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黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版使徒行伝

使徒行伝第6章

分類
2 エルサレムに於ける使徒の活動 3:1 - 7:60
2-4 七人の執事の選任 6:1 - 6:7

6章1節 そのころ弟子(でし)のかず(まし)(くは)はり、ギリシヤ(ことば)のユダヤ(びと)、その寡婦(やもめ)らが日々(ひび)施濟(ほどこし)(もら)されたれば、ヘブル(ことば)のユダヤ(びと)(たい)して(つぶや)(こと)あり。[引照]

口語訳そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。
塚本訳そのころ、(主の)弟子たち(の数)が次第にふえてきたため、ギリシヤ語を話す(外国そだちの)ユダヤ人からヘブライ語を話す(はえぬきの)ユダヤ人に対して、自分の方の寡婦たちは、毎日の援助においてないがしろにされているという苦情が出た。
前田訳そのころ弟子たちがふえるにつれて、ヘレニストからヘブライ人に対して、自分の方の寡婦たちが毎日の配給で軽んぜられているという苦情が出た。
新共同そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。
NIVIn those days when the number of disciples was increasing, the Grecian Jews among them complained against the Hebraic Jews because their widows were being overlooked in the daily distribution of food.
註解: 弟子の数増し加わると共に内部に紛争が起って来た。教会もまた人間社会である事は避け難き矛盾である。殊に事実上の不平は多く物質的方面より起る事は悲むべき事である。
辞解
[ギリシヤ語のユダヤ人] 原語 Hellenistês で Hellên(ギリシヤ人)と異り、ユダヤ人にして異邦に生れ、その文化の影響の下に育ち、ギリシヤ語を語る人を指す。
[ヘブル語のユダヤ人] 原語 Hebraios で Ioudaios(ユダヤ人)と異り、パレスチナ生れのユダヤ人でアラミ語(ヘブル語の近代化せるもの)を語るものを指す。この両者の間に意思の疎通を欠く事もあるべく、又後者の優越感も之に加わり互に相争うに至った。
[寡婦] 既にユダヤ教に於ても之を助くる施設があったのでキリストの教会も自然之と同様なる施設を必要とするに至った(Tテモ5:3-16)。
[日々の施済(ほどこし)] 使2:45施済(ほどこし)のみならず、日毎の食事をも指す、
[施済(ほどこし)] diakonia 。
[弟子] なる語は福音書に最も多く、書簡には之を用いず、行伝はその過渡期にあり
[漏され] 未完了過去形、継続的状態を示す。

6章2節 (ここ)十二(じふに)使徒(しと)すべての弟子(でし)()(あつ)めて()ふ『われら(かみ)(ことば)差措(さしお)きて、食卓(しょくたく)(つか)ふるは(よろ)しからず。[引照]

口語訳そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。
塚本訳そこで十二人(の使徒)は弟子の団体を呼びあつめて言った、「わたし達(伝道を命ぜられた者)が、神の言葉を(伝える仕事を)放っておいて食卓の世話をするのは適当でない。
前田訳そこで十二人は弟子の群れを呼び集めていった、「われらが神のことばをなおざりにして食卓に仕えるのはよくありません。
新共同そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。
NIVSo the Twelve gathered all the disciples together and said, "It would not be right for us to neglect the ministry of the word of God in order to wait on tables.
註解: 十二使徒は実際問題に処するの道を知って居り、且つ公平なる心を持っていた、而して彼らは自己の与えられし最も重要なる天職使命に従わん事を欲した為に日々の施済(ほどこし)の問題を掌る事を善しとしなかった。ここに各人の使命の区別がある。彼らは施済(ほどこし)そのものを軽視したのではない。
辞解
[十二使徒] なる語は彼らの特別の生活を暗示する。
[すべて] 「多数」の意、
[食卓に事ふる] 貧者、寡婦等に対する日々の食事の分配等物質的の仕事を指す。
[事ふる] 原語で diakoneô で執事 diakonos 、deaconの原語。

6章3節 ()れば兄弟(きゃうだい)よ、(なんぢ)らの(うち)より御靈(みたま)智慧(ちゑ)とにて滿()ちたる令聞(よききこえ)ある(もの)七人(しちにん)見出(みいだ)せ、それに()(こと)(つかさ)どらせん。[引照]

口語訳そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、
塚本訳それで兄弟たちよ、あなた達の中から御霊と知恵とに満ちた評判のよい者を七人だけ、さがしてもらいたい。その人たちをこの役に任じよう。
前田訳兄弟方、あなた方の中から霊と知恵に満ちた評判のいい七人を探し出しなさい。その人たちをこの役につけましょう。
新共同それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。
NIVBrothers, choose seven men from among you who are known to be full of the Spirit and wisdom. We will turn this responsibility over to them
註解: 専ら施済(ほどこし)(奉仕 diakonia)に従う人々を選ばしめた事は使徒たちに与えられし智慧であった。教会は必要に応じ必要なる手段を取る事を聖霊によりて示される。選任の方法及び標準は極めて適正であった。「御霊に満つる事」無しに神の事を正しく行う事が出来ない。「智慧」なしに複雑なる人事を賢明に処置する事が出来ない。「令聞(よききこえ)」なしに多くの人の上に立つ事は出来ない。又使徒自ら指名せずして選任せしめた事は専制的処置を避けし正しき態度であった。
辞解
[令聞(よききこえ)ある] 「その性格につき保証されている」と言う如き意味、
[七人] を選べる所以は七なる聖数によったものであろう。之に種々の解釈を加える事は正しくない。

6章4節 (われ)らは(もっぱ)(いのり)をなすことと御言(みことば)(つか)ふることとを(つと)めん』[引照]

口語訳わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」。
塚本訳わたし達は祈りと御言葉を伝えることに専念する。」
前田訳われらはもっぱら祈りとみことばの奉仕とをしましょう」と。
新共同わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
NIVand will give our attention to prayer and the ministry of the word."
註解: 使徒の任務は「御言に事うる事」即ち御言を宣伝うる事であった。その為には「祈をなす事」が前提要件である。祈なしに御言に事える事は出来ない。
辞解
[努めん] proskartereô は頑固に執念する事。

6章5節 (あつま)れる(すべ)ての(もの)この(ことば)()しとし、信仰(しんかう)(せい)(れい)とにて滿()ちたるステパノ(およ)びピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、またアンテオケの改宗者(かいしゅうしゃ)ニコラオを(えら)びて、[引照]

口語訳この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、
塚本訳この言葉は会衆一同の賛成を得、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノをはじめ、ピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオ(の七人)を選んで、
前田訳この話は全員に受け入れられ、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選んで、
新共同一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、
NIVThis proposal pleased the whole group. They chose Stephen, a man full of faith and of the Holy Spirit; also Philip, Procorus, Nicanor, Timon, Parmenas, and Nicolas from Antioch, a convert to Judaism.

6章6節 使徒(しと)たちの(まへ)()てたれば、[引照]

口語訳使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた。
塚本訳使徒たちの前に立たせた。使徒たちが祈って彼らに手をのせた。
前田訳使徒たちの前に立たせた。使徒たちは祈って、彼らに手を置いた。
新共同使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
NIVThey presented these men to the apostles, who prayed and laid their hands on them.
註解: 七人の名称はギリシヤ名であるけれども当時のユダヤ人にてギリシヤ名を有する者も多かった故、この七人を全部ギリシヤ語のユダヤ人と決定する事は出来ない。七人の中ステパノは次章に記される如く殉教の死を遂げ、ピリポは使8:5以下及び使21:8に録されているけれども他の五人につきてはこの以外知られて居ない。ニコラオは黙2:6のニコライ宗の祖であるとの伝説が古くより伝っているけれども(黙2:6辞解参照)信じ難い。ステパノのみ特に「信仰と聖霊とにて満てる」事を録されし所以は彼の偉大さを示す為である。改宗者をも執事の職に任じた事はユダヤ教と基督教との差異を示す適例である。当時の七人は必ずしも食卓に事うるのみでは無かった。ステパノもピリボも伝道を行った事実に注意すべし。

使徒(しと)たち(いの)りて()をその(うへ)()けり。

註解: 按手の式は旧約時代にはモーセがヨシユアに対する場合等種々の場合に行われていた任職の式である(民27:18申34:9)但し「儀式自身に力があるのではなく、効果は唯神の霊のみに依るのである、之は凡ての儀式につきて言う事が出来る」(C1)。夫故に使徒たちは祈によりて神の御霊の働きを求めたのであった。
要義1 [職務の高下と之に任命されるものの態度]使徒たちは「御言に事うること」を選び「食卓に事うること」を七人の執事に委せた。御言に事うる事は勿論食卓に事うる事に比し高き任務である。使徒たちは自ら高きを選び他人に(ひく)さを押付けた如き形となる。しかしながら神の前には職の高下は問題ではなく、如何に完全に之を遂行するやが問題である。職の種類は神之を定め之を与え給う、故に高き職に任ぜられたる者も誇るべからず、低き職を与えられしものも失望すべからず、唯如何にしてその与えられし職を全うし得るかを念頭に置かなければならない。ペテロが「神の言を差措きて食卓に事うるは宜しからず」と云ったのはこの意味である。
要義2 [執事の職]選ばれた七人が「執事」なる職名を有ちしや否や不明である。又当時の教会の職制や職名を後代の組織せられし教会の職制を以て判断する事は誤謬を来す基となる。聖霊は必要に応じて必要なる制度を建てしめ給う。その後次第に執事の職掌等が一定するに至ったけれども始めよりかかるものであったと考うる必要はない。
要義3 [按手に就いて]イエスはしばしば手を按きて病者を医し給うた。又使徒たちは聖霊の降下を手を按きて祈った。何れも祈によって神より力を得、その力が祈る者の手を通して手を()かれし人に及ぶ事を示す型である。しかしながらこれは一の形式に過ぎないのであって、聖霊や神の力がこの手を通してのみ伝わるものと考うべきではない。従ってこの種の儀式や形式は聖霊を受け、聖職に任ぜらる等の必要条件ではない。唯それらの事実を最も適当に表顕する一の形式に過ぎない。

6章7節 (かく)(かみ)(ことば)ますます(ひろま)り、弟子(でし)(かず)エルサレムにて(はなは)(おほ)くなり、祭司(さいし)(うち)にも信仰(しんかう)(みち)(したが)へるもの(おほ)かりき。[引照]

口語訳こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。
塚本訳こうして神の言葉は成長し、エルサレムにおける(主の)弟子の数は猛烈にふえていった。また(ユダヤ教の)祭司までが大勢、従順に信仰を受けいれた。
前田訳こうして神のことばは成長し、弟子の数はエルサレムで非常にふえ、祭司もおおぜい信仰に入った。
新共同こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。
NIVSo the word of God spread. The number of disciples in Jerusalem increased rapidly, and a large number of priests became obedient to the faith.
註解: 後半直訳「非常に多数の祭司も信仰に聴従せり」。七人の執事の選任によりて教会の内訌も鎮定した。而して祭司階級の中に於ける無信仰や種々の軋轢や、党派心やを目撃して一方使徒たち、信徒たちの信仰的生活を見る時、彼らの中の多くの者はイエスを信ずるに至ったのは当然である。

2-5 ステパノの殉教 6:8 - 7:60
2-5-1 ステパノの活動とその捕縛 6:8 - 6:15

6章8節 さてステパノは恩惠(めぐみ)能力(ちから)とにて滿()ち、(たみ)(うち)(おほい)なる不思議(ふしぎ)(しるし)とを(おこな)へり。[引照]

