使徒行伝第28章
分類
6 捕囚のパウロ
21:17 - 28:31
6-3 ロマ行の航海
27:1 - 28:15
6-3-4 マルタ上陸の際の奇蹟
28:1 - 28:6
28章1節 われら
口語訳 | わたしたちが、こうして救われてからわかったが、これはマルタと呼ばれる島であった。 |
塚本訳 | 救われた時、わたし達はこの島がマルタと呼ばれることを知った。 |
前田訳 | 救われてから、われらはこの島がマルタと呼ばれることを知った。 |
新共同 | わたしたちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。 |
NIV | Once safely on shore, we found out that the island was called Malta. |
註解: これは今日のマルタ島と見るを可とす、アドリヤ海のメレダ島なりとの説あれど取らず。
28章2節
口語訳 | 土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてくれた。すなわち、降りしきる雨や寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれたのである。 |
塚本訳 | 土民たちはただならぬ歓待を示してくれた。降り出した雨と寒さとのために、焚火をしてわたし達を皆(そこに)迎えてくれたのである。 |
前田訳 | 土民たちはなみなみならぬ歓待をしてくれた。降り出した雨と寒さとのために、火をたいてわれらすべてを迎えてくれた。 |
新共同 | 島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。 |
NIV | The islanders showed us unusual kindness. They built a fire and welcomed us all because it was raining and cold. |
註解: 旅人を待遇し、苦しむ者を憐む事は人道として全世界に通ずる処である。かくしてパウロはその同国人に迫害されつつ他の到る処に異邦人に好遇された。
辞解
[土人] Barbaros 「野蛮人」とも訳される事があるけれども必ずしも悪しき意味を持たない。ギリシヤ人ロマ人より見たる異国人を意味す。
28章3節 パウロ
口語訳 | そのとき、パウロはひとかかえの柴をたばねて火にくべたところ、熱気のためにまむしが出てきて、彼の手にかみついた。 |
塚本訳 | さてパウロが柴を一束かき集めて火にくべたところ、一匹の蛇が熱のために(柴の中から)出てきて、手にかみついた。 |
前田訳 | さて、パウロが柴をひとたば集めて火にくべると、蛇が熱のため出て来て彼の手にかみついた。 |
新共同 | パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。 |
NIV | Paul gathered a pile of brushwood and, as he put it on the fire, a viper, driven out by the heat, fastened itself on his hand. |
28章4節
口語訳 | 土地の人々は、この生きものがパウロの手からぶら下がっているのを見て、互に言った、「この人は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様が彼を生かしてはおかないのだ」。 |
塚本訳 | 土民たちはこの(恐ろしい)動物がパウロの手にぶら下がっているのを見た時、互に言った、「この人はどうしても人殺しだ。海からは(やっと)救われたが、天道様が生かしておかないのだ。」 |
前田訳 | 土民たちは、生き物が手からさがっているのを見ると、互いにいった、「この人はきっと人殺しだ。海から救われたが、正義の女神は生かしておかれまい」と。 |
新共同 | 住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」 |
NIV | When the islanders saw the snake hanging from his hand, they said to each other, "This man must be a murderer; for though he escaped from the sea, Justice has not allowed him to live." |
註解: パウロの囚人たる事は手錠または他の徴によりて島人に判明していた、夫ゆえに蝮にかまれしを見て結局天罰は免れないと考えたのであった。
辞解
[手につく] 果して手を噛みしや否やにつき諸説あれど5、6節より見て然りと見ざるを得ない。然りとすれば「手に懸る」は手に噛みついて釣り下る事。
[天道] Dikê「正義の女神」と訳すべきで、処によりては宮の中に祭られている。その母はテミス(世界秩序)、姉妹はエイレーネー(平和)及びエウノミヤ(安寧)。
28章5節 パウロ
口語訳 | ところがパウロは、まむしを火の中に振り落して、なんの害も被らなかった。 |
塚本訳 | ところがパウロはその動物を火の中にふるい落して、なんの害も受けなかった。 |
前田訳 | しかしパウロはその生き物を火の中にふるい落として、何の害も受けなかった。 |
新共同 | ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。 |
NIV | But Paul shook the snake off into the fire and suffered no ill effects. |
28章6節
