黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マルコ伝

マルコ伝第12章

分類
6 イエスの受難週間 11:1 - 15:47
6-1 エルサレムにおけるイエス 11:1 - 12:44
6-1-ヘ 葡萄園の比喩 12:1 - 12:12
(マタ21:33-46) (ルカ20:9-19)  

12章1節 イエス(たとへ)をもて(かれ)らに(かた)()(たま)[引照]

口語訳そこでイエスは譬で彼らに語り出された、「ある人がぶどう園を造り、垣をめぐらし、また酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
塚本訳それから譬をもって彼らに話し出された、「ある人が“葡萄畑をつくって、垣根をめぐらし、(その中に)搾り場をもうけ、(見張りの)櫓を建てた”上、小作人たちに貸して旅行に出かけた。
前田訳イエスは譬えで彼らに話しだされた、「ある人がぶどう園を作って、垣をめぐらし、搾り場をしつらえ、物見やぐらを建て、ぶどう作りに貸して旅立った。
新共同イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
NIVHe then began to speak to them in parables: "A man planted a vineyard. He put a wall around it, dug a pit for the winepress and built a watchtower. Then he rented the vineyard to some farmers and went away on a journey.
註解: イエスは極めて婉曲に次のごとき譬喩をこれらの祭司、学者、長老たちに対して語り給うた。これらは直接にして露骨なる攻撃よりも一層深く彼らの心に打込む力を有つ。

『ある(ひと)葡萄園(ぶだうぞの)(つく)り、(まがき)(めぐ)らし、酒槽(さかぶね)(あな)()り、(ものみ)をたて、農夫(のうふ)どもに()して、(とほ)旅立(たびだち)せり。

註解: イスラエルはしばしば葡萄園に譬えられている。イザ5:1、2。エレ2:21詩80:8−15。イエスはこの譬えをもって神が如何に完全に入念にイスラエルのために備え給いしかを示す。なおB1は「(まがき)」は律法またはイスラエルを他の国民と区別すること。「酒槽(さかぶね)」はエルサレムまたは祭司階級、「(やぐら)」は神の宮または神政政治等と解しているけれども(またその他にも種々の解釈があるけれども)、イエスは果してかく考え給えるや否や不明である故あまりに微細なる比喩的解釈は危険である。「農夫どもに貸して遠く旅立せる」は、イスラエルの民に神の葡萄畑を耕す権を託し給うたことを示す。この神より受けし権を正しく用うる者のみこの葡萄園の特権に与ることができる。

12章2節 (とき)いたりて農夫(のうふ)より葡萄園(ぶだうぞの)所得(しょとく)受取(うけと)らんとて、(しもべ)をその(もと)(つかは)ししに、[引照]

口語訳季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を取り立てさせようとした。
塚本訳(収穫の)時が来たので、小作人から葡萄畑の収穫の分け前を取り立てるために、一人の使用人を小作人の所に使にやった。
前田訳収穫の時に、ぶどう作りからぶどう畑の実の分け前を受け取るために、ひとりの僕をつかわした。
新共同収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。
NIVAt harvest time he sent a servant to the tenants to collect from them some of the fruit of the vineyard.

12章3節 (かれ)(これ)(とら)へて()ちたたき、空手(むなで)にて(かへ)らしめたり。[引照]

口語訳すると、彼らはその僕をつかまえて、袋だたきにし、から手で帰らせた。
塚本訳すると、それをつかまえてなぐりつけ、手ぶらでかえした。
前田訳すると僕をつかまえてなぐり、無一文で帰した。
新共同だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。
NIVBut they seized him, beat him and sent him away empty-handed.
註解: 僕は預言者を意味す。モーセ、ヨシュア、ダビデ、その他の預言者はみなエホバの僕と呼ばれていた(アモ3:7ゼカ1:6エレ7:25エレ25:4使4:25その他)。彼らはイスラエルをして、その霊的収穫を挙げてこれを神に献げしめんがために遣されたのであった。然るにイスラエルには神に献ぐべき霊的果実は全く無く、否、これを神に献ぐべきものたることすら忘れていた。それ故に彼らは預言者の声を聴くにたえずしてこれを迫害し殺戮した。神に献ぐべきものを私用するものは神より遣されし人の顔を見るに耐えない。ユダヤの歴史は預言者の迫害史であることにつきてはマタ21:35註参照。

12章4節 (また)ほかの(しもべ)(つかは)ししに、その(かうべ)(きず)つけ、かつ(はづか)しめたり。[引照]

口語訳また他の僕を送ったが、その頭をなぐって侮辱した。
塚本訳またほかの使用人を一人やると、それをも頭をなぐり、かつ侮辱した。
前田訳もうひとりの僕をつかわすと、それをも頭をなぐって侮辱した。
新共同そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。
NIVThen he sent another servant to them; they struck this man on the head and treated him shamefully.

12章5節 また(ほか)(もの)(つかは)ししに、(これ)(ころ)したり。(また)ほかの(おほ)くの(しもべ)をも、(あるひ)()(あるひ)(ころ)したり。[引照]

口語訳そこでまた他の者を送ったが、今度はそれを殺してしまった。そのほか、なお大ぜいの者を送ったが、彼らを打ったり、殺したりした。
塚本訳そこで(また)ほかの一人をやっると、それも殺してしまった。ほかの大勢(の使用人)を(やったが、)なぐったり、殺したりしてしまった。
前田訳もうひとりをつかわすと、それをも殺した。ほかの大勢の僕をも、あるいはなぐり、あるいは殺した。
新共同更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。
NIVHe sent still another, and that one they killed. He sent many others; some of them they beat, others they killed.
註解: 次第に迫害の程度が高まり来ることを示す。マルコ伝がこの点特に力強くかつ詳細である。イスラエルの罪をできるだけ明かに示さんがためであった。背ける民を引戻さんとする神の熱心も、この葡萄園の主のごとくであるに相違ない。

12章6節 なほ一人(ひとり)あり、(すなは)()(いつく)しむ()なり「わが()(うやま)ふならん」と()ひて、最後(いやはて)(これ)(つかは)ししに、[引照]

口語訳ここに、もうひとりの者がいた。それは彼の愛子であった。自分の子は敬ってくれるだろうと思って、最後に彼をつかわした。
塚本訳(最後に)まだ一人、最愛の(独り)息子があった。『わたしの息子なら恐れ入るにちがいない』と言って、最後にこれを使にやった。
前田訳まだひとりいた。おのがいとし子であった。『わが子なら敬おう』といってその最後のものをつかわした。
新共同まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。
NIV"He had one left to send, a son, whom he loved. He sent him last of all, saying, `They will respect my son.'

12章7節 かの農夫(のうふ)ども(たがひ)()ふ「これは世嗣(よつぎ)なり、いざ(これ)(ころ)さん、()らばその嗣業(しげふ)は、(われ)らのものとなるべし」[引照]

口語訳すると、農夫たちは『あれはあと取りだ。さあ、これを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と話し合い、
塚本訳するとその小作人たちは、『これは相続人だ。さあ、殺してしまおう。そうすればその財産はおれ達のものになるのだ』と互に言いながら、
前田訳ぶどう作りは互いにいった、『これは相続人だ。さあ、殺そう。そうすれば相続財産はわれらのものだ』と。
新共同農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
NIV"But the tenants said to one another, `This is the heir. Come, let's kill him, and the inheritance will be ours.'
註解: 子はイエス・キリストを指せるものであることは明かである。神はその民イスラエルを自己に贖い取らんがために最後にその独り子を賜うほどにこれを愛し給うた。この愛を全く感受せず、かえって逆にこれを殺したのがイスラエルであった。これ彼らが神のことを思わずして自己の利益のみに没頭したからであった。
辞解
[然らばその嗣業は、我らのものとなるべし] 律法的には成立たない(L2)という学者があるけれども、事実的には主人が遠国にいる以上かく考うることはあり得る。

12章8節 (すなは)(とら)へて(これ)(ころ)し、葡萄園(ぶだうぞの)(そと)()()てたり。[引照]

口語訳彼をつかまえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。
塚本訳つかまえて殺した上、葡萄畑の外に放り出してしまった(という話)。
前田訳そして捕えて殺し、ぶどう園の外に投げ出した。
新共同そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。
NIVSo they took him and killed him, and threw him out of the vineyard.
註解: 屍体を外に投げ棄ててこれをその腐爛(ふらん)するに委せた。これより大なる侮辱はない。
辞解
[投げ棄て] 普通「逐い出す」と訳される文字であるけれどもこの場合はかく訳し得ない(マタ21:39ルカ20:15)。マタイ伝、ルカ伝の方がイエスの受難の事実に適合しているけれどもマルコ伝の方が力強き表顕である。

12章9節 ()らば葡萄園(ぶだうぞの)(ぬし)、なにを()さんか、(きた)りて農夫(のうふ)どもを(ほろぼ)し、葡萄園(ぶだうぞの)(ほか)(もの)どもに(あた)ふべし。[引照]

口語訳このぶどう園の主人は、どうするだろうか。彼は出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう。
塚本訳(それで尋ねるが、)葡萄畑の持ち主はどうするだろうか。(もちろん)来て小作人たちを殺し、葡萄畑をほかの人に貸すにちがいない。
前田訳ぶどう園の主人はどうするであろうか。来てぶどう作りを殺し、ぶどう園をほかの人々にまかせよう。
新共同さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。
NIV"What then will the owner of the vineyard do? He will come and kill those tenants and give the vineyard to others.
註解: イエスを殺したユダヤ人らは紀元七十年にエルサレムの滅亡によりてついに全くその祖国を失うに至った、神が彼らを(さば)き給うたのである。而して神の国はイエスを信ずる真のイスラエルに与えられるに至った。なおこの比喩を精確に解すれば農夫はイスラエルの民の指導者となる故、葡萄園なるイスラエルは他の指導者に与えられることとなる、かくすれば使徒たちがこの人々に相当する。

12章10節 (なんぢ)聖書(せいしょ)に「造家者(いえつくり)らの()てたる(いし)は、これぞ(すみ)首石(おやいし)となれる。[引照]

口語訳あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。
塚本訳あなた達はこの聖書の句をすら読んだことがないのか。──“大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。
前田訳あなた方は聖書にこうあるのを読まなかったか−−『家造りが捨てた石、それが隅の土台石になった。
新共同聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。
NIVHaven't you read this scripture: "`The stone the builders rejected has become the capstone ;

12章11節 これ(しゅ)によりて()れるにて、(われ)らの()には(くす)しきなり」とある()をすら()まぬか』[引照]

口語訳これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」。
塚本訳これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。”」
前田訳これは主のなさったこと、われらの目には不思議である』と」。
新共同これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』」
NIVthe Lord has done this, and it is marvelous in our eyes' ?"
註解: 新約聖書に最も多く引用せられている句で詩118:22、23より取る。原詩の意味は諸国民に棄てられしイスラエルは神の家の隅の首石(おやいし)となれることを意味し、ここではユダヤ人らに棄てられるイエスが神の家の首石(おやいし)たるべきことを意味す。他の二福音書の外、使4:11エペ2:20Tペテ2:4Tペテ2:7等にも引用せらる。イエスはこの句をもってイエスの使命とその意義とを明かにし、たとい彼はユダヤの祭司、学者らに棄てられるとも、神は彼をもってイスラエルの家の首石(おやいし)となし給うことを示し、彼を亡ぼさんとする祭司長・学者・パリサイ人らに対して警告を与えている。
辞解
[隅の首石] 家の隅の重要なる基礎石かまたは入口のアーチ形の上部の石をいう。この句は使徒たちによりてしばしば用いられし故、ここでもイエスが用い給いしにあらずとする説(L2)あれど、かく解する必要はない。

12章12節 ここに(かれ)()イエスを(とら)へんと(おも)ひたれど、群衆(ぐんじゅう)(おそ)れたり、この(たとへ)(おのれ)らを()して()(たま)へるを(さと)りしに()る。(つい)にイエスを(はな)れて()()けり。[引照]

