黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版使徒行伝

使徒行伝第9章

分類
3 ユダヤ、サマリヤに於ける使徒の活動 8:1 - 10:47
3-3 サウロの回心 9:1 - 9:30
3-3-1 主イエス、サウロに現れ給う 9:1 - 9:9

註解: 1-9はパウロの回心の記録である。尚使22:6-16。使26:12-18にもパウロの語れるものとして同一事実の記録がある故参照すべし。

9章1節 サウロは(しゅ)弟子(でし)たちに(たい)して、なほ恐喝(おびやかし)殺害(さつがい)との()(みた)し、[引照]

口語訳さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、
塚本訳(エルサレムの迫害はおわったが、)サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し殺害しようと息巻き、大祭司の所に行って、
前田訳サウロは、なお主の弟子たちに向かって威嚇と殺害で息まき、大祭司のところへ行って
新共同さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、
NIVMeanwhile, Saul was still breathing out murderous threats against the Lord's disciples. He went to the high priest
註解: (▲パウロの激しい性格が示されている)サウロはステパノの殺害を以て満足せず尚もイエスの弟子たるものに対して不倶戴天(ふぐたいてん)の敵意を示した。「彼の罪業がその熱心の絶頂に達した時に彼は救われ回心せしめられたのであった」(B1)。
辞解
[なお] 前章の事件が終りても尚おの意。
[気を充たし] empneô は「息を吹きかける」意。▲▲または「息を吸い込む」の意。

(だい)祭司(さいし)にいたりて、

註解: 紀元36年まで大祭司であったカヤパであろう。サウロが相当の名家の出であり大祭司等に接近していた事が判明る。

9章2節 ダマスコにある(しょ)教會(けうくわい)への添書(そへぶみ)()ふ。[引照]

口語訳ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。
塚本訳ダマスコの多くの礼拝堂あての(全権委任の)添書を乞い求めた。それは(ダマスコでキリストの)道(キリスト教)の者を見つけ次第、男女の別なく、縛ってエルサレムに引いてくるためであった。
前田訳ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それはこの道のものを見つければ男も女も縛ってエルサレムに引いてくるためであった。
新共同ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
NIVand asked him for letters to the synagogues in Damascus, so that if he found any there who belonged to the Way, whether men or women, he might take them as prisoners to Jerusalem.
註解: ダマスコはパレスチナよりメソポタミヤに通ずる交通の要路に当る世界最古の都市の一つで、多くのユダヤ人がそこに居住していた。その中に既にイエスの教を信じている者があった。生前イエスの教を聞いたもの、五旬節の時にエルサレムに上って居り使徒たちの教を受けたもの、ステパノの迫害により散されてダマスコに赴いたもの等であろう。添書の内容はキリストを信ずる者を(ゆる)しおくべからすとの意味を含んだものである。

この(みち)(もの)見出(みいだ)さば、男女(なんにょ)にかかはらず(しば)りてエルサレムに()かん(ため)なり。

註解: かくしてエルサレムに於て是等を所罰せんが為であった。基督信徒に対する徹底的撲滅策である。女子までもこれを処罰せんとした事はその迫害の深刻さを示す。
辞解
[道] hodos 道路の事、これを信仰の道につき用いている事は東西共通の心理を示す。未だ一の宗派として分離して居なかったので、この語が適当であった。

9章3節 ()きてダマスコに(ちか)づきたるとき、(たちま)(てん)より(ひかり)いでて、(かれ)(めぐ)(てら)したれば、[引照]

口語訳ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。
塚本訳ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
前田訳彼が進んで行ってダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼のまわりを照らした。
新共同ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
NIVAs he neared Damascus on his journey, suddenly a light from heaven flashed around him.
註解: 主は全く突然に彼に顕れ給うた。サウロの如き性格の者に対してはかくする必要が有ったのであろう。天よりの光は「日にも勝りて輝いた」(使26:13)。サウロはこの偉大なる光景の前に唯驚き畏れるより外に途が無かったのであった。

9章4節 かれ()(たふ)れて『サウロ、サウロ、(なん)(われ)迫害(はくがい)するか』といふ(こゑ)をきく。[引照]

口語訳彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
塚本訳彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
前田訳そして彼は地に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。
新共同サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
NIVHe fell to the ground and heard a voice say to him, "Saul, Saul, why do you persecute me?"
註解: イエスを信ずる者に対して為される凡ての行為は即ちイエスに対して為されるのである。前節の光輝もこの声も共に明かにサウロの五官に感じられし現象であった。これが単なるサウロの主観的事実でなかった事は他の人々にも幾分不完全ながらこの光と声とを感ずる事が出来た事を以てこれを知る事が出来る。サウロはこの光輝に撲たれ乍ら、この語をきき、その何人なるかを疑った。彼が蟲螻(むしけら)の如くに考へえて平気で殺戮した基督者がこうした栄光の中に物言う如きは、思いも寄らなかったからである。

9章5節 (かれ)いふ『(しゅ)よ、なんぢは(たれ)ぞ』(こた)へたまふ『われは(なんぢ)迫害(はくがい)するイエスなり。[引照]

口語訳そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
塚本訳サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。
前田訳彼は問うた、「主よ、あなたはどなたですか」と。答えがあった、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。
新共同「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
NIV"Who are you, Lord?" Saul asked. "I am Jesus, whom you are persecuting," he replied.
註解: サウロは勿論この光輝の中より語るものが普通の人間ではない事を直感した。夫ゆえに「主よ」と呼んだのであった。而も彼が迫害せる人々は普通の人間であったので「汝は誰ぞ」と問わざるを得なかった。而してその答により、彼に現れたのがイエスであった事を知ったのである。これによりサウロはイエスの神に在す事、その甦り給える事、また彼を信ずるものを己の如くに愛し給う事を疑い得ざるに至った。ステパノの語が新に彼の胸中に甦った事であったろう。そしてサウロ彼自身が是まで神に対して叛逆を行っていた事に気付いた。
辞解
[われ、汝] 等の語が特に強き意味に用いられている。尚お使22:8には「ナザレのイエスなり」とありまた使26:14には最後に「刺ある策を蹴るは難し」を加う。

9章6節 ()きて(まち)()れ、さらば(なんぢ)なすべき(こと)()げらるべし』[引照]

口語訳さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。
塚本訳さあ起きて、町に入れ。そうすれば、せねばならぬことが告げられる。」
前田訳ともあれ立ち上がって町に入りなさい。そうすればなすべきことが告げられよう」と。
新共同起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
NIV"Now get up and go into the city, and you will be told what you must do."
註解: 主はサウロに単に御自身の稜威と、サウロの行動が何を意味しているかを示し給うたのみであった。そのほかの事はダマスコのアナニヤをしてサウロに告げしめたのであった(10節以下)。而も是で充分であった。何となれば是まではサウロは自己の何たるかを知らず、また主イエスの何たるかを知らずして行動していたからである。

9章7節 同行(どうかう)人々(ひとびと)(もの)()ふこと(あた)はずして()ちたりしが、(こゑ)()けども(たれ)をも()ざりき。[引照]

口語訳サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。
塚本訳一緒に来た者たちは唖然としてそこに立っていた。声は聞いたが、だれも見えなかったのである。
前田訳連れの人々は、声は聞いたが、だれも見えなかったので唖然として立っていた。
新共同同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
NIVThe men traveling with Saul stood there speechless; they heard the sound but did not see anyone.
註解: 同行の人々も一旦は光輝に打たれて地に倒れたのであった(使26:14)。併し間もなく立上っておどろいて立っていた。彼らは何か声の様な音を聞いたのであったけれども使22:9によれば「我(サウロ)に語る者の声は聞かざりき」とあり、サウ口の耳に入りし如き声は聞かなかったのであらう。また勿論イエスをも他の何人をも見なかった。即ちサウロの聞いた声は普通の人間の声ではなかった証拠である。本節と使22:9使26:14と一見矛盾する如きも上記の如く考うる事により矛盾は消滅する。▲1-9は22:6-16、26:12-18と同事件の記録であり、しかも同一人の記したものであるから、その間の若干のズレは書き方の正確さを欠いたためと見るべきで記憶の混乱と見るべきではない。パウロの言葉そのものも機械的に一致していなかったであろう。

9章8節 サウロ()より()きて()をあけたれど(なに)()えざれば、(ひと)その()をひきてダマスコに(みちび)きゆきしに、[引照]

口語訳サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。
塚本訳サウロは地から起きあがって目をあけたが、何も見えなかった。人々が手を引いて、ダマスコにつれて行った。
前田訳サウロは地から起き上がった。しかし目があいても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いてダマスコヘ連れて行った。
新共同サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
NIVSaul got up from the ground, but when he opened his eyes he could see nothing. So they led him by the hand into Damascus.

9章9節 三日(みっか)のあひだ()えず、また飮食(のみくひ)せざりき。[引照]

口語訳彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
塚本訳三日のあいだ目が見えず、また食べも飲みもしなかった。
前田訳彼は三日の間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
新共同サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
NIVFor three days he was blind, and did not eat or drink anything.
註解: 彼は天よりの激しき光線によりてその視力を失っていた。殺意と恐喝とに燃えていたサウロのこの憐むべき姿を見よ。彼の心身の(はなは)だしき打撃のために食慾すらも全く消失した。彼は三日の間ひたすらに祈っていた(11節)。此間に彼はこの現象の意義につき熟考した事であろう。

3-3-2 アナニヤとサウロ 9:10 - 9:19a

9章10節 さてダマスコにアナニヤといふ一人(ひとり)弟子(でし)あり、[引照]

口語訳さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。
塚本訳さて、ダマスコにアナニヤというひとりの(主の)弟子があった。幻で主が彼に「アナニヤ」と言われた。アナニヤが言った、「はい、主よ。」
前田訳ダマスコにアナニヤという名のひとりの弟子がいた。主が幻で彼に、「アナニヤ」といわれた。彼は、「はい、主よ」といった。
新共同ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。
NIVIn Damascus there was a disciple named Ananias. The Lord called to him in a vision, "Ananias!" "Yes, Lord," he answered.
註解: 一人の普通の弟子に過ぎなかった事は注意すべき点である。使徒パウロが「人よりに非ず人に由るにあらず」(ガラ1:1)と云う事が出来たのもその為であった。
 ▲パウロの回心はイエスの死の二三年後と見るべきであるから信者がダマスコまでも散っていったことは不思議でない。
辞解
[アナニヤ] 「エホバは恩恵深し」との意、尚アナニヤは使22:12よれば敬虔なるユダヤ人であった。

幻影(まぼろし)のうちに(しゅ)いひ(たま)ふ『アナニヤよ』(こた)ふ『(しゅ)よ、(われ)ここに()り』

註解: この問答は事柄の重大なるを示す。

9章11節 (しゅ)いひ(たま)ふ『()きて(すぐ)といふ(ちまた)にゆき、ユダの(いへ)にてサウロといふタルソ(びと)(たづ)ねよ。()よ、(かれ)(いの)りをるなり。[引照]

口語訳そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。
塚本訳主が彼に、「立って『直線通り』に行き、ユダ(という人)の家にいるサウロというタルソ人をさがせ。彼はいま祈っている。
前田訳主は彼にいわれた、「立って、いわゆるまっすぐ通りへ行き、ユダの家にサウロという名のタルソ人をたずねよ。彼は祈っている。
新共同すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。
NIVThe Lord told him, "Go to the house of Judas on Straight Street and ask for a man from Tarsus named Saul, for he is praying.
註解: サウロは全く未知の人としてその名及び居所までもアナニヤに示されたのであった。またサウロが祈り居る事を示されたのは、サウロが最早や殺気に充ちて居ない事を示す為であった。
辞解
[直] という街は今もダマスコに存する由、ユダの家アナニヤの家等も古跡として存するとの事なれども果して事実によったのであるか不明である。
[タルソ] キリキヤの首府でアテネ、アレキサンドリヤに()ぐ有名なる大学の所在地であった。パウロの故郷である。パウロはこの都で相当の教育を受けたものと考えられる。

9章12節 (また)アナニアといふ(ひと)()(きた)りて(ふたた)()ゆることを()しめんために、()(おの)がうへに()くを()たり』[引照]

口語訳彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。
塚本訳幻で、アナニヤという人が入ってきて、自分に手をのせて目が見えるようにしてくれるところを見たのだ。」
前田訳彼は幻でアナニヤという名の人が入って来て、目がまた見えるように自分に手を置いてくれるのを見た」と。
新共同アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
NIVIn a vision he has seen a man named Ananias come and place his hands on him to restore his sight."
註解: サウロが祈の中にこの幻を見た事は省略され、その事実をアナニヤに示された。夫故サウロはアナニヤの来る事を予知していた。またアナニヤは何等の顧慮なしに往く事が出来る訳であった。(▲▲口語訳の「幻で」en horamatiは古いB.C.写本にあり、Nestleにも採用されている。)
辞解
[手を()く] 使8:17参照

9章13節 アナニヤ(こた)ふ『(しゅ)よ、われ(おほ)くの(ひと)より()(ひと)()きて()きしに、(かれ)がエルサレムにて(なんぢ)聖徒(せいと)(がい)(くは)へしこと如何(いか)ばかりぞや。[引照]

口語訳アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。
塚本訳アナニヤが答えた、「(しかし)主よ、わたしは沢山の人から、その人のことを聞きました。彼がエルサレムであなたの聖徒たちにした非道なことを一つのこらず。
前田訳アナニヤが答えた、「主よ、わたくしは多くの人からその人のことを聞きました。彼がエルサレムであなたの聖徒らにした悪いことをのこらずです。
新共同しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。
NIV"Lord," Ananias answered, "I have heard many reports about this man and all the harm he has done to your saints in Jerusalem.

