ルカ伝第2章
分類
2 準備時代
1:5 - 4:13
2-2 イエスの誕生とその幼時
2:1 - 2:52
2-2-イ イエス、ベツレヘムに生る
2:1 - 2:7
2章1節 その頃、天下の人を戸籍に著かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。[引照]
口語訳 | そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 |
塚本訳 | そのころ、全(ローマ)帝国の人口調査の勅令が皇帝アウグストから出た。 |
前田訳 | そのころ皇帝のアウグストゥスから帝国全体の人民を登録せよとのおふれが出た。 |
新共同 | そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 |
NIV | In those days Caesar Augustus issued a decree that a census should be taken of the entire Roman world. |
2章2節 この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし初のものなり。[引照]
口語訳 | これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。 |
塚本訳 | これは(ローマ政府)第一回の人口調査で、クレニオがシリヤの総督であったときに行われたものである。 |
前田訳 | これは最初の登録で、クレニウスがシリアの総督のときのことである。 |
新共同 | これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 |
NIV | (This was the first census that took place while Quirinius was governor of Syria.) |
註解: この戸籍調査は本来課税の目的をもって行われた。
附記 歴史的研究の精確を期したと自認しているルカの記事(ルカ1:1以下)にもかかわらずこの二節は後世学者間に多くの問題と混乱とを惹起し、今日に至ってもなお一般に承認される結論に達していない。問題の重点は(1)かかる全国的戸口調査がアウグスト時代に行われたことにつきては、他の歴史または記録に記されていないこと。(2)ヨセフスの「イスラエル国民史」「ユダヤ戦史」によればクレニオ(ラテン名クイリニウスまたはクイリニヌス)がパレスチナに戸籍登録を行って、その結果ユダの反乱となったのは(使5:37参照)ルカの記事よりも約十年後に当たること。(3)モムゼンによって偽造と決定されたローマ時代の碑銘の一片が、一八八〇年にその他の大部分が発見されて真正のものと決定し、ルカの記事の精確さを証明する助けとなったこと。(4)テルツリアヌスが戸籍登録の時シリアの総督をサツルニヌスであるとすること。その他。(5)本文の解釈上「初のもの」が第一回を意味し、第二回以後もあったものと考え、使5:37をこれに相当すと見るべきか、または「クレニオの時に始めて」と読むべきかの問題。(6)二節を後人の挿入と見る説の当否等々であって、容易に決定しえない処であり、学者は各々その立場に好都合なる方面の材料に重点を置き、種々の結論および推論を固執しているのであるが、もし(1)カイザルの命令が全世界(当時の)を同時に調査すべしとの意味でなかったものとすれば、そのことが歴史的に記録せられずに置かれたことは考えられ(エジプトに十四年毎に戸口調査が行われたとの記事あり)、(2)またヨセフスの歴史は若干の不精確さと矛盾との存すること、またルカよりも年若きヨセフスは、この事件よりの隔りが遠く、かつ何らの記録を資料に持たなかったこと等よりその記事に誤謬がなかったとは言われず、かえってルカにおいて精確さを認めること。(3)確認されたローマの碑文による記録より計算すれば、クレニオがシリヤの総督となったのは、略紀元前四年より紀元四年までの間に相当し、ヘロデの在世中であり得ること。(4)テルツリアヌスの記事はもしサツルニヌスの総督時代(紀元前六年より前)にクレニオが特別任務をもって戸口調査の準備工作を為したものと解する場合その矛盾は除かれ、またヨセフスの記録の不明確さとも一致していること、またルカは使5:37において別の戸籍登録のことを考えていないらしいこと(冠詞)等の説明により、ルカの記事の歴史性はかなりの度において強められることとなる。なお将来多くの研究を要する事柄である(ツァーン、ルカ伝註解参照)。
2章3節 さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に歸る。[引照]
口語訳 | 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。 |
塚本訳 | すべての人が登録を受けるために、それぞれ自分の(生まれた)町にかえった。 |
前田訳 | すべての人が登録のためにめいめいおのが町へ行った。 |
新共同 | 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 |
NIV | And everyone went to his own town to register. |
註解: 「故郷」は「己が町」でほぼ日本の本籍地に類似の程度と考えられる。
2章4節 ヨセフもダビデの家系また血統なれば、[引照]
口語訳 | ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 |
塚本訳 | ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出、またその血統であったからである。 |
前田訳 | ヨセフもガリラヤはナザレの町からユダヤはベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出で、その血を引いていたからである。 |
新共同 | ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 |
NIV | So Joseph also went up from the town of Nazareth in Galilee to Judea, to Bethlehem the town of David, because he belonged to the house and line of David. |
2章5節 既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處に到りぬ。[引照]
口語訳 | それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。 |
塚本訳 | すでに身重であった妻マリヤと共に、登録を受けるためであった。 |
前田訳 | 登録は身ごもっていた妻たるべきマリヤといっしょであった。 |
新共同 | 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 |
NIV | He went there to register with Mary, who was pledged to be married to him and was expecting a child. |
