第1コリント第6章
分類
4 教会内の道徳問題
5:1 - 6:20
4-2 信徒相互間の訴訟に就て
6:1 - 6:8
6章1節
口語訳 | あなたがたの中のひとりが、仲間の者と何か争いを起した場合、それを聖徒に訴えないで、正しくない者に訴え出るようなことをするのか。 |
塚本訳 | あなた達のひとりが(信仰の兄弟である)他の人に対して訴訟があるとき、聖徒でなく、(主を信じない)不正な人たちに訴える(ような不見識な)ことを、恥としないのか。 |
前田訳 | あなた方のだれかに他の人と争いがあるとき、聖徒にでなく、あえて不正の人に訴えるのですか。 |
新共同 | あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起こしたとき、聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです。 |
NIV | If any of you has a dispute with another, dare he take it before the ungodly for judgment instead of before the saints? |
註解: 当時コリント信徒相互間に訴訟問題が起つた、そして之を訴うるに当つて信仰を持たない裁判人に訴えたと云う事をパウロは聴き、之を戒めたのが本章1-8節の文字である。
辞解
[聖徒] Tコリ1:2を見よ。
[正しからぬ者] 信徒は神との正しき関係に立つている義しき者であり、未信者は反対に「正しからぬ者」である。凡ての道徳的不義は此の信仰的態度の正しからざるより生ずる結果である。
[敢てする者あらんや] 「敢てする者あるか」と訳するを可とす。
[▲あらんや] 「有りや」とする方正し。
6章2節
口語訳 | それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。そして、世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか。 |
塚本訳 | それとも、(最後の日には)聖徒がこの世を裁くことを、あなた達は知らないのか。そしてあなた達(が着く裁判席)の前でこの世が裁かれるというのに、ごくつまらない事件をさばく資格が、あなた達にはないのか。 |
前田訳 | それとも聖徒が世を裁くことをご存じないのですか。世があなた方の前で裁かれるはずなのに、あなた方はごく小さい事件をも裁けないのですか。 |
新共同 | あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。 |
NIV | Do you not know that the saints will judge the world? And if you are to judge the world, are you not competent to judge trivial cases? |
註解: 未来に於てキリスト再び来り給うふ時、凡ての聖徒は復活又は栄化してキリストと偕に千年の間地上に王となり「世」即ち世の人を審くべき雄大なる資格を持つている者である(マタ19:28。黙2:26、27。黙20:4)。此の事についてパウロは屡々 コリントの信徒に告げたので忘れた筈がない。
辞解
[▲審くべき者] 原語は現在形であるから「審いている者」と訳すべきである。現在でも基督者の存在そのものが世を審いていると見る方が正しい。---要するにパウロは弟子たちに基督者としての衿持(ほこり)を持つべきことを強調している。
註解: 「世界の万民をすら審くべき資格ある信徒が、信徒間の小紛争を審き得ない筈は無い。然るに、汝ら之を未信者に訴うるとは何事であるか。」
6章3節 なんぢら
口語訳 | あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。 |
塚本訳 | わたし達は(かの日)天使をさえ裁くのだ、まして日常のことはなおさらであるということを、あなた達は知らないのか。 |
前田訳 | われらは天使たちをも裁くことをご存じないのですか。まして日常のことをです。 |
新共同 | わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか。まして、日常の生活にかかわる事は言うまでもありません。 |
NIV | Do you not know that we will judge angels? How much more the things of this life! |
註解: パウロは更に再び「汝ら知らぬか」と繰返し、かつて彼等に語れる事柄を忘却せるが如き彼等の態度を叱責している。即ち基督者はやがてはキリストの花嫁となり、彼と同じく神の子たる資絡を受け、宇宙万物を従わすべき運命を持つているのである(ヘブ2:6以下)。故にやがては天の使よりも高き位に挙げられ、彼らをも審くの地位に立つのであつて、此の事を考うるならば此の世の些事 を審く如きは、彼らに取つて容易の事柄であるべき筈である。
6章4節
口語訳 | それだのに、この世の事件が起ると、教会で軽んじられている人たちを、裁判の席につかせるのか。 |
塚本訳 | あなた達は日常のことの事件がある場合に、(日ごろ)集会で軽蔑されている(不正な)人たち、あんな者を裁判席に着かせるのか。 |
前田訳 | もし日常のことで争いがおこると、集まりの中で軽んぜられている人たちを裁きの座につかせるのですか。 |
新共同 | それなのに、あなたがたは、日常の生活にかかわる争いが起きると、教会では疎んじられている人たちを裁判官の席に着かせるのですか。 |
NIV | Therefore, if you have disputes about such matters, appoint as judges even men of little account in the church! |
6章5節 わが
口語訳 | わたしがこう言うのは、あなたがたをはずかしめるためである。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することができるほどの知者は、ひとりもいないのか。 |
塚本訳 | あなた達を辱めるために言うのだ。そんなに、あなた達の間には、兄弟と兄弟との間を調停することの出来る分別のある人が、たった一人もないのか。 |
前田訳 | あなた方をはずかしめるためにこういうのです。このように、あなた方の中には、兄弟の間を整えうるような知恵者がひとりもいないのですか。 |
新共同 | あなたがたを恥じ入らせるために、わたしは言っています。あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。 |
NIV | I say this to shame you. Is it possible that there is nobody among you wise enough to judge a dispute between believers? |
註解: 基督信徒の身分、資格はかく高いにも関らず之を忘れて、教会にて軽視している未信者をして審判人たらしむる事は非常なる恥辱では無いか。かく云うは必ずしも兄弟の前に訴うる事がよいと云う意味ではない、唯汝らをして良心に恥ぢしめんがためである。
辞解
[坐らしむるか] 「坐らしむ」又は「坐らしめよ」とも訳する事が出来る、最後の解釈をとる人は「教会にて軽しむる所のもの」をば「教会の中にて最も無能なる人」を意味するものと解している。かく解すれば全文が一の皮肉となり、5節との連絡には適切となるの長所がある。「坐らしむ」は単に事実を事実として述べたのである、意味は「坐らしむるか」と異らない。何れにしても結局、パウロの言わんとする目的には何等の変化もない。
口語訳 | しかるに、兄弟が兄弟を訴え、しかもそれを不信者の前に持ち出すのか。 |
塚本訳 | それどころか、兄弟が兄弟を訴え、しかも不信者の(裁判席の)前に持ち出すのか。 |
前田訳 | それで、兄弟同士裁かれ、しかもそれを不信者の前でするのですか。 |
新共同 | 兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で。 |
NIV | But instead, one brother goes to law against another--and this in front of unbelievers! |
6章7節
口語訳 | そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。 |
塚本訳 | その上、そもそも(信仰の兄弟でありながら)、互に裁判沙汰にすることが、すでにあなた達の失敗である。なぜむしろ不正をさせないのか。なぜむしろ奪い取られないのか。 |
前田訳 | そもそも互いに争いがあることが、すでにあなた方の敗北です。なぜむしろ不義を受けませんか。なぜむしろだまし取られませんか。 |
新共同 | そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。 |
NIV | The very fact that you have lawsuits among you means you have been completely defeated already. Why not rather be wronged? Why not rather be cheated? |
註解: 兄弟同志の争を兄弟の間で処埋するならばせめてもの事であるのに、是すら為さずして不信者なる裁判官に訴うる事は実に言語道断で全く論外である。前に兄弟が審き人となるべき事を言つたのは、未信者の前に訴えるに比して優つている事を言つたに過ぎないのであつて実は互に訴うる事すら既に大体間違つている。基督者として取るべき真の態度は不義を受けて之に反抗せず、寧ろ欺かれて欺き返さぬ事である。「人もし汝の右の頬をうたば左をも向けよ。なんぢを訴えて下衣を取らんとする者には上衣をも取らせよ」(マタ5:39、40)。基督者の愛はかかる者の悔改むることのみを望むのであつて、自己の利益を主張する事を考えない。故に基督者に取つて訴訟は無用である。「主の僕は争うべからず」(Uテモ2:24)、パウロは遂に此の最後の断案に達したのである。
6章8節
口語訳 | しかるに、あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである。 |
塚本訳 | あなた達は自分の方でかえって不正をし、奪い取っている、しかも兄弟たちに対して。 |
前田訳 | あなた方こそ不義をし、だまし取り、しかもそれを兄弟に向かってしています。 |
新共同 | それどころか、あなたがたは不義を行い、奪い取っています。しかも、兄弟たちに対してそういうことをしている。 |
NIV | Instead, you yourselves cheat and do wrong, and you do this to your brothers. |
註解: 基督者は前節の如き高き理想を持つべきものであるのに、汝らは此の理想を実現せざるのみならず、信徒相互の間に不義や詐欺を行つている事は甚 だしき堕落と云わなければならない。此の一節を連鎖としてパウロは次節より11節まで兄弟達が益々聖潔に進むべき事を教えている。
要義 [信徒相互の訴訟に対するパウロの態度]パウロの態度の最も尊き点、即ち霊の導きの豊である事を思わしむる点は、最も恥づべき信徒相互の訴訟沙汰に対し、単に普通に行われる如き平凡なる訓戒を与えず深く信仰の奥義に立ちて之を批評訓戒した点であった。彼によれば基督者としての最良の態度は全く訴訟を為さず、不義を受け詐欺にかかっても之を意に止めずに相手方を愛して行く事であった。是が敵を愛する者の当然の態度である。之が出来ない場合には、せめて信者同志の間で此の問題を解決すべき事がパウロの願であった。それは世間一般の考の如くに、外聞が悪いからでは無く、聖徒には元来その資格が充分に備わっているからであった。斯くパウロは一時の便宜や虚栄的立場より此の問題を解決しようとはせずに、深く信徒の信仰の本質、及びその身分の如何を示し、此の根本原則よりこの問題を解決しようとしたのである。夫故に此の解決は今日も尚お其の力を失わない。
