黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マルコ伝

マルコ伝第14章

分類
6 イエスの受難週間 11:1 - 15:47
6-3 受難の序曲 14:1 - 14:42
6-3-イ イエスの死期近づく 14:1 - 14:2
(マタ26:1-5) (ルカ22:1-2)  

14章1節 さて過越(すぎこし)除酵(じょかう)との(まつり)二日(ふつか)(まへ)となりぬ。[引照]

口語訳さて、過越と除酵との祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、策略をもってイエスを捕えたうえ、なんとかして殺そうと計っていた。
塚本訳過越の祭と種なしパンの祭との二日前になった。大祭司連と聖書学者たちは、どんな計略でイエスを捕えて殺そうかと考えていた。
前田訳過越と種なしパンの祭りまで二日になった。大祭司と学者らはどんな計略で彼を捕えて殺そうかともくろんでいた。
新共同さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。
NIVNow the Passover and the Feast of Unleavened Bread were only two days away, and the chief priests and the teachers of the law were looking for some sly way to arrest Jesus and kill him.
註解: 受難週の第四日水曜日、ニサンの月の十三日となった。
辞解
[過越の祭] ニサンの月の十四日に始まり、午前中より全家よりパン種を除き、午後に羊を屠り、夜分すなわちニサンの月の十五日の始まる時日より翌朝に至るまで過越の食を取った。これより二十一日までを除酵祭が行われた。ただし習慣的には十四日もすでに除酵祭として数えられていた(S2)。

祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)詭計(たばかり)をもてイエスを(とら)へ、かつ(ころ)さんと(くはだ)てて()ふ、

14章2節 (まつり)(あいだ)()すべからず、(おそ)らくは(たみ)(らん)あるべし』[引照]

口語訳彼らは、「祭の間はいけない。民衆が騒ぎを起すかも知れない」と言っていた。
塚本訳「(早く片付けよう。)祭の時(に手を下して)はいけない。人民どもが騒動を起すかも知れない」と言っていたのである。
前田訳彼らはいった、「祭りの間はやめよう、民の乱があるといけない」と。
新共同彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
NIV"But not during the Feast," they said, "or the people may riot."
註解: 祭の間には全世界の各地より多くの参拝者がエルサレムに集っていた。その中にはイエスを知れるガリラヤその他の地方の人々もあるべくあるいは乱が起らんことを恐れた。祭司長、学者らはくしてその計画を躊躇していたけれども、イスカリオテのユダの裏切りによりて、彼らの予定は崩され神の御旨のごとくに、イエスは過越の羔羊として屠られ給うた。

6-3-ロ マリヤの塗油 14:3 - 14:9
(マタ26:6-13) (ルカ12:1-8)  

註解: 3−9節の記事とルカ7:36以下の記事およびヨハ12:1−8の記事との関係につきてはマタ26:6註を見よ。ルカ7:36の記事はこれとは異なる事実なるべくヨハ12:1−8はこれと同一の事実ならんとするのが通説である。ただしヨハネ伝によればこの事件は受難の六日前となりマルコ伝およびマタイ伝によれば二日前となる。何れが事実なるやは確定することができないが、マルコ伝マタイ伝はこれをイエスの埋葬の準備の意味をもってここに置いたのであろう。

14章3節 イエス、ベタニヤに(いま)して、癩病人(らいびゃうにん)シモンの(いへ)にて食事(しょくじ)(せき)につき居給(ゐたま)ふとき、[引照]

口語訳イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
塚本訳ベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、食卓についておられると、一人の女が混ぜ物のない、非常に高価なナルドの香油のはいった石膏の壷を持って来て、その壷をこわし、(香油をすっかり)イエスの頭に注ぎかけた。
前田訳彼はベタニアでらい者シモンの家におられた。食卓におつきのとき、ひとりの女が混りけのない、ごく高価なナルドの香油を入れた壺を持って来て、壺をこわして香油を彼の頭に注ぎかけた。
新共同イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
NIVWhile he was in Bethany, reclining at the table in the home of a man known as Simon the Leper, a woman came with an alabaster jar of very expensive perfume, made of pure nard. She broke the jar and poured the perfume on his head.
註解: 癩病人はすでに醫されているものと見るべきである。なお学者によりてはこのシモンを次節のマリヤの姉マルタの夫または父と見る説を唱う。次節を見よ。

(ある)(をんな)(あたひ)(たか)(まじり)なきナルドの(にほひ)(あぶら)()りたる石膏(せきかう)(つぼ)()(きた)り、その(つぼ)(こぼ)ちてイエスの(かうべ)(そそ)ぎたり。

註解: 「或女」はヨハ12:3によればマルタの妹マリヤであった。彼女が壺を(こぼ)せしは、全部を用い尽くす決心であったからで、イエスに対してその持てる凡てをささぐる美しき心の顕れであった。
辞解
[(まじり)なき] 「真物の」の意味で「贋造の」に対す。なおこの原語は難解で諸種の解釈あり。
[石膏] アラバスターで美しき蝋石の一種。
[ナルド] 高貴なる香油で、貴人の用に供されるもの。

14章4節 ある人々(ひとびと)(いきど)ほりて(たがひ)()[引照]

口語訳すると、ある人々が憤って互に言った、「なんのために香油をこんなにむだにするのか。
塚本訳数人の者は(これを見て、こう言って)互に憤慨した、「香油を、なぜこんなもったいないことをしたのだろう。
前田訳何人かが怒って互いにいった、「なんのために香油をむだ使いしたのか。
新共同そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。
NIVSome of those present were saying indignantly to one another, "Why this waste of perfume?
註解: 彼らはマリヤの心を理解せずにその行為のみを批判した。心を離れて行為のみを批判する時多くの場合重大なる過誤に陥る。
辞解
[ある人々] マタ26:8には「弟子たち」とあり、ヨハ12:4にイスカリオテのユダとあり、ユダが最も強くこれを主張し、他の弟子たちもこれに共鳴したのであろう。

『なに(ゆゑ)かく(みだり)(あぶら)(つひえ)すか、

14章5節 この(あぶら)(さん)(ひゃく)デナリ(あまり)()りて、(まづ)しき(もの)(ほどこ)すことを()たりしものを』[引照]

口語訳この香油を三百デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。そして女をきびしくとがめた。
塚本訳この香油は三百デナリ[十五万円]以上にも売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」そして女にむかっていきり立った。
前田訳この香油は三百デナリ以上に売れて貧しい人々に施せたのに」と。そして女をとがめた。
新共同この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
NIVIt could have been sold for more than a year's wages and the money given to the poor." And they rebuked her harshly.
註解: 貧民に施すことは勿論褒むべき行為である。しかしながらさらに大切なのは主を愛する心である。主を愛する心より出でざる行為は要するに一つの死にたる行為に過ぎない。
辞解
[デナリ] 一日の賃銀に相当す(マタ20:2)。また二百デナリをもって五千人の一食を求むることを得る(マコ6:37)故に三百デナリは非常に高価なものとなる。

(しか)して(いた)(をんな)(とが)む。

註解: 多くの男子に咎められて女は立つ瀬が無かったであろう。純真なる心をもって為したる行為も往々にして非難の的となることがある。
辞解
[咎む] embrimaomai はプンプン言うこと。

14章6節 イエス()(たま)ふ『その()すに(まか)せよ、(なん)ぞこの(をんな)(なやま)すか、(われ)()(こと)をなせり。[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「するままにさせておきなさい。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
塚本訳イエスは言われた、「構わずにおきなさい。なぜいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
前田訳イエスはいわれた、「構わずに。なぜ彼女を困らせるか。わたしによいことをしてくれたのに。
新共同イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
NIV"Leave her alone," said Jesus. "Why are you bothering her? She has done a beautiful thing to me.

14章7節 (まづ)しき(もの)は、(つね)(なんぢ)らと(とも)にをれば、何時(いつ)にても(こころ)のままに(たす)()べし、()れど(われ)(つね)(なんぢ)らと(とも)にをらず。[引照]

口語訳貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。
塚本訳貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるから、したい時に慈善をすることが出来る。だがわたしはいつも一しょにいるわけではない。
前田訳貧しい人々はいつもあなた方といっしょにいるから、すきなときによいことをしてやれる。しかしわたしはいつもいっしょではない。
新共同貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
NIVThe poor you will always have with you, and you can help them any time you want. But you will not always have me.
註解: イエスはその死を目近に見つつ非常なる寂寞を感じていた時であったので、マリヤの行為の中に非常に美しきものを感得し、これに反しイエスの死を全く気付かざるもののごとくに振舞っている弟子たちの心を見て悲しさにたえなかった。女子は男子よりも遙かに直観的であり、マリヤは漠然とではあったろうけれどもイエスの心の淋しさを直感した。かくしてイエスをなぐさめんとし、また自己の全心をイエスに注ぎ出さんとしてかかる行動を取ったのである。イエスはこれを善きこととして賞揚し給うた。

14章8節 ()(をんな)は、なし()(かぎり)をなして、()(からだ)(にほひ)(あぶら)をそそぎ、(あらか)じめ(はうむ)りの(そなへ)をなせり。[引照]

口語訳この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。
塚本訳この婦人はできるかぎりのことをした。──前もってわたしの体に油をぬって、葬る準備をしてくれたのである。
前田訳この女は力の限りをした。あらかじめ葬りにそなえてわが体に油をぬってくれた。
新共同この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
NIVShe did what she could. She poured perfume on my body beforehand to prepare for my burial.
註解: マリヤの愛より出づる予感はついに彼女をしてその全力を尽してイエスの体に香油をぬらしめ、これがイエスにとりては葬りのための準備としての塗油と感ぜしめたのであった。マリヤの純真なる愛より為せる行為は、彼女の期待せし以上のことを為したのであった。マタ26:13要義参照。

14章9節 (まこと)(なんぢ)らに()ぐ、全世界(ぜんせかい)何處(いづこ)にても、福音(ふくいん)宣傅(のべつた)へらるる(ところ)には、この(をんな)()しし(こと)記念(きねん)として(かた)らるべし』[引照]

口語訳よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。
塚本訳アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」
前田訳本当にいう、世界じゅう福音が説かれるところ、この女のしたことも記念して語られよう」と。
新共同はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
NIVI tell you the truth, wherever the gospel is preached throughout the world, what she has done will also be told, in memory of her."
註解: イエスがこのマリヤの行為に如何に重大なる意義を認め給うたかはこの一言をもって察することができる。福音の不滅であると共にこの女の行為もまた不滅である。この行為がかく絶大の賞讃に値する所以を深く味得すべし。マリヤの名を掲げざるは彼女がなお存命中なりし故なるべく、名を掲げずしてその行為を後世に伝うる価値あるほど、この行為そのものが光っていた。
要義 [行為とその価値]一つの行為が如何なる価値を有するやは、その影響の大小、その金銭的価格の多少等によりて判断せらるべきではなく、その心の状態すなわちその愛の多少によりて判断せらるべきである。而してこの愛は神に対しキリストに対する愛より出づるものである場合、最高の価値を有するのであって、その以下の場合もみなこの源より出づるものであることが必要である。打算や結果に対する顧慮より出づる行為または本能より出づる愛の行為は神の前に価値なきかまたは価値少なき行為である。

6-3-ハ ユダ、イエスを付さんとす 14:10 - 14:11
(マタ26:14-16) (ルカ22:3-6)  

14章10節 (ここ)十二(じふに)弟子(でし)一人(ひとり)なるイスカリオテのユダ、イエスを()らんとて祭司長(さいしちゃう)(もと)にゆく。[引照]

口語訳ときに、十二弟子のひとりイスカリオテのユダは、イエスを祭司長たちに引きわたそうとして、彼らの所へ行った。
塚本訳ここに十二人の(弟子の)一人であるイスカリオテのユダは、イエスを売ろうとして大祭司連の所に出かけた。
前田訳十二人のひとりイスカリオテのユダは、彼を引き渡そうとして大祭司らのところへと出て行った。
新共同十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。
NIVThen Judas Iscariot, one of the Twelve, went to the chief priests to betray Jesus to them.
註解: ユダが何故この時イエスを売らんとする心を起したかにつきては確実なる記録はないけれども、おそらくイエスがマリヤを庇護してユダを叱責せることに怨恨をいだき、また彼がイエスによりて大にこの世に活躍せんことを期待していたのにその期待が外れたこと、等であろう。十二弟子の一人ともいうべきものがかかる罪に陥るのを見れば、人間が如何に弱きものであり、自己の感情と慾望とに支配され易きものであるかを知ることができる。

14章11節 (かれ)()これを()きて(よろこ)び、(かね)(あた)へんと(やく)したれば、ユダ如何(いか)にしてか(をり)()くイエスを(わた)さんと(はか)る。[引照]

口語訳彼らはこれを聞いて喜び、金を与えることを約束した。そこでユダは、どうかしてイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。
塚本訳彼らは聞いて喜び、金をやる約束をした。ユダはどうしてイエスを引き渡そうかと、よい機会をねらっていた。
前田訳彼らは聞いてよろこび、金を与える約束をした。それで、ユダはいかなる機会にイエスを引き渡そうかと考えていた。
新共同彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。
NIVThey were delighted to hear this and promised to give him money. So he watched for an opportunity to hand him over.
註解: マタ26:15によれば銀三十とあり、これは奴隷の値であり(出21:32)またゼカ11:12以下の聖句がこのユダの場合に実現せるごとくに思われる故、マタイ伝はこの預言の成就せるものとしてユダの事件を取扱ったものであるとして、多くの学者は解釈する。ただしユダの受けし銀が三十シケルでなかったことが証明せられざるかぎりこの説は確定的ではない。「機好く」は祭の間なるをもって公然イエスを捕縛することを得ず、(ひそ)かに彼を捕えんとしたのである。
要義 [私慾による信仰]自己の立身出世のため、病を醫されんため、未来の報賞を得んため、永遠の生命を得んため等自己の慾望を動機として信仰に入る者は結局このユダのごとくに主を裏切るに至る。信仰を求むる当初はあるいは私慾がその動機となる場合もあろう。しかしながら一旦信仰に入りたる場合は、自己に属する凡てを神にささげてしまわなければならない。然らざれば結局において主を裏切り主に向って悪声を放つの結果とならざるをえない。我らはイスカリオテのユダたらざらんがためには、利己主義的信仰より脱却しなければならない。

6-3-ニ 過越の食の準備 14:12 - 14:16
(マタ26:17-19) (ルカ22:7-13)   

14章12節 除酵祭(じょかうさい)(はじめ)()(すなは)過越(すぎこし)羔羊(こひつじ)(ほふ)るべき()[引照]

口語訳除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに尋ねた、「わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか」。
塚本訳種なしパンの祭の初めの日、すなわち過越の小羊を屠る日(の朝)、弟子たちがイエスに言う、「どこへ行って過越のお食事の支度をしましょうか。」
前田訳種なしパンの祭りの初日、過越の羊がほふられる日、弟子たちは彼にいう、「過越の食事の支度に出かけますが、どこをお望みですか」と。
新共同除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。
NIVOn the first day of the Feast of Unleavened Bread, when it was customary to sacrifice the Passover lamb, Jesus' disciples asked him, "Where do you want us to go and make preparations for you to eat the Passover?"
註解: ニサンの月の十四日木曜日で受難週の第五日であった。この日午後に過越の羔羊を屠り、夕刻すなわち十五日に入りてより過越の食を食う。

弟子(でし)たちイエスに()ふ『過越(すぎこし)(しょく)をなし(たま)ふために、(われ)らが何處(いづこ)()きて(そな)ふることを(のぞ)(たま)ふか』

註解: エルサレム参詣のために上京せる者は未知の人の家をも利用して過越を食することができる習慣であった(S2)。イエスもこの習慣に従って最後の晩餐を取り給うた。

14章13節 イエス二人(ふたり)弟子(でし)(つかは)さんとして()ひたまふ[引照]

口語訳そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水がめを持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。
塚本訳そこでイエスはこう言って二人の弟子を使にやられる、「都まで行ってきなさい。水瓶をかついだ男に出合うから、そのあとについて行って、
前田訳するとイエスはこういって弟子ふたりをつかわされた、「町へ行きなさい。すると水瓶をかついだ男に出会おう。そのあとについて行きなさい。
新共同そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。
NIVSo he sent two of his disciples, telling them, "Go into the city, and a man carrying a jar of water will meet you. Follow him.
註解: ルカ22:8によればこの二人はペテロとヨハネであった。

(みやこ)()け、()らば(みづ)をいれたる(かめ)()(ひと)、なんぢらに()ふべし。(これ)(したが)()き、

14章14節 その()(ところ)家主(いへあるじ)に「()いふ、われ弟子(でし)らと(とも)過越(すぎこし)(しょく)をなすべき座敷(ざしき)何處(いづこ)なるか」と()へ。[引照]