口語訳彼らはいまの譬が、自分たちに当てて語られたことを悟ったので、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。そしてイエスをそこに残して立ち去った。
塚本訳彼らはイエスが自分たちに当て付けてこの譬を言われたことを知ったので、(怒って)イエスを捕えようと思ったが、民衆(が騒ぎ出すの)を恐れた。それで、イエスをそのままにして立ち去った。
前田訳彼らは自分らにあてつけて譬えを話されたことを知って、彼を捕えようとしたが、群衆をおそれた。それで、彼をそのままにして立ち去った。
新共同彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。
NIVThen they looked for a way to arrest him because they knew he had spoken the parable against them. But they were afraid of the crowd; so they left him and went away.
註解: 祭司長、学者、長老らはイエスの比喩の意味をさとり、心中に甚く憤激した。彼らは固陋(ころう)にして己の罪を悔改むることを知らず、イエスをもってしてもなお彼らを悔改めしむることができなかった。神を無視して自己を高しとする者は永遠の亡びより外に行くべき処がない。然かのみならず彼らはかえってイエスを(とら)えんとした。正にイエスの彼らに告げ給いしごとくである。しかも彼らは群衆がイエスを預言者とするを見て(マタ21:46)、これを恐れて手を下さなかった。不義、貪慾、卑怯、偽善、あらゆる不徳が彼らのものであった。而して彼らはユダヤ人中の最高の地位を占めていたのである。イエスと彼らとの間に如何にしても一致を見出し得ざりしは当然である。
要義 [イエスの敵]イエスを迫害しこれを殺さんとしたのはユダヤの民衆ではなくその祭司長、学者、パリサイ人、長老等の有力者であった。民衆は唯彼らに扇動せられたに過ぎない。これらの有力者がイエスを拒んだ理由は、イエスが唯ひたすらに神の御旨に従わんとしたのに反し、これらの人々はまずその地位、特権、組織を擁護せんとしたからであった。人間的制度や人間的特権を神よりも上に置かんとする者はイエスに反する者である。今日の組織せられし教会もこの幣に陥っている以上、彼らもまたイエスを十字架に()けるであろう。

6-1-ト 納貢問題 12:13 - 12:17
(マタ22:15-22) (ルカ20:20-26)  

12章13節 かくて(かれ)らイエスの言尾(ことばじり)をとらへて陷入(おとしい)れん(ため)に、パリサイ(びと)とヘロデ(たう)との(うち)より、數人(すにん)御許(みもと)(つかは)す。[引照]

口語訳さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕えようとした。
塚本訳それから彼らは数人のパリサイ人とヘロデ党の者とを、イエスの所にやった。その言葉尻をとらえ(て訴え出)ようとするのである。
前田訳数人のパリサイ人とヘロデ党の人々がことばじりをとらえるよう彼のところにつかわされた。
新共同さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。
NIVLater they sent some of the Pharisees and Herodians to Jesus to catch him in his words.
註解: 「彼ら」は祭司長、学者、長老たち(マコ11:27)である。彼らはなおも執拗にイエスを捕えんと企て、彼をカイザルに対する納貢問題をもって陥れんとした。地上の国の問題を神の国の問題と混合することにより言尾を捕えることは今日我が国においても多く行われるところである。紀元六年アケラオ(マタ2:22)、ユダヤの王位を失いし以来、人頭税としてカイザルに納むべき税金が徴集せられ、この税金は人民一般に屈辱的の感じを与えるので非常に不評判であった。殊にその納金貨幣にはカイザルの像が附いていたため一層嫌われ、熱心党のごときは納税を拒んだ。パリサイ人は大体においてこの納税に反対であり、ヘロデ党はカイザル党としてこの納税を支持していた。イエスはこの二者の何れかに躓きを与えるに相違なかった。この二者を遣した企図はこの点に在った。

12章14節 その(もの)ども(きた)りて()ふ『()よ、(われ)らは()る、(なんぢ)(まこと)にして、(たれ)をも(はばか)りたまふ(こと)なし、(ひと)外貌(うはべ)()ず、(まこと)をもて(かみ)(みち)(をし)(たま)へばなり[引照]

口語訳彼らはきてイエスに言った、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。
塚本訳その人たちは来てイエスに言う、「先生、あなたは正直な方で、だれにも遠慮されないことをよく承知しております。人の顔色を見ず、本当のことを言って神の道を教えられるからです。(それでお尋ねしますが、わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」
前田訳彼らは来ていう、「先生、あなたは真実で、だれであろうと気がねなさらぬことをわれらは知っています。あなたは人の顔色をうかがわず、真実に神の道をお教えです。皇帝(カイサル)に税を納めてよいですか、よくないですか。納めるべきでしょうか、否(いな)でしょうか」と。
新共同彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」
NIVThey came to him and said, "Teacher, we know you are a man of integrity. You aren't swayed by men, because you pay no attention to who they are; but you teach the way of God in accordance with the truth. Is it right to pay taxes to Caesar or not?
註解: 彼らはイエスの従来の態度を知っており、人の顔を恐れざる真実さを見ていた。彼らはイエスのこの態度を利用して彼を陥れんと企てているのである。それ故にイエスをして飽くまでもこの態度をもって彼らの問いに答えしめんとしてこの前提を持出しイエスをして逃れる能わざらしめんとした。

(われ)(みつぎ)をカイザルに(をさ)むるは、()きか、()しきか、(をさ)めんか、(をさ)めざらんか』

註解: この質問はイエスをして進退(きわ)まらしめんとの意図をもって為されたのであった。()しと言えばユダヤの民衆の凡てより憎まれなければならず、()しと言えばカイザルに対する反逆者とならなければならない。彼らは心(ひそ)かにその適切なる質問を発せしことを誇っていたのであろう。

12章15節 イエス()詐僞(いつはり)なるを()りて『なんぞ(われ)(こころ)むるか、デナリを()(きた)りて(われ)()せよ』と()(たま)へば、[引照]

口語訳イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、「なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい」。
塚本訳イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、「なぜわたしを試すか。デナリ銀貨を持ってきて見せなさい。」
前田訳彼らの偽善を見ていわれた、「なぜわたしを試すのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい」と。
新共同イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」
NIVShould we pay or shouldn't we?" But Jesus knew their hypocrisy. "Why are you trying to trap me?" he asked. "Bring me a denarius and let me look at it."

12章16節 (かれ)()(きた)る。[引照]

口語訳彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カイザルのです」と答えた。
塚本訳持ってくると、言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」「皇帝のです」と彼らが言った。
前田訳彼らが持って来るといわれる、「この像はだれのか、そしてこの銘は」と。彼らはいった、「皇帝のです」と。
新共同彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、
NIVThey brought the coin, and he asked them, "Whose portrait is this? And whose inscription?" "Caesar's," they replied.
註解: 彼らの質問は真に納貢の可否につきイエスの教えを乞わんとしたのではなく、イエスを陥れんための質問であることをイエスは見抜き給うた。
辞解
[デナリ] 納貢に用うる貨幣。

イエス()(たま)ふ『これは(たれ)(かたち)、たれの(しるし)なるか』『カイザルのなり』と(こた)ふ。

12章17節 イエス()(たま)ふ『カイザルの(もの)はカイザルに、(かみ)(もの)(かみ)(をさ)めよ』(かれ)らイエスに()きて(はなは)(あや)しめり。[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。
塚本訳イエスは言われた、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」彼らはイエスに驚いてしまった。
前田訳イエスはいわれた、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と。彼らはイエスにおどろきいった。
新共同イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。
NIVThen Jesus said to them, "Give to Caesar what is Caesar's and to God what is God's." And they were amazed at him.
註解: イエスの答えの素晴らしさを見よ、彼の驚くべき智慧と、神に対する明確なる態度とはこの難問を見事に解決して、しかも相手に重大なる非難を浴せ掛けたのであった。すなわち、この世の義務はこの世の支配者(彼らの場合はカイザル)に対して果さなければならざることを教えて彼らの躊躇の(いわ)れ無きことを示すと同時に、神の物たる彼らの心は、これを神にささげ、神に対する信仰をもって生きなければならないことを教え、彼らが神に対して納むべきものを納めず、しかも一面カイザルに対して納むべきものを納むることを躊躇することを非難し給うた。かくして彼らが大問題と思惟せし納貢問題は極めて小問題であって、彼らが気付かざりし処にかえって大なる問題が存することを知らしめられたのであった。彼らの驚きし所以はイエスの捕捉端倪(たんげい)すべからざる態度であった。
要義 [神のものとカイザルのもの]絶対的の意味においては、全宇宙の凡てのものが神のものである。しかしながら神はカイザルにその一部分を委任し給うた。すなわち地上における人間の国民的社会的生活を支配し、その安寧秩序を保ち、その福祉文化を増進することである。而して人間が神を信じ永遠の生命を獲得する霊的生活と神に対する良心の平安の問題は、神自らこれをその御手の中に保留し給うた(その他人間の肉体的生命の生長維持、人間社会の歴史的経綸等もまた神の直接の支配の下にある)。この意味において神のものとカイザルのものとの間に区別が成立つのである。而してこの前者に関しては我らは凡てのことカイザルに服従すべきであり(ロマ13:1、2)、後者に関しては凡て神に従うべきである。而してカイザルの命令が神の御旨に反するごとくに見ゆる場合でも、社会の安寧秩序に関する事柄においては我らはカイザルに従わなければならず、カイザルは直接に神に対して責任を負うのである。これに反しもしカイザルが我らの信仰を棄てしめんとするごとき場合があるならば、我らは我らの心を神に納め、我らの肉体をカイザルに納むべきである。

6-1-チ 復活問題 12:18 - 12:27
(マタ22:23-33) (ルカ20:27-40)  

註解: パリサイ人らの反対に次いでサドカイ人らの反対が起った。イエスは到る処に反対を克服しなければならなかった。

12章18節 また復活(よみがへり)なしと()ふサドカイ(びと)ら、イエスに(きた)()ひて()ふ、[引照]

口語訳復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、イエスのもとにきて質問した、
塚本訳そこに、復活なしと主張するサドカイ人たちが来て、イエスにこう言って質問した、
前田訳サドカイ人がおそばに来た。復活はない、という人々である。彼らは問うた、
新共同復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。
NIVThen the Sadducees, who say there is no resurrection, came to him with a question.
辞解
[サドカイ人] ソロモン時代より宮に(つか)えし主なる族であったザドクの子孫なる貴族的祭司階級とこれに加担する一派を指す(エゼ40:46)。文化的であり理智的でありかつ現世的政治的であるのがその特徴であった。従って彼らはメシヤを望まず、復活を信ぜず、天使や霊魂の存在を否定した。

12章19節 ()よ、モーセは、(ひと)兄弟(きゃうだい)もし()なく(つま)(のこ)して()なば、その兄弟(きゃうだい)、かれの(つま)(めと)りて、兄弟(きゃうだい)のために嗣子(よつぎ)()ぐべしと、(われ)らに()(のこ)したり。[引照]

口語訳「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もし、ある人の兄が死んで、その残された妻に、子がない場合には、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。
塚本訳「先生、モーセは(その律法に、)“もし死んだ兄が、”妻を残して“子をのこさない場合には、弟はその女をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ”とわたし達のために書いています。
前田訳「先生、モーセはわれらのために書きました、『兄が死んで妻を残して子がない場合、弟がその妻をめとって兄の子孫を生かすように』と。
新共同「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。
NIV"Teacher," they said, "Moses wrote for us that if a man's brother dies and leaves a wife but no children, the man must marry the widow and have children for his brother.
註解: 申25:5、6の規定で家系を重んずるより起った制度である。サドカイ人らはおそらくこれをもってモーセが死人の復活を認めざりし証拠としたのであろう。

12章20節 (ここ)七人(しちにん)兄弟(きゃうだい)ありて、(あに)(つま)(めと)り、嗣子(よつぎ)なくして()に、[引照]

口語訳ここに、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、
塚本訳(ところでここに)七人の兄弟があって、長男が妻をめとったが、子をのこさずに死に、
前田訳七人の兄弟があって、長男が妻をめとり、子を残さずに死に、
新共同ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。
NIVNow there were seven brothers. The first one married and died without leaving any children.

