使徒行伝第8章
分類
3 ユダヤ、サマリヤに於ける使徒の活動
8:1 - 10:47
3-1 エルサレム教会の迫害
8:1 - 8:3
口語訳 | サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。 |
塚本訳 | サウロは(石は投げなかったが、)ステパノを殺すことに賛成であった。その日エルサレムの集会に対して大迫害がおこり、使徒たち以外(の信者)は皆、ユダヤとサマリヤとの田舎に散らばった。 |
前田訳 | サウロはステパノの虐殺に賛成していた。その日、エルサレムの集まりに大迫害がおこり、使徒たちのほかは皆ユダヤとサマリアとの諸地方に散らされた。 |
新共同 | サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 |
NIV | And Saul was there, giving approval to his death. On that day a great persecution broke out against the church at Jerusalem, and all except the apostles were scattered throughout Judea and Samaria. |
註解: (この部分は前章の末節に附加するを適当とす。)これを見てもサウロ即ち後の大使徒パウロは、基督教に対する反対者の頭目であった事が判明る。
辞解
[可しとせり] 原語他の人々の為した事を彼もまた喜んだ事を意味す。
その
註解: ステパノの殉教の即日であった。敵は一日の猶予をも与えなかった(B1、E0、M0、C1等)。但しこの迫害が一日で終ったものと見る必要は無い(A1)。
エルサレムに
註解: (▲迫害したのは群集であろうが、祭司学者たちはこれを見てよろこび、これを放置した。あるいは陰からケシカケタものと思われる。一朝にしてユダヤ教と基督者が分裂してしまったのである。)是は基督教に対する一般的迫害の最初のものである。主イエスが迫害をうけ給うた。その弟子もまた迫害されるは当然である。
註解: 使徒たちは主の羊の牧者たる責任を重んじて生命の危険を冒して踏止ったのであろう。他の人々は恐らく使徒たちの勧によりて逃れたのであろう、この場合徒 に敵に反抗し彼らを刺激するは無益の事であったから。尚ステパノの事に由る迫害はギリシヤ語のユダヤ人に対して猛烈であったと見得べき理由がある。
辞解
[皆] 大多数の意味ならん。
8章2節
口語訳 | 信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。 |
塚本訳 | しかし信心深い人たちが(集まって)ステパノを埋葬し、彼のために盛大な哀悼の式を行った。 |
前田訳 | 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにはげしく胸を打って悲しんだ。 |
新共同 | しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。 |
NIV | Godly men buried Stephen and mourned deeply for him. |
註解: ステパノを殺さんとせし極端者流は勿論多数ではなかった。多数は恐らく心竊 にステパノの死を惜んだ事であろう。唯その中に少数の勇敢なる篤信なる人々ありて大胆に迫害の最中にステパノを葬ってその悲嘆を表明した。こうした勇者は多くはない。これがニコデモとガマリエルであったとの伝説あれど、もとより伝説に過ぎない。
辞解
[敬虔なる人々] ユダヤ人なりや基督者なりやにつき諸説あり、前節の「皆」を全部と解せざる以上、ユダヤ人と基督者の双方(E0)と見て可なり。
口語訳 | ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。 |
塚本訳 | サウロは、しかし、集会をたたきつぶそうとして、(信者の)家という家に押し入り、男女の別なく引っ張っていって牢に入れた。 |
前田訳 | サウロは集まりを荒らし、家々に入って、男も女も引っ張って牢に入れた。 |
新共同 | 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。 |
NIV | But Saul began to destroy the church. Going from house to house, he dragged off men and women and put them in prison. |
註解: (▲1節、3節その他にある「教会」ekklêsia は今日の教会とは全然性格を異にしているゆえ「集会」と訳すべきである。今日の教会のようなものは新約聖書の時代に存在しなかった。)野猪 が葡萄園を荒らすがごとくにあらすこと。
要義1 [迫害に対する態度]使徒たちと信徒たちが、迫害の際に異れる行動を取った事は注意しなければならない。迫害に際し徒 に反抗して迫害者を刺激する如き事は無益である。また殉教者として英雄視せられん事を欲するが如きは一種の自己中心主義である。しかしながら自己の使命(例えば使徒は牧者としての使命あり)を捨てて逃れるが如き事は卑怯である。我らは静に敵をして反省せしむる如き態度を取り、自己の使命即ち神よリ命ぜられし職務を確保してその一線に踏止るべきである。1-3節に於ける使徒たち及び信徒たちの態度は大体に於て宜 きを得ていると見るべきである。
要義2 [エルサレム教会の基督者の財産関係]迫害によりて散される以前に彼らはその資産の大部分を売り弟子たちの足下に置きて教会全体の必要に応じた(使4:32-35)。この一見無謀に見ゆる行為が結局彼らの資産を最善の方法に使用せる結果となった。何となればもし彼らがその資産を所有していたならば、この迫害により凡てを失うに至った事は必然であったからである。神に依頼む者には経済法則以上の経済生活が可能である。
3-2 サマリヤ伝道
8:4 - 8:40
3-2-1 ピリポ、サマリヤに福音を伝う
8:4 - 8:8
8章4節
口語訳 | さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。 |
塚本訳 | さて(この迫害で各地に)散らばった者は、あるき回りながら御言葉を伝えた。 |
前田訳 | 散らされた人々はめぐり歩いてみことばを伝えた。 |
新共同 | さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。 |
NIV | Those who had been scattered preached the word wherever they went. |
註解: 迫害が却って福音を広むる原因となった。神は人の反逆をも御栄の為に利用したまう。
辞解
[御言] 神の言。
[宣ぶ] euangelizomai 「福音を伝う」の意。
8章5節 ピリポはサマリヤの
口語訳 | ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。 |
塚本訳 | 一方、(世話役の一人であった)ピリポはサマリヤの町に下り、(そこの)人々に救世主のことを説いた。 |
前田訳 | ピリポはサマリアの町に下って人々にキリストをのべ伝えた。 |
新共同 | フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。 |
NIV | Philip went down to a city in Samaria and proclaimed the Christ there. |
註解: サマリヤ人とユダヤ人は互に相反目していた。その地にキリストを宣伝える事は篤 き信仰と、キリストによりて、人種間、国民間の障壁が取除かれた事とに因る。▲福音の普遍性が理論によらずして弟子たちの心に具体化した証拠である。
辞解
[ピリポ] 使徒ピリポではなく七人の執事の一人ピリポ(使6:5。尚お使21:8のピリポも同人)である。福音の宣伝は必ずしも使徒より任命される事を要しない。▲▲十二使徒の中に、その伝道について聖書の中に何も録されていないものが少なくないとういことは注意すべき事実である。
[サマリヤの町] サマリヤ地方の主都の意、尚冠詞を欠く異本あり、此場合サマリヤの或町またはサマリヤなる名称の町の意となる。
[キリストの事を伝う] 原文「キリストを伝う」で、キリストを伝える事が福音の総計である(B1、C1)。
8章6節
口語訳 | 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた。 |
塚本訳 | 群衆全体が一人のようになって、ピリポの言葉に耳を傾けた。彼の行った(不思議な)徴を聞いたり見たりしたからである。 |
前田訳 | 群衆はピリポの語に耳傾け、心をひとつにしてそれを聞き、また彼のした徴を見た。 |
新共同 | 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。 |
NIV | When the crowds heard Philip and saw the miraculous signs he did, they all paid close attention to what he said. |
辞解
[謹みて聴く] prosechô は此場合愛着の心を以て注意する事。尚ピリポは癒しの霊を多く持てるものの如くである。
8章7節 これ
口語訳 | 汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。 |
塚本訳 | 実際、汚れた霊につかれている多くの人があったが、それが大声を出して叫びながら飛び出したのである。多くの中風の者や足なえもなおされた。 |
前田訳 | 事実多くの人が汚れた霊につかれていたが、それらは大きな叫びをあげて出ていった。多くの中風やみや足なえもいやされた。 |
新共同 | 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。 |
NIV | With shrieks, evil spirits came out of many, and many paralytics and cripples were healed. |
註解: サマリヤの人々ピリポの言に耳を傾けたのは主としてその奇跡を見たからであった。これその信仰の不充分なりし原因である。奇跡を見て信ずる者の中には利己心の片影が残存する。
口語訳 | それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。 |
塚本訳 | その町は大喜びであった。 |
前田訳 | その町には大きなよろこびが訪れた。 |
新共同 | 町の人々は大変喜んだ。 |
NIV | So there was great joy in that city. |
註解: 人は病を医される時大に喜ぶ。それにも関らず心の病の医されん事を望まない。
要義 [人の業と神の御旨]神は人間の行動を利用して人間の予期せざる結果を造り出し給う。夫ゆえに基督教に於て人の心、思わざりし処の事柄が多く実現する。エルサレムに於ては基督教の撲滅の為に激しき迫害が行われたにも関らず、それが却て福音伝播の原因となりつつある事は全く意想外の事であった。また福音がユダヤ人に嫌われてサマリヤ人に受納れられる如きも、神の為し給う処の不思議の一つであった。これによって我らは唯神の偉大を仰がしめられる。
口語訳 | さて、この町に以前からシモンという人がいた。彼は魔術を行ってサマリヤの人たちを驚かし、自分をさも偉い者のように言いふらしていた。 |
塚本訳 | すると前からこの(サマリヤの)町にシモンという男がいて魔術を行っていたが、自分を何か(神通力でもある)えらい者のように言いふらし、サマリヤの住民をびっくりさせていた。 |
前田訳 | シモンという人がこの町に前からいて、自分をひとかどのものといいふらしつつ、魔術をしてサマリアの人々をおどろかせていた。 |
新共同 | ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。 |
NIV | Now for some time a man named Simon had practiced sorcery in the city and amazed all the people of Samaria. He boasted that he was someone great, |
註解: シモン(シモン・マグスと呼ばる、大シモンの意)につきては初代教父たちの著書に多くの記事を見る事が出来る。一、二世紀頃彼の名の下に行われるグノシス派の一派あり、相当の勢力あり、基督教と対立していた事、その所説の内容がグノシス説に近き事、それが二世紀末に於ては極めて少数の信奉者を有するのみとなった事等は事実と見るべきであるけれども、その他の種々の伝説の中には多くの誤伝もあるらしく、殊に全く作話に属するものもある。但し初代教父たちが多くの関心を払った名称であった事は確かである。
辞解
[▲…人あり前に] 口語訳の「以前からいた」が正しい。Prohuparchô
註解: サマリヤ人に魔術を行う者が多いことはエジプトにても知られている位であった。
サマリヤ
註解: 彼は人を驚かすに足るだけの能力を有し、人の前に自らを誇示する芝居気を持っていた、いわゆる中々の「やりて」であった事は確である。しかしながらこの種の人間に尊敬に値すべき人は無い。
辞解
[驚かす] 三度用いらる(11、13節)。
8章10節
口語訳 | それで、小さい者から大きい者にいたるまで皆、彼について行き、「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていた。 |
塚本訳 | 彼らは子供から年寄りに至るまで皆、シモン信者になり、「これこそいわゆる大能の(生き)神様だ」と言った。 |
前田訳 | 小さいものから大きいものまで皆が彼に心を寄せ、「この人こそ神の力で、大能といわれるものだ」といった。 |
新共同 | それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。 |
NIV | and all the people, both high and low, gave him their attention and exclaimed, "This man is the divine power known as the Great Power." |
註解: 彼はサマリヤ全市民の崇拝の的となり、神より遣されし人として尊敬されていた。
辞解
[つつしみて聴き] 6節辞解参照、尚11節も同様。▲▲「聴き」prosechôは「注意する」「警戒する」(マタ6:1、マタ7:15等々)「心を寄せる」(Tテモ1:4、Tテモ4:1)等と訳され、心を集中して目を放さないことの意味に用いられる。