9章14節 また此處(ここ)にても(すべ)(なんぢ)御名(みな)をよぶ(もの)(しば)(けん)祭司長(さいしちゃう)らより()けをるなり』[引照]

口語訳そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。
塚本訳そしてここでも彼は、あなたのお名前を呼ぶ者をだれかれの別なく縛る全権を、大祭司連からもらっているのです。」
前田訳そしてここでも彼はあなたのみ名を呼ぶものを皆捕える権限を大祭司たちから受けています」と。
新共同ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」
NIVAnd he has come here with authority from the chief priests to arrest all who call on your name."
註解: アナニヤは始めサウロを恐れていた。サウロの迫害の風評は四方に広まり、基督者はこれを猛獣の如くに恐れていた。このアナニヤの答の中には暗に辞退の意をほのめかしている。
辞解
[聖徒] Tコリ1:2註及要義参照。
[御名を呼ぶ者] 信徒に対する呼称である。

9章15節 (しゅ)いひ(たま)ふ『()け、この(ひと)異邦人(いはうじん)(わう)たち・イスラエルの子孫(しそん)のまへに()()()ちゆく()(えらび)(うつは)なり。[引照]

口語訳しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。
塚本訳主が彼に言われた、「(恐れることはない。)行け。あの人は、異教人と王たちとイスラエルの子孫との前に、わたしの名を運んでゆく(ために選んだ)わたしの選びの器であるから。
前田訳主は彼にいわれた、「行きなさい。あの人はわが名を異邦人と王たちとイスラエルの子孫との前に運ぶ、わが選びの器です。
新共同すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
NIVBut the Lord said to Ananias, "Go! This man is my chosen instrument to carry my name before the Gentiles and their kings and before the people of Israel.
註解: アナニヤに取りては全く案外にもサウロが神の選の器である事が示された。アナニヤはこの幻影の言を信じてサウロの許に赴いた。サウロは第一に異邦人の使徒であり、而もその王たちにすらイエスの御名を伝える任務を与えらるべきであった。イスラエルの子孫に対しても同様である。「選の器」即ち神が特に選び用い給う器である。神の用い給う目的に叶える素質を持っている事を神は認め給うたのであろう。

9章16節 (われ)かれに()()のために如何(いか)(おほ)くの苦難(くるしみ)()くるかを(しめ)さん』[引照]

口語訳わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。
塚本訳その証拠として、わたしの名のためにどんなに多くの苦しみをうけねばならぬかを、彼におしえてやる。」
前田訳わたしは彼が、どんなにわが名のために苦しまねばならぬかを示すであろう」と。
新共同わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
NIVI will show him how much he must suffer for my name."
註解: 選の器は決してこの世の人の求むる如き幸福をこれに与えん為に選ばれるのではなく、主の御名の為に多くの苦難を受くべく選ばれるのである。サウロは是までその誤れる熱心のために基督者を苦しめていた。今より後は正しき信仰のために自ら苦しまなければならない。
辞解
[受くるかを] 「受けざるべからざるかを」と訳する方が正確である。
[示さん] 幻影等によるのではなく事実を以てこれを経験せしむるのである。

9章17節 (ここ)にアナニヤ()きて()(いへ)にいり、(かれ)(うへ)()をおきて()ふ『兄弟(きゃうだい)サウロよ、(しゅ)、すなはち(なんぢ)(きた)(みち)にて(あらは)(たま)ひしイエス、われを(つかは)(たま)へり。なんぢが(ふたた)()ることを()、かつ(せい)(れい)にて滿(みた)されん(ため)なり』[引照]

口語訳そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
塚本訳そこでアナニヤは行って(ユダの)家に入り、サウロに手をのせて言った、「兄弟サウロよ、主がわたしをお遣わしになったのです。あなたが(ここに)来る途中、御自分を現わしてくださったあのイエスが!あなたの目が見えるようになるため、また聖霊に満たされるためです。」
前田訳そこでアナニヤは出かけて家に入り、サウロの上に手を置いていった、「兄弟サウロよ、主がわたしをおつかわしでした。あなたが来る途中、お現われになったあのイエスがです。それはあなたがまた見え、聖霊に満たされるためです」と。
新共同そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
NIVThen Ananias went to the house and entered it. Placing his hands on Saul, he said, "Brother Saul, the Lord--Jesus, who appeared to you on the road as you were coming here--has sent me so that you may see again and be filled with the Holy Spirit."
註解: サウロは6節の主の御言がここに実現した事を知った。而してアナニヤはその遣されし目的がサウロが視力を回復する事と聖霊にて満される事とに在る事をサウロに告げた、勿論尚お彼は種々の事を語ったに相違なく、その片鱗は使22:14-16にこれを見ることが出来る。要するにこの時までサウロの知り得た事は(1)ナザレのイエスが彼に現れたまいし事、(2)サウロ自身はこのイエスを迫害していた事、(3)ダマスコに入りて主の遣し給いしアナニヤより、主がサウロを選びて、その証人たらしめんとて彼に現れたまえる事を示されし事、彼に視力と聖霊とを与え給う事とであった。要するにサウロの回心を来らしめし主要の事実は栄光の中における主イエスの顕現であった。いわゆるパウロの神学と称せられる如きものはその片鱗だもここに示されなかった。これを見てもパウロの回心の事実は理論によったのではなく、直接に主イエスに接した事による事が判明る。
辞解
[兄弟サウロよ] アナニヤは既にサウロを兄弟として取扱っている事に注意すべし。三日前までは仇敵であった彼も、神の子とせられて立処に兄弟となる事が出来る。

9章18節 (ただ)ちに(かれ)()より(うろこ)のごときもの()ちて()ることを()、すなはち()きてバプテスマを()け、[引照]

口語訳するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、
塚本訳するとすぐ鱗のようなものがサウロの目から落ちて、見えるようになり、立って洗礼を受けた。
前田訳するとただちに、サウロの両目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになり、立ち上がって洗礼を受けた。
新共同すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、
NIVImmediately, something like scales fell from Saul's eyes, and he could see again. He got up and was baptized,

9章19節 かつ食事(しょくじ)して(ちから)づきたり。[引照]

口語訳また食事をとって元気を取りもどした。サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、
塚本訳そして食事を取って元気づいた。サウロは数日ダマスコの(主の)弟子たちと一緒にいたが、
前田訳そして食事を取って力づいた。
新共同食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、
NIVand after taking some food, he regained his strength. Saul spent several days with the disciples in Damascus.
註解: さしも頑固であったサウロも主の栄光に接しその御声に打たれて死ねるものの如くになった。今アナニヤの按手により目より鱗のごときもの落ちて見る事が出来、ハプテスマを受けてイエスに対する信仰を告白し、全く別の世界に新に生れ(かわ)った。かくして主イエスの御業はあざやかな結果を結び、これによりて基督教の世界的宗教たるの基礎が置かれたのである。尚、アナニヤがパウロにバプテスマを施した事は、それが特定の資格を必要としなかった事を示す。
要義1 [パウロの生立ち及び性格]パウロ即ちサウロはキリキアのタルソに生れ(11節使21:39)、ユダヤ人であり而もその中のパリサイ人に属し、ベニヤミンの族より出でていた(ピリ3:5)。ロマの市民権を獲得していた原因は(使16:37使22:25)恐らく父祖の時代の功績によったものであろう。またその姉妹は結婚してエルサレムに在り、祭司階級に接近していた事実(使23:16)を見れば、相当の地位を有していた事が判明る。またパウロは恐らく大学都市タルソに於て相当の教育を受けたものなるべく、またユダヤ人としては最高の教育とも云うべきガマリエルの弟子としてエルサレムに遊学していた。彼は極めて徹底的に事物を考察し、また徹底的に行動して、微温を憎んだ(使8:1-3。使9:1-3。ピリ3:6ロマ3:10-18。ロマ7:7-25。ガラ1:16ガラ2:11-14)。それだけ回心前の彼と回心後の彼との間に偉大なる相違を生じた。また彼が到る処に敵を造り到る処に迫害された点より見れば、彼は主イエスの御名の為には他人の感情を気にせず大胆率直にその信ずる処を述べた事は明かである。彼は決して八面玲瓏(れいろう)の人格ではなかった。しかしながら一面彼は向見ずの熱狂信者ではなく、豊なる常識の所有者であった。コリントの教会に宛てし書簡の内容を見るも、またその独立自給の伝道方針より見るも、またユダヤ人にはユダヤ人となりギリシヤ人にはギリシヤ人の如くならんとした点よリ見るも、彼の如き豊なる常識の所有者は決して多くはない。それゆえに諸種の問題に対する彼の判断処置は極めて信仰的であると同時にまた常識的である。要するに非常に多面的にして豊富なる内容を有する、力強き徹底せる性格と云うべきである。換言すれば彼は偉人であった、この偉大さが信仰の事に向けられた為に、彼は信仰の偉人となったのである。神が彼を選び給える事はまことに故ある事と云わなければならない。
要義2 [パウロの回心]パウロの回心を彼の内面的の煩悶とこれに伴える修養努力の結果と見る事も誤っていると同時に、また彼の回心を彼の内面的要素とは全然切り離して、唯ダマスコ途上に於ける主の顕現のみによるものと解する事もまた誤っている。彼は自分の正義を確信して基督教徒を縛らんが為にダマスコに進んでいた。彼の心中には彼のこの行動に関していささかも疑念を(はさ)んで居なかったものと思われる。この意味に於て彼の回心は全く外部より来れる突然の事実であった。しかしながら彼はその所信に向って徹底的に進めば進むほど彼の心中に益々満たされない処のものを彼は見出したのであった(ロマ7章)。この心の空虚を満さんとして彼は益々激しく聖徒を迫害している際、却てステパノを始め聖徒らの中に偉大なる平安があることを見出したのであった。かくして自己の努力によりて自己を充さんとして益々空虚の大なる事を感じたる彼は、主の顕現に接して全く打ち砕かれたのであった。この意味に於て彼の回心は内面的であったと云う事が出来る。この両面の一を見失う事はパウロの真相を見失う事である。
要義3 [回心の必要]人間は生れ乍ら神に背き自己の慾望の奴隷となっている、自己の慾望はたとい如何に精神的道徳的であってもそこに平安は得られない、回心によりて根本的に方向を一転して神に従いその奴隷となる事を要するのはその為である。

3-3-3 サウロ、ダマスコにイエスを宣傳う 9:19b - 9:25

サウロは數日(すにち)(あひだ)ダマスコの弟子(でし)たちと(とも)にをり、

註解: (たがい)に主の驚くべき御業につき語り合った事であろう。アナニヤの物語を聴いて彼らはサウロに対して何等の疑惑も恐怖も感じなかったのであろう。ガラ1:17にあるパウロのアラビヤ行につきては「附記」を見よ。

9章20節 (ただ)ちに(しょ)會堂(くわいだう)にて、イエスの(かみ)()なることを()べたり。[引照]

口語訳ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。
塚本訳すぐあちこちの礼拝堂で、イエスのことを、この方こそ神の子であると説きはじめた。
前田訳そしてすぐに諸会堂でイエスのことを、「この方こそ神の子である」とのべ伝えはじめた。
新共同すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。
NIVAt once he began to preach in the synagogues that Jesus is the Son of God.
註解: イエスが神の子である事は凡ての信仰の中心点である。パウロは先づ第一にこの点に就て不動の確信を得てこれを宣伝した。いわゆるパウロ神学の中心も此処に在る。諸会堂に居るユダヤ人等は未だこの福音を信じなかった。(▲この場合パウロは勿論迫害を覚悟していた。)使徒行伝にはここに一ケ処のみ「神の子」なる語が用いられている。

