黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2テモテ書

第2テモテ書第2章

分類
3 テモテに対する教訓 2:1 - 4:8
3-1-1 伝道者の任務 2:1 - 2:26  
3-1-イ 伝道者の生活問題に注意せよ 2:1 - 2:7  

註解: Uテモ1:13、14において一言テモテに対して命令せる事柄につきさらにこれを如何に活用すべきかを教える。

2章1節 (されば)わが()よ、[引照]

口語訳そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。
塚本訳(いま言う通り)だから、わが子よ、君はキリスト・イエスにある恩恵によって強かれ。
前田訳それで、わが子よ、キリスト・イエスにある恵みによって力強くなってください。
新共同そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。
NIVYou then, my son, be strong in the grace that is in Christ Jesus.
註解: 「されば」はUテモ1:15のごとく信仰を棄てる者もあること故との意、「わが子」パウロのテモテに対する愛情の深さを示す。

(なんぢ)キリスト・イエスにある恩惠(めぐみ)によりて(つよ)かれ。

註解: たとい汝自身は天性において弱い性格であってもそれは問題ではない、キリスト・イエスに依頼み彼より恩恵を受けて強い人間にならなければならぬ。然らざれば信仰の戦に勝つことができない。
辞解
[キリスト・イエスにある恩恵] 救い、恩恵の賜物、教師としての職、新生命等と解する説あれど上記のごとくに解すべきである。

2章2節 (かつ)おほくの證人(しょうにん)(まへ)にて、(われ)より()きし(ところ)のことを(ほか)(もの)(をし)()忠實(ちゅうじつ)なる人々(ひとびと)(ゆだ)ねよ。[引照]

口語訳そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。
塚本訳そして(按手の時)多くの証人達の前で私から聴いたことを、また他人に教え得る信頼すべき人達に委ねよ。
前田訳あなたが多くの証人の前でわたしからお聞きのことは、ほかの人々をも教えるに十分な力のあろう信ずべき人々にゆだねてください。
新共同そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい。
NIVAnd the things you have heard me say in the presence of many witnesses entrust to reliable men who will also be qualified to teach others.
註解: この一節は思想がやや横道に入った観がある。1節は密接に3節に連絡する。ただし本節もテモテが当時エペソを離れてアジヤの各地に巡回伝道を行っていたものと解するならば(緒言およびUテモ4:5註参照)、各地においてその地の最も有能な人に対して牧会や伝道のことを委ねるべきことを教えたものと解することができる。すなわち本節の意味は、テモテが多くの証人の前にて(おそらくTテモ4:14Uテモ1:6の任命の場合を指すのであろう)パウロより聴きしことすなわち伝道者としての最も重要なる根本的中心的心得を各地の忠実なる人々に同様に伝えてこれを後の代に、また各方面に広く継承せしめなければならない。そしてこの種の忠実なる人々というのはテモテと同様に教会の牧者、教師としてまた伝道者として他人を教えることに値している者でなければならない。なおこの継承はローマ法王の位のみが使徒より継承せるものであるというごとき排他的意味の継承ではなく、多くの適当なる人々に伝えてこれを継承させるべきものである。
辞解
[教へ得る] 「教えるに適している」の意。

2章3節 (なんぢ)キリスト・イエスのよき兵卒(へいそつ)として(われ)とともに苦難(くるしみ)(しの)べ。[引照]

口語訳キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
塚本訳キリスト・イエスの善き兵卒として、(皆と)共に苦しめ。
前田訳キリスト・イエスのよい戦士として苦しみを共になさい。
新共同キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい。
NIVEndure hardship with us like a good soldier of Christ Jesus.
註解: キリスト・イエスの招集を受けし兵卒は信仰の闘いのあらゆる苦難を忍ばなければならぬ。「苦難を忍ぶ」は「苦しい目に遭う」意味で、広い意味であるが本節の場合パウロは特に伝道者として嘗めなければならぬ生活苦、経済上の困難につき考えていたことは次の三節によりてもこれを知ることができる。

2章4節 兵卒(へいそつ)(つと)むる(もの)生活(なりはひ)のために(まと)はるる(こと)なし、これ(つの)れる(もの)(よろこ)ばせんとすればなり。[引照]

口語訳兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。
塚本訳(いやしくも)兵卒たる者は、司令官に喜ばれるため(ただ戦いのことに全力を尽くし、決して)生活問題に携わ(ってはな)らない。
前田訳従軍するものは指揮者の意に沿うために、日常生活にはかかり合いません。
新共同兵役に服している者は生計を立てるための仕事に煩わされず、自分を召集した者の気に入ろうとします。
NIVNo one serving as a soldier gets involved in civilian affairs--he wants to please his commanding officer.
註解: 兵卒として招集せられし者は専ら戦闘において敵を打破ることに専念すべきであって、自己の生計問題、生活のための商売上のことにつき心を労してはならない。兵卒を募れる者は兵卒の生活を保証する故、専心兵卒の務めを為すことが募れる者を喜ばせる(Tコリ9:7)。同様にキリスト・イエスの兵卒として伝道に従事する者は、自己の生計のことにつき心を労せず専心伝道に従事しなければならない。なおこの教訓とパウロ自身の生活態度(Tコリ9:12以下。Tテサ2:9Uテサ3:8、9)との関係につきては要義参照。
辞解
[生活のために] 原語「生命のための仕事」。

2章5節 ()(きそ)(もの)、もし(のり)(したが)ひて(きそ)はずば冠冕(かんむり)()ず。[引照]

口語訳また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。
塚本訳また試合をする者は、法に適って試合をせねば勝利の冠を得(ることは出来)ない。
前田訳競技するものは正規に競技しなければ栄冠を得ません。
新共同また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。
NIVSimilarly, if anyone competes as an athlete, he does not receive the victor's crown unless he competes according to the rules.
註解: テモテの伝道上に必要なる第二の心得は、オリンピヤにおける競技者のごとく、定められし規則を守って競技しなければならないことである。伝道者には伝道者としての当然の規律があり(当時は勿論成文法にあらず)、パウロはしばしばこれをテモテに教えたのであったが、それに違反する場合は褒美としての栄冠を得ることができない。前後の関係上主として伝道者の生計問題に関して言ったのであろう。伝道者の生計問題の法則は、不正の利を求めず、貧富の如何によりて人を偏り見ず、伝道を利用して貪ることをせず、等のことを指すと見て可なり。
辞解
パウロはしばしばオリンピヤの競技の例を用いて説明した。この方法が当時のギリシャ人に最もよく訴える所があったからであり、また彼の生活が、その神より選ばれしこととその緊張せる熱心と、その勝たんとする努力と、その衆人環視の中に行われる行動態度とにおいて、オリンピヤの選手に酷似していたからであろう。Tコリ9:24−27。

2章6節 (らう)する農夫(のうふ)まづ()分配(ぶんぱい)()べきなり。[引照]

口語訳労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。
塚本訳苦労する農夫がまず収穫(の分け前)に与るのは当然である。(褒美を得ようとする者は、そのことに全力を尽くさねばならぬ。)
前田訳働く農夫がまっ先に実りの分け前にあずかるべきです。
新共同労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
NIVThe hardworking farmer should be the first to receive a share of the crops.
註解: 伝道者テモテの守るべき第三の点は、彼が労働することである(▲この「労働」は勿論伝道することを指す)。労働せざる農夫が収穫を得ることができず、反対に労働にいそしむ農夫が、他の何人よりも先にその収穫に与ることを得ると同様に、労働する伝道者は、まずその実に与ることが至当である。あたかも地主や穀物の購買者が働く農夫よりその収穫を搾取すべきでないと同様に、伝道者の働きにより霊の糧を与えられている者は、その肉の果実の初穂を第一に伝道者に帰すべきである。パウロはここにテモテに働くべきことと、そうして働く場合その生活をそれによりて支えられることの当然であることを教えている。なお要義参照。