[神の大能] 神の人と云う如き意。
8章11節 かく
口語訳 | 彼らがこの人について行ったのは、ながい間その魔術に驚かされていたためであった。 |
塚本訳 | 彼らが(このように)シモン信者になったのは、かなり長い間魔術でびっくりさせられていたからである。 |
前田訳 | 人々が彼に心を寄せたのは、かなりの間その魔術におどろかされていたからである。 |
新共同 | 人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。 |
NIV | They followed him because he had amazed them for a long time with his magic. |
註解: サマリヤの人々は奇跡や魔術に驚かされる性質を多分に有していたものと見える。健全なる信仰の無き処、この種の事柄が非常に暴威を振う。
8章12節
口語訳 | ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。 |
塚本訳 | しかしピリポが(来て)神の国とイエス・キリストの名とについて福音を伝えると、男も女も(今度は)ピリポ(の言葉)を信じて(信仰に入り、)洗礼を受けた。 |
前田訳 | しかしピリポが神の国とイエス・キリストのみ名について福音を伝えると彼らは信じ、男も女も洗礼を受けた。 |
新共同 | しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。 |
NIV | But when they believed Philip as he preached the good news of the kingdom of God and the name of Jesus Christ, they were baptized, both men and women. |
註解: 原文直訳は「宣伝えるピリポを信じたる時」となる。この信仰が聖霊を受けざる空虚なる信仰であった事は16節によりて明かである。バプテスマのみにては人に信仰を与える事が出来ない。彼らは恐らく神の国とイエス・キリストの事よりも、ピリポの奇跡におどろかされた為にバプテスマを受けたのであろう。△こうした宣教を信じても16節のようにその宣教が空であったことは反省すべき点である。
8章13節 シモンも
口語訳 | シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。 |
塚本訳 | ついにシモン自身も信じて洗礼を受け、いつもピリポにくっついていて、 いろいろな(不思議な)徴や大がかりな奇跡が行われるのを見て、呆気にとられていた。 |
前田訳 | シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもピリポについていた。そして徴や大規模な奇跡がなされるのを見ておどろいていた。 |
新共同 | シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。 |
NIV | Simon himself believed and was baptized. And he followed Philip everywhere, astonished by the great signs and miracles he saw. |
註解: シモンの信仰もまた空虚なる信仰であった。ピリポの治癒の力におどろかされたに過ぎないのであった。ピリポより出づる力は魔術師の有する力に比すべくもなく強かったからである。
辞解
[偕に居り] proskartereô は固着して離れない事(使1:14。使2:42。使6:4辞解参照)。ピリポに対して非常に熱心であった事が判明る。
その
註解: このおどろきの心がシモンをしてピリポに執着せしめし所以であった。福音を信ずる心は純粋に神の前に卑下 りて罪を悔改むる心からでなければならない。
要義 [信仰の階段]信仰には種々の階段があり程度がある。信仰なる一の名称の中に種々なる内容がある事を注意しなければならない。サマリヤ人もシモンも共に信じてバプテスマを受けた。併しこの信仰はイエスを主と呼ぶ聖霊を受けない信仰であった、即ち伝道者ピリポの人格及びその言葉及び業を信受した程度のものであった、こうした信仰を以て救われるや否やに就てはここに何等の言明が無いのは、救うと救わざるとは神の御旨なるが故である。唯聖霊によらざる信仰は罪の救の確信を伴う事が出来ず、神とキリストとに対する絶対信頼の信仰では無い。
8章14節 エルサレムに
口語訳 | エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。 |
塚本訳 | エルサレムにいた使徒たちは(ピリポによって)サマリヤ(の人々)が神の言葉を受け入れたと聞くと、(さっそく)ペテロとヨハネとをそこにやった。 |
前田訳 | エルサレムにいた使徒たちは、サマリアが神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとをつかわした。 |
新共同 | エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。 |
NIV | When the apostles in Jerusalem heard that Samaria had accepted the word of God, they sent Peter and John to them. |
註解: 使徒たちは監督権を行使せんとしたのではなく、福音の伝播につきて責任を感じていたのである。またペテロ、ヨハネ等使徒団の首脳者も、自ら命令権を有したのではなく、彼らの間は極めて自由なる関係にあった。ゆえにペテロ、ヨハネを「派遣する」如き事となる。ペテロが使徒団の首脳者たるは事実関係であって法律関係ではなかった。▲「神の言を受ける」ことと「聖霊を受けること」とは同一ではない。前者は理性的にできることであるが後者は神の賜物であり新生である。
8章15節
口語訳 | ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。 |
塚本訳 | 二人は下っていって、サマリヤの人々が聖霊を受けるようにと祈った。 |
前田訳 | ふたりは下っていって、人々が聖霊を受けるよう祈った。 |
新共同 | 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。 |
NIV | When they arrived, they prayed for them that they might receive the Holy Spirit, |
註解: 伝道者の最大の務は祈ることである(B1、C1)この祈が応えられてやがて彼らに聖霊が下った。
8章16節 これ
口語訳 | それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。 |
塚本訳 | 彼らには、まだだれにも聖霊が下っていなかったからである。ただ主イエスの名で洗礼を受けていただけであった。 |
前田訳 | それは彼らはただ主イエスのみ名によって洗礼を受けていただけで、まだだれにも聖霊が下っていなかったからである。 |
新共同 | 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。 |
NIV | because the Holy Spirit had not yet come upon any of them; they had simply been baptized into the name of the Lord Jesus. |
註解: 聖霊をうけし者は異言をかたりまた預言した(使10:46。使19:6)。併し是は聖霊の多くの賜物の一種であって(Tコリ12:1-12、Tコリ12:28-31)、決してこれに限られたのではない。夫ゆえに聖霊を受けていると然らざるとは、是等の多くの賜物の一つもそこに存在せざる事を意味す。ペテロとヨハネはサマリヤに下りて先づこの欠陥を感じたのであった。バプテスマの式は必ずしも聖霊を受けた事の証拠とはならない。
8章17節
口語訳 | そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。 |
塚本訳 | そこで二人が彼らに手をのせると、聖霊を受けた。 |
前田訳 | そこで使徒たちが手をのせると、彼らは聖霊を受けた。 |
新共同 | ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。 |
NIV | Then Peter and John placed their hands on them, and they received the Holy Spirit. |
註解: 按手なる形式が聖霊を与える力がある訳ではなく、使徒たちの熱心なる祈と、その愛心の発露としての按手即ち自己に与えられしものを分与するこの形式とが神の御心にかない、神によりてこの結果を招来したのである。▲▲ピリポの為し得なかったことをペテロとヨハネが為し得たのは賜物の大小の差であろう。
8章18節
口語訳 | シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、 |
塚本訳 | 使徒たちが手をのせることによって御霊が授けられるのを見たシモンは、二人に金を差し出して |
前田訳 | シモンは、使徒たちが手をのせることによって霊が与えられるのを見て、彼らに金を差し出し、 |
新共同 | シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、 |
NIV | When Simon saw that the Spirit was given at the laying on of the apostles' hands, he offered them money |
註解: ここに「見て」とある以上聖霊の賜物を受けし人の有様が以前と異る著しきものがあったに相違ない。
シモン
8章19節 『わが
口語訳 | 「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。 |
塚本訳 | 言った、「手をのせれば、人が聖霊を戴くことのできるその力を、わたしにも授けてください。」 |
前田訳 | 「わたしが手をのせたものが聖霊を受けるようなその権威を、わたしにもください」といった。 |
新共同 | 言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」 |
NIV | and said, "Give me also this ability so that everyone on whom I lay my hands may receive the Holy Spirit." |
註解: シモンはその心未だ神の前に歩まず、唯自己の慾心と野心とに支配せられていた。神の賜物の何たるかを知らない結果金銭を以てこれを買取り得べしと考え、またこれによりて人々に聖霊を与えんとする事は、実はこれによりて自己の名声や勢力を得んが為であった。これを以て見るもシモンのバプテスマは彼に何をも与えなかった事が判明る。
辞解
[権威] exousiaは「権」を伴った「力」であって、単なる「力」dynamisと同一ではない。10節および口語訳参照。
8章20節 ペテロ
口語訳 | そこで、ペテロが彼に言った、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。 |
塚本訳 | ペテロがシモンに言った、「金もお前も地獄行きだ!神の(恩恵の)賜物を金で手に入れようと考えたのだから。 |
前田訳 | ペテロが彼にいった、「お前の金はお前もろとも亡びよ。お前は神の賜物を金で得ようと考えているから。 |
新共同 | すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。 |
NIV | Peter answered: "May your money perish with you, because you thought you could buy the gift of God with money! |
註解: 汝の心は汚れて居り従ってその金も汚れている。共に亡びてしまうがよいとの意、強き心持を表す。
辞解
[亡ぶべし] 「亡びんことを」との祈願法。
なんぢ
註解: こうした者は神の賜物の何たるか、またその如何に貴きかを知らない。神の賜物は唯打砕かれし心にのみ与えられ、その値は千金よりも貴い。
8章21節 なんぢは
口語訳 | おまえの心が神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。 |
塚本訳 | お前はこの事の分け前にも相続にも、あずかれない。“心が”神の目に“真直ぐでない”からだ。 |
前田訳 | お前はこのことの分け前にも相続にもあずかれない、心が神の前にまっすぐでないから。 |
新共同 | お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。 |
NIV | You have no part or share in this ministry, because your heart is not right before God. |
註解: シモンの如き者は聖霊を与える権威とは全然無関係である。神の前に正しからざる心を以て、神の賜物を受くる事は出来ない。
8章22節
口語訳 | だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。 |
塚本訳 | だからこの悪いことを悔改めて、主に祈ったがよかろう。あるいはお前の(曲った)出来心を赦していただけるかも知れない。 |
前田訳 | それゆえこの悪を悔い改めて主に祈りなさい。あるいはお前の出来心がゆるされるかもしれない。 |
新共同 | この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。 |
NIV | Repent of this wickedness and pray to the Lord. Perhaps he will forgive you for having such a thought in your heart. |
註解: 自ら大なる者と唱えていたシモンはこの時その真の姿を示された。即ち、その心は次節に示される如く全く悪の固であった。彼に取りては神の審判によりて亡されるより外に途がなく、この亡より免れる唯一の途は、その心の悪を悔改め、打砕かれし心を以て神の前に平伏す事であった。ペテロは「あるいは」と云いて「必ず」と云わなかったのは、シモンの罪があまりに重大だからであった。
8章23節
