黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ルカ伝

ルカ伝第4章

分類
2 準備時代 1:5 - 4:13
2-3 イエス出現の準備 3:1 - 4:13
2-3-ヘ 荒野の試誘(こころみ) 4:1 - 4:13
(マタ4:1-11) (マコ1:13)  

4章1節 さてイエス(せい)(れい)にて滿()ち、ヨルダン(かは)より(かへ)り、荒野(あらの)にて四十(しじふ)(にち)のあひだ御靈(みたま)(みちび)かれ、[引照]

口語訳さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、
塚本訳さてイエスは聖霊に満たされ、ヨルダン川から(ガリラヤへ)帰られた。(その途中)御霊によって四十日のあいだ荒野を引き回されながら、
前田訳イエスは聖霊に満たされてヨルダン川から帰られた。
新共同さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
NIVJesus, full of the Holy Spirit, returned from the Jordan and was led by the Spirit in the desert,

4章2節 惡魔(あくま)(こころ)みられ(たま)ふ。[引照]

口語訳荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
塚本訳悪魔の誘惑にあわれた。その間何も食べず、四十日が終ると、空腹を覚えられた。
前田訳そして霊に導かれて荒野の中に四十日おられ、悪魔の試みにあわれた。その間何も食べず、終わるころ飢えられた。
新共同四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
NIVwhere for forty days he was tempted by the devil. He ate nothing during those days, and at the end of them he was hungry.
註解: ルカ3:23の出来事に連絡す。この時イエスは特に聖霊が充ち溢れることを感じ給い、いよいよその使命を果たすべき公生涯に入らんとしてなお充分にその決意を堅くし、また果してイエス自身が神の子たることの天よりの宣言に相応しきや否やを確認するために断食しつつ神に祈ることの必要を感じ給うたと思われる。聖霊に満されてここに神の子イエスと人の子イエスとの闘いが始まった。この時悪魔が彼に戦いを挑んだのである。
辞解
[聖霊にて満ち] 「聖霊によりて満たされ」。
[聖霊に導かれ] マタ4:1と異なり「御霊に在りて引き廻され」の意。
[四十日] 四十は聖書にしばしば用いられる数字、地的完全を意味す(黙示録註解緒言および引照1参照)。

この(うち)なにをも(くら)はず、()(かず)滿()ちてのち()(たま)ひたれば、

4章3節 惡魔(あくま)いふ『なんぢ()(かみ)()ならば、()(いし)(めい)じてパンと()らしめよ』[引照]

口語訳そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。
塚本訳すると悪魔が言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)この石ころに、パンになれと命令したらどうです。
前田訳悪魔はいった、「神の子なら、この石にパンになれといいなさい」と。
新共同そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
NIVThe devil said to him, "If you are the Son of God, tell this stone to become bread."
註解: 人間の場合においても、その人の信仰の有無は誘惑に遭って始めて試験され、而して誘惑はその人に慾求が起って始めてそこに向けられる。イエスの場合もこれと同様であった。御霊に在りて導き廻され、荒野の中を彷徨(ほうこう)しつつあった間はサタンはイエスに向って襲いかかる機会を得ず、イエスはその神の子たる自覚を試す機会がなかった。悪魔はイエスの猛烈なる飢餓をきっかけにイエスを神より隔離して、その神に対する忠誠に破綻を来さしめんとした。すなわちイエスの神の子意識を利用して、飢餓を免れる必要上より止むを得ないとの口実の下に、神に従わず悪魔の言に従ってイエスの力を用いしめんとした。イエスには神の子たる意識と上よりの証言があり、また石をパンに化する能力があった。唯この際神の命によらず、また神の与え給うパンを待たずして悪魔の言に従いその力を用い給うたならば、イエスの心は神を離れて悪魔に従うたこととなり悪魔の目的は完遂されたこととなる。

4章4節 イエス(こた)へたまふ『「(ひと)()くるはパンのみに()るにあらず」と(しる)されたり』[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。
塚本訳イエスは答えられた、「“パンがなくとも人は生きられる”と(聖書に)書いてある。」
前田訳イエスは答えられた、「『人はパンだけで生きるのではない』と聖書にある」と。
新共同イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
NIVJesus answered, "It is written: `Man does not live on bread alone.' "
註解: 申8:3マタ4:4にはさらに「神の口より出づる凡ての言による」を加う。「先ず神の国と神の義とを求むること」(マタ6:33)、神の口より出づる凡ての言に従って生きること、これがイエスにとっての真の生命であった。飢えて死ぬることが神の御旨である場合、これに従うことがすなわち真に生きることである。イエスの目は常に父の御面を離れなかった。それ故に機に臨み変に応じて適切なる神の御言を聴くことができた。

4章5節 惡魔(あくま)またイエスを(たづさ)へのぼりて、瞬間(またたくま)天下(てんか)のもろもろの(くに)(しめ)して()ふ、[引照]

口語訳それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
塚本訳すると悪魔はイエスを高い所につれてゆき、瞬くまに世界中の国々を見せて、
前田訳次に悪魔は彼を高いところに連れて行き、またたく間に世界のすべての国々を見せた。
新共同更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
NIVThe devil led him up to a high place and showed him in an instant all the kingdoms of the world.

4章6節 『この(すべ)ての權威(けんゐ)國々(くにぐに)榮華(えいぐわ)とを(なんぢ)(あた)へん。(われ)これを(ゆだ)ねられたれば、()(ほっ)する(もの)(あた)ふ(べければ)[る]なり。[引照]

口語訳言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
塚本訳言った、「あの(国々の)全支配権と栄華とをあげよう。あれは(神から)わたしに任されていて、だれにでも好きな人にやってよいのだから。
前田訳そしていった、「あのすべての権威と栄光とをあげよう。あれはわたしにまかされていて、だれでも好きな人に与えてよい。
新共同そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。
NIVAnd he said to him, "I will give you all their authority and splendor, for it has been given to me, and I can give it to anyone I want to.

4章7節 この(ゆゑ)にもし()(まへ)(はい)せば、ことごとく(なんぢ)(もの)となるべし』[引照]

口語訳それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
塚本訳それで、もしあなたがわたしをおがむなら、あれは皆あなたのものになります。」
前田訳もしわたしの前にひれ伏すなら、皆あなたのものです」と。
新共同だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
NIVSo if you worship me, it will all be yours."
註解: 第二の試誘(こころみ)は神の子として当然有ち給うべき全世界の支配権に関するものであった。すなわち政治的試誘(こころみ)ということができる。神の子でありながら、乞食の如き姿にて唯一人、何人をも伴わずに荒野に彷徨(ほうこう)することは果して正しいのであろうか。これで善いのだろうかとは、イエスの脳中を往来した疑問であったろう。またむしろ神の子たる力を用いて一挙にして全世界を支配し、しかる後に神の福音を宣伝すべきではないかとの政策的な思いも起ったことであったろう。第一の試誘(こころみ)に失敗した悪魔はイエスの内心にあるこの慾求にその攻撃の矢を放った。否かかる要求を起させて全世界を眼前に浮ばさせることが、それ自身悪魔の計画であった(5節)。悪魔はこの世界の上に権威を「委ねられ」たこと(サタンは「この世の君」「この世の神」である。 ヨハ12:31ヨハ14:30ヨハ16:11Uコリ4:4エペ2:2エペ6:12 )を主張し、これを与うる条件として彼を神として拝すること、すなわち彼に服従することを要求した。この世の支配者となるためには、現世においては神の子すらも悪魔に屈服せずには不可能であることをイエスは見破り給うたのであった。悪と妥協せずにこの世を支配することはできない。
辞解
[携へのぼり] 如何なる処に上ったのかが判らない。ルカはこれを問題にしない方がよいと考えたのであろう。

4章8節 イエス(こた)へて()ひたまふ『「(しゅ)なる(なんぢ)(かみ)(はい)し、ただ(これ)にのみ(つか)ふべし」と(しる)されたり』[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
塚本訳イエスは答えられた、「“あなたの神なる主をおがめ、“主に”のみ“奉仕せよ”と(聖書に)書いてある。」
前田訳イエスは答えられた、「『なんじの神なる主を拝み、彼にのみ仕えよ』と聖書にある」と。
新共同イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」
NIVJesus answered, "It is written: `Worship the Lord your God and serve him only.' "
註解: 申6:13。たとい我らの常識や、打算や、理性が至当であると判断したことでも、それが神の命にあらざる場合はこれに従ってはならない。純粋に唯神のみを拝し、神のみに(つか)えることが悪魔の試誘(こころみ)を防ぐ最善唯一の方法である。イエスの眼はこの場合も同様に神から離れず、悪魔の敗北となった。

4章9節 惡魔(あくま)またイエスをエルサレムに()れゆき、(みや)頂上(いただき)()たせて()ふ『なんぢ()(かみ)()ならば、此處(ここ)より(おの)()(した)()げよ。[引照]

口語訳それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。
塚本訳そこで悪魔はイエスをエルサレムにつれていって、宮の屋根の上に立たせて言った、「神の子なら、ここから下へ飛びおりたらどうです。
前田訳すると悪魔は彼をエルサレムに連れ行き、宮の屋根に立たせていった、「神の子なら、ここから下へ飛びおりなさい。
新共同そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
NIVThe devil led him to Jerusalem and had him stand on the highest point of the temple. "If you are the Son of God," he said, "throw yourself down from here.

4章10節 それは「なんぢの(ため)御使(みつかひ)たちに(めい)じて(まも)らしめ(たま)はん」[引照]

口語訳『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、
塚本訳“神は天使たちに命じて、あなたを守ってくださる、”
前田訳聖書にあります、『天使たちに神は命じてあなたを守らせたもう』と。
新共同というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』
NIVFor it is written: "`He will command his angels concerning you to guard you carefully;

4章11節 「かれら()にて(なんぢ)をささへ、その(あし)(いし)打當(うちあ)つる(こと)なからしめん」と(しる)された(れば)[る]なり』[引照]

口語訳また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。
塚本訳また“手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる”と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」
前田訳また、『手であなたを支えさせ、足を石に打ちあてないようになさる』と」。
新共同また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」
NIVthey will lift you up in their hands, so that you will not strike your foot against a stone.' "
註解: 詩91:11。第三の試誘(こころみ)は宗教的試誘(こころみ)であった。イエスは神の子に相応しき奇蹟により衆人環視の前に神が特別の守護を彼に与え給うことを人々に示して、神の子たることを証し、かくして彼を拝せしめようとの考えが起って来るのを感じた。悪魔がかく彼を誘ったのである。加之(しかのみならず)この考えは聖書の裏書がある。詩91:11がそれである。いずれの点から見てもこれは正しい途であると考えることはまことに陥りやすい結論であった。悪魔すら聖書を引用することを知っている。聖書に叶うことが必ずしも聖旨に叶うことではない。この種の誘惑は信仰を有っていると考える人間には殊に多い。

