ヨハネ伝第16章
分類
4 受難週
12:1 - 19:42
4-2 イエスの決別説教
14:1 - 16:33
4-2-2 キリストに在りて果を結ぶ事
15:1 - 16:4
4-2-2-ハ 世は汝らを憎まん
15:18 - 16:4
註解: 前章の継続であって1−4節までは弟子たちに対する迫害の問題の継続、5−33節はイエスの死後に顕わるべき聖霊の働きと、イエスが再び彼らに来り給うこととに関しての教訓である。
16章1節
口語訳 | わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。 |
塚本訳 | このことを話したのは、(わたしがいなくなったあとで、)あなた達が(信仰に)つまずかないためである。 |
前田訳 | これらのことをいったのはあなた方がつまずかぬためである。 |
新共同 | これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。 |
NIV | "All this I have told you so that you will not go astray. |
註解: 「これらの事」は15:18節以下のことを意味し、弟子たちの愛の行為に対してかえって迫害の当然来るべきことと、その迫害の中にも聖霊と弟子たちの証によりてキリストが証されることとを指す。このことを承知しているならばいかなる迫害がきても彼らは躓かないであろう。
16章2節
口語訳 | 人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。 |
塚本訳 | 彼らはあなた達を礼拝堂追放にするにちがいない。それどころか、あなた達を殺す者が皆、神に奉仕しているかのように思う時が来るであろう。 |
前田訳 | 人々はあなた方を会堂から追放しよう。否、あなた方を殺すものが皆、神にささげものをしていると思う時が来る。 |
新共同 | 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。 |
NIV | They will put you out of the synagogue; in fact, a time is coming when anyone who kills you will think he is offering a service to God. |
註解: 「除名」についてはヨハ9:23辞解参照。イエスはユダヤ人らが或は弟子たちを除名して彼らの国籍を奪い、また彼らを殺しその血を犠牲として神にささぐることが神に対する最上の礼拝であると思う時が来ることを預言し給うた。而してこの預言は的中した(使7:58−60、使12:2、3等)。
辞解
[神に事 ふ] また「神に礼拝を献ぐ」と訳することができ、旧約時代においては偶像礼拝を行うものまたは偽りの預言者を殺すことは神の御旨に叶う犠牲をささぐることであると見られていた(申13:9、申17:3−7、申18:20)。パウロの教会迫害もこの心であった(ガラ1:13。使7:58、使8:1、使9:1−2)。誤れる熱信は恐るべき結果に陥ることを思うべきである。
16章3節 これらの
口語訳 | 彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 |
塚本訳 | 彼らがそんなことをするのは、父上をもわたしをも知らないからである。 |
前田訳 | 彼らがそうするのは、父をもわたしをも知らぬからである。 |
新共同 | 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 |
NIV | They will do such things because they have not known the Father or me. |
註解: ヨハ15:21以下参照。ユダヤ人でももしキリストを知らなければ父を完全に知ることができない。神を拝すると誤信して誤れる自己の観念を拝しているようになるのである。キリストを知ることによりて始めて完全に父を拝することができる。
16章4節
口語訳 | わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、彼らの時がきた場合、わたしが彼らについて言ったことを、思い起させるためである。これらのことを初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。 |
塚本訳 | それにもかかわらずこのことを話したのは、その(迫害の)時が来た時、わたしがこう言ったことをあなた達に思い出させるためである。このことを始めから言わなかったのは、一しょにいた(ので、必要がなかった)からである。 |
前田訳 | これらのことをいったのは、その時が来た際に、わたしがいったことをあなた方に思い出させるためである。はじめからこれらをいわなかったのは、あなた方といっしょであったからである。 |
新共同 | しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。 |
NIV | I have told you this, so that when the time comes you will remember that I warned you. I did not tell you this at first because I was with you. |
註解: 1節の詳述であって、時至りて弟子たちの神の国に対する希望が粉砕されんとする際、イエスの御言を思い起すならば弟子たちはこれによりて力付けられるからである。▲「時いたりて」が口語訳に「彼らの時」とあるのは主なる訳本に由ったものでシナイ写本には「彼らの」がない、文語訳はこの方に由ったものと思われる。
註解: キリスト彼らと偕に在し給う間は、キリスト主として世の憎悪を一身に受け給い、またいかなる事件に遭遇するも彼らはキリストよりその意義を学ぶことができる。マタ5:10以下等、マタ10:16以下等、マタ24:9等によればイエスはこの前すでに弟子たちの苦難につき予告し給いしごとくに見えるけれども、これ他の福音書殊にマタイ伝においては事件の時日よりも内容によりて集編せる故であろう。(G1,Z0)
16章5節
口語訳 | けれども今わたしは、わたしをつかわされたかたのところに行こうとしている。しかし、あなたがたのうち、だれも『どこへ行くのか』と尋ねる者はない。 |
塚本訳 | しかし今、わたしを遣わされた方の所に行くのに、あなた達はだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。 |
前田訳 | 今はわたしをつかわされた方のところへ行く。しかしあなた方はだれもどこへ行くかと問わない。 |
新共同 | 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。 |
NIV | "Now I am going to him who sent me, yet none of you asks me, `Where are you going?' |
註解: 前節までイエスはその死に伴いて弟子たちに迫るべき苦難の方面を述べて後、本節以後においてその希望の方面に移り、16節に至るまでまず聖霊の降臨とその働きとを示し給う。イエスは弟子たちがすでにこれをさとり意気沮喪 せずして、大なる希望をもってイエスの行き給う場所につきて考え、その栄光を望み見んことを欲し給うた。彼らにこのことなくまた質問すらもなかったことはいたくイエスを失望せしめた。ペテロ(ヨハ13:36)およびトマス(ヨハ14:5)の質問はこの場合の弟子たちの大体の気分とは没交渉であったので「問ふ者なし」と断言し給うたのであろう。
16章6節
口語訳 | かえって、わたしがこれらのことを言ったために、あなたがたの心は憂いで満たされている。 |
塚本訳 | それどころか、(父上の所に行くと言った)このわたしの言葉が、あなた達の胸を悲しみで一ぱいにしている。 |
前田訳 | むしろ、これらを話したので、悲しみがあなた方の心を満たした。 |
新共同 | むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。 |
NIV | Because I have said these things, you are filled with grief. |
註解: これが前節の無質問の原因であった。師に別れることの悲哀は勿論さも有るべきことであるとはいえ、彼らはその光明の方面をも見るべきはずであった。
16章7節 されど、われ
口語訳 | しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。 |
塚本訳 | しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。 |
前田訳 | しかしわたしは真をいう、わたしが去るのはあなた方のためである、と。わたしが去らねば、助け主はあなた方に来ないが、去れば、わたしが彼をつかわそう。 |
新共同 | しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 |
NIV | But I tell you the truth: It is for your good that I am going away. Unless I go away, the Counselor will not come to you; but if I go, I will send him to you. |
註解: キリスト昇天して神の右に坐し父に請うて助主すなわち聖霊を送り給う。ゆえにもしキリスト死に給わないならば聖霊は降らない、これイエスの去ることが弟子たちの益となる所以である。蓋し聖霊来り給うことによりてキリストの地上の臨在とはまた異なれる働きを我らに為し給うが故である(次節)。キリストの降世も聖霊の降臨も、みなそれぞれ異なれる必要があったのである。
16章8節 かれ
口語訳 | それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。 |
塚本訳 | そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるであろう。 |
前田訳 | 彼は来て、罪につき、義につき、裁きについて世の蒙を啓こう。 |
新共同 | その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 |
NIV | When he comes, he will convict the world of guilt in regard to sin and righteousness and judgment: |
註解: 罪の内容、義の内容、従ってこの二者の相交わる審判の内容がすべての宗教の中心問題をなしているのであって、これらの解釈如何がその宗教の本質の分かれる処となるのである。聖霊が降って我らに宿り給うまでは我らはこれらにつき誤れる立場にいてこれを知らずにいるのであって、聖霊によりて新たに生れたものは始めてこの過去の誤りを示されみなこの心中の大革命を経験しているのである。これ聖霊降下の働きであって霊界における大転機である。▲「過てるを認めしめん」は「過誤を自覚させられるであろう」との意。口語訳の「世の人の目を開く」は elencho の訳としては適訳とは思われない。「自覚」「自責」等の意味であるから。
16章9節