口語訳そして、その人がはいって行く家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。
塚本訳どこでもその人が入ってゆく(家に入って、)家の主人に、『わたしが弟子たちと一しょに過越の食事をする部屋はどこか、と先生が言われる』と言いなさい。
前田訳どこでもその男が入る家の主人に告げなさい、『先生の仰せです、弟子たちといっしょに過越の食事をする部屋はどこか』と。
新共同その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』
NIVSay to the owner of the house he enters, `The Teacher asks: Where is my guest room, where I may eat the Passover with my disciples?'
註解: 水瓶を有てる奴隷に逢うことはイエスの透視先見力によりてこれを知ったのであった。これを予め打合せていたものと見ることはできない。家主に座敷を借用することを言うの態度があまりに馴々(なれなれ)しいため、この主人はイエスの弟子であるとする説、また使12:12よりマルコの父であるとする説等あれど確定的ではない。

14章15節 ()らば(彼自(かれみずか)ら)調(ととの)(そな)へたる(おほい)なる二階(にかい)座敷(ざしき)()すべし。其處(そこ)(われ)らのために(そな)へよ』[引照]

口語訳するとその主人は、席を整えて用意された二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」。
塚本訳すると主人は敷物のしいてある、用意のできた大きな二階座敷に案内してくれるから、そこでわたし達のために(食事の)支度をしなさい。」
前田訳すると主人は席を整えて用意した二階座敷へ案内してくれよう。そこでわれらのために支度しなさい」と。
新共同すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」
NIVHe will show you a large upper room, furnished and ready. Make preparations for us there."
註解: この点もイエスの奇蹟的洞見と解すべきである。「調(ととの)へ」は敷物を敷いてあること、またはその他の家具を整えたる場合にも用う。

14章16節 弟子(でし)たち()()きて(みやこ)()り、イエスの()(たま)ひし(ごと)くなるを()過越(すぎこし)設備(そなへ)をなせり。[引照]

口語訳弟子たちは出かけて市内に行って見ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
塚本訳(二人の)弟子たちは出かけて都に行って見ると、はたしてイエスの言葉どおりだったので、(そこで)過越の食事の支度をした。
前田訳そこで弟子たちは出かけて町へ行くと、彼がいわれたとおりであったので、過越の食事を支度した。
新共同弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
NIVThe disciples left, went into the city and found things just as Jesus had told them. So they prepared the Passover.
註解: すなわち羔羊を屠りこれを調理して夕に至り食し得るように準備した。過越の祭についてはマタ26:30要義1を見よ。

6-3-ホ 最後の晩餐 14:17 - 14:25
(マタ26:20-29) (ルカ22:14-23)   

14章17節 ()()れてイエス十二(じふに)弟子(でし)とともに()き、[引照]

口語訳夕方になって、イエスは十二弟子と一緒にそこに行かれた。
塚本訳夕方になると、イエスは十二人をつれて(そこに)来られる。
前田訳夕方になると、彼は十二人を連れて来られる。
新共同夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。
NIVWhen evening came, Jesus arrived with the Twelve.
註解: 受難週第六日金曜日、ニサンの月の十五日はこの食事の途中より始まる。イエスはベタニヤよりエルサレムに赴きそこに過越の食に就き給う。ペテロ、ヨハネも準備を終えて帰って来て共に行ったのであった。

14章18節 みな(せき)()きて(しょく)するとき()(たま)ふ『まことに(なんぢ)らに()ぐ、(われ)(とも)(しょく)する(なんぢ)らの(うち)一人(ひとり)、われを()らん』[引照]

口語訳そして、一同が席について食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたの中のひとりで、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」。
塚本訳彼らが席について食事をしているとき、イエスは言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人、“わたしと一しょに食事をする者が、”わたしを(敵に)売ろうとしている!」
前田訳彼らが席について食事していると、イエスはいわれた、「本当にいう、あなた方のひとりで、わたしと食を共にするものがわたしを引き渡そう」と。
新共同一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」
NIVWhile they were reclining at the table eating, he said, "I tell you the truth, one of you will betray me--one who is eating with me."
註解: イスラエルの出エジプトを祝する喜びの日にイエスは己が死を記念しなければならなかった。「我と共に食する」は単にその時に共に食事をしている事実を指したのではなく、詩41:9と同様最も親しき仲間を意味す。この一語の中に無量の感慨が含まれているのを感ずる。イエスは以前よりその死を予見し給うたけれども、この時にはさらに最も親しきこの十二弟子の一人が彼を付すことをも予感し給うた。イエスの淋しさは如何ばかりであったろう。しかもイエスはこれを神の御旨と信じ、これに対して何らの策略も手段も用いずこれに忍従し給うた。

14章19節 弟子(でし)たち(うれ)ひて一人(ひとり)一人(ひとり)『われなるか』と()()でしに、[引照]

口語訳弟子たちは心配して、ひとりびとり「まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
塚本訳(これを聞くと)弟子たちは悲しくなって、「(先生、)わたしではないでしょう!」(「わたしではないでしょう!」)と、ひとりびとりイエスに言い始めた。
前田訳彼らは悲しくなって、「わたしではありますまい」とひとりひとり彼にいいはじめた。
新共同弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。
NIVThey were saddened, and one by one they said to him, "Surely not I?"
註解: 弟子たちはイエスの御言葉にいたく驚いたに相違ない。有るべからざることをイエスの口より耳にして彼らは彼らの耳を疑った。あまりの不思議に、自ら自分のことをイエスに問うたのであった。「我こそは決してかかることを為じ」と言わなかったところに彼らの謙遜なる心持が」あらわれている。▲「われなるか」は「まさか私ではないでしょう?」の意、口語訳参照。

14章20節 イエス()ひたまふ『十二(じふに)のうちの一人(ひとり)にて(われ)(とも)にパンを(はち)(ひた)(もの)(それ)なり。[引照]

口語訳イエスは言われた、「十二人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が、それである。
塚本訳イエスは言われた、「十二人の一人、わたしと一しょにひとつ鉢から食べる者だ。
前田訳イエスはいわれた、「十二人のひとり、わたしといっしょに同じ鉢にパンをひたすものだ。
新共同イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。
NIV"It is one of the Twelve," he replied, "one who dips bread into the bowl with me.
註解: ユダヤ人の間にはソースのごときものを容れる容器を卓上に具え、これを近き席にいる数人が共同に用いてその中にパンを浸して食する習慣があった。それ故に「我と共にパンを鉢に浸す者」は、最もイエスに近く坐している人を指す。なおマタ26:25にはイエスがユダを指してその裏切者たることを明言し給えるごとくに録され、ヨハ13:26、27にはヨハネに対しユダがそれであることを示し給うた。おそらくこれらはみな小声に行われたものであろう。他の弟子たちはこれをさとらなかった(ルカ22:23ヨハ13:28−29)。

14章21節 ()(ひと)()(おのれ)()きて(しる)されたる(ごと)()くなり。[引照]

口語訳たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
塚本訳人の子(わたし)は(聖書に)書いてあるとおりに死んでゆくのだから。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」
前田訳人の子は聖書にあるとおりに去り行く。あわれなのは人の子を引き渡すその人。生まれなければよかったのに」と。
新共同人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
NIVThe Son of Man will go just as it is written about him. But woe to that man who betrays the Son of Man! It would be better for him if he had not been born."
註解: イザ53章の預言、その他の旧約聖書の預言のごとく、人の子は苦難の死を遂げなければならない。これは神の予定し給える処であって如何にしても免れることができない。

()れど(ひと)()()る(その(ひと))[(もの)]は禍害(わざはひ)なるかな、その(ひと)(うま)れざりし(かた)よかりしものを』

註解: 人の子は死すべく予定せられている故、受難は止むを得ないけれども、この人の子を売る者は、最大の悪事を行う者であって、最大の不幸者である。かかる人は生れて大なる刑罰を受くるよりも、生れざりし方が善かったのである。
辞解
本節には「人の子」・・・・・「人の子」、「その人」・・・・・「その人」と二回ずつ繰返して対照をなさしめ、ユダの罪とその不幸を明かに掲げている。

14章22節 (かれ)(しょく)しをる(とき)、イエス、パンを()り、(しゅく)してさき、弟子(でし)たちに(あた)へて()ひたまふ[引照]

口語訳一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」。
塚本訳(ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取りなさい、これはわたしの体である。」(皆がそれを受け取って食べた。)
前田訳彼らが食事しているとき、彼はパンを取り、祝福して裂き、彼らに与えていわれた、「お受けなさい、これはわが体です」と。
新共同一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」
NIVWhile they were eating, Jesus took bread, gave thanks and broke it, and gave it to his disciples, saying, "Take it; this is my body."
註解: この態度は一家の家長、または一団の団長が共同の食事に際して為す普通の態度である。パンを祝するとはそのパンに対する感謝とこれを用うることによる祝福を祈ることであるけれども、今日は、唯感謝の意味にも用いられる。

()れ、これは()(からだ)なり』

註解: イエスはまさにその体を()きて弟子たち、否、全人類に与えんとしつつあり給う。イエスの肉体を食いて我が肉体となすことが(ヨハ6:51以下)イエスを信ずる者の必要なる態度である。

14章23節 また酒杯(さかづき)()り、(しゃ)して(かれ)らに(あた)(たま)へば、(みな)この酒杯(さかづき)より()めり。[引照]

口語訳また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。
塚本訳また杯を取り、(神に)感謝したのち彼らに渡されると、皆がその杯から飲んだ。
前田訳杯を取り、感謝して彼らにお与えになると、皆がその杯から飲んだ。
新共同また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。
NIVThen he took the cup, gave thanks and offered it to them, and they all drank from it.
註解: イエスの肉体が人類のために裂かれると同じくその血もまた人類のために(そそ)ぎ出されるのであった。弟子たちはこの血を表徴する葡萄酒をのみてイエスの血に与ることを明かにし、またイエスとの一体の関係に入るのである。イエスが我らのために与え給える処のものは、我ら喜んでこれを受けなければならない。

14章24節 また()(たま)ふ『これは契約(けいやく)()()、おほくの(ひと)(ため)(なが)(ところ)のものなり。[引照]

口語訳イエスはまた言われた、「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
塚本訳彼らに言われた、「これは多くの人のために流す、わたしの“約束の血”である。
前田訳すると彼らにいわれた、「これは多くのもののために流すわが契約の血である。
新共同そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
NIV"This is my blood of the covenant, which is poured out for many," he said to them.
註解: 多くの人のために十字架に流されしイエスの血は、新しき契約の血、すなわち新しき契約を確める血であった。モーセがエホバとイスラエルの民との間に結ばれし契約の印に犠牲の血をその民に注いだ(出24:8)と同じく、イエスの血は新しき契約の印であった。旧き契約はモーセの律法を守る者は救わるべしとのことであり、新しき契約はイエスを信ずる者はその血によりて罪が贖わるべしとのことである。而してモーセの場合はその血は外より(そそ)ぎかけられるに過ぎないけれども、イエスの場合はこれを飲むことによって内より更正する。

14章25節 (まこと)(なんぢ)らに()ぐ、(かみ)(くに)にて(あたら)しきものを()()までは、われ葡萄(ぶだう)()より()るものを()まじ』[引照]

口語訳あなたがたによく言っておく。神の国で新しく飲むその日までは、わたしは決して二度と、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。
塚本訳アーメン、わたしは言う、神の国で新しいのを飲むその日まで、わたしはもう決して、葡萄の木に出来たものを飲まない。」
前田訳本当にいう、神の国で新しいのを飲むその日まで、ぶどうの木にできたものをわたしはもう決して飲むまい」と。
新共同はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
NIV"I tell you the truth, I will not drink again of the fruit of the vine until that day when I drink it anew in the kingdom of God."
註解: イエスが弟子たちと共にパンを食し葡萄酒を飲み給うことはこれが最後であることをイエスは知悉(しりつく)し給うた。それ故にこの世において葡萄の果より成るものすなわち葡萄酒を飲むことは永遠に無い。唯神の国が実現する時、そこに再び弟子たちと共に新しき飲物を飲む日が来るのである。
辞解
[新しき] この場合 kainos であって新鮮の意味ではない。種類の新しきことを意味す。すなわち葡萄の果より作れるものとは別種のものなることを示す。
要義1 [イエスは何故ユダを使徒の中に選び給いしや]十二使徒の一人なるユダがイエスを敵に付せしことに関しては多くの難問がある。第一にイエスは何故にユダを誤認し給いしや、その全智全能をもって彼の本質を見破り得ざりしや、第二にサタンがユダの心に入った時これを逐い出しユダを悔改めしめて再びイエスの弟子たらしむることができ得ざりしやの問題である。第一の疑問については人間の意思は自由であって、如何にイエスの弟子であっても何時でも悪を選び得るの自由がある故、イエスといえどもその弟子をして永久に不変ならしむることを得ざることをもってこれを解くことを得、第二の疑問につきてはイエスといえども人間の心を自由に左右し得給わないこと、すなわち人間はこの意味において完全に自主独立なる人間であることをもって答うることができる、従って人間はその凡ての行動につき自己が責任を負わなければならないこと、および如何に卓越せる人間であっても何らかの機会に急速に堕落する可能性があることを知ることができる。
要義2 [聖餐の意義]共観福音書によればこの最後の過越の食がイエスの袂別(べいべつ)の宴となり、弟子たちにとりて最も記念すべき晩餐となった。弟子たちにとりてはこの時の主イエスの一挙手一投足が(ことごと)く意味深きものとして思い出されたのであった。それ故にその後彼らが集って晩餐を共にする度毎に、彼らはこのパンと葡萄酒とをもって主イエスを記念したのである。三福音書の何れによるも主が「かく行いて我を憶えよ」とは言い給わなかった(唯Tコリ11:23−28にこのことが記されているに過ぎない)。それにもかかわらず弟子たちはかく行いて主イエスを記念することを喜んだ。この心持こそ聖餐式の真の意義である。単にイエスの命令なるが故にとてこれを律法的に遵守せんとし、またはこれをもって教会の特有の礼典とし、これに与るや否やによりて信仰の有無を決定せんとするがごときは聖晩餐の起源でもなくまたその意義でもない。

6-3-ヘ 弟子の躓を預言し給う 14:26 - 14:31
(マタ26:30-35) (ルカ22:31-34)   

14章26節 かれら讃美(さんび)をうたひて(のち)、オリブ(やま)()でゆく。[引照]

口語訳彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。
塚本訳(食事がすむと、)みなで讃美歌をうたったのち、オリブ山へ出かけた。(もう真夜中すぎであった。)
前田訳彼らは讃美歌をうたってからオリブ山へ出かけた。
新共同一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
NIVWhen they had sung a hymn, they went out to the Mount of Olives.
註解: 最後の酒杯(第四の杯)を終りてハレル詩篇の第二部(115−118)を歌い、エルサレムを出でてオリブ山に行いた。なお過越の祭についてはマタ26:30要義一を見よ。

14章27節 イエス弟子(でし)たちに()(たま)ふ『なんぢら(みな)(つまづ)かん、それは「われ牧羊者(ひつじかい)()たん、()らば(ひつじ)()るべし」と(しる)されたるなり。[引照]

口語訳そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊は散らされるであろう』と書いてあるからである。
塚本訳(道で)イエスは弟子たちに言われる、「(今夜)あなた達は、一人のこらず(信仰に)つまずくであろう。(聖書に)“わたしは羊飼を打つ、羊はちりぢりになるであろう”と書いてあるからである。(羊飼はわたし、羊はあなた達である。)
前田訳イエスは彼らにいわれる、「あなた方は皆つまずこう。聖書にある、『わたしは羊飼いを打つ。羊は散らされよう』と。
新共同イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』/と書いてあるからだ。
NIV"You will all fall away," Jesus told them, "for it is written: "`I will strike the shepherd, and the sheep will be scattered.'
註解: イエスはその死を前にしてゼカ13:7の聖句を思い浮べ給うた。而して今日まで彼に従い来れる弟子たちが、彼の死と共に彼に躓き、その希望を喪失して各所に散乱するならんことを思い、深き淋しさに打たれ給うた。それにも関らずイエスは弟子たちに、その死後も一致団結して天国の福音を宣伝うべきことを命じ給はなかった所以は、彼がやがて復活し、聖霊によりて弟子たちが新に立上がることを予知し給うたからである。イエスにも人一倍人間的の淋しさはあった。それにもかかわらず彼は人間的に弟子たちを束縛し給わなかった。
辞解
ゼカ13:7は「牧羊者を打て」となっており、かつ最後の関係は難解なり。

