黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版使徒行伝

使徒行伝第3章

分類
2 エルサレムに於ける使徒の活動 3:1 - 7:60
2-1 ペテロとヨハネの活動 3:1 - 4:31
2-1-1 ペテロ、ヨハネ跛者(あしなえ)を医す 3:1 - 3:10

註解: 使2:43の不思議と徴の数々の中よりその一つを選び之が迫害の機会となりし事を録す。

3章1節 (ひる)三時(さんじ)、いのりの(とき)に、ペテロとヨハネと(みや)(のぼ)りしが、[引照]

口語訳さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、
塚本訳さて昼の三時の祈りの時間に、ペテロとヨハネとが宮に上ろうとすると、
前田訳ペテロとヨハネは祈りの時である午後三時に宮へ上って行った。
新共同ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。
NIVOne day Peter and John were going up to the temple at the time of prayer--at three in the afternoon.
註解: 彼らはユダヤ人の信仰とその習慣とを尊重し之を実行していた。殊に日々の祈は欠かさず之を行う事が必要である。
辞解
[昼の三時] 原語第九時で今の午後三時頃に当る。
[いのりの時] 第三時、第六時、第九時と三回行われたとの説あり、又早朝と第三時と夕刻とに行われたとの説もある。
[上る] 未完了過去形を用い、日々繰返される動作を示す。実際に門内に入ったのは8節となる。

3章2節 (ここ)(うま)れながらの跛者(あしなへ)かかれて(きた)る。(みや)()(ひと)より施濟(ほどこし)()ふために日々(ひび)(みや)美麗(うつくし)といふ(もん)()かるるなり。[引照]

口語訳生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。
塚本訳(ちょうどその時、)母の胎内からの足なえの男がかつがれて来た。彼は宮に入る人たちに施しを乞うため、宮の、いわゆる「美しい門」に毎日置かれたが、
前田訳すると生まれつき足なえの男が運ばれて来た。彼は宮詣での人々に施しを乞うために、毎日、美しい門といわれる宮の門に置かれていた。
新共同すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。
NIVNow a man crippled from birth was being carried to the temple gate called Beautiful, where he was put every day to beg from those going into the temple courts.
註解: この種の物乞ひが宮又は寺院の附近に集る事は古今東西類を同じうする。これ人間の良心が最も良く働いている場所を選ぶ自然の傾向である。美しき宮の傍に坐する乞食の姿は御国を近くに有ちつつ物質を求めて止まない人類の姿に酷似す。
辞解
[「かかれて来る」「置かれるなり」] 等は皆未完了過去形で日々繰返される動作を示す。「かかれて…置かれるのであった」と言う様な意味。
[美麗門] 何れの門か不明、二三の説があるけれども不確実であり、多数説はケデロンの谷を西に渡りたる処のニカノル門ならんとの説である。

3章3節 ペテロとヨハネとの(みや)()らんとするを()施濟(ほどこし)を(()けん(こと)を)()ひたれば、[引照]

口語訳彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。
塚本訳(いま)ペテロとヨハネとが宮に入って行くところを見て、しきりに施しをもらいたいと頼んだ。
前田訳彼はペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、しきりに施しを乞うた。
新共同彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。
NIVWhen he saw Peter and John about to enter, he asked them for money.
註解: 人は往々にして彼に取りて最も必要なるものを求めずして第二義以下のものを求める。この跛者も癒される事を求めずして施済を求めた。永遠の生命を求めずしてこの世の富貴を求むる者もこれに類している。
辞解
[受けん事を] 訳語を欠く、しかし意味の上に支障はない。

3章4節 ペテロ、ヨハネと(とも)()()めて『(われ)らを()よ』と()ふ。[引照]

口語訳ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
塚本訳ペテロは、ヨハネと一緒に、その人に目をとめて言った、「わたし達(の顔)を見なさい。」
前田訳ペテロはヨハネとともに彼を見つめていった、「われらをごらん」と。
新共同ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
NIVPeter looked straight at him, as did John. Then Peter said, "Look at us!"
註解: 奇跡は心の感応無しには行われない。使徒等はかく言いて跛者の注意を喚起したのである。

3章5節 かれ(なに)をか()くるならんと、(かれ)らを()つめたるに、[引照]

口語訳彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、
塚本訳彼が何かもらうことを予期して二人を見つめていると、
前田訳彼は何かもらえると思って彼らをじっと見ていた。
新共同その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、
NIVSo the man gave them his attention, expecting to get something from them.
辞解
[みつめる] 訳されし epechô はむしろ注意を集中する事を意味す。

3章6節 ペテロ()ふ『(きん)(ぎん)(われ)になし、()れど(われ)()るものを(なんぢ)(あた)ふ、ナザレのイエス・キリストの()によりて(あゆ)め』[引照]

口語訳ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
塚本訳ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」
前田訳ペテロがいった、「銀や金はわたしにない。しかしわたしにあるもの、それをあげる。ナザレ人イエス・キリストの名でお歩き」と。
新共同ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
NIVThen Peter said, "Silver or gold I do not have, but what I have I give you. In the name of Jesus Christ of Nazareth, walk."
註解: 「イエス・キリストの名によりて」とはその跛者に、イエスに対する信仰を呼起さんとしたのであった。ぺテロ、ヨハネの所有する最大の宝はナザレのイエス・キリストであった。この宝は之を用いても尽くる事なき生命の源である。而してイエスの生命を内に蔵するものはイエスの力を受け彼と同じく奇蹟を行うの力がある。
辞解
[金銀は我になし] この言より(1)使徒たちの赤貧、(2)イエスの命令の遵守(ルカ12:33)、(3)又は使徒たちの金銀は信徒団の共同管理に属していた事等を結論せんとする事はやや過当である。ペテロ、ヨハネの心中にはこの跛者に与うべき金銭を持たなかった。それはそれ以上の宝を彼に与えんとしたからである。

3章7節 (すなは)(みぎ)()()りて(おこ)ししに、(あし)(かふ)踝骨(くるぶし)とたちどころに(つよ)くなりて、[引照]

口語訳こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、
塚本訳そして右手でつかんで起こすと、たちどころに足と踝とが強くなり、
前田訳そして右手をつかんで起こした。するとたちまち足とくるぶしが強くなり、
新共同そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、
NIVTaking him by the right hand, he helped him up, and instantly the man's feet and ankles became strong.

3章8節 (をど)()ち、(あゆ)()して、(かつ)あゆみ(かつ)をどり、(かみ)讃美(さんび)しつつ(かれ)らと(とも)(みや)()れり。[引照]

口語訳踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。
塚本訳踊り上がって立って、歩きまわった。そして彼らと一緒に宮に入っていった、歩きまわりながら、踊りながら、神を讃美しながら。
前田訳躍りあがって立ち、歩きまわった。そして彼らとともに宮に入り、歩いたり躍ったりしながら神をたたえた。
新共同躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。
NIVHe jumped to his feet and began to walk. Then he went with them into the temple courts, walking and jumping, and praising God.
註解: ペテロに与えられし奇蹟力によりて生来(うまれつき)の跛者は医され、生れて始めて立ちて歩む事が出来た。その歓喜と感謝の念は如何に深かった事であろう。8節はこの短き文章の中に跛者の(1)完全に医されし姿、(2)その絶大なる喜び、(3)その信仰的革命、(4)その使徒たちに対する感謝と愛着が極めて自然にかつ巧に描き出されているのを見る。
辞解
[足の甲] baseis は踝骨(くるぶし)より下の部分、「踝骨(くるぶし)」と共に医音ルカの描寫の特徴を示す
[躍り立ち] 「躍りて立ち上り」の意、おどりは歓喜のあまり跳躍する事、
[彼らと共に宮に入る] 使徒たちに対する愛着の心を示す。

3章9節 (たみ)みな()(あゆ)み、また(かみ)讃美(さんび)するを()て、[引照]

口語訳民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、
塚本訳民衆はことごとく、その人が歩きまわったり、神を讃美したりするのを見て、
前田訳民衆は皆彼が歩き、また神をたたえるのを見た。
新共同民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。
NIVWhen all the people saw him walking and praising God,

3章10節 (かれ)(さき)乞食(こつじき)にて(みや)美麗(うつくし)(もん)()しゐたるを()れば、この(おこ)りし(こと)()きて驚駭(おどろき)奇異(あやしみ)とに()ちたり。[引照]

口語訳これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。
塚本訳これが宮の美しい門のわきに坐っていて、施しを乞うていた者だと気がつくと、その身に起こったことに、ただ驚き呆れるばかりであった。
前田訳そして彼が宮の美し門のところにすわっていて施しを乞うていたものと知ると、皆はその身におこったことについておどろきと怪しみに満たされた。
新共同彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
NIVthey recognized him as the same man who used to sit begging at the temple gate called Beautiful, and they were filled with wonder and amazement at what had happened to him.
註解: 10節は「これが物乞わんとて宮の美麗門に坐しいたる彼なるを認め」と訳すべきである。ペテロの行える奇蹟は跛者自身のみならず一般の民に異常なるおどろきを与えた。罪より救はれし一人の基督者ももしこの跛者の如くに行動するならばそれは一般の人々に同様の驚駭を与える。
辞解
[驚駭] thambos は感情の方面、
[奇異] ekstasis は理性を超越せる茫然自失の状態。
要義1 [最大の賜物]人類に与えられし最大の賜物はイエス・キリストである。神は彼を賜うほどに世を愛し給うた。然るに人類はこの賜物を受くる事を知らずして無価値なる物質的の賜物を受けん事に熱中して他を顧みない。しかしながら人は一旦眼開かれてイエスを受くるに至れば、この賜物の価値の無限なる事を知るが故に他の賜物を顧ざるに至る。物乞いしつつあった跛者の姿と、躍リつつ歩める彼の姿とを比較せよ。
要義2 [救われし者の態度]癒されし生来(うまれつき)の跛者の姿及び態度は救われし罪人のそれらに酷似している。生来(うまれつき)の罪の桎梏(しっこく)の下にその無力を嘆く罪人は、一旦罪より解放たれて義とされるに至れば、足と踝骨(くるぶし)とが強くなり確信を以て立上る事が出来る。彼はその大歓喜の故に手の舞い足の躍るを知らない。かくして彼の心は救の神を讃美し、彼の愛と感謝の念は泉の如くに流れ出でて、彼にこの救主イエスを伝えし人々に注がれる。かくして救われし基督者は歓喜と希望と、感謝と愛と力との生活を送る事が出来るのである。