2章7節 (なんぢ)わが()(ところ)をおもへ、(しゅ)なんぢに(すべ)ての(こと)()きて(さとり)(たま)はん。[引照]

口語訳わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。
塚本訳私が言うことをよく考えよ、主は何事についても(必ず)君に悟りを与え給うであろうから。
前田訳わたしのいうことをお考えなさい。主はあなたに何につけても理解力をお与えでしょう。
新共同わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです。
NIVReflect on what I am saying, for the Lord will give you insight into all this.
註解: 以上の数節にパウロの言える所(W2)はよくこれを考える必要があり、これを真の生命の活動の中に生かさなければならない。この三つの注意は要するに一つの心の働きである故これを形式的に規律せんとしても不可能である。これらのことにつき主イエスより悟を賜わる必要がある。
要義 [伝道者の生計問題とパウロの自給伝道]パウロは自らその職業たる天幕製造業に従事しつつ自活の伝道をなし、大いにこれに誇り(Tコリ9:15)また他の人々にもかく行うべきことをすすめている(Uテサ3:9)にも関らず、本書においてテモテには反対に伝道者として生活のための仕事に従事すべからざること、労働の果実に第一に与るべきことを教えているのは、一見矛盾せる思想のごとくに見え、学者によりてはこれをもって本書のパウロの著にあらざることの一つの証拠とも見ているのである。しかしながらパウロの場合の天幕製造は(すこし)も生活のために(まと)われ、煩わされていた様子はなく、パウロの主の兵卒としての戦闘の作業の一部として完全にその中に融合されたものであって、パウロはこれを「生活のための仕事に(まと)われている」とは考えなかった。そして他方テモテの場合においては、テモテの弱い性格より来る欠点として、生活上の困難に心を労するようになり易く、また他面教会または信者より生活の資を得ることにより、自己の自由がこれによりて束縛される場合も有り得ることであり、またこれを当然の権利と考えずして教会の人々の面を恐れるごときことがありがちであり、従って種々苦肉の策を(ろう)して生計を保たんとするごとき誘惑が彼に臨むことも無くはなかったのであろう。パウロはこれを知り、かかる教訓を与えたのであった。パウロ自身の生活態度との間に何らの矛盾がないのみならず、パウロは何人をも形式的にこれを規定し、または外面的に自己に(なら)わしめんとせず、心の根本的態度を示したのである。

3-1-ロ 主の真実に信頼せよ 2:8 - 2:13  

2章8節 わが福音(ふくいん)()へる(ごと)く、ダビデの(すゑ)にして死人(しにん)(うち)より(よみが)へり(たま)へるイエス・キリストを(おぼ)えよ。[引照]

口語訳ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。
塚本訳ダビデの子孫から出、死人の中から甦りい給うイエス・キリストを忘れるな──これが私の福音である。
前田訳イエス・キリストをつねに思ってください。彼はダビデの末の出で、死人の中からよみがえられました。これがわが福音です。
新共同イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。
NIVRemember Jesus Christ, raised from the dead, descended from David. This is my gospel,
註解: テモテが強くなりその任務を完遂することを得んがためには、イエス・キリストを憶えることが必要である。すなわち人間としてはダビデの(すえ)より生れし約束せられしメシヤであり、死人の中より甦らせられしことによりてその不死と勝利とを示し給えるキリストである。このキリスト・イエスを憶ゆることはキリスト者の力の秘訣であり、彼を忘れることはキリスト者の無力の基である。
辞解
[我が福音に云へる如く] 直訳「我が福音に(したが)えば」でパウロの伝えし福音において主張している通りの意。ガラ1:11Tコリ15:1
[甦り給へる] 「甦えらせられ給える」。

2章9節 (われ)はこの福音(ふくいん)のために苦難(くるしみ)()けて惡人(あくにん)のごとく(つな)がるるに(いた)れり、されど(かみ)(ことば)(つな)がれたるにあらず。[引照]

口語訳この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。
塚本訳私はこの(福音の)ため罪人として縛られるまでに苦しみを受けているが、神の言は縛られてはいない。
前田訳このためにわたしは悪者のようにつながれるまでに苦しんでいます。しかし神のことばはつながれていません。
新共同この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。
NIVfor which I am suffering even to the point of being chained like a criminal. But God's word is not chained.
註解: パウロの現在の縲絏(なわめ)は第一回のローマにおける幽囚より一層厳重であり、あたかもネロの時代の国事犯のごとくに取扱われたらしく思われることは本節の用語がこれを示している(ラムゼー)。それにもかかわらず神の言すなわちイエス・キリストの福音は、それ自身の力と価値とによりてその進むべき道を進むものであって、何ものもこれを妨げることができない。福音を宣伝うる者を束縛することによりて福音を束縛し得るごとくに考えることは大なる誤りである。否かえって福音のために役立つことは多くの史上の事実の証明する処である。ピリ1:12−14。

2章10節 この(ゆゑ)(われ)えらばれたる(もの)のために(すべ)ての(こと)(しの)ぶ。これ(かれ)()を[して](も(また))永遠(とこしへ)光榮(くわうえい)(とも)にキリスト・イエスによる(すくひ)()しめんとてなり。[引照]

口語訳それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。
塚本訳この故に私は選ばれた人達のために凡てを忍耐する、彼らにもキリスト・イエスにおける救いと、永遠の栄光とを得させるためである。
前田訳それゆえわたしは選ばれた人々のためにすべてを忍びます。それは彼らもキリスト・イエスにある救いを永遠の栄光とともに受けるためです。
新共同だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。
NIVTherefore I endure everything for the sake of the elect, that they too may obtain the salvation that is in Christ Jesus, with eternal glory.
註解: パウロの受難は福音の妨害とならずかえってその進歩を助ける故に、これによりて多くの選ばれたる者は、イエス・キリストによる救いに至らしめられ、ついには彼と共に永遠の光栄に与ることを得るに至るのである故、これを思えばパウロにとりてその苦難は何でもない。パウロは喜んでこれを忍んでいるのである。
辞解
[この故に] 前節を受けて後を説明する。
[永遠の光栄] 「救」の完成を意味す。
[選ばれたる者] キリスト者のこと。
[彼らをも亦] パウロのみならずの意。

2章11節 ここに(しん)ずべき(ことば)あり[引照]

口語訳次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
塚本訳これは信ずべき言である──そは、もし(キリストと)共に死んだなら私達もまた(彼と)共に生きるであろう。
前田訳信ずべきはこのことばです。−−「われらは彼とともに死ねば、共に生きよう。
新共同次の言葉は真実です。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、/キリストと共に生きるようになる。
NIVHere is a trustworthy saying: If we died with him, we will also live with him;
註解: 直訳「此の言は真実なり」。

我等(われら)もし(かれ)(とも)()にたる(もの)ならば、(かれ)(とも)()くべし。

註解: 11−13節は当時行われし讃美歌の一部ならんと想像せられているが確言はできない。四つの対句より成り二句ずつ二連をなす、第一連は積極的信仰、第二連はその反対の内容をなす、キリストと共に死ぬことは、霊的の意味であるが、かくして死にたる者はキリスト者と共に永遠に生くる者であり(ロマ6:4コロ2:12)肉体の死を経てもなおキリストと共に永遠に生くるの希望を失わない。ゆえにこれを殉教の死(W2)と解することは無理であるが、これをもその中に包含すと解すべきである。

2章12節 もし()(しの)ばば、(かれ)(とも)(わう)となるべし。[引照]

口語訳もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。
塚本訳もし忍耐するなら私達もまた共に王となるであろう。もし(彼を)否むなら彼もまた私達を否み給うであろう。
前田訳彼とともに忍べば、共に王になろう。彼を否めば、彼もわれらを否もう。
新共同耐え忍ぶなら、/キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、/キリストもわたしたちを否まれる。
NIVif we endure, we will also reign with him. If we disown him, he will also disown us;
註解: 苦難の生涯はパウロの幽囚のごとく他より束縛せられ蹂躙(じゅうりん)される不自由の生涯であるが、これを耐え忍んで行けばやがては来るべき世において神の御旨に(したが)い万物を支配する地位に立たしめられる。ロマ8:17ルカ22:28−30.
辞解
[王となるべし] 「支配すべし」とも訳することを得。

