとせるものと解する学者(M0)多し。なおこれを「追付く」「同行する」等と訳する説あり、また先に岸に着きて彼らを驚かせんとせるものと解する等種々の説あれど適切なるものはない。

6章49節 弟子(でし)たち()(うみ)(うへ)(あゆ)(たま)ふを()變化(へんげ)(もの)ならんと(おも)ひて(さけ)ぶ。[引照]

口語訳彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
塚本訳弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ。
前田訳弟子たちは彼が湖の上を歩かれるのを見て、幽霊と思って叫んだ。
新共同弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
NIVbut when they saw him walking on the lake, they thought he was a ghost. They cried out,
註解: ▲我々人間は我々の精神とその力より外のものを知らない。イエスの精神は神との直接の連結を持っており、その肉体は、この人間以上の精神力によって支配されていた。かかる精神が物質を左右し得る力があることは考え得る処で、今日のごとき原子力科学の進歩は同時に精神に関する科学の進歩を促し、生命とその力の本質を究明し得るに至るであろう。

6章50節 (みな)これを()(こころ)(さわ)ぎたるに()る。[引照]

口語訳みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。
塚本訳イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない」と言われる。
前田訳皆が彼を見ておどろいたのである。しかし彼はすぐ彼らに話しかけて、「安心なさい、わたしです。こわがることはない」といわれた。
新共同皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
NIVbecause they all saw him and were terrified. Immediately he spoke to them and said, "Take courage! It is I. Don't be afraid."
註解: イエスが荒海の上を歩みてその許に来り給うならんとは夢にも思わなかったので、(いた)く驚き叫んだ。神の祐助は我らの全く予想し得ざりし方法をもって我らに与えられる。
辞解
[変化(へんげ)の者] phantasma 「幽霊」というごとき意、なおマタ14:28−31にはペテロが海上を歩みてイエスに到らんとして沈みかけし記事あり、マタイ特有の記事でマルコにこれを略したのはペテロの謙遜なる心よりならん。

イエス(ただ)ちに(かれ)らに(かた)りて()(たま)ふ『(こころ)(やす)かれ、(われ)なり、(おそ)るな』

註解: 愛と力とに充ちたるイエスの御言は、弟子たちより凡ての恐怖と不安とを除き去った。苦難の中にありてイエスの御声を聞くことは最大の慰安である。

6章51節 (かく)弟子(でし)たちの(もと)にゆき、(ふね)(のぼ)(たま)へば、(かぜ)やみたり。[引照]

口語訳そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。
塚本訳そして彼らの舟に乗られると、風はやんだ。弟子たちはすっかり呆気にとられてしまった。
前田訳そして彼らのいる舟に乗られると、風はやんだ。彼らはすっかりおどろきいった。
新共同イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。
NIVThen he climbed into the boat with them, and the wind died down. They were completely amazed,
註解: イエスが海上を歩み給えることも、風が止みたることも凡て奇蹟的であった。神が自然を支配し給うごとく、イエスもまた時に自然を左右する力を持ち給うた。

弟子(でし)たち(こころ)(うち)にて(いた)(をどろ)く、

6章52節 (そは)(かれ)らは(さき)のパンの(こと)をさとらず、(かへ)つて()(こころ)(にぶ)くなりし((ゆえ))なり。[引照]

口語訳先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。
塚本訳彼らは(五千人の)パンのことによっても(神の子の力を)悟らず、心が頑なになっていたのである。
前田訳彼らはパンのことをも悟らず、その心が頑であった。
新共同パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。
NIVfor they had not understood about the loaves; their hearts were hardened.
註解: もしパンの奇蹟を見てイエスがまことに神の子に在し給うことを信じ、彼を神として崇むる心ができていたならば、今の場合も彼らは少しも驚かなかったはずである。然るに彼らは未だパンの奇蹟の意義を充分に悟らなかった。イエスを肉によりて知る者は彼の神の子たるを悟ることは容易ではない。
辞解
[(いた)く] 「非常に、法外に」というごとき意。
[鈍く] 固陋(ころう)」となること。
要義 [海の上を歩み給えること]これを一つの作話と解しその事実性を否定する学者も多くあるけれども(W2)、それはかかる奇蹟の不可能を前提としたものであって、この前提が絶対的真理であることの説明を必要とする。復活後のイエスにおいて存したるごとき特別なる霊体(ヨハ20:26)の、予備的顕現と解することは不可能ではない。而してこの記事の我らの実際生活に対する教訓は極めて豊富である。すなわち(1)キリストは時に我らを強いて苦難の中に投込み給うこと、(2)キリストを離れて我らは苦難の中に怖じ惑うこと、(3)キリストは全く予期せざりし方法をもって我らを救い給うこと、(4)かくして救われるまでは我らは神を信頼することの遅きこと等、我らの信仰生活の実際に対する多くの暗示を含む。