口語訳 | 彼らは、彼が間もなくはれ上がるか、あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていた。しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。 |
塚本訳 | しかし人々は、はれあがるか、たちまち死んで倒れるのを待っていた。長い間待っていたが、何も異常がおこらないのを見て、意見がかわり、彼を神様だと言い出した。 |
前田訳 | 人々は、今にもはれ上がるか、たちまち死んで倒れるかと思っていた。しかし、長い間待って、何も異常がおこらないのを見て、人々は考えを変え、「彼は神だ」といい出した。 |
新共同 | 体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。 |
NIV | The people expected him to swell up or suddenly fall dead, but after waiting a long time and seeing nothing unusual happen to him, they changed their minds and said he was a god. |
註解: 土人の軽率にして迷信的なる判断が如実に示されている事に注意すべし。迷信は神ならぬ者を神とする事に於て極めて軽率である。但しこの奇蹟的事実の中にパウロに対する神の特別の守護があった事を思うべきであり、これを示すのがこの記事の目的であった。パウロが凡ての場合神の守りの下にある事が使徒行伝の末尾の特徴をなす。尚マルタには現在こうした蝮が居ない事を以てこの記事の事実性を否定せんとする事は早計である。
28章7節 この
口語訳 | さて、その場所の近くに、島の首長、ポプリオという人の所有地があった。彼は、そこにわたしたちを招待して、三日のあいだ親切にもてなしてくれた。 |
塚本訳 | さて、その付近に、ポプリオという島の長官が地所を持っていたが、わたし達を三日家に泊めて、丁寧にもてなしてくれた。 |
前田訳 | そのあたりに、島の頭でポプリオという人の地所があった。彼はわれらを招き、三日の間手厚くもてなした。 |
新共同 | さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。 |
NIV | There was an estate nearby that belonged to Publius, the chief official of the island. He welcomed us to his home and for three days entertained us hospitably. |
註解: これはルカの記録せし第三回の歓待である(使27:3。使28:2)。
辞解
[島司] prôtos は職名または官名と見るべきでマルタ島には適用せる名称である(H0、E0、ラムゼー)けれどもこれに反対なる説もある。
28章8節 ポプリオの
口語訳 | たまたま、ポプリオの父が赤痢をわずらい、高熱で床についていた。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。 |
塚本訳 | たまたまポプリオの父が熱病と下痢とに苦しんで寝ていたので、パウロは彼の所に行って祈りをし、手をのせて直した。 |
前田訳 | たまたまポプリオの父が熱と赤痢に苦しんで床についていた。パウロは彼のところに行って祈り、手を置いて直した。 |
新共同 | ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。 |
NIV | His father was sick in bed, suffering from fever and dysentery. Paul went in to see him and, after prayer, placed his hands on him and healed him. |
註解: パウロは病を医す賜物を与えられていた。これを奇蹟的治癒と見る必要はない、歓待に対する感謝の心がこの治病の賜物を一層力強く働かせる事が出来た。
辞解
[熱] 複数形を用い、複雑せる性質の熱病たる事を表わす。
28章9節 この
口語訳 | このことがあってから、ほかに病気をしている島の人たちが、ぞくぞくとやってきて、みないやされた。 |
塚本訳 | このことがあったので、島のほかの病人たちも(パウロの所に)来てなおしてもらった。 |
前田訳 | このことがあったので、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。 |
新共同 | このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。 |
NIV | When this had happened, the rest of the sick on the island came and were cured. |
28章10節
口語訳 | 彼らはわたしたちを非常に尊敬し、出帆の時には、必要な品々を持ってきてくれた。 |
塚本訳 | 彼らはわたし達に非常な尊敬を払い、船出のときには必要な品々をくれた。 |
前田訳 | 彼らはわれらを深く尊敬し、船出するときには必要な品々をくれた。 |
新共同 | それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。 |
NIV | They honored us in many ways and when we were ready to sail, they furnished us with the supplies we needed. |