()(かれ)(いな)まば、(かれ)(われ)らを(いな)(たま)はん。

註解: マタ10:33の主の御言より出づ。この福音書の世に行われる前にこの主の御言はキリスト者の間に行われていたのであろう。この世において信仰の迫害が起る時、またはイエスに対する信仰を告白することが不利を来す場合、彼を否むようになるものである。ペテロですらそうであった(マタ26:34および引照参照)、かかる者をば主もまた最後の審判の時これを否み、救いより除き給う、ゆえに大胆にイエスを告白しなければならない。

2章13節 (われ)らは眞實(しんじつ)ならずとも、(かれ)()えず眞實(しんじつ)にましませり、[引照]

口語訳たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。
塚本訳たとい私達は不真実でも彼は(いつも)真実であり給う、自分を否み給うことが出来ないのだから!
前田訳われらがまことならずとも、彼はつねにまことにいます、彼は自らを否みえないから」。
新共同わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を/否むことができないからである。」
NIVif we are faithless, he will remain faithful, for he cannot disown himself.
註解: ロマ3:4。人間の真実は動揺する。しかしながら神は絶対に真実に在し、不真実なる人間に対する約束をも必ずこれを実行し給う。この神の真実に接して人は真実ならざらんとするも(あた)わない。

(かれ)(おのれ)(いな)(たま)ふこと(あた)はざればなり』

註解: 主には不可能はない、唯己を否み彼の真実を不真実となすことは道徳的に絶対に不可能である。何という美しい不可能であろうか。そしてかかる主を信じ、彼と共に死し共に生くる者は彼に在る恩恵によりて強くせられ、如何なる苦難をも耐え忍ぶことができる。
要義 [イエスに対する信仰による忍耐]イエスを信ずることが凡ての基礎である。そしてこの信仰に立つ場合、我らは往々にして苦難に遭遇することを免れることができないけれども、神の真実を信じて忍耐することによりて我らは凡ての苦難に打勝つことができる。これが信仰の生涯の秘訣である。

3-1-ハ 善き労働人たれ。論争を避けよ。 2:14 - 2:26  

2章14節 (なんぢ)かれらに[引照]

口語訳あなたは、これらのことを彼らに思い出させて、なんの益もなく、聞いている人々を破滅におとしいれるだけである言葉の争いをしないように、神のみまえでおごそかに命じなさい。
塚本訳(皆に)これらのことを思い出させ、(また)論争しないように神の御前で確と言いきかせよ──論争は何の役にも立たず、(ただ)聞く者を堕落させる(だけである。)
前田訳このことを人々に思い出させ、ことばの争いをしないよう神の前で厳命なさい。それは何の益もなく、聞くものを破滅させます。
新共同これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。
NIVKeep reminding them of these things. Warn them before God against quarreling about words; it is of no value, and only ruins those who listen.
註解: テト3:1と同じく教会の人々を意味すると見る(M0、B1)よりも2節の後継者(W2)と解するを可とす。

(これ)()のことを(おも)()さしめ、

註解: 「此等のこと」は11−13節の内容を指すと見るよりも1節以下の全体の思想と解するを可とす(M0、E0)。人を教うる者は特にその信仰の態度につき注意を要する。

かつ言爭(いさかひ)する(こと)なきやう(かみ)(まへ)にて(おごそ)かに(めい)ぜよ、

註解: 言争(いさかい)」につきてはTテモ6:4を見よ。偽教師の特徴は無益の言争(いさかい)、言論戦に耽っていることであった。その内容はおそらくテト3:9の内容に類するものであろう。信仰がその本来の目的を離れるに至れば、無益、些末(さまつ)の事柄につき熱心に論争するに至る。パウロはテモテをして、その信徒にかかる偽教師の悪風に染まざらんことを厳命せしめた。「神の前にて」はテモテの心と弟子たちの心が共に神の前に在る状態においてこれを為すこと。

言爭(いさかひ)(えき)なくして()(もの)滅亡(ほろび)(いた)らしむ。

註解: 言争(いさかい)はこれを為す者に何らの益なく、これを聞く者を滅亡に至らせる。かかることに興味を持つことは、真理の言に対して真の興味を持たない結果となる。ゆえに一見無害のごとくに見えておりながら、その実非常に害を与えるものである。
辞解
[滅亡] 「破滅」「破壊」の意味で、家屋やその土台につきて用いられる語。▲今日のキリスト教の諸教派間における神学的、制度的、形式的、実践的論争はこの種類に属す。

2章15節 なんぢ眞理(まこと)(ことば)(ただ)しく(をし)へ、[引照]

口語訳あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。
塚本訳自分を、神の御前に試練を経た者、真理の言を正しく示す、恥ずる所のない労働人とするよう努力せよ。
前田訳努めて、神に認められたもの、恥じのない働き人、真理のことばを正しく示す者におなりなさい。
新共同あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
NIVDo your best to present yourself to God as one approved, a workman who does not need to be ashamed and who correctly handles the word of truth.
註解: 言争(いさかい)すなわち「言の戦争」に反対の態度は「真理の言を正しく教えること」である。真理の言は「聖書」と解することができる。正しく教えるとは、その真理の言の本来の意味においてこれを教えることである。言争(いさかい)とは根本的に異なる態度である。
辞解
[正しく教へ] arthotomeô は種々の意味に解せられているけれども「正しく取扱う」意味に取るを可とす。なお「正しく分つ」「正しく切断する」等の意味に取る学者もある。

()づる(ところ)なき勞動人(はたらきびと)となりて、(かみ)(まへ)錬達(れんたつ)せる(もの)とならんことを(はげ)め。

註解: 労働人は自己の職務を完全に遂行する時、たといこれを検査する者ありとも彼はその前に恥ずることがない。また完全に充分にその務めを果し、信仰の生活を送る者は「神の前に練達せる者」すなわち試験に合格せる者、神の良しと見給う者である。パウロはテモテに、かかる者として神の前に立ち得る者たらんことを努力すべきことを教えている。

2章16節 また(みだり)なる(むな)しき物語(ものがたり)()けよ。[引照]

口語訳俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、
塚本訳俗な無駄話に遠ざかれ。(そうでないと)いよいよ不敬虔に進み行くからであって、
前田訳俗なむだ話をお避けなさい。そのため人々はますます不敬虔になり、
新共同俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心になっていき、
NIVAvoid godless chatter, because those who indulge in it will become more and more ungodly.
註解: これらもみな偽教師の取る態度である。Tテモ6:20註参照。「妄りなる」は神聖ならざること。「虚しき物語」は「空なる音」の意、要するに卑俗なる空語である。そこに神聖なる何ものもなく、内容を有する真理の言に比すべき何ものもない、かかるものを遠ざけなければならぬ。

かかる(もの)はますます()敬虔(けいけん)(すす)み、

註解: 卑俗なる空談に耽ることは信仰の態度と正反対である故、その結果益々不信仰の方に向って進むこととなる。信仰的ならざる行動はそれ自身として悪しきのみならずさらに信仰そのものをも破壊するに至る故恐れ慎まなければならぬ。かかるものをもって信仰なりとしてこれを教うる偽教師の危険なる所以はここにある。

2章17節 その(ことば)脱疽(だっそ)のごとく(くさ)れひろがるべし、[引照]