12章21節 第二(だいに)(もの)その(をんな)(めと)り、また嗣子(よつぎ)なくして()に、第三(だいさん)(もの)もまた(しか)なし、[引照]

口語訳次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。
塚本訳次男が(この律法に従って)その女をめとったが、また子を残さずに死に、三男も同様で、
前田訳次男がそれをめとって子を残さずに死に、三男もそうで、
新共同次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。
NIVThe second one married the widow, but he also died, leaving no child. It was the same with the third.

12章22節 七人(しちにん)とも嗣子(よつぎ)なくして()に、(つひ)には()(をんな)()にたり。[引照]

口語訳こうして、七人ともみな子孫を残しませんでした。最後にその女も死にました。
塚本訳ついに七人とも子をのこさず、一番最後にその女も死んでしまいました。
前田訳七人とも子を残さず、最後に妻も死にました。
新共同こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。
NIVIn fact, none of the seven left any children. Last of all, the woman died too.

12章23節 復活(よみがへり)のとき(かれ)らみな(よみが)へらんに、この(をんな)(たれ)(つま)たるべきか、七人(しちにん)これを(つま)としたればなり』[引照]

口語訳復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。
塚本訳(もし復活があるなら、)人が復活する復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしましたから。」
前田訳復活に際して、彼らが復活すると、妻はだれのになるでしょうか、七人とも彼女をめとりましたが」と。
新共同復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」
NIVAt the resurrection whose wife will she be, since the seven were married to her?"
註解: 旧約聖書には復活の思想は必ずしも明瞭に記されていない。これがサドカイ人が復活を否定する理由であった。従って復活を信ずる者といえども、復活後の状態等につき明確なる観念を有っていなかった。それ故に上掲のごとき場合においては復活を信ずる者も困難に陥ったことが想像される。

12章24節 イエス()(たま)ふ『なんぢらの(あやま)れるは、聖書(せいしょ)をも、(かみ)能力(ちから)をも、()らぬ(ゆゑ)ならずや。[引照]

口語訳イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。
塚本訳イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。
前田訳イエスはいわれた、「あなた方がそんなまちがいをしているのは聖書も神の力も知らないからではないか。
新共同イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。
NIVJesus replied, "Are you not in error because you do not know the Scriptures or the power of God?
註解: (▲サドカイ人は復活なしと唱えた。かかることは有り得ないと考えたからである。これは神の力を知らないからである。)聖書につきては26節に、神の能力につきては25節に録さる。サドカイ人は聖書はこれを信じていると自認し神の能力はこれを知っていると考えた。彼らの誇りはその根底において覆されたのであった。▲▲聖書を知る知り方に二種あり、一は聖書の字句をそのまま知ること、二は聖書の言の精神を知ること、そしてイエスは第一の知り方は聖書を知らないのであることを示し給うた。

12章25節 (ひと)死人(しにん)(うち)より(よみが)へる(とき)は、(めと)らず、(とつ)がず、(てん)()御使(みつかひ)たちの(ごと)くなるなり。[引照]

口語訳彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。
塚本訳死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。
前田訳死人の中から復活するときは、めとりもとつぎもせず、天にあるみ使いのようである。
新共同死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
NIVWhen the dead rise, they will neither marry nor be given in marriage; they will be like the angels in heaven.
註解: 復活後の状態は天使のごとき存在となるのであって、食慾も色慾も無く、唯神を愛して互に相愛する霊体の存在するのみ、夫と妻とは互に相認識することを得れども、これを己のものとして所有し他を排斥せんとするごとき心持はもはや存在せず、(ことごと)く聖き愛のみの一団となる。神はその能力をもってかかる状態に人を甦えらしめ給う。

12章26節 ()にたる(もの)(よみが)へる(こと)()きては、モーセの(ふみ)(なか)なる(しば)(くだり)に、(かみ)モーセに「われはアブラハムの(かみ)、イサクの(かみ)、ヤコブの(かみ)なり」と()(たま)ひし(こと)あるを、(いま)()まぬか。[引照]

口語訳死人がよみがえることについては、モーセの書の柴の篇で、神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。
塚本訳死人が復活することについては、(聖書にはっきり書いてある。)モーセの書の茨の薮の(燃える話の)ところで、神がモーセにこう言われたのを読んだことがないのか、──“わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)”と。
前田訳死人が復活するについては、モーセの書の柴のくだりで、神が彼にいわれたのを読まなかったか、『われはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と。
新共同死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。
NIVNow about the dead rising--have you not read in the book of Moses, in the account of the bush, how God said to him, `I am the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob' ?

12章27節 (かみ)()にたる(もの)(かみ)にあらず、()ける(もの)(かみ)なり。なんぢら(おほい)(あやま)れり』[引照]

口語訳神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」。
塚本訳(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)あなた達は大間違いをしている。」
前田訳神は死者の神でなく生者の神である。あなた方のまちがいははなはだしい」と。
新共同神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」
NIVHe is not the God of the dead, but of the living. You are badly mistaken!"
註解: 出3:6の神の言を捉え来って復活の根拠とすることはイエスの卓越せる烱眼(けいがん)による。すなわち「アブラハム・・・・・の神なりき」と言わずして「なり」と言い給える点に問題の中心があるのであって、「アブラハムの神なり」とは現在において然りとの意味であり、現在も彼らが死滅していないことを意味す。従ってアブラハム、イサク、ヤコブが肉体において死去して(しま)った以上この「なり」はやがて彼らの復活を期待する意味となる、イエスは神の永遠性を見、その神の確言の現在形なるを把握して人間の永遠性を認め、これを復活の基礎となし給うた。而して事実、人間の復活はこの神の永遠性に基く。
辞解
[柴の(くだり)] 出3:1以下ホレブの山にてエホバが柴の焔の中にモーセに現れ給える場面。
[生けるもの] むしろ霊魂不死の証拠と見るべきも直ちに復活の証拠となし得るや否やには、相当に問題はあり得るけれども、イエスは死者を生ける者と見る理由を復活の思想をもって証明せんとしたのである。
[神なり] 「神なりき」の意味で必ずしもアブラハム等の不死を示すものに非ずとする見方あり(L2)この見方は教義的には正しい見方であるとすることができるけれども、またこれを「神なり」と見て上述のごとく解することも不可能ではない。これはイエスの為し給える独特の鋭い聖書観である。
要義 [復活信仰の基礎]復活の信仰を得しむる基礎は、聖書と神の能力とに対する信仰である。殊に新約聖書においては明瞭に復活につき記しているけれどももし神の能力を信ぜざれば、復活は一つの荒唐無稽の物語と化し、これに反し神の能力を信じても聖書を信ぜざれば、神の能力が如何に働くかにつきて知ることができない。文字には生命がなく、生命には文字がない。この二者を正しく知ることが信仰の要諦でありまた復活信仰の基礎である。

6-1-リ 誡律問題 12:28 - 12:34
(マタ22:34-40) (ルカ10:25-28)  

12章28節 學者(がくしゃ)一人(ひとり)、かれらの(ろん)じをるを()き、イエスの()(こた)(たま)へるを()り、(すす)()でて()ふ。[引照]

口語訳ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。
塚本訳一人の聖書学者がこの議論を聞いていたが、イエスがあざやかに答えられたのを見ると、進み出て尋ねた、「どの掟がすべてのうちで第一ですか。」
前田訳学者のひとりが彼らの議論を聞き、イエスの立派なお答えぶりを見て、おそばに来てたずねた、「すべての掟のうちでどれが第一ですか」と。
新共同彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
NIVOne of the teachers of the law came and heard them debating. Noticing that Jesus had given them a good answer, he asked him, "Of all the commandments, which is the most important?"
註解: マタ22:35ルカ10:25によればこの質問の目的はイエスを試みんがためとあり、13、18節等の場合と同一に取扱っているけれどもマルコはこれを善意なる質問として取扱い、最後にイエスがこの学者の理解を賞揚し給えることを示している。マルコ伝の記事が最も事実に即しているもののごとくである。▲イエスには学者やパリサイ人に対して始めより偏見をいだくようなことはなかった。

『すべての誡命(いましめ)のうち、(なに)第一(だいいち)なる』

註解: 律法の中には三百六十五條の禁止と二百四十八條の命令とがあるとされており、この中に軽重ありや否や、また(いず)れが最も重要なりやは多くの人の問題とする処であった。ゆえにこの質問は真面目なる質問と見ることを得るのであって必ずしもイエスを試みんがための質問と見る必要はない。

12章29節 イエス(こた)へたまふ『第一(だいいち)(これ)なり「イスラエルよ()け、(しゅ)なる(われ)らの(かみ)唯一(ゆゐいつ)(しゅ)なり。[引照]

口語訳イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
塚本訳イエスは答えられた、「第一はこれである。──“聞け、イスラエルよ、われわれの神なる主はただ一人の主である。
前田訳イエスは答えられた、「第一はこれである。『聞け、イスラエル、われらの神なる主はただひとりの主にいます。
新共同イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
NIV"The most important one," answered Jesus, "is this: `Hear, O Israel, the Lord our God, the Lord is one.

12章30節 なんぢ(こころ)(つく)し、精神(せいしん)(つく)し、(おもひ)(つく)し、(ちから)(つく)して、(しゅ)なる(なんぢ)(かみ)(あい)すべし」[引照]

口語訳心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
塚本訳心のかぎり、精神のかぎり、”思いのかぎり、“力のかぎり、あなたの神なる主を愛せよ。”
前田訳あなたの神なる主を愛するに、心をつくし、魂をつくし、思いをつくし、力をつくせ』。
新共同心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
NIVLove the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind and with all your strength.'
註解: 申6:4の所謂シエマー・イスラエル(イスラエルよ聴け)で普通シエマーと称し、イスラエル人は毎朝毎夕これを()すべきものとせられ、また羊皮紙の祈祷文巻物にも記されていた処である。すなわち第一に大切なる誡命は唯一の神なるエホバを全心全霊をもって愛すベしとすることである。
辞解
「心」kardia.「精神」psychê.「思」dianoia 等の意義の差別につきてはマタ22:38辞解参照。なおこれらの語につきては申6:4と七十人訳およびその他の訳とも皆幾分ずつの差異あり、本節と33節とも異なる。種々の訳語が行われたものであろう。▲あるいは一語一句の細目に拘泥しなかったためであろう。

12章31節 第二(だいに)(これ)なり「おのれの(ごと)(なんぢ)(となり)(あい)すべし」()(ふた)つより(おほい)なる誡命(いましめ)はなし』[引照]

口語訳第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
塚本訳第二はこれ。──“隣の人を自分のように愛せよ。”これら(二つ)よりも大事な掟はほかにはない。」
前田訳第二はこれである、『隣びとを自らのように愛せよ』。これらにまさる掟はほかにはない」と。
新共同第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
NIVThe second is this: `Love your neighbor as yourself.' There is no commandment greater than these."
註解: レビ19:18の引用で対人関係の道徳の精髄である。第一は対神関係であって、モーセの十誡の第一の石版に録されし部分に相当し、第二は対人関係であってその第二の石版に録されし部分に相当する。旧約聖書中のこの二箇所を組合せて律法の要約たらしめし点においてイエスの活眼があるのであって、イエス以前の何人もかく為すことを知らなかった。信仰と道徳、対神関係と対人関係の両者は二つにして一つである。

12章32節 學者(がくしゃ)いふ『()きかな()よ「(かみ)唯一(ゆゐいつ)にして(ほか)(かみ)なし」と()(たま)へるは(まこと)なり。[引照]

口語訳そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
塚本訳聖書学者が言った、「先生、ごりっぱです。“神はただ一人である、彼のほかに神はない”とは、本当のことを言われました。
前田訳学者はいった、「ご立派です、先生。『神はただひとりにいまし、彼のほかに神はない』とおっしゃるのは真理です。
新共同律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
NIV"Well said, teacher," the man replied. "You are right in saying that God is one and there is no other but him.