9章21節 ()(もの)みな(をどろ)きて()ふ『こはエルサレムにて()()をよぶ(もの)(そこな)ひし(ひと)ならずや、(また)ここに(きた)りしも(これ)(しば)りて祭司長(さいしちゃう)らの(もと)()きゆかんが(ため)ならずや』[引照]

口語訳これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。
塚本訳聞いた人が皆呆気にとられて言った、「この人は(前に)エルサレムで、この(イエスの)名を呼ぶ者を撲滅しようとした人ではないか。またここに来たのも、彼らを縛って、大祭司連に引いてゆくためだったではないか。」
前田訳聞き手は皆おどろいていった、「この人はエルサレムでこの名を呼ぶものを絶滅しようとした人ではありませんか。ここに来たのも、彼らを捕えて大祭司たちのところへ引いてゆくためではありませんか」と。
新共同これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」
NIVAll those who heard him were astonished and asked, "Isn't he the man who raised havoc in Jerusalem among those who call on this name? And hasn't he come here to take them as prisoners to the chief priests?"
註解: かく言うは結局パウロに対する不信の表明であった。是まではユダヤ人らの英雄と崇められたパウロは、キリストを信ずる事によりて却って彼らより無視、排斥、迫害されるに至った。今日もまた同様の事実を我らは目撃する。悪人が急に悔改めた場合には暫く伝道を遠慮する方が至当である。▲三年間アラビヤに引きこもったのも(ガラ1:18)この経験の結果ではあるまいか。

9章22節 サウロますます能力(ちから)くははり、イエスのキリストなることを論證(ろんしょう)して、ダマスコに()むユダヤ(びと)()()せたり。[引照]

口語訳しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。
塚本訳しかしサウロはますます(その言葉に)力が加わり、この方こそ救世主であると論証して、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
前田訳しかしサウロはますます力を増し、この方こそキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをあわてさせた。
新共同しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
NIVYet Saul grew more and more powerful and baffled the Jews living in Damascus by proving that Jesus is the Christ.
註解: 聖霊の力が益々多くサウロに加った。反対が強くなればなる程彼は益々力付くのであった。パウロはイエスと同じく先づユダヤ人に福音を伝えた。
辞解
[論証する] sumbibazô は多くのものを一つに集める事の意味を有す、各方面より立証せる事。
[言ひ伏す] sunchunnô(suncheô)擾乱する事、混乱せしむる事の意味、ユダヤ人らをして答うる処に窮せしむる事。

9章23節 ()()ること(ひさ)しくして(のち)[引照]

口語訳相当の日数がたったころ、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。
塚本訳だいぶ日数がたってから、ユダヤ人はサウロを殺そうと決議した。
前田訳かなり日数がたってから、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした。
新共同かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、
NIVAfter many days had gone by, the Jews conspired to kill him,
註解: 直訳「若干日充ちたる時」でこの期間の長さは不明である。アラビヤ行の三年間(ガラ1:18)をこの若干日の中に含ましむべしとする説につきては「附記」を見よ。

ユダヤ(びと)かれを(ころ)さんと(あひ)(はか)りたれど、

9章24節 その計畧(はかりごと)サウロに()らる。[引照]

口語訳ところが、その陰謀が彼の知るところとなった。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見守っていたのである。
塚本訳彼らの陰謀がサウロに知れた。しかし彼らはサウロを殺そうとして、夜も昼も(町の)門を見張っていたので、
前田訳しかしその陰謀は彼に知れた。彼らは彼を殺そうとして、昼も夜も町の門までも見張っていた。
新共同この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。
NIVbut Saul learned of their plan. Day and night they kept close watch on the city gates in order to kill him.
註解: サウロは其後も到る処にその同国人に迫害せられた。ロマ9:1-3にある如き彼の愛国心もその同国人によりて誤解された。高き愛国心は非愛国心の如くに見えるのを常とする。

(かく)(かれ)らはサウロを(ころ)さんとて(ひる)(よる)(まち)(もん)(まも)りしに、

註解: ユダヤ人の殺意は常に極めて執拗である。この場合もアレタ王の下にある総督を動かしサウロを殺さしめんとしたのであった(Uコリ11:32

9章25節 その弟子(でし)夜中(やちゅう)かれを(かご)にて石垣(いしがき)より()(おろ)せり。[引照]

口語訳そこで彼の弟子たちが、夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした。
塚本訳(主の)弟子たちは夜のあいだに彼を篭で吊りおろし、城壁づたいに(門の外に)おろした。
前田訳弟子たちは夜彼を迎え、城壁づたいに籠でつっておろした。
新共同そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。
NIVBut his followers took him by night and lowered him in a basket through an opening in the wall.
註解: Uコリ11:33によれば窓より()り下されたのであった、是は或は石垣に接して建てられし家の窓か、または石垣そのものにある小窓であろう。
附記 [パウロのアラビヤ行につきて]ガラ1:16、17によればパウロが主イエスの召を受けしとき血肉と謀らず使徒たちにも会わずに直ちにアラビヤに往きてまたダマスコに返ったとの事である。アラビヤ滞在の期間は不明であるけれども回心よりエルサレム行までは三年を経過したと録されている(ガラ1:18)。是はパウロ自身の記した処で誤は無い。またルカがこれを録さなかったのはこれが教会全体の歴史の記録の中に入るには不適当なる個人的事実だからであろう。唯問題となるはこのアラビヤ行は何時であったかとの点である。これには種々の節あり(1)19節b以前、(2)19節と20節の間、(3)22節の前(A1)、(4)23節の「日を経ること久しく」の中(M0)、(5)25節の後(B1)等種々の解あり、(3)の節が最も可能性が多いけれども確定する事が出来ない。またアラビヤの滞在の場所及び期間も不明である。尚ガラ1:17註及要義4参照。

3-3-4 サウロ、エルサレムに往く 9:26 - 9:30

9章26節 (ここ)にサウロ、エルサレムに(いた)りて弟子(でし)たちの(うち)(つらな)らんとすれど、(みな)かれが弟子(でし)たるを(しん)ぜずして(おそ)れたり。[引照]

口語訳サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。
塚本訳サウロはエルサレムに来て、(そこの主の)弟子たち(の仲間)に加わろうとしてみたけれども、みんなが彼をこわがった。(ほんとうに主の)弟子と信じなかったのである。
前田訳彼はエルサレムヘ来て弟子たちに加わろうとつとめたが、皆が彼が弟子であることを信じないで彼をおそれていた。
新共同サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。
NIVWhen he came to Jerusalem, he tried to join the disciples, but they were all afraid of him, not believing that he really was a disciple.
註解: ダマスコ途上に於けるパウロの回心はエルサレムの信徒や使徒たちには充分に伝って居なかった。また伝って居ってもこれを信じなかったであろう。またパウロは回心後はユダヤ人にすら反対された位であるから極めて目立たない生活をしていた。三年間の隠微の生活はエルサレムの使徒信徒をしてサウロの存在を無視せしむるに充分であった。神より外に真に人間の心を知るものは無い、パウロの淋しさは如何ばかりであったろう(ガラ1:19註参照)。
辞解
[中に列る] 使5:13使8:29の「近づく」と同じく kollaomai で親密になる事。

9章27節 ) (しか)るにバルナバ(使4:36註参照)(かれ)(むか)へて、使徒(しと)たちの(もと)(ともな)ひゆき、その(みち)にて(しゅ)()しこと、(しゅ)(これ)(もの)()(たま)ひしこと、(また)ダマスコにてイエスの()のために(おく)せず(かた)りし(こと)などを(つぶさ)()ぐ。[引照]

口語訳ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。
塚本訳しかしバルナバは彼を受けいれて使徒たちの所につれて行き、彼が(ダマスコへ行く)途中で主を見たこと、主が語られたこと、また(その後)ダマスコでイエスの名で大胆に語ったことを彼らに話してきかせた。
前田訳しかしバルナバは彼を迎えて使徒たちのところへ連れてゆき、彼が道すがら主にまみえたこと、主が彼に語られたこと、彼がダマスコでイエスの名で大胆に語った様子を彼らに説明した。
新共同しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
NIVBut Barnabas took him and brought him to the apostles. He told them how Saul on his journey had seen the Lord and that the Lord had spoken to him, and how in Damascus he had preached fearlessly in the name of Jesus.
註解: バルナバはギリシヤ文化に接せる人だけあってユダヤ人の如く固陋(ころう)ならず、また性格としても穏健な人であったのでサウロの語る処を理解し、これを信じて使徒団に紹介の労を取った。バルナバの態度はまことに美しい態度である。尚ガラ1:18によればこの「使徒たち」はペテロとヤコブのみであって他の使徒はパウロに逢わなかった。ルカがこれを黙しているのはサウロと使徒たちとが無関係にあらざる事を示さんが為であり、パウロがこれを録したのは彼が使徒団との間に人間的関係の存せざる事を強調せんが為であった(ガラ1:18-24附記參照)。「主を見しこと」は他に録されていない、光輝の陰に主が在りし給いしことを信じたのであろう。
辞解
[告ぐ] diêgeomai は詳しく釈明する。

9章28節 (ここ)にサウロはエルサレムにて弟子(でし)たちと(とも)出入(いでいり)し、[引照]

口語訳それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、
塚本訳そこで彼は(仲間に加えられ、)エルサレムで使徒たちと行き来をし、主の名で大胆に語りつづけた。
前田訳そこで彼はエルサレムで弟子たちとともにいて行き来し、主のみ名によって大胆に語っていた。
新共同それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。
NIVSo Saul stayed with them and moved about freely in Jerusalem, speaking boldly in the name of the Lord.
註解: 「出入し」は親密なる交際を意味す(使1:21)。但し弟子たちとはペテロ、ヤコブ、バルナバ及び他の使徒以外の人々であった。

9章29節 (しゅ)御名(みな)のために(おく)せず(かた)り、(また)ギリシヤ(ことば)のユダヤ(びと)と、かつ(かた)り、かつ(ろん)じたれば、[引照]

口語訳ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。しかし、彼らは彼を殺そうとねらっていた。
塚本訳またギリシヤ語を話す(外国そだちの)ユダヤ人とたえず語り、議論をしていた。すると彼らは彼を殺そうと計画した。
前田訳またヘレニストたちと語り、かつ論じていた。しかし彼らは彼を殺そうと計った。
新共同また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
NIVHe talked and debated with the Grecian Jews, but they tried to kill him.
註解: 最も議論を好むのはギリシヤ語のユダヤ人であった(使6:1使6:9参照)。使徒たちのみでは何等の問題を起さなかったのに、サウロ来りて(たちまち)にして風波を起した、
辞解
[ギリシヤ語のユダヤ人] 使6:1辞解参照。

(かれ)()これを(ころ)さんと(はか)りしに、

9章30節 兄弟(きゃうだい)たち()りて(かれ)をカイザリヤに(ともな)(くだ)り、タルソに()かしめたり。[引照]

口語訳兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れてくだり、タルソへ送り出した。
塚本訳兄弟たちはこれに気づいて、カイザリヤにつれて行き、(郷里キリキヤ州の)タルソへ送った。
前田訳兄弟たちはそれを知って彼をカイサリアに連れてゆき、タルソへ送った。
新共同それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
NIVWhen the brothers learned of this, they took him down to Caesarea and sent him off to Tarsus.
註解: 彼は到る処にその生命が危険にさらされていた、16節の主の御言が実現したのである。ユダヤ人らに取りてサウロの徹底的改新の態度が他の使徒たちに比して甚だしく過激に見えたのであった。他の使徒たちが迫害せられずに生活し居るに関らず、パウロのみが迫害せられたのは是が為である。尚使22:17-21は本節の記事と矛盾せず、この事件に伴えるパウロの内面的経過である。カイザリヤよりタルソまで陸路によりしか海路によりしかは不明である。尚サウロの物語は使11:19以下に連絡する。
要義 [信仰の独立性]十二使徒とパウロとの信仰的連絡が極めて自由にして、独立的であった事に注意すべきである。使徒たちもパウロに何等の掣肘(せいちゅう)を加えずパウロも使徒たちより何物をも得んとせず、各々主にある兄弟である事の確信の下に行動していた。もしこれを人為的の制度や信條によりて一致せしめんとしたならば極めて形式的の一致より外に得られなかったであろう。自由の中に主による統制が行われ、独立の中に主にある一致が存する処に真のキリストの教会の姿がある。

3-4 ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの教会 9:31

9章31節 (かく)てユダヤ、ガリラヤ(およ)びサマリヤを(つう)じて、教會(けうくわい)平安(へいあん)()、ややに堅立(けんりつ)し、(しゅ)(おそ)れて(あゆ)み、(せい)(れい)祐助(たすけ)によりて人數(にんず)いや()せり。[引照]

