マルコ伝第4章
分類
2 ガリラヤにおけるイエスの活動 1:21 - 7:23
2-4 イエス譬話を用い給う 4:1 - 4:34
2-4-イ 種蒔の譬 4:1 - 4:9
(マタ13:1-9) (ルカ8:4-8)
註解: 1−3節は全章の序言のごときもの、
4章1節 イエスまた海邊にて教へ始めたまふ。[引照]
口語訳 | イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。 |
塚本訳 | イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が集まってきたので、舟に乗り、湖の上で坐(って教え)られた。群衆は皆陸にいて湖の方を向いていた。 |
前田訳 | 彼はふたたび湖畔で教えはじめられた。大勢の群衆が彼のところに集まって来たので、舟に乗って湖の上ですわられた。群衆はみな湖畔の陸にいた。 |
新共同 | イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 |
NIV | Again Jesus began to teach by the lake. The crowd that gathered around him was so large that he got into a boat and sat in it out on the lake, while all the people were along the shore at the water's edge. |
註解: マコ2:13参照。家は狭くして群衆を容れるに足らなかった。
夥多しき群衆、みもとに集りたれば、舟に乘り海に泛びて坐したまひ、群衆はみな海に沿ひて陸にあり。
註解: (▲塚本訳「陸にいて海の方を向いていた」が適訳。)海辺もなおこの大群衆を教うるに適せず、イエスは舟の上より彼らを教え給う。会堂も(マコ1:21)家も(マコ2:2)イエスの教場たるに足らず、山に(マコ3:13)海辺に(マコ3:7)その声をあげ給う。
辞解
[夥多しき] 原語「一層夥多しき」で群衆が益々増加し来ることを示す。
[舟] マコ3:9
[坐す] 教える時の姿勢。
4章2節 譬にて數多の事ををしへ、教の中に言ひたまふ、[引照]
口語訳 | イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、 |
塚本訳 | 譬をもって多くのことを教えられたが、その教えの中でこう話された、 |
前田訳 | 彼は多くのことを譬えで教えられ、教えのなかでこういわれた、 |
新共同 | イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 |
NIV | He taught them many things by parables, and in his teaching said: |
註解: 譬を用い給う理由は11−12節。
4章3節 『聽け、(視よ)種播くもの、播かんとて出づ。[引照]
口語訳 | 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 |
塚本訳 | 「聞け、種まく人が種まきに出かけた。 |
前田訳 | 「聞け。種まきが種をまきに出かけた。 |
新共同 | 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 |
NIV | "Listen! A farmer went out to sow his seed. |
4章4節 播くとき、路の傍らに落ちし種あり、鳥きたりて啄む。[引照]
口語訳 | まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 |
塚本訳 | まく時に、あるものは道ばたに落ちた。鳥が来て食ってしまった。 |
前田訳 | まくうちに、あるものは道ばたに落ち、鳥が来て食べた。 |
新共同 | 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 |
NIV | As he was scattering the seed, some fell along the path, and the birds came and ate it up. |
註解: 意味の説明は13節以下に主自らこれを為し給う。
辞解
「聴け」の次に「視よ」なる語あり。
4章5節 土うすき磽地に落ちし種あり、土深からぬによりて、速かに萠え出でたれど、[引照]
口語訳 | ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 |
塚本訳 | またあるものは土の多くない岩地に落ちた。土が深くないため、すぐ芽を出したが、 |
前田訳 | あるものは土の多くない岩地に落ち、土が深くないのですぐ芽を出したが、 |
新共同 | ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 |
NIV | Some fell on rocky places, where it did not have much soil. It sprang up quickly, because the soil was shallow. |
4章6節 日出でてやけ、根なき故に枯る。[引照]
口語訳 | 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 |
塚本訳 | 日が出ると焼けて、(しっかりした)根がないので枯れてしまった。 |
前田訳 | 日がのぼると焼けて、根がないので枯れた。 |
新共同 | しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 |
NIV | But when the sun came up, the plants were scorched, and they withered because they had no root. |
註解: 「磽地」 petrôdes はガリラヤ地方に多く見受くる、岩盤の上を薄き土墝が掩っているもの。
4章7節 茨の中に落ちし種あり、茨そだち塞ぎたれば、實を結ばず。[引照]
口語訳 | ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。 |
塚本訳 | またあるものは茨の(根が張っている)中に落ちた。茨が伸びてきて押えつけたので、みのらなかった。 |
前田訳 | あるものは茨の間に落ち、茨がのびて押えつけたので実らなかった。 |
新共同 | ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。 |
NIV | Other seed fell among thorns, which grew up and choked the plants, so that they did not bear grain. |
4章8節 良き地に落ちし種あり、生え出でて茂り、實を結ぶこと、三十倍、六十倍、百倍せり』[引照]
口語訳 | ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。 |
塚本訳 | またあるものは良い地に落ちた。伸びて育ってみのって、三十倍、六十倍、百倍の実がなった。」 |
前田訳 | あるものはよい地に落ち、のびて育って実り、あるいは三十倍、あるいは六十倍、あるいは百倍の実がなった」と。 |
新共同 | また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 |
NIV | Still other seed fell on good soil. It came up, grew and produced a crop, multiplying thirty, sixty, or even a hundred times." |
註解: 種は同一であってもその落つる土地の如何によりてその結果を異にす、この譬の事実は聴いている人々が熟知している事柄で何人も反対し得ない。ただしその中の幾人がこの真の意味を悟ったことであろう。
4章9節 また言ひ給ふ『きく耳ある者は聽くべし』[引照]
口語訳 | そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。 |
塚本訳 | そして「耳の聞える者は聞け」と言われた。 |
前田訳 | そしていわれた、「聞く耳あるものは聞け」と。 |
新共同 | そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。 |
NIV | Then Jesus said, "He who has ears to hear, let him hear." |
註解: イエスはその教訓を聴者が覚るや否やをば全く聴者の心に一任し給うた。神は人の心を機械のごとくに取扱い給わない。
2-4-ロ 種蒔の譬を説明し給う 4:10 - 4:20(マタ13:10-23) (ルカ8:9-15)
4章10節 イエス人々を離れ居給ふとき、[引照]
口語訳 | イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。 |
塚本訳 | ひとりでおられた時、弟子たちが十二人とともにこれらの譬(の意味)を尋ねると、 |
前田訳 | ひとりでおいでのとき、十二人とともに彼のまわりにいた人が譬えについておたずねした。 |
新共同 | イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。 |
NIV | When he was alone, the Twelve and the others around him asked him about the parables. |
註解: 35、36節によればイエスは続いて舟の中に居給いしごとくに見ゆる故、この人々を離れ居給うたのは(すなわち10−20節の出来事は)後日の出来事であろう。
御許にをる者ども、十二弟子とともに此等の譬を問ふ。
註解: 「御許にをる者ども」は十二弟子以外の弟子、「問ふ」はマタ13:10によれば譬にて話す理由を問うこととなり、ルカ8:9によれば譬の意味を問うこととなる。マルコは双方を意味したのであろう。なお「此等の」とあるを見てもこの質問は他の譬を語られし後と思われる。
4章11節 イエス言ひ給ふ『なんぢらには神の國の奧義を與ふれど、外の者には凡て譬にて教ふ。[引照]
口語訳 | そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。 |
塚本訳 | 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密が授けられている(のでありのままに話す)が、あの外の人たちには、すべてが譬をもって示される。 |
前田訳 | するといわれた、「あなた方には神の国の奥義が与えられている。しかし、あれら外の人々にはすべてが譬えで示される。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。 |
NIV | He told them, "The secret of the kingdom of God has been given to you. But to those on the outside everything is said in parables |
註解: 弟子たちとその以外の者(外の者)とはイエスの言葉が全く反対の結果を来す。信ずる者には救いとなり信ぜざる者には審判となる。
辞解
[奥義を与ふ] マタイ伝、ルカ伝と同じく奥義を知る能力をも与うること。
[外の者] イエスの周囲の者以外、書簡においてはキリスト者以外の者を指す(Tコリ5:12以下。コロ4:5。Tテサ4:12。Tテモ3:7)。
4章12節 これ「見るとき見ゆとも認めず、聽くとき聞ゆとも悟らず、飜へりて赦さるる事なからん」爲なり』[引照]
口語訳 | それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。 |
塚本訳 | これは(聖書にあるように)“彼らが見ても見てもわからず、聞いても聞いても悟らないようにする”ためである。“そうでないと、心を入れかえて(わたし[神]に帰り、罪を)赦されるかも知れない。”」 |
前田訳 | 彼らが見に見ても見えず、聞きに聞いても悟らぬためである。さもないと、彼らは心を入れかえてゆるされよう」と。 |
新共同 | それは、/『彼らが見るには見るが、認めず、/聞くには聞くが、理解できず、/こうして、立ち帰って赦されることがない』/ようになるためである。」 |
NIV | so that, "`they may be ever seeing but never perceiving, and ever hearing but never understanding; otherwise they might turn and be forgiven!' " |
註解: この節はイエスが譬にて語り給う目的がこれを聴く者をして救われざらしめんがためであるように見えるけれども、これはイザ6:9、10すなわち「汝此の民の心を鈍くし、その耳をものうくしその目をおほへ」の精神を反映せるもので、神はその民に対し審判の言を浴びせることによりて彼らを悔改めしめんとしているのである。マタ13:15にては幾分これを緩和している。