6章9節
口語訳 | それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、 |
塚本訳 | それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、 |
前田訳 | それとも、不義の者どもは神の国を嗣がないであろうことをご存じないのですか。まちがわないでください。不品行のものも、偶像礼拝者も、姦淫するものも、男娼も、男色するものも、 |
新共同 | 正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、 |
NIV | Do you not know that the wicked will not inherit the kingdom of God? Do not be deceived: Neither the sexually immoral nor idolaters nor adulterers nor male prostitutes nor homosexual offenders |
註解: 前節に示すが如き不義者は神の子ではない悪魔の子である、故に神の国の世嗣となる事が出来ない。
6章10節
口語訳 | 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。 |
塚本訳 | 泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない。 |
前田訳 | 盗人も、貧欲なものも、酒酔い、そしるもの、略奪者も、神の国を嗣がないでしょう。 |
新共同 | 泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。 |
NIV | nor thieves nor the greedy nor drunkards nor slanderers nor swindlers will inherit the kingdom of God. |
註解: 信仰を持ちて信徒の仲間に入つてさえ居れば、如何なる行為をするとも神の子とされる事は確実であると考うる無律法主義的理論(アノミズム)を作つて自ら欺いていた信徒があつたのであろう。パウロは「自ら欺くな」と称して之を戒めている。「淫行のもの」以下の罪悪の列挙は、之によりて凡ての罪悪を網羅したのではなく、当時コリントに於て一般に行われ、何人も之を重大なる罪悪と認め得るものを列挙したに過ぎない。淫行、姦淫、男娼、男色は肉慾の罪であつて其の中に偶像崇拝を加えているのは、是が前掲諸罪悪に密接の関係があつた事恰 も今日の日本の淫祠 (=邪神を祭ったやしろ:広辞苑)に於けるが如くであつたからであろう。盗、貪欲、罵言、掠奪は人に対する罪であつて其の中に酔酒を加えたのは、是が同じく前掲の罪と密接の関係があるからであろう。かかる事を常に行つているものが神の国を嗣ぐ事能わざるは勿論である。之を見ても汝らが目下陥つている第8節の罪は之に比すべき罪である以上、之を除かなければ神の国を嗣ぐ事が出来ない。▲「信仰のみで救われる」とは信仰さえあればどんな悪事を為しても良いと云う意味ではない事勿論である。
6章11節
口語訳 | あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。 |
塚本訳 | そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。 |
前田訳 | あなた方の何人かは前にこのようでした。しかし主イエス・キリストの名とわれらの神の霊によってあなた方は洗われ、きよめられ、義とされたのです。 |
新共同 | あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。 |
NIV | And that is what some of you were. But you were washed, you were sanctified, you were justified in the name of the Lord Jesus Christ and by the Spirit of our God. |
註解: コリントの信徒の以前の状態と、信仰に入りてよりの状態との間に如何に大なる差異がある筈であるかを茲に示して、コリントの教会の中には少しの罪も残存すべからざることを教えている。即ち基督者は恰 も洗礼の形式がよく之を表徴するが如くにキリストの御名に入れられてキリストに属し、聖霊のバプテスマにより凡ての罪を「洗われ」、神のものとして「聖め別たれ」、神の前に[義なるものとせられ]たものである。即ち一般のコリント人とコリントの信者とは全く異つた状態にいるのであつて 此の貴き資格を与えられし信徒が未信者と同じ道徳状態にいる事は有り得べからざる事である。信徒は此の資格を顧みて慎まなければならぬ。
附記 11節に就て。「己を洗い、かつ潔められ、かつ義とせられる事を得たり」なる一節につき解釈上議論が起り易い点は、普通の順序は此の三つの階段を逆に経過するからである。人は信仰によりて義とせられ、聖別せられ、(茲に潔められと訳されている)そして罪より洗われるのである。然るに茲には順序が転倒しているので、是等の語を普通の意義と異る意味に解せんとしている学者もある。乍併それは必要ではない。パウロは茲には主として聖潔について論じているのであって、先づ始めにその事を叙し、その余勢が及んで「義とせられし事」即ち最初の原因にまで説き及ぼしたのと見る事が出来よう。
註解: コリントの信徒に対しては前数節の一般的訓戒のみでは足らないのであつて、特に淫行を避くべき事を教うる必要があつた。其故は当時コリントに於ては淫風が盛であり、人々別に之を罪と思わず、基督者も亦種々の口実を設けて此の罪を是認していたからである。而して当時コリント人等が淫行の口実としていた処のものは、「性慾は食慾と同じ事である、之を適当に満足することは何等差支が無い」と云う事であつた。パウロは之に対し淫行の根本的悪であることを示したのである。
6章12節
口語訳 | すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。 |
塚本訳 | 「万事はわたしに自由である」(とあなた達は言う。そのとおり。キリストを信ずる者はモーセ律法にも縛られない。)しかし万事が有益ではない。(たしかに)「万事はわたしに自由である」。しかしわたしは何ものにも支配されようとは思わない。(キリストによって自由であるわたしは、肉の欲に支配されない。) |
前田訳 | すべてがわたしに許されていますが、すべてが役立つわけではありません。すべてがわたしに許されていますが、わたしは何ものにも支配されますまい。 |
新共同 | 「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。 |
NIV | "Everything is permissible for me"--but not everything is beneficial. "Everything is permissible for me"--but I will not be mastered by anything. |
註解: 「一切のもの我に可からざるなし」とは恐らくパウロがコリントの信徒に向つて常に語つていた格言であろう(Tコリ10:23。ロマ8:28)。食慾も性慾も皆神の創造り給えるもので結構なものである。だからと云つて我らそれに支配されてはならない。又凡てのものが何時も益を与えると限らない。其処に注意と分別とを必要とする。
6章13節
口語訳 | 食物は腹のため、腹は食物のためである。しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。 |
塚本訳 | (肉の欲と言っても一様にはゆかない。あなた達のいうとおり、)「食べ物は腹のため、腹は食べ物のためにある」。しかし神はそれをもこれをも消えゆかせられるのである。これに反して、体は不品行のためにあるのでなく、主の(御用の)ためにあり、主は(わたし達の)体のために(命をすてられたので)ある。 |
前田訳 | 食物は腹のため、腹は食物のためです。しかし神はどちらをも滅ぼしたまいます。体は不品行のためでなく主のためであり、主は体のためです。 |
新共同 | 食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。 |
NIV | "Food for the stomach and the stomach for food"--but God will destroy them both. The body is not meant for sexual immorality, but for the Lord, and the Lord for the body. |
6章14節
口語訳 | そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。 |
塚本訳 | そして神は主を生きかえさらせたばかりか、(最後の日には)わたし達(の体)をも御力をもって生きかえらせてくださるのである。 |
前田訳 | 神は主をよみがえらせたまいました。そのみ力によってわれらをもよみがえらせたもうでしょう。 |
新共同 | 神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。 |
NIV | By his power God raised the Lord from the dead, and he will raise us also. |
註解: 此の二節は一の対句の形をなし食慾と性慾即ち飲食と淫行との間には重大なる差異がある事を示す。即ち食物は腹のため腹は食物のためで其の中の一が欠ければ他は存在の意義を失い、「身は主のため主はまた身のため」であつて主イエス・キリストと我らの身との間に食物と腹との関係の如き密接なる関係がある点に於ては互に相似ている。けれども、やがて世の終末に至り、我らの復活に際しては、食物も腹も皆亡ぼされて存在を失うべき性質のものであるのに反し、身はキリストと共に神の能力によりて復活せられるのである。前者は滅亡に定められし一時的の関係であり後者は不滅に定められし永遠の関係である点に於て此のニ者に著しき差別があるのである。
辞解
[身] 原語は sôma であつて全体を意味し、血、肉、肢体、霊魂等の如き個別的のものでは無く、是等の種々なるものが結合したる体を意味する。淫行は此の「身」全体に関聯せる行為である。
6章15節
口語訳 | あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。 |
塚本訳 | あなた達は知らないのか、あなた達の体は(すでに)キリストの器官であることを。(もちろん、知っているはずだ。)では、わたしはキリストの器官(であるこのわたしの体)を取って、遊女の器官にしてよいだろうか。もっての外だ。 |
前田訳 | ご存じないのですか、あなた方の体はキリストの肢体であることを。それなのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体にすべきですか。断じて否です。 |
新共同 | あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。 |
NIV | Do you not know that your bodies are members of Christ himself? Shall I then take the members of Christ and unite them with a prostitute? Never! |
註解: 「キリストは教会の首、教会は其の肢体である事は既に幾度か之を告げたでは無いか。故に汝等はキリストと不可離の関係に立つている者である事を考えなけれはばならぬ。」(エペ1:23。エペ5:30)
6章16節