14章28節 ()れど(われ)よみがへりて(のち)、なんぢらに(さき)だちてガリラヤに()かん』[引照]

口語訳しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
塚本訳しかしわたしは復活した後、あなた達より先にガリラヤに行く。(そこでまた会おう。)」
前田訳しかしわたしは復活してのちあなた方に先立ってガリラヤへ行こう」と。
新共同しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
NIVBut after I have risen, I will go ahead of you into Galilee."
註解: イエスはその死と共にその復活をも予知し給うた。而して復活し給える後は再び弟子たちの羊群の牧羊者として彼らの前に立ちてカリラヤに往くべきことを告げ給うた。而してマタ28:16以下にその預言の実現せることが記されているけれどもマルコ伝にはそのマコ16:9−20の結尾に、このことが記されていない。この結尾が真正なるものにあらざりし重要なる証拠の一つである。

14章29節 (とき)にペテロ、イエスに()ふ『假令(たとひ)みな(つまづ)くとも(われ)(しか)らじ』[引照]

口語訳するとペテロはイエスに言った、「たとい、みんなの者がつまずいても、わたしはつまずきません」。
塚本訳するとペテロは言った、「仰せのとおり皆がつまずいても、このわたしはつまずきません。」
前田訳ペテロは彼にいった、「皆がつまずいてもわたしは別です」と。
新共同するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。
NIVPeter declared, "Even if all fall away, I will not."
註解: 純情にしてイエスを熱愛せるペテロは、如何なることがあっても、自分だけは決してイエスに躓くことはないと確信してこの確信を堂々としてイエスに述べた。人間の熱情や決心ほど頼りにならないものはない。ペテロですら幾程もなく自己の弱さを(ことごと)く暴露するに至った。

14章30節 イエス()(たま)ふ『まことに(なんぢ)()ぐ、今日(けふ)この(よる)(にはとり)ふたたび()(まへ)に、なんぢ()たび(われ)(いな)むべし』[引照]

口語訳イエスは言われた、「あなたによく言っておく。きょう、今夜、にわとりが二度鳴く前に、そう言うあなたが、三度わたしを知らないと言うだろう」。
塚本訳イエスはペテロに言われる、「アーメン、わたしは言う、きょう今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言う。」
前田訳イエスは彼にいわれる、「本当にいう、きょう今夜、にわとりが二度鳴く前にあなたは三度わたしを否もう」と。
新共同イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
NIV"I tell you the truth," Jesus answered, "today--yes, tonight--before the rooster crows twice you yourself will disown me three times."
註解: イエスはペテロの性格と、人間一般の心の弱さとを知り給うが故に、ペテロのやがて間もなくイエスを拒みイエスとの関係を人に向って否定する時が来るであろうことを知り、これを預言し給うた。雞鳴(けいめい)の刻限は夜の十二時より午前三時頃までの間を指す(マコ13:35辞解参照)。それ故にイエスは「夜明け前に」との意味でかく言い給うたのであろう。これが偶然文字通りに実現したのであった(マコ14:66−72節)。
辞解
[鶏ふたたび鳴く前] この「ふたたび」はマコ14:72節にも繰返されているけれども、マルコ伝のみにあって他の福音書には存せず、昔より第二回の鶏鳴(けいめい)をもって時刻を計る習慣あり(L2)、本節もその意味ならん。なおマコ14:68節註解参照、誤解され易きをもって他の福音書にこれを除いたのであろう。

14章31節 ペテロ(ちから)をこめて()ふ『われ(なんぢ)とともに()ぬべき(こと)ありとも(なんぢ)(いな)まず』弟子(でし)たち(みな)かく()へり。[引照]

口語訳ペテロは力をこめて言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。みんなの者もまた、同じようなことを言った。
塚本訳するとペテロが躍起となって言った、「たとえご一しょに死なねばならなくても、あなたを知らないなどとは、決して申しません。」皆も異口同音にこたえた。
前田訳ペテロは力をこめていった、「たとえごいっしょに死なねばならずとも、決して否みますまい」と。皆も同じことをいった。
新共同ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。
NIVBut Peter insisted emphatically, "Even if I have to die with you, I will never disown you." And all the others said the same.
註解: これはこの時のペテロの確信であったに相違ない。かかる確信すら後に至りて破滅すること故、普通一般の決心のごときは頼りとするに足らない。
辞解
[力をこめて] 原語 ekperissôs で「非常特別に」なる語、ここでは「偉い勢いで」と俗に言うごとき意味なり。
要義 [人間の弱さ]人は往々にして自己の最も強しと思われる点において失敗するものである。かかる罪だけは自分は決して犯さないだろうと思うごときことも、案外の機会にかえってその罪に陥るごときことはしばしば起り得る事柄である。ペテロも主を否むというごときことは決して有り得ないと確信していたのであったが、(もろ)くもこの点において失敗するに至った。頼り難きは自己の力である。

6-3-ト ゲツセマネの祈り 14:32 - 14:42
(マタ26:36-46) (ルカ22:40-46)   

14章32節 (かれ)らゲツセマネと()づくる(ところ)(いた)りし(とき)、イエス弟子(でし)たちに()(たま)ふ『わが(いの)(あひだ)、ここに()せよ』[引照]

口語訳さて、一同はゲツセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。
塚本訳やがて(オリブ山の麓の)ゲッセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子たちに言われる、「わたしの祈りがすむまで、ここに坐って(待って)おれ。」
前田訳彼らはゲツセマネという名のところに来た。彼は弟子たちにいわれる、「わたしが祈る間ここにすわっていなさい」と。
新共同一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
NIVThey went to a place called Gethsemane, and Jesus said to his disciples, "Sit here while I pray."
註解: ゲツセマネの園はオリブ山の西の麓にありケデロンの谷を隔ててエルサレムと相対す(「油搾り」を意味す)、イエスの祈りを常にせる場所ならん。彼は弟子たちをそこに留めて園の奥深く入り給うた。

14章33節 (かく)てペテロ、ヤコブ、ヨハネを(ともな)ひゆき、(いた)(をどろ)き、かつ(かな)しみ()でて()(たま)[引照]

口語訳そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、
塚本訳そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら
前田訳そして、ペテロとヤコブとヨハネを連れて行かれた。すると、おそれ、おののきはじめられた。
新共同そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、
NIVHe took Peter, James and John along with him, and he began to be deeply distressed and troubled.
註解: 他の重要なる場合と同じくイエスは三人の大使徒のみを伴い給う。
辞解
[(いた)く驚き] 心外憂慮に耐えざる貌、近付き来れる恐るべき死を彼は眼前に見給うたのであろう。彼にとりて最も恐るべきことは神に棄てられることの思いであった。

14章34節 『わが(こころ)いたく(うれ)ひて()ぬばかりなり、(なんぢ)此處(ここ)(とどま)りて()(さま)しをれ』[引照]

口語訳「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。
塚本訳彼らに言われる、「“心がめいって、”“死にたいぐらいだ。”ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」
前田訳彼らにいわれる、「わたしの心は悲しみをこえて、死ぬほどだ。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と。
新共同彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
NIV"My soul is overwhelmed with sorrow to the point of death," he said to them. "Stay here and keep watch."
註解: 夜はすでに遅かった、イエスの苦痛は死ぬるばかりであった。死そのものも勿論イエスには苦痛であった。しかしながらそれよりも遙かに苦痛であったのは神に棄てられる苦痛であった。イエスは人類を愛すれば愛するほど、彼の従来の態度を変更することができず、彼の進み給える道によりて神の国の福音を伝うるより外になかった。その当然の結果は祭司長パリサイ人らに迫害されることであった。イザ53章の語はヒシヒシとイエスの心を打ったことであろう。「目を覚しをれ」は弟子たちをしてイエスとその苦痛を共にせしめ共に祈らしめんがためであったろう。

14章35節 (すこ)(すす)みゆきて、()平伏(ひれふ)し、()しも()べくば()(とき)(おのれ)より()()かんことを(いの)りて()(たま)ふ、[引照]

口語訳そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、
塚本訳そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
前田訳なお少し進んで地に伏し、できればこの時が自分を通りすぎるように祈って
新共同少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
NIVGoing a little farther, he fell to the ground and prayed that if possible the hour might pass from him.
註解: 祈りの一部は記述的にここに含まる。「若し得べくば」は神の全能を疑って言い給えるにあらず、「神の経綸の上より差支えなくば」の意。イエスは絶対に神に服従するの態度の下に己の欲し給う処を父なる神に祈り給う。かかる祈りは最も強く父の御心を動かすものである。
辞解
[此の時] イエスの最後の受難の時を指す。イエスがこれを避けんとしたのは贖罪の死を避けんとしたこととなるとの理由の下に、イエスの死は罪の贖いにあらずと論ずる学者があるけれども、贖罪の死なる特別の神学的の死に方があるわけではなく、「死」なくして万人を救い得る途があるならばとイエスはこれを望み給うたのであった。

14章36節 『アバ(ちち)よ、(ちち)には(あた)はぬ(こと)なし、()酒杯(さかづき)(われ)より()()(たま)へ。されど()(こころ)のままを()さんとにあらず、御意(みこころ)のままを()(たま)へ』[引照]

口語訳「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。
塚本訳言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
前田訳いわれた、「アバ、父上、あなたはなんでもおできです。この杯をわたしからお取りのけください。しかしわが意でなく、あなたのみ心を」と。
新共同こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
NIV<"Abba>, Father," he said, "everything is possible for you. Take this cup from me. Yet not what I will, but what you will."
註解: 死は何人にも苦杯である。しかしながらイエスの目前に髣髴する死は最も恐るべき十字架の死であった。しかのみならず、父なる神より棄てられなければならないのは最大の苦杯であった。イエスは神に対する絶対の服従の中にもこの苦杯より免れ得んことを切に祈った。祈りつつしかも父に対する絶対の従順を誓い父の御意の成らんことを祈り給う。何たる美しき子心であろうか。神の御子にあらざれば何人も充分に解し得ざる絶大なる苦痛も父の御心ならばこれに従わんとするイエスの心こそ、彼が神の子に在し給う最大の証拠である。
辞解
[アバ父] アバはアラム語の「父」の意。これに「父よ」をギリシャ語にて加えたのは、この用法がその後キリスト者の間に一般に用いられるに至ったからで、イエスは単に「アバ」とのみ言い給うたのであった。マルコがここにこれをイエスの口に入れたのは一つの時代錯誤である。

14章37節 (きた)りて、その(ねむ)れるを()、ペテロに()(たま)ふ『シモンよ、なんぢ(ねむ)るか、(ひと)(とき)()(さま)しをること(あた)はぬか。[引照]

口語訳それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。
塚本訳やがて来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「シモン、眠っているのか。たった一時間も目を覚ましておられないのか。
前田訳それから来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロにいわれる、「シモン、眠っているのか、ほんの一時間も目を覚ましていられないのか。
新共同それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。
NIVThen he returned to his disciples and found them sleeping. "Simon," he said to Peter, "are you asleep? Could you not keep watch for one hour?

14章38節 なんぢら誘惑(まどはし)(おちい)らぬやう()(さま)し、かつ(いの)れ。()(こころ)(ねつ)すれども肉體(にくたい)よわきなり』[引照]

口語訳誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
塚本訳あなた達、目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
前田訳目を覚まして祈りなさい、誘惑に陥らないように心ははやるが、体は弱い」と。
新共同誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
NIVWatch and pray so that you will not fall into temptation. The spirit is willing, but the body is weak."
註解: イエスは祈り終って弟子たちの許に来りその眠れるを見給う。イエスの心の淋しさは如何ばかりであったことか。人間の心の中の最も深き悲しみは弟子といえどもこれを理解することができない。この時もイエスと弟子とは全く別の世界に住んでいるもののごとくであった。然るにも関らずイエスは彼らに対して一言も怒りの語を発し給わずかえって彼らに同情を表わし、彼らの肉体の弱きを理由としてこれを赦し、唯彼らに誘惑に陥らぬように注意を与え給うた。
辞解
[シモンよ] ペテロをシモンと呼び給うたのはマコ3:16以来始めてである。おそらくペテロなる名称に相応しからずと感じ給うたのであろう。
「心」と「肉体」は原語「霊」pneuma と「肉」sarx である。ただしここではパウロが用いしごとき意味に用いられているのではなく(ロマ8:5−11)、精神と肉体というごとき意味に用いられているものと見るべきである。
[熱す] prothumos で乗り気であること。

14章39節 (ふたた)びゆき、(おな)(ことば)にて(いの)(たま)ふ。[引照]

口語訳また離れて行って同じ言葉で祈られた。
塚本訳それからまた向こうへ行って、同じ言葉で祈り、
前田訳それからまた離れて同じことばで祈り、
新共同更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。
NIVOnce more he went away and prayed the same thing.

14章40節 また(きた)りて(かれ)らの(ねむ)れるを()たまふ、(これ)その()、いたく(つか)れたるなり、(かれ)(なに)(こた)ふべきかを()らざりき。[引照]

口語訳またきてごらんになると、彼らはまだ眠っていた。その目が重くなっていたのである。そして、彼らはどうお答えしてよいか、わからなかった。
塚本訳また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。イエスになんと答えてよいかもわからなかった。
前田訳また来て見ると、彼らは眠っていた。まぶたが重かったのである。彼らは何とお答えすべきかもわからなかった。
新共同再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。
NIVWhen he came back, he again found them sleeping, because their eyes were heavy. They did not know what to say to him.
註解: 一度ならず二度までも弟子たちはその肉体の弱さに負けてしまった。イエスは全宇宙の中に彼を助くる人の一人をも見出すことができなかった。彼は完全に一人で立ち給い、また一人で立ち給うより外になかった。何人もイエスとその使命を共にすることができない。

14章41節 三度(みたび)(きた)りて()ひたまふ『(いま)(ねむ)りて(やす)め、()れり、(とき)きたれり。()よ、(ひと)()罪人(つみびと)らの()(わた)さるるなり。[引照]

口語訳三度目にきて言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
塚本訳三度目に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。もうそのくらいでよかろう。時が来た。そら、人の子は罪人どもの手に渡されるのだ。
前田訳三度目に来て、彼らにいわれる、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。よろしい。時は来た。見よ、人の子は罪びとの手に引き渡される。
新共同イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。
NIVReturning the third time, he said to them, "Are you still sleeping and resting? Enough! The hour has come. Look, the Son of Man is betrayed into the hands of sinners.