註解: この治病はルカもこれに加わり、医術的治療をも施したものであろう。「我ら」はこれを示す。当時に於ては、霊的の治療と技術的治療との限界が今日の如く明かでなかった。
辞解
[礼を厚くして我らを敬い] 原語「多くの尊敬(または代価)を以て我らを敬い」で、謝礼その他の形式を以て敬意を表したものと思われる。また船出の時には難破の為に失いし必要品を与えた。
28章11節
口語訳 | 三か月たった後、わたしたちは、この島に冬ごもりをしていたデオスクリの船飾りのあるアレキサンドリヤの舟で、出帆した。 |
塚本訳 | 三月の後に、わたし達はこの島で冬を越していたアレキサンドリヤの船で船出した。それには(航海者の守り神)デオスクリの船首像があった。 |
前田訳 | 三か月の後、われらはこの島で冬を越していたアレクサンドリアの船で出帆した。それにはデオスクロイのしるしがあった。 |
新共同 | 三か月後、わたしたちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した。ディオスクロイを船印とする船であった。 |
NIV | After three months we put out to sea in a ship that had wintered in the island. It was an Alexandrian ship with the figurehead of the twin gods Castor and Pollux. |
口語訳 | そして、シラクサに寄港して三日のあいだ停泊し、 |
塚本訳 | わたし達は(シチリヤ島の)シラクサに入港して三日泊まり、 |
前田訳 | われらはシラクサに入港して三日とどまり、 |
新共同 | わたしたちは、シラクサに寄港して三日間そこに滞在し、 |
NIV | We put in at Syracuse and stayed there three days. |
註解: 冬は航海困難であり、春三月始頃より航海の季節となる。
辞解
[デオスクリ] 双子の神の名でカストルとポルクスとの二神である。船舶及び船員の守護神として崇められていた。この神のマークが船首を飾っていた船を意味す。シラクサはイタリーの南端の島シシリーの一港。
28章13節
口語訳 | そこから進んでレギオンに行った。それから一日おいて、南風が吹いてきたのに乗じ、ふつか目にポテオリに着いた。 |
塚本訳 | そこから(島の東海岸を)まわってレギオンに行った。(イタリヤである。)一日の後に南風が吹き出したので(北に進んで、)二日目に(港町)ポテオリに着いた。 |
前田訳 | そこからまわってレギオンに行った。一日たつと南風が吹きはじめたので、二日目にポテオリに着いた。 |
新共同 | ここから海岸沿いに進み、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹いて来たので、二日でプテオリに入港した。 |
NIV | From there we set sail and arrived at Rhegium. The next day the south wind came up, and on the following day we reached Puteoli. |
辞解
[レギオン] 今のレツギオReggio
[ポテオリ] 今のプツツオリPuzzuoli でロマ市の海港でありナポリ湾にあり(ロマより約二百二十キロあり)、帆檣 林立していた。
28章14節
口語訳 | そこで兄弟たちに会い、勧められるまま、彼らのところに七日間も滞在した。それからわたしたちは、ついにローマに到着した。 |
塚本訳 | そこで兄弟たちに出会い、招待されて彼らのところに七日泊まった。こうして、(ついに)ローマに、わたし達は着いた。 |
前田訳 | そこで兄弟たちに出会い、勧められて彼らのところに七日泊まった。こうしてわれらはローマに着いた。 |
新共同 | わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。 |
NIV | There we found some brothers who invited us to spend a week with them. And so we came to Rome. |
註解: ポテオリは上記の如き港で諸国の人々の混合居住せる都市であった。従って其中に基督者もいたのであった。如何にしてその中の基督者を見出したかは録されていない。パウロ一行及びその地の基督者の歓びは大きくあった。
辞解
[勧によりて] 「我ら慰められて」と読む説あれどこの場合適当ではない。七日の滞在が許されたのは百卒長の好意ある取扱によったものであろう。
[ロマ] 冠詞あり(16節にはなし)、「かの多年の宿望 たりしロマ」と云う心持を示す。
28章15節 かしこの
口語訳 | ところが、兄弟たちは、わたしたちのことを聞いて、アピオ・ポロおよびトレス・タベルネまで出迎えてくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し勇み立った。 |
塚本訳 | (ローマの)兄弟たちはわたし達のことを聞き、そこから(はるばる)アピオ・ポロやトレス・タベルネ(の町々)まで迎えに来てくれた。パウロはその人たちに会って神に感謝し、勇気づけられた。 |
前田訳 | 兄弟たちはわれらのことを聞いて、ローマからアピウスの広場やトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気を得た。 |
新共同 | ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。 |