口語訳 | 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。 |
塚本訳 | すなわち、罪についてとは、人々がわたしを信じないこと(が罪であること。) |
前田訳 | 罪についてとは、わたしを信じないため、 |
新共同 | 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 |
NIV | in regard to sin, because men do not believe in me; |
註解: 罪とはイエスに対する不信である(ヨハ15:22)ことは聖霊の働きによりて始めてこれを知ることができる(使2:37−39)。その他の罪はその結果であってこれに比すれば軽い罪である。「福音を信ぜざることはソドムの人々に倣うよりも一層悪事である」(マタ10:15、B1)。
16章10節
口語訳 | 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。 |
塚本訳 | 義についてとは、わたしが父上の所に行って、あなた達がもはやわたしを見ることができなくなること(が、わたしの父上に義とされた証拠であること。) |
前田訳 | 義についてとは、わたしが(義の)父へと去ってあなた方に見えなくなるため、 |
新共同 | 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 |
NIV | in regard to righteousness, because I am going to the Father, where you can see me no longer; |
註解: 世は義の何たるかを知らず、己の義(マタ6:1。ロマ10:2)律法の義(ガラ2:21)すなわち道徳的の義をもって真の義と考えているけれども、それは誤りであって、イエスが十字架上に贖罪の死を遂げ給いて我らを義とし同時に神の義を顕わし給い、而してイエスの義しき者に在し給うことの証として、また我らの義とせられしことの証として彼は復活昇天し給うた(ロマ4:25)。すなわち人の目には罪人の一人のごとくであったイエスは、死より甦りて父の御許に昇り給いしことによりて我らの罪が義とせられしことと、彼こそ義そのものであることが示されたのである(Tコリ1:30。Tヨハ2:1、Tヨハ2:29、Tヨハ3:7)。何となればイエスは地上においては人と同じ貌を取り給うたけれども、もし彼が単に一人の不義なる罪の人間に過ぎないならば栄光の中に神の右に昇り給うはずがないからである。このことを明らかにするものも聖霊の働きである。
16章11節
口語訳 | さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。 |
塚本訳 | また罰についてとは、この世の支配者[悪魔]が(わたしを殺したのは、わたしが罰されたのでなく、自分が)罰されたのであること。──(この三つのことを認めさせるのである。) |
前田訳 | 裁きについてとは、この世の君が裁かれたためである。 |
新共同 | また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。 |
NIV | and in regard to judgment, because the prince of this world now stands condemned. |
註解: ヨハ12:31註および辞解参照。キリストの死は人類の罪すなわち悪魔の支配に対する神の審判である。悪魔は人間の上に死の権力を有ち、人間を罪の中に閉込め死の恐怖をもって束縛していた。然るにイエスはサタンに服従せず、神の御旨に従い人間の罪を負いて死にてまた復活し給うことによりて、キリストに在る凡ての人はすでに悪魔に死して神に生くるものとなり(ロマ6:16)、悪魔との関係は断絶し悪魔は人類に対するその支配権を失った。すなわちサタンは審判 れたのである(ヘブ2:14、15)。ゆえにイエスの死は世の人の目には、イエスが神を涜すことにより審判 れしもののごとくに見えたけれども実は然らず。イエスはその復活昇天によりてその然らざることを示し、かつ人間より死の刺を取り去り、また死の恐怖と罪の束縛より人間を解放することによりて、悪魔こそすでに審判 れたのであることを示し給うた。「我既に世に勝てり」(33節)とはすなわちこれである。聖霊はこのことを明らかにし給う。
辞解
[さばかるゝに因りてなり] 「さばかれたる」であってキリスト昇天し聖霊が降り給える時より顧みて完了せる事実なることを示す。
16章12節
口語訳 | わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。 |
塚本訳 | まだ沢山言うことがあるが、(今は言わない。)あなた達にはいまそれを理解する力がない。 |
前田訳 | まだいうことは多いが、あなた方は今は耐ええない。 |
新共同 | 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 |
NIV | "I have much more to say to you, more than you can now bear. |
註解: 聖霊を受けざる者には隠されている多くの奥義がある。これらは後に聖霊によりて使徒たちに示された。教会の奥義(エペ3:5)、未来の審判の光景(黙示録)、イエスの十字架の贖罪の真の意義(ロマ書)、復活の意義(Tコリ15章[編者:原典Uコリ15となっているが間違い])等も後に至って弟子たちに一層明らかにせられた。大体使徒の書簡の内容はこの中に属するのであって、福音書と同様にこれを重んずべき所以はここにある。
16章13節 されど
口語訳 | けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。 |
塚本訳 | 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。 |
前田訳 | 真理の霊の来るとき、彼があなた方をすべての真理へと導こう。彼は自分で語らず、聞くとおりのことを語ろう。そしてやがて来ることをあなた方に告げよう。 |
新共同 | しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 |
NIV | But when he, the Spirit of truth, comes, he will guide you into all truth. He will not speak on his own; he will speak only what he hears, and he will tell you what is yet to come. |
註解: 直訳「なんぢらを凡ての真理に導き入れん」「汝ら」は使徒たちを指す。これを見ても四福音書にあるイエスの言のみを唯一の真理として使徒らの書簡の真理なることを否定する者の誤っていることを知ることができる。「なんぢらを導き」聖霊は道案内者である。
かれ
註解: イエスと同様に(ヨハ12:49)聖霊も己より語るにあらず、その語り給うことは(1)父なる神より聞けること、(2)世の終り、また来世の有様であって、キリストの贖罪、復活、再臨、新天新地の出現、万物の復興等がこれである。ゆえに人間の知識をもって知り得ざることのみである。
16章14節
口語訳 | 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。 |
塚本訳 | 彼は(こうして)わたしの栄光をあらわすのである。というのは、彼はわたしのものの中から取ってあなた達に知らせる(ので、結局わたしに代って仕事をつづける)のだから。 |
前田訳 | 彼はわたしを栄化しよう。わたしから受けてあなた方に告げようからである。 |
新共同 | その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 |
NIV | He will bring glory to me by taking from what is mine and making it known to you. |
註解: 御子なるイエスが父なる神を栄め給うと同じく(ヨハ14:13、ヨハ17:4)聖霊は御子イエスを栄め給う。キリストの栄光は神の栄光であって、恩恵と真理、愛と義とに満ち給うその人格の光である。イエスを見し者は神を見し者であり、イエスの栄光を完全に我らに示す者は聖霊である。これ聖霊が自らイエスの栄光、イエスの人格を受けてこれを聖霊御自身のものとなし、かくして我らにそれを示すからである。ゆえに聖霊がこれを示すにあらざれば我らはイエスを神の子と言うことができない(Tコリ12:3)。
16章15節 すべて
口語訳 | 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。 |
塚本訳 | 父上のものはことごとく、わたしのものである。だから(いま)、わたしのものの中から取ってあなた達に知らせる、と言ったのである。 |
前田訳 | 父がお持ちのものは皆わがものである。それゆえに、わたしから受けてあなた方に告げる、といったのである。 |
新共同 | 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」 |
NIV | All that belongs to the Father is mine. That is why I said the Spirit will take from what is mine and make it known to you. |
註解: 本節は前節の詳解であって、前節に「我がもの」と言い給えるはみな父の有ち給うものであり(コロ1:19、コロ2:9)、全く完全であること、従ってこれを受けて我らに示す聖霊は全く完全なる神を我らに示すものであることを意味する。三位の神がかく一体として働き給うことはキリスト教の信仰の秘義である。
16章16節
口語訳 | しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。 |
塚本訳 | しばらくするとあなた達はもはやわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる。」 |
前田訳 | しばらくすると、あなた方はもはやわたしを見ない。そしてまたしばらくすると、わたしを見よう」。 |
新共同 | 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」 |
NIV | "In a little while you will see me no more, and then after a little while you will see me." |
註解: 聖霊の降下およびその働きにつき語り終えて本節よりイエスはその復活につき弟子たちに告げ給う。すなわち間もなくイエスは死に給いて彼らの目より奪われ給うけれども、またしばらくして復活して彼らに現れ給うであろう(B1、B2、G1、H0、L2、W2、W1)。この後の顕現をもって聖霊の降下による霊的顕現と解するもの(ヨハ14:19、G1、M0、C1)、またキリストの再臨と解するもの(Z0)、(3)またこの三者を兼ぬるもの(A1)があるけれどもこれを復活体の顕現と見るのが最も適当していることは以下数節の註によってこれを見ることができる。有力ならざる異本には本節に「我父に往けばなり」とあり、次節により挿入せしものならん。
