第1コリント第14章
分類
7 集会礼拝に関する諸問題
11:1 - 14:40
7-5 異言に関する注意
14:1 - 14:40
註解: 第13章に於て愛の根本的重要さを説いたパウロは茲に12章の問題に立帰つて、コリント教会を悩ました異言の賜物に就て述べている。パウロは之を預言の賜物と比較して其の劣つている事を示している。其の理由は一は教会の徳を立てない事(2-20)、他は未信者を躓かせる事(21-25)である。
14章1節
口語訳 | 愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。 |
塚本訳 | 愛を追い求めよ。(同時に)またいろいろな霊の賜物を得ることを、ことに預言することができるようにと努力せよ。 |
前田訳 | 愛を追い求め、霊の賜物、とくに預言を目ざしなさい。 |
新共同 | 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。 |
NIV | Follow the way of love and eagerly desire spiritual gifts, especially the gift of prophecy. |
註解: 私訳「愛を追求めよまた霊なるもの殊に預言せん事を慕え」 「追求」diôko は欠くべからざるものとして之を得るまで追い求める事「慕う」zêloô は熱心に之を得んと欲する事である。パウロは茲に前章に示せる愛の欠くべからざることを示し、次に霊なるものを求むべきであるけれども就中 優れたる預言の賜物を慕うべく、異言を語る事はコリントの信者の為すが如く重要なものではないことを示さんとしている。
14章2節
口語訳 | 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。 |
塚本訳 | なぜなら霊言を語る者は人間相手でなく、神相手に語るのだから。(聞いて)だれもわからず、彼は御霊で(普通の人に不可解な)秘密を語るからである。 |
前田訳 | 異言を語るものは人々にではなく神に語っています。それは、だれもわからず、霊によって奥義を語っているからです。 |
新共同 | 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。 |
NIV | For anyone who speaks in a tongue does not speak to men but to God. Indeed, no one understands him; he utters mysteries with his spirit. |
註解: 聖霊に導かれて神秘的なる「奥義」を語るとも聞く〔悟る〕人が無いのは当然である、故に異言を語る者は神に向つて語るだけで人をば無視しているのである。
辞解
[奥義] 茲では単に神秘的の事を意味すると見て差支が無い、エペ1:9。エペ3:3、4等の奥義は更に一層深い意味を有つている。
14章3節 されど
口語訳 | しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。 |
塚本訳 | しかし預言する者は(普通の言葉で)、人間相手に(、信仰を)造りあげることと勧めと慰めとを語るのである。 |
前田訳 | 預言するものは人々に建設と勧めと慰めを語っています。 |
新共同 | しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。 |
NIV | But everyone who prophesies speaks to men for their strengthening, encouragement and comfort. |
註解: 預言する者は神の御旨を示されて語るけれども異言の如く人を無視せず、目的と自覚とを以て人のために語る、其の結果人の徳を建て(Tコリ8:1註)「勧めをなし」て人の怠惰を戒め、「慰安を与え」て人の艱 みを除く。
14章4節
口語訳 | 異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。 |
塚本訳 | 霊言を語る者は自分(の信仰)を造りあげ、預言する者は集会(の信仰)を造りあげる。 |
前田訳 | 異言を語るものは自らを建て、預言するものは集まりを建てます。 |
新共同 | 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。 |
NIV | He who speaks in a tongue edifies himself, but he who prophesies edifies the church. |
註解: 故に愛ある者は自ら後者を選ぶであろう。
14章5節 われ
口語訳 | わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。 |
塚本訳 | わたしはあなた達みんなに霊言を語ってもらいたいが、それよりもむしろ預言してもらいたい。霊言を語る者がそれを解釈して集会(の信仰)が造りあげられるようにするのでない限りは、霊言を語る者より預言する者の方がまさっている。 |
前田訳 | わたしはあなた方がみな異言を語ることを欲しますが、それよりもむしろ預言してください。預言するものの方が異言を語るものよりはすぐれています。集まりが建設的であるために、説明が行なわれる場合は別です。 |
新共同 | あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。 |
NIV | I would like every one of you to speak in tongues, but I would rather have you prophesy. He who prophesies is greater than one who speaks in tongues, unless he interprets, so that the church may be edified. |
註解: パウロは異言の賜物を軽視しなかつた。唯彼自ら之を釈く事を要求したのである(13、15節)之れ「教会が徳を建つるがために異言を受け得る様に」(私訳)する必要があつたからである。之を為すにあらざれば彼よりは預言する者が勝つている。◎(注意)此の節は預言が無意識状態にて語るものではない事の証拠となる。異言の通訳とは恐らく其の恍惚状態を記憶をたどつて語るのであろう。
14章6節
口語訳 | だから、兄弟たちよ。たといわたしがあなたがたの所に行って異言を語るとしても、啓示か知識か預言か教かを語らなければ、あなたがたに、なんの役に立つだろうか。 |
塚本訳 | 実際、兄弟たちよ、たといわたしがあなた達の所に行って霊言を語っても、啓示か、知識か、預言か、教訓かの形で語(って信仰を造りあげ)るのでないならば、あなた達になんの得があろう。 |
前田訳 | さて、兄弟方、わたしがあなた方のところへ来て異言を語るならば、黙示か知識か預言か教えかで語らない限り、あなた方に何の役に立ちましょう。 |
新共同 | だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。 |
NIV | Now, brothers, if I come to you and speak in tongues, what good will I be to you, unless I bring you some revelation or knowledge or prophecy or word of instruction? |
註解: パウロがコリントの信者に益を与えたのは異言を語る事によつてでは無かつた、之を見ても翻訳なき異言の無用である事がわかる。
辞解
「黙示」と「知識」とは内的方面であり「預言」と「教」とはそれが外部に顕われた姿であつて、此の四者をまとめて預言の中に包含することが出来る。
14章7節
口語訳 | また、笛や立琴のような楽器でも、もしその音に変化がなければ、何を吹いているのか、弾いているのか、どうして知ることができようか。 |
塚本訳 | 同じく、あの命のない楽器、(たとえば)笛でも竪琴でも、もしその音に(高さとリズムの)区別がなければ、その吹かれているもの、弾かれているものを、どうして知ることができよう。 |
前田訳 | 笛にせよ、絃にせよ、音を出す無生物が、もし音に区別を与えねば、笛で吹かれ絃で弾かれたものが、どうしてわかりましょうか。 |
新共同 | 笛であれ竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。 |
NIV | Even in the case of lifeless things that make sounds, such as the flute or harp, how will anyone know what tune is being played unless there is a distinction in the notes? |
註解: 無生物の楽器ですら、明瞭なる音の高低、強弱、タイム等を以て之を奏しないで騒音を発するのみであるならば、其の音曲を理解する事が出来ない。
辞解
[▲聲を出すもの] 「声を出す無生物」の意味で楽器の事。口語。
14章8節 ラッパ
口語訳 | また、もしラッパがはっきりした音を出さないなら、だれが戦闘の準備をするだろうか。 |
塚本訳 | またもしラッパが不明瞭な音を出すならば、だれが戦闘準備をするだろうか。 |
前田訳 | もしラッパが不明瞭な音を出すならば、だれが戦いに備えましょうか。 |
新共同 | ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか。 |
NIV | Again, if the trumpet does not sound a clear call, who will get ready for battle? |
註解: 進軍、退却夫々異つた音を出すべきラツパが混沌たる音を発するならば、人は之を聞いて如何にすべきかに迷う。
14章9節
口語訳 | それと同様に、もしあなたがたが異言ではっきりしない言葉を語れば、どうしてその語ることがわかるだろうか。それでは、空にむかって語っていることになる。 |
塚本訳 | そのようにあなた達も、もし舌ではっきり分る言葉を話さないならば、あなた達の語ることがどうして知られよう。それでは空気に向かって語っているのではないか。 |
前田訳 | そのように、あなた方も異言のため明白なことばを発しなければ、どうして語られたことがわかるでしょうか。あなた方は空気に話しかけることになります。 |
新共同 | 同じように、あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうして分かってもらえましょう。空に向かって語ることになるからです。 |
NIV | So it is with you. Unless you speak intelligible words with your tongue, how will anyone know what you are saying? You will just be speaking into the air. |
註解: 異言を語るものは舌をもて不明の音を発するのである、之では人に向つて語るのでは無い。
14章10節
口語訳 | 世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。 |
塚本訳 | 世の中には言語の種類がどんなに沢山あるか知れないが、無意味なものは一つもない。 |
前田訳 | 世の中にことばの種類は数知れずありますが、意味のないものはありません。 |
新共同 | 世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはありません。 |
NIV | Undoubtedly there are all sorts of languages in the world, yet none of them is without meaning. |
14章11節
口語訳 | もしその言葉の意味がわからないなら、語っている人にとっては、わたしは異国人であり、語っている人も、わたしにとっては異国人である。 |
塚本訳 | だからもしわたしがその言葉の意味を知らないならば、語る者にわたしはチンプンカンであり、わたしには語る者がチンプンカンであろう。 |
前田訳 | それで、もしことばの力を知らねば、わたしは語るものにとって異国人となり、語るものはわたしにとって異国人になりましょう。 |
新共同 | だから、もしその言葉の意味が分からないとなれば、話し手にとってわたしは外国人であり、わたしにとってその話し手も外国人であることになります。 |
NIV | If then I do not grasp the meaning of what someone is saying, I am a foreigner to the speaker, and he is a foreigner to me. |
註解: 意義のある国語ですら然り況んや異言の如きは互に理解しない事となるの結果、互に親密なる交を得ず、其の間に徳を建てる事が出来ない。
14章12節
口語訳 | だから、あなたがたも、霊の賜物を熱心に求めている以上は、教会の徳を高めるために、それを豊かにいただくように励むがよい。 |
塚本訳 | あなた達も同じである。あなた達は霊のものを得ようと努力する者であるから、集会(の信仰)を造りあげるために、それが豊富になることを求めよ。 |
前田訳 | あなた方もそのとおりで、霊のことに熱心である以上、集まりの建設のため力あふれるよう努めてください。 |
新共同 | あなたがたの場合も同じで、霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。 |
NIV | So it is with you. Since you are eager to have spiritual gifts, try to excel in gifts that build up the church. |
註解: 前二節よりの結論として、コリントの信徒が元来熱心に霊の賜物を求める以上、異言の如き徳を建てないものよりも教会の徳を建つる事を目的として、賜物の豊ならん事を求むべきである。
辞解
[霊の賜物] 原語「霊」(複数)を用う。
[霊を慕う] 霊の種々の相を慕う事である。
14章13節 この
口語訳 | このようなわけであるから、異言を語る者は、自分でそれを解くことができるように祈りなさい。 |
塚本訳 | だから霊言を語る者は、それを解釈できるようにと祈れ。 |
前田訳 | それゆえ、異言を語るものは説明しうるよう祈りなさい。 |
新共同 | だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。 |
NIV | For this reason anyone who speaks in a tongue should pray that he may interpret what he says. |
註解: 異言を以て祈る時、後に自ら之を釈かんとの心組を以て祈るべきである(M0、G1)。他人の事を顧慮せずに異言を以て祈る事は愛なき行為である。
