黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第28章

分類
11 イエスの復活 28:1 - 28:20
11-1 女たちイエスの復活を示さる 28:1 - 28:10
(マコ16:1-8) (ルカ24:1-2) 

註解: 本章はイエスの復活の記事であって、復活の事実そのものが神秘的であると同じく福音書の記事もまた神秘的である。我らはここに神の大能の特別の働きのあらわれを信じつつこの記事に対すべきである。

28章1節 さて安息(あんそく)(にち)をはりて、一週(ひとまはり)(はじめ)()のほの(あか)(ころ)[引照]

口語訳さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
塚本訳安息日の(すんだ)後、週の初めの日[日曜日]の明け方に、マグダラのマリヤともう一人のマリヤとが墓を見に行った。
前田訳安息日が終わって週の第一日の明け方、マグダラのマリヤとほかのマリヤが墓を見に来た。
新共同さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
NIVAfter the Sabbath, at dawn on the first day of the week, Mary Magdalene and the other Mary went to look at the tomb.
註解: 日曜日の明け方のことであった。キリスト者が自然に土曜安息日を廃したのは、一は安息日がユダヤ人に与えられし律法であって、異邦人をモーセの律法をもって束縛すべきでないためと(使15:10、11)、一はキリストの十字架の贖によりて律法は終りとなったためである(ロマ10:4)。而して日曜日(主日、黙1:10)を聖日として記念するに至ったのは、この日にイエスが甦りたまいしがゆえである。ゆえに土曜の安息日と日曜の主日との間にはその起源並に性質を異にし、従ってこれを守る方法をも異にしているのである。
辞解
この一句の原語の意味がやや不明で異れる説明を生じているけれども、この訳の意義そのままが最も適当なる解釈であろう。

マグダラのマリヤと(ほか)のマリヤと(はか)()んとて(きた)りしに、

註解: 最初に女の弟子がイエスの墓に行ったことはいかに彼らがイエスを思うことの深かりしかを示している。マコ16:1によれば彼らが墓に(おもむ)いたのはイエスの屍体(したい)に香料を塗らんがためであった。(注意)墓に(おもむ)ける女の数については四福音書とも区々(まちまち)の記録を残している(マコ16:1ルカ24:10ヨハ20:1)。恐らく復活の事実のあまりに大なる驚異であったために、附帯の事実については種々の言伝えを生じたのであろう。この不一致をもってこの記事を否定することはできない。又強いて一致せしめんとする(こころみ)牽強付会(けんきょうふかい)に陥るのみである。

28章2節 ()よ、(おほい)なる地震(ぢしん)あり、これ(しゅ)使(つかひ)(てん)より(くだ)(きた)りて、かの(いし)(まろば)退(しりぞ)け、その(うへ)()したるなり。[引照]

口語訳すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
塚本訳すると突然大地震がおこった。それは主の使が天からおりて来て(墓に)近寄り、(入口の)石をわきにころがし、その上に坐ったのである。
前田訳すると見よ、大地震がおこった。主の使いが天から下って近より、石をころがしてその上にすわった。
新共同すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
NIVThere was a violent earthquake, for an angel of the Lord came down from heaven and, going to the tomb, rolled back the stone and sat on it.
註解: 視よ神は人間の固め(マタ27:64、66)をそれがいかに堅くとも容易に破り給う。この地震については他の福音書には記されていない。この現象殊に天使の出現そのものが筆をもって記すにはあまりに不思議なる現象であった。その目撃者以外の者の冷静なる批評眼に映じたものとして記されているのではないことを注意すべきである。天の使の数はルカ24:4ヨハ20:12には二人として記されている。ヨハ20:12註参照。

28章3節 その(さま)電光(いなづま)のごとく(かがや)き、その(ころも)(ゆき)のごとく(しろ)し。[引照]

口語訳その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
塚本訳その顔は稲妻のようにかがやき、着物は雪のように白かった。
前田訳その顔はいなずまのようで、衣は雪のように白かった。
新共同その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
NIVHis appearance was like lightning, and his clothes were white as snow.
註解: 変貌のイエス(マタ17:2)に似ていたけれどもその光輝の程度がやや劣っていた。天の使はこの後もこの姿をもって顕れた。使1:10使10:30

28章4節 守の(もの)ども(かれ)(おそ)れたれば、(おのの)きて死人(しにん)(ごと)くなりぬ。[引照]