口語訳こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。
塚本訳さて、集会は(サウロの回心と共に)ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全体を通じて平和を得、基礎が固まり、主を恐れて日を過ごし、(迫害の後に)聖霊の慰めをうけて信者の数がふえていった。
前田訳集まりはユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたって平安を得、主へのおそれのうちに基礎が固まり、前進し、聖霊のはげましによって増大していった。
新共同こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
NIVThen the church throughout Judea, Galilee and Samaria enjoyed a time of peace. It was strengthened; and encouraged by the Holy Spirit, it grew in numbers, living in the fear of the Lord.
註解: 教会の小康、繁栄の時代であった。而してそれは単なる外面的平和ではなく、信仰は益々高くまた強まり、道徳生活は潔まり、聖霊の佑助によりて教会は充実して来た。この三つの要素は教会生活の最も健全なる状態である。▲口語訳の様に訳すことも可能である
辞解
[教会] 少数の異本を除き単数名詞を用う、全体が一の教会である。
[堅立し] oikodomeô は「徳を建つる」とも訳されて居り、家屋を建築する事より来れる動詞である。家が次第に建て上げられる如くに信仰が建上げられる事、また人数の増加が聖霊の「佑助」paraklêsis による事は重要なる事柄である。
[聖霊] paraklêtos 助主、弁護者である。ヨハ14:16註参照。

3-5 ペテロ、奇蹟を行う 9:32 - 9:43
3-5-1 ペテロ、アイネヤを癒す 9:32 - 9:35

9章32節 ペテロは(あまね)四方(しはう)をめぐりてルダに()聖徒(せいと)(もと)にいたり、[引照]

口語訳ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。
塚本訳ペテロは(それらの地方の)到る所をあるき回って(信者を訪問して)いたが、ルダに住む聖徒達の所にも下ってきた。
前田訳ペテロは至るところをへめぐって、ルダに住む聖徒たちのところにも下った。
新共同ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。
NIVAs Peter traveled about the country, he went to visit the saints in Lydda.
註解: 32-43にペテロの行える二つの奇跡につきて録す。主イエスより能力を与えられて使徒たちは奇跡を行う事が出来た。
辞解
[遍く四方をめぐりて] 「凡ての聖徒たちを歴訪して」と訳する説が多い(B1、C1、M0、H0)。
[ルダ] 今のリツダ、旧約のロド(T歴8:12)、エルサレムよりヨツパ(今のジヤフア)に至る途上にあり、尚当時基督者が(あまね)く散在していた事に注意を要す。

9章33節 彼處(かしこ)にてアイネヤといふ(ひと)中風(ちゅうぶ)(わづら)ひて(はち)(ねん)のあひだ(とこ)()()るに()ふ。[引照]

口語訳そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。
塚本訳そこで、アイネヤという人が八年このかた床についているのを見た。この人は中風にかかっていた。
前田訳そこで八年来、床についているアイネアという名の人に会った。この人は中風であった。
新共同そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。
NIVThere he found a man named Aeneas, a paralytic who had been bedridden for eight years.
註解: アイネヤはギリシヤ名、多分ギリシヤ語のヘブル人ならん。

9章34節 (かく)てペテロ(これ)に『アイネヤよ、イエス・キリスト(なんぢ)(いや)したまふ、()きて(とこ)(をさ)めよ』と()ひたれば、(ただ)ちに()きたり。[引照]

口語訳ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。
塚本訳ペテロが言った、「アイネヤよ、いまイエス・キリストがあなたをお直しになった。立って、自分で床を敷きかえてみなさい。」彼はすぐ起きあがった。
前田訳ペテロは彼にいった、「アイネア、イエス・キリストがあなたをおいやしです。立ち上がって、自分で床を整えなさい」と。彼はすぐ立ち上がった。
新共同ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。
NIV"Aeneas," Peter said to him, "Jesus Christ heals you. Get up and take care of your mat." Immediately Aeneas got up.
註解: 八年問病床に在りし彼が直ちに医されし事、イエス・キリストの御名によりて医されし事に注意すべし、イエスの能力がペテロに宿りペテロを通してアイネヤの上に働いたのである。尚イエスが中風を医し給いし例を参照すべし(マタ9:1-8。マコ2:1-12。ルカ5:17-26)。

9章35節 (ここ)にルダ(およ)びサロンに()(もの)みな(これ)()(しゅ)歸依(きえ)せり。[引照]

口語訳ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。
塚本訳ルダ(の町)とサロン(の野)との住民全体が彼(の直ったの)を見た。この人たちは(みな)主(キリスト)に帰依した。
前田訳ルダとサロンに住む人は皆彼を見て、主に帰依した。
新共同リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。
NIVAll those who lived in Lydda and Sharon saw him and turned to the Lord.
註解: 古代奇跡的治癒が信徒を作るに大に力があった事は今日よりも一層の程度に於て事実であった。但し今日に於ては実利主義がその主要の動機を為しているけれども、古代に於ては神の能力に対する驚異が主要の原因であった。
辞解
[サロン] 旧約聖書のシヤロンでパレスチナの西海岸近くヨツパより北に拡がれる豊饒(ほうじょう)なる平原、草花の美しさに於て有名である。
[みな] 勿論多数の住民の意。
[帰依せり] 「転向せり」と云う如き文字。

3-5-2 ペテロ、タビタを甦らす 9:36 - 9:43

9章36節 ヨツパにタビタと()(をんな)弟子(でし)あり、[引照]

口語訳ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。
塚本訳またヨッパ(の町)にタビタ、(ギリシヤ語に)訳するとドルカス(羚羊)というひとりの女信者がいた。この人は山のような善行と慈善とをした人であった。
前田訳ヨッパにタビタ、訳すとかもしか(ドル力ス)という名の女信者がいた。彼女はたくさんのよいわざと施しを実行した人であった。
新共同ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。
NIVIn Joppa there was a disciple named Tabitha (which, when translated, is Dorcas ), who was always doing good and helping the poor.
註解: ヨツパは地中海岸の良港、ペテロと関係深し(43節使10:5以下)。タビタは処女か、結婚せる女子か、寡婦かまたその老若等一切不明なれども、この記事の内容よりすれば寡婦らしく思われる節が多い。また女執事なりや否やも不明である。

その()(やく)すればドルカスなり。

註解: タビタはアラム語の名、ドルカスはギリシヤ語で共に羚羊(かもしか)を意昧す、眼の美しき動物、女子の美しさを形容するに用う。

()(をんな)は、ひたすら()(わざ)施濟(ほどこし)とをなせり。

註解: 周囲にある多くの人々より非常に慕われていた事が判明る。ペテロも彼を非常に尊敬していたのであろう。また当時の信徒が凡て財産を共有せるにあらざる事の証拠である。

9章37節 (かれ)そのころ()みて()にたれば、(これ)(あら)ひて高樓(たかどの)()く。[引照]

口語訳ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。
塚本訳そのころ病気になって死んだので、人々は(その体を)洗って二階の部屋に置いた。
前田訳そのころ彼女は病気になって死んだので、人々はその体を清めて上の間に置いた。
新共同ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。
NIVAbout that time she became sick and died, and her body was washed and placed in an upstairs room.
註解: 埋葬の前に死体を洗う事はギリシヤ人の習慣であった。高楼(二階または三階の室)に置く事の理由不明、埋葬が遅延する場合の処置(E0)と見る説あり、尚T列17:19參照。

9章38節 ルダはヨツパに(ちか)ければ、弟子(でし)たちペテロの彼處(かしこ)()るを()きて二人(ふたり)(もの)(つかは)し『ためらはで(われ)らに(きた)れ』と()はしむ。[引照]

口語訳ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。
塚本訳ところでルダはヨッパに近いので、(ヨッパの主の)弟子たちはペテロがそこにいると聞き、使を二人やって、「恐れ入りますがこちらにお出でいただきたい」と願わせた。
前田訳ルダはヨッパに近いので、弟子たちはペテロがそこにいると聞いて、ふたりの人を彼につかわして、「早くおいでください」と頼んだ。
新共同リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。
NIVLydda was near Joppa; so when the disciples heard that Peter was in Lydda, they sent two men to him and urged him, "Please come at once!"
註解: 弟子たちがペテロを呼び寄せたのは、ペテロに奇跡を要求したのではなく、大切なる信者の死であるので。ペテロに報告したのであろう。次節の記事がこの事を暗示する。

9章39節 ペテロ()ちてともに()き、(つい)(いた)れば、(かれ)高樓(たかどの)()れてのぼりしに、寡婦(やもめ)らみな(これ)をかこみて()きつつ、ドルカスが(とも)()りしほどに(つく)りし下衣(したぎ)上衣(うはぎ)()せたり。[引照]

口語訳そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。
塚本訳ペテロは立って二人と一緒に行った。(ヨッパに)着くと、人々はペテロを二階の部屋に案内した。寡婦たちが皆彼のそばによって来て、ドルカスがまだ一緒にいたとき作ってくれたかずかずの下着や上着を、泣きながら見せた。
前田訳ペテロは立ち上がって、同行した。彼が着くと人々は上の間に案内した。やもめたちは皆彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。
新共同ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。
NIVPeter went with them, and when he arrived he was taken upstairs to the room. All the widows stood around him, crying and showing him the robes and other clothing that Dorcas had made while she was still with them.
註解: ペテロは悲に満されて直ちに赴き、タビタの死体を見て一層悲哀が増したであろう。またタビタの生前に親しかった寡婦たちは、その贈物を示しつつ涙を以てタビタの思い出に耽っていた。ペテロの奇跡の力はこうした雰囲気に於て醸されたのであった。
辞解
[寡婦ら] 特にドルカスの施済(ほどこし)に与りし人々かまたは共に施済(ほどこし)に従事せし人たちならん。
[製りし] 製りて彼らに与えたのであるかまたはそれらを彼らと共に貧者に施済(ほどこし)したのであろう。

9章40節 ペテロ(かれ)()をみな(そと)(いだ)し、(ひざま)づきて(いの)りし(のち)、ふりかへり屍體(しかばね)(むか)ひて『タビタ、()きよ』と()ひたれば、かれ()(ひら)き、ペテロを()起反(おきかへ)れり。[引照]

口語訳ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。
塚本訳ペテロはみんなを外に出し、ひざまずいて祈った。そして死体の方を向いて、「タビタ、立ちなさい!」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きあがった。
前田訳ペテロは皆を外に出し、ひざまずいて祈った。そして体の方に向いて、「タビタ、お立ちなさい」といった。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て、起きなおった。
新共同ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。
NIVPeter sent them all out of the room; then he got down on his knees and prayed. Turning toward the dead woman, he said, "Tabitha, get up." She opened her eyes, and seeing Peter she sat up.
註解: 精神を集中する場合には他人の居る事は妨となる故、ペテロは彼らを室外に去らしめた。また奇跡を行う力は祈によるに非ざれば出て来ない。尚このタビタの復活の光景はイエスがヤイロの娘を甦らしめ給える場合に似ている(マタ9:25マコ5:41)。

9章41節 ペテロ()をあたへ、(おこ)して聖徒(せいと)寡婦(やもめ)とを()び、タビタを()きたるままにて()す。[引照]

口語訳ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。
塚本訳彼は手をかして立たせ、聖徒や寡婦たちを呼んで、彼女が生きていることを示した。
前田訳彼は手をかして彼女を立たせた。彼は聖徒とやもめたちを呼んで、彼女が生きているのを見せた。
新共同ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
NIVHe took her by the hand and helped her to her feet. Then he called the believers and the widows and presented her to them alive.
註解: 彼らの驚駭と歓喜とは如何ばかりであったか。神はその力によりて死人をも起たしめ給う。

9章42節 この(こと)ヨツパ(ぢゅう)()られたれば、(おほ)くの(ひと)(しゅ)(しん)じたり。[引照]

口語訳このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。
塚本訳このことがヨッパ中に知れわたったので、大勢の人が主を信じた。
前田訳このことがヨッパ全体に拡がり、多くの人が主を信じた。
新共同このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。
NIVThis became known all over Joppa, and many people believed in the Lord.
註解: 斯くしてヨツパには立派なる聖徒の一団が出来上った。

9章43節 ペテロ皮工(かはなめし)シモンの(いへ)にありて()(ひさ)しくヨツパに(とどま)れり。[引照]