口語訳彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。
塚本訳彼らの教えは癌のように拡がるであろう。彼らの中にヒメネオとフィレトがいる。
前田訳彼らのことばは腫れもののように、ただれ広がるでしょう。その中にヒメナオとピレトとがいます。
新共同その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィレトがいます。
NIVTheir teaching will spread like gangrene. Among them are Hymenaeus and Philetus,
註解: 真理の言は容易に広まらないけれども不敬虔なる者の言は脱疽のごとくに肉を腐敗せしめ、その腐敗は急速に拡張する。偽教師の悪しき態度と虚しき言は、(たちま)ちにして全教会を死滅の運命に陥れる。
辞解
[脱疽] gangraina は癌の一種で、全身を腐らす病。
▲「妄りなる虚しき物語」の内容は時代と共に変遷するのが普通である。偽教師らは時代の嗜好に迎合して新奇なる説を立てて人々を誘惑する。唯物論とキリストの福音とが一致し得るかのごとくに唱える伝道者もこの種に属するといえる。

ヒメナオとピレトとは()くのごとき(もの)(うち)にあり。

註解: 偽教師中の主要なる者を例挙する。ヒメナヨはTテモ1:20のヒメナヨと同一人ならん、ピレトにつきては他に何事も知られていない。

2章18節 (かれ)らは眞理(まこと)より(はづ)れ、復活(よみがへり)ははや()ぎたりと()ひて、(ある)人々(ひとびと)信仰(しんかう)(くつが)へすなり。[引照]

口語訳彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている。
塚本訳彼らは復活は既にあったと言って(自分たちが)真理から外れ(たばかりでなく、)また幾多の人の信仰を滅茶々々にしている。
前田訳彼らは真理からそれ、復活はすでにおこったといい、人々の信仰をくつがえしています。
新共同彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信仰を覆しています。
NIVwho have wandered away from the truth. They say that the resurrection has already taken place, and they destroy the faith of some.
註解: この種の人々は自ら真理をすててさ迷い出でているのみならず、ある人々の信仰を破壊してしまう。すなわち彼らは我らがやがて栄光の体に甦るべきことを否定し、かかることは今後起ることなしと唱え、復活は抽象的霊的に我らの心中に起る無形の事実であるとし、これを凡て霊的経験として解せんとする思想であったものと考えられる。如何なる主張を有せる主義であったかは詳しく知ることができないが、すでにコリントにおいても復活を否定する者もありしほど故(Tコリ15:12)、エペソにおいてもかかる者ありと考うることは容易であり、かつ、かかる思想はグノシス派にあらずとも、何れの時代にも、復活の事実を信ずるに困難を覚ゆる人の陥り易き傾向である。しかしながらこの思想は煎じ詰めればキリストの復活をも否定することとなり、その結果キリストの神の子たることをも否定することとなり、これによりて人々の信仰を覆すこととなる。
辞解
[覆す] 家屋またはその基礎につき用うる語。

2章19節 されど(かみ)の[()(たま)へる](かた)(もとゐ)()てり、[引照]

口語訳しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。
塚本訳しかし神の(据え給うた教会の)固い土台石は(しっかり)立っていて、(それに)こんな銘がある──「“主(なる神)は己のものを知り給う”」、また「“主の御名を呼ぶ”者は皆不義を離れよ」と。
前田訳しかし神の土台はゆるぎなく立ち、次の証印があります−−「主はおのがものたちを知りたもう」、また、「すべて主のみ名を呼ぶものは不義から離れよ」と。
新共同しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。
NIVNevertheless, God's solid foundation stands firm, sealed with this inscription: "The Lord knows those who are his," and, "Everyone who confesses the name of the Lord must turn away from wickedness."
註解: 信徒のある者は偽教師らによりてその信仰を覆えされることがあっても神の据え給える堅固なる基礎は昔より今に至るまで堅く立ちて動揺することはない。この基礎石は次に掲げられる二つの銘である。
辞解
この土台石は(1)神の約束、(2)神の不動の真実、(3)キリスト教そのもの、(4)復活の教理、(5)恩恵による選び、(6)教会、等種々に解せられているけれども、この場合は次の二句を指すと見るを可とす。

(これ)(いん)あり、(しる)して()

註解: 直訳「次のごとき印あり」で「堅き基礎」に懸る。

(しゅ)おのれの(もの)()(たま)ふ』

註解: 印はその書類に記されし事実の不動の確実さを示す、ここではこの印は神の建物すなわち教会の礎石の上に彫刻せられているものとして考えられている。そしてその文言の一は民16:5にもある聖句で、神はおのれのものすなわち真正の神の子を知ってい給うことであり、人間の目には時には信仰の真贋が不明であり、時には偽教師らに欺かれることがあっても、神はその選び給える者を間違いなく知り給うのであって、この事実は信ずる者にとりて無上の安心を与える処の事柄である。

また『(すべ)(しゅ)()(とな)ふる(もの)不義(ふぎ)(はな)るべし』と。

註解: 第二の文言は主の名を称うる者すなわち主イエス・キリストを信ずる凡ての者は不義より遠ざかるべきであるということであって、従って不義者なる偽教師らよりも遠ざからなければならぬことを示している。イザ52:11民16:26等の思想に等し。第一の刻印は神の側よりの働きかけであり、第二の刻印は人の側よりの応答である。この二つの印は、神の据え給える礎石の上に刻印せられて動くことはない。
辞解
[離るべし] 命令形。

2章20節 (おほい)なる(いへ)(うち)には(きん)(ぎん)(うつは)あるのみならず、()また(つち)(うつは)もあり、(たふと)きに(もち)ふるものあり、また(いや)しきに(もち)ふるものあり。[引照]

口語訳大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。
塚本訳しかし(教会にこんな人達が現れるのは少しも不思議ではない。見よ、)大きな家には金や銀の器ばかりでなく、木や土の器もあって、或る物は尊く、或る物は卑しく用いられる(ではないか)。
前田訳大きな家には金や銀の器だけでなく木や土の器もあり、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用いられます。
新共同さて、大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます。
NIVIn a large house there are articles not only of gold and silver, but also of wood and clay; some are for noble purposes and some for ignoble.
註解: 大なる家にはかかる事実が存することは周知のことである。この場合「大なる家」は神の教会を指す。すなわち教会内には金銀のごとき高き才能を有する者あり、また木や土のごとき才能において劣れる者もあり、また偽教師のごとく不用有害にして棄つべき者がある。本節の場合は諸種の器具の必要如何を論じているのではなく賎しきに用いられることを恥ずべく避くべきことと考えているのである。この思想を中心として考察するにあらざれば次節の意味は不可解である。すなわち教会内には正しき教師と偽教師とがあることを眼中に置きて考うべし。
辞解
普通「貴きに用うる」は金銀で、「賎しきに用うる」は木土であると解せられ、原文もかく解するのが自然であり、また事実も大体これに一致するけれども、本節においてパウロの言わんとする処は次節の内容より見れば上述註解のごときものであろう(Z0)。本節は思想の中心がやや不明である。なおロマ9:21以下とは異なれる思想を表顕せるものと考うべきである。

2章21節 (ひと)もし(いや)しきものを(はな)れて自己(みづから)(いさぎ)よくせば(たふと)きに(もち)ひらるる(うつは)となり、(きよ)められて(しゅ)(よう)(かな)ひ、(すべ)ての()(わざ)(そな)へらるべし。[引照]

