黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第2章

分類
1 キリスト・イエスの顕現 1:1 - 2:23
1-3 東方博士の来訪 2:1 - 2:12

註解: 救い主の降臨を第一に拝したのは、ベツレヘムの野の牧羊者と遥か遠方なる東方の博士達であった。選民なるイスラエルはその祭司制度と律法主義の上に立ちはだかり、預言者の言葉をば聴きてもこれを覚らずにいた。マタイはこの記事によりユダヤ人の不信を責め、彼らを恥しめんとしたのである。

2章1節 イエスはヘロデ(わう)(とき)、ユダヤのベツレヘムに(うま)(たま)ひしが、[引照]

口語訳イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
塚本訳さてイエスはヘロデ(大)王の代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったが、そのとき、東の国の博士たちがエルサレムに来て
前田訳イエスはユダヤのベツレヘムでヘロデ王のときお生まれになったが、見よ、東方から賢者たちがエルサレムへ来て、いう、
新共同イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
NIVAfter Jesus was born in Bethlehem in Judea, during the time of King Herod, Magi from the east came to Jerusalem
辞解
[ヘロデ王] ヘロデ大王と呼ばれ、エドム人であってロマ党であり、有名なる残虐の暴君であった。ヘロデ・アンテパス(マタ14:1)およびその弟アケラオ(マタ2:22)は共にその子でヘロデ・アグリッパ第一世(使12:1)はその孫、アグリッパ第二世(使25:13)はひ孫に当たる。
[ベツレヘム] エルサレムの南数里のところにありダビデの生まれし町であってダビデの町と称せられた「パンの家」という意味、ルカ2:1-7参照。

()よ、(ひがし)博士(はかせ)たちエルサレムに(きた)りて()ふ、

辞解
[東の博士] 古代ペルシャ、バビロニヤ等に住み天文学、占星術等に通じていた人々である

2章2節 『ユダヤ(びと)(わう)とて(うま)(たま)へる(もの)は、何處(いづこ)(いま)すか。(われ)(ひがし)にてその(ほし)()たれば、(はい)せんために(きた)れり』[引照]

口語訳「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
塚本訳言った、「(今度)お生まれになったユダヤ人の王[救世主]はどこにおられるか。われわれはそのお方の星が出るのを見たので、おがみにまいった。」
前田訳「お生まれになったユダヤ人の王はどこにおられるか。われらは彼の星を東方で見たので、彼を拝みに来ました」と。
新共同言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
NIVand asked, "Where is the one who has been born king of the Jews? We saw his star in the east and have come to worship him."
註解: 東方諸国にも、イスラエルより諸国民の祝福となるべき王が生まれるべきことの伝説が行われた。博士は特別の星によりてこのことが起こったことを知り、これに礼拝をささげんために千里を遠しとせずして来たのである。その謙虚その信仰はアブラハムの子等を恥しめることに充分であった。
辞解
[星] この星が何星であったかを確定することができるならば、主イエスの降誕の年月を知る上で有力なる材料となるのであって、従来多くの天文学者によりて試みられたけれどもなお確定することができない

2章3節 ヘロデ(わう)これを()きて(なや)みまどふ、エルサレムも(みな)(しか)り。[引照]

口語訳ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
塚本訳(救世主が生まれたと)聞いて、ヘロデ王はもちろんエルサレム中の人々も王と共にうろたえた。
前田訳それを聞いてヘロデ王はうろたえた。全エルサレムもそうであった。
新共同これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
NIVWhen King Herod heard this he was disturbed, and all Jerusalem with him.
註解: ヘロデ王は新たなる王の誕生により自己の王位を失わんことを恐れ、エルサレムは政治的混乱の起こらんことを恐れた。正しきものの顕れるとき正しからざる者悩む。

2章4節 (わう)(たみ)祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)らを(みな)あつめて、キリストの何處(いづこ)(うま)るべきを()(ただ)す。[引照]

口語訳そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
塚本訳そこで王は国の大祭司連、聖書学者たちを全部集めて、救世主はどこで生まれるべきであるかとたずねた。
前田訳彼は民の大祭司と学者らすべてを集めてたずねた、「どこにキリストがお生まれになるのか」と。
新共同王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
NIVWhen he had called together all the people's chief priests and teachers of the law, he asked them where the Christ was to be born.
註解: 彼らは聖書に精通していたからである。
辞解
[祭司長] 祭司長は本来アロンの後裔のみより一人選ばれた。けれどもこの頃は現職の祭司長のみならず、すべてこの職にありしものまたはその家族の有力なるものでもこの名称をもって呼んでいた。
[学者] 聖書に精通しこれを解釈し、また律法上の難問に答える職をもっていた。▲原語gramateusで口語訳ではこれを律法学者と訳しているが、この訳語はnomodidaskalos(文語訳-教法学者、口語訳-律法学者)nomikos(文語訳-教法師、口語訳-律法学者)と混同しやすい。大差はないにしても区別を示す方が望ましい。

2章5節 かれら()ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者(よげんしゃ)によりて、[引照]

口語訳彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
塚本訳彼らはこたえた、「ユダヤのベツレヘムで。預言者(ミカ)によって、こう書かれているからです。
前田訳彼らは答えた、「ユダヤのベツレヘムにです。預言者によってこのように書かれています、
新共同彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
NIV"In Bethlehem in Judea," they replied, "for this is what the prophet has written:

2章6節 「ユダの()ベツレヘムよ、(なんぢ)はユダの(をさ)たちの(うち)にて(いと)(ちひさ)(もの)にあらず、(なんぢ)(うち)より一人(ひとり)(きみ)いでて、わが(たみ)イスラエルを(ぼく)せん」と(しる)されたるなり』[引照]