口語訳さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
塚本訳さてステパノは恩恵と力とに満たされて、民衆の間で驚くべき不思議なことや徴を行っていた。
前田訳ステパノは恵みと力に満ち、民衆の間で偉大な不思議と徴を行なっていた。
新共同さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。
NIVNow Stephen, a man full of God's grace and power, did great wonders and miraculous signs among the people.
註解: ステパノは殉教の(さきがけ)をなした。この事実は初代教会に於ける最大の事件である故、ルカは特に詳細にこの事を録している。
辞解
[恩恵] 神の恩恵、
[能力] 信仰による聖霊の力。之が表れて不思議となり徴となる。

6章9節 (ここ)()(とな)ふるリベルテンの會堂(くわいだう)およびクレネ(びと)、アレキサンデリヤ(びと)、またキリキヤとアジヤとの(ひと)(しょ)會堂(くわいだう)より、人々(ひとびと)()ちてステパノと(ろん)ぜしが、[引照]

口語訳すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、
塚本訳すると解放奴隷、クレネ人、アレキサンドリヤ人の礼拝堂と言われる礼拝堂の人々や、キリキヤ(州)、(小)アジヤの人々があらわれてステパノと議論をしたが、
前田訳すると、いわゆるリベルテン(解放奴隷)、クレネ人、アレクサンドリア人の会堂の人々やキリキアとアジアの人々が立ってステパノと議論をしたが、
新共同ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。
NIVOpposition arose, however, from members of the Synagogue of the Freedmen (as it was called)--Jews of Cyrene and Alexandria as well as the provinces of Cilicia and Asia. These men began to argue with Stephen,
註解: 何故にパレスチナ以外のユダヤ人がステパノの敵となったかは明かではない、多分彼らが最も多くステパノに接する機会が有ったのであろう。
辞解
[リベルテン] につきては種々の解があるけれども最も正しき解釈と信ぜられるものはユダヤの兵卒にしてローマに捕虜となりたるものにしてその後釈放せられし者を指すとする説である、リベルテンは、ラテン語の自由人を意味す。
[クレネ] リビヤの北部の主都。
[アレキサンデリヤ] 住民の五分の二はユダヤ人でユダヤ思想が普及していた、勿論彼らはギリシヤ語を用いた。フイローンは有名なる哲学者であり七十人訳はこの市で出来た。
[キリキヤ] パウロの故郷、パウロは多分この会堂に属していたのであろう。この会堂は(1)これ等の五種の地方の人々に分れたる五つの会堂なりとする説(M0その他)と(2)初の三つが一つの会堂、後の二つが一つの会堂で結局二つの会堂であったと見る説(ヴイーナー)と(3)全部を一つの会堂に属せるものと見る説(B1、C1)とがある。文法上も実際上も(2)が最も事実らしく思わる。

6章10節 その(かた)るところの智慧(ちゑ)御靈(みたま)とに(てき)すること(あた)はず。[引照]

口語訳彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。
塚本訳知恵と御霊とによって語るステパノに太刀打ち出来なかった。
前田訳彼が知恵と霊によって語るのに対抗できなかった。
新共同しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。
NIVbut they could not stand up against his wisdom or the Spirit by whom he spoke.
註解: ステパノの有する処は「神の智慧」(Tコリ2:7)であった、又彼は御霊に満されていた、何人も彼に敵する事が出来ないのは当然である。

6章11節 (すなは)(ある)(もの)どもを(そその)かして『(われ)らはステパノが、モーセと(かみ)とを(けが)(ことば)をいふを()けり』と()はしめ、[引照]

口語訳そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
塚本訳そこで彼らは人々をそそのかして、「わたし達はステパノが、モーセと神とに冒涜の言葉を語るのを聞いた」と言わせた。
前田訳そこで彼らは人々をそそのかして、「われらはステパノが、モーセと神とにけがしごとをいうのを聞いた」といわせた。
新共同そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
NIVThen they secretly persuaded some men to say, "We have heard Stephen speak words of blasphemy against Moses and against God."
註解: 議論に負かされし私憤を漏すにかかる卑劣なる手段を取る事は往々にして行われる事であり、宗教界に於てこの弊は殊に甚しい。イエスをキリストと信ずる事により神に対する態度もモーセに対する心持も一変する、この事が保守的ユダヤ人には冒涜の如くに思われたのであった。之を利用する事はステパノを陥れる有力なる手段であった。

6章12節 (たみ)および長老(ちゃうらう)學者(がくしゃ)らを煽動(せんどう)し、(にはか)(きた)りてステパノを(とら)へ、議會(ぎくわい)()きゆき、[引照]

口語訳その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。
塚本訳また民衆や、(最高法院の役人すなわち大祭司連、)長老、聖書学者たちを煽動して、彼を襲ってとらえ、最高法院に引いてゆかせた。
前田訳また、民衆や長老や学者らを扇動し、彼を襲って捕え、法院に連れて行った。
新共同また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
NIVSo they stirred up the people and the elders and the teachers of the law. They seized Stephen and brought him before the Sanhedrin.
註解: 民意に反して事を成す事は出来ず、長老学者の意見に反したる訴は無力である故、これ等のものを巧に煽動した。真理は一人で立つ、虚偽は同類を糾合する

6章13節 僞證者(ぎしょうしゃ)()てて()はしむ『この(ひと)はこの(せい)なる(ところ)律法(おきて)とに(さから)(ことば)(かた)りて()まず、[引照]

口語訳それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。
塚本訳そして偽りの証人を立ててこう言わせた、「この人はこの神聖な場所[宮]と律法とをけがす言葉を語って、どうしてもやめない。
前田訳そして偽りの証人を立てていわせた、「この人はこの聖なる所と律法とをけがすことばを語ってやめません。
新共同そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。
NIVThey produced false witnesses, who testified, "This fellow never stops speaking against this holy place and against the law.

6章14節 (すなは)ち、かのナザレのイエスは()(ところ)(こぼ)ち、かつモーセの(つた)へし(れい)()ふべしと、(かれ)()へるを()けり』と。[引照]

口語訳『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。
塚本訳『あのナザレ人イエスはこの場所をこわし、モーセがわたし達に言い伝えた慣例を変えるだろう』と彼が言うのを、わたし達は(この耳で)聞いたのだから。」
前田訳『あのナザレ人イエスはこの所をこわし、モーセがわれらに伝えた慣わしを変えよう』、と彼がいうのをわれらは聞いたのです」と。
新共同わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
NIVFor we have heard him say that this Jesus of Nazareth will destroy this place and change the customs Moses handed down to us."
註解: 聖なる宮はイエスに於て完成せられ(ヘブ10:20)律法は廃れて福音が之に代り、イエスは死して三日目に復活すべき事を教えんとしてこの宮を(こぼ)てと言い給うた(ヨハ2:19マタ26:61マタ27:40マコ14:58マコ15:29)、又イエスは律法の完成者としてモーセの律法を変更したもうた(マタ5:17以下)。ステパノはこれらの事柄につきて語ったのを彼らは悪意を以て之を利用したのである。イエスに対する態度と同様であった。他人の説を非難せんとする場合その言の一部のみを引用して巧に利用する事によりて、思いもよらない結論を造り出す事が出来る。偽証者の列挙する諸点もステパノが全然言わなかったのではない。唯それらを別の意味を以て語ったのであった。
辞解
[例] ethos 習慣の意、慣例と訳して適当ならん。

6章15節 (ここ)議會(ぎくわい)()したる(もの)みな()(そそ)ぎてステパノを()しに、その(かほ)御使(みつかひ)(かほ)(ごと)くなりき。[引照]

口語訳議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。
塚本訳法院に坐っていた者が皆ステパノに目をとめた。彼の顔がちょうど天使の顔のように(輝いて)見えた。
前田訳法院にすわっていたものは皆ステパノに目を注ぐと、彼の顔は天使のように見えた。
新共同最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。
NIVAll who were sitting in the Sanhedrin looked intently at Stephen, and they saw that his face was like the face of an angel.
註解: 神の霊が人に宿りその人を支配する時その顔は人間の顔ではなく御使の如くに輝く、基督者の顔にはかかる耀きが有る筈である。
要義1 [偽証を立つる事]福音の真理を曲げて之を邪説の如くに見ゆる様にせんとする事は至って容易なる業である。それは基督者の言行の一部を捕えてその真意を曲解する事によりて行われる。悪意を以て基督教に対する時、基督者を国賊の如くにする事も容易である。恰もステパノを陥れんとせる者共が、彼に関して多くの偽証を挙げる事が出来たのと同様である。夫故に我らはかかる者を恐れてはならない。唯神の前に正しからん事をのみ期すべきである。
要義2 [基督者の容貌]基督者の顔や全身より発散するその耀きはその信仰の表顕である。もしその処に偽善者らしきもの、弱々しきもの、卑劣なるもの等が感ぜられるならば、それはその信仰の虚偽なるか又は不純なるかを示す。真の信仰は人をして天使の如きものたらしめる。

使徒行伝第7章
2-5-2 ステパノの大弁論 7:1 - 7:53

註解: 本章はステパノの激論とその殉教の死の記事である。使徒以外の証者の弁論が詳細に記載せられし唯一の例であって、これにより如何に聖霊の力の偉大なるかを示すと共に、ステパノの殉教の死が初代教会に於ける極めて重大なる事件であった事を示す。この弁論はイスラエルの歴史の要約であって、一見周知の事実のみを多く含む如くであり、又敵に対する攻撃力を有せざる事件を多く羅列している様にも思われる。しかしながら「この長き弁論を仔細に味読するならば、この中に何等無駄なるものなく、ステパノは必要に応じて非常に適切に語った事を充分に見出す事が出来るであろう」(C1)。ステパノの目的は彼を迫害する人々にイエス・キリストを示す事と、同時にイエスを迫害せる彼等自身の姿を反省せしむる事であった。而してステパノはイスラエルの歴史を以てイエスの姿とイエスの迫害者の姿とを示したのである。而して同時に「神の宮」や「モーセの律法」よりも更に深くその根底に立入り、形式と律法とを超越せる真の信仰に彼らを立たしめんとし、神の選びとその約束と、而して天に於ける神の宮なる復活のイエス・キリストとを示して彼らの誤謬を正さんとしたのである。

7章1節 (かく)(だい)祭司(さいし)いふ『(これ)()のこと(はた)して(かく)(ごと)きか』[引照]

口語訳大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。
塚本訳大祭司がたずねた、「はたして事実その通りか。」
前田訳大祭司は問うた、「それはそのとおりか」と。
新共同大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。
NIVThen the high priest asked him, "Are these charges true?"
註解: もし斯くの如くであるならばステパノの罪は当然免れる事が出来ない、神の宮とモーセの律法とはユダヤ人の死守せんとする処であった。

註解: ▲2-4節はアブラハムの神に対する従順を示す。

7章2節 ステパノ()ふ『兄弟(きゃうだい)たち(おや)たちよ、()け、(われ)らの先祖(せんぞ)アブラハム(いま)だカランに()まずして(なほ)メソポタミヤに()りしとき、榮光(えいくわう)(かみ)あらはれて、[引照]

口語訳そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて
塚本訳ステパノが言った。──「兄弟の方々、お父さん方、聞いてください。(御承知のように、)“栄光の神は、”わたし達の先祖アブラハムがカランに住む前、まだメソポタミヤにいるとき、現われて
前田訳彼はいった、「兄弟方、父がた、お聞きください。栄光の神は、われらの父アブラハムがカランに住む前、メソポタミアにいたときに現われて、
新共同そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、
NIVTo this he replied: "Brothers and fathers, listen to me! The God of glory appeared to our father Abraham while he was still in Mesopotamia, before he lived in Haran.