4章13節 また言ひ給ふ『なんぢら此の譬を知らぬか、然らば爭でもろもろの譬を知り得んや。[引照]
口語訳 | また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。 |
塚本訳 | また彼らに言われる、「この(一番簡単な)譬がわからないのか。それで、どうしてほかの譬がわかろう。(では説明しよう。)── |
前田訳 | また彼らにいわれる、「この譬えがわからないのか。それでどうしてすべての譬えがわかろう。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。 |
NIV | Then Jesus said to them, "Don't you understand this parable? How then will you understand any parable? |
註解: 10−12節の概論より14節の説明に移る橋渡しの一節。種蒔の譬が解らぬくらいならば他の譬は到底解り得ないであろう。イエスは弟子の無理解に深き失望を感じ給うた。
4章14節 播く者は御言を播くなり。[引照]
口語訳 | 種まきは御言をまくのである。 |
塚本訳 | 種まく人は(神の)御言葉をまく。 |
前田訳 | 種まきはことばをまく。 |
新共同 | 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。 |
NIV | The farmer sows the word. |
註解: イエスは種蒔人であり、ペテロ・パウロその他弟子はイエスの僕としてイエスの御言の種を全世界に播く。
4章15節 御言の播かれて路の傍らにありとは、斯る人をいふ、即ち聞くとき、直ちにサタン來りて、その播かれたる御言を奪ふなり。[引照]
口語訳 | 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。 |
塚本訳 | 道ばたのものとは、御言葉がまかれて、それを聞く時、すぐ悪魔が来て、その人たちにまかれた御言葉をさらってゆく人たちである。 |
前田訳 | 道ばたのもの、それはことばがまかれてそれを聞くと、すぐ悪魔が来てまかれたことばを取り去る人である。 |
新共同 | 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。 |
NIV | Some people are like seed along the path, where the word is sown. As soon as they hear it, Satan comes and takes away the word that was sown in them. |
註解: 多くの人の足や車の轍に踏まれし固き道路のごとく、多くの伝統やこの世の経験や先入主の観念に心頑固となっている者は神の言を心の奥に受けつけない。サタンは諸種の機会を捉えて御言を彼より奪う。
4章16節 同じく播かれて磽地にありとは斯る人をいふ、即ち御言をききて直ちに喜び受くれども、[引照]
口語訳 | 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 |
塚本訳 | 同じく岩地にまかれたものとは、御言葉を聞く時すぐ喜んで受けいれるが、 |
前田訳 | 同じように、岩地にまかれたもの、それはことばを聞くとすぐよろこんで受けるが、 |
新共同 | 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、 |
NIV | Others, like seed sown on rocky places, hear the word and at once receive it with joy. |
4章17節 その中に根なければ、ただ暫し保つのみ、御言のために、患難また迫害にあふ時は、直ちに躓くなり。[引照]
口語訳 | 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 |
塚本訳 | 自分の中に(しっかりした信仰の)根がなく、ただその当座だけであるから、あとで御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人たちである。 |
前田訳 | 自分に根がなく、おざなりなので、ことばゆえの苦難や迫害がおこると、すぐつまずく人である。 |
新共同 | 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。 |
NIV | But since they have no root, they last only a short time. When trouble or persecution comes because of the word, they quickly fall away. |
註解: 浅薄なる人物、軽信なる人、感情に動かされて強き意思を欠く人、粗忽にして深慮を欠く人はこの種類に属する。それ故にあまりに簡単に福音を受ける人は必ずしも安心ができない。
4章18節 また播かれて茨の中にありとは、斯る人をいふ、[引照]
口語訳 | また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 |
塚本訳 | また他のものは、茨の中にまかれたものである。これは御言葉を聞くが、 |
前田訳 | ほかのもの、それは茨の中にまかれた人で、彼らはことばを聞くが、 |
新共同 | また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、 |
NIV | Still others, like seed sown among thorns, hear the word; |
註解: ▲塚本訳は原文のままを表している。
4章19節 即ち御言をきけど、世の心勞、財貨の惑、さまざまの慾いりきたり、御言を塞ぐによりて、遂に實らざるなり。[引照]
口語訳 | 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。 |
塚本訳 | (しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしやその他の欲が入ってきて御言葉を押えつけて、みのらない人たちである。 |
前田訳 | この世のわずらいや富の惑わしやそのほかの欲が入って来てことばを押えて実らなくなる。 |
新共同 | この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。 |
NIV | but the worries of this life, the deceitfulness of wealth and the desires for other things come in and choke the word, making it unfruitful. |
註解: 霊肉共に多くの慾望を有する人はこの種に属する、かかる人よりその茨を取り去る時、最も有望なる土墝となるけれども、茨は頑固に土墝に喰い入り容易に取り去ることができない。最もなやみ多き人である。
4章20節 播かれて良き地にありとは、斯る人をいふ、即ち御言を聽きて受け、三十倍、六十倍、百倍の實を結ぶなり』[引照]
口語訳 | また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。 |
塚本訳 | また良い地にまかれたものとはこれである、それは御言葉を受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちである。」 |
前田訳 | よい地にまかれたもの、それはことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人である」と。 |
新共同 | 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」 |
NIV | Others, like seed sown on good soil, hear the word, accept it, and produce a crop--thirty, sixty or even a hundred times what was sown." |
註解: その心は柔軟従順にして神の言を受くるに足り、その思いは深くして御言の根を深く卸さしめ、その心は純真にしてこの世の慾の妨ぐるもの無き処こそ、神の言の播かれる良き地である。神の言を受けんとするものは先ずこれを受くべき良き地を耕さなければならない。
要義 [人間の天性は宿命的なりや]路傍、磽地、茨地等のごとく人間の性質は生れながら備わりこれを変更し得ざるや、すなわち福音を受けて実を結び得る者は心に良き地を有する者のみなりや、もし然りとすれば他の者の救いは如何になるべきか。心配無用である。何となれば神は時に大なる苦難を与えて堅き磽地を砕き、茨を焼き尽くしこれを良き地たらしめ給う、人生における苦難はこの意味において神の賜物である。
2-4-ハ 教訓の活用 4:21 - 4:25(ルカ8:16-18)
4章21節 また言ひたまふ『升のした、寢臺の下におかんとて、燈火をもち來るか、燈臺の上におく爲ならずや。[引照]
口語訳 | また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。 |
塚本訳 | また彼らに言われた、「(しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、ただしばらくである。)明りを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためであろうか。燭台の上に置くためではあるまいか。 |
前田訳 | また彼らにいわれた、「明りを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためであろうか。燭台の上に置くためではないか。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。 |
NIV | He said to them, "Do you bring in a lamp to put it under a bowl or a bed? Instead, don't you put it on its stand? |
註解: マタ5:15参照。「真の光なるイエス」(ヨハ1:9)に照らされたる弟子たちは「世の光」(マタ5:14)である。ゆえに公然世人の前にその光を耀かし、イエスの言を宣伝えなければならぬ。
4章22節 それ顯るる爲ならで、隱るるものなく、明かにせらるる爲ならで、秘めらるるものなし。[引照]
口語訳 | なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。 |
塚本訳 | 隠れているもので現わされるためでないものはなく、隠されているもので現われるためでないものもないからである。 |
前田訳 | 隠されたものは皆現わされるためであり、おおわれたものは皆明らかにされるためである。 |
新共同 | 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。 |
NIV | For whatever is hidden is meant to be disclosed, and whatever is concealed is meant to be brought out into the open. |
註解: 凡ての重要なる奥義は一時は隠されているけれども、それはやがて時到りて顕わされるために過ぎない。神の国の福音はこれまで隠されていた。今やこれが全世界に顕さるべき時が来たのである。汝らは大にこれを全人類の前に顕さなければならない。
4章23節 聽く耳ある者は聽くべし』[引照]
口語訳 | 聞く耳のある者は聞くがよい」。 |
塚本訳 | 耳の聞える者は聞け。」 |
前田訳 | 聞く耳あるものは聞け」と。 |
新共同 | 聞く耳のある者は聞きなさい。」 |
NIV | If anyone has ears to hear, let him hear." |
註解: 一般の群衆は勿論弟子たちも果してこの譬を理解せしや否やはイエスの憂い給う点であった。
4章24節 また言ひ給ふ『なんぢら聽くことに心せよ、汝らが量る量にて量られ、更に増し加へらるべし。[引照]
口語訳 | また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。 |
塚本訳 | また彼らに言われた、「(わたしから)聞くことに気をつけよ。(わたしの言葉を)量る量りで、あなた達も(神に)量られる。そして(よく聞く人は、持っている上になお)つけたして与えられる。 |
前田訳 | また彼らにいわれた、「あなた方が聞くことに心せよ。自らはかる量りであなた方ははかられ、つけ加えられる。 |
新共同 | また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。 |
