第1テモテ書第5章
分類
2 テモテに対する諸種の注意 1:3 - 6:21
2-5 教会員の取扱法 5:1 - 5:25
2-5-イ 一般教会員の取扱 5:1 - 5:2
口語訳 | 老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい。若い男には兄弟に対するように、 |
塚本訳 | 年寄りはひどく叱らず(自分の)お父さんのように、若い者は兄弟のように、 |
前田訳 | 長老を責めず、声をかけること父にのようになさい。若者には兄弟のように、 |
新共同 | 老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、 |
NIV | Do not rebuke an older man harshly, but exhort him as if he were your father. Treat younger men as brothers, |
註解: 「老人」は「長老」と同文字であるが、本章の場合は単なる老人を指す。テモテは若年であるためのみならず、老人は尊敬さるべきものであるからこれを粗暴に取扱ってはならない。
5章2節
口語訳 | 年とった女には母親に対するように、若い女には、真に純潔な思いをもって、姉妹に対するように、勧告しなさい。 |
塚本訳 | 年寄りの婦人はお母さんのように、若い婦人は──(ただこの場合は)極めて廉目正しく──姉妹のように、(よく)諭してやれ。 |
前田訳 | 長老の女性には母のように、若い女性には姉妹のように、全き純潔の心で諭しなさい。 |
新共同 | 年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。 |
NIV | older women as mothers, and younger women as sisters, with absolute purity. |
註解: かくして全教会が一家族のごとくに美しい結合となる。姉妹に関してのみ「全き貞潔をもて」との注意を加えたのはパウロがテモテの年輩を考慮せる親切なる注意である。
辞解
2節の「勧 めよ」は原文になく1節の「勧 め」の反復を省略したものと見る。学者によりては「譴責 せずに勧 めよ」の全体の思想を反復するものと解す、この方一層適当ならん。
註解: 3−16節は教会が如何にその寡婦を取扱うべきかを述ぶ。なお附記参照。
口語訳 | やもめについては、真にたよりのないやもめたちを、よくしてあげなさい。 |
塚本訳 | (身寄りの無い)本当の寡婦(だけ)を寡婦として敬え。 |
前田訳 | やもめについては本当にひとりのやもめをたいせつになさい。 |
新共同 | 身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。 |
NIV | Give proper recognition to those widows who are really in need. |
註解: 同じ寡婦にも種々の種類あり、パウロは以下にその区別を掲げ、各々の取扱いの異なるべき点を指摘する。「敬へ」は文字通り尊敬することであって、その語の中にこれを救助するとか支援するとかいう意味はないのであるが「大事にせよ」というごとき意味であって自然の結果としてその寡婦の困窮を見過さない。従って教会がこれを扶養するようになる。
5章4節 されど
口語訳 | やもめに子か孫かがある場合には、これらの者に、まず自分の家で孝養をつくし、親の恩に報いることを学ばせるべきである。それが、神のみこころにかなうことなのである。 |
塚本訳 | もし或る寡婦に子や孫があるなら、この人達にまず自分の家の者に孝行し、父祖に恩を報ゆることを学ばせよ。これは神の御前に喜ばれることであるから。 |
前田訳 | やもめに子か孫がある場合、彼らはまず謙虚におのが家を尊んで親に報いることを学ぶべきです。これは神によろこばれることです。 |
新共同 | やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。 |
NIV | But if a widow has children or grandchildren, these should learn first of all to put their religion into practice by caring for their own family and so repaying their parents and grandparents, for this is pleasing to God. |
註解: 寡婦に子や孫があり、その母または祖母に当たる寡婦を扶養すべき責任および能力を持っている場合は、教会はこの寡婦を扶 けることは宜しくない。それよりもむしろその子や孫(「彼ら」をかく解す。辞解参照)が第一の義務として己の家に敬虔の心をもって対し、その寡婦たる母や祖母を扶養し、親(祖先)に恩を報ゆることを学ぶべきである。これは子孫の当然の義務である。
辞解
「彼ら」を「寡婦ら」と解し、「孝を行ひ」 eusebeô を「敬虔の義務を尽す」意味に取りて、本節を「寡婦に子もしくは孫あらば、その寡婦らは先ず己の家に尽すべきを尽して子孫を養い、これによりて祖先より受けし恩を子孫に報ゆることを学ぶべし」(M0、L2)との意味に取る説があるけれども本章1−16節の問題は寡婦を如何に取扱うべきかの問題であり、かつ、文章の内容より言うもこの説は不適当である。子が親を養うことを当然と考えない欧米人の考え方である。▲社会習慣が聖書の理解を曲げることのよき一例である。
これ
註解: 父母を家の主と考え、神に仕うるごとき心持をもって父母に仕うることは神の御意に叶うことであり、寡婦の場合は一層左様である。これを「敬虔を尽す」なる語をもって表すことは意義深いことである。
5章5節
口語訳 | 真にたよりのない、ひとり暮しのやもめは、望みを神において、日夜、たえず願いと祈とに専心するが、 |
塚本訳 | 本当の寡婦で孤独の者は望みを神に置いて夜も昼も願い且つ祈り続ける。 |
前田訳 | 本当にやもめでひとり残された人は神に望みを置いて、夜昼願いと祈りをつづけます。 |
新共同 | 身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、 |
NIV | The widow who is really in need and left all alone puts her hope in God and continues night and day to pray and to ask God for help. |
註解: 子なく孫なく唯独り残れるたよりなき真の寡婦は唯神と共に日夜を暮す、かかる者こそ教会において尊敬を払うべき種類の寡婦である。
5章6節 されど
口語訳 | これに反して、みだらな生活をしているやもめは、生けるしかばねにすぎない。 |
塚本訳 | しかしだらしのない寡婦は生ける屍である。 |
前田訳 | しかし、ふしだらに生きるやもめは死んでいます。 |
新共同 | 放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。 |
NIV | But the widow who lives for pleasure is dead even while she lives. |
註解: 寡婦にして慎みなく快楽に沈溺 する生活を送る者は死者と同じである。死者に信仰は有り得ない。彼らの終りは亡びである。それ故にキリスト者たる寡婦はかかる者であってはならない。
5章7節 これらの
口語訳 | これらのことを命じて、彼女たちを非難のない者としなさい。 |
塚本訳 | このことを(堅く)命令して、彼らに一点非難の打ち処の無いようにせよ。 |
前田訳 | 彼女らが非のないものであるために、これらをいいつけなさい。 |
新共同 | やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。 |
NIV | Give the people these instructions, too, so that no one may be open to blame. |
註解: 前節の注意はもしキリスト者の寡婦にしてかかる者があるならばこれを教会にて扶助する必要なきことは明かであることを暗示しているのであって、その目的はむしろ本節にあり、かかる者の存在すべからざることを教えしめんとしているのである。
5章8節
口語訳 | もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上にわるい。 |
塚本訳 | 自分の身内の者、特に家族を顧みないなら、その人は信仰を棄てたので、不信者よりも悪い。 |
前田訳 | 親族、ことに家のものの世話をしない人は、信仰を否むもの、不信者以下です。 |
新共同 | 自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。 |