7章3節 「なんぢの土地(とち)、なんぢの親族(しんぞく)(はな)れて、()(しめ)さんとする()()け」と()(たま)へり。[引照]

口語訳仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。
塚本訳“言われた、『あなたの国、あなたの親類から出て、わたしが示す地に来い』と。”
前田訳『あなたの国、あなたの親族から離れて、わたしが示す地に来なさい』といわれました。
新共同『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。
NIV`Leave your country and your people,' God said, `and go to the land I will show you.'
註解: ステパノはこれによりて(1)神の選びはモーセよりも遙か以前に遡っている事、(2)信仰の祖アブラハムの姿は神の命によりてその故国と親族とより離れて流浪する淋しき姿である事、(3)神は必ずしも神の宮に於てのみ彼らに顕れ給うものにあらざる事を示している。かくして暗黙の中に彼等の(もう)(ひら)き彼らの論点を覆している。尚お創12:1以下によればアブラハムが神の啓示を受けたのはカラン(創11:31にハランとあるのも同一の地名)に移住して後の事であるけれども、事実としては恐らくその以前カルデヤのウル即ちメソポタミヤに於てこの黙示を受けたのであろう。創15:7ヨシ24:3ネヘ9:7はこの事実を裏書している。又フイローン及びヨセフスの歴史もこの点に於てステパノの演説に一致している。
辞解
[親たちよ] 当局としての彼等の地位に対してはステパノも充分の敬意を払っていた事を示す。
[我らの先祖] と言いて祭司らを敵視せざる事を顕す。創12:1に「汝の父の家を離れ」とあるけれども之はカランに於ける啓示として意味があるけれども、父と共にメソポタミヤより移住せる場合には適合しない。
[栄光の神] 神に対するステパノの信仰の態度を示す。

7章4節 (ここ)にカルデヤの()()でてカランに()みたりしが、その(ちち)()にしのち、[神(かみ)は](かれ)彼處(かしこ)より(なんぢ)らの(いま)()める()()(うつ)らしめ、[引照]

口語訳そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、
塚本訳そこでカルデヤ人の地(ウル)を出て、カランに住んだ。そしてその父の死んだ後、そこから、今あなた方が住んでいるこの(カナンの)地に、神は彼を移住させられた。
前田訳そこで彼はカルデア人の地を出てカランに住みました。そしてその父の死後、神は彼を、今あなた方がお住まいのこの地にお移しでした。
新共同それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、
NIV"So he left the land of the Chaldeans and settled in Haran. After the death of his father, God sent him to this land where you are now living.
註解: 創世記の記事によればアブラハムがカランを旅立したのは父テラが百四十五才の時(アプラハムは父の七十才の時の子であり、アブラハムがカランを旅立したのは七十五才の時であった。創11:26創12:4参照)であり、テラは二百五才にして死んだ故(創11:32)アブラハムがカランより旅立して後尚六十年生き長らえた事となる。この矛盾を種々の方法にて説明せんとの試があるけれども、何れも牽強附会(けんきょうふかい)である。尚フイローンもこの点ステパノに一致しているより見ればかかる伝説が有ったものらしく、又かかる伝説が起ったのはテラの死が聖書中にアブラハムの出発よりも前に録されているからであろう(E0)。

註解: ▲5-8節はアブラハムに対する神の約束を示す。

7章5節 此處(ここ)にて(あし)蹈立(ふみた)つる(ほど)()をも嗣業(しげふ)(あた)(たま)はざりき。(しか)るに、その()(いま)()なかりし(かれ)(かれ)(すゑ)とに所有(もちもの)として(あた)へんと(やく)(たま)へり。[引照]

口語訳そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。
塚本訳しかしそこには(何一つ)財産を、“一歩の幅の土地をすら、与えず、”ただ“彼と彼の後の子孫とに、その地を所有として与えようと”約束されただけであった、(その時まだ)彼には子が無かったのに。
前田訳しかしここでは財産としては一歩の幅の土地さえ与えず、子がなかったのに、彼と彼ののちの子孫とにその地を持ち物として与えることをお約束でした。
新共同そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。
NIVHe gave him no inheritance here, not even a foot of ground. But God promised him that he and his descendants after him would possess the land, even though at that time Abraham had no child.
註解: (創12:7創13:15)神はアブラハムの信仰を試る為に寸地をもカナンに於て彼に与え給わなかった。アブラハムの与えられたものは単なる約束に過ぎす、しかも子なきに子を与えられ、土地無きに之を与えられる事の約束のみが有るに過ぎなかった。之を信じて疑わずに進んだのがアプラハムの信仰の偉大なる所以であった。イエス及びイエスを信ずる者に与えられし約束も亦その如くであった。大なる信仰なしに之を把握する事は出来ない。基督者を嘲弄し無視する者は、アブラハムを蔑視する者である。
辞解
[足、踏み立つる程の地] 日本語にて「猫の額位」と言う如く一般的に用いられていた(申2:5創8:9[新共同訳では「止まる所」と訳している:編者])。アブラハムの購入せるマクペラの墓地はこの中に入らない。

7章6節 (かみ)また()(すゑ)(ほか)(くに)寄寓人(やどりびと)となり、その國人(くにびと)(これ)四百年(しひゃくねん)のあひだ奴隷(どれい)となして(くる)しめん(こと)()(たま)へり。[引照]

口語訳神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。
塚本訳すなわち神はこう語られた、“彼の子孫は他国に身を寄せ、人々は四百年の間これを奴隷にし、虐待するであろう”と。
前田訳神はこう語られました、『彼の子孫は他国でよそものとなり、人々は四百年間これを奴隷にして虐待しよう』と。
新共同神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』
NIVGod spoke to him in this way: `Your descendants will be strangers in a country not their own, and they will be enslaved and mistreated four hundred years.
註解: 神は又アブラハムの子孫の流浪と迫害とにつき予告し給うた。即ち初の約束は急速に実現せらるべきでは無く、且つその間に多くの苦難を経過しなければならない事を意味す。アブラハムはこの約束を信じ之を望んだ。基督者もまた必ず迫害を受くべき事が預言せられているのである。(創15:13)。
辞解
[四百年] アブラハムが神の約束を受けてよりヤコブがエジプトに移住する迄の年代を加えた場合もあり(ガラ3:17。及び七十人訳の出12:40)その方が事実に近い。創15:13及びヘブル語原典及び本節はこの点異る。ガラ3:17辞解参照。

7章7節 (かみ)いひ(たま)ふ「われは(かれ)らを奴隷(どれい)とする國人(くにびと)(さば)かん、(しか)るのち(かれ)()その(くに)()で、この(ところ)にて(われ)(つか)へん」[引照]

口語訳それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。
塚本訳神は(また)言われた、“しかし彼らを奴隷にする国の人を、わたしはかならず罰する。そしてその後、彼らはそこを出て、”この所(カナン)でわたしを礼拝するであろう”と。
前田訳また神はいわれました、『彼らを奴隷にする国民をわたしは裁く。そののち彼らはそこを出てこの所でわたしを礼拝しよう』と。
新共同更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』
NIVBut I will punish the nation they serve as slaves,' God said, `and afterward they will come out of that country and worship me in this place.'
註解: 創15:14出3:12とを組合せし如き形をなす。律法が与えられるより以前、又神の宮が建てられるより遙か以前に既に神の恩恵による保護と約束と救とが与えられていたのである。ユダヤ人はこの本末軽重を往々にして転倒する故、ステパノは暗々裡に之を叱責したのである。

7章8節 (かみ)また割禮(かつれい)契約(けいやく)をアブラハムに(あた)(たま)ひたれば、イサクを()みて八日(やうか)めに(これ)割禮(かつれい)(おこな)へり。イサクはヤコブを、ヤコブは十二(じふに)先祖(せんぞ)()めり。[引照]

口語訳そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。こうして、彼はイサクの父となり、これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たちの父となった。
塚本訳それから彼に“割礼の(規則の)契約を”お与えになった。こうしてアブラハムは、イサクが生まれると(契約に従って)“八日目に割礼を施した。”イサクの子はヤコブ、ヤコブの子は十二人の族長であった。
前田訳そして彼に割礼の契約をお与えでした。こうして彼にイサクが生まれると、八日目に割礼しました。それからイサクにヤコブが生まれ、ヤコブに十二人の族長が生まれました。
新共同そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。
NIVThen he gave Abraham the covenant of circumcision. And Abraham became the father of Isaac and circumcised him eight days after his birth. Later Isaac became the father of Jacob, and Jacob became the father of the twelve patriarchs.
註解: 創17:9-14。割礼の契約を与えられたのはアブラハムに対して嗣業と嗣子の約束が与えられて後でありその約束の固めの式の如きものであった(C1)。之により儀式が信仰に対して如何なる関係にあるかを示す。斯くしてステパノはイスラエルの歴史上に起れる凡ての重要なる事件を列挙しつつ、その真の意義を明かにして行くのである。

註解: ▲▲9-15節はイスラエルに対する神の守護と救いを示す。

7章9節 先祖(せんぞ)たちヨセフを(ねた)みてエジプトに()りしに、(かみ)(かれ)(とも)(いま)して、[引照]

口語訳族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、
塚本訳族長たちは“ヨセフをねたんで、エジプトに(奴隷に)売った。””しかし“神は(いつも)ヨセフと一緒にいて、”
前田訳族長たちはヨセフを妬んでエジプトに売りました。しかし神は彼とともにいまして
新共同この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、
NIV"Because the patriarchs were jealous of Joseph, they sold him as a slave into Egypt. But God was with him

7章10節 (すべ)ての患難(なやみ)より(これ)(すく)(いだ)し、エジプトの(わう)パロの(まへ)にて寵愛(ちょうあい)()させ、また智慧(ちゑ)(あた)(たま)ひたれば、[パロ](これ)()ててエジプトと(おの)全家(ぜんか)との(つかさ)となせり。[引照]

口語訳あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。そこで、パロは彼を宰相の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当らせた。
塚本訳あらゆる苦難から救い出し、“エジプト王パロの前で”知恵をあらわさせて“寵愛を得させられたので、”パロは彼をエジプトと王家全体とをつかさどる宰相に任命した。”
前田訳あらゆる苦しみから救い出し、エジプト王パロの前で恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王家全体とをつかさどる高官に引き立てました。
新共同あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。
NIVand rescued him from all his troubles. He gave Joseph wisdom and enabled him to gain the goodwill of Pharaoh king of Egypt; so he made him ruler over Egypt and all his palace.
註解: 創37:28創39章-41章参照。罪なきヨセフを嫉み之を迫害したイスラエルの先祖たちの罪は大きくあった。しかしながら神の御旨は人の悪に勝ち、人の罪を利用して却てヨセフに恩恵を下す手段となし給うた。かくして神に立てられてヨセフは全エジプトの宰相となった。イエスの場合も亦同様である。イエスを最も多く歓迎すべきユダヤ人らはイエスを迫害して彼を十字架につけた。然るに神は彼を甦らせ之を人類全体の主となし給うた。ヨセフはこの点に於て完全にイエスの型であり、従ってヨセフを迫害せる先祖たちは又イエスを迫害せるユダヤ人の型であった。之をきくユダヤ人は内心耐え難き苦痛を感じていた事であろう。凡て巧なる歴史的叙述は、平坦なる事実を活ける声として活躍せしめる。
辞解
[寵愛] charis は又恩恵、恩寵の意味もあり、神の恩恵とも解する事を得
[智慧] パロの夢を解明した事を主として指しているけれども、その他彼の政治的才能をも含むと解して差支が無い。直訳は「パロの前に恩恵と智慧とを与え給い」となる。尚このヨセフの歴史につきては創37章以下に詳しく記載しあり。

7章11節 (とき)にエジプトとカナンの全地(ぜんち)とに飢饉(ききん)ありて(おほい)なる患難(なやみ)おこり、(われ)らの先祖(せんぞ)たち(かて)(もと)()ざりしが、[引照]

口語訳時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起り、大きな苦難が襲ってきて、わたしたちの先祖たちは、食物が得られなくなった。
塚本訳“するとエジプトとカナンとの全体に飢饉が来て、”大きな苦難が臨み、わたし達の先祖たちは食糧が得られなかった。
前田訳さて、エジプトとカナンとの全体に飢饉が起きて大きな苦しみがのぞみ、われらの先祖たちは食物を得られませんでした。
新共同ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。
NIV"Then a famine struck all Egypt and Canaan, bringing great suffering, and our fathers could not find food.