12章33節 「こころを(つく)し、知慧(ちゑ)(つく)し、(ちから)(つく)して(かみ)(あい)し、また(おのれ)のごとく(となり)(あい)する」は、もろもろの燔祭(はんさい)および犧牲(いけにへ)(まさ)るなり』[引照]

口語訳また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。
塚本訳また“心のかぎり、知恵のかぎり、力のかぎり神を愛する”ことと、“隣の人を自分のように愛する”こととは、どんな“燔祭や犠牲”にも勝っております。」
前田訳『神を愛するに、心をつくし、知性をつくし、力をつくし、憐びとを自らのように愛せよ』とはどの燔祭(はんさい)やいけにえにもまさっています」と。
新共同そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
NIVTo love him with all your heart, with all your understanding and with all your strength, and to love your neighbor as yourself is more important than all burnt offerings and sacrifices."
註解: 学者の中にもかかる理解のあるものが絶無ではなかった。彼はイエスの御言に感激し、燔祭よりも犠牲よりも勝るものがこの二線の黄金律であることを覚った。形式を事質より重んじ易く、根本よりも枝葉を重んじ易き学者としては珍しき達識者であった。
辞解
「精神」および「思」の代りに「智慧」sunesis を用う。マルコがあまりに文字的に重複することを嫌いしがためであろう。

12章34節 イエスその(さと)(こた)へしを()()(たま)ふ『なんぢ(かみ)(くに)(とほ)からず』()(のち)たれも()へてイエスに()(もの)なかりき。[引照]

口語訳イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。
塚本訳イエスは彼がかしこく答えたのを見て、「あなたは神の国から遠くない」と言われた。もうだれ一人、問おうとする者はなかった。
前田訳イエスは思慮深く答えたのを見て、彼にいわれた、「あなたは神の国から遠くない」と。もはやだれもあえて問うものはなかった。
新共同イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
NIVWhen Jesus saw that he had answered wisely, he said to him, "You are not far from the kingdom of God." And from then on no one dared ask him any more questions.
註解: 沙漠の中にオアシスがあるごとく、学者パリサイ人の中にもまたイエスの友があった。イエスはパリサイ人たるが故にまたは学者たるが故にこれに対して反感や偏見を有し給うことは全く無く、その心は常に光風霽月(こうふうせいげつ)であって、事実そのものが有りの(まま)にうつる明鏡のごときものであった。全然宗派心や党派心に捉われ給わなかったことを我らは注意しなければならない。
辞解
[此の後誰も敢てイエスに問う者なかりき] マタ22:46ルカ20:40にあり場所を異にす。マルコ伝が最も適当なる位置にあり。
要義 [二條の金線]ユダヤのラビの一人も「汝の欲せざる処を隣人に施すなかれ、これ全律法なり、他のものはその註解に過ぎず」と言いまた孔子も「忠恕道ヲ違ルコト遠カラズ己に施シテ願ハズンバ人ニ施ス勿レ」と教えている。しかしながらこの黄金律も、神に対する絶対的の愛無しにはその力を失い、その根本を失う。それ故にイエスのここに示し給える二つの誡律は、車の両輪のごとく、鳥の両翼のごとく、もっとも根本的なる至上の誡律である。

6-1-ヌ キリストはダビデの子か 12:35 - 12:37a
(マタ22:41-46) (ルカ20:41-44)  

12章35節 イエス(みや)にて(をし)ふるとき、(こた)へて()(たま)[引照]

口語訳イエスが宮で教えておられたとき、こう言われた、「律法学者たちは、どうしてキリストをダビデの子だと言うのか。
塚本訳イエスは宮で教えておられたとき、言い出された、「聖書学者はどういう訳で『救世主はダビデの子である』と言うのであろうか。
前田訳答え終えて宮で教えておられるとき、イエスはいわれた、「学者が『キリストはダビデの子』というのはどういうわけか。
新共同イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
NIVWhile Jesus was teaching in the temple courts, he asked, "How is it that the teachers of the law say that the Christ is the son of David?
註解: イエスはマタ22:41には「パリサイ人の集り居る時」とあり、イエスとの論戦の継続を想像せしめるけれども、マルコ伝においては沈黙せる学者らと、それらと共に在る群集の前に一般的に教えられしものとして録されている(37b)。「宮にて」はマコ11:27の継続故必要なし。「答えて」は学者の沈黙と群衆の期待に応ぜし発言なること、イエスのダビデの子以上たることを示す好き機会であった。単にこれをイエスがダビデの子孫たることを、否定する者ありしに対する反駁と見るのは当らない。

『なにゆゑ學者(がくしゃ)らはキリストをダビデの()()ふか。

12章36節 ダビデ(せい)(れい)(かん)じて(みづか)らいへり「(しゅ)わが(しゅ)()(たま)ふ、(われ)なんぢの(てき)(なんぢ)(あし)(した)()くまでは、()(みぎ)()せよ」と。[引照]

口語訳ダビデ自身が聖霊に感じて言った、『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
塚本訳ダビデ自身が聖霊に感じてこう言った。──、“(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。”
前田訳ダビデ自身聖霊によっていった、『主がわが主にいわれた、わが右にすわれ、あなたの敵をあなたの足の下に置くまで』と。
新共同ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
NIVDavid himself, speaking by the Holy Spirit, declared: "`The Lord said to my Lord: "Sit at my right hand until I put your enemies under your feet."'
註解: 詩110:1のイエス独特の解釈である。第一の「主」は原語エホバ(ヤーヴエー)であり第二の「主」はアドナイである。この詩の作者をダビデとすればダビデは神の他に「主」と呼ぶべきものを有っていたことが判明(わか)る。而してこの詩は一般にメシヤ預言の詩と解せられているので、この主がメシヤであり従ってメシヤはダビデの主であってその子ではないこととなる。イエスはこの詩をかくのごとくに解し給うた。今日この詩は一詩人がダビデ王または他の一王者につきて歌えるものと見られている。もし然りとすればイエスはこの詩の意義の解釈を誤られたこととなる。ただしイエスは当時の解釈に従われたのであって、当時の人にキリストのダビデの子以上たることを示すにはこれで充分であった。もしイエスが今日生れ給うたならば他の証拠法を取り給うたであろう。

12章37節 ダビデ(みづか)(かれ)(しゅ)()ふ、されば(いか)でその()ならんや』[引照]

口語訳このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。大ぜいの群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた。
塚本訳(このように)ダビデ自身が救世主を主と言っているのに、どうして(その救世主が)ダビデの子であろうか。」大勢の群衆は喜んでイエスの話を聞いていた。
前田訳ダビデ自身がキリストを主というのに、それをダビデの子とはどうしてか」と。大勢の群衆がよろこんで彼に耳傾けていた。
新共同このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。
NIVDavid himself calls him `Lord.' How then can he be his son?" The large crowd listened to him with delight.
註解: キリストは一般にダビデの裔より出づと考えられているけれども、神の子イエスは実はダビデ以上であり、勿論ダビデの子孫以上である。それ故にイエスが「肉によればダビデの裔より生れ」給えること(ロマ1:3)は、今日の学者の多くが唱うるごとく、後日に至って発生せる思想であるにしても少しも差支えがない。いわんやそれが事実であるとすればなおさら意義深きこととなる。何れにしてもイエスはキリストとしてダビデの子以上に在し給う。
要義 [イエスのメシヤ意識]イエスのメシヤとしての意識は当時のユダヤ人一般の期待する処とは非常に異なっていた。ユダヤ人らは地上の王者たるメシヤを期待し、イスラエルをしてローマ帝国の政治的支配を脱せしむるがごときメシヤを望んでいた。それ故にそのメシヤがダビデ以上であることを考える必要がなかった。然るにイエスの場合、そのメシヤ意識はこの世の政治的支配よりイスラエルを独立せしむることではなく、神の国に入らしむるためにサタンの束縛を脱せしめ、この世の国にあらざる永遠の国に入らしむべきメシヤとしての意識を有ち給うた。ゆえにイエスにとりてはダビデの子たる地位だけでは充分にこの意識を表示し得なかったのであった。

6-1-ル 学者等に対する警戒 12:37b - 12:40
(ルカ20:45-47)   
註解: 37b−40節はマタイ伝23章の摘要とも見ることができ、学者らの虚栄心、貪慾、偽善等を要約して彼らに対する警戒を与え、これをもって学者らとの論戦の結尾となし、さらにこれに41−44節の貧しき寡婦の物語を加えて対照をなさしめている。マタイ伝はユダヤ人のために書かれしをもって特にパリサイ人に対する強き攻撃を掲ぐることが必要であったけれども、マルコ伝はローマ人のために書かれたのでその必要がなかった。

(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)(よろこ)びてイエスに()きたり。

註解: 群衆は常に単純であり偏見なしにイエスの教えを受けた。

12章38節 イエスその(をしへ)のうちに()ひたまふ[引照]

口語訳イエスはその教の中で言われた、「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、
塚本訳またその教えの中で(こんなことを)言われた、「聖書学者に気をつけよ。あの人たちは(人の目につくように)長い衣を着て歩くことや、市場で挨拶されることや、
前田訳教えのなかでこういわれた、「学者に心せよ、彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、
新共同イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、
NIVAs he taught, Jesus said, "Watch out for the teachers of the law. They like to walk around in flowing robes and be greeted in the marketplaces,
註解: 次は多くの教えの中より学者らに対するものを摘要したのである。

學者(がくしゃ)らに(こころ)せよ、(かれ)らは(なが)(ころも)()(あゆ)むこと、

註解: 学者らしき風采をすることが当時の人一般の尊敬を()ち得る所以であった。堂々たる体裁をもって己が価値を誇示せんとするのは一種の偽善である。

市場(いちば)にての敬禮(けいれい)

註解: 市場は市邑の中心地で政治機関や商取引の行われる処、従って多くの有力者の集合所である。そこにて敬礼を受くることは一般の人より尊敬されることを意味す。かかることを好む心は一種の虚栄心である。

12章39節 會堂(くわいだう)上座(じゃうざ)饗宴(ふるまひ)上席(じゃうせき)(この)み、[引照]

口語訳また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。
塚本訳礼拝堂の上席、宴会の上座が好きである。
前田訳会堂での上席や食事での上座を好む。
新共同会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、
NIVand have the most important seats in the synagogues and the places of honor at banquets.
註解: 東洋地方においては特に席次に対し敏感である。

12章40節 また寡婦(やもめ)らの(いへ)()み、[引照]

口語訳また、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。
塚本訳また寡婦の家を食いつぶし、長く、見かけばかりの祈りをする。あの人たちは人一倍きびしい裁きを受けるであろう。」
前田訳やもめの家を食いつぶし、長い見せかけの祈りをする。あの人たちは人一倍きびしい裁きを受けよう」と。
新共同また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
NIVThey devour widows' houses and for a show make lengthy prayers. Such men will be punished most severely."
註解: 出22:22に反する行為は、殊に人の信用を受け易き学者らに多かった。人の信用を利用する者の罪はさらに重い。

外見(みえ)をつくりて(なが)(いのり)をなす。

註解: 敬虔の姿を装い、心にもあらざる長き祈りを為すことが学者、信仰家の通弊である。この虚栄と貪慾と偽善とに欺かれざらんことを人々に教え給う。

その()くる審判(さばき)(さら)(きび)しからん』

註解: 善人を装い、殊に信仰の深さを装いつつ悪を行う者は、露骨に悪を行って隠すことなきものに比してその罪さらに重く、その罰は一層厳しい。
要義 [偽善の罪]偽善は人の前には立派に見えるけれども、神の前には最も醜い。神は人の外辺を見ず心の中を見給うが故に偽善は神の前には何の役にも立たず、その心の中の醜さを覆うことができざるのみならず、これを覆わんとする心の醜さがさらにこれに加わってその醜さを増す。人はむしろ正直に自己の正体を神の前、人の前に露出すべきである。これによって人の前に自己を修飾するの必要もなく、神の前に罪を重ぬるの(おそれ)もない。

6-1-ヲ 寡婦のレプタ 12:41 - 12:44
(ルカ21:1-4)   