NIV | If anyone does not provide for his relatives, and especially for his immediate family, he has denied the faith and is worse than an unbeliever. |
註解: 本節に二つの注意すべき点がある。その一はキリスト教は家族主義にあらず個人主義なりと考える考え方の誤謬であること、その二は信仰の有無をその教会所属や信仰告白等の形式的標準によらずして親族や家族を顧みるや否やの実行的標準によりて判断していることである。たとい信者と称していてもかかる家族的義務を尽さざる者は不信者以下であるというのである。
辞解
本節の場合もこれを寡婦に関していうと解する者と、子孫につきて言うと解する者とあり、第4節を辞解のごとくに解する者は自然前説をとる。ここでは一般的に言うと解す。▲欧米キリスト教国では家族主義が非常に弱く社会保障の制度が進んで行ったために、今日では家族間の扶養の義務は弱くなった。しかしこれはキリスト教の直接の主張ではなく、民族性と社会組織の結果である。
註解: 9−16節は教会の寡婦名簿に記され、特別の扶助を受け、また特に教会に奉仕すべき寡婦につき録す。
5章9節
口語訳 | やもめとして登録さるべき者は、六十歳以下のものではなくて、ひとりの夫の妻であった者、 |
塚本訳 | 「寡婦」(の籍)に載せ(て教会で働かせ)る者は、六十歳以下でなく、(ただ)一人の夫の妻であり、 |
前田訳 | やもめとして登録されるべきは、六十歳以下でなく、ひとりの夫の妻で、 |
新共同 | やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、 |
NIV | No widow may be put on the list of widows unless she is over sixty, has been faithful to her husband, |
註解: 扶助の人数の制限の必要よりかく定めたのであろう。また六十歳以下の場合は、何らかの方法において生活を支える可能性があるからであろう。「籍に記す」とは後代に発生せるごとき寡婦の宗団が形成されたというのではなく、単に教会において扶養すべき寡婦の中に加うることを意味する。六十歳以下と限定せるごときは如何にもパウロらしからざる点であり、本書のパウロの作たることを疑う重大な原因となる。
註解: 次に寡婦の名簿に記入せらるべき者の条件を記す。その第一は素行において貞節を実行し、夫以外の男子との間に関係ありしこと無き者たるを要す。Tテモ3:2の場合と同じく、これを再婚したることなき女と解する説あれど14節等より見てこの説は不適当である。
口語訳 | また子女をよく養育し、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、種々の善行に努めるなど、そのよいわざでひろく認められている者でなければならない。 |
塚本訳 | 善い仕事で評判が高く、すなわち或は(よく他人の)子を育て、旅の人を待し、聖徒の足を洗い、苦しんでいる者を助け(る等、)凡て善い仕事にたずさわった者でなければならぬ。 |
前田訳 | よい行ないが認められているものです。すなわち子女を教育し、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、苦しむ人を助けるなどあらゆるよい行ないをした人です。 |
新共同 | 善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。 |
NIV | and is well known for her good deeds, such as bringing up children, showing hospitality, washing the feet of the saints, helping those in trouble and devoting herself to all kinds of good deeds. |
註解: その寡婦の従前の生活状態が多くの善行を為したことが証明せられて風評となっており、
註解: 単に養育のみならず教育することをも含む、また自分の子女に限らず他人の子女を育てた場合も同様である。その家庭生活の立派であったこと。
註解: 当時旅舎の設備の不完全なりし時代においては、旅人を宿らすることは、必要なる善行と考えられた。
註解: 謙遜の心をもって聖徒すなわちキリスト者に奉仕すること。
註解: この「悩める者」は必ずしも貧困に悩む者のみではなく、あらゆる種類を含むと見て可なり、かかる者を助くることはキリスト者の義務であり、寡婦の籍に記さるべき人もかつてこの種の行為を実行せる者たるを要す。「もろもろの善き業に従いし者」は熱心に善き業を為さんとて努力せる者を指す。かかる数々の善行を為しし者が、寡婦となれる場合、これを教会の寡婦の籍に録すべきである。しからざれば、未信者にして寡婦となれる者は扶助を得んがために詐 りて信仰に入るごときことが絶無とは言えない。また六十歳以下の寡婦で生活に困難を感じている人には別に貧民救助の方法をもって助けることができた。
口語訳 | 若いやもめは除外すべきである。彼女たちがキリストにそむいて気ままになると、結婚をしたがるようになり、 |
塚本訳 | 年若い寡婦は(教会で働きたいとの申し込みがあっても)断れ。キリストに背いて情慾に負ける時は、結婚したくなり、 |
前田訳 | 若いやもめは別になさい。情にかられてキリストにそむくと、彼女らは結婚したがり、 |
新共同 | 年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、 |
NIV | As for younger widows, do not put them on such a list. For when their sensual desires overcome their dedication to Christ, they want to marry. |
註解: 寡婦の籍に記入して特別の扱いを与えてはならない理由は次に記されるごとく極めて人情に通じたる処置である。
辞解
[籍に記すな] 原語「拒め」である故さらに強い意味に取る説あれど現行訳にて可なり。
註解: 「心亂る」はむしろ「慾に駆られる」ごとき意、必ずしも情慾に限らず、名誉、安楽などの場合にも用う、すなわち若き寡婦は信仰によりてキリストにのみ従うことができず、他の慾望に支配される時、再び婚姻せんとするに至る故、教会に対する義務の遂行ができず、また教会において扶助せることが無意味となる。
辞解
[背きて心乱る] katastrêniaô は strêniaô,strênos と同語源より来り、黙18:3、黙18:7、黙18:9に「奢 り」と訳せられし語、性慾、奢侈 慾、虚栄慾等が内に満ち溢れてまさに外に爆発せんとするごとき貌をいう。従って「心乱れる」は「性慾を感ずる」「奢侈 慾をもって」「慾望満足のために」等と訳さる。
5章12節
口語訳 | 初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである。 |
塚本訳 | 最初の誓いを破ったという審きを受けるからである。 |
前田訳 | はじめの信仰を捨てたという裁きを受けます。 |
新共同 | 前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。 |
NIV | Thus they bring judgment on themselves, because they have broken their first pledge. |
註解: 寡婦は籍に記される時に種々の誓を(形式的にあらざる誓ならん)為すのであろう。再婚はその違反となるので批難を受くるに至る。
辞解
[批難] 原語 krima 審判。神の審判と解する説、自己の良心の審判と解する説等あれど、現行訳のごとく他の人々の審判すなわち批難の意味に解するを可とす。
5章13節
口語訳 | その上、彼女たちはなまけていて、家々を遊び歩くことをおぼえ、なまけるばかりか、むだごとをしゃべって、いたずらに動きまわり、口にしてはならないことを言う。 |
塚本訳 | 彼らはまた惰けることを覚えて家々を歩き廻り、しかもただ惰けるばかりでなく、お喋りをし、おせっかいをして、言うべからざることを言うようになる。 |
前田訳 | それに、なまけて家々を訪ねることをおぼえ、なまけるばかりか、おしゃべりでおせっかいになり、口にすべからざることを話します。 |
新共同 | その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。 |
NIV | Besides, they get into the habit of being idle and going about from house to house. And not only do they become idlers, but also gossips and busybodies, saying things they ought not to. |
註解: 有閑夫人の懶惰 なる生活の描写である。5節の真の寡婦と比較すべし。
辞解