口語訳 | それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。 |
塚本訳 | それとも、遊女に結びつく者はそれと一つの体であることを、あなた達は知らないのか。“二人は一体となる”と(聖書は)言うではないか。 |
前田訳 | それとも、遊女につくものはひとつ体になることをご存じないのですか。「ふたりがひとつ肉体になる」と聖書にいわれています。 |
新共同 | 娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。 |
NIV | Do you not know that he who unites himself with a prostitute is one with her in body? For it is said, "The two will become one flesh." |
註解: 男女は其の結合によりて一体となる事は天地創造の時の神の御旨であつた。パウロは此の聖句を引用して(引照2)淫行を行う者はキリストの肢体たる身分から切り離されて遊女と一体となるものであつて、従つて滅亡に至るべき事を教えたのである。此の行為がキリストに与える苦痛は此の意味からも之を察することが出来、又此の罪の如何に重き罪であるかをも知る事が出来る。
口語訳 | しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。 |
塚本訳 | しかし主に結びつく者は(主と一つの体、)一つの霊になるのである。 |
前田訳 | 主につくものはひとつ霊になります。 |
新共同 | しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。 |
NIV | But he who unites himself with the Lord is one with him in spirit. |
註解: 信者はキリストと霊的一体の関係に入るのであつて、身も魂も皆神のものとなつてしまい、之を離す事が出来ない状態に入るのである。故に淫行を行う事が出来ない(Tヨハ3:6)。
6章18節
口語訳 | 不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。 |
塚本訳 | 不品行から逃げよ。人のおかすどんな罪も、体の外にある。しかし不品行をする者は、自分の体、(キリストの体、神のお宮)に対して罪を犯すのである。 |
前田訳 | 不品行をお逃げなさい。人が犯すすべての罪は体の外のことです。しかし不品行をするものは自らの体の中へと罪を犯すのです。 |
新共同 | みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。 |
NIV | Flee from sexual immorality. All other sins a man commits are outside his body, but he who sins sexually sins against his own body. |
註解: 悪魔に対しては之に立向ひ、之と戦うべきであり、淫行に対しては之より逃げて之を避くべきである。人は身の外即ち外界に対して罪を犯すのであつて、「窃盗」は他人の財産に損害を与え「殺人」は他人の生命を奪い、其他父母を敬い、貪慾を戒むる等、皆「身の外」に対して影響を与える罪を戒めているのである。然るに淫行は「自己の身に対して罪を犯すなり(私訳)」、であつで一種特別の性質を持つた罪である事を知らなければならない。
6章19節
口語訳 | あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 |
塚本訳 | それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。 |
前田訳 | それともご存じないのですか、あなた方の体はあなた方の中にある聖霊の宮で、神から受けたものであり、自分のものでないことを。 |
新共同 | 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。 |
NIV | Do you not know that your body is a temple of the Holy Spirit, who is in you, whom you have received from God? You are not your own; |
註解: 我らはキリストを信ずる事によリ聖霊によりて新に生れ、聖霊我らの中に宿り給う。故に我らの身は最早や我らのものではなく、神のものであり、神の宮である。故に我らは己の慾に従つて淫行を行い之を汚してはならない(ガラ5:16)。却て我らの中に住み給う聖霊に全身を渡し、自由に之を使用していただくべきものである。
6章20節
口語訳 | あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。 |
塚本訳 | なぜというのか。あなた達は(キリストの血の)代価を払って買われたのである。だからあなた達の体をもって神を賛美せよ。 |
前田訳 | あなた方は代価をもって買われたのです。あなた方の体で神の栄光をあらわしてください。 |
新共同 | あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。 |
NIV | you were bought at a price. Therefore honor God with your body. |
註解: 「汝らは大なる価、即ちキリストを代価として神より贖われたものである(テト2:14)。然るにも関わらずその身を以て神の栄光を汚すならば、神の前に罪の重き事幾何 ぞや、汝らは宜しく其の全身を以て神の栄光を顕わし、一言一行の微に至るまで神の栄光とならなければならない。淫行の如きは此の栄光を汚す最大の罪悪である」。
要義1 [淫行の罪の特に重き罪なる所以]此の世の人々に取って淫行は重大なる罪では無い。勿論此の世の人々の中にも淫行を避けよとの教訓が無いではない。乍併其の理由とする処は極めて薄弱なる便宜主義から来ているのであって淫行は或は悪疾 を招く事、又は財産を振蕩 する事、又は信用を失う事、又は時間を空費する事、或は事業を疎 にする事等の理由より之を否としているに過ぎない。夫故に是等の理由を一々注意して防ぐならば淫行は絶対の罪悪にはなり得ないのである。故に神とキリストとを知らざる社会に於てはそのコリントたると日本たるとを問わず淫行は飲食と大差なき本能行為とになされているのである。乍併神は人間の身をその宮として其の中に宿り、我らをキリストの身体として彼と一体とならん事を熱望し給う。神は我らがサタンに囚われているのを忍ぶ事が出来ない。故にキリストを以て我らを贖い給うたのである。かくしてキリストの身体となり聖霊の宮となったものに取って、淫行は重大なる罪となって来る事は上記パウロの説明によりて明かである。淫行に関するかかる根本的否定は神とキリストとを知らざる他の宗教や哲学に於て之を見る事が出来ない。
要義2 [夫婦関係と淫行との別]然らば何故に夫婦関係は我らをキリストから離して妻又は夫と一体たらしむる事とならないのであろうか。『二人のもの一体となるべし』なる語は夫婦の関係に就て云われたのである以上、かかる疑問が第16節に就て起り得るのである。乍併夫婦は神の合せ給えるものであって、此の夫婦は一体として更に共にキリストに連 りて一体となるのである。然るに淫行は神の合せ給えるものでは無い。故に遊女と一体となる者は神の意思に反して居り、キリストとの一体の関係を破壊するのであって、夫婦の関係とは全く異っている。
要義3 [凡てのもの我によからざるなし]基督教以外の哲学の中には人間の肉体は凡ての肉慾と共に悪であり、此の肉慾を殺し、肉体を離れて霊界に活きる事が善であるとの思想が多く行われていた。之に対しパウロは人間の肉体も肉慾も、又その霊魂も皆神の創造り給えるもので「我によからざるなし」である。唯之を神の御旨に遵 って働かする事が善であり、自己の意思、悪魔の命に遵 って働かする事が悪であると云うのである。故に禁慾主義にあらずして而も禁慾主義の長所なる厳格さを有し、快楽主義にあらずして而も天より賜われる快楽を感謝を以て味う者は基督者である。
附記 [汝ら知らずや]なる語はコリント前書、殊にその6章に非常に多く繰返されている(2、3、9、15、16、19)。是れパウロが既に是らの事については繰返しコリント人に告げていた事を示しているのであって、彼らが如何に頭脳の信者であり、その心が新になっていなかったかを表わしているのである。知るのみであって之を行わない者の最良の例としてコリントの信徒を挙げる事が出来るのは、彼等に取って大なる不名誉である。
第1コリント第7章
分類
5 結婚問題に就て
7:1 - 7:40
5-1 独身生活と結婚生活の優劣
7:1 - 7:9
註解: 当時コリントの信徒間には一方前章の如き堕落が行われたと共に、他方真面目に純潔なる生活を送らんと熱望する者があつた。其の結果種々の疑問を生じ、是をパウロに書き送つて(1節)その意見をもとめたた。その疑問は(1)結婚生活と独身生活と何れを選ぶべきか(答1-9)、(2)若し既に結婚生活を送つている者、殊に其の一方が未信者なる場合には如何にすべきか(答10-16)(3)自己の地位身分を如何に処理すべきか(答17-24)(4)処女及寡婦は結婚せしむべきか(答25-40)等であつた。パウロは順を逐うて之に対し答を与えている。キリストの再臨が近いと云うことが、パウロの答の全体を貫く骨子である。
7章1節
口語訳 | さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。 |
塚本訳 | また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。 |
前田訳 | あなた方がお書きのことについてですが、男が女に触れないのはよいことです。 |
新共同 | そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。 |
NIV | Now for the matters you wrote about: It is good for a man not to marry. |
註解: パウロは先づ第一に人は必ず結婚しなければならぬものでは無い。独身生活で結構である、独身生活を送ると云う事は本来立派な事である。殊にキリストの再臨も近い事であれば尚更であると教えている。
辞解
[善しとす] 茲では道徳的善悪の意味では無い、即ち独身生活が善で結婚生活が罪悪であると云うのでは無い。パウロはかかる思想を決して持たなかつた。茲では「結構である」との意味である。
[何々に就きては] 此の用語は先方よりの質問に答うる形であつて尚Tコリ7:25。Tコリ8:1。Tコリ12:1。Tコリ16:1、Tコリ16:12。
7章2節
口語訳 | しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。 |
塚本訳 | ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。 |
前田訳 | しかし、不品行を避けるために、男はおのおのその妻を持ち、女はおのおのその夫をお持ちなさい。 |
新共同 | しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。 |
NIV | But since there is so much immorality, each man should have his own wife, and each woman her own husband. |
註解: パウロは茲で結婚の動機及本質が単に淫行を免れるが為である事を言うのでは無い。彼は結婚の意義が更に深く潔いものである事を知つていた(エペ5:22-33)。唯茲では独身生活は結構ではあるが、淫行の罪に陥る恐があるから、独身生活をして此の罪に陥るよりは、之を免れん為めに各結婚すベし、而も一夫一妻の関係に入るべしと云う意味である。