口語訳 | おまえには、まだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。それが、わたしにわかっている」。 |
塚本訳 | お前が“胆汁のような苦い心”また“不道徳の虜”になっているのが、わたしに見えるからだ。」 |
前田訳 | お前がにがい胆汁と不義の絆(ほだし)の中にいることがわたしには見える」と。 |
新共同 | お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」 |
NIV | For I see that you are full of bitterness and captive to sin." |
註解: 申29:17。イザ58:6参照。汝の心は苦き悪念に充ち、また不義を愛する心の繋につながれている。かゝる心を悔改むる事が汝の亡 を免れる唯一の途である。
辞解
[胆汁] cholê はまた「にがぜり」(申29:17)なる一種の植物とも見る事を得、ヘブル語のローシに当る。またヨブ20:14には「毒」の意味にも用う。
[不義の繋] 不義を以て人を繋ぐ意味にも解する人があるけれども不可。
[居る] 「陥り居る」と訳すを可とす。eis を用う。
8章24節 シモン
口語訳 | シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。 |
塚本訳 | シモンが答えて言った、「あなた方が、わたしのために主に祈ってください、いま言われたことが決してわたしに起こらないように。」 |
前田訳 | シモンが答えた、「あなた方がわたしのため主に祈ってください、おっしゃったことがわたしにおこらないように」と。 |
新共同 | シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」 |
NIV | Then Simon answered, "Pray to the Lord for me so that nothing you have said may happen to me." |
註解: シモンはペテロの大喝 により戦慄し、神の審判を甚しく恐れた。彼は未だ自己の罪を悟らずこれを悔改むる事をしなかった。彼は聖書のこの記事によるも徹頭徹尾利己主義、自己中心主義である事が判り、また後の時代の伝説もこれを裏書する。▲要義5参照。
8章25節
口語訳 | 使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。 |
塚本訳 | さて使徒たちは証しをし、また主の言葉を語ったのち、エルサレムに帰った。(道すがら、)多くのサマリヤ人の村々でも福音を伝えた。 |
前田訳 | さて使徒たちは証をし、主のことばを語ってエルサレムヘ帰った。彼らはサマリア人の多くの村でも福音を伝えた。 |
新共同 | このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。 |
NIV | When they had testified and proclaimed the word of the Lord, Peter and John returned to Jerusalem, preaching the gospel in many Samaritan villages. |
註解: 福音はその当初に於て既に世界的であり、人種国籍の差を眼中に置かない事、また当初より伝道的である事がこの事実を以て知る事が出来る。ユダヤ人は本来サマリヤ人とは交らなかったのに、ペテロ等はこの習慣を克服して福音を伝えた。
要義1 [使徒団の地位]福音がサマリヤに伝わりしを聞くや否やエルサレムの使徒団はペテロとヨハネとを遣した。是は見様によっては使徒団が全世界にその監督者を行使せんとする政治的意味にも取り得ない事はなく、かく解する事によりて使徒団が全教会の上に統率権を有するとする説の根拠ともなし得ざるに非ざるも、実は使徒団は主イエスより全世界に福音を宣伝うべき事を命ぜられし為に、各地に於ける福音宣伝の実情に対し重い責任感を有っていた為であった。夫ゆえにサマリヤにもアンテオケにも(使11:22)使徒たちを遣して彼らを助けたのであって、これを自己の権威の下に置かんとする政治的野心の為と解する事は使徒たちの心を理解しないものである。
要義2 [ペテロの権威]ペテ口は十二使徒の首であった事は聖書の到る処にこれを見る事が出来る。しかしながら是はその信仰、人格、徳望が自然使徒団中に重きをなし、イエスの信任が最も厚く、多くの場合使徒団の先頭に立ちて活躍したのであって、ペテロが使徒の首長たる法律的または制度的資格を有ったのではない、14節にペテロが使徒団の命に従う如き事はこの事実を証明するのであって、ローマ・カトリック的の意味に於けるペテロの地位または権威は聖書に根拠を有って居ない。尚マタ16:15-20註及び要義を見よ。
要義3 [洗礼と按手と聖霊賜与との関係]使徒行伝の示す処によればこの三者には何等必然的の関係はない。使8:17。使19:6に於ては手を按く事によりて聖霊が下った様に録されているけれども、使2:4。使10:44に於ては手を按かずして聖霊が降り、使6:6に於ては手を按いているけれども聖霊の降下が無い。またバプテスマと聖霊の降下とも関係が無い事は使8:12、使8:16。使19:2によりてこれを知る事を得。且、使19:3-5によればヨハネのバプテスマは無効なれども主イエスの名によるバプテスマが聖霊降下の原因となりし如くであるけれども、使8:16によれば主イエスの名によりてバプテスマを受けても無効であった。また使10:44-48によれば聖霊を受けて後にイエス・キリストの名によりてバプテスマを受けた。即ちこの両者の間にも因果関係は無い。また按手が使徒のみの特権では無いことは使9:17にアナニヤがパウロに手を按けるを見てこれを知る事が出来る。要するに是等の形式を特に意義あるものとし、これによらずしては聖霊の賜物を受け得ざるが如くに主張するに至ったのは、後世に至って教会が制度化したる後の産物である。
要義4 [聖霊を受けし証拠]使2:2-4に於ては風の如き響、火の舌の如きもの、及び異邦の言にて語る等の外的現象が伴い、また使10:46。使19:6等にも異言を語り、または預言する等の現象が起った。然らば是等の現象が起らなければ聖霊の降下が無かったかと云うに然らず、Tコリ12:8-10によれば聖霊の賜物は(1)智慧の言、(2)知識の言、(3)信仰、(4)治病、(5)異能ある業、(6)預言、(7)霊を弁 うる力、(8)異言、(9)異言を釈く力等の種類あり、またTコリ12:28-30によれば聖霊の賜物の種類により人の使命を分類して、(1)使徒、(2)預言者、(3)教師、(4)異能ある業、(5)治病の力、(6)補助者、(7)治むる者、(8)異言等を挙げている。夫ゆえに異言と預言とのみが聖霊降下の証拠ではない。以上に列挙せられし如き現象の何れか一つでも実在すれば聖霊降下の証とする事を得。但し是等の中の一も存在しないならば聖霊が与えられて居ないと云う事が出来る。
要義5 [シモニー(聖職売買)に就て]シモン・マグスの記事よりシモニーなる語が生じ、中世紀に於て行われた聖職売買の事実を指す名称となった。今日も信仰の事柄、神の事柄を、金銭や、この世の制度や、運動や、人間の力を以て為し得ると考へえるのはこのシモニーの一種であると云う事が出来よう。この意味に於けるシモニーは今日の基督教会に充満しているのであって、彼らはシモンを非難する資格が無い。
口語訳 | しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。 |
塚本訳 | 時に主の使がピリポに言った、「立って、南の方に向かって行き、エルサレムからガザ(の町)へ下る道に出よ。それは人通りの少ない道である。」 |
前田訳 | 主の使いがピリポにいった、「立って南に向かい、エルサレムからガザに下る道を行け」と。そこは砂漠である。 |
新共同 | さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 |
NIV | Now an angel of the Lord said to Philip, "Go south to the road--the desert road--that goes down from Jerusalem to Gaza." |
註解: ピリポは天使の声を聴いた、これを強てピリポの内心の声と解すべきではない。
辞解
[然るに] de は「時に」または「さて」と云う程の意。
『なんぢ
註解: 北に向って行ったピリポが南に向って進むべく命ぜられた事は特別の神の御言による事であった。
辞解
[そこは] ガザの町を指すか、ガザに至る途を指すかにつき説分る。多分後者が適当であろう。即ちあまり人通りの無き途に行けと命ぜられ、これに従って行きしに大なる獲物に邂逅 した事は神の導きに相違なかった事を示す。尚ガザは昔は繁華な市であったが紀元前九十六年に戦乱に由り荒廃に帰した。新しきガザの町は別に建設されたけれども古き町は荒野であった。この意味に於て前説も理由ある事となる。
8章27節 ピリポ
口語訳 | そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、 |
塚本訳 | 彼は立って出かけた。ちょうどそこに一人のエチオピヤ人が通りかかった。この人はエチオピヤの女王カンダケの宮内官で、女王の全財産を監理している宦官であったが、礼拝のためエルサレムに行って、 |
前田訳 | 彼は立って出かけた。すると、見よ、ひとりのエチオピア人がいた。それはエチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理している宦官であった。彼はエルサレムヘ礼拝に行き、 |
新共同 | フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 |
NIV | So he started out, and on his way he met an Ethiopian eunuch, an important official in charge of all the treasury of Candace, queen of the Ethiopians. This man had gone to Jerusalem to worship, |
註解: ピリポは思いがけなくも荒野に於てエテオピヤの顕官 に出逢った。神の御使の言葉の意味はこれであった事をピリポは悟ったのであろう。
辞解
[エテオピヤ] その女王がソロモン王を訪問して以来聖書を信ずる国民となった。
[カンダケ] ツアールとかカイゼルとか云う如き、女王に共通の称呼。
[閹人 ] また宦官 とも云う、去勢せる男子の高官、単に「顕官 」の意味にも用いらる。但しこの場合は真の閹人 であったろう。
註解: 過越の祭その他の祭礼に際して巡礼の為にエルサレムに上る事は当時多く行われていた。
8章28節
口語訳 | その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。 |
塚本訳 | 今はその帰り道であった。車の上に坐り、(声を出して)イザヤ預言書を読んでいた。 |
前田訳 | 今帰るところで、車にすわり、イザヤの預言を読んでいた。 |
新共同 | 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 |
NIV | and on his way home was sitting in his chariot reading the book of Isaiah the prophet. |
註解: 神はこの閹人 を悔改めしむべき凡ての準備を整え、彼をして主イエスを信ぜしめん為にイザ53:7、8を彼に読ましめ、彼をしてその意味を考慮せしめ給うた。神の御手はかくして我らを導く。
8章29節
口語訳 | 御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。 |
塚本訳 | 御霊がピリポに、「行って、あの車にぴったりついて歩け」と言った。 |
前田訳 | み霊がピリポにいった、「近づいて、あの車について行きなさい」と。 |
新共同 | すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 |
NIV | The Spirit told Philip, "Go to that chariot and stay near it." |
註解: 御霊は一方にカンダケの權官をしてイザヤ書を読ましめ、他方ピリポを彼に近寄らしめ給うた。
8章30節 ピリポ
口語訳 | そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。 |
塚本訳 | ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」 |
前田訳 | ピリポが駆け寄ると、イザヤの預言を読んでいるのが聞こえたので、「あなたがお読みのことがおわかりですか」といった。 |
新共同 | フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 |
NIV | Then Philip ran up to the chariot and heard the man reading Isaiah the prophet. "Do you understand what you are reading?" Philip asked. |
註解: イザ53のエホバの僕の記事の意味はイエスの来り給うまではピリポにも不明であったが、イエスによりてその凡ての謎は解けたのであった、閹人 には全く不明であったのは当然である。
8章31節
口語訳 | 彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。 |
塚本訳 | 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。 |
前田訳 | 彼は答えた、「だれかが手引きしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と。そして車に乗っていっしょにすわるようピリポに頼んだ。 |
新共同 | 宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 |
NIV | "How can I," he said, "unless someone explains it to me?" So he invited Philip to come up and sit with him. |
註解:閹人 の態度は非常に謙遜であった。熱心なる求道心は人を謙遜にする。
口語訳 | 彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。 |