7章12節 ヤコブ、エジプトに穀物(こくもつ)あるを()きて()(われ)らの先祖(せんぞ)たちを(つかは)す。[引照]

口語訳ヤコブは、エジプトには食糧があると聞いて、初めに先祖たちをつかわしたが、
塚本訳“ヤコブはエジプトに穀類があると聞いて、”まず先祖たちをやった。
前田訳ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわれらの先祖たちをつかわしました。
新共同ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。
NIVWhen Jacob heard that there was grain in Egypt, he sent our fathers on their first visit.

7章13節 二度(ふたたび)めの(とき)ヨセフその兄弟(きゃうだい)たちに()られ、ヨセフの氏族(しぞく)パロに(あきら)かになれり。[引照]

口語訳二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れてきた。
塚本訳二度目の時に、“ヨセフは自分のことを兄弟たちに打ちあけた。”そこでヨセフの素性がパロに知れた。
前田訳二度目のときヨセフは自らのことをその兄弟たちに打ち明けました。それでヨセフの血すじがパロにわかりました。
新共同二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。
NIVOn their second visit, Joseph told his brothers who he was, and Pharaoh learned about Joseph's family.
註解: ステパノはヨセフがその兄弟の旧悪を少しも思わず豊かに穀物を与えて彼らを助けた事につきては言及して居ない。ステパノが一言もイエスの名を言わなかった心持がここにも顕れて居り、イエスに酷似しているヨセフの態度をば言外に之を含蓄せしめているのを見る。即ちイスラエルの一族はその迫害せるヨセフによりて救われたのである。同様に彼らはその救主イエスを迫害しているのである。

7章14節 ヨセフ()(つかは)して(おの)(ちち)ヤコブと(すべ)ての親族(しんぞく)(しち)(じふ)()(にん)(まね)きたれば、[引照]

口語訳ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。
塚本訳ヨセフは父ヤコブと親類全部、“合計七十五人を”(エジプトに)呼びよせた。
前田訳ヨセフは人をやって父ヤコブと親類全体七十五人を呼びよせました。
新共同そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。
NIVAfter this, Joseph sent for his father Jacob and his whole family, seventy-five in all.

7章15節 ヤコブ、エジプトに(くだ)り、彼處(かしこ)にて(おのれ)(われ)らの先祖(せんぞ)たちも()にたり。[引照]

口語訳こうして、ヤコブはエジプトに下り、彼自身も先祖たちもそこで死に、
塚本訳ヤコブは“エジプトに下り、”“彼自身も”先祖たちも“(そこで)死に、”
前田訳ヤコブはエジプトに下り、彼自身もわれらの先祖たちも死にました。
新共同ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、
NIVThen Jacob went down to Egypt, where he and our fathers died.
註解: ユダヤ人全体の歴史とその運命とを知るならば、神の礼拝をエルサレムのみに局限する如き愚を行わないであろう。
辞解
[七十五人] 創46:27には七十人とあり、七十人訳に七十五人とあるに由りたるものならん。尚七十人訳には出1:5申10:22(異本あり)も七十五人とあり、ヨセフの孫三人、曾孫二人を加えしもの、ステパノはギリシヤ語のユダヤ人として七十人訳によりしものと解せらる。

7章16節 (かれ)()シケムに(おく)られ、(かつ)てアブラハムがシケムにてハモルの()()より(ぎん)をもて()()きし(はか)(はうむ)られたり。[引照]

口語訳それから彼らは、シケムに移されて、かねてアブラハムがいくらかの金を出してこの地のハモルの子らから買っておいた墓に、葬られた。
塚本訳”(なきがらは)シケムに移され、”(前に)銀いくらかをもって、”アブラハムがシケムでハモルの子らから買い取っておいた墓場に”納められた。
前田訳そして彼らはシケムに移され、アブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓地に葬られました。
新共同シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。
NIVTheir bodies were brought back to Shechem and placed in the tomb that Abraham had bought from the sons of Hamor at Shechem for a certain sum of money.
註解: ヨセフ及びその先祖たちは皆カナンの地即ち約束の地に葬られた。但しアブラハムの購入せる墓地はヘブロンのマクペラで、ヘテ人エフロンより買い求めたのであって(創23:16)ハモルの子等より銀をもてシケムに買い求めたのはアブラハムではなくヤコブであった(創33:19)。之を(1)ステパノ又はルカの記憶の誤に帰するもの(C1、M0)又は(2)この二つの事実を半分づつ組合せて二つを包含せしめたとするもの(B1)、又は(3)これ等始祖たちの墳墓は凡てサマリヤのシケムに在りとするサマリヤの伝説によりたるもの(E0)等あり(1)を採る。尚おシケムに葬られたのはヨセフのみで(ヨシ24:32)他はマクペラに葬られた(創50:13)。

註解: ▲17-43節はモーセによる救いとイスラエルの民の不信仰を示す。

7章17節 (かく)(かみ)のアブラハムに(かた)(たま)ひし約束(やくそく)(とき)(ちか)づくに(したが)ひて、(たみ)はエジプトに蕃衍(ふえひろが)り、[引照]

口語訳神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土にひろがった。
塚本訳さて、神がアブラハムに約束された約束の時が近づくと、(イスラエルの)民はエジプトで、“増しかつふえた。”
前田訳さて、神がアブラハムにお立ての約束の時が近づくにつれて、民はエジプトで発展し、またふえました。
新共同神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。
NIV"As the time drew near for God to fulfill his promise to Abraham, the number of our people in Egypt greatly increased.

7章18節 ヨセフを()らぬ(ほか)(わう)、エジプトに(おこ)るに(およ)べり。[引照]

口語訳やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。
塚本訳ついに、“ヨセフのことを知らない、(新しい)ほかの王がエジプトに出た。”
前田訳やがてヨセフを知らぬ別の王がエジプトに現われました。
新共同それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。
NIVThen another king, who knew nothing about Joseph, became ruler of Egypt.
註解: 17-43節はモーセに関する弁論である。神の約束はその通りに実現しイスラエルの民に対する迫害が起って来た。

7章19節 (わう)惡計(わるだくみ)をもて(われ)らの同族(やから)にあたり、(われ)らの先祖(せんぞ)たちを(くる)しめて()嬰兒(みどりご)生存(いきながら)ふる(こと)なからんやう(これ)()つるに(いた)らしめたり。[引照]

口語訳この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。
塚本訳この王はわたし達の”同族に向かって悪巧みをし、”先祖たちにみどり児を捨てさせ、これを”生かしておか”ないような“ひどいことをした。”
前田訳彼はわれらの血すじに対して策動し、先祖たちを苦しめました。それはみどり子を生かしておかないよう捨てさせるほどでした。
新共同この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。
NIVHe dealt treacherously with our people and oppressed our forefathers by forcing them to throw out their newborn babies so that they would die.
註解: 出1:15、16参照。パロは産婆に命じてヘブル人の凡ての男子をその生れ出る時に殺さしめた。神に選ばれし種族はかくして苦難にさらされざるを得ない、イエス及びその弟子が迫害されるは当然である。
辞解
[悪計をもて・・・・・・あたり] 「づるい手段を取り」の意。

7章20節 その(ころ)モーセ(うま)れて(いと)(うるは)しくして三月(みつき)のあいだ(ちち)(いへ)(そだ)てられ、[引照]

口語訳モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、
塚本訳ちょうどこの時にモーセが生まれた。神の目にさえ“美しい”子であった。“三月のあいだ”父の家で育てられたが、
前田訳このころモーセが生まれました。彼は神のお目にかなっていて、父の家で三か月のあいだ育てられましたが、
新共同このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、
NIV"At that time Moses was born, and he was no ordinary child. For three months he was cared for in his father's house.

7章21節 (つい)()てられしを、パロの(むすめ)ひき()げて(おの)()として(そだ)てたり。[引照]

口語訳そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。
塚本訳(隠しきれなくなって)捨てられたとき、“パロの王女が(見つけて)拾いあげ、自分の子として”育てた。
前田訳捨てられたとき、パロの王女が拾いあげ、自分の子として育てました。
新共同その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。
NIVWhen he was placed outside, Pharaoh's daughter took him and brought him up as her own son.
註解: 出2:1-10参照。モーセはキリストの型である。キリストが嬰児の時にヘロデの為に苦難に遭い給いし如くモーセも嬰児の時既に生命の危険にさらされた。キリストが神の御告によりて救われし如くモーセも不思議なる御手によりてパロの子として育てられた。
辞解
[甚麗しく] 直訳「神に対して麗しく」であって非常に麗しき事を示すヘブル語話法である。但し直訳の通りに訳すべしとの説もある。
[父] アムラム(出6:20)。

7章22節 (かく)てモーセはエジプト(びと)(すべ)ての學術(がくじゅつ)(をし)へられ、(ことば)(わざ)とに能力(ちから)あり。[引照]

口語訳モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。
塚本訳モーセはエジプト人の知恵を残るところなく教えこまれ、その言葉にも行いにも力があった。
前田訳モーセはエジプト人のあらゆる知恵を教え込まれ、ことばとわざに力がありました。
新共同そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。
NIVMoses was educated in all the wisdom of the Egyptians and was powerful in speech and action.
註解: この事は出エジプト記に録されて居ない、唯伝説として残っているに過ぎない。モーセは神の御旨によりエジプト人の尊敬を()ち得るに充分なる教育を受け、弁論と行動とに能力のある偉人となった。
辞解
[学術を教えられ] むしろ「学術を以て薫陶せられ」又は「鍛錬せられ」の如き意味、エジプトの学術は天文学、数学、地理学、医学等であった。出4:10と矛盾する如きも、之はモーセの主観と他人の観察との差である。

7章23節 年齡(よはひ)四十(しじふ)になりたる(とき)、おのが兄弟(きゃうだい)たるイスラエルの子孫(しそん)(かへり)みる(こころ)おこり、[引照]