4章12節 イエス(こた)へて()ひたまふ『「(しゅ)なる(なんぢ)(かみ)(こころ)むべからず」と()ひてあり』[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。
塚本訳イエスは答えられた、「“あなたの神なる主を試みてはならない”と言ってある。」
前田訳イエスは答えられた、「『あなたの神なる主を試みるな』といわれている」と。
新共同イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
NIVJesus answered, "It says: `Do not put the Lord your God to the test.' "
註解: 申6:16。神の特別の命令によって自己を危険な地位に置かなければならない場合は勿論、一般に自己の義務や使命の遂行に際して危険な地位に陥る場合は、我らは詩91:11の神の守護を信じ、これに(まか)せて危険の中に飛び込むべきであるが、神が自分を守り給うや否やを試みるためとか、または己の虚栄または主張のため等に神の守護を必然と信ずるごときは「神を試みる」ことであり、不信の行為である。為すべき普通の義務を果さず、普通の注意をも怠りながら神の守護を頼りにするごときことも神を試みることである。この場合イエスは神よりかかる危険を冒すべきことを命ぜられていなかった。ゆえに彼は内心奇蹟によって人心を引き付けんとの欲求が起ったにしてもこの誘惑を退け給うた。なお、マタ4:11要義参照。

4章13節 惡魔(あくま)あらゆる嘗試(こころみ)(つく)してのち、(しばら)くイエスを(はな)れたり。[引照]

口語訳悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。
塚本訳悪魔はあらん限りの誘惑を終ると、ひとまずイエスから手を引いた。
前田訳あらゆる試みを終えると、悪魔はひとまず彼を離れた。
新共同悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
NIVWhen the devil had finished all this tempting, he left him until an opportune time.
註解: イエスはついに悪魔に打勝ち給うた。「我すでに世に勝てり」(ヨハ16:33)とはこのことを意味する。第一のアダムはサタンに敗北したけれども、第二のアダムはこれに打勝ち給うた。新しき世界の発端はここに開かれた。悪魔は「暫く」イエスを離れたけれども、これはやがてまた機を見て彼を試みんとの下心からであった。悪魔が「火と硫黄との池に投げ入れられる」(黙20:10)までは油断をしてはならない。

分類
3 ガリラヤ初期の活動 4:14 - 6:11
3-1 緒言 4:14 - 4:15

4章14節 イエス御靈(みたま)能力(ちから)をもてガリラヤに(かへ)(たま)へば、その聲聞(きこえ)あまねく四方(しはう)()(ひろま)る。[引照]

口語訳それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。
塚本訳イエスは御霊の力にあふれて、ガリラヤに帰られた。評判がその周囲全体に広まった。
前田訳イエスは霊の力に満ちてガリラヤへ帰られた。彼の評判はあたり一帯にひろまった。
新共同イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。
NIVJesus returned to Galilee in the power of the Spirit, and news about him spread through the whole countryside.

4章15節 かくて(しょ)會堂(くわいだう)にて(をしへ)をなし、(すべ)ての(ひと)(あが)められ(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。
塚本訳イエスはあちらこちらの礼拝堂で教え、皆にあがめられた。
前田訳彼は諸会堂で教え、人々は皆彼をたたえた。
新共同イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
NIVHe taught in their synagogues, and everyone praised him.
註解: これよりイエスのガリラヤ伝道が開始された。宣教の当初においてはイエスの名声は隆々たるものがあった。あまねく四方の地はフェニキヤ、イヅメヤ、テラコニテ、デカポリスの地方をも含むと見ることができる(ルカ6:17マコ1:28マコ3:7以下。マタ4:24以下)。この二節は13節と相呼応していて、一方全ガリラヤ伝道の要約または主題をなす。「御霊の能力をもて」は、悪魔に打勝てる結果、彼の確信とその使命に対する熱心が一層強化され御霊が豊かにその能力を発揮した。「諸会堂」はイエスの教訓の場所であった。ガリラヤの各地を巡回した。「かくて」は「而して彼自身」。

3-2 説教と治癒(その一) 4:16 - 4:44
3-2-イ ナザレの会堂におけるイエスの自証 4:16 - 4:30  

4章16節 (さて)その(そだ)てられ(たま)ひし(ところ)のナザレに(いた)り、(れい)のごとく安息(あんそく)(にち)會堂(くわいだう)()りて、[聖書(せいしょ)を]()まんとて()(たま)ひしに、[引照]

口語訳それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
塚本訳それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
前田訳彼は育ちの地ナザレヘ来られ、いつものように安息日に会堂に入り、聖書を読みに立たれた。
新共同イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
NIVHe went to Nazareth, where he had been brought up, and on the Sabbath day he went into the synagogue, as was his custom. And he stood up to read.

4章17節 預言者(よげんしゃ)イザヤの(ふみ)(あた)へたれば、[引照]

口語訳すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
塚本訳(係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
前田訳預言者イザヤの書が渡された。巻物を開かれると、こう書かれた箇所であった、
新共同預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
NIVThe scroll of the prophet Isaiah was handed to him. Unrolling it, he found the place where it is written:
註解: イエスは幼時は勿論伝道の生涯に入り給うて後も、安息日には必ず会堂に入り、かつ自ら聖書を読んで会衆を教え給うた。会堂の礼拝の様式は最初に申命記の一部を朗読し(これをパラシヤという)、第二回の聖書朗読は預言書であった(これをハフタラという)。而して会堂司の指名によりまたは随意に何人もその朗読と解説を為すことができた。イエスこの時自ら立ちて聖書の朗読を為さんとし会堂の役員は彼にイザヤの書を附した。(まさ)にイエスの語らんとし給う処の書が与えられたのであった。ルカがナザレにおけるこの出来事を最初に録したのは、イエスが御自身を神の子として公けに表明し給える最初の事件であり、荒野の試誘(こころみ)の結果、イエスが獲得し給える神の子の意識の発表であったためと思われる。

()(ふみ)(ひもと)きて、かく(しる)されたる(ところ)見出(みいだ)(たま)ふ。

註解: 強いてこれを神の導き(L2、B1)と解する必要はない。

4章18節 (しゅ)御靈(みたま)われに(いま)す。これ(われ)(あぶら)(そそ)ぎて(まづ)しき(もの)福音(ふくいん)()べしめ、(われ)をつかはして囚人(めしうど)(ゆるし)()ることと、盲人(めしひ)()ゆることとを()げしめ、(おさ)へらるる(もの)(はな)ちて自由(じいう)(あた)へしめ、[引照]

口語訳「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
塚本訳“主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、”“押えつけられている者に自由をあたえ、”
前田訳「主の霊がわが上にある、油をお注ぎくださったゆえに。貧しい人々に福音を伝えるよう、主はわたしをつかわされた。捕われ人にゆるしを、目しいに視力回復を告げ、被圧者を解放し、
新共同「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、
NIV"The Spirit of the Lord is on me, because he has anointed me to preach good news to the poor. He has sent me to proclaim freedom for the prisoners and recovery of sight for the blind, to release the oppressed,

4章19節 (しゅ)(よろこ)ばしき(とし)宣傳(のべつた)へしめ(たま)ふなり』[引照]

口語訳主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
塚本訳“主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。”
前田訳主の恵みの年を伝えるために」と。
新共同主の恵みの年を告げるためである。」
NIVto proclaim the year of the Lord's favor."
註解: イザ61:1、2bよりの引用であるが、ヘブル原典とも異なり、また七十人訳とも異なる。「盲人に」云々は原文になく七十人訳にあり。「(おさ)へられる者を放ち」はイザ58:6にあり、また「喜ばしき年」の次に「神の刑罰の日」につきては省略している。イエスの朗読し給える聖書がかかる聖書であったのではなく、ルカが自由に主イエスの使命に適せる語句を繋ぎ合わせたものと見なければならぬ。聖書の霊的引用とも称すべきものである。主イエスは聖霊に満されかつ神より油を注がれてメシヤとして立てられ、貧者・囚人・盲人・被圧迫者等、社会的・肉体的・政治的に最も憫むべき弱者を救わんがために来たり給えること、そして「主の喜ばしき年」すなわち五十年毎に回り来るヨベルの年(レビ25:1−55)にも比すべきイスラエルの救いの年を宣伝せしめんがために遣わされ給うたのであることを、この聖書の引用によって会衆に示さんとし給うた。すなわちヨベルの年はここではメシヤ時代に入ったことを示す。
辞解
[油を注ぐ] ▲「聖別する」際に用いた形式。
[(おさ)へられる者] ▲▲原語 throauô は「粉々にする」「屈服させる」等の意味あり。

4章20節 イエス(ふみ)()き、(かかり)(もの)(かへ)して()(たま)へば、會堂(くわいだう)()(もの)みな(これ)()を注ぐ。[引照]

口語訳イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
塚本訳イエスは(読み終ると、)聖書を巻き、係の者に返して坐られた。礼拝堂にいる者の目が皆彼にそそがれた。
前田訳彼は聖書を巻いて係に返してすわられた。会堂にいたものすべての目が彼にそそがれた。
新共同イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。
NIVThen he rolled up the scroll, gave it back to the attendant and sat down. The eyes of everyone in the synagogue were fastened on him,
註解: イエスの朗々たる声と、その自信満々たる態度と、聖霊に満され給える姿とは会衆を深く感動せしめたものと思われる。すなわちイエスと聖書の一致が強く感ぜられたので彼らの目はイエスの上に注がれた。
辞解
[巻き] 当時の会堂における聖書は巻物になっていた。
[坐す] 聖書の説明をする時は坐してこれを為す。

4章21節 イエス()()でたまふ『この聖書(せいしょ)今日(けふ)なんぢらの(みみ)成就(じゃうじゅ)したり』[引照]

口語訳そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
塚本訳イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」と言って話を始められた。
前田訳そこで彼は「あなた方が聞いたこの聖書の箇所はきょう成就した」といって語りはじめられた。
新共同そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
NIVand he began by saying to them, "Today this scripture is fulfilled in your hearing."
註解: (▲口語訳は意味の上からも文脈の上からも不適当である。)勿論イエスが御自身を指して言い給えることは会衆に大体感知されたであろう。イエスのメシヤたる自信はいよいよ確乎たるものとなり、しかも旧約聖書の預言の成就を自ら証明し給うた。

4章22節 人々(ひとびと)みなイエスを()め、(また)その(くち)より()づる(めぐみ)(ことば)(あや)しみて()ふ『これヨセフの()ならずや』[引照]

口語訳すると、彼らはみなイエスをほめ、またその口から出て来るめぐみの言葉に感嘆して言った、「この人はヨセフの子ではないか」。
塚本訳皆がイエスを誉めそやし、かつその口をついて出る言葉のうるわしさに驚いて、「これはヨセフの息子ではないか」と言った。
前田訳皆が彼をほめ、彼の口から出る恵みのことばにおどろいた。そしていった、「この人はヨセフの子ではないか」と。
新共同皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
NIVAll spoke well of him and were amazed at the gracious words that came from his lips. "Isn't this Joseph's son?" they asked.
註解: 「誉む」「怪しむ」「言ふ」はみな未完了過去形で継続または繰返す動作を言う。すなわち会堂の会衆の間にこの種の風評や、驚きや、好評が一般的になって来た。彼らは一面イエスの霊的の能力と、その聡明とに驚きつつも、なおイエスの幼時およびその家庭を知っていることが、彼らをしてイエスを神の子として受くることを躊躇せしめた。
辞解
[恵の言] (1)「神の恩恵を示す言」(E0)、(2)「気持ちよき言」(B1、M0、Z0)の二つの解あり、前者を取る。