塚本訳 | 読んでいた聖書の文句はこれであった。“屠り場に引いてゆかれる羊のように、毛を切る者の前に黙っている小羊のように、彼は口を開かない。 |
前田訳 | 彼が読んでいた聖書の箇所はこれであった、「ほふり場に引かれゆく羊のように、毛を切るものの前にもだす小羊のように、彼は口を開かない。 |
新共同 | 彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。 |
NIV | The eunuch was reading this passage of Scripture: "He was led like a sheep to the slaughter, and as a lamb before the shearer is silent, so he did not open his mouth. |
辞解
[文] 原語「内容」の意。
『
註解: イザ53:7。イエスの最期、ピラトの前の審判の光景の預言として是より以上に適切なるものを見出す事は出来ない(イザ53の全部につき斯く云う事が出来る)。イザヤ書の記者が如何なる意味にてこれを録したにしても、彼は聖霊に導かれてイエスの預言を語った事は確である。
口語訳 | 彼は、いやしめられて、そのさばきも行われなかった。だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、彼の命が地上から取り去られているからには」。 |
塚本訳 | (しかし)謙遜によって裁きをまぬかれ(て死に勝っ)たのである。だれが(地上にあふれるであろう)彼の子孫[信者]のことを語り得ようか。彼は(神の右に坐るために)その命を地上から取り去られるのだから。” |
前田訳 | 彼ははずかしめられ、裁きも行なわれなかった。だれが彼の子孫のことを語りえよう。そのいのちが地から取り去られたから」。 |
新共同 | 卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」 |
NIV | In his humiliation he was deprived of justice. Who can speak of his descendants? For his life was taken from the earth." |
註解: イエスは十字架の辱 を受くる事によりて、彼の上に審判は下らない事となった(ピリ2:8-11)。尚おこの一句はヘブル原文によれば「虐待と(不正なる)審判とによりて彼は取去られた」となる故(イザ53:8日本訳を見よ)、これによりて本文も彼は屈辱を受け、彼に対する正しき審判は行われず、不正な審判の下に置かれ殺されたとの意味にも解する事を得。この解釈の方がイエスの預言として適当である。
註解: メシヤの来り給う時代の悪しき事は言語に絶す、其故はメシヤなるイエスの生命が地上より取り去られたからである。斯くメシヤ(キリスト)は非常なる苦難の中にその一生を終り給う(B1、C1、E0)。尚この部分を「誰か彼の後裔の数を述べ得んや、其故は彼の生命は地上より取り去られて、天に在りて無数の後裔の父となり給える故なり」(M0、ラツクハム)と解する説あれど不適当である。
8章34節
口語訳 | 宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。 |
塚本訳 | 宦官がピリポに答えた、「お願いです、この預言者はだれのことを言っているのでしょうか。自分のことですか、それともだれかほかの人のことですか。(教えてください。)」 |
前田訳 | 宦官はピリポに答えた、「うかがいます、だれについて預言者はこういうのですか、自分についてですか、だれかほかの人についてですか」と。 |
新共同 | 宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 |
NIV | The eunuch asked Philip, "Tell me, please, who is the prophet talking about, himself or someone else?" |
註解: イザヤ書の預言はもしキリスト来りて苦難を受け給わなかったならば全く不可解な預言であった。それゆえに閹人 はピリポにこれを質問したのであった。
8章35節 ピリポ
口語訳 | そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。 |
塚本訳 | そこでピリポは口を開いて、この聖書の句から始めて、イエスの福音を伝えた。 |
前田訳 | ピリポは口を開き、この聖書のところからはじめてイエスについての福音を伝えた。 |
新共同 | そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 |
NIV | Then Philip began with that very passage of Scripture and told him the good news about Jesus. |
註解: この聖句は明にイエスの預言であり、またイエスにつきて語る事は即ち罪の赦の福音を語る事であった。ピリポはまことに善き伝道の機会と善き聖句とを与えられたのであった。
辞解
[口を開き] 重大なる発言をなす身構え。
8章36節
口語訳 | 道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。 |
塚本訳 | そして道を進んでゆきながら、とある水辺に来ると、宦官が言う、「水がある!洗礼を受けてはいけないでしょうか。」 |
前田訳 | 彼らが道を進みゆくと、水のあるところに来た。そこで宦官はいった、「ごらんなさい。水があります。わたしが洗礼されるのに何の差支えがありましょう」と。 |
新共同 | 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 |
NIV | As they traveled along the road, they came to some water and the eunuch said, "Look, here is water. Why shouldn't I be baptized?" |
註解:閹人 はイエスの事を聞きその眼開かれ、聖書の預言を解し、イエスを信じバプテスマの決心をした。あたかもよし神はまた水をそこに備へ給うたのであった。△37節を(口語訳を見よ)読む場合、この部分が余程後の時代に神学的思索や形式的信仰告白が洗礼の条件となった時代の挿入であることがわかる。この一節は八世紀時代のE写本にあり、この種の挿入は聖書の源泉的新鮮さを失わしめる結果となる。
口語訳 | 〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕 |
塚本訳 | [無シ] |
前田訳 | 〔ピリポはいった、「あなたが真心から信じるならです」と。彼は答えた、「わたしはイエス・キリストが神の子であると信じます」と。〕 |
新共同 | (†底本に節が欠落 異本訳)フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 |
NIV |
8章38節
口語訳 | そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。 |
塚本訳 | そこで車を止めさせ、ピリポと宦官は、二人とも水の中に下りて、ピリポが宦官に洗礼を授けた。 |
前田訳 | そこで車を止めさせ、ピリポも宦官もふたりとも水の中に下り、洗礼を行なった。 |
新共同 | そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 |
NIV | And he gave orders to stop the chariot. Then both Philip and the eunuch went down into the water and Philip baptized him. |
註解: この場所につきて二三の想像説あり、ピリポはかくして福音をエチオピヤまで及ぼすに至った。福音は其自身の力によりて世界の極にまで及ぶ、尚バプテスマは当時入信の式として一般に行われていた。
8章39節
口語訳 | ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。 |
塚本訳 | しかし二人が水から上がると、主の御霊がピリポをさらっていったので、宦官はもう二度とピリポを見ることはなかった。彼は(救われたことを)喜びながら、旅行をつづけたからである。 |
前田訳 | 彼らが水から上がると、主の霊がピリポを連れ去り、宦官はもはや彼を見なかった。よろこびながら宦官は旅をつづけた。 |
新共同 | 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 |
NIV | When they came up out of the water, the Spirit of the Lord suddenly took Philip away, and the eunuch did not see him again, but went on his way rejoicing. |
註解: ピリポと閹人 との物語は徹頭徹尾聖霊の著しき働きによりて行われた。あたかもエリヤが大風にのりて天に昇れる如く(U列2:11)ピリポは急に見えなくなった、閹人 に取りてもこの事件は全く夢の如く、ビリポに取りてもまた然り、凡てが聖霊の働きであった。それにも関らず、否、それゆえに閹人 は、聖霊による救を疑わず、歓喜に、充されて帰国の途に上った。
8章40節
口語訳 | その後、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた。 |
塚本訳 | しかしピリポは(ガザの北)アゾトにあらわれ、(海岸の)町々をのこらずあるき回って福音を伝えた末、カイザリヤに来た。(そしてそこに住んだ。) |
前田訳 | ピリポはアゾトに現われ、町々を皆まわって福音を伝えてからカイサリアに来た。 |
新共同 | フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。 |
NIV | Philip, however, appeared at Azotus and traveled about, preaching the gospel in all the towns until he reached Caesarea. |
註解: ピリポはペリシテ人の居住する海岸地方を上って行ったものであろう。アゾトはガザの北にあり(旧約聖書にアシドドと称す)、有名なる市邑であった、カイザリヤは更に北の海岸にありヘロデ王によりて大都市に拡張せられローマ皇帝の名によりて名付けられた都市であった。新約時代に関係多き都市である。かくして福音は驚くべき力を以て広まった。
要義1 [そこは荒野なり]伝道者は神の命に従い荒野に出て行くのである。人影すらなき荒野に出でて伝道するの決心なくして伝道者となる事が出来ない。もし自己の周囲に多数の人を蝟集 せしめんとする如き希望をいだきて伝道するならば必ず失敗と失望とに終るであろう。ピリポは神の言に従い荒野に向って出発した。而して神はそこに最も特異なる伝道の相手をピリポの為に備え給うたのであった。
要義2 [個人伝道]ピリポは唯一人エチオピヤの權官に向い渾身の熱誠を以て伝道した。而して伝説によればこの時以来今日に至るまでエチオピヤは基督教国として継続して来ているとの事である。大衆に向っての伝道よりもむしろこの種の対個人の伝道が最も効果ある真の伝道である。肉体の病を癒す医師さへ個人的施術を必要とする以上、霊魂を救う伝道は尚更の事である。
要義3 [聖霊ピリポを取り去る]伝道は自己の功績を挙げんが為になされてはならない。「弟子一人も候わず」と言いし親鸞の如く、己が伝道によりて救われし魂は凡てこれを主の御霊に委ねなければならぬ。これを自己のものの如くに考え自己の勢力範囲とせんとするが如き宗派心は堅くこれを戒めなければならない。聖霊ピリポを取り去り給いしはまことに意義ある事実であった。
要義4 [聖言に対する謙遜なる態度」エチオピヤの閹人 は聖書の真理を知らんとする熱心と、聖書の言に対する深き謙遜とを持っていた。ピリポに対し礼を厚くして真理を問い、その解答によりて聖書を信じた事が彼の救の原因であった。基督者の中には往々自己の思想によりて聖書の言を否定せんとする者があるけれども結局に於て自己の思想の中には救が無い。唯謙遜なる態度を以て聖書を信ずる者のみ救を把握する事が出来る。高慢は滅亡の入口である。
使徒行伝第9章
3-3 サウロの回心
9:1 - 9:30
3-3-1 主イエス、サウロに現れ給う
9:1 - 9:9
註解: 1-9はパウロの回心の記録である。尚使22:6-16。使26:12-18にもパウロの語れるものとして同一事実の記録がある故参照すべし。
9章1節 サウロは
口語訳 | さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、 |
塚本訳 | (エルサレムの迫害はおわったが、)サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し殺害しようと息巻き、大祭司の所に行って、 |
前田訳 | サウロは、なお主の弟子たちに向かって威嚇と殺害で息まき、大祭司のところへ行って |
新共同 | さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、 |
NIV | Meanwhile, Saul was still breathing out murderous threats against the Lord's disciples. He went to the high priest |
註解: (▲パウロの激しい性格が示されている)サウロはステパノの殺害を以て満足せず尚もイエスの弟子たるものに対して不倶戴天 の敵意を示した。「彼の罪業がその熱心の絶頂に達した時に彼は救われ回心せしめられたのであった」(B1)。
辞解
[なお] 前章の事件が終りても尚おの意。
[気を充たし] empneô は「息を吹きかける」意。▲▲または「息を吸い込む」の意。
註解: 紀元36年まで大祭司であったカヤパであろう。サウロが相当の名家の出であり大祭司等に接近していた事が判明る。
口語訳 | ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。 |
塚本訳 | ダマスコの多くの礼拝堂あての(全権委任の)添書を乞い求めた。それは(ダマスでコキリストの)道(キリスト教)の者を見つけ次第、男女の別なく、縛ってエルサレムに引いてくるためであった。 |
