黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1テモテ書

第1テモテ書第4章

分類
2 テモテに対する諸種の注意 1:3 - 6:21
2-4 牧者としての注意 4:1 - 4:16
2-4-イ 偽教師の誤れる主張 4:1 - 4:5  

4章1節 されど御靈(みたま)あきらかに、(ある)(ひと)(のち)()(およ)びて、(まどは)(れい)惡鬼(あくき)(をしへ)とに(こころ)()せて、信仰(しんかう)より(はな)れんことを()(たま)ふ。[引照]

口語訳しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。
塚本訳しかし御霊は、後日(必ず)或る人々が虚言者どもの偽善に欺かれて迷いの霊と鬼の教えに心を奪われ、信仰から離れ落ちることを(予め)明らかに言い給う。
前田訳霊が明言するように、後の時に、ある人々は迷いの霊と悪霊の教えとに従って信仰から離れましょう。
新共同しかし、“霊”は次のように明確に告げておられます。終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。
NIVThe Spirit clearly says that in later times some will abandon the faith and follow deceiving spirits and things taught by demons.

4章2節 これ虚僞(いつはり)をいふ(もの)僞善(ぎぜん)()りてなり。(かれ)らは良心(りゃうしん)燒金(やきがね)にて()かれ、[引照]

口語訳それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。
塚本訳この虚言者どもは(私利や貪欲の奴隷となり、あたかも奴隷が額に焼印を押されるように)自分の良心に焼印を押され(ていながら、)
前田訳それはおのが良心に焼き印されたうそつきの偽善によるものです。
新共同このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。彼らは自分の良心に焼き印を押されており、
NIVSuch teachings come through hypocritical liars, whose consciences have been seared as with a hot iron.

4章3節 婚姻(こんいん)するを(きん)じ、(しょく)()つことを(めい)ず。[引照]

口語訳これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
塚本訳(口では禁欲を唱えてあるいは)結婚を禁じたり、(あるいは)食物を断たせたりしている──しかし食物は信じ且つ真理を知る者が感謝をもって頂くように神が創造り給うたものである。
前田訳彼らは結婚を禁じ、食物を絶たせます。しかし食物は、信じて真理を知る人々が感謝をもって受けるよう神がお造りになったものです。
新共同結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです。
NIVThey forbid people to marry and order them to abstain from certain foods, which God created to be received with thanksgiving by those who believe and who know the truth.
註解: 原文の構造にやや近く私訳すれば「(1節)然れども御霊はあきらかに言い給う、或人々後の日に及びて信仰より離れん、すなわち惑わす霊と悪鬼の教とに心を寄せ、(2節)虚言者の偽善に居り、良心は焼却せられ、(3節)婚姻するを禁じ、食を断つことを命ぜんと」「然れど」は前章末尾の敬虔の奥義の栄光と本節以下の偽教師との対照を示す。御霊は預言者を動かして「あきらかに」明瞭なる言をもって預言せしめる。或人々は偽教師たちを指す、特に名を掲げないのはパウロの智慧であろう。その偽教師らは信仰より離れてしまう。そしてその原因および結果を次の五ヶ条として列挙する。(1)惑す霊と悪鬼の教とに心を寄すること。「惑す霊」は「聖霊」の反対すなわちサタンの霊というに同じ、聖霊は単数であり、惑す霊は複数である。悪鬼の教はキリストまたは使徒たちの教に相対する。悪鬼は複数で、サタンの輩下である。(2)虚言者の偽善にいること、誠実なる心と言とは彼らの中に存在しない。(3)良心は焼印されている。すなわち罪の焼印がその良心に焼付けられて消えることがなく、しかも彼らはその迷いと邪悪と虚偽と不義とをも顧みずして誤った教を為し、(4)婚姻を不潔として禁じ、婚姻せざる生活を聖き生活なりと主張し、(5)食を断つことを良きこととして命じている。これが偽教師の態度であった。
辞解
[後の日] 「終の日」のごとくに終末的の意味が濃くはなく、現在の時代をも含む。
[虚言者の偽善におり] 他の構造に解する説あれど略す。
焼金(やきがね)にて焼かれる場合は奴隷がその主人の名を焼印される場合と、犯罪人がその犯罪人たることを焼印される場合とあり、前者を取れば本節はサタンの名を焼印せられしこととなり(E0)、後者によれば上記のごとき解となる(A1、B1、L2)。
婚姻を不潔なることと考えたのは当時以前より存在せるエッセネ派等にもあり、必ずしもグノシス派の影響と解するを要しない。
[食を断つことを命ず] 本節の場合如何なる食を断つべしと唱えたのか、また何故に食を断つべしと教えたかは不明であるが、おそらくモーセの律法により穢れしものとせられし食物につきてならん(テト1:15ロマ14:2、3)。▲信仰の律法化は当時既にその萌芽を出して人間は神の御心よりも人間を悦ばせようとする。禁慾生活のごときもその一種で、荒野におけるクムラン教団のごとき、よき一例である。

されど(しょく)(かみ)(つく)(たま)へる(もの)にして、(しん)じかつ眞理(まこと)()(もの)感謝(かんしゃ)して()くべきものなり。

註解: 私訳「その食は、信者にして真理を知る者をして感謝をもって受けしめんために神の造り給えるものなり」。如何なる食物も神は人をしてこれを食わしめんために造り給うたのである。ゆえに信者にして神の啓示し給える真理を知る者はみな感謝してこれを受くべきであり、これを断つごときは全く無意味である。勿論信者以外の人のためにも造られたのであるが、信者に取りては殊にそれが感謝の原因となるのである。

4章4節 (()(ゆえ)は)(かみ)(つく)(たま)へる(もの)はみな()(く)[し]、感謝(かんしゃ)して()くる(とき)()つべき(もの)[なし](なければなり)。[引照]

口語訳神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
塚本訳何故なら、神の創造り給うたものは皆佳く、感謝をもって受くれば廃り物は一つも無い。
前田訳神がお造りのものはすべてよく、感謝をもって受けたものは何ひとつ捨てるべきでありません。
新共同というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。
NIVFor everything God created is good, and nothing is to be rejected if it is received with thanksgiving,
註解: かかる自明の理(創1:31マコ7:19使10:15ロマ14:14ロマ14:20Tコリ10:26)が旧約時代においては種々の制限を受けていたことは不思議であるがこれらは凡て福音に到達するための律法的訓練の時代の現象と見るべきである。

4章5節 そは(かみ)(ことば)(いのり)とによりて(きよ)めらるるなり。[引照]