辞解
[▲釋 き得 んこと] 「釈 かんこと」と訳すべきである。
14章14節
口語訳 | もしわたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばないからである。 |
塚本訳 | なぜなら、もしわたしが霊言で祈る(だけ)ならば、霊は祈っているが、わたしの理知は(集会の信仰のために)実を結ばないからである。 |
前田訳 | もしわたしが異言で祈るならば、わが霊は祈っても、わが理性は実を結びません。 |
新共同 | わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。 |
NIV | For if I pray in a tongue, my spirit prays, but my mind is unfruitful. |
註解: 霊は直観的で心即ち理解力は反省的である、異言を語る場合には心は働かない。唯霊の恍惚陶酔の状態が異言となりて顕われるだけで、其の心には何等果を結ばない。
14章15節
口語訳 | すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。 |
塚本訳 | では、どうしたらよいだろうか。わたしは霊(言)で祈りもしよう、しかし理知でも祈ろう。霊(言)で讃美の歌をうたいもしよう、しかし理知でもうたおう。 |
前田訳 | それならどうしましょう。わたしは霊において祈り、また理性においても祈りましょう。わたしは霊において歌い、また理性においても歌いましょう。 |
新共同 | では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。 |
NIV | So what shall I do? I will pray with my spirit, but I will also pray with my mind; I will sing with my spirit, but I will also sing with my mind. |
14章16節
口語訳 | そうでないと、もしあなたが霊で祝福の言葉を唱えても、初心者の席にいる者は、あなたの感謝に対して、どうしてアァメンと言えようか。あなたが何を言っているのか、彼には通じない。 |
塚本訳 | そうでないと、もしあなたが霊(言)で(神を)讃美(し感謝)するならば、(集会で)初心者の席を占める者は、あなたの感謝の祈りに対してどうしてアーメンを言うことができようか。あなたがなんと言っているのかわからないのだから。 |
前田訳 | そのわけはこうです。もしあなたが霊において祝福するならば、新人の席にいるものがあなたの感謝に対してどうして「アーメン」といいえましょう。彼はあなたのいうことがわからないからです。 |
新共同 | さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。 |
NIV | If you are praising God with your spirit, how can one who finds himself among those who do not understand say "Amen" to your thanksgiving, since he does not know what you are saying? |
14章17節 なんぢの
口語訳 | 感謝するのは結構だが、それで、ほかの人の徳を高めることにはならない。 |
塚本訳 | あなたはたしかにりっぱな感謝をしようが、しかし人は(それですこしも信仰を)造りあげられない。 |
前田訳 | あなたが立派に感謝しても、他の人は建設されません。 |
新共同 | あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。 |
NIV | You may be giving thanks well enough, but the other man is not edified. |
註解: 然らば異言を以て「祈り」「謳い」「感謝する」事を禁ずべきかと云うにそうでは無い、霊を以て祈り謳うと共に之を釈 きて心を以て祈り又謳う事が最善であるとして、パウロは自らかく為さんとの決心を示している。
辞解
[祝する] 感謝すると同意義。
[凡人 ] 原語「凡人 の地位を占むる者」凡人 は信仰に入りかけた求道者、従つて霊の言をとく賜物を持たない人々。
[アァメン] 牧師等の説教、祈祷等の終りに会衆がアァメンと云う事は、ユダヤの会堂の集会より伝つてキリスト教会に入つて来たのである。
14章18節
口語訳 | わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多く異言が語れることを、神に感謝する。 |
塚本訳 | わたしはあなた達のだれよりも多くの霊言を語(り得)ることを神に感謝する。 |
前田訳 | わたしは皆さんよりも多く異言を語ることを神に感謝します。 |
新共同 | わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。 |
NIV | I thank God that I speak in tongues more than all of you. |
14章19節
口語訳 | しかし教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、むしろ五つの言葉を知性によって語る方が願わしい。 |
塚本訳 | しかし集会の会合では、霊言で一万の言葉を語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、(むしろ)わたしの理知で(だれにもわかるただの)五つの言葉を語りたい。 |
前田訳 | しかし集まりでは、わたしは異言で一万言を語るよりは、他の人々をも教えるために、わが理性で五つのことばを語りたく思います。 |
新共同 | しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。 |
NIV | But in the church I would rather speak five intelligible words to instruct others than ten thousand words in a tongue. |
註解: パウロは一般の人間以上に、異言の賜物を多く有つている事を感謝していながら、之を用うる事をせず愛を以て人を教えんために「心をもて」、即ち理解力をもて五言を語る事を欲している。かくの如くしてコリントの信者が異言の賜物を過度に尊重する事を警戒し、却て預言と教訓との賜物を慕うべき事を示している。
14章20節
口語訳 | 兄弟たちよ。物の考えかたでは、子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。 |
塚本訳 | 兄弟たちよ、判断力の点では子供であってはならない。むしろ悪(を行なうこと)については(無力な)幼児であり、判断力の点では成人らしくせよ。 |
前田訳 | 兄弟方、知性において子どもとならず、悪には未熟であり、知性において成人になってください。 |
新共同 | 兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。 |
NIV | Brothers, stop thinking like children. In regard to evil be infants, but in your thinking be adults. |
註解: コリントの信徒はその自負に反して、悪に於て成人の如く発達していながら、智慧に於て非常に不完全であつた、其結果異言の如きあまりに有用ならざるものをも唯その華々しさのために、之を重んずるに至つた。パウロは之を戒めて痛烈にコリントの信者の心を剌したのである。
辞解
[智慧] phrên は「理解力」を意味す。
14章21節
口語訳 | 律法にこう書いてある、「わたしは、異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。 |
塚本訳 | 律法[聖書]にこう書いてあるではないか、「“外国語の者を使い、外国人の唇を使って、わたしはこの民に語るが”、それでも“彼らは聞きいれないであろう”と主は言われる」と。(神は不信仰なイスラエル人を、彼らにわかりにくい外国語を使って躓かせられたというのである。この外国語とはあなた達の霊言のことである。) |
前田訳 | 律法に書かれています、「他国語の人や別人の唇によってわたしはこの民に語ろう。しかしそのとおりには彼らは聞き入れまい、と主はいわれる」と。 |
新共同 | 律法にこう書いてあります。「『異国の言葉を語る人々によって、/異国の人々の唇で/わたしはこの民に語るが、/それでも、彼らはわたしに耳を傾けないだろう』/と主は言われる。」 |
NIV | In the Law it is written: "Through men of strange tongues and through the lips of foreigners I will speak to this people, but even then they will not listen to me," says the Lord. |
14章22節 されば
口語訳 | このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。 |
塚本訳 | 従って霊言は、信者のためでなく不信者のため、(神の刑罰)の徴になるものである。しかし預言は、不信者のためでなく信者のため、(彼らを教え高めるため)のものである。 |
前田訳 | このように、異言は信者でなく不信者のためのしるし、預言は不信者でなく信者のためのしるしです。 |
新共同 | このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。 |
NIV | Tongues, then, are a sign, not for believers but for unbelievers; prophecy, however, is for believers, not for unbelievers. |
註解: 茲に引用せられしイザ28:11-12は、エホバが預言者を以て其の民に語り給いしにも関わらず、其の民イスラエルは之を受けないが為めに「他 し言の民」殊にアツシリヤ人を遣わしてイスラエルを責めしめ、之によりてイスラエルを悔改めしめんとしたけれども、それでもイスラエルはエホバの言に従わなかつた事の意味である。即ち「他 し言」の民は不従順なるイスラエルに対し懲罰の意味にて遣わされたのに尚エホバを信ぜす、遂には審判をうくるに至つたのである。夫故に異言は信ずる者には役に立たず不信者に対し其の不信仰に向つて下される審判であり、不信者の頑固なる心のために信者と不信者との離別の徴である。然もパリサイ人らの不信の結果イエスが比喩を以て語り給い、之が不信の民との離別の徴であつたと同様である(マタ13:13)。反対に預言は信者のためで不信者には解らない、故に教会に於て預言よりも異言を重ずるのは無意味である。
辞解
[律法] 「預言者」をも含み旧約聖書を意味する・・・イザ28よりの引用はヘブルの原書とも少しく異り、七十人訳とも稍 異る。パウロは聖霊により自由に之を訳した。
14章23節 もし
口語訳 | もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう。 |
塚本訳 | だから、もし全集会が一しょに集まって皆が霊言を語っているとき、(霊言のわからない)初心者か不信者たちが入ってきたならば、「あなた達は気が狂っている」と言われないだろうか。 |
前田訳 | もし全集会がひと所に集まって、皆が異言で語るならば、新人か不信者が入って来たとき、あなた方は狂ったといわないでしょうか。 |
新共同 | 教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。 |
NIV | So if the whole church comes together and everyone speaks in tongues, and some who do not understand or some unbelievers come in, will they not say that you are out of your mind? |
註解: 「凡人 」は求道者「不信者」は唯一時の思い付きで教会に足を入れた程度の人と見るべきであろう。かかる人が全会衆異言にて語るのをきいたならば之を狂人と思い、其の求道心も冷えてしまうであろう。
14章24節
口語訳 | しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、 |
塚本訳 | しかし皆が預言しているとき、ある不信者か初心者が入ってきたならば、その人は皆に誤りを認めさせられ、皆に批判され、 |
前田訳 | もし皆が預言するならば、だれか不信者か新人が入って来たとき、皆からことを公にされ、皆から裁かれ、 |
新共同 | 反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、 |
NIV | But if an unbeliever or someone who does not understand comes in while everybody is prophesying, he will be convinced by all that he is a sinner and will be judged by all, |
14章25節 その
口語訳 | その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。 |
塚本訳 | 自分の心の中の隠れたことが明らかになり、こうして、地にひれ伏して神を“おがみ、「ほんとうに神はあなた達の中においでに成る」”と公言するであろう。 |
前田訳 | 彼の心の隠れたものが明らかになり、かくてひれ伏して神を拝み、「まことに神があなた方のうちにいます」と告白するでしょう。 |
新共同 | 心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。 |
NIV | and the secrets of his heart will be laid bare. So he will fall down and worship God, exclaiming, "God is really among you!" |
註解: 若し全会衆が異言を言わずして預言するならば、其の結果は凡人 、未信者に良結果を与えて遂に彼らを信仰に導く事が出来るであろう。
辞解
[自ら責められ] 日本語として意味をなさない。原語 elenkein 「罪咎を自覚せしめられること」。
[是非せられ] anakrinein 心の中の善悪を示される事。