口語訳ペテロは、皮なめしシモンという人の家に泊まり、しばらくの間ヨッパに滞在した。
塚本訳ペテロは相当の日数、ヨッパでシモンという皮なめしのところに泊まった。
前田訳ペテロはしばらくの間、ヨッパでシモンという皮なめし職人のところに泊まっていた。
新共同ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。
NIVPeter stayed in Joppa for some time with a tanner named Simon.
註解: 皮工はユダヤ人の嫌忌せる職業であった。ペテロがこれを忌まなかった事は、彼の信仰の賜物であった、人種的偏見、職業的偏見は信仰によりてのみ除く事を得。
要義 [ペテロの奇跡の意義]ルカがこの二つの奇跡を記載せし目的は、恐らく最も著しき場合として例示したのであろう。しかしながら我らはこの二つの例の中に重要なる示唆を見出す事が出来る。即ちアイネヤの場合はイエスの能力により信仰によりて我らの罪の頑固なる捕囚より免れる事を得る事、タビタの場合は信仰によりて死に打勝つ事を得る事の例である。我らは信仰によりて霊の中風を癒され、霊の死より復活せしめられる。

使徒行伝第10章
3-6 ペテロとコルネリオ 10:1 - 10:48
3-6-1 コルネリオ幻象を見る 10:1 - 10:8

10章1節 (ここ)にカイザリヤにコルネリオといふ(ひと)あり、[引照]

口語訳さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長で、
塚本訳さて、カイザリヤにコルネリオという人がいた。いわゆるイタリヤ部隊の百卒隊の百卒長で、
前田訳カイサリアにコルネリオという人がいた。イタリア隊と呼ばれる部隊の百卒長であった。
新共同さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、
NIVAt Caesarea there was a man named Cornelius, a centurion in what was known as the Italian Regiment.
註解: カイザリヤはパレスチナの西、地中海岸にあり、ローマがパレスチナを占領した当時その主都となり、五大隊(一隊約六百人)の兵が駐屯していた。福音が先づ異邦人の主都に侵入する処にこの記事の特別の重要さがある。今日は荒廃に帰し僅にその遺跡を(とど)む。

イタリヤ(たい)(とな)ふる軍隊(ぐんたい)百卒長(ひゃくそつちゃう)なるが、

註解: 駐屯軍は多く土人の兵卒であったが中にはイタリヤ隊と称えイタリヤ兵より成る軍隊も交っていた。
辞解
[隊] speira は一レギオン(約六千人)の十分の一の隊である。即ち約六百人で百人隊の六隊より成る。コルネリオはこの百人隊の長であった。

10章2節 敬虔(けいけん)にして全家族(ぜんかぞく)とともに(かみ)(おそ)れ、かつ(たみ)(おほ)くの施濟(ほどこし)をなし、(つね)(かみ)(いの)れり。[引照]

口語訳信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた。
塚本訳家族一同と共に、敬虔であり敬神家[なかばユダヤ教に帰依した者]であって、(ユダヤ)国民に多くの施しをし、また絶えず神に祈りをささげていた。
前田訳一家とともに敬虔で神をおそれ、民衆に多くの施しをし、つねに神に祈りをしていた。
新共同信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。
NIVHe and all his family were devout and God-fearing; he gave generously to those in need and prayed to God regularly.
註解: 彼は普通の異邦人であったけれども、ユダヤ人の宗教に接してその神に対する信仰と、人に対する慈悲とその祈祷による神との交りとに於て卓越せる人であった。放逸無頼を以て常道とせる当時の兵士の中にありて、こうした人が在った事は全く特例であった。但し新約聖書には百卒長を賞揚せる多くの物語がある(使27:3マタ8:5ルカ7:9ルカ23:47)。
辞解
[神を畏れ、神を畏れる人] 半改宗者即ち門の改宗者を指す、使2:10参照。
[全家族とともに] 彼の信仰は全家族を支配しこれに好き影響を与えていた。
[民] イスラエルの民を指す(E0)

10章3節 (ある)()午後(ごご)三時(さんじ)ごろ[引照]

口語訳ある日の午後三時ごろ、神の使が彼のところにきて、「コルネリオよ」と呼ぶのを、幻ではっきり見た。
塚本訳ある日の昼の三時ごろ、幻で、神の使が自分の所に来て「コルネリオ!」と言うのを、はっきり見た。
前田訳ある日の午後三時ごろ、彼は幻ではっきり神の使いを見た。天使は彼のところに来て、「コルネリオよ」といった。
新共同ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。
NIVOne day at about three in the afternoon he had a vision. He distinctly saw an angel of God, who came to him and said, "Cornelius!"
註解: 原文「第九時頃とおぼしく」とあり、ユダヤ人は日に三回(午前九時、正午、午後三時)、定刻の祈祷を実行していた。コルネリオもこれに(なら)ったのであろう。

幻影(まぼろし)のうちに(かみ)使(つかひ)きたりて『コルネリオよ』と()ふを(あきら)かに()たれば、

註解: 祈祷の中に顕れし神の使のまぼろしは特にその神聖さを高める。幻影なるがゆえに彼の覚醒せる感覚を以て明かに認識したのであって、何等不確実なる事なくまた迷妄に類する事はない。

10章4節 (これ)()をそそぎ(おそ)れて()ふ『(しゅ)よ、何事(なにごと)ぞ』御使(みつかひ)いふ『なんぢの(いのり)施濟(ほどこし)とは、(かみ)(まへ)(のぼ)りて記念(きねん)とせらる。[引照]

口語訳彼は御使を見つめていたが、恐ろしくなって、「主よ、なんでございますか」と言った。すると御使が言った、「あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。
塚本訳彼は天使を見つめたが、こわくなって言った、「主よ、何の御用でしょう。」天使が言った、「あなたのかずかずの祈りと施しとは神のところまで上っていって、(受けいれられ)記念されている。
前田訳彼は天使を見つめておそろしくなり、「主よ、何でしょうか」といった。天使はいった、「あなたの祈りや施しは神の前まで上っていって覚えられています。
新共同彼は天使を見つめていたが、怖くなって、「主よ、何でしょうか」と言った。すると、天使は言った。「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。
NIVCornelius stared at him in fear. "What is it, Lord?" he asked. The angel answered, "Your prayers and gifts to the poor have come up as a memorial offering before God.
註解: 神の稜威の顕現は恐るべきものである。罪人はこれにたえる事が出来ない(イザ6:1)。然るに御使の言によればコルネリオの信仰と善行とは(あたか)も犠牲にささげられしものの煙が天に神の御座に上る如く、また聖徒の祈が神の御座に達する如くに(黙8:4)神の御前に上って行き神の記憶に止められているとの事である。彼のおどろきと喜悦とは如何ばかりであろう。神はこの種の異邦人を無視し給う事はない。

10章5節 (いま)ヨツパに(ひと)(つかは)してペテロと(とな)ふるシモンを(まね)け、[引照]

口語訳ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。
塚本訳さあすぐヨッパに人をやって、通り名をペテロというシモンを招け。
前田訳それで今すぐ人をヨッパにやって、ペテロとも呼ばれるシモンという人を招きなさい。
新共同今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。
NIVNow send men to Joppa to bring back a man named Simon who is called Peter.

10章6節 (かれ)皮工(かはなめし)シモンの(いへ)宿(やど)る。その(いへ)海邊(うみべ)にあり』[引照]

口語訳この人は、海べに家をもつ皮なめしシモンという者の客となっている」。
塚本訳その人はシモンという皮なめしのところに泊まっている。家は海岸にある。」
前田訳その人は皮なめし職人のシモンという人のところに泊まっています。その家は海べにあります」と。
新共同その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」
NIVHe is staying with Simon the tanner, whose house is by the sea."
註解: 是以上の事は示されなかったけれども、コルネリオはこの中に、深き神の御旨がある事を感じて畏れかしこんだ。
辞解
[海辺] 皮剥の仕事は今日も海岸で行われている。

10章7節 ()(かた)れる御使(みつかひ)()りし(のち)、コルネリオ(おの)(しもべ)二人(ふたり)從卒中(じゅうそつちゅう)敬虔(けいけん)なる(もの)一人(ひとり)とを()び、[引照]

口語訳このお告げをした御使が立ち去ったのち、コルネリオは、僕ふたりと、部下の中で信心深い兵卒ひとりとを呼び、
塚本訳天使がこう言って立ち去ると、コルネリオは僕二人と、従卒のうちの敬虔な兵卒一人とを呼び、
前田訳天使が語って去ると、コルネリオは僕をふたりと、部下の中の敬虔な兵卒ひとりとを呼び、
新共同天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、
NIVWhen the angel who spoke to him had gone, Cornelius called two of his servants and a devout soldier who was one of his attendants.
註解: ▲「従卒中の敬虔なる者一人」は直訳すれば「彼の身近に仕えている者の中の一人の敬虔なる兵卒」となる。

10章8節 (すべ)ての(こと)()げてヨツパに(つかは)せり。[引照]

口語訳いっさいの事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した。
塚本訳(今あったことの)一部始終を話してきかせて、ヨッパにやった。
前田訳事をのこらず説明して、ヨッパにつかわした。
新共同すべてのことを話してヤッファに送った。
NIVHe told them everything that had happened and sent them to Joppa.
註解: 従卒中にも敬虔なる者を持っていた事、また彼らに凡ての事を委細話した事は、如何に彼の周囲が信仰的雰囲気に満ちていたかを示す。
辞解
[僕] oiketês は doulos よりも一層家族に近き地位を有するもの、従卒は部下の軍人。

3-6-2 ペテロ、幻象を見る 10:9 - 10:16

10章9節 ()くる()かれらなほ途中(とちゅう)にあり、(すで)(まち)(ちか)づかんとする(ころ)ほひ、ペテロ(いの)らんとて()(うへ)(のぼ)る、(とき)(ひる)十二(じふに)()ごろなりき。[引照]

口語訳翌日、この三人が旅をつづけて町の近くにきたころ、ペテロは祈をするため屋上にのぼった。時は昼の十二時ごろであった。
塚本訳翌日、彼らが旅行をつづけて(ヨッパの)町に近づいた昼の十二時ごろ、ペテロは(いつもの通りに)祈りをしようとして、(平たい)屋根に上がった。
前田訳あくる日、彼らが旅をつづけて町に近づいたころ、ペテロは祈ろうと屋上に上った。昼の十二時ごろであった。
新共同翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。
NIVAbout noon the following day as they were on their journey and approaching the city, Peter went up on the roof to pray.
註解: ペテロも丁度ユダヤ人の祈の時刻に屋上に於て祈らんとしたものであった。彼はユダヤ人の習慣の保存すべきものは皆これを保っていた。ユダヤ地方の屋上は平坦で其上を歩みまたはそこに休息する事が出来る。
辞解
[昼の十二時ごろ] 原語「第六時頃」

10章10節 ()ゑて物欲(ものほ)しくなり、(ひと)(しょく)調(ととの)ふるほどに(われ)(わす)れし心地(ここち)して、[引照]

口語訳彼は空腹をおぼえて、何か食べたいと思った。そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった。
塚本訳空腹をおぼえ、(何か)食べたいと思っていた。そして人々が(食事の)支度をしているあいだに、ペテロは我を忘れた心地がして、
前田訳彼は空腹になって何か食べたく思った。人々が用意しているうちに彼は恍惚となり、
新共同彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、
NIVHe became hungry and wanted something to eat, and while the meal was being prepared, he fell into a trance.

10章11節 (てん)(ひら)け、(うつは)のくだるを()る、(おほい)なる(ぬの)のごとき(もの)にして四隅(よすみ)もて、()()(おろ)されたり。[引照]

口語訳すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。
塚本訳天が開け、大きな布のような器物が下ってきて、四隅で地上に吊りおろされるのを見る。
前田訳天が開けて大きな布のような器が下って来て、四隅で地上に吊り下されるの見る。
新共同天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。
NIVHe saw heaven opened and something like a large sheet being let down to earth by its four corners.
註解: 昼食時の食欲を利用して神はその御旨を示し給う。この時のペテロの精神状態は無我忘我超我の状態であった。
辞解
[我を忘れし心地して] 原語「ekstasisが起った」である。英語の ecstasy で普通の意識を超越せる意識に入り、平常に於て感じ得ざる事物を感得する特種の精神状態を言う。
[布] 風呂敷の如きものでその四隅を以て天より地に縋り下された。

10章12節 その(なか)には諸種(もろもろ)(よつ)(あし)のもの、()()ふもの、(そら)(とり)あり。[引照]

口語訳その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。
塚本訳その中にはすべての地の四足と爬虫類と、空の鳥とが入っていた。
前田訳その中には地上の四つ足の動物、はうもの、空の鳥のあらゆる種類が入っていた。
新共同その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。
NIVIt contained all kinds of four-footed animals, as well as reptiles of the earth and birds of the air.
註解: レビ11:1-47。申14:4-20等に規定せられ汚れたる動物も皆この中に含まれていた。魚類が無いのは布の中に水無き故であろう。

10章13節 また(こゑ)ありて()ふ『ペテロ、()て、(ほふ)りて(しょく)せよ』[引照]

口語訳そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。
塚本訳すると、「ペテロ、立って、これを殺して食べよ」という声がきこえてきた。
前田訳すると彼に声が聞こえた、「立て、ペテロ、これを殺して食べよ」と。
新共同そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。
NIVThen a voice told him, "Get up, Peter. Kill and eat."