口語訳『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。
塚本訳“お前、”ユダの地なる“ベツレヘムよ、お前はユダの町々の中で、最も劣っているものでは”決してない。“一人の偉大なる支配者がお前の中から出て、わが民イスラエルを牧するのだから。”」
前田訳『なんじユダの地のベツレヘムよ、なんじはユダの司(つかさ)たちのうちでいと小さきものでは決してない、なんじからこそ指導者が現われて、わが民イスラエルを牧するであろうから』と」。
新共同『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
NIV"`But you, Bethlehem, in the land of Judah, are by no means least among the rulers of Judah; for out of you will come a ruler who will be the shepherd of my people Israel.' "
註解: 彼らはミカ5:1ヨハ7:42参照)を引用して直ちに適切なる答えを与えることができた。しかし悲しいかな彼らは聖書の文字を発見するのみで、キリスト御自身を発見することができなかった。博士は聖書を知らずしてキリストを発見し、学者、祭司長らは聖書に精通しておりながらキリストを見出させなかった。
辞解
[ユダの長等] または「ユダの町々」とも訳さる。ユダヤ人は多くの宗族(やから)に別れその族長が居住する町を表していた。
[最も小さきものにあらず] メシヤの生まれるべき土地であるから神の前には大きい町である。
[牧せん] 牧羊者が羊に対するごとき愛を持って

2章7節 ここにヘロデ(ひそか)博士(はかせ)たちを(まね)きて、(ほし)(あらは)れし(とき)詳細(つまびらか)にし、[引照]

口語訳そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
塚本訳そのあとヘロデは内証で博士たちを呼びよせ、(最初に)星の現われた時間を彼らに確かめた上で、
前田訳そこでヘロデはひそかに賢者たちを呼んで星の現われた時を聞きただした。
新共同そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
NIVThen Herod called the Magi secretly and found out from them the exact time the star had appeared.
註解: 「密かに」招いたのはその計略の暴露せざるがため、「星の現われし時」を尋ねたのは嬰児を殺戮せんがためであった、ここに彼の政治的狡猾と用意周到さを見ることができる。

2章8節 (かれ)らをベツレヘムに(つかは)さんとして()ふ『()きて幼兒(をさなご)のことを(こまか)にたづね、(これ)にあはば(われ)()げよ。(われ)()きて(はい)せん』[引照]

口語訳彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
塚本訳こう言ってベツレヘムへやった、「行って幼児の居所を丹念に捜し、見つけ次第、報告せよ。自分も言っておがみたいから。」
前田訳そして彼らをベツレヘムへつかわそうとしていった、「出かけて幼子(おさなご)をくまなくたずね、見つけ次第わたしに知らせなさい。わたしも訪れて彼を拝みましょう」と。
新共同そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
NIVHe sent them to Bethlehem and said, "Go and make a careful search for the child. As soon as you find him, report to me, so that I too may go and worship him."
註解: 悪魔は常に神の子を陥れんと努力している、ここにもヘロデは「我も往きて拝せん」と言い敬虔を装って神の子を襲わんとしているのである。心にもあらずして敬虔の言を発する者はこのヘロデに等しき偽善者である。

2章9節 (かれ)(わう)(ことば)をききて()きしに、()よ、(まへ)(ひがし)にて()(ほし)(さき)だちゆきて、幼兒(をさなご)(いま)すところの(うへ)(とどま)る。[引照]

口語訳彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
塚本訳王の言葉を聞いて博士たちが出かけると、見よ、(前に東の国で)出るのを見た星が彼らの先に立って、幼児のいる所の上まで行って止まった。
前田訳王のいうことを聞いて彼らは出かけた。すると見よ、彼らが東方で見た星が彼らに先立ち、幼子のいるところの上まで行って止まった。
新共同彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
NIVAfter they had heard the king, they went on their way, and the star they had seen in the east went ahead of them until it stopped over the place where the child was.
註解: この地方の習慣に従い博士たちは夜旅立したことであろう。然るに星は彼らを導いて幼児の在すところを知らしめた。聖書によりて導かれる者もまたかくのごとくである。

2章10節 かれら(ほし)()て、歡喜(よろこび)(あふ)れつつ、[引照]

口語訳彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
塚本訳彼らはその星を見たとき、大喜びに喜んだ。
前田訳彼らはその星を見て大よろこびによろこんだ。
新共同学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
NIVWhen they saw the star, they were overjoyed.
註解: 前に東にて見し星に再会し、いよいよその目的の達成が確かであったので歓喜に堪えなかった。長き霊の苦悶の旅行の後に、イエスを見出したときの歓喜はこれと同一である。

2章11節 (いへ)()りて、幼兒(をさなご)のその(はは)マリヤと(とも)(いま)すを()平伏(ひれふ)して(はい)し、かつ(たから)(はこ)をあけて、黄金(わうごん)乳香(にうかう)沒藥(もつやく)など禮物(れいもつ)(ささ)げたり。[引照]

口語訳そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
塚本訳家に入って、幼児が母マリヤと共にいるのを見ると、ひれ伏しておがみ、宝箱を開いて、“黄金、乳香、”没薬を“贈物として”捧げた。
前田訳そして家に入って幼子が母マリヤとともにあるのを見、伏して彼を拝んだ。そして宝の箱を開いて、こがね、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)を贈り物としてささげた。
新共同家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
NIVOn coming to the house, they saw the child with his mother Mary, and they bowed down and worshiped him. Then they opened their treasures and presented him with gifts of gold and of incense and of myrrh.
註解: 礼拝をなし宝物を献ずることは王者貴人に対する礼であった。東方の博士らは信仰によりかかる(いやし)の女とその子に対してこの態度を取ったのである。誠に幸福なる心の態度である。また彼らはその最も貴重なる献物をもって彼に(えっ)した。キリスト者はキリストに見ゆる時最も貴重なるもの、すなわち彼自身をささげなければならない。
辞解
[家に入りて] とあればもはや(うまや)ではなかった。(ロマ2:7)、おそらくイエスの誕生よりやや時日を経過した後のことであろう。
[黄金] 最も貴重の金属であって王としてのキリストを表し、「乳香」は一連の芳香を有する樹脂であって、アラビヤのサバに産し礼拝の際にこれを用いるゆえに神としてのキリストを意味し(出30:34-36)、「もつ薬」もおなじく樹脂であって死体に油注ぐ場合に用いる(出30:23)ゆえに十字架上に死に給いしキリストを意味すると解せられている(C1等)。または金は信仰(Tペテ1:7)、乳香は祈り(詩141:2)、もつ薬は死を示すとも解する。