2-6-ヘ イエス、ゲネサレに還り給う 6:53 - 6:56
(マタ14:34-36)   

6章53節 (つい)(わた)りてゲネサレの()()き、(ふね)がかりす。[引照]

口語訳彼らは海を渡り、ゲネサレの地に着いて舟をつないだ。
塚本訳ついに(湖を)渡って、ゲネサレの地に着き、舟をつないだ。(風でベツサイダに行けなかったのである。)
前田訳渡り終えてゲネサレの地に着き、舟をつないだ。
新共同こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。
NIVWhen they had crossed over, they landed at Gennesaret and anchored there.
註解: ゲネサレはカペナウムの西方ガリラヤ湖の西北岸の地。

6章54節 (ふね)より(あが)りしに、人々(ひとびと)ただちにイエスを(みと)めて、[引照]

口語訳そして舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、
塚本訳彼らが舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、
前田訳彼らが舟からあがると、人々はすぐ彼と知って、
新共同一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、
NIVAs soon as they got out of the boat, people recognized Jesus.

6章55節 (あまね)くあたりを()せまはり、[引照]

口語訳その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。
塚本訳そのあたりを隅なく駆けまわり、イエスがおられると聞く所に、病人を担架で運び始めた。
前田訳そのあたり至るところを駆けまわり、彼がおられると聞くところに病人を担架で運びはじめた。
新共同その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。
NIVThey ran throughout that whole region and carried the sick on mats to wherever they heard he was.
註解: イエスの到着を待ち焦がれている人々に報知するために、あちこち馳せ廻った。
辞解
[(あまね)くあたりを] 直訳すれば「その全地方を」で附近一般にの意。

その(いま)すと()處々(ところどころ)に、(わづら)(もの)(とこ)のままつれ(きた)る。

註解: 「つれ来る」は「つれ廻る」または「運び廻る」と訳すべき文字で、イエスの跡を追うて探し廻った有様を示す。

6章56節 その(いた)りたまふ(ところ)には、(むら)にても、(まち)にても、(さと)にても、()める(もの)市場(いちば)におきて、[引照]

口語訳そして、村でも町でも部落でも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。そしてさわった者は皆いやされた。
塚本訳村でも町でも部落でも、その行かれる所にはどこでも、病人を広場にねかし、着物の裾にでもさわらせてほしいとイエスに願った。さわったほどの者はみななおった。
前田訳そして村でも町でも里でも、彼の行かれるところはどこでも、病人を広場に置いて、お着物の裾にでもさわれるようお願いした。さわったものは皆なおった。
新共同村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。
NIVAnd wherever he went--into villages, towns or countryside--they placed the sick in the marketplaces. They begged him to let them touch even the edge of his cloak, and all who touched him were healed.
註解: イエスの到る処病者の山を築いた。「市場」は「里」の場合不適当でD写本には「街」と訂正しあり。
辞解
[市場] agora は都市の門にある広場で官公署の所在地として、また取引契約等の行わる場所として多くの人の集合所であった。

御衣(みころも)(ふさ)にだに(さは)らしめ(たま)はんことを(ねが)ふ。(さは)りし(もの)は、みな(いや)されたり。

註解: イエスの奇蹟力が最も著明に到る処にあらわれた。53−56節は特定の事件を指さず一般的の状態を記述す。