10章14節 ペテロ()ふ『(しゅ)よ、()からじ、(われ)いまだ(きよ)からぬもの・(けが)れたる(もの)(しょく)せし(こと)なし』[引照]

口語訳ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。
塚本訳ペテロが言った、「主よ、決して!わたしは今までただの一度も、不浄なものと汚れたものとを何一つ食べたことがありませんから。」
前田訳ペテロはいった、「主よ、とんでもありません。わたしは今まで不浄のものと汚れたものを何ひとつ食べたことがありません」と。
新共同しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」
NIV"Surely not, Lord!" Peter replied. "I have never eaten anything impure or unclean."
註解: ペテロは此時も尚お旧約の規定に従い、禁止せられし食物を口に入れなかった。即ち基督者となりて後も尚ユダヤ人の守れる律法を厳守して居り、マコ7:19の主の御言にも関らず、尚この旧き習慣を棄てなかった。福音にはこの自由がある(ロマ14:2)。尚何ゆえにアブラハムの場合の如く、直ちに服従しなかったかに就ては、この命令を左程動かし難きものと感じなかったからであろう。

10章15節 (こゑ)(ふたた)びありて()ふ『(かみ)(きよ)(たま)ひし(もの)を、なんぢ(きよ)からずとすな』[引照]

口語訳すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。
塚本訳声がまた二度目にきこえてきた、「神がお清めになったものを、あなたが不浄なものとしてはならない。」
前田訳するとまた声が二度目に聞こえた、「神がお清めのものを不浄としてはならない」と。
新共同すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
NIVThe voice spoke to him a second time, "Do not call anything impure that God has made clean."

10章16節 (かく)(ごと)きこと三度(みたび)にして(うつは)(ただ)ちに(てん)()げられたり。[引照]

口語訳こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。
塚本訳こんなことが三度あって、すぐ器物は天にあげられた。
前田訳このことが三度あって、器はすぐ天に上げられた。
新共同こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
NIVThis happened three times, and immediately the sheet was taken back to heaven.
註解: 神が旧約時代に於て食物に汚れたる物と潔き物とを区別し給える所以は、これによりてイスラエルと他民族との区別を日毎の事実を以て示さんとし給うたのであった。即ち汚れたる物を食う異邦人はイスラエルより見て汚れたる民である事となる。夫ゆえに食物に区別が無くなれば、自然イスラエルと異邦人との間の区別の理由が無くなる訳である。神はペテロに先づ食物を以て無差別の原理を示し給うた。

3-6-3 コルネリオの使ペテロに至る 10:17 - 10:23a

10章17節 ペテロその()幻影(まぼろし)(なに)()なるか、(こころ)(まど)ふほどに、()よ、コルネリオより(つかは)されたる(ひと)、シモンの(いへ)(たづ)ねて(もん)(まへ)()ち、[引照]

口語訳ペテロが、いま見た幻はなんの事だろうかと、ひとり思案にくれていると、ちょうどその時、コルネリオから送られた人たちが、シモンの家を尋ね当てて、その門口に立っていた。
塚本訳ペテロがいま見た幻はいったい何(の意味)であろうかとひそかに思いとどまっていると、その時、コルネリオからの使がシモンの家を尋ねだして玄関に近寄り、
前田訳ペテロがいま見た幻はいったい何かと心に思い迷っていると、見よそのとき、コルネリオからつかわされた人たちが、シモンの家をたずね出して戸口に来た。
新共同ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、
NIVWhile Peter was wondering about the meaning of the vision, the men sent by Cornelius found out where Simon's house was and stopped at the gate.

10章18節 (おとな)ひてペテロと(とな)ふるシモンの此處(ここ)宿(やど)るかを()ふ。[引照]

口語訳そして声をかけて、「ペテロと呼ばれるシモンというかたが、こちらにお泊まりではございませんか」と尋ねた。
塚本訳案内を乞うて、通り名をペテロというシモンがここに泊まってはいないかとたずねた。
前田訳そして声をかけて、ペテロとも呼ばれるシモンがここに泊まっているか、たずねた。
新共同声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねた。
NIVThey called out, asking if Simon who was known as Peter was staying there.
註解: ペテロは平静なる精神状態に復したる後、その幻影の意味を反省したけれども解決し兼ねて居た際、丁度訪い来れるコルネリオの使によりてその解決の鍵が与えられた。内外相呼応して問題の解決が示されたのである。
辞解
[門] pulôn は普通の門よりは大きく建物の壁に穿(うが)てる入口で内庭に通ずる処。

10章19節 ペテロなほ幻影(まぼろし)()きて打案(うちあん)じゐたるに、御靈(みたま)いひ(たま)ふ『()よ、三人(さんにん)なんぢを(たづ)ぬ。[引照]

口語訳ペテロはなおも幻について、思いめぐらしていると、御霊が言った、「ごらんなさい、三人の人たちが、あなたを尋ねてきている。
塚本訳ペテロが(なおも)幻について考えこんでいると、御霊が言われた、「そら、二人の人があなたをたずねている。
前田訳ペテロが幻について考え込んでいると、み霊がいわれた、「見よ、三人の人があなたを探している。
新共同ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。
NIVWhile Peter was still thinking about the vision, the Spirit said to him, "Simon, three men are looking for you.

10章20節 ()ちて(くだ)(うたが)はずして(とも)()け、(かれ)らを(つかは)したるは(われ)な(ればな)り』[引照]

口語訳さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである」。
塚本訳さあ立って下りていって、すこしもためらわずその人たちと一緒に行け。彼らはわたしが、よこしたのだから。」
前田訳さあ、立って下り、少しもためらわずに彼らといっしょに行きなさい。わたしが彼らをつかわしたのです」と。
新共同立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」
NIVSo get up and go downstairs. Do not hesitate to go with them, for I have sent them."
註解: 御霊は更にペテロに遅疑逡巡せずして異邦人と共に往くべき事を告げ給うた。マタ28:19の主の命令あるにも関らず、尚こうした点を教えられる必要ある事は、旧来の陋習(ろうしゅう)を脱する事の如何に難きかを示す。但しペテロはこの御霊の言によりて幻影の意味を覚る事が出来た。
辞解
20節の初頭に alla 「されど」がある。「汝は躊躇するかもしれないが併し云云」の意。
[我なり] 「我なればなり」と訳すべきである。

10章21節 ペテロ(くだ)りて、かの(ひと)たちに()ふ『()よ、(われ)(なんぢ)らの(たづ)ぬる(もの)なり、(なに)(ゆゑ)ありて(きた)るか』[引照]

口語訳そこでペテロは、その人たちのところに降りて行って言った、「わたしがお尋ねのペテロです。どんなご用でおいでになったのですか」。
塚本訳そこでペテロはその人たちの所に下りていって、言った、「このわたしがおたずねのペテロです。お出での御用向きは。」
前田訳ペテロはその人たちのところへ下りていって、「おたずねのものはこのわたしです。おいでのご用は何ですか」といった。
新共同ペトロは、その人々のところへ降りて行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここへ来られたのですか」と言った。
NIVPeter went down and said to the men, "I'm the one you're looking for. Why have you come?"

10章22節 かれら()ふ『義人(ぎじん)にして(かみ)(おそ)れ、ユダヤの國人(くにびと)(うち)令聞(よききこえ)ある百卒長(ひゃくそつちゃう)コルネリオ、(せい)なる御使(みつかひ)より、(なんぢ)(いへ)(まね)きて、その(かた)ることを()けとの(つげ)()けたり』[引照]

口語訳彼らは答えた、「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、聖なる御使から受けましたので、参りました」。
塚本訳彼らが言った、「百卒長コルネリオは正しい人で敬神家で、ユダヤ国民全体に評判のよい人ですが、聖なる天使から、あなたを家に招いて御言葉を聞けとのお告げを受けたのです。」
前田訳彼らはいった、「百卒長コルネリオは、正しい人で神をおそれ、ユダヤの国民全体に認められていますが、あなたを家にお招きしてお話をうかがうよう、聖なるみ使いからお示しを受けました」と。
新共同すると、彼らは言った。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」
NIVThe men replied, "We have come from Cornelius the centurion. He is a righteous and God-fearing man, who is respected by all the Jewish people. A holy angel told him to have you come to his house so that he could hear what you have to say."
註解: コルネリオの使たちの答弁はまことにその主を辱しめざる処のものであった。是によりてペテロは、幻影の意味、御霊の言の意味及びコルネリオ自ら来らずしてペテロを招ける所以を(ことごと)く明にする事が出来た。使がその主人を極力賞揚せるはペテロの心を動かしてコルネリオの家に招かんが為であった。

10章23節 (ここ)にペテロ(かれ)らを(むか)()れて宿(やど)らす。[引照]

口語訳そこで、ペテロは、彼らを迎えて泊まらせた。翌日、ペテロは立って、彼らと連れだって出発した。ヨッパの兄弟たち数人も一緒に行った。
塚本訳そこでペテロは彼らを内に入れて、泊めた。翌日立って、彼らと一緒に出かけた。ヨッパの数人の兄弟も一緒に行った。
前田訳それでペテロは彼らをうちに入れて泊めた。あくる日、ペテロは立って彼らとともに出かけた。ヨッパの兄弟の数人もいっしょに行った。
新共同それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。
NIVThen Peter invited the men into the house to be his guests. The next day Peter started out with them, and some of the brothers from Joppa went along.
註解: ペテロは異邦人たる故を以て彼らを嫌わず未知の人たるを以て彼らを(うとん)じなかった。

3-6-4 ペテロ、カイザリヤに往く 10:23b - 10:33

()くる()たちて(かれ)らと(とも)()でゆきしが、ヨツパの兄弟(きゃうだい)數人(すにん)ともに()けり。

註解: 数人の同行者と云うは六人であった(使11:12)。彼らはペテロの力ともなりまたその証人ともなった。兄弟たちは或はペテロを未知の異邦人の手に委ぬる事を不安と考へたのかも知れない。

10章24節 ()くる()カイザリヤに()りし(とき)、コルネリオは親族(しんぞく)および(した)しき朋友(ほうゆう)()(あつ)めて(かれ)らを()ちゐたり。[引照]

口語訳その次の日に、一行はカイザリヤに着いた。コルネリオは親族や親しい友人たちを呼び集めて、待っていた。
塚本訳翌日カイザリヤに着いた。コルネリオは親類や親しい友人たちを呼びあつめて、待っていた。
前田訳あくる日、彼らはカイサリアに来た。コルネリオは親戚や近しい友人を呼び集めて、彼らを待っていた。
新共同次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。
NIVThe following day he arrived in Caesarea. Cornelius was expecting them and had called together his relatives and close friends.
註解: カイザリヤまではヨツパより二日路である。コルネリオは真理を多くの人に示さんとしてこれを自宅に招いていた。濫りに多数の人を誘引する事は危険なきに非ざるも同胞を信仰に導かんとの熱心より此事を為したのであった(C1)。

10章25節 ペテロ()(きた)れば、コルネリオ(これ)(むか)へ、その足下(あしもと)()して(はい)す。[引照]

口語訳ペテロがいよいよ到着すると、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝した。
塚本訳ペテロが玄関に入ってくると、コルネリオは出迎え、足元にひれ伏しておがんだ。
前田訳ペテロが入ってくると、コルネリオは出迎えて、足もとにひれ伏して拝んだ。
新共同ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。
NIVAs Peter entered the house, Cornelius met him and fell at his feet in reverence.
註解: コルネリオはペテロを神より遣されし人と信じて最敬礼をなした。但しこれを以てペテロを神とした意味では無い。

10章26節 ペテロ(かれ)(おこ)して()ふ『()て、(われ)(ひと)なり』[引照]

口語訳するとペテロは、彼を引き起して言った、「お立ちなさい。わたしも同じ人間です」。
塚本訳ペテロが起こして言った、「立ちなさい、このわたしも同じ人間です。」
前田訳ペテロは彼を起こしていった、「お立ちなさい。わたしも同じただの人間です」と。
新共同ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」
NIVBut Peter made him get up. "Stand up," he said, "I am only a man myself."
註解: ペテロがかく振舞ったのは一は彼の謙遜からと一はコルネリオがかく振舞う事によりて人間崇拝に陥るの(おそれ)があったからである。尚要義参照。▲「我も」は原文「我自身もまた」。