2章12節 かくて(ゆめ)にてヘロデの(もと)(かへ)るなとの御告(みつげ)(かうむ)り、ほかの(みち)より(おの)(くに)()りゆきぬ。[引照]

口語訳そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
塚本訳それから夢で、ヘロデの所へ引き返すなとのお告げを受けたので、ほかの道から国へ帰っていった。
前田訳そしてヘロデのもとに帰るなと夢にお告げを受け、別の道からおのが国へと立ち去った。
新共同ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
NIVAnd having been warned in a dream not to go back to Herod, they returned to their country by another route.
註解: 彼らはヘロデを恐れずただ神のお告げに従った。神は己を信頼する者を護りその敵の巧を破り給う。
要義1 [キリスト降誕の人々に及ぼせる影響] キリストの降誕が人によりて種々異なった影響を与えていることに注意しなければならない。権勢欲、物質欲より外になきヘロデに取っては、キリストは邪魔者であって彼はあらゆる手段をもってこれを撲滅せんとした。祭司長、学者に取っては彼は研究の対象、好奇心の目的であって信仰の対象とはならなかった。ただ単純にして敬虔なる心を有する東方の博士(その他牧羊者、シメオン、アンナ等、ルカ伝参照)に取ってのみ彼はメシヤであり、王であり、礼拝の目的であった。今日もこれと同じく、真にキリストを拝する者は、権勢と富貴とに憧れている政治家でもなく、教会の監督神学者でもなく、また名義のみのキリスト者でもない、全く予期せざりし方面より来る敬虔なる人々であろう。
要義2 [政治家の宗教に対する態度] キリスト者はいわゆる政治家に戒心しなければならない。彼らはヘロデのごとく宗教をばあるいは邪魔者視してこれを撲滅せんとし、またはコンスタンチンのごとくにこれを利用せんがために懐柔せんと企てる。彼らの求むるところは世の権勢利益であり、キリスト者の求むるところは神の栄光である。相一致しないのは極めて自然の事柄である。ゆえに政治家の迫害があっても恐れるに足りない。神これを護り給うからである。同様に彼らに歓迎されるも喜とするに足らない、彼らの心は常に神に背かんとしているからである。
要義3 [博士来訪の物語より得る教訓] (1)聖書を神の言と信ずることは正しい。しかしながらこれを聖霊をもって読むことなしに単に知的研究の対象となし、一字一句を研究比較するだけでは、この祭司長学者らのごとく結局文字のみに精通してキリストを見失うに至るのである。聖書は聖霊の導きにより信仰をもってこれを読むとき始めてそこにキリストを発見することができるのであって、しからざれば結局空虚なる文学的知識たるに止まってしまうであろう(4、5節)。(2)神は漁夫に対しては魚により (ルカ5:1マタ17:27ヨハ21:6) 、病者に対しては治療により、学者に対しては星によりてご自身を示し給う(2節)。(3)礼拝と献身、これが信仰生活の基調である。礼拝とは単に教会の礼拝に出席することではなく、畏れ(あが)める心をもって神を拝することである。献身とは伝道専門家になることではなく、自分の身も魂も財もみな神のものとしてしまうことである。東方の博士の来訪により宝物をささげてキリストを拝したることは、この信仰の根本を示したものである。

1-4 エジプト逃亡と嬰児殺戮 2:13 - 2:18

2章13節 その()()きしのち、()よ、(しゅ)使(つかひ)(ゆめ)にてヨセフに(あらは)れていふ『()きて、幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へ、エジプトに(のが)れ、わが()ぐるまで彼處(かしこ)(とどま)れ。ヘロデ幼兒(をさなご)(もと)めて(ほろぼ)さんとするなり』[引照]

口語訳彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
塚本訳博士たちが帰ってゆくと、見よ、主の使いが(また)夢でヨセフに現われて言った、「起きて幼児とその母とを連れてエジプトに逃げ、わたしが言うまでそこにおれ。ヘロデがその幼児をさがして殺そうともくろんでいるから。」
前田訳彼らが帰り去ったとき、見よ、主の使いが夢の中でヨセフに現われていう、「起きて幼子と母を伴い、エジプトにのがれよ。そしてなんじに(ふたたび)いうまでそこにとどまれ、ヘロデが幼子を探して殺そうとしているから」と。
新共同占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
NIVWhen they had gone, an angel of the Lord appeared to Joseph in a dream. "Get up," he said, "take the child and his mother and escape to Egypt. Stay there until I tell you, for Herod is going to search for the child to kill him."
註解: この物語もマタイ伝のみにあって他にはない。神の子がその国に来たり給いしにその民彼を迎えず(ヨハ1:11)、かえって日陰者のごとき運命に逢い給うた。これ人類がサタンの支配の下にあり、サタンはヘロデを用いて神の子を迫害したからである。

2章14節 ヨセフ()きて、(よる)(うち)幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へて、エジプトに()りゆき、[引照]

口語訳そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
塚本訳そこでヨセフは起きて、夜のあいだに幼児とその母とを連れてエジプトに立ちのき、
前田訳彼は起きて、夜のうちに幼子と母を伴ってエジプトへ立ち去った。
新共同ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
NIVSo he got up, took the child and his mother during the night and left for Egypt,

2章15節 ヘロデの()ぬるまで彼處(かしこ)(とどま)りぬ。[引照]

口語訳ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。
塚本訳ヘロデが死ぬまでそこにいた。主が預言者(ホセア)をもって“わたしはエジプトからわが子を呼び出した”と言われた言葉が成就するためであった。
前田訳そしてそこにヘロデの死までとどまった。それは預言者によって主がいわれたことの成就するためであった、「エジプトからわが子を呼んだ」と。
新共同ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
NIVwhere he stayed until the death of Herod. And so was fulfilled what the Lord had said through the prophet: "Out of Egypt I called my son."
註解: ヨセフは夢見るやいなやその夜中に出発した。神の御旨に対してはかくのごとくに従順でなければならない、またこの態度にヨセフの従順なる性質を見ることができる