NIV | The brothers there had heard that we were coming, and they traveled as far as the Forum of Appius and the Three Taverns to meet us. At the sight of these men Paul thanked God and was encouraged. |
註解: ポテオリより陸路ロマに向う。其前にパウロの到着の報ロマに伝わり、その地の基督者はロマ書を受取ってパウロの来るのを期待していたので、その一組は遥々アピオポロ(ロマより約六十九キロ、二十里)まで、他の一組はこれより更に四里(十六キロ)ロマに近きトレスタベルネまで出迎えた。パウロはロマ行を熱望していたけれども、ロマの基督者が果して彼を受納れるや否やにつき不安を持っていたので、今この出迎を受けてパウロ一行の心は感謝と歓喜に溢れ勇気百倍した。
辞解
[アピオポロ] アピオの市場の意で有名なるアピア街道Via Appia に沿う市場。
[トレスタベルネ] 「三つの宿」の意で小邑である。基督者が二組になって迎に来たのは、ロマに在る多数の基督者の間に必ずしも組織的統一が行われて居なかった為であろう。
28章16節
口語訳 | わたしたちがローマに着いた後、パウロは、ひとりの番兵をつけられ、ひとりで住むことを許された。 |
塚本訳 | わたし達がローマに入った時、パウロは(家を借り)監視の一兵卒と共にひとり住まいを許されていた。 |
前田訳 | われらがローマに入ったとき、パウロは番兵つきでひとり住むことを許された。 |
新共同 | わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。 |
NIV | When we got to Rome, Paul was allowed to live by himself, with a soldier to guard him. |
註解: 異本に「・・・入りては百卒長は囚人らを近衛隊長に付しパウロは・・・」とあり、当時の法規に叶える記録である。パウロは百卒長より特に信頼せられまたペリクスよりの書翰に無罪の意向が記されて有る事と多くの人命を救いしことにより特別の取扱を受けた。兵卒と自分とを鎖でつないで居るのが普通の方法であるが、果して何れの程度までこれを実行したかは疑問である。要するにパウロの幽閉は至って自由なるものであったと思われる。
28章17節
口語訳 | 三日たってから、パウロは、重立ったユダヤ人たちを招いた。みんなの者が集まったとき、彼らに言った、「兄弟たちよ、わたしは、わが国民に対しても、あるいは先祖伝来の慣例に対しても、何一つそむく行為がなかったのに、エルサレムで囚人としてローマ人たちの手に引き渡された。 |
塚本訳 | 三日の後にパウロは(その地の)ユダヤ人の名士たちを呼びあつめ、集まったとき彼らに言った、「わたしは、兄弟の方々よ、(イスラエルの)民あるいは先祖の習慣に逆らうことを何一つしなかったのに、エルサレムから囚人としてローマ人の手に引き渡されました。 |
前田訳 | 三日の後、パウロは在住のおもだったユダヤ人を呼び、集まったときいった、「兄弟方、わたしは何も民あるいは先祖の慣わしに反したことはしませんでしたのに囚人となり、エルサレムからローマ人の手に渡されました。 |
新共同 | 三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。 |
NIV | Three days later he called together the leaders of the Jews. When they had assembled, Paul said to them: "My brothers, although I have done nothing against our people or against the customs of our ancestors, I was arrested in Jerusalem and handed over to the Romans. |
註解: ロマ到着怱々 パウロの為さんとする処はロマに在るユダヤ人に対して自己の立場を明にする事であった。然らざればパウロのカイザルに上告せる理由が彼らに不明であるからである。パウロは囚人たりし関係上、彼らの許に往く事は不可能であったので彼らの来会を求めたのであった。
辞解
[重立ちたる者] 諸会堂の司、長老たち。
その
註解: パウロはユダヤ人の律法及び先祖よりの伝統の尊重者であった。唯パウロの反対したのは、この律法を守る事によりて義とせられんとする事であった。
28章18節 かれら
口語訳 | 彼らはわたしを取り調べた結果、なんら死に当る罪状もないので、わたしを釈放しようと思ったのであるが、 |
塚本訳 | 彼らはわたしを取り調べたが、死罪にあたるなんの罪もなかったので、赦そうと思ったのでした。 |
前田訳 | 彼らはわたしを調べ、何も死罪に当たる理由がなかったので、釈放しようと思ったのでした。 |
新共同 | ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。 |
NIV | They examined me and wanted to release me, because I was not guilty of any crime deserving death. |
28章19節 ユダヤ
口語訳 | ユダヤ人たちがこれに反対したため、わたしはやむを得ず、カイザルに上訴するに至ったのである。しかしわたしは、わが同胞を訴えようなどとしているのではない。 |