口語訳もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。
塚本訳だからもし或る人がこれら(の卑しいこと)から(離れて)自分を潔めるならば、尊い(目的の)器となり、清められ、主人に役立ち、あらゆる善い仕事に適するであろう。
前田訳卑しいことから自らを清めるものは、尊いことのための器になり、聖化されて主人に役だち、すべてのよいわざに適するようになります。
新共同だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器になり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。
NIVIf a man cleanses himself from the latter, he will be an instrument for noble purposes, made holy, useful to the Master and prepared to do any good work.
註解: 直訳「されば人もしこれらより離れて自己を潔めなば、聖められ、主のために役立ち、凡ての善き業に備えられて、貴きに用いられる器とならん」。「これら」は前節「賎しき事柄」を受けていると見るべきであるが、前後の関係上偽教師のごときものを指すと解すべきである。かかる者どもより自己を潔めることにより、その器の用途は一変して貴きに用いられるに至る。それは自己を潔めることによりて聖別せられ、主の御用に立ち、善き業を為す準備が整えるものとされるからである。14節以下のパウロの勧めは、みなこの点を中心としておりテモテをして神の善き労働人たらしめんとし、またテモテより承継(うけつ)ぐべき人々をもかかる者たらしめんとするにあった。
辞解
「潔め」 ekkathairô と「聖め」 hagiazô (現行訳「浄め」)は意味を異にし、前者は不潔物を自己より取り除くことであり、後者は自己を神の御用のために聖別することである。

2章22節 (なんぢ)わかき(とき)(よく)()け、[引照]

口語訳そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。
塚本訳だから若い時の情欲を避け、潔い心で主を呼び求むる者と共に義、信仰、愛、平和を追い求めよ。
前田訳若さの欲望を逃れて、清い心で主を呼ぶものとともに、義とまことと愛と平和をお求めなさい。
新共同若いころの情欲から遠ざかり、清い心で主を呼び求める人々と共に、正義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。
NIVFlee the evil desires of youth, and pursue righteousness, faith, love and peace, along with those who call on the Lord out of a pure heart.
註解: パウロはさらにテモテに対し、偽教師たちまたはテモテらに逆う人々に如何なる態度にて対すべきかを22−26節に教えている。それ故に「若き時の慾」はこの場合肉慾、名誉慾等と解するよりも、むしろ逆う処の者や偽教師らに対して闘争心を燃すことと解すべきであろう。当時テモテはすでに壮年に達していた。

(しゅ)(きよ)(こころ)にて()(もと)むる(もの)とともに、()信仰(しんかう)(あい)平和(へいわ)とを()(もと)めよ。

註解: 主を清き心にて呼び求むる者は真のキリスト者である。偽教師も主の御名を呼んでいるけれどもそれは清き心からではない、また「若き時の慾」は清き心とは相反する。而してこのようなキリスト者たちと共にキリスト者としての道徳たる正義、真実(この場合信仰と解するよりも真実と解すべきであろう)、愛、平和を追い求むべきである、そこに真の教会がある。無益の争論を闘わすことはこの四つの条件に違反する。
辞解
[主を清き心にて呼び求むる者と共に] 単に「平和」にのみ関連していると解する説多し(A1、B1、M0、E0、Z0)、ただし現行訳および上記註のごとくに解するを可とす(W2)。

2章23節 (おろか)なる無學(むがく)議論(ぎろん)()てよ、これより分爭(ぶんさう)(おこ)るを()ればなり。[引照]

口語訳愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。
塚本訳愚かな訳の解らぬ議論をはねつけよ。それが(ただ)争いを生むことを君は知っている(はずだ)。
前田訳 愚かで無知な議論をお避けなさい。ご承知のとおり、それは争いを生むだけです。
新共同愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、そのような議論は争いのもとになります。
NIVDon't have anything to do with foolish and stupid arguments, because you know they produce quarrels.
註解: テモテは議論好きであったのであろう。その弊として愚なる無学の議論に引き込まれ、ついに分争を起すに至ったこともあったのであろう、パウロはこれを警戒している。

2章24節 (しゅ)(しもべ)(あらそ)ふべからず、(すべ)ての(ひと)(やさ)しく()(をし)(しの)ぶことをなし、[引照]

口語訳主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、
塚本訳しかし主の僕は争わず、誰に対しても優しくあらねばならぬ。教え上手で、辛抱強く、
前田訳主の僕は争ってはなりません。だれにも親切で、よく教え、雅量があり、
新共同主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることができ、よく忍び、
NIVAnd the Lord's servant must not quarrel; instead, he must be kind to everyone, able to teach, not resentful.

2章25節 (さから)(もの)をば柔和(にうわ)をもて(いまし)むべし、[引照]

口語訳反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、
塚本訳反抗する者の誤りを柔和に正してやれ。あるいは神が彼らに真理の知識への悔い改めを与え給うて(本心に立ち返らせ)、
前田訳逆らうものをやさしく導くべきです。おそらく神は彼らに悔い改めを与えて真理の知識に導き、
新共同反抗する者を優しく教え導かねばなりません。神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれないのです。
NIVThose who oppose him he must gently instruct, in the hope that God will grant them repentance leading them to a knowledge of the truth,
註解: (▲些細の意見の相違を理由として相争い相敵視し、異端呼ばわりするごときは慎むべきである。信仰の純潔とは自己の意見を固執することではなく、イエスに対する純なる愛を貫くことである。)偽教師ならびにこれに誘惑されてテモテらに逆う者に対する態度を教えている。かかる場合これと論争し、叱責し、非難し、または激怒しなどすることは正義、真実、愛、平和の主旨に反する故、かかる者に対しては勿論のこと、その他の凡ての人に対しても争わず、優しき態度をもってこれに接し、()く熱心にこれを教え、たとい彼らが嘲弄や非礼を加えてもこれを忍び、逆う者に対しては殊に柔和なる心をもって接しつつこれを戒むべきである。
辞解
「主の僕」は本節の場合キリストの福音を伝うべき任務を帯ぶる人、「優しく」は態度、「柔和」は心を意味する原語。

(かみ)あるひは(かれ)らに悔改(くいあらた)[むる(こころ)]を(たま)ひて眞理(まこと)(さと)らせ[(たま)はん]。

註解: 偽教師や正しき教えに逆う者に対して上述のごとき態度を取る所以は神が何時かは彼らを悔改めしめ真理を悟らしめ給うことあらんがためであり、またこれを祈願するからである。ここにキリスト者の真の愛がある。

2章26節 (かれ)一度(ひとたび)惡魔(あくま)(とら)はれたれど、()めてその(わな)をのがれ、(かみ)御心(みこころ)(おこな)ふに(いた)らん。[引照]

口語訳一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。
塚本訳悪魔の罠から逃れしめ給うかも知れない──彼らは(いま)悪魔に虜にされて、その意のままになっているのである。
前田訳悪魔に捕えられてその意のままになっていた彼らを、そのわなから解放して正気にかえらせてくださるでしょう。
新共同こうして彼らは、悪魔に生け捕りにされてその意のままになっていても、いつか目覚めてその罠から逃れるようになるでしょう。
NIVand that they will come to their senses and escape from the trap of the devil, who has taken them captive to do his will.
註解: 直訳「また、彼らをして彼より捕えられ、その者の意思に(したが)い(または(したが)える)悪魔の(わな) より覚醒せしめ給わん」となり難解の一節である。(1)「彼」 autos と「その者」 ekeinos を共に神と解する説(W2)、(2)「彼」を悪魔と見「その者」を神と見る説(現行訳、E0、Z0)、(3)「彼」を主の僕と見「その者」を神と解する説(B1、RV)、(4)両者を共に悪魔と解する説(A1、M0、AV、ヴルガタ)。この中の最後の解が最も自然でありかつ適当である。これにより意訳すれば「また彼らを捕えその意思に随わしめし悪魔の(わな) より覚醒せしめ給わん」となる。これを前節後半と連続して読むべし、すなわち24節前半の態度を取る所以は彼らをして悔改めしむるためと悪魔の(わな)より救い出されて覚醒せしむるためである。かかることのあらんことを祈願しつつこの態度を取るべしとのことである。なお「悪魔の(わな)より覚醒す」とは悪魔の(わな)より救い出されて覚醒することの略である。
要義1 [信仰と議論]信仰は神の霊と人の霊との接触であり、議論は人間の理性の活動である。而して信仰による霊的知識は人間の性来(うまれつき)の理性による知識をもっては知り得ざる範囲の事実なるが故に(Tコリ2:14)、たとい如何に深遠なる哲学的議論といえども、信仰の世界の事実を論議することができない。それ故に信仰は議論を要せずして厳然たる事実として我らの心に宿るけれども、反対に議論は我らの心に信仰を生み出すことができない。信仰によりて神の智慧を与えられしものは、人間の知識や智慧をもってする論争は凡て愚にして無知であることを知るのである。これ「神の愚は人よりも智い」からである(Tコリ1:25)。
要義2 [逆う者に対する態度]福音の真理に対して逆う者はキリスト者以外は勿論、キリスト者の中にも存する。かかる人々より議論の鋒先を向けられる場合、我らは往々にして論争的となり、その結果反目分争を生ずるに至るものである。それ故に主の僕は争ってはならない。正義を守り、真実をもって望み、愛をもって包み、平和をもって対する時、百の議論にもまさりて相手を悔改めしむることができる。その故はこれこそ神の御意である故、神がその力をもって彼らを動かし給うからである。優しく教え、柔和をもて戒め、凡ての反対を忍ぶ時、我らは議論をもって為し得ざることを成し遂げることができる。