要義 [集会の状態の未信者に対する責任]パウロは異言の賜物を一も二もなく否定し圧迫せず、之に対して充分に其の価値を認めつつ、而も結局其の殆んど無用なる事を示すに至っている事は彼の優れたる教訓的手腕である。蓋し始めに(2-6)異言の預言よりも劣れる事を示し、次に(6-15)異言は之を釈 かざれば全く無用なる事を教え、次に(16-19)パウロ自身が異言を語るよりも寧ろ預言すべき事の決心を示して暗に異言の価値を卑くし、最後に(20-25)異言は不信者に対する排斥の徴である事を示して釈 く者無しには教会に於ては、却て有害なる事を暗示しているのである。パウロの最も心を労せる点は如何にして教会の徳を建て不信者を神に導くべきかにあった。故に集会の状態は未信者をして神の臨在を感ぜしめ、其の預言(説教等)によりて彼等の罪を知らしめ、過ちを悔改めしむる如きものでなければならない。今日の基督教会に果してかかる心持が有りや否や、多くの未信者が基督教会に来り、其処に何等か不快なるものを感じて教会を去る事多きは大に自ら顧る事を要する事実であろう。無益に未信者を躓かする者は勉めて之を教会より除き去らなければならない。
14章26節
口語訳 | すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。 |
塚本訳 | では、兄弟たち、どうしたらよいだろうか。あなた達が集まる時には、それぞれ聖歌を持ち、教えを持ち、啓示を持ち、霊言を持ち、その解釈を持っている。皆、(集会の信仰を)造りあげるために用いられねばならない。 |
前田訳 | 兄弟方、そこでどうしましょう。あなた方が集まるとき、おのおのが詩を持ち、教えを持ち、黙示を持ち、異言を持ち、解釈を持ちますが、すべてを建設のためになるようにしてください。 |
新共同 | 兄弟たち、それではどうすればよいだろうか。あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。 |
NIV | What then shall we say, brothers? When you come together, everyone has a hymn, or a word of instruction, a revelation, a tongue or an interpretation. All of these must be done for the strengthening of the church. |
註解: パウロは茲に兄弟に向つて「如何にすべきか」との問を発して自ら之に答えている。即ち教会に於て各々皆別々の賜物を受けているけれども、之を徳を建てる目的にて用いるべしと云う一事に帰して来るのであつて、要するに愛を以て賜物を用いるべしと云うに異らない。
辞解
[聖歌] 讃美歌、当時は之を即興歌として歌う人もあつた、教、黙示、異言、釈解等次第に霊的状態に移り行く順序と見ることが出来る(G1)。
14章27節 もし
口語訳 | もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。 |
塚本訳 | 霊言で語る場合は、毎回二人か、たかだか三人が、一人ずつ順々にせよ、そしてだれか一人が解釈せよ。 |
前田訳 | もしだれかが異言で語るならば、二人か、せいぜい三人ずつでし、順々に語って一人が説明なさい。 |
新共同 | 異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。 |
NIV | If anyone speaks in a tongue, two--or at the most three--should speak, one at a time, and someone must interpret. |
14章28節 もし
口語訳 | もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。 |
塚本訳 | もし解釈する者がなければ、集会の会合では黙っていて、(家に帰って、)自分にまた神に語るがよい。 |
前田訳 | 説明者がなければ、集まりでは黙っていて、自らと神とに語るべきです。 |
新共同 | 解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。 |
NIV | If there is no interpreter, the speaker should keep quiet in the church and speak to himself and God. |
註解: パウロは此の二節に先づ異言に関する注意を与え、而して次の諸節に於いて序を以て預言(29-33)婦人の発言(34-36)につきて集会の秩序を乱す事を禁じ、最後に結論(37-40)を加えている。即ち異言に就ては其の数(二人で充分止むを得ずば三人)其の順序(同時にではなく順次に)其の方法(之を釈 く事)を定めている、是れ皆其の集会の秩序のためであつた、而して釈 く者なき場合には集会にては沈黙し、独り自己と神との間に異言を語るべき事を命じた。是も徳を建てる目的に外ならぬ、パウロの心は常に此の愛に支配されていた。
14章29節
口語訳 | 預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。 |
塚本訳 | 預言者も、二人か三人語れ、ほかの(預言する)者たちはそれを判断せよ。 |
前田訳 | 預言者は、二人か三人で語り、他の人々は吟味なさい。 |
新共同 | 預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。 |
NIV | Two or three prophets should speak, and the others should weigh carefully what is said. |
註解: 預言の場合は人数も方法も異言の場合より自由であつた。唯之を「辨 え」其の預言に誤謬の混ぜぬ様に注意することが必要であつた 新約聖書が未だ出来ない時であつたからである、その他のもの即ち全会衆が之を辨 えるのであつて、法王でも監督博士でもない信仰ある平信徒は最も正しき判断を為すことが出来る、是れ教会の特権階級の如く伝統や利害に左右せられないからである。
14章30節 もし
口語訳 | しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。 |
塚本訳 | しかしもし(一人が立って預言している時)、坐っているほかの人に啓示があったら、(その人が立って語り、)先の者は話をやめよ。 |
前田訳 | もしそこにすわる他のものに黙示があるならば、はじめのものは黙りなさい。 |
新共同 | 座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていた者は黙りなさい。 |
NIV | And if a revelation comes to someone who is sitting down, the first speaker should stop. |
14章31節
口語訳 | あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。 |
塚本訳 | なぜなら、あなた達皆が(機会を待って)一人ずつ預言することが出来るからであり、こうすれば皆が学び、皆が励まされることができるのである。 |
前田訳 | それはあなた方は皆ひとりひとり預言できるからです。それは皆が学び、皆が励まされるためです。 |
新共同 | 皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。 |
NIV | For you can all prophesy in turn so that everyone may be instructed and encouraged. |
註解: 之は順序に関するもので後の者が待つ代りに先のものが黙すべしと云うのである。稍 不穏当 の様であるけれども実際に於て、後の者の受けし黙示を消さない様にし、又集会が無気力に長過ぎるの弊を防ぐ事が出来る、又先の者が力ある預言を為しつつある間は後の者の霊は自然に差控えるであろう。此の注意は適切な注意である。又二人同時に語出す事を禁じたのは、之が為めに騒がしさを増し集会の秩序が乱れ、且つ聴く者が不可解に陥る事を防ぐ為である。何となれば一人一人順次に預言する事が出来るのに之を為さないならば、凡ての人に教え之を慰める(勤める)事が出来ない事となるからである。
口語訳 | かつ、預言者の霊は預言者に服従するものである。 |
塚本訳 | (預言は途中でやめられないと言う者には答える、まことの)預言者の霊は預言者の命令に服従するものである(と)。 |
前田訳 | 預言者たちの霊は預言者たちに従うものです。 |
新共同 | 預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。 |
NIV | The spirits of prophets are subject to the control of prophets. |
註解: 30節の如くに行い得る所以は預言者の霊の賜物は我儘 勝手に動くものではなく他の預言者の制する処となるからである。即ち同じ聖霊の働きであるから、ある預言者の霊の賜物には自然他の預言者の心が作用を及ぼして之を制する神秘的作用を起すものである。故に先のものが黙して後のものが語るのも決して其の霊の働きに反して之を為すのではなく、聖霊夫自身の働きである。
辞解
[預言者に制せらる] 又は「預言者に順う」は「自己に制せらる」即ち自ら制する事が出来るとの意味に解する説もある。此の説によれば預言者の霊〔預言の賜物〕は、制し得ざる力を以て作用するものでは無く自ら制することが出来るものであるとの事である(オリゲネス、ヒエロニムス)。
14章33節 それ
口語訳 | 神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように、 |
塚本訳 | (その霊をお与えになった)神は無秩序の神でなく、平和の神だからである。聖徒の集会全体での(習わしの)ように、 |
前田訳 | 神は無秩序の神ではなく、平和の神にいますからです。聖徒のすべての集まりにならって、 |
新共同 | 神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、 |
NIV | For God is not a God of disorder but of peace. As in all the congregations of the saints, |
註解: 神御自身は其の内部に不一致混乱を有ち給わない。全体統一せる一の平和の神に在し給う、故に神の聖霊の働きによりて行動する者の間に一致があるのは自然の結果である。
14章34節
口語訳 | 婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。 |
塚本訳 | 婦人は集会の会合では黙っていなさい。なぜなら、婦人は語ることを許されず、律法も言うように、ただ服従すべきだからである。 |
前田訳 | 婦人たちは集まりで沈黙すべきです。彼女たちは語ることを許されず、服従すべきことは律法もいうとおりです。 |
新共同 | 婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。 |
NIV | women should remain silent in the churches. They are not allowed to speak, but must be in submission, as the Law says. |
註解: 諸教会一般に行われし良習慣に従てコリントの教会に於ても、女は創3:16に従つて従順の態度を取るべきであつて、男子を教うる如き態度に出づべきでは無い。即ち男子の前にて語る事は従順の美徳に反し、自己を男子の上に置くの態度である。解放されしコリントの婦人中にはかかる出過ぎた態度を取るものがあるに至つた、尚Tコリ11:5には女子が祈り、又は預言する事を禁じて居ない。其所の註参照。
14章35節
口語訳 | もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである。 |
塚本訳 | もし何か学びたいと思うなら、家で夫に尋ねるがよい。婦人が集会の会合で語るのは恥ずべきことだから。 |
前田訳 | もし何かを学びたければ、家で自分の夫にたずねなさい。集まりで語るのは女性にとって恥です。 |
新共同 | 何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。 |
NIV | If they want to inquire about something, they should ask their own husbands at home; for it is disgraceful for a woman to speak in the church. |
註解: 男子を教うる事は勿論の事、質問を発する事さえも家庭内にて之を行うべし、教会に於て之を為す事は不体裁である。茲にパウロは婦人の家庭的特質を失わせる、あらゆる出過ぎた行動を戒めているのである。
14章36節 (そもそも)
口語訳 | それとも、神の言はあなたがたのところから出たのか。あるいは、あなたがただけにきたのか。 |
塚本訳 | それとも、(その習わしはあなた達の会合独得だというのか。)神の言葉はあなた達(の集会)から出たのか、あるいは、あなた達だけのところに来たのか。 |
前田訳 | 神のことばはあなた方から出たのですか。それとも、あなた方にだけ来たのですか。 |
新共同 | それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ来たのでしょうか。 |
NIV | Did the word of God originate with you? Or are you the only people it has reached? |
註解: 「若しコリントの教会が神の言の流れ出でた源であるとか、又は神の言を受けた唯一の教会であると云うならば、汝らの中に行はれる婦人の発言の習慣も相当の根拠があるとも云えよう。併し他にも同様神の言を受け又之を他に伝えている教会があつて、それらが別の習慣を守つているならば汝らだけが正しいと主張する事は出来ないであろう」。
14章37節
口語訳 | もしある人が、自分は預言者か霊の人であると思っているなら、わたしがあなたがたに書いていることは、主の命令だと認めるべきである。 |
塚本訳 | 自分を預言者あるいは霊を授けられた者だと思う者は、わたしがあなた達にいま書いていることが、主の掟であることを認めなければならない。 |
前田訳 | もしだれかが預言者または霊感者と思うならば、わたしがあなた方に書き送ることを主の命令と認めなさい。 |
新共同 | 自分は預言する者であるとか、霊の人であると思っている者がいれば、わたしがここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい。 |
NIV | If anybody thinks he is a prophet or spiritually gifted, let him acknowledge that what I am writing to you is the Lord's command. |