註解: 41−44節の記事は40節の寡婦との連想と賽銭函が宮の中にあることよりここに記されしものか。マタイ伝にはこれを欠く。

12章41節 イエス賽錢函(さいせんばこ)(むか)ひて()し、群衆(ぐんじゅう)(ぜに)賽錢函(さいせんばこ)()()るるを()(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。
塚本訳それから賽銭箱の真向いに坐って、群衆が賽銭箱に金を入れるのを見ておられた。大勢の金持が沢山入れているとき、
前田訳イエスは賽銭箱の向かいにすわって、群衆が賽銭箱に金を入れる様を見ておられた。大勢の金持がたくさん入れていた。
新共同イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
NIVJesus sat down opposite the place where the offerings were put and watched the crowd putting their money into the temple treasury. Many rich people threw in large amounts.
註解: 些細な事実からも観察者の眼識によりて真理の鑛脉(こうみゃく)が発見される。
辞解
[賽銭函(さいせんばこ)] 真鍮製のラッパ形の投入口十三を有する函で参詣者の賽銭を受けるために備えられている。

()める(おほ)くの(もの)は、(おほ)()()れしが、

註解: 富める者にても多く投げ入れることは相当の克己と信仰とを要するのであって、この点ですでに彼らの心中が神の前に評価されている訳である。
辞解
[投げ入る] 未完了過去形で次から次と投げ入れる形。

12章42節 一人(ひとり)(まづ)しき寡婦(やもめ)きたりて、レプタ(ふた)つを()()れたり、(すなは)()(りん)ほどなり。[引照]

口語訳ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。
塚本訳ひとりの貧乏な寡婦が来て、レプタ銅貨[五円]二つ、すなわち(ローマの金で)一コドラントを入れた。
前田訳そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨ふたつ、すなわち一コドラント入れた。
新共同ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
NIVBut a poor widow came and put in two very small copper coins, worth only a fraction of a penny.
註解: 人々はこの貧しき寡婦を軽蔑の目をもって見、富める者はこれを見ておのれの献物の多きによって誇っていたことであろう。
辞解
[レプタ] ヘブルのペルーター貨で、二レプタがローマ貨幣一クアドランス(ギリシャ語名コドランテース)に相当す、「五厘」と訳されし原語はこの一コドランテースなり。

12章43節 イエス弟子(でし)たちを()()せて()(たま)ふ『まことに(なんぢ)らに()ぐ、この(まづ)しき寡婦(やもめ)は、賽錢函(さいせんばこ)()()るる(すべ)ての(ひと)よりも(おほ)()()れたり。[引照]

口語訳そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。
塚本訳イエスは弟子たちを呼びよせて言われた、「アーメン、わたしは言う、あの貧乏な寡婦は、賽銭箱に入れただれよりも多く入れた。
前田訳彼は弟子たちを呼んでいわれた、「本当にいう、あの貧しいやもめは賽銭箱に入れただれよりも多く入れた。
新共同イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
NIVCalling his disciples to him, Jesus said, "I tell you the truth, this poor widow has put more into the treasury than all the others.

12章44節 (すべ)ての(もの)は、その(ゆたか)なる(うち)よりなげ()れ、この寡婦(やもめ)()(とぼ)しき(なか)より、(すべ)ての所有(もちもの)(すなは)(おの)生命(いのち)(しろ)をことごとく()()れたればなり』[引照]

口語訳みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。
塚本訳皆はあり余る中から入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていたものを皆、生活費全部を入れたのだから。」
前田訳皆はあり余る中から入れたのに、彼女は乏しい中から持っていたすべて、生活費全部を入れたから」と。
新共同皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
NIVThey all gave out of their wealth; but she, out of her poverty, put in everything--all she had to live on."
註解: 神に対する献物の多少は、その物質の分量の多少ではなく、献ぐる人の信仰とその信仰によりて喜びて払う犠牲の量の如何による。この寡婦はその生活に必要なる資料をその乏しき中より(ことごと)くささげた。イエスはこれをこの上もなく喜び、これを賞揚し給うたのである。この二レプタは数万の金にも優れる多額の献金であった。
要義 [凡てを神に献げよ]人間の能力に多少あり、その富にもまた貧富がある。我らは自己の能力の少なきことや貧しきことを悲しむ必要もなく、また自己の能力の大なることやまた富めることを誇ってはならない。我らは能力や富の大小如何にかかわらず、凡てこれを神にささげ、神より委託せられしものとして神の御旨に従ってこれを用いなければならない。かくして始めて富める者もこの寡婦の二レプタに劣らざる多くの献げ物をなすことができ、彼らも辛うじて天国に入ることができる。

マルコ伝第13章
6-2 イエスの再臨と世の終り 13:1 - 13:37
6-2-イ 世の終末以前に起るべき出来事 13:1 - 13:13
(マタ23:1-14) (ルカ21:5-19)  

註解: 本章はマタ24:1−37。ルカ21:5−36と共にイエスの再臨の預言である。解釈上の困難は、本章の預言がエルサレムの滅亡を指すか、または世の終りにイエスの再臨によりて来る万人の審判と万物の復興とを指すかにつきてであって、14−20節のごときは前者すなわちエルサレムの滅亡に関するごとくに見え、21−27節のごときは後者すなわちイエスの再臨による万物の復興のごとくに見える。唯この両者が非常に接近せるごとくに記録される点に解釈上の難関あり、あるいは(1)この二者を分離し、前者は紀元七十年エルサレムの陥落によりて成就し、後者は遠き未来において成就すべしとなし、(2)あるいはこの両者を分離せずその全部がエルサレムの陥落において成就したものと解し唯その一部を表徴的意味において将来の世界復興の預言であるとなし、あるいは(3)一部が成就したけれども他の一部は成就せず、この意味においてイエスも初代使徒たちも違算をなしたと考える。(1)の解釈はこの記事そのものにかかる截然(せつぜん)たる区別なき点に困難があり、(2)はこの記事に存する若干の区別と矛盾し、(3)はイエスの再臨を一つの誤れる預言として全然否定し終る点において困難がある。以上のごとき困難の生ずる所以は預言の性質を誤解せるより来るのであって、預言は一々の歴史的事実を具体的に指すのではなく、歴史の流れにおいて必ず実現すべき事実の根本原則を示すものであることを知るならば、この預言の解釈にさほどの困難を来さない。すなわちイエスは将来種々の時期において起るべき事柄の原理を一つの平面に描き、これを弟子たちに示すことによりて、彼らがその場合に処して如何なる態度をもってこれに対すべきかを教え給うたのであって、何時何処に如何なることが起るかに関する具体的指示でもなく、また好奇心的質問に答え給うたのでもない。すなわちこの預言は一つの原理として説明さるべきであって、その一部はエルサレムの没落の場合にも実現したけれどもさらに世の終りにおいても実現し得る性質を有しているのである。これを単に一つの具体的事実にのみ適用すべきではない。なおこれをユダヤ的預言とキリスト教的預言の結合であってイエスの言い給いしものではないと見る説(L2)のごときは、ドイツ人特有の頭脳の所産であってあまりに機械的なる見方である。

13章1節 イエス(みや)()(たま)ふとき、弟子(でし)一人(ひとり)いふ『()よ、()(たま)へ、これらの(いし)、これらの建造物(たてもの)、いかに(さかん)ならずや』[引照]

口語訳イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。
塚本訳イエスが宮を出てゆかれるとき、一人の弟子が言う、「先生、御覧なさい、なんと大きな石、なんと堂々たる建築でしょう!」
前田訳宮を出て行かれるとき、弟子のひとりが彼にいう、「先生、ごらんください、なんという石、なんという建築でしょう」と。
新共同イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
NIVAs he was leaving the temple, one of his disciples said to him, "Look, Teacher! What massive stones! What magnificent buildings!"
註解: 宮の輪奐(りんかん)の美につきては、マコ11:11註参照。ヘロデ大王によりて起工せられ四十六年を経過せるその頃にもなお竣工せざりしこの宮の美には何人も驚嘆せざる者はなかった。弟子たちもまた同様であった。然るにイエスはかかる物に何ら永遠性をも認め給わず、それらの凡てがやがて全世界と共に滅ぼされ、これと異なれる新たなる神の宮(マコ14:58マコ15:29)にその希望を置くべきことを示し給う。
辞解
[弟子の一人] ペテロにあらざるもののごとし。
[盛ならずや] 原語「何たる石、何たる建造物」で当時の俚諺にも「エルサレムの宮の建築を見ないものは建築美につきて語る資格がない」と言われていた。エルサレムの神殿図の中(D)の内は神殿そのものでこれを naos(聖所)と称し外廊は神殿区域の全体でこれを hielon(宮)と称す。宮の中に異邦人の庭(G)ユダヤ人の庭(L)婦人の庭(J)あり。

13章2節 イエス()(たま)ふ『なんぢ(これ)()(おほい)なる建造物(たてもの)()るか、(ひと)つの(いし)(くづ)されずしては(いし)(うへ)(のこ)らじ』[引照]

口語訳イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
塚本訳イエスは言われた、「この大きな建築を見ているのか。このまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」
前田訳イエスはいわれた、「これらの大きな建築を見ているのか。石は積まれたままで置かれず、ひとつ残らずくずれ落ちよう」と。
新共同イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
NIV"Do you see all these great buildings?" replied Jesus. "Not one stone here will be left on another; every one will be thrown down."
註解: イエスのこの語は紀元七十年に早速にも事実として現われた。そのためにこの語をイエスの語り給えるものでないとし、事後において事前に預言せるもののごとくに録せるものと解する学者があるけれも、然らず。ミカ3:12エレ26:6エレ26:18等にすでにこの預言あり、殊にイエスの眼中には、神に背けるイスラエルの上に下るべき神の審判が明かに見えていたのであろう。学者の目に見えないものをイエスは明かに見ることを得給う。而して弟子たちはイエスのこの御言にいたくおどろき心中に多くの疑問をいだきつつ宮を出でた。

13章3節 オリブ(やま)にて(みや)(かた)(むか)ひて()(たま)へるに、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ(ひそか)()ふ、[引照]

口語訳またオリブ山で、宮にむかってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにお尋ねした。
塚本訳オリブ山で宮の方を向いて坐っておられると、ペテロとヤコブとヨハネとアンデレとだけでイエスに尋ねた、
前田訳オリブ山で宮のほうを向いておすわりのとき、ペテロとヤコブとヨハネとアンデレとが内輪でたずねた、
新共同イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。
NIVAs Jesus was sitting on the Mount of Olives opposite the temple, Peter, James, John and Andrew asked him privately,
註解: 三人の大使徒にアンデレが加わったのはこの場合だけであった。「(ひそか)に」は「個人的に」で、イエスに対し全使徒または全群衆に対する説明を要求したのではなく、彼らのみにこの重大問題を説き給わんことを求めたのであった。

13章4節 『われらに()(たま)へ、これらの(こと)何時(いつ)あるか、(また)すべて(これ)()(こと)()()げられんとする(とき)は、如何(いか)なる(しるし)あるか』[引照]

口語訳「わたしたちにお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。またそんなことがことごとく成就するような場合には、どんな前兆がありますか」。
塚本訳「(宮がくずれると言われますが、)そのことはいつ起るか、また、(世の終りが来て)すべてこのことが実現しようとする時には、どんな前兆があるか、話してください。」
前田訳「それがおこるのはいつですか、すべてが成就しようとするとき、どんな徴がありますか、おっしゃってください」と。
新共同「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」
NIV"Tell us, when will these things happen? And what will be the sign that they are all about to be fulfilled?"
註解: 本節に相当するマタ24:3においては二つの明瞭に区別せられたる質問の形を為している。すなわち宮の神殿の破碎(はさい)は何時あるかとの質問とイエスの来り給うと世の終りとには如何なる(しるし)あるかとの質問である。本節をこのマタイ伝と同様に解すべきか否やにつきては昔より学説が分れているのであるが、マルコ伝の本文のみより見れば、マタイ伝と異なり単一なる質問と見るべきごとくであるけれども(I0、M0)、答弁の内容より見れば、質問者の心が二種の内容を持っていたことと見ることができる(L2、B1)。すなわちすべて「此等の事」は世の終りの出来事と見る。ただし上述せるごとく、当時の人々の心の中にはこの二者に截然たる区別が有った訳ではないことを明かにすべきである。すなわち弟子たちにはエルサレムの宮の破壊も、世の終りにイエスの再臨に際して起るべき事件の一種と思われたのであろう。

13章5節 イエス(かた)()(たま)ふ『なんぢら(ひと)(まどは)されぬやうに(こころ)せよ。[引照]

口語訳そこで、イエスは話しはじめられた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
塚本訳そこでイエスが話し出された。──「人に迷わされないように気をつけよ。
前田訳イエスは話しはじめられた、「だれにも迷わされぬよう気をつけよ。
新共同イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
NIVJesus said to them: "Watch out that no one deceives you.