14章42節 ()て、われらは()くべし。()よ、(われ)()(もの)ちかづけり』[引照]

口語訳立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。
塚本訳立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」
前田訳起きよ、行こう。見よ、わたしを引き渡すものが近づいた」と。
新共同立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
NIVRise! Let us go! Here comes my betrayer!"
註解: 「今は眠りて休め」を「先刻以来眠りて休みしか」と訳すべしとする説(L2)が適当なるがごとし。かく解する時この二節は切迫せる心持より迸り出づる短き語句の連続である。「今まで眠って休んだのか、それで充分だ、時が来た云々」というがごとし。イエスを付す者の近付けるを感得し弟子たちを引き立ててこれに向って進み給う。
辞解
[今は眠りて休め] これを反語的に解する説(M0)、または暫時間隔がある故その間だけ休めとの意に解する説(Z0、本註解マタ26:45をかく解した)等あれど、上記のごとくに解することが前後の関係上最も適切である。
[今は] 原語は to loipon で「残余」の意「残りの時間」で今後のことにも過去のことにも用い得る。この場合は後者の意味ならん。
[足れり] apechei で眠るのはこれで充分なりとの意。
[罪人ら] 一般的に神に逆ける人の意でローマ人、ユダヤ人たるを論じない。
要義1 [イエスの苦闘]何人もゲツセマネにおけるイエスの苦闘の意義およびその心持を充分に理解することはできない。それは何人もイエスのごとき罪無き人となることができず、またイエスのごとき立場に立つことができないからである。しかしながらもし我らイエスの苦闘の意義を推測することを許されるならば、イエスの心には人間としてその自然の死を恐れる心は充分に存在していたであろうけれども、もしイエスの苦闘が単にこの肉体の死に対する恐怖や嫌悪のみであるならば、それは屠所(としょ)に曳かる牛豚の恐怖と異なる処はない。イエスの御心は神に対する愛と人間に対する愛とで一杯であった。而してイエスは人間を罪より救わんとしてついに最後に人間の罪のために神より離されることを余儀なくせしめられたのである。愛する人間に捨てられ、愛する神に捨てられ、その己を捨つる人間の罪を負いて神の前に立つこと、世にかかる苦痛は他に有り得ない。かく成らざらんことを望んだのがイエスのゲツセマネにおける御心であったと思われる。
要義2 [祈祷の極致]神は我らの要求を(ことごと)く知り給うが故に我らは唯神に感謝するをもって足れりとし、これに祈願する必要がないと唱うる者がある。しかしながら神に対する絶対服従は、決して機械的服従ではなく、神との間に霊の親密なる交わりの存する上における服従である。ゆえに神に対し自己の希望を(ことごと)く叙べつつしかもなおこれに絶対に服従して神の御旨の成らんことを祈る処に真のキリスト者の祈りがある。

6-4 イエスの受難と埋葬 14:43 - 15:47
6-4-イ イエス捕えられ給う 14:43 - 14:52
(マタ26:47-56) (ルカ22:47-53) (ヨハ18:2-12)  

14章43節 なほ(かた)りゐ(たま)ふほどに、十二(じふに)弟子(でし)一人(ひとり)なるユダ、やがて(ちか)づき(きた)る、[引照]

口語訳そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが進みよってきた。また祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。
塚本訳イエスの言葉がまだ終らぬうちに、早くも十二人の一人のユダがあらわれる。大祭司連、聖書学者、長老のところから派遣された一群の人が、剣や棍棒を持ってついて来た。
前田訳まだ彼が話しておられる最中に、早くも十二人のひとりのユダが現われる。剣や棒を持った群衆がいっしょであった。大祭司、学者、長老からつかわされたのである。
新共同さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。
NIVJust as he was speaking, Judas, one of the Twelve, appeared. With him was a crowd armed with swords and clubs, sent from the chief priests, the teachers of the law, and the elders.
註解: 「十二弟子の一人」なることをここに掲ぐる必要なきがごときも、これによってこの事件を一層深刻ならしむる効果がある。ユダがこの場所を知りたる理由につきてはヨハ18:2を見よ。

祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)長老(ちゃうらう)らより(つかは)されたる群衆(ぐんじゅう)(つるぎ)(ぼう)とを()ちて(これ)(ともな)ふ。

註解: 人民を代表して神の前に立つ祭司長、神の言を学びこれを人に教うる学者、神の民を治むる任務を負える長老、これらが神の子を捕えんとすることは彼らが神に逆いていることの明かな証拠である。神に最も近き者と自らも信じ人も信じつつ事実最も神に遠い者は今日と雖も少なくない。
辞解
[群衆] ヨハ18:3によればローマの兵隊と祭司長、パリサイ人らの下役であった。

14章44節 イエスを()るもの、(あらか)じめ合圖(あひづ)(しめ)して()ふ『わが接吻(くちつけ)する(もの)はそれなり、(これ)(とら)へて(しか)()きゆけ』[引照]

口語訳イエスを裏切る者は、あらかじめ彼らに合図をしておいた、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、まちがいなく引っぱって行け」。
塚本訳イエスを売る者は、「わたしが接吻するのがその人だ。それを捕えて、手ぬかりなく引いてゆけ」と、(あらかじめ)合図をきめておいた。
前田訳イエスを引き渡すものは、「わたしが口づけするのがその人だ。捕えて、しかるべく引いて行け」と合図しておいた。
新共同イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。
NIVNow the betrayer had arranged a signal with them: "The one I kiss is the man; arrest him and lead him away under guard."
註解: 接吻は当時挨拶として一般に行われていたので、ユダは特にこの場合にのみ行った訳ではなかった。唯この場合イエスに対する敵意を懐きつつ表面親密を装える処にユダの悪質の罪を思わしむるものがある。
辞解
[(しか)と] マルコ伝にありてマタイ伝になし、マルコの記事の力強さを示す一例である。

14章45節 (かく)(きた)りて(ただ)ちに御許(みもと)()き『ラビ』と()ひて接吻(くちつけ)したれば、[引照]

口語訳彼は来るとすぐ、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。
塚本訳そこで、来るや否やイエスに近寄って、「先生」と言って接吻した。
前田訳来るや否やおそばに近よって、「先生」といって口づけした。
新共同ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。
NIVGoing at once to Jesus, Judas said, "Rabbi!" and kissed him.

14章46節 人々(ひとびと)イエスに()をかけて(とら)ふ。[引照]

口語訳人々はイエスに手をかけてつかまえた。
塚本訳人々がイエスに手をかけて捕えた。
前田訳人々は彼に手をかけて捕えた。
新共同人々は、イエスに手をかけて捕らえた。
NIVThe men seized Jesus and arrested him.
註解: ラビは「先生」というがごとし。なおマタ26:50にはこの問いにイエスがユダに対して言い給える語あり、参照すべし。「手をかけて」は言わずとも勿論のことであるが、これによって神の子に手をかけることの重大なる罪たることを明かにせんがためである。

14章47節 (かたは)らに()(もの)のひとり、(つるぎ)()き、(だい)祭司(さいし)(しもべ)()ちて、(みみ)()(おと)せり。[引照]

口語訳すると、イエスのそばに立っていた者のひとりが、剣を抜いて大祭司の僕に切りかかり、その片耳を切り落した。
塚本訳(イエスの)そばに立っていたひとりの人が剣を抜いて大祭司の下男に切りつけ、片耳をそぎ落してしまった。
前田訳そばに立っていたあるひとりが剣を抜いて大祭司の僕に切りつけ、その片耳を落とした。
新共同居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。
NIVThen one of those standing near drew his sword and struck the servant of the high priest, cutting off his ear.
註解: この「ひとり」はヨハ18:10によればペテロであり、その僕の名はマルコスであった(ヨハ18:10註解参照)。共観福音書またはその資料たるべき文書が記された頃にはペテロもなお在世中であったためにその名を書くことを遠慮したのであろう。なおマタ26:52にはイエスは「剣をとる者は剣にて亡ぶる」ことの教訓を与え給う。正義は暴力によりて守るべきではない。力によらざれば守り得ざる正義は真の正義ではない。またルカ22:51にはイエスはこの僕の耳に觸りてこれを醫し給える記事がある。おそらく後半に附加されし伝説であろう。

14章48節 イエス人々(ひとびと)(むか)ひて()(たま)ふ『なんぢら強盜(がうたう)にむかふ(ごと)(つるぎ)(ぼう)とを()ち、(われ)(とら)へんとて()(きた)るか。[引照]

口語訳イエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。
塚本訳イエスは人々に言われた、「強盗にでも向かうように、剣や棍棒を持ってつかまえに来たのか。
前田訳イエスは人々にいわれた、「強盗に向かうかのように剣や棒を持ってつかまえに来たのか。
新共同そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。
NIV"Am I leading a rebellion," said Jesus, "that you have come out with swords and clubs to capture me?

14章49節 (われ)日々(ひび)なんぢらと(とも)(みや)にありて(をし)へたりしに、(われ)(とら)へざりき、()れど(これ)聖書(せいしょ)(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり』[引照]

口語訳わたしは毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就されねばならない」。
塚本訳わたしは毎日宮にいてあなた達の所で教えていたのに、捕えずにおいて、(どうして今、こんな真夜中に来たのか。)しかしこれは、(救世主は罪人のようにあつかわれるという)聖書の言葉が成就するためである。」
前田訳わたしは日ごとあなた方のところにいて宮で教えていたのに、捕えなかった。しかしそれは聖書が成就するためである」と。
新共同わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」
NIVEvery day I was with you, teaching in the temple courts, and you did not arrest me. But the Scriptures must be fulfilled."
註解: イエスは宮にて日毎に高き教えを垂れ、何らの悪事を為し給わなかった。これを捕えんとすることすら謂れなきに、あたかも強盗に対するごとくにして捕うることは(はなは)だしき不合理な態度であった。イエスはこの不合理にして不可解なる出来事の凡てが聖書(例えばイザ53章のごとき)の預言の成就であると考え給うたのであった。然らざれば彼自身全くその理由を解するに苦しんだであろう。而してイエスはこのことを宣告し給うことによりて群衆に彼の死の意義を示し給うた。なおこの捕縛の刹那におけるイエスと彼らとの間の応酬につきてはヨハネ伝と共観福音書の間に若干の差異あり、かかる息詰るごとき瞬間における事件の真相につきては目撃者自身といえども必ずしも正確に凡てを記憶せず断片的になり易く、従って異なれる伝説が後に残っていたのであろう。

14章50節 ()のとき弟子(でし)みなイエスを()てて()()る。[引照]

口語訳弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
塚本訳一人のこらずイエスをすてて逃げた。
前田訳すると皆が彼を捨てて逃げ去った。
新共同弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
NIVThen everyone deserted him and fled.
註解: 一人もイエスと共に死なんとはしなかった。もしイエスが平生師弟間の道として彼らに殉教を教えていたならば、彼らはこの際おそらく悦んでその師に殉じたであろう。然るにイエスはこれを為すべしとは教え給わず、彼らの自由なる義務心にまかせ給うた。その結果彼らは逃げ去り、これによりて彼らの心の如何に弱く穢れているかを示されることとなった。かくして彼らの欠点を示されることがかえって彼らにとりて幸福であった。

14章51節 ある若者(わかもの)素肌(すはだ)亞麻(あま)(ぬの)(まと)ひて、イエスに(したが)ひたりしに、人々(ひとびと)これを(とら)へければ、[引照]

口語訳ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、
塚本訳ある青年が素肌に亜麻布をひっかけて、イエスについて来ていた。人々が捕えようとすると、
前田訳ある若者が素肌に亜麻布を巻きつけてついて来ていた。人々が捕えようとすると、
新共同一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、
NIVA young man, wearing nothing but a linen garment, was following Jesus. When they seized him,

14章52節 亞麻(あま)(ぬの)()(はだか)にて()()れり。[引照]

口語訳その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。
塚本訳亜麻布を(人々の手に)残して裸で逃げていった。
前田訳亜麻布は置いて素肌で逃げ去った。
新共同亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。
NIVhe fled naked, leaving his garment behind.
註解: マルコ伝特有の二節である。「亜麻布」 sindôn は寝衣の一種であって、これを身にまといて就寝するのである。それ故にこの若者は最後の晩餐に加わった一人ではないことは明かである。またイエスに従えるを見ればその弟子団の一人であろう。寝衣をもって外出せる処を見ると極めて忽卒(こっそつ)の間に家を飛び出したものなるべく、おそらく捕縛隊の騒擾(さわぎ)を聞きイエスの身辺に異変あらんことを恐れて、衣服を更える(いとま)もなくゲツセマネに駆けつけてイエスの後を追うたものと見える。この事実は全体の記事と極めて関係なき事件であり、他の福音書に全く記載せられない点より見ればマルコにとりてのみ有意義なる事実であったものと解しなければならぬ。それ故にこの若者はマルコ自身であったろうと解する説が最も適切であるように思われる。その他種々の人物が想像されているけれども何れも適切ではない。イエスが最後の晩餐を取り給える家の息子ならんとの想像説もあり、もしこれと前述マルコ説とを結合すれば使12:12の家が主イエスの最後の晩餐の家となり、マコ14:14節の家主はマルコの父であることとなる。ただしこれは一つの興味ある想像説である。

6-4-ロ 議会の前のイエス 14:53 - 14:65
(マタ26:57-68) (ルカ22:54-71) (ヨハ18:13-16)  

14章53節 人々(ひとびと)イエスを(だい)祭司(さいし)(もと)()()きたれば、祭司長(さいしちゃう)長老(ちゃうらう)學者(がくしゃ)(みな)あつまる。[引照]

口語訳それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。
塚本訳イエスを大祭司(カヤパ)の所に引いてゆくと、(最高法院の役人、すなわち)大祭司連、長老、聖書学者たちが全部集まってきた。
前田訳彼らがイエスを大祭司のところへ引いて行くと、大祭司、長老、学者が皆集まって来た。
新共同人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。
NIVThey took Jesus to the high priest, and all the chief priests, elders and teachers of the law came together.
註解: 時の大祭司はカヤパであった(マタ26:57)。ただしヨハ18:12-14によればまずカヤパの舅アンナスの処に連れ行き、アンナスよりカヤパに送られたのであった。この集合せる場所はカヤパの邸であった。夜中は宮の中の衆議所は開かれなかったからである。

14章54節 ペテロ(とほ)(はな)れてイエスに(したが)ひ、(だい)祭司(さいし)(なか)(には)まで()り、下役(したやく)どもと(とも)()して()(あたた)まりゐたり。[引照]

口語訳ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。
塚本訳ペテロは見えがくれにイエスについて大祭司(官邸)の中庭まではいって行き、下役らと一しょにすわって、火にあたっていた。
前田訳ペテロは遠くから彼について大祭司の中庭まで入り、下役らといっしょにすわって火にあたっていた。
新共同ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。
NIVPeter followed him at a distance, right into the courtyard of the high priest. There he sat with the guards and warmed himself at the fire.
註解: ペテロは一旦は逃げたけれども(50節)再び師の運命を憂いて遙かに彼の後を追うて来た。中庭には下役どもが火を焚いていたのでペテロは群衆の一人のごとくに装ってその中に交っていた。
辞解
[中庭] aulê は時には邸宅を意味することがあるけれどもここでは中庭を意味す。

14章55節 さて祭司長(さいしちゃう)(およ)(ぜん)議會(ぎくわい)、イエスを()(さだ)めんとて、證據(しょうこ)(もと)むれども()ず。[引照]

口語訳さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。
塚本訳大祭司連をはじめ全最高法院は、イエスを死刑にするためしきりにイエスに不利な証言をさがしたが、見つからなかった。
前田訳大祭司らと法院(サンヘドリン)全体がイエスを死刑にするために不利な証言を探したが見当たらなかった。
新共同祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。
NIVThe chief priests and the whole Sanhedrin were looking for evidence against Jesus so that they could put him to death, but they did not find any.
註解: 彼らの目的は唯一つイエスを除くことであった。彼らは唯この目的のためにその手段を求め、何らかの証拠を挙げんとしたのであった。なおこの55−65節の記事を甚だ信じ難し(L2)とする理由としてユダヤの法律によればこの判決の手続きに不備の点あること、重罪はその決定に二日を要すること、夜分は死刑の宣告をなし得ざること、イエスの告白はそれだけでは涜神罪とならず、たといなっても石にて打殺される罪に相当すること等を挙げ、この一項を後日の挿入として解せんとする学者があるけれども、この祭司長らが議会においてイエスを訊問したのは翌日ピラトの前にてイエスを死刑に宣告せしめんとする準備に過ぎなかったと見るならば、これにて差支えない。

14章56節 (それ)はイエスに(たい)して僞證(ぎしょう)する(もの)(おほ)くあれども()證據(しょうこ)あはざりしなり。[引照]

口語訳多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである。
塚本訳イエスに不利な偽証をする者は多かったが、その証言は合わなかったのである。
前田訳彼に不利なように多くの人が偽証をしたが、それらの証言は矛盾した。
新共同多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたからである。
NIVMany testified falsely against him, but their statements did not agree.
註解: 死刑に処するがためには二人以上の証人の申し出が合致しなければならない(申17:6)。然るに多くの人々が偽の証拠を挙げるけれどもそれでもそれらが一致しなかった。

14章57節 (つい)(ある)(もの)ども()ちて僞證(ぎしょう)して()[引照]

口語訳ついに、ある人々が立ちあがり、イエスに対して偽証を立てて言った、
塚本訳すると数人の者があらわれ、イエスに不利な偽証をして言った、
前田訳数人が立って彼に不利な偽証をしていった、
新共同すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。
NIVThen some stood up and gave this false testimony against him:

14章58節 『われら()(ひと)の「われは()にて(つく)りたる()(みや)(こは)ち、()にて(つく)らぬ(ほか)(みや)三日(みっか)にて()つべし」と()へるを()けり』[引照]

口語訳「わたしたちはこの人が『わたしは手で造ったこの神殿を打ちこわし、三日の後に手で造られない別の神殿を建てるのだ』と言うのを聞きました」。
塚本訳「わたし達はこの人が、『自分は(人間の)手で造ったこのお宮をこわして、手で造らない別のお宮を三日のうちに建てる』と言うのを聞いた。」
前田訳「われらはこの人が、『自分は手で造ったこの宮をこわして、手で造らぬ別の宮を三日で建てよう』というのを聞いた」と。
新共同「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました。」
NIV"We heard him say, `I will destroy this man-made temple and in three days will build another, not made by man.'"
註解: ヨハ2:19マタ26:61参照。イエスは自ら宮を(こぼ)たんとは言い給わなかった。これを悪意をもって幾分変更して、イエスを罪に陥れる材料を造り出したのであった。善意をもってしても他人の言行に些細の変更を加うることは恐るべき結果を招来する。いわんや悪意をもってするにおいておや。この偽証によりてイエスは神の宮に対する叛逆者と見られることとなる。
辞解
「手にて造りたる」「手にて造らぬ」はマタイ伝になし、マルコの解説的附加ならん。