文章の構造難解、「懶惰 に流れて」は「懶惰 を学びて」。
註解: 女子の陥り易き欠陥は多言と、またその結果言うべからざること(他人の秘密、他人に迷惑を及ぼすこと、他人の悪口や批評等々)を言い、また自己の義務責任にあらざる事柄に干渉し手を出すこと等である。
辞解
[徒事 にたづさはり] Uテサ3:11辞解参照。種々の下らぬことに手出しすること。
5章14節 されば
口語訳 | そういうわけだから、若いやもめは結婚して子を産み、家をおさめ、そして、反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。 |
塚本訳 | だから年若い寡婦は(いっそもう一度)結婚して子を産み、家を治めて、敵に悪口の機を少しも与えないようにしてもらいたい。 |
前田訳 | それで、わたしは望みますが、若いやもめはとついで子をもうけ、家をおさめ、敵に非難のすきを与えないことです。 |
新共同 | だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。 |
NIV | So I counsel younger widows to marry, to have children, to manage their homes and to give the enemy no opportunity for slander. |
註解: おそらくこの種の指図を与うる必要を感ぜしむるごとき実例が起ったのであろう。若き寡婦は普通の女子と同じく家庭生活を送ることが最も無難な道である。なお注意すべきことはパウロには再婚を禁止する意思なきのみらず、事情によりてはこれを奨励するの態度を取ったことおよび、9節の「一人の夫の妻たりし者」の意義も本節よりこれを推知することを得ること(Tテモ3:2註参照)、および子を生み家を理 むることが一般婦女子の最上の義務と考えたことである。
辞解
[若き寡婦] 原語「若き女」であるが、前後の関係上若き寡婦を指す。
[敵] 「反対者」の意味でここではサタンを意味せず人間の中の反対者を指す。
5章15節
口語訳 | 彼女たちのうちには、サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある。 |
塚本訳 | 数人の者は既に外れてサタンの後に随いて行ったのだから。 |
前田訳 | すでにある人々はサタンに従って道をはずしました。 |
新共同 | 既に道を踏み外し、サタンについて行ったやもめもいるからです。 |
NIV | Some have in fact already turned away to follow Satan. |
註解: 若き寡婦の中にはついに道徳的に堕落したものも幾人かある(tines)、それ故に殊に彼らの身の振り方につきては注意しなければならぬ。
辞解
[迷ふ] ektrepô は本来転向を意味するけれども本節の場合異教に転向せる意味に解することは不適当であり、むしろ実質的に道徳的にキリスト者としての信仰を棄てたと解すべきである。
5章16節
口語訳 | 女の信者が家にやもめを持っている場合には、自分でそのやもめの世話をしてあげなさい。教会のやっかいになってはいけない。教会は、真にたよりのないやもめの世話をしなければならない。 |
塚本訳 | (身内に)寡婦をもつ信者の婦人は、教会に厄介をかけぬため(自分で)その人達の世話をせよ。本当の寡婦の世話を教会にさせるためである。 |
前田訳 | 信徒の家にやもめがいる場合、自分でその世話をして集まりに負担をかけないようになさい。集まりが本当にひとりのやもめの世話をしうるためです。 |
新共同 | 信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。 |
NIV | If any woman who is a believer has widows in her family, she should help them and not let the church be burdened with them, so that the church can help those widows who are really in need. |
註解: 例えば信者たる女の娘や嫁等が寡婦となった場合、または稀にその母が寡婦となりかつ4節のごとき扶養者が他に無き場合等を想像することができる。
要義 [寡婦の登録について]寡婦に対して特に同情を要するものと考えられたことは、何れの国民においても同様であるが、ユダヤ人の間にありてもこの観念は始めから存在していた(詩68:5。申10:18。申24:17その他)。エルサレムの教会成立当時には(使6:1)執事を選んで彼らの救済を行った。その後この制度が共産的生活と同様種々の困難や弊害を生じたのでこれを訂正する必要が生じたのであろう。3−16節のパウロの注意のごときもこの経験の結晶と見ることができる。
なお3−16節は多くの註解者によりて思想の連絡が不明であるとされているけれども、それは3節の「敬へ」を教会において特別の尊敬が払われる特権の身分に選任されることと解するためと、4節を子や孫を寡婦が扶養すべきものと解するため(8節の「人」も同様これを寡婦と解するため)に生ずる混乱であって、全体を教会が如何なる寡婦を扶養すべきかの問題として考うる時この混乱は解消する。
註解: 17−25節は主として長老に対する賞罰の取扱いに関する注意である。
5章17節
口語訳 | よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。 |
塚本訳 | 長老でよく(教会を)治めている者、特に話すこと教えることに骨折っている者は、二倍の謝礼を受ける資格ありとせよ。 |
前田訳 | よい指導者である長老は倍の報酬に値し、ことばと教えに努める人は、とくに然りです。 |
新共同 | よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。 |
NIV | The elders who direct the affairs of the church well are worthy of double honor, especially those whose work is preaching and teaching. |
註解: 「一層尊ぶべき者とせよ」は「二倍の尊敬に値せしめよ」で尊敬は3節の「敬え」と同じく結局報酬または謝礼を与うることを間接に意味しているのである(E0、L2、B1)。ただし必ずしもこれを二倍の報酬と考えるべきではない。「言」は聖書を教えること、「教」は一般的に教訓を与えること。この方面にまで霊の賜物(ロマ12:7。Tコリ12:28、29)を有する人は決して多くは存せず、また彼らはそのために特に心身を労する故充分にこれを尊重すべきである。
辞解
[尊ぶ] Tテモ6:1と同じく尊敬する意味にも解し得るけれども次節の関係よりその報酬問題に関するものであることは明かである故上記註のごとくに解した。なお使28:10辞解参照。
5章18節
口語訳 | 聖書は、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」また「働き人がその報酬を受けるのは当然である」と言っている。 |
塚本訳 | 聖書は「“穀物を踏む牛に口篭を箝めるな”」と言うのだから。また「労働人がその報酬にありつくのは当然である」とある。 |
前田訳 | 聖書はいいます、「穀物をこなす牛にくつこをはめるな」と。そして、「働き人はその報いに値する」と。 |
新共同 | 聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。 |
NIV | For the Scripture says, "Do not muzzle the ox while it is treading out the grain," and "The worker deserves his wages." |
註解: 前者は申25:4よりの引用であり、後者はマタ10:10。ルカ10:7に主イエスの語り給える言である(おそらく一般に用いられし格言であろうとのこと)。何れも労働は相応の報酬を得るを正当とするの意味であり、Tコリ9:9にもこの第一の引用が一層詳しく説明されている。その箇所註参照。唯問題となる点は第二の引用が如何にして「聖書」として引用せられしかの点である。ある学者はこれを理由として本書簡をパウロの作にあらざる後期の作となし、当時福音書がすでに聖書として流通せることを主張し(L2)、またある学者は福音書の基礎たるべきイエスの語録はかなり早期に一般に流布しており、パウロはこれを聖書として取扱ったと主張する(E0)。ただしこれを一般に通用せる格言と見れば問題は消失する(この場合訳文を変更する)。
5章19節
口語訳 | 長老に対する訴訟は、ふたりか三人の証人がない場合には、受理してはならない。 |
塚本訳 | 長老に対する訴えは“二人または三人の証人”が無ければ受け付けるな。 |
前田訳 | 二人か三人の証人がないかぎり、長老に対する訴えは受けなさるな。 |
新共同 | 長老に反対する訴えは、二人あるいは三人の証人がいなければ、受理してはなりません。 |