註解: コリント教会にはかかる自負心を有つている者が多かつた、パウロは彼らに向い「若し真に自己をかかる者と思うならば以上に我が書き送れる集会の秩序の問題を主イエスの命と思え」と命じ以て、パウロの確信を披瀝 し同時にコリントの人々が真の預言者、又は真の霊を受けしや否やを検している。
口語訳 | もしそれを無視する者があれば、その人もまた無視される。 |
塚本訳 | それを認めない者があるなら、その人は(神にも)認められない。 |
前田訳 | もしそれを認めなければ、その人は神に認められません。 |
新共同 | それを認めない者は、その人もまた認められないでしょう。 |
NIV | If he ignores this, he himself will be ignored. |
註解: 「それでもさう思わぬ連中は放つて置け」と云う様な荒き意気を含んだ言であつて、パウロはコリントの教会に彼の言を是非する者の少く無い事を知つていたのでかく断然たる言を発したのである。
14章39節 されば
口語訳 | わたしの兄弟たちよ。このようなわけだから、預言することを熱心に求めなさい。また、異言を語ることを妨げてはならない。 |
塚本訳 | 従って、わたしの兄弟たちよ、預言することを努力せよ、また霊言を語ることを禁ずるな。 |
前田訳 | それゆえ、わが兄弟方、預言するよう努めなさい。そして異言で語ることを禁じなさるな。 |
新共同 | わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。 |
NIV | Therefore, my brothers, be eager to prophesy, and do not forbid speaking in tongues. |
14章40節
口語訳 | しかし、すべてのことを適宜に、かつ秩序を正して行うがよい。 |
塚本訳 | しかし万事品位を保って、秩序正しくあれ。 |
前田訳 | すべてを折目正しく秩序をもってしてください。 |
新共同 | しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。 |
NIV | But everything should be done in a fitting and orderly way. |
註解: パウロは以上の如くに論じ来つたとは雖 も、之を聞く者があまりに之を取り過ぎて極端に走り異言を禁ずる迄に至る事あらん事を恐れて、一方預言を「慕う」べきと同時に異言を語る事を「禁ず」べからざる事を教えた。彼の用意の周到さを見るべきである、反対の場合即ちTテサ5:19、20にも同様の用意周到さを見る事が出来る。彼の言わんとせる要点は、結局最後の一句に集中するのであつて11-14章の全体を茲に要約しているのである。
第1コリント第15章
分類
8 復活論に就て
15:1 - 15:58
8-1 体の復活は救の根本なり
15:1 - 15:34
8-1-イ キリストの復活の事実なる事
15:1 - 15:11
註解: パウロは以上の諸章に於てコリント教会の教派問題(1-4章)、道徳問題(5-7章)、偶像問題(8-10章)、礼拝問題(11-14章)を論じて後、茲に最後に最も重要なる教義の問題に立入り(15章)体の復活について詳論している。元来キリストの福音は体験を主として、理論的方面は之を無視する場合が多くあるけれども、茲にパウロは珍らしくも復活につき極めて理論的に之を陳述しているのであつて、聖書中特色ある一章であると云うことが出来る。而して前半(1-34節)に於いては復活が福音の教義の重要なる部分をなしている事、後半(35-58節)に於ては其の理論上の困難なる問題につき説明している。
15章1節
口語訳 | 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。 |
塚本訳 | また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。 |
前田訳 | 兄弟方、かつてお伝えした福音をあらためてお知らせします。あなた方はそれを受け入れ、その中にお立ちです。 |
新共同 | 兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。 |
NIV | Now, brothers, I want to remind you of the gospel I preached to you, which you received and on which you have taken your stand. |
辞解
[▲示す] gnorizô で「知らせる」こと。口語訳は弱過ぎる。RSVの影響を受けているらしくあるがRSVの方が強い。
15章2節 なんぢら
口語訳 | もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。 |
塚本訳 | どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。 |
前田訳 | あなた方はいたずらに信じたのではない限り、お伝えしたことばを堅く保っていれば、この福音によって救われるでしょう。 |
新共同 | どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。 |
NIV | By this gospel you are saved, if you hold firmly to the word I preached to you. Otherwise, you have believed in vain. |
註解: 「是より述べんとする復活の問題は決して新しい問題では無い。最も重要なる根本問題であつて、従つて余が既に之を宣伝えたものであり、又汝らも前に「之を受け」、今は「其の上に立ち」、将来は「之によりて救われる」ものである。但し之によりて救われるが為には此の信仰を固持し、且つ徒 に形式的に信ぜず、真の力ある信仰を有つ事が必要である」と。◎(直訳)「我汝らに福音を示す、此の福音はわれ曩 に之を宣伝え、汝ら之を受け、之に於て立ち、之によりて救われる処なり、・・・若し我が宣べしままを堅く守りて徒 に信ぜずば。」
15章3節 わが
口語訳 | わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 |
塚本訳 | まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、 |
前田訳 | わたしが第一義的にお伝えしたのはわたし自身も受けたことです。すなわち、キリストは聖書のとおりわれらの罪のために死に、 |
新共同 | 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、 |
NIV | For what I received I passed on to you as of first importance : that Christ died for our sins according to the Scriptures, |
15章4節 また
口語訳 | そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、 |
塚本訳 | 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、 |
前田訳 | 葬られ、聖書のとおり 三日目によみがえり、 |
新共同 | 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 |
NIV | that he was buried, that he was raised on the third day according to the Scriptures, |
註解: パウロが「第一に」最も重要なる事実として宣伝えた事は、キリストの贖罪の死とその埋葬と其の復活とその顕現とであつた。之れパウロが他の使徒らより「受けし」処であつて自己の捏造では無い。之を見ても福音の中心問題が今日の教会に於て甚だしく軽視せられるキリストの贖罪と復活の問題である事がわかる。
15章5節 ケパに
口語訳 | ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。 |
塚本訳 | またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。 |
前田訳 | ケパに、さらに十二人に現われ、 |
新共同 | ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。 |
NIV | and that he appeared to Peter, and then to the Twelve. |
註解: (▲福音は理論に基礎を置くのでなく、3-8節の如き事実に基礎を置いているのである。)本節以下に復活のキリストの顕現の事実を証拠として列挙している。ルカ24:34-36。ヨハ20:19以下を見よ。
15章6節
口語訳 | そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。 |
塚本訳 | そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。 |
前田訳 | その後五百人以上の兄弟に同時に現われたまいました。その大部分は今なお生きながらえ、何人かが眠りました。 |
新共同 | 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。 |
NIV | After that, he appeared to more than five hundred of the brothers at the same time, most of whom are still living, though some have fallen asleep. |
註解: 此の事実は福音書の方には記されて居ない、多分マタ28:16の場合にガリラヤに起つた事であろうとの説もあれど確実ではない。「今なお目撃者が生存している」と云う事はパウロの言の決して捏造にあらざる証拠として有力である。「疑うならば彼らに問うべし」との意が含まれている。
15章7節
口語訳 | そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、 |
塚本訳 | そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。 |
前田訳 | その後ヤコブに、さらにすべての使徒に現われたまいました。 |
新共同 | 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、 |
NIV | Then he appeared to James, then to all the apostles, |
註解: ヤコブは十二使徒の一人では無く「主の兄弟」(ガラ1:19)と呼ばれ、キリストの死後使徒団に加わり、エルサレムに於てその首位を占め「教会の柱石の一人」(ガラ2:9)であつた。彼はイエスの復活を見て信ずるに至つたものであろう(ヨハ7:5)。「凡ての使徒」に顕われしは昇天の時である。「凡て」とは十二使徒以外の使徒をも含む(5節を見よ)。
15章8節
口語訳 | そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。 |
塚本訳 | しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。 |
前田訳 | 最後に、月足らずのようなわたしにも現われたまいました。 |
新共同 | そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 |
NIV | and last of all he appeared to me also, as to one abnormally born. |
註解: パウロのダマスコ途上の実験(使9:3-9)を指している。此の顕現はイエスの最後の顕現であつた、パウロはかくしてイエスの重なる弟子たちに伍した事の光栄を思い、謙遜の心を以て自己を「月足らぬ者」と呼んでいる。即ち他の使徒らは長年月キリストと共にいてキリストによりて充分に育つているのに、パウロは急に新生を経験したからであろう。
15章9節
口語訳 | 実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。 |
塚本訳 | ほんとうにわたしは、使徒の中で一番小さい者である、いや、わたしは使徒と言われる値打もない、神の集会を迫害したからである。 |
前田訳 | わたしは使徒たちの中で最も小さいもので、使徒と呼ばれるに値しません。神の集会(エクレシア)を迫害したからです。 |
新共同 | わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。 |
NIV | For I am the least of the apostles and do not even deserve to be called an apostle, because I persecuted the church of God. |
註解: (使8:3、及その引照を見よ)。パウロがユダヤ教に対する熱心から、基督教徒を迫害した事は彼の心に一生医えざる痛を覚えた事であろう。彼が最も偉大なる使徒であつたのに彼をして「最少きもの」と謙遜せしむる原因は茲に在つた。
15章10節
口語訳 | しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。 |
塚本訳 | しかし神の恩恵によって、いまあるような者であり、わたしに対するその恩恵はむだでなく、わたしは彼ら(使徒)一同よりも余計に働いた。しかしそれはわたしでなく、わたしを助けた神の恩恵である。 |
前田訳 | 神の恩恵によってわたしは今あるものでありえます。そして神のわたしへの恩恵はむだにはならず、わたしは彼らすべてよりも多く働きました。それはわたしではなく、わたしとともにある神の恩恵です。 |
新共同 | 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 |
NIV | But by the grace of God I am what I am, and his grace to me was not without effect. No, I worked harder than all of them--yet not I, but the grace of God that was with me. |
註解: 茲にパウロは彼の上に加えられし神の恩恵の大さを思い、感謝の念に堪えざるものの如く、異邦人の使徒とされるに至つた事、及び其の後自分が偉大なる働きをするに至つた事は皆神の恩恵である事を告白し、此の恩恵の原因たりしイエスが彼に現われ給える事実に対し思はず讃美の声を発している、パウロの復活に対する信仰は徒 らなる信仰では無かつた。
辞解
多くの学者は「これ我にあらず、神の恩恵我と偕に働けるなり」なる原本を正しとしている。冠詞 hê の有無によりて此の差が起つて来る.