16章17節 ここに
口語訳 | そこで、弟子たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、『わたしの父のところに行く』と言われたのは、いったい、どういうことなのであろう」。 |
塚本訳 | するとある弟子たちは互にこう言った、「『しばらくするとあなた達はわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる』とか、『わたしは父上の所に行く』とか言われるが、あれはいったい何事だろう。」 |
前田訳 | すると弟子たちのあるものが互いにいった、「彼がいわれるのはどういうことか、『しばらくすると、あなた方はわたしを見ない、そしてまたしばらくすると、わたしを見よう』とは。それに、『父へと去り行く』とは」と。 |
新共同 | そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」 |
NIV | Some of his disciples said to one another, "What does he mean by saying, `In a little while you will see me no more, and then after a little while you will see me,' and `Because I am going to the Father'?" |
註解: 前節のイエスの御言は弟子たちにとって一つの謎であった。彼らはこれに10節の御言をも思い併せて(M0)その矛盾を解くことができず、互にその心中を語り合った。
16章18節
口語訳 | 彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。 |
塚本訳 | 彼らはつまりこう言ったのである、「『しばらく』と言われるが、あれはいったい何事だろう。何を思っておられるのかわからない』と。 |
前田訳 | そこで彼らはいった、「『しばらく』といわれるのは何か。彼がいわれることはわからない」と。 |
新共同 | また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」 |
NIV | They kept asking, "What does he mean by `a little while'? We don't understand what he is saying." |
註解: 三日目に復活し給うべきことは彼らに解し得ない謎であった(ルカ18:31−34)。
16章19節 イエスその
口語訳 | イエスは、彼らが尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで、互に論じ合っているのか。 |
塚本訳 | イエスは自分に尋ねたがっているのを知って言われた、「『しばらくするとあなた達はわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる』と言ったことを話し合っているのか。 |
前田訳 | イエスは彼らがたずねたいことを悟っていわれた、「『しばらくすると、あなた方はわたしを見ない、そしてまたしばらくすると、わたしを見よう』といったことについて互いにたずねあっているのか。 |
新共同 | イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。 |
NIV | Jesus saw that they wanted to ask him about this, so he said to them, "Are you asking one another what I meant when I said, `In a little while you will see me no more, and then after a little while you will see me'? |
註解: イエスは人の心を見てこれを悟り給う。なお マタ9:4。マタ12:25。ルカ6:8。ルカ9:47。ヨハ2:24、25。ヨハ4:16。ヨハ6:64 等多くの例をあぐることができる。
16章20節
口語訳 | よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。 |
塚本訳 | アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。 |
前田訳 | 本当にいう、あなた方は泣き悼(いた)もうが、世はよろこぼう。あなた方は悲しもうが、悲しみはよろこびとなろう。 |
新共同 | はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。 |
NIV | I tell you the truth, you will weep and mourn while the world rejoices. You will grieve, but your grief will turn to joy. |
註解: イエスの十字架の死はサタンに従うこの世の人にとっては喜びとなり、弟子たちにとっては慟哭憂苦の原因となる。しかしながらしばらくしてこの憂苦は彼の復活によりて歓喜と化すであろう。
16章21節 をんな
口語訳 | 女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。 |
塚本訳 | 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。 |
前田訳 | 女は子を産むとき悲しむ。彼女の時が来たからである。子が生まれると、人が世に生まれたよろこびのゆえに苦しみをもはや覚えていない。 |
新共同 | 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。 |
NIV | A woman giving birth to a child has pain because her time has come; but when her baby is born she forgets the anguish because of her joy that a child is born into the world. |
註解: イエスの復活はあたかも新しき神の国の初子の誕生にも比すべきものであった(ロマ8:29。コロ1:19、18。ヘブ1:6)。死のみが支配しているこの世界に永遠の生命としてイエスが甦り給うたことは驚くべきこと柄であって、そのために憂苦があることが至当である。弟子たちの憂苦はこの産みの苦痛に相当する。而して復活の主を見て喜ぶその喜悦(ヨハ20:20)はあたかも世に人の産れし時の喜悦に似ている。
16章22節
口語訳 | このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。 |
塚本訳 | だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。 |
前田訳 | そのように、あなた方も今は悲しみがある。しかしわたしがまた会うと、あなた方の心はよろこぼう。そしてだれもそのよろこびをあなた方から奪うまい。 |
新共同 | ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。 |
NIV | So with you: Now is your time of grief, but I will see you again and you will rejoice, and no one will take away your joy. |
註解: キリストの復活は彼が神の子たること(ロマ1:3)および我らの罪の赦されしこと(Tコリ15:17)かくしてサタンに打勝ちしことを示す証拠でる。それ故に復活の主顕われて彼らを見給う時、弟子たちの歓喜は大きくかつそれは永遠につづくであろう。何となればキリストは天に昇りて神の右に座し給うことが確実であるからである。如何なる敵すらも彼らよりこの喜悦を奪うことができない。前節の出産の比喩および本節の「我汝らを見ん」等は16節以下を聖霊の降下と解し難い理由である。
16章23節 かの
口語訳 | その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。 |
塚本訳 | その時には、(もはや)何事もわたしに尋ねる必要はない。アーメン、アーメン、わたしは言う、(その時)あなた達が父上に何かお願いすれば、わたしの名でそれをかなえてくださるであろう。 |
前田訳 | かの日にあなた方は何もわたしに問うまい。本当にいう、父に求めるものは何でもわが名によって与えられよう。 |
新共同 | その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。 |
NIV | In that day you will no longer ask me anything. I tell you the truth, my Father will give you whatever you ask in my name. |
註解: 復活し給えるキリストを見、而して後聖霊が彼らに注がれるその日に至らば弟子たちの心には凡ての問題解決して、もはや17、18節のごとき質問を発する必要なく、またヨハ14:5、ヨハ14:8、ヨハ14:22等のごとき質問も必要なきに至るであろう。而してキリストの神の子に在し給うことが聖霊の働きによりて明らかにされるならば、弟子たちは父の御許に在すこのイエスを通して父に祈るに至るであろう。而してイエスとの完全なる霊の交わりを有ち給う父は(ヨハ14:11)この祈りに応え、イエスの御名の故に凡ての求むるものをこれに賜うであろう。「すべて」とは大胆なる断言であるだけ重大な約束である。
16章24節 なんぢら
口語訳 | 今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。 |
塚本訳 | いままであなた達は何一つわたしの名で(父上に)お願いしなかった。(わたしがまだ父上の所に行かなかったからである。しかし今は)お願いせよ、そうすれば戴ける。あなた達の喜びが完全なものとなるためである。 |
前田訳 | 今まではあなた方はわが名によっては何も求めたことはない。求めれば受けよう、あなた方のよろこびが満たされるために。 |
新共同 | 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」 |
NIV | Until now you have not asked for anything in my name. Ask and you will receive, and your joy will be complete. |
註解: 今に至るまでは未だイエスの復活を目撃しないので、弟子たちはイエスに対する人格的信頼は有っていたけれども、イエスの御名によりてすなわちイエスを神の右に座し給う主、神に代りて支配し給う王と信じ、このイエスによりて子とせられし者として父に祈り求めたことはなかった。しかしながらイエスが復活して父の御許に昇り給うならば、その時こそイエスはその信徒に対し復活の主として活き給うが故に、イエスの御名によりて求むることの当然なることを知り、かくして求むるもの(ヨハ15:7)はみなこれを与えられることを知るであろう(ヨハ15:16)。かくしてイエスとの霊の交わりの歓喜を味わうことを得るであろう。求むるものを凡て受くる状態は最も幸福なる状態である。キリスト者はその凡ての要求を完全に充たされるものである。(現在においてすでにその一部を充たし、未来において全部が実現する。)