註解: この二節より推測される処によれば、ヨセフはおそらく本来ベツレヘムに居住していたのを職業の都合上一時ナザレに移住していたものであろう。この時代は大体その祖先の墳墓の地に子孫も住んでいたものと考えられるけれども全部が然るわけではなく、凡ての地方に散っていたダビデの子孫が、一千年来の古き系図を頼りにみなベツレヘムに集まったとは考えられない。戸籍登録が課税との関係もあった以上、ヨセフとベツレヘムとはその前居住地として密接な関係があったと考うべきであろう。孕めるマリヤを困難を冒してベツレヘムに携えたのはナザレにおける出産は種々の風評を起す虞があり、マリヤをしてこれを避けしめたのであろう。
辞解
[家系、血統] これに加うるに「支族」をもってするのがイスラエル民族の習慣であった。
[許嫁の妻] 自己撞着の称呼の結合。異本に「許嫁」または「妻」とあり。この三者中何れが正しきかは決し難いけれども、当時対外関係においてはマリヤはヨセフの妻として認められていたことは事実であろう。
[ダビデの町] ダビデはベツレヘムに生れ、そこに羊を牧っていた(Tサム17:12、15)。
2章6節 此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、[引照]
口語訳 | ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 |
塚本訳 | するとそこにおる間に、マリヤは月満ちて、 |
前田訳 | 彼らがそこにいるうちに、マリヤは月満ちて、 |
新共同 | ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 |
NIV | While they were there, the time came for the baby to be born, |
2章7節 初子をうみ、之を布に包みて馬槽に臥させたり。旅舍にをる處なかりし故なり。[引照]
口語訳 | 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 |
塚本訳 | 初子を産み、産着にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には場所がなかったのである。 |
前田訳 | 男の初子を生み、布にくるんで飼葉桶(かいばおけ)に寝かせた。宿屋には彼らの場所がなかったのである。 |
新共同 | 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 |
NIV | and she gave birth to her firstborn, a son. She wrapped him in cloths and placed him in a manger, because there was no room for them in the inn. |
註解: 神の子の誕生としては、考え得る最悪の姿であった。神の子はその凡ての栄光を捨て、真に人の子の一人としてこの世に下り給うたのであった。▲かくして神の子は唯霊によって導かれる者にのみ崇められ給う。
辞解
[旅舎] kataluma は pandocheion (ルカ10:34)と異なり、家の全部または一部を借用して休息宿泊その他のために用うるものを指す。ルカ22:11の「座敷」はこの kataluma である。「ゆえに旅舍にをる處なかりし」とあるは旅舍が込み合っていたと見るよりもその借受けた家の部分に出産に適当な場所がなかったことを意味し、また揺籠や寝床等がなかったために手近の馬槽を利用したものと考えられる。
要義 [人の子は枕する処なし]イエスは「狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕するところなし」(ルカ9:58)と嘆じ給うた。実に彼はその誕生に際してすでにこの世に彼を容れる処なく、而してついには十字架上に露と消え給うた。この事実はこの世が神に叛ける罪人の国であることの実相を示しており、この世に容れられなかった彼こそ真に神の子たることの事実を表徴しているものと見ることができる。
2-2-ロ 牧羊者、イエスを拝す
2:8 - 2:20
2章8節 この地に野宿して、夜群を守りをる牧者ありしが、[引照]
口語訳 | さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。 |
塚本訳 | (その晩、)数人の羊飼がそのあたりで、野宿をしながら群の夜番をしていた。 |
前田訳 | そのあたりで、羊飼いが何人か野宿して羊の群れの夜番をしていた。 |
新共同 | その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 |
NIV | And there were shepherds living out in the fields nearby, keeping watch over their flocks at night. |
註解: 冬中は羊は檻の中に入れられているのでその必要がないがその他の季節は野放しにされているので盗人や猛獣を防ぐための番人を要す。
2章9節 主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、甚く懼る。[引照]
口語訳 | すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。 |
塚本訳 | すると(突然)一人の主の使が(現われて)彼らに近づき、主の栄光が彼らのまわりを照らしたので、羊飼たちはすっかりおびえてしまった。 |
前田訳 | すると主の使いが彼らのところにおり立ち、主の栄光が彼らを包み照らしたので、彼らはすっかりおびえた。 |
新共同 | すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 |
NIV | An angel of the Lord appeared to them, and the glory of the Lord shone around them, and they were terrified. |
註解: 図らずも彼らは驚くべき異象を見ていたく懼れた。
2章10節 御使かれらに言ふ『懼るな、[引照]
口語訳 | 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 |
塚本訳 | 天使が言った、「こわがることはない。いまわたしは、(イスラエルの)民全体への大きな喜びのおとずれを、あなた達に伝えるのだから。 |
前田訳 | 天使はいった、「おそれるな。見よ、わたしは民全体への大きなよろこびをあなた方に伝える。 |
新共同 | 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 |
NIV | But the angel said to them, "Do not be afraid. I bring you good news of great joy that will be for all the people. |
註解: 驚くべく懼るべき事件の最中に「懼るな」との神の声を聴き得る者は幸福である。
視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜の音信を我なんぢらに告ぐ。
註解: 救い主の来臨はイスラエルの全民衆が、永く待望し切望している事実であって牧羊者すら直ちに天使の言に応じた。
2章11節 今日ダビデの町にて汝らの爲に救主うまれ給へり、これ主キリストなり。[引照]