口語訳それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。
塚本訳(食物は悉く食前の祈りにおける)神の言と感謝の祈りとによって聖められるからである。
前田訳それは神のことばと祈りとによって聖められているからです。
新共同神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。
NIVbecause it is consecrated by the word of God and prayer.
註解: 食事に際して行う祈りにより神は食物の上に祝福を賜うとの考えから、これを「神の言」と言ったのであろう。すなわち如何なる食物でも、神に対する信頼の心をもって感謝し祈る時、神はその食物の上に祝福の言を賜い、食物はこれによりて潔められ、如何なる物にても穢れているものはないとの意。これを機械的に解し、食前の感謝が穢れた物を潔くする力ありと考えてはならない。この感謝の態度とこれに対する神の喜びとは、そこに穢れの入る余地もなきほど最も潔き世界を造り出し得ることの心持を表顕したものと見るべきである。
辞解
[神の言] (1)神に関する言、(2)聖書のある一句、(3)キリスト教の一般真理、(4)感謝の祈りに交る神の言、(5)祈りと同義等種々の解あり、試に上記のごとく解した。
[祈] enteuxis は子供のごとき心をもって神に近付くこと、なお禁慾主義につきてはコロ2:16−23註および要義参照。

2-4-ロ 良き牧者たれ 4:6 - 4:10  

4章6節 (なんぢ)もし(これ)()のことを兄弟(きゃうだい)(をし)へば、信仰(しんかう)(なんぢ)(したが)ひたる()(をしへ)との(ことば)にて(やしな)はるる(ところ)のキリスト・イエスの()役者(えきしゃ)たるべし。[引照]

口語訳これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたは、信仰の言葉とあなたの従ってきた良い教の言葉とに養われて、キリスト・イエスのよい奉仕者になるであろう。
塚本訳この(結婚や食物の)ことを(正しく)兄弟達に教えるならば、君は信仰と(今まで)随って来た(健全な)善い教えとの言によって育てられ、キリスト・イエスの立派な世話役となるであろう。
前田訳あなたはこれらを兄弟に教えれば、信仰のことばと、従ってきたよい教えのことばに養われて、キリスト・イエスのよい世話人になるでしょう。
新共同これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。
NIVIf you point these things out to the brothers, you will be a good minister of Christ Jesus, brought up in the truths of the faith and of the good teaching that you have followed.
註解: パウロはテモテに向いその牧会の義務を示している。すなわち「此等のこと」(本書簡の始めより4:5に至るまでのことを指すと見るべし)を兄弟たちに示唆することである。そしてかく義務を果すことによりキリスト・イエスの良き役者(または執事)となることができ、かつ、信仰においても教においても養われ益々発育するに至る。役者にとりて信仰の言と、善き教えの言とがその霊を養うところの滋養であり、これに養われて良き働きを為すことができる。
辞解
[教へば] 示唆を与えること。
[役者(えきしゃ)] diakonos 執事と同語、当時職名と実質的称呼との区別が厳格ならざりし一例である。

4章7節 されど(みだり)なる(はなし)()いたる(をんな)昔話(むかしばなし)とを()てよ、[引照]

口語訳しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。
塚本訳信仰的でない、愚にもつかぬ昔話をはねつけよ。(人はともあれ、いよいよ)自分を鍛錬して敬虔となれ。
前田訳俗で老婆向きの作り話は避けて、自らを敬虔へと訓練なさい。
新共同俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい。
NIVHave nothing to do with godless myths and old wives' tales; rather, train yourself to be godly.
註解: 前節のごとく信仰の言と善き教えの言は霊の滋養となるに反し、「(みだり)なる談」すなわち俗悪にして神聖ならざる架空の談論や、老婆の好んで為すごとき「昔話」 mythos すなわち架空の神秘な物語は信仰に何らの益を与えないものであるからこれと絶縁しなければならぬ。テモテは柔和なる性格であったらしく、他人の言動に引き寄せられ易かったものと思われる。

また(みづか)敬虔(けいけん)修行(しゅぎゃう)せよ。

註解: 「修行す」 gymnazô は体操、運動等の練習により身体を鍛えることをいう。ここではこれを霊的に用いている。そしてその鍛錬の目的は敬虔な生涯に入ることである。パウロはここにオリンピヤの競技のために鍛錬する選手のことを考えたのであろう。キリスト者の克己は3節のごときことではなく、この種の霊的鍛錬である。

4章8節 (からだ)修行(しゅぎゃう)もいささかは(えき)あれど、敬虔(けいけん)(いま)生命(いのち)(しりへ)生命(いのち)との約束(やくそく)(たも)ちて(すべ)ての(こと)(えき)あり。[引照]

口語訳からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。
塚本訳「(禁欲ごとき)体の鍛錬は益少ないが、敬虔は凡てに益がある。現世、来世の生命の約束を有つ」(という言があるが)、
前田訳体の訓練の益は少なく、敬虔は万事に益します。そこに今のいのちと来たるべきいのちとの約束があるからです。
新共同体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。
NIVFor physical training is of some value, but godliness has value for all things, holding promise for both the present life and the life to come.
註解: 「修行」すなわち「鍛錬」より連想してここにパウロは身体の運動や鍛錬も、若干の益あることを述べているが、これは敬虔の益の絶大なると比較せんがために当時ギリシャにおいて重視され、流行していた身体の鍛錬を引合いに出したのである。そして敬虔すなわち信仰の万事につき益ある所以は信仰はこの世の生活および来世の生活に関して希望に充てる約束を(マコ10:29、30)確保し得るからである。キリスト者は世にありて患難多しということも事実であるが、これに打勝ち得る信仰を与えられているが故にさらにさらに大なる幸福が得られる。
辞解
[(からだ)の修行] 3節のごとき禁慾的生活と解する説あれど(L2、E0)パウロはこれを幾分の益ありとすることは有り得ない。
[「(いささ)か」と「凡ての事に」] 両者は相対照す。
[約束] 約束せられし事柄(E0)と解す。

4章9節 これ(しん)ずべく(ただ)しく()くべき(ことば)なり。[引照]

口語訳これは確実で、そのまま受けいれるに足る言葉である。
塚本訳この言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。
前田訳このことばは信ずべく、またすべて受け入れるべきものです。
新共同この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。
NIVThis is a trustworthy saying that deserves full acceptance
註解: Tテモ1:15註参照。前節は当時のキリスト者の間に格言のごとくに用いられていたのであろう。

4章10節 (われ)らは(これ)がために(らう)しかつ苦心(くしん)す、そは(われ)(すべ)ての(ひと)(こと)(しん)ずる(もの)救主(すくひぬし)なる()ける(かみ)(のぞみ)()けばなり。[引照]

口語訳わたしたちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、望みを置いてきたからである。
塚本訳私達の奮闘も努力も畢竟この生命の約束を目的としている──私達は凡ての人、特に信者の救い主である活ける神に希望を置いているのであるから!
前田訳このためにこそ、われらは労し苦しんでいるのです。われらは生ける神に望んでいます。彼こそ万人の、とくに信ずる者の救い主です。
新共同わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。
NIV(and for this we labor and strive), that we have put our hope in the living God, who is the Savior of all men, and especially of those who believe.
註解: 「之がために」は今の生命と後の生命との約束を得ること、すなわち信仰を確保することであり、このためにパウロ始め多くのキリスト者は苦労し奮闘する。そしてかかる苦闘を()める所以は活ける神に望みを置き、彼こそはこの凡ての約束を実現し得給うと信ずるからである。この神こそ万人の救い主に在し(Tテモ2:6)、殊に信者の救い主である。かかる活ける神を信じて苦闘することは我らの特権である。
辞解
[之がために] 後の文章を受けると解する説あり。
[凡ての人] キリストは万人のために死に給うた、ゆえに神はキリストによりて万人の救い主である。唯この救いに与る者は信ずる者のみである故、「特に信ずる者の救主」に在し給う。