NIV | "Consider carefully what you hear," he continued. "With the measure you use, it will be measured to you--and even more. |
註解: イエスの言を聴き、これを大なる升に入れて量るならば、それと同じ升をもって量って与えられ、さらにこれに加えて与えられ、反対に小なる升に神の言を盛る者は小なる升をもって量り与えられるに過ぎない。ゆえにその聴く処に注意し、できるだけ多く学び、かつ充分にこれを理解するようにしなければならぬ。なおマタ7:2には人を審く場合の教訓としてこの語が録され、やや異なれる意味に用いられていることに注意すべし。
4章25節 それ有てる人は、なほ與へられ、有たぬ人は、有てる物をも取らるべし』[引照]
口語訳 | だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。 |
塚本訳 | 持っている人には(さらに)与えられ、持たぬ人は、持っているものまで取り上げられるのである。」 |
前田訳 | 持つものは与えられ、持たぬものは持っているものをも取られよう」と。 |
新共同 | 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」 |
NIV | Whoever has will be given more; whoever does not have, even what he has will be taken from him." |
註解: この世の経済社会においてはこの現象が行われ、富める者は益々富み、貧しき者は益々貧しくなるを常とする。霊界においてもまたかくのごとく、イエスの言を充分に豊かに有つことが必要であり、然らざれば益々貧弱なる信仰となってしまうことは人みなの経験する処である。
要義 [キリスト者の責任]キリスト者は退嬰的であってはならない。稀有の光に照らされ、天国の宝を豊かに与えられている以上、できるだけ大なる升をもって天国の真理を己がものとなし、これを全世界に顕さんがためにその光を公然と耀かさなければならない。この大望と大活動とは、キリスト者に欠くべからざる要素である。イエスは11−25節の言をもってこれを弟子たちに示し給うた。
2-4-ニ 神の国の自己発展 4:26 - 4:29
4章26節 また言ひたまふ『神の國は、或人、たねを地に播くが如し、[引照]
口語訳 | また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 |
塚本訳 | また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、 |
前田訳 | またいわれた、「神の国はこのようである。ある人が地に種をまく。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 |
NIV | He also said, "This is what the kingdom of God is like. A man scatters seed on the ground. |
註解: 26−29節はマルコ特有の教訓、30−32節(マタ13:31以下。ルカ13:18以下)は神の国の発展の有様を示し、この一段は神の言の自力による発展を示す。また3−9節の種播きの譬は播かれる畑地の如何の問題であって種自身の力の問題ではない。イエスが常に天然を観察してこれを諸方面より福音の真理に適用し給えることを見る。
4章27節 日夜起臥するほどに、[引照]
口語訳 | 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 |
塚本訳 | 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。 |
前田訳 | 夜昼寝起きするうち、種は芽生えて育つが、その人はわけを知らない。 |
新共同 | 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 |
NIV | Night and day, whether he sleeps or gets up, the seed sprouts and grows, though he does not know how. |
註解: 種を播いて置きさえすれば、その後は平常通りの生活をしていさえすればとの意。
種はえ出でて育てども、その故を知らず。
註解: 育て給う者は神であって、人間は唯種を播き水を注ぎ得るに過ぎない。種の中に芽を造ることもできずこの芽を一寸も引伸ばすことができない。
4章28節 地はおのづから實を結ぶものにして、[引照]
口語訳 | 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 |
塚本訳 | (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。 |
前田訳 | 地はひとりでに実を結ぶ。まず茎、次に穂、次に穂の中に熟した粒。 |
新共同 | 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 |
NIV | All by itself the soil produces grain--first the stalk, then the head, then the full kernel in the head. |
註解: ここでは「地」の力と見られているけれども勿論種子自身に有する力を除外したのではない。地の力と種の力との合作であり要するに自然の力、神の力である。人間はこの力の前に沈黙しなければならない。
辞解
[おのづから] automatê 「自動的に」の意。
初には苗、つぎに穗、つひに穗の中に充ち足れる穀なる。
註解: 神の言の種子は唯これを良き地に播きさえすれば、順序を逐うて次第次第に発展しついに実を結ぶに至る。人力をもってこれをなすことができずまた為さんとしてはならない。▲最も重要なことは種子そのものが真の種子であり、生命をもつものであることである。これは生命であって知識や形式や制度ではない。制度と形式を定め、福音に関する知識を与えただけでは神の国はできない。今日の教会と神の国とは別物である。
4章29節 實、みのれば直ちに鎌を入る、收穫時の到れるなり』[引照]
口語訳 | 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。 |
塚本訳 | 実が熟すると、すぐに“鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。”」 |
前田訳 | 実りとなると、すぐ鎌を入れる。取入れ時が来たのである」と。 |
新共同 | 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 |
NIV | As soon as the grain is ripe, he puts the sickle to it, because the harvest has come." |
註解: 神の国の民の数が満つるに至れば神は世の四方の極よりその民を集め給う。
要義 [神の言の発展]神の国の種子たる神の言は、唯これを人の心の畑に播きさえすれば、言自身に発芽力発展力を有し、神秘なる力をもってついに豊かなる穀物となる。勿論この場合、農夫が畑を耕すこと、肥料や水を施すことを無用視したのではない。しかしながらかかる労作と、種子より苗、穂、穀物にまで発育せしむる力とは、到底同日の論ではない。後者に比すれば前者は無視されて相当である。それ故に人は自己の力にて神の国を造り上げようと考えてはならない。唯神の言の種を播き、水を灌ぎ、害虫を除き、風水の害を防ぎ、サタンが毒麦を播くことを注意することのみが、人間に与えられた仕事である。それ故に神の国の福音を宣伝うる者は専ら神の言の種を播くこととその発育を助くることとに全力を尽すべきであり、その他を凡て神の力に委すべきである。
2-4-ホ 芥種の譬 4:30 - 4:32(マタ13:31-32) (ルカ13:18-19)
4章30節 また言ひ給ふ『われら神の國を何になずらへ、如何なる譬をもて示さん。[引照]
口語訳 | また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 |
塚本訳 | また言われた、「神の国を何にたとえようか。どんな譬で表わそうか。 |
前田訳 | またいわれた、「神の国をどうたとえようか。どんな譬えで示そうか。 |
新共同 | 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 |
NIV | Again he said, "What shall we say the kingdom of God is like, or what parable shall we use to describe it? |
4章31節 一粒の芥種のごとし、地に播く時は、世にある萬の種よりも小けれど、[引照]
口語訳 | それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 |
塚本訳 | (神の国は)芥子粒のようである。地にまかれる時には、地上のあらゆる種の中で一番小さいが、 |
前田訳 | それはからし種のようである。地にまかれるときはすべての種のうちでもっとも小さいが、 |
新共同 | それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 |
NIV | It is like a mustard seed, which is the smallest seed you plant in the ground. |
4章32節 既に播きて生え出づれば、萬の野菜よりは大く、かつ大なる枝を出して、空の鳥その蔭に棲み得るほどになるなり』[引照]
口語訳 | まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。 |
塚本訳 | まかれると、伸びてきてすべての野菜の中で一番大きくなり、大きな枝を出して、“その(葉の)陰に空の鳥が巣をつく”れるようになるのである。」 |
前田訳 | まかれると、のびてすべての野菜のうちでもっとも大きくなり、大きな枝を出して、その葉陰(はかげ)に空の鳥が巣を作れるほどになる」と。 |
新共同 | 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 |
NIV | Yet when planted, it grows and becomes the largest of all garden plants, with such big branches that the birds of the air can perch in its shade." |
註解: 芥種は種子の中の最小なるものとして例示される場合が多い(マタ17:20。ルカ17:6)。イエスはこの譬により神の国の現在と未来との比較をここに示し、現在は如何に微々として目にも留らないようであるけれども、やがては思いもよらざる大木となることを示し給うたのである。「空の鳥」云々は単にこれをその木の大きさを示す形容と見ても差支えないけれども、聖書に一般に空の鳥は不吉なる方面に用いられる場合多き故(マタ8:20。マタ13:4。エゼ31:3−15。黙18:2等)この場合も、かく解し、神の国の拡張は、同時にその中に危険の分子の潜入をも意味するものと見ることができる。なおマタ13:31、32註参照。
要義 [神の国の譬喩]マルコ伝はここに「種播き」(3−20節)、「燈火」(21−25節)、「種の発育」(26−29節)、「芥種」(30−32節)等のイエスの譬話を集め、イエスは神の国のことに関しては専ら譬をもって語り給えることを明かにした。而してこれらの譬は神の国の諸方面を巧みに示しているのであって、神の国が如何なる場所に発展するか(種播きの譬)、如何にして宣伝えられるか(燈火と升量の譬)、如何にして育つか(結実の譬)、如何に小より大に発展するか(芥種の譬)を我らに示す処の重要なる教訓である。これによってこれを見るに(1)我らは神の言の種を播くべき心の畑の如何を充分に注意し、良き地を選び、悪しき地を良き地たらしむる必要があることは勿論であるけれども、種を播く者必ずしも土地の如何のみに拘泥せず、大胆にこの種を播き、而してその結実の如何をあまりに苦慮すべからざること、(2)神の言を充分に受けて、大胆にこれを世界に向って宣伝うべきこと、(3)神の国は時至ればそれ自身自然に発達する本性を有しているもの故、人間的なる技工や計画や運動をもって神の国の速成を企画すべからざること、(4)而して神の国は現在において如何に微小無力であってもやがては非常なる力として顕れ来るものなることを教えているのである。
2-4-ヘ 譬のみにて語り給う 4:33 - 4:34(マタ13:34-35)
4章33節 斯のごとき數多の譬をもて、人々の聽きうる力に隨ひて、御言を語り、[引照]
口語訳 | イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。 |