4章23節 イエス(かれらに)()(たま)ふ『なんぢら(かなら)(われ)俚諺(ことわざ)()きて「醫者(いしゃ)よ、みづから(おのれ)(いや)せ、カペナウムにて()りしといふ(われ)らが()ける(こと)どもを、(おの)(さと)なる()()にても()せ」と()はん』[引照]

口語訳そこで彼らに言われた、「あなたがたは、きっと『医者よ、自分自身をいやせ』ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう」。
塚本訳彼らに言われた、「どの道あなた達は『自分をなおせ、お医者さん』という諺を引いて、『いろいろなことをカペナウムでしたと聞いたが、郷里のここでもやってみろ』とわたしに言うにちがいない。」
前田訳彼はいわれた、「きっとあなた方は、『医者よ、自らをなおせ』という諺を引いて、『カペナウムでなされたとわれらが聞くとおりのことを故郷のここでもなさい』といおう」と。
新共同イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」
NIVJesus said to them, "Surely you will quote this proverb to me: `Physician, heal yourself! Do here in your hometown what we have heard that you did in Capernaum.'"
註解: イエスは彼らの心中を洞察し、彼らはイエスを信ぜずこれを批判して、イエスの欠点を指摘しまた彼を試み、他の町におけるごとくナザレにおいても奇蹟を行って、まず神の子たることの証拠を示さんことを要求するであろうことを告げ給うた。
辞解
「醫者よ、みづから己を醫せ」の俚諺(ことわざ)は、この場合に適切でないように思われるので、これを単に「他人よりもまず自分」の意味と解し、カペナウムに行うより先にまずナザレに行うべしとの意味と解する説もあるけれども適切ではない。要するにこれは不信の心よりする言い訳的批判に過ぎない。なおルカ伝にては本節より前にカペナウムにて奇蹟または他の大なる事蹟を行い給えることが録されておらず、後に32−37節に始めてそのことが録されていることが問題であるが、これはあるいは14、15節の声名の背後にかかることを包含しているものと見るか、またはルカが歴史の順序に従わず事件そのものの関連性に重点を置き31−37節より後に起った事件をその前に録したものであろう。

4章24節 また()(たま)ふ『われ(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、預言者(よげんしゃ)(おの)(さと)にて(よろこ)ばるることなし。[引照]

口語訳それから言われた、「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。
塚本訳また言われた、「アーメン、わたしは言う、いかなる預言者も、その郷里では歓迎されない。
前田訳そしていわれた、「本当にいう、どの預言者も故郷ではもてはやされない。
新共同そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
NIV"I tell you the truth," he continued, "no prophet is accepted in his hometown.
註解: 預言者は、その故郷では、幼時より知れており、また家族や親戚等も多い関係上、預言者の偉大さを認識しかねるために尊敬を受けない。
辞解
[喜ばれる] dektos 嘉納されること。

4章25節 われ(まこと)をもて(なんぢ)らに()ぐ、エリヤのとき三年(さんねん)六个月(ろくかげつ)(てん)とぢて、全地(ぜんち)(おほい)なる饑饉(ききん)なりしが、イスラエルの(うち)(おほ)くの寡婦(やもめ)ありたれど、[引照]

口語訳よく聞いておきなさい。エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめがいたのに、
塚本訳本当にわたしは言う、(郷里でえらい働きをした預言者がどこにあるか。預言者)エリヤの時代に、三年六か月、天が閉じて(雨が降らず、)国中に大飢饉があった際、イスラエル人の中に多くの寡婦がいたのに、
前田訳本当に、エリヤの時代、三年六か月の間天が閉じて雨がなく、全国に大飢饉があったとき、イスラエルにやもめは多かったのに、
新共同確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、
NIVI assure you that there were many widows in Israel in Elijah's time, when the sky was shut for three and a half years and there was a severe famine throughout the land.

4章26節 エリヤは()一人(ひとり)にすら(つかは)されず、(ただ)シドンなるサレプタの一人(ひとり)寡婦(やもめ)にのみ(つかは)されたり。[引照]

口語訳エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた。
塚本訳そのだれの所にもエリヤは遣わされず、“(異教国)シドンのサレプタにいた一人の寡婦の所に”だけつかわされた。
前田訳エリヤがつかわされたのはそのいずれにでもなく、シドンのサレプタのやもめのところにだけであった。
新共同エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
NIVYet Elijah was not sent to any of them, but to a widow in Zarephath in the region of Sidon.
註解: T列17:1−24に録されてある事実をここに引用し、イスラエルの中に信仰なくかえってツロとシドンの間にある異邦の小邑サレプタの寡婦が信仰をもって預言者エリヤを受納れこれを養ったことを例示し、イエスはその故郷の不信をそれとなく責め給うた。
辞解
[三年六ヶ月] T列17:1T列18:1とは年数がちがう、ユダヤの伝説によったもの。完全数七の半分である有限期間の意味を有する数。

4章27節 また預言者(よげんしゃ)エリシヤの(とき)、イスラエルの(うち)(おほ)くの癩病人(らいびゃうにん)ありしが、()一人(ひとり)だに(きよ)められず、(ただ)シリヤのナアマンのみ(きよ)められたり』[引照]

口語訳また預言者エリシャの時代に、イスラエルには多くのらい病人がいたのに、そのうちのひとりもきよめられないで、ただシリヤのナアマンだけがきよめられた」。
塚本訳また預言者エリシャの時、イスラエル人の中に多くの癩病人がいたのに、そのだれも清まらず、(異教人である)シリヤ人ナアマンだけがきよまった。(神の恵みはかえって異教人に与えられる。)」
前田訳また、預言者エリシャのときイスラエルにらい者は多かったのに、清められたのはそのいずれでもなく、シリアのナアマンだけであった」と。
新共同また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」
NIVAnd there were many in Israel with leprosy in the time of Elisha the prophet, yet not one of them was cleansed--only Naaman the Syrian."
註解: U列5:1−24の物語で預言者はその国人に受納れられずかえって異邦人が彼に非常なる敬意を表することの例としてこれを掲げ、その故郷なるナザレの冷淡さを間接に非難し給う。

4章28節 會堂(くわいだう)にをる(もの)みな(これ)()きて憤恚(いきどほり)滿()ち、[引照]

口語訳会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、
塚本訳これを聞くと、礼拝堂にいた者が皆非常に憤慨し、
前田訳それを聞いて会堂にいたものは皆怒りに満ち、
新共同これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、
NIVAll the people in the synagogue were furious when they heard this.
註解: 彼らが非難されたことを悟ったためである。

4章29節 ()ちてイエスを(まち)より()()し、その(まち)()ちたる(やま)(がけ)()()きて、()(おと)さんとせしに、[引照]

口語訳立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。
塚本訳総立ちになってイエスを町の外に突き出し、町の建っている山の崖のところまでつれていった。(そこから)突き落そうと思ったのである。
前田訳総立ちになって、彼を町の外に追い出し、町の建っている山の崖まで連れて行って突き落とそうとした。
新共同総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。
NIVThey got up, drove him out of the town, and took him to the brow of the hill on which the town was built, in order to throw him down the cliff.

4章30節 イエスその(うち)(とほ)りて()(たま)ふ。[引照]

口語訳しかし、イエスは彼らのまん中を通り抜けて、去って行かれた。
塚本訳しかしイエスは人々の真中を通って、(目ざす所へ)進んでゆかれた。
前田訳しかし彼は人々の真ん中を通って去って行かれた。
新共同しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
NIVBut he walked right through the crowd and went on his way.
註解: ナザレは山の傾斜面に立っている町であり、その郊外には急な崖がある。イエスが彼を殺さんとする群衆の中を巧みに抜け出で給うたことは、イエスにとりて未だにその生命を犠牲にすべき時が来なかったためであった。死ぬるに時あり、生くるに時あり。
要義 [イエスのメシヤたることの自証]16−21節においてイエスはイザヤ書の預言が御自身に成就したことを主張し給うたけれどもこの際も「我自身に」と言わず、間接に「汝らの耳に」と言い給うた。イエスは一回もそのメシヤたることを教義的に民衆に説明し給わなかった。最後にピラトの問いに対して明白に「然り」と答え給うただけであった(ヨハ18:37)。その他は唯間接に民衆や病人が「ダビデの子よ」と叫ぶのを否定し給わなかっただけであった (マタ9:27マタ12:23マタ15:22マタ20:30、31。その他) 。かく消極的態度を取り給える所以は、イエスをメシヤすなわちキリスト、救い主なる神の子と信ずるのは我らの頭脳すなわち理性や理解力の問題ではなく、また我らの心すなわち感情の問題でもなく、我らの信仰の問題だからである。信仰は説明では判らない。説明で納得したと思う信仰は信仰ではない。信仰は飽くまで霊による直感である。イエスはナザレの会衆にもこの信仰を求め給うたのであった。またイエスが御自身神の子に在し給うことを確信しつつついにこれを説明し給わなかった所以はこのためである。

3-2-ロ イエス悪鬼に憑かれし者を醫し給う 4:31 - 4:37
(マコ1:21-28)   

4章31節 かくてガリラヤの(まち)カペナウムに(くだ)りて、安息(あんそく)(にち)ごとに(ひと)(をし)(たま)へば、[引照]

口語訳それから、イエスはガリラヤの町カペナウムに下って行かれた。そして安息日になると、人々をお教えになったが、
塚本訳ガリラヤの町カペナウムに下られた。安息日に教えられると、
前田訳そしてガリラヤの町カペナウムに下られた。安息日にお教えになると、
新共同イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。
NIVThen he went down to Capernaum, a town in Galilee, and on the Sabbath began to teach the people.
註解: カペナウムはイエスの本拠となっていた(マコ1:16マコ1:21マタ4:12以下)と思われる。ガリラヤ湖の北岸にあり、今日その会堂の遺跡が発掘されている。「下る」はその地が海面下二二〇メートルの低地にあるためである。その教えは権威があり(マコ1:22に「学者のごとくならず」とあり、ルカがマルコ伝を参照したにもかかわらずこれを除いたため印象がやや漠然となった)人々をいたく驚かした。なおこの二節はカペナウムにおけるイエスの伝道(その中に山上の垂訓も含まれるのであるが)の状況の概論のごときものと見るべきで、33節以下の事件と同じ安息日のことを言っている(Z0)のではないと見るべきであろう。▲イエスは安息日の集会に常に出席し、進んで会衆を教え給うた。聴衆から見た場合彼の言に特に権威があったのがその特徴であった。

4章32節 人々(ひとびと)その(をしへ)(をどろ)きあへり。その(ことば)權威(けんゐ)ありたるに()る。[引照]

口語訳その言葉に権威があったので、彼らはその教に驚いた。
塚本訳人々はその教えに感心してしまった。話に権威があったからである。
前田訳人々はその教えにおどろいた。彼のことばに権威があったからである。
新共同人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。
NIVThey were amazed at his teaching, because his message had authority.