13章6節 (おほ)くの(もの)わが()(をか)(きた)り「われは(それ)なり」と()ひて(おほ)くの(ひと)(まどは)さん。[引照]

口語訳多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだと言って、多くの人を惑わすであろう。
塚本訳いまに多くの人があらわれて、『(救世主は)わたしだ』と言ってわたしの名を騙り、多くの人を迷わすにちがいない。
前田訳多くの人が現われて、わが名をかたって『われはそれ』といい、多くの人を迷わそう。
新共同わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
NIVMany will come in my name, claiming, `I am he,' and will deceive many.
註解: キリストの再臨と世の終りが来る前には、種々の注意すべき事柄があり、弟子たちにとりて最も必要なることはこれらに惑わされないことである。その第一は非キリスト、偽キリストが現われることである。彼らは「われこそはキリストなれ」と言いて、キリストの再臨を装い、世情の混沌たるに際しては殊にかかる者が多く現れる。弟子たちの最も注意すべきことは、かかる者に欺かれないことである。キリストが真に再び来給う時はマコ13:24−27節のごとくであって、全く異なる故これに注意しなければならない。このイエスの注意が如何ばかり後世の弟子たちを偽キリストより救ったことであろうか。なおこのイエスの注意は4節の「すべて此等の事」がエルサレムの破壊に限らざることを示す。

13章7節 戰爭(いくさ)戰爭(いくさ)(うはさ)とを()くとき(おそ)るな、(かか)(こと)はあるべきなり、()れど(いま)(おはり)にはあらず。[引照]

口語訳また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、あわてるな。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
塚本訳戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞いた時に、あわてるな。“それはおこらねばならないことである”が、しかしまだ最後ではない。
前田訳戦いのひびきや戦いのうわさを聞くときに、あわてるな。それはおこらねばならぬが、まだ最後ではない。
新共同戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
NIVWhen you hear of wars and rumors of wars, do not be alarmed. Such things must happen, but the end is still to come.
註解: (▲「懼る」は「驚駭(きょうがい)する」こと。)世乱れて血腥(ちなまぐさ)き戦争が勃発しまたは戦争の噂が立つ時は、世の終りが来たのではないかと思いて恐怖する。しかしながらそれは世の終りではない。世の終末における出来事は戦争よりもさらに恐るべきものであることを知らなければならない。戦争は世の終りの前兆として必ず起るべきことであるが、これと世の終りとを混同してはならない。

13章8節 (すなは)ち「(たみ)(たみ)に、(くに)(くに)(さから)ひて()たん」[引照]

口語訳民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである。
塚本訳(世の終りが来る前に、)“民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がる”のだから。(また)ここかしこに地震があり、飢饉がある。(だが)これは(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。
前田訳民は民に、国は国に立ち向かおう。あちこちに地震があり、飢饉があろう。これらは陣痛のはじめである。
新共同民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
NIVNation will rise against nation, and kingdom against kingdom. There will be earthquakes in various places, and famines. These are the beginning of birth pains.
註解: 世界的動乱が起る、しかしこれは(うみ)の苦難の始であり、世の終りの来るにはさらに多くの苦難を経過しなければならぬ。

また處々(ところどころ)地震(ぢしん)あり、饑饉(ききん)あらん、これらは(うみ)苦難(くるしみ)(はじめ)なり。

註解: 戦争は社会的、国家的災禍であるが、その他に「地震」「飢饉」等の自然的災禍も起って来る。天災地変相継いで起る時、我らはこれを世の終りと思い易いけれども然らず、これらは世の終末と新天新地の誕生の始まらんとする時、その陣痛の第一歩として必ず起って来る。それ故に我らはこれに対し恐怖すべきではなく、この苦痛に耐えて新天新地の誕生を待つべきである。

註解: 9−13節はマタ10:17−22にも掲げられる処と相類似している。世の終末に対する心の準備は我らにとりて日常の準備でなければならない。

13章9節 (なんぢ)()みづから(こころ)せよ、人々(ひとびと)なんぢらを衆議所(しゅうぎしょ)(わた)さん。[引照]

口語訳あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。
塚本訳しかしあなた達は(こんな外の出来事よりも)自分のことに気をつけておれ。あなた達は裁判所に引き渡され、礼拝堂で打たれる。また、わたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に立たされるであろう。これは、その人たちに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである。
前田訳あなた方はみずからに気をつけよ。あなた方は裁判所に引き渡され、会堂で打たれよう。わたしゆえに総督や王の前に立たされて彼らへの証とされよう。
新共同あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。
NIV"You must be on your guard. You will be handed over to the local councils and flogged in the synagogues. On account of me you will stand before governors and kings as witnesses to them.
註解: 世の終末以前に起るべきさらに一つの事柄はキリスト者に対する迫害である。社会的禍害(戦争)、自然界の禍害(天災)の他に個人的の災禍が必ず起る。すなわち人々はキリストの弟子たる者を罪人として捕えてユダヤ人の法廷たる衆議所に付す。

なんぢら會堂(くわいだう)()かれて()たれ、

註解: 会堂はユダヤ人の宗教の中心である。かくしてイエスの弟子たちはその国人より政治的にも宗教的にも迫害される運命にあり、ただしこれは世の終末ではなく世の終末の前兆の一つであり産の苦痛の始めである。
辞解
本節を「人々なんぢらを衆議所に、また会堂に付さん。汝らは打たれ・・・・・」と訳すべしとの説あり、現行訳は文字の上よりやや無理あれど意味よりはこの方可なり、かつ全然誤訳ということはできない。

(かつ)わが(ゆゑ)によりて、(つかさ)たち(およ)(わう)たちの(まへ)()てられん、

註解: 「司たち」「王たち」は異邦人の官憲である。かくしてイエスの弟子たちは、ユダヤ人にも異邦人にも迫害せらる。

これは(あかし)をなさん(ため)なり。

註解: ▲▲口語訳「証をさせられるであろう」は結果を意味することになるが、原文は文語訳の通りである。

13章10節 (かく)福音(ふくいん)(まづ)もろもろの國人(くにびと)宣傳(のべつた)へらるべし。[引照]

口語訳こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。
塚本訳(終りの日が来る前に)福音はまずすべての国の人に説かれねばならないのだから。
前田訳まずすべての民に福音が説かれねばならぬ。
新共同しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
NIVAnd the gospel must first be preached to all nations.
註解: 世の終末の来る前には福音が全世界に宣伝えられなければならない。そのためにはキリスト者の上に迫害が下り、司たち王たちの前に引き行かれる。而してこれによりて彼らの前に福音の証をなさしめられるのである。それ故にキリスト者に対する迫害は、福音が全世界に宣伝えられるために必要なる手段である。

13章11節 人々(ひとびと)なんぢらを()きて(わた)さんとき、(なに)()はんと(あらか)じめ(おも)(わづら)ふな、(ただ)そのとき(さづ)けらるることを()へ、これ()(もの)(なんぢ)()にあらず、(せい)(れい)な(ればな)り。[引照]

口語訳そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。
塚本訳人々があなた達を引いていって(裁判所や役人に)引き渡した時には、何を言おうかと取越し苦労をするな。なんでもその時に(神から)授かるもの、それを言えばよろしい。言うのはあなた達でなく、聖霊だから。
前田訳あなた方が引き渡されて連れて行かれるとき、何を話そうかと気をもむな。そのときに授かることを話しなさい。話すものはあなた方でなくて聖霊である。
新共同引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。
NIVWhenever you are arrested and brought to trial, do not worry beforehand about what to say. Just say whatever is given you at the time, for it is not you speaking, but the Holy Spirit.
註解: 衆議所、会堂、司、王の前に(さば)かれる時、何らの憂慮を必要としない。彼らがたとい如何に困難なる質問をもって苦しめても、聖霊は我らに勇気と智慧と自由の心とを与えて、臆せずに最も確的(あきらか)なる答を与うることを得しむるであろう。それ故にかかる場合が来たならば如何にせんと予め思い煩う必要はない。この事実は教会史上にしばしば証明せられている。

13章12節 兄弟(きゃうだい)兄弟(きゃうだい)を、(ちち)()()にわたし、()らは(おや)たちに(さから)()ちて()なしめん。[引照]

口語訳また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。
塚本訳また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、“子は親にさからい立って”これを殺すであろう。
前田訳兄弟は兄弟を、父は子を死へと引き渡し、子らは両親にさからって殺そう。
新共同兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
NIV"Brother will betray brother to death, and a father his child. Children will rebel against their parents and have them put to death.
註解: 信仰のための迫害は肉親にも及び、信仰の故に骨肉相殺すごとき惨事を醸すに至るであろう。この場合勿論殺される者はキリスト者である。イエスは決して世の終りにおいて全世界がキリスト教徒となりて平和に暮すものとは考えていない。

13章13節 (また)なんぢら()()(ゆゑ)(すべ)ての(ひと)(にく)まれん、[引照]

口語訳また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
塚本訳あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
前田訳あなた方はわが名のゆえに皆から憎まれよう。最後まで耐え忍ぶものこそ救われよう。
新共同また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」
NIVAll men will hate you because of me, but he who stands firm to the end will be saved.
註解: キリスト者となることは凡ての人に憎まれることであるとするならば、キリスト者たることはまことに不幸なことと言わなければならない。このことは一見甚だ不合理なるがごときも、実は今日も我らの経験し得る事実である。この覚悟なしにキリスト者となってはならない。世はその終末に近付くに従って益々キリスト者に反対する。

()れど(をはり)まで()(しの)(もの)(すく)はるべし。

註解: 終りはキリスト再臨の時である。その時までは苦難は絶ゆることがない。キリスト者は最後まで忍耐すべきであり、この忍耐を失って半途にしてその信仰を棄てるならば、彼はその救いに与ることができない。
要義1 [所謂共観的終末論について]共観福音書のみに録されるイエスの終末観は、キリストの再臨の思想の難解なるに伴い、種々の困難を伴うものとして取扱われているのであるが、世の終末とイエスの再臨とを信ずる場合においてはこの困難は取除かれる。ただしこの信仰は勿論終末的に起るべき事実を(ことごと)く知り得る意味ではなく、またキリスト再臨の時期を明確に知り得る意味ではない。これらは多くの神秘的なるものの中に包まれているのである。我らは唯その核心的なるものを把握することをもって満足すべきであって、詳細なる項目にまで立入りて未来の光景を推定すべきではない。以上のごとき態度をもって臨むときこの共観的終末論は、これを了解することができる。
要義2 [終末観の理解に関する注意]第一に聖書の終末観は、普通の文化的観点とは全然異なることに注意しなければならない。一般には人類の文明の進歩すなわち教育、科学、法律制度、社会事業、宗教の発達、国際関係の進歩等によりて世界は理想境に近付くものと考えられているけれども、聖書はその反対に、益々悪に進み、戦争、迫害等が益々多くなることを録していることである。第二に聖書の終末観は必ずしも具体的事実の詳細までもこれを明示しているのではなく、具体的事実の記載のごとくに見ゆることはすべて表徴的であるということである。かく解せずしては、我らはこの終末観を正しく理解することができず、多くの荒唐無稽の説を生むの結果となる。

6-2-ロ 最後の大患難に対する注意 13:14 - 13:23
(マタ24:15-28) (ルカ21:20-24)  

13章14節 (あら)(にく)むべき(もの)」の()つべからざる(ところ)()つを()ば(()むもの(さと)れ)[引照]