塚本訳 | イエスは聞く人々の力に応じて、このような多くの譬で御言葉を語られた。 |
前田訳 | 人々の聞く力に応じて、イエスはこのような数多くの譬えでみことばを語られた。 |
新共同 | イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 |
NIV | With many similar parables Jesus spoke the word to them, as much as they could understand. |
4章34節 譬ならでは語り給はず、弟子たちには、人なき時に凡ての事を釋き給へり。[引照]
口語訳 | 譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。 |
塚本訳 | 譬を使わずに語られることはなかった。が弟子たちには、人のいない時に何もかも説明された。 |
前田訳 | 譬えなしでは語られなかったが、おのが弟子たちには、人のいないときすべてを説き明かされた。 |
新共同 | たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。 |
NIV | He did not say anything to them without using a parable. But when he was alone with his own disciples, he explained everything. |
註解: イエスの教訓法の特徴は譬喩をもってのみ語り給うことであった。これには偉大なる能力と洞察力とが必要であって非凡の才能を有するにあらざれば不可能である。
辞解
[人々] 弟子以外の一般の人々、マタ13:34の「群衆」に相当す。
[人なき時] kat’ idian は「個人的に」の意。
要義 [譬をもって語ることの益]重大なる真理を、一般の群衆に語る場合、譬をもってすることは、種々の点において有益である。すなわち(1)如何に無智無学なる者といえども少なくとも譬そのものだけはこれを心に留めて置くことができること。(2)その意味を解するのに聴く人の能力に応じて如何なる程度にもこれを解し得ること。(3)その含蓄する意味が無限なること。(4)敵に対する非難すらも非礼に亘らずしてしかも辛辣適切なること(マタ23章参照)。(5)比較的正確に後の代に語り伝えられることである。しかしながら凡ての重大な問題を譬をもって語ることは、非凡の才を要することであって、必ずしも凡ての人の企ておよぶ処ではない。イエスがこの方法のみにより給いしことはイエスの偉大さの然らしむる処であると同時に、またこれが今日の我らに与えし偉大なる感化の原因であった。
2-5 イエスの奇蹟の例 4:35 - 5:452-5-イ 海上に荒を静め給う 4:35 - 4:41(マタ8:23-27) (ルカ8:22-25)
4章35節 その日夕になりて言ひ給ふ[引照]
口語訳 | さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。 |
塚本訳 | その日、夕方になると、「向う岸に渡ろう」と言われる。 |
前田訳 | その日、夕方になると、弟子たちにいわれた、「向こう岸へ行こう」と。 |
新共同 | その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 |
NIV | That day when evening came, he said to his disciples, "Let us go over to the other side." |
註解: その日は1節より連続して譬を語り給える日の意。ただしマタ8:18、マタ8:23は別の日のごとく見ゆ、マルコは一般に日時につき必ずしも精確ではない。ルカ8:22は不定の日を指す。
『いざ彼方に往かん』
註解: 群衆を避けて静なる処に休息を欲し給うた。
4章36節 弟子たち群衆を離れ、イエスの舟にゐ給ふまま共に乘り出づ、他の舟も從ひゆく。[引照]
口語訳 | そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。 |
塚本訳 | 弟子たちは(岸に立っている)群衆を解散して、イエスが舟に乗っておられるのを、そのままお連れする。幾艘かほかの舟もついて行った。 |
前田訳 | 彼らは群衆に別れて、舟にお乗りのままのイエスのお伴をした。ほかに何隻かの舟も同行した。 |
新共同 | そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 |
NIV | Leaving the crowd behind, they took him along, just as he was, in the boat. There were also other boats with him. |
註解: イエスの舟に弟子たちは乗込み、他の舟はこの時もまたイエスに従い来った。▲「離れ」 aphiêmi には「あるものを自分から離す」意味と、「あるものから自分が離れる」意味とがある。本節は後者であろう。
辞解
[共に乗り出づ] 「彼を携えゆく」の意。
4章37節 時に烈しき颶風おこり、浪うち込みて、舟に滿つるばかりなり。[引照]
口語訳 | すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。 |
塚本訳 | すると激しい突風がおこり、波が舟に打ち込んできて、もう舟にいっぱいになりそうになった。 |
前田訳 | するとはげしい嵐がおこって、波が舟に打ち込み、はや舟いっぱいになるほどであった。 |
新共同 | 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 |
NIV | A furious squall came up, and the waves broke over the boat, so that it was nearly swamped. |
註解: ガリラヤ湖の周囲の山より突風起こりて湖上の舟をなやますことはしばしばであった。
4章38節 イエスは艫の方に茵を枕として寢ねたまふ。[引照]
口語訳 | ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。 |
塚本訳 | しかしイエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちが「先生、溺れます、構ってくださらないのですか」と言って起した。 |
前田訳 | しかし彼自身は艫(とも)で枕をしてお眠りであった。弟子たちはお起こししていった、「先生、おぼれます。よろしいのですか」と。 |
新共同 | しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 |
NIV | Jesus was in the stern, sleeping on a cushion. The disciples woke him and said to him, "Teacher, don't you care if we drown?" |
註解: 自然界の大怒号の中にも泰然として眠ることは非常なる大胆さによるかまたは神に対する絶対信頼によるより外に不可能である。イエスの場合は勿論この後者であった。
辞解
[茵] proskephalaion は(1)座蒲団のごときもの、(2)枕、(3)舟の一部に首を安むるに適するようにしつらえる木製の部分等種々の説あり。
弟子たち呼び起して言ふ『師よ、我らの亡ぶるを顧み給はぬか』
註解: イエスの泰然として熟睡し給うのに比して弟子たちは死の恐怖にその度を失い、イエスを起してこれを訴えた。弟子たちにとりてはイエスの熟睡は全く不可解であり、その事実のみをもってしてもイエスの常人にあらざることを思わざるを得なかった。弟子たちはイエスをもって愛なき人のごとくに感じた。信仰に立ちて動かざるものは時に愛なき者のごとくに見られることがある。
4章39節 イエス起きて風をいましめ、海に言ひたまふ[引照]
口語訳 | イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。 |
塚本訳 | イエスは目をさまして風を叱りつけ、湖に言われた、「黙れ、静かにしないか!」(たちどころに)風がやんで、大凪になった。 |
前田訳 | お起きになって風をいましめて湖にいわれる、「黙れ、静かにせよ」と。すると風はやんで大凪(おおなぎ)になった。 |
新共同 | イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 |
NIV | He got up, rebuked the wind and said to the waves, "Quiet! Be still!" Then the wind died down and it was completely calm. |
註解: イエスは無生物に対しても命令を発し給うた(マコ11:14、マコ11:23)。神の子は神と等しく自然界をもその権力の下に置き給うことを示す。暴風は悪鬼の業と考えられていたので、イエスは悪鬼を警めたのであると解する学者があるけれども(W2)、かく解すべきではない。
辞解
「風と海とに対しいましめて言い給う」との意味に解することを得るように思われる。かく解して次の言がよく了解せられる。
『默せ、鎭れ』
註解: 風に対しては「黙せ」海に対しては「鎮れ」と命じ給うた。
乃ち風やみて、大なる凪となりぬ。
註解: イエスの力がこの奇蹟をなした。弟子たちは荒れ狂う風波を叱責し給うイエスの姿の中に、人間とは思えない神々しさを見出した。
4章40節 斯て弟子たちに言ひ給ふ『なに故かく臆するか、信仰なきは何ぞ』[引照]
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「なんでそんなに臆病なのか。まだ信じないのか。」 |
前田訳 | 彼らにいわれた、「なぜそんなに意気地なしか。信仰がないのはどうしたことか」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 |
NIV | He said to his disciples, "Why are you so afraid? Do you still have no faith?" |
註解: 絶対に神に信頼する者には恐怖はない。生死の間に立ちて泰然としてこれに処することができる。イエスはそれ故に弟子たちの信仰なきを見て強くこれを叱責し給うた。如何なる危険の中にありても凡てを神に委せて泰然としているのが真の信仰である。
4章41節 かれら甚く懼れて互に言ふ『こは誰ぞ、風も海も順ふとは』[引照]
口語訳 | 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。 |
塚本訳 | 弟子たちはすっかりおびえてしまって、「この方はいったいだれだろう、風も湖もその言うことを聞くのだが」と語り合った。 |
前田訳 | 彼らは大いにおそれた。そして互いにいった、「この方はいったいどなただろう、風も湖も従うとは」と。 |
新共同 | 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。 |
NIV | They were terrified and asked each other, "Who is this? Even the wind and the waves obey him!" |
註解: 彼らは未だイエスを神の子と信ずるには至っていなかった。それ故にこの事実を見ていたくイエスを懼れ、かつ彼の何たるかを怪しんだ。
要義 [神の懐に在し給うイエス]神の懐にいだかれる者にとりては、自然の凡ての姿が神の懐そのものである。うららかなる春の日も荒れ狂う冬の空も、共に神の御手の中にある。それ故にイエスは暴風激浪の中にあって、なお母のふところに在る嬰児のごとくに安らかに睡り給うた。絶対の信頼すなわち信仰は平安である。この世の浪風が如何に荒れ狂いて我らを呑み尽さんとする場合でも、神を信じ彼に依頼む者には絶対の平安がある。
マルコ伝第5章
2-5-ロ ゲラセネの狂人と豚 5:1 - 5:20
(マタ8:28-34) (ルカ8:26-39)
註解: イエスは自然力(マコ4:35−41)のみならず、また悪霊をも支配し給う。
5章1節 斯て海の彼方なるゲラセネ人の地に到る。[引照]
口語訳 | こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。 |
塚本訳 | かくて湖の向う岸、ゲラサ人の地に着いた。 |
前田訳 | やがて彼らは湖の向こう岸のゲラサ人の地に着いた。 |
新共同 | 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。 |
NIV | They went across the lake to the region of the Gerasenes. |
註解: マタ8:28にはガダラ人の地とあり、何れもガリラヤ湖の東より東南に亙れる地方にあるギリシャ風の諸都市の一つで、その十市を合わせてデカポリス(十市)と称した。その地点は今日は不明である。
5章2節 イエス舟より上り給ふとき、穢れし靈に憑かれたる人、墓より出でて、直ちに遇ふ。[引照]