4章33節 會堂(くわいだう)(けが)れし惡鬼(あくき)(れい)()かれたる(ひと)あり、大聲(おほごゑ)(さけ)びて()ふ、[引照]

口語訳すると、汚れた悪霊につかれた人が会堂にいて、大声で叫び出した、
塚本訳そのとき、礼拝堂に汚れた悪鬼の霊につかれた一人の人がいたが、大声をあげて叫んだ、
前田訳会堂にけがれた悪鬼の霊につかれた人がいて、大声で叫んだ、
新共同ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。
NIVIn the synagogue there was a man possessed by a demon, an evil spirit. He cried out at the top of his voice,

4章34節 『ああ、ナザレのイエスよ、(われ)らは(なんぢ)となにの關係(かかはり)あらんや。(われ)らを(ほろぼ)さんとて來給(きたま)ふか。(われ)はなんぢの(たれ)なるを()る、(かみ)聖者(しゃうじゃ)なり』[引照]

口語訳「ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。
塚本訳「ああ、ナザレのイエス様、“放っておいてください。”わたしどもを滅ぼしに来られたのか。あなたがだれだか、わたしにはわかっています。神の聖者(救世主)です。」
前田訳「ああ、何のご用ですか、ナザレのイエス。われらを退治においでですか。あなたがどなたか知っています。神の聖者です」と。
新共同「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」
NIV"Ha! What do you want with us, Jesus of Nazareth? Have you come to destroy us? I know who you are--the Holy One of God!"
註解: 悪鬼がその人の口を通して自ら叫んでいる。悪鬼はかえって人間よりもよくかつ精確にイエスを認識する能力を持つ。そしてイエスに抵抗し得ないことを知っている。イエスを最も嫌うのは人の中に宿る悪すなわちサタンの霊である。
辞解
[穢れし悪鬼の霊] 精神病的諸病の原因が、かかる霊的存在の作用であると考えられた。
[神の聖者] 神より聖別せられし者の意。

4章35節 イエス(これ)(いやし)めて()(たま)ふ『(もだ)せ、その(ひと)より()でよ』[引照]

口語訳イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は彼を人なかに投げ倒し、傷は負わせずに、その人から出て行った。
塚本訳イエスは「黙れ、その人から出てゆけ」と言って叱りつけられた。すると悪鬼はその人をみなの真中に投げ倒して、出ていった。何も怪我はなかった。
前田訳イエスはたしなめられた、「黙れ、その人を出よ」と。悪霊はその人を真ん中に投げ倒して出て行ったが、何の傷も負わせなかった。
新共同イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。
NIV"Be quiet!" Jesus said sternly. "Come out of him!" Then the demon threw the man down before them all and came out without injuring him.
註解: 今日の医学から見れば、無意義な叫びのごとくであるが、心理療法の立場から見ただけでも、イエスの仕方は、極めて巧妙であると言える。しかしイエスはこれを一種の「術」として魔術的に行い給うたのではなく、真に全力を込めてその悪霊を叱咤し給うたのであった。

惡鬼(あくき)その(ひと)人々(ひとびと)(うち)(たふ)し、(きず)つけずして()づ。

註解: その人が急に倒れたのを見て人々は如何なる結果になることかと固唾を呑んで待ったことであろう。然るにその人は無傷で立ち上がり、かつ悪鬼はその人より出でて健全な人間となっていた。まことに鮮やかな奇蹟的治癒であった。イエスには驚くべき霊の能力が充ち満ちていたことが判る。サタンの奴隷たる人類がイエスの教えに接してついに罪のために死して甦ることに酷似しているのも興味ある事実である。

4章36節 みな(をどろ)(かた)()ひて()ふ『これ如何(いか)なる(ことば)ぞ、權威(けんゐ)能力(ちから)とをもて(めい)ずれば、(けが)れし惡鬼(あくき)すら()()る』[引照]

口語訳みんなの者は驚いて、互に語り合って言った、「これは、いったい、なんという言葉だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じられると、彼らは出て行くのだ」。
塚本訳皆がびっくりして、互いにこう語り合った、「この言葉はいったいどうしたのだろう。権威と力があって、この人が命令されると、汚れた霊まで出てゆくのだが。」
前田訳皆が感心して互いにいった、「このことばはどういうのだろう。彼が権威と力で命じられると、けがれた霊が出て行くとは」と。
新共同人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」
NIVAll the people were amazed and said to each other, "What is this teaching? With authority and power he gives orders to evil spirits and they come out!"
註解: 「言」は35節のイエスの言と解すべきであろう。(「事柄」と訳す説あり)後半私訳「権威と能力とをもて穢れし霊に命ずれば、彼らすら出で去るとは」。

4章37節 ここにイエスの(うはさ)あまねく四方(しはう)()(ひろま)りたり。[引照]

口語訳こうしてイエスの評判が、その地方のいたる所にひろまっていった。
塚本訳イエスの噂がその周囲の地全体に広まっていった。
前田訳彼の評判は周辺の地一帯にひろまっていった。
新共同こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。
NIVAnd the news about him spread throughout the surrounding area.
註解: 14節参照。

3-2-ハ ペテロの外姑を醫し給う 4:38 - 4:39
(マタ8:14-15) (マコ1:29-31)  

4章38節 イエス會堂(くわいだう)()()でて、シモンの(いへ)()(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。
塚本訳イエスは立って礼拝堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑がひどい熱病に苦しんでいた。人々が彼女のことを願うと、
前田訳会堂を立ち去って、シモンの家に入られた。シモンの姑(しゅうとめ)がひどい熱病にかかっていたので、人々が彼女の助けを求めた。
新共同イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。
NIVJesus left the synagogue and went to the home of Simon. Now Simon's mother-in-law was suffering from a high fever, and they asked Jesus to help her.
註解: 同じ安息日の出来事であった。シモン・ペテロその他の使徒の召命についてはルカは既知の事実のごとくに取扱い、唯ルカ5:1−11にペテロの召命とも思われる記事を掲ぐ、やや年代的に不精確なり。

シモンの外姑(しうとめ)おもき(ねつ)(わづら)()たれば、人々(ひとびと)これが(ため)にイエスに(ねが)ふ。

4章39節 その(かたは)らに()ちて(ねつ)()めたまへば、(ねつ)()りて(をんな)たちどころに()きて(かれ)らに(つか)ふ。[引照]

口語訳そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。
塚本訳近寄って身をかがめ、熱病を叱りつけられた。すると熱が取れ、彼女はすぐさま起き上がって、彼らをもてなした。
前田訳彼が近よって身をかがめ、熱病をしかりつけられると、熱病はとれた。彼女はすぐ起きて人々をもてなした。
新共同イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。
NIVSo he bent over her and rebuked the fever, and it left her. She got up at once and began to wait on them.
註解: 熱病は重くかつ長期にわたっていた(未完了過去)。それがたちどころに醫された処にイエスの霊の能力の偉大さがあった。
辞解
[おもき熱] 「大熱」。
[その傍らに立ち] 原文で医師が治療を加うる際のごとく病人の上に身体を曲げて立ち給う貌を描いている。医者ルカとして、目撃者以上にかかる点に気が付いたのであろう。
[彼ら] イエスとその随伴者。
[(つか)ふ] ここでは接待、歓迎のために(つか)えたのであろう。
▲口語訳に「熱が引くように命じられると」とあり原文の「熱を叱った」より弱くなったのは宜しくない。近代医学により熱は病菌を殺すための自然の作用故、熱そのものは大切な力であることが発見され、イエスの言が神の子の全知に反するとの批難が起ったのであったが、口語訳はあるいはこれに対する弁護的意図があったのかもしれないが、原語のままに訳すべきであった。

3-2-ニ 治病と伝道 4:40 - 4:44
(マタ8:16-17) (マコ1:32-34)  

4章40節 ()のいる(とき)、さまざまの(やまひ)(わづら)(もの)をもつ(ひと)、みな(これ)をイエスに()(きた)れば、[引照]

口語訳日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。
塚本訳日が沈むと、(安息日が終ったので、)さまざまな病人をかかえている人々は皆、それをイエスの所につれてきた。イエスはひとりびとりに手をのせてなおされた。
前田訳日が沈むと、いろいろな病人をかかえている人々は皆それらを彼のところへ連れて来た。彼はひとりひとりに手を置いていやされた。
新共同日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。
NIVWhen the sun was setting, the people brought to Jesus all who had various kinds of sickness, and laying his hands on each one, he healed them.
註解: イエスの奇跡的治癒を目撃した人々の中には種々の病に苦しんでいる家族を持つ人々が多くあった。彼らはその安息日に「日のいる時」すなわち安息日が終って重き荷を運搬しても差支えのない時の到来するや否や、待ちかねていたその病人をイエスの許に運んで来た。

一々(いちいち)その(うへ)()()きて(いや)(たま)ふ。

註解: 一々手を置き給う処にイエスの愛があらわれ、かつその度ごとに如何にイエスがその全霊の力を注ぎ給うたかが窺われる。

4章41節 惡鬼(あくき)もまた(おほ)くの(ひと)より()でて(さけ)びつつ()ふ『なんぢは(かみ)()なり』(これ)()めて(もの)()ふことを(ゆる)(たま)はず、惡鬼(あくき)そのキリストなるを()るに()りてなり。[引照]

口語訳悪霊も「あなたこそ神の子です」と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、物を言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである。
塚本訳悪鬼も、「あなたは神の子だ」と叫びながら多くの人から出ていった。イエスは悪鬼どもが救世主だと知っているので、これを叱りつけ、口をきくことをお許しにならなかった。
前田訳悪霊どもも、「あなたこそ神の子」と叫んで多くの人から出て行った。悪霊どもは彼がキリストと知っていたので、彼はしかりつけて口をおきかせにならなかった。
新共同悪霊もわめき立て、「お前は神の子だ」と言いながら、多くの人々から出て行った。イエスは悪霊を戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。悪霊は、イエスをメシアだと知っていたからである。
NIVMoreover, demons came out of many people, shouting, "You are the Son of God!" But he rebuked them and would not allow them to speak, because they knew he was the Christ.
註解: 悪鬼は人間よりもかえってイエスの実体を認識していた。悪鬼も霊的存在であって、霊のことについて敏感だからである。しかし悪鬼が人間を通してイエスを神の子として証することをイエスは好み給わなかった。健全なる人間の証のみがイエスの欲し給う処であった故にかく語ることを禁止し給うた。

4章42節 ()くる(あさ)イエス()でて(さび)しき(ところ)にゆき(たま)ひしが、[引照]

口語訳夜が明けると、イエスは寂しい所へ出て行かれたが、群衆が捜しまわって、みもとに集まり、自分たちから離れて行かれないようにと、引き止めた。
塚本訳朝になると、人のいない所に出て行かれた。人々は捜しまわった末イエスのところに来て、自分たちをはなれて行かれないようにと、しきりに引き留めた。
前田訳朝になると、彼は人のいないところへ出て行かれた。群衆は彼を探しつづけ、彼のところへ来て、自分たちを離れて行かれないよう引きとめた。
新共同朝になると、イエスは人里離れた所へ出て行かれた。群衆はイエスを捜し回ってそのそばまで来ると、自分たちから離れて行かないようにと、しきりに引き止めた。
NIVAt daybreak Jesus went out to a solitary place. The people were looking for him and when they came to where he was, they tried to keep him from leaving them.
註解: イエスは群衆が益々多く病人を御許に連れ来る気合を感じ、彼らを避けて荒野の原に出で給うた。父なる神に祈る必要を感じ給うたのも一つの原因であろう。イエスの使命は肉体を癒すことではなく、霊魂の医者であった。肉体の治癒は唯その愛の自然の発露であった。しかし彼の大使命はこの人情に基く愛を超越する必要を感じた。ゆえに彼らを避け給うたのであろう。