口語訳四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。
塚本訳四十歳になった時、“同胞イスラエルの子孫を”思う心がモーセに起こった。
前田訳四十歳になったころ、自分の同胞であるイスラエルの子孫を顧みる心がおきました。
新共同四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。
NIV"When Moses was forty years old, he decided to visit his fellow Israelites.
註解: 四十なる年齢も伝説によりたるもの、3036参照。四十才に至るまでその身分がモーセに知られなかったと云うのではない、彼はパロの宮廷に於て栄華の日を過していた為にそのなやめる兄弟の事を忘れていた、四十才に至り神の御霊の働きによりて、彼の心が一変したのである。
辞解
[四十] 聖書に多く用いられる数、
[顧る] 「訪問する」の意あり、心にかけて之を見舞う事。

7章24節 一人(ひとり)(そこな)はるるを()(これ)(まも)り、エジプト(ひと)()ちて、(しへた)げらるる(もの)(あた)(かえ)せり。[引照]

口語訳ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。
塚本訳それで(ある日、同胞の)一人が(エジプト人に)いじめられているのを見ると、その味方をし、“エジプト人を打ち殺して”虐待された者のために仕返しをした。
前田訳それでそのひとりがいじめられているのを見て、その味方をし、エジプト人を打ち倒して、虐待された人の仕返しをしました。
新共同それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。
NIVHe saw one of them being mistreated by an Egyptian, so he went to his defense and avenged him by killing the Egyptian.
註解: 出2:11、12。モーセはその同族の虐待されるを黙視するに忍びず、エジプト人を殺して同族の為の復讐をなした、かゝる勇気と義侠心とは、神によりて与えられたものであった。モーセもイエスと同じく大なる愛国者であった。
辞解
[護り] 相手を撲ちて自己又は友人を守る形。
[撃ちて] 出2:12には「殺し」とあり。

7章25節 (かれ)(おのれ)()によりて(かみ)(すくひ)(あた)へんと為給(したま)ふことを、兄弟(きゃうだい)たち(さと)りしならんと(おも)ひたるに、(さと)らざりき。[引照]

口語訳彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。
塚本訳モーセは(この出来事によって、)神が彼の手で同胞を救おうとしておられることを、みなが悟るものと考えた。しかし彼らは悟らなかった。
前田訳モーセは神が彼の手で同胞に救いを与えようとしておいでのことを、彼らが悟ると思っていましたが、彼らは悟りませんでした。
新共同モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。
NIVMoses thought that his own people would realize that God was using him to rescue them, but they did not.
註解: モーセは同族愛の心に燃えてこの殺人の行為を敢えてしたのであったから、同族はその心に感じて彼をその救手として仰ぐであろうと思ったけれども、その予想に反しヘブル人は彼の心を悟らなかった。イエスの福音もその同族を愛する切なる心からであった、然るに彼らはそれを悟らず、彼を十字架に釘けた。由来真の愛国者は国民に理解せられず、偽愛国者に迫害せらる。▲ステパノ自身も同様イスラエルの救を熱望しつつイスラエルの人々に誤解され迫害された。
辞解
[与えんとし給う] 「与えつつあり給う」の意で、現に一エジプト人を殺したのもその一つの現れである。

7章26節 翌日(よくじつ)かれらの(あひ)(あらそ)ふところに(あらは)れて和睦(わぼく)(すす)めて()ふ「人々(ひとびと)よ、(なんぢ)らは兄弟(きゃうだい)なるに(なん)(たがひ)(そこな)ふか」[引照]

口語訳翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか』。
塚本訳翌日、二人の人が喧嘩をしているところにモーセが現われて、仲直りをさせようとして言った、『君たち、兄弟同士ではないか。なんで、なぐり合いをするのか。』
前田訳あくる日、モーセは彼らが争っているところに現われ、仲直りさせようとしていいました、『あなた方、兄弟ではないか。なぜ互いに傷つけ合うのか』と。
新共同次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。』
NIVThe next day Moses came upon two Israelites who were fighting. He tried to reconcile them by saying, `Men, you are brothers; why do you want to hurt each other?'

7章27節 (となり)(そこな)(もの、)モーセを押退(おしの)けて()ふ、「(たれ)(なんぢ)()てて(われ)らの(つかさ)また審判(さばき)(びと)とせしぞ、[引照]

口語訳すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。
塚本訳“隣の人をなぐっていた方の者が”モーセを突きのけて言った、”『だれが君をわれわれの司令官や裁判官にしたのか。
前田訳隣人を傷つけていた人がモーセを押しのけていいました、『だれが君をわれらの司や裁き人にしたのか。
新共同すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。
NIV"But the man who was mistreating the other pushed Moses aside and said, `Who made you ruler and judge over us?

7章28節 昨日(きのふ)エジプト(びと)(ころ)したる(ごと)(われ)をも(ころ)さんと()るか」[引照]

口語訳君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。
塚本訳君はきのうあのエジプト人をやっつけたように、わたしをやっつけようと思っているのではあるまいね。』
前田訳君はきのうエジプト人を殺したように、わたしをも殺そうと思っているのか』と。
新共同きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』
NIVDo you want to kill me as you killed the Egyptian yesterday?'
註解: イスラエル人をエジプトより救い出さんが為には全民族一致してパロに当らなければならなかった。夫故に国民同士の不和はモーセの最も悲しみにたえざる事であった。夫故にモーセは、もし彼らを和睦せしめんとすれば彼らは喜んでモーセの言を聴き入れるであろうと思った。然るに却ってモーセを押退けてその権威を否定し、又モーセの殺人罪を暴露して彼に対する不信を示した。「神の器は人間よりの召命が不完全なりとの理由の下に往々にして拒否せられる」(B1)、又モーセの愛国的行為は単に一の暴行としか解されなかった、偉人の悲哀はここにある。かく言いてステパノは暗黙にイエスに対するユダヤ人の無理解を非難しているのを見る。
辞解
[和睦を勧めて] 「平和にまで和解せしめんとして」の意、企図的未完了過去。

7章29節 この(ことば)により、モーセ(のが)れてミデアンの()寄寓人(やどりびと)となり、彼處(かしこ)にて二人(ふたり)()(まう)けたり。[引照]

口語訳モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。
塚本訳この言葉を聞くとモーセは(恐ろしくなり、エジプトを)逃げ出して、ミデアンの地に身を寄せる者となり、”そこで(妻をめとって、)二人の男の子が生まれた。
前田訳モーセはこれを聞いて逃れ、ミデアンの地に身を寄せ、そこでふたりの男子をもうけました。
新共同モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。
NIVWhen Moses heard this, he fled to Midian, where he settled as a foreigner and had two sons.
註解: 出2:14、15。出4:20出18:3。モーセはパロの宮廷の華美なる生活より急にミデアンの曠野の淋しき生活に移った。しかし彼はその処に深く彼自身を養う機会を得たのであった。人に取りて必要なのは淋しき生活である。モーセの四十年間のミデアンの生活はイエスの四十日の荒野の生活に相当する。
辞解
[ミデアン] シナイ半島の南部を指す、
[二人の子] 妻チツポラによりて得しゲルシヨム(出18:3)とエリエゼル(出18:4

註解: ▲30-35節はモーセの召命。

7章30節 四十(しじふ)(ねん)()(のち)シナイ(やま)荒野(あらの)にて御使(みつかひ)(しば)(ほのほ)のなかに(あらは)れたれば、[引照]

口語訳四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。
塚本訳それから四十年たったとき、シナイ“山の荒野で、燃える茨の薮の焔の中で天使がモーセに現われた。”
前田訳四十年たったとき、シナイ山の荒野で、燃える柴の炎の中で天使がモーセに現われました。
新共同四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。
NIV"After forty years had passed, an angel appeared to Moses in the flames of a burning bush in the desert near Mount Sinai.

7章31節 モーセ(これ)()()るところを(あや)しみ、(みと)めんとして(ちか)づきしとき、(しゅ)(こゑ)あり。(いは)く、[引照]

口語訳彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞えてきた、
塚本訳モーセは見て、自分の目をうたがった。近寄ってよく見ようとすると、主の御声が聞こえてきた、
前田訳モーセはこの光景を見ておどろき、よく見ようと近寄ると、主のお声がしました、
新共同モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。
NIVWhen he saw this, he was amazed at the sight. As he went over to look more closely, he heard the Lord's voice:

7章32節 (われ)(なんぢ)先祖(せんぞ)たちの(かみ)(すなは)ちアブラハム、イサク、ヤコブの(かみ)なり」モーセ戰慄(ふるひをのの)()へて(みと)むることを()ず。[引照]

口語訳『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。
塚本訳『“わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神(である)。”』モーセは震えて、よく見る勇気がなかった。
前田訳『われはなんじの先祖たちの神、アブラハムとイサクとヤコブの神』と。モーセはふるえて、よく見る勇気がありませんでした。
新共同『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。
NIV`I am the God of your fathers, the God of Abraham, Isaac and Jacob.' Moses trembled with fear and did not dare to look.
註解: 出3:1-6。シナイの山に於ける神の顕現の記録である。茲で神は約束の神、即ちアブラハム等の始祖に約束を与え給いし神としてモーセに現われ給い、之によりてモーセはこの神こそイスラエルをエジプトより救ひ出し給う神である事を確知した(創15:14)。その光景のあまりに厳粛なりし為に、モーセは恐れ(おのの)かざるを得なかった。神は何処にてもその欲する処にて御自身を現わし給う。エルサレムの宮に限られて居ない事を注意すべきである。又神の臨在に対してはこの畏敬の心が無ければならない。
辞解
[四十年] これも伝説による、即ちモーセ八十才の時となる。
[シナイ山] 出3:1にはホレブの山とあり、ホレブは連山、シナイはその一峰ならんか
[視るところ] horama 幻象(まぼろし)のこと。
[認めんとして] 「認むること」katanoeô は検閲する心を以て熟視する事。
[アブラハム、イサク、ヤコブの神] 現に彼らに現れて約束を与え給いし神。

7章33節 (しゅ)いひ(たま)ふ「なんぢの(あし)(くつ)()げ、なんぢの()つところは(せい)なる()なり。[引照]

口語訳すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。
塚本訳“すると主が彼に言われた、『足の靴をぬぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる地である。
前田訳主はいわれました、『足の靴をぬぎなさい。なんじの立つ所は聖なる地である。
新共同そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。
NIV"Then the Lord said to him, `Take off your sandals; the place where you are standing is holy ground.
註解: 足より鞋(サンダル草履の如きもの)を脱ぐ事はその土地に対する崇敬の印である事は今日も回教会堂に於て之を目撃する。神在し給う処凡てが聖地である。エルサレムに限らるべきではない。而して神は在さざる処なき故、人が神と相対坐する処凡ての場所が聖地である。

7章34節 (われ)エジプトに()()(たみ)苦難(くるしみ)()、その歎息(なげき)をききて(これ)(すく)はん(ため)(くだ)れり。いで(われ)なんぢをエジプトに(つかは)さん」[引照]