塚本訳 | しかしユダヤ人が反対したため(赦されず、)わたしは余儀なく皇帝に上訴しました。だが何もわたしの国の人を訴えようなどというのではありません。 |
前田訳 | しかしユダヤ人が反対したので、わたしはやむをえず皇帝(カイサル)に上訴しました。それはわが国人を訴えようとしてではありません。 |
新共同 | しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。 |
NIV | But when the Jews objected, I was compelled to appeal to Caesar--not that I had any charge to bring against my own people. |
註解: 千卒長ルシヤ、ペリクス等パウロの無罪を認めたけれども(使23:29。使25:18、19、使25:25。使26:32)一度もパウロを釈 さんとせし記事がなく、またカイザルに上訴せるに至ったのはユダヤ人の為でなくフエストの為であった(使25:11)。唯是等の外面的の事件の進展をその内面の原因より見れば上にパウロの述ぶる処の通りであったと言う事が出来る。
註解: 唯自己の生命を救わんが為にカイザルに上訴したに過ぎなかった。▲勿論単に生命を救うためではなく、イエスの証をするための生命であるから、これを無理解なるユダヤ人に委せることはできなかったからである。
28章20節 この
口語訳 | こういうわけで、あなたがたに会って語り合いたいと願っていた。事実、わたしは、イスラエルのいだいている希望のゆえに、この鎖につながれているのである」。 |
塚本訳 | こんな訳で、わたしはあなた達に会って話したいと願ったのです。わたしは(神のお約束による)イスラエル人の希望のために、この鎖につながれているのですから。」 |
前田訳 | こういう訳で、わたしはあなた方にお会いしてお話するよう願ったのです。わたしはイスラエルの希望のゆえにこの鎖につながれているのです」と。 |
新共同 | だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」 |
NIV | For this reason I have asked to see you and talk with you. It is because of the hope of Israel that I am bound with this chain." |
註解: パウロはその祖国民ユダヤ人に対する自己の態度を明かにする事が目的であった。但し自己の囚徒たる事の理由は無いにしてもユダヤ人に誤解される原因は無いではない。それは「イスラエルの望」に関する解釈であって、この差異より誤解を生じ、その為に鎖に繋がれるに至ったのであると云うのがパウロの解釈であった。
28章21節 かれら
口語訳 | そこで彼らは、パウロに言った、「わたしたちは、ユダヤ人たちから、あなたについて、なんの文書も受け取っていないし、また、兄弟たちの中からここにきて、あなたについて不利な報告をしたり、悪口を言ったりした者もなかった。 |
塚本訳 | すると彼らが言った、「わたし達はユダヤからあなたのことについて書面も受け取っておらず、まただれか兄弟が(ここに)来て、何かあなたについての悪口を報告したことも話したこともない。 |
前田訳 | 彼らはいった、「われらはあなたについてユダヤから手紙も受けとっておらず、兄弟のだれかが来て、あなたについて何か悪いことを報告したり、うわさしたこともありません。 |
新共同 | すると、ユダヤ人たちが言った。「私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。 |
NIV | They replied, "We have not received any letters from Judea concerning you, and none of the brothers who have come from there has reported or said anything bad about you. |
28章22節 ただ
口語訳 | わたしたちは、あなたの考えていることを、直接あなたから聞くのが、正しいことだと思っている。実は、この宗派については、いたるところで反対のあることが、わたしたちの耳にもはいっている」。 |
塚本訳 | しかし(そのイスラエル人の希望に関する)あなたの考えを、直接あなたに聞くのがよいと思う。この異端については、到る所で反対されていることがわたし達に知れているのだから。」 |
前田訳 | しかしあなたがお考えのことを、直接あなたから聞くのがよいと思います。この宗派については、至るところ反対されていることをわれらは知っていますから」と。 |
新共同 | あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」 |
NIV | But we want to hear what your views are, for we know that people everywhere are talking against this sect." |