群衆(ぐんじゅう)たづねて御許(みもと)(いた)り、その()()くことを()めんとせしに、

4章43節 イエス()(たま)ふ『われ(また)ほかの町々(まちまち)にも(かみ)(くに)福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へざるを()ず、わが(つかは)されしは(これ)(ため)なり』[引照]

口語訳しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。
塚本訳イエスは彼らに言われた、「わたしはほかの町々にも、神の国の福音を伝えねばならない。そのために遣わされたのだから。」
前田訳彼はいわれた、「ほかの町々にもわたしは神の国の福音を伝えねばならない。そのためにつかわされたのだから」と。
新共同しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」
NIVBut he said, "I must preach the good news of the kingdom of God to the other towns also, because that is why I was sent."
註解: 群衆の希望はイエスの教えを聴くことにもあったにしても、主として治病のためであった。イエスの使命観はイスラエルの町々に神の国の福音を宣伝えることの外無かった。悲しい哉何時の世にも、見えざる神の国の福音よりも、見ゆる政治、経済、健康の問題に関する福音を聴かんとする者の如何に多いことであろう。

4章44節 かくてユダヤの(しょ)會堂(くわいだう)にて(をしへ)()べたまふ。[引照]

口語訳そして、ユダヤの諸会堂で教を説かれた。
塚本訳それからユダヤ(人の国のあちらこちら)の礼拝堂で教を説いておられた。
前田訳そしてユダヤの諸会堂で教えを説いておられた。
新共同そして、ユダヤの諸会堂に行って宣教された。
NIVAnd he kept on preaching in the synagogues of Judea.
註解: 若干の写本にユダヤの代りにマコ1:39と同じくガリラヤとあり、この方前後の関係として無難であるが、おそらくユダヤが正しいであろう。ルカは「ユダヤ」の称呼の下にパレスチナ(ガリラヤ、ペレヤなどを含める)すなわち「イスラエルの地」を意味したものと見るべきであろう(ルカ6:17ルカ7:17ルカ23:5使10:37使10:39使26:20)。

ルカ伝第5章
3-3 イエスの名声高まる 5:1 - 6:11
3-3-イ ゲネサレ湖の大漁 5:1 - 5:11  

註解: 1−11節はルカ伝特有。

5章1節 群衆(ぐんじゅう)おし(せま)りて(かみ)(ことば)()きをる(とき)、イエス、ゲネサレの(みづうみ)のほとりに()ちて、[引照]

口語訳さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
塚本訳(ある日)群衆がおしかけてきて神の言葉を聞いていた時のこと、イエスはゲネサレ湖のほとりに立っておられて、
前田訳群衆が彼のところに押しよせて来て神のことばを聞いていたとき、彼はゲネサレ湖にお立ちであった。
新共同イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
NIVOne day as Jesus was standing by the Lake of Gennesaret, with the people crowding around him and listening to the word of God,

5章2節 (なぎさ)()(さう)(ふね)()せあるを()たまふ、漁人(すなどりびと)(ふね)をいでて(あみ)(あら)()たり。[引照]

口語訳そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。
塚本訳湖のほとりにある二艘の小舟がお目にとまった。漁師たちは舟から下りて網を洗っていた。
前田訳そして小舟二隻を水ぎわに見かけられた。漁夫たちは小舟からおりて網を洗っていた。
新共同イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。
NIVhe saw at the water's edge two boats, left there by the fishermen, who were washing their nets.
註解: 前章末節の伝道を終えて再びその本拠ともいうべきカペナウムに帰り給える後の事件と思われる。

5章3節 イエスその一艘(いっさう)なるシモンの(ふね)()り、(かれ)()ひて(をか)より()しく()(いだ)さしめ、()して(ふね)(うち)より群衆(ぐんじゅう)(をし)へたまふ。[引照]

口語訳その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。
塚本訳イエスはその一艘のシモンの舟に乗り、彼に頼んで陸からすこし漕ぎ出させ、坐って、舟の中から群衆を教えられた。
前田訳彼はその一隻のシモンの小舟に乗って、陸から少し離れるよう頼み、すわって舟から群衆を教えられた。
新共同そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
NIVHe got into one of the boats, the one belonging to Simon, and asked him to put out a little from shore. Then he sat down and taught the people from the boat.
註解: この時ペテロは船を漕ぎつつ他の舟子と共にイエスの許に坐して教えを聴いた。そしておそらくその権威と力とに驚いたことであろう。

5章4節 (かた)()へてシモンに()ひたまふ『深處(ふかみ)()りいだし、(あみ)(おろ)して(すなど)れ』[引照]

口語訳話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。
塚本訳話がすむと、シモンに言われた、「沖に漕ぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。」
前田訳話し終わると、シモンにいわれた、「沖に出して網をおろして漁をなさい」と。
新共同話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
NIVWhen he had finished speaking, he said to Simon, "Put out into deep water, and let down the nets for a catch."

5章5節 シモン(こた)へて()ふ『(きみ)よ、われら終夜(よもすがら)(らう)したるに、(なに)をも()ざりき、されど御言(みことば)(したが)ひて(あみ)(おろ)さん』[引照]

口語訳シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
塚本訳シモンが答えた、「先生、わたし達は(昨夜)一晩中働きましたが、何もとれませんでした。しかし先生のお言葉ですから、網をおろしてみます。」
前田訳シモンは答えた、「先生、夜どおしわれらは働きましたが何もとれませんでした。しかし、仰せですから網をおろしましょう」と。
新共同シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
NIVSimon answered, "Master, we've worked hard all night and haven't caught anything. But because you say so, I will let down the nets."
註解: イエスの教えには深く感動したペテロも、(すなど)りのことについては無経験なるイエスの言をそのまま受納れ得ず、昨夜来の経験に基き内心イエスの命令に対して不信を懐いた。人は往々その僅少なる経験に誇って神の言を無視する。ただし幸いにもペテロは主の御言に従ってそのとおりに実行した。これがペテロが大なる祝福を受くる基となった。
辞解
[君よ] ▲ルカにのみ特有の語 epistata。「先生」は適訳。
[随ひて] ▲▲「基いて」の意。 epi。

5章6節 かくて(しか)せしに、(うを)夥多(おびただ)しき(むれ)(かこ)みて、(あみ)()けかかりたれば、[引照]

口語訳そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。
塚本訳そしてその通りにすると、沢山の魚の群が入って網が裂けかかった。
前田訳そのとおりにすると、魚の大群が入って来て網が裂けかかった。
新共同そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
NIVWhen they had done so, they caught such a large number of fish that their nets began to break.

5章7節 (ほか)一艘(いっさう)(ふね)にをる(くみ)(もの)差招(さしまね)きて(きた)(たす)けしむ。[引照]

口語訳そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。
塚本訳そこでもう一艘の舟にいる仲間に合図をして、加勢に来てもらった。彼らが来て、二艘の舟いっぱい(魚を)つんだので、沈みそうになった。
前田訳そこでもう一隻の小舟の仲間に助けに来てもらうよう合図した。彼らが来て、両方の小舟をいっぱいにしたので沈みそうになった。
新共同そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。
NIVSo they signaled their partners in the other boat to come and help them, and they came and filled both boats so full that they began to sink.
註解: この二節の動詞より、舟にはペテロの外にも弟子たちがいたことが判る。イエスの言に従う者の以外な収穫を得ることを暗示す。

(きた)りて(うを)()(さう)(ふね)滿(みた)したれば、(ふね)(しづ)まんばかりになりぬ。

5章8節 シモン・ペテロ(これ)()て、イエスの(ひざ)(した)平伏(ひれふ)して()ふ『(しゅ)よ、(われ)()りたまへ。(われ)(つみ)ある(もの)なり』[引照]

口語訳これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。
塚本訳シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」
前田訳それを見てシモン・ペテロはイエスの膝もとにひれ伏していった、「主よ、わたしをお離れください。わたしは罪びとです。」と。
新共同これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
NIVWhen Simon Peter saw this, he fell at Jesus' knees and said, "Go away from me, Lord; I am a sinful man!"
註解: この時ペテロは自分の凡ての誇りは打砕かれ、唯イエスを仰ぎ()るより他になき心持となった。そしてイエスを人間以上、すなわち神の子と直感してその前に平伏した。人間は自己の誇りが粉砕されるまでは神を見ることができない。而してイエスの中に神の姿を拝したペテロは同時に自己の全き罪人であることを発見し、イエスの前に立ち得ざる者なることを感じ、「我を去り給え」と叫んだ。この時ペテロは勿論5節のイエスに対する不信をもその罪と感じたに相違ないけれども、それだけではない。

5章9節 これはシモンも(とも)()(もの)もみな、(すなど)りし(うを)夥多(おびただ)しきに(をどろ)きたるなり。[引照]

口語訳彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。
塚本訳彼も一しょにいた者も皆、とれた魚(の多いの)に、びっくりしたのである。
前田訳彼も仲間も皆とれた魚におどろいたのである。
新共同とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。
NIVFor he and all his companions were astonished at the catch of fish they had taken,

5章10節 ゼベダイの()にしてシモンの(とも)なるヤコブもヨハネも(おな)じく(をどろ)けり。[引照]

口語訳シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。
塚本訳シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも同様であった。イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今から後、あなたは人間を生け捕る(漁師になる)のだ。(きょうの漁は、あなたの大伝道の前ぶれである。)」
前田訳シモンとともにいたゼベダイの子ヤコブとヨハネも同じであった。イエスはシモンにいわれた、「おそれるな、これから先、あなたは人間をすなどろう」と。
新共同シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
NIVand so were James and John, the sons of Zebedee, Simon's partners. Then Jesus said to Simon, "Don't be afraid; from now on you will catch men."
註解: 9節は8節のペテロの告白の理由を示す。この漁獲の事実はペテロ中心の事件であったけれども、そこに他の二人の使徒ヤコブとヨハネもいたのであることがここに始めて明らかにされ、而してこの大漁獲の事実によりこの二人もまた同様に驚いたということは、この二人もまたペテロと同じく主イエスの御前に平伏し罪を告白したい心持であったことを示す。

イエス、シモンに()ひたまふ『(おそ)るな、なんぢ(いま)よりのち(ひと)(すなど)らん』

註解: (▲「(おそ)るな」はペテロの心がイエスの力の前に(おそ)(おのの)いていたことをイエスは看て取ったからであった。)偶然かあるいは神の黙示によるか、イエスはこの大漁獲を利用してペテロに人を(すなど)る者、すなわち福音を宣伝うることにより天国の網に人を(すなど)る者となり得ることを教え給うた。而してその方法は自己の経験や能力を頼りとせず、たとい如何に不可解であっても主イエスの御言に単純に信頼して進むこととイエスを主と仰ぎ自らの罪をその前に告白して悔改むること、而してかくする場合その伝道が必ず大なる結果をもって報いられるであろうことを示し給うた。
辞解
[(すなど)る] この場合、原語「生け捕る」の意。

5章11節 かれら(ふね)(をか)につけ、一切(すべて)()ててイエスに(したが)へり。[引照]