2-4-ハ 信者の模範たれ 4:11 - 4:16  

4章11節 (なんぢ)これらの(こと)(めい)じかつ(をし)へよ。[引照]

口語訳これらの事を命じ、また教えなさい。
塚本訳これらのことを(堅く)命令し且つ教えよ。
前田訳このことを命じ、またお教えなさい。
新共同これらのことを命じ、教えなさい。
NIVCommand and teach these things.
註解: 「これらの事」は本章に()べられしごとき敬虔に関する諸問題、「命じ」はテモテに権威をもって臨むべきことを教えているのである。

4章12節 なんぢ(とし)(わか)きをもて(ひと)(かろ)んぜらるな、[引照]

口語訳あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。
塚本訳自分の年の若いことを誰にも軽蔑されるな。却って言において、振舞いにおいて、愛において、信仰において、純潔なことにおいて(凡ての)信者の模範となれ。
前田訳だれもあなたを若さのゆえに侮らせなさるな。ことば、行ない、愛、信仰、聖潔において信徒の模範におなりなさい。
新共同あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。
NIVDon't let anyone look down on you because you are young, but set an example for the believers in speech, in life, in love, in faith and in purity.
註解: パウロが、始めてテモテを第二回伝道旅行に伴いし時の(使16:3)テモテの年齢を仮に十六七歳とすれば(これは全く一つの推量に過ぎないが)この書簡が(したた)められし頃(六十四五年頃)には三十二三歳となる。教会の長老としては若年というべきである。「無価値の老人は年若き長老を軽蔑することを好む」(B1)。パウロは己が子のごとくにテモテに注意を与えている。ただしその半面に一般信徒に「若しとてテモテを軽蔑すべからず」と教えているものとも解すべきである。
辞解
[軽んず] 心で軽蔑してこれを行動に表すこと。

(かへ)つて(ことば)にも、行状(ぎゃうじゃう)にも、(あい)にも、信仰(しんかう)にも、(きよめ)にも、信者(しんじゃ)模範(もはん)となれ。

註解: その言行の凡ての点において、また信者を愛する愛において、また神に信頼する信仰的態度において、また性的方面にも金銭問題その他にも潔きことにおいて信者の模範とならなければならぬ。かくすれば自然に若年の故をもって軽蔑される様のことはない。

4章13節 わが(いた)るまで、()むこと(すす)むること(をし)ふる(こと)(こころ)(もち)ひよ。[引照]

口語訳わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。
塚本訳私が行くまで(集会で聖書を)朗読すること、勧めをすること、教えることに心を傾けよ。
前田訳わたしが来るまで聖書朗読と勧めと教えとに心がけてください。
新共同わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
NIVUntil I come, devote yourself to the public reading of Scripture, to preaching and to teaching.
註解: 「読むこと」は集会において公衆の前に聖書を読むことでユダヤの会堂の習慣がキリスト教会に承継されていた。而してこの聖書を読むことに伴い、会衆に対する実際上の「勧め」が与えられ、また信仰上の諸問題に関する「教え」が為される。これがテモテの義務の中心である故、パウロの到るまでこれに心を用うることが大切であるとのこと。

4章14節 なんぢ長老(ちゃうらう)たちの按手(あんしゅ)()け、預言(よげん)によりて(たま)はりたる賜物(たまもの)等閑(なほざり)にすな。[引照]

口語訳長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。
塚本訳(伝道を委ねられた時)長老達の按手と共に予言によって与えられた恩恵を無駄にすることのないように。
前田訳あなたの中にある賜物を軽んじなさるな。それは預言に従って長老団の手が置かれてあなたに与えられたものです。
新共同あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。
NIVDo not neglect your gift, which was given you through a prophetic message when the body of elders laid their hands on you.
註解: テモテはおそらくエペソの教会の牧者に任ぜられる時に、パウロ始め(Uテモ1:6)他の長老たちの按手を受けたのであろう。その時彼らの一人または数人は聖霊に動かされて預言をなし、これによりてテモテは神より聖霊の賜物(Tコリ12:1−11)を受けた。すなわち教会を牧するに必要なる諸々の賜物を受けたのであろう。これを等閑(なおざり)にしてはならぬ。
辞解
[按手を受け、預言によりて] おそらく「按手を伴える預言によりて」で双方が賜物 charisma 賜与(しよ)の原因となる。

4章15節 なんぢ(こころ)(かたむ)けて(これ)()のことを(もっぱ)(つと)めよ。(なんぢ)進歩(しんぽ)の((すべ)ての(ひと)に)(あきら)かならん(ため)なり。[引照]

口語訳すべての事にあなたの進歩があらわれるため、これらの事を実行し、それを励みなさい。
塚本訳これらのことを努め、その中に生きて、君の進歩を皆の者に明らかにせよ。
前田訳あなたの進歩がすべてに現われるように、これらを心がけ、それに励んでください。
新共同これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。
NIVBe diligent in these matters; give yourself wholly to them, so that everyone may see your progress.
註解: 私訳「なんぢ是らのことに心を留めその中に留まれ。汝の進歩の凡ての人に顕われんためなり」。「是らのこと」とは11節以下のことと解するを可とす。「之に心を留め」はこれにつきて実行を訓練することをも含む。かくしてそれらの中に留まり、これを完了するならばテモテの霊的進歩は人みなの認める処となるであろう。

4章16節 なんぢ(おのれ)と[おのれの](をしへ)とを(つつし)みて(これ)()のことに(おこた)るな、[引照]

口語訳自分のことと教のこととに気をつけ、それらを常に努めなさい。そうすれば、あなたは、自分自身とあなたの教を聞く者たちとを、救うことになる。
塚本訳君自身にもまた(自分の)教えにも注意せよ。(いつまでも)これらのことに止まって居れ。これをすれば君自身をも、君の話を聴く人達をも(悉く)救う(ことが出来る)であろう。
前田訳自らのことと教えとに気をつけ、それらに努めてください。これらをなすことによって、あなたは自らをもあなたに耳傾ける者をも救いに導くでしょう。
新共同自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。
NIVWatch your life and doctrine closely. Persevere in them, because if you do, you will save both yourself and your hearers.
註解: テモテの性格上その善良なるあまりあるいは幾分軽率に陥る(おそ)れがあったのかもしれない。パウロはここにテモテに「己に関し注意すること」と「教えに関し注意すること」とを命じている。そして11節以下に教えられし「これらのこと」に怠らず、そこに固執すべきである。