口語訳見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
塚本訳見張りをしていた者たちは恐ろしさのあまり震え上がって、死人のようになった。
前田訳そのおそろしさで見張りのものは震えあがって死人のようになった。
新共同番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
NIVThe guards were so afraid of him that they shook and became like dead men.
註解: 彼らの(おそ)れは後に至って復活の証を為すの結果となり(11節)、たとい彼らは口止めされたにしても、尚この恐怖の印象は彼らの口より洩れたことであろう。

28章5節 御使(みつかひ)こたへて(をんな)たちに()ふ『なんぢら(おそ)るな、(われ)なんぢらが十字架(じふじか)につけられ(たま)ひしイエスを(たづ)ぬるを()る。[引照]

口語訳この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、
塚本訳天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
前田訳天使は女たちにいった、「あなた方はおそれるな。わたしは知っている、十字架につけられたイエスをあなた方が探していることを。
新共同天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
NIVThe angel said to the women, "Do not be afraid, for I know that you are looking for Jesus, who was crucified.
註解: 番兵の恐怖に対しては何らの慰めもなかったけれども、主に在るものの恐怖は直ちに慰めを受くることができる。
辞解
[こたへて] 女の懼れし態度に対しての意、「なんぢら」は番兵と対立し、「番兵は懼れても汝らは懼れる必要が無い」との意味。

28章6節 此處(ここ)には(いま)さず、その()へる(ごと)(よみが)へり(たま)へり。(きた)りてその()かれ(たま)ひし(ところ)()よ。[引照]

口語訳もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
塚本訳ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
前田訳彼はここにはおられない、かつていわれたようによみがえられたから。来て、彼が置かれたところを見なさい。
新共同あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
NIVHe is not here; he has risen, just as he said. Come and see the place where he lay.
註解: イエスの墓は空虚であった。彼の肉体は復活して霊体と化したのである(Tコリ15:44)。イエスの復活をその記事の不一致の点より否定せんとする者は、この墓の空虚であった事実を説明しなければならない。

28章7節 かつ(すみや)かに()きて、その弟子(でし)たちに「(かれ)死人(しにん)(うち)より(よみが)へり(たま)へり。()よ、(なんぢ)らに(さき)だちてガリラヤに()(たま)ふ、彼處(かしこ)にて(まみ)ゆるを()ん」と()げよ。[引照]

口語訳そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。
塚本訳それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
前田訳そして早く行って弟子たちに告げなさい、『彼は死人の中からよみがえられて、見よ、あなた方に先んじてガリラヤに行かれ、そこでお目にかかれる』と。これをあなた方に告げに来た」。
新共同それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
NIVThen go quickly and tell his disciples: `He has risen from the dead and is going ahead of you into Galilee. There you will see him.' Now I have told you."
註解: 事実その以前に、イエスは御自身を弟子たちに顕わし給うた。ルカ、ヨハネの記事参照。

()よ、(なんぢ)らに(これ)()げたり』

註解: 「この通り確かに申し渡したぞよ」との意。

28章8節 (をんな)たち(おそれ)(おほい)なる歡喜(よろこび)とをもて、(すみや)かに(はか)()り、弟子(でし)たちに()らせんとて(はし)りゆく。[引照]

口語訳そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
塚本訳女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
前田訳彼女らはおそれつつも大よろこびで急ぎ墓を去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
新共同婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
NIVSo the women hurried away from the tomb, afraid yet filled with joy, and ran to tell his disciples.
註解: (おそれ)と歓喜、悲痛と歓喜、苦悩と歓喜は霊的の事柄においては同時に存在することができる。女たちもこの心に満され、一方に御使の稜威(みいつ)と言とに(おそ)れつつ他方イエスの復活の事実をきき歓喜に耐えず、弟子たちに一刻も早くこれを知らせんとて走った。

28章9節 ()よ、イエス(かれ)らに()ひて『(やす)かれ』と()(たま)ひたれば、(すす)みゆき、御足(みあし)(いだ)きて(はい)す。[引照]

口語訳すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。
塚本訳するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
前田訳すると見よ、イエスが彼女らに出会っていわれた、「ごきげんよう」と。彼女らは近よってお足を抱いてひれ伏した。
新共同すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
NIVSuddenly Jesus met them. "Greetings," he said. They came to him, clasped his feet and worshiped him.
註解: ここに(おそ)れし、女たちを慰めんとてイエス自ら顕われて、最もこの場合に適切なる「安かれ」との御言を賜い、女たちはその畏敬と親愛との発露としてその御足を抱いて拝した。

28章10節 ここにイエス()ひたまふ『(おそ)るな、()きて()兄弟(きゃうだい)たちに、ガリラヤにゆき、彼處(かしこ)にて(われ)()るべきことを()らせよ』[引照]