7章3節
口語訳 | 夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。 |
塚本訳 | 夫は妻に対して(夫婦の)務めを果たせ、妻も同様に夫に対して務めを果たせ。 |
前田訳 | 夫は妻に、妻は同じく夫に、その分を果たしなさい。 |
新共同 | 夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。 |
NIV | The husband should fulfill his marital duty to his wife, and likewise the wife to her husband. |
註解: 結婚した者も純潔なる生活を送るが為めに性交を断つべしとの意見に対して反対し互に其の分を尽すべきを示す。
7章4節
口語訳 | 妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。 |
塚本訳 | (夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。 |
前田訳 | 妻は自らの体を意のままにしえず、夫がそうしえます。同様に夫も自らの体を意のままにしえず、妻がそうしえます。 |
新共同 | 妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。 |
NIV | The wife's body does not belong to her alone but also to her husband. In the same way, the husband's body does not belong to him alone but also to his wife. |
註解: 夫婦の身は性的関係に於て最早や自分の自由に処置すべきものでは無く、他の一方が之を支配しているのである。
7章5節
口語訳 | 互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。 |
塚本訳 | 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。 |
前田訳 | 互いに遠ざけないようになさい。ただ、合意の上で、しばらくの間、祈りに身をささげ、ふたたびいっしょになるのは別です。それは自制力のないとき、サタンがあなた方を誘惑しないためです。 |
新共同 | 互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。 |
NIV | Do not deprive each other except by mutual consent and for a time, so that you may devote yourselves to prayer. Then come together again so that Satan will not tempt you because of your lack of self-control. |
註解: 婚姻生活は同棲の生活であつて、性的結合を継続すべきである、之を拒む事は却て不自然であり、之によつて情の禁じ難きに至り、サタンの誘う処となり淫行の罪に陥る恐がある。但し専心祈りに従事する為めに一定の時日の間、合意にて別れる事は此の限りでは無い。旧約時代に於ても、聖所に近付く場合等には(出19:15。Tサム21:5)婦人を近付けなかつた。重大なる場合に専心に祈らんとする時は此の種の節制は必要である。異本に「断食と祈」とあるけれども後日の挿入である。
7章6節 されど
口語訳 | 以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。 |
塚本訳 | (今わたしは妻を持った方がよいと言ったが、)しかしこれは(あなた達の弱さを思いやって)譲歩して言うのであって、命令するのではない。 |
前田訳 | これをいうのは譲歩であって、命令ではありません。 |
新共同 | もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。 |
NIV | I say this as a concession, not as a command. |
註解: 「即ち第2節に「各人結婚すべし」と薦めたのは之を命令する意味では無く、差支が無いとの意見を述べたに過ぎない」。第3-5節は本論より分れて岐論に入つたのであつて結婚生活者の義務を示していて、結婚生活の可否とは別の問題に亘 つている。第6節は再び第2節に連絡している(異説あり)。
7章7節 わが
口語訳 | わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている。 |
塚本訳 | (欲を言えば、)人が皆、わたしのよう(に独身)であってもらいたい。しかしそれぞれ神からいただいた独自の賜物があって、この人はこう、あの人はこうである。(独身も恩恵、結婚も恩恵である。) |
前田訳 | わたしが願うのは、すべての人がわたしのようであることです。しかし、おのおのが神からの賜物を持っています。この人はこのように、あの人はあのようにです。 |
新共同 | わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。 |
NIV | I wish that all men were as I am. But each man has his own gift from God; one has this gift, another has that. |
註解: 「結婚生活は差支が無いけれども、我が希望を云うならば我が如く独身生活を送る事である。併し乍ら是は独身生活を送るべき賜物(肉体的又は精神的、又は双方の)を受けているもののみ之を能 くするのであつて、キリストも既に此の事を我らに示し給うた(マタ19:10-12)。賜物が異れば、其の生活も自ら異らざるを得ない。」
7章8節
口語訳 | 次に、未婚者たちとやもめたちとに言うが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。 |
塚本訳 | しかし独身の者および寡婦に言う、もしわたしのようにして通すならば、それが(一番)よい。 |
前田訳 | 独身の男性とやもめの女性に申します、わたしのようにしているのはよいことです。 |
新共同 | 未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。 |
NIV | Now to the unmarried and the widows I say: It is good for them to stay unmarried, as I am. |
註解: 茲に「婚姻せぬ者」と訳せられし語の原語は「配偶者なきもの」の意であつて時に未婚の女にも用いるけれども、茲では主として未婚の男子及び妻を失える男を指していると見るべきである。何となれぼ「処女」に就ては25節以下に言つているからである。パウロはかかる人々がパウロと同じく独身生活を送る事が彼らの為めに宜 しい事である事を繰返している。蓋しパウロはキリストの再臨が近きことを感じていたからである。尚其の理由につきでは26節註及び40節要義一を見よ。
7章9節 もし
口語訳 | しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。 |
塚本訳 | しかし自制ができないのなら、結婚せよ。情欲に燃えるより、結婚する方が善いからである。 |
前田訳 | 自制できなければ結婚なさい。情に燃えるよりは結婚する方がよいからです。 |
新共同 | しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。 |
NIV | But if they cannot control themselves, they should marry, for it is better to marry than to burn with passion. |
註解: 独身生活の賜物が無い場合に独身生活を送るのは宜 しくない、かかる人は肉の慾のために胸が燃え、之によりてキリストを忘れキリストに対する忠誠を失う危険がある。故に婚姻はある意味に於て煩労ではあるけれども(Tコリ7:28-34)胸が燃えるに比して勝つている。
7章10節 われ
口語訳 | 更に、結婚している者たちに命じる。命じるのは、わたしではなく主であるが、妻は夫から別れてはいけない。 |
塚本訳 | しかし結婚した者に命ずる、命ずるのはわたしではなく主である。妻は夫と別れてはならない。 |
前田訳 | 結婚した人たちに命じます。わたしでなくて主がお命じです。妻は夫から別れてはなりません。 |
新共同 | 更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。 |
NIV | To the married I give this command (not I, but the Lord): A wife must not separate from her husband. |
註解: 「婚姻したる者」とは8節及12節の人々以外のものであつて即ち夫婦の双方とも基督教徒の場合である。かかる者はキリストの命により(マタ5:32其他)姦淫の場合以外は絶対に離婚すべきでは無い。パウロが「命ずるは我にあらず主なり」と附言せる所以は12節25節等の場合と異る事を示す。
7章11節 もし
口語訳 | (しかし、万一別れているなら、結婚しないでいるか、それとも夫と和解するかしなさい)。また夫も妻と離婚してはならない。 |
塚本訳 | ──しかし別れたのなら、独身でいるか、夫と仲直りをせよ。──夫も妻と離婚してはならない。 |
前田訳 | もしそれでも別れたならば、結婚せずにいるか、夫と和解するかになさい。夫は妻を離別してはなりません。 |
新共同 | ――既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。――また、夫は妻を離縁してはいけない。 |
NIV | But if she does, she must remain unmarried or else be reconciled to her husband. And a husband must not divorce his wife. |
註解: 基督者の夫婦と雖も事実別居の不幸が絶無であるとは限らない。(パウロはかかる事実を事実として取扱つている。)かかる場合に他に嫁ぐならばそれは姦淫である(マタ5:32)。それ故に嫁がずに居りて帰復の機会を作る事が当然の必要である。パウロは此の意味に於て「嫁がずに居」る事をすすめたのである。而してパウロは独身生活をすすめているにも関わらず、かかる機会を利用して別居生活を奨励するが如き事をしない。
註解: 10節の妻に対する訓戒と同一事である。妻よりは「別る」と云い、夫よりは「去る」と云つたのは東洋の思想習慣により夫を基本として言つているのである。
7章12節 その
口語訳 | そのほかの人々に言う。これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。 |
塚本訳 | しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。 |
前田訳 | その他の人々に、主でなくわたしが申します。兄弟に信者でない妻があり、彼女がこころよくいっしょに住むならば、彼女を離別してはなりません。 |
新共同 | その他の人たちに対しては、主ではなくわたしが言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。 |
NIV | To the rest I say this (I, not the Lord): If any brother has a wife who is not a believer and she is willing to live with him, he must not divorce her. |