10章27節 (かく)(あひ)(かた)りつつ(うち)()り、(おほ)くの(ひと)(あつま)れるを()て、ペテロ(これ)()ふ、[引照]

口語訳それから共に話しながら、へやにはいって行くと、そこには、すでに大ぜいの人が集まっていた。
塚本訳そしてコルネリオと語り合いながら(部屋に)入り、多くの人が集まってきているのを見ると、
前田訳そして話し合いながら内に入り、多くの人が集まっているのを見て、
新共同そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、
NIVTalking with him, Peter went inside and found a large gathering of people.
註解: ペテロとコルネリオとは一見旧知の如く相語った、信仰は信仰と相呼応する。

10章28節 『なんぢらの()(ごと)く、ユダヤ(びと)たる(もの、)(ほか)國人(くにびと)(まじわ)り、また(ちか)づくことは律法(おきて)(かな)はぬ(ところ)なり、[引照]

口語訳ペテロは彼らに言った、「あなたがたが知っているとおり、ユダヤ人が他国の人と交際したり、出入りしたりすることは、禁じられています。ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。
塚本訳彼らに言った、「御承知のとおり、(わたし達)ユダヤ人は他国人と交際すること(はおろか、その家に)立ち寄ることを(すら)律法上許されない。しかし神は(こんど)わたしに、どんな人をも不浄とか汚れているとか言ってはならぬとお示しになった。
前田訳彼らにいった、「ご承知のとおり、ユダヤ人がよそものと付き合ったり、訪ねたりすることは不法です。しかし神はこのわたしにさえ、どんな人をも不浄とか汚れているとかいってはならない、とお示しでた。
新共同彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。
NIVHe said to them: "You are well aware that it is against our law for a Jew to associate with a Gentile or visit him. But God has shown me that I should not call any man impure or unclean.
註解: 申7:3の規定の精神が次第に拡張せられユダヤ人と異邦人との間の交際は非常に制限され、食物の関係もこの状態を助長し、遂に伝統的にユダヤ人は他国民との交際を罪と考えるに至った。この事はユダヤがローマの統治の下に服し異邦人と混合するに及ぴ一層甚だしくなった(S1第4巻353-414頁)。
辞解
[交り] kollaomai は親密にする事。
[律法に適わぬ] と訳せられし athemitos はモーセの律法に反すると云う意味ではなく道徳律に反すと云う如き強き意味。
[外の国人] 「他の族」なる語を用い、軽蔑的の「異邦人」なる語を用いて居ない。

()れど(かみ)は、(なに)(ひと)をも(けが)れたるもの・(きよ)からぬものと()ふまじきことを(われ)(しめ)したまへり。

註解: ペテロはその幻影についても語ったであろう。

10章29節 この(ゆゑ)に、われ(まね)かるるや躊躇(ためら)はずして(きた)れり。()れば()ふ、(なんぢ)らは(なん)(ゆゑ)(われ)をまねきしか』[引照]

口語訳お招きにあずかった時、少しもためらわずに参ったのは、そのためなのです。そこで伺いますが、どういうわけで、わたしを招いてくださったのですか」。
塚本訳それゆえ(あなた達他国人から)呼ばれたとき、とやかく言わずに来たのです。それでたずねるが、どういう理由でわたしを呼んだのですか。」
前田訳それゆえ、お迎えを受けたとき、とやかくいわずに来ました。そこでお尋ねしますが、どういうわけでわたしをお迎えでしたか」と。
新共同それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」
NIVSo when I was sent for, I came without raising any objection. May I ask why you sent for me?"
註解: ペテロはコルネリオの使の言を聞いて、カイザリヤに来たけれども、是から何を為すべきかにつき今彼らの要求を聴かんとしているのである。
辞解
[躊躇わずして] 「反対せずに」の意「愚図々々云わないで」と云う如き心持ならん。

10章30節 コルネリオ()ふ『われ四日(よっか)(まへ)[引照]

口語訳これに対してコルネリオが答えた、「四日前、ちょうどこの時刻に、わたしが自宅で午後三時の祈をしていますと、突然、輝いた衣を着た人が、前に立って申しました、
塚本訳コルネリオが言った、「今から四日前のこの時刻、昼の三時に、わたしが家で祈りをしていると、突然、輝く着物を着た一人の人が前に立って、
前田訳コルネリオがいった、「四日前のこの時刻、午後三時に、わたしが家で祈りをしていますと、突如、輝く衣を着た人がわたしの前に立って、
新共同すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、
NIVCornelius answered: "Four days ago I was in my house praying at this hour, at three in the afternoon. Suddenly a man in shining clothes stood before me
註解: 足懸四日前のこと、カイザリヤよりヨツパまでは五十五キロあり途中一泊を要す。ゆえにコルネリオが使をヨツパに遣したのは四日前となる。

()(いへ)にて午後(ごご)三時(さんじ)(いのり)をなし、()時刻(じこく)(いた)りしに、()よ、(かがや)(ころも)()たる(ひと)、わが(まへ)()ちて、

註解: 原文「第四日目よりこの時刻まで」と直訳される如き書き方で文法的に難解であるけれども現行訳の如き意味であろう(M0、ヴイーネル)。

10章31節 「コルネリオよ、(なんぢ)(いのり)()かれ、なんぢの施濟(ほどこし)(かみ)(まへ)(おぼ)えられたり。[引照]

口語訳『コルネリオよ、あなたの祈は聞きいれられ、あなたの施しは神のみ前におぼえられている。
塚本訳言う、『コルネリオ、あなたの祈りは聞きいれられ、かずかずの施しは神に記念されている。
前田訳いいました、『コルネリオよ、あなたの祈りは聞かれ、施しは神の前に覚えられています。
新共同言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。
NIVand said, `Cornelius, God has heard your prayer and remembered your gifts to the poor.

10章32節 (ひと)をヨツパに(おく)りてペテロと(とな)ふるシモンを(まね)け、かれは海邊(うみべ)なる皮工(かはなめし)シモンの(いへ)宿(やど)るなり」と()へり。[引照]

口語訳そこでヨッパに人を送ってペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は皮なめしシモンの海沿いの家に泊まっている』。
塚本訳ヨッパに使をやって、通り名をペテロというシモンを呼びよせよ。その人は海岸の皮なめしシモンの家に泊まっている』と。
前田訳それで、ヨッパに人をつかわしてペテロとも呼ばれるシモンを招きなさい。その人は海岸にある皮なめし職人のシモンの家に泊まっています』と。
新共同ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている。』
NIVSend to Joppa for Simon who is called Peter. He is a guest in the home of Simon the tanner, who lives by the sea.'
註解: 4-6節参照。字句の些少の差はコルネリオ自身がその幻影につきて言う場合だからである。

10章33節 われ(すみや)かに(ひと)(なんぢ)(つかは)したるに、(なんぢ)(きた)れるは(かたじ)けなし。いま我等(われら)はみな(しゅ)の、なんぢに(めい)(たま)ひし(すべ)てのことを()かんとて(かみ)(まへ)()り』[引照]

口語訳それで、早速あなたをお呼びしたのです。ようこそおいで下さいました。今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。
塚本訳そこでさっそく迎えにあげたのです。お出でくださってありがたい。それで今わたし達は皆神の前に出て、主があなたに命じられたことを残らずうかがおうとしているのです。」
前田訳そこですぐあなたのところに人をつかわしたのです。ようこそおいでくださいました。今われらは皆、神の前に出て、主があなたにお命じのことをすべてうかがおうとしております」と。
新共同それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」
NIVSo I sent for you immediately, and it was good of you to come. Now we are all here in the presence of God to listen to everything the Lord has commanded you to tell us."
註解: 神の使はコルネリオにペテロを招けと命じ給えるのみでペテロに聴けとは命じ給わなかった。恐らくコルネリオは祈の中に神に関する知識を増し加へえられん事を求めていた際ペテロを招けと命ぜられたので、かく了解したのであろう。彼及び彼と共なる者の謙遜なる而も真剣なる求道的態度は実に求道者の模範である。彼らは「神の前にあり」と云う心持であった。福音を学ばんとする者はこの心持でなければならない。

3-6-5 ペテロの説教 10:34 - 10:43

10章34節 ペテロ(くち)(ひら)きて()ふ、[引照]

口語訳そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、
塚本訳口を開いてペテロが言った、「本当に”神はえこ贔屓をするお方でなく、”
前田訳ペテロは口を開いていった、「本当にわかります、神は不公平をなさらない方で、
新共同そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。
NIVThen Peter began to speak: "I now realize how true it is that God does not show favoritism
註解: 重大なる発言をなさんとする貌。

『われ(いま)まことに()る、(かみ)(かたよ)ることをせず、

註解: 直訳「神は偏り視たまう者にあらず」偏り視たまう者とは prosôpolêmpsês で人の上辺(うわべ)によりて其人を判断する事、多く悪しき判断につき用う、神はこうした御方ではない。この事は旧約聖書にも屡々(しばしば)録されて居り(申10:17U歴19:7ヨブ34:19)ペテロは既にこれを知っていたけれどもこの時これを「まことに」知ったのであった

10章35節 (いづ)れの(くに)(ひと)にても(かみ)(うやま)ひて()をおこなふ(もの)()(たま)ふことを。[引照]

口語訳神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
塚本訳神を恐れ、正しいことを行う人でさえあれば、どんな民族であろうと歓迎されることが、わたしにはよくわかっています。
前田訳どの民でも神をおそれ、義を行なう人はお受け入れになります。
新共同どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。
NIVbut accepts men from every nation who fear him and do what is right.
註解: 神を畏れ義を行うと云う事は信仰の別名である。この信仰さえあれば、神の前には人種の差別は無い。ペテロその他の使徒は真に神を畏れ敬う者は、必ずキリストを神の子として信ずる事を少しも疑わなかった。夫ゆえにここに「キリストを信ずる者を容れ給う」と云わずとも差支がない。未だイエスの事を語らない前にかく言う事は出来なかった。但し本節の主眼は「何れの國の人にても」に在る事に注意すべし。
辞解
[敬ひ] 22節の「畏れ」と同一の語。
[容れ] 嘉納し給う事。

10章36節 (かみ)はイエス・キリスト(これ萬民(ばんみん)(しゅ))によりて平和(へいわ)福音(ふくいん)をのべ、イスラエルの子孫(しそん)(ことば)をおくり(たま)へり。[引照]

口語訳あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。
塚本訳“神は御言葉をイスラエルの”子孫に“おくり、”イエス・キリストをもって、“(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。”──イエスは万人の主であります。──
前田訳神はイスラエルの子孫にみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音をお伝えでした。イエス・キリストは万人の主です。
新共同神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、
NIVYou know the message God sent to the people of Israel, telling the good news of peace through Jesus Christ, who is Lord of all.
註解: 36-38節は文章の構成やや不規則にして難解なり、「平和」は神と人との平和であり(ロマ5:1)、従って人と人、ユダヤ人と異邦人との間の平和である(エペ2:14-17)。イスラエルの子等に送られし言は即ちこの平和の福音であった(B1、E0)。「イエス・キリストによる平和」と読む説あり(B1)、前後の関係上この方が適切である。

10章37節 (すなは)ちヨハネの(つた)へしバプテスマの(のち)、ガリラヤより(はじま)り、ユダヤ全國(ぜんこく)(ひろま)りし(ことば)なるは(なんぢ)らの()(ところ)なり。[引照]

口語訳それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。
塚本訳あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。
前田訳あなた方は、ヨハネが説いた洗礼ののち、ガリラヤからはじまって全ユダヤにおこったことをご存じです。
新共同あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。
NIVYou know what has happened throughout Judea, beginning in Galilee after the baptism that John preached--
註解: ヨハネのバプテスマからイエスの伝道及びその死に就きては一般に、殊にこの種の事柄に注意を払う人々に知られていた。

10章38節 これは(かみ)(せい)(れい)能力(ちから)とを(そそ)(たま)ひしナザレのイエスの(こと)にして、(かれ)(あまね)くめぐりて()(こと)をおこなひ、(すべ)惡魔(あくま)(せい)せらるる(もの)(いや)せり、(かみ)これと(とも)(いま)したればなり。[引照]

口語訳神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
塚本訳すなわち、“神が”いかに聖“霊”と(大いなる)力と“をもって”ナザレのイエスに“油を注がれ(て聖別され)た”か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
前田訳それはナザレのイエスのことです。神は彼に聖霊と力で油を注がれました。彼は、神が共にいましたので、各地を巡ってよいわざをし、悪魔に圧えられたものをすべでお直しでした。
新共同つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。
NIVhow God anointed Jesus of Nazareth with the Holy Spirit and power, and how he went around doing good and healing all who were under the power of the devil, because God was with him.
註解: ペテロは凡ての中心をイエスに置きイエスを示さんとしていながらも、尚且つ異邦人の初歩の人に対する注意を忘れず、先づ何人にも理解し易き方面を彼らに語っている。ここにイエスの三年間の伝道の生涯の主要の特徴が巧に網羅されているのである。
辞解
[制せらる] (おさ)えつけられる事。