15章11節 されば
口語訳 | とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのである。 |
塚本訳 | どのみち、わたしにせよ彼らにせよ、わたし達はこのように(復活の福音を)説いており、そのようにあなた達は信じたのである。 |
前田訳 | わたしにせよ、彼らにせよ、われらはこのようにのべ伝え、あなた方はこのように信じたのです。 |
新共同 | とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。 |
NIV | Whether, then, it was I or they, this is what we preach, and this is what you believed. |
註解: パウロもペテロも其の他の使徒も皆此の点に於て、一致していて之を教会の信仰の基礎としていた。
要義 [キリスト復活の事実の確かさ]此の記事はキリストの復活に関する最初の記事である。パウロは茲に明かにキリストの体の復活を意味していた事は疑うの余地が無い。而して歴史的記述として是ほど確実なる記述は無い。此の書簡がパウロの書簡である事は何人も疑わない。夫故にキリスト復活の事実は歴史上の他の如何なる事実よりも確実なる証拠を有っているのである。故に此の事実を否定しなければならない霊的復活説、幻影説、事実捏造説等、凡てキリストの復活を否定する学説は、この記事の如き確実なる証拠を自己の想像を以て否定せんとしているのに過ぎないのであって何等の証明力がない。基督教は永遠にこの確実なるキリストの十字架と其の復活に其の基礎を置いているのである。
15章12節 キリストは
口語訳 | さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。 |
塚本訳 | ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。 |
前田訳 | キリストが死人の中から復活されたとのべ伝えられているのに、あなた方の中に死人の復活がないというものがあるのはどういうことですか。 |
新共同 | キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。 |
NIV | But if it is preached that Christ has been raised from the dead, how can some of you say that there is no resurrection of the dead? |
註解: コリント人の中に死人の復活を否定する者があつた、キリス卜が確実に復活し給えるに死人の復活が無い筈は決して無い。パウロはキリストの復活の中に万人の復活を予見したのである。▲現代人はコリント人以上に復活を非科学的として否定する。併し神が生命の創造者に在す以上、新生命を創造して之に形体を与え得ない筈が無い。生命の基礎たる細胞の科学的研究が進んだ今日(20世紀中頃)新生命の創造を否定し得る学的根拠はない様に思う。
15章13節 もし
口語訳 | もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。 |
塚本訳 | しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。 |
前田訳 | もし死人の復活がなければ、キリストも復活されなかったでしょう。 |
新共同 | 死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。 |
NIV | If there is no resurrection of the dead, then not even Christ has been raised. |
註解: キリストの復活は死人の復活の前提である。故に死人の復活なきにキリストのみ甦えり給うと云う筈はない。故に前者を否定すれば、同時に後者を否定しなければならぬ。本節は12節の重複ではなく反対の一面である。
15章14節 もしキリスト
口語訳 | もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。 |
塚本訳 | キリストが復活しておられないならば、わたし達の説教はそれこそ根拠がない。あなた達の信仰も根拠がない。 |
前田訳 | もしキリストが復活されたのでなければ、われらの宣教はむなしく、あなた方の信仰もむなしいでしょう。 |
新共同 | そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。 |
NIV | And if Christ has not been raised, our preaching is useless and so is your faith. |
註解: (▲「復活」が宣教及び信仰の中心であると云う事は今日非常に無視され、寧ろ復活は信仰や宣教の妨害であるが如くに考えられている。人間の不完全な知識や常識的科学が神の力を無視しているからである。)キリストの復活は彼の神性の証拠である(ロマ1:4)、彼神の子に在し給うが故に其の十字架の死は我らの罪のための死である事がわかる、従て十字架による我らの罪の赦しも彼の復活に其の基礎を置いている。故にキリストの復活なくば十字架の贖も罪の赦もなく我らの宣教の凡ての建物は顚覆してしまうであろう。又キリスト自ら死とサタンとに征服せられ給うたならば、彼を信ずるものも亦同じ運命に帰してしまうであろう。然らば其の信仰は全く空漠たるものではないか。
15章15節 かつ
口語訳 | すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。 |
塚本訳 | またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである。 |
前田訳 | そのうえわれらは神の偽証者となるでしょう。なぜなら、われらはキリストが復活されたことを神について証したからで、もし死人が復活しなければ神はキリストを復活させたまわなかったでしょう。 |
新共同 | 更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。 |
NIV | More than that, we are then found to be false witnesses about God, for we have testified about God that he raised Christ from the dead. But he did not raise him if in fact the dead are not raised. |
註解: (▲▲「神に反して」が訳語の中に脱けている。本節全体は口語訳が勝っている故参照すべし。)単に我らの宣教が空しきのみならず、進んで我らは神につき偽の証を為すの大罪人となる訳である、福音の使徒か、神の偽証人か、死人の復活の否定は結局此の結論に達せざるを得ない。故に復活を否定しつつペテロやパウロを使徒としてあがめるのは大なる自己撞着 であつて、今日の基督者に此の如き状態にいる者は多くある。
もし
註解: 神がキリストを甦えらせ給いしは、死人をも甦えらせんが為である。故に我らが「神はキリストを甦えらせ給えり」と証するのは、結局「神は死人をも甦えせ給わん」と云うと同じ事である。
15章16節 もし
口語訳 | もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。 |
塚本訳 | 死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。 |
前田訳 | 死人が復活しなければ、キリストも復活されなかったでしょう。 |
新共同 | 死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。 |
NIV | For if the dead are not raised, then Christ has not been raised either. |
15章17節
口語訳 | もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。 |
塚本訳 | しかしキリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる。 |
前田訳 | もしキリストが復活されなかったならば、あなた方の信仰はいたずらで、まだ自分の罪のうちにとどまっているでしょう。 |
新共同 | そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。 |
NIV | And if Christ has not been raised, your faith is futile; you are still in your sins. |
註解: 死は罪の価である(ロマ6:23)、故に死人の復活を否定するものは結局キリストの復活を否定する事となり、其の結果キリストは死に打勝つ事が出来ず、罪のために咀われて終り給うたこととなる。若し然らば彼は如何にして他人を義とする事が出来ようか、彼の復活は我らの義のためである(ロマ4:25)。キリスト若し復活し給わないならば我らの罪を赦されし証拠は何処にもない、我らの信仰は空しく結局救を得る事が出来ない。
辞解
[空しく] Mataia は14節の「空しく」Kenê と異る。前者は結果を得る事が出来ないこと、後者は内容の空なる事。
15章18節
口語訳 | そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。 |
塚本訳 | 従ってまたキリストを信じて眠った者も滅びたのである。 |
前田訳 | そのうえキリストにあって眠った人々も滅びたでしょう。 |
新共同 | そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。 |
NIV | Then those also who have fallen asleep in Christ are lost. |
註解: キリストに在りて眠れる者は此の復活の希望を以て逝 いた、彼らの希望が空に帰して彼らが亡びてしまったと云う事は、実に気の毒な事となるではないか、コリントの信者は恐らく其の使徒のあるものが、復活の希望をいだいて勝利の中に眠つたのを見たであろう。
15章19節
口語訳 | もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。 |
塚本訳 | もしただこの生涯でキリストに望みをかけていただけ(で、来るべき世で満たされることがないの)なら、わたし達ほど同情すべき人間はない。 |
前田訳 | もしただ今の生涯においてキリストに望みを置くだけならば、われらはすべての人間の中で一番あわれなものです。 |
新共同 | この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。 |
NIV | If only for this life we have hope in Christ, we are to be pitied more than all men. |
註解: 前節は死人に関し本節は現に生存しているものについて言つている。「もし我ら唯、此の世に於てキリストに望みをおくに過ぎずば我らは・・・」と訳すべきであろう。(▲その望をかけたキリストが復活しないならば、我らの望みは全く空な訳である。)使徒始め基督者は神の御栄を掲げんが為めに此の世の人以上の正義を行い、此の世の中にあつて悪魔と戦い種々の困難を甞 めなければならない。又キリストは其の愛の故に特に厳しく我らの悪を罰し、又我らを鍛錬せんが為めに特に強く懲しめ給う、又彼らは此の世の快楽に耽溺する事が出来ず之を節制する、又基督者はキリストの名の故に特に人々に忌み嫌われる。基督者がかく多くの苦難を忍ぶ所以は此の世が万事の終りでは無く、復活によりて来世が始まる事を信ずるからである。若し我ら此の世限りキリストに望をつなぎ、其の以後は消滅してしまうものならば、此の世に於てかく苦しまなければならない基督者は人間の中で最も憫れむべき者である。
要義 [復活を信ぜざる結果]要するに復活を信ぜざる結果は(1)キリストの復活の事実の否定となり(1-3節)。(2)宣教も空に帰し信仰も無意味となり(14節)。(3)使徒自身の人格をすら認めざるに至り(15節)。(4)我らの救も希望も根本より覆ってしまうのである(16-19節)。要するに基督教全体の破壊となるのであって、是を見ても復活が如何に重大なる教理であるかを知る事が出来る。
15章20節
口語訳 | しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。 |
塚本訳 | しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。 |
前田訳 | しかし今や、キリストは眠ったものの初穂として死人の中から復活されました。 |
新共同 | しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。 |
NIV | But Christ has indeed been raised from the dead, the firstfruits of those who have fallen asleep. |
註解: されどキリストの復活は、前述の如く明瞭確実なる事実であつて寸毫 も疑う事が出来ない。然のみならず是単に一の独立せる事件では無く、恰 も初穂が刈り取られて全収穫が之に従う事を知ると同じく、キリストは眠れる者の初穂であつて、キリストにありて眠れる凡ての者は、彼に従つて復活する事を知る事が出来る。
15章21節 それ
口語訳 | それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。 |
塚本訳 | というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。 |
前田訳 | 死がひとりの人によって来たので、死人の復活もひとりの人によって来たのです。 |
新共同 | 死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。 |
NIV | For since death came through a man, the resurrection of the dead comes also through a man. |
15章22節
口語訳 | アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。 |
塚本訳 | (一人の人)アダムとのつながりのゆえにすべての人が死ぬのと同じように、(一人の人)キリストを信じてすべての人が命を与えられるのである。 |
前田訳 | それは、アダムにあって皆が死ぬように、キリストにあって皆が生かされるからです。 |
新共同 | つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。 |
NIV | For as in Adam all die, so in Christ all will be made alive. |
註解: 茲にパウロはアダムとキリストとを対照し双方とも「人」であるけれども、全く正反対の働きを為す事を示し、アダムは其の死によりて万人の死の原因となりキリストは其の復活によりて万人の復活の原因となり給える事を示す。万人の復活は信者、未信者の凡てを含むのであつて(ヨハ5:28以下黙20:5)、永遠の栄光に入る為めの復活と永遠の審判に入る為の復活とを含んでいる(反対説あり)(ロマ5:12以下にもアダムとキリストとにつきて同様の比較をしているけれども、説明せんとする目的に差別がある)。
15章23節
口語訳 | ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、 |
塚本訳 | ただ(それには順序がある。)ひとりびとりが自分の(属する)組の番の時に(復活する。)最初は(すでに)キリストが、その次に、キリストの来臨の時にキリストのものである人たちが、 |
前田訳 | おのおのにその順があります。初穂であるキリスト、次にその来臨のときキリストに属するものたち、 |
新共同 | ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、 |
NIV | But each in his own turn: Christ, the firstfruits; then, when he comes, those who belong to him. |
口語訳 | それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。 |
塚本訳 | それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。 |
前田訳 | それから終わりが来ます。そのときすべての支配、すべての権威と力とを滅ぼして、国を父なる神にお渡しになります。 |
新共同 | 次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。 |
NIV | Then the end will come, when he hands over the kingdom to God the Father after he has destroyed all dominion, authority and power. |
註解: 而して復活の順序は之を三段に区別する事が出来る、第一段はキリストの復活であつて是は既に成就し、第二段はキリストの再臨であつてキリスト先づ空中まで来り給い、眠れるもの先づ甦り生きて残れる者は聖化する(Tテサ4:16、17。Tテサ3:13)。第三段は今の世の終の審判の時であつて、凡ての人々の復活と審判が此の時に起るのである。 尚Tコリ15:51、52。マタ24:40-41、マタ25:1-30。ルカ14:15。ルカ20:35。黙19:15、16。黙20:4-6。 世の終末までの光景は次節以下に記されている。
その