口語訳荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
塚本訳しかし“(聖なる所を)荒す忌わしい者が”立ってはならない(聖なる)所に立つのを見たら[読者は(ここに隠された意味を)よく考えるがよい]、その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。
前田訳しかし忌むべき破壊者が立ってはならぬところに立つのを見たら(読者は悟れ)そのときユダヤにいるものは山にのがれよ。
新共同「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
NIV"When you see `the abomination that causes desolation' standing where it does not belong--let the reader understand--then let those who are in Judea flee to the mountains.
註解: ダニ9:27ダニ11:31ダニ12:11にある「荒す悪むべき者」はおそらく紀元前一六八年アンチオクス・エピファネスが燔祭をささぐる祭壇に偶像を祭れることを指したのであろう。これに相当している新約時代の事実は紀元七十年にローマの軍隊がエルサレムを陥れたことか、または紀元四十年ローマの政府がエルサレムの神殿にカリグラ王の像を建てたことであろう。ただしこれらの事実そのものを指したのではなく、かかる種類の事件がエルサレムの宮に対して起った時、それが世の終末に近付いた証拠であるとの意味である。しかしかく見るよりもむしろ表徴的に解し、最も霊的なるもの、この世において最も重んせらるべきものが(けが)される時、その時は世の終りが近付いたものであると見るべきである。(読む者悟れ)は記者の書き入れしものか、イエスの御言かにつき異論あり、前者とすれば記者はイエスの言をそのままに記し得ざる事情にあるをもって婉曲に記して読者をして悟らしめんとしたのであり、イエスの言とすればイエスは当時の聴者をして悟らしめんとし、「聴く者悟れ」と言い給えるを後にこれを書き入れる場合、「聴く者」を「読む者」としたのであろう。ただし前者の解が優っている。何れにしても「荒す憎むべき者」の立つべからざる所に立つとは如何なることかを悟れとのことである。

その(とき)ユダヤにをる(もの)どもは、(やま)(のが)れよ。

註解: その時こそは大なる艱難が来ること故ユダヤの平原は危険なるをもって山に(のがれ)るべきである。

13章15節 ()(うへ)にをる(もの)は、(うち)(くだ)るな。また(いへ)(もの)()(いだ)さんとて(うち)()るな。[引照]

口語訳屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。
塚本訳屋根の上におる者は、下におりて家に入って何か取りだそうとするな。
前田訳屋根の上にいるものは下におりて家に入って何かを取り出そうとするな。
新共同屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。
NIVLet no one on the roof of his house go down or enter the house to take anything out.
註解: 非常に迅速に逃げ去ることが必要である。すなわち家の上より外側の階段を下りて直ちに逃るべきであり、家の内に入りて財貨を救い出さんとしてはならない。

13章16節 (はた)にをる(もの)上衣(うはぎ)()らんとて(かへ)るな。[引照]

口語訳畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
塚本訳畑におる者は上着を取りに“家にもどる”な。
前田訳畑にいるものは上着を取りに引き返すな。
新共同畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。
NIVLet no one in the field go back to get his cloak.
註解: 畑に出ている者は下衣を着ている故上衣を取らんとて帰らんとすることは有り得ることであるが、危険は非常に切迫しているので、その(いとま)が無く非常なる困難が急速に襲い来るのである。
辞解
[畑にをる者] 原語「畑に出でてそこにいる者」の意あり。

13章17節 ()()には(みごも)りたる(をんな)と、(ちち)(のま)する(をんな)とは禍害(わざはひ)なるかな。[引照]

口語訳その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
塚本訳それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!
前田訳その日気の毒なのは身重の女と乳のみ子を抱く女。
新共同それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。
NIVHow dreadful it will be in those days for pregnant women and nursing mothers!
註解: 彼らはこの苦難より逃れることの最も困難なる状態にある故である。イエスはこのことを思いて深く彼らの上を憂い給うた。

13章18節 この(こと)の、(ふゆ)おこらぬやうに(いの)れ、[引照]

口語訳この事が冬おこらぬように祈れ。
塚本訳このことが冬にならないように祈れ。
前田訳それが冬おこらぬよう祈れ。
新共同このことが冬に起こらないように、祈りなさい。
NIVPray that this will not take place in winter,
註解: 冬は逃亡に最も困難だからである。なおマタ24:20には「冬または安息日」とあり。マルコ伝は異邦人に読ませることを主たる目的としたため「安息日」を除いたのであろう。

13章19節 その()患難(なやみ)()なればなり。(かみ)萬物(ばんぶつ)(つく)(たま)ひし開闢(かいびゃく)より(いま)(いた)るまで、(かか)患難(なやみ)はなく、また(のち)にもなからん。[引照]

口語訳その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。
塚本訳それらの日には、神が(天地を)創造された“その創造の始めから今日までになかった、”また(これからも)決してない“ような苦難が”臨むのだから。
前田訳それらの日には苦難があろう。それは神が創造されたその創造のはじめから今までなかったほどで、またこれからも決してないほどのものである。
新共同それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。
NIVbecause those will be days of distress unequaled from the beginning, when God created the world, until now--and never to be equaled again.
註解: キリスト再臨の日の前には、空前絶後の大患難がこの世界に臨む、新天新地の産の苦痛であるある故、自然、その苦痛も大きい。

13章20節 (しゅ)その()(すくな)くし(たま)はずば、(すく)はるる(もの、)一人(ひとり)だになからん。[引照]

口語訳もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。
塚本訳もし主がこれらの(苦難の)日を短くされなかったら、だれ一人助かる者はあるまい。しかし選びをうけた、選ばれた人々のために、これらの日を短くしてくださっているのである。
前田訳主がその日々を短くされねば、だれも救われまい。しかし、神の選びによって選ばれた人々のために、神はその日々を短くしてくださった。
新共同主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。
NIVIf the Lord had not cut short those days, no one would survive. But for the sake of the elect, whom he has chosen, he has shortened them.
註解: 原文は「・・・・・給わざりしならば・・・・・なかりしならん」との不定過去形を用いているけれどもこれは意味を強くするためである。この苦難の日は少数の選民を救わんがために少なくされるであろう。サタンと神との最後の戦の場面である。

()れど()(えら)(たま)ひし選民(せんみん)(ため)に、その()(すくな)くし(たま)へり。

註解: 選民も共にこの患難に与らなければならない。しかしながら神は決してその選民を忘れ給わず、これを救わんがためにその日を少なくし給う。終りまで耐え忍ぶ者は、かくして神の救いに与ることを得るのである。

13章21節 ()(とき)なんぢらに「()よキリスト此處(ここ)にあり」「()よ、彼處(かしこ)にあり」と()(もの)ありとも(しん)ずな。[引照]

口語訳そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
塚本訳またその時『ここに救世主が!』、『かしこに!』と言う者があっても、信ずるな。
前田訳そのとき『見よ、ここにキリストが』『見よ、あそこに』というものがあっても信ずるな。
新共同そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。
NIVAt that time if anyone says to you, `Look, here is the Christ !' or, `Look, there he is!' do not believe it.

13章22節 (にせ)キリスト、(にせ)預言者(よげんしゃ)(おこ)りて、(しるし)不思議(ふしぎ)とを(おこな)ひ、()()べくば、選民(せんみん)をも(まどは)さんとするなり。[引照]

口語訳にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
塚本訳偽救世主たち、“偽預言者たちが”あらわれて、“奇蹟や不思議なことを行い、”あわよくば、選ばれた人々を惑わそうとするのである。
前田訳偽キリストら、偽預言者らが現われて、徴や不思議を行なって、あわよくば選ばれた人々を迷わそうとする。
新共同偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。
NIVFor false Christs and false prophets will appear and perform signs and miracles to deceive the elect--if that were possible.
註解: 患難がその頂点に達する時人々の心は恐怖と不安とに支配せらる。かかる時がサタンの誘惑(まどわし)の乗じ得る時であって、民衆は勿論、信徒をすらも惑わして偽キリストをメシヤなりと信ぜしめんとするごときことが起り、また彼ら自身奇蹟を行いて人民を惑すに至るのである。今日もキリスト信徒にして往々かかる言動に支配せられて、キリストならざるものをキリストと信ずる者がある位であるが、世の終末の大患難に際してはこの種の事実が非常に起り易くなるのは免れ得ざる処であり、大に注意しなければならないことである。世の終末に至る前にあるいは自らキリストなりとする者あるも、またキリスト此処にあり彼処にありとする者ありともこれを信ずべきではない。キリストの再臨は全くこれらと異なれる状態において起って来るのである。なおマタ24:26−28はマルコ伝に欠如しているが、併せ読むべし。

13章23節 (なんぢ)らは(こころ)せよ、(あらか)じめ(これ)(みな)なんぢらに()げおくなり。[引照]

口語訳だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。
塚本訳だからあなた達、気をつけておれ。あなた達には皆前もって言っておく。
前田訳あなた方は気をつけよ。あなた方にはすべてを予告しておく。
新共同だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」
NIVSo be on your guard; I have told you everything ahead of time.
註解: イエスは弟子たちが世の終末に際し惑わされること無からんがためにあらゆる注意を彼らに与え給うた。而して彼らは常にこの覚悟をもってイエスの再臨を待っていた。彼らがイエスの再臨を非常に近いと考えたのもこの緊張せる心が然らしめたのである。
要義 [艱難と迫害]艱難は世の不信に対する神の審判としてこの世の上に臨むにもかかわらず、この艱難はキリスト者の上にも臨みて彼らを苦しめ、迫害はキリスト者に対するこの世の審判であるにもかかわらず、これによりてかえって異邦に福音が宣伝えられて彼らの救いとなる。要するにキリスト者はこの世の悪のためにもまたその益のためにも苦しまなければならない。この世の人々を愛しこれがために苦しむことは主イエスの道であった。これがまたキリスト者の踏むべき道程である。

6-2-ハ キリスト再臨の兆 13:24 - 13:27
(マタ24:29-31) (ルカ21:25-28)  

註解: 24−27節は多くの旧約聖書中の預言の文言を引用したものであって、キリスト再臨の時の光景を叙述せる一つの詩と見るべく、これらの旧約聖書の言葉を用いて、イエスの頭脳に描かれし終末的光景を表顕したものである。従ってこれを文字通りに解釈することはかえってその真意を見失わしむるに至るものである。

13章24節 ()(とき)、その患難(なやみ)ののち、[引照]

口語訳その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、
塚本訳しかしそれらの日には、こんな苦難の後に、“日は暗く、月は光を放たず、”
前田訳その日には、こんな苦難ののち、日は暗く、月は光を放たず、
新共同「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、
NIV"But in those days, following that distress, "`the sun will be darkened, and the moon will not give its light;
註解: マタ24:29には「直ちに」とあり、大なる患難とイエスの再臨との間には時間的の間隔の存せざることを示す。
辞解
[其の時] 原語「されどそれらの日に」とあり。

()(くら)く、(つき)(ひかり)(はな)たず。

13章25節 (ほし)(そら)より()ち、(てん)にある萬象(ばんしゃう)(ふる)(うご)かん。[引照]

口語訳星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
塚本訳“星は”天から“落ち、もろもろの天体が”震われるであろう。
前田訳星は天から落ち、もろもろの天体が揺り動かされよう。
新共同星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
NIVthe stars will fall from the sky, and the heavenly bodies will be shaken.'
註解: 天体に大変動があること、すなわちキリストの再臨に際しては、宇宙的大変動が行われることの意味である。これに類似せる語句が、イザ13:10イザ34:4エゼ32:7以下。ヨエ2:11、12、ヨエ3:3、4。アモ8:9等にあるのを見ても、必ずしもキリストの再臨の時に限れる現象という意味ではなく、神の大なる能力が顕われ、天地万象に絶大なる変化を来すことを示したものである。

13章26節 ()のとき人々(ひとびと)(ひと)()(おほい)なる能力(ちから)榮光(えいくわう)とをもて、(くも)()(きた)るを()ん。[引照]