これ(しゅ)預言者(よげんしゃ)によりて『(われ)エジプトより()()()(いだ)せり』と()(たま)ひし(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。

註解: ホセア書(引照2)には「我が子」はイスラエルの国民を意味する。マタイはこれをキリストのエジプトに逃れて、再び還り給えることの預言と解した。

2章16節 ここにヘロデ、博士(はかせ)たちに(すか)されたりと(さと)りて、(はなは)だしく(いきど)ほり、(ひと)(つかは)し、博士(はかせ)たちに()りて詳細(つまびらか)にせし(とき)(はか)り、ベツレヘム(およ)(すべ)てその(ほとり)地方(ちはう)なる、()(さい)以下(いか)(をとこ)()をことごとく(ころ)せり。[引照]

口語訳さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
塚本訳あとでヘロデは、博士たちに出し抜かれたことを知って非常に怒り、ベツレヘムをはじめ、その地方全体にいる男の子のうち、(前に)博士たちに確かめておいた時間で計算して、二歳以下の者を、一人のこらず殺させた。
前田訳そこでヘロデは賢者たちにだまされたと知って大いに怒った。そして人をつかわし、賢者たちから聞きただした時にもとづいて、ベツレヘムとその地方全体にいた二歳以下の男の子を皆殺しにさせた。
新共同さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
NIVWhen Herod realized that he had been outwitted by the Magi, he was furious, and he gave orders to kill all the boys in Bethlehem and its vicinity who were two years old and under, in accordance with the time he had learned from the Magi.
註解: 彼は一歳以下にては満足せず二歳以下の嬰児および、ベツレヘムのみにては不安であってその近辺にまでおよぼした。しかし神の保護の下にその身を託する者は、暴君の用意周到なる計画をも裏切ることができる。▲「時を計り」は口語訳「時に基いて」が正確である。kata

2章17節 ここに預言者(よげんしゃ)エレミヤによりて()はれたる(ことば)成就(じゃうじゅ)したり。(いは)く、[引照]

口語訳こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
塚本訳その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
前田訳そこで預言者エレミヤによることばは成就した、
新共同こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
NIVThen what was said through the prophet Jeremiah was fulfilled:

2章18節 (こゑ)ラマにありて(きこ)ゆ、慟哭(なげき)なり、いとどしき悲哀(かなしみ)なり。ラケル(おの)()らを(なげ)き、()()のなき(ゆゑ)(なぐさ)めらるるを(いと)ふ』[引照]

口語訳「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。
塚本訳“声がラマに聞えた、──(ラケルの)”はげしい“わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。”
前田訳「声がラマに聞こえた、それは大きななげきと叫びであった。ラケルはその子らを思って泣き、慰められようとしなかった、子らはもはやいなかったから」と。
新共同「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」
NIV"A voice is heard in Ramah, weeping and great mourning, Rachel weeping for her children and refusing to be comforted, because they are no more."
註解: エレ31:15より引用したのであって、該節はエフライム族の祖なるラケルがユダヤ人がバビロンに捕らわれていったことを嘆いていることを意味している。ラケルがベツレヘム人の先祖であり、かつその墓がベツレヘムの近くにある(創35:19)のでマタイはこの預言とこの嬰児殺戮の事実とを連結したのであろう。
辞解
[ラマ] エルサレムの北56里のところにあり、バビロン捕囚の徒が幽閉せられていたところである。ラケルの慟哭がそこまで聞こえたとのことである。

1-5 イエス、ナザレに人となり給う 2:19 - 2:23

2章19節 ヘロデ()にてのち、()よ、(しゅ)使(つかひ)(ゆめ)にてエジプトなるヨセフに(あらは)れて()ふ、[引照]

口語訳さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
塚本訳ヘロデが死ぬと、主の使いが夢でエジプトのヨセフに現われて
前田訳ヘロデが死んだとき、見よ、主の使いが夢の中でエジプトのヨセフに現われていう、
新共同ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
NIVAfter Herod died, an angel of the Lord appeared in a dream to Joseph in Egypt

2章20節 ()きて、幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へ、イスラエルの()にゆけ。幼兒(をさなご)生命(いのち)(もと)めし(もの)どもは()にたり』[引照]

口語訳「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
塚本訳言った、「起きて、幼児とその母とを連れて、イスラエル(の民)の地に行け。その幼児の命をねらっていた者は死んだから。」
前田訳「起きて幼子と母を伴い、イスラエルの地に行け、幼子のいのちをうかがうものどもは死んだから」と。
新共同言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
NIVand said, "Get up, take the child and his mother and go to the land of Israel, for those who were trying to take the child's life are dead."
註解: ヘロデは嬰児殺戮後まもなく恐ろしい熱病にかかり、その内臓は虫に蝕まれ、絶望の中に死んだ。

2章21節 ヨセフ()きて、幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へ、イスラエルの()(いた)りしに、[引照]

口語訳そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
塚本訳そこでヨセフは起きて、幼児とその母とを連れて、イスラエルの地にかえった。
前田訳彼は起きて幼子と母を伴い、イスラエルの地に入った。
新共同そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
NIVSo he got up, took the child and his mother and went to the land of Israel.