14章59節 ()れど(なほ)この證據(しょうこ)もあはざりき。[引照]

口語訳しかし、このような証言も互に合わなかった。
塚本訳しかし今度も証言が合わなかった。
前田訳しかしこの場合も彼らの証言は合わなかった。
新共同しかし、この場合も、彼らの証言は食い違った。
NIVYet even then their testimony did not agree.
註解: 事実を変更せる証拠なるが故に自然に不一致の点が生じた。

14章60節 (ここ)(だい)祭司(さいし)(なか)()ちイエスに()ひて()ふ『なんぢ(なに)をも(こた)へぬか、()人々(ひとびと)()つる證據(しょうこ)如何(いか)に』[引照]

口語訳そこで大祭司が立ちあがって、まん中に進み、イエスに聞きただして言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。
塚本訳そこで大祭司は立ち上がり、真中に進み出てイエスに問うた、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
前田訳そこで大祭司は真ん中に立ってイエスに問うた、「この人たちがそちらに不利な証言をしているのに、何も答えないのか」と。
新共同そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
NIVThen the high priest stood up before them and asked Jesus, "Are you not going to answer? What is this testimony that these men are bringing against you?"
註解: 証拠が不完全なるが故に彼らはイエスをして語らしめ、イエスの口より証拠となるべき言葉を引出さんとしたのであろう。
辞解
ここに二つの質問の形においてイエスに問うているけれどもこれを一つの質問として訳することもでき、マタ26:62はこの訳し方によっている。ただしこれを二つの質問とする方可なり。

14章61節 ()れどイエス(もく)して(なに)をも(こた)(たま)はず。[引照]

口語訳しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。
塚本訳しかしイエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司がふたたび問うて言う、「お前が、讃美されるお方の子、救世主か。」
前田訳彼は黙りつづけ、何もお答えにならなかった。ふたたび大祭司が問うた、「そちらは讃むべき方のみ子、キリストか」と。
新共同しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。
NIVBut Jesus remained silent and gave no answer. Again the high priest asked him, "Are you the Christ, the Son of the Blessed One?"
註解: イエスの心は神と共にまた神の前に立っていた。神より語れと命ぜられること以外は何も語らんとし給わなかった。悪意をもって彼を陥れんとする者に対して答うる必要を認め給わなかった。

(だい)祭司(さいし)ふたたび()ひて()ふ『なんぢは()むべきものの()キリストなるか』

註解: 大祭司はついにイエスをしてそのメシヤたることを告白せしめんとした。メシヤにあらざるものが自己をメシヤとすることは大なる涜神であったからである。
辞解
[頌むべきもの] 神を指す。

14章62節 イエス()(たま)ふ『われは(それ)なり、(なんぢ)(ひと)()の、全能者(ぜんのうしゃ)(みぎ)()し、(てん)(くも)(うち)にありて(きた)るを()ん』[引照]

口語訳イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
塚本訳するとイエスは(はじめて口を開いて)言われた、「そうだ、わたしだ。あなた方は“人の子(わたし)が”“大能の(神の)右に坐り、”“天の雲に囲まれて来るのを”見るであろう。」
前田訳イエスはいわれた、「わたしはそれである。あなた方は見よう、人の子が大能者の右にすわって天の雲とともに来るのを」と。
新共同イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」
NIV"I am," said Jesus. "And you will see the Son of Man sitting at the right hand of the Mighty One and coming on the clouds of heaven."
註解: イエスは自己のメシヤに在し給うことを隠すことができなかった。これを明かに彼らに示すことが、この場合にイエスに残されし唯一の仕事であった。それ故にイエスは彼らの質問を肯定し給えるのみならず、さらにダニ7:13を引用して今後彼が如何なる栄光の位置に坐し給い、如何なる稜威をもって再び来り給うかを彼らに告げ、もって彼らをしてこのイエスを殺すことが如何に重大なる事実であるかを認識せしめ給うた。ここに到れば彼らにとりてはこのイエスをキリストと信ずるかまたはこれを信ぜずして、キリストを涜神者と認めこれを殺すかの二つの途が残されるのみとなった。而して彼らはこの後者を選んだのである。
辞解
「神の右」は神に()ぐ最高の地位。「天の雲」は神の乗り給う場所(マコ13:26註参照)。これらは勿論表徴的に解釈せらるべきである。

14章63節 ()のとき(だい)祭司(さいし)おのが(ころも)()きて()ふ『なんぞ(ほか)證人(しょうにん)(もと)めん。[引照]

口語訳すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「どうして、これ以上、証人の必要があろう。
塚本訳すると大祭司は自分の着物を引き裂いて言う、「これ以上、なんで証人の必要があろう。
前田訳大祭司は衣を裂いていう、「もはやなんで証人が要ろう。
新共同大祭司は、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必要だろうか。
NIVThe high priest tore his clothes. "Why do we need any more witnesses?" he asked.

14章64節 なんぢら()涜言(けがしごと)()けり、如何(いか)(おも)ふか』かれら(こぞ)りてイエスを()(あた)るべきものと(さだ)む。[引照]

口語訳あなたがたはこのけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。
塚本訳諸君は(今、おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。(この者の処分について)御意見を承りたい。」満場一致で、死罪を相当とすると決定した。
前田訳あなた方はけがしごとをお聞きである。どう思われるか」と。満場一致で死刑に当たる罪と決めた。
新共同諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にすべきだと決議した。
NIV"You have heard the blasphemy. What do you think?" They all condemned him as worthy of death.
註解: 衣を裂くことは非常なる悲しみまたは恐懼の場合である(引照を見よ)。大祭司はイエスのこの言葉を捕え、これを聞ける群衆を証人としてイエスを死に定めしめんとした。巧みなる策戦である(レビ24:16参照)。人間はイエスに対する場合、必ずこの二つの途の一つを選ばざるを得ない立場に立たしめられる。これに対して中立の場所はない。群衆は常に付和雷同(ふわらいどう)する。民の声は必ずしも神の声ではない。

14章65節 (しか)して(ある)(もの)どもはイエスに(つばき)し、(また)その(かほ)(おほ)ひ、(こぶし)にて()ちなど爲始(しはじ)めて()ふ、『預言(よげん)せよ』下役(したやく)どもイエスを()け、手掌(てのひら)にてうてり。[引照]

口語訳そして、ある者はイエスにつばきをかけ、目隠しをし、こぶしでたたいて、「言いあててみよ」と言いはじめた。また下役どもはイエスを引きとって、手のひらでたたいた。
塚本訳(法院の役人たちの)中にはイエスに唾をかけ、目隠しをして拳でうちながら、「(だれだか)当ててみろ」と言った者もあった。下役らはイエスにいくつも平手打ちをくらわせた。
前田訳数名が彼に唾し、目隠しして打ち、「だれか当てよ」といった。下役らは彼を平手打ちにして引きとった。
新共同それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちは、イエスを平手で打った。
NIVThen some began to spit at him; they blindfolded him, struck him with their fists, and said, "Prophesy!" And the guards took him and beat him.
註解: 彼らはかつてイスラエルの預言者たちに対して為せるごときあらゆる侮辱をイエスに向って為した。彼らはイエスをもって神を涜す大罪人と思ったからである。然るに(あに)計らんや、彼らは神を崇むることと自認しつつも為したるその行為をもって彼ら自ら神を涜していたのである。かかる種類のことは今日も多く存する。キリスト者と称する者は自ら戒めなければならない。「預言せよ」はマタ26:68によれば彼を撲てる者の誰なるかを預言せよとのことであるけれどもマルコの真意は一般的に「預言せよ」の意味で、「汝は預言者と自称しているが預言するなら為して見よ」というごとき意ならん。
要義 [われは(それ)なり]イエスが自らを神の子と告白し給えることは全人類にとりて非常なる出来事である。この場合我らはこれに対して三つの途の何れか一つを取らなければならぬ。その一は彼を狂人としてこれを相手にしないこと、その二は彼を涜神者としてこれを殺すこと、その三は彼を真に神の子としてこれを信ずることである。彼を単に偉大なる道徳家または宗教家としてある程度の尊敬を払うごときは、彼自身の宣告を真面目に受けないことであって、彼を尊敬するがごとくに見えて実は無視することである。

6-4-ハ ペテロ、イエスを否む 14:66 - 14:72
(マタ26:69-75) (ルカ22:56-62) (ヨハ18:17-27)  

14章66節 ペテロ(した)にて(なか)(には)にをりしに、(だい)祭司(さいし)婢女(はしため)一人(ひとり)きたりて、[引照]

口語訳ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりがきて、
塚本訳ペテロは下の中庭にいたが、大祭司の女中が一人来て、
前田訳ペテロは下の中庭にいたが、大祭司の下女のひとりが来て、
新共同ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、
NIVWhile Peter was below in the courtyard, one of the servant girls of the high priest came by.

14章67節 ペテロの()(あたた)まりをるを()、これに()()めて『なんぢも、かのナザレ(びと)イエスと(とも)()たり』と()ふ。[引照]

口語訳ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
塚本訳ペテロが火にあたっているのを見ると、じっと見つめながら、「あなたもあのナザレ人と一しょだった、あのイエスと」と言う。
前田訳ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼にじっと目をすえていう、「あなたもあのナザレ人といっしょでした、あのイエスと」と。
新共同ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」
NIVWhen she saw Peter warming himself, she looked closely at him. "You also were with that Nazarene, Jesus," she said.
註解: ペテロはまさかそれらの人々の中に彼を知っている者はあるまいと考えていたのであろうけれども思いがけない人間が彼がイエスの弟子たりしことの目撃者であったことを知りいたく驚いた。隠れたるより顕れるはなし。ペテロはこの一介の婢女(はしため)のために自己の凡ての弱さを暴露される結果となった。
辞解
[下にて] 中庭が一段と低くなっていたこと。
原文「ナザレ人」と「イエス」と離れており語気の荒々しさを示す。

14章68節 ペテロ(うけが)はずして『われは(なんぢ)()ふことを()らず、(また)その(こころ)をも(さと)らず』と()ひて(には)(ぐち)()でたり。[引照]

口語訳するとペテロはそれを打ち消して、「わたしは知らない。あなたの言うことがなんの事か、わからない」と言って、庭口の方に出て行った。
塚本訳しかしペテロは、「あなたが何を言っているのかわからない、見当もつかない」と言って打ち消した。そして前庭に出てゆくと、鶏が鳴いた。(すると)
前田訳彼は否んでいった、「知らない、わからない、あなたのいうことは」と。そして前庭へ出て行った。
新共同しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。
NIVBut he denied it. "I don't know or understand what you're talking about," he said, and went out into the entryway.
註解: ペテロは空とぼけて知らぬふりをしたのであった。胡麻化す態度の卑怯なるを見よ。十二弟子の筆頭たるペテロすらこの有様であった。しかしながら何人か自己を顧みてかかる場合無かりしと言い得る者ぞ、異本に「その時雞鳴けり」とあり(▲塚本訳参照。)、重要なる写本に無きを見れば72節に対して後代の挿入ならん。72節を見よ。

14章69節 婢女(はしため)かれを()て、また(かたは)らに()(もの)どもに『この(ひと)は、かの黨與(ともがら)なり』と()()でしに、[引照]

口語訳ところが、先の女中が彼を見て、そばに立っていた人々に、またもや「この人はあの仲間のひとりです」と言いだした。
塚本訳その女中がペテロを見て、そばに立っていた人たちに、またも「この人はあの仲間だ」と言い出した。
前田訳すると下女が彼を見て、そこにいる人々に、またいい出した、「この人はあの一味です」と。
新共同女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。
NIVWhen the servant girl saw him there, she said again to those standing around, "This fellow is one of them."
註解: マタ26:71によればこれは「他の婢女(はしため)」であり、ルカ22:58によれば「他の男子」であり、ヨハ18:25によれば「人々」である。これを強いて調和せしめんとしても不可能である。多くの伝説があったのであろう。

14章70節 ペテロ(かさ)ねて(うけが)はず。(しばら)くしてまた(かたは)らに()(もの)どもペテロに()ふ『なんぢは(たしか)に、かの黨與(ともがら)なり、(なんぢ)もガリラヤ(ひと)なり』[引照]

口語訳ペテロは再びそれを打ち消した。しばらくして、そばに立っていた人たちがまたペテロに言った、「確かにあなたは彼らの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから」。
塚本訳ペテロはまた打ち消した。しばらくすると、そばに立っていた人たちがまたペテロに言った、「確かにあの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから。」
前田訳彼はまた否んだ。しばらくして、そばにいる人々がペテロにいった。「本当にあの一味だ。そちらもガリラヤ人だから」と。
新共同ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」
NIVAgain he denied it. After a little while, those standing near said to Peter, "Surely you are one of them, for you are a Galilean."
註解: ヨハ18:26によればこの時ペテロに向って口を開いた者はペテロに耳を切り落されし者の親戚であってその光景を目撃したものであるとのことである。ヨハネが如何にしてこの事実を確めたかにつきては問題があり得るけれども、ペテロはこれに対しては一言も反対し得ない訳である。
辞解
[汝もガリラヤ人なり] 「なればなり」で、ペテロの訛がこれを示したのであったろう(マタ26:73)。

14章71節 ()(とき)ペテロ(うけ)ひ、かつ(ちか)ひて『われは(なんぢ)らの()()(ひと)()らず』と()()づ。[引照]

口語訳しかし、彼は、「あなたがたの話しているその人のことは何も知らない」と言い張って、激しく誓いはじめた。
塚本訳しかしペテロは、「あなた達が言っているそんな男は知らない。(これが嘘なら、呪われてもよい)」と、幾たびも呪いをかけて誓った。
前田訳彼は呪って誓いはじめた、「あなた方のいうその人をわたしは知らない」と。
新共同すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。
NIVHe began to call down curses on himself, and he swore to them, "I don't know this man you're talking about."
註解: 一つの虚偽は更に第二の虚偽を生む、ペテロはついに(ちか)いを立ててまでもイエスを明かに否むに至った。虚偽は早く悔改めなければならない。然らざれば虚偽はさらに虚偽を生みて収拾すべからざるに至るものである。

14章72節 その(をり)しも、また(にはとり)なきぬ。[引照]

口語訳するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。ペテロは、「にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、そして思いかえして泣きつづけた。
塚本訳するとすぐ、二度目に鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」とイエスに言われた言葉を思い出して、わっと泣きだした。(いつまでも涙が止まらなかった。)
前田訳するとすぐ、二度目ににわとりが鳴いた。そこでペテロは、「にわとりが二度鳴く前に三度わたしを否もう」とイエスがいわれたことばを思い出した。そして泣きくずれた。
新共同するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。
NIVImmediately the rooster crowed the second time. Then Peter remembered the word Jesus had spoken to him: "Before the rooster crows twice you will disown me three times." And he broke down and wept.
註解: 「また」は原語「二度目に」で一度目のことは記されていない。68節の異本はこのために後より加えられたものと思わる。第二回目の雞鳴(けいめい)が第三更と第四更との境目と定められているとすれば別段第一回目のことは記す必要なきはずである。

ペテロ『にはとり二度(ふたたび)なく(まへ)に、なんぢ三度(みたび)われを(いな)まん』とイエスの()(たま)ひし御言(みことば)(おも)ひいだし、(おも)(かへ)して()きたり。

註解: ここに至ってペテロは始めて己に帰り己の罪の如何に深きかを思い、主の御前に誇りし彼と、この敗戦の彼とを比較して自己の如何に弱きものであるかを発見して心の底より涙が流れ出づるを禁ずることができなかった。かくしてペテロはイエスの前に心中深くその罪を懺悔した。
辞解
[思ひ返して] 原語の意味難解で種々に解せられているけれどもおそらく「思ひ返して」が適当であろう。あるいは「頭を(おお)いて」と訳する説あり、また異本により文字を変更して「泣き始めたり」とも訳され、または「飛び出でて泣けり」とも訳さる。
要義 [ペテロの堕罪]ペテロが主イエスを否める記事は我らに多くの反省を促す処のものである。人の前にてイエスを否む者をばイエスは父の前にこれを否み給う。而して人の前に明白にイエスを告白することの難きは何人も経験する処であって、これを幾分たりとも曖昧に終らしむることは取りもなおさずペテロの罪を重ぬることである。我らは三度主を否めるペテロの中に我ら自身の姿を見ることを悲しまざるを得ない。

マルコ伝第15章
6-4-ニ ピラトの裁判 15:1 - 15:15
(マタ27:1-26) (ルカ23:1-5、17-25)   