前田訳 | ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それはこの道のものを見つければ男も女も縛ってエルサレムに引いてくるためであった。 |
新共同 | ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。 |
NIV | and asked him for letters to the synagogues in Damascus, so that if he found any there who belonged to the Way, whether men or women, he might take them as prisoners to Jerusalem. |
註解: ダマスコはパレスチナよりメソポタミヤに通ずる交通の要路に当る世界最古の都市の一つで、多くのユダヤ人がそこに居住していた。その中に既にイエスの教を信じている者があった。生前イエスの教を聞いたもの、五旬節の時にエルサレムに上って居り使徒たちの教を受けたもの、ステパノの迫害により散されてダマスコに赴いたもの等であろう。添書の内容はキリストを信ずる者を容 しおくべからすとの意味を含んだものである。
この
註解: かくしてエルサレムに於て是等を所罰せんが為であった。基督信徒に対する徹底的撲滅策である。女子までもこれを処罰せんとした事はその迫害の深刻さを示す。
辞解
[道] hodos 道路の事、これを信仰の道につき用いている事は東西共通の心理を示す。未だ一の宗派として分離して居なかったので、この語が適当であった。
9章3節
口語訳 | ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 |
塚本訳 | ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。 |
前田訳 | 彼が進んで行ってダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼のまわりを照らした。 |
新共同 | ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。 |
NIV | As he neared Damascus on his journey, suddenly a light from heaven flashed around him. |
註解: 主は全く突然に彼に顕れ給うた。サウロの如き性格の者に対してはかくする必要が有ったのであろう。天よりの光は「日にも勝りて輝いた」(使26:13)。サウロはこの偉大なる光景の前に唯驚き畏れるより外に途が無かったのであった。
9章4節 かれ
口語訳 | 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 |
塚本訳 | 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。 |
前田訳 | そして彼は地に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。 |
新共同 | サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 |
NIV | He fell to the ground and heard a voice say to him, "Saul, Saul, why do you persecute me?" |
註解: イエスを信ずる者に対して為される凡ての行為は即ちイエスに対して為されるのである。前節の光輝もこの声も共に明かにサウロの五官に感じられし現象であった。これが単なるサウロの主観的事実でなかった事は他の人々にも幾分不完全ながらこの光と声とを感ずる事が出来た事を以てこれを知る事が出来る。サウロはこの光輝に撲たれ乍ら、この語をきき、その何人なるかを疑った。彼が蟲螻 の如くに考へえて平気で殺戮した基督者がこうした栄光の中に物言う如きは、思いも寄らなかったからである。
9章5節
口語訳 | そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 |
塚本訳 | サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。 |
前田訳 | 彼は問うた、「主よ、あなたはどなたですか」と。答えがあった、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。 |
新共同 | 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 |
NIV | "Who are you, Lord?" Saul asked. "I am Jesus, whom you are persecuting," he replied. |
註解: サウロは勿論この光輝の中より語るものが普通の人間ではない事を直感した。夫ゆえに「主よ」と呼んだのであった。而も彼が迫害せる人々は普通の人間であったので「汝は誰ぞ」と問わざるを得なかった。而してその答により、彼に現れたのがイエスであった事を知ったのである。これによりサウロはイエスの神に在す事、その甦り給える事、また彼を信ずるものを己の如くに愛し給う事を疑い得ざるに至った。ステパノの語が新に彼の胸中に甦った事であったろう。そしてサウロ彼自身が是まで神に対して叛逆を行っていた事に気付いた。
辞解
[われ、汝] 等の語が特に強き意味に用いられている。尚お使22:8には「ナザレのイエスなり」とありまた使26:14には最後に「刺ある策を蹴るは難し」を加う。
9章6節
口語訳 | さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。 |
塚本訳 | さあ起きて、町に入れ。そうすれば、せねばならぬことが告げられる。」 |
前田訳 | ともあれ立ち上がって町に入りなさい。そうすればなすべきことが告げられよう」と。 |
新共同 | 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」 |
NIV | "Now get up and go into the city, and you will be told what you must do." |
註解: 主はサウロに単に御自身の稜威と、サウロの行動が何を意味しているかを示し給うたのみであった。そのほかの事はダマスコのアナニヤをしてサウロに告げしめたのであった(10節以下)。而も是で充分であった。何となれば是まではサウロは自己の何たるかを知らず、また主イエスの何たるかを知らずして行動していたからである。
9章7節
口語訳 | サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。 |
塚本訳 | 一緒に来た者たちは唖然としてそこに立っていた。声は聞いたが、だれも見えなかったのである。 |
前田訳 | 連れの人々は、声は聞いたが、だれも見えなかったので唖然として立っていた。 |
新共同 | 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。 |
NIV | The men traveling with Saul stood there speechless; they heard the sound but did not see anyone. |
註解: 同行の人々も一旦は光輝に打たれて地に倒れたのであった(使26:14)。併し間もなく立上っておどろいて立っていた。彼らは何か声の様な音を聞いたのであったけれども使22:9によれば「我(サウロ)に語る者の声は聞かざりき」とあり、サウ口の耳に入りし如き声は聞かなかったのであらう。また勿論イエスをも他の何人をも見なかった。即ちサウロの聞いた声は普通の人間の声ではなかった証拠である。本節と使22:9。使26:14と一見矛盾する如きも上記の如く考うる事により矛盾は消滅する。▲1-9は22:6-16、26:12-18と同事件の記録であり、しかも同一人の記したものであるから、その間の若干のズレは書き方の正確さを欠いたためと見るべきで記憶の混乱と見るべきではない。パウロの言葉そのものも機械的に一致していなかったであろう。
9章8節 サウロ
口語訳 | サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。 |
塚本訳 | サウロは地から起きあがって目をあけたが、何も見えなかった。人々が手を引いて、ダマスコにつれて行った。 |
前田訳 | サウロは地から起き上がった。しかし目があいても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いてダマスコヘ連れて行った。 |
新共同 | サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。 |
NIV | Saul got up from the ground, but when he opened his eyes he could see nothing. So they led him by the hand into Damascus. |
口語訳 | 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。 |
塚本訳 | 三日のあいだ目が見えず、また食べも飲みもしなかった。 |
前田訳 | 彼は三日の間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。 |
新共同 | サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。 |
NIV | For three days he was blind, and did not eat or drink anything. |
註解: 彼は天よりの激しき光線によりてその視力を失っていた。殺意と恐喝とに燃えていたサウロのこの憐むべき姿を見よ。彼の心身の甚 だしき打撃のために食慾すらも全く消失した。彼は三日の間ひたすらに祈っていた(11節)。此間に彼はこの現象の意義につき熟考した事であろう。
9章10節 さてダマスコにアナニヤといふ
口語訳 | さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。 |
塚本訳 | さて、ダマスコにアナニヤというひとりの(主の)弟子があった。幻で主が彼に「アナニヤ」と言われた。アナニヤが言った、「はい、主よ。」 |
前田訳 | ダマスコにアナニヤという名のひとりの弟子がいた。主が幻で彼に、「アナニヤ」といわれた。彼は、「はい、主よ」といった。 |
新共同 | ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。 |
NIV | In Damascus there was a disciple named Ananias. The Lord called to him in a vision, "Ananias!" "Yes, Lord," he answered. |
註解: 一人の普通の弟子に過ぎなかった事は注意すべき点である。使徒パウロが「人よりに非ず人に由るにあらず」(ガラ1:1)と云う事が出来たのもその為であった。
▲パウロの回心はイエスの死の二三年後と見るべきであるから信者がダマスコまでも散っていったことは不思議でない。
辞解
[アナニヤ] 「エホバは恩恵深し」との意、尚アナニヤは使22:12よれば敬虔なるユダヤ人であった。
註解: この問答は事柄の重大なるを示す。
9章11節
口語訳 | そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。 |
塚本訳 | 主が彼に、「立って『直線通り』に行き、ユダ(という人)の家にいるサウロというタルソ人をさがせ。彼はいま祈っている。 |
前田訳 | 主は彼にいわれた、「立って、いわゆるまっすぐ通りへ行き、ユダの家にサウロという名のタルソ人をたずねよ。彼は祈っている。 |
新共同 | すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。 |
NIV | The Lord told him, "Go to the house of Judas on Straight Street and ask for a man from Tarsus named Saul, for he is praying. |
註解: サウロは全く未知の人としてその名及び居所までもアナニヤに示されたのであった。またサウロが祈り居る事を示されたのは、サウロが最早や殺気に充ちて居ない事を示す為であった。
辞解
[直] という街は今もダマスコに存する由、ユダの家アナニヤの家等も古跡として存するとの事なれども果して事実によったのであるか不明である。
[タルソ] キリキヤの首府でアテネ、アレキサンドリヤに亜 ぐ有名なる大学の所在地であった。パウロの故郷である。パウロはこの都で相当の教育を受けたものと考えられる。
9章12節
口語訳 | 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。 |
塚本訳 | 幻で、アナニヤという人が入ってきて、自分に手をのせて目が見えるようにしてくれるところを見たのだ。」 |
前田訳 | 彼は幻でアナニヤという名の人が入って来て、目がまた見えるように自分に手を置いてくれるのを見た」と。 |
新共同 | アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」 |
NIV | In a vision he has seen a man named Ananias come and place his hands on him to restore his sight." |
註解: サウロが祈の中にこの幻を見た事は省略され、その事実をアナニヤに示された。夫故サウロはアナニヤの来る事を予知していた。またアナニヤは何等の顧慮なしに往く事が出来る訳であった。(▲▲口語訳の「幻で」en horamatiは古いB.C.写本にあり、Nestleにも採用されている。)
辞解
[手を按 く] 使8:17参照
9章13節 アナニヤ
口語訳 | アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。 |
塚本訳 | アナニヤが答えた、「(しかし)主よ、わたしは沢山の人から、その人のことを聞きました。彼がエルサレムであなたの聖徒たちにした非道なことを一つのこらず。 |
前田訳 | アナニヤが答えた、「主よ、わたくしは多くの人からその人のことを聞きました。彼がエルサレムであなたの聖徒らにした悪いことをのこらずです。 |