7章13節 また
口語訳 | また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。 |
塚本訳 | また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。 |
前田訳 | 信者でない夫のある妻は、彼がこころよくいっしょに住むならば、彼を離別してはなりません。 |
新共同 | また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。 |
NIV | And if a woman has a husband who is not a believer and he is willing to live with her, she must not divorce him. |
註解: 夫が信者で妻が不信者なる場合又は妻が信者で夫が不信者なる場合に対するパウロの態度を茲に示している。かかる状態は夫婦の一方のみが先に信仰に入りし場合、又は信者と未信者との結婚によつて生じて来る。キリストはかかる場合につきて教訓を与え給わなかつた。而してパウロも亦自己の判断が直接に主より霊感によつて受けているとの自信も無かつた。夫故に彼は特に自己の意見なる事を附言し、而して後、かかる場合には不信者なる一方の希望にまかすべきである事を教えている。是れ最も人情に叶い、事実に適合している処置である事は明かであるけれども、不信者により此の結婚が汚れたものとならないかどうか、と云う問題が尚お当時の信者の心に残されし疑問であつた。パウロは是に対し次の如くに説明している。
7章14節 そは
口語訳 | なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。 |
塚本訳 | (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。 |
前田訳 | それは、信者でない夫は妻によってきよめられており、信者でない妻は夫によってきよめられているからです。そうでなければあなた方の子は汚れているのですが、現に彼らはきよいのです。 |
新共同 | なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。 |
NIV | For the unbelieving husband has been sanctified through his wife, and the unbelieving wife has been sanctified through her believing husband. Otherwise your children would be unclean, but as it is, they are holy. |
註解: 難解の一節である。蓋しパウロは常に家族が神の目に一体である事を信じていた(使16:31)。而して神の力と暗黒の力とが相合する時には、神の力が必ず勝つべきものなる事も亦彼の信仰であつた。夫故に一体となれる夫婦の一方が未信者なる場合に於て、他の一方の信仰によりて未信者も潔くなり、聖別せられしものと認められると云うのである(ロマ11:16。Tテモ4:5)
註解: (▲幼児洗礼の問題については附記2参照)「汝ら」とある点より見れば、信者全体を意味していると見なければならない。子供はその信者より生れしと未信者より生れしとを論ぜず、アダムの子として皆罪人である。然るに信者の子は(夫婦の一方が未信者であつても)潔いものと見られていた、即ち信者の如くに取扱われていた。其の理由は其子はその親の信仰によりて潔くせられたからである。故にパウロは言う「若し夫婦の一方の信仰によりて他方が潔くせられないものならば、同じ理由により信者の子供も潔くない筈である。然れど今は現在に於て既に潔い者である。是と同様に夫婦の一方も他方の信仰によりて潔くせられている」と。
7章15節
口語訳 | しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。 |
塚本訳 | しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。) |
前田訳 | もし信者でないものが別れるならば、別れさせなさい。そのような場合には兄弟または姉妹は縛られません。神は平和へとあなた方をお召しになったのです。 |
新共同 | しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。 |
NIV | But if the unbeliever leaves, let him do so. A believing man or woman is not bound in such circumstances; God has called us to live in peace. |
註解: 茲には10、11節の主の命は適用されない。夫故にかかる場合には離婚は自由である。そして離婚した場合にその兄弟姉妹は更に他と結婚する事が出来る(カトリツク教会及びある学者は之に反対している)。蓋しパウロは此の場合は神の合せ給える結婚で無い故にマタ5:32、マタ19:9に違反しないと考えたのであろう。
辞解
[繋がれる所なし] 「奴隷とせらる必要なし」と云う意味で39節の「繋がる」よりも強い意味の字である。
註解: (私訳)「神は汝らを平和に在りて召し給いたればなり」故に本来平和の状態にいるべきものが未信者と争論の状態に陥る事は神が我らを召し給える本旨に反している。
辞解
[平和] 原語 in peace で into peace ではない故に難解ではあるがかく訳解すべきである。
7章16節
口語訳 | なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。 |
塚本訳 | なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。 |
前田訳 | 妻よ、夫を救いうるか、どうしてわかりますか。夫よ、妻を救いうるか、どうしてわかりますか。 |
新共同 | 妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうして分かるのか。 |
NIV | How do you know, wife, whether you will save your husband? Or, how do you know, husband, whether you will save your wife? |
註解: 故に去らんとする相手方を改宗せしめんとて強て引留むる事は、自己のカを考えない僣越である。且つ、その為めに平和を失い神の召し給える本旨に反する事となるであろう。
7章17節
口語訳 | ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。 |
塚本訳 | むしろ、(何事も)主が各自に分けあたえられたところに即し、神が各自を召されたところに即して、歩かねばならない。そして(あなた達だけでなく)、すべての集会にわたしはこのように言いつける。 |
前田訳 | おのおのに主がお定めのように、おのおのを神がお召しのように、そのままに歩むべきです。このようにすべての集まりにわたしはいいつけています。 |
新共同 | おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会でわたしが命じていることです。 |
NIV | Nevertheless, each one should retain the place in life that the Lord assigned to him and to which God has called him. This is the rule I lay down in all the churches. |
註解: 但し各々の場合々々により或は留るをよしとする事情と、去るをよしとする事情とがあるのであるから、其の場合に応じて各々のキリストの分ち賜う処の境遇や性質の如何により、又神より召されし地位の如何に従つて行動すべきである。或物は信者と信者との結婚関係に於て召され或るものは一方不信者として召されている、後者は又不信者が結婚を継続する事を欲する場合と之を欲せざる場合とがあつて主の分ち賜う運命が異つている。是等各 の場合にそれに応じて行動すべきであつて、千変一律の規則は有り得ない。凡てが主の御業、主の賜物である。パウロは何れの教会に対しても斯の如くに命じていた。▲尚、要義1、要義2を参照すべし。
7章18節
口語訳 | 召されたとき割礼を受けていたら、その跡をなくそうとしないがよい。また、召されたとき割礼を受けていなかったら、割礼を受けようとしないがよい。 |
塚本訳 | ある人が割礼を受けていたときに召されたのか。(それなら信者になったからとて、)割礼の跡をもどすべきではない。ある人が割礼なしで召されているのか。(それなら信者になってからも、)割礼を受けるべきではない。 |
前田訳 | だれかが割礼されていて召されたのですか。その人は割礼を包み隠してはなりません。だれかが無割礼で召されたのですか。その人は割礼を受けてはなりません。 |
新共同 | 割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。 |
NIV | Was a man already circumcised when he was called? He should not become uncircumcised. Was a man uncircumcised when he was called? He should not be circumcised. |
註解: 前節にパウロは「神の召し給うところに循いて歩むべし」と教えつつある間にパウロの思想は結婚問題より転じて信者の身分問題に入つて行つた。ユダヤ人は割礼を受くる習慣がある、故にユダヤ人として基督者となつたものは其の召されし所に循いその割礼を廃せずにして其の子等にも割礼を施すべきである。是れ基督者たるに何等の差支が無い。同様に割礼なくして召されし者、即ちユダヤ人以外の人で信者となつたものは割礼を受くる必要が無い、ユダヤ人にあらずとも何等恥づる処が無い。西洋人として召されし者は西洋人らしく日本人として召されし者は日本人らしく振舞うべし。
7章19節
口語訳 | 割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。 |
塚本訳 | 割礼も、なんでもない、割礼なしも、なんでもない。意味があるのは神の掟を守ることだけである。 |
前田訳 | 割礼は何でもないこと、無割礼も何でもないことで、神のおきてを守ることが大切です。 |
新共同 | 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。 |
NIV | Circumcision is nothing and uncircumcision is nothing. Keeping God's commands is what counts. |
口語訳 | 各自は、召されたままの状態にとどまっているべきである。 |
塚本訳 | 各自がお召しを受けた時の状態に留まっておれ。 |
前田訳 | おのおのが召されたときの状態にとどまっていなさい。 |
新共同 | おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。 |
NIV | Each one should remain in the situation which he was in when God called him. |
註解: ユダヤ人である事を以て誇とするに足らない、又然らずとも恥づるに足らない。基督教国民と異教国民も同様である。かかる事に少しの誇も差別も持つてはならない、唯神の誡命 を守りて神を悦ばせ奉る事のみが重要問題である、故に各人召されしままに留つて少しの差支が無い。パウロが身分や形式を濫りに無視しないと同時に、信仰の点に於ては遙に是等に超越していた事に注意しなければならない。