口語訳 | それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。 |
塚本訳 | イエスが舟からあがられると、すぐ、汚れた霊につかれたひとりの人が墓場から出てきて、イエスを迎えた。 |
前田訳 | イエスが舟からお降りになると、すぐ、けがれた霊につかれた人が墓から出て来て彼を迎えた。 |
新共同 | イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。 |
NIV | When Jesus got out of the boat, a man with an evil spirit came from the tombs to meet him. |
註解: 墓は岩盤に掘られた横坑で、人これに入ることができる。「穢れし霊に憑かれる」とはその人の精神がその人の自由にならず他の霊の力に支配されること、かかることが有り得るや否やは今日の医学の発達の程度では不明であるが、キリスト者はサタンの実在を経験する以上、これを肯定することができる。なおマタイ伝は二人の悪鬼に憑かれし者につき記す、マルコ伝ルカ伝はその中の一人につき記す。
5章3節 この人、墓を住處とす、鏈にてすら今は誰も繋ぎ得ず。[引照]
口語訳 | この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。 |
塚本訳 | この人は墓場を住家としていたが、もはやだれも、鎖ですらつないでおくことが出来なかった。 |
前田訳 | この人は墓を住処(すみか)とし、もはやだれも彼を鎖でつなぐことはできなかった。 |
新共同 | この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。 |
NIV | This man lived in the tombs, and no one could bind him any more, not even with a chain. |
5章4節 彼はしばしば足械と鏈とにて繋がれたれど、鏈をちぎり、足械をくだきたり、誰も之を制する力なかりしなり。[引照]
口語訳 | 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。 |
塚本訳 | 幾たびか足桎と鎖でつないだが、鎖を引きちぎり、足桎を打ちこわして、だれの手にもおえなかったのである。 |
前田訳 | たびたび足かせや鎖でつないだが、鎖はちぎられ、足かせはこわされて、だれも彼を縛りえなかった。 |
新共同 | これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。 |
NIV | For he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him. |
註解: これは一種の精神錯乱者の生活状態を記す。その地方の人々の語れる処に従ったものであろう。彼は異常の膂力を有し、危険で近付けなかった。なお15節およびルカ8:27によれば衣を着ずに生活していた。
5章5節 夜も晝も、絶えず墓あるひは山にて叫び、己が身を石にて傷つけゐたり。[引照]
口語訳 | そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。 |
塚本訳 | どなったり、体を石でなぐったりしながら、夜も昼も、いつも墓場や山にいた。 |
前田訳 | そして夜昼いつも墓や山で叫んだり、石で自分を打ったりしていた。 |
新共同 | 彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。 |
NIV | Night and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones. |
註解: 聞く人無きに無用の声をあげ、己を傷つけて顧みなかった。3−5節の姿はサタンに支配される罪人の姿である(要義一参照)。
5章6節 かれ遙にイエスを見て、走りきたり、御前に平伏し、[引照]
口語訳 | ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、 |
塚本訳 | 遠くの方でイエスを見ると、駆けてきてひざまずき、 |
前田訳 | ところで、遠くからイエスを見ると、駆けて来てひれ伏し、 |
新共同 | イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、 |
NIV | When he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him. |
註解: 悪鬼は霊的存在なるが故に、イエスを認識する点においては人間以上である。それ故に逸早くも遠くよりイエスを認めたのであった。
5章7節 大聲に叫びて言ふ『いと高き神の子イエスよ、我は汝と何の關係あらん、神によりて願ふ、我を苦しめ給ふな』[引照]
口語訳 | 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。 |
塚本訳 | 大声で叫んだ、「いと高き神の子のイエス様、“放っておいてください。”後生だから、どうぞわたしを苦しめないでください。」 |
前田訳 | 大声で叫んでいう、「何のご用ですか、いと高き神の子イエスさま。お願いですからわたしを苦しめないでください」と。 |
新共同 | 大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」 |
NIV | He shouted at the top of his voice, "What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? Swear to God that you won't torture me!" |
註解: 悪鬼はイエスを「いと高き神の子」と知って恐れた。悪鬼は神以外に恐れるものが無い。而して悪鬼の最も恐れたことは「苦しめられること」すなわちその平穏なる生活を脅かされることであった。悪鬼にとりて最も平穏無事な住処は完全に彼に服従している人間である。
辞解
[我は汝と何の関係あらん] マコ1:24註参照。
[神によりて願ふ] 原文「神によりて汝に命ず」(使19:13。Tテサ5:27)でこの「命ず」 orkizô は「誓って・・・・・させる」というごとき意、誓いの際に用う。
5章8節 これはイエス『穢れし靈よ、この人より出で往け』と言ひ給ひしに因るなり。[引照]
口語訳 | それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。 |
塚本訳 | これはイエスが「汚れた霊、その人から出てゆけ」と言われたからである。 |
前田訳 | これはイエスが「けがれた霊、この人から出よ」といわれたからである。 |
新共同 | イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。 |
NIV | For Jesus had said to him, "Come out of this man, you evil spirit!" |
註解: 7節の前に起りし事柄。イエスのこの命令が悪霊の生活を不安ならしめた。
5章9節 イエスまた『なんぢの名は何か』と問ひ給へば『わが名はレギオン、我ら多きが故なり』と答へ、[引照]
口語訳 | また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。 |
塚本訳 | 「あなたの名はなんというか」とお尋ねになると、「名は軍団です、大勢だからです」とこたえる。 |
前田訳 | そして彼に問われた、「何という名か」と。彼はいう、「軍団(レギオン)と申します。大勢ですから」と。 |
新共同 | そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。 |
NIV | Then Jesus asked him, "What is your name?" "My name is Legion," he replied, "for we are many." |
註解: レギオンは六千人よりなるローマの兵団の名称。答は人間の口を借りて悪霊が答えたこととなる。「我」と「我ら」とが同時に用いらる所以は多数の悪霊が一体となりて一つの悪霊であることを示す。ルカ8:30にはルカの説明として録さる。かかる多くの悪霊に憑かれし人の憐れむべき姿をイエスは深き憫みをもって眺め給うた。
5章10節 また己らを此の地の外に逐ひやり給はざらんことを切に求む。[引照]
口語訳 | そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。 |
塚本訳 | また、この土地から追い出さないようにとしきりに願った。 |
前田訳 | そして、この地から追い出さないように、しきりにお願いした。 |
新共同 | そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。 |
NIV | And he begged Jesus again and again not to send them out of the area. |
註解: 悪霊たちは現に最もその処を得、最も幸福なる場所に落着いていたのであった。かかる霊を逐い出すことは容易ではない。人間の中に悪しき心が深く根を卸している場合これを除くことが容易でないのと同様である。
辞解
[此の地の外] 悪しき霊にとりて不慣れの地との意ならんもルカ8:31には「底なき所」すなわち陰府の意と解している。
5章11節 彼處の山邊に豚の大なる群、食しゐたり。[引照]
口語訳 | さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。 |
塚本訳 | 折から、そこの山の中腹で豚の大きな群が草を食っていた。 |
前田訳 | そこの山の中腹で豚の大群が草を食(は)んでいた。 |
新共同 | ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。 |
NIV | A large herd of pigs was feeding on the nearby hillside. |
註解: ユダヤ人は豚を穢れしものとして食わなかったけれども、異邦人はこれを食した。デカポリス地方は異邦人の都市であった。
辞解
[山辺] ▲「山腹」の意訳。口語訳、塚本訳参照。
5章12節 惡鬼どもイエスに求めて言ふ『われらを遣して豚に入らしめ給へ』[引照]
口語訳 | 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。 |
塚本訳 | 霊どもは、「わたしどもをあの豚の中にやって、あれに乗り移らせてください」と願った。 |
前田訳 | それで霊どもは彼に願った。「われらを豚につかわしてその中に入らせてください」と。 |
新共同 | 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。 |
NIV | The demons begged Jesus, "Send us among the pigs; allow us to go into them." |
5章13節 イエス許したまふ。穢れし靈いでて、豚に入りたれば、二千匹ばかりの群、海に向ひて、崖を駈けくだり、海に溺れたり。[引照]
口語訳 | イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。 |
塚本訳 | お許しになると、汚れた霊どもは(その人から)出ていって豚に乗り移った。すると二千匹ばかりの群はけわしい坂をどっと湖へなだれこみ、湖で溺れて死んだ。 |
前田訳 | おゆるしになると、けがれた霊は豚に入った。群れは二千匹ほどであったが、崖を下って湖になだれ込み、湖でおぼれた。 |
新共同 | イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。 |
NIV | He gave them permission, and the evil spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned. |
註解: 穢れし霊はイエスの力に圧迫せられ、その前に立つことができなくなった。それ故に彼らはその人を出でて他に転居せんとしたところ、幸いその近くに多数の豚の群がいたのでその中に入った。これにより豚の心が一変し海に落ちて溺死した。かかることがあり得るものなりや否やは難問題であるが、人間の霊魂が死後復活の時まで存続することを主張するキリスト教の立場より、かかる霊の働きの存在を直ちに否定することができず、また霊的現象の研究が不充分なる現下の知識をもってしてはこれを否定し去ることができず、また人の強き精神が動物をも動かすことはフランシスの小鳥に対する説教、その他よりもこれを確認することができる。またイエスが他人の所有の豚を溺死せしめしことは財産権の侵害として非難することもできるけれども、イエスは一人の霊魂を救うがためには如何に多くの財産をもこれを無視し給いしものと見てこの行為の高さを知る。