()くなして(おのれ)()(もの)とを(すく)ふべし。

註解: 唯勧めや教えをあるいは語りあるいは聞くのみにては聴く者は容易に救われず、またこれを語る者も救われない。パウロがここにテモテに教えしごとく、これらの諸点をことごとく守りこれを固執することにより己も救われ聴く者も救われる。真の伝道はまず自己の信仰と救いとをもって始めなければならぬ。
要義 [執事監督の重責]教会の信徒を指導する地位にある者は、自らの信仰と徳行とを慎み、他人に後指を指されず、他人の模範となり得るように努力しなければならない。これはその職責を全うするがために必要なる注意であって、これを疎略にするものは、その職責を帯ぶる資格が無い。教会の執事牧者、監督等の職にある者は、特にこの点を注意することが必要である。人間はみな罪人であるとの口実の下にこれらの職責を怠ってはならない。

第1テモテ書第5章
2-5 教会員の取扱法 5:1 - 5:25
2-5-イ 一般教会員の取扱 5:1 - 5:2  

5章1節 老人(らうじん)譴責(けんせき)すな、[引照]

口語訳老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい。若い男には兄弟に対するように、
塚本訳年寄りはひどく叱らず(自分の)お父さんのように、若い者は兄弟のように、
前田訳長老を責めず、声をかけること父にのようになさい。若者には兄弟のように、
新共同老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、
NIVDo not rebuke an older man harshly, but exhort him as if he were your father. Treat younger men as brothers,
註解: 「老人」は「長老」と同文字であるが、本章の場合は単なる老人を指す。テモテは若年であるためのみならず、老人は尊敬さるべきものであるからこれを粗暴に取扱ってはならない。

(かへ)つて(これ)(ちち)のごとく(すす)め、(わか)(ひと)兄弟(きゃうだい)(ごと)くに、

5章2節 ()いたる(をんな)(はは)(ごと)くに[(すす)め]、(わか)(をんな)姉妹(しまい)(ごと)くに(まった)貞潔(ていけつ)をもて[(すす)めよ]。[引照]

口語訳年とった女には母親に対するように、若い女には、真に純潔な思いをもって、姉妹に対するように、勧告しなさい。
塚本訳年寄りの婦人はお母さんのように、若い婦人は──(ただこの場合は)極めて廉目正しく──姉妹のように、(よく)諭してやれ。
前田訳長老の女性には母のように、若い女性には姉妹のように、全き純潔の心で諭しなさい。
新共同年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。
NIVolder women as mothers, and younger women as sisters, with absolute purity.
註解: かくして全教会が一家族のごとくに美しい結合となる。姉妹に関してのみ「全き貞潔をもて」との注意を加えたのはパウロがテモテの年輩を考慮せる親切なる注意である。
辞解
2節の「(すす)めよ」は原文になく1節の「(すす)め」の反復を省略したものと見る。学者によりては「譴責(けんせき)せずに(すす)めよ」の全体の思想を反復するものと解す、この方一層適当ならん。

2-5-ロ 寡婦の取扱 5:3 - 5:16  

註解: 3−16節は教会が如何にその寡婦を取扱うべきかを述ぶ。なお附記参照。

5章3節 寡婦(やもめ)のうちの(まこと)寡婦(やもめ)(うやま)へ。[引照]

口語訳やもめについては、真にたよりのないやもめたちを、よくしてあげなさい。
塚本訳(身寄りの無い)本当の寡婦(だけ)を寡婦として敬え。
前田訳やもめについては本当にひとりのやもめをたいせつになさい。
新共同身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。
NIVGive proper recognition to those widows who are really in need.
註解: 同じ寡婦にも種々の種類あり、パウロは以下にその区別を掲げ、各々の取扱いの異なるべき点を指摘する。「敬へ」は文字通り尊敬することであって、その語の中にこれを救助するとか支援するとかいう意味はないのであるが「大事にせよ」というごとき意味であって自然の結果としてその寡婦の困窮を見過さない。従って教会がこれを扶養するようになる。

5章4節 されど寡婦(やもめ)()もしくは(まご)あらば、(かれ)()(おのれ)(いへ)(かう)(おこな)ひて(おや)(おん)(むく)ゆることを(まな)ぶべし。[引照]

口語訳やもめに子か孫かがある場合には、これらの者に、まず自分の家で孝養をつくし、親の恩に報いることを学ばせるべきである。それが、神のみこころにかなうことなのである。
塚本訳もし或る寡婦に子や孫があるなら、この人達にまず自分の家の者に孝行し、父祖に恩を報ゆることを学ばせよ。これは神の御前に喜ばれることであるから。
前田訳やもめに子か孫がある場合、彼らはまず謙虚におのが家を尊んで親に報いることを学ぶべきです。これは神によろこばれることです。
新共同やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。
NIVBut if a widow has children or grandchildren, these should learn first of all to put their religion into practice by caring for their own family and so repaying their parents and grandparents, for this is pleasing to God.
註解: 寡婦に子や孫があり、その母または祖母に当たる寡婦を扶養すべき責任および能力を持っている場合は、教会はこの寡婦を(たす)けることは宜しくない。それよりもむしろその子や孫(「彼ら」をかく解す。辞解参照)が第一の義務として己の家に敬虔の心をもって対し、その寡婦たる母や祖母を扶養し、親(祖先)に恩を報ゆることを学ぶべきである。これは子孫の当然の義務である。
辞解
「彼ら」を「寡婦ら」と解し、「孝を行ひ」 eusebeô を「敬虔の義務を尽す」意味に取りて、本節を「寡婦に子もしくは孫あらば、その寡婦らは先ず己の家に尽すべきを尽して子孫を養い、これによりて祖先より受けし恩を子孫に報ゆることを学ぶべし」(M0、L2)との意味に取る説があるけれども本章1−16節の問題は寡婦を如何に取扱うべきかの問題であり、かつ、文章の内容より言うもこの説は不適当である。子が親を養うことを当然と考えない欧米人の考え方である。▲社会習慣が聖書の理解を曲げることのよき一例である。

これ(かみ)御意(みこころ)にかなふ(こと)なり。

註解: 父母を家の主と考え、神に仕うるごとき心持をもって父母に仕うることは神の御意に叶うことであり、寡婦の場合は一層左様である。これを「敬虔を尽す」なる語をもって表すことは意義深いことである。

5章5節 (まこと)寡婦(やもめ)にして獨殘(ひとりのこ)りたる(もの)は、(のぞみ)(かみ)におきて、(よる)(ひる)()えず(ねがひ)(いのり)とを()す。[引照]

口語訳真にたよりのない、ひとり暮しのやもめは、望みを神において、日夜、たえず願いと祈とに専心するが、
塚本訳本当の寡婦で孤独の者は望みを神に置いて夜も昼も願い且つ祈り続ける。
前田訳本当にやもめでひとり残された人は神に望みを置いて、夜昼願いと祈りをつづけます。
新共同身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、
NIVThe widow who is really in need and left all alone puts her hope in God and continues night and day to pray and to ask God for help.
註解: 子なく孫なく唯独り残れるたよりなき真の寡婦は唯神と共に日夜を暮す、かかる者こそ教会において尊敬を払うべき種類の寡婦である。

5章6節 されど佚樂(たのしみ)放恣(ほしいまま)にする寡婦(やもめ)は、()けりと(いへど)()にたる(もの)なり。[引照]