7章21節 なんぢ
口語訳 | 召されたとき奴隷であっても、それを気にしないがよい。しかし、もし自由の身になりうるなら、むしろ自由になりなさい。 |
塚本訳 | あなたは奴隷として召されたのか。それを気にすることはない。かえって、(釈放されて)自由人になることが出来るとしても、むしろ(奴隷たる身分を)利用せよ。(そのままにしていたがよい。) |
前田訳 | 奴隷として召されたのですか。それを気になさるな。むしろたとえ自由になりえても、奴隷状態を利用なさい。 |
新共同 | 召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。 |
NIV | Were you a slave when you were called? Don't let it trouble you--although if you can gain your freedom, do so. |
註解: 信仰に入れられ、神の愛に目覚めし者に取つては奴隷の状態は非常に苦痛である。それにも関わらずパウロは云う「奴隷にて召された場合には思い煩うな」と。蓋し人間に取つて最も貴きは神の誡を守る事であり、神は之を最もよろこび給うのであつて奴隷たる地位にある者もキリストの霊に充されつつ美わしき生活を送り神を悦ばし奉る事が充分に出来るからである。即ち信仰は心の変化であつて如何なる地位にありても此の心の変化は完全に成就する事が出来、而して奴隷と雖 も人に仕うるが如くならず主に事うるものとして人に事うる事が出来る。コロ3:24。エペ6:5、6。是れ其の心が一変しているからである。併しもし釈 される機会あらば之を利用して釈 されるべきである、是れ心の自由を実現するが為には好都合の境遇であつて、一層自由に神に事え奉る事が出来るからである。▲尚、要義3を参照すべし。
辞解
括弧内は「たとひ釈 されるとも尚〔奴隷の状態を〕用いよ」とも訳し得るのであつて、此の意味に取る学者もあるけれども、不適当である。
7章22節
口語訳 | 主にあって召された奴隷は、主によって自由人とされた者であり、また、召された自由人はキリストの奴隷なのである。 |
塚本訳 | なぜなら、奴隷として召されて主にある者は、(罪の奴隷の状態から)主によって釈放された自由人であり、同様に、自由人として召された者は、キリストの奴隷(になったの)であるから。 |
前田訳 | 主にあって召された奴隷は主の自由人です。同じように、召された自由人はキリストの奴隷です。 |
新共同 | というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。 |
NIV | For he who was a slave when he was called by the Lord is the Lord's freedman; similarly, he who was a free man when he was called is Christ's slave. |
註解: たとい奴隷であつても召されて主につける信者は主キリストに順う外何人にも順わず、たとい主人に順うとも主に従う意味に於て、又其の範囲内に於てのみ順うが故に、事実何人の奴隷でも無い「主につける自主の者」である。同様に自主の者もキリストに召されし場合にはキリストの奴隷であつて、自分には何等の自由が無い。故に一旦主に召されし場合には本質上奴隷も自主も同一である。故に強て奴隷たる状態を脱する必要が無い。
7章23節
口語訳 | あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。 |
塚本訳 | あなた達は(自由人にせよ奴隷にせよ、キリストの血の)代価を払って買われたのである、人間の奴隷になるな。 |
前田訳 | あなた方は代価をもって買われたのです。人間たちの奴隷にならないでください。 |
新共同 | あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。 |
NIV | You were bought at a price; do not become slaves of men. |
註解: 「汝ら」即ち奴隷たる信者も自主たる信者も皆キリストの血汐を以て贖われ、罪の状態より救い出されたものである。即ち贖われて神の奴隷となつたものである。故に人の奴隷となつてはならない。神の奴隷とならないものはたとい自主のものでも実は人の奴隷となつているのであつて、神の奴隷となつているものはたとい人の奴隷であつても実は人の奴隷では無い。故に「人の奴隷となるな」とは「キリストの奴隷となれ」との意味である。
7章24節
口語訳 | 兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神のみまえにいるべきである。 |
塚本訳 | 兄弟たちよ、各自が召された時の状態で神の前に留まっておれ。 |
前田訳 | 兄弟方、おのおのが召された状態で神の前にいてください。 |
新共同 | 兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。 |
NIV | Brothers, each man, as responsible to God, should remain in the situation God called him to. |
註解: 20節後半と同一の語に更に神と偕にいるべき事を附加している。召されし時の状は如何なるものであつてもそれが当然に神に反しているもの(例へば遊女、賭博、高利貸等の如き)でない限り其処に止つているべきであつて唯要は神偕 に在し給うか否かによつて其の地位が或は潔められ或は汚れているのである。神と偕 にいれば如何なる場所も天国である。
要義1 [パウロの結婚観]パウロは結婚の意義につきては高き思想を持っていた。夫婦の関係はキリストと教会の関係と同じく、二者一体であり、夫は妻の首であり、夫は妻を愛し妻は夫に従うの関係であると解していた(エペ5:22-33)。夫故に単に淫行を免れる為(2節)又は自ら制する能わずして胸の燃ゆる事を防ぐが為め(9節)に結婚すべしと云うは、結婚の本質に関する彼の考えではない。結婚はパウロに取っても確かに貴き神の賜物であった。乍併パウロの心は神の賜物を感謝して享 くる事以上に、キリストに事えんとの心を以て充されていた。心よりキリストに事えんが為めには彼は之を妨 ぐる凡てのもの(結婚の恩恵をすらも)を犠牲にして悔いなかった。故に彼はしきりに独身生活の最善なる所以を高調しているのである(1、7、8、35、38、40節)。唯独身生活のために、主の御栄を汚す恐ある場合(淫行)又は主に事うる心を乱される場合(胸燃ゆる如き)は寧ろ結婚生活を択 ぶべき事を教えているのである。彼は徹頭徹尾キリスト中心であって、キリストを離れて結婚を考える事が出来なかった。
要義2 [離婚に就て]欧洲諸国に於ては政治と宗教との一致により、聖書的立場より離婚の許可又は禁止の法律が行われている。従って離婚が許されざる場合には法律上は婚姻の解消を行わずに事実上別居して夫婦生活を行わずにいる者が多い。パウロの時代の世界には未だかかる法律が無く、皆各人の良心の問題に委せられていた。従って別居(11節)と離婚(15節)との差異は法律上の差異では無く当事者の意思如何に関っていた。故に夫婦の双方とも信者である場合には彼らは神の御旨に従ふ者であり、そして主が既に離婚の禁止をなし給える以上(マタ5:32)彼らには事実上別居する場合が有り得るとしても離婚の意思を持ち得る筈が無い。コリントの信者が誤って、かかる意思を持つに至る事有らん事を恐れてパウロが之を戒めたのであって(10、11節)勿論当然の事であった。
信者と不信者との結婚の場合につきては主より直接の命令が無かった(何となればマタ5:32等はユダヤ人即ち皆神を信ずる者の間の事柄であったからである)。故にパウロの考としては若し不信者が信仰の為めに信者の夫又は妻を捨て去る時は離婚が成立したものであって単なる別居では無い。何となれば不信者は神に反いて去ったのであって神の合せ給える結婚が成立して居ないからである。(パウロが茲にマタ5:32の離婚の禁止を万人に対する律法と解しなかった事に注意しなければならぬ)。故に兄弟姉妹は更に繋がれる事無く、他と結婚する事が出来る。
要義3 [奴隷解放とパウロ]奴隷制度は確かに悪制度であるにも関わらずパウロは何故に之を認容したのであるか。パウロは信仰によりて人は如何なる制度の下に在りても心の自由を得る事が出来ると同時に、如何なる悪制度も之を善用する事も出来又如何なる善制度も之を悪用する事が出来る事を見て、要は人の心の問題であって制度の問題は小さい事柄であると考えたのであろう。奴隷制度と雖 も若し主人が心よりその奴隷を愛するならば之に対して子の如き態度に出づる事が出来、子の如き自由を与える事が出来るであろう。神の奴隷たる基督者に対し、神は子たるの資格と嗣業とを与え、子としての愛を注ぎ給う。▲奴隷制度そのものの悪制度である事は勿論であるが人類歴史の進歩の初期に於いては止むを得ず存在を許されたものと見なければならない。従ってその法律的(殊に事実的)廃止は神の喜びである事勿論である。
要義4 [神の黙示の程度]三段に区別する事が出来る。其の一は主イエスの口より直接に与えられし御言であって福音書中の記事がそれである(10節)。其の二は使徒等がその使徒たる資格に於てキリストの霊に導かれて語れる言であって、使徒等の書翰の記事の殆んど全部がそれである。其の三は使徒等が其の信仰の立場より一信者として意見を述べた言であって前二者の如き権威は無いにしても、而も最も深い信仰の所有者が場合に応じて示されし判断である以上、信者として与えられる最上の判断として之に倣 うべきものである(12、25、40節)。此の何れも神の黙示たる事を失わない。
附記1 [パウロは独身者なりしや]否やにつき第8節を基礎として二説あり、「婚姻せぬ者」なる文字が未婚者及び妻を失える男子に適用せられるので、パウロは前者であったか後者であったかに就て議論が別れるのである。結婚生活に深き理解を有する点より見れば(5、9、32、33節)後者であったとの説も有力であり、パウロがダマスコ途上に於て回心せる時はまだ青年であった点より、其後結婚の機会が無かったろうと云う事から見れば前者であったとの説が有力である。何れとも確定する材料が無い。
附記2 [嬰児洗礼に就て]嬰児に洗礼を行ふ事を得ると云う根拠として第14節が主として引用せられるのを常とし、カトリック教会は勿論新教会も多く之を行って来た。但し当時コリントの教会其他に嬰児洗礼が行われていたかどうかと云う点に就ては此の第14節を基礎として全然異った二つの結論を生じている。多くの独逸の学者は此の節を以て当時嬰児洗礼なるものが無かった証拠と見ている。其故はパウロが茲に信者の子を潔しと認むる理由が、信者の信仰に在りて其の子の信仰や洗礼に在るのでは無く、此の点に於て信者を配偶者とする不信者の夫又は妻と同一であると論じているからである。然るに反対の学者は洗礼は潔い事の原因では無く其の証拠であるから、パウロが信者の子を「潔し」と断言したのは此の洗礼の事実があったからであると主張するのである。予は前説を正しいと思う。後者は嬰児洗礼の弁護のために牽強付会 されたものである。
然のみならず此の節を以て嬰児洗礼を行うべきものとする理由は薄弱である。若し是を以て其の理由とするならば、夫婦の一方が先づ召されて信仰に入り、他の一方が之と結婚生活を続ける事を望む場合には、信者の信仰により他方も潔くされるのであって、彼らも同時に洗礼を受くる事が出来る筈である。然るに嬰児洗礼を主張する人々もかかる主張を為さないのは明かに矛盾である。
口語訳 | おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。 |
塚本訳 | また、(伝道する者を助けている)処女について(あなた達が書いて来ているが、これに)は、(離婚の場合のような)主の命令がわたしには(まだ)ない。しかし主の憐れみをうけて信頼されている者として、(わたし自身の)意見を述べる。 |