口語訳わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。
塚本訳エジプトにおるわたしの民が虐待されるのをわたしは見きわめた。またその呻きを聞いた。そこで彼らを救い出すために(天から)下ってきたのだ。さあ、今すぐエジプトに行きなさい。』”
前田訳わたしは、エジプトでわが民衆が虐待されるのを見、そのうめきを聞いて、彼らを救い出すために下ってきた。さあ、今行きなさい。わたしはなんじをエジプトヘつかわそう』と。
新共同わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』
NIVI have indeed seen the oppression of my people in Egypt. I have heard their groaning and have come down to set them free. Now come, I will send you back to Egypt.'
註解: 出3:7-10参照。モーセが始めエジプトに於てイスエラル民族を救出さんと決心した時も彼はそれを神の命であると信じた、しかしその処には多分に自己の熱心と熱情と自信とが混在していた。然るに本節の召命は全く思いがけざりし時に神の聖前に立たしめられ、荘厳なる雰囲気の中に、恐れ(おのの)きつつ直接に神の召命を聴いたのである。人間的熱心と神よりの召命との差別はここに在る。又神は人間社会の姿を(ことごと)く知り給う、しかしその嘆息の叫声は一層の強さを以て神の耳に達する。
辞解
[わが民] イスラエルの人々は神の民である事を恐らく殆んど忘れていたであろう。
[遣さん] 単なる未来ではなく、「遣そうと思うが行ってくれまいか」と云う如き心持。

7章35節 ()(かれ)らが「()が、(なんぢ)()てて(つかさ)また審判(さばき)(びと)とせしぞ」と()ひて(こば)みし()のモーセを、(かみ)(しば)のなかに(あらは)れたる御使(みつかひ)()により、(つかさ)また救人(すくひて)として(つかは)(たま)へり。[引照]

口語訳こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。
塚本訳このモーセこそは、“だれが君を司令官や裁判官にしたのか”と言って拒絶された人であったが、この人を、神は茨の薮の中で彼に現われて天使の手をもって、(イスラエルの)司令官また解放者として(エジプトに)遣わされたのである。
前田訳このモーセは、『だれが君を司や裁きびとにしたのか』といって拒絶された人でしたが、この人を神は、柴の中で彼に現われた天使の手によって、司また解放者としておつかわしでした。
新共同人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。
NIV"This is the same Moses whom they had rejected with the words, `Who made you ruler and judge?' He was sent to be their ruler and deliverer by God himself, through the angel who appeared to him in the bush.
註解: 造家者の棄てたる石が隅の首石となると同じく、人間が拒みしモーセを神は立てて司また救人(すくいて)(贖い人)となし給うた。同様にイエスもユダヤ人より棄てられたけれども神は彼を救主として立て給うた(使3:14、15)。かく言いてステパノは「モーセを拒みし先祖の血がイエスを拒みし汝らにも存している故、顧みて注意せよ」と云わんばかりの口調である。▲使6:13-14のユダヤ人の非難が全く当たっていないことを明らかにしている。
辞解
[司] 本節にある始の「司」は archôn で司であり、後の「司」は archêgos で同語源の文字であるけれども意味は「指導者」「統率者」であって更に一層高き位置を示す。「審判人(さばきびと)」に比して「救人(すくいて)」lutrôtês が一層高きが如し、lutrôtês 「救人(すくいて)」、「贖人(あがないぬし)」なる語は神につきても用いられる(詩19:14詩78:35)。

7章36節 この(ひと)かれらを(みちび)(いだ)し、エジプトの()にても、また紅海(こうかい)および四十(しじふ)(ねん)のあひだ荒野(あらの)にても、不思議(ふしぎ)(しるし)とを(おこな)ひたり。[引照]

口語訳この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。
塚本訳この人が、“エジプトの地で、”紅海で、また“四十年のあいだ荒野で、”“不思議なことや徴を”行いながら、彼らをつれだしたのである。
前田訳この人がエジプトの地で、紅海で、また四十年、荒野で不思議や徴を行ないながら彼らを導き出したのです。
新共同この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。
NIVHe led them out of Egypt and did wonders and miraculous signs in Egypt, at the Red Sea and for forty years in the desert.
註解: イスラエルの人々の拒めるモーセは、之によりて確かに神の選の器であった事が証拠立てられた、神によらざればこれ等の不思議と徴とは行われ得ないからである。

7章37節 イスラエルの()らに「(かみ)(なんぢ)らの兄弟(きゃうだい)(うち)より()がごとき預言者(よげんしゃ)(おこ)(たま)はん」と()ひしは、()のモーセなり。[引照]

口語訳この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。
塚本訳この人が、イスラエルの子孫に、“神はあなた達の兄弟の中から、わたしのような一人の預言者をあなた達のために起こされる”と言ったモーセである。
前田訳この人がイスラエルの子孫に、『神はあなた方の兄弟の中から、わたしのようなひとりの預言者をあなた方のためにお立てになる』といったモーセです。
新共同このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』
NIV"This is that Moses who told the Israelites, `God will send you a prophet like me from your own people.'
註解: (▲▲「ゆえにもし汝らモーセを尊ぶならば、イエスを受けるのが当然である」)申18:15。尚上掲使3:22参照。夫故にモーセを重んずる汝等は、この預言によりて起され給いしイエスを拒むべきではない。モーセとイエスとは完全に調和しているのであって何等の矛盾もない(B1)。又モーセが他の預言者を指示した事は、自己の有限性を示すものと見る事を得、夫故に律法はイエスによりて完成せらるべきである(C1)。「汝ら之に聴くべし」とあるにも関らずこのイエスを拒める汝等の罪は深いとの意。

7章38節 (かれ)はシナイ(やま)にて(かた)りし御使(みつかひ)および(われ)らの先祖(せんぞ)たちと(とも)荒野(あらの)なる集會(あつまり)()りて(なんぢ)らに(あた)へん(ため)()ける御言(みことば)(さづか)りし(ひと)なり。[引照]

口語訳この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
塚本訳この人が、荒野の集会において、シナイ山で彼に語った天使とわたし達の先祖との間の仲介者であり、(そこで)あなた達に伝えるべき生ける御言葉を(神から)授かった人である。
前田訳この人が荒野の集会で、シナイ山で彼に語った天使とわれらの先祖とともにあり、あなた方に伝えるべき生きたみことばを授かったのです。
新共同この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。
NIVHe was in the assembly in the desert, with the angel who spoke to him on Mount Sinai, and with our fathers; and he received living words to pass on to us.
註解: 生ける御言はエホバがモーセに語り給いし凡ての言、殊にその十誡で、モーセの使命はイスラエルにこの神の言を与えんが為であった。かく言いてステパノがモーセの律法を少しも軽蔑せざる事を示す。
辞解
[御使・・・・・・先祖たちと偕に] モーセの仲保者的地位を示す。

7章39節 (しか)るに(われ)らの先祖(せんぞ)たちは()(ひと)(したが)ふことを(この)まず、(かへ)つて(これ)押退(おしの)け、その(こころ)エジプトに(かへ)りて、[引照]

口語訳ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、
塚本訳しかし先祖たちは彼の言うことを聞こうとせず、かえって彼をはねつけ、心は“エジプト(の偶像)にもどって、”
前田訳しかしわれらの先祖は彼に耳傾けようとせず、かえって彼を退け、心はエジプトに向かい、
新共同けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、
NIV"But our fathers refused to obey him. Instead, they rejected him and in their hearts turned back to Egypt.

7章40節 アロンに()ふ「(われ)らに(さき)だち()くべき神々(かみがみ)(つく)れ。(われ)らをエジプトの()より(みちび)(いだ)しし、かのモーセの如何(いか)になりしかを()らざればなり」[引照]

口語訳『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。
塚本訳“アロンに言った、『どうかわたし達を導いてゆく神々を造ってください。エジプトの地からつれだしてくれたあのモーセは、(山にのぼって以来)消息がわからないから。』”
前田訳アロンにいいました。『われらに先立ち行く神々を造ってください。エジプトからわれらを導き出したあのモーセは、どうなったかわかりませんから』と。
新共同アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』
NIVThey told Aaron, `Make us gods who will go before us. As for this fellow Moses who led us out of Egypt--we don't know what has happened to him!'
註解: イスラエル人の先祖たちは神を忘れて己の事のみを考えた。夫故に唯モーセのみを眼中に置き、彼らにこの世の幸福を与えざるモーセを排斥し、心は既にエジプトに還り、モーセの不在を理由として偶像を造らんとした。神の遣し給えへるものを拒む事は即ち神を拒む事であり、偶像を造る事はその結果である。ユダヤ人は神の遣し給えるイエスを拒み、自ら宮や律法を偶像として立てているその姿を見るべきである。
辞解
[アロン] モーセの兄
[先立ちゆくべき] 彼らがモーセのシナイ山より帰る事の遅きをを待ち兼ねている様子を見る事が出来る。

7章41節 その(ころ)かれら(こうし)(つく)り、その偶像(ぐうざう)犧牲(いけにへ)(ささ)げて(おの)()所作(しわざ)(よろこ)べり。[引照]

口語訳そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。
塚本訳その時“彼らは(金の)子牛を造って”その偶像に“犠牲をささげ、”自分の手で造ったものを(おがんで)楽しんだ。
前田訳そのころ彼らは子牛を造り、その偶像にいけにえをささげ、自らの手で造ったものを楽しんでいました。
新共同彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。
NIVThat was the time they made an idol in the form of a calf. They brought sacrifices to it and held a celebration in honor of what their hands had made.
註解: 彼らの心がエジプトに還ったと同時に彼らの行為もエジプトの行為へと堕落し、エジプト人の神として崇むる(こうし)の像を造り之を拝して歓喜に溢れていた。神がその御手の業を喜び給う事は神に相応しき事であるけれども、我らが我らの手の業を喜ぶ事は相応しくない。人は自己の業を喜ぶ事に於て偶像崇拝者である(B1)。
辞解
[喜べり] によりて彼らの不信仰の姿が巧に浮び出でている。

7章42節 (ここ)(かみ)(かれ)らを(はな)れ、その(てん)軍勢(ぐんぜい)(つか)ふるに(まか)(たま)へり。これは預言者(よげんしゃ)たちの(ふみ)に「イスラエルの(いへ)よ、なんぢら荒野(あらの)にて四十(しじふ)(ねん)(あひだ)(ほふ)りし(けもの)犧牲(ぎせい)とを(われ)(ささ)げしや。[引照]

口語訳そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。
塚本訳しかし神は彼らを見捨て、彼らが(まことの神の代りに)“天の星々を”おがむに任せられた。預言書に書いてあるとおりである。“イスラエルの人たちよ、あなた達が荒野の四十年のあいだに捧げた供え物や犠牲は、わたしにであっただろうか。(それは星々にではなかったか。)
前田訳それで神は彼らを離れ、彼らが天の星を拝むままになさいました。それは預言書にあるとおりです。『イスラエルの家よ、荒野での四十年の間、あなた方はわたしに供え物やいけにえをささげたことがあるか。
新共同そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ、/お前たちは荒れ野にいた四十年の間、/わたしにいけにえと供え物を/献げたことがあったか。
NIVBut God turned away and gave them over to the worship of the heavenly bodies. This agrees with what is written in the book of the prophets: "`Did you bring me sacrifices and offerings forty years in the desert, O house of Israel?