16章25節
口語訳 | わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。 |
塚本訳 | 以上わたしは(天のことを地上の事柄になぞらえて)謎のように話したが、(間もなく)もはや謎のように話さず、そのものずばりに父上のことを知らせる時が来る。 |
前田訳 | わたしはこれらをあなた方に譬えで話した。しかし時が来て、もはや譬えで話さず、明らかに父について告げよう。 |
新共同 | 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。 |
NIV | "Though I have been speaking figuratively, a time is coming when I will no longer use this kind of language but will tell you plainly about my Father. |
註解: その時は聖霊降下の時であって、その時には父と子と聖霊の本質ならびに関係が明らかにせられ、これを譬えによらずありのままに語ることができるようになる。すなわち聖霊によりてイエスは直接に大胆に自由に父のことを示し給う。
口語訳 | その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。 |
塚本訳 | その時あなた達は、(前に言ったように)わたしの名で(父上に)お願いするのである。しかし(わたしの名で、と言っても、)それはわたしがあなた達のために父上に願ってあげると言うのではない。(その必要はない。) |
前田訳 | その日に、あなた方はわが名によって求めよう。しかし、わたしはあなた方のために父に願おうとはいわない。 |
新共同 | その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。 |
NIV | In that day you will ask in my name. I am not saying that I will ask the Father on your behalf. |
註解: 聖霊によりて父とキリストとの関係を知るに場合には自らキリストの御名によりて祈るに至るであろう。
註解: 聖霊降臨以前にはイエスは彼らのために父に請い給うた(ヨハ14:6、ヨハ17:9)。聖霊が一旦降臨し給える後はキリストの御名によりて信者が自ら神に祈願することができる。ロマ8:34。ヘブ7:25。Tヨハ2:1の執成しは勿論必要であって、これは信者が罪に陥った場合のことで祈りの場合ではない。
16章27節
口語訳 | 父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。 |
塚本訳 | なぜなら、あなた達がわたしを愛し、またわたしが神のところから出てきたことを信じたので、父上御自身で(直接)あなた達を愛しておられるからである。 |
前田訳 | 父ご自身あなた方を愛されるからである。それはあなた方がわたしを愛し、わたしが神からの出と信じたからである。 |
新共同 | 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。 |
NIV | No, the Father himself loves you because you have loved me and have believed that I came from God. |
註解: 永遠に活き給うキリストに対する愛とキリストを神の独り子と信ずる信仰とは聖霊の賜物であって、父なる神の最も喜び給う処である、それ故に父は自らかかる者を愛してその祈りを聴き給う。ゆえにキリストの復活栄化と聖霊の降臨によりて我らはキリストを通して直ちに神に接することができる。▲「父より出で来りし」は適訳ではない。「父の御許を離れ来りし」の意。
16章28節 われ
口語訳 | わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。 |
塚本訳 | (くりかえして言う、)わたしは父上のところから出てこの世に来たが、またこの世を去って父上の所にかえるのである。」 |
前田訳 | わたしは父から出て世に来た。また世を去って父へと行く」と。 |
新共同 | わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」 |
NIV | I came from the Father and entered the world; now I am leaving the world and going back to the Father." |
註解: イエス・キリストは父なる神と同質に在し給うたのを、その父より出でてこの世に来り給うた。而して今やその使命を果し給える以上再び父の許に帰り給うことは当然の順序である。このことを信じ得るならば弟子たちはイエスの死について憂うることをしないであろう。
16章29節
口語訳 | 弟子たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません。 |
塚本訳 | 弟子たち(はイエスの言葉の意味を取りちがえて)言う、「まあ、今あなたははっきりお話になって、ちっとも謎を言われません。 |
前田訳 | 弟子たちはいった、「こんなに明らかにお話しで、何ごとも譬えではいわれません。 |
新共同 | 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。 |
NIV | Then Jesus' disciples said, "Now you are speaking clearly and without figures of speech. |
16章30節
口語訳 | あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。 |
塚本訳 | あなたはなんでも御承知で、だれもお尋ねする必要がない(ほど人の心を見抜かれる)ことが、今わかりました。これでわたし達は、あなたが神のところから出てこられたことを信じます。」 |
前田訳 | あなたはすべてをご存じで、だれもおたずねしなくてよいことが、今わかります。これで、神からお出のことを信じます」と。 |
新共同 | あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」 |
NIV | Now we can see that you know all things and that you do not even need to have anyone ask you questions. This makes us believe that you came from God." |
註解: 弟子たちは以上のイエスの御言(20−28節)によりて、現在において理解し得べきことおよび将来に期待し得べきことの凡てをイエスの口より示され、イエスの全知とイエスが質問を要せずして凡ての答弁を与え給うこと(17-19節)を見た。ここにおいて彼らの不安は去り、疑惑は除かれ、ついにここに改めて最も明らかにキリストを神の子とするの信仰の告白に到達した(ヨハ1:49。ヨハ4:19、ヨハ4:29、ヨハ4:42)。
16章31節 イエス
口語訳 | イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。 |
塚本訳 | イエスは(いとおしげに彼らを見やりながら)答えられた、「いま信ずるというのか。 |
前田訳 | イエスは答えられた、「今信ずるのか。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。 |
NIV | "You believe at last!" Jesus answered. |
16章32節
口語訳 | 見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。 |
塚本訳 | 見ていなさい、みなちりぢりになって自分の家にかえり、わたしを独りぼっちにする時が来るから、いや、もう来ている。しかしわたしは独りぼっちではない、父上がいつも一しょにいてくださるのだから。 |
前田訳 | 見よ、おのおのが散らされて家に行き、わたしひとりを残す時が来る。もう来ている。しかしわたしはひとりではない。父がともにいてくださるから。 |
新共同 | だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。 |
NIV | "But a time is coming, and has come, when you will be scattered, each to his own home. You will leave me all alone. Yet I am not alone, for my Father is with me. |
註解: イエスは彼らの信仰告白を喜び給うたに相異ない。しかしながら彼は人の心の弱さを知悉 し給いて、彼らがやがてキリストを棄てて己の安全を謀るごとき恥ずべき態度を取るに至る時が近付いたことを示して我らの弱きを示し、これを警戒し給うた(マタ26:31)。しかしながら彼らがかかる態度を取るに至った場合でもイエスの心は絶対に平安であった。その故はイエスは唯一人居給うにあらずして父と偕に在し給うからである。イエスは大なる淋しさの中になお父の愛と父に対する信頼によりて慰められ給うた。
16章33節
口語訳 | これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。 |
塚本訳 | これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」 |
前田訳 | これらをいったのは、あなた方がわたしにあって平安を持つためである。世にあって、あなた方にはなやみがある。しかし、安んぜよ、わたしはすでに世に勝っている」と。 |
新共同 | これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 |
NIV | "I have told you these things, so that in me you may have peace. In this world you will have trouble. But take heart! I have overcome the world." |
註解: 14:1以下においてイエスの語り給いし諸々の御言の結論としてイエスはここにその要約を為し給うた。すなわちイエスの死とその後に来るべき弟子たちに対する迫害に際して、彼らをして霊の平安を持たしめんことがこの長き袂別 の辞の眼目であった。而してこの平安はイエスの御言を信じ、彼に在りて彼との霊交を持続することより外にない。而して神より出でて神に帰り給う彼との交わりを有つ場合においては、離別の悲哀と迫害の苦痛の中に在りても彼らは不動の平安を保つことができる。後に残らんとする弟子たちに対するイエスの切なる愛を味わわなければならぬ。
なんぢら