註解: ロマに在るユダヤ人、殊にその重立ちたる者がパウロに就きて何も知らなかったとは思われない。殊に基督者に関する悪評が到る処に行われる以上(22節)その首魁 たちにつき聞かないはずはない。唯この場合ユダヤ人の重なる人々は、その公人としての地位より公けの報告を受けない事を理由として、全然知らない態度を取り、かくしてパウロをして充分にその主張を説明せしめんとしたものと思われる。もしパウロにつき全然知らないならば、一囚人の言を左 までに重視する理由はないからである。但しエルサレムより何故パウロの上告につきて公報が来なかったかは疑問とすべき点であって、或はパウロのローマ出発の時期が晩秋であったので、パウロの到着以前に使者または書面をロマに送り得なかった為であろう。或学者は、クラウデオ帝の時ユダヤ人が追放されたので、ロマの基督者は異邦人のみとなり、其後ユダヤ人が帰還を許されてからもその間の交渉が無くなり、遂にパウロの事を聞く機会が無かったと解し、またはロマの如き大都市のユダヤ人の中の極めて少数の基督者は、会堂司等の注意に上らなかったろうと説明するけれども、是らは事実に適合しているものと思われない。
辞解
[聞かんと欲するなり] 「聞く事が至当と思う」の意。
[宗旨] hairesis はまた「派」または「異端」とも訳される文字(使24:5)。
28章23節
口語訳 | そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。 |
塚本訳 | そこで彼らは日を決め、もっと大勢でパウロの宿に来た。彼は早朝から夕方まで、神の国のことを彼らに証しして説明し、モーセ律法と預言書[聖書]とから、イエスの(救世主である)ことについて彼らを説得しようとした。 |
前田訳 | 彼らは日を決めて、さらに大勢でパウロの宿に来た。彼は神の国を証して彼らに説明し、モーセの律法と預言書とから、イエスのことについて彼らを説得しようとした。それは朝から夕方までつづいた。 |
新共同 | そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。 |
NIV | They arranged to meet Paul on a certain day, and came in even larger numbers to the place where he was staying. From morning till evening he explained and declared to them the kingdom of God and tried to convince them about Jesus from the Law of Moses and from the Prophets. |
註解: この会合の為にパウロは特別の日を指定し、その日に彼らの前にその使徒としての職務を遂行しイエスに関する証しを為した。斯くして朝より夕に至ったのを見て如何にその論議の旺 であったかが想像せられる。而してその証の中心は神の国の問題であり、神の国の王はメシヤであり、而してイエスはこのメシヤである事を証するのがパウロの任務であった。パウロはユダヤ人の信ずる聖書を証拠としてこのイエスを証し、彼を信ずる事を勧めた。
辞解
[宿] 30節に詳述される宿と見るべきであろう(H0)。
28章24節 パウロのいふ
口語訳 | ある者はパウロの言うことを受けいれ、ある者は信じようともしなかった。 |
塚本訳 | すると、ある者は彼の言ったことで説得されたが、ある者は信じなかった。 |
前田訳 | するとあるものはいわれたことで説得され、あるものは信じなかった。 |
新共同 | ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。 |
NIV | Some were convinced by what he said, but others would not believe. |
註解: 福音の宣伝は必ず宣伝される者を二つに分割する、一は信じ一は信じない、使17:32-34。
28章25節
口語訳 | 互に意見が合わなくて、みんなの者が帰ろうとしていた時、パウロはひとこと述べて言った、「聖霊はよくも預言者イザヤによって、あなたがたの先祖に語ったものである。 |
塚本訳 | 彼らは互いに一致しないので、立ち去ろうとしたとき、パウロは一言こう言った、「聖霊は預言者イザヤ(の口)をもってあなた達先祖に語っておられるが、うまいものである。 |
前田訳 | 彼らは互いに不一致のまま帰ろうとしたので、パウロはひとこといった、「聖霊が預言者イザヤによってあなた方の先祖に語られたことは、そのとおりでした。 |
新共同 | 彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、 |
NIV | They disagreed among themselves and began to leave after Paul had made this final statement: "The Holy Spirit spoke the truth to your forefathers when he said through Isaiah the prophet: |
註解: パウロは最後に彼らの不信が聖書に預言せられている事を叫びて彼らの反省を促すと共に彼らの上に神の審判を宣言した。以下に引用される処(26、27節)はイザ6:9、10の七十人訳によったのである。イエスの屡々 用い給いし処の句であって、まことに適切なる聖霊の言である。マタ13:14、15。マコ4:12。ルカ8:10。ヨハ12:39、40。ロマ11:8。
28章26節 「なんぢらこの
口語訳 | 『この民に行って言え、あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。 |
塚本訳 | ──“この民に行って言え、『あなた達は聞いても聞いても決して悟るまい、見ても見ても決してわかるまい。 |
前田訳 | 『この民に行っていえ、あなた方は聞きに聞いても悟るまい、見に見てもわかるまい。 |
新共同 | 語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。 |