NIV | Do not entertain an accusation against an elder unless it is brought by two or three witnesses. |
註解: 申19:15。長老の職掌 の困難なる点、その地位の尊敬すべき点、多くの人の非難を受け易き点より長老に対する訴えは慎重に処理すべきことをテモテに教えている。テモテは善良なる性格故往々にして容易に人の言を信じたのかも知れない。
5章20節
口語訳 | 罪を犯した者に対しては、ほかの人々も恐れをいだくに至るために、すべての人の前でその罪をとがむべきである。 |
塚本訳 | (長老で)罪を犯している者は(教会の者)皆の前で咎めて、他の長老達の見せしめにせよ。 |
前田訳 | 罪を犯すものは、すべての人の前に持ち出しなさい。他の人々もおそれるためです。 |
新共同 | 罪を犯している者に対しては、皆の前でとがめなさい。そうすれば、ほかの者も恐れを抱くようになります。 |
NIV | Those who sin are to be rebuked publicly, so that the others may take warning. |
註解: この「罪を犯せる者」一般の信者を指すか、または長老を指すかは明かではないが、前後の関係より長老の中にて罪を犯せるものの意味と解すべきである。「衆 」および「他の人」も同様に「凡ての長老」および「他の長老」を指すと解す(M0)。然らざればこの処分はマタ18:15にも反しあまりにも酷となる。長老は公職故公に処置すべきである。
5章21節 われ
口語訳 | わたしは、神とキリスト・イエスと選ばれた御使たちとの前で、おごそかにあなたに命じる。これらのことを偏見なしに守り、何事についても、不公平な仕方をしてはならない。 |
塚本訳 | 神とキリスト・イエスと選ばれた御使い達の前で(君に)きっと申しつける。(凡て)これらのことを偏見なしに守れ。また何事も依怙でするな。 |
前田訳 | わたしは、神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちの前で命じます、これらを偏見なく行ない、何につけても不公平でないようになさい。 |
新共同 | 神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずにこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。 |
NIV | I charge you, in the sight of God and Christ Jesus and the elect angels, to keep these instructions without partiality, and to do nothing out of favoritism. |
註解: パウロはテモテの道徳的勇気と正義に立脚して、不動の態度を取る点とにつきて常に危惧の念を抱いていたので(E0)、この厳格なる命令を発した。
註解: 「偏 り」は依怙贔屓 を為すこと。「偏頗 」は偏見をもってすること、愛しては依怙に陥り、憎んでは偏見を持することは、長老たちに対する正しき態度ではない。長老たちを賞し(17節)、または罰する場合(19、20節)常にこの点に注意しなければならぬ。
5章22節
口語訳 | 軽々しく人に手をおいてはならない。また、ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい。 |
塚本訳 | 何人にも軽々しく按手するな。(このことについては)他人の(犯す)罪に巻き込まれてもいけない。自分を潔く保て。 |
前田訳 | 軽々しく人に手を置かないように、他人の罪にあずからないようにし、自らを清くお保ちなさい。 |
新共同 | 性急にだれにでも手を置いてはなりません。他人の罪に加わってもなりません。いつも潔白でいなさい。 |
NIV | Do not be hasty in the laying on of hands, and do not share in the sins of others. Keep yourself pure. |
註解: 本節の場合の「人」も長老または他の教会職員を指すと見るべきであろう。Tテモ3:1−7のごとく長老は責むべき処なきものたることを要するにかかわらず、時には罪に陥りまたは訴えられるごときこともあり得る故、充分に試みずに(Tテモ3:10)性急に tacheôs 按手を行って、誤って不適当なる役員を選任してはならない。また罪ある者に按手することは己もまた彼と同罪の責を免れないこととなる。それ故にテモテはまず自己を潔く保つことが必要である。
5章23節
口語訳 | (これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。) |
塚本訳 | 君ももう水飲みをせず、胃のため、またよく病気をするから、少し葡萄酒を用いてはどうか。 |
前田訳 | これからは水ばかりを飲まず、胃のため、またたびたびの病のために、少しくぶどう酒をお用いなさい。 |
新共同 | これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい。 |
NIV | Stop drinking only water, and use a little wine because of your stomach and your frequent illnesses. |
註解: テモテは禁酒を実行し水のみを飲用していたものと見え、パウロはテモテの健康のために小量の葡萄酒の飲用をすすめている。本節に二つの問題あり、その一は何故テモテは禁酒を実行していたか。その二は何故パウロは突然ここにテモテの私的事柄に言及しているかの二点である。前者すなわちテモテが禁酒を実行していたのは、おそらく禁慾主義的傾向(Tテモ4:3)を潔き生活と考うる思想に幾分感化されたのかまたはそれらの人々を躓かせざらんがために正面よりこれに反対する理由も必要をも感じなかったためなるべく、後者すなわちパウロがここに突然テモテの私事を持ち出したのは前節の末尾に「自ら守りて潔くせよ」というと同時にこの潔き生活と禁酒のごとき事柄とをテモテが混同せんことを懼れたのか、あるいは、直ちにこの点に連想したためであろう(E0)。なおこの点につきては単にこれを括弧の中に入れるべき中間の挿入となし、またはパウロの心に急に思い付いたことをそのまま記したものとなし、あるいはテモテの弱い性格は不健康の結果であると思い付いたためまたは写本の中に欄外に書き入れてあったものの混入である等種々に解せらる。
5章24節
口語訳 | ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人の罪は、あとになってわかって来る。 |
塚本訳 | 或る人の罪は(余り明らかで)はっきり見え、(本人に)先だって裁判に行くが、或る人には(罪が)後から随いて行く。 |
前田訳 | ある人々の罪は裁きに先んじて明らかであり、ある人々の罪は後にわかります。 |
新共同 | ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。 |
NIV | The sins of some men are obvious, reaching the place of judgment ahead of them; the sins of others trail behind them. |
註解: 罪のあらわれ方は種々ある故長老その他の選任と按手に際しては注意を要す。すなわちある人々の罪は始めより一般に明かにわかっており、その結果として審判が行われ、またある人々の罪は一般には明かになっておらず審判があってから始めてその罪が後になって判明して来る。
辞解
[審判] 本節の場合は神の審判や最後の審判にあらず、人の批判、またテモテの下すべき審判である。
5章25節
口語訳 | それと同じく、良いわざもすぐ明らかになり、そうならない場合でも、隠れていることはあり得ない。 |
塚本訳 | 同じように善い仕事もはっきり見える。(たとい始めは)そうでないものも、(何時までも)隠れていることは出来ない。 |
前田訳 | そのように、よい行ないもはじめから明らかであり、そうでないものも隠れたままでありえません。 |
新共同 | 同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。 |
NIV | In the same way, good deeds are obvious, and even those that are not cannot be hidden. |
註解: 罪と同様に善行もまた始めより一般に明瞭に知られるものと、隠れているものとがあるけれども、隠れているものといえども決して何時までも隠れたままではいることができない。24、25節の二節は要するにテモテが長老を如何に取扱うべきかの問題であって、人々の善行悪行に対する判断が決して容易にあらざることを示している。