前田訳 | おとめのことについては、わたしは主の命を受けていません。わたしは主にあわれまれた信ずべきものとして意見をのべます。 |
新共同 | 未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。 |
NIV | Now about virgins: I have no command from the Lord, but I give a judgment as one who by the Lord's mercy is trustworthy. |
註解: 主キリストの御言によりても、又キリストの霊の黙示によりても、明かな命をパウロは受けた事が無い。
註解: パウロは忠実即ち信仰的である事を自任していたけれども、是をも主の憐憫に帰していた。「我が意見」と称して殊に主の命より区別している。
7章26節 われ
口語訳 | わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているがよい。 |
塚本訳 | それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい。 |
前田訳 | 今迫っている危機のため、わたしはこれがよい、すなわち、人がそのままにあるのがよいと思います。 |
新共同 | 今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。 |
NIV | Because of the present crisis, I think that it is good for you to remain as you are. |
註解: キリストの再臨は近い、其の前に大なる患難の日があるであろう(マタ24:8、マタ24:19、マタ24:21等)。故に最早や家庭の快楽を享楽すべき時ではない。
7章27節 なんぢ
口語訳 | もし妻に結ばれているなら、解こうとするな。妻に結ばれていないなら、妻を迎えようとするな。 |
塚本訳 | あなたはすでに妻に縛られているのか。解くことを求めるな。妻に結ばれていないのか。妻を求めるな。 |
前田訳 | あなたは妻に縛られていますか。それを解こうとなさるな。妻に結ばれていないのですか。妻を求めなさるな。 |
新共同 | 妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。 |
NIV | Are you married? Do not seek a divorce. Are you unmarried? Do not look for a wife. |
註解: 処女のみならず一般に、現状のままに留まる事が最上である事の原則を示す。
7章28節 たとひ
口語訳 | しかし、たとい結婚しても、罪を犯すのではない。また、おとめが結婚しても、罪を犯すのではない。ただ、それらの人々はその身に苦難を受けるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。 |
塚本訳 | しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。 |
前田訳 | たとえあなたが結婚しても罪を犯すのではありません。おとめが結婚しても罪を犯すのではありません。しかしそれらの人々は肉に苦しみを受けるでしょう。わたしはあなた方をその目にあわせたくありません。 |
新共同 | しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。 |
NIV | But if you do marry, you have not sinned; and if a virgin marries, she has not sinned. But those who marry will face many troubles in this life, and I want to spare you this. |
註解: パウロが現状維持を未婚の男女に薦むる所以の一は彼らを愛するからであつて、彼らが来る可き患難に際して彼らが結婚生活に入つているがために、その患難の益々大なるべきを思つたからであつた。或人の云う如く結婚が罪だからではなかつた。
7章29節
口語訳 | 兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、 |
塚本訳 | 兄弟たちよ、わたしが言うのはこのことである。──時は迫った。(だから)今から後は、妻を持つ者は持っていない者のように、 |
前田訳 | 兄弟方、わたしはこのことを申します。時は迫っています。今からは、妻のあるものはないもののように、 |
新共同 | 兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、 |
NIV | What I mean, brothers, is that the time is short. From now on those who have wives should live as if they had none; |
7章30節
口語訳 | 泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、 |
塚本訳 | 泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、(物を)買う者は(何も)持っていない者のように、 |
前田訳 | 泣くものは泣かぬもののように、喜ぶものは喜ばぬもののように、買うものは何も持たぬもののように、 |
新共同 | 泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、 |
NIV | those who mourn, as if they did not; those who are happy, as if they were not; those who buy something, as if it were not theirs to keep; |
7章31節
口語訳 | 世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。 |
塚本訳 | (つまり、)この世と交渉のある者は交渉がない者のように、しなくてはいけない。この世の姿は(じきに)消え去るのだから。 |
前田訳 | 世を用いるものは用い尽さぬもののようにしてください。それは、この世の様は過ぎゆくからです。 |
新共同 | 世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。 |
NIV | those who use the things of the world, as if not engrossed in them. For this world in its present form is passing away. |
註解: 「兄弟よ」は信者全体に対しての呼掛である。「時は縮れり」キリストの再臨は近付いている。夫故に我らの心は此の世の過行く一時的の状態に執着せずして、全く之と異れる将に来らんとする神の国の事を以て充されなければならぬ。従て家庭の愉快も(妻を持てる者云々)其の他の喜怒哀楽も(喜ぶもの泣くもの云々)又此の世の売買交通等の政治経済的生活も(世を用うるもの云々)之に没入する事無しに、世人の一般とは全く異つた立場に立つ事が必要である、結婚問題も此の心持を以て考える事を要する。
辞解
[世を用うる] 家庭的、社会的、経済的、政治的のあらゆる活動を包含している。
[用い尽さぬ] 此の世の生活に関係しても之に捉われず、之と不離の関係無きものの如き立場を取るべき事を意味している。
7章32節 わが
口語訳 | わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、 |
塚本訳 | ただわたしはあなた達が、(この世のことに)気をつかわないでほしいのである。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のこと(ばかり)に気をつかうが、 |
前田訳 | わたしが欲するのはあなた方がわずらわないことです。結婚していない人は、いかにして主によろこばれるかと主のことに心を配り、 |
新共同 | 思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、 |
NIV | I would like you to be free from concern. An unmarried man is concerned about the Lord's affairs--how he can please the Lord. |
註解: 思い煩いに依りて心は主より離れる。
7章33節
口語訳 | 結婚している男子はこの世のことに心をくばって、どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分れるのである。 |
塚本訳 | 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、 |
前田訳 | 結婚した人はいかにして妻によろこばれるかと世のことに心を配ります。 |
新共同 | 結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、 |
NIV | But a married man is concerned about the affairs of this world--how he can please his wife-- |
註解: 「慮 り」は「思い煩う」と同字であつて、パウロが思い煩わざらん事を欲すと云つたのは33節の世の事につき思い煩わざらん事を欲する意味であり、主の事を慮 るのはパウロの最も望む処である。此の二節の中にパウロ自身が凡ての家庭的束縛より離れて唯キリストの事のみを慮 つている心が躍動している。
7章34節
口語訳 | 未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世のことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。 |
塚本訳 | 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。 |
前田訳 | 心が分かれるのです。結婚していない女とおとめとは、身も霊もきよくあるようにと主のことに心を配り、結婚した女はいかにして夫によろこばれるかと世のことに心を配ります。 |
新共同 | 心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。 |
NIV | and his interests are divided. An unmarried woman or virgin is concerned about the Lord's affairs: Her aim is to be devoted to the Lord in both body and spirit. But a married woman is concerned about the affairs of this world--how she can please her husband. |
註解: 女の場合も32、33節と同様である。主の事のみを慮 ぱかる女はその身も霊も神の為めに聖別している。之に反し婚姻せる女の身は夫之を支配している(4節)。故に此の両者の間に主に事うる上に、大なる差異が起る事は当然である。
7章35節 わが
口語訳 | わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。そうではなく、正しい生活を送って、余念なく主に奉仕させたいからである。 |
塚本訳 | しかしこれはあなた達自身の利益のために言うのであって、(もちろん)罠に掛け(て束縛す)るのではなく、むしろあなた達が品位を保つため、かつまた、余念なく主のもとにあって動かされないためである。 |