口語訳そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。
塚本訳彼らは舟を陸に引き上げ、何もかもすててイエスに従った。
前田訳彼らは小舟を陸につけると、すべてを捨てて彼に従った。
新共同そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
NIVSo they pulled their boats up on shore, left everything and followed him.
註解: 「かれら」はペテロの外ヤコブとヨハネを指す、すなわちここでこの三人はその職を棄ててイエスの使徒となりイエスに(したが)った。ペテロの兄弟アンデレはここに顕れないのであるが、以上の三人が使徒たちの首班であったのでルカはその記事を以上の三人に限定したのであろう。
附記 [使徒召命の記事について]上記1−11節の記事と、マタ4:18−22。マコ1:16−20とは如何なる関係にあるかは難問題である。マタイとマルコとは相類似しているけれども、ルカとそれらとは召命当時の事情も異なり、時期も違っている。それにもかかわらず「人を漁るものとせん」との御言と「舟(舟と父、一切等)を棄ててイエスに従える」こととは三者何れにもこれを見出す。もし全然異なった事件とすれば彼らは二回使徒として召され、二回その職を棄てて従ったこととなる。一事実の二つの異なった伝説と見るべきであろう。
要義1 [我は罪人なり]おそらくルカはマルコの記事があまりに単純で、使徒として一生涯をささげるだけの心の転機を説明するに不充分であることを感じ、その取得せる独特の資料をもって使徒の召命の時期および理由としたものと思われる。而してその時期と他の記事との前後の関係はルカ4:16−30の記事と同様ルカはあまりにこれに拘泥せず、その記事の意味に重点を置いたのであると解すべきであろう。
要義2 [人を(すなど)る者]1−11節は人を(すなど)る者の諸要件を暗示す。(1)自己の経験や知識に誇らずまたこれに頼らず単純に主の御言葉に服すべきこと(5節)。(2)かくすることにより自己の予期せざりし漁獲を得ること、すなわちその伝道はこれによってのみ成功すること。(3)互に助け合い、また獲物を分け合うべきこと(7節)。(4)而して何よりも重要なことは自己の罪を悔改めて主の御前に平伏し(8節)、(5)凡てをすてて主に従うこと(11節)である。
要義3 [イエスの言に従うこと]イエスの教訓の多くは実社会にては実行不可能と思われる。それ故何人もそれを御言のまま実行しようとしない。しかし思い切って御言のままに実行したならば全く思いがけない好結果を得ることを経験するであろう。例えば国際関係においてもしイエスの教えがそのまま実行されるならば世界の平和はたちどころに実現するであろう。

3-3-ロ 癩病人を醫し給う 5:12 - 5:16
(マタ8:1-4) (マコ1:40-45)  

註解: 本節より6:19まではマコ1:40−3:19までと大体同一の順序で同一の内容である。

5章12節 イエス(ある)(まち)居給(ゐたま)ふとき、()よ、全身(ぜんしん)癩病(らいびゃう)をわづらふ(もの)あり。[引照]

口語訳イエスがある町におられた時、全身らい病になっている人がそこにいた。イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。
塚本訳ある町におられた時のこと、そこに体中癩病の人がいた。イエスを見ると、頭を地にすりつけ、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
前田訳彼がある町におられたときのこと、らいにさいなまれた人がいあわせた。イエスを見ると、顔を地につけて願った、「主よ、お心さえ向けばわたしをお清めになれます」と。
新共同イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。
NIVWhile Jesus was in one of the towns, a man came along who was covered with leprosy. When he saw Jesus, he fell with his face to the ground and begged him, "Lord, if you are willing, you can make me clean."
註解: 何れの町かは不明である。

イエスを()平伏(ひれふ)し、(ねが)ひて()ふ『(しゅ)よ、御意(みこころ)ならば、(われ)(きよ)くなし(たま)ふを()ん』

註解: この癩病人はイエスの治癒の能力を全く疑わず、凡ては御心のままになることを信じた。唯その意思の有無を問うのであった。その平伏す態度その謙遜なる心持、その確信はイエスを喜ばせた。

5章13節 イエス()をのべ(かれ)につけて『わが(こころ)なり、(きよ)くなれ』と()(たま)へば、(ただ)ちに癩病(らいびゃう)((いや))されり。[引照]

口語訳イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病がただちに去ってしまった。
塚本訳イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が消えうせた。
前田訳そこで手をのべてさわり、「よろしい、清くおなり」といわれた。するとたちまちらいは去った。
新共同イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。
NIVJesus reached out his hand and touched the man. "I am willing," he said. "Be clean!" And immediately the leprosy left him.
註解: 癩病人に手をつけることを(いと)わないのは、イエスが如何に深き愛をもってかかる病人に対し給うかを示す(マコ1:41参照)。その一言で全身癩病でいっぱいであった者が、たちどころに癒されるのはその能力を表わす。

5章14節 イエス(これ)(たれ)にも(かた)らぬやうに(めい)じ、[引照]

口語訳イエスは、だれにも話さないようにと彼に言い聞かせ、「ただ行って自分のからだを祭司に見せ、それからあなたのきよめのため、モーセが命じたとおりのささげ物をして、人々に証明しなさい」とお命じになった。
塚本訳イエスは、だれにも言ってはならない、「ただ、(全快したことを)世間に証明するため、(エルサレムの宮に)行って体を“祭司に見せ、”モーセが命じたように清めのために(供え物を)捧げよ」と言いつけられた。
前田訳彼は「だれにもいわぬように、ただし、証のため、行って体を祭司に見せ、モーセが定めたとおり清めのささげものをなさい」と命じられた。
新共同イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」
NIVThen Jesus ordered him, "Don't tell anyone, but go, show yourself to the priest and offer the sacrifices that Moses commanded for your cleansing, as a testimony to them."
註解: イエスはその疾病治癒を売物にする宗教家と同一に考えられることを最も好まなかった。それ故に誰にも語らぬように命じ給うた。マコ1:43の記事はこれらの点で殊に活き活きしている。

かつ()(たま)ふ『ただ()きて(おのれ)祭司(さいし)()せ、モーセが(めい)じたるごとく(なんぢ)(きよめ)のために献物(ささげもの)して、人々(ひとびと)(あかし)せよ』

註解: レビ13:49レビ14:2−32の規定による潔の式である。形式を嫌い給えるイエスが何故かかることを命じ給うたのであろうか。おそらくイエスは普通の行事や善良なる秩序や風俗はこれを強いて破壊せざる立場を取り給うたためであろう。ルカ17:14にも同様の事実があり、なおこの癩病人が喜びの余りイエスのことを言い広むることに熱中することを嫌い給うたのであろう。

5章15節 されど(いや)増々(ますます)イエスの(こと)ひろまりて、[引照]

口語訳しかし、イエスの評判はますますひろまって行き、おびただしい群衆が、教を聞いたり、病気をなおしてもらったりするために、集まってきた。
塚本訳しかしイエスの噂はいよいよ広まってゆき、大勢の群衆が、(教えを)聞き、また病気をなおしていただこうと集まってきた。
前田訳しかし彼の評判はひろまるばかりであった。そして多くの群衆が耳傾け、病をいやされようと集まって来た。
新共同しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。
NIVYet the news about him spread all the more, so that crowds of people came to hear him and to be healed of their sicknesses.
註解: マコ1:45によればこの癩病人はイエスの命を奉ぜずしてイエスのことを言い広めたのであった。その情熱において愛すべきものがあったけれども、イエスの命に従わないことは結局イエスに累を及ぼす結果となったことは次節を見よ。

(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)、あるひは(をしへ)()かんとし、(あるひ)(やまひ)(いや)されんとして(あつま)(きた)りしが、

5章16節 イエス(さび)しき(ところ)退(しりぞ)きて(いの)(たま)ふ。[引照]

口語訳しかしイエスは、寂しい所に退いて祈っておられた。
塚本訳しかしイエスは人のいない所に引っ込んで、祈っておられた。
前田訳しかし彼は人のいないところに引っ込んで祈っておられた。
新共同だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。
NIVBut Jesus often withdrew to lonely places and prayed.
註解: 伝道者にとっての最大の危機はその伝道の不振な時でなく、それが最も栄えている時である。群衆の熱狂はイエスの喜び給う処ではなく、かれはそこにサタンの襲撃の危険を知り給うた。それ故にイエスは唯祈りをもって父と(とも)に在さんことを求め給うた。

3-3-ハ 中風の者を醫し給う 5:17 - 5:26
(マタ9:1-8) (マコ2:1-12)  

5章17節 (ある)()イエス(をしへ)をなし(たま)ふとき、ガリラヤの村々(むらむら)、ユダヤ(およ)びエルサレムより(きた)りしパリサイ(びと)教法(けうほふ)學者(がくしゃ)ら、そこに()しゐたり。[引照]

口語訳ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。
塚本訳ある日のこと、イエスが(人々を)教えておられると、パリサイ人と律法学者が坐って(聞いて)いた。この人々はガリラヤとユダヤのすべての村から、ことにエルサレムから来たのである。主の力がイエスに臨んで病気を直させた。
前田訳ある日のこと、彼が教えておられると、パリサイ人と律法学者がすわっていた。彼らはガリラヤとユダヤのすべての村とエルサレムから来ていた。主の力が彼にのぞんで病をいやさせていた。
新共同ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。
NIVOne day as he was teaching, Pharisees and teachers of the law, who had come from every village of Galilee and from Judea and Jerusalem, were sitting there. And the power of the Lord was present for him to heal the sick.
註解: 時日場所等全然不明。マタイ・マルコ伝にはカペナウムの出来事として記さる。ある個人の家での出来事であった(18節)。「ガリラヤの村々、ユダヤ及びエルサレム」は「ガリラヤ及びユダヤの村々ならびにエルサレム」と訳すべきで、ガリラヤおよびユダヤの主なる村々および主都エルサレムを意味し、山村落は除外されている。パリサイ人、教法学者らの列席を録したのは、21節以後の反対を録さんがためか、または始めより反対すべき意思をもって来ていたのである。

(やまひ)(いや)すべき(しゅ)能力(ちから)イエスと(とも)にありき。

註解: 私訳「主の能力はイエスが醫し給うことに向けられたり」。この時は神(主)の能力がイエスの上に特に働きかけ、イエスをして治病の奇蹟を行わしむるに至った。

5章18節 ()よ、人々(ひとびと)中風(ちゅうぶ)()める(もの)を、(とこ)にのせて(にな)ひきたり、(これ)(いへ)()れて、イエスの(まへ)()かんとすれど、[引照]

口語訳その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。
塚本訳するとそこに、数人の人が一人の中風にかかった人を寝床にのせてつれて来た。(家の中に)運び込んでイエスの前に置こうとしたが、
前田訳そこへ、数人がひとりの中風やみを床にのせて連れて来て、中に持ち込んで彼の前に置こうとした。
新共同すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。
NIVSome men came carrying a paralytic on a mat and tried to take him into the house to lay him before Jesus.