NIV | "`Go to this people and say, "You will be ever hearing but never understanding; you will be ever seeing but never perceiving." |
28章27節 この
口語訳 | この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。 |
塚本訳 | この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、その目は閉じてしまっているからだ。そうでないと、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り心を入れかえて(わたし[神に]帰り、)わたしに直されるかも知れない』と。 |
前田訳 | この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じているから。それは彼らが目で見、耳で聞き、心で悟り、立ち返って、わたしがいやすことのないためである』と。 |
新共同 | この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』 |
NIV | For this people's heart has become calloused; they hardly hear with their ears, and they have closed their eyes. Otherwise they might see with their eyes, hear with their ears, understand with their hearts and turn, and I would heal them.' |
註解: イスラエルの民は心頑固にして神に向ってその目、耳、心を閉ぢている。その結果目も耳も心も、真のものを見る事が出来ず、聞く事も悟る事も出来ない。彼らは福音を聞きてもこれを信ずる事が出来ず、イエスを見てもこれを受くる事が出来ない。この頑固さがイスラエルの先祖にもありし如くその子孫にも有る。
28章28節
口語訳 | そこで、あなたがたは知っておくがよい。神のこの救の言葉は、異邦人に送られたのだ。彼らは、これに聞きしたがうであろう」。 |
塚本訳 | だから、この“神の救いは”(あなた達を去って)“異教人に”おくられたことを、あなた達はよく知ってもらいたい。彼らならば聞くであろう。」 |
前田訳 | それゆえ、あなた方はこの神の救いが異邦人に送られたことを知ってください。彼らは耳を傾けるでしょう」と。 |
新共同 | だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」 |
NIV | "Therefore I want you to know that God's salvation has been sent to the Gentiles, and they will listen!" |
註解: この心持はパウロの屡々 経験せし処であり、また宣言せる処であった(使13:46、47。使18:6。使22:21。使26:20)。それにも関らずパウロはその福音を先づユダヤ人に宣伝えずにいる事が出来なかった(使13:5、使13:14、使13:46)。其他の場合皆然り。而して最後に彼は異邦人の主都ロマに於てこの事を宣言したのであった。
口語訳 | 〔パウロがこれらのことを述べ終ると、ユダヤ人らは、互に論じ合いながら帰って行った。〕 |
塚本訳 | [無シ] |
前田訳 | 〔彼がこのことをいうと、ユダヤ人は互いに論じながら帰って行った。〕 |
新共同 | (†底本に節が欠落 異本訳)パウロがこのようなことを語ったところ、ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った。 |
NIV |
28章30節 パウロは
口語訳 | パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、 |
塚本訳 | パウロは丸二年自分の借りた家に滞在した。彼の所にたずねて来る者を皆迎えて、 |
前田訳 | 丸二年パウロは自ら借りた家にとどまり、たずねて来るものを皆迎え、 |
新共同 | パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、 |
NIV | For two whole years Paul stayed there in his own rented house and welcomed all who came to see him. |
28章31節
口語訳 | はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。 |
塚本訳 | 全く公然と何の妨げもなく、神の国(の福音)を説き、主イエス・キリストのことを教えた。 |
前田訳 | 神の国をのべ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。それは全くはばからずなされ、何の妨げもなかった。 |
新共同 | 全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。 |
NIV | Boldly and without hindrance he preached the kingdom of God and taught about the Lord Jesus Christ. |