15章1節 夜明(よあく)るや(ただ)ちに、祭司長(さいしちゃう)長老(ちゃうらう)學者(がくしゃ)ら、(すなは)(ぜん)議會(ぎくわい)ともに(あひ)(はか)りて、イエスを(しば)()きゆきて、ピラトに(わた)す。[引照]

口語訳夜が明けるとすぐ、祭司長たちは長老、律法学者たち、および全議会と協議をこらした末、イエスを縛って引き出し、ピラトに渡した。
塚本訳夜が明けるとすぐ、大祭司連は長老、聖書学者と共に、すなわち全最高法院で決議をすませたのち、イエスを縛り、引いていって(総督ピラトに)渡した。
前田訳明け方早く大祭司らは長老と学者と法院全体と会議をし、イエスを縛って引いて行って、ピラトに引き渡した。
新共同夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
NIVVery early in the morning, the chief priests, with the elders, the teachers of the law and the whole Sanhedrin, reached a decision. They bound Jesus, led him away and handed him over to Pilate.
註解: 彼らは夜明けにまた会議を開催してついにイエスをピラトに付すこととした。これによりてイエスを死刑に処せしめんとしたのである。彼らの眼中唯イエスを除くことより外になかった。
辞解
[ピラト] 紀元二六−三六年の間ユダヤの総督(hegemôn,procurator,governerなり。使13:7、8。使18:12の総督 anthupatos,proconsul と異なる)であった。紀元六年アケラオ王の失脚の後はユダヤはシリヤの代官の下に属せる総督によりて支配せられ、紀元四十一年までの七人の中の第五代の総督がピラトであった。当時の歴史に残れる処によればピラトは貪慾にして残虐なることをもって有名であったがイエスに対する態度は割合に同情あり、また人民やユダヤ人に対しては割合に譲歩的であった。平生はカイザリヤにいたけれども祭の際などはエルサレムに上るを常としていた。

15章2節 ピラト、イエスに()ひて()ふ『なんぢはユダヤ(びと)(わう)なるか』(こた)へて()(たま)ふ『なんぢの()ふが(ごと)し』[引照]

口語訳ピラトはイエスに尋ねた、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは、「そのとおりである」とお答えになった。
塚本訳ピラトはイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」答えて言われる、「(そう言われるならば)御意見にまかせる。」
前田訳ピラトは彼に問うた、「あなたはユダヤ人の王か」と。彼は答えられた、「あなたはそれをいう」と。
新共同ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
NIV"Are you the king of the Jews?" asked Pilate. "Yes, it is as you say," Jesus replied.
註解: 一回も暴力に訴えたことはなく、未だかつて政治的運動を起したこともなく、カイザルに租税を納むべからずと教唆(きょうさ)せることもなく(ルカ23:2誣告(ぶこく)である)、唯一人無力のままピラトの前に立ち給えるイエスが決してカイザルに反逆を企ててユダヤ人の王として立たんとする人間でないことはピラトには勿論明かであった。祭司長らがイエスを陥れんためにピラトに斯くと訴えたのである。それ故にピラトのこの質問は半ば、諧謔(かいぎゃく)的であったものと見るべきである。それ故に「なんぢの言ふ如し」との返答も、彼を大逆罪とするに足らなかった。もしこれが政治的意味においての質問応答であったならば、イエスはそのまま大逆罪に問われたであろう。この間にマタ27:3−10にはユダの悲劇的最後の記事あり。
辞解
[汝の言ふが如し] 直訳「汝は云う」で「仰せの通り」というごとき意、なおこれを「如何ようにでも言い給え」というごとき意味と解す説あれども(L2)、前者が通説である。

15章3節 祭司長(さいしちゃう)ら、さまざまに(うった)ふれば、[引照]

口語訳そこで祭司長たちは、イエスのことをいろいろと訴えた。
塚本訳大祭司連が(いろいろ罪状をあげて、)しきりにイエスを訴えた。
前田訳大祭司らは多くのことを訴えた。
新共同そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。
NIVThe chief priests accused him of many things.

15章4節 ピラトまた()ひて()ふ『なにも(こた)へぬか、()よ、如何(いか)(おほ)くの(こと)をもて(うった)ふるか』[引照]

口語訳ピラトはもう一度イエスに尋ねた、「何も答えないのか。見よ、あなたに対してあんなにまで次々に訴えているではないか」。
塚本訳そこで、またピラトが問うた、「何も答えないのか。そら、あんなにお前を訴えているではないか。」
前田訳ピラトはまた彼に問うた、「何も答えないのか。見よ、あれほど訴えているではないか」と。
新共同ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
NIVSo again Pilate asked him, "Aren't you going to answer? See how many things they are accusing you of."

15章5節 されどピラトの(あや)しむばかりイエス(さら)(なに)をも(こた)(たま)はず。[引照]

口語訳しかし、イエスはピラトが不思議に思うほどに、もう何もお答えにならなかった。
塚本訳しかしイエスはもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
前田訳しかしイエスはもはや何もお答えにならなかった。それはピラトがおどろくほどであった。
新共同しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
NIVBut Jesus still made no reply, and Pilate was amazed.
註解: 二節の問答をもってイエスを罪に定むることができないのを見て祭司長らは種々の誣告(ぶこく)を為してイエスを訴えたけれどもイエスは完全に沈黙を守り給うた。それらに答うることの無意味なるを知り給いしが故である。沈黙は時に最大の雄弁よりも雄弁である。祭司長らは唯イエスを殺さんとの悪意のみより行動し、イエスは凡てを神の御旨に委せて静かに立ち給う。この両者の間の対照の著しきを見よ。ピラトすら是非曲直の何れにあるかを判断することができた(10節)。

15章6節 さて(まつり)(とき)には、ピラト(たみ)(ねがひ)(まか)せて、囚人(めしうど)ひとりを(ゆる)(れい)なるが、[引照]

口語訳さて、祭のたびごとに、ピラトは人々が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやることにしていた。
塚本訳さてピラトは(過越の)祭の都度、人民から願い出る囚人を一人だけ(特赦によって)赦していた。
前田訳祭りのたびに総督は民が願い出る囚人ひとりをゆるしていた。
新共同ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。
NIVNow it was the custom at the Feast to release a prisoner whom the people requested.
註解: これはローマの法律ではなく、ピラトがその仁政を誇らんがために毎年祭の時に来ってかかる赦免を行ったのであろう。

15章7節 (ここ)一揆(いっき)(おこ)し、(ひと)(ころ)して(つな)がれをる(もの)(うち)に、バラバといふ(もの)あり、[引照]

口語訳ここに、暴動を起し人殺しをしてつながれていた暴徒の中に、バラバという者がいた。
塚本訳ところが暴動の折、人殺しをして繋がれていた暴徒の中に、バラバという者があった。
前田訳暴動のとき殺人をしてつながれていた暴徒の中にバラバというものがあった。
新共同さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。
NIVA man called Barabbas was in prison with the insurrectionists who had committed murder in the uprising.
註解: これは政治犯人であってこれこそローマの政府にとりては罪深き者であったけれども、ユダヤ人はむしろローマに対する反逆を歓迎し、イエスのごとくに暴力を用いざるメシヤに失望したのであった。

15章8節 群衆(ぐんじゅう)すすみ(きた)りて、(れい)(ごと)くせんことを(ねが)()でたれば、[引照]

口語訳群衆が押しかけてきて、いつものとおりにしてほしいと要求しはじめたので、
塚本訳群衆が(官邸に)上がってきて、いつもするように(してもらいたい)と願い始めた。
前田訳群衆が上って来て、いつもするように、と願いはじめた。
新共同群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。
NIVThe crowd came up and asked Pilate to do for them what he usually did.

15章9節 ピラト(こた)へて()ふ『ユダヤ(びと)(わう)(ゆる)さんことを(ねが)ふか』[引照]

口語訳ピラトは彼らにむかって、「おまえたちはユダヤ人の王をゆるしてもらいたいのか」と言った。
塚本訳ピラトは答えて言った、「あのユダヤ人の王を赦してもらいたいのか。」
前田訳ピラトは彼らに答えた、「ユダヤ人の王をゆるしてもらいたいのか」と。
新共同そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。
NIV"Do you want me to release to you the king of the Jews?" asked Pilate,

15章10節 これピラト、祭司長(さいしちゃう)らのイエスを(わた)ししは、(ねたみ)()ると()(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳それは、祭司長たちがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにわかっていたからである。
塚本訳ピラトは大祭司連が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
前田訳彼は大祭司らが妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
新共同祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
NIVknowing it was out of envy that the chief priests had handed Jesus over to him.
註解: イエスの罪無きを知れるピラトは何とかして彼を赦さんことを望めると同時に、また他方ユダヤの民衆の反対を招くことを恐れていた。彼は智慧と洞察力とを有つ政治家であったに相違ない。彼はすでに祭司長らの嫉みが事件の原因であることを知ったのであった。9節はユダヤ人の気を引かんがためになせる質問であった。もしピラトにして単に一片の政治家たるのみでなく、正義に立ちて動かない人間であったならば容易にイエスを赦すことができたであろう。
辞解
[すすみ来りて] 原語「上り来りて」でピラトの座敷は一段と高くなっている故、その近くまで上って来たことを意味す。なお異本には「上り来りて」の代りに「声を揚げて」とあり、13節の「また」に対してはこの方が好都合なれど原文批評の上よりは前者を可とす。またマタ27:19およびマタ27:24、25にピラトの妻の諫言(かんげん)とピラトの洗手のことが録さる。

15章11節 ()れど祭司長(さいしちゃう)群衆(ぐんじゅう)(そその)かし、(かへ)つてバラバを(ゆる)さんことを(ねが)はしむ。[引照]

口語訳しかし祭司長たちは、バラバの方をゆるしてもらうように、群衆を煽動した。
塚本訳しかし大祭司連は、(彼よりは)バラバの方を赦してもらえと群衆を煽動した。
前田訳しかし大祭司らはバラバのほうをゆるしてもらうよう群衆をそそのかした。
新共同祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。
NIVBut the chief priests stirred up the crowd to have Pilate release Barabbas instead.
註解: 群衆の中の若干の者を使嗾(しそう)して反対の声を揚げしむることにより群衆の大部分を雷同せしむることは比較的容易である。祭司長らは予めかかる手段を講じていたものと思われる。数日前にイエスのエルサレム入城を歓迎せる群衆は今や一変してイエスを詛う者となった。何れの時代においても有力なるは民衆であると共に頼りないのも民衆である。

15章12節 ピラトまた(こた)へて()ふ『さらば(なんぢ)らがユダヤ(びと)(わう)(とな)ふる(もの)をわれ如何(いか)()べきか』[引照]

口語訳そこでピラトはまた彼らに言った、「それでは、おまえたちがユダヤ人の王と呼んでいるあの人は、どうしたらよいか」。
塚本訳ピラトはまた彼らに言った、「では、お前たちがユダヤ人の王と言っているあの人を、どうしようか。」
前田訳ピラトはまた彼らにいった、「あなた方がユダヤ人の王という人をどうしようか」と。
新共同そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。
NIV"What shall I do, then, with the one you call the king of the Jews?" Pilate asked them.

15章13節 人々(ひとびと)また(さけ)びて()ふ『十字架(じふじか)につけよ』[引照]

口語訳彼らは、また叫んだ、「十字架につけよ」。
塚本訳「それを十字架につけろ」とまた人々が叫んだ。
前田訳彼らはまた叫んだ、「十字架につけよ」と。
新共同群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
NIV"Crucify him!" they shouted.
註解: ピラトは自己の確信を遂行する勇気がなくまたイエス一人を殺すことが彼自身の利害に何らの影響を与えないのでついに多数の声に圧せられて民衆の意向を求めた。民衆は祭司長らの教唆(きょうさ)に従い彼を十字架につけよと叫んだ。「なんぢらがユダヤ人の王ととなふる者」と特に説明しているのは、民衆がイエスを王として歓迎せる事実を知りこれを揶揄したのであろう。それにも関らず民衆はさらに反省せず、彼を十字架につけよと叫んだ。彼ら凡てすなわち祭司長より民衆に至るまで今まさに彼らの神なるエホバの遣し給える独り子を十字架につけんとしているのである。
辞解
[また] 「再度」で第一回は8節かまたは11節の叫びならん。

15章14節 ピラト()ふ『そも(かれ)(なに)惡事(あくじ)()したるか』かれら(はげ)しく(さけ)びて『十字架(じふじか)につけよ』と()ふ。[引照]

口語訳ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼らは一そう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。
塚本訳ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「それを十字架につけろ」と叫んだ。
前田訳ピラトは彼らにいった、「何の悪をしたのか」と。彼らはますます叫んだ、「十字架につけよ」と。
新共同ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
NIV"Why? What crime has he committed?" asked Pilate. But they shouted all the louder, "Crucify him!"
註解: ピラトがイエスを赦さんとする心はなおもやまなかった。それと同時に群衆の意を迎えんとする気持ちも充分に見えていた。それがために群衆は益々ピラトの弱腰につけ込んで声を揚げて「十字架につけよ」と叫んだのであった。あらゆる人間の罪、弱さ、利己心、名誉心等の混沌たる渦巻きの中にただイエス一人完全なる潔さと栄光とをもって無言のままに立ち給うその神々しき姿を想像せよ。

15章15節 ピラト群衆(ぐんじゅう)(のぞみ)滿(みた)さんとて、バラバを(ゆる)し、イエスを(むち)うちたるのち、十字架(じふじか)につくる(ため)にわたせり。[引照]

口語訳それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。
塚本訳ピラトは群衆の機嫌を取ろうと思ってバラバを赦してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。
前田訳ピラトは群衆を満足させるためにバラバをゆるしてやり、イエスを鞭打ってから、十字架につけるよう引き渡した。
新共同ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
NIVWanting to satisfy the crowd, Pilate released Barabbas to them. He had Jesus flogged, and handed him over to be crucified.
註解: ついにピラトは群衆の声に抗することができず、イエスを十字架につけるために渡した。その前に(むちう)ったのは十字架の処刑の前にはかくする規定があったからである。これによって十字架上の苦痛を軽減する目的より来れるものの由。
辞解
[わたせり] ローマの兵卒に渡すこと。
要義 [ピラトとイエス]ピラトは政治家でありイエスは神の子であった。ピラトには政治家に共通なるあらゆる虚栄心、貪慾心、利己心、智謀、策略、打算等が豊かに備わっていたけれども、唯一つ正義をもって一貫せんとの心がなかった。而してイエスには唯神の御旨に(したが)い正義をもって一貫せんとする心より以外に何をも持ち給わなかった。この二つが極めて鮮やかなる対照をなして相対立しているのである。而してピラトはイエスを死に付すことによりて易々としてイエスに打勝ったけれども、イエスは十字架上に死に給い而して甦えり給えることによりて永遠にピラトに勝ち給うた。キリストとこの世との間には正にこのイエスとピラトとのごとき対立がある。この世はキリスト者にかつことによりてこれに負け、キリスト者はこの世に負くることによりてこれに勝つ。

6-4-ホ イエス嘲弄せられ給う 15:16 - 15:20
(マタ27:27-31)   

15章16節 兵卒(へいそつ)どもイエスを[官邸(くわんてい)(なか)(には)](邸宅(ていたく)(すなは)官邸(かんてい)(うち))に()れゆき、(ぜん)(たい)()(あつ)めて、[引照]

口語訳兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の内に連れて行き、全部隊を呼び集めた。
塚本訳兵卒らは官邸、すなわち総督官舎、の中にイエスを引いてゆき、(王の茶番狂言を見せるために)全部隊を呼びあつめた。
前田訳兵士らは官邸すなわち総督公舎の中へ彼を引いて行き、全部隊を集めた。
新共同兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。
NIVThe soldiers led Jesus away into the palace (that is, the Praetorium) and called together the whole company of soldiers.
註解: ピラトは判決を与えて後イエスを十字架につけるために兵卒どもに付して奥に引込んだ。兵卒は全隊を集めてイエスを嘲弄し始めた。兵卒にはイエスの価値がわからず、十字架につくべき罪人故悪人に相違なしと考え、退屈まぎれに彼を玩弄物(がんろうぶつ)視してこれを嘲弄(ちょうろう)したのであろう。しかしながら彼らはこれによりイエスに対する異邦人の罪を代表したのであった。かくして図らずも全世界がイエスを否んだこととなったのである。始めに弟子、中にも殊にユダ、次にユダヤ人、最後に異邦人である。
辞解
[官邸の中庭] 誤訳で「中庭 aulê の奥すなわち官邸」と読むか(M0、E0)、または aulê を邸宅または宮殿と読み「邸宅すなわち官邸の中」 praitôrion = praetorium (L2、I0、B1)と読むべきである。アウレーには中庭の意味と宮殿の意味とあり、兵卒は全隊 speira(レギオンの十分の一すなわち六百人)に属する兵卒でピラトの近衛兵のごときものであったろう。全隊を集めたというのは必ずしも六百人をみな集めたと見る必要はない。

15章17節 (かれ)紫色(むらさき)(ころも)()せ、(いばら)冠冕(かんむり)()みて(かむ)らせ、[引照]

口語訳そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、
塚本訳彼らはイエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせて(王に仕立てたのち、)
前田訳彼らは紫の衣を彼に着せ、茨の冠を編んでかぶせた。
新共同そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
NIVThey put a purple robe on him, then twisted together a crown of thorns and set it on him.