10章39節 我等(われら)はユダヤの()およびエルサレムにて、イエスの(おこな)(たま)ひし諸般(もろもろ)のことの證人(しょうにん)なり、[引照]

口語訳わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。
塚本訳──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は“(十字架の)木にかけて”処刑した。
前田訳われらは彼がユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。その彼を人々は木にかけて殺しました。
新共同わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、
NIV"We are witnesses of everything he did in the country of the Jews and in Jerusalem. They killed him by hanging him on a tree,
註解: ペテロはここに始めて彼及び他の使徒の職務を明かにした。彼らはイエスの証人である。基督教の伝道の中心はイエスを証するにある。

人々(ひとびと)は((また))(かれ)()にかけて(ころ)せり。

註解: 「亦」は「他の迫害の外に亦」の意、木にかけて殺す事は当時の極刑でこの事実は普通の場合イエスを全く非道の悪人と思わしむるに充分である。併しこの事実は信仰の中心点である故これを隠す事は出来ない。

10章40節 (かみ)(これ)三日(みっか)めに(よみが)へらせ、かつ(あきら)かに(あらは)したまへり。[引照]

口語訳しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、
塚本訳(しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
前田訳この方を神は三日目によみがえらせ、現われさせたまいました。
新共同神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。
NIVbut God raised him from the dead on the third day and caused him to be seen.
註解: イエスの復活とその顕現は基督教の誕生と密接不離の関係にある。この点を無視して基督教は存在しない。

10章41節 ()れど(すべ)ての(たみ)にはあらで、(かみ)(あらか)じめ(えら)(たま)へる證人(しょうにん)(すなは)ちイエスの死人(しにん)(うち)より(よみが)へり(たま)ひし(のち)、これと(とも)飮食(のみくひ)せし(われ)らに(あらは)(たま)ひしなり。[引照]

口語訳全部の人々にではなかったが、わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。
塚本訳(ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。
前田訳ただすべての民衆にではなく、神によってあらかじめ定められていた証人であるわれらに現われたもうたのです。われらは彼が死人の中から復活なさったのちに、彼とともに飲食したものです。
新共同しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。
NIVHe was not seen by all the people, but by witnesses whom God had already chosen--by us who ate and drank with him after he rose from the dead.
註解: 復活のイエスは一般のユダヤ人に己を現し給うたのではなく主として使徒たちに現われ給うた。使徒と云うのは神が預じめ選び給える証人であり、またイエスの復活の後にしばしば彼と共に飲食した人々であった。パウロが此中に含まれて居ないのはパウロの使徒たる事が充分に明かにされて居なかった頃であるからである。
辞解
[死人の中より甦へり給いし後] を「共に飲食せし」にかけ、ルカ24:30ルカ24:43ヨハ21:12?の事実を指すとする説(M0、C1、E0、A1、H0、ラツカム)と「現し給いしなり」に懸ける説(B1)とあり、ベザ写本等より見るも前者が正しい

10章42節 イエスは(おのれ)()ける(もの)()にたる(もの)との審判(さばき)(ぬし)に、(かみ)より(さだ)められしを(あかし)することと、(たみ)[ども]に宣傳(のべつた)ふる(こと)とを(われ)らに(めい)(たま)ふ。[引照]

口語訳それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、またあかしするようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。
塚本訳そして神はわたし達に命じて、この方こそ神に定められた、生きている者と死んだ者との審判者であると、国民に説きまた証しさせられるのです。
前田訳彼はわれらに命じて、この方こそ神によって定められた生者と死者との裁き主であることを民に伝えて証するようにおさせです。
新共同そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。
NIVHe commanded us to preach to the people and to testify that he is the one whom God appointed as judge of the living and the dead.
註解: 私訳「民に宣伝えて証することを我らに……」。ここに使徒たちがイエスより命ぜられし使命を叙述している。イエスはその再び来たまう時、生き残っている者と既に死にたる者とを共に審き給う(Tコリ15:51、52。Tテサ4:17マタ28:18ヨハ5:22ヨハ5:27)。

10章43節 (かれ)につきては預言者(よげんしゃ)たちも(みな)、おほよそ(かれ)(しん)ずる(もの)の、その()によりて(つみ)(ゆるし)()べきことを(あかし)す』[引照]

口語訳預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
塚本訳預言者たちは皆、彼を信ずる者はことごとく、その名のゆえに罪の赦しを受けることを、彼について証明しています。」
前田訳この方について預言者は皆、彼を信ずるものはだれでもみ名のゆえに罪の許しを受けることを証しています」と。
新共同また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」
NIVAll the prophets testify about him that everyone who believes in him receives forgiveness of sins through his name."
註解: イザ33:24イザ53:5エレ31:31-34 其他旧約聖書全体がイエスを指し、従って彼による罪の赦を示す。以上の如くにしてイエスが真に救主である事が明かであるはずである。ペテロの伝道は徹頭徹尾イエスを証するに在った。

3-6-6 異邦人主イエスを信ず 10:44 - 10:48

10章44節 ペテロ(なほ)これらの(ことば)(かた)りをる(うち)に、[引照]

口語訳ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに、聖霊がくだった。
塚本訳ペテロがまだこれらの言葉を話しおわらぬうちに、聖霊が全聴衆に下った。
前田訳ペテロがまだこのことどもを話しているときに、聖霊が、みことばを聞いているものすべてに下った。
新共同ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。
NIVWhile Peter was still speaking these words, the Holy Spirit came on all who heard the message.
註解: 彼は尚も語り続けんとしていたけれども、聖霊は既に充分にその働を示し給うた。聖霊の働なしに人間の活動は徒労である。

(せい)(れい)御言(みことば)をきく(すべ)ての(もの)(くだ)りたまふ。

註解: 活けるキリストを信じて主と仰ぐ者に聖霊は降り給う。かくして彼らはペテロの説教により全く一変してしまった。驚くべき変化が彼らの上に臨んだのである。他の場合には按手またはバプテスマを受くる際聖霊が降った例もあった(使8:17使19:5、6)。本節の場合はバプテスマも按手も無しに聖霊が降っている。聖霊の活動は形式を超越して自由自在である。

10章45節 ペテロと(とも)(きた)りし割禮(かつれい)ある信者(しんじゃ)は、異邦人(いはうじん)にも(せい)(れい)賜物(たまもの)のそそがれしに(をどろ)けり。[引照]

口語訳割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。
塚本訳ペテロと一緒に来た割礼のある信者たちは、(割礼のない)異教人にも聖霊の賜物が注がれたのに、あきれかえった。
前田訳割礼ある信者でペテロといっしょに来た人々は異邦人にも聖霊の賜物が注がれたのにおどろきいった。
新共同割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。
NIVThe circumcised believers who had come with Peter were astonished that the gift of the Holy Spirit had been poured out even on the Gentiles.

10章46節 そは(かれ)らが異言(いげん)をかたり、(かみ)(あが)むるを()きたるに()る。[引照]

口語訳それは、彼らが異言を語って神をさんびしているのを聞いたからである。そこで、ペテロが言い出した、
塚本訳彼らが霊言を語り、神をあがめているのを聞いたからである。そこでペテロが言った、
前田訳彼らが異言を語り、神をあがめるのを聞いたからである。そこでペテロはいった、
新共同異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、
NIVFor they heard them speaking in tongues and praising God. Then Peter said,
註解: 使2:1以下の五旬節の時と全然同一では無いにしても類似の現象が異邦人の上にも起こり、これによりて割礼ある信者との間に何らの差別なき信仰状態を異邦人においても見ることができたのであった。ユダヤ人の驚きは大であった。▲この場合彼らの国語で神を賛美したと見て差支えがないと思う。
辞解
[異言] 使2:4附記参照。

10章47節 (ここ)にペテロ(こた)へて()ふ『この人々(ひとびと)われらの(ごと)(せい)(れい)をうけたれば、(たれ)(みづ)(きん)じて()のバプテスマを()くることを(こば)()んや』[引照]

口語訳「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか」。
塚本訳「わたし達と同じく聖霊を受けたこの人たちに、だれが洗礼の水をこばむことが出来よう。」
前田訳「だれが水をさし止めてこの人たちが洗礼を受けないようにできましょうか。彼らはわれらと同じく聖霊を受けたのです」と。
新共同「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。
NIV"Can anyone keep these people from being baptized with water? They have received the Holy Spirit just as we have."
註解: 異邦人だからとて、聖霊を受けし以上我らと同じ基督者である。従って我らと同様バプテスマを受けて少しも差支が無いはずではないかとの意。かくしてペテロは理論的にも実践的にも異邦人とユダヤ人との区別を撤廃したのであった。其後ガラ2:12に於ける彼の行動は一種の信仰の弛緩であった。

10章48節 (つい)にイエス・キリストの御名(みな)によりてバプテスマを(さづ)けられんことを(めい)じたり。[引照]

口語訳こう言って、ペテロはその人々に命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、なお数日のあいだ滞在してもらった。
塚本訳そしてイエス・キリストの名で洗礼を受けるようにと彼らに命じた。それから彼らはペテロに頼んで、(なお)数日(そこに)泊まってもらった。
前田訳そして彼らにイエス・キリストの名によって洗礼を受けるよう命じた。彼らはペテロに数日とどまるよう頼んだ。
新共同そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。
NIVSo he ordered that they be baptized in the name of Jesus Christ. Then they asked Peter to stay with them for a few days.
註解: ペテロ自身バプテスマを授けなかった。当時は何人がこれを授くるや等の事を問題としなかったのである。

(ここ)(かれ)らペテロに數日(すにち)とどまらんことを()へり。

註解: 尚進んでペテロより種々の事を学ばんが為、またペテロと一層主に在る交を深めんが為であろう。
要義1 [コルネリオの入信]純然たる異邦人が主イエスを信ずるに至れる著しき例である。神は凡ての人類に不完全乍ら幾分の度に於て御自身を啓示し給う。夫ゆえに真実なる人は、この不完全なる啓示の中より神の姿を仰ぎ見る事が出来る。この点より見て諸国民に行われる宗教や道徳は或意味に於て福音に至るの準備と見る事が出来る。コルネリオとユダヤ教との関係の程度は不明であるが、純然たる異邦人としてイエスを受くるに何等の差支なき事は我らに取りても喜ばしき事実である。
要義2 [コルネリオの敬礼]25節のコルネリオの敬礼は、彼が上官や王者に対する態度を、ペテロに対して尊敬のあまリ用いたのであって、勿論ペテロを神としたのではあるまい。併しカルヴインの言う如く「この世の王や在上者に対する場合は、危険はそれ程ではない。其故はその前に跪く者は地的、政治的尊敬の範囲内に止るからである。しかしながらキリストの牧者に対する場合はこれと異る。其故は其職が霊的なる故、その前に跪く時はこの敬意の中に霊的なるものを含むからである。夫ゆえに我らは地的の敬礼(人々が社会秩序を尊敬して相互の間に用いるもの)と宗教的敬礼、即ち神の光栄を直接に尊敬する場合とを区別しなければならぬ」。単に敬礼なる形式、または(ひざまづ)きて拝する態度そのものをペテロが禁止したのではない。
要義3 [神の前に在る事]33節にコルネリオは「いま我等はみな主の、なんぢに命じ給いし凡てのことを聴かんとて神の前に在り」と云っている。この態度は今日の我らに多くの事を教えるのであって、人は神の言を人のロより学ぶ際、または聖書其他の書籍によりて読む際、神の前に在る心持を以てすべきである。然らざれぱ結局凡ては徒労に終るであろう。
要義4 [信仰なしに救われるや」35節に神は何れの国人にても神を畏れて義をおこなう者を容れ給うとあり、信仰なしにも救わるかの如くに見えるけれども然らず、神を畏れる事、義をおこなう事は、もしこれが神に対する純真なる態度を以て為されているならば、これは取りも直さず信仰そのものである。こうした心にキリストが宣伝えられる場合、そのままその信仰の内容となる。夫ゆえにキリストの十字架に対する信仰以外にもまたその以前にも(アブラハムやダビデの如くに)信仰は有り得るけれども、この信仰は決してイエスの十字架を拒まない、否拒む事が出来ないはずである。其故はそれがその信ずる神の賜物だからである。尚ロマ2:6-16の要義2参照