2-1-2 ペテロ、イエスを宣伝う 3:11 - 3:26

3章11節 ()くて(かれ)がペテロとヨハネとに()りすがり()るほどに、(たみ)みな(はなは)だしく(をどろ)きてソロモンの(らう)(とな)ふる(らう)()せつどふ。[引照]

口語訳彼がなおもペテロとヨハネとにつきまとっているとき、人々は皆ひどく驚いて、「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊にいた彼らのところに駆け集まってきた。
塚本訳(喜びのあまり)その人がペテロとヨハネとにすがりついているので、人々が皆びっくりして、いわゆるソロモンの回廊にいた二人の所へかけ集まってきた。
前田訳彼がペテロとヨハネにすがっているので、民衆は皆おどろいて、いわゆるソロモンの回廊にいた彼らのところに駆け寄って来た。
新共同さて、その男がペトロとヨハネに付きまとっていると、民衆は皆非常に驚いて、「ソロモンの回廊」と呼ばれる所にいる彼らの方へ、一斉に集まって来た。
NIVWhile the beggar held on to Peter and John, all the people were astonished and came running to them in the place called Solomon's Colonnade.
註解: 前の跛者はその恩人に対する愛着より堅くペテロとヨハネとに取りすがってソロモンの廊(ヨハ10:23註参照)まで至り、群集はおどろきの余り群を為して馳せ集った。

3章12節 ペテロこれを()(たみ)(こた)ふ『イスラエルの人々(ひとびと)よ、(なん)()(こと)(あや)しむか、(なん)(われ)らが(おのれ)能力(ちから)敬虔(けいけん)とによりて()(ひと)(あゆ)ませしごとく、(われ)らを()つむるか。[引照]

口語訳ペテロはこれを見て、人々にむかって言った、「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。
塚本訳ペテロが見て、人々に話しはじめた。「イスラエル人諸君、なぜこのことをそんなに驚くのですか、また、なぜそんなにわたし達を見つめるのですか、わたし達が自分の力か信心で、この人を歩かせでもしたかのように。
前田訳それを見てペテロが民衆にいった、「イスラエル人の方々、なぜこのことにおおどろきですか。また、なぜわれらをお見つめですか、あたかもわれらが自らの力か信仰で彼を歩かせたかのように。
新共同これを見たペトロは、民衆に言った。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。
NIVWhen Peter saw this, he said to them: "Men of Israel, why does this surprise you? Why do you stare at us as if by our own power or godliness we had made this man walk?
註解: ペテロの弁舌は12-16節と16節以下との二つの部分より成る。第一の部分に於てはイエスの死と復活とその能力とを示してこの神の子を殺せる者の罪を指摘し、第二の部分に於ては預言に照してイエスのキリストなる事と且つ彼の来り給うべき事の神の約束とを彼らに示し、かくして民に信仰と悔改とをせまっている。ペテロはイエスを示さんが為に先づ己の力と信仰とを人々の目より隠して、イエスの助に凡てを帰せんとしているのである。伝道者の務は人をイエスに導き、イエスに紹介するに在る。イエスを隠して自己の偉大を示さんとする偽伝道者の態度とは天地の差異あり。
辞解
[敬虔] eusebeia ここでは信仰と同義に用いられているけれども、本来信仰よりも広き意味を有する文字。

3章13節 アブラハム、イサク、ヤコブの(かみ)、われらの先祖(せんぞ)(かみ)は、その(しもべ)イエスに榮光(えいくわう)あらしめ(たま)へり。[引照]

口語訳アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光を賜わったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。
塚本訳(わたし達の力ではありません。)“アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわちわたし達の先祖の神が、”“その僕”イエス“に(こんな力のあることを示して、彼に)栄光をお与えになったのです。”ところがあなた達は、このイエスを(総督ピラトに)引き渡し、ピラトは赦そうと決心したのに、ピラトに面と向かって、あなた達は彼を否認しました。
前田訳アブラハムとイサクとヤコブの神、われらの先祖の神がその僕イエスに栄光をお与えでした。しかるにあなた方は彼を引き渡し、ピラトがゆるすと決めたのに、その面前で拒みました。
新共同アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。
NIVThe God of Abraham, Isaac and Jacob, the God of our fathers, has glorified his servant Jesus. You handed him over to be killed, and you disowned him before Pilate, though he had decided to let him go.
註解: ペテロはイエスに就き述べるにあたり、イエスの父たる神を呼ぶにアブラハム以下の先祖の名を以てした。これ聴く処の群衆に対して一層適切に自己の神が即ちイエスの父たる事を思わしめんが為であった。この神はイエスをしてその生存中はその恩恵と真理とに充てる事とその多くの徴と業と教とにより、又その死後はその復活昇天により、今は又この跛者を立たしむる事により常に栄光あらしめ給うた、これイエスの神の御子たる事の証である。
辞解
[僕] pais は「子」の意味もあり、又かく訳すべしとする学者もあるけれども、この場合はイザ40-66章即ち第ニイザヤ殊にその53章の「エホバの僕」の事に関連ある故、これを「僕」と訳するを可とす(マタ12:18使3:26使4:27使4:30參照)。「エホバの僕」エヴエド・ヤーヴエーはイスラエルの民の理想の姿であるけれどもその最も完全なる形はイエスに於て表われた。

(なんぢ)()このイエスを(わた)し、ピラトの(これ)(ゆる)さんと(さだ)めしを、()(まへ)にて(いな)みたり。

註解: 異邦人の官吏(かんり)たるピラトすらイエスを釈さんとせるにユダヤ人なる汝等之を否みて死に付した。
辞解
[その前にて] 「その面前にて」非常に大胆なる公然の拒否を意味す。この点にイエスの弟子たちとユダヤ人との間の対立がある。
[ピラト] 及びこの前後の成行につきては福音書を見よ(マタ27:2)。

3章14節 (なんぢ)らは、この聖者(しゃうじゃ)義人(ぎじん)(いな)みて、殺人者(ひとごろし)(ゆる)さんことを(もと)め、[引照]

口語訳あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、
塚本訳ほんとうにあなた達はあの聖なる人、正しい人を否認し、人殺し(のバラバの方)をゆるしてもらうようにと(総督に)願って、
前田訳あなた方は聖また義にいますものを拒み、人殺しをゆるしてもらうよう求め、
新共同聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。
NIVYou disowned the Holy and Righteous One and asked that a murderer be released to you.

3章15節 生命(いのち)(きみ)(ころ)したれど、(かみ)はこれを死人(しにん)(うち)より(よみが)へらせ(たま)へり、[引照]

口語訳いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。
塚本訳(とうとう)命の先達(であるイエス)を殺してしまった。しかし神はその方を、死人の中から復活させられました。わたし達はそのことの証人です。
前田訳いのちの君を殺しました。その彼を神は死人の中からお起こしでした。われらはその証人です。
新共同あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。
NIVYou killed the author of life, but God raised him from the dead. We are witnesses of this.
註解: ユダヤ人の罪の甚だしさを叱責し、之を対照的描写を以て示している。即ち[聖者、義人]と「殺人者」、「殺人者」と「生命の君」、「否む」と「釈す」、「殺す」と「甦らす」を以て彼らの為す事が如何に(はなは)だしき誤謬であったかを示す。
辞解
[聖者] キリストにつきてしばしば用いられし語(マコ1:24ヨハ6:69Tペテ1:15)。
[義人] 使7:52使22:14イザ53:11)特にキリストを指す。
[釈す] 原語恩恵的に釈放する事
[生命の君] 「生命の先導者」「生命の創始者」等を意味す(ヨハ14:6ヨハ10:28ヨハ5:26)。この生命の君を殺す事の大罪を彼らは犯した、しかし神かれを甦らせ給いしが故に彼のメシヤたる事が確実に証明せられ、彼らの罪は明かにせられた。

(われ)らは()證人(しょうにん)なり。

註解: 使徒はキリストの復活の証人である(使1:22)。復活の事実を外にして基督教はない。

3章16節 (かく)てその御名(みな)(しん)ずるに()りてその御名(みな)は、(なんぢ)らの()るところ()るところの()(ひと)(つよ)くしたり。イエスによる信仰(しんかう)(なんぢ)()もろもろの(まへ)にて(かか)全癒(ぜんゆ)()させたり。[引照]

口語訳そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。
塚本訳そしてあなた達が現に見ており知っているこの人は、イエスの名を信じたので、その名が彼(の足)を強くしたのであり、またその名によって働いた信仰が、あなた達みんなの目の前で、彼を全快させたのです。
前田訳イエスの名を信じたゆえに、あなた方が見、また知るこの人をその名が強くしたのです。イエスによる信仰が皆さんの前でこの人を全快させたのです。
新共同あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。
NIVBy faith in the name of Jesus, this man whom you see and know was made strong. It is Jesus' name and the faith that comes through him that has given this complete healing to him, as you can all see.
註解: イエスの力はイエスを信ずる者の上に働く、信仰は神の力の通路である。イエスの名(即ちイエス)は彼を信ずる者を(つよ)くして全癒を得させる。信仰はイエスによりて与えられ、イエスに対して働きかけ、イエスより働きかけられる。神癒の秘儀はここにあり。ペテロは斯く反復イエスの名を繰返す事によりて彼らの上に強き印象を与えんとしているのである。
辞解
[信ずるに因りて] epi を用い「信仰の基礎の上に」の意味となる。
[イエスによる信仰] dia を用い「イエスを通して与えられる信仰」の意味である。

3章17節 (さて)兄弟(きゃうだい)よ、[引照]

口語訳さて、兄弟たちよ、あなたがたは知らずにあのような事をしたのであり、あなたがたの指導者たちとても同様であったことは、わたしにわかっている。
塚本訳こんな次第だから、兄弟たちよ、あなた達は、(最高法院の)役人たちも同様、知らないで、(命の先達を殺すようなあんなことを)したのだと、わたしは知っています。
前田訳さて、兄弟方、あなた方が知らずにしたことはわかっています。あなた方の指導者もそうでした
新共同ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。
NIV"Now, brothers, I know that you acted in ignorance, as did your leaders.
註解: 茲よりペテロは更に進んでユダヤ人に呼びかける。