2章22節 アケラオその(ちち)ヘロデに(かわ)りてユダヤを(をさ)むと()き、彼處(かしこ)()くことを(おそ)る。[引照]

口語訳しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
塚本訳しかしアケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞き、恐ろしくなってユダヤへ行かずにいると、また夢でお告げを受けたので、(ユダやをやめて)ガリラヤ地方に引っ込み、
前田訳しかしアケラオが父ヘロデにかわってユダヤを治めると聞いてそこに行くことをおそれ、夢にお告げを受けてガリラヤ地方に立ち去った。
新共同しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
NIVBut when he heard that Archelaus was reigning in Judea in place of his father Herod, he was afraid to go there. Having been warned in a dream, he withdrew to the district of Galilee,
辞解
[アケラオ] アケラオはヘロデ王とサマリヤ夫人との間の子、9年間位にあり、実は王位に登らず諸侯であった

また(ゆめ)にて御告(みつげ)(かうむ)り、ガリラヤの地方(ちはう)退(しりぞ)き、

2章23節 ナザレといふ(まち)(いた)りて()みたり。[引照]

口語訳ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
塚本訳ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレ人と言われる」と、預言者たちをもって言われた言葉が成就するためであった。
前田訳そしてナザレという町に来て居を定めた。それは預言者たちのことば「彼はナザレ人と呼ばれよう」が成就するためであった。
新共同ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
NIVand he went and lived in a town called Nazareth. So was fulfilled what was said through the prophets: "He will be called a Nazarene."
註解: マタイはナザレがヨセフ、マリヤの故郷であったことをば省略している。

これは預言者(よげんしゃ)たちに()りて、『(かれ)はナザレ(びと)()ばれん』と()はれたる(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。

註解: 正確に旧約聖書を引用したものではない、ゆえに「預言者たち」という。イザ11:1にキリストの預言としてエッサイの株より出づる「芽」なる話あり、芽の原語はネゼルである。マタイはこれとナザレとを掛けこの節の意味を引用したのであろう。
要義1 [新生命は迫害に逢う] 土より萌え出でしばかりの新芽が常に虫類に害せられると同じく、人の中に新たに萌え出づる新生命も常に肉と世と悪魔とに迫害せられる。キリスト者の迫害はすなわちこれである。そしてこの迫害の初穂ともいうべきものはキリストが降誕と同時に逢い給いし迫害であった。一方彼の降誕を迎えしものは東方の博士の外、牧羊者、アンナ、シメオン等少数の人々に過ぎなかった(ルカ1、2章)にも関わらず、彼に対する迫害は非常に激しかった。キリスト者の新生に際してもこれと同一の現象が起こるのである。
要義2 [聖書におけるエジプトの意義] 聖書においてエジプトは常に「この世とその富」を代表する。ゆえにソドムと共に主の十字架の立っている場所とされている(黙11:8)。したがって神の民はその民の中より逃れなければならない(出エジプト記)。しかしながら時にはエジプトは神の民の祝福となった。ヨセフがここに逃れ、その兄弟を飢餓より救った場合、およびイエスがヘロデの迫害をそこに逃れ給えるがごとき場合がそれである。要するに「この世とその富」すなわちエジプトは、神これを用い給う場合には呪うべきものではないことを示しているのであろう。その他の場合においてはエジプトはキリスト者の留まるべきところではない。
附記 嬰児殺戮の物語がヨセフスのユダヤ歴史に記されていないがために、これを否定する人があるけれども当時ベツレヘムは小邑に過ぎなかったので、その中の2歳以下の嬰児の数も極めて少なく、かつ暴君ヘロデに取ってはかかる種類の残虐は茶飯事であったことを考えるとき、この理由はこの事実を否定するに充分ではない。

マタイ伝第3章

分類
2 準備 3:1 - 4:25
2-1 バプテスマのヨハネ 3:1 - 3:12
(マコ1:1-8)(ルカ3:1-17) 

註解: 王者の御行に際して必ずその先駆けがあると同じく、神の子の臨り給う前にもまたこれに相応しき先駆けがあった。そしてイエスの罪の赦しの福音の準備として必要なものは、人をして罪を知らしめ、罪を悔改めしむることであった。バプテスマのヨハネはこの使命を帯びてきたのである。罪の意識なきところ悔改めなく、悔改めなきところ救いはない。

3章1節 その(ころ)バプテスマのヨハネ(きた)り、ユダヤの荒野(あらの)にて(をしへ)()べて()[引照]

口語訳そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
塚本訳そのころ、洗礼者ヨハネがあらわれて、ユダヤの荒野で教えを説いて、
前田訳そのころ洗礼者ヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを説いていう、
新共同そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、
NIVIn those days John the Baptist came, preaching in the Desert of Judea

3章2節 『なんぢら悔改(くいあらた)めよ、天國(てんこく)(ちか)づきたり』[引照]

口語訳「悔い改めよ、天国は近づいた」。
塚本訳言う、「悔改めよ、天の国は近づいた。」
前田訳「悔い改めよ、天国が近づいたから」と。
新共同「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
NIVand saying, "Repent, for the kingdom of heaven is near."
註解: 悔改めることは、天国を近づけんためにもあらず、また天国に近づかんがためにもあらず、天国がすでに近づいたからである。キリストまさに来たらんとしつつあり、キリスト来たり給うところ、そこに天国がある。天国が近づくのは神が恩恵をもって人を救わんとし給うからであって、これをきいて罪人は悔改めなければならぬ。▲「天の国」「神の国」等と訳された「国」はBasileiaで「支配」を意味する。神の支配は我らの心の中に行われる。神の支配し給う処其処に「神の国」がある。なおマタ13:11脚注参照。▲▲「近づきたり」êngikenは完了形動詞で「近付いて其処に来ている」の意味である。
辞解
[悔改] metanoiaは心の傾向を一転することで、罪に服従している従来の傾向を一変して神に従うことである。
[天国] または「神の国」ともいう。マタイのみ主として「天国」といい、他は「神の国」なる語を用いている。なんとなれば「神の国」は地的にあらずして天的だからである。
[ユダヤの荒野] ヨルダン河の両岸に約12里の広さに拡がり死海にまでおよんでいる荒野のこと
[バプテスマのヨハネ] 彼はバプテスマを施したから他のヨハネと区別するためにかく名づけた

3章3節 これ預言者(よげんしゃ)イザヤによりて、()()はれし(ひと)なり、(いは)く『荒野(あらの)(よば)はる(もの)(こゑ)す「(しゅ)(みち)(そな)へ、その(みち)すぢを(なほ)くせよ」』[引照]