15章18節 『ユダヤ(びと)(わう)(やす)かれ』と(れい)をなし(はじ)め、[引照]

口語訳「ユダヤ人の王、ばんざい」と言って敬礼をしはじめた。
塚本訳「ユダヤ人の王、万歳!」と(叫んで)喝采した。
前田訳そして「ユダヤ人の王万歳」と喝采しだした。
新共同「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。
NIVAnd they began to call out to him, "Hail, king of the Jews!"

15章19節 また(あし)にて、()(かうべ)をたたき、(つばき)し、(ひざまづ)きて(はい)せり。[引照]

口語訳また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだりした。
塚本訳それから葦(の棒)で頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいておがんだ。
前田訳そして葦で頭をたたき、唾し、ひざまずいて拝んだ。
新共同また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。
NIVAgain and again they struck him on the head with a staff and spit on him. Falling on their knees, they paid homage to him.
註解: イエスを王に仕立てて嘲弄(ちょうろう)した。兵卒らはイエスがユダヤ人の王と自称したために罰せられしを聞き知ったからである。しかしながら彼らはこの嘲弄(ちょうろう)の態度と虚偽の礼拝をなしつつあった中にも、イエスに対して当然に為すべきことの真似を為していたのであった。不思議なる神の摂理でありまた神の嘲弄(ちょうろう)である。彼らは神を嘲弄(ちょうろう)しつつ自ら神に嘲弄(ちょうろう)せられていたのであった。神はイエスを裏切れるユダの行為を用いて神の経綸を実現し給い、イエスを嘲弄(ちょうろう)せんとする心を用いて彼を拝せしめ給う。
辞解
[紫色の衣] 王者の着る衣。マタ27:28には緋色の外套とあり、兵卒もこれを用い得る故、この方が事実に近からん。またマタ27:29、30の記事の方が嘲弄(ちょうろう)の態度が順序よく記されている。
[安かれ] chaire は「喜べ」の意であるけれども、別段かかる意味なく「今日は」というごとき心持を示す。書簡の冒頭に用いられる chairein (ヤコ1:1)も同語なり。

15章20節 かく嘲弄(てうろう)してのち、紫色(むらさき)(ころも)()ぎ、(もと)(ころも)()十字架(じふじか)につけんとて()(いだ)せり。[引照]

口語訳こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた。それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出した。
塚本訳こうしてなぶった後、紫の衣を脱がせてもとの着物を着せた。兵卒らはイエスを十字架につけるために(都から)引き出した。
前田訳こうしてなぶってから、紫の衣を脱がせて、もとの着物を着せた。そして十字架につけるために外へ引き出した。
新共同このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
NIVAnd when they had mocked him, they took off the purple robe and put his own clothes on him. Then they led him out to crucify him.
註解: 兵卒のかかる行為に対してもイエスは全く無抵抗の態度を取り給うた。兵卒は全く知らずして神の独り子に対しあらゆる無礼を働いていたのである。今日の全世界の人々にしてイエスを信ぜず、これを迫害する者もまたこの兵士らのごとき態度を取っているのである。知らずとは言えその罪決して軽くはない。

6-4-ヘ イエス十字架に釘き給う 15:21 - 15:32
(マタ27:32-44) (ルカ23:26-43) (ヨハ19:17-27)  

15章21節 (とき)にアレキサンデルとルフ[ルポス]との(ちち)シモンといふクレネ(びと)田舍(ゐなか)より(きた)りて(とほ)りかかりしに、()ひてイエスの十字架(じふじか)()はせ、[引照]

口語訳そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。
塚本訳するとアレキサンデルとルポスとの父であるシモンというクレネ人が、野良から来て通りかかったので、有無を言わせずイエスの十字架を負わせる。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)
前田訳アレクサンデルとルポスとの父でシモンというクレネ人が田舎から来て通りかかったので、イエスの十字架を無理に負わせる。
新共同そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
NIVA certain man from Cyrene, Simon, the father of Alexander and Rufus, was passing by on his way in from the country, and they forced him to carry the cross.
註解: 刑罰を受くべき者が自ら己の十字架を負う慣わしであったけれども、イエスの場合始めにこれを負い給えるのみで(ヨハ19:17)、後に護送の兵卒はクレネ人シモンを捕え強いてこれにその十字架を負わしめた。何故にここにシモンを捕えてイエスの十字架を負わせしめたのであるかは不明であるが、シモンはあるいはイエスの弟子の一人、またはその同情者の一人であったのではあるまいか、イエスの十字架の重さに耐え兼ね給う御姿を路傍に立ちて眺めつつ、いたく同情を寄せているのを兵卒らが認めたのではあるまいか。少なくともシモンは主イエスの十字架を負うの光栄を持つことができたのは兵卒に強いられたからであった。強いて十字架を負わしめられることは苦痛ではあるが幸福である。
辞解
[アレキサンデル] 使19:33Tテモ1:20Uテモ4:14と同一人とは思われず。
[ルフ] ロマ16:13のルポス(原語同一)ならん、マタ27:32註および辞解参照。
[田舎より来りて] この時来たのであると解する必要なし。「田舎より来れるクレネ人シモン」の意。

15章22節 イエスをゴルゴダ、()けば髑髏(されかうべ)といふ(ところ)()()けり。[引照]

口語訳そしてイエスをゴルゴタ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った。
塚本訳兵卒らはイエスをゴルゴダという所──訳すると「髑髏の所」──につれて行く。
前田訳彼らはイエスをゴルゴタというところ(訳すと骸骨の所)へ連れて行く。
新共同そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。
NIVThey brought Jesus to the place called Golgotha (which means The Place of the Skull).
註解: エルサレムの門外ならん、形状が髑髏(されこうべ)に似ていることより名付けられし丘ならん。(▲または死刑囚の死骸は処刑場に放置され、髑髏(されこうべ)がその附近に散乱していることから、かく名づけられたとの説あり。)アダムの髑髏(されこうべ)を埋めたる地と称する伝説は信ずるに足らない。
辞解
[ゴルゴタ] ヘブル語。

15章23節 (かく)沒藥(もつやく)()ぜたる葡萄酒(ぶだうしゅ)(あた)へたれど、()(たま)はず。[引照]

口語訳そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。
塚本訳人々は(苦痛をやわらげるために)没薬をまぜた葡萄酒をやろうとしたが、お受けにならなかった。
前田訳彼らは薬を混ぜたぶどう酒を与えたが、お受けにならなかった。
新共同没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
NIVThen they offered him wine mixed with myrrh, but he did not take it.
註解: 処刑される罪人に麻酔剤を与うる慣わしがあった。没薬を混ぜたる葡萄酒にはかかる効果があったものと思われる。イエスがこれを受け給わなかったのは、与えられた苦痛を充分に味わんがためであろう。なおマタ27:34には没薬の代りに「苦味」とあり、またイエスはこれを嘗めたけれども飲み給わなかったと録している。

15章24節 (かれ)らイエスを十字架(じふじか)につけ、(しか)して(たれ)(なに)()るべきと、(くじ)()きて()(ころも)(わか)つ。[引照]

口語訳それから、イエスを十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、イエスの着物を分けた。
塚本訳兵卒らはイエスを十字架につける。それから、だれが何を取るかと、“籤を引いて、”その“着物を自分たちで分ける、”
前田訳彼らはイエスを十字架につける。そして、彼の着物を分けあい、だれがどれを取るかとくじを引いた。
新共同それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
NIVAnd they crucified him. Dividing up his clothes, they cast lots to see what each would get.
註解: 十字架はローマの法律による処刑法で人身の高さよりも少しく高き十字架にまず罪人を()け、両手を広げ、両手両足の先を釘つけにし、股の間を木片にて支え、而して後十字架を立てる方法によるものである。死刑囚の衣服を分配することはローマの習慣であったが同時にこれが詩22:18の実現となった。ヨハ19:23、24には一層詳しくこれを記載す。

15章25節 イエスを十字架(じふじか)につけしは、(あさ)九時(くじ)(ころ)なりき。[引照]

口語訳イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。
塚本訳十字架につけたのは朝の九時であった。
前田訳十字架につけたのは朝の九時であった。
新共同イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
NIVIt was the third hour when they crucified him.
註解: 原語第三時とあり、ヨハ19:14にはピラトの裁判が第六時(すなわち十二時頃)とあり時刻は一致しない。ヨハ19:14註参照。

15章26節 その罪標(すてふだ)には『ユダヤ(びと)(わう)』と(しる)せり。[引照]

口語訳イエスの罪状書きには「ユダヤ人の王」と、しるしてあった。
塚本訳罪状札には ユ ダ ヤ 人 の 王と書いてあった。
前田訳捨札(すてふだ)には「ユダヤ人の王」と書いてあった。
新共同罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
NIVThe written notice of the charge against him read: THE KING OF THE JEWS.
註解: 罪名を板に書き記して罪人の首にかけるかまたは見易き処に掲ぐることは当時の習慣であった。ヨハ19:20によれば、ヘブル語、ローマ語、およびギリシャ語の三つの国語にて録されたとのことである。今日のパレスチナ地方では官庁の公示などは、英、仏、ヘブルの三語を用う。「ユダヤ人の王」と記したのはピラトであり、これは一面彼の無罪を示すと共に、他面ユダヤ人らがその王を殺すの罪を犯していることを示す意味ともなり、ユダヤ人にとりては甚だ苦痛であった。そのためにこれを変更せんことを乞いてピラトに拒絶せられしことがヨハ19:20−22に記されている。

15章27節 イエスと(とも)に、二人(ふたり)強盜(がうたう)十字架(じふじか)につけ、一人(ひとり)をその(みぎ)に、一人(ひとり)をその(ひだり)()く。[引照]

口語訳また、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。
塚本訳またイエスと共に二人の強盗を、一人をその右に、一人を左に十字架につけた。
前田訳そして彼とともにふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。
新共同また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
NIVThey crucified two robbers with him, one on his right and one on his left.
註解: 〔28なし〕群衆の目にはこれらの強盗とイエスとの間の差別が判明(わか)らなかった。なお28節は「彼は異邦人とともに数えられたりと云える聖書は成就したり」とあり(ルカ22:37イザ53:12)。マルコは旧約の引用少なし、これは後代の挿入ならん。

15章28節 [なし][引照]

口語訳〔こうして「彼は罪人たちのひとりに数えられた」と書いてある言葉が成就したのである。〕
塚本訳(無し)
前田訳〔かくて、「彼は不法のもののひとりに数えられた」とある聖書は成就した〕。
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。
NIV

15章29節 往來(ゆきき)(もの)どもイエスを(そし)り、(かうべ)()りて()ふ『ああ(みや)(こぼ)ちて三日(みっか)のうちに()つる(もの)よ、[引照]

口語訳そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、
塚本訳通りかかった人々が“頭をふりながら、”こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、
前田訳道行く人々は頭を振りながら彼をけがしていった、「はあ、宮をこわして三日で建てる人、
新共同そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、
NIVThose who passed by hurled insults at him, shaking their heads and saying, "So! You who are going to destroy the temple and build it in three days,

15章30節 十字架(じふじか)より()りて(おのれ)(すく)へ』[引照]

口語訳十字架からおりてきて自分を救え」。
塚本訳自分を救ってみろ、十字架から下りてきて!」
前田訳十字架からおりて自分を救え」と。
新共同十字架から降りて自分を救ってみろ。」
NIVcome down from the cross and save yourself!"
註解: 一般の民衆もイエスにつき若干聴き及んでいた(マコ14:58)。彼らはイエスが己を救い得ざりしことがイエスの言い給える所に矛盾するものと思い、イエスを単に大言壮語するのみにて何らの実力なき誇大妄想家と考えてこれを嘲弄(ちょうろう)した。自ら己を救い得ざりし処にイエスの偉大さがあることを彼らは考うることだにできなかった。
辞解
[首を振る] 驚きと嘲弄(ちょうろう)とを兼ねし態度。詩22:7の実現と見るべきである。
[ああ] 原語ウーア。

15章31節 祭司長(さいしちゃう)らも(また)(おな)じく學者(がくしゃ)らと(とも)嘲弄(てうろう)して(たがひ)()ふ『(ひと)(すく)ひて、(おのれ)(すく)ふこと(あた)はず、[引照]

口語訳祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。
塚本訳同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。
前田訳同じように、大祭司らも学者といっしょに互いにたわむれあっていった、「あれは人を救ったが自分は救えない。
新共同同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。
NIVIn the same way the chief priests and the teachers of the law mocked him among themselves. "He saved others," they said, "but he can't save himself!

15章32節 イスラエルの(わう)キリスト、いま十字架(じふじか)より()りよかし、()らば(われ)()(しん)ぜん』[引照]

口語訳イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
塚本訳救世主、イスラエルの王様が!今すぐ十字架から下りてくるがよい。見たら信じてやるのに!」一しょに十字架につけられた二人(の強盗)も、イエスを罵った。
前田訳キリスト、イスラエルの王、今十字架からおりよ。それを見たら信じよう」と。ともに十字架につけられたものどもも彼をののしった。
新共同メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
NIVLet this Christ, this King of Israel, come down now from the cross, that we may see and believe." Those crucified with him also heaped insults on him.
註解: 祭司長、学者らはその目的を達成してついにイエスを十字架に()けた。イエスがこの際、以前にしばしば行い給える奇蹟のごとくに奇蹟力をもって十字架より下り給うこと無きやは、彼らの内心にいたく懼れていた処であろう。然るに29節の群衆の叫びにもかかわらず、イエスは十字架より下り給う形跡も無いので彼らは益々勢いを得て、本節のごとき語をもってイエスを嘲弄(ちょうろう)した。しかしながら不幸にしてこれらの嘲弄(ちょうろう)の語そのものがイエスのイエスらしさを最もよく示す処のものであった。イスラエルの王でありながら人を救いて己を救い能わず、十字架より下りなかった処にイエスの真の贖罪がある。この「不能」は道徳的不能であって、能力の上の不能ではない(マタ26:53)。イエスはかくして苦しむことを父の御意と信じ聖書の預言の成就と考え給うた。

(とも)十字架(じふじか)につけられたる(もの)どもも、イエスを(ののし)りたり。

註解: かくしてイエスは兵卒、群衆、祭司長、学者、罪人にまで嘲弄(ちょうろう)せられまた罵られ給うた。己をかくのごとくにも嘲弄(ちょうろう)罵詈(ばり)する者の罪をも負い給うところに、イエスの愛の無限の大きさがあり、かかるイエスをも嘲弄(ちょうろう)し罵る処に人類の罪の無限の大きさがある。ルカ23:39−43にはその中の一人の悔改めに関する美しき記事があり。ルカはおそらく異なれる伝説によりて録せるものならん。
要義 [己を救い能わざる者]イエスはその偉大なる力を終生、御自身のために用い給わなかった。それ故に彼は己を救い得る力を充分に所有し給うたにもかかわらず、これを用いずしてついに十字架の上に万人の嘲弄(ちょうろう)の中に死に給うた。これで終っても彼の神の子に在し給うことの事実は充分であると言える。しかしながらもしこれで終ったならば、彼は無力のために死に給えるものにあらずやとも考えられ、彼の神の子に在し給うことの証明がないこととなる。然るに神はイエスのこの絶対的従順を(よみ)し給いて彼を甦えらしめ給い、彼をして死に打勝たしめ給うた。イエスの復活により、十字架上の彼に対して嘲弄(ちょうろう)の言を投げかけた凡ての者は永遠に(さば)かれ、十字架上に空しく死に給えるイエスは完全に勝利を得給うた。「己が生命を救はんと思う者はこれを失ひ、わがために己が生命をうしなふ者は之を得べし」(マタ16:25)はイエス御自身これを実行しこれを実現し給うた。

6-4-ト イエス息絶え給う 15:33 - 15:41
(マタ27:45-56) (ルカ23:44-49) (ヨハ19:28-30)  