5章14節 飼ふ者ども逃げ往きて、町にも里にも告げたれば、人々何事の起りしかを見んとて出づ。[引照]
口語訳 | 豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。 |
塚本訳 | 豚飼たちは逃げ出して、町や部落に知らせたので、何事がおこったのかと人々が見に来た。 |
前田訳 | 豚飼いらはのがれて町にも里にも知らせたので、人々が何がおこったかと見に来た。 |
新共同 | 豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。 |
NIV | Those tending the pigs ran off and reported this in the town and countryside, and the people went out to see what had happened. |
5章15節 斯てイエスに來り、惡鬼に憑かれたりし者、即ちレギオンをもちたりし者の、衣服をつけ、慥なる心にて坐しをるを見て、懼れあへり。[引照]
口語訳 | そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。 |
塚本訳 | 彼らはイエスの所に来て、前に一軍団の悪鬼につかれていた者が着物をき、正気にかえってじっと座っているのを見ると、恐ろしくなった。 |
前田訳 | 人々はイエスのところに来て、軍団につかれていた人が着物を着て正気になってすわっているのを見ると、おそれおののいた。 |
新共同 | 彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。 |
NIV | When they came to Jesus, they saw the man who had been possessed by the legion of demons, sitting there, dressed and in his right mind; and they were afraid. |
註解: この非常なる変化を見て、住民たちは如何なる原因でかかる大変化がこの人の上に起ったかを思い懼れ戦いた。
5章16節 かの惡鬼に憑かれたる者の上にありし事と、豚の事とを見し者ども、之を具に告げたれば、[引照]
口語訳 | また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。 |
塚本訳 | また(現場を)見ていた人たちは、悪鬼につかれていた者におこったことや豚のことを、その人々に話してきかせた。 |
前田訳 | 目撃者は悪霊つきにおこったことや豚のことを彼らに物語った。 |
新共同 | 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。 |
NIV | Those who had seen it told the people what had happened to the demon-possessed man--and told about the pigs as well. |
5章17節 人々イエスにその境を去り給はん事を求む。[引照]
口語訳 | そこで、人々はイエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。 |
塚本訳 | 人々は聞いて(気味わるくなり)、イエスにその土地からでて行ってもらいたいと頼んだ。 |
前田訳 | そこで彼らはイエスに自分たちの地方を出られるよう願った。 |
新共同 | そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。 |
NIV | Then the people began to plead with Jesus to leave their region. |
註解: 何事を為すか図り難き力を持ち給うイエスに対する恐怖と、豚に対して為されし損害を惜しむ心とがイエスの退去を請う原因であった。再びかかることの起らんことを恐れたからである。自己の安全と利害とのために人はイエスを見失うのみならずこれを拒むに至る。
5章18節 イエス舟に乘らんとし給ふとき、惡鬼に憑かれたりしもの偕に在らん事を願ひたれど、[引照]
口語訳 | イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。 |
塚本訳 | そこで舟に乗られると、悪鬼につかれていた者が、ついて行きたいと願った。 |
前田訳 | イエスが舟に乗られると、悪霊につかれていたものがお伴を願い出た。 |
新共同 | イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。 |
NIV | As Jesus was getting into the boat, the man who had been demon-possessed begged to go with him. |
註解: イエスは彼らの請を容れて直ちにその地を去らんとし給う。イエスを拒むことの不幸を彼らは知らなかったために彼らはイエスによりて救われることの幸福を失った。唯悪鬼に憑かれし者のみ、イエスの弟子の中に加わることを切望した、イエスに対する感謝の心に溢れたからであろう。再び悪鬼に憑かれんことを恐れるためであるとするのは適切ではない。
5章19節 許さずして言ひ給ふ『なんぢの家に、親しき者に歸りて、主がいかに大なる事を汝に爲し、いかに汝を憫み給ひしかを告げよ』[引照]
口語訳 | しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。 |
塚本訳 | しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。」 |
前田訳 | しかしゆるさずにいわれた、「家に帰って身うちのものに主があなたをあわれんでなさったことのすべてを告げよ」と。 |
新共同 | イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」 |
NIV | Jesus did not let him, but said, "Go home to your family and tell them how much the Lord has done for you, and how he has had mercy on you." |
註解: イエスが彼の偕にいることを許し給わざりし理由は、これがかえってイエスの奇蹟をガリラヤ一般に言いふらす原因となることを恐れ給うたためであろう。またイエスが一般に、彼の何たるかとその奇蹟とを言い広めることを厳しく禁じ給えるにもかかわらず
(マコ1:44。マコ3:12。マコ5:43。マコ7:36。マコ8:30。マコ9:9)
この場合これを命じ給えるは一見矛盾するごときも、この場合は単にこれを家人にのみ告げて、異邦人をして神(すなわち主)(L2)に栄光を帰せしめんとしたのであって、一般に言い広めしめんとしたのではなかった。それ故にこの場合はガリラヤにあらざるが故、彼が来給うこと稀なるためなりと解する必要はない(L2)。
5章20節 彼ゆきてイエスの如何に大なる事を己になし給ひしかをデカポリスに言ひ弘めたれば、人々みな怪しめり。[引照]
口語訳 | そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。 |
塚本訳 | すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、デカポリスに言いふらし始めた。皆が驚いた。 |
前田訳 | そこで彼は去って、イエスが彼になさったことすべてをデカポリスに伝えはじめた。皆がおどろいた。 |
新共同 | その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。 |
NIV | So the man went away and began to tell in the Decapolis how much Jesus had done for him. And all the people were amazed. |
註解: 前に悪鬼に憑かれしこの男はイエスの命に背き、家人に告ぐる代りにデカポリス一般に言い広め、神の御業を告ぐる代りにイエスの御業を言い広めた。イエスは己のことをでき得るかぎり隠さんとしても隠すことができない、隠れたるより顕れるはなし。
要義1 [悪鬼に憑かれしものの姿]この記事の中の悪鬼に憑かれし者の姿は、罪人の心の姿に酷似している。罪人とはその心がサタンに支配せられている者を言う。それ故に彼の心は常に暗黒なる墓場の中にあって天日の光の中に来ることを欲しない。彼の心は罪の裸体の醜さを露出し、律法をもってその悪を制御せんとしても、彼らはその律法や道徳を破壊し去るのである。罪人は自らこのサタンに打勝つ力が無い、唯イエス・キリストの力によりてのみこの状態を脱することができる。
要義2 [悪鬼なるものは存在するや]イエスの時代および新約聖書が書かれた時代においては、悪鬼の存在を疑わなかった。悪鬼はまた悪霊、穢れし霊とも呼ばれていた。而してこれらの諸霊はこれを統御するサタンの配下に属するものと考えられており、従って信仰の戦は、「政治、権威、この世の暗黒を掌るもの、天の処にある悪の霊と戦う」ことである(エペ6:12)とされていた。今日の科学はかかる霊の実在を証明するには至っていないけれども、今日といえども信仰の体験はサタンの実在を実感する。すでにサタンが実在するとすれば、その霊が種々の活動を為し得ることは否定し得ざることとなる。科学的証明はこれを後世に待たなければならないけれども、今日の科学をもってこの全事実を否定し去ることは早計である。▲最近生命に対する科学的研究が着手され進行しつつあり。やがて悪霊の存在の問題にも触れるようになるであろう。
附記 [この奇蹟に対する反対論]この奇蹟の事実が奇怪なるの故をもって、これを悪鬼放逐に関する異邦の物語に似せて作れる物語なりとし、また豚を溺死せしむることは他人の財産を破壊することであってイエスの行為らしからずとし、またはイエスの奇蹟はみな愛の故に行われるのであるけれども、豚の奇蹟はその中に愛なき故イエスの御業にあらざるべし等と論ずる学者もあるけれども、何れもこの記事の活き活きせる目撃者の筆になりしごとき事実を否定するに足りない。なおマタ8:34要義一、二参照。
2-5-ハ ヤイロの娘の甦りと血漏を患える女 5:21 - 5:43(マタ9:18-26) (ルカ8:40-56)
5章21節 イエス舟にて、復かなたに渡り給ひしに、大なる群衆みもとに集る。[引照]
口語訳 | イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。 |
塚本訳 | イエスが舟でまた向う岸に渡られると、大勢の群衆が彼のところに集まってきた。彼は湖のほとりにおられた。 |
前田訳 | イエスが舟でふたたび向こう岸に渡られると、大勢の群衆が彼のところに集まって来た。彼は湖畔におられた。 |
新共同 | イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。 |
NIV | When Jesus had again crossed over by boat to the other side of the lake, a large crowd gathered around him while he was by the lake. |
註解: ゲラセネより去りて対岸カペナウムの近くに来り給う、到る処イエスは群衆に取り囲まれ給うた、彼の名声嘖嘖たりしを見る。マタイ伝にてはこの間にマコ2:1−22の事件を入れている。
イエス海邊に在せり。
註解: マタ9:1によればカペナウムに帰り給えることとなる。
5章22節 會堂司の一人、ヤイロといふ者きたり、イエスを見て、その足下に伏し、[引照]
口語訳 | そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、 |
塚本訳 | するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、 |
前田訳 | そこへヤイロという名の一会堂司(つかさ)が来て、彼を見るとお足もとにひれ伏し、 |
新共同 | 会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、 |
NIV | Then one of the synagogue rulers, named Jairus, came there. Seeing Jesus, he fell at his feet |
註解: 彼のイエスに対する態度を見ても、その心に耐え難き苦悩があり、恥も外聞も地位も身分も忘れていることが判明る。ヤイロなる名称をここに掲げしことは、この記事の事実なりしことの有力なる証拠である。本書が録されし当時ヤイロもその娘もなお生存中であったかも知れぬ(B1)。
辞解
[會堂司] ユダヤ人の会堂の監理者のごときもの「会堂司の一人」というのは「一人の会堂司」の意味にも取られ、また会堂が二つ以上あった場合とも考うることを得、大体一つの会堂には一人の司あるを常態とす(ただし使13:14、15)。