われ()る、(なんぢ)らが、かの(こと)()ししは()らぬに()りてなり。(なんぢ)らの(つかさ)たちも(また)(しか)り。

註解: ペテロはここに声を和らげ叱責より転じて悔改のすすめとなる。而して主イエスの(のたま)いしと同様(ルカ23:34)、彼らの罪をその無智の故に帰して彼らを赦さんとしているのである。「司たち」の場合に於てはその罪は勿論重くあったけれどもペテロは之をも赦さんとしているのである、愛の前には凡ての罪が赦される。

3章18節 ()れど(かみ)(すべ)ての預言者(よげんしゃ)(くち)をもてキリストの苦難(くるしみ)()くべきことを(あらか)じめ()(たま)ひしを、()くは成就(じゃうじゅ)(たま)ひしなり。[引照]

口語訳神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。
塚本訳しかし神はすべての預言者の口をもって、その救世主が苦しみをうけることを予告しておられたのであって、それをこんな風に成就されたのです。
前田訳神はすべての預言者の口をとおして、神のキリストが苦しむことを予告し、それをこのように成就されました。
新共同しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。
NIVBut this is how God fulfilled what he had foretold through all the prophets, saying that his Christ would suffer.
註解: ユダヤ人が無智の故にキリストを殺したのであるが、一面神の側よりすれば、之は旧約の凡ての預言者の預言せるキリストの受難の預言の成就であった。従ってかく成らざるを得なかったのである。ユダヤ人の罪は勿論罪である、しかし一面に於てそれは神の御計画であった。
辞解
[凡ての預言者] 旧約聖書は凡ての方面よりキリストの受難を指示している。必ずしも数的に「凡て」の意味ではない。

3章19節 ()れば(なんぢ)(つみ)()されん(ため)に、悔改(くいあらた)めて(こころ)(てん)ぜよ。[引照]

口語訳だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。
塚本訳だから(今すぐ)悔改めて、心を入れかえ(て主に帰り)なさい。そうすればあなた達の罪が拭い去られる。
前田訳それゆえ、罪が拭い去られるよう悔い改めて立ち返りなさい。
新共同だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
NIVRepent, then, and turn to God, so that your sins may be wiped out, that times of refreshing may come from the Lord,
註解: ユダヤ人の罪は如何に深くとも神が之を赦し給わない筈はない。唯汝らは悔改むる事と神に転向(回心)する事とが必要である。之によりて神は汝の罪を消し去り給う。「バプテスマを受けよ」を欠く点より見るもペテロがこの種の形式に対する見方の如何を知る事が出来る。尚使2:38註参照。
辞解
[罪を消す] 罪の記憶を止めざる事、旧約聖書にしばしば用いらる(詩51:1詩51:9イザ43:25エレ18:23)。
[心を転ず] epistrephô は英語の convert で「回心」と称される宗教的心理を指す、文字としては「転向」を意味す。神に背向き居りしものが神の方に向きかわる事。

3章20節 これ(しゅ)御前(みまへ)より慰安(なぐさめ)(とき)きたり、[引照]

口語訳それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。
塚本訳これは(また)主の御前から休息の時が来て、主があなた達のため救世主として選ばれたイエスをお遣わしになるためです。
前田訳それは主のみ前からいこいの時が来て、主があなた方にキリストとして予定されたイエスをおつかわしのためです。
新共同こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。
NIVand that he may send the Christ, who has been appointed for you--even Jesus.
註解: キリスト再臨の時来りと云うに同じ、ユダヤ人の悔改が完了する時キリストの再臨がある。
辞解
[主の御前より] 原語「主の面より」で、慰安の時が主の御許に保留せられているとの思想より来る。「慰安の時」は「元気回復の時」を意味し、万物の復興と新天新地の創造により死の支配の下にある全世界が新なる生命に甦る時、

(なんぢ)らの(ため)(あらか)じめ(さだ)(たま)へるキリスト・イエスを(つかは)(たま)はんとてなり。

註解: 神はキリストを再び遣して世の救を完成する事を預定し給う、而して人々を悔改めしめその罪を赦すのも皆この万物の救の完成の準備工作である。この意味に於て本節と前節との関係が明かにせらる。

3章21節 (いにし)へより(かみ)が、その(せい)なる預言者(よげんしゃ)(くち)によりて、(かた)(たま)ひし萬物(ばんぶつ)(あらた)まる(とき)まで、(てん)(かなら)ずイエスを()けおくべし。[引照]

口語訳このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。
塚本訳イエスは、神が遠い昔から聖なる預言者たちの口をもって仰せられた(とおりに、)万物が新しくなる時まで天が受け入れておかねばならないのです。
前田訳天は彼をば万物の革新の時までお受けせねばなりません。これについて神は昔からその聖なる預言者の口をとおしてお語りでした。
新共同このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。
NIVHe must remain in heaven until the time comes for God to restore everything, as he promised long ago through his holy prophets.
註解: 万物復興の時はイエスの再臨の時である。この時迄はイエスは天に神の御許に在し給う、この万物復興の事は聖預言者たち、即ち旧約聖書に古えより預言される処である(イザ65:17イザ66:22
辞解
[万物の革まる時] この思想に道徳的方面と物質的方面との双方がある。イスラエルがカナンの地を失いてより、その回復(使1:6)を望む心が切であった。之はマラ3:23、24 に於ては道徳的意味に於てエリヤによりて実現されるものと解し、主イエスはその意味に於て語り給うた(マタ17:11マコ9:12)。しかしながらアダム以来詛われし自然界にも亦復興の必要が感ぜられ(ロマ8:19-22)、これ等の凡てが完全に実現する時はイエスの再臨の時であると信ぜられた(Uペテ3:13黙21:1-5)。
[天は必ずイエスを受けおくべし] 「イエスは必ず天を受けおくべし」と読まんとする学者があるけれどもその必要はない。

3章22節 モーセ()へらく「(しゅ)なる(かみ)(なんぢ)らの兄弟(きゃうだい)(うち)より()がごとき預言者(よげんしゃ)(おこ)(たま)はん。その(かた)(ところ)のことは(なんぢ)()ことごとく()くべし。[引照]

口語訳モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。
塚本訳モーセは言いました、『“神なる主はあなた達の兄弟の中から、わたしのような一人の預言者をあなた達のために起こされる。”あなた達に“語ることは何ごとによらず、その言うことを聞け。”
前田訳モーセはいいました、『主なる神はわたしになさったように、あなた方の兄弟の中からひとりの預言者をお立てでしょう。彼が語ることはすべてお聞きなさい。
新共同モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。
NIVFor Moses said, `The Lord your God will raise up for you a prophet like me from among your own people; you must listen to everything he tells you.

3章23節 (すべ)てこの預言者(よげんしゃ)()かぬ(もの)(たみ)(うち)より(ほろぼ)(つく)さるべし」[引照]

口語訳彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。
塚本訳”この預言者の言うことを聞かない者はだれでも、民の中から絶ちほろぼされる”』と。
前田訳その預言者のいうことを聞かないものは、すべて民から絶やされましょう』。
新共同この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。』
NIVAnyone who does not listen to him will be completely cut off from among his people.'
註解: 申18:15申18:18-19の七十人訳よりの自由なる引用(且つ最後の一句は全く変更されている)。この箇所は「来るべき預言者」に関する聖句として考えられ、ヨハ1:21ヨハ1:25ヨハ6:14ヨハ7:4等はこの来るべき預言者に対する当時の人々の期待のせつなりし事を示す、ステパノもこの節を引用している(使7:37)。ペテロは21節の「聖なる預言者」の例としてこの「モーセ」と「サムエル以来の預言者」(24節)との二方面を挙げている。この預言にある通りこの預言者に聴かぬ者は滅し尽される。汝らもイエスを殺してその審判を免れる事は出来ないとの意。
辞解
[我がごとき預言者] キリストを指せるに非ずと論ずる学者あれど、この預言は何人にもまさりてキリストに於て成就した、キリストは「真の預言者」に在し給う。
[滅し尽さるべし] ヘブル語及七十人訳の原文には「我これを報いん又は罪せん」とあり、ペテロは一層強き文字を以て、かかる者の罪は到底赦さるべからざる事を示す。

3章24節 (また)サムエル以來(このかた)かたりし預言者(よげんしゃ)(みな)この(とき)につきて宣傳(のべつた)へたり。[引照]

口語訳サムエルをはじめ、その後つづいて語ったほどの預言者はみな、この時のことを予告した。
塚本訳また(モーセだけでなく)、サムエルとそれに続くすべての預言者も、神の言葉を)語った者はみな、その(休息の)日のことを告げ知らせました。
前田訳サムエルはじめ、彼につづく預言者でおよそ語ったものは、すべてその日のことをのべ伝えました。
新共同預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げています。
NIV"Indeed, all the prophets from Samuel on, as many as have spoken, have foretold these days.
註解: モーセ以後暫くの間預言者の出現が無かったけれども、サムエル以来又多くの預言者あらわれ、彼等は何れも「この日」即ち主イエス出現の日につき預言しているのである。「この聖書は我につきて証するものなり」(ヨハ5:39)とある如く聖書の預言はキリストに集中する。この聖書とその預言とを無視してはならない。
辞解
原文は「サムエル以来の凡ての預言者及びその後に来る語りし人々」とあり重複している。「サムエル」は預言者の首と云われていた。
[この時] 「この日」で万物の革まる日を指すとする説あれどむしろキリストの来り給う日を指すと見るべきである。キリストの出現が聖書の中心問題である。

3章25節 (なんぢ)らは預言者(よげんしゃ)たちの子孫(しそん)なり、(また)なんぢらの先祖(せんぞ)たちに(かみ)()(たま)ひし契約(けいやく)子孫(しそん)なり、[引照]