7章43節 (なんぢ)らは(はい)せんとして(つく)れる(ざう)(すなは)ちモロクの幕屋(まくや)(かみ)ロンパの(ほし)とを()きたり。われ(なんぢ)らをバビロンの彼方(かなた)(うつ)さん」と(しる)されたるが(ごと)し。[引照]

口語訳あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。
塚本訳あなた達はモロク(神)の幕屋や、ロンパ神の星など、自分で造った(神々の)像をかつぎまわって”おがんだではないか。“だからわたしは(罰として)あなた達を”バビロンの“向こうに移すであろう。”
前田訳あなた方はモロクの幕屋やロンパの神の星をかついでいた。それらはあなた方が拝むために造った像ではないか。それで、わたしはあなた方をバビロンのかなたへ移そう』と。
新共同お前たちは拝むために造った偶像、/モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を/担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを/バビロンのかなたへ移住させる。』
NIVYou have lifted up the shrine of Molech and the star of your god Rephan, the idols you made to worship. Therefore I will send you into exile' beyond Babylon.
註解: 人の心神を離れる時、神は彼らを離れてその為すがままに委せ給う(ロマ1:24ロマ1:26ロマ1:28)。引用はアモ5:25-27の七十人訳よりであって、その大意はイスラエルは四十年の荒野の生活に於て神に犠牲をささげずして反って異邦の神々を拝した為、神はその罰としてイスラエルをバビロンの彼方に移し、異邦に捕囚として寄寓せしめ給うであろうとの意味である。神を離れて人は益々偶像崇拝に陥って行くのみである。ユダヤ人らも既に信仰を失った結果イエスを拒むのであって、今後益々宮や律法の行為の如き偶像に固執するに至るであろう。
辞解
[天の軍勢] 日月星辰を指す。アモス書よりの引用が原文に異るのは七十人訳によったのである。
[モロクの幕屋] 「王シクテ」が「モロクの幕屋」となっているのは普通名詞メレク(又はその異本)を固有名詞モロクと読み、固有名詞シクテを普通名詞に見て幕屋と解したのである。又「キウン・・・汝らの神とする星」を「神ロンパの星」としたのは、キウン即ちアッシリヤ人が神とする土星はカイヴァンと呼ばれ之がカイフアンとなりその文字KとRの誤写よりライフアン(ロンフア)となりしものならんとの事である。即ち土星の神である。
[星を舁く] 星神の像をかつぐ事。アモ5:27にダマスコとあるをバビロンとしたのは後世に起れる歴史的事実が記録に反映したのであろう(H0)。

7章44節 (われ)らの先祖(せんぞ)たちは荒野(あらの)にて(あかし)幕屋(まくや)()てり、モーセに(かた)(たま)ひし(もの)の、(かれ)()(かた)(したが)ひて(つく)れと(めい)(たま)ひしままなり。[引照]

口語訳わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。
塚本訳わたし達の先祖は荒野において“証しの幕屋”をもっていた。これは“モーセに、(シナイ山で)見た型をまねて造るようにと語ったお方が”言いつけられたとおり(のもので、ここでこのお方はイスラエルの民に語られるの)であった。
前田訳われらの先祖には荒野で証の慕屋がありました。それは見た型によって造るようモーセに語った方がお命じのとおりのものでした。
新共同わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。
NIV"Our forefathers had the tabernacle of the Testimony with them in the desert. It had been made as God directed Moses, according to the pattern he had seen.
註解: 出25章-27章参照。イスラエルは荒野に於て神と共に交るべき集会の幕屋を有っていた、この集会の幕屋は荒野にありその処に契約の櫃が納められていた、神を祭るに必ずしもエルサレムの宮を要せざる事は明かである。
辞解
[証の幕屋] 出27:21出28:43等にある「集会の幕屋(新共同訳では『臨在の幕屋』:編者)」で七十人訳に誤って「証の幕屋」と訳されたもの、イスラエルの荒野に於ける集会所又礼拝所であった。之が発達し定着してエルサレムの宮となった。

7章45節 (われ)らの先祖(せんぞ)たちは(これ)()()ぎ、先祖(せんぞ)たちの(まへ)より(かみ)()ひいだし(たま)ひし異邦人(いはうじん)領地(りやうち)(をさ)めし(とき)、ヨシユアとともに(たづさ)(きた)りてダビデの()(およ)べり。[引照]

口語訳この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。
塚本訳この幕屋を先祖は受け継ぎ、神が異教人を先祖の前から追い払ってくださったので、その“領土(カナン)を占領した時には、”ヨシュアと共にそれを持ち込み、ダビデ(王)の時代に至った。
前田訳この幕屋をわれらの先祖は受け継ぎ、ヨシュアとともに異邦人の領地に持ち込みました。神が彼らを先祖の前から追放なさったのです。かくてダビデの時代に至りました。
新共同この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。
NIVHaving received the tabernacle, our fathers under Joshua brought it with them when they took the land from the nations God drove out before them. It remained in the land until the time of David,
註解: (▲私訳: -- 「我らの先祖たちはその幕屋をヨシュアと共に引き継ぎ、これを神が我らの先祖たちの面前から追い払い給うた異邦人の土地の中に持ち込んでダビデの時に及んでいる」)イスラエルの先祖たちはこの証の幕屋即ち集会の幕屋を大切に承け継いで来た、ヨシユアのカナン攻略の時はこの幕屋と共にカナンに入りダビデの日に及んだ、この事実を無視してエルサレムの宮のみに特別の意義ある如くに考うる事は誤である。一層広く正しき歴史眼を持つべきである。

7章46節 ダビデ(かみ)(まへ)恩惠(めぐみ)()てヤコブの(かみ)のために住處(すみか)(まう)けんと(もと)めたり。[引照]

口語訳ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。
塚本訳ダビデは神の寵愛を受けたので、“ヤコブの神のために住いを造ることを”神に願ったが、
前田訳ダビデは神の前に恵みを受け、ヤコブの神のために住まいをそなえたいと願いました。
新共同ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、
NIVwho enjoyed God's favor and asked that he might provide a dwelling place for the God of Jacob.

7章47節 (しか)して、その(いへ)()てたるはソロモンなりき。[引照]

口語訳けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。
塚本訳(実際に)“その家を建てたのは(子の)ソロモン(王)であった。
前田訳それでソロモンが神のために家を建てました。
新共同神のために家を建てたのはソロモンでした。
NIVBut it was Solomon who built the house for him.
註解: Uサム7:2以下。神の前に恩恵を得しダビデはエホバの宮(住処)を設くる事を許されず、却って信仰に於てダビデに劣り、その行為に於て多くの不信仰を示せるソロモンが神の宮を建てた。これを見ても神の宮そのものは重大なる意義が無い事を見得べき筈である。
辞解
[住処] skênôma は「幕屋」skênê を一層立派にしたもの
[家] oikos はその更に完全せるもの、ダビデが宮を「住処」と呼んだのは謙遜の心持からである。

7章48節 されど至高者(いとたかきもの)()にて(つく)れる(ところ)()(たま)はず、(すなは)預言者(よげんしゃ)[引照]

口語訳しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、
塚本訳しかし(それは御心にそむいたことで、)いと高きお方は(偶像とちがい、人間の)手で造ったものの中にはお住みにならない。預言者(イザヤ)が言うとおりである。
前田訳しかしいと高き方は手で造ったものの中にはお住みになりません。預言者がいうとおりです、
新共同けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。
NIV"However, the Most High does not live in houses made by men. As the prophet says:

7章49節 (しゅ)宣給(のたま)はく、(てん)()座位(くらゐ)()()足臺(あしだい)なり。(なんぢ)()わが(ため)如何(いか)なる(いへ)をか()てん、わが休息(やすみ)のところは何處(いづこ)なるぞ。[引照]

口語訳『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。
塚本訳“主は言われる、『天はわたしの御座、地はわたしの足台であるのに、どんな家をわたしに建ててくれるのか、どこがわたしの憩いの場所か。
前田訳『主はのたもう、天はわが王座、地はわが足台。あなた方はどんな家をわたしに建ててくれるのか。どこがわたしの休み場か。
新共同『主は言われる。「天はわたしの王座、/地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。
NIV"`Heaven is my throne, and the earth is my footstool. What kind of house will you build for me? says the Lord. Or where will my resting place be?

7章50節 わが()(すべ)(これ)()(もの)(つく)りしにあらずや」と()へるが(ごと)し。[引照]

口語訳これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
塚本訳これらは何もかもわたしの手で造ったもの”ではないのか。』
前田訳これらはすべてわが手が造ったのではないか』と。
新共同これらはすべて、/わたしの手が造ったものではないか。」』
NIVHas not my hand made all these things?'
註解: ステパノはイザ66:1、2を引用して神が人造の住家の中に住み給わざる事を強調し、神の宮のみに神が住み給うと考うる事の誤を指摘している。而してこの思想はダビデも(T歴29:10-19、殊にその16節)ソロモンも(T列8:27U歴6:18)自ら之を認めている処であるので、ステパノの主張はダビデやソロモンの思想を否定したのでなく却って之を肯定し、この根本思想を失って神の宮をその本質以上に尊敬せんとするユダヤ人の迷妄を非難したのである。ステパノは神の宮の存在を否定したのではなく、それをその本質のままに把握せんとしたのである。▲イエスは宮より大なる者であり真の神の宮である。

7章51節 項強(うなじこは)くして(こころ)(みみ)とに割禮(かつれい)なき(もの)よ、(なんぢ)らは(つね)(せい)(れい)(さから)ふ、その先祖達(せんぞたち)(ごと)(なんぢ)らも(しか)り。[引照]

口語訳ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
塚本訳“頑固な、”心も耳も割礼も受けていない人たち!”あなた達はいつも“聖霊に逆らってばかりいる、”先祖と同じにあなた達も。
前田訳頑で、心にも耳にも割礼のない人たち、あなた方はいつも聖霊に逆らっています。先祖のようにあなた方もそうです。
新共同かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
NIV"You stiff-necked people, with uncircumcised hearts and ears! You are just like your fathers: You always resist the Holy Spirit!
註解: 本節よりステパノは直接にユダヤ人らに向ってその不信を攻撃する。彼らは(うなじ)強く頑固にして他人の意見を聞かんとしない。又肉体に割礼あるのみで心と耳とに割礼なく、神の御霊を受くる事も出来ず又之を聞入れる耳を持たない、これが昔のユダヤ人の性質であったと同じく、今日のユダヤ人の性質である。これ迄ステパノの論じて来たイスラエルの歴史とその中にあるユダヤ人の罪とは(ことごと)く現在の彼らを指しているのであるにも関らず彼らは之を悟らなかったのは彼らの(うなじ)強く心と耳とに割礼なき故であった。これ以後のステパノの激しき攻撃はイエスのパリサイ人に対する攻撃を思わしめる。

7章52節 (なんぢ)らの先祖(せんぞ)たちは預言者(よげんしゃ)のうちの(たれ)をか迫害(はくがい)せざりし。(かれ)らは義人(ぎじん)(きた)るを(あらか)じめ()げし(もの)(ころ)し、(なんぢ)らは(いま)この義人(ぎじん)()り、かつ(ころ)(もの)となれり。[引照]

口語訳いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
塚本訳先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもあったというのか。先祖は正しい人(イエス)の来ることを予告した人たちを殺し、今(その正しい人が来ると、)あなた達は彼を裏切り、殺す者となった。
前田訳あなた方の先祖が迫害しなかった預言者がひとりでもありましたか。彼らは正しい方の来臨を予告した人々を殺し、今あなた方はその方の裏切りもの、殺し手になりました。
新共同いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
NIVWas there ever a prophet your fathers did not persecute? They even killed those who predicted the coming of the Righteous One. And now you have betrayed and murdered him--
註解: マタ23:29-36。ルカ11:47-51のイエスの激しき攻撃の御言をそのまま思い浮べる事が出来る。ステパノはその最後の場面に於て非常にイエス御自身に似ていた。ステパノは預言者は「義人」イエスの来臨を預言する人であるとし、この預言者を殺ししユダヤ人の子孫らがイエスを殺すに及んで遂に彼らは完全に先祖の桝目を満し、先祖の罪を完成した事を主張した。ユダヤ人らの憤慨するのも当然である。
辞解
[義人] 直接にイエスを指す、イザ53:11によれるものならん(E0)。尚使3:14使22:14Tペテ3:18Tヨハ2:1参照。