口語訳そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
塚本訳するとその時、人々は“人の子(わたし)が”大いなる権力と栄光とをもって、“雲に乗って来るのを”見るであろう。
前田訳そのとき人々は人の子が多くの力と栄光とをもって雲に乗って来るのを見よう。
新共同そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
NIV"At that time men will see the Son of Man coming in clouds with great power and glory.
註解: ダニ7:13の思想をそのままここに引用したもので、旧約の預言の一部が、イエスの再臨を指していることを示す(他の一部例えばイザ53章のごときは、受難のイエス、初臨のイエスを指す)。これらの文言は凡て一つの表徴的形容であって、名状すべからざる荘厳さを示さんがための仮の用語である。
辞解
[雲に乗る] 雲はエホバの座位として考えられていた(イザ19:1詩97:2)。なお神と自然界との関係につきては詩18:7−16。詩97:1−5等を見よ。

13章27節 その(とき)かれは使者(つかひ)たちを(つかは)して、()(はて)より(てん)(きはみ)まで、四方(しはう)より、()選民(せんみん)をあつめん。[引照]

口語訳そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
塚本訳するとその時、人の子は天使たちをやって、地の“果てから天の果てまで”“四方から、”選ばれた人々を“集めるであろう。”
前田訳そのとき人の子は天使をつかわして、地の果てから天の果てまで、四方から、選ばれた人々を集めよう。
新共同そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
NIVAnd he will send his angels and gather his elect from the four winds, from the ends of the earth to the ends of the heavens.
註解: キリストの再臨に際しては、全世界に散り居る凡ての信徒すなわち選民が御許に集められる。Tテサ4:16、17はその時の光景の推測である。すなわち天使によりて集められる選民は復活体を与えられし新しき神の国の民である。従ってその身体の性質、その集る場所等につきては、今日の物質観と全然異なる物質観の上に立ちてのみ解し得る現象である。
要義 [キリストの再臨と世の終末の状態]以上イエスの叙べ給いしことより、我らはキリスト再臨の時の光景と世の終末の有様とを詳細に具体的に知ることができない。またこれらの言葉そのものより直ちに具体的にその光景を描き出してはならない。我らはこれらの言葉の蔭にひそむ心持を汲取り、そこに世の終末の状態を霊的に確認することが必要である。すなわちこれらの預言の精神を霊的に把握して、始めてイエスの再臨と世の終末との光景をその本質において確保することができる。

6-2-ニ キリスト再臨の時期 13:28 - 13:32
(マタ24:32-36) (ルカ21:29-33)  

13章28節 無花果(いちぢく)()よりの(たとへ)(まな)べ、その(えだ)すでに(やはら)かくなりて()(めぐ)めば、(なつ)(ちか)きを()る。[引照]

口語訳いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
塚本訳無花果の木で(この神の国の)譬を学ぶがよい。──枝がすでに柔らかになって葉が出ると、夏が近いと知るのである。
前田訳いちじくの木の譬えを学べ。枝がやわらいで葉が出ると、夏か近いと知る。
新共同「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
NIV"Now learn this lesson from the fig tree: As soon as its twigs get tender and its leaves come out, you know that summer is near.
註解: 無花果はパレスチナ地方に到る処に繁っている樹故これを譬に取り給うた。夏の来る前兆として必ず枝が柔かくなり葉が(めぐ)む。かくのごとく人の子の来り給う時にも必ずその前兆がある。

13章29節 (かく)のごとく(これ)()のことの(おこ)るを()ば、(ひと)()すでに(ちか)づきて門邊(かどべ)にいたるを()れ。[引照]

口語訳そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
塚本訳そのようにあなた達も、これらのことがおこるのを見たら、人の子(わたし)が門口近く来ていることを知れ。
前田訳同様にあなた方も、これらのことがおこるのを見たら、人の子が戸口に近いと知れ。
新共同それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
NIVEven so, when you see these things happening, you know that it is near, right at the door.
註解: 「此等のこと」はマタ24:33の「此等のすべてのこと」と同じく6−25節の現象を指したのであろう。この現象がイエスの再臨が近付いた前兆である。人々は懼れ(おのの)いてその備えをしなければならない。

13章30節 (まこと)(なんぢ)らに()ぐ、これらの(こと)ことごとく()るまで、(いま)()()()くことなし。[引照]

口語訳よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
塚本訳アーメン、わたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消え失せない。
前田訳本当にいう、これらすべてがおこらぬうちはこの世代は決して過ぎ去らない。
新共同はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
NIVI tell you the truth, this generation will certainly not pass away until all these things have happened.
註解: 「代」は genea で人間の一代を指す。「これらの事」(6−25節)はこの一代の中に(ことごと)く成就するとの預言である。而して事実これらの凡てのことがイエスの死、弟子たちの迫害、エルサレムの陥落等により実現したものと見ることができる。ただしそれと共にイエスの再臨が無かったのは何故かとの疑問が起るけれども、前述せるごとくこれらの事実が起ったことはこの預言の成就の第一歩に過ぎないこと、すなわち将来においてもさらに完全にそれが実現すること、而してこの主の言は今日もなおそのまま適用せらるべきであることを思うべきである。殊に24−26節はその最も顕著なる姿において最後の瞬間に実現するであろう。

13章31節 (てん)()()ぎゆかん、()れど()(ことば)()()くことなし。[引照]

口語訳天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
塚本訳天地は消え失せる。しかし(いま言った)わたしの言葉は消え失せない。
前田訳天と地は過ぎ去ろうが、わがことばは過ぎ去らない。
新共同天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
NIVHeaven and earth will pass away, but my words will never pass away.
註解: イエスのこの確信を見よ、イエスの再臨はたとい天地が失せ去るとも必ず実現する。イエスがかかる確信をもって叙べ給いし事柄を、簡単に現代の科学や理知主義をもって否定し去るべきではない。

13章32節 その()その(とき)(につきては(だれ)(これ))を()(もの)なし。(てん)にある使者(つかひ)たちも()らず、()()らず、ただ(ちち)のみ()(たま)ふ。[引照]

口語訳その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
塚本訳ただし、(人の子の来る)その日また時間は、父上のほかだれも知らない。天の使たちも、子(であるわたし自身)も知らない。
前田訳その日その時はだれも知らない。天のみ使いたちも子も知らず、父だけが知りたもう。
新共同「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
NIV"No one knows about that day or hour, not even the angels in heaven, nor the Son, but only the Father.
註解: ただしキリストの再臨と世の終末の来るべき日時は何人もこれを知ることができず、唯父のみの御意の中に存するだけである。「子も知らず」はイエスの神たることと矛盾するがごときも然らず、イエスの神たる所以は人としてはその全知全能なるが故に非ず、かえってその人間としての制限せられし性質の凡てをもって全く神に服従し給える意味において神に在し給うのである。キリストの神性をこの意味に考え得ざる人々は「子も知らず」を(1)イエスの人間性が知らないだけて神性は知っていた。(2)弟子たちに対してのみ知らなかった。(3)知っていたけれどもこれを隠すことが弟子たちに有益と考えた。(4)知らんと欲し給わなかった。(5)アリアン主義者の挿入である等々種々の解釈が試みられているけれども何れも満足なる解答ではない。この問題はキリスト論の中心をなす重大問題であるけれども上記のごとく解すべきであることと思う。なおマタイ伝の異本に「子も知らず」を省略せるものがあるけれども、これも上記の困難を知ってことさらに除けるものなるべく、ルカ伝にも全くこれを欠いている。マルコ伝がこれを率直に録した処にその価値がある。

6-2-ホ 目を覚ましをれ 13:33 - 13:37  

註解: 33−37節はマルコ伝特有であってマタイ伝ルカ伝には断片的に散在している処のものである。

13章33節 (こころ)して()(さま)しをれ、(なんぢ)()その(とき)何時(いつ)なるかを()らぬ(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。
塚本訳気をつけよ、油断するな。あなた達はその時がいつであるか、知らないのだから。
前田訳気をつけよ。目覚めてあれ。あなた方はその時がいつか知らないから。
新共同気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。
NIVBe on guard! Be alert ! You do not know when that time will come.
註解: 信者の心掛けの第一は28−32節に示されしごとく、時の(しるし)を見て再臨の時を知ることであり、その第二はこの時の兆を見分くるために目を覚ましていることである。すなわち信仰の怠惰を(いまし)め、常に緊張せる心をもってキリストの再臨を待つことである。この意味においてキリスト再臨の時期を知らないことはかえって信者を怠惰より免れしむることができる。

13章34節 (たと)へば(いへ)()づる(とき)その(しもべ)どもに(けん)(ゆだ)ねて、各自(おのおの)(つとめ)(さだ)め、(さら)門守(かどもり)に、()(さま)しをれと、(めい)()きて(とほ)旅立(たびだち)したる(ひと)のごとし。[引照]

口語訳それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。
塚本訳それはちょうど、ある人が旅行に出かけようとして家を出るとき、僕たちに全権をゆだねてひとりびとりに仕事をわりあて、また門番には目を覚ましておれ、と言いつけるようなものである。
前田訳ちょうど旅に出た人のようである。家を出、僕らに権限を与えてめいめいに仕事をあてがい、門番には目を覚ましておれ、といいつける。
新共同それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。
NIVIt's like a man going away: He leaves his house and puts his servants in charge, each with his assigned task, and tells the one at the door to keep watch.
註解: 僕どもの務めは委ねられし権を忠実に行使し、その務を完全に実行し門守としては目を覚ましていることである。キリスト者がキリストの再臨に至るまでに為すべきことも凡てこの中に含まる。

13章35節 この(ゆゑ)()(さま)しをれ、(いへ)主人(あるじ)(かへ)るは、(ゆふべ)か、夜半(よなか)か、(にはとり)()くころか、夜明(よあけ)か、いづれの(とき)なるかを()らねばなり。[引照]

口語訳だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。
塚本訳だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は家の主人がいつかえって来るか、夕方か、夜中か、一番鶏か、それとも夜明けかを知らないのだから。
前田訳それゆえ目を覚ましておれ。あなた方は家の主人がいつ帰るか、夕方か、夜中か、一番鶏か、夜明けか、を知らないから。
新共同だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
NIV"Therefore keep watch because you do not know when the owner of the house will come back--whether in the evening, or at midnight, or when the rooster crows, or at dawn.
註解: キリスト再び来り給う時刻は何人もこれを知ることができない。これに対する唯一の準備は唯目を覚すことのみである。
辞解
ローマ人は夜を四更に分ち交代して夜番をした、この四更は夕の六時頃より朝の六時頃までのを四分したもので、それぞれこれを夕、夜半、鶏鳴、夜明と称していた。

13章36節 (おそ)らくは(にはか)(かへ)りて、(なんぢ)らの(ねむ)れるを()ん。[引照]

口語訳あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。
塚本訳だしぬけに主人がかえって来て、あなた達の眠っているのを見ないとはかぎらない。
前田訳主人が突然帰って来て、あなた方が眠っているのを見ないようにせよ。
新共同主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
NIVIf he comes suddenly, do not let him find you sleeping.

13章37節 わが(なんぢ)らに()ぐるは、(すべ)ての(ひと)()ぐるなり。()(さま)しをれ』[引照]

口語訳目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。
塚本訳わたしはあなた達に言うことをすべての人に言う、『目を覚ましておれ』と。」
前田訳わたしがあなた方にいうことは、すべての人々にいうのである。目を覚ましておれ」と。
新共同あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
NIVWhat I say to you, I say to everyone: `Watch!'"
註解: 怠惰なる僕は眠れる間に主人の帰来に遭う。キリスト者はかくあってはならない。イエスは繰返し目を覚ましているべきことを弟子たちに教え給う。
要義 [目を覚しをれ]もし多くの学者の考うるごとくイエスおよび初代の使徒たちが、キリストの再臨の近きを信じていたのが一つの錯誤であったとするならば、而してキリストの再臨は結局無いものであるとするならば我らはもはや目を覚しおる必要無きこととなる。しかしながら、キリストが間もなく再び来り給うことを教え給うたのは、普通の時間の観念を超越しているのであって、昔も今も変わらずに直ちに来り給うのであり、またその日と時とは何人も知らないのである。かくして何れの時代の人間もみな同様の緊張をもって彼を待望むべきであって、目を覚しをれとの命令はイエスの弟子たちに与えられしと同じ強さをもって今日の我らにも与えられており、キリストの再臨が十二使徒たちにとりて近かったと同じく我らにとりても近いのである。