要義1 [教会の統率と訓練]教会の会員、長老その他の役員等の信仰的道徳的訓練は重要なことでありかつ困難な事柄である。教会を牧する者があまりに厳格に過ぎ、完全のみを要求するならば、一人もその条件を充し得る者なく、反対に牧者があまりに寛大にして放任主義であるならば、教会内に善悪の差別が消失し、善の善たるを知らず、悪を悪としてこれを忌み嫌うこと無きに至るものである。殊にその主脳者たるべき長老や執事には殊にこの点に深く留意することが必要であり、パウロはテモテをしてこの点につき充分の注意を払うべく厳重に命じているのである。結局における最後の完全なる審判はこれを神に期待するより外にないけれども神の家、キリストの身体ともいうべき神の教会の中においては、牧者は神の霊により預言によりて立てられたる以上、神の審判の代理をしなければならない。
要義2 [禁酒とキリスト教]米国のキリスト教会はその社会状態より来る必要上殊に禁酒に力を注ぎ、この傾向が日本のキリスト教会にも伝来した。しかしキリスト教そのもの、イエスの福音そのものは絶対禁酒というべき律法主義や禁慾主義にあらざることはTテモ5:23およびTテモ3:8。テト2:2、3。ヨハ2:3以下等より明かであって、これを低級なる禁慾主義や律法主義と混同してはならない。我らもこの点においてパウロのごとくに考うべきである。
第1テモテ書第6章
2-6 諸種の警戒 6:1 - 6:21
2-6-イ 奴隷の不従順を戒む 6:1 - 6:2
6章1節 おほよそ
口語訳 | くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を、真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教とが、そしりを受けないためである。 |
塚本訳 | 軛の下に在る奴隷は皆、自分の主人(がどんな主人であっても、これ)をあらん限りの尊敬に値する者と考えよ、神の御名と、(主の)教えが涜されないためである。 |
前田訳 | すべて軛の下にある奴隷は、おのが主人を真に尊敬に値するものと思うべきです。神のみ名と教えとが汚されないためです。 |
新共同 | 軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒涜されないようにするためです。 |
NIV | All who are under the yoke of slavery should consider their masters worthy of full respect, so that God's name and our teaching may not be slandered. |
註解: 不信者を主人に持つ信者たる奴隷が主人に対して如何に振舞うべきかの教訓である。奴隷であっても信仰を有つ場合神の子とされるのであるが、事は神の国における身分であって、この世においてはこの世の秩序に順 うことが神の御旨である。それ故に奴隷たる身分およびこれに伴う主人との関係は信者となりて後も不変である。否神の子としてこの秩序を一層完全に実現し、自己の職務を一層完全に遂行するために、その主人がたとい不信者であり、またたとい如何に無価値な人間である場合でも、これをあらゆる尊敬に値している者と思うべきである。奴隷が信者となった場合往々に主人に反抗し、主人に対する尊敬を失うようになり易いので、かく教えたのである。
辞解
[軛の下にありて奴隷] 「軛の下にある奴隷」と訳す方よろし、牛馬等と同様に考えられ取扱われている奴隷の意味で、当時一般に奴隷はかく考えられていた。ただし主人が信者である場合、この点全く異なり、奴隷を人間として取扱った。奴隷制度は直ちに撤廃されなかったけれども、心が一変した。
これ
註解: 一人の信者たる奴隷の悪しき態度は直ちに福音そのもの、およびキリストの父なる神の御名に対する非難を招くに至る。自分一人の非難はなお忍ぶべしとするも、神とその教えとに対する非難はまことに申訳がない。
6章2節
口語訳 | 信者である主人を持っている者たちは、その主人が兄弟であるというので軽視してはならない。むしろ、ますます励んで仕えるべきである。その益を受ける主人は、信者であり愛されている人だからである。あなたは、これらの事を教えかつ勧めなさい。 |
塚本訳 | また信者の主人をもつ奴隷は、主人が(主にある)兄弟であるからといって(これを)軽んぜず、むしろ却つて(熱心に)奉公しなくてはいけない。主人は信者で、神に愛される者であって、(凡ての人に、然り、奴隷にも)親切を尽くそうとしているのであるから。このことを教え且つ勧めよ。── |
前田訳 | 信徒である主人を持つものは、兄弟であるからと軽視せず、むしろより多く仕えるべきです。その益を受けるのは信徒である愛すべき人々だからです。これらのことを教え、また勧めてください。 |
新共同 | 主人が信者である場合は、自分の信仰上の兄弟であるからといって軽んぜず、むしろ、いっそう熱心に仕えるべきです。その奉仕から益を受ける主人は信者であり、神に愛されている者だからです。これらのことを教え、勧めなさい。 |
NIV | Those who have believing masters are not to show less respect for them because they are brothers. Instead, they are to serve them even better, because those who benefit from their service are believers, and dear to them. These are the things you are to teach and urge on them. |
註解: 信者同志は兄弟である。しかしこれは神の国の関係、信仰の世界における事実であって、これがためにこの世の秩序が消滅したのではない。この世においては治者、被治者、命令する者、服従する者というごとき秩序が必要であり、かつこれは神の定めである。故に主人が自分と同じ信者であっても、これを主人としてこれに服 うべきであってこれを同輩視すべきではない。
反って
註解: 奴隷の善き奉仕によりて益を受くる者すなわち主人は、自分と同じく神の子たる信者であり神に愛せらる者である故、益々熱心にこれに事 うべきで、如何に熱心に事 えても足れりとしない。これは結局神を喜ばせまつることとなる故、自分にとりてもこの上の喜びはないはずである。
辞解
[益を受くる] すなわち「恵沢 に与る」者を主人と見るか奴隷と見るかにつき異論あり、またこれを「善業にいそしむ」と訳すべしとする説あり、その結果難解の一句で(1)〔奴隷に対し〕善行にいそしむ主人は信者にして愛される者なればなり(M0、W2)。(2)奴隷の善き業に与る主人は信者にして愛される者なればなり(I0)。(3)主人の善き業に与る奴隷はかえっていよいよ増しこれに事 うべし、そは主人は・・・・・。(4)その主人は信者にして善行にいそしむ者は愛せらる者なればなり(Z0)。(5)神より受けし恩沢を分配する主人は信者にして・・・・・(B1)等種々に訳される。たぶん(2)が最も適当ならん。
要義 [神の国における身分とこの世の秩序]キリスト者は往々にしてその神の子たる身分の故に、この世における上下の秩序を無視し易い。支配者に対し、父母に対し、師傳に対し平等の態度を取ることをキリスト教的と考え易い。しかしながら神はこの世を治むるがために秩序を定め給うた。神の子としての平等なる身分は、この世の秩序を無視することを意味しない。神の子としての平等は、霊の問題であって肉の問題ではない。神は凡てのキリスト者をみな等しく子として取扱い給うと同時に、この世においては彼らを各々異なる関係に立たしめ給う。我らはこの両者を何れも神の御旨としてかしこみ守らなければならない。
註解: これは現行訳では次節に関連するもののごとくに取扱っているけれども、むしろ前節の結論と見るべく、テモテに対してキリスト者となりたる奴隷に上のごとくに教うべきことを示したのである。
6章3節 もし
口語訳 | もし違ったことを教えて、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉、ならびに信心にかなう教に同意しないような者があれば、 |
塚本訳 | もし(真の福音と)違った教えを説き、我らの主イエス・キリストの健全なる言と、敬虔なる教えに賛成しない者があるなら、 |
前田訳 | もし異なる教えをして、健全なことばすなわちわれらの主イエス・キリストのことばと敬虔にかなう教えに従わぬものがあれば、 |
新共同 | 異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、 |
NIV | If anyone teaches false doctrines and does not agree to the sound instruction of our Lord Jesus Christ and to godly teaching, |
6章4節 その
口語訳 | 彼は高慢であって、何も知らず、ただ論議と言葉の争いとに病みついている者である。そこから、ねたみ、争い、そしり、さいぎの心が生じ、 |