新共同 | しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。 |
NIV | "Lord," Ananias answered, "I have heard many reports about this man and all the harm he has done to your saints in Jerusalem. |
9章14節 また
口語訳 | そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。 |
塚本訳 | そしてここでも彼は、あなたのお名前を呼ぶ者をだれかれの別なく縛る全権を、大祭司連からもらっているのです。」 |
前田訳 | そしてここでも彼はあなたのみ名を呼ぶものを皆捕える権限を大祭司たちから受けています」と。 |
新共同 | ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」 |
NIV | And he has come here with authority from the chief priests to arrest all who call on your name." |
註解: アナニヤは始めサウロを恐れていた。サウロの迫害の風評は四方に広まり、基督者はこれを猛獣の如くに恐れていた。このアナニヤの答の中には暗に辞退の意をほのめかしている。
辞解
[聖徒] Tコリ1:2註及要義参照。
[御名を呼ぶ者] 信徒に対する呼称である。
9章15節
口語訳 | しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。 |
塚本訳 | 主が彼に言われた、「(恐れることはない。)行け。あの人は、異教人と王たちとイスラエルの子孫との前に、わたしの名を運んでゆく(ために選んだ)わたしの選びの器であるから。 |
前田訳 | 主は彼にいわれた、「行きなさい。あの人はわが名を異邦人と王たちとイスラエルの子孫との前に運ぶ、わが選びの器です。 |
新共同 | すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。 |
NIV | But the Lord said to Ananias, "Go! This man is my chosen instrument to carry my name before the Gentiles and their kings and before the people of Israel. |
註解: アナニヤに取りては全く案外にもサウロが神の選の器である事が示された。アナニヤはこの幻影の言を信じてサウロの許に赴いた。サウロは第一に異邦人の使徒であり、而もその王たちにすらイエスの御名を伝える任務を与えらるべきであった。イスラエルの子孫に対しても同様である。「選の器」即ち神が特に選び用い給う器である。神の用い給う目的に叶える素質を持っている事を神は認め給うたのであろう。
9章16節
口語訳 | わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。 |
塚本訳 | その証拠として、わたしの名のためにどんなに多くの苦しみをうけねばならぬかを、彼におしえてやる。」 |
前田訳 | わたしは彼が、どんなにわが名のために苦しまねばならぬかを示すであろう」と。 |
新共同 | わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」 |
NIV | I will show him how much he must suffer for my name." |
註解: 選の器は決してこの世の人の求むる如き幸福をこれに与えん為に選ばれるのではなく、主の御名の為に多くの苦難を受くべく選ばれるのである。サウロは是までその誤れる熱心のために基督者を苦しめていた。今より後は正しき信仰のために自ら苦しまなければならない。
辞解
[受くるかを] 「受けざるべからざるかを」と訳する方が正確である。
[示さん] 幻影等によるのではなく事実を以てこれを経験せしむるのである。
9章17節
口語訳 | そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。 |
塚本訳 | そこでアナニヤは行って(ユダの)家に入り、サウロに手をのせて言った、「兄弟サウロよ、主がわたしをお遣わしになったのです。あなたが(ここに)来る途中、御自分を現わしてくださったあのイエスが!あなたの目が見えるようになるため、また聖霊に満たされるためです。」 |
前田訳 | そこでアナニヤは出かけて家に入り、サウロの上に手を置いていった、「兄弟サウロよ、主がわたしをおつかわしでした。あなたが来る途中、お現われになったあのイエスがです。それはあなたがまた見え、聖霊に満たされるためです」と。 |
新共同 | そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」 |
NIV | Then Ananias went to the house and entered it. Placing his hands on Saul, he said, "Brother Saul, the Lord--Jesus, who appeared to you on the road as you were coming here--has sent me so that you may see again and be filled with the Holy Spirit." |
註解: サウロは6節の主の御言がここに実現した事を知った。而してアナニヤはその遣されし目的がサウロが視力を回復する事と聖霊にて満される事とに在る事をサウロに告げた、勿論尚お彼は種々の事を語ったに相違なく、その片鱗は使22:14-16にこれを見ることが出来る。要するにこの時までサウロの知り得た事は(1)ナザレのイエスが彼に現れたまいし事、(2)サウロ自身はこのイエスを迫害していた事、(3)ダマスコに入りて主の遣し給いしアナニヤより、主がサウロを選びて、その証人たらしめんとて彼に現れたまえる事を示されし事、彼に視力と聖霊とを与え給う事とであった。要するにサウロの回心を来らしめし主要の事実は栄光の中における主イエスの顕現であった。いわゆるパウロの神学と称せられる如きものはその片鱗だもここに示されなかった。これを見てもパウロの回心の事実は理論によったのではなく、直接に主イエスに接した事による事が判明る。
辞解
[兄弟サウロよ] アナニヤは既にサウロを兄弟として取扱っている事に注意すべし。三日前までは仇敵であった彼も、神の子とせられて立処に兄弟となる事が出来る。
9章18節
口語訳 | するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、 |
塚本訳 | するとすぐ鱗のようなものがサウロの目から落ちて、見えるようになり、立って洗礼を受けた。 |
前田訳 | するとただちに、サウロの両目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになり、立ち上がって洗礼を受けた。 |
新共同 | すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 |
NIV | Immediately, something like scales fell from Saul's eyes, and he could see again. He got up and was baptized, |
口語訳 | また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、 |
塚本訳 | そして食事を取って元気づいた。サウロは数日ダマスコの(主の)弟子たちと一緒にいたが、 |
前田訳 | そして食事を取って力づいた。 |
新共同 | 食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、 |
NIV | and after taking some food, he regained his strength. Saul spent several days with the disciples in Damascus. |
註解: さしも頑固であったサウロも主の栄光に接しその御声に打たれて死ねるものの如くになった。今アナニヤの按手により目より鱗のごときもの落ちて見る事が出来、ハプテスマを受けてイエスに対する信仰を告白し、全く別の世界に新に生れ更 った。かくして主イエスの御業はあざやかな結果を結び、これによりて基督教の世界的宗教たるの基礎が置かれたのである。尚、アナニヤがパウロにバプテスマを施した事は、それが特定の資格を必要としなかった事を示す。
要義1 [パウロの生立ち及び性格]パウロ即ちサウロはキリキアのタルソに生れ(11節、使21:39)、ユダヤ人であり而もその中のパリサイ人に属し、ベニヤミンの族より出でていた(ピリ3:5)。ロマの市民権を獲得していた原因は(使16:37。使22:25)恐らく父祖の時代の功績によったものであろう。またその姉妹は結婚してエルサレムに在り、祭司階級に接近していた事実(使23:16)を見れば、相当の地位を有していた事が判明る。またパウロは恐らく大学都市タルソに於て相当の教育を受けたものなるべく、またユダヤ人としては最高の教育とも云うべきガマリエルの弟子としてエルサレムに遊学していた。彼は極めて徹底的に事物を考察し、また徹底的に行動して、微温を憎んだ(使8:1-3。使9:1-3。ピリ3:6。ロマ3:10-18。ロマ7:7-25。ガラ1:16。ガラ2:11-14)。それだけ回心前の彼と回心後の彼との間に偉大なる相違を生じた。また彼が到る処に敵を造り到る処に迫害された点より見れば、彼は主イエスの御名の為には他人の感情を気にせず大胆率直にその信ずる処を述べた事は明かである。彼は決して八面玲瓏 の人格ではなかった。しかしながら一面彼は向見ずの熱狂信者ではなく、豊なる常識の所有者であった。コリントの教会に宛てし書簡の内容を見るも、またその独立自給の伝道方針より見るも、またユダヤ人にはユダヤ人となりギリシヤ人にはギリシヤ人の如くならんとした点よリ見るも、彼の如き豊なる常識の所有者は決して多くはない。それゆえに諸種の問題に対する彼の判断処置は極めて信仰的であると同時にまた常識的である。要するに非常に多面的にして豊富なる内容を有する、力強き徹底せる性格と云うべきである。換言すれば彼は偉人であった、この偉大さが信仰の事に向けられた為に、彼は信仰の偉人となったのである。神が彼を選び給える事はまことに故ある事と云わなければならない。
要義2 [パウロの回心]パウロの回心を彼の内面的の煩悶とこれに伴える修養努力の結果と見る事も誤っていると同時に、また彼の回心を彼の内面的要素とは全然切り離して、唯ダマスコ途上に於ける主の顕現のみによるものと解する事もまた誤っている。彼は自分の正義を確信して基督教徒を縛らんが為にダマスコに進んでいた。彼の心中には彼のこの行動に関していささかも疑念を挿 んで居なかったものと思われる。この意味に於て彼の回心は全く外部より来れる突然の事実であった。しかしながら彼はその所信に向って徹底的に進めば進むほど彼の心中に益々満たされない処のものを彼は見出したのであった(ロマ7章)。この心の空虚を満さんとして彼は益々激しく聖徒を迫害している際、却てステパノを始め聖徒らの中に偉大なる平安があることを見出したのであった。かくして自己の努力によりて自己を充さんとして益々空虚の大なる事を感じたる彼は、主の顕現に接して全く打ち砕かれたのであった。この意味に於て彼の回心は内面的であったと云う事が出来る。この両面の一を見失う事はパウロの真相を見失う事である。
要義3 [回心の必要]人間は生れ乍ら神に背き自己の慾望の奴隷となっている、自己の慾望はたとい如何に精神的道徳的であってもそこに平安は得られない、回心によりて根本的に方向を一転して神に従いその奴隷となる事を要するのはその為である。
サウロは
註解:互 に主の驚くべき御業につき語り合った事であろう。アナニヤの物語を聴いて彼らはサウロに対して何等の疑惑も恐怖も感じなかったのであろう。ガラ1:17にあるパウロのアラビヤ行につきては「附記」を見よ。
9章20節
口語訳 | ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。 |
塚本訳 | すぐあちこちの礼拝堂で、イエスのことを、この方こそ神の子であると説きはじめた。 |
前田訳 | そしてすぐに諸会堂でイエスのことを、「この方こそ神の子である」とのべ伝えはじめた。 |
新共同 | すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。 |
NIV | At once he began to preach in the synagogues that Jesus is the Son of God. |
註解: イエスが神の子である事は凡ての信仰の中心点である。パウロは先づ第一にこの点に就て不動の確信を得てこれを宣伝した。いわゆるパウロ神学の中心も此処に在る。諸会堂に居るユダヤ人等は未だこの福音を信じなかった。(▲この場合パウロは勿論迫害を覚悟していた。)使徒行伝にはここに一ケ処のみ「神の子」なる語が用いられている。
9章21節
口語訳 | これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。 |
塚本訳 | 聞いた人が皆呆気にとられて言った、「この人は(前に)エルサレムで、この(イエスの)名を呼ぶ者を撲滅しようとした人ではないか。またここに来たのも、彼らを縛って、大祭司連に引いてゆくためだったではないか。」 |
前田訳 | 聞き手は皆おどろいていった、「この人はエルサレムでこの名を呼ぶものを絶滅しようとした人ではありませんか。ここに来たのも、彼らを捕えて大祭司たちのところへ引いてゆくためではありませんか」と。 |
新共同 | これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」 |
NIV | All those who heard him were astonished and asked, "Isn't he the man who raised havoc in Jerusalem among those who call on this name? And hasn't he come here to take them as prisoners to the chief priests?" |