第2テモテ書第3章
3-2 苦難と闘え 3:1 - 4:8
3-2-イ 来世に起るべき諸悪 3:1 - 3:9  

註解: 1−9節においてパウロは末の世における世相を示し、これに対して警戒すべきことをテモテに示すため(10−17節)の準備としている。

3章1節 されど(なんぢ)これを()れ、(すゑ)()(くる)しき(とき)きたらん。[引照]

口語訳しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
塚本訳しかしこのことを知れ──最後の日には(本当に)難しい時が来る。
前田訳ぜひ知ってもらいたいのは、終わりの日に難しい時が来ることです。
新共同しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。
NIVBut mark this: There will be terrible times in the last days.
註解: 「末の世」原語「末の日」はキリストの昇天よりキリストの再臨に至るまでの一世代を指す。この間はマタ24:11、12にも示されるごとく、この世界は次第に進歩して黄金時代を顕出するのではなく、キリストの再臨の前にはかえって大艱難の時代が来ることを予想している。これがキリストならびに使徒たちの終末観であり(マタ24:21マタ24:29Uペテ3:7黙7:14)、また当時の一般のユダヤ人の終末観であった。この終末観はユダヤ人の永年の歴史より生み出されし所であって、キリストの福音により益々その真理性が明かにせられた所のものである。すなわちこの「末の日」は苦しき時であり悪が満ち苦難が臨む。

註解: 本節以下の罪の目録は語形によりあるいは近似の内容により二語ずつ対をなして雑然と排列されたもののようである。思想的の連絡または系統は見出し得ない。

3章2節 人々(ひとびと)おのれを(あい)する(もの)[引照]

口語訳その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
塚本訳(その時)人は(皆)利己主義、金好き、法螺吹き、横柄、冒涜者、親不孝、恩知らず、無道者、
前田訳人々は自己愛、金銭愛、ほら吹き、高慢、涜神、親不孝、忘恩、不信心、
新共同そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。
NIVPeople will be lovers of themselves, lovers of money, boastful, proud, abusive, disobedient to their parents, ungrateful, unholy,
註解: 己を愛するは「悪の第一の根」(B1)である。▲このベンゲルの語と西郷南洲(隆盛)の遺訓にある「己を愛するは善からぬことの第一なり」とは良き暗合である。

(かね)(あい)する(もの)

註解: 己を愛することの一変形であるが、ついには金銭それ自身を目的とするに至る。金銭は人間を支配する大なる力である。

(ほこ)るもの・(たか)ぶる(もの)

註解: 前者は浮薄なる調子の大言壮語、後者は他人を軽蔑し自己を高しとする態度。ロマ1:30辞解参照。

(ののし)るもの・(ちち)(はは)(さから)ふもの・

註解: 罵る者 blasphêmos は本節の場合は多く人間に対する者と解せられているけれども神に対する涜し言を意味すと見る方が適当である。不孝の罪と一対としたのもそのためであろう。

(おん)(わす)るる(もの)(きよ)からぬ(もの)

註解: 親に不孝なる者は人の恩を忘れ神の恩恵を無視する。また神を涜す者はその心も自ら汚れる。

3章3節 無情(むじゃう)なる(もの)[引照]

口語訳無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
塚本訳無情者、頑固者、悪口家、放埒な、粗野な、善の敵、
前田訳無情、不和、中傷、放縦、粗野、背徳、
新共同また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、
NIVwithout love, unforgiving, slanderous, without self-control, brutal, not lovers of the good,
註解: 自然の人情を欠いている者。

(うらみ)()かぬ(もの)

註解: 協調的精神を有せざる者。

(そし)(もの)節制(せつせい)なき(もの)

註解: 前者は虚偽の誹謗をなす者、後者は自制力を欠く者、すなわち感情や慾情に支配される者。

殘刻(ざんこく)なる(もの)(ぜん)(この)まぬ(もの)

註解: 前者は憐憫ある者の反対、後者は善を愛する者の反対。

3章4節 (とも)()(もの)放縱(ほしいまま)なる(もの)[引照]

口語訳裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
塚本訳裏切り者、向こう見ず、思い上がった、神を愛するより快楽を愛する者になるからである。
前田訳反逆、軽率、自負に陥り、神よりも快楽を愛し、
新共同人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、
NIVtreacherous, rash, conceited, lovers of pleasure rather than lovers of God--
註解: 後者は向う見ずなる者。

傲慢(がうまん)なる(もの)

註解: Tテモ3:6辞解参照。

(かみ)(を(あい)する)よりも快樂(けらく)(あい)する(もの)

註解: 信者は神を愛し、神を愛せざる者は自己の快楽を追求する。

3章5節 敬虔(けいけん)(かたち)をとりてその(とく)()つる(もの)とならん、[引照]

口語訳信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。
塚本訳彼らは敬虔を装うが(真面目な生活をしようとせず、)その(乱れた生活によってかえって敬虔の)能力を否定している。彼らを離れよ。
前田訳敬虔の外形を持ちつつも、その力を否むでしょう。これらの人々をお避けなさい。
新共同信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。
NIVhaving a form of godliness but denying its power. Have nothing to do with them.
註解: 表面の態度は信仰を装っておりながら、その信仰より出づる力を失っている人々がある。形式主義の信者を指す。
辞解
[(かたち)] morphê は外形を意味す。
[徳を捨つ] 原語「能力(ちから)を否む」でこの否むは事実によりて否むの意味で、事実能力を失っている意味と解することができる。

()かる(たぐひ)(もの)()けよ。

註解: パウロはテモテをしてこの種の人々より遠ざからしめ、顔を背けしめんとして apotrepô かく教えている。なお2節以下に列挙されるごとき人々がキリスト者すなわち教会内部の人であるかまたは外部の人であるかは明かではない。2節の「人々」は「人間が」というごとき一般的意味である故、これらの罪悪の列挙は一般の人を指すと見るべきであろう。そしてこの一般の悪徳が教会にも影響し、偽教師らによりて益々増長される処は多かった。それ故にパウロはかかる者を避けしめんとしたのであった。

3章6節 (かれ)らの(うち)には(ひと)(いへ)(もぐ)()りて(おろか)なる(をんな)(とりこ)にする(もの)あり、[引照]

口語訳彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。
塚本訳その中には(人の)家に潜り込んで、女どもを口車に乗せる者がある──様々な慾に引かれて罪を重ね、
前田訳彼らのあるものは、人の家に入り込み、いろいろな欲にかられて罪を重ねた女たちを迷わせています。
新共同彼らの中には、他人の家に入り込み、愚かな女どもをたぶらかしている者がいるのです。彼女たちは罪に満ち、さまざまの情欲に駆り立てられており、
NIVThey are the kind who worm their way into homes and gain control over weak-willed women, who are loaded down with sins and are swayed by all kinds of evil desires,
註解: テモテらに逆う偽教師らの不道徳の実例を示す。当時の異教徒やグノシス主義的傾向を有する者らの特徴の一つとして性的放縦が指摘されている。
辞解
[愚なる女] gynaikaria は「小女共」の意味で軽蔑の語。
[虜にす] 戦争において捕虜とするの意味、逃れる術なきこと。