口語訳これに反して、みだらな生活をしているやもめは、生けるしかばねにすぎない。
塚本訳しかしだらしのない寡婦は生ける屍である。
前田訳しかし、ふしだらに生きるやもめは死んでいます。
新共同放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。
NIVBut the widow who lives for pleasure is dead even while she lives.
註解: 寡婦にして慎みなく快楽に沈溺(ちんでき)する生活を送る者は死者と同じである。死者に信仰は有り得ない。彼らの終りは亡びである。それ故にキリスト者たる寡婦はかかる者であってはならない。

5章7節 これらの(こと)(めい)じて(かれ)らに()むべき(ところ)なからしめよ。[引照]

口語訳これらのことを命じて、彼女たちを非難のない者としなさい。
塚本訳このことを(堅く)命令して、彼らに一点非難の打ち処の無いようにせよ。
前田訳彼女らが非のないものであるために、これらをいいつけなさい。
新共同やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。
NIVGive the people these instructions, too, so that no one may be open to blame.
註解: 前節の注意はもしキリスト者の寡婦にしてかかる者があるならばこれを教会にて扶助する必要なきことは明かであることを暗示しているのであって、その目的はむしろ本節にあり、かかる者の存在すべからざることを教えしめんとしているのである。

5章8節 (ひと)もし()親族(しんぞく)(こと)(おの)家族(かぞく)(かへり)みずば、信仰(しんかう)()てたる(もの)にて、()信者(しんじゃ)よりも(さら)()しきなり。[引照]

口語訳もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上にわるい。
塚本訳自分の身内の者、特に家族を顧みないなら、その人は信仰を棄てたので、不信者よりも悪い。
前田訳親族、ことに家のものの世話をしない人は、信仰を否むもの、不信者以下です。
新共同自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。
NIVIf anyone does not provide for his relatives, and especially for his immediate family, he has denied the faith and is worse than an unbeliever.
註解: 本節に二つの注意すべき点がある。その一はキリスト教は家族主義にあらず個人主義なりと考える考え方の誤謬であること、その二は信仰の有無をその教会所属や信仰告白等の形式的標準によらずして親族や家族を顧みるや否やの実行的標準によりて判断していることである。たとい信者と称していてもかかる家族的義務を尽さざる者は不信者以下であるというのである。
辞解
本節の場合もこれを寡婦に関していうと解する者と、子孫につきて言うと解する者とあり、第4節を辞解のごとくに解する者は自然前説をとる。ここでは一般的に言うと解す。▲欧米キリスト教国では家族主義が非常に弱く社会保障の制度が進んで行ったために、今日では家族間の扶養の義務は弱くなった。しかしこれはキリスト教の直接の主張ではなく、民族性と社会組織の結果である。

註解: 9−16節は教会の寡婦名簿に記され、特別の扶助を受け、また特に教会に奉仕すべき寡婦につき録す。

5章9節 六十歳(ろくじっさい)以下(いか)寡婦(やもめ)寡婦(やもめ)(せき)(しる)すべからず、[引照]

口語訳やもめとして登録さるべき者は、六十歳以下のものではなくて、ひとりの夫の妻であった者、
塚本訳「寡婦」(の籍)に載せ(て教会で働かせ)る者は、六十歳以下でなく、(ただ)一人の夫の妻であり、
前田訳やもめとして登録されるべきは、六十歳以下でなく、ひとりの夫の妻で、
新共同やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、
NIVNo widow may be put on the list of widows unless she is over sixty, has been faithful to her husband,
註解: 扶助の人数の制限の必要よりかく定めたのであろう。また六十歳以下の場合は、何らかの方法において生活を支える可能性があるからであろう。「籍に記す」とは後代に発生せるごとき寡婦の宗団が形成されたというのではなく、単に教会において扶養すべき寡婦の中に加うることを意味する。六十歳以下と限定せるごときは如何にもパウロらしからざる点であり、本書のパウロの作たることを疑う重大な原因となる。

(しる)すべきは一人(ひとり)(をっと)(つま)たりし(もの)にして、

註解: 次に寡婦の名簿に記入せらるべき者の条件を記す。その第一は素行において貞節を実行し、夫以外の男子との間に関係ありしこと無き者たるを要す。Tテモ3:2の場合と同じく、これを再婚したることなき女と解する説あれど14節等より見てこの説は不適当である。

5章10節 ()(わざ)聲聞(きこえ)あり、[引照]

口語訳また子女をよく養育し、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、種々の善行に努めるなど、そのよいわざでひろく認められている者でなければならない。
塚本訳善い仕事で評判が高く、すなわち或は(よく他人の)子を育て、旅の人を待し、聖徒の足を洗い、苦しんでいる者を助け(る等、)凡て善い仕事にたずさわった者でなければならぬ。
前田訳よい行ないが認められているものです。すなわち子女を教育し、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、苦しむ人を助けるなどあらゆるよい行ないをした人です。
新共同善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。
NIVand is well known for her good deeds, such as bringing up children, showing hospitality, washing the feet of the saints, helping those in trouble and devoting herself to all kinds of good deeds.
註解: その寡婦の従前の生活状態が多くの善行を為したことが証明せられて風評となっており、

(あるひ)子女(こども)をそだて、

註解: 単に養育のみならず教育することをも含む、また自分の子女に限らず他人の子女を育てた場合も同様である。その家庭生活の立派であったこと。

(あるひ)旅人(たびびと)宿(やど)し、

註解: 当時旅舎の設備の不完全なりし時代においては、旅人を宿らすることは、必要なる善行と考えられた。

(あるひ)聖徒(せいと)(あし)(あら)ひ、

註解: 謙遜の心をもって聖徒すなわちキリスト者に奉仕すること。

(あるひ)(なや)める(もの)(たす)くる(など)、もろもろの()(わざ)(したが)ひし(もの)たるべし。

註解: この「悩める者」は必ずしも貧困に悩む者のみではなく、あらゆる種類を含むと見て可なり、かかる者を助くることはキリスト者の義務であり、寡婦の籍に記さるべき人もかつてこの種の行為を実行せる者たるを要す。「もろもろの善き業に従いし者」は熱心に善き業を為さんとて努力せる者を指す。かかる数々の善行を為しし者が、寡婦となれる場合、これを教会の寡婦の籍に録すべきである。しからざれば、未信者にして寡婦となれる者は扶助を得んがために(いつわ)りて信仰に入るごときことが絶無とは言えない。また六十歳以下の寡婦で生活に困難を感じている人には別に貧民救助の方法をもって助けることができた。

5章11節 (わか)寡婦(やもめ)(せき)(しる)すな、[引照]

口語訳若いやもめは除外すべきである。彼女たちがキリストにそむいて気ままになると、結婚をしたがるようになり、
塚本訳年若い寡婦は(教会で働きたいとの申し込みがあっても)断れ。キリストに背いて情慾に負ける時は、結婚したくなり、
前田訳若いやもめは別になさい。情にかられてキリストにそむくと、彼女らは結婚したがり、
新共同年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、
NIVAs for younger widows, do not put them on such a list. For when their sensual desires overcome their dedication to Christ, they want to marry.
註解: 寡婦の籍に記入して特別の扱いを与えてはならない理由は次に記されるごとく極めて人情に通じたる処置である。
辞解
[籍に記すな] 原語「拒め」である故さらに強い意味に取る説あれど現行訳にて可なり。