[ヤイロ] 「彼(神)照らし給う」との意。
5章23節 切に願ひて言ふ『わが稚なき娘いまはの際なり、來りて手をおき給へ、さらば救はれて活くべし』[引照]
口語訳 | しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。 |
塚本訳 | しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」 |
前田訳 | ことばを重ねて願う、「わたしの小さな娘が死にそうです。いらしてお手をのせてください、救われて、いのち拾いしますように」と。 |
新共同 | しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」 |
NIV | and pleaded earnestly with him, "My little daughter is dying. Please come and put your hands on her so that she will be healed and live." |
註解: この娘の年齢は十二歳であった(42節)。ヤイロは気狂わんばかりにその娘のことを憂いてイエスに請うた。彼はイエスならば必ずその娘を醫し得給うとの信仰を有っていた。マタ9:18には「今死にたり、されど・・・・・」とあり、35節の事実と本節の希望とをマタイは一括して記したものであろう。
5章24節 イエス彼と共にゆき給へば、大なる群衆したがひつつ御許に押迫る。[引照]
口語訳 | そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。 |
塚本訳 | イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。 |
前田訳 | そこで同行された。大勢の群衆が従って行って彼に押しよせた。 |
新共同 | そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。 |
NIV | So Jesus went with him. A large crowd followed and pressed around him. |
註解: 群衆はイエスの言を聞かんとし、または彼により病を醫されんとし、またはその行い給う奇蹟を見んとして彼の周囲に蝟集して彼を離れなかった。
5章25節 爰に十二年、血漏を患ひたる女あり。[引照]
口語訳 | さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。 |
塚本訳 | すると十二年も長血をわずらって、 |
前田訳 | 十二年長血をわずらう女がいた。 |
新共同 | さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。 |
NIV | And a woman was there who had been subject to bleeding for twelve years. |
註解: ヤイロの娘の年齢とこの女の病気の期間とが同一であることに特別の意味あり(B1)とする必要はない。
5章26節 多くの醫者に多く苦しめられ、有てる物をことごとく費したれど、何の效なく、反つて増々惡しくなりたり。[引照]
口語訳 | 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。 |
塚本訳 | 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、 |
前田訳 | 多くの医者になやまされ、全財産を使いはたしたが、何にも役立たず、むしろ悪くなる一方であった。 |
新共同 | 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。 |
NIV | She had suffered a great deal under the care of many doctors and had spent all she had, yet instead of getting better she grew worse. |
註解: 慢性病に対する医療の困難は今日に至るもなお除かれない、いわんやこの当時においてはなおさらである。この病に対しては当時無数の療法が行われた(L2)。その中の主なるもの十二種をS2は掲げている。人力に絶望せる処に神の力が加えられる。医療は神の力に対する信頼と感謝を有ちつつ、謙遜なる心をもって行わるべくまた受くべきものである。
5章27節 イエスの事をききて、群衆にまじり、後に來りて御衣にさはる、[引照]
口語訳 | この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。 |
塚本訳 | イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。 |
前田訳 | イエスのことを聞いて群衆の中にまじって来て、うしろからお着物にさわった。 |
新共同 | イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。 |
NIV | When she heard about Jesus, she came up behind him in the crowd and touched his cloak, |
註解: 絶対絶命の状態に在った彼女は、全心全霊をもってイエスに依り頼み、群衆の雑閙を利用しレビ15:19−27の戒律を犯して竊かにイエスの衣にさわりて治癒を盗み取らんとした。イエスの偉大なる治癒力に関する風評を聴いたからである。
辞解
[衣] マタ9:20。ルカ8:44には「衣の総」とあり民15:38−40参照。
5章28節 『その衣にだに觸らば救はれん』と自ら謂へり。[引照]
口語訳 | それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。 |
塚本訳 | 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。 |
前田訳 | 「お着物にでもさわれば救われよう」と思ったからである。 |
新共同 | 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。 |
NIV | because she thought, "If I just touch his clothes, I will be healed." |
註解: マコ3:10。マコ6:56と同じく衣またはその総に触ることによりて多くの人が醫された。これはイエスの力が衣を通して伝わったと見るべきではなく、衣に触る行為によりて病者の信仰的態度がイエスに集注せられしためイエスの霊との間に感応があったと見るべきである。
5章29節 斯て血の泉、ただちに乾き、病のいえたるを身に覺えたり。[引照]
口語訳 | すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。 |
塚本訳 | はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。 |
前田訳 | するとすぐ血のもとが乾いて、病がなおったことを身で感じた。 |
新共同 | すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。 |
NIV | Immediately her bleeding stopped and she felt in her body that she was freed from her suffering. |
註解: 彼女の祈りはイエスの中より霊力を引出しこれによりてその永年の病が直ちに醫された。彼女の主観的心理状態の結果醫されたのであると言い得ないことは次節によりてこれを知ることができる。
5章30節 イエス直ちに能力の己より出でたるを自ら知り、群衆の中にて、振反り言ひたまふ『誰が我の衣に觸りしぞ』[引照]
口語訳 | イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。 |
塚本訳 | イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」 |
前田訳 | イエスは自分の中から力が出て行ったのをすぐ感じて、群衆の中で振り返っていわれた、「だれがわたしの着物にさわったのか」と。 |
新共同 | イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。 |
NIV | At once Jesus realized that power had gone out from him. He turned around in the crowd and asked, "Who touched my clothes?" |
註解: イエスの意思によらずして、イエスの能力は彼より引出された。これは稀有の例であるが、しかし全然不可能事であるということはできない。心と心とは相通ずるのみならず、人の心は自己の意思のみによりて動かされざる部分を多く有っている。イエスがこのことを感得し給うたのは霊的に敏感なるがためであった。神が人の祈りによりて動かされるのもこの働きである。▲生命活動が凡て電気的変化を伴うことが、次第に科学的に研究されつつあり、この現象の解決も科学的にも可能になる時期も遠くはないであろう。
5章31節 弟子たち言ふ『群衆の押迫るを見て、誰が我に觸りしぞと言ひ給ふか』[引照]
口語訳 | そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。 |
塚本訳 | 弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」 |
前田訳 | 弟子たちがいった、「ごらんのとおり群衆があなたに押しよせているのに、『だれがわたしにさわったか』とおっしゃるのですか」と。 |
新共同 | そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」 |
NIV | "You see the people crowding against you," his disciples answered, "and yet you can ask, `Who touched me?'" |
註解: 「見て」は「見ながらしかも」というごとき心持。すなわち多くの群衆が彼の身体に觸れているので、弟子たちはイエスの質問を解し得なかった。イエスにとりては一人の女の祈りによる行為と群衆の雷同的行為との区別が明かに感じられた。同一の行為と見ゆる処のものが神の前には全く別のものとして現われる。
5章32節 イエスこの事を爲しし者を見んとて見囘し給ふ。[引照]
口語訳 | しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。 |
塚本訳 | イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。 |
前田訳 | イエスはこのことをした女を見ようとあたりを見まわしておられた。 |
新共同 | しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。 |
NIV | But Jesus kept looking around to see who had done it. |
5章33節 女おそれ戰き、己が身になりし事を知り、來りて御前に平伏し、ありしままを告ぐ。[引照]
口語訳 | その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。 |
塚本訳 | 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。 |
前田訳 | 女は自分におこったことを知っておそれおののき、イエスのところに来てひれ伏し、真相をすべてお話しした。 |
新共同 | 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。 |
NIV | Then the woman, knowing what had happened to her, came and fell at his feet and, trembling with fear, told him the whole truth. |
註解: 女はイエスの炯眼によりて直ちに発見されることを知り(ルカ8:47)また自己の病の快癒せることを感じ、イエスの御前に平伏して凡ての真実を吐露した。女は自己の苦悩を免れんことの熱望より出発してイエスに来った。しかも今やイエスの前に平伏すに及んで彼の女の心は打砕かれて全心全霊をもってイエスに帰依するに至った。
5章34節 イエス言ひ給ふ『娘よ、なんぢの信仰なんぢを救へり。安らかに往け、病いえて健かになれ』[引照]
口語訳 | イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、“平安あれ。”もう病気をせず、達者でいなさい。」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安らかにお出かけなさい。病気しないで、いつも健やかで」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 |