註解: 弟子たちの受くべき迫害についてはすでにヨハ15:18−25において示された。しかしそれは世にある間だけのことである。彼らの主イエス・キリストは「既に世に勝ち」給い、悪魔をして一指も彼に触れしめなかった。これこそ完全に世に打勝ちし生涯である。(死に打勝ち復活し給いしはその結果であった。)而してこのイエスを主と仰ぐ弟子たちは如何なる苦難の中にあっても、絶対の勝利を確信して雄々しい態度を失わないことができる。イエスがすでに世に勝ち給えると同じく彼らももしイエスに在るならば同じく世に勝っているのである。
要義 [イエスの袂別の辞の概観]十四章乃至 十六章のイエスの袂別 の辞は聖書中の最大偉観である。時はイエスの十字架を眼前に見ることができる切迫せる場合であった。処はエルサレム、機会は最後の晩餐ともいうべき過越の祭の時であった。人はイエスと十二使徒(後に十一使徒)であった。イエスの死は弟子たちの上に当然に大なる絶望と震駭とを来すべきであった。これに対しイエスは彼らを励まし、慰め、力付け、望みを与え給うた。彼はまずその死は永遠の離別ではなく、天国において永遠に彼らと共に住むべき準備に過ぎざることを示し(14:1−5)、次にイエスと父との関係を示してその霊的一体の秘義を明らかにし(14:6−11)、次にイエスと弟子たちとの間の霊的一体の秘義を示し(14:12−14)、次に聖霊の降臨と、これに伴う三位の神と我らとの関係を示し(14:15−24)、而してこれらの諸関係を明らかならしむるは聖霊の働きなることを示して、イエスの死は彼らの心を騒がすべきではなく、むしろ喜ぶべきものであることを教え給うた。ここにキリスト教の神人関係の秘義があると共に、また現実の問題としてイエスと別れる弟子たちに対する大なる慰安がある。
而してイエスはさらに進んで霊をもってイエスに連なることの真理を説き給うた。すなわちイエスとの霊の交わりを持続するの条件はその誡命を守ることであり、その結果はよき果を結びて益々潔められることであることすなわちこれである(15:1-17)。しかしながら一方かかる幸福なる状態を考え得ると共に、他方弟子たちはこの世に在りて迫害を受けなければならないことをも考えなければならぬ(15:18−16:4)。それにもかかわらずイエスの死は彼らの幸福である。その故は第一に聖霊の降下であって、これによって彼らはかつて有たざりし霊の悟りを有つに至り(16:5−15)、第二にイエスの復活であって、これに伴って聖霊の内住とイエスの在天の支配とがあり、かくして弟子たちの一時の悲哀は永遠の歓喜と希望に代り(16:16−30)、而して最後に彼らに平安の約束と勝利の確信とを与えてこの説教を結んでいる(16:31−33)。
この全篇を通覧する時、そこに絶大なる悲劇があると共に永遠不死の希望があり、全き敗北と共に完全なる勝利があり、絶望的の弱さの中に何物にも動かされざる勇気があり、この世の交わりは絶えて美わしき天国の霊交に入るの約束を見ることができる。まことにキリストの袂別 に相応しきものであると言わなければならぬ。この全問題を正解してこれを実現する者は真のキリスト者と称することができるであろう。
ヨハネ伝第17章
4-3 大祭司としてのイエスの祈
17:1 - 17:26
4-3-1 自己の栄光のための祈
17:1 - 17:5
註解: 弟子たちに対する
袂別 を終えてイエスはそのまさに完成せられんとする救済の御業を思いて自ら心は天の神に向けられた。而してここに大祭司としての祈りが捧げられたのである。而して1−5節は自己の栄光のため、6−19節は弟子のため、20節以下は後に加えらるべき信徒のための祈りである。この祈祷はイエスがまさにその業を完成し、自己を捧げて犠牲たらしめんとしたるその刹那の祈りであって、絶大なる愛をもって弟子たちおよび信者に対する保護と聖別と一致と完成と霊交とを父なる神に祈り給うたのである。この祈りをもってイエスは己を十字架に釘 け給うた。ゆえにこの祈りを読む者も、イエスに従いて彼と共に祈り、彼と共に十字架に釘 くの心をもってして始めてその真意を解することができるのであって、註解をもってこれを説明することはできない。「本章は全聖書中語として最も容易であるけれども、その意味する観念としては最も深い」(B1)。
17章1節 イエスこれらの
口語訳 | これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。 |
塚本訳 | イエスはこれらのことを話されると、目を天に向けて(祈って)言われた、「お父様、いよいよ時が来ました。子があなたの栄光をあらわすために、どうか(子を十字架につけて、)子に栄光を与えてください。 |
前田訳 | これらを話してからイエスは天を見あげていわれた、「父上、時が来ました。あなたの子を栄化してください、子があなたを栄化するために。 |
新共同 | イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。 |
NIV | After Jesus said this, he looked toward heaven and prayed: "Father, the time has come. Glorify your Son, that your Son may glorify you. |
註解: イエスは時に平伏して祈り、時に目を挙げて天を仰ぎつつ祈り給うた。各その場合に適せる自由なる態度を取り給うたのである (マタ26:39。ヨハ11:41、ヨハ17:1。なおルカ18:13。使7:55参照) 。必ずしもこの場合室外に出てまたは窓より天を望み給えるものと解する必要はない。唯イエスの態度が天を仰ぐの態度であったことを示す。
『
註解: 「父よ」はアラミ語の「アバ」でこの祈りの中に六度あらわれており(1、5、11、21、24、25節)みな祈りの中の主要の問題と関連を持っている。「時」はイエスの死して栄光に入り給うべき時であり、イエスはこの栄光を与えられて復活昇天せんことを父に祈った。蓋しこれによりて十字架の死が虚しき死にあらずして万民を救わんための父の御旨なることが証拠立てられ、父の栄光が顕わされるからである。イエスは単にこの栄光としてこれを欲し給うたのではない。(第4節参照)
辞解
[栄光を顕す] 原語 doxazô = glorify 「栄める」ことである。
17章2節
口語訳 | あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。 |
塚本訳 | あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権を子に与えられたのですから。 |
前田訳 | あなたは全人類への権威を子にお与えでした、あなたが子にお与えのものすべてに永遠のいのちを与えるために。 |
新共同 | あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。 |
NIV | For you granted him authority over all people that he might give eternal life to all those you have given him. |
註解: 前節の祈りの至当なることの理由をイエスは本節において述べ給うた。すなわち「万民の上に権威」(直訳)を与えられ給いし御子として、死に打ち勝ちて栄光の生涯に入り給うことは当然の必要である。而してこの権威はイエスが私欲を充たさんためのものにあらずして、父より賜りし凡ての人々に永生を与えんがためのものである以上なおさらのことである。すなわちイエスが死より甦りて父の御許に栄光の生涯に入らんことを祈り給えることは極めて至当の事柄であった。
辞解
[汝より賜はりし] 父引き給うにあらずばキリストに来る者はない(引照3)。
[萬民] 原語「凡ての肉」ヘブル語の用法で万民を意味し、この際万民の復活を語らんがために最も適当の用語であった。
17章3節
口語訳 | 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。 |
塚本訳 | 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。 |
前田訳 | 永遠のいのちとは、ただひとりの真の神にいますあなたとあなたがおつかわしのイエス・キリストを知ることです。 |
新共同 | 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 |
NIV | Now this is eternal life: that they may know you, the only true God, and Jesus Christ, whom you have sent. |
註解: イエスはここに永遠の生命についての讃美ともいうべき一節をその祈りの中に述べ給うた。すなわち永遠の生命とは唯何らかの生命の単なる永続ではない。もしかかるものであるならばそれは無意味にしてかつ詛わるべきものたるに過ぎない。永遠の生命は実は「汝唯一の真の神」を知ることである。この「知る」とは単に理知をもってする承認ではなく人格的の理解であって、従って直ちに信頼の情となる処のものである。「唯一の真の神」なる語によって他の凡ての神々および偶像を排斥して信仰の中心を明らかにし給うた。「汝の遣わし給いしイエス・キリスト」をこれに加うることによりてキリストは神より遣わされ給いし独立の人格に在すことを示すと同時に、また唯一の神に在すことを示し、彼を知ることなしに神を知ることができず、彼を信ぜずして永遠の生命に与ること能わざることを示し給うた。ここに神学的説明としてに非ず、信仰の事実としキリストと神との二つにして一つに在すことの真理が闡明 せられているのである。イエスが常に人の子なる名称を用い給いしにかかわらず、ここに始めて御自身をイエス・キリストと呼び給いしことに関し、疑いを挿む人があるけれどもその必要はない。実にこの瞬間はイエスおよび全人類にとって最も特別の瞬間であって、イエスは己の全資格を唯一度ありのままに示し給うことが必要であったのである。その後使徒を初め全キリスト教会は常にこの名をもって主を呼び奉った。
17章4節
口語訳 | わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。 |
塚本訳 | わたしは、わたしにさせようとして賜わりました仕事を成しとげて、地上にあなたの栄光をあらわしました。 |
前田訳 | わたしにするようお与えのわざを終えて、地上であなたを栄化しました。 |
新共同 | わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。 |
NIV | I have brought you glory on earth by completing the work you gave me to do. |
註解: イエスはここにその生涯を顧みその成し遂げし業を見て、そこに一つも欠くる処なく、父の賜いし凡ての業を完全に成就し給いしことを思い給うた。(十字架の死はなお未来のことに属していたとはいえ、イエスはこれをもすでに完成せられし業として取扱い給うた。)何人が自己につきかく断言し得るものがあろうか。かく断言し得るものは神に在せるキリストより外にない。而してかく完全に父の御業を成遂げ給いしことによりて父の栄光が著しく顕われたのである。これが次節の祈願の理由である。
17章5節
口語訳 | 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。 |