註解: キリスト再臨による信者の復活の後、世の終が来る迄の間にキリストは王として支配し給い神に敵する凡ての霊的存在を滅ぼし、国より完全に敵を払い清め給う。是れ所謂千年時代及其の前後の審判の時代であつて黙19章20章に詳記されている処である、此の千年時代の終りに万人の復活と審判がある。然る後国を父なる神に付し給う、斯くして父は子と共に支配し給うのである。▲世の終末に於ける是等の状態はキリスト・イエス自身が直接示したのではなく、イエスの言の断片と旧約の予言と又使徒等に示された直接の黙示に由ったものである。
辞解
[権能] arkee 霊界の巨頭。
[権威] exsusiai 同権力を有つ当局者。
[権力] dynamis 同軍勢(是等につきてはロマ8:38。コロ1:13、コロ1:16。エペ2:2。エペ6:11、12。)
[国] 「支配」とも訳する事が出来る。
15章25節
口語訳 | なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。 |
塚本訳 | 彼はすべての“敵を(征服して)足の下に置く”(まで、地上に)王であらねばならないからである。 |
前田訳 | 彼はすべての敵をお足もとにお置きになるまで、王であるべきだからです。 |
新共同 | キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。 |
NIV | For he must reign until he has put all his enemies under his feet. |
註解: 前節の証明であつて詩110:1によりキリストは凡ての敵を滅ぼすまで支配し(王として)給う事が必要である事を示している。神の子は父より権を与えられて此の地を支配し、凡ての敵を亡ぼして国を父に返すべき任務を持つている故に敵の存在を許して置く事が出来ないのは当然である。悪を行いつつ審判を考えない者は此の聖句により其の運命を懼るべきである。
口語訳 | 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。 |
塚本訳 | 最後の敵として、死が滅ぼされる。 |
前田訳 | 最後の敵として死が滅ぼされます。 |
新共同 | 最後の敵として、死が滅ぼされます。 |
NIV | The last enemy to be destroyed is death. |
註解: 死は神の本質と矛盾せる現象であつて神の敵である。併し乍らサタンと罪の勢力が支配している間は死は其の当然の値である(ロマ5:21。ロマ6:23)、故に死はあらゆる権能、権威、権力にもまされる敵であつて、是も当然に亡ぼされなければならないものである。死が亡ぼされて人は完全なる勝利を有つ(56節)黙20:12、13。
15章27節 『
口語訳 | 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。 |
塚本訳 | “万物を神は彼の足の下に服従させた”(と聖書にある)からである。しかし万物が(彼に)服従していると言うとき、万物を彼に服従させたお方を除くことは明白である。 |
前田訳 | 彼はすべてをお足もとにお従わせだからです。すべてが従わせられたという以上、すべてをお従わせの方ご自身を除くことは明らかです。 |
新共同 | 「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。すべてが服従させられたと言われるとき、すべてをキリストに服従させた方自身が、それに含まれていないことは、明らかです。 |
NIV | For he "has put everything under his feet." Now when it says that "everything" has been put under him, it is clear that this does not include God himself, who put everything under Christ. |
註解: 詩8:6をパウロはメシヤの支配の預言と解し処々に之を引用している。「彼の足下」はキリストの足下であつて、神は万物をキリストの御足の下に服従させ給うた。万物を彼に服わせたりと云えば彼自身は此の服従するものの中に入つて居ない、即ちキリストは神の外何物にも服従し給わず王たる地位を保ち給う、然る後キリストは此の関係に於いて父に国を付し給う。
15章28節
口語訳 | そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。 |
塚本訳 | そして万物が彼に服従したら、その時御子自身も、万物を御自分に服従させたお方に服従されるであろう。そうすれば神がすべてにおいてすべてとなられる。 |
前田訳 | すべてが彼に従わせられるそのとき、み子自身もまたすべてを従わせたもう方にお従いになるでしょう。それは神がすべてにおいてすべてとなりたもうためです。 |
新共同 | すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。 |
NIV | When he has done this, then the Son himself will be made subject to him who put everything under him, so that God may be all in all. |
註解: 万の物神に従う以上子なるキリストも亦神に服い給う事は勿論であつてかくして神は遂に万物の中に内住し之を満し之を支配し給い、天下一つとして神に服わぬものなきに至り、茲に完全なる新天新地(黙22:1以下)が実現するのである。此の光景を想像し見よ、如何に雄大荘厳なる光景であろうか、キリストを首に、信者、自然界、並に陰府の中に投入れられし者に至るまで、皆神を仰ぎ神に服う時こそ宇宙の隅々に至るまで讃美の声が挙げられる時である。此の節に子なるキリストが父に服う事は三位一体の論(三者対等の神と見たる)に矛盾せずやと考うる学者があるけれども誤りである、子なる神は服従が其の本質であり給うのである。
要義 [聖書の未来観]茲にあるパウロの未来観は聖書の他の部分の未来観に一致している。即ち未来は之を三階段に区別する事が出来る。
第一段はキリストの復活であって之によりてキリストの神たる事を証し、信者の罪の赦の保証を与え、万人復活の希望を握る事が出来る(23節前半)。第二段はキリストの再臨であって(23節後半、Tテサ4:13-17。Tコリ15:51、52。黙20:4-6)其の時キリストに在りて眠れる信者は先づ甦り、其の時生存している信者は聖化して空中に取り上げられる(マタ24:40、41。尚マタ25:1-30。ルカ14:14。ルカ20:35。黙19:14-16)。此の後地上に大なる艱難の時代来り24節の審判は始まる(マタ25:31以下)次にキリスト、復活せる聖徒と共に地上に来り(ルカ19:15。Tテサ3:13。コロ3:4。ユダ1:14、15。黙19:15)王として地上を支配し給う、所謂千年時代(黙20章)であって此の時サタンは縛られ、神を知るの智識全地に漲 る時代生じ、此の時代の終りに第三段として万人の復活あり(ヨハ5:28、29。使24:15。黙20:11-15)最後に死も亡ぼされ(26節、黙20:14)て地上に神に反する何物もなきに至って、キリストは国を父なる神に付し給い(24節)神が萬 に於て萬 となり給う(28節)是即ち終である(24節)。
15章29節 もし[
口語訳 | そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。 |
塚本訳 | もしこうで(なく、復活というものが)ないならば、(集会で)死人に代わって洗礼を受ける人たちは、どうすればよいのであろうか。死人は全く復活しないのなら、いったいなぜあの人たちは彼らに代わって洗礼を受けるのか。 |
前田訳 | さもなければ、死人に代わって洗礼を受ける人たちはどうすべきですか。もし死人が全く復活しないのなら、何のために彼らに代わって洗礼まで受けるのですか。 |
新共同 | そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。 |
NIV | Now if there is no resurrection, what will those do who are baptized for the dead? If the dead are not raised at all, why are people baptized for them? |
註解: 「もし復活なくば」は原語「さもなくば」にして、其の意味は「もし20-28節に示すが如く復活が是等の偉大なる希望と神の経綸の基礎でないならば」と云う意味である(W2)。茲に「死人」を三度 くり返している中で第一及び第三は霊的に死せる人(マタ8:22。エペ2:1。Tテモ5:6。黙3:1)である。即ちキリストを信ずる事によりて霊の新生を経験せざる人を意味する。元来人間は此の意味に於て皆「死人」であるけれども、キリストによりて救われし者は新なる生命に復活せる事の徴としてバプテスマを受けていた(ロマ6:1以下)。而して此の新しき生命には新しき復活体を賦与せらるべきものである(42-49節)。故に「もしやがて復活して神の国に於て神の子となるべき約束が空しいものであるならぼ、我らは完全なる死人である。かかるものが此の栄光の徴であるバプテスマを受けても何の役にも立たない」。もし死人が復活する事なくば(第二の「死人」は肉体的死人を意味する、マタ8:22)、今既に死体にも比すべき此の体にバプテスマを受ける事は無意義であろう。
辞解
此の一節は古来無数の解釈が行われた。J・W・ホースレー氏は三十六の解釈を集めたとの事である(I0)其中多く採用せられている解釈は(イ)バプテスマを受けずして死せる人の代理として後日生存者が、その死者のために之を受ける事(ロ)特に救われん事を望みつつ目的を果さずに死ねる人がある場合に、後に至り他人が其の死人に逢ひたしとの望よりバプテスマを受ける事(ハ)殉教の死を遂げて血のバプテスフマを受けかくして死者の群に入る事等である(G1)。何れの解釈にも相応の困難があつて確定する事が出来ない。
15章30節 また
口語訳 | また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。 |
塚本訳 | いったいなぜわたし達は絶えず(命の)危険をおかして(働いて)いるのか。 |
前田訳 | われらも何のためにいつも危険をおかしているのですか。 |
新共同 | また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。 |
NIV | And as for us, why do we endanger ourselves every hour? |
註解: パウロ及び其の同労者は復活の望を有つていたので、如何なる危険をも之に耐える事が出来た。(Tコリ4:9。Uコリ4:10、11。Uコリ11:23-27。ロマ8:35、36)。
15章31節
口語訳 | 兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。 |
塚本訳 | (危険どころか、)わたしは毎日死んでいる。ほんとうなのだ、兄弟たちよ、わたし達の主キリスト・イエスにあってわたしが持っているあなた達についての誇りにかけて言う。 |
前田訳 | 日ごとわたしは死んでいます。兄弟方、われらの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなた方について持つ誇りにかけてこういうのです。 |
新共同 | 兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。 |
NIV | I die every day--I mean that, brothers--just as surely as I glory over you in Christ Jesus our Lord. |
註解: 「我は汝らを信仰に導いた事について誇つているのであるが、此の誇の心を以て誓つて言う事が出来るのは、我は日々に死んでいると云う事である、即ち内面的には日々に自己に死し、又外面的には死の艱難を甞 めていると云う事である。但し此の誇はイエス・キリストに在りて之を持つているのであつて、自分の力によるのではない」。
15章32節
口語訳 | もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つのか。もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。 |
塚本訳 | もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、“食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ”である。 |
前田訳 | もしエペソで獣と戦ったのが人間に普通の考えであったのなら、わたしに何の益がありましょう。もし死人が復活しないならば、「われらは飲み食いしましょう、あす死ぬから」です。 |
新共同 | 単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、/「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。 |
NIV | If I fought wild beasts in Ephesus for merely human reasons, what have I gained? If the dead are not raised, "Let us eat and drink, for tomorrow we die." |
註解: 「獣」は猛烈なる敵手を意味し、当時パウロはエペソに於て彼らと戦わなければならなかつた、もしそれが「人の如き思にて」唯現世に対する利益、名誉等を望みて為したのであるならば全く何の益にもならない。
辞解
[獣と闘う] 実際迫害に逢い獣と闘わしめられたのであるとの解もある、併しローマ市民権を有つ者にはかかる事は禁ぜられていたので此の解は不適当である。
註解: 復活なくば信仰のために迫害せられ日々に死する生活を送るよりも、此の引用句の如く現在の快楽安佚 を追求して生活する方が遙に合理的である。人は何時死ぬるかすら解らない。そして死後は全く無に帰してしまうならば今かかる苦しみに逢ふ事は無意味である、コリントの信者の堕落の原因は茲にある事を暗示している。「朝に道を聞いて夕に死すとも可なり」なる論語の一節は一見「我らいざ飲食せん明日死ぬべければなり」に比して遙に高尚に見える。併し乍ら我ら死後の目的が不明瞭な場合には唯道を聞くのみで満足する事が出来ない。死後の生命、すなわち死人の復活につき学び得た後であるならば始めて死すとも可なるのみならず、如何なる迫害に遭つて死んでも少しも恨が無いと云う事が出来よう。
15章33節 なんぢら
口語訳 | まちがってはいけない。「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」。 |
塚本訳 | 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。) |
前田訳 | まちがわないでください。「悪い交わりはよい習わしを損ないます」。 |
新共同 | 思い違いをしてはいけない。「悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする」のです。 |
NIV | Do not be misled: "Bad company corrupts good character." |
註解: 「悪しき交際は善き風儀 を害 うなり」は喜劇詩人メナンダー作タイースの中にある句であつて恐らく当時通用の諺であつたろう。パウロは之を引用して復活を信ぜずに、前節の如き刹那主義の不道徳に陥つているコリントの信者のあるもの(5-10章の如き)と交われば自然に其の思想にも感染して復活を信ぜす従つて享楽主義に陥るに至ること故、之に注意して欺かれない様にしなければならぬ事を示している。
口語訳 | 目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのだ。 |
塚本訳 | 真にまじめになれ、罪を犯すな。(あなた達の)中には、(神を知っていると思いながら)神の知識を持たない者があるのだから。辱しめるために、あなた達に言うのだ。 |
前田訳 | 目をさまして身を正し、罪を犯さないでください。ある人々は神について無知のままでいます。あなた方をはずかしめるためにこういいます。 |
新共同 | 正気になって身を正しなさい。罪を犯してはならない。神について何も知らない人がいるからです。わたしがこう言うのは、あなたがたを恥じ入らせるためです。 |
NIV | Come back to your senses as you ought, and stop sinning; for there are some who are ignorant of God--I say this to your shame. |
註解: 真面自になつて覚醒せよとの意であつて「使徒的権威に充てる語である」(B1)。
註解: (直訳)「罪を犯すな、そは〔汝らのうち〕或者は神に関する無智を懐 けばなり」「罪」は的より外れる事であつて、此の場合神に関する無智より復活を否定する者が彼らの中にあり、之と交る事により其の結果罪を犯すに至らん事を警戒したのである。そして「神に関する無智をいだく」事は[神を知らぬ]事よりも一層甚しき程度を示し、コリントの信徒のあるものが単に神を知らぬと云うに止まらず此の無智を誇つて自ら知識ありと信じていた事を非難し、彼らをして恥ぢしめ奮起せしめんとしたのである。
要義 [復活の信仰の実際的効果]茲に復活を信ずるパウロと、之を信ぜざるコリントの信者との間の差異が明かにせられている。一方パウロは復活を信ずるが為に、非常なる迫害に耐えて日々死を経験しているのに一方は復活を信ぜざる結果現世的態度に堕落し、罪を犯すに至っている。故に復活の信仰は決して現在の生活とは無関係なものでは無い。現世の生活に確実なる目標を与えて之を指導するカである。
註解: 次にパウロは復活其のものに就ての難問題を仮定して、之に解決を与え(35-58)、復活体の如何なるものであるかにつきて説明している。
15章35節 されど