註解: かくしてパウロがロマに到るまで福音を宣伝えんと欲した処の目的は達成した。従ってこれが使徒行伝の結末にして適当なる一節である。尚ベザ写本はこれに加えて「このイエスはキリスト、神の子にして彼によりて全世界の審かるべき事を宣べたり」とあり、この一句はよくイエス・キリストの本質を示す処のものである。其後数年にしてパウロはネロ帝の迫害の下に殉教の死を遂げたのであるが、ルカがこの事を記さなかったのは、或は(1)これを記す事が当時の官憲の忌諱 に触れる恐があった為か或は(2)ルカが第三の書を目論見ていたのであろうとされている。何れにしても本節は本書の結尾として記されたものである事に疑いはない。
要義1 [ロマの教会とパウロ]パウロは斯くして二年間ロマに於て幽囚に在りて福音を宣伝えた。この間如何なる関係をロマの信徒に対して有っていたかは本書に全然記されて居ない。唯パウロがこの幽囚の中より認 めし書簡(エペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書)によりて、就中 ピリピ書によってこれを推測し得るに過ぎない。是等によって観察する場合、パウロはロマの教会に於て首脳の地位に在りし形跡なく(勿論パウロは自らこれを表顕する事を欲しなかったであろうけれども)、またロマに於て組織的教会を設立せんとの意図も無く、唯その借家に集い来る信徒に道を伝える事が彼の働きの凡てであった如くに見えるのである。学者はその理由を説明して(ラツカム)、(1)パウロが幽囚中に在りて自由なる活動が出来なかった事、(2)他の使徒殊にペテロの伝道地であってこれに闖入 するを欲しなかった事、(3)ロマ教会の独立主義的傾向等を掲げている。けれども、真の原因はそれではなく、むしろ最も有力なる原因は、人為的制度化せる教会を組織してこれを支配すると云う如き事を全く眼中に置かなかった為であろう。こうした事はパウロの信仰そのものから見て当然の結論である。
要義2 [ロマに於けるパウロの周囲の人々]前掲獄中書簡によリパウロのロマの生活の幾分を窺 ふ事が出来る。それによれば、テモテは彼と共に居り(ピリ1:1。コロ1:1)またアリスタルコ(コロ4:10。ピレ1:24)は使19:29以来尚パウロと偕に居り、バルナバの従弟マルコ(コロ4:10)は勘当を赦されて再びパウロの許に在り(使15:38-40参照)、その他ユスト、エパフラス、ルカ、デマス(コロ4:12、コロ4:14。ピレ1:24)等も皆パウロの周囲に集り、テキコは是等の三書簡を携えてアジヤに使した。またコロサイの基督者たるピレモンの奴隷オネシモが逃げてロマに来たのもこの時であり、パウロはこれをピレモンに送り返した。かくしてパウロは幽囚の中に時にピリピの信徒よりの愛の贈物に接し(ピリ4:10-19)、また時に諸教会の憂慮あり、また時に反対者よりの妨害あり(ピリ1:15-17)、この間に我らに獄中書簡を残す事が出来たのであった。かくの如くに多士済々 たりしにも関らず、人為的に教会を形成しなかった処にパウロの信仰の性質が閃 いているのを見る。
要義3 [その後のパウロ]紀元六十六年頃(この年代諸説あり)ネロの迫害の為に殉教の死を遂げたとすれば、六十年頃より六十二年に至るロマの幽囚との間に尚三四年の間隔がある事となる。而してテモテ前後書、及びテトス書即ちいわゆる牧会書簡はこの間に入るものと考えざれば他に適当なる時期を見出す事が出来ない。其他伝説の示す処を参考すれば、其後パウロは一旦釈放されて、伝道の為イスパニヤに赴き、其後ギリシヤを訪い、クレタ及びエペソに至り、トロアスを経てマケドニヤに渡りエピルスのニコポリス(テト3:12)にて一冬を過さんとした形跡がある(Tテモ1:3。Uテモ4:13。テト1:5。テト3:12)。紀元六四年七月ロマの大火の後、ネロ帝の下に基督者の大迫害起り、パウロは再びロマに捕えられ、六六年頃ペテロと前後して殉教の死を遂げたものと考えられる。
要義4 [パウロの幽囚の福音的意義]パウロのロマ捕囚の二年間は獄中書簡(エペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書)に残された事によって間接に想像し得るに過ぎない。是等の書簡によりて推察し得る処によれば(1)パウロはこの間に於て教会の霊的一致と、キリストを首とせる体、キリストを花婿とせる花嫁としての教会の本質を明かにするに非常なる貢献を為した。蓋しパウロはその伝道せるシリヤ小アジヤ、マケドニヤ、ギリシヤ地方の信徒との間に肉身的の連絡を断たれた結果、彼らとの間の霊的一致、見えざる教会の実在を益々明かに意識したのであった。(2)キリストとの霊交が益々高められ、ロマ書等に録されし信仰によりて義とされる事より更に一歩進んでヨハネ文書に録される如きキリストとの深き霊的の交りに入りたる事は、獄中書簡、殊にエペソ書、コロサイ書等に顕著である。(3)ピりピ書に示される著しき事実はパウロがその苦難の中にあって歓喜に溢れている事であった。この信仰の勝利の姿が最も鮮かに顕われているのはロマ幽囚の中に於てである。是等の諸事実が福音の内容として極めて重大なる点であって、それだけパウロのロマ幽囚は福音の為に必要であり且つ有益であった、神の御旨であると考えなければならない。
要義5 [ロマに於ける伝道の成績]統計的に知り得べき何ものもないけれども、パウロの縲絏 が却って信者の伝道心を刺激せる事(ピリ1:14)、最も福音に縁遠き近衛の兵士までがパウロの立場を理解せる事(ピリ1:13)、カイザルの宮廷の中にも信者が生ずるに至った事(ピリ4:22)、パウロに対する嫉妬より反対の立場に立ちて福音を伝える者の生じた事(ピリ1:15-18)等より見るも、パウロの伝道が大なる波紋を全世界の上に投げかけていた事が判明る。パウロの場合に於ては、全世界を馳駆 して伝道する事も、一室に閉込められて伝道する事も同一の事であった。