塚本訳 | だからお父様、(今度は)あなたが、わたしの栄光を──世界が出来る前にあなたのところで持っていたあの栄光を──今、あなたのところで持たせてください。 |
前田訳 | 今は、父上、あなたがわたしをあなたのもとで栄化してください、世の存在する前にあなたのもとでわたしが持っていた栄光によって。 |
新共同 | 父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。 |
NIV | And now, Father, glorify me in your presence with the glory I had with you before the world began. |
註解: ヨハ1:1、2註参照。イエスはその復活と昇天とによりて万物の創造に先立てるロゴスとしての栄光に帰らしめられんことを父に祈願し給うたのである。ただしイエスがその栄光を捨て給いしは受肉の時であって(ピリ2:5以下)、万物の創造の時ではない。ゆえにここでは時の始まる前(万物創造によりて「時」が始まる)すなわち永遠の存在者としての栄光を意味する。またこの栄光は地上に歩み給えるイエスの栄光(ヨハ1:14)よりも一層完全なる栄光である。以上をもってイエスはその死を眼前に見つつ、その当然受け給うべき栄光につきて父に祈願し給うた。次節よりは弟子たちに関する祈願となる。▲「汝と偕に」は para soi で「汝の御前にて」の意。▲▲「御前にて」も同様 para seautô で「汝自身の御前にて」の意。
17章6節
口語訳 | わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。 |
塚本訳 | わたしは、あなたがこの世から(選び出して)わたしに下さったこの人たち[弟子たち]に、あなたの名を──(あなたについての一切のことを)──知らせてやりました。彼らはもとあなたのものであったのに、わたしに下さったのです。彼らは(わたしが教えた)あなたの言葉を守りました。 |
前田訳 | 世からわたしにお与えの人々にあなたのみ名を示しました。あなたのものであった彼らをわたしにお与えでした。彼らはあなたのおことばを守りました。 |
新共同 | 世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。 |
NIV | "I have revealed you to those whom you gave me out of the world. They were yours; you gave them to me and they have obeyed your word. |
註解: イエスの己の栄光を求め給いし所以は、これにより弟子たちをも全うして神の御業を成就せんがためであった。従って本節以下においてイエスは弟子たちにつき祈り給う。6−8節は弟子たちに対するイエスの働きと弟子たちの信仰を略述している。すなわち神は己に属する凡てのものをキリストに与え給い、キリストは彼らに彼自身を示すことによりて父の御名をあらわして彼らを信仰に導き、彼らは父の言を守りてその信仰を告白している。最も美わしき霊的関係である。
17章7節
口語訳 | いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。 |
塚本訳 | 今彼らは、あなたがわたしに下さったものは、(言葉も業も)何もかも皆、(人間からでなく)あなたから来たことを知りました。 |
前田訳 | 今彼らは、わたしにお与えのものがすべてあなたからであることを知りました。 |
新共同 | わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。 |
NIV | Now they know that everything you have given me comes from you. |
17章8節 (そは)
口語訳 | なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。 |
塚本訳 | すなわち、わたしは賜わりました言葉を(そのまま)彼らに伝え、彼らはそれを受けいれて、わたしがあなたのところから出てきたことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じたのであります。 |
前田訳 | わたしにお与えのことばを彼らに与えました。彼らはそれらを受け、わたしがあなたからの出であると本当に知り、あなたがわたしをおつかわしのことを信じました。 |
新共同 | なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。 |
NIV | For I gave them the words you gave me and they accepted them. They knew with certainty that I came from you, and they believed that you sent me. |
註解: 「我に賜ひしもの」はイエスの言、行、性質、使命、栄光などの凡てを含む。これらがみな父より出でしこと、すなわちイエスのキリストに在すことを弟子たちは知った。換言すれば弟子たちは神の言を守るのみならず(前節)またイエスの神の子たること(汝より出たること)を知り、またその使命(汝の我を遣わし給いしこと)を信じ、またイエスの言が父イエスに在りて語り給うことを知ってこれを受けたからである(ヨハ12:49、50)。
17章9節
口語訳 | わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。 |
塚本訳 | わたしがお願いするのは、この人たちのためであります。この世の(一般の人々の)ためでなく、わたしに下さった人たちのために、お願いするのです。というのは、(第一には、)あの人たちはあなたのもの、 |
前田訳 | わたしは彼らのためにお願いします。世のためではなく、あなたがわたしにお与えの人々のためにお願いします、彼らはあなたのものですから。 |
新共同 | 彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。 |
NIV | I pray for them. I am not praying for the world, but for those you have given me, for they are yours. |
註解: キリストの願いはまず第一に専ら弟子たちのために神に向けられた。「世のためにあらず」とはこの願いの特に神の御心に留まるべきものなることを示しているのであって、世の審判または滅亡への予定または世のための執成しの否認を意味しているのではない。すなわち第一の理由として神よりイエスに賜りし神のものたる弟子たちのためなれば特に心を用い給わんことを祈っているのである。
17章10節
口語訳 | わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。 |
塚本訳 | ──わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものは(皆)わたしのものであります。──また、わたしは彼らによって(あなたの子と信じられ)栄光を受けたからであります。 |
前田訳 | わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。彼らによってわたしは栄化されました。 |
新共同 | わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。 |
NIV | All I have is yours, and all you have is mine. And glory has come to me through them. |
註解: 前節後半の詳述であって、父と子との万物共有の真理を示す。これが弟子たちのために祈る第一の理由である。その弟子をかくして父の保護に托する彼の愛を思うべきである。
註解: 弟子たちのために祈願する理由の第二である。すなわち弟子たちはイエスを信じ、彼の福音を宣伝え、彼のために殉教の死を遂げ(イエスは未来に起るべき事柄を現在の事実として取扱い給うことが多い。M0)、かくしてイエスの栄光を顕わした。それ故に彼らのために祈り給うた。
17章11節
口語訳 | わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。 |
塚本訳 | また第二には、わたしはもうこの世にいなくなります。彼らはこの世にのこっており、わたしはあなたの所に行ってしまいます。(だから)聖なるお父様、どうか(彼らに知らせるため)わたしに下さいましたあなたの名で、(あとにのこっている)彼らをお守りください。わたし達(あなたとわたし)のように、彼らが一つとなるためであります。 |
前田訳 | もはやわたしは世にいなくなり、彼らは世に残り、わたしはあなたのところへまいります。聖い父上、わたしにお与えのあなたのみ名で彼らをお守りください、われらのように彼らがひとつになるように。 |
新共同 | わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。 |
NIV | I will remain in the world no longer, but they are still in the world, and I am coming to you. Holy Father, protect them by the power of your name--the name you gave me--so that they may be one as we are one. |
註解: これが弟子たちのために祈る第三の理由である。すなわちイエスが弟子たちを離れ去るが故に、特に彼らを父に托することの必要が切迫したのであった。
註解: 「聖なる」を附加した所以は弟子たちの住む穢れし世との対照を明らかにせんためである。イエスの弟子たちのために祈り給いし第一の祈りは「父の御名の中に」すなわち神の御名が崇められ(マタ6:9)父の愛が支配する世界の中に、換言すればこの世より全く聖別せられし世界に弟子たちを保ち護り給わんことであった。而してその目的は彼らがみな心を一つにし、信仰を一つにし相愛し、また父と子とを愛して一団となるがためである。この霊的一致はすでに神とキリストとの間には完全に実現していた。
辞解
[我に賜ひたる御名] キリスト、神を父と呼び給いしことを意味する。異本には「我に賜いたる彼ら」とあり。
17章12節
口語訳 | わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。 |
塚本訳 | わたしが一しょにいた間は、わたしに下さいましたあなたの名で彼らを守り、また保護していました。だから彼らのうちだれ一人滅びた者はありません。ただ聖書が成就するために、あの滅びの子(ユダ)が滅びただけです。 |
前田訳 | 彼らといっしょのとき、わたしにお与えのあなたのみ名で彼らを守り、つつがなくしまして、彼らのだれひとり滅びませんでした。滅びの子は別ですが、それは聖書が成就するためです。 |
新共同 | わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。 |