口語訳 | しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。 |
塚本訳 | しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。 |
前田訳 | しかしある人はいうでしょう、どういうふうに死人は復活するのか、どんな体で来るのか、と。 |
新共同 | しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。 |
NIV | But someone may ask, "How are the dead raised? With what kind of body will they come?" |
註解: 此の質問の中には多量に嘲弄の心持を含んでいる、今日と雖 も同じ嘲弄の語を聞く事が出来る、此の質問は二つに分れ第一は復活の力の原因に関し第二は復活体の性質に関している。36-38は第一の質問に対する答であり39-49は第二の質問に対する答である。
15章36節
口語訳 | おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。 |
塚本訳 | 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。 |
前田訳 | 愚かな人!あなた方がまくものは、死なねば生かされません。 |
新共同 | 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。 |
NIV | How foolish! What you sow does not come to life unless it dies. |
15章37節
口語訳 | また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。 |
塚本訳 | そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。 |
前田訳 | あなたがまくものは出来るであろう体でなく、麦でもほかの種でも、裸の粒です。 |
新共同 | あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。 |
NIV | When you sow, you do not plant the body that will be, but just a seed, perhaps of wheat or of something else. |
註解: パウロは茲に穀物播種の例を示し、此の極めて通俗なる事柄の中に復活の方法に関する原則がある事を論じている。即ち種を播きて穀物が発芽し発育する場合に三つの原則がある。其の一は播かれし種が死して分解し其の形を失う事、其の二は此の死体より生命が発生する事、其の三は発生せる生命と崩壊せる生命とが、別の形をなしていると云うことである。之と同じく死体より生命が別の形体即ち復活体となりて顕われるのである。
15章38節
口語訳 | ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。 |
塚本訳 | しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。 |
前田訳 | 神が御意のままにそれに体をお与えになり、しかもそれぞれの種にそれ独特の体をお与えになります。 |
新共同 | 神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。 |
NIV | But God gives it a body as he has determined, and to each kind of seed he gives its own body. |
註解: 神は其の御意のままに(創1:11)種が死せる後其の生命に別々の体を予 えて之を発育せしめ給う。人の復活も之と同様であつて、肉体が死して腐朽するけれども之より新なる生命が発生し、之に対して神は御意のままに体を与え給う、之れ「いかにして甦るべきか」(35節)との質問に対する答えである。即ち復活は自己の力にも意志にもよるにあらず神の力と神の御旨による事麦や其他の穀物と同一である。▲電子顕微鏡の発達に由って益々明白にされつつある事実は、生命の根源は雌雄の生殖細胞が合して出来た一個の細胞であり、之が分裂して一の個体を形成すると云う事実である。パウロは勿論かかる事実を知らなかったけれども、一個の種粒が土中に腐るとその中から生命が発生する事、そして各種子はその種類に従って神の与え給う通りの形体を取るに至る事実に対し不思議なる神の業を感じた事は、パウロの勝 れた達観であった。
15章39節
口語訳 | すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。 |
塚本訳 | すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。 |
前田訳 | すべての肉が同じ肉ではなく、人の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、みな違います。 |
新共同 | どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。 |
NIV | All flesh is not the same: Men have one kind of flesh, animals have another, birds another and fish another. |
15章40節
口語訳 | 天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。 |
塚本訳 | 天の体があり、地の体がある。しかし天のものの輝きは別であり、地のもののはまた別である。 |
前田訳 | 天上の体があり、地上の体があります。天上のものの栄光は地上のものの栄光と違います。 |
新共同 | また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。 |
NIV | There are also heavenly bodies and there are earthly bodies; but the splendor of the heavenly bodies is one kind, and the splendor of the earthly bodies is another. |
15章41節
口語訳 | 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。 |
塚本訳 | (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。 |
前田訳 | 日の栄光、月の栄光、星々の栄光があり、ある星と他の星とは栄光が違います。 |
新共同 | 太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。 |
NIV | The sun has one kind of splendor, the moon another and the stars another; and star differs from star in splendor. |
註解: パウロは宇宙間の森羅万象を捕え来つて、其の肉(生命あるものの血肉)、体(生物無生物の形体)、光栄(同じくその立派さを)比較し、各動物の間各天体の間又は天体と地上の物体との間に、是等のものが皆一々異つていて一として同じものの無い事を示している、而して是れ決して偶然では無く、神が御意のままに異れる肉、特有の体、種々の光栄をそれらのものに与え給うたからである。
辞解
「肉」sarx と「体」sôma とは、聖書にて常に区別して之を用いている。
15章42節
口語訳 | 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、 |
塚本訳 | 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。 |
前田訳 | 死人の復活もこれと同じです。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、 |
新共同 | 死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 |
NIV | So will it be with the resurrection of the dead. The body that is sown is perishable, it is raised imperishable; |
15章43節
口語訳 | 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、 |
塚本訳 | 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。 |
前田訳 | 恥のうちにまかれ、栄光へとよみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえります。 |
新共同 | 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。 |
NIV | it is sown in dishonor, it is raised in glory; it is sown in weakness, it is raised in power; |
15章44節
口語訳 | 肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。 |
塚本訳 | (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。 |
前田訳 | 肉の体でまかれ、霊の体によみがえります。肉の体がある以上、霊の体もあります。 |
新共同 | つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 |
NIV | it is sown a natural body, it is raised a spiritual body. If there is a natural body, there is also a spiritual body. |
註解: (▲凡ての物体、万の動植物の形体は夫々その種子の生殖細胞の染色体其他に於いて遺伝され神の創造の計画通りのものとして各々独自の性質、形体、光栄を有つ)39-41節の例によりて証明せられし如く、復活体と現在の人体との間にも其の肉、体、光栄、及び生命夫自身に於て画然 たる区別がある。我らの肉は「朽つる」ものであつて、其の構成元素は分解四散して跡を留めない。又之は「卑しき」物であつて、神の聖霊に従う事を欲せず(ガラ5:17)、絶えず呻吟 していて(ロマ8:18-23)、又これは「弱きもの」であつて悪魔の力に対抗する事が出来ない。而して之れは「血気」psychê の体であつて人間の生命(いのち)を宿すに適している体であるけれども「神の霊」を宿しまつるに足らない。然るに復活体は之に反し「朽ちぬもの」であつて永遠に死滅する事なき組織を以て形造られていて(神は凡てのものに其の御旨のままに生命の長短を定め給う、故に無窮の生命を与え給う事も亦神の能力の中にある)、又「光栄あるもの」であつて、天の使の光栄にもまさり神の御前に出づるに足るものとなり、又「強きもの」であつて悪魔に打ち勝つ事が出来、而して「霊の体」に甦えらせられて、現在の身体の不完全さが凡て除去せられし完全なる霊の体とせられるのである。故に現在の肉体と復活体とは全く異つたものであつて、神は其の御意のままにかかる不滅にして完全なる栄光の体を我らに与うる事を得給うのである。
辞解
[血気] と訳せられし psychikos 語源 psychê は動物の性来 の生命(Tコリ2:14参照)、及び之に伴う感情を総称している。故に「血気の体」とは人間性来 の魂及び感情の宿る処の体を意味する。
15章45節
口語訳 | 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。 |
塚本訳 | (聖書にも)このように書いてある、「最初の“人”アダム“は魂だけの生きものになり”、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。 |
前田訳 | こう聖書にあります、「はじめの人アダムは生きたものになった」と。終わりのアダムは生かす霊となりました。 |
新共同 | 「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。 |
NIV | So it is written: "The first man Adam became a living being" ; the last Adam, a life-giving spirit. |
註解: 茲にパウロは二種の異れる体を対照しつつ是が聖書に叶 える現象であつて、「始の人」即ち人類の始祖なるアダムが「終の人」即ち神の子たるべき者の始祖なるキリストの型である事を述べて、之を証明している。即ち始めのアダムは「活ける魂」(創2:7には生霊(いきもの:新共同訳では生きる者)と訳され創1:20、創1:24には生物と訳されている)であつて人間の魂 psychê が支配している生物であり、終のアダムなるキリストは其の復活昇天により(M0)聖霊を降して人々に生命を与うる者となり給うた。故にかくして与えられし永遠の生命には、又それに対する霊の体を復活によつて与えられるのである。
辞解
[活ける者] psychê zôsa、living soulの訳、活ける魂を意味す。
15章46節
口語訳 | 最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。 |
塚本訳 | しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。 |
前田訳 | しかしはじめにあったのは霊のものでなくて肉のものであり、その後に霊のものが来たのです。 |
新共同 | 最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。 |
NIV | The spiritual did not come first, but the natural, and after that the spiritual. |
註解: 是が神の創造の順序であつた、神は先づ血気のもの即ち人間性を創造り給い、之を神の霊に服従せしめんとし給うた。若しアダムが完全に之を行う事が出来たならば、彼の血気の体は次第に霊化して不死の体を得る事が出来たであろう、然るに彼の罪のために堕落して人類はそのまま霊のものとなり得ざるに至つた。故に終りのアダム即ち生命を与うる霊なるキリストによりて、新なる生命を与えられる必要が起つたのである。故に結局霊のものが後に来る事は神の御旨に叶える順序である。
15章47節
口語訳 | 第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。 |
塚本訳 | 最初の“人は地から出て土で出来たものであり”、第二の人は天の出である。 |
前田訳 | 第一の人は地から出た土のものですが、第二の人は天からの出です。 |
新共同 | 最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。 |
NIV | The first man was of the dust of the earth, the second man from heaven. |
15章48節 この
口語訳 | この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。 |
塚本訳 | 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。 |
前田訳 | 土のものたちはこの土のものに似、天のものたちはこの天のものに似ています。 |
新共同 | 土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。 |
NIV | As was the earthly man, so are those who are of the earth; and as is the man from heaven, so also are those who are of heaven. |
15章49節
口語訳 | すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。 |
塚本訳 | こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。 |
前田訳 | そしてわれらは土の像(すがた)を持ったと同じように、天の像をも持つでしょう。 |
新共同 | わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。 |
NIV | And just as we have borne the likeness of the earthly man, so shall we bear the likeness of the man from heaven. |
註解: 神は第一の人、アダムを土の塵より創造り給うた(創2:7)、故にアダムは土に属し「地的のもの」である。故にアダムより伝わつて来た我らの性来 の人、自然人は皆此のアダムと同じ性質を持ち同じ形を取つている。即ち性来 の我らは皆アダムと同じく死して土に帰る運命を有つている(創2:19)。然るに第二の人キリストは天より降りし者(ヨハ3:13)であつて(B1、A1、C1)、従つて天に属する者即ちキリストによりて贖われて神の子とせられし者は、キリストと似ていてやがてはキリストと同じ形に復活するであろう、故に土に属する性来 の人、アダムの子孫は死して朽ち果つべき運命を有ち、天に属し、キリストによりて霊の生命を与えられし者は、死に打勝ちて甦るべき運命を持つことは極めて当然の事である。
辞解
[天より出でたる者] キリストの栄光の体を指すものと解する人もある(M0、G1、I0).