5章19節 群衆(ぐんじゅう)によりて(にな)()るべき(みち)()ざれば、屋根(やね)にのぼり、(かはら)()(のぞ)けて、(とこ)のまま人々(ひとびと)(うち)に、イエスの(まへ)につり()(おろ)せり。[引照]

口語訳ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。
塚本訳群衆のためどうしても運び込む方法がないので、屋根に上って瓦(をはがし、そ)の間から、寝床ごと、人々の真中、イエスの前に吊りおろした。
前田訳しかし群衆のためにどうして持ち込んでよいかわからないので、屋根に上って瓦の間から床ごと人々の中をイエスの前におろした。
新共同しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
NIVWhen they could not find a way to do this because of the crowd, they went up on the roof and lowered him on his mat through the tiles into the middle of the crowd, right in front of Jesus.
註解: マコ2:4の描写の方が優れている。家は小さく、群衆が充満して動きが取れなかったので屋根(パレスチナ地方の家の屋根は平面をなしている)の瓦を剥いで(マコ)病人をイエスの前に()り下した。非常な熱心、むしろ乱暴であったまでに彼らは熱心であった。イエスが必ず醫し得、また醫し給うことを信ずる信仰の故であった。イエスは彼らの信仰の故にその乱暴を責め給わなかった。
辞解
[群衆によりて] 「群衆の故に」とすべし。
[瓦を取り除け] 原文「瓦を通して」

5章20節 イエス(かれ)らの信仰(しんかう)()()ひたまふ『(ひと)よ、(なんぢ)(つみ)ゆるされたり』[引照]

口語訳イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
塚本訳イエスはその人たちの信仰を見て(驚き、中風の者に)言われた、「君、あなたの罪は赦されている。」
前田訳彼は人々の信仰を見ていわれた、「君、あなたの罪はゆるされている」と。
新共同イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
NIVWhen Jesus saw their faith, he said, "Friend, your sins are forgiven."
註解: 「彼ら」は担い来れる人および病人を含むと見ることを得。病人はおそらく病の原因たりし自己の罪を思い起し、心に悩んでいたのであろう。イエスは彼の上に憐憫の言を向け、まずその罪の赦しを宣言し給うた。イエスの大なる愛の顕れである。これに対し次節の学者、パリサイ人らの愛無き態度を見よ。

5章21節 ここに學者(がくしゃ)・パリサイ(びと)(ろん)()でて()ふ『涜言(けがしごと)をいふ()(ひと)(たれ)ぞ、(かみ)より(ほか)(たれ)(つみ)(ゆる)すことを()べき』[引照]

口語訳すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。
塚本訳聖書学者とパリサイ人は考え始めた、「冒涜を言うこの人はいったい何者だろう。ただ神のほか、だれが罪を赦せよう。」
前田訳学者とパリサイ人は考えはじめた、「けがしごとをいうこの人はだれか。ただひとりの神のほかだれが罪をゆるせよう」と。
新共同ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
NIVThe Pharisees and the teachers of the law began thinking to themselves, "Who is this fellow who speaks blasphemy? Who can forgive sins but God alone?"
註解: イエスを神の子と信じ得ない彼ら、しかもイエスの愛に感激せず、冷酷なる神学論をもって生命とする彼らは憐れむべき存在である。
辞解
[学者] ▲ grammateus と5:17の「教法学者」 nomodidaskalos との間には文語訳のごとく訳語を区別することが便利である。口語訳は双方とも「律法学者」と訳している。ただし「学者」なる呼称がはるかに多く用いられている。

5章22節 イエス(かれ)らの(ろん)ずる(こと)をさとり、(こた)へて()(たま)ふ『なにを(こころ)のうちに(ろん)ずるか。[引照]

口語訳イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。
塚本訳イエスは彼らの考えを見抜いて、「何を心の中で考えているのか。
前田訳イエスは彼らの考えを見ぬいていわれた、「何を心の中で考えているのか。
新共同イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。
NIVJesus knew what they were thinking and asked, "Why are you thinking these things in your hearts?

5章23節 「なんぢの(つみ)ゆるされたり」と()ふと「()きて(あゆ)め」と()ふと(いづれ)(やす)き、[引照]

口語訳あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。
塚本訳あなたの罪は赦されている、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
前田訳『あなたの罪はゆるされている』というのと、『起きて歩け』というのと、どちらがやさしいか。
新共同『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
NIVWhich is easier: to say, `Your sins are forgiven,' or to say, `Get up and walk'?
註解: イエスは「起きて歩め」なる困難なる命令を与え、これを実現し給うことによって、罪の赦しの宣告がイエスとしては決して瀆言ではなくその権威を有ち給うことを示さんとし給う。この質問に対し学者らは当然「前者が易い」と答えたであろう。

5章24節 (ひと)()()にて(つみ)をゆるす權威(けんゐ)あることを(なんぢ)らに()らせん(ため)に』――中風(ちゅうぶ)()める(もの)()(たま)ふ――『なんぢに()ぐ、()きよ、(とこ)をとりて(いへ)()け』[引照]

口語訳しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。
塚本訳では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われた、「あなたに命令する、起きて、寝床をかついで家にかえりなさい。」
前田訳しかし、人の子が地上で罪をゆるす権威を持つことをあなた方が知るように――」と。そして中風の人にいわれた、「あなたにいう、起きて床を持ちあげて家にお帰り」と。
新共同人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。
NIVBut that you may know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins...." He said to the paralyzed man, "I tell you, get up, take your mat and go home."
註解: 21節をここに応用すれば「我が神たることを汝に知らせんために」と言うと同じこととなる。偉大なる宣言であり、而してまた偉大なる奇蹟である。

5章25節 かれ立刻(たちどころ)人々(ひとびと)(まへ)にて()きあがり、()しゐたる(とこ)をとりあげ、(かみ)(あが)めつつ(おの)(いへ)(かへ)りたり。[引照]

口語訳すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。
塚本訳すると彼は即座に人々の目の前で立ち上がり、床をかついで、神を讃美しながら家にかえって行った。
前田訳すぐに彼は人々の前に立ちあがり、寝ていた床を持ちあげて、神をたたえながら家に帰った。
新共同その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。
NIVImmediately he stood up in front of them, took what he had been lying on and went home praising God.
註解: かくしてイエスは神より能力を受けて学者パリサイ人を沈黙せしむると同時に、その奇蹟により神の子たることを一般の人々に証し給うた。
辞解
[神を崇めつつ] ルカ伝にのみあり。

5章26節 人々(ひとびと)みな(いた)(をどろ)きて(かみ)をあがめ(おそれ)滿()ちて()ふ『今日(けふ)われら(めづら)しき(こと)()たり』[引照]

口語訳みんなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った。
塚本訳皆が感動して神を讃美し、恐れに満たされて、「きょうは不思議なことを見た」と言った。
前田訳皆が感激して神をたたえ、おそれに満たされていった、「きょうは不思議なことを見た」と。
新共同人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。
NIVEveryone was amazed and gave praise to God. They were filled with awe and said, "We have seen remarkable things today."
註解: 人々は驚愕と恐怖とかつ神を崇むる心とに支配された。名状すべからざる心理状態である。神の能力を否定し得ず、さりとてイエスを信ずることができず、ゆえに神を崇めつつ、驚きかつ懼れた。
辞解
[驚く] 心も空になるばかりなること。
[珍しき事] paradoxa。

3-3-ニ レビの家における饗宴 5:27 - 5:32
(マタ9:9-13) (マコ2:13-17)  

5章27節 この(こと)(のち)[引照]

口語訳そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
塚本訳そのあとで、イエスは(湖のほとりに)出てゆき、レビという税金取りが税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、
前田訳そののち彼が出かけられると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見ていわれた、「ついて来なさい」と。
新共同その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
NIVAfter this, Jesus went out and saw a tax collector by the name of Levi sitting at his tax booth. "Follow me," Jesus said to him,
註解: 17−26節の事件の後の意。

イエス()でて、

註解: 同様前記の家を出で給いしこと。

レビといふ取税人(しゅぜいにん)收税所(しうぜいしょ)()しをるを()て『われに(したが)へ』と()(たま)へば、

5章28節 一切(すべて)()ておき、()ちて(したが)へり。[引照]

口語訳すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。
塚本訳何もかも捨てて、立って従った。
前田訳するとすべてを捨てて、立って従った。
新共同彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
NIVand Levi got up, left everything and followed him.
註解: レビは使徒マタイの別名(マタ9:9)。レビは以前にイエスの教えを聴き彼に私淑(ししゅく)しており、かつローマ政府の下請人たる取税人として同国人に卑しめられたことが、かえって彼の信仰の原因となったのであろう。
辞解
ルカ伝はマルコ伝(マタイ伝も同様)の「見て」 eiden を変更して etheasatô とした。前者は偶然見るごとき感じを与え、後者は注意して見ることを意味する。
[一切を棄てて] ルカの追加であるが、次節の大饗宴の前にこの語を置くことはやや適当でない。▲ただしもしマタイが一切を棄てなかったらこの大饗宴を催す勇気を持たなかったろう。すなわち棄てることは所有物を自分の心から離したことである。

5章29節 レビ(おの)(いへ)にて、イエスの(ため)(おほい)なる饗宴(ふるまひ)(まう)けしに、取税人(しゅぜいにん)および(ほか)人々(ひとびと)(おほ)食事(しょくじ)(せき)(つらな)りゐたれば、[引照]

口語訳それから、レビは自分の家で、イエスのために盛大な宴会を催したが、取税人やそのほか大ぜいの人々が、共に食卓に着いていた。
塚本訳レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。
前田訳レビは彼のために家で盛んに人をもてなした。取税人やその仲間が大勢席についていた。
新共同そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
NIVThen Levi held a great banquet for Jesus at his house, and a large crowd of tax collectors and others were eating with them.
註解: マタイ・マルコ伝の原文のままでは必ずしも饗宴があったと解すべきか不明瞭であるが、ルカがそれをかく解したのか、または他の資料に因ったのか本節では大なる饗宴があったこととなっている。これが事実とすればイエスに対する歓迎を兼ねてマタイ自身がイエスに従うために多くの知友と袂別(べいべつ)の宴を開いたのであろう。
辞解
[他の多くの人々] マルコおよびマタイには罪人らとあり、取税人と共に世人に最も賤しめられた人々。

5章30節 パリサイ(びと)および()曹輩(ともがら)學者(がくしゃ)ら、イエスの弟子(でし)たちに(むか)ひ、(つぶや)きて()[引照]

口語訳ところが、パリサイ人やその律法学者たちが、イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った、「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか」。
塚本訳パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」
前田訳それで、パリサイ人やその派の学者らが弟子たちにつぶやいた、「なぜあなた方は取税人や罪びとらと飲み食いを共にするのか」と。
新共同ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
NIVBut the Pharisees and the teachers of the law who belonged to their sect complained to his disciples, "Why do you eat and drink with tax collectors and `sinners'?"
註解: パリサイ人もイエスの弟子たちもその食事の席にいたものとして記さる。「その曹輩(ともがら)の」は「彼らの」でパリサイ派に属する学者。

『なにゆゑ(なんぢ)らは取税人(しゅぜいにん)罪人(つみびと)らと(とも)飮食(のみくひ)するか』

註解: パリサイ派やその他の真面目なユダヤ人は取税人や罪人と共に食事をすることを嫌っていた。かくすることは自己を穢す所以と考えた。イエスの弟子たちは、かかることにおいて旧い習慣に拘泥せず、自由に真人間らしく行動した。パリサイ人は弟子たちに対し不満を含む質問を発したのであるが、実はかかることを自ら行いまた弟子にも行わしむる師イエスを非難したのであった。

5章31節 イエス(こた)へて()ひたまふ『健康(けんかう)なる(もの)醫者(いしゃ)(えう)せず、ただ(やまひ)ある(もの)これを(えう)す。[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
塚本訳イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
前田訳イエスは答えられた、「医者を要するのは健康人ではなく病人である。
新共同イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
NIVJesus answered them, "It is not the healthy who need a doctor, but the sick.