塚本訳 | その人は思い上がっていて、何もわからず、(ただ)議論と口論の病気に罹っているので、それから出て来るものは嫉み、争い、誹謗、邪推であり、 |
前田訳 | それは目しいで何もわからず、ことばの問答や論争に病みついています。そこから、妬み、争い、そしり、悪い疑いが生じ、 |
新共同 | その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、 |
NIV | he is conceited and understands nothing. He has an unhealthy interest in controversies and quarrels about words that result in envy, strife, malicious talk, evil suspicions |
註解: 前節「これらの事を教へよ」より連想して異端を教える教師を警戒すべきことを注意している。これら偽教師の特徴はパウロの教えし所と異なる教えを伝えること、そして健全なる言(Tテモ1:10辞解参照)を受納れぬこと(健全なる言とはイエス・キリストの言より外になく、そしてこの中にはイエスが使徒、預言者を通じて語り給える言をも含むと見るべきである)および敬虔にかなう教えすなわち正しき信仰を教える教えを肯 わぬ者のことを言う。この種の人々は何も知らないくせに傲慢となり、議論と言争いに病みつくに至る。
辞解
[耽る] 病気となる意味の語で「健全なる言」と相対立する。
6章5節 また
口語訳 | また知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者どもの間に、はてしのないいがみ合いが起るのである。 |
塚本訳 | (また)理性を失い真理を奪われた人達の不断の争闘である。この人達は信心を金儲けと考えている。 |
前田訳 | 心が腐って真理を離れ、敬虔を利益の道と思う人々の衝突がおこります。 |
新共同 | 絶え間ない言い争いが生じるのです。これらは、精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こるものです。 |
NIV | and constant friction between men of corrupt mind, who have been robbed of the truth and who think that godliness is a means to financial gain. |
註解: 信仰の陥る弊害は自らを正しとして他を容れず、その結果他の隆盛を嫉んであるいはこれを誹謗し、あるいはこれと分争し、あるいはこれを悪しざまに考え、多くの徒党を造りて自己の利益を図るようになり、かくしてその心は腐れ、真理はその心より剥奪せられ、敬虔を商売と心得る売僧のごときものとなり、かくして彼らは唯空しき論争を事とするごとき状態となる。信仰が不健全となる時、必ずこれらの諸々の悪徳が発生し傲慢、嫉妬、闘争、利慾等に支配せられ、真理は彼らを離れ唯無意味の論争に耽るに至る。
辞解
[眞理をはなれ] 「真理を剥奪され」の意。
[敬虔] 牧会書簡にては「信仰」というに同じ。
[利益の道] porismos は俗に「商売」というがごとし(L1)。
[争論] diaparatribê なる複合詞は無益にして激しき争論を指す。
6章6節 されど
口語訳 | しかし、信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。 |
塚本訳 | 信心はたしかに大きな「金儲け」である──足るを知るなら! |
前田訳 | たしかに、足るを知る敬虔は利益の道です。 |
新共同 | もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。 |
NIV | But godliness with contentment is great gain. |
註解: 直訳「知足を伴う敬虔は大なる収益の道なり」であるが、ここでは「収益の道」(または「商売」)は諧謔 的(C1)もしくは抽象化されし意味(E0)に用いたので、「自足の念を伴う信仰は生活を保証すること」(B1)を意味したのではない。自足の念を伴う信仰ほど我らの生活に益を与うるものなしとの意味である。その故は9、10節のごとき結果に陥ることを免れるが故である。
6章7節
口語訳 | わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。 |
塚本訳 | 本当に私達は何一つ持たずにこの世に来たのである。従って何一つ持って(この世を)去ることは出来ない。 |
前田訳 | われらはこの世に何も持ち来たらず、また何も持ち去りえません。 |
新共同 | なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。 |
NIV | For we brought nothing into the world, and we can take nothing out of it. |
註解: ヨブ1:21。伝5:13、14等にも同様の思想あり、仏教その他の宗教や哲学にも同様の言葉あり。この思想は我らの利慾心の無意味なるをさとらしむるに効あり。
辞解
原文の構造につき議論多き一節なれど意味は上記のごとく明瞭である。
口語訳 | ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。 |
塚本訳 | だから(とにかく)食う物と着る物があれば、それで足れりとしよう。 |
前田訳 | 衣食があればわれらはそれで足るとすべきです。 |
新共同 | 食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。 |
NIV | But if we have food and clothing, we will be content with that. |
註解: 生活の最低限をもって満足することは最も賢明なる信仰的生活態度である。
辞解
「衣食」の「衣」 skepasma は「覆うもの」の意味で、本来住居をも含む意味の語であるが衣服のみにつきても用いらる。本節のみに特にこの語を用いたのは(新約聖書中唯一回)、本来の意味に解すべきことを示すものであろう。衣服につきては常に他の語を用う。
6章9節 されど
口語訳 | 富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。 |
塚本訳 | しかし金持ちになろうとする者は誘惑と罠と、愚にして有害な種々の慾とに陥る。そしてこれが人を堕落と滅亡とに突き落とすのである。 |
前田訳 | 富むことを望むものは誘惑とわなと多くの愚かで危ない欲望に陥ります。これらは人々を堕落と滅びに落としこむものです。 |
新共同 | 金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。 |
NIV | People who want to get rich fall into temptation and a trap and into many foolish and harmful desires that plunge men into ruin and destruction. |
註解: 富を欲する心ほど危険なものはない。人は富を得んがために種々の誘惑に陥る。すなわちあるいは不正、不当の利益を求めあるいは急速に富まんとして無理をする。そしてこの誘惑は恐るべき羂 となりて彼らを陥れる。また富そのものもまた種々の肉慾、虚栄、名誉慾等に人を誘い、ついに心身の滅亡に陥らしむる例は甚だ多い。我らは唯神の与え給いし職務に勤勉に従事すべきであり富まんことを求めてはならない。
6章10節 それ
口語訳 | 金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。 |
塚本訳 | あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。 |
前田訳 | 金銭欲は諸悪の根源です。それを求めてある人々は信仰から迷い出て、さまざまの苦しみで自らを刺し貫きました。 |
新共同 | 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。 |
NIV | For the love of money is a root of all kinds of evil. Some people, eager for money, have wandered from the faith and pierced themselves with many griefs. |
註解: 古今東西、金銭上の誘惑が如何に大なる力であり、またこれが如何に多くの悪を生み出したかは今さら説明を要しない。唯これがキリストを信ずる者の上にも大なる力を有することを忘れてはならない。殊にパウロは3節以下において「異る教を伝ふる者」の貪慾(6節)につきて戒めているのである故、この最後の金銭慾に対する警戒もテモテにとりて必要であると感じたのであろう。
辞解