口語訳あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう』と仰せられた。
塚本訳あなた達はこれらの預言者の子であり、神がアブラハムに、“またあなたの末(なる救世主)によって地上のすべての民族が祝福をうける”と仰せられて、あなた達の先祖と結ばれた契約は、当然あなた達に適用があるのです。
前田訳あなた方は預言者の子であり、神があなた方の先祖と結ばれた契約の子です。神はアブラハムにいわれました、『あなたの子孫によって地のすべての民族が祝福されよう』と。
新共同あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われました。
NIVAnd you are heirs of the prophets and of the covenant God made with your fathers. He said to Abraham, `Through your offspring all peoples on earth will be blessed.'
註解: 汝らユダヤ人はイエスの事を預言せるこの預言者たちの子孫である故、この預言に忠実でなければならぬ、又先祖アブラハム以来しばしば神がイスラエルと契約を立て給うたのであるが、汝らはこの契約の子孫即ち契約により神と結ばれし民の子孫である故この契約の履行につき確信を持たなければならぬ。

(すなは)(かみ)アブラハムに()(たま)はく「なんぢの(すゑ)によりて()諸族(しょぞく)はみな祝福(しくふく)せらるべし」

註解: 神の立て給いし契約とは創28:14の神の契約を指しているのであって、ペテロはパウロと同じく(ガラ3:16)之を以てアブラハムの裔たるキリストによりて地の諸族が祝福される事を指したものと解した。即ちイエス・キリストはこの神の契約に基いてこの世に来臨し給うたのである。かかる約束を受けているに関らずこの約束を無視してキリストを迫害するものの罪は大きい。
辞解
[契約] diathêkê につきてはヘブ7:22辞解参照。
[裔] sperma 単数名詞なれど普通子孫の多数をも指す。唯ガラ3:16にパウロは之をキリストを指すと解す、その処註参照。
[諸族] 諸家族の意。本来創28:14には「(もろもろ)の族」とあり異邦の民を指しているけれどもここではペテロはイスラエルを指さんがために之を「家族」の意味に変更した。

3章26節 ()くて(かみ)はその(しもべ)(よみが)へらせ、まづ(なんぢ)らに(つかは)(たま)へり、これ(なんぢ)各人(おのおの)を、その(つみ)より()びかへして祝福(しくふく)せん(ため)なり』[引照]

口語訳神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。
塚本訳そこで神はまずあなた達のためにその僕(イエス)を(モーセのような預言者として)起こして、お遣わしになりました。これはあなた達がひとりびとりその悪から離れた時に、彼があなた達を祝福するようにというのです。」
前田訳まずあなた方のために神はその僕を起こしておつかわしでした。それはあなた方のおのおのがその悪から離れることによって、あなた方を祝福なさるためです」と。
新共同それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」
NIVWhen God raised up his servant, he sent him first to you to bless you by turning each of you from your wicked ways."
註解: 私訳「神はその僕を起して先づ汝らに遣し各々をその罪より立還らしめて汝らを祝福し給えり」25節の契約を実現する為に神は先づイエスを立ててメシヤとなし而して先づ第一に彼をイスラエルの人々に遣し給うた(やがて異邦人にも遣さるべきであった事は勿論である(使13:46ロマ1:16ロマ11:11))。而してイスラエルの人々をその罪より立還らしむる事によりて彼らを祝福した、イエスの祝福は人々を罪より救い出し罪より離れしむるに在った。ユダヤ人が期待せる如くロマの束縛より政治的に解放される事ではなく罪の束縛を脱するに在った。これにまされる祝福はない。▲祭司等の絶対支配の下にある宮の中でペテロがこの大説教を行ったことは大事件であり、ユダヤ教の祭司制度と宮中心の宗教に対する真正面からの反対であった。従って直ちに正面衝突が起こった。次章を見よ。
辞解
[甦へらせ] anistêmi はかく訳し得る文字であるけれども、この場合は22節の「預言者を起し給わん」と同じく「起す」と訳すべきである。(▲▲この場合「起し」または「立てて」と訳すべきである)
[遣し給えり] 勿論復活のキリストを遣した意味ではない。故に「甦へらせ」は不適当である。
[その罪より呼びかへし] 「その罪より転ぜしめ」である。之を自動詞的に「汝ら各々その罪より立還る時」(M0)と読む説あり、19節「心を転ぜよ」と同語故かく読む事は可能であるけれども、この場合は他動詞的に読むを可とす。但し「呼びかへす」は適訳ではない。
要義1 [イエスを崇めよ]ペテロはその行える奇蹟につき驚駭(きょうがい)せる人々の心を、ペテロより転じてイエスに向わしめた(1216節)。基督教の本質はイエス・キリストを崇め、彼を神として拝するにある。従って個人の悟りやその心の境地や、又その修養の程度等は問題ではない。救はイエスの御名を信ずるにあり、信仰絶対主義、信仰唯一主義である。
要義2 [信仰の具体性---キリスト礼拝]基督教の信仰の特異性は、その信仰の対象の極めて具体的なる点にある。即ち真理とか、絶対とか、愛とか義とか言う如き抽象的観念を信仰の対象とするのではなく、ポンテオ・ピラトの時ユダヤ人らによりて十字架に釘けられて殺され、而して三日目に甦りしナザレのイエスを信仰の対象としているのである。この十字架のイエスこそは我らの主である。然るにこれはユダヤ人には躓となりギリシヤ人には愚となる。されど我ら救われる者には神の智慧であり又力である。即ち基督教はキリスト礼拝の宗教である。キリスト無しの神礼拝はキリスト教の本質を失えるものである。
要義3 [預言の宗教]旧約聖書にはキリストの生るべき事(22節)、その苦難を受くべき事(18節)、その甦るべき事(使2:27使2:31)、その再び来給う事(使1:11)、その万物を復興せしめ給う事(イザ65:17イザ66:22)、彼によりて万国の民が祝福せらるべき事(創28:14。その他)等凡てが預言せられているのみならず、旧約聖書の祭事や犠牲(レビ記参照)もイエスの贖罪の型であり、イスラエルの歴史は基督者の生涯の縮図であり、かくして全聖書が歴史も教訓も預言も皆このイエスに集中し、イエスの預言たる如き性質を示しているのを見る。これ等の事実はイエスの創始に関る宗教が神の永遠の経綸の顕現である事を証拠立てているのであって、イエスの福音の永遠的なる事、その非個人的なる事(イエス個人のみより姶まれるものにあらざる事)、イエス崇拝が即ち神崇拝たる事を示している。もし旧約の預言を以て証明せらる事が無いならば、イエスの宗教は他の諸宗教との間に本質的差別が無い事となる。預言の成就と言う事の如きはユダヤ人のみに興味がある事で、我らには無関係なるが如くに思う人があるけれども、それは大なる誤である。預言がありその成就がある事により、基督教の永遠性と確実性と唯一性とが確保せられているのである。

使徒行伝第4章
2-1-3 ペテロ、ヨハネ捕はる 4:1 - 4:4

4章1節 かれら(たみ)(かた)()るとき、[引照]

口語訳彼らが人々にこのように語っているあいだに、祭司たち、宮守がしら、サドカイ人たちが近寄ってきて、
塚本訳二人が(なお)人々に話していると、祭司たちと宮の守衛長とサドカイ人たちとが近寄ってきた。
前田訳彼らが民に話していると、祭司と宮の司とサドカイ人らが近づいて来た。
新共同ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。
NIVThe priests and the captain of the temple guard and the Sadducees came up to Peter and John while they were speaking to the people.
註解: 彼らの伝道はその最初の奇蹟が行われると同時に妨害が起って来た。▲▲必ずしも奇蹟のためのみではなく、宮とその権威を無視した態度に対する迫害である。
辞解
[民] ▲laosはイスラエル人の群集について多く用いられる語。口語訳の「人々」は誤訳とはいえないが実感に乏しい。

祭司(さいし)ら・宮守頭(みやもりがしら)

註解: その下に多くの宮守りが居る。宮守頭は祭司の中より任命せられしもの。

およびサドカイ(びと)

註解: 文化主義のユダヤ人で復活を信じなかった。

(ちか)づき(きた)りて、

4章2節 その(たみ)(をし)へ、(また)イエスの(こと)()きて死人(しにん)(うち)よりの復活(よみがへり)()ぶるを(うれ)ひ、[引照]

口語訳彼らが人々に教を説き、イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、
塚本訳二人が人々に教え、イエスを例に引いて死人の中から復活を宣言しているので、腹を立てたのである。
前田訳彼らが民衆を教え、イエスにおこった死人からの復活をのべ伝えているのに憤ったのである。
新共同二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、
NIVThey were greatly disturbed because the apostles were teaching the people and proclaiming in Jesus the resurrection of the dead.
註解: 祭司はその職務を侵蝕される事を憂い、宮守頭は宮の秩序が乱される事を恐れ、サドカイ人らは復活を信ぜず従ってその教義異るため、及びその中の多くのものが祭司であったのでその地位を失はざらん為にペテロ等の説教に反対した。
辞解
[イエスの事を引きて] イエスによりて、イエスを基礎として等の意。△口語訳はD写本(即ちベザ写本、6世紀)によったものと思われる。
[死人の中よりの復活] 「死人の復活」と異り、前者はある人が死人の中より甦れる事を意味し後者は死人の復活なる一般的事実を指す。
[憂い] 使16:18とに用いられるルカ特有の文字。

4章3節 ()をかけて(これ)(とら)へしに、はや(ゆふべ)になりたれば、()くる()まで留置場(とめおきば)()れたり。[引照]

口語訳彼らに手をかけて捕え、はや日が暮れていたので、翌朝まで留置しておいた。
塚本訳彼らは二人に手をかけて(捕え、)次の日まで留置した。もう夕方だったからである。
前田訳彼らに手をかけて捕え、もう夕方であったのであくる日まで留置した。
新共同二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。
NIVThey seized Peter and John, and because it was evening, they put them in jail until the next day.
註解: イエスに対する信仰に充され、跛者をも立たしめしペテロ、ヨハネ等を捕えたのである。宗教的嫉妬心は最も卑劣なる行動を取るに至るものであって、宗教家に政治的権力を賦与する場合、多くの悪事が行われる事は古来の事実である。
辞解
[夕] いわゆる第ニ夕刻で午後六時頃ならん。裁判を開く刻限が過ぎた。