(かれ)らキリストに(そむ)きて(こころ)(みだ)るる(とき)は、(とつ)ぐことを(ほっ)し、

註解: 「心亂る」はむしろ「慾に駆られる」ごとき意、必ずしも情慾に限らず、名誉、安楽などの場合にも用う、すなわち若き寡婦は信仰によりてキリストにのみ従うことができず、他の慾望に支配される時、再び婚姻せんとするに至る故、教会に対する義務の遂行ができず、また教会において扶助せることが無意味となる。
辞解
[背きて心乱る] katastrêniaô は strêniaô,strênos と同語源より来り、黙18:3黙18:7黙18:9に「(おご)り」と訳せられし語、性慾、奢侈(しゃし)慾、虚栄慾等が内に満ち溢れてまさに外に爆発せんとするごとき貌をいう。従って「心乱れる」は「性慾を感ずる」「奢侈(しゃし)慾をもって」「慾望満足のために」等と訳さる。

5章12節 (はじめ)誓約(ちかひ)()つるに()りて批難(ひなん)()くべければなり。[引照]

口語訳初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである。
塚本訳最初の誓いを破ったという審きを受けるからである。
前田訳はじめの信仰を捨てたという裁きを受けます。
新共同前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。
NIVThus they bring judgment on themselves, because they have broken their first pledge.
註解: 寡婦は籍に記される時に種々の誓を(形式的にあらざる誓ならん)為すのであろう。再婚はその違反となるので批難を受くるに至る。
辞解
[批難] 原語 krima 審判。神の審判と解する説、自己の良心の審判と解する説等あれど、現行訳のごとく他の人々の審判すなわち批難の意味に解するを可とす。

5章13節 (かれ)()はまた懶惰(らんだ)(なが)れて家々(いへいへ)(あそ)びめぐる、[引照]

口語訳その上、彼女たちはなまけていて、家々を遊び歩くことをおぼえ、なまけるばかりか、むだごとをしゃべって、いたずらに動きまわり、口にしてはならないことを言う。
塚本訳彼らはまた惰けることを覚えて家々を歩き廻り、しかもただ惰けるばかりでなく、お喋りをし、おせっかいをして、言うべからざることを言うようになる。
前田訳それに、なまけて家々を訪ねることをおぼえ、なまけるばかりか、おしゃべりでおせっかいになり、口にすべからざることを話します。
新共同その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。
NIVBesides, they get into the habit of being idle and going about from house to house. And not only do they become idlers, but also gossips and busybodies, saying things they ought not to.
註解: 有閑夫人の懶惰(らんだ)なる生活の描写である。5節の真の寡婦と比較すべし。
辞解
文章の構造難解、「懶惰(らんだ)に流れて」は「懶惰(らんだ)を学びて」。

(ただ)懶惰(らんだ)なるのみならず、(ことば)(おほ)くして徒事(むだごと)にたづさはり、()ふまじき(こと)()ふ。

註解: 女子の陥り易き欠陥は多言と、またその結果言うべからざること(他人の秘密、他人に迷惑を及ぼすこと、他人の悪口や批評等々)を言い、また自己の義務責任にあらざる事柄に干渉し手を出すこと等である。
辞解
[徒事(むだごと)にたづさはり] Uテサ3:11辞解参照。種々の下らぬことに手出しすること。

5章14節 されば(わか)き[寡婦(やもめ)は](とつ)ぎて()()み、(いへ)(おさ)めて(てき)(すこ)しにても(そし)るべき(をり)(あた)へざらんことを(われ)(ほっ)す。[引照]

口語訳そういうわけだから、若いやもめは結婚して子を産み、家をおさめ、そして、反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。
塚本訳だから年若い寡婦は(いっそもう一度)結婚して子を産み、家を治めて、敵に悪口の機を少しも与えないようにしてもらいたい。
前田訳それで、わたしは望みますが、若いやもめはとついで子をもうけ、家をおさめ、敵に非難のすきを与えないことです。
新共同だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。
NIVSo I counsel younger widows to marry, to have children, to manage their homes and to give the enemy no opportunity for slander.
註解: おそらくこの種の指図を与うる必要を感ぜしむるごとき実例が起ったのであろう。若き寡婦は普通の女子と同じく家庭生活を送ることが最も無難な道である。なお注意すべきことはパウロには再婚を禁止する意思なきのみらず、事情によりてはこれを奨励するの態度を取ったことおよび、9節の「一人の夫の妻たりし者」の意義も本節よりこれを推知することを得ること(Tテモ3:2註参照)、および子を生み家を(おさ)むることが一般婦女子の最上の義務と考えたことである。
辞解
[若き寡婦] 原語「若き女」であるが、前後の関係上若き寡婦を指す。
[敵] 「反対者」の意味でここではサタンを意味せず人間の中の反対者を指す。

5章15節 (かれ)らの(うち)には(すで)(まよ)ひてサタンに(したが)ひたる(もの)あり。[引照]

口語訳彼女たちのうちには、サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある。
塚本訳数人の者は既に外れてサタンの後に随いて行ったのだから。
前田訳すでにある人々はサタンに従って道をはずしました。
新共同既に道を踏み外し、サタンについて行ったやもめもいるからです。
NIVSome have in fact already turned away to follow Satan.
註解: 若き寡婦の中にはついに道徳的に堕落したものも幾人かある(tines)、それ故に殊に彼らの身の振り方につきては注意しなければならぬ。
辞解
[迷ふ] ektrepô は本来転向を意味するけれども本節の場合異教に転向せる意味に解することは不適当であり、むしろ実質的に道徳的にキリスト者としての信仰を棄てたと解すべきである。

5章16節 信者(しんじゃ)たる(をんな)もし[()(いへ)に]寡婦(やもめ)あらば、(みづか)(これ)(たす)けて教會(けうくわい)(わづら)はすな。これ(まこと)寡婦(やもめ)教會(けうくわい)(たす)けん(ため)なり。[引照]