口語訳そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。
塚本訳するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」
前田訳そこでイエスはいわれる、「おそれるな。行ってわが兄弟たちにガリラヤに行くよう告げなさい。そこでわたしに会えよう」と。
新共同イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
NIVThen Jesus said to them, "Do not be afraid. Go and tell my brothers to go to Galilee; there they will see me."
註解: イエスもまた同じことを繰返し給うたのは重複でもなく又無意味でもない、これを特に強く彼らに印象せしめんがためである。イエスに対する信仰新なる福音の発祥地、中心地はエルサレムの神殿でもなく祭司パリサイ人でもなく、ガリラヤの湖畔であり、その漁夫であった。ここにユダヤ教の革命が起ったのである。イエスは彼らを「我が兄弟たち」と呼び給うた(引照参照)。
要義 [イエスの復活について]イエスの復活は、そのこと自身が信じ難いために、ギリシヤ人らの間には既に早くこれに対する不信を示すもの多く(使17:32)又キリスト者の中にもこれを信じないものができた(Tコリ15:12)。近世に至りて科学の進歩によりこれを非科学的として否定し、更に福音書の記事そのものの不一致を理由としてこれを事実にあらずと主張しているものがある。しかしながら(1)万能の神がこれを為し給う以上は不可能なはずはなく、使26:8。(2)イエスのごとき罪なき神の子は空しく墓に朽ち果て給うべきではなく、使2:24−32。(3)神は人類の中より神の子たちを選び出して、これに栄を与えて天国の民を創造せんとし給うのであって、イエスは復活してその初穂となり給うたに過ぎない、Tコリ15:20、23。ゆえにこの世の人類の観念をもってこれを判断することはできない。(4)而してイエスの復活は実にキリストの福音の宣伝の起源であって、もしイエスが復活し給わなかったならば、弟子たちは再びガリラヤの漁夫の生活を送ったに過ぎなかったであろう。彼らがその伝道に際していかにイエスの復活を高調したかは、使徒行伝を注意して読む者はこれを見逃すことができない。 使1:22使2:24使2:31-32。使3:15使3:26使4:2使4:10使4:33使10:40-41。使13:30使13:33-34、使13:37使17:3使17:18使17:31-32。使23:6使24:15使24:21使26:8使26:23 。すなわち彼らの伝道の中心はイエスの十字架とその復活であったTコリ15:2。(5)その他、パウロの書簡その他にもイエスの復活のことが極めて重要なる信仰の内容として記されているのであって、イエスの復活を否定する者は、同時に我らの復活をも否定せざる可からざるに至り、これと共に聖書中の「希望」の内容は全部消失してしまうこととなるのである。ゆえにイエスの復活はその内外両面よりの証拠によりて、これが確実なる事実であったことを信ずることができる。復活の事実と復活の信仰とを区別し、事実は無かりしもその信仰は確実に存在したと説明するごときは、歴史的記録の確実さを否定し得ざる結果窮余の説明に過ぎない。その他種々の方法をもってこの復活の事実を否定しつつこの記事を説明せんとする試は皆信ずるに足りない。

11-2 虚偽の風説を伝搬す 28:11 - 28:15

28章11節 (をんな)たちの()きたるとき、()よ、番兵(ばんぺい)のうちの數人(すにん)(みやこ)にいたり、(すべ)()りし(こと)どもを祭司長(さいしちゃう)らに()ぐ。[引照]

口語訳女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。
塚本訳女たちが(まだ)歩いているあいだに、数人の番兵は都に行って、出来事の一部始終を大祭司連に報告した。
前田訳彼女らが歩いているとき、番兵が何人か都へ行って大祭司らに出来事のすべてを告げた。
新共同婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。
NIVWhile the women were on their way, some of the guards went into the city and reported to the chief priests everything that had happened.
註解: 彼らは始めは事実をありのままに告げた、後に利益のために偽の証をなすようになったのである。事実を事実として述ぶることのできる心持は貴いものである。

28章12節 祭司長(さいしちゃう)ら、長老(ちゃうらう)らと(とも)(あつま)りて(あひ)(はか)り、兵卒(へいそつ)どもに(おほ)くの(ぎん)(あた)へて()ふ、[引照]

口語訳祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、
塚本訳大祭司連は長老たちと集まって決議し、(警備をしていた)兵卒らにたっぷり金をやって、
前田訳大祭司らは長老たちと集まって相はかり、兵隊にかなりの金を与えていった、
新共同そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、
NIVWhen the chief priests had met with the elders and devised a plan, they gave the soldiers a large sum of money,
註解: 祭司長らは事実をききても尚これを信じなかった、かえって喰わすに利をもってして番兵らを沈黙せしめんとしたのである。商売化せる宗教家の態度は常にかくのごときものである。