[有つべし] 或る写本には「有つならん」phoresomen とあり、大多数の写本には「有つように努力しよう」phoresômen とある。
15章50節
口語訳 | 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。 |
塚本訳 | 兄弟たち、わたしの言うのはこのことである。血肉の人間は神の国を相続することは出来ず、死滅が不滅を相続することはない。 |
前田訳 | 兄弟方、このことを申します。肉と血は神の国を継ぎえません。朽ちるものは朽ちぬものを継ぎません。 |
新共同 | 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。 |
NIV | I declare to you, brothers, that flesh and blood cannot inherit the kingdom of God, nor does the perishable inherit the imperishable. |
註解: 以下三節に於いて(50-52)パウロは、キリストの再臨の時に地上に生存している人々は如何なる運命に逢うのであるかに就いて説明している。即ち人間の現在の生命が宿つている此の血肉は朽つべきものであつて、不朽永遠なるべき神の国を嗣ぐに足らない。故に若し我らの生存中にキリスト再び来り給わば、此の血肉は如何なる運命に遭うであろうか、是れ次に解決せられし問題である。
辞解
[血肉] と云いて特に「肉体」と云わないのは理由あることであつて、神の国を嗣ぐのは霊の「体」であるからである。
15章51節
口語訳 | ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 |
塚本訳 | いまここに(最後の日の)秘密を語る。わたし達はみんな眠ってしまうのではなく、(その時生きている者も眠った者も、)みんな変化させられるのである。 |
前田訳 | ここに奥義を告げます。われらは皆眠るのではありませんが、皆が変えられるでしょう。 |
新共同 | わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 |
NIV | Listen, I tell you a mystery: We will not all sleep, but we will all be changed-- |
15章52節
口語訳 | というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。 |
塚本訳 | あっと言う間に、瞬く間に、最後のラッパの音で!ラッパが鳴る。すると死人は不滅のものに復活し、(その時生きている)わたし達は変化させられるのである。 |
前田訳 | たちまち、瞬く間に、最後のラッパでです。ラッパは鳴るでしょう。そして死人は朽ちぬものによみがえり、われらは変えられましょう。 |
新共同 | 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。 |
NIV | in a flash, in the twinkling of an eye, at the last trumpet. For the trumpet will sound, the dead will be raised imperishable, and we will be changed. |
註解: 此の問題の解決としてパウロの示さんとする処のものは奥義であつて、神の黙示によりて示された処のものである。即ちキリスト再臨の報知として、終のラツパが鳴る時死人は朽ちぬ体に甦り、其の時末だ眠らずに(死なずに)生存している信者なる我らは一瞬間にして化して不朽の体を得るであろう。故にキリスト再臨の時に生存している者は、其の朽つべき血肉を以つて神の国に入るのでもなく、又一旦死して更に甦るのでもなく忽然として栄光の体に化するのである。Tテサ4:15参照。
辞解
[終のラツパ] 具体的に之を解すべきでは無く、何等かの合図があるものと解すべきであろう。
[▲化する] allassô-allagêsomai は他のものにされる事、全く異った体を与えられる事。
15章53節 そは
口語訳 | なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。 |
塚本訳 | (というのは、神の国に入るためには、)この死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着ねばならないからである。 |
前田訳 | それは、この朽ちるものが朽ちぬものを着、この死ぬものが死なぬものを着ねばならぬからです。 |
新共同 | この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。 |
NIV | For the perishable must clothe itself with the imperishable, and the mortal with immortality. |
15章54節
口語訳 | この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。 |
塚本訳 | そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。“死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。” |
前田訳 | そしてこの朽ちるものが朽ちぬものを着、この死ぬものが死なぬものを着るとき、聖書に書かれていることばが成就するでしょう。「死は勝利に呑まれた。 |
新共同 | この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。 |
NIV | When the perishable has been clothed with the imperishable, and the mortal with immortality, then the saying that is written will come true: "Death has been swallowed up in victory." |
註解: 茲にパウロはキリスト再臨の時の栄光を思いて思わず其の心は熱し来り、死に対する勝利の凱歌を奏している。即ち「復活栄化が行われ、此の腐朽し死滅すべき肉の体が、朽つる事なく死ぬる事なき体を着る事」は、神の救済の御計画から云えば、是非必要であるからである。而して此の事が実現する場合には、死は勝利のために呑み尽されたのであつて、人は完全に死の上に勝ち誇つていることが出来る。イザ25:8は此の意味に於て成就したのである。
辞解
[著 る] 着物は異つても中には同一人が一貫していることを形容した語である。
[べければなり] dei gai は「必要であるから」との意味である。
15章55節 『
口語訳 | 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。 |
塚本訳 | “死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は”。 |
前田訳 | 死よ、なんじの勝利はどこにある、死よ、なんじの刺はどこにある」と。 |
新共同 | 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」 |
NIV | "Where, O death, is your victory? Where, O death, is your sting?" |
註解: ホセ13:14(54節引照参照)。絶対に死に打勝てる者の叫声であつて、復活と栄化により死は全き敗北に陥り、其の毒剌を失つて人を剌すことが出来ないようになつた(26節)。
辞解
此の一節はホセ13:14から取つたのであつて七十人訳とヘブル語聖書とが異り、パウロの引用の語句は此の何れとも異る点があるので写本により種々の差異があるが、大体の意味に差異は無い。律法なる力が罪なる剌を以て我らを剌し殺す。
口語訳 | 死のとげは罪である。罪の力は律法である。 |
塚本訳 | ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。── |
前田訳 | 死の刺は罪であり、罪の力は律法です。 |
新共同 | 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 |
NIV | The sting of death is sin, and the power of sin is the law. |
註解: 人をして死に至らしむる剌は罪である、若し罪がなかつたならば死は無かつたのである(創2:17。ロマ5:12)。而して罪をしてかかる力を持たしむる原因は律法であつた(ロマ5:13)。即ち律法を与えられて、罪は始めて其の真の性質に於て露わされ、人を殺すとげたるの力となつたのである。
15章57節 されど
口語訳 | しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。 |
塚本訳 | しかし神に感謝あれ、勝利をわたし達の主イエス・キリストによってわたし達にお与えになる神に! |
前田訳 | われらの主イエス・キリストによってわれらに勝利を与えたもう神に感謝しましょう。 |
新共同 | わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。 |
NIV | But thanks be to God! He gives us the victory through our Lord Jesus Christ. |
註解: 然るに有り難い事には我らはキリストを信ずるによりて死に打勝つ事が出来る。何となればイエス・キリストの十字架の死によりて我らは我らを剌殺す処の罪につきては死にたるもの(ロマ6:11)となり、我らは最早や罪と死との法より解放たれたのである(ロマ8:2)。而してキリストの霊は我らを縛つた律法から我らを解放し、自由なる霊の律法に遵 つて歩ましめ給うのであつて、我らは之により罪とその力なる律法とより解放たれ、従つて罪の値なる死に打勝つ事が出来たのである、是れイエス・キリストの恩恵によるが故に、パウ口は溢れる感謝をささげたのである。
15章58節
口語訳 | だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。 |
塚本訳 | だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。 |
前田訳 | それゆえ、愛する兄弟方、堅く立って動かされず、つねに主のわざに励んでください。ご存じのとおり、あなた方の労苦は主にあってむだにはなりません。 |
新共同 | わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。 |
NIV | Therefore, my dear brothers, stand firm. Let nothing move you. Always give yourselves fully to the work of the Lord, because you know that your labor in the Lord is not in vain. |
註解: 最後にパウロはコリント信者の復活に関する誤れる信仰にもかかわらず、「我が愛する兄弟よ」と彼らを呼んでいるのであつて、今日の教会の如く信仰箇条によりて他を審かず、唯彼らを教訓し、而して後は此の復活の信仰を当然のものとして、之を無理に彼らに押し付くる如き態度を取らず、唯彼らにすすむるに「主の業に溢れん事」(直訳)を以てした。即ち主のよろこび給う愛の業(16:1以下)及び福音を頒 つ伝道の業は勿論、其他如何なる小さな業でも主の賦課し給う事をば之を努めて溢れるばかりならん事をすすめている、是れが主の再臨の時の為めの最上の準備である。再臨に関する知識のみでは足りない。そして其の理由はかかる業こそ主にある業であり、内容の充実せるものであるからである。他の凡ての業や知識は之に比して皆空しきものに過ぎない。
要義 [復活に就て]以上の如くパウロは復活につきて、之を凡ての方面より論じ去り論じ来りて、復活の動かすべからざる事実であり又我らの最大の希望である事、復活なしに基督教の全組織は崩壊してしまう事、而して復活なる事実が多くの人の考うる如く不合理なるものにあらざる事を証明した。尚使徒行伝を詳細に読むならば、ペテロもピリポもステパノも其他の弟子も皆キリストの復活を其の主要の項目として、伝道した事を見出すであろう。而して彼等は当然の結論として彼等の復活をも信じたのである。今日の如き科学の進歩せる時代に於て、復活の如き事を如何で信ずる事が出来ようかと唱うる者が多い。併し乍ら復活の事実は神が新天新地を創造し給う時に起るべき事柄であって、今の代(キリスト再臨迄の時期)に起るべき事柄では無い(キリストの場合は例外である)、故に今の代の科学を以て之を判断する事は出来ない。(▲最近の生命科学の進歩は、次第に神の創造力を認めざるを得ない迄に押しやられていると思われる。之こそ科学の真の進歩である。)此の意味に於て科学者も一層謙遜なる態度を取る事が必要である。故に復活は今日も昔と同じく我らの信仰の基礎であり、希望の中心である。理知的立場より之を信ずる事が出来ない為めに、此の事実を否定せんとする者は第一に理知が、凡ての真理を知り得るものなる事を証明しなければならず、第二にパウロ其の他の使徒の誠実を否定しなければならぬ。是れ一層大なる困難である。