()くせらるる(をんな)(つみ)()(かさ)ねて各樣(さまざま)(よく)()かれ、

註解: この種の女子の生活の様はまことに詛わるべきであって、罪に罪を重ね、肉慾、虚栄等あらゆることに引きずられた。

3章7節 (つね)(まな)べども眞理(まこと)()知識(ちしき)(いた)ること(あた)はず。[引照]

口語訳彼女たちは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。
塚本訳(罪に悩んで)いつも学んでいるが、決して(救いの)真理の知識に達することの出来ない女どもを!
前田訳彼女らはつねに学びつつも、決して真理を知るに至りえません。
新共同いつも学んでいながら、決して真理の認識に達することができません。
NIValways learning but never able to acknowledge the truth.
註解: この種の女子はかえって教養ある上流の婦女子に多く、彼らはあるいはその教養に誇らんがためあるいは単なる好奇心より(B1)宗教や哲学を学ぶのであるけれども、その心に真実さがなく、その念が罪のために鈍くせられ、ために真理を知ることができない。彼らの教養は虚飾である。

3章8節 ()(もの)らはヤンネとヤンブレとがモーセに(さから)ひし(ごと)く、眞理(まこと)(さから)ふもの、(こころ)(くさ)れたる(もの)、また信仰(しんかう)につきて()てられたる(もの)なり。[引照]

口語訳ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。
塚本訳この人達の真理は腐れ、信仰はまがい物で、ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのである。
前田訳ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、彼らも真理に逆らっています。その知性は腐れ、信仰については失格者です。
新共同ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、彼らも真理に逆らっています。彼らは精神の腐った人間で、信仰の失格者です。
NIVJust as Jannes and Jambres opposed Moses, so also these men oppose the truth--men of depraved minds, who, as far as the faith is concerned, are rejected.
註解: 6節にいえる男子らすなわち偽教師らに対する非難の連発である。すなわち彼らは正しき教(Uテモ2:15)に逆うことによりて真理に逆い、罪を罪とせざるほどその心は腐れ果て、その信仰は神の試験に合格することができない。かかる者でありながら、あたかもエジプトの法術士らがモーセに逆い、モーセの能力に類似せる能力を発揮せるごとく(出7:11以下)、偽教師らもテモテらに逆い、テモテに類せる者のごとくに人に思わせる。
辞解
「ヤンネとヤンブレ」なる名称は旧約聖書には録されていない。ユダヤ人の間に伝説として語り伝えられており後代の文献にそのことが録されている。パウロもこれを伝説によりて知ったのである。
[棄てられたる者] 試験に合格せざる者、無資格者と認められし者。

3章9節 されど()(うへ)になほ(すす)むこと(あた)はじ、[引照]

口語訳しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。
塚本訳しかし(彼らのすることは一時はとにかく、結局)うまくゆかない。あの二人のように、(やがて)その馬鹿げたことが皆に見えすくからである。
前田訳しかし彼らはこれ以上進めますまい。彼らの無知は、あのふたりの場合のように、すべての人にわかるでしょう。
新共同しかし、これ以上はびこらないでしょう。彼らの無知がすべての人々にあらわになるからです。ヤンネとヤンブレの場合もそうでした。
NIVBut they will not get very far because, as in the case of those men, their folly will be clear to everyone.
註解: 彼らの悪は益々進むけれども(13節)、真理に逆うことはこれ以上には進むことができない。神は適当なる処に限界を置きて悪の力を制御し給う。

そはかの二人(ふたり)のごとく(かれ)らの(おろか)なる(こと)(また)すべての(ひと)(あらは)るべければなり。

註解: 二人の法術士もついにモーセの前にその愚を暴露した(出8:14出9:11)と同様に彼らもまたその愚を凡ての人の前に暴露するに至り、ついに真理をして勝ち遂げしめるのである。それ故に汝は恐れず確信に立ちて行動しこれらの悪しき者と断絶せよ。
要義 [悪人とその末路]悪人は往々にして猛々しく振舞い暴威を振う。而して神の福音を伝うる者に反抗するのが彼らの常である。しかしながら彼らの悪の力は有限である。我ら神に依り頼んでいる者は、最後に彼に打勝つことは、神の定めである。それ故に我らは安らかに彼らに対し彼らと争わず、彼らを避けていることにより彼らに打勝ち彼らが自然に亡び行くのを見守ることができる。我らは悪人の反対を恐れてはならない。

3-2-ロ 我に(なら)い苦難と闘え 3:10 - 3:17  

3章10節 (なんぢ)()教誨(をしへ)品行(ひんかう)志望(こころざし)信仰(しんかう)寛容(くわんよう)(あい)忍耐(にんたい)迫害(はくがい)・および苦難(くるしみ)()り、[引照]

口語訳しかしあなたは、わたしの教、歩み、こころざし、信仰、寛容、愛、忍耐、
塚本訳しかし(他人はともあれ、)君は私の教え(を守り、私の)行状、意向、信仰(を理解し、寛容、愛、忍耐(を見習い、)
前田訳しかしあなたは、わが教え、歩み、考え、信仰、寛容、愛、忍耐、
新共同しかしあなたは、わたしの教え、行動、意図、信仰、寛容、愛、忍耐に倣い、
NIVYou, however, know all about my teaching, my way of life, my purpose, faith, patience, love, endurance,
註解: 1−9節の偽教師が真理に逆う態度とは反対にテモテはパウロの全生活、全精神、全苦難に追随した。すなわち一から十までパウロの教えに従い、その生活態度(品行)や、生活の目的(志望)や信仰の内容につき学びてこれに依り、パウロの寛容と愛と忍耐と、殊にその迫害および苦難における態度に追随しこれに(なら)った。
辞解
[知り] parakoloutheô で追随することより知る意味にも用いられる語であるけれども本節の場合その本来の意味に解するを可とす。

3章11節 [また]アンテオケ、イコニオム、ルステラにて(おこ)りし(こと)、わが如何(いか)なる迫害(はくがい)(しの)びしかを()る。[引照]

口語訳それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、よくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。
塚本訳(また)アンテオキヤ、イコニウム、リストラで私が遭った(数々の)迫害、苦難に(もよく)随って来た。(ああ、)何という(ひどい)迫害を耐え忍んだことか! しかし主は(これら)凡て(の迫害)から私を救い出してくださった。
前田訳わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた迫害と苦難によくついて来ました。その迫害にわたしは耐えましたが、すべてからわたしを解放してくださったのは主です。
新共同アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです。
NIVpersecutions, sufferings--what kinds of things happened to me in Antioch, Iconium and Lystra, the persecutions I endured. Yet the Lord rescued me from all of them.
註解: 引照の箇所の示すがごとく、パウロはこれらの地方にて多くの迫害を受けた。その当時はテモテは未だパウロに随行してはいなかったけれどもおそらくそれらの事実を目撃しまたは伝聞したことであろう。あるいそれらが彼のパウロの弟子となる動機であったかもしれない、なお使17、18章における迫害はテモテが事実パウロと共にいたので、言うまでもなきこと故これを録さないのであろう。
辞解
本節は現行訳のごとくに訳するよりもこれを感嘆文的に訳する方が適当であろう。すなわち「アンテオケにて、イコニオムにて、ルステラにて我に何たる大事が起りしことよ、我は何たる大なる迫害を忍びしことよ」となる。かく訳する場合本節後半とよく連絡する(Z0、I0、B1)。

((しか)も)(しゅ)(すべ)てこれらの(うち)より(われ)(すく)()したまへり。

註解: 主はパウロをその生命の危険より救い、彼を信仰の破滅より保護し給うた。

3章12節 (おほよ)そキリスト・イエスに()りて敬虔(けいけん)をもて一生(いっしゃう)(すご)さんと(ほっ)する(もの)迫害(はくがい)()くべし。[引照]