NIV | While I was with them, I protected them and kept them safe by that name you gave me. None has been lost except the one doomed to destruction so that Scripture would be fulfilled. |
註解: イエスこの世に居給いし間は弟子たちを父に対する信仰と父との交わりの中に保ち、完全に父の御名の中に保存しかつ保護し給うた(ヨハ18:9)。(イエスはここにも未来をも過去の事実の中に包含している。)この父の御名をば神はイエスに与えて父を示さしめ給うた。而してイスカリオテのユダ一人を除いては一人も亡びに行ったものはない。然のみならずユダの滅亡もイエスの保護が不完全であった為ではなく、聖書(詩41:9)の預言が成就せんため、すなわち神の御旨によるのであった。かくまで愛護を垂れ給える弟子たちを離れんとし給う場合に当りて、イエスはその保護を神に祈らざるを得ない。
17章13節
口語訳 | 今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。 |
塚本訳 | しかしわたしは今あなたの所に行きます。(だから彼らのことをお願いします。)そして(まだ)この世にいる間にこれを申し上げるのは、(彼らがこの祈りをきいて、自分たちがあなたに守られていることを信じ、)わたしのもっている喜びを、彼らも自分で完全にもつことが出来るためであります。 |
前田訳 | 今あなたのところにまいります。これらを世にあるうちにいうのは、彼らのうちにわがよろこびが満たされるためです。 |
新共同 | しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。 |
NIV | "I am coming to you now, but I say these things while I am still in the world, so that they may have the full measure of my joy within them. |
註解: イエスはこの世においてすなわち弟子たちの前にてこの祈りをささぐる所以は、イエスの昇天の後にも弟子たちは失望落胆することなく、彼らの心中にこのイエスの喜び(ヨハ15:11註)が充たされ、たといイエスが父の許に赴き給うとも弟子たちが喜びの中にいることができるようにとの愛心からである。
辞解
[語る] lalein は大声にて語ること。
17章14節
口語訳 | わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。 |
塚本訳 | 第三には、わたしは彼らにあなたの言葉を伝えました。(彼らはそれを受け入れました。)するとこの世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らも(もはや)この世のものでないからであります。(だから彼らのことをお願いします。) |
前田訳 | わたしは彼らにおことばを与えました。すると世は彼らを憎みました。わたしが世の出でないように、彼らが世の出でないからです。 |
新共同 | わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。 |
NIV | I have given them your word and the world has hated them, for they are not of the world any more than I am of the world. |
註解: イエスは父に向って弟子たちのこの世における運命を訴え、而してかかる運命(ヨハ15:19参照)に逢う所以が父の御言を彼らに与えしがためなることを述べた。これによりて彼らをこの困難より守り給わんことを求め給うた。
17章15節 わが
口語訳 | わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。 |
塚本訳 | (しかし)わたしの願いは、彼らを(早く)この世から(安全な所に)移していただくことでなく──(彼らには果たすべき務めがあります)──悪い者(悪魔)から守っていただくことです。 |
前田訳 | わたしがお願いするのは、彼らを世からお移しになることではなく、悪からお守りになることです。 |
新共同 | わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。 |
NIV | My prayer is not that you take them out of the world but that you protect them from the evil one. |
註解: イエスは神に弟子たちを保護し給わんことを祈った。その保護の内容を本節が明らかにしているのである。前節のごとく世は弟子たちを憎んでいるけれども、イエスは弟子たちを死により、またはイエスと共に昇天することにより、或はその他の手段によりてこの世より他に移し給わんことを父に請わなかった。彼らはなおこの世において為すべき多くの仕事を有っていたのである。イエスの求め給いしことは神が彼らを守りて(12節)悪魔より救い出し給わんことで、この世において最も恐るべきものは悪魔の力であり、弟子たちも神の守護なしにはこれに対抗することができない。
辞解
[悪より] 「悪しき者より」とも訳すことができ、マタ6:13およびTヨハ2:13、14。Tヨハ3:12。Tヨハ5:18、19より見れば後者が優っている。「悪しき者」は悪魔のこと。
17章16節
口語訳 | わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。 |
塚本訳 | わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。 |
前田訳 | わたしが世の出でないように、彼らは世の出ではありません。 |
新共同 | わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。 |
NIV | They are not of the world, even as I am not of it. |
17章17節
口語訳 | 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。 |
塚本訳 | どうか彼らを(その務めのために)真理で聖別してください。──あなたの言葉が真理であります。 |
前田訳 | 彼らを真理でお聖めください。あなたのおことばが真理です。 |
新共同 | 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。 |
NIV | Sanctify them by the truth; your word is truth. |
註解: イエスは14、15節において弟子たちを悪魔より守り給わんことを請える後、ここにまた彼らを聖別せんことを祈り給うた。単に消極的に悪魔より救出されるのみにては足りない。さらに聖別せられてイエスが彼らに伝え給える真理すなわち神の言の中におり、この世の主義より絶縁しなければならない。
辞解
[潔め別つ] 「聖別する」と訳すべきであって、神殿用の器具のごとく専ら神のためのみに用いられることを意味する。本節の場合にも弟子たちが専ら福音の宣伝のために聖別せられることを意味する。ヨハ10:36辞解参照。
[真理にて] en tê alêtheia は「真理の中に」とも訳することができ(A1、M0、H0)この訳が最も適当と思われる、また「誠に」と訳する学者もある(C2、C1、T0、G1)。
17章18節
口語訳 | あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。 |
塚本訳 | あなたがわたしをこの世に遣わされたように、わたしも彼らをこの世に遣わしました。 |
前田訳 | あなたがわたしを世におつかわしのように、わたしも彼らを世につかわしました。 |
新共同 | わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。 |
NIV | As you sent me into the world, I have sent them into the world. |
註解: 前節と本節および次節との関係は11節と12節の関係と同じく、弟子たちの聖別を請うて後その理由に及んでいるのであって、本節ではまずイエスが彼らに為し給えること、すなわち弟子たちを世に(eis = into)遣わして伝道を開始せしめ給うたことを示し、これが彼らの特に真理の中に聖別されることを必要とする所以であることを述べんとしているのである。
17章19節 また
口語訳 | また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。 |
塚本訳 | わたしは彼らのために自分を(清い供え物として)ささげます。彼らも本当に聖別されるため、(そしてあなたの御用に立つ者となるため)であります。 |
前田訳 | 彼らのためにわたしはみずからを聖別します、彼らも真理によって聖別されるように。 |
新共同 | 彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。 |
NIV | For them I sanctify myself, that they too may be truly sanctified. |
註解: イエスは世に遣わされ給うたためにその全身を神に献げて聖別し給うた。これ弟子たちも彼と同じく真正の意味において聖別され全身全霊をキリストに献げて全人類の救済のために神の御用を勤めんがためである。イエスは己の力によって己を聖別し給うたけれども、弟子たちをば助け主なる聖霊を送りてこれを聖別し給う。
辞解
[真理にて] en alêtheia は17節と異なり(17節 en tê alêtheia )冠詞なく、従って「真に」「実際」等と訳すべきである。なおヨハ4:23。マタ22:16。Uコリ7:14。コロ1:6。Tヨハ3:18。Uヨハ1:1、Uヨハ1:3、4。Vヨハ1:1、Vヨハ1:3、4も同様なり(A1、G1、M0、Z0等)。
17章20節
口語訳 | わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。 |
塚本訳 | しかし(すでに信じている)この人たち(弟子たち)のためだけでなく、(これからさき)その言葉によって、わたしを信ずる人たちのためにもお願いします。 |
前田訳 | わたしがお願いするのは彼らのためばかりでなく、彼らのことばによってわたしを信ずるもののためにもです。 |
新共同 | また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。 |
NIV | "My prayer is not for them alone. I pray also for those who will believe in me through their message, |
註解: 弟子たちの聖別の結果、その伝道によりてキリストを信ずる者に対してイエスはここにその祈願を述べ給う。
口語訳 | 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。 |