28章13節 『なんぢら()へ「その弟子(でし)(よる)きたりて、(われ)らの(ねむ)れる()(かれ)(ぬす)めり」と。[引照]

口語訳「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。
塚本訳言った、「『夜、弟子たちが来て、わたし達が寝入っているあいだにイエスを盗んでいった』と言え。
前田訳「『弟子たちが夜来て、われわれが眠っている間に彼を盗んだ』といえ。
新共同言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。
NIVtelling them, "You are to say, `His disciples came during the night and stole him away while we were asleep.'
註解: 虚偽はいかに(たくみ)であっても真実に打ち勝つことができない。祭司長らは自ら信ぜざる罪に加うるに兵卒らをして偽を言わしむるの罪を重ねた。何れの世において最も罪深きものは職業的祭司階級である。

28章14節 この(こと)もし總督(そうとく)(きこ)えなば、(われ)(かれ)(なだ)めて(なんぢ)らに(うれひ)なからしめん』[引照]

口語訳万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
塚本訳もしこのことが総督の耳に入ったら、われわれが執成して、お前たちには心配をかけないようにするから」と。
前田訳もしこれが総督の耳に入ったら、われわれが取り持ってあなた方が迷惑しないようにしよう」と。
新共同もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」
NIVIf this report gets to the governor, we will satisfy him and keep you out of trouble."
註解: 「聞えなば」は「総督の前にて裁判沙汰になるならば」との意味である(M0、B1)かかる点にまで意を用いなければならないのを見るならば、虚偽を行う場合の苦心の程を察することができる。

28章15節 (かれ)(ぎん)をとりて()(ふく)められたる(ごと)くしたれば、()(はなし)ユダヤ(びと)(うち)にひろまりて、今日(けふ)(いた)れり。[引照]

口語訳そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。
塚本訳兵卒らは金を受け取って、教えられたとおりにした。こうしてこの話は、今日までユダヤ人の間にひろまっている。
前田訳彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は今日までユダヤ人の間に伝わっている。
新共同兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
NIVSo the soldiers took the money and did as they were instructed. And this story has been widely circulated among the Jews to this very day.
註解: マタイがマタイ伝を記せる際には、常にユダヤ人に対するキリストの弁護をもってその目的としていた。イエスの屍体(したい)を盗み去ったのであるとの説もユダヤ人の間にあったので特にこの説明を加えたのであって、他の福音書にこの事実を全く記さないのはユダヤ人以外の人に取っては興味なき事実なるが故である。

11-3 復活のイエスの顕現と命令 28:16 - 28:20

28章16節 (じふ)(いち)弟子(でし)たちガリラヤに()きて、イエスの(めい)(たま)ひし(やま)にのぼり、[引照]

口語訳さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
塚本訳さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
前田訳十一人の弟子たちはガリラヤのイエスに指示された山へ行き、
新共同さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
NIVThen the eleven disciples went to Galilee, to the mountain where Jesus had told them to go.

28章17節 (つい)(まみ)えて(はい)せり。されど(うたが)(もの)もありき。[引照]

口語訳そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。
塚本訳お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。
前田訳彼にまみえてひれ伏した。しかし疑うものもあった。
新共同そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
NIVWhen they saw him, they worshiped him; but some doubted.
註解: マタイはこの他の主の顕現をすべて省略している。彼らの中に疑う者もあったのを見ても、復活の主の顕現が、この世のあらゆる現象とその趣を異にしたものであることを想像することができる。恐らく肉体と霊体の中間状態のごときものであったろう。信ぜしものは彼を「拝した」。これ彼らとして最も当然の態度である。

28章18節 イエス(すす)みきたり、(かれ)らに(かた)りて()ひたまふ『(われ)(てん)にても()にても一切(すべて)(けん)(あた)へられたり。[引照]