口語訳預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。
塚本訳この人は、預言者イザヤによってこう言われた人である。──“荒野に叫ぶ者の声はひびく、「主の道を用意し、”その“道筋をまっすぐにせよ。」”
前田訳彼こそ預言者イザヤにこういわれた人である、「荒野に呼ぶものの声がする。主の道をそなえ、彼の行く手を直くせよ」と。
新共同これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」
NIVThis is he who was spoken of through the prophet Isaiah: "A voice of one calling in the desert, `Prepare the way for the Lord, make straight paths for him.'"
註解: イザ40:3マラ3:1を見よ。エホバがまさにその民イスラエルを捕囚より率い返らんとして、その使いがエホバの道を直くせよと呼ぶことを言ったのである。これが罪の捕囚より率い返らんがために、イエス・キリストがこの世に来たり給うことの前駆なるヨハネに関する預言であった。

3章4節 このヨハネは駱駝(らくだ)毛織衣(けおりごろも)をまとひ、(こし)(かは)(おび)をしめ、(いなご)野蜜(のみつ)とを(しょく)とせり。[引照]

口語訳このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
塚本訳このヨハネは駱駝の毛の外套を着、腰のまわりに皮の腰衣をつけ、蝗と野蜜とがその食べ物であった。
前田訳彼ヨハネはらくだの毛の衣を着、腰に皮の小袴(こばかま)をし、食べ物はいなごと野蜜(のみつ)であった。
新共同ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。
NIVJohn's clothes were made of camel's hair, and he had a leather belt around his waist. His food was locusts and wild honey.
註解: 彼の衣食すらすでに悔改めの説教であった。彼の説教は彼の生活に一致していた。
辞解
[駱駝の毛織衣] 粗野にして永続性を持っている、この衣服が彼の性格に相応しかった。
[皮の帯] ヨハネの先駆者ともいうべきエリヤの帯と同一である(U列1:8
[野蜜] 最も質素なる食物

3章5節 ここにエルサレム(およ)びユダヤ全國(ぜんこく)、またヨルダンの(ほとり)なる全地方(ぜんちはう)人々(ひとびと)、ヨハネの(もと)()できたり、[引照]

口語訳すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、
塚本訳するとエルサレムをはじめとしてユダヤ全体、またヨルダン川沿岸の地全体の人々がヨハネの所にでて来て、
前田訳そこでエルサレムと全ユダヤとヨルダン周辺一帯から人が彼のところに出かけて来て、
新共同そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、
NIVPeople went out to him from Jerusalem and all Judea and the whole region of the Jordan.

3章6節 (つみ)()(あらは)し、ヨルダン(がは)にてバプテスマを()けたり。[引照]

口語訳自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
塚本訳自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
前田訳おのが罪を告白してヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
新共同罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
NIVConfessing their sins, they were baptized by him in the Jordan River.
註解: ヨハネの名声は嘖々(さくさく)たるものであり、本文のごとき地方より人々来たってバプテスマを受けた。ヨハネのバプテスマに際しては罪を告白し、キリストのバプテスマにおいてはキリストを告白する(使19:4)。二者の間に大差があるけれども前者は後者のために必要である。
辞解
[バプテスマ] 水に浸す式であって、古来礼拝の前、異邦人がエホバの宮に献物をなす場合 (創35:2出19:7出19:19Tサム16:5) 等に行われていた。ヨハネは悔改めの場合にこれを行った

3章7節 ヨハネ、パリサイ(びと)およびサドカイ(びと)のバプテスマを()けんとて、(おほ)(きた)るを()て、(かれ)らに()[引照]

口語訳ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。
塚本訳ヨハネは大勢のパリサイ人とサドカイ人とが洗礼を受けに来るのを見て言った、「蝮の末ども、(わたしから洗礼を受けて)来るべき(神の)怒り(の裁き)を免れるようにと、だれがおしえたのか。
前田訳多くのパリサイ人とサドカイ人が洗礼のところへ来るのを見てヨハネは彼らにいった、「まむしの子らよ、だれが来たるべき怒りからのがれることを教えたか。
新共同ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
NIVBut when he saw many of the Pharisees and Sadducees coming to where he was baptizing, he said to them: "You brood of vipers! Who warned you to flee from the coming wrath?
註解: 傲慢であった彼らすらヨハネの元にくる程彼の名声が高かった。ただし彼らにしては多数来ただけで他の人々は更に多かったこともちろんである(ルカ7:30)。
辞解
[パリサイ人] 信仰的一社会階級である。パリサイは隔離を意味し、彼らは厳格に律法を守ることの信仰から、俗人より優れるものと自信し、俗人らより分離していた。彼らは律法のみならず伝説をも重んじ霊魂の不死、肉体の復活を信じ、その他外部的行為に一々規律を立てて厳格にこれを守った。
[サドカイ人] モーセ五書の律法のみを遵守し、霊魂不滅と復活を否定し、パリサイ人のごとく厳格なる律法主義者ではなく、むしろ自由主義者であった。したがって一般的には勢力なく、ただ上流社会に重に行われた

(まむし)(すゑ)よ、(たれ)(なんぢ)らに、(きた)らんとする御怒(みいかり)()くべき(こと)(しめ)したるぞ。

註解: 「汝らはアブラハムの裔であると誇っている、しかるに汝ら悪意奸計(かんけい)に充てる蝮の裔ではないか」とヨハネは呼んでいる。「来るべき御怒」は世の終わりの審判であって、彼らはバプテスマによりてこれを避けんとした(ロマ2:5

3章8節 さらば悔改(くいあらため)相應(ふさは)しき()(むす)べ。[引照]

口語訳だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
塚本訳(ほんとうに悔改めたのか。)それなら(洗礼を受けるだけでなく)、悔改めにふさわしい実を結べ。
前田訳悔い改めにふさわしい実を結べ。
新共同悔い改めにふさわしい実を結べ。
NIVProduce fruit in keeping with repentance.
註解: 「果」は「行為」であって単に形式的にバプテスマを受けるだけではならない、これに相応しき行為をなすことが必要である