4章4節 ()れど、その(ことば)()きたる人々(ひとびと)(うち)にも(しん)ぜし(もの)おほくありて、(をとこ)(かず)おほよそ()(せん)(にん)となりたり。[引照]

口語訳しかし、彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった。
塚本訳しかし話を聞いた者の多数は信じたので、男の(信者の)数が五千人ばかりになった。
前田訳しかし話を聞いたものの多くが信じ、男の数がおよそ五千人になった。
新共同しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。
NIVBut many who heard the message believed, and the number of men grew to about five thousand.
註解: 一方に迫害に遭いつつも神の言は益々進んで()まない(Uテモ2:9)。人数次第に増し加わりて(使5:14使6:1使6:7)遂に数万となった(使21:20)。真理は迫害によりて之を滅す事は出来ない。▲一回の説教で数千人の改宗者があったことは、イエスの復活が次第に事実であると認められて来て、又ペテロの説教が民の待望せるメシヤの来臨に一致したためであろう。
辞解
[男の数] 従って女子及小児はこの以外と見るべきである(異説あり)。

2-1-4 ペテロ、ヨハネの訊問と答弁 4:5 - 4:12

4章5節 ()くる()(つかさ)長老(ちゃうらう)學者(がくしゃ)ら、エルサレムに(くわい)し、[引照]

口語訳明くる日、役人、長老、律法学者たちが、エルサレムに召集された。
塚本訳次の日、(最高法院の)役人、長老、聖書学者たちがエルサレムに集まって(会議が開かれ、)
前田訳あくる日のこと、ユダヤ人の指導者、長老、学者らがエルサレムに集まった。
新共同次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。
NIVThe next day the rulers, elders and teachers of the law met in Jerusalem.
註解: 重大事件の発生と見て会議を召集した。人は自己の利害には極めて鋭敏であり、神の真理については鈍感である。
辞解
[司] 裁判権警察権を握れる当局者、「祭司長」と同意義に取る学者もあるけれども(E0〕一層範囲の広い語、多くサドカイ人より出でしものの如し。
[学者] 専門の律法家、パリサイ主義の人が多い。
[エルサレム] 異本には eis(▲▲ただしネストレは en となっている) を用い、各地より集合し来れる意味がある。

4章6節 (だい)祭司(さいし)アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル(およ)(だい)祭司(さいし)一族(いちぞく)みな(つど)ひて、[引照]

口語訳大祭司アンナスをはじめ、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな集まった。
塚本訳大祭司アンナスとカヤパとヨハネとアレキサンデルと大祭司一族の者すべても一緒に集まった。
前田訳大祭司アンナスとカヤパとヨハネとアレクサンデルと大祭司一族のすべてもいた。
新共同大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。
NIVAnnas the high priest was there, and so were Caiaphas, John, Alexander and the other men of the high priest's family.
註解: イエスを裁ける大祭司(ヨハ18:12-24)はその一族と共に又その弟子たちをも迫害した。この新信仰の興起は彼ら一族の大打撃であったからである。真理の迫害者は常に職業宗教家か又は偽愛国者である。
辞解
当時の大祭司はカヤパであったけれども「アンナス」は尚大祭司と称せられ、又その実権をも有っていた。カヤパはアンナスの養子である。(ヨハ18:13)「ヨハネ、アレキサンデル」の二人につきては不明。

4章7節 その(なか)にかの二人(ふたり)()てて()ふ『如何(いか)なる能力(ちから)いかなる()によりて()(こと)(おこな)ひしぞ』[引照]

口語訳そして、そのまん中に使徒たちを立たせて尋問した、「あなたがたは、いったい、なんの権威、また、だれの名によって、このことをしたのか」。
塚本訳そして二人を真中に立たせてたずねた、「お前たちはそもそも何の力、また、だれの名で、あんな(病気を直すような)ことをしたのか。」
前田訳そして彼らを真ん中に立たせて問うた、「お前らは何の力、だれの名でこのことをしたのか」と。
新共同そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。
NIVThey had Peter and John brought before them and began to question them: "By what power or what name did you do this?"
註解: 大祭司等はイエスの弟子たちを以て一種の魔術者の如くに考え、他の神の名と能力とによりてこの奇跡を行ったのであると解して、申13:1-3の精神によりその罪を問わんとしたのである。イエスの名を知らざる者はその弟子の能力の源を知ることが出来ない。
辞解
[二人] △原文「彼ら」使3:3使4:13から「二人」としたのであろう。ペテロとヨハネである。

4章8節 この(とき)ペテロ(せい)(れい)にて滿(みた)され、(かれ)らに()[引照]

口語訳その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「民の役人たち、ならびに長老たちよ、
塚本訳そこでペテロは聖霊に満たされて彼らにこたえた、「国の役人と長老の方々、
前田訳そこでペテロは聖霊に満たされて彼らにいった、「民の指導者と長老の方々、
新共同そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、
NIVThen Peter, filled with the Holy Spirit, said to them: "Rulers and elders of the people!
註解: 神は必要に応じてその選びの器に聖霊を充して之をしてその充分の能力を発揮せしめ給う。

(たみ)(つかさ)たち(およ)長老(ちゃうらう)たちよ、

4章9節 (われ)らが()める(もの)になしし()(わざ)()き、その如何(いか)にして(すく)はれしかを今日(けふ)もし(ただ)さるるならば、[引照]

口語訳わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、
塚本訳わたし達がきょうお取り調べを受けるのが、あの病人に対する(わたし達の)善行のゆえ、(また、)何でこの人が直ったかということであるからには、
前田訳われらがきょう調べられるのが病人へのよいわざについてであり、この人がどうして救われたか、であるならば、
新共同今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、
NIVIf we are being called to account today for an act of kindness shown to a cripple and are asked how he was healed,

4章10節 (なんぢ)一同(いちどう)およびイスラエルの(たみ)みな()れ、この(ひと)(すこや)かになりて(なんぢ)らの(まへ)()つは、ナザレのイエス・キリスト、(すなは)(なんぢ)らが十字架(じふじか)()け、(かみ)死人(しにん)(うち)より(よみが)へらせ(たま)ひし(もの)()()ることを。[引照]

口語訳あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。
塚本訳あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト──あなた方が十字架につけ、神が死人の中から復活させられた方──その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。
前田訳皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。あなた方が十字架につけ、神が死人の中からお起こしになったナザレ人イエス・キリストの名によって、この人が元気になってあなた方の前に立っているのです。
新共同あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。
NIVthen know this, you and all the people of Israel: It is by the name of Jesus Christ of Nazareth, whom you crucified but whom God raised from the dead, that this man stands before you healed.
註解: (▲イエス・キリストの名を呼び、キリストは来たりてこの力を与えたまう。)ここにペテロは実際起りし事実と、之に対する自己の確信とをそのまま述べているに過ぎず、しかも司、長老たちに対して充分に礼儀正しき言葉を以て語っているに過ぎないけれども、この言葉はそのまま彼らに対する根本的弾劾であった。その故はもしこの跛者が医されしことが、イエス・キリストの名によったのであるとするならば、彼を十字架に釘けしこれ等の人々は、彼を甦らせ給える神に敵する者となるからである。最も力強き真理は理論ではなく事実である。事実を以て示す事の出来ない信仰は無力である。
辞解
[善き業] 語そのものの中にペテロの自己弁護の力が含まれている。
[如何にして] 又「誰によりて」とも読む事が出来るけれども、むしろ「如何にして」を可とす。

4章11節 このイエスは(なんぢ)造家者(いえつくり)(かろ)しめられし(いし)にして、(すみ)首石(おやいし)となりたるなり。[引照]

口語訳このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。
塚本訳この方は、(聖書にある)“大工の”あなた方から”投げ捨てられ、隅の土台石になった石”です。
前田訳この方は『あなた方家造りに捨てられて隅の土台石になった石』です。
新共同この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、/隅の親石となった石』/です。
NIVHe is "`the stone you builders rejected, which has become the capstone. '
註解: メシヤ預言としてしばしば引用される詩118:22によりペテロはイエスのメシヤたる事を証明し、その十字架の死は隅の首石が造家者に捨てられし事に相当する事を示す。この詩は本来イスラエルが神の建物たるこの世界の最も重要なる役目を果すべき国民であるにも関らずこの世界はイスラエルを棄てし事を意味する詩であるけれども、これが預言的意味に於て最も良くイエスに適応する。
辞解
[隅の首石] 壁と壁が相会する隅の基礎たる大なる石であるとも解せられ、又はアーチ形の入口の頂点を支持する石とも解せられる(イザ28:16)。
[汝ら造家者] ペテロはかく言いて司、祭司長らを直接に指摘している。ペテロの勇気は当るべからざるものがあった。尚この詩は新約聖書にしばしば引用せられている(マタ21:42マコ12:10ルカ20:17Tペテ2:4Tペテ2:7)。尚イエスが建物の基礎に譬えられし事についてはTコリ3:11エペ2:20参照。

4章12節 (ほか)(もの)によりては(すくひ)()ることなし、(あめ)(した)には(われ)らの()りて(すく)はるべき(ほか)()を、(ひと)(たま)ひし(こと)なければなり』[引照]