口語訳イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
塚本訳イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
前田訳イエスは彼らに近よっていわれた、「天と地の全権がわたしに与えられた。
新共同イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
NIVThen Jesus came to them and said, "All authority in heaven and on earth has been given to me.
註解: 神はイエスを甦らせて天上天下あらゆる権を彼に与え給うた。従来と(いえど)も神は彼に万物を委ね給うたけれども(マタ11:27ヨハ13:3)今より後は肉の束縛なく完全なる主権を掌握し給う。而して彼はすべての敵を亡ぼして国をその父なる神に付し給うまで(Tコリ15:24)、この権を握り給う。彼が神の右に坐し給うはあたかも摂政(せっしょう)のごとく神より権を受けてこれを(つかさど)っていることを意味する。而してこのことが彼が弟子を派遣して世界万国に伝道せしむる理由であった。何となれば天地の権を握り給うイエス・キリストが我らのために肉体を取りてこの地に来り、その贖を成就して神の右に坐し給う以上は、我らの罪はすべて赦され、神との平和は恢復(かいふく)せられ、彼に従うことによりて神の子たることを得るの道が開けたからである。単に一の宗教を伝うるのではなく、宇宙の創造主に(いま)し天地の権を有ち給う神の子の福音を伝うるのである以上、弟子たちは権威をもってこれを為すことができる。

28章19節 されば(なんぢ)()きて、もろもろの國人(くにびと)弟子(でし)となし、(ちち)()(せい)(れい)との()によりてバプテスマを(ほどこ)し、[引照]

口語訳それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
塚本訳それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
前田訳それゆえ、行ってすべての国の人を弟子にし、父と子と聖霊の名で彼らをきよめ、
新共同だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
NIVTherefore go and make disciples of all nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit,
註解: 弟子たちは各地に赴きて諸国民を弟子とするの義務があった。これによりて福音は先づユダヤの地に伝えらるべきものであることの制限(マタ10:5)は除かれて、福音の万国的性質が確立した。「父と子と聖霊の名による」とはかかる名称を単に口に唱うることではなく、バプテスマによりて一旦死して更に(よみがえ)り、神の民の一人となり其の時天の神を父と呼び奉り、キリストを神の子とたたうる信仰を得、聖霊が宿って我らを新に創造(つく)りかえるのである。かくして世のものなりし我らは全く神のものとなってしまうのである。此の事実を表示するものとしてバプテスマは最も適切なる形式である。唯この事実が最も重要なのであって、この事実ある場合には必ずしも三位の神の名を呼ぶことを要しない。使徒時代には多くの場合キリストのみの名によりてバプテスマを施していた(ロマ6:3ガラ3:27使8:16使2:38)。又弟子たち自らこれを施すことを必要としない(Tコリ1:17註参照)。
辞解
[名によりて] eis to onoma は「名に入れて」又は「名の中に」の意味でバプテスマによりて信徒は三位の神の中に没入することを示す。

28章20節 わが(なんぢ)らに(めい)ぜし(すべ)ての(こと)(まも)るべきを(をし)へよ。[引照]

口語訳あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
塚本訳わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」
前田訳あなた方に命じたことをすべて守るよう教えよ。安んぜよ、わたしは世の終わりまでいつの日もあなた方とともにいるから」と。
新共同あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
NIVand teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age."
註解: バプテスマを受くることが単に形式ではなく、これによりて父、子、聖霊の三位の神との霊的交通に入るのであるとするならば、その当然の関係においてキリストの命ぜじことを守るべきことを教えられなければならぬ。すなわち前者は神との関係であり、後者はその関係より生ずる人との関係である。信仰と神の命に(したが)うこととの関係についてはヨハ14:15ヨハ14:21ヨハ14:23参照。

()よ、(われ)()(をはり)まで(つね)(なんぢ)らと(とも)()るなり』

註解: 弟子たちがその伝道に際して多くの困難と迫害とに逢うべきことを予想し、これを力付けんがためにこの慰を与え給うた。天地の権を握り給う主イエス・キリストが世の終まで常に一刻も絶間なく我らと共に(いま)し給うことを知りて我らは最早や(おそ)るべきものを()たない。力と慰安とは常に彼より来ることを経験することができる(ヨハ14:18−21)。
附記 [復活の記事の不一致について]四福音書中にある復活の記事の間に、種々の差異あることは著しき事実である又Tコリント一五の記事とも一致しない点がある。しかしこれは復活の事実が虚偽であることを証明するものではなく、むしろ各福音書はその所有する経験及び伝説により、又これを適宜に取捨し選択して記したのであって、この伝説がかかる神秘的なる事実に関しては必ずしも一定の形を取ることができず、従って種々の記録を生じたのである。ゆえに或はガリラヤにおける顕現を主として記し(マタイ)、或はユダヤにおけるそれを主として記し(ヨハネ)、又はある事実の一部分のみを記して他を省略し、又はある事実を全部省略する場合等によりて記事の間に差異を生じたのである。ゆえにこれらの記事の不一致は互に相排斥するものでなく、互に相補充するの性質を有っているものであると見なければならない。かく解することによりてこれらの記事の不一致より生ずる困難は除かれるであろう。