註解: かく言うは結局パウロに対する不信の表明であった。是まではユダヤ人らの英雄と崇められたパウロは、キリストを信ずる事によりて却って彼らより無視、排斥、迫害されるに至った。今日もまた同様の事実を我らは目撃する。悪人が急に悔改めた場合には暫く伝道を遠慮する方が至当である。▲三年間アラビヤに引きこもったのも(ガラ1:18)この経験の結果ではあるまいか。
9章22節 サウロますます
口語訳 | しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。 |
塚本訳 | しかしサウロはますます(その言葉に)力が加わり、この方こそ救世主であると論証して、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。 |
前田訳 | しかしサウロはますます力を増し、この方こそキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをあわてさせた。 |
新共同 | しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。 |
NIV | Yet Saul grew more and more powerful and baffled the Jews living in Damascus by proving that Jesus is the Christ. |
註解: 聖霊の力が益々多くサウロに加った。反対が強くなればなる程彼は益々力付くのであった。パウロはイエスと同じく先づユダヤ人に福音を伝えた。
辞解
[論証する] sumbibazô は多くのものを一つに集める事の意味を有す、各方面より立証せる事。
[言ひ伏す] sunchunnô(suncheô)擾乱する事、混乱せしむる事の意味、ユダヤ人らをして答うる処に窮せしむる事。
口語訳 | 相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。 |
塚本訳 | だいぶ日数がたってから、ユダヤ人はサウロを殺そうと決議した。 |
前田訳 | かなり日数がたってから、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。 |
新共同 | かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、 |
NIV | After many days had gone by, the Jews conspired to kill him, |
註解: 直訳「若干日充ちたる時」でこの期間の長さは不明である。アラビヤ行の三年間(ガラ1:18)をこの若干日の中に含ましむべしとする説につきては「附記」を見よ。
ユダヤ
口語訳 | ところが、その陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。 |
塚本訳 | 彼らの陰謀がサウロに知れた。しかし彼らはサウロを殺そうとして、夜も昼も(町の)門を見張っていたので、 |
前田訳 | しかしその陰謀は彼に知れた。彼らは彼を殺そうとして、昼も夜も町の門までも見張っていた。 |
新共同 | この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。 |
NIV | but Saul learned of their plan. Day and night they kept close watch on the city gates in order to kill him. |
註解: サウロは其後も到る処にその同国人に迫害せられた。ロマ9:1-3にある如き彼の愛国心もその同国人によりて誤解された。高き愛国心は非愛国心の如くに見えるのを常とする。
註解: ユダヤ人の殺意は常に極めて執拗である。この場合もアレタ王の下にある総督を動かしサウロを殺さしめんとしたのであった(Uコリ11:32)
9章25節 その
口語訳 | そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした。 |
塚本訳 | (主の)弟子たちは夜のあいだに彼を篭で吊りおろし、城壁づたいに(門の外に)おろした。 |
前田訳 | 弟子たちは夜彼を迎え、城壁づたいに籠でつっておろした。 |
新共同 | そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。 |
NIV | But his followers took him by night and lowered him in a basket through an opening in the wall. |
註解: Uコリ11:33によれば窓より縋 り下されたのであった、是は或は石垣に接して建てられし家の窓か、または石垣そのものにある小窓であろう。
附記 [パウロのアラビヤ行につきて]ガラ1:16、17によればパウロが主イエスの召を受けしとき血肉と謀らず使徒たちにも会わずに直ちにアラビヤに往きてまたダマスコに返ったとの事である。アラビヤ滞在の期間は不明であるけれども回心よりエルサレム行までは三年を経過したと録されている(ガラ1:18)。是はパウロ自身の記した処で誤は無い。またルカがこれを録さなかったのはこれが教会全体の歴史の記録の中に入るには不適当なる個人的事実だからであろう。唯問題となるはこのアラビヤ行は何時であったかとの点である。これには種々の節あり(1)19節b以前、(2)19節と20節の間、(3)22節の前(A1)、(4)23節の「日を経ること久しく」の中(M0)、(5)25節の後(B1)等種々の解あり、(3)の節が最も可能性が多いけれども確定する事が出来ない。またアラビヤの滞在の場所及び期間も不明である。尚ガラ1:17註及要義4参照。
9章26節
口語訳 | サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。 |
塚本訳 | サウロはエルサレムに来て、(そこの主の)弟子たち(の仲間)に加わろうとしてみたけれども、みんなが彼をこわがった。(ほんとうに主の)弟子と信じなかったのである。 |
前田訳 | 彼はエルサレムヘ来て弟子たちに加わろうとつとめたが、皆が彼が弟子であることを信じないで彼をおそれていた。 |
新共同 | サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。 |
NIV | When he came to Jerusalem, he tried to join the disciples, but they were all afraid of him, not believing that he really was a disciple. |
註解: ダマスコ途上に於けるパウロの回心はエルサレムの信徒や使徒たちには充分に伝って居なかった。また伝って居ってもこれを信じなかったであろう。またパウロは回心後はユダヤ人にすら反対された位であるから極めて目立たない生活をしていた。三年間の隠微の生活はエルサレムの使徒信徒をしてサウロの存在を無視せしむるに充分であった。神より外に真に人間の心を知るものは無い、パウロの淋しさは如何ばかりであったろう(ガラ1:19註参照)。
辞解
[中に列る] 使5:13。使8:29の「近づく」と同じく kollaomai で親密になる事。
9章27節
口語訳 | ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。 |
塚本訳 | しかしバルナバは彼を受けいれて使徒たちの所につれて行き、彼が(ダマスコへ行く)途中で主を見たこと、主が語られたこと、また(その後)ダマスコでイエスの名で大胆に語ったことを彼らに話してきかせた。 |
前田訳 | しかしバルナバは彼を迎えて使徒たちのところへ連れてゆき、彼が道すがら主にまみえたこと、主が彼に語られたこと、彼がダマスコでイエスの名で大胆に語った様子を彼らに説明した。 |
新共同 | しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。 |
NIV | But Barnabas took him and brought him to the apostles. He told them how Saul on his journey had seen the Lord and that the Lord had spoken to him, and how in Damascus he had preached fearlessly in the name of Jesus. |
註解: バルナバはギリシヤ文化に接せる人だけあってユダヤ人の如く固陋 ならず、また性格としても穏健な人であったのでサウロの語る処を理解し、これを信じて使徒団に紹介の労を取った。バルナバの態度はまことに美しい態度である。尚ガラ1:18によればこの「使徒たち」はペテロとヤコブのみであって他の使徒はパウロに逢わなかった。ルカがこれを黙しているのはサウロと使徒たちとが無関係にあらざる事を示さんが為であり、パウロがこれを録したのは彼が使徒団との間に人間的関係の存せざる事を強調せんが為であった(ガラ1:18-24附記參照)。「主を見しこと」は他に録されていない、光輝の陰に主が在りし給いしことを信じたのであろう。
辞解
[告ぐ] diêgeomai は詳しく釈明する。
9章28節
口語訳 | それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、 |
塚本訳 | そこで彼は(仲間に加えられ、)エルサレムで使徒たちと行き来をし、主の名で大胆に語りつづけた。 |
前田訳 | そこで彼はエルサレムで弟子たちとともにいて行き来し、主のみ名によって大胆に語っていた。 |
新共同 | それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。 |
NIV | So Saul stayed with them and moved about freely in Jerusalem, speaking boldly in the name of the Lord. |
註解: 「出入し」は親密なる交際を意味す(使1:21)。但し弟子たちとはペテロ、ヤコブ、バルナバ及び他の使徒以外の人々であった。
9章29節
口語訳 | ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。 |
塚本訳 | またギリシヤ語を話す(外国そだちの)ユダヤ人とたえず語り、議論をしていた。すると彼らは彼を殺そうと計画した。 |
前田訳 | またヘレニストたちと語り、かつ論じていた。しかし彼らは彼を殺そうと計った。 |
新共同 | また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。 |
NIV | He talked and debated with the Grecian Jews, but they tried to kill him. |
註解: 最も議論を好むのはギリシヤ語のユダヤ人であった(使6:1、使6:9参照)。使徒たちのみでは何等の問題を起さなかったのに、サウロ来りて忽 にして風波を起した、
辞解
[ギリシヤ語のユダヤ人] 使6:1辞解参照。
9章30節
口語訳 | 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れてくだり、タルソへ送り出した。 |
塚本訳 | 兄弟たちはこれに気づいて、カイザリヤにつれて行き、(郷里キリキヤ州の)タルソへ送った。 |
前田訳 | 兄弟たちはそれを知って彼をカイサリアに連れてゆき、タルソへ送った。 |
新共同 | それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。 |
NIV | When the brothers learned of this, they took him down to Caesarea and sent him off to Tarsus. |
註解: 彼は到る処にその生命が危険にさらされていた、16節の主の御言が実現したのである。ユダヤ人らに取りてサウロの徹底的改新の態度が他の使徒たちに比して甚だしく過激に見えたのであった。他の使徒たちが迫害せられずに生活し居るに関らず、パウロのみが迫害せられたのは是が為である。尚使22:17-21は本節の記事と矛盾せず、この事件に伴えるパウロの内面的経過である。カイザリヤよりタルソまで陸路によりしか海路によりしかは不明である。尚サウロの物語は使11:19以下に連絡する。
要義 [信仰の独立性]十二使徒とパウロとの信仰的連絡が極めて自由にして、独立的であった事に注意すべきである。使徒たちもパウロに何等の掣肘 を加えずパウロも使徒たちより何物をも得んとせず、各々主にある兄弟である事の確信の下に行動していた。もしこれを人為的の制度や信條によりて一致せしめんとしたならば極めて形式的の一致より外に得られなかったであろう。自由の中に主による統制が行われ、独立の中に主にある一致が存する処に真のキリストの教会の姿がある。
9章31節
口語訳 | こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。 |
塚本訳 | さて、集会は(サウロの回心と共に)ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全体を通じて平和を得、基礎が固まり、主を恐れて日を過ごし、(迫害の後に)聖霊の慰めをうけて信者の数がふえていった。 |
前田訳 | 集まりはユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたって平安を得、主へのおそれのうちに基礎が固まり、前進し、聖霊のはげましによって増大していった。 |
新共同 | こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。 |
NIV | Then the church throughout Judea, Galilee and Samaria enjoyed a time of peace. It was strengthened; and encouraged by the Holy Spirit, it grew in numbers, living in the fear of the Lord. |
註解: 教会の小康、繁栄の時代であった。而してそれは単なる外面的平和ではなく、信仰は益々高くまた強まり、道徳生活は潔まり、聖霊の佑助によりて教会は充実して来た。この三つの要素は教会生活の最も健全なる状態である。▲口語訳の様に訳すことも可能である
辞解
[教会] 少数の異本を除き単数名詞を用う、全体が一の教会である。