口語訳この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
塚本訳この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」
前田訳この方をおいてほかに救いはありません。われらを救うべき名としては、これ以外、天下のだれにも与えられてはいません」。
新共同ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
NIVSalvation is found in no one else, for there is no other name under heaven given to men by which we must be saved."
註解: 救は神の与えたまう途によるより外にない。神は多くの預言者を遣したもうたけれども、彼ら自身はメシヤではなく、メシヤを指すに過ぎなかった。救は神の賜う賜物であって人間がその思想や経験によりて勝手に定め得るものではない。而してイエスのみ神の立て給える唯一の救の途である事は、弟子たちの確信であった。弟子たちがかく確信する所以はイエスの全く罪無き生涯と、その十字架の死と復活とを目撃せる事と、これが聖書に預言せられている事とであった。
辞解
[救] 9節の場合は跛者の肉体の救につき語っているけれどもここでは霊的の救に就き語る。二者同一の力の顕れである。
要義1 [唯一の救]「何れの宗教によるも結局に於て救われる事は同じである」と云う人がある。如何にも広量であり且つ真理らしく聞える。之に反し「他の者によって救を得ることなし」と云うは如何にも狭量にして固陋(ころう)の如くに見える。しかしながら数千年のイスラエルの歴史とその預言とを通してイエス・キリストを見る時、我らはここに神の預定し給える唯一の救の経綸がある事を信ずる。イエス以前(▲▲(+)および以外)の多くの途は、結局人をしてイエスに来らしむべき準備に過ぎない。
要義2 [如何にして救の唯一なる事を証明し得るや]イエスが神の独子に在し給う事を知れる者に取りてはイエス以外に神なく従ってイエス以外に救がある事を考うる事が出来ない。而してイエスを神の子と信ずる事は血肉の働でなく、天の父が御霊を以て之を我らに示し給うよリ外に無い(マタ16:17)。従ってキリストに在る救の唯一性は理知的に証明する事は出来ず、純信仰的の問題である事となる。▲勿論イスラエルの歴史及び世界の歴史を通じてイエスの父なる神の救済史を見ることができるのであるが、これさえ信仰の目を以って見なければその中にある神の働きを見ることができない。

2-1-5 ペテロ、ヨハネの審判 4:13 - 4:22

4章13節 (かれ)らはペテロとヨハネとの(おく)することなきを()、その無學(むがく)凡人(ただびと)なるを()りたれば、(これ)(あや)しみ、(かつ)そのイエスと(とも)にありし(こと)(みと)む。[引照]

口語訳人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、
塚本訳人々はペテロとヨハネとの大胆不敵な態度を見て、しかもそれが無学な人間で、全くの素人であることがわかると、不思議でたまらなかった。そして彼らがもとイエスの弟子であると知り、
前田訳人々はペテロとヨハネの大胆さを見、しかも彼らが無学で平信徒(ひらしんと)と知っていぶかりはじめた。そして彼らがイエスとともにいたことがわかり、
新共同議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。
NIVWhen they saw the courage of Peter and John and realized that they were unschooled, ordinary men, they were astonished and they took note that these men had been with Jesus.
註解: 無学にして文字を知らず、一の平信徒にして何等特別の教理上の専門知識を有せざる彼らが、かくも大胆に祭司たちの前に所信を述ぶるを見て、彼らはいたく驚いた。神は智き者を辱しめんとて世の愚なる者を選び給う(Tコリ1:27)。且つペテロやヨハネは単に軽々しくイエスの名を用いて魔術を行っていたのではなく、実際イエスの弟子として彼と共にいた人々である事が判明した。これ等の凡ての事実は何人も之を非難する事が出来ず、之を打消す事が出来ない。
辞解
[凡人] idiotês 「平民」「素人医者」「素人詩人」「一兵卒」等凡て専門家又は特別の階級に属せざるものの意味である。ここでは、専門の神学者又は伝道者又はラビならざる平信徒を指す。
[且そのイエス・・・・・・] 以前に知らなかった事となり、不合理であるとする説をなす学者(E0、ラムゼー)があるけれども註の如くに解するを可とす。

4章14節 また(いや)されたる(ひと)(これ)とともに()つを()るによりて、(さら)()()(ことば)なし。[引照]

口語訳かつ、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。
塚本訳また(足を)なおされた男が彼らと一緒に(そこに)立っているのを見ると、なんの返事も出来なかった。
前田訳いやされた人が彼らとともに立っているのを見ては、何もいえなかった。
新共同しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。
NIVBut since they could see the man who had been healed standing there with them, there was nothing they could say.
註解: 医やされたる跛者はペテロ、ヨハネの事を気遣いその処に馳せ参じたのであろう。彼にもこの驚くべき勇気と大胆とが与えられた、彼の証人としての侍立(じりつ)は非常に有力であった。

4章15節 (ここ)に、(めい)じて(かれ)らを衆議所(しゅうぎしょ)より退(しりぞ)け、(あひ)(とも)(はか)りて()ふ、[引照]

口語訳そこで、ふたりに議会から退場するように命じてから、互に協議をつづけて
塚本訳そこで彼らに命じて(しばらく)法院の議場から退場させたのち、互に評議して
前田訳それで彼らに議場の外に出るよう命じて、互いに相談して
新共同そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、
NIVSo they ordered them to withdraw from the Sanhedrin and then conferred together.

4章16節 『この人々(ひとびと)如何(いか)にすべきぞ。(かれ)()によりて顯著(いちじる)しき(しるし)(おこな)はれし(こと)は、(すべ)てエルサレムに()(もの)()られ、(われ)(これ)(いな)むこと(あた)はねばなり。[引照]

口語訳言った、「あの人たちを、どうしたらよかろうか。彼らによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全体に知れわたっているので、否定しようもない。
塚本訳言った、「あの人たちをどうしよう。彼らが著しい(不思議な)徴を行ったことは、エルサレムに住んでいる人全体に知れわたっていて、(いまさら)もみ消しようもないから。
前田訳いった、「あの人たちをどうすべきか。彼らによって徴が行なわれたことはエルサレムに住むものすべてによく知られており、われらも否定しえない。
新共同言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。
NIV"What are we going to do with these men?" they asked. "Everybody living in Jerusalem knows they have done an outstanding miracle, and we cannot deny it.
註解: 事実は之を否定する事が出来ず、善事は之を罰する事が出来ない。正しき信仰を迫害する口実を見出す事は容易ではない。

4章17節 ()れど愈々(いよいよ)ひろく(たみ)(うち)()(ひりま)らぬやうに、(かれ)らを(おびや)かして、(いま)より(のち)かの()によりて(たれ)にも(かた)(こと)なからしめん』[引照]

口語訳ただ、これ以上このことが民衆の間にひろまらないように、今後はこの名によって、いっさいだれにも語ってはいけないと、おどしてやろうではないか」。
塚本訳今はただ、このことがこのうえ民衆のあいだに噂にならぬよう、もうこれ以上、だれにも、この(イエスの)名を使って話をしてはならぬとおどかそうではないか。」
前田訳しかしこのうえこのことが民衆に拡がらぬように、もはやこの名によってだれにも話さないよう彼らをおどそう」と。
新共同しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」
NIVBut to stop this thing from spreading any further among the people, we must warn these men to speak no longer to anyone in this name."
註解: 凡てが結果より見たる政策的所置であって、真理を忠実に行う者の態度ではない。祭司長等の願はこの教の人民の間に広まらない事であって、この教が真理なりや否やは問題とされて居ない。又その方法は使徒等を威嚇する事であって真理を以て説得する事ではない。

4章18節 (すなは)(かれ)らを()び、一切(いっさい)イエスの()によりて(かた)り、また(をし)へざらんことを(めい)じたり。[引照]

口語訳そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。
塚本訳そこで二人を(また議場に)呼び出して、(今後)イエスの名を使っては、絶対に口をきいても教えてもいけないと言い渡した。
前田訳そこで彼らを呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、全くあいならぬといい渡した。
新共同そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。
NIVThen they called them in again and commanded them not to speak or teach at all in the name of Jesus.
註解: イエスの御名を信ずる者の増加が、彼らの最大の憂慮であった。本来イスラエルの祭司たちは先づ第一に神の子イエスを拝すべきであった。然るに彼らは神に仕うべき祭司の職務を忘れ、之を自己の為の一の職業と化してしまった。その故にイエスの御名を宣伝うる事を妨げたのである。▲職業宗教家にとっては、その職業や地位が彼らの神であるので、神は彼らの心の中から追放される。

4章19節 ペテロとヨハネと(こた)へていふ『(かみ)()くよりも(なんぢ)らに()くは、(かみ)御前(みまへ)(ただ)しきか、(なんぢ)(これ)(さば)け。[引照]

口語訳ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。
塚本訳ペテロとヨハネとが答えた、「神よりもあなた方の言うことを聞く方が、神の前に正しいかどうか、判断してください。
前田訳ペテロとヨハネが答えた、「神よりもあなた方のいうことを聞くのが神の前に正しいかどうか、判断なさい。
新共同しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。
NIVBut Peter and John replied, "Judge for yourselves whether it is right in God's sight to obey you rather than God.
註解: 実に大胆なる挑戦である。神の祭司と自称している人々を前にして、その命令の神命に反する事を断言し、神の直接の黙示を信じ之に従う事の態度を明かにした。新しき生命はかくして旧き形式に挑戦する。

4章20節 (われ)らは()しこと()きしことを(かた)らざるを()ず』[引照]

口語訳わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。
塚本訳わたし達は自分で見たり聞いたりしたことを、話さないわけにはゆかない。」
前田訳われらは自ら見、また聞いたことを、いわないではいられません」と。
新共同わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」
NIVFor we cannot help speaking about what we have seen and heard."
註解: 使徒たちの第二の主張はその目撃せる事実、聴聞せる言葉を語らざるは卑怯であるとの事である。事実に基ける主張程力強きはない。キリストの福音が空なる観念ではなく、イエス・キリストなる一の事実に基礎を置く事が最大の強味である。

4章21節 (たみ)みな()()りし(こと)()きて(かみ)(あが)めたれば、(かれ)らを(ばっ)するに(よし)なく、(さら)にまた(おびや)かして(ゆる)せり。[引照]

口語訳そこで、彼らはふたりを更におどしたうえ、ゆるしてやった。みんなの者が、この出来事のために、神をあがめていたので、その人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
塚本訳しかしながら彼らは二人を更におどかした上で赦した。罰する方法が見つからなかったのであり、民衆の手前もあった。皆の者がこの出来事のために神を讃美していたからである。
前田訳しかし彼らはおどしたうえで釈放した。彼らは民衆のゆえにどう罰すべきかわからなかった。それは、皆がこの出来事のために神をあがめていたからである。
新共同議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。
NIVAfter further threats they let them go. They could not decide how to punish them, because all the people were praising God for what had happened.
註解: 祭司らの立場は民の人気を己に集める以外に無い。彼らの使徒等を罰しなかったのは、それが正しいと信じたからではなく、民の反対を恐れたからであった、使徒たちの大胆さと祭司たちの臆病の態度とを比較せよ。

4章22節 かの(しるし)によりて(いや)されし(ひと)四十歳(しじっさい)(あまり)なりしなり。[引照]