[これを慕ひ] 「金銭を慕い」の意味で「金を愛することを慕う」意味ではない。文法上は原文そのものも不精確なり。
[痛 ] 良心の苦痛(B1、M0)と限る必要はない。金銭慾に迷わされて信仰を離れし者は始めより信仰なき者に比して一層甚だしき種々の不幸に襲われることを我らは目撃することができる。
要義 [富者の不幸]キリスト者は自ら富まんと欲してはならない。この欲望に従って行動することは神に対する信頼とは相容れない。9、10節に示すがごとき種々の禍害必ずこれに伴う。これに反し富まんと欲せず唯神の御旨を行わんとする者は、神は必ずこれを飢えしめず、必要なる物資をこれに与え給う、かくして益々信仰の生涯を送ることができるようになるのである。
6章11節
口語訳 | しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。 |
塚本訳 | ああ、しかし神の人よ、君はこれを避け、義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めよ。 |
前田訳 | しかし神の人であるあなたはこれらを避けて、義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和をお求めなさい。 |
新共同 | しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。 |
NIV | But you, man of God, flee from all this, and pursue righteousness, godliness, faith, love, endurance and gentleness. |
6章12節
口語訳 | 信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは、そのために召され、多くの証人の前で、りっぱなあかしをしたのである。 |
塚本訳 | 信仰の善い戦いを戦い、永遠の生命を捉えよ。君はこの生命に召されて、多くの証人達の前で(信仰の)よき告白をしたのである。 |
前田訳 | 信仰のよい戦いを戦い、永遠のいのちをお受けなさい。あなたはそのために召されて多くの証人の前でよい証をしたのです。 |
新共同 | 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。 |
NIV | Fight the good fight of the faith. Take hold of the eternal life to which you were called when you made your good confession in the presence of many witnesses. |
註解: 四つの命令が連発されている。もし日本語の構文法により最後の動詞のみを命令形に訳すとすれば、現行訳中の第三の動詞「たたかへ」をも「たたかひ」とすべし。「神の人」は神のごとき人の意味ではなく、神の器として用いられる人を意味す(申33:1。Tサム2:27)。それ故に他の人間以上の人間として誇るための名称ではなく、他の人々以上の義務を負わしめられていることを示す。パウロは第一にテモテに神の人としてこれらの事(4−10節)に陥ることなくこれを避くべきこと。そして第二に反対に義以下六つの徳を追求すべきことを命じている。この六つの徳はみな4、5節の悪の反対であって、神の人の当然追い求むべき事柄である。第三の命令は信仰の善き闘いをたたかうことである。信仰は競技のごとく、奮闘努力を要する。そしてこれは善き闘いであって神の御旨に叶い、善き賞賜を期待することができる。第四の命令は永遠の生命をとらうべきことであって、これは信仰の善き闘いをたたかう場合の目的であり(M0)、信仰の闘いによりて贏 ち得る処のものである。以上の四つの命令は勿論相互に関連しておりその中の一つを欠けば他を得ることができない。
辞解
[戰闘 ] agôn はピリ1:30。Uテモ4:7と同じく競技における闘争を指す。Tテモ1:18の「戦闘」 strateia は戦における闘争をいう。
註解: テモテの召命と、その伝道とその生活とによって為せる善き言明(告白)とは、以上のごとき生活とその目的達成のためであった。
辞解
[言明 ] homologia は次節の場合と同じく単なる口頭の形式的告白ではなく、全人格全生活そのものをもってする信仰の告白である。
[これが為] 11、12節の四つの命令を完 うするための意。
6章13節 われ
口語訳 | わたしはすべてのものを生かして下さる神のみまえと、またポンテオ・ピラトの面前でりっぱなあかしをなさったキリスト・イエスのみまえで、あなたに命じる。 |
塚本訳 | 私は万物に生命を賜う神と、ポンテオ・ピラトの前で善き証しを為し給うたキリスト・イエスとの前で、(君に堅く)命ずる── |
前田訳 | わたしは万物を生かしたもう神と、ポンテオ・ピラトのとき、よい証をなさったキリスト・イエスの前で命じます、 |
新共同 | 万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。 |
NIV | In the sight of God, who gives life to everything, and of Christ Jesus, who while testifying before Pontius Pilate made the good confession, I charge you |
註解: パウロは神とキリストの使徒たる資格をもってその前にてテモテに次節の命令を出している。すなわち神の権威をもってする命である。そしてその神は万物を創造し、これに生命を与え、これを保ち給う神であり、キリストはその生命をささげ、血をながしてまでもその神の子たることとその使命とを告白し給うたキリストである。従ってテモテもこれを思い、死を恐れず真の信仰を告白すべきである。
6章14節
口語訳 | わたしたちの主イエス・キリストの出現まで、その戒めを汚すことがなく、また、それを非難のないように守りなさい。 |
塚本訳 | 我らの主イエス・キリストの顕れ給う時まで欠くる所なく、一点非難の打ち所なく(私の)この命令を守れ。 |
前田訳 | われらの主イエス・キリストの出現まで、汚れなく、とがなく、おきてをお守りなさい。 |
新共同 | わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。 |
NIV | to keep this command without spot or blame until the appearing of our Lord Jesus Christ, |
註解: この「誡命」はTテモ1:5の命令と同じく、キリスト者のあらゆる行為に関する教訓というに同じ、パウロはテモテに向ってキリスト再臨の時までこの誡命を完全に遵守し、汚点なく責むべき所なきものとなっているべきことを命じている。父の子に対する愛の教訓である。
辞解
[現れたまふ時] epiphaneia は王の臨幸等に用うる語であるが、牧会書簡では主としてキリストの再臨につきて用いている。
なお、「守れ」を「保存せよ」の意味に解し、誡命に傷を付けずに完全に存せよとの意味に解する説あれど(W2、Z0)上記註のごとくに解するを可とす(B1、E0)。
6章15節
口語訳 | 時がくれば、祝福に満ちた、ただひとりの力あるかた、もろもろの王の王、もろもろの主の主が、キリストを出現させて下さるであろう。 |
塚本訳 | その時が来れば、至幸唯一の主権者、王の王、主の主(なる神)は、(必ず)彼を(私達に)示し給うであろう。 |
前田訳 | 彼の出現は、さいわいにいます唯一の君、もろもろの王の王、もろもろの主の主がみ心にかなう時に成就なさるでしょう。 |
新共同 | 神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、 |
NIV | which God will bring about in his own time--God, the blessed and only Ruler, the King of kings and Lord of lords, |
6章16節
口語訳 | 神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。 |
塚本訳 | 神は(ただ)独り不死を有ち、近づき難き光に住み、誰一人これを見た者がなく、また見ることも出来ない。栄誉と永遠の権力彼にあれ!アーメン。 |
前田訳 | 彼だけが不死を保ち、近づきえぬ光に住み、だれも見たことがなく、見ることができない方です。彼に永遠の誉れと力がありますように。アーメン。 |
新共同 | 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。 |
NIV | who alone is immortal and who lives in unapproachable light, whom no one has seen or can see. To him be honor and might forever. Amen. |