7章53節 なんぢら、御使(みつかひ)たちの(つた)へし律法(おきて)()けて、(なほ)これを(まも)らざりき』[引照]

口語訳あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
塚本訳(不思議はない。)天使たちの命令(でモーセ)によって定められた律法を戴きながら、それを守らなかったあなた達のことだから!」
前田訳あなた方は天使の指図で律法を受けましたが、それを守りませんでした」と。
新共同天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
NIVyou who have received the law that was put into effect through angels but have not obeyed it."
註解: もしモーセの律法を真の意味に於て守るならば預言者の言を理解する筈であり、殊にイエスの真価を認識する筈である。汝らはモーセの律法の末節を固執しつつその本体を守らない、かくして我らをモーセの律法を(かえ)えんとする者として非難するけれども、汝らこそ却ってモーセの律法を守らない者である。
辞解
[御使たちの伝えし] 「御使たちの規定としての」の意、当時アレキサンドリヤのフイローン等の学者の思想として神は極めて高く在し、神と人との間に御使ありて仲介を為すと考えていた。ステパノもこの思想に由ったのである。申33:2の七十人訳に「御使たち」とあり。
要義1 [ステパノの弁論の特徴]ステパノがその殉教の死を前にして、詢々(とうとう)としてイスラエルの歴史を叙述しているのは、一見甚だ冗長なるが如くに見えるけれども、実はユダヤ人に対するステパノの愛が斯くならしめるのであった。ステパノは(いたずら)に相手方を刺激する事に快を覚えんとしたのではなく、如何にかして彼らを悟らしめ、悔改むるに至らしめんとしたのであった。その為に彼は出来るだけ穏かにイスラエルの歴史の要点を彼らに語り、その中に彼の言わんと欲する処をことごとく示し、神がイスラエルに与え給える恩恵による約束とその律法の成就者としてのイエスを彼らに示さんとしたのであった。その意味に於てこの弁論はステパノの愛の表現であり、又その聖霊による智慧と、之によりて見しイスラエル歴史観の発表である。
要義2 [ステパノの歴史観]ステパノの弁論の要旨は彼に対するユダヤ人の攻撃に対する暗黙の反駁(はんばく)である。即ち神の宮を(こぼ)つ事の非難に対しては、神は宮にのみ現れ給わず、メソポタミヤにてもカナンにてもエジプトにてもジナイにても彼らに顕現し給いし事、及び宮の前身たる幕屋も、又宮そのものも、神を容れるに足らざる事は宮の建設者たちも之を知り居たる事を述べて、まことの宮なるイエス・キリストを彼らに示し、イエスを信ずる事が真の神の宮を尊む所以たるを論ず。又モーセの律法を()へんとすとの非難に対しては、律法以前にも既に神の約束はしばしば与えられし事、又イスラエルの人々も既にこの律法授与者たるモーセに叛きし事を述べて彼らの反省を促し、又アブラハム、ヨセフ、モーセ等を以てイエスの型と見、彼らに従わず彼らを()むる者を以てユダヤ人の型と見る事によりて、ステパノを迫害するユダヤ人らの姿をその過去の歴史に反映せしめているのである。この意味に於て技工的にもまことに優れた演説であると云わなければならない。これは彼の愛と真実が彼に与えた智慧と技工である。
要義3 [ステパノの信仰]ステパノの信仰は形式や制度を超越せる絶対的信仰であった。イエスを神の子救主なるメシヤとして信ずる事に彼の信仰の総計があった。夫故に彼は到る処に神を拝する事が出来、又モーセの律法を最も完全なる意味に於て守る事が出来た。霊と真とを以て神を拝し、愛によりて律法を完成するイエスの教がステパノに於て美しき実を結んだのである。

2-5-3 ステパノの殉教 7:54 - 7:60

7章54節 人々(ひとびと)これらの(ことば)()きて(こころ)(いかり)滿()切齒(はがみ)しつつステパノに(むか)ふ。[引照]

口語訳人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
塚本訳これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
前田訳これを聞いて人々は心から怒り、ステパノに向かって歯ぎしりした。
新共同人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
NIVWhen they heard this, they were furious and gnashed their teeth at him.
註解: 彼らはイスラエルの歴史を聴きつつその中に示される原理が彼らに適用される事を少しも悟らず(しばら)くの間ステパノの言に耳を傾けていた。ステパノは彼らの(うなじ)強く心と耳とに無割礼なるを見て耐え切れず、彼らに向って最後の爆弾(51-53節)を投じたので彼らは非常なる怒に充されたのであった。
辞解
[怒に満ち] 使5:33辞解参照。

7章55節 ステパノは(せい)(れい)にて滿()ち、(てん)()(そそ)ぎ、(かみ)榮光(えいくわう)およびイエスの(かみ)(みぎ)()ちたまふを()()ふ、[引照]

口語訳しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
塚本訳しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
前田訳彼は聖霊に満ち、天を見つめ、神の栄光と神の右にお立ちのイエスが見えると、
新共同ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
NIVBut Stephen, full of the Holy Spirit, looked up to heaven and saw the glory of God, and Jesus standing at the right hand of God.
註解: この時ステパノは最早や地上の人ではなくその心は聖霊にて充され、その目は天の光景を眺めていた。その処には神の栄光耀き(イザ6:3)イエス神の右に在す。神の右に坐し給いしイエス(マタ26:64マコ16:19ルカ22:69)はステパノが将に殉教の死を遂げんとするを知り立ち上って之を見守り、ステパノを御許に迎えんとの姿勢を取り給うた。
辞解
[神の右に立つ] ここにのみあらわれ(尚ゼカ3:1)、他は「坐す」なる表顕を用う。イエスの緊張し給える姿と考える事が出来る。

7章56節 ()よ、われ(てん)(ひら)けて(ひと)()の、(かみ)(みぎ)()(たま)ふを()る』[引照]

口語訳そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
塚本訳「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
前田訳こういった、「見よ、天が開けて、人の子が神の右にお立ちなのが見えます」と。
新共同「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
NIV"Look," he said, "I see heaven open and the Son of Man standing at the right hand of God."
註解: ステパノの眼中には迫害者は存在せず唯栄光のイエスのみが見えた。信仰の極致はここにある。
辞解
[人の子] 福音書以外には茲だけで他に用いられない。殉教せんとするステパノは最もイエスの御心に近き状態に在った事がこの一語にもあらわれている。

7章57節 (ここ)(かれ)大聲(おほごゑ)(さけ)びつつ、(みみ)(おほ)(こころ)(ひと)つにして()()り、[引照]

口語訳人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、
塚本訳すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
前田訳人々は大声で叫びつつ耳をふさぎ、いっせいに彼めがけて押しかけ、
新共同人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、
NIVAt this they covered their ears and, yelling at the top of their voices, they all rushed at him,

7章58節 ステパノを(まち)より()ひいだし、(いし)にて()てり。[引照]

口語訳彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
塚本訳彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
前田訳彼を町の外に追い出して石を投げつけた。目撃者たちは自らの上着をサウロという若者の足もとに置いた。
新共同都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
NIVdragged him out of the city and began to stone him. Meanwhile, the witnesses laid their clothes at the feet of a young man named Saul.
註解: 当時議会は死刑を行う権が無かった(ヨハ18:31註参照)。この場合激情の結果の暴行であったけれども議会は之を望んだ事は勿論であり、ローマ政府が之を黙許せるならんと思はれる節が有る。群衆が真理に目覚める事は殆んど無い。
辞解
[大声に叫ぶ] ステパノの弁論を妨げんが為であり、
[耳を掩う] 之を聴かざらんが為である。
[町より逐ひ出し] レビ24:14によりしもの。尚民15:35ルカ4:29ヘブ13:12参照、
[石にて撃つ] 冒涜の罪に対する処罰である。

證人(しょうにん)らその(ころも)をサウロといふ若者(わかもの)足下(あしもと)()けり。

註解: 証人らが先ず彼を石にて撃つべきであった(申17:7)。衣を脱ぎたる所以は、之によりて自由に活動せんが為であった。サウロ後のパウロは当時既に一方の雄であった事が知られる。
辞解
[若者] 25才位より40才位までの人を指す、故にこの一語よりパウロの未婚であった事を証明する事は出来ない(E0)。
[衣を足下に置く] 一肌脱いだ事で大に活躍せんとする身がまえを云う。
[その衣] 証人らの衣。

7章59節 (かく)(かれ)()がステパノを(いし)にて()てるとき、ステパノ()びて()ふ『(しゅ)イエスよ、()(れい)()けたまへ』[引照]

口語訳こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
塚本訳ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
前田訳彼らが石を投げつけていると、ステパノは祈りつづけていった、「主イエス、わが霊をお受けください」と。
新共同人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
NIVWhile they were stoning him, Stephen prayed, "Lord Jesus, receive my spirit."

7章60節 また(ひざま)づきて大聲(おほごゑ)に『(しゅ)よ、この(つみ)(かれ)らに()はせ(たま)ふな』と(よば)はる。()()ひて(ねむり)()けり。[引照]

口語訳そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
塚本訳それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。
前田訳そしてひざまずいて大声で叫んだ、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と。こういって彼は眠りについた。
新共同それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
NIVThen he fell on his knees and cried out, "Lord, do not hold this sin against them." When he had said this, he fell asleep.
註解: ステパノの臨終は主イエスの最後に酷似している。彼の終りまで堅く保ったものは不動の信仰と敵をも愛する愛であった。荒れ狂う敵のただ中に石にて撃たれ迸る血潮にまみれつつ彼は主イエスを呼びその霊を平安の中に彼に委せる事が出来た。又彼に対してあらゆる誤解、非難、暴行を浴せつつあった敵をも愛を以て抱擁し、彼らの罪を彼らの上に置かざらん事を主イエスに祈った。換言すればステパノは愛を以て彼らの罪を自分に引受けたのである。イエスの贖罪の死と同じ心の表われである。斯くして彼は栄光に耀きつつ眠についた。
辞解
[負わせ] 「彼らに帰すな」又は「彼らに置くな」で、彼らの上に彼らの罪を置く意味に取るを可とす。
[眠る] 平和なる死を形容するに最も適当な用語、聖書以外にも用いらる。勿論肉体について言うのであって霊魂までも眠ると云うのではない(C1)。
要義 [ステパノの殉教の意義]ステパノの殉教が当時の人心に非常に大なる影響を与えし事は、之がパウロの回心の一因を為したこと、之が聖書中に詳細に記録される事、又之が為にエルサレムの教会に大なる迫害が起った事等を見ても明かである。多くの殉教の死の中に於て、ステパノの死が殊に偉大なる影響を与えし所以は、彼が徹頭徹尾愛の心を失わなかった事であった。如何なる場合に於ても人を真に感動せしむるものはその雄弁でもなく、豪勇でもなく、又その泰然たる死でもなく、その愛である。