口語訳そのしるしによっていやされたのは、四十歳あまりの人であった。
塚本訳ことにこの癒しの徴が行われた人は、四十歳を越していた。
前田訳このいやしの徴がなされた人は、四十歳を過ぎていたのであった。
新共同このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。
NIVFor the man who was miraculously healed was over forty years old.
註解: 長年の病者すらかく医される事は著しい力である。ルカは年齢を記載すること多し(使9:33使14:8ルカ8:42ルカ13:11
要義1 [使徒等とその信仰の力]無学の平信徒なるガリラヤの漁夫も、イエスを信ずる信仰によりて学者、パリサイ人、大祭司等よりも遥に勝れる人格と態度とを得るに至れる所以は、イエスを神の子と信ずる事によりて父なる神を知る事が出来、之によりて神に従う者となり、何者をも恐れざる勇気を与えられたからである。この単純にして徹底せる信仰のみ、人を神の子となす事が出来、罪の子を神の子らしき人間となす事が出来る。
要義2 [信仰による大胆さ]臆する事なく信仰につき語る事は使徒等の特徴であった。神が彼らをして語らしむる事の確信を有っているが為に、彼らは何者をも恐れなかったからである。之に反し祭司長らは、民衆の離反を恐れ、自分の職業の蚕食(さんしょく)せられん事を恐れ、自己の確信に向って大胆に進む事が出末ない。この両者の対比は信仰の力の何たるかを示す善き実例である。

2-1-6 釈放と使徒達のよろこび 4:23 - 4:31

4章23節 (かれ)(ゆる)されて、その(とも)(もと)にゆき、祭司長(さいしちゃう)長老(ちゃうらう)らの()ひし(すべ)てのことを()げたれば、[引照]

口語訳ふたりはゆるされてから、仲間の者たちのところに帰って、祭司長たちや長老たちが言ったいっさいのことを報告した。
塚本訳赦された二人は仲間の所に行って、(最高法院の)大祭司連や長老たちが言ったことを報告した。
前田訳彼らは釈放されて仲間のところに行き、大祭司や長老たちがいったことをすべて伝えた。
新共同さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。
NIVOn their release, Peter and John went back to their own people and reported all that the chief priests and elders had said to them.

4章24節 (これ)()きて(みな)(こころ)(ひと)つにし、(かみ)(むか)ひ、(こゑ)()げて()[引照]

口語訳一同はこれを聞くと、口をそろえて、神にむかい声をあげて言った、「天と地と海と、その中のすべてのものとの造りぬしなる主よ。
塚本訳聞くと彼らはいっせいに、神に向かって声をはりあげて祈った、「主よ、”あなたは、天と地と海とそれらの中の一切の物とをお造りになりました。”
前田訳聞いたものは、そろって神に向かって声をあげていった、「大君よ、天と地と海とそれらの中にある万物をお造りの方よ、
新共同これを聞いた人たちは心を一つにし、神に向かって声をあげて言った。「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。
NIVWhen they heard this, they raised their voices together in prayer to God. "Sovereign Lord," they said, "you made the heaven and the earth and the sea, and everything in them.
註解: 祭司長・長老らの迫害はいよいよ彼らの団結心を強くし、益々彼らの神に対する信頼の心を深くするに過ぎなかった。
辞解
[その友] idioi は主として使徒たちの一団を指すと考うべきであるけれども、その他の近接者をも加えている事を妨げない。
[心を一つにし] ここでは「一斉に」の意、如何にして一斉に声をあげて同一の祈を為す事を得しやにつき種々の説明があるけれども問題とするに足りない。

(しゅ)よ、(なんぢ)(てん)()(うみ)()(なか)のあらゆる(もの)とを(つく)(たま)へり。

註解: 彼らは彼らの主が万物の造主に在す事を信じて、この主に向って呼びかけるのであった。この祈が応えられる時、天地の間に何物も彼らに敵する事が出来ない。
辞解
[主よ] despotaで一家の主人と言う如き親しき呼びかけ、

4章25節 (かつ)(せい)(れい)によりて(なんぢ)(しもべ)、われらの先祖(せんぞ)ダビデでの(くち)をもて、[引照]

口語訳あなたは、わたしたちの先祖、あなたの僕ダビデの口をとおして、聖霊によって、こう仰せになりました、『なぜ、異邦人らは、騒ぎ立ち、もろもろの民は、むなしいことを図り、
塚本訳あなたはわたし達の先祖、あなたの僕ダビデの口をもって、聖霊により、こう言われました。“なにゆえ異教人らは騒ぎたち民どもは空しいことをたくらむのか。
前田訳あなたはわれらの先祖、あなたの僕ダビデの口をとおして、聖霊によって仰せでした、『なぜ異邦人は騒ぎ、民どもはむなしさをたくらむのか。
新共同あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、/諸国の民はむなしいことを企てるのか。
NIVYou spoke by the Holy Spirit through the mouth of your servant, our father David: "`Why do the nations rage and the peoples plot in vain?
註解: この部分文法的に難解である。従って種々の異本がある。

(なに)ゆゑ異邦人(いはうじん)(さわ)()ち、(たみ)らは(むな)しき(こと)(はか)るぞ。

4章26節 ()王達(わうたち)(とも)()ち、(つかさ)らは(ひと)つに(あつま)りて、(しゅ)および()のキリストに(さから)ふ」と宣給(のたま)へり。[引照]

口語訳地上の王たちは、立ちかまえ、支配者たちは、党を組んで、主とそのキリストとに逆らったのか』。
塚本訳地上の王たちは勢ぞろいをし主権者たちは一緒に集まって主とその(油注がれた)救世主とに反抗する。”
前田訳地の王たちは立ちあがり、司たちは共に集まって主とそのキリストにさからう』と。
新共同地上の王たちはこぞって立ち上がり、/指導者たちは団結して、/主とそのメシアに逆らう。』
NIVThe kings of the earth take their stand and the rulers gather together against the Lord and against his Anointed One. '
註解: 使徒たちは詩2:1、2(七十人訳より引用)がそのままキリストの預言となる事を見出していたく駭いた。これ天地の創造主たる神が聖霊によりダビデをして語らしめ給うたからである。即ちキリストを十字架につけたのはローマの兵卒(異邦人)、ユダヤ人(祭司学者その他の民ら)、王等(ヘロデ)、司ら(ピラト)であった。しかもこれらは神とその受膏者(キリスト)に対する反逆であって結局空騒ぎであり無効である。
辞解
詩篇を凡てダビデの作と称する古来の習慣によったもの。詩第2篇は恐らくソロモンにつきて歌えるものならんも確かではない。
[騒ぎ立ち] 本来馬が(いなな)いてたけり立つ貌を指す語、転じて騒乱を起す事を意味す。

4章27節 (はた)してヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人(いはうじん)およびイスラエルの(たみ)()とともに、(なんぢ)(あぶら)そそぎ(たま)ひし(せい)なる(しもべ)イエスに(さから)ひて()(みやこ)にあつまり、[引照]

口語訳まことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、
塚本訳(そして、この預言は成就しました。)実際ヘロデ[アンテパス](王)と(総督)ポンテオ・ピラトとは”異教人らや”イスラエル人の“民ども”と共に、“あなたに油を注がれて(救世主として聖別され)た、”あなたの聖なる僕イエスに敵対してこの(エルサレムの)都に“集まり、”
前田訳集まったのは実にこの都で、あなたが油そそがれた聖なる僕イエスに向かってでした。それはヘロデとポンテオ・ピラトとが異邦人やイスラエルの民とともにしたことです。
新共同事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。
NIVIndeed Herod and Pontius Pilate met together with the Gentiles and the people of Israel in this city to conspire against your holy servant Jesus, whom you anointed.

4章28節 御手(みて)御旨(みむね)とにて、()()るべしと(あらか)じめ(さだ)(たま)ひし(こと)をなせり。[引照]

口語訳み手とみ旨とによって、あらかじめ定められていたことを、なし遂げたのです。
塚本訳あなたの力強い御心をもって実現しようとあらかじめ定められていたことを、なしとげたからであります。
前田訳彼らはあなたのみ手とみ心がなしとげるよう、あらかじめお定めのことを実現したのでした。
新共同そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。
NIVThey did what your power and will had decided beforehand should happen.
註解: 前節註にも示せる如く詩第2篇の預言はそのままキリストの上に実現した。この事を知らずに居るユダヤ人らは事実神とそのキリストとに対する反逆者である。
辞解
[民等] 「民」の複数でイスラエルの諸族を指す、祭司長等をもこの中に含むと見るべきである。
[御手にて・・・預じめ定め給う] と云う語法は適切では無いが「御手」を「御力」の意味に解してやや困難は滅ずる。
[事をなせり] ピラト以下の人々は皆神に叛き乍ら却て神の預定のままにその御旨を行った事となる。

4章29節 (しゅ)よ、(いま)かれらの脅喝(おびやかし)御覽(みそなは)し、(しもべ)らに御言(みことば)(いささ)かも(おく)することなく(かた)らせ、[引照]

口語訳主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。
塚本訳だから、今、主よ、彼らの(わたし達に対する)おどかしをよく御覧ください。そして出来るかぎり大胆に御言葉を語る力を、(わたし達)あなたの僕どもにさずけてください。
前田訳それで今、主よ、彼のおどしにお目をとめて、あなたの僕たちにあらゆる大胆さでみことばを語る力をお与えください。
新共同主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。
NIVNow, Lord, consider their threats and enable your servants to speak your word with great boldness.