口語訳女の信者が家にやもめを持っている場合には、自分でそのやもめの世話をしてあげなさい。教会のやっかいになってはいけない。教会は、真にたよりのないやもめの世話をしなければならない。
塚本訳(身内に)寡婦をもつ信者の婦人は、教会に厄介をかけぬため(自分で)その人達の世話をせよ。本当の寡婦の世話を教会にさせるためである。
前田訳信徒の家にやもめがいる場合、自分でその世話をして集まりに負担をかけないようになさい。集まりが本当にひとりのやもめの世話をしうるためです。
新共同信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。
NIVIf any woman who is a believer has widows in her family, she should help them and not let the church be burdened with them, so that the church can help those widows who are really in need.
註解: 例えば信者たる女の娘や嫁等が寡婦となった場合、または稀にその母が寡婦となりかつ4節のごとき扶養者が他に無き場合等を想像することができる。
要義 [寡婦の登録について]寡婦に対して特に同情を要するものと考えられたことは、何れの国民においても同様であるが、ユダヤ人の間にありてもこの観念は始めから存在していた(詩68:5申10:18申24:17その他)。エルサレムの教会成立当時には(使6:1)執事を選んで彼らの救済を行った。その後この制度が共産的生活と同様種々の困難や弊害を生じたのでこれを訂正する必要が生じたのであろう。3−16節のパウロの注意のごときもこの経験の結晶と見ることができる。
 なお3−16節は多くの註解者によりて思想の連絡が不明であるとされているけれども、それは3節の「敬へ」を教会において特別の尊敬が払われる特権の身分に選任されることと解するためと、4節を子や孫を寡婦が扶養すべきものと解するため(8節の「人」も同様これを寡婦と解するため)に生ずる混乱であって、全体を教会が如何なる寡婦を扶養すべきかの問題として考うる時この混乱は解消する。

2-5-ハ 長老に対する取扱 5:17 - 5:25  

註解: 17−25節は主として長老に対する賞罰の取扱いに関する注意である。

5章17節 ()(をさ)むる長老(ちゃうらう)(こと)(ことば)(をしへ)とをもて(らう)する長老(ちゃうらう)一層(ひときは)(たふと)ぶべき(もの)とせよ。[引照]

口語訳よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。
塚本訳長老でよく(教会を)治めている者、特に話すこと教えることに骨折っている者は、二倍の謝礼を受ける資格ありとせよ。
前田訳よい指導者である長老は倍の報酬に値し、ことばと教えに努める人は、とくに然りです。
新共同よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。
NIVThe elders who direct the affairs of the church well are worthy of double honor, especially those whose work is preaching and teaching.
註解: 「一層尊ぶべき者とせよ」は「二倍の尊敬に値せしめよ」で尊敬は3節の「敬え」と同じく結局報酬または謝礼を与うることを間接に意味しているのである(E0、L2、B1)。ただし必ずしもこれを二倍の報酬と考えるべきではない。「言」は聖書を教えること、「教」は一般的に教訓を与えること。この方面にまで霊の賜物(ロマ12:7Tコリ12:28、29)を有する人は決して多くは存せず、また彼らはそのために特に心身を労する故充分にこれを尊重すべきである。
辞解
[尊ぶ] Tテモ6:1と同じく尊敬する意味にも解し得るけれども次節の関係よりその報酬問題に関するものであることは明かである故上記註のごとくに解した。なお使28:10辞解参照。

5章18節 聖書(せいしょ)に『穀物(こくもつ)(こな)(うし)口籠(くつご)()くべからず』また『勞動人(はたらきびと)のその(あたひ)()るは相應(ふさは)しきなり』と()へばなり。[引照]

口語訳聖書は、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」また「働き人がその報酬を受けるのは当然である」と言っている。
塚本訳聖書は「“穀物を踏む牛に口篭を箝めるな”」と言うのだから。また「労働人がその報酬にありつくのは当然である」とある。
前田訳聖書はいいます、「穀物をこなす牛にくつこをはめるな」と。そして、「働き人はその報いに値する」と。
新共同聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。
NIVFor the Scripture says, "Do not muzzle the ox while it is treading out the grain," and "The worker deserves his wages."
註解: 前者は申25:4よりの引用であり、後者はマタ10:10ルカ10:7に主イエスの語り給える言である(おそらく一般に用いられし格言であろうとのこと)。何れも労働は相応の報酬を得るを正当とするの意味であり、Tコリ9:9にもこの第一の引用が一層詳しく説明されている。その箇所註参照。唯問題となる点は第二の引用が如何にして「聖書」として引用せられしかの点である。ある学者はこれを理由として本書簡をパウロの作にあらざる後期の作となし、当時福音書がすでに聖書として流通せることを主張し(L2)、またある学者は福音書の基礎たるべきイエスの語録はかなり早期に一般に流布しており、パウロはこれを聖書として取扱ったと主張する(E0)。ただしこれを一般に通用せる格言と見れば問題は消失する(この場合訳文を変更する)。

5章19節 長老(ちゃうらう)(たい)する訴訟(うったへ)二三人(にさんにん)證人(しょうにん)なくば()くべからず。[引照]

口語訳長老に対する訴訟は、ふたりか三人の証人がない場合には、受理してはならない。
塚本訳長老に対する訴えは“二人または三人の証人”が無ければ受け付けるな。
前田訳二人か三人の証人がないかぎり、長老に対する訴えは受けなさるな。
新共同長老に反対する訴えは、二人あるいは三人の証人がいなければ、受理してはなりません。
NIVDo not entertain an accusation against an elder unless it is brought by two or three witnesses.
註解: 申19:15。長老の職掌(しょくしょう)の困難なる点、その地位の尊敬すべき点、多くの人の非難を受け易き点より長老に対する訴えは慎重に処理すべきことをテモテに教えている。テモテは善良なる性格故往々にして容易に人の言を信じたのかも知れない。

5章20節 (つみ)(をか)せる(もの)をば(すべて)(まへ)にて()めよ、これ(ほか)(ひと)をも(おそ)れしめんためなり。[引照]

口語訳罪を犯した者に対しては、ほかの人々も恐れをいだくに至るために、すべての人の前でその罪をとがむべきである。
塚本訳(長老で)罪を犯している者は(教会の者)皆の前で咎めて、他の長老達の見せしめにせよ。
前田訳罪を犯すものは、すべての人の前に持ち出しなさい。他の人々もおそれるためです。
新共同罪を犯している者に対しては、皆の前でとがめなさい。そうすれば、ほかの者も恐れを抱くようになります。
NIVThose who sin are to be rebuked publicly, so that the others may take warning.
註解: この「罪を犯せる者」一般の信者を指すか、または長老を指すかは明かではないが、前後の関係より長老の中にて罪を犯せるものの意味と解すべきである。「(すべて)」および「他の人」も同様に「凡ての長老」および「他の長老」を指すと解す(M0)。然らざればこの処分はマタ18:15にも反しあまりにも酷となる。長老は公職故公に処置すべきである。

5章21節 われ(かみ)とキリスト・イエスと(えら)ばれたる御使(みつかひ)たちとの(まへ)にて(おごそ)かに(なんぢ)(めい)ず、[引照]

口語訳わたしは、神とキリスト・イエスと選ばれた御使たちとの前で、おごそかにあなたに命じる。これらのことを偏見なしに守り、何事についても、不公平な仕方をしてはならない。
塚本訳神とキリスト・イエスと選ばれた御使い達の前で(君に)きっと申しつける。(凡て)これらのことを偏見なしに守れ。また何事も依怙でするな。
前田訳わたしは、神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちの前で命じます、これらを偏見なく行ない、何につけても不公平でないようになさい。
新共同神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずにこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。
NIVI charge you, in the sight of God and Christ Jesus and the elect angels, to keep these instructions without partiality, and to do nothing out of favoritism.
註解: パウロはテモテの道徳的勇気と正義に立脚して、不動の態度を取る点とにつきて常に危惧の念を抱いていたので(E0)、この厳格なる命令を発した。