15章33節 (ひる)十二(じふに)()に、()のうへ(あまね)(くら)くなりて、三時(さんじ)(およ)ぶ。[引照]

口語訳昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。
塚本訳昼の十二時になると、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
前田訳正午になると全地が闇になって三時までつづいた。
新共同昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
NIVAt the sixth hour darkness came over the whole land until the ninth hour.
註解: 当時は満月の時なるが故に日食は有るはずがなく、従って他の自然界の異変によりて天日が暗くなったのであった。霊界の特種の現象は往々に自然界の変動を伴う。

15章34節 三時(さんじ)にイエス大聲(おほごゑ)に『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と(よばは)(たま)ふ。(これ)()けば、わが(かみ)、わが(かみ)、なんぞ(われ)()()(たま)ひし、との(こころ)なり。[引照]

口語訳そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
塚本訳三時に、イエスは大声を出して“エロイ エロイ ラマ サバクタニ!”と叫ばれた。訳すると、“わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!”である。
前田訳三時に、イエスは大声で叫ばれた、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と。訳すと、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てですか」である。
新共同三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
NIVAnd at the ninth hour Jesus cried out in a loud voice, <"Eloi, Eloi, lama> "--which means, "My God, my God, why have you forsaken me?"
註解: ゲツセマネにおけるイエスの切なる祈りに神は応え給わずして彼を棄て、これを十字架に()け、イエスは神に棄てられ神の御顔を見失い給うたのであった。肉体の苦痛も勿論大きいには相違ないけれども、神に棄てられ給える意識はイエスにとりて最大の苦痛であった。殊にイエスは人間を愛し神を愛し正義を愛するが故にここに至ったのであって神に棄てらるべき何らの理由も無かった。それにもかかわらず神は事実彼を棄て給うたのである。それ故に彼の心の底から詩22:1の叫びが(ほとばし)り出でたのである。而してこの詩は全体として見るとき深き信頼の心より出でた詩であって、やがてはエホバの救いを讃美する詩である故、イエスは神に棄てられつつも絶対に神に服従しおおせ給い、この絶対服従によりて絶対的絶望の叫びの彼岸に希望の光が輝いていたのであった。イエスがこの希望を意識し給えるや否やはこの一節よりこれを知ることができないけれども、再三その「復活」を予告し給える点より見るも、おそらくこの希望をいだきて神に信頼し続け給うたのであろう。
辞解
[エロイ、エロイ] アラム語、これに相当するヘブル語はエリ、エリ、なり。エリの方はエリヤと間違うる可能性がある(35節)。なおイエスが神に捨てられたというごときことは不可解だというので、この一節は古くから種々の問題を起せる一節である。

15章35節 (かたは)らに()(もの)のうち(ある)人々(ひとびと)これを()きて()ふ『()よ、エリヤを()ぶなり』[引照]

口語訳すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
塚本訳そばに立っていた人たちのうちにはこれを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った者が何人かあった。(エロイをエリヤと聞きちがえたらしい。)
前田訳そばに立っていた人の何人かがそれを聞いていった、「見よ、エリヤを呼んでいる」と。
新共同そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
NIVWhen some of those standing near heard this, they said, "Listen, he's calling Elijah."
註解: ローマの兵卒はおそらくエリヤのことを知らないであろう。従って傍らに立つ者はユダヤ人の群衆である。彼らは詩22:1を思い起さず、かえってエリヤを思い起した。かかる間違いは有り得ないとする(L2)必要はない。群衆はイエスがエリヤを呼びその助けを求むるものと誤解した。

15章36節 一人(ひとり)はしり()きて、海綿(うみわた)()葡萄酒(ぶだうしゅ)(ふく)ませて(あし)につけ、イエスに()ましめて()ふ。[引照]

口語訳ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。
塚本訳ひとりが駆けていって、“酸っぱい葡萄主を”海綿に含ませ、葦(の棒の先)につけて、「(もう少し生かしておいて、)エリヤが下ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに“飲ませようとした。”
前田訳ひとりが駆けて来て、すっぱいぶどう酒を海綿に含ませ、葦の先につけて彼に飲ませようとしていった、「待て、エリヤがおろしに来るかどうか見ていよう」と。
新共同ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。
NIVOne man ran, filled a sponge with wine vinegar, put it on a stick, and offered it to Jesus to drink. "Now leave him alone. Let's see if Elijah comes to take him down," he said.
註解: これを詩69:21による嘲弄(ちょうろう)の意味(L2)と解する説もあるけれども、むしろイエスの苦痛を和らげんとする同情ある処置であると見るべきであろう。かくして幾分その生命を延ばしてエリヤの助けが来るや否やを見んとしたのであろう。

()て、エリヤ(きた)りて、(かれ)(おろ)すや(いな)や、(われ)(これ)()ん』

註解: マタ27:47はこの言を他の者が言えるものとしている。これも嘲弄(ちょうろう)と見るべきではない。

15章37節 イエス大聲(おほごゑ)(いだ)して(いき)()(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
塚本訳しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。
前田訳イエスは大声を出して息絶えられた。
新共同しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
NIVWith a loud cry, Jesus breathed his last.
註解: その声は天地に響き渡った。その大声はルカ23:46およびヨハ19:30のごときものであったろう。

15章38節 聖所(せいじょ)(まく)(うへ)より(した)まで()けて(ふた)つとなりたり。[引照]

口語訳そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
塚本訳(その途端に、)宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
前田訳宮の幕が上から下まで真二つに裂けた。
新共同すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
NIVThe curtain of the temple was torn in two from top to bottom.
註解: マタ27:51−53には地震および聖徒の復活の記事あり種々の異なる伝説が伝わっていたことは想像し得ることろである。聖所の幕は聖所と至聖所とを隔つる幕であって、年に一回大祭司がこれに入り、エホバの前に立つことを得るのみで他の何人もこれに入ることができないのであるが、今やこの幕が裂けたことはキリストの贖罪の死によりてキリストの肉体たる(まく)を経て、彼を信ずる凡てのものは臆することなく神の前に立ち得るに至ったのであることを表徴する。すなわち聖所の(まく)が避けたことは、凡ての信徒が祭司の仲介を要せず、キリストの贖いによりて直接に神の子とせられ神に(まみ)ゆることを得ることを示す。万人祭司主義の根本なり。▲ヘブ10:19参照。

15章39節 イエスに(むか)ひて()てる百卒長(ひゃくそつちゃう)、かかる(さま)にて(いき)()(たま)ひしを()()ふ『()にこの(ひと)(かみ)()なりき』[引照]

口語訳イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。
塚本訳イエスと向かい合ってそばに立っていた百卒長は、こんなにして息が絶えたのを見て、「この方は確かに神の子であった」と言った。
前田訳百卒長が彼と向かいあってそばに立っていたが、このように息絶えられるのを見ていった、「本当にこの方は神の子であった」と。
新共同百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
NIVAnd when the centurion, who stood there in front of Jesus, heard his cry and saw how he died, he said, "Surely this man was the Son of God!"
註解: イエスの死が上記のごとく、如何にも神らしかったので、ローマ軍隊の百卒長は、非常に感動してかく叫んだのであった。
辞解
「神の子」の意味はキリスト者の言うごとき意味ではなく、異教の多神教的意義に考うべきで、換言すれば「偉人」というに等し。

15章40節 また(はるか)(のぞ)()たる(をんな)たちあり、その(なか)にはマグダラのマリヤ、(せう)ヤコブとヨセとの(はは)マリヤ(およ)びサロメなども()たり。[引照]

口語訳また、遠くの方から見ている女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメがいた。
塚本訳また遠くの方から眺めていた女たちもいた。そのうちにはマグダラのマリヤ、小男ヤコブとヨセとの母マリヤ、およびサロメもいた。
前田訳女たちもいて、遠くから見守っていた。その中にはマグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセの母マリヤとサロメもいた。
新共同また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
NIVSome women were watching from a distance. Among them were Mary Magdalene, Mary the mother of James the younger and of Joses, and Salome.

15章41節 (かれ)らはイエスのガリラヤに居給(ゐたま)ひしとき、(したが)(つか)へし(もの)どもなり。()(ほか)イエスと(とも)にエルサレムに(のぼ)りし(おほ)くの(をんな)もありき。[引照]

口語訳彼らはイエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕えた女たちであった。なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた。
塚本訳──この三人はイエスがまだガリラヤにおられた時に、ついて回って仕えていた人たちである。──(そこには)このほかに、イエスと一しょにエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた。
前田訳彼女らはイエスがまだガリラヤにおられたとき、お伴をしてお世話していた。このほか彼とともにエルサレムへ上った女たちも多くいた。
新共同この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。
NIVIn Galilee these women had followed him and cared for his needs. Many other women who had come up with him to Jerusalem were also there.
註解: イエスに従える男子の弟子の外に多くの女弟子もあった。これらの女弟子は男子の弟子団に加わってこれを助けていた。男子がイエスを棄てた後も女子はこれに従っていた。
辞解
[マグダラのマリヤ] ベタニヤのマリヤ(マコ14:3ヨハ12:1)にあらず、またルカ7:37のマリヤとも異なり七つの悪鬼の出でしマリヤである(ルカ8:2)。
[小ヤコブ] 十二使徒の一人アルパヨの子ヤコブである。小は大ヤコブに対す、年齢の点か身長の点かにつき諸説あり、むしろ使徒としての小ならん。またヨヨハ19:25によればこのマリヤに相当する者をクロパの妻マリヤと呼んでいる故クロパとアルパヨとは同人ならん。ヘブル文字を同うす。
[サロメ] ゼベダイの妻でヨハネとヤコブの母であった。
要義 [イエスの死]徹頭徹尾人間らしさを失わず、しかも人間らしさの中に一点の私慾私意を挿まざる死はイエスの十字架上の死であった。英雄豪傑の死は壮観であるが、そこに多分に努力鍛錬による作為があり、泰然従容たる死であってもそこに子供のごとき自然さがない。然るにイエスの死は子供のごとく自然であり人間らしくあった。それにもかかわらず唯正義をもって一貫することと父なる神の命ならば凡てに全く服従することとを措いて他に何も無かった処に、全く神らしき彼の姿を見るのである。彼は完全に人間であり而して完全に神であった。人間を神らしく仕立上げた英雄ではなく、また人間離れのした聖者でもなかった。しかも英雄のごとき努力の跡もなく、聖者のごとき作為の影もない。全く人類の歴史における唯一の死であった。

6-4-チ イエスの埋葬 15:42 - 15:47
(マタ27:57-61) (ルカ23:50-56) (ヨハ19:31-42)  

15章42節 ()(すで)()れて、準備(そなへ)()すなはち安息(あんそく)(にち)(まへ)()(なりければ)[となりたれば]、[引照]

口語訳さて、すでに夕がたになったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、
塚本訳もはや夕方になった。その日は支度日、すなわち安息日の前の日[金曜日]であったので、(日が暮れると安息日になって、死体を十字架にかけておくことを許されなかった。そこで)
前田訳はや夕方になった。準備日(そなえび)、すなわち安息日の前日であったので、
新共同既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、
NIVIt was Preparation Day (that is, the day before the Sabbath). So as evening approached,
註解: 準備日は金曜日である。この時はちょうど金曜日の黄昏午後三時から六時の間頃であったので、なお安息日の開始まで若干の時間があった。この短時間の間にイエスの屍体を処置しなければならなかった。
辞解
[日既に暮れて] 「黄昏となりて」でこの「黄昏」opsia はあるいは午後の三時より六時頃までをいい、あるいは午後六時より九時ごろまでの間をも指す。マタ14:23(Grimm-Thayer)。
[安息日の前の日となりければ] 誤訳で「前の日なりければ」。

15章43節 (たふと)議員(ぎゐん)にして、(かみ)(くに)()(のぞ)める、アリマタヤのヨセフ(きた)りて、(はばか)らずピラトの(もと)()き、イエスの屍體(しかばね)()ふ。[引照]

口語訳アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引取りかたを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。
塚本訳名望の高い最高法院の議員であるアリマタヤ生まれのヨセフが来て、臆することなくピラトの所に行き、イエスの体(の下げ渡し)を乞うた。彼も神の国(の来るの)を待ち望んでいた一人であった。
前田訳令名ある議員で神の国を待ち望んでいたアリマタヤ出のヨセフが来て、おくせずピラトのところに入ってイエスのお体を求めた。
新共同アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。
NIVJoseph of Arimathea, a prominent member of the Council, who was himself waiting for the kingdom of God, went boldly to Pilate and asked for Jesus' body.
註解: この記事によりて見るもこのヨセフは真面目なる人間であったらしく(ひそ)かにイエスの弟子となり(ヨハ19:38)これに同情しこれを尊敬していた人であった。徳は孤ならず思わぬ処にイエスは同情者を有ち給うた。彼は多くのユダヤ人の非難を尻目に見て勇敢に自力をもってイエスの体を丁重に埋葬せんと決心した。かかる態度に出ることは何人にも容易ではない。
辞解
[アリマタヤ] 位置につきてはマタ27:57辞解参照。
[貴き] また「立派なる」とも訳す(M0)。
[屍體(しかばね)] 原語、体 sôma で福音書にはイエスの屍體につき ptôma なる文字は用いられていない。復活すべき体を屍體と称することが不適当なためであろう。なお屍體はローマの官憲の権利の下に属していた。

15章44節 ピラト、イエスは()()にしかと(いぶか)り、百卒長(ひゃくそつちゃう)()びて、その()にしより(とき)()しや(いな)やを()ひ、[引照]

口語訳ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。
塚本訳ピラトはイエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百卒長を呼んで、とうに死んだかどうかを尋ね、
前田訳ピラトはもうなくなったかといぶかり、百卒長を呼んで、なくなってから時がたったかどうかたずねた。
新共同ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。
NIVPilate was surprised to hear that he was already dead. Summoning the centurion, he asked him if Jesus had already died.

15章45節 (すで)()にたる(こと)百卒長(ひゃくそつちゃう)より()()りて、屍體(しかばね)をヨセフに(あた)ふ。[引照]

口語訳そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。
塚本訳百卒長からそうと聞くと、なきがらをヨセフに下げ渡した。
前田訳百卒長からそうと聞くと、なきがらをヨセフに渡した。
新共同そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。
NIVWhen he learned from the centurion that it was so, he gave the body to Joseph.
註解: 十字架上における処刑は完全に息絶ゆるまで相当の時間を要するのが常であったので、ピラトは入念にその死を確めて後これをヨセフに与えた。

15章46節 ヨセフ亞麻(あま)(ぬの)()ひ、イエスを取下(とりおろ)して(これ)(つつ)み、(いは)()りたる(はか)(をさ)め、(はか)入口(いりくち)(いし)(まろば)()く。[引照]

口語訳そこで、ヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石をころがしておいた。
塚本訳そこでヨセフは(日が暮れぬうちにと大急ぎで)亜麻布を買い、イエスを(十字架から)下ろして亜麻布で巻き、岩に掘ってあった墓に横たえ、墓の入口に石をころがしておいた。
前田訳ヨセフは亜麻布を買い、彼をおろして亜麻布で巻き、岩から掘り抜いてあった墓に横たえ、墓の入口に石をころがしておいた。
新共同ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。
NIVSo Joseph bought some linen cloth, took down the body, wrapped it in the linen, and placed it in a tomb cut out of rock. Then he rolled a stone against the entrance of the tomb.
註解: ヨハ19:39によればニコデモ(ヨハ3:1)も香料を持ち来って埋葬の手伝いをしたとのことである。香料は日曜日に女たちが墓に持参したのであった(マコ16:1、2)。囚人の屍体はかかる丁重なる取扱いを受けず、囚人の墓地か、または露天に放置されるを常とした。イエスの死体に対しかかる特別の処置が取られたのも神の摂理であったろう。
辞解
[墓] 多く水平に岩盤の上に掘られ死体を横たえてその上に石を転ばせて置くのであった。この墓は何人をも埋葬せることなき新しきものであったことが他の三福音書に記されているのは、イエスの墓として相応しきことを示すためである。

15章47節 マグダラのマリヤとヨセの(はは)マリヤとイエスを(をさ)めし(ところ)()ゐたり。[引照]

口語訳マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスが納められた場所を見とどけた。
塚本訳マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、なきがらの納められた所を見ていた。
前田訳マグダラのマリヤとヨセの母マリヤは彼が納められた場所を見ていた。
新共同マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。
NIVMary Magdalene and Mary the mother of Joses saw where he was laid.
註解: 彼らは後に日曜日にイエスの屍体に香油を塗らんために来る時にその場所を見届け置くためと、一つはイエスに離れることの悲しさのために墓まで従い行ったのであった。