4章30節 御手(みて)をのべて()(ほどこ)させ、(なんぢ)(せい)なる(しもべ)イエスの()によりて(しるし)不思議(ふしぎ)とを(おこな)はせ(たま)へ』[引照]

口語訳そしてみ手を伸ばしていやしをなし、聖なる僕イエスの名によって、しるしと奇跡とを行わせて下さい」。
塚本訳御手をのばして、あなたの聖なる僕イエスの名のゆえに、癒しや徴や不思議なことを行わせてください。」
前田訳み手をのばして、あなたの聖い僕イエスの名によっていやしと徴と不思議が行なわれるようにしてください」と。
新共同どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」
NIVStretch out your hand to heal and perform miraculous signs and wonders through the name of your holy servant Jesus."
註解: 使徒らの祈願は、迫害と脅喝とを恐れずして大胆に神の言を宣伝うる事とイエスの名によりて奇蹟と神癒とが彼らによりて行われん事とであった、『「彼らを粉砕し打ち滅し給え」と祈らなかった事に注意せよ』(C1)小数の弟子たちはその当時の全宗教界全政治的権力を向うに廻して戦わなければならなかった。彼らの心は自ら緊張せざるを得ない。

4章31節 (いの)()へしとき()(あつま)りをる(ところ)(ふる)(うご)き、みな(せい)(れい)にて滿(みた)され、(おく)することなく(かみ)御言(みことば)(かた)れり。[引照]

口語訳彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。
塚本訳こう彼らが祈りおわると、(たちまち)集まっていた所が揺れ、だれもかれも聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語った。
前田訳彼らが祈り終えると、集まっていた所がゆれ、皆が聖霊に満たされて、大胆に神のことばを語った。
新共同祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。
NIVAfter they prayed, the place where they were meeting was shaken. And they were all filled with the Holy Spirit and spoke the word of God boldly.
註解: 神は彼らの祈に応えて地を震わしめ給うた。一羽の雀すら神の許なしに地に落ちない、況んや大なる天地の異変の背後には必ず神の御旨がある。使徒たちはこの迫害によりていよいよ豊に聖霊を与えられ、益々大胆に神の言を語った。神はその愛する者を常に訓錬し給う、基督教に迫害は附き物であり、迫害は益々基督教を広める力となる。
要義 [世とキリスト]世は常に「主とそのキリスト」とに逆う、この世の精神はキリストの精神に反するからである。この意味に於て昔は預言者を迫害し、キリストの時に彼を十字架につけ、今の世に基督者の迫害となって顕れる。しかしながら人は神を殺す事が出来ず、神の力を無に帰せしむる事が出来ない。迫害によりて聖霊の力はいよいよ加わり、之によりて福音はいよいよ世に広まリ遂に完全に世に勝つ事が出来る。

2-2 初代信徒の経済生活 4:32 - 5:12
2-2-1 信仰的共産生活 4:32 - 4:37

4章32節 (しん)じたる(もの)(むれ)は、おなじ(こころ)おなじ(おもひ)となり、(たれ)一人(ひとり)その所有(もちもの)(おの)(もの)()はず、(すべ)ての(もの)(とも)にせり。[引照]

口語訳信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
塚本訳信者の団体は一つ心一つ思いで、一人として持ち物を自分のものと言わず、一切の物が共有であった。
前田訳信徒の集まりはひとつ心ひとつ思いで、だれひとり持ち物を自分のものといわず、いっさいが共有であった。
新共同信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。
NIVAll the believers were one in heart and mind. No one claimed that any of his possessions was his own, but they shared everything they had.
註解: 心による財産の共有である。法律の力による強制的共有は、財産に対する権利関係の変化を来さしめるけれども心の変化を来さない。基督者に取りて大切なのは先づ心が一変して、凡ての資産を自己のものと思わない事である。これさえ出来るならば貧富の差は何等の問題とはならない。而してかかる状態は凡ての人が同一の心情を持っている場合最も美しき社会としてあらわれる。尚32-35節は使2:44、45と同一の事を云うのであるけれども使2:44、45は主として各個人につきて言い、本節以下は主として教会全体の状態を記述しているものと見るべきである。
辞解
[心、思] kardia と psychê の意味は前者は主として心情の方面、後者は生物としての人間の心の活動の総体を指す。
[己が物と謂はず] 法律による所有権の剥奪ではなく、自ら自己のものを神にささぐるの態度である。

4章33節 (かく)使徒(しと)たちは(おほい)なる能力(ちから)をもて(しゅ)イエスの復活(よみがへり)(あかし)をなし、みな(おほい)なる恩惠(めぐみ)(かうむ)りたり。[引照]

口語訳使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。
塚本訳また使徒たちは大なる力をもって主イエスの復活を証明し、(神の)大きな恵みが彼ら一同の上にあった。
前田訳大きな力で使徒たちは主イエスの復活を証し、大きな恵みが彼らすべてにのぞんだ。
新共同使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。
NIVWith great power the apostles continued to testify to the resurrection of the Lord Jesus, and much grace was upon them all.
註解: 使徒たちはその生活のために苦労する必要が無く聖霊の力にその身を充分に委せる事が出来、大なる能力を与えられた。主の復活を証する事は伝道の基礎であった。福音の証をしている使徒たちの上に神からも人からも多くの恩恵が臨んだ。
辞解
[恩恵] 「人の好意」と解する説と「神の恩恵」を意味すとする説とがある、予はB1と共にこの双方を含むものと解す。

4章34節 (かれ)らの(うち)には一人(ひとり)(とぼ)しき(もの)もなかりき。[引照]

口語訳彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、
塚本訳実際、彼らの中にはだれ一人乏しい者がなかった。なぜなら、地所や家を持っている者はみな、それを売っては、売れた物の代金を持ってきて、
前田訳実に彼らの中にはだれも乏しいものがなかった。それは、土地や家を持つものが皆それを売って、売れたものの代金を持ってきて、
新共同信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、
NIVThere were no needy persons among them. For from time to time those who owned lands or houses sold them, brought the money from the sales
註解: まことに理想的の社会状態であって、信仰と愛との最高の表顕である(B1)

これ地所(ぢしょ)あるいは家屋(いへ)()てる(もの)、これを()り、その()りたる(もの)(あたひ)()(きた)りて、

4章35節 使徒(しと)たちの足下(あしもと)()きしを、各人(おのおの)その(よう)(したが)ひて()(あた)へられたればなり。[引照]

口語訳使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。
塚本訳使徒たちの足元に置いたからである。それがひとりびとりの必要に応じて分けあたえられた。
前田訳使徒たちの足もとに置いたからである。必要とするものに応じて、それがそれぞれに分け与えられたのである。
新共同使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。
NIVand put it at the apostles' feet, and it was distributed to anyone as he had need.
註解: 一人の家長の下に生活する一家族の如く、完全に調和を有する経済団体となった。「売る」「置く」「持ち来る」「分け与う」等の動詞の未完了形なるより見て、これ等の行為が必要に応じて一部分づつ繰返されたものであって一時に全部を売却分配せるにあらざる事が判明る。又、これは信徒の自由意思によったものであって何等の強制も無かった。又使徒の足下に置いた事は、使徒の人格に対する尊敬とその処置に対する全幅の信頼との表顕であった。かかる社会こそその中に贅沢華美は許容されず、貧困窮迫に陥る者なく、各人その力の限りを尽しつつ互に相助くる最も美しき社会であると云わなければならない。徹底せる完き信仰の前提の下にのみかかる世界は存在する事が出来る。
要義 [理想的共産社会]凡ての物は神の物である事を信じ、互に隣人の事を思いやる事が出来る社会、即ち信仰と愛との存する社会に於てのみ理想的共産社会が存在する事が出来る。殊にその最も優れし心と判断とを有する一人又は数人に正しき判断を求むる事が出来る様な場合、一層この社会は完全なる共産社会となる事が出来る。かかる社会はまことに望ましき処のものであるけれども、事実としては決して容易に実現し得ない。この事につき我らは神の前に信仰と愛の欠乏を懺悔しなければならぬ。

4章36節 (ここ)にクプロに(うま)れたるレビ(びと)にて、使徒(しと)たちにバルナバ(()けば慰籍(なぐさめ)())と(とな)へらるるヨセフ、[引照]

口語訳クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、
塚本訳ヨセフは使徒たちからバルナバ[訳すれば「慰めの子」]とも言われた、クプロ(島)生まれのレビ人であったが、
前田訳ヨセフは使徒たちにバルナバ(訳せば「慰めの子」)とも呼ばれた、キュプロス生まれのレビ人であったが、
新共同たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、
NIVJoseph, a Levite from Cyprus, whom the apostles called Barnabas (which means Son of Encouragement),

4章37節 (はた)ありしを()りて()(かね)()ちきたり、使徒(しと)たちの足下(あしもと)()けり。[引照]

口語訳自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。
塚本訳畑を持っていたので、売って、その金を持ってきて使徒たちの足元に置いた。
前田訳畑を持っていたので、それを売り、代金を持ってきて使徒たちの足もとに置いた。
新共同持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
NIVsold a field he owned and brought the money and put it at the apostles' feet.
註解: 32-35の記事の最も著しき例としてバルナバを掲げたのは、彼のこの行為が特に多く使徒たちを力づけ、之を慰め、且つ他の信徒の行動の模範となったからであろう。
辞解
[バルナバ] 十二使徒以外に於ける最も傑出せる人の一人であって使徒たちにパウロを紹介せるは彼であり(使9:27)、パウロと共に手づから働きて生活し(Tコリ9:6)、その後アンテオケに赴きパウロと共に一年間その処に働いた。後パウロの第一伝道旅行に同行し(Tコリ13:12-)、又エルサレム会議(Tコリ15:1-)に於てはパウロと共に純信仰の為に戦ったけれども(ガラ2:9)、後マルコの故によりてパウロと別れなければならなかった(使15:37-40)。後パウロと和解した形跡はあるけれども(コロ4:10) バルナバの活動につきては詳細の記事が無い。寛容にして公平であり、温厚にして事の是非善悪を正しく認識し、柔和にしてしかも断然たる行動を取るの強さを有する傑出せる人物であった。パウロの如き徹底さと強烈さとは無かったけれども、ルナンの賞揚する如く初代に於ける最も有力なる使徒の一人であった事は争われない。
[慰藉の子] 原語バル・ネブーアーは「預言の子」とも訳し得る文字であるけれども「預言する事」は当時「慰めの言を語る事」を意味していたので(Tコリ14:3)この意味に訳したのであろう(ダイスマン、クローステルマン等の異説は採用し難し)。この名を与えし時機は不明、「売る」「持ち来る」「置く」は何れも不定過去形で一度に完了せる行動であった事を示す。恐らく多額の資産であったろう。
[畑ありしを] レビもパレスチナに資産を持つ事が出来た事はエレ32:7より之を知る事が出来る。或はクプロに於ける所有財産であったかも知れぬ。