何事(なにごと)をも(かたよ)(おこな)はず、偏頗(へんぱ)なく(これ)()のことを(まも)れ、

註解: (かたよ)り」は依怙贔屓(えこひいき)を為すこと。「偏頗(へんぱ)」は偏見をもってすること、愛しては依怙に陥り、憎んでは偏見を持することは、長老たちに対する正しき態度ではない。長老たちを賞し(17節)、または罰する場合(19、20節)常にこの点に注意しなければならぬ。

5章22節 輕々(かるがる)しく(ひと)()()くな、(ひと)(つみ)(あづか)るな、(みづか)(まも)りて(きよ)くせよ。[引照]

口語訳軽々しく人に手をおいてはならない。また、ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい。
塚本訳何人にも軽々しく按手するな。(このことについては)他人の(犯す)罪に巻き込まれてもいけない。自分を潔く保て。
前田訳軽々しく人に手を置かないように、他人の罪にあずからないようにし、自らを清くお保ちなさい。
新共同性急にだれにでも手を置いてはなりません。他人の罪に加わってもなりません。いつも潔白でいなさい。
NIVDo not be hasty in the laying on of hands, and do not share in the sins of others. Keep yourself pure.
註解: 本節の場合の「人」も長老または他の教会職員を指すと見るべきであろう。Tテモ3:1−7のごとく長老は責むべき処なきものたることを要するにかかわらず、時には罪に陥りまたは訴えられるごときこともあり得る故、充分に試みずに(Tテモ3:10)性急に tacheôs 按手を行って、誤って不適当なる役員を選任してはならない。また罪ある者に按手することは己もまた彼と同罪の責を免れないこととなる。それ故にテモテはまず自己を潔く保つことが必要である。

5章23節 (いま)よりのち(みづ)のみを()まず、()のため、(また)しばしば(やまひ)(かか)(ゆゑ)に、()しく葡萄酒(ぶだうしゅ)(もち)ひよ。[引照]

口語訳(これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。)
塚本訳君ももう水飲みをせず、胃のため、またよく病気をするから、少し葡萄酒を用いてはどうか。
前田訳これからは水ばかりを飲まず、胃のため、またたびたびの病のために、少しくぶどう酒をお用いなさい。
新共同これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい。
NIVStop drinking only water, and use a little wine because of your stomach and your frequent illnesses.
註解: テモテは禁酒を実行し水のみを飲用していたものと見え、パウロはテモテの健康のために小量の葡萄酒の飲用をすすめている。本節に二つの問題あり、その一は何故テモテは禁酒を実行していたか。その二は何故パウロは突然ここにテモテの私的事柄に言及しているかの二点である。前者すなわちテモテが禁酒を実行していたのは、おそらく禁慾主義的傾向(Tテモ4:3)を潔き生活と考うる思想に幾分感化されたのかまたはそれらの人々を躓かせざらんがために正面よりこれに反対する理由も必要をも感じなかったためなるべく、後者すなわちパウロがここに突然テモテの私事を持ち出したのは前節の末尾に「自ら守りて潔くせよ」というと同時にこの潔き生活と禁酒のごとき事柄とをテモテが混同せんことを懼れたのか、あるいは、直ちにこの点に連想したためであろう(E0)。なおこの点につきては単にこれを括弧の中に入れるべき中間の挿入となし、またはパウロの心に急に思い付いたことをそのまま記したものとなし、あるいはテモテの弱い性格は不健康の結果であると思い付いたためまたは写本の中に欄外に書き入れてあったものの混入である等種々に解せらる。

5章24節 (ある)(ひと)(つみ)(あきら)かにして(さき)だちて審判(さばき)()き、(ある)(ひと)(つみ)(のち)にしたがふ。[引照]

口語訳ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人の罪は、あとになってわかって来る。
塚本訳或る人の罪は(余り明らかで)はっきり見え、(本人に)先だって裁判に行くが、或る人には(罪が)後から随いて行く。
前田訳ある人々の罪は裁きに先んじて明らかであり、ある人々の罪は後にわかります。
新共同ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。
NIVThe sins of some men are obvious, reaching the place of judgment ahead of them; the sins of others trail behind them.
註解: 罪のあらわれ方は種々ある故長老その他の選任と按手に際しては注意を要す。すなわちある人々の罪は始めより一般に明かにわかっており、その結果として審判が行われ、またある人々の罪は一般には明かになっておらず審判があってから始めてその罪が後になって判明して来る。
辞解
[審判] 本節の場合は神の審判や最後の審判にあらず、人の批判、またテモテの下すべき審判である。

5章25節 ()くのごとく()(わざ)(あきら)かなり、(しか)らざる(もの)(つい)には(かく)るること(あた)はず。[引照]

口語訳それと同じく、良いわざもすぐ明らかになり、そうならない場合でも、隠れていることはあり得ない。
塚本訳同じように善い仕事もはっきり見える。(たとい始めは)そうでないものも、(何時までも)隠れていることは出来ない。
前田訳そのように、よい行ないもはじめから明らかであり、そうでないものも隠れたままでありえません。
新共同同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。
NIVIn the same way, good deeds are obvious, and even those that are not cannot be hidden.
註解: 罪と同様に善行もまた始めより一般に明瞭に知られるものと、隠れているものとがあるけれども、隠れているものといえども決して何時までも隠れたままではいることができない。24、25節の二節は要するにテモテが長老を如何に取扱うべきかの問題であって、人々の善行悪行に対する判断が決して容易にあらざることを示している。
要義1 [教会の統率と訓練]教会の会員、長老その他の役員等の信仰的道徳的訓練は重要なことでありかつ困難な事柄である。教会を牧する者があまりに厳格に過ぎ、完全のみを要求するならば、一人もその条件を充し得る者なく、反対に牧者があまりに寛大にして放任主義であるならば、教会内に善悪の差別が消失し、善の善たるを知らず、悪を悪としてこれを忌み嫌うこと無きに至るものである。殊にその主脳者たるべき長老や執事には殊にこの点に深く留意することが必要であり、パウロはテモテをしてこの点につき充分の注意を払うべく厳重に命じているのである。結局における最後の完全なる審判はこれを神に期待するより外にないけれども神の家、キリストの身体ともいうべき神の教会の中においては、牧者は神の霊により預言によりて立てられたる以上、神の審判の代理をしなければならない。
要義2 [禁酒とキリスト教]米国のキリスト教会はその社会状態より来る必要上殊に禁酒に力を注ぎ、この傾向が日本のキリスト教会にも伝来した。しかしキリスト教そのもの、イエスの福音そのものは絶対禁酒というべき律法主義や禁慾主義にあらざることはTテモ5:23およびTテモ3:8テト2:2、3。ヨハ2:3以下等より明かであって、これを低級なる禁慾主義や律法主義と混同してはならない。我らもこの点においてパウロのごとくに考うべきである。