口語訳 | きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。 |
塚本訳 | 実は今夜ダビデの町に、あなた達のために一人の救い主がお生まれになった。このお方が(かねて預言されていた)救世主なる主である。 |
前田訳 | きょうダビデの町であなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主キリストである。 |
新共同 | 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 |
NIV | Today in the town of David a Savior has been born to you; he is Christ the Lord. |
2章12節 なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒を見ん、是その徴なり』[引照]
口語訳 | あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。 |
塚本訳 | あなた達はみどり児が産着にくるまれて飼葉桶に寝ているのを見る。それが(救世主の)目印である。」 |
前田訳 | 赤子が布にくるまれて飼葉桶に寝ているのが見えよう。それがあなた方への目印である」と。 |
新共同 | あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 |
NIV | This will be a sign to you: You will find a baby wrapped in cloths and lying in a manger." |
註解: ベツレヘムと言わずに特に「ダビデの町」と言ったのは預言的意味を含ませたもの。「救主」「主」「キリスト」何れもイスラエルにとって待望の名であった。かかる人が馬槽に臥すということは、最も信じ難きことであった。これを信ぜしが故に彼らは救い主を拝するの光栄に浴したのであった。
2章13節 忽ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、[引照]
口語訳 | するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、 |
塚本訳 | するとたちまち、おびただしい天使の群がその天使のところにあらわれて、神を讃美して言った、── |
前田訳 | するとたちまちその天使に加わって天の大軍勢が現われ、神をたたえていった、 |
新共同 | すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 |
NIV | Suddenly a great company of the heavenly host appeared with the angel, praising God and saying, |
2章14節 『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』[引照]
口語訳 | 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。 |
塚本訳 | いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり! |
前田訳 | 「いと高き所では栄光が神に、地では平和がみ心にかなう人々に!」 |
新共同 | 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 |
NIV | "Glory to God in the highest, and on earth peace to men on whom his favor rests." |
註解: 天使の御言に続いて、天の大軍の讃美歌が聞えて来た。キリストの来臨により天には栄光、地には平和が充ちたのである(「あれ」または「あらんことを」と訳すよりも「あり」が可なからんか)。すなわちキリストをこの世に下し人類をその罪より救うことによりて神の愛と義とが完全に成就せる故、この救いこそ真の意味の神の栄光であり、而して地上においてはキリストの救いに与る者は主の悦び給う人であり、かかる人々の間には神の愛によりて結ばれた平和がある。天の神に栄光、地の人に平和、これに勝れる光景は他にはない。天の万軍が宇宙に満つる声をもって神を讃美するは寔に相応しいことである。
辞解
第14節は写本により若干の差異あり、これを三段に区分し、「いと高き處には栄光神に、地には平和、人には喜悦」と訳し得る写本があるが、写本の性格より見るも、語句の内容よりいうもこの方が劣っている。
2章15節 御使等さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』[引照]
口語訳 | 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。 |
塚本訳 | 天使たちが彼らをはなれて天に去ると、羊飼たちは互に言った、「さあ、ベツレヘムに行って、主が知らせてくださった出来事を見てこよう。」 |
前田訳 | 天使たちが彼らを離れて天に去ると、羊飼いたちは互いにいった、「さあ、ベツレヘムに行って、主がわれらにお知らせのこの出来事を見よう」と。 |
新共同 | 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 |
NIV | When the angels had left them and gone into heaven, the shepherds said to one another, "Let's go to Bethlehem and see this thing that has happened, which the Lord has told us about." |
註解: 神の啓示をきき、即刻にこれに従う者は幸福である。この場合天使は彼らに、ベツレヘムに行くことを命じたのではなく、行けば徴を見るであろうことを告げただけであった。それにもかかわらず彼らの心中には救い主を見んとの熱望が燃え上がって来た。十字架の福音を伝えられる人々も当にこの牧羊者たちのごとくなるべきである。「いざ」 dê は非常に強い気分を示す(マタ13:23。使13:2)。
2章16節 乃ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。[引照]
口語訳 | そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。 |
塚本訳 | そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどり児とをさがし出した。 |
前田訳 | そして急いで行って、マリヤとヨセフと飼葉桶に寝ている赤子を探し出した。 |
新共同 | そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 |
NIV | So they hurried off and found Mary and Joseph, and the baby, who was lying in the manger. |
註解: 「急ぎ往き」は牧場がベツレヘムより隔たった場所にあることを示し、彼らの熱心なる態度を窺うことができ、「尋ねあふ」 aneuriskô は熱心に探して尋