前田訳 | このことをわたしはあなた方のためにいうので、あなた方にわなをかけるためではありません。むしろあなた方が折目正しく生きて、余念なく主に仕えるためです。 |
新共同 | このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。 |
NIV | I am saying this for your own good, not to restrict you, but that you may live in a right way in undivided devotion to the Lord. |
註解: パウロが独身生活をかくも主張する事をきいて、或者は心ならずも結婚の意思を翻し、之によつて苦痛を感ずる者が無いとも限らない。パウロはかかる意思が少しも無き事を茲に明かにし、唯専ら彼ら(未婚の男女及其の親)に益を得させん事より他に余念なき事を弁明している。而して此の益とは主の傍に坐して専心彼に事うる事である。信者の幸之に優るは無い。
辞解
[絆 ] 動物を捕うる場合に之に投げかける綱。
[宣 しきに適 はせ] 次節の「宣 しきに適 わず」の反対であつて「具合よく」なる俗語に高尚なる気分を加えた如き意味がある。
[余念なく] 「熱心に傍に侍 る」こと。主イエスこ対するマリアの態度の如き是である。
註解: ▲36-38節の口語訳は文語訳と非常に大きい差異を生じている。之は近代学者の一部の学説に由った解釈に基づいたもので言語の意味の上からも又当時の結婚観と之に伴う習慣から見ても適訳ではなく一の改悪である。パウロ時代の社会通念を基礎として考うべきものである。
7章36節
口語訳 | もしある人が、相手のおとめに対して、情熱をいだくようになった場合、それは適当でないと思いつつも、やむを得なければ、望みどおりにしてもよい。それは罪を犯すことではない。ふたりは結婚するがよい。 |
塚本訳 | しかし(あなた達が言うように)、ある人が彼の処女に対して折り目正しくないものを覚えるならば、また自分の精力が余り、そうせねばならない(と考える)ならば、望みのことをせよ。彼は罪を犯すのではない。二人は結婚すべきである。 |
前田訳 | もしある人がそのおとめに対して穏やかでないと思い、力が余り、そのようにしなければならないならば、欲するままになさい。彼は罪を犯すのではありません。彼らは結婚すべきです。 |
新共同 | もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。 |
NIV | If anyone thinks he is acting improperly toward the virgin he is engaged to, and if she is getting along in years and he feels he ought to marry, he should do as he wants. He is not sinning. They should get married. |
註解: 此の時代に於ては娘の婚姻は当人の意思によらず父母の意思によつて行われていた。バウロは茲に此の問題につき親の自由を示し、娘を婚姻させる事によりて良心の苦痛なからしめんとしている。
辞解
[▲▲己が娘] 原語「己が処女」で、父又は後見人の監督の下にある娘のこと。
[宣 しきに適 はず] 理由は種々あり、娘を他人の誘惑に晒す如き其の最大なるものである。
[▲▲▲年の頃もまた過ぎんとし] hyperakmos は「適当の年令や物の度合を超過する」ことで「熱情をいだく」(口語訳)と訳する事は適当でない。
[かつ然せざるを得ずば] 娘の希望止み難き如き場合。
[▲▲▲▲婚姻せさすべし] gamizô は「結婚させる」「嫁にやる」意味で gameô(結婚する)と同一ではない。----異論あれど実例なし。
7章37節 されど
口語訳 | しかし、彼が心の内で堅く決心していて、無理をしないで自分の思いを制することができ、その上で、相手のおとめをそのままにしておこうと、心の中で決めたなら、そうしてもよい。 |
塚本訳 | しかし(ある人が)心に堅く決しており、(結婚の)必要もなく、自分の欲望を支配する力があり、また自分の処女をそのままにしておこうと心に決めている(ならば、その)人は(もちろん)よいことをするのである。 |
前田訳 | しかし心に堅く決し、欲求もなく、自らの意志を支配する力があり、自らのおとめをそのままにしておくよう心に決めたならば、そうするのがよろしい。 |
新共同 | しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。 |
NIV | But the man who has settled the matter in his own mind, who is under no compulsion but has control over his own will, and who has made up his mind not to marry the virgin--this man also does the right thing. |
註解: 自己の決心、娘の心持、自己の意思に対する娘の態度等の凡ての点に於て、差支えなしに娘に独身生活を送らせようと決心する場合は善事をなしているのである。
7章38節 されば
口語訳 | だから、相手のおとめと結婚することはさしつかえないが、結婚しない方がもっとよい。 |
塚本訳 | 従って、自分の処女と結婚する者はよいことをするのであり、結婚しない者はよりよいことをするのである。 |
前田訳 | したがって、自らのおとめと結婚する人はよいことをするのですが、結婚しない人はよりよいことをするのです。 |
新共同 | 要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人の方がもっとよいのです。 |
NIV | So then, he who marries the virgin does right, but he who does not marry her does even better. |
註解: 前者は人間的善であり、後者は神の国の善である。
辞解
此の文章の構造よりいえばパウロは将に双方とも「善し」と云わんとして、後者のみを[更によし]と変更した形を取つている。
7章39節
口語訳 | 妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。 |
塚本訳 | 妻は夫が生きている間は、(夫に)束縛されている。しかしもし夫が眠ったなら、望みの人と結婚することは自由である。ただ主にあって(信者とだけ)すべきである。 |
前田訳 | 妻は夫が生きている間、縛られます。もし夫が永眠すれば、自らの欲する人と結婚する自由があります。ただ、主にあってそうすべきです。 |
新共同 | 妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。 |
NIV | A woman is bound to her husband as long as he lives. But if her husband dies, she is free to marry anyone she wishes, but he must belong to the Lord. |
註解: 当時妻を失える男子の再婚は当然認められていたけれども、夫を失える女子の場合は再婚せざるを以つて優れたる道徳と見ていた。パウロは男女の間に差別を置かずして、夫の死後は再婚の権を認めている。
ただ
註解: 原語は「ただ主に在りて」とあり、故に全文を直訳すれは「然れど夫もし死なば唯主に在りて欲するままに嫁ぐ自由を得べし」と訳すべきである。之を「唯主にある者にのみ適くべし」と解する者と、「主に在るものとして主の心に従つて結婚すべし」と解する者とがある。予は後者を優れりと思う。其故は一旦「欲するままに」と云いて後、之を肉の思の赴くがままにと解すべきでは無い事を示さんが為めに「唯主に在りて」との制限を与えたものと見るべきであつて、信者のみと結婚すべしとの規則を与えたものと見るべきでは無い。但し主の御旨に従つて結婚し自己の肉の思によらざる場合には「主に在るものに適 く」場合が普通であろう。
7章40節
口語訳 | しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。わたしも神の霊を受けていると思う。 |
塚本訳 | しかしもしそのままにしておれば、より仕合わせである。これはわたしの意見であるが、わたしも神の霊をいただいていると思う。 |
前田訳 | しかしわたしの考えでは、彼女はそのままにしていれば、よりさいわいです。わたしも神の霊を受けていると思います。 |
新共同 | しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。 |
NIV | In my judgment, she is happier if she stays as she is--and I think that I too have the Spirit of God. |
註解: 此の場合に於てもパウロは又寡婦の独身を奨励し再婚を好まない。是を以てパウロー個の意見であると考えているけれども、而も尚神の御霊を有つているとの自信を示している。
辞解
[殊 に幸福 ] 「更に幸福」の意。
[御霊に感じたり] 原語「御霊を有てり」。
要義1 [パウロの独身主義の理由と其の制限]茲に我らはパウロが特に独身主義を主張する理由を解する事が出来る。(1)彼は飽く迄彼の体験と彼の信仰を基礎として立論している(従って彼は決して之を他人に強制しようとはしない)。彼によれば主の再臨が目睫 の間(極めて接近している所:広辞苑)に迫っているのであり、其の前に大困難が臨む以上最早や地上生活及び其の単位又基礎たる結婚生活を考える遑 が無い。又人口増殖の問題も消滅している。地上生活はやがて間もなく破壊されてしまうであろう。故に結婚生活に入るものは好んで困難の中に自己を投ずるものである。(2)キリストに専心に事えんがためには自己の霊と身とをその一方に献ぐるにまさった事は無い。それほど潔い生活は他に有り得ない。(3)結婚生活は此の専心神に奉仕する事を妨げるが故に出来るだけ之を避けなければならね。
併し乍らパウロは之と同時に独身主義の制限をも示している。即ち(1)淫行を免れん為め(2)胸の燃えざらんが為め(3)処女の年齢其他の関係上宣 しきに適 わないと思う時等であって、何れも結婚せざる事により心が更に多く主より離れる場合に就て云っているのであって、パウロは「われら生くるも主のために生き、死ぬるも主のために死ぬ」(ロマ14:8)と云いしと同様、「婚姻するも主のために之をなし婚姻せぬも主のために之を為さない」のがパウロの根本主義あった。夫故に此の章をパウロの結婚観として見る時に多くの非難(劣情を主としたる事、主の再臨を近く見過れる事、婚姻関係の尊さと美わしさとを無視した事等)を為し得るけれども、彼の信仰の根本を見る時其処に極めて崇 く尊いものがある事を認めなければならない。
要義2 [独身主義は今日無用なりや]パウロの此の教訓は主の再臨の時期の誤算によったものと解し、且つ基督教を現世の改善、現世の幸福を目的とするものと考える人々は今はパウロの此の教訓を無視している。又律法的独身主義(カトリック教会の)はルーテル等によりて反対せられ、今日は新教教会に独身奨励の面影すら無きに至った。今日欧米にある独身主義は寧ろ経済上の理由と自己の我侭なる生活とを目的とするのであって信仰の理由からではない。乍併心を一つにして余念なく只管主に仕えんとする者には独身生活は極めて善いものであるに相違ない、且つ主の再臨を切に慕う者に取っては独身生活が却て自然である。故に新教の牧者伝道者、其の他只管主に仕えんとする者は若しその賜物があるならば独身生活を送る事は非常に善い事であろう。新教が旧教の律法的僧侶独身主義に反対せんが為めに、独身の自由と利益をも失うに至らしめし如き結果となった事は新教教会の大損失であった。