NIV | He said to her, "Daughter, your faith has healed you. Go in peace and be freed from your suffering." |
註解: イエスの御言は愛に充ちているものであった。その信仰を賞めその健康を祝福し給う。このイエスの御言より冷たい神学論を引出して、神が救うのか信仰が救うのかというごときことを論ずることは避くべきである。
5章35節 かく語り給ふほどに、會堂司[の家]より人々きたりて言ふ『なんぢの娘は早や死にたり、爭でなほ師を煩はすべき』[引照]
口語訳 | イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。 |
塚本訳 | イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家から人々が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」 |
前田訳 | 彼がまだお話しの最中に会堂司の家から人々が来ていった、「お嬢さまがなくなりました。どうしてなお先生をおわずらわしですか」と。 |
新共同 | イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」 |
NIV | While Jesus was still speaking, some men came from the house of Jairus, the synagogue ruler. "Your daughter is dead," they said. "Why bother the teacher any more?" |
註解: これを聴ける時のヤイロの心は如何であったろうか、彼はその娘の復活を如何ばかり希望したことであろうか(マタ9:18)。しかしながら冷静なる常識はイエスを招くことを無用と感じた。常識は不可能を不可能と信じ、信仰は不可能事も神によって可能と信ずる。
辞解
「會堂司の家」の「の家」は本文になし、訳語を補充して意味を明かにしたものである。
5章36節 イエス其の告ぐる言を傍より聞きて、會堂司に言ひたまふ『懼るな、ただ信ぜよ』[引照]
口語訳 | イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。 |
塚本訳 | イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」 |
前田訳 | イエスはそういうのを聞いて会堂司にいわれる、「心配なく。ただ信ぜよ」と。 |
新共同 | イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。 |
NIV | Ignoring what they said, Jesus told the synagogue ruler, "Don't be afraid; just believe." |
註解: 会堂司はこの御言をきき、夢中でイエスに頼り縋ったことであろう。この御言は絶望に陥らんとする多くの人に、起死回生の力を与うる霊薬である。
辞解
[傍より聞き] また「無視して」の意味に取ることもできるけれども(M0、E0)本文のごとく訳するを可とす。
5章37節 斯てペテロ、ヤコブその兄弟ヨハネの他は、ともに往く事を誰にも許し給はず。[引照]
口語訳 | そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。 |
塚本訳 | そしてペテロとヤコブの兄弟のヨハネとのほかには、だれもついて来ることを許されなかった。 |
前田訳 | そして彼はペテロとヤコブの兄弟ヨハネのほかだれのお伴もゆるされなかった。 |
新共同 | そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。 |
NIV | He did not let anyone follow him except Peter, James and John the brother of James. |
註解: この三人は最も重大なる機会において特別にイエスと共に在ることを許された(マコ9:2。マコ14:33)。他の人々の同行を許し給わなかった所以は、かかる群集はイエスの精神の集注に妨害となるからである。
5章38節 彼ら會堂司の家に來る。イエス多くの人の、甚く泣きつ叫びつする騷を見、[引照]
口語訳 | 彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、 |
塚本訳 | やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、 |
前田訳 | 彼らは会堂司の家へ来た。人々がひどく泣き叫んでいる騒ぎをごらんになると、 |
新共同 | 一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、 |
NIV | When they came to the home of the synagogue ruler, Jesus saw a commotion, with people crying and wailing loudly. |
5章39節 入りて言ひ給ふ『なんぞ騷ぎ、かつ泣くか、幼兒は死にたるにあらず、寐ねたるなり』[引照]
口語訳 | 内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。 |
塚本訳 | (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」 |
前田訳 | 中へ入っていわれる、「何を騒いで泣くのか。子は死んではいない。眠っているのだ」と。 |
新共同 | 家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」 |
NIV | He went in and said to them, "Why all this commotion and wailing? The child is not dead but asleep." |
註解: イエスはこの幼児を甦らしめ得る確信を有っていた。復活し得る者にとりては死は一時の睡眠と異なる処はない。死の悲嘆の中に復活の希望の嘉信を聴くことができることは、死に支配される人間社会における唯一の希望であり慰籍である。
5章40節 人々イエスを嘲笑ふ。[引照]
口語訳 | 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。 |
塚本訳 | 人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。 |
前田訳 | しかし人々はイエスをあざ笑った。そこで彼は皆を外に出し、子の父と母とご自分のお伴といっしょに子のいるところにお入りになった。 |
新共同 | 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。 |
NIV | But they laughed at him. After he put them all out, he took the child's father and mother and the disciples who were with him, and went in where the child was. |
註解: 復活の希望は、これを信ぜざる者にとりては甚だ解し難く、かつ馬鹿らしく思われるものである。しかしながら嘲笑する者が正しいか嘲笑される者が正しいかは時至れば自ら明かとなる。
イエス彼等をみな外に出し、幼兒の父と母と己に伴へる者とを率きつれて、幼兒のをる處に入り、
5章41節 幼兒の手を執りて『タリタ、クミ』と言ひたまふ。少女よ、我なんぢに言ふ、起きよ、との意なり。[引照]
口語訳 | そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。 |
塚本訳 | そして子供の手を取って、「タリタクミ!」と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。 |
前田訳 | そして子の手を取っていわれる、「タリタ、クミ」と。訳すと、「少女よ、あなたにいう、起きよ」である。 |
新共同 | そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。 |
NIV | He took her by the hand and said to her, <"Talitha koum!"> (which means, "Little girl, I say to you, get up!"). |
註解: イエスの厳かなる一声に幼児は起き上った。世の終りにおいて、終りのラッパの鳴らん時、このイエスの一声によりて、凡て彼を信ずるものは甦るのである。
辞解
[外に出し] マコ1:12の「逐ひやる」と同語。その註参照。
「タリタ」は「少女よ」。「クミ」は「起きよ」で「我なんぢに言ふ」はマルコの附加。なおイエスは平常アラム語で語り給うた。実際の光景を目撃せるペテロの談話の息吹がこの記事の中に充ちている。
5章42節 直ちに少女たちて歩む、その歳十二なりければなり。[引照]
口語訳 | すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。 |
塚本訳 | ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた。 |
前田訳 | ただちに少女は立って歩きまわった、十二歳であったから。それを見るなり、人々はおどろきのあまりわれを忘れた。 |
新共同 | 少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。 |
NIV | Immediately the girl stood up and walked around (she was twelve years old). At this they were completely astonished. |
註解: 死ぬる者再び立ち上った時の両親のおどろきと喜びとは如何ばかりであったろうか。
辞解
[十二なりければなり] 歩みしことの理由
彼ら直ちに甚く驚きおどろけり。
註解: 室の外にこれまで泣き叫びつつあった人々は、反対に驚駭に陥ってしまった。彼らは未だ曾てかかることを目撃しなかった。
5章43節 イエス此の事を誰にも知れぬやうにせよと、堅く彼らを戒め、また食物を娘に與ふることを命じ給ふ。[引照]
口語訳 | イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。 |
塚本訳 | イエスはだれにもこのことを知られるなときびしく人々に言いつけ、また子供に(何か)食べさせるようにと言われた。 |
前田訳 | 彼はこのことをだれにも知らせぬよう彼らをきびしくいましめ、少女に食べ物を与えよといわれた。 |
新共同 | イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。 |
NIV | He gave strict orders not to let anyone know about this, and told them to give her something to eat. |
註解: (▲ルカ8:55には少女が歩き出すと同時にこれに食物を与えることを命じ給うたことになっている。ルカの医者としての細かい注意である。)この奇蹟の宣伝を禁じ給えることはマコ1:44。マコ3:12と同一の理由である。食物を与うることを命じ給えるは、その病の全治せることを示すと同時に病中の絶食のために飢えていることを知り給うたからである。
要義1 [ヤイロの娘の復活について]この記事は重症の病に臥する瀕死の病者を子に持つ親にとっては、非常に強き希望を与え、またその癒される場合に大なる感謝の見本となる。しかしながら子の病癒えずしてついに死するに至れる場合、かえってその親をしてイエスの力を疑わしむるごとき悲痛なる立場に立たしむることが往々にして有り得ることである。しかしながらこの奇蹟は単にヤイロの娘なる一人の肉体の生命を復活せしむることが目的ではなく、イエスが人を甦らしむる力を持ち給うことを示さんがための奇蹟であった。この肉体の生命の復活はやがてまた死ぬべきものに過ぎず、一人の少女の復活は他の多くの少女の死を打消すことができない。しかしながら我らはこの少女の復活によりイエスを信じる力が与えられる。而して「終の日に我之を甦らすべし」と言い給いしイエスを信じて、やがて我らを永遠に生きしむる復活の生命を信ずることができる。
要義2 [切に求むる心]十二年血漏の病にかかれる女の切なる願いは、その醫されんことであった。切なる祈りはついに神を動かすことができる。イエスの御心は知らぬ間にこの女の祈りによって動かされていたのであった。山を移すほどの信仰とはかかる信仰をいう。