5章32節 (われ)(ただ)しき(もの)(まね)かんとにあらで、罪人(つみびと)(まね)きて悔改(くいあらた)めさせんとて(きた)れり』[引照]

口語訳わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。
塚本訳わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招いて悔改めさせるために来たのである。」
前田訳わたしが来たのは、正しい人をではなく、罪びとを招いて悔い改めさせるためである」と。
新共同わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」
NIVI have not come to call the righteous, but sinners to repentance."
註解: イエスの愛は常に罪人・弱者・病者、また取税人のごとく社会に卑しめられる者の上に雪がれており、パリサイ人のごとくに自ら義人をもって任ずる者、強者、富者、権力者、宗教上の特権階級等に対して反感を有っていた。ただしイエスが猛烈に彼らを攻撃し給うたのは、彼らの救うべからざる頑迷さがいよいよ明らかになった時であって、当時はむしろ直接に彼らを攻撃せず間接にその覚醒を促す態度に出で給うた。自ら「健康なる者」「正しき者」と考えている学者、パリサイ人は、イエスを要求せず、イエスは彼らに不必要と思う事実を承認する態度を取り給うた。ただし「病者」「罪人」に対するイエスの愛そのものが、学者、パリサイ人に対し彼らこそ不義の病者であるを明白にする無言の非難であること勿論である。もし彼らこのことをさとるならば、彼らもイエスを必要とすることをさとるであろう。
辞解
[悔改させんとて] ルカ伝のみにあり、単に罪人をも饗宴に招くことの意味にあらざることを示さんがためか。

3-3-ホ 断食問答 5:33 - 5:39
(マタ9:14-17) (マコ2:18-22)  

5章33節 (かれ)らイエスに()ふ『ヨハネの弟子(でし)たちは、しばしば斷食(だんじき)祈祷(いのり)し、パリサイ(びと)弟子(でし)たちも(また)(しか)するに、(なんぢ)弟子(でし)たちは飮食(のみくひ)するなり』[引照]

口語訳また彼らはイエスに言った、「ヨハネの弟子たちは、しばしば断食をし、また祈をしており、パリサイ人の弟子たちもそうしているのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」。
塚本訳彼らがイエスに言った、「(洗礼者)ヨハネの弟子はしばしば断食をし、祈りをするのに、あなたの弟子は(平気で)飲み食いしている。」
前田訳彼らはイエスにいった、「ヨハネの弟子たちはよく断食をし、祈りをし、パリサイ人の弟子たちもそうですのに、あなたの弟子たちは飲み食いしています」と。
新共同人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
NIVThey said to him, "John's disciples often fast and pray, and so do the disciples of the Pharisees, but yours go on eating and drinking."

5章34節 イエス()ひたまふ『新郎(はなむこ)(とも)だち新郎(はなむこ)(とも)にをるうちは、(かれ)らに斷食(だんじき)せしめ()んや。[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか。
塚本訳イエスは言われた、「あなた達は花婿がまだ一しょにいるうちに、婚礼の客に(悲しみの)断食をさせることが出来るのか。
前田訳イエスはいわれた、「花むこがいっしょの間、婚客に断食させうるか。
新共同そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
NIVJesus answered, "Can you make the guests of the bridegroom fast while he is with them?

5章35節 されど()(きた)りて新郎(はなむこ)をとられん、その()には斷食(だんじき)せん』[引照]

口語訳しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう」。
塚本訳しかしいまに(悲しみの)時が来て、花婿が奪いとられたら、その時、彼らは(いやでも)断食をするであろう。」
前田訳しかし花むこが取られる日が来よう。そのとき彼らは断食しよう」と。
新共同しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。」
NIVBut the time will come when the bridegroom will be taken from them; in those days they will fast."
註解: 旧きものすなわちユダヤ教およびヨハネの弟子たちの思想や生活とイエスおよびその弟子たちのそれとの間の差をイエスは五つの点に分ちて説明を与え給うた。その一は前記32節であり、その二は34、35節、その三は36節、その四は37、38節、その五は39節であり、各々その特色をもつ(要義参照)。「断食と祈祷」はユダヤ人の宗教生活の重要なる行事でありまた彼らの信仰の訓練の道であった。イエスも決してこれを軽視せず自ら祈りに熱中し、断食をも行い給うたものと思われる。唯イエスはこれを形式化せず自然の心が赴くがままにし、むしろその心を正しくすることに力を注ぎ給うた。(▲イエスおよびその弟子たちは旧い習慣や宗教的行事に対してはこれに束縛されない態度を取っていた。マタ9:14参照。)イエスは新郎であり弟子たちはその婚姻を祝せんとして集う友だちであった。イエスを迎えてその友だちの歓喜が頂点に達している時これに断食を強いても不可能(マコ2:19)である。イエスが十字架に()けられる日来らば彼らの悲しみは、彼らをして自然に断食せしめるであろう。主と共にいる時は断食の必要なし、主が離れ給う時は断食を要す。今日も同様である。
辞解
33節の「彼ら」はマタ9:14に「ヨハネの弟子」、マコ2:18に「ヨハネの弟子とパリサイ人」とあり、ルカ伝の「パリサイ人および彼らの学者」30節とは各々異なる。マルコが最も適当と思われる。

5章36節 イエスまた(たとへ)()(たま)ふ『たれも(あたら)しき(ころも)()()りて、(ふる)(ころも)(つくろ)(もの)はあらじ。もし(しか)せば、(あたら)しきものも(やぶ)れ、かつ(あたら)しきものより()りたる(きれ)(ふる)きものに()はじ。[引照]

口語訳それからイエスはまた一つの譬を語られた、「だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない。もしそんなことをしたら、新しい着物を裂くことになるし、新しいのから取った布ぎれも古いのに合わないであろう。
塚本訳なお一つの譬を彼らに話された、「新しい着物を切って、古い着物に継ぎをする者はない。そんなことをすれば、新しい着物も疵ものになり、新しいのから切った継ぎも古いのにあわない。
前田訳彼らにいまひとつの譬えをいわれた、「新しい衣を切って古い衣につぐものはない。そうすれば、新しいのもやぶれ、新しい衣の切れも古いのに合わない。
新共同そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。
NIVHe told them this parable: "No one tears a patch from a new garment and sews it on an old one. If he does, he will have torn the new garment, and the patch from the new will not match the old.
註解: マタイおよびマルコ伝は字句のみならず内容を異にし、新しき布切れをもって旧き衣の破れを繕うことはかえって旧き衣を破ることに重点を置き、ルカの場合は新しき衣と旧き衣とは各々それ自身一つの(まと)った全体であって一方の一部を切って他方に継ぎ合せることすなわちいわゆる折衷的態度は双方を無効にする所以であることを示す。ゆえにイエスはその弟子をして新しき信仰に従って自由に行動せしめ、強いて自己の態度をヨハネの弟子やパリサイ人の弟子に強要せず、また勿論反対に旧き生活様式や生活態度をもって自己を繕う必要を感じ給わなかった。これが旧と新との関係を解決する第三の原理である。

5章37節 (たれ)(あたら)しき葡萄酒(ぶだうしゅ)を、ふるき革嚢(かはぶくろ)()るることは()じ。もし(しか)せば、葡萄酒(ぶだうしゅ)(ふくろ)をはりさき()()でて、(ふくろ)(すた)らん。[引照]

口語訳まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。
塚本訳また新しい酒を古い皮袋に入れる者はない。そんなことをすれば、新しい酒は皮袋を破って流れ出し、皮袋もだめになるであろう。
前田訳新しい酒を古い皮袋に入れるものはない。そうすれば、新しい酒は皮袋を裂いて流れ出し、皮袋もそこなわれよう。
新共同また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。
NIVAnd no one pours new wine into old wineskins. If he does, the new wine will burst the skins, the wine will run out and the wineskins will be ruined.

5章38節 (あたら)しき葡萄酒(ぶだうしゅ)は、(あたら)しき革嚢(かはぶくろ)()るべきなり。[引照]

口語訳新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。
塚本訳新しい酒は新しい皮袋に入れねばならない。
前田訳新しい酒は新しい皮袋に入れるものである。
新共同新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
NIVNo, new wine must be poured into new wineskins.
註解: 第四の原理は溌剌たる活気を有する新しい信仰を旧い伝統の形式の中に入れることの不可なることである。かかる試みは旧新双方のために不幸の結果となること、あたかも葡萄酒と革嚢との関係と同一である。新しい信仰は新しい形式の中に入れなければならない。新しい形式は新しい革嚢のごとくに弾力性に富む故に新しい信仰を入れるに適する。ただし真の信仰は常に新しき故、常に新しい革嚢にいれられなければならぬ。

5章39節 (たれ)(ふる)葡萄酒(ぶだうしゅ)()みてのち、(あたら)しき葡萄酒(ぶだうしゅ)(のぞ)(もの)はあらじ。「(ふる)きは()し」と()へばなり』[引照]

口語訳まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。『古いのが良い』と考えているからである」。
塚本訳また、古い酒を飲んだ者は、新しいのをほしがらない。『古い方が甘い』と言って。」
前田訳また、古い酒を飲んだ人は新しいものを欲しない。『古いのはよい』とその人はいう」と。
新共同また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」
NIVAnd no one after drinking old wine wants the new, for he says, `The old is better.'"
註解: ルカ伝にのみ特有の一節。33節に対する答の結論である。これは第五の点で旧と新の関係の原理というよりむしろその実状または傾向を示している。すなわちヨハネの弟子やパリサイ人らは「古酒は結構である」と言って古酒を飲むことを好み、新しき酒には手を出さないと同様、新しき福音の信仰には容易にその心を傾ける人は無い。イエスおよび弟子たちの信仰が一般に顧みられずかえって反感を買い、これに反し旧き形式が何時までも好まれるのは当然である(A1)。ただしイエスはこれを是認し給うたのではない。なお本節の意味は種々に解せられ異論が多い。また饗宴(29節)より婚宴の比喩(34節)となりそれより衣服(36節)および葡萄酒(37節)に及んでいることは一連の思想の連絡がある。
要義 [新と旧]新旧思想の衝突は何れの時、ところにおいても免れないところであるが、イエスの時代にも同様であった。これに対してその解決の態度として27−39節の記事は大体五つの原則を示していると見ることができる。すなわち(第一)新しき教えの伝道は、まず愛をもって貧者弱者に向けらるべく、旧き伝統を墨守(ぼくしゅ)して自ら正しと考うる階級に対しては、愛の行為そのものがその非難となるようの態度を取るべきこと(30−32節)。(第二)旧き宗教的行事または慣習に対しては、それに束縛されることなく、また濫りにそれを否定または破壊することなく、新しき信仰より出づる心持が自然にその取捨選択を為すべきこと(33-35節)。(第三)旧きものと新しきものとはこれを折衷することなく、各自その進むべき途に進むべきこと(36節)。(第四)新しき思想や信仰を強いて旧き型の中に入れてはならないこと(37、38節)。而して(第五)は凡て旧き思想、信仰、その習慣、形式等は容易に除去し難きものであり、新しき思想や信仰を求むる者は決して多くはないことを示している。以上は何れも福音を新たなる世界に伝道する上に極めて重要なる原則である。