註解: 「これを顕す」はキリストの再臨を実現し給うこと。「時いたらば」は直訳「彼自身の時において」で彼の定め給える時、または彼の善しと見給う時を指す。ここに神に関する多種多彩の形容を羅列している。かかる神にして始めてキリストの再臨の栄光をあらわすことを得給う。この神にこそ尊貴 と限りなき権力 とあらんことをパウロは祈っているのである。感極まって頌栄に終るのはパウロの常習である。
辞解
[幸福なる] 神のみが真の意味において幸福である(マタ5:3)。
[君主] dynastês は「能力ある者」の意で万能の神に相応しき形容。
[近づきがたき光に住み] 神は光であって光の中に住む、その光輝はまばゆくして近づくことができない。この形容は神の栄光のかがやきの著しきことを示しているのであって、具体的に光が如何にして光の中に住むや等の穿鑿 をなすべきではない。
口語訳 | この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、 |
塚本訳 | この世の金持ち達に(堅く)命ぜよ──高慢にならぬように、また不確かな富でなく、私達を楽しませようとして豊かに万物を与え給う神に望みを置くように、 |
前田訳 | この世の富む者どもにお命じなさい。高ぶらず、定まらぬ富に望みを置かず、われらにすべてを豊かにそなえて用いさせたもう神に望みを置き、 |
新共同 | この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。 |
NIV | Command those who are rich in this present world not to be arrogant nor to put their hope in wealth, which is so uncertain, but to put their hope in God, who richly provides us with everything for our enjoyment. |
註解: パウロは前節をもってこの書簡を終えんとして今また本節以下を附加するの必要を思い起したことであろう。エペソには当時相当多くの富める信者があったと見える。パウロはテモテをして次のごとくに彼らに命ぜしめた。
辞解
[この世の] 原文「今の世の」、天国において富める者と混同せざらんがためである。
註解: 富者は高慢になり易い。この高慢の心が彼らの奢侈 を当然と考えるに至らしめる。
註解: 盛者必衰、富者の富もまた明日の運命を知ることができない。かかる不安定なる富に希望を繋ぐことは愚かなことである。
辞解
[定めなき富] 原文「富の不安定」であるが意味は現行訳のごとくにて宜し。
[恃 む] 「望む」「希望をかける」の意。
註解: 富に希望を置かずして神に希望を置くことがキリスト者の義務である。そしてこのことは富者において特に困難である故殊にこの注意を必要としたのであった。富のたのむべからざるはその不安定なるがためであり、神の頼むべきは「萬の物を豊に賜ふ」が故である。神を宝庫としてこれに依り頼む者は乏しきことがない。そして神は我らをしてそれを楽しみ用いんために萬の物を賜うのである。ただしここに萬の物を賜うとは現世における意味ではなく、来るべき世において万物を我らに賜う神に依り頼むべしとのことである(ロマ8:32)。その時に至れば我らは何らの制限なしに万物を自由に享有することができる。
口語訳 | また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、 |
塚本訳 | 善を行うように、善い仕事に富むように、物惜しみせず分け好きであるように、 |
前田訳 | よいわざをし、よいわざに富み、惜しまず施し、ものを分かちあい、 |
新共同 | 善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。 |
NIV | Command them to do good, to be rich in good deeds, and to be generous and willing to share. |
註解: この二句ほぼ同一のことをいうのであるが、前半は一般的態度、後半は個々の行為に重きを置いている。なお後半は次に来る句の前提とも見ることができる。
註解: 自己の富を貧しき人々、必要を感じている人々に自由に分配すること。
註解: koinônikos 聖徒の欠乏を共にすることすなわちその苦痛を分担することを喜ぶことをいう。
6章19節 かくて
口語訳 | こうして、真のいのちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように、命じなさい。 |
塚本訳 | かくして自分の未来のために善い資本を積んで、真の生命を捉えるように(命ぜよ。) |
前田訳 | 真のいのちを受けるために、未来へのよい基をたくわえよ、と。 |
新共同 | 真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。 |
NIV | In this way they will lay up treasure for themselves as a firm foundation for the coming age, so that they may take hold of the life that is truly life. |
註解: 私訳「真の生命を捉えんため、将来に対し、己がために善き基礎を蓄えよ」「善き基礎を蓄えよ」は精確に言えば「善き行為を蓄えて基を置け」の意味である。世の人は富を積みて未来の備 をするのであるがその結果は死と共に凡ての富を棄て去らなければならない。然るにキリスト者は善行を積み、喜んで施すことによりて未来のために善き基礎を置き、これによりて真の生命を捉えることができる。
要義 [富者の幸福]富者の幸福はその富を貧者に分け与え、貧に苦しむ者とその苦痛を共にしこれを助け、かくして与うるは受くるよりも幸いなることを自覚して神のみに依り頼むことである。神は喜んで与うる者を決して貧困に陥れ給わない。かくしてその善行が基礎となりて、未来において彼は真の生命を捉うることを得るのである。富者の幸福は富を積みてこれに依り頼むことではなく神に依り頼みて富を散ずることである。
口語訳 | テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、偽りの「知識」による反対論とを避けなさい。 |
塚本訳 | ああ、テモテよ、委ねられたもの(、すなわち健全な教え)を守れ。信仰的でない無駄話と名ばかりの「知識」の反対論を離れよ。 |
前田訳 | テモテよ、あなたに託されたことをお守りなさい。むなしいむだ話と似而非知識の論争をお避けなさい。 |
新共同 | テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。 |
NIV | Timothy, guard what has been entrusted to your care. Turn away from godless chatter and the opposing ideas of what is falsely called knowledge, |
註解: Uテモ1:14。神より委ねられし職場を忠実に守るのがテモテの責務である。この委ねられしことの内容につきてはパウロが本書簡において縷々 説明した処である。
註解: 私訳「知識と偽称される卑俗なる空論および反対論を避けよ」。異端的偽教師らは福音そのものを純粋に宣伝えず、当時行われていた聖ならざる卑俗の空論や反対論を持ち出し、些末 なる問題につき論議することを好み、これを知識と偽称していた。パウロはテモテをしてかかる論議に深入りせしめざる様、これを避くべきことを教えている。なおこれらの知識はいわゆるグノシス主義の知識ではなく、また哲学上の知識でもなく、当時すでにこの種の事柄を知識と自称する人があったのでテモテがこれに引入れらることなきようパウロは警戒を与えたのである。信仰は空理空論ではなく、また抽象的知識でもない。それは生ける生命そのものである。
6章21節 ある
口語訳 | ある人々はそれに熱中して、信仰からそれてしまったのである。恵みが、あなたがたと共にあるように。 |
塚本訳 | 或る人はこの「知識」にかぶれて信仰から離れ落ちたのである。恩恵君達と共にあらんことを。 |
前田訳 | ある人々はそれに心をとられて信仰からそれました。恩恵があなた方とともにありますように。 |
新共同 | その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。 |
NIV | which some have professed and in so doing have wandered from the faith. Grace be with you. |
註解: 自らかかる知識ありと自任した結果、信仰が不要になり信仰を離れて迷い出づるに至った。
註解: 異本に「なんぢら」とあり、この方正し、パウロはこの書簡の一般に教会の人々に読まれることを信じていたのでかかる複数代名詞を用いたのである。