3章9節 (なんぢ)ら「われらの(ちち)にアブラハムあり」と(こころ)のうちに()はんと(おも)ふな。(われ)なんぢらに()ぐ、(かみ)(これ)らの(いし)よりアブラハムの()らを(おこ)得給(えたま)ふなり。[引照]

口語訳自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
塚本訳『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。
前田訳そしてわれらには父なるアブラハムがあると心の中にいおうと思うな。あなた方にいうが、神はこれらの石からアブラハムに子をおこしたもう。
新共同『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
NIVAnd do not think you can say to yourselves, `We have Abraham as our father.' I tell you that out of these stones God can raise up children for Abraham.
註解: ユダヤ人は悔改めに必要なる果を結ばずとも、アブラハムの子孫であることをもって確実なる救いの保証と思っていた。今日のキリスト教会においてその教会の(かこい)の中にあることをもって救いの保証と考えているものがあると同様である。しかしながら神はアブラハムの子と誇るものを亡ぼし、彼らが石塊(いしくれ)として軽視している者を、却ってアブラハムの子たる栄位に置くことを得給う。名義形式のみキリスト者であることを誇ってこれに相応しき果を結ばぬものにとっての大なる誠である

3章10節 (をの)ははや()()()かる。されば(すべ)()()(むす)ばぬ()は、()られて()()()れらるべし。[引照]

口語訳斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
塚本訳斧はすでに木の根に置いてある。だから、良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。
前田訳すでに斧は木の根に置かれている。よい実を結ばぬ木はみな切りとられて火に投げ込まれよう。
新共同斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
NIVThe ax is already at the root of the trees, and every tree that does not produce good fruit will be cut down and thrown into the fire.
註解: 審判はまさに始まらんとしている。一刻の躊躇は人を永遠の滅亡に導くであろう

3章11節 (われ)(なんぢ)らの悔改(くいあらため)のために、(みづ)にてバプテスマを(ほどこ)す。されど(われ)より(のち)にきたる(もの)は、(われ)よりも能力(ちから)あり、(われ)はその(くつ)をとるにも()らず、(かれ)(せい)(れい)()とにて(なんぢ)らにバプテスマを(ほどこ)さん。[引照]

口語訳わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
塚本訳わたしは悔改めのために水で洗礼を授けているが、わたしのあとから来られる方はわたしよりも力がある。わたしはその靴をぬがしてあげる値打もない者である。その方は聖霊と(裁きの)火とで洗礼をお授けになる。
前田訳わたしはあなた方を悔い改めのために水で洗礼する。しかしわが後に来るものはわたしより偉く、わたしはその靴をお脱がせする資格もない。彼はあなた方を聖霊と火で洗礼なさろう。
新共同わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
NIV"I baptize you with water for repentance. But after me will come one who is more powerful than I, whose sandals I am not fit to carry. He will baptize you with the Holy Spirit and with fire.
註解: まさに来たらんとしているのはキリストであって、彼は万人渇仰(かつごう)の的となっていたヨハネよりも能力あり、彼はヨハネのごとく単に水をもって悔改めのバプテスマを施すにあらずして、聖霊をもって新たに更生しめ、火をもって古き肉を焼きつくすであろう。彼に比してヨハネは数えるに足らない者である。
辞解
[鞋をとる者] 日本の封建時代の「草履取」と同じく僕または奴隷を意味する

3章12節 ()には()()ちて禾場(うちば)をきよめ、その(むぎ)(くら)(をさ)め、(から)()えぬ()にて()きつくさん』[引照]

口語訳また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
塚本訳その手に箕をもっておられるので、(すぐ)脱穀場の掃除をされる。すなわち麦は集めて倉にいれ、籾殻は消えぬ火で焼きすてられるであろう。(聖霊と火の洗礼とはこれである。)」
前田訳彼は箕(み)をその手にし、その脱穀場を清め、麦をその倉に納め、籾殻(もみから)を消えぬ火で焼きつくされよう」。
新共同そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
NIVHis winnowing fork is in his hand, and he will clear his threshing floor, gathering his wheat into the barn and burning up the chaff with unquenchable fire."
註解: 「彼を信ずる者は裁かれず、信ぜぬ者は既に裁かれたり」(ヨハ3:18)。罪は今聖霊の火にてこれを焼き尽さざれば、後にいたりて審判の火にて焼き尽されなければならない。前者は救いの火、後者は滅亡の火である。いずれにしても罪は永劫に神の御前に存在を続けることができない。
辞解
[▲きよめ] 動詞 diakathariô は徹底的に潔めること。
要義 [神の怒りについて] 神は愛なるがゆえに怒らないと考える人がある。しかしながら神は罪即ち不義に対しては怒り給う (ロマ1:18ロマ2:5Tテサ1:10Tテサ2:16等) 。もし不義を黙許する神があるならば、それは真の神ではない。神は御自身に反するものをこの天地間に一つも存在することを許し給わない。やがてはその怒りの火にすべての罪は焼き尽くされるのである。しかしこの義の神が愛の神に在して、我ら罪人をあわれみ、すべての人類の罪をキリストの上に置き十字架上にすべての罪を滅ぼし「我らを来たらんとする御怒りより救い出し」給うことはすべて彼の恩恵によるのであって、罪を悔改めて彼を信じる者はこの救いに預かり、この怒りを免れることができる。

2-2 イエスのバプテスマ 3:13 - 3:17
(マコ1:9-11)(ルカ3:21-23) 

3章13節 ここにイエス、ヨハネにバプテスマを()けんとて、ガリラヤよりヨルダンに(きた)(たま)ふ。[引照]