口語訳いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
塚本訳(私だけでなく、)キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は皆迫害される。
前田訳およそキリスト・イエスにあって敬虔に生きようとするものは皆迫害されます。
新共同キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。
NIVIn fact, everyone who wants to live a godly life in Christ Jesus will be persecuted,
註解: 10、11節よりパウロの連想は、一般キリスト者に対する迫害の必然的であることに及んでいる。この世は神の国とは正反対である故、キリスト者を迫害する。キリストはすでにこのことを知りこれを予告し給うた(ヨハ15:18−20)。キリスト・イエスに在る信仰の生涯は、それ自身不義を(さば)く力がある故、この世の不義はこれに耐えることができずしてキリスト者を迫害する。

3章13節 (されど)()しき(ひと)(ひと)(あざむ)(もの)とは、ますます(あく)にすすみ、(ひと)(まどは)し、また(ひと)(まどは)されん。[引照]

口語訳悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
塚本訳そして悪人と詐欺師とはいよいよ悪に進み行くであろう──瞞しつ瞞されつつしながら!
前田訳悪者と山師とは惑わし惑わされて、ますます悪へと落ち込みます。
新共同悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。
NIVwhile evil men and impostors will go from bad to worse, deceiving and being deceived.
註解: 義しき者は迫害されるにかかわらず信仰は益々進歩し、悪しき者、人を欺く者は自らの安易と利益とを得ておりながら益々悪に進歩するに過ぎない。そして彼らは人を惑わすのであるけれども、悪はまたさらに一層の悪に打勝たれ、結局において人に惑わされるに至る。
辞解
本節と9節の「進むこと能はじ」との矛盾につきては9節を見よ。
[人に惑されん] これを中間態と解すれば「自ら惑うに至らん」と訳す(B1、E0、Z0)。結局自己にその報いを受けることを示す。この方適当なり。

3章14節 されど(なんぢ)(まな)びて確信(かくしん)したる(ところ)(つね)()れ。[引照]

口語訳しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
塚本訳しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、
前田訳しかしあなたは学んで確信するところにとどまってください。だれから学んだかはご存じです。
新共同だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、
NIVBut as for you, continue in what you have learned and have become convinced of, because you know those from whom you learned it,
註解: 偽教師らやまた異説に惑わされることなく、汝が学びかつ確信せる処に留まることが必要である。

なんぢ(たれ)より(これ)(まな)びしかを()り、

註解: 「よく汝の信仰の師たりし人々のことを考えよ。然らば汝の信仰は健全ならざるを得ないはずである」との意。「誰」は複数形故、この場合パウロ自身ならびに祖母ロイス、母ユニケらを指す。

3章15節 また(おさな)(とき)より(せい)なる(ふみ)()りし(こと)()ればなり。[引照]

口語訳また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
塚本訳また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。
前田訳あなたは幼いころから聖書に親しみました。それはキリスト・イエスへの信仰による救いへの知恵をあなたに与えうるものです。
新共同また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。
NIVand how from infancy you have known the holy Scriptures, which are able to make you wise for salvation through faith in Christ Jesus.
註解: 「知ればなり」は「知りて」と訳されるべき分詞で前節の「常に居れ」に懸る。彼は幼少の時より聖書すなわち今日の旧約聖書を教えられた。これがテモテの信仰の基礎を為しているのである。このことを考えてその学習し確信を得ている処に常住しなければならない。

この(ふみ)はキリスト・イエスを(しん)ずる信仰(しんかう)によりて(すくひ)(いた)らしむる知慧(ちゑ)(なんぢ)(あた)()るなり。

註解: 聖書の力を示す、この聖書はこれをイエス・キリストに在る信仰をもって学ぶ時、我らを(かしこ)くして救いに至らしめ得るものである。すなわちこの聖書は能力あり、我らを救いに至らしめ得るのであるが、唯その要件として我らはキリスト・イエスに在る信仰によらなければならない。

3章16節 聖書(せいしょ)はみな(かみ)感動(かんどう)によるものにして、教誨(をしへ)譴責(いましめ)矯正(けうせい)()薫陶(くんたう)するとに(えき)あり。[引照]

口語訳聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
塚本訳聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、
前田訳すべて聖書は神の霊に満ちていて、教え、いましめ、改善、義への教育に益があります。
新共同聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
NIVAll Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness,
註解: 聖書は(いたずら)にこれを読むべきものではない。その一書一書ことごとく神の霊感によりて書かれたものであり、かつ福音を宣伝える職を有する者にとりては種々の意味において有益なる書である。すなわち知らざるを「教」え、罪咎を「譴責(けんせき)」し、倒れんとする者を正しく立ち上がらしめ(矯正)、義をもって訓練する(薫陶)等伝道者の働きに対して聖書の与うる益は非常に多い。▲本節は聖書の逐語霊感説の根拠となっているものであるが、これについては要義を見よ。

3章17節 これ(かみ)(ひと)(まった)くなりて諸般(もろもろ)()(わざ)(そなへ)(まった)うせん(ため)なり。[引照]

口語訳それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
塚本訳かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。
前田訳それは神の人に適切な状態、すなわちあらゆるよいわざへの備えがあるためです。
新共同こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
NIVso that the man of God may be thoroughly equipped for every good work.
註解: 聖書(を学ぶこと)の目的は神の人すなわち神の召しによりて伝道に従事する者(Tテモ6:11)をして、全くならしめ、その義務を全うする資格を備えしめかつ人の師表として諸般の善行を為すのに準備万端整った者、すなわち何時でも直ちに善行を為さんとする状態におる者たらしめんがためである。かく言いてパウロはテモテが聖書を教えられた故かかる者となるべきであることをさとしているのである。
辞解
[神の人] この場合のみ一般のキリスト者と解すべしとなし、従って16、17節とも一般の人々のための教訓であると解する学者(M0)もあるけれども、教訓の内容およびTテモ6:11より見て、これをも同様に伝道者のためすなわちテモテのために言われたものと見るべきである(B1、E0)。
要義1 [キリスト者と迫害]イエスも言い給えるごとく(マタ10:17、18。ヨハ15:18−20)キリスト者には迫害が付き物である。しかしながらキリスト者にはこれと同時にこれに打勝つ途をも与えられている。すなわち神の御言を学ぶことである。この御言の剣をもって凡ての迫害に打勝つことができる。
要義2 [聖書霊感説について]聖書の全部が神の霊感により、すなわち神が記者の霊を動かして書かれたものであるとする説につき以下のごとき注意を必要とする。
(1)聖書記者の受けし霊感とは、神の霊により催眠状態に陥らしめられ、無意識に書かされたことではない。すなわち神の霊が機械的に記者を動かしたのではない。記者の霊が神の霊と共にあり、信仰的立場において書いたものである。
(2)それ故に逐語霊感説というごとき一言一句みな神の霊によりて書かれ、従って一言一句の誤謬もないという考え方は誤っている。神の霊が人間なる不完全なる器に宿り、人間の意識と個性とを通じて現れていること故それぞれの記者の性格と、時代の環境と、問題の性質とによりてそこに不完全さもあり、制限もあり、特徴もあることを認めなければならぬ。
(3)従って我らは聖書そのものを、かくのごとくに書かしめ給える聖霊自身の御旨を把握することに努力しなければならぬ。すなわち聖書の書かれし時代、記者の性格、記者の論ぜんとせる問題の性質等を理解し、神の霊がこの器と通じてこの場合に表顕されし聖書を読み、逆に聖書の各書に示される神の霊の御旨の如何を見出すべきである。
(4)この意味において聖書に対する時聖書は完全に無謬であり、神の御旨を示せる書であるということができる。聖書霊感説も無謬説もこの意味においてのみ真理である。