[堅立し] oikodomeô は「徳を建つる」とも訳されて居り、家屋を建築する事より来れる動詞である。家が次第に建て上げられる如くに信仰が建上げられる事、また人数の増加が聖霊の「佑助」paraklêsis による事は重要なる事柄である。
[聖霊] paraklêtos 助主、弁護者である。ヨハ14:16註参照。
9章32節 ペテロは
口語訳 | ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。 |
塚本訳 | ペテロは(それらの地方の)到る所をあるき回って(信者を訪問して)いたが、ルダに住む聖徒達の所にも下ってきた。 |
前田訳 | ペテロは至るところをへめぐって、ルダに住む聖徒たちのところにも下った。 |
新共同 | ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。 |
NIV | As Peter traveled about the country, he went to visit the saints in Lydda. |
註解: 32-43にペテロの行える二つの奇跡につきて録す。主イエスより能力を与えられて使徒たちは奇跡を行う事が出来た。
辞解
[遍く四方をめぐりて] 「凡ての聖徒たちを歴訪して」と訳する説が多い(B1、C1、M0、H0)。
[ルダ] 今のリツダ、旧約のロド(T歴8:12)、エルサレムよりヨツパ(今のジヤフア)に至る途上にあり、尚当時基督者が遍 く散在していた事に注意を要す。
9章33節
口語訳 | そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。 |
塚本訳 | そこで、アイネヤという人が八年このかた床についているのを見た。この人は中風にかかっていた。 |
前田訳 | そこで八年来、床についているアイネアという名の人に会った。この人は中風であった。 |
新共同 | そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。 |
NIV | There he found a man named Aeneas, a paralytic who had been bedridden for eight years. |
註解: アイネヤはギリシヤ名、多分ギリシヤ語のヘブル人ならん。
9章34節
口語訳 | ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。 |
塚本訳 | ペテロが言った、「アイネヤよ、いまイエス・キリストがあなたをお直しになった。立って、自分で床を敷きかえてみなさい。」彼はすぐ起きあがった。 |
前田訳 | ペテロは彼にいった、「アイネア、イエス・キリストがあなたをおいやしです。立ち上がって、自分で床を整えなさい」と。彼はすぐ立ち上がった。 |
新共同 | ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。 |
NIV | "Aeneas," Peter said to him, "Jesus Christ heals you. Get up and take care of your mat." Immediately Aeneas got up. |
註解: 八年問病床に在りし彼が直ちに医されし事、イエス・キリストの御名によりて医されし事に注意すべし、イエスの能力がペテロに宿りペテロを通してアイネヤの上に働いたのである。尚イエスが中風を医し給いし例を参照すべし(マタ9:1-8。マコ2:1-12。ルカ5:17-26)。
9章35節
口語訳 | ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。 |
塚本訳 | ルダ(の町)とサロン(の野)との住民全体が彼(の直ったの)を見た。この人たちは(みな)主(キリスト)に帰依した。 |
前田訳 | ルダとサロンに住む人は皆彼を見て、主に帰依した。 |
新共同 | リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。 |
NIV | All those who lived in Lydda and Sharon saw him and turned to the Lord. |
註解: 古代奇跡的治癒が信徒を作るに大に力があった事は今日よりも一層の程度に於て事実であった。但し今日に於ては実利主義がその主要の動機を為しているけれども、古代に於ては神の能力に対する驚異が主要の原因であった。
辞解
[サロン] 旧約聖書のシヤロンでパレスチナの西海岸近くヨツパより北に拡がれる豊饒 なる平原、草花の美しさに於て有名である。
[みな] 勿論多数の住民の意。
[帰依せり] 「転向せり」と云う如き文字。
口語訳 | ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。 |
塚本訳 | またヨッパ(の町)にタビタ、(ギリシヤ語に)訳するとドルカス(羚羊)というひとりの女信者がいた。この人は山のような善行と慈善とをした人であった。 |
前田訳 | ヨッパにタビタ、訳すとかもしか(ドル力ス)という名の女信者がいた。彼女はたくさんのよいわざと施しを実行した人であった。 |
新共同 | ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。 |
NIV | In Joppa there was a disciple named Tabitha (which, when translated, is Dorcas ), who was always doing good and helping the poor. |
註解: ヨツパは地中海岸の良港、ペテロと関係深し(43節、使10:5以下)。タビタは処女か、結婚せる女子か、寡婦かまたその老若等一切不明なれども、この記事の内容よりすれば寡婦らしく思われる節が多い。また女執事なりや否やも不明である。
その
註解: タビタはアラム語の名、ドルカスはギリシヤ語で共に羚羊 を意昧す、眼の美しき動物、女子の美しさを形容するに用う。
註解: 周囲にある多くの人々より非常に慕われていた事が判明る。ペテロも彼を非常に尊敬していたのであろう。また当時の信徒が凡て財産を共有せるにあらざる事の証拠である。
9章37節
口語訳 | ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。 |
塚本訳 | そのころ病気になって死んだので、人々は(その体を)洗って二階の部屋に置いた。 |
前田訳 | そのころ彼女は病気になって死んだので、人々はその体を清めて上の間に置いた。 |
新共同 | ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。 |
NIV | About that time she became sick and died, and her body was washed and placed in an upstairs room. |
註解: 埋葬の前に死体を洗う事はギリシヤ人の習慣であった。高楼(二階または三階の室)に置く事の理由不明、埋葬が遅延する場合の処置(E0)と見る説あり、尚T列17:19參照。
9章38節 ルダはヨツパに
口語訳 | ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。 |
塚本訳 | ところでルダはヨッパに近いので、(ヨッパの主の)弟子たちはペテロがそこにいると聞き、使を二人やって、「恐れ入りますがこちらにお出でいただきたい」と願わせた。 |
前田訳 | ルダはヨッパに近いので、弟子たちはペテロがそこにいると聞いて、ふたりの人を彼につかわして、「早くおいでください」と頼んだ。 |
新共同 | リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。 |
NIV | Lydda was near Joppa; so when the disciples heard that Peter was in Lydda, they sent two men to him and urged him, "Please come at once!" |
註解: 弟子たちがペテロを呼び寄せたのは、ペテロに奇跡を要求したのではなく、大切なる信者の死であるので。ペテロに報告したのであろう。次節の記事がこの事を暗示する。
9章39節 ペテロ
口語訳 | そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。 |
塚本訳 | ペテロは立って二人と一緒に行った。(ヨッパに)着くと、人々はペテロを二階の部屋に案内した。寡婦たちが皆彼のそばによって来て、ドルカスがまだ一緒にいたとき作ってくれたかずかずの下着や上着を、泣きながら見せた。 |
前田訳 | ペテロは立ち上がって、同行した。彼が着くと人々は上の間に案内した。やもめたちは皆彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。 |
新共同 | ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。 |
NIV | Peter went with them, and when he arrived he was taken upstairs to the room. All the widows stood around him, crying and showing him the robes and other clothing that Dorcas had made while she was still with them. |
註解: ペテロは悲に満されて直ちに赴き、タビタの死体を見て一層悲哀が増したであろう。またタビタの生前に親しかった寡婦たちは、その贈物を示しつつ涙を以てタビタの思い出に耽っていた。ペテロの奇跡の力はこうした雰囲気に於て醸されたのであった。
辞解
[寡婦ら] 特にドルカスの施済 に与りし人々かまたは共に施済 に従事せし人たちならん。
[製りし] 製りて彼らに与えたのであるかまたはそれらを彼らと共に貧者に施済 したのであろう。
9章40節 ペテロ
口語訳 | ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。 |
塚本訳 | ペテロはみんなを外に出し、ひざまずいて祈った。そして死体の方を向いて、「タビタ、立ちなさい!」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きあがった。 |
前田訳 | ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして体の方に向いて、「タビタ、お立ちなさい」といった。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て、起きなおった。 |
新共同 | ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。 |
NIV | Peter sent them all out of the room; then he got down on his knees and prayed. Turning toward the dead woman, he said, "Tabitha, get up." She opened her eyes, and seeing Peter she sat up. |
註解: 精神を集中する場合には他人の居る事は妨となる故、ペテロは彼らを室外に去らしめた。また奇跡を行う力は祈によるに非ざれば出て来ない。尚このタビタの復活の光景はイエスがヤイロの娘を甦らしめ給える場合に似ている(マタ9:25。マコ5:41)。
9章41節 ペテロ
口語訳 | ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。 |
塚本訳 | 彼は手をかして立たせ、聖徒や寡婦たちを呼んで、彼女が生きていることを示した。 |
前田訳 | 彼は手をかして彼女を立たせた。彼は聖徒とやもめたちを呼んで、彼女が生きているのを見せた。 |
新共同 | ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。 |
NIV | He took her by the hand and helped her to her feet. Then he called the believers and the widows and presented her to them alive. |
註解: 彼らの驚駭と歓喜とは如何ばかりであったか。神はその力によりて死人をも起たしめ給う。
9章42節 この
口語訳 | このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。 |
塚本訳 | このことがヨッパ中に知れわたったので、大勢の人が主を信じた。 |
前田訳 | このことがヨッパ全体に拡がり、多くの人が主を信じた。 |
新共同 | このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。 |
NIV | This became known all over Joppa, and many people believed in the Lord. |
註解: 斯くしてヨツパには立派なる聖徒の一団が出来上った。
9章43節 ペテロ
口語訳 | ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した。 |
塚本訳 | ペテロは相当の日数、ヨッパでシモンという皮なめしのところに泊まった。 |
前田訳 | ペテロはしばらくの間、ヨッパでシモンという皮なめし職人のところに泊まっていた。 |
新共同 | ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。 |
NIV | Peter stayed in Joppa for some time with a tanner named Simon. |
註解: 皮工はユダヤ人の嫌忌せる職業であった。ペテロがこれを忌まなかった事は、彼の信仰の賜物であった、人種的偏見、職業的偏見は信仰によりてのみ除く事を得。
要義 [ペテロの奇跡の意義]ルカがこの二つの奇跡を記載せし目的は、恐らく最も著しき場合として例示したのであろう。しかしながら我らはこの二つの例の中に重要なる示唆を見出す事が出来る。即ちアイネヤの場合はイエスの能力により信仰によりて我らの罪の頑固なる捕囚より免れる事を得る事、タビタの場合は信仰によりて死に打勝つ事を得る事の例である。我らは信仰によりて霊の中風を癒され、霊の死より復活せしめられる。