口語訳そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。
塚本訳ほどなくイエスはガリラヤからヨルダン川のヨハネの所に来られる。彼から洗礼を受けるためであった。
前田訳そこにイエスがガリラヤから現われてヨルダン川のヨハネのもとに来られた。受洗のためであった。
新共同そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
NIVThen Jesus came from Galilee to the Jordan to be baptized by John.
註解: ヨハネはメシヤのくるべきことを知っていたが、いまだイエスを知らなかった(ヨハ1:33)。イエスを見て直ちに、彼がそれであることを直感した。

3章14節 ヨハネ(これ)(とど)めんとして()ふ『われは(なんぢ)にバプテスマを()くべき(もの)なるに、(かへ)つて(われ)(きた)(たま)ふか』[引照]

口語訳ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。
塚本訳しかしヨハネは、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきであるのに、あなたがわたしの所に来られるのか」と言って、しきりに辞退したが、
前田訳彼はしきりにとめていう、「わたしこそあなたから受洗すべきですのに、あなたがわたしのもとに来られるのですか」と。
新共同ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
NIVBut John tried to deter him, saying, "I need to be baptized by you, and do you come to me?"
註解: ヨハネこそ却ってキリストよりバプテスマを受けてキリストの名に入れられキリストを告白してその罪を赦される必要があった

3章15節 イエス(こた)へて()ひたまふ『(いま)(ゆる)せ、われら()(ただ)しき(こと)をことごとく爲遂(しと)ぐるは、當然(たうぜん)なり』ヨハネ(すなは)(ゆる)せり。[引照]

口語訳しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。
塚本訳イエスは答えられた、「さあ、そう言わずに!こうして、せねばならぬことをなんでも為遂げることは、われわれ(二人)にふさわしいのだから。」そこでヨハネが譲った。
前田訳イエスは彼に答えられた、「そういわずに。こうして、すべての義を満たすのはわれらにふさわしいから」と。そこでヨハネはゆずった。
新共同しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
NIVJesus replied, "Let it be so now; it is proper for us to do this to fulfill all righteousness." Then John consented.
註解: 「正しきこと」は神の御旨にしたがうことである。そしてイエスは神の御旨にしたがい人の姿を取りてこの世に来たり給い、死に至るまで神に対する絶対の従順を示し給うた(ピリ2:8)。すなわち正しきことをことごとく成し遂げ給うた。バプテスマもこの従順の一部であって、あくまでも我らと同じ人となり給えることを表徴したのである。十字架と共に彼が罪人と同じものとなり給える最良の証拠でもある。すなわちこれも正しきことの一つであって、イエスはヨハネと共に(われら)これを成し遂げんとし給う。はるかにガリラヤよりヨルダンに来たり給い、ヨハネに向かって「許せ」という主の大なる謙遜を思え。

3章16節 イエス、バプテスマを()けて(ただ)ちに(みづ)より(あが)(たま)ひしとき、()よ、(てん)ひらけ、(かみ)御靈(みたま)の、鴿(はと)のごとく(くだ)りて(おの)(うへ)にきたるを()(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
塚本訳イエスは洗礼を受けて、すぐ水から上がられた。すると、みるみる天が開けて、神の御霊が鳩のように自分の上に下って来るのを御覧になった。
前田訳受洗してイエスはただちに水からあがられた。すると見よ、天が開け、神の霊が鳩のように下って彼の上に来るのをごらんになった。
新共同イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
NIVAs soon as Jesus was baptized, he went up out of the water. At that moment heaven was opened, and he saw the Spirit of God descending like a dove and lighting on him.

3章17節 また(てん)より(こゑ)あり、(いは)く『これは()(いつく)しむ()、わが(よろこ)(もの)なり』[引照]

口語訳また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
塚本訳するとその時、「これは(いま)わたしの“最愛の子、”“わたしの心にかなった”」と言う声が天から出た。
前田訳すると見よ、天から声がしていう、「これこそわがいとし子、わがよみするもの」と。
新共同そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
NIVAnd a voice from heaven said, "This is my Son, whom I love; with him I am well pleased."
註解: 聖霊によりて生まれ給いしイエスは、ここに新たにその上に聖霊が下り、かつ神よりの証を受けて公生涯に入り給うた。ここにヨルダン河の畔、広く天を望み得るそのところにおいて、天開けて父なる神と、子なる神と、聖霊なる神とが一所に会し給い、父なる神よりの頌辞が響き渡れる最も壮厳なる光景を呈し、ヨハネはこれを目撃したのである。
辞解
[はとの如く] 聖霊降下の状態を形容するに最も適した語であったろう。
要義1 [イエスのバプテスマの意義] イエスは御自身に罪を有し給わないので罪の悔改めのバプテスマを受ける必要はなかった。また神の国に入らんがためにもその必要がなかった。彼自身神の子に在りし給うたからである。ただ彼は父の御旨によりて卑下(へりくだ)り人としてこの世にきたり給うた。彼は人の(すがた)を取り、人のごとくに誘われ、人の罪のために十字架につき給うた。彼は死に至るまで父の御旨に従い完全なる従順の生活を送り給うた。彼はこの立場において、即ち一人の人間としてヨハネよりバプテスマを受け給うたのである。ここに彼の完全なる謙遜を見ることができる。
そして我らの受けるバプテスマがあたかも我らの新生命の表徴であり、また同時にその公表であると同じく、イエスのバプテスマは彼が新たに伝道の生涯に入り給う場合の新生涯の表徴でありまた公表であった。神が「これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり」といい給いしことも、むしろこれを世に示さんがためであった(マタ17:5)。かくしてイエスはその公生涯に入り給うたのである。
要義2 [悔改めについて] 悔改めすなわちメタノイヤは新たなる心を持つことであって、単なる罪に対する悔改めの念のみにては悔改めではない。悔改めは神に向かってなされその憐みを求むる心であり(ルカ18:13)、罪の赦しのバプテスマの前提である(使2:38)。ゆえに全心の転化であって(ヨブ42:5、6)、その一部の改良ではない。したがって悔改めの結果は良き果を結ぶことであり(使26:20)、かかる悔改めがある場合に天において歓喜があるのである(ルカ15:7-10)。