塚本訳 | ──どうか、みんなの者が一つとなりますように。どうか、お父様、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにおると同じく、彼らもみなわたし達[あなたとわたし]におりますように。これはあなたがわたしを遣わされたことを、この世に信じさせるためであります。 |
前田訳 | すべてがひとつであるように、父上、あなたがわたしにあり、わたしがあなたにあるように、彼らもわれらにあり、あなたがわたしをおつかわしと世が信じますように。 |
新共同 | 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。 |
NIV | that all of them may be one, Father, just as you are in me and I am in you. May they also be in us so that the world may believe that you have sent me. |
註解: 凡ての信徒が(使徒も平信徒も)みな霊的一致の状態を保つのがイエスの切なる願いであった(ロマ12:16、ロマ15:6。Tコリ1:10。ピリ2:2。エペ4:3)。
註解: 彼らが一つとなるがためにはその最高の模範としてキリストはその父との霊交を示して、彼らもかくのごとき態度をもって神とイエスの中に居らんことを望み給うた。ゆえにこの一致は神とキリストとの関係のごとく愛と服従の霊的関係であって教理や形式上の一致ではない。▲口語訳の如く「父よなんぢ我に在し我なんぢに居るごとく」を「皆一つとならん為なり」にかけて訳す方が原文に忠実である。
註解: 凡ての信徒が上述のごとき意味において完全にして美わしき霊的一致を保ち、神とキリストとの霊の交わりにおいて生き、また働くならば、世は彼らを見てキリストの神より遣わされし神の子に在すことと、神が彼らを救わんがためにキリストを遣わし給えることを知るに至るであろう。
17章22節
口語訳 | わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。 |
塚本訳 | またわたしは、あなたがわたしに下さいました栄光(──この世にあなたの栄光を現わす力──)を、彼らに与えました。わたし達が一つであるように、彼らも一つとなるため、 |
前田訳 | あなたがわたしにお与えの栄光を彼らに与えました。われらがひとつのように、彼らもひとつになるためです。 |
新共同 | あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 |
NIV | I have given them the glory that you gave me, that they may be one as we are one: |
註解: キリストの父より受けし栄光は「恩恵と真理」すなわち「愛と義」であった(ヨハ1:14註参照)。この恩恵と真理が発露して或は奇蹟となり(ヨハ2:11。ヨハ11:4)或は審判となり(ヨハ5:23)またはその十字架の死となり(ヨハ12:28。ヨハ13:31)また復活昇天となった。イエスはこの「愛と義」およびこれより生ずる凡ての能力を信徒の心にも頒ち与え賜い、これによりて神とキリストとが同質なるごとく信徒をも同じ性質のものたらしめ、かくして本質的(形式的にあらざる)一致を来さしめ給うた。
辞解
[栄光] この「栄光」の何を意味するやについては説多し。使徒職、奇蹟を行う力、父と子の霊交、未来の王国、神の愛を受くる状態。
17章23節
口語訳 | わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。 |
塚本訳 | すなわち、わたしが彼らにおり、あなたがわたしにおられて、彼らが完全に一つとなるためであります。また(それによって、)あなたがわたしを(この世に)遣わされたこと、すなわちあなたはわたしを愛されたように彼らを愛されたことを、世の人に知らせるためであります。 |
前田訳 | わたしが彼らにあり、あなたがわたしにあって、彼らが全うされてひとつになるためです。そして、あなたがわたしをつかわされたこと、わたしを愛されたように彼らを愛されたことを世が知るためです。 |
新共同 | わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。 |
NIV | I in them and you in me. May they be brought to complete unity to let the world know that you sent me and have loved them even as you have loved me. |
註解: 前節の説明であって、神とキリストと信徒との間の霊的一致の状態はかくのごとくに完全なものでなければならないことを示す。▲この意味で今日の教会の分離は20−22節に対する明白な違反である。
註解: 一般信徒の表わす霊的一致により、世がキリスト者と神およびキリストとの関係を知ることができる。世の人の知ることを必要とする諸点は、キリストが神より遣わされ給いしメシヤなることと、神がその独り子を愛するごとき愛をもって彼を信ずる者を愛し給うということができる。もし世が真にこの深き愛を知ったならば、彼らは神を拒むことができないであろう。すなわち信徒の霊的一致は世に対する神の愛の証である。
17章24節
口語訳 | 父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。 |
塚本訳 | お父様、あなたがわたしに下さいました者もわたしがおる所に一しょにいて、わたしの栄光を見るようにしてやりたいのです。あなたは世の始まる前に(すでに)わたしを愛して、この栄光をわたしに下さいました。 |
前田訳 | 父上、わたしにお与えのものもわたしのいるところにいっしょで、わが栄光を見ることを望みます。この栄光は、あなたが世のはじめより前にわたしを愛してわたしにお与えでした。 |
新共同 | 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。 |
NIV | "Father, I want those you have given me to be with me where I am, and to see my glory, the glory you have given me because you loved me before the creation of the world. |
註解: 「望むらくは」は「我欲す」であって、これまで祈りの言であったのを最後に己の意思を最も強く父に向って述べ給うたのである。而してイエスの最後の要求は、父より賜りて彼のものとせられし信者の凡てが、イエスと共に天国に座し、その栄光を受けてイエスの栄光を拝せんことであった。而してこのイエスの栄光は偉大なる栄光であって(22節註)その与えられし時よりいえば世の創造前であり、その与えられし原因よりいえば神のイエスに対する愛であった。信者がこの栄光を拝し自らもこれに与らんことをイエスは望み給うたのである。「このことはキリストの再臨の時に実現するであろう」(M0)。
17章25節
口語訳 | 正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。 |
塚本訳 | 正しいお父様、この世はあなたを知りませんでした。しかし、わたしはあなたを知っており、(ここにいる)この人たち(弟子たち)も、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。 |
前田訳 | 義にいます父上、世はあなたを知りませんでしたが、わたしは知りました。この人たちもあなたがわたしをおつかわしと知りました。 |
新共同 | 正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。 |
NIV | "Righteous Father, though the world does not know you, I know you, and they know that you have sent me. |
註解: 25、26節は祈りの結尾として正しき父に訴え、キリストを信ずる者に対して要求し給う大なる特権につき、その正当なることを正しき父に述べんとし給う。「知る」は単に神の在すことを知るごとき程度に非ず、神の御旨、その経綸、イエスに表われし神の本質をよく理解味得していること。而して世と、信者とは正反対の地位に立っており、前者は父なる神を知らず、後者はキリストが神より遣わされしことを知っている(これ彼らの信仰による)。ゆえに、父を完全に知り給うイエスはこの後者、すなわち信ずる者にこの父を完全に知らしむことを得給うのである(次節)。キリストを信ずる者と世の人との間にかく根本的な相違がある以上、イエスの彼らに対する大なる要求は父これを与え給うであろう。
17章26節 われ
口語訳 | そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。 |
塚本訳 | わたしはこの人たちにあなたの名を知らせました。また(これから先も)知らせます。これは、わたしを愛してくださったと同じ愛が彼らにおり、わたしも彼らにおるためであります。(こうしてあなたと、わたしと、彼らとが、愛によって一つとなりたいのであります。)」 |
前田訳 | わたしはあなたのみ名を彼らに知らせました。また知らせましょう、わたしをお愛しの愛が彼らにあり、わたしも彼らにあるためです」と。 |
新共同 | わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」 |
NIV | I have made you known to them, and will continue to make you known in order that the love you have for me may be in them and that I myself may be in them." |
註解: イエスはこの地上に来りて道を伝え信ずる者に父(の御名)を知らしめ、父の御心をさとらしめ給い、後には聖霊の降臨によりて、また一層深くこれを彼らに知らしめ給うであろう。
これ
註解: イエスが彼を信ずる者に父を示し、父の御意を知らしめ給える目的は、彼らの中に父なる神と子なるキリストが聖霊によって宿り給わんがためであった。神の宮とされる信者こそ真に幸福なるものと言わなければならぬ。これがキリスト来りて我らを救い給う目的である。
辞解
[我を愛し給いたる愛] 神の愛(24節)。
要義 [イエスの祈]このイエスの祈りは徹頭徹尾単純素朴であって、かつ極めて崇高にして深遠なる神との霊交の中にあって語られ、彼を信ずる者に対する無限の愛がその中に発露しているのを見ることができる。彼に自身の栄光(1−5節)および弟子と(6−19節)一般信徒とのために(20−26節)執成し給うこの祈願は、実に神の子の祈願であると共にまた人の子の祈りであり、信頼と愛との最も美わしき流露である。「その響きたるや平明単純であり、その深さ、広さ、豊かさは到底これを計ることができない」(ルーテル)。ヤコブ・スペーネルはこの一章は到底普通の信仰をもって理解し得ざる深さを有するものとして、これを講解することをあえてしなかったとのことである。我ら祈りの心をもってこの一章を読む時、そこに我らの眼前に天国の光景がさながらに髣髴するを覚ゆるのである、かかる祈りによって父なる神の前に執成されるキリスト者は、最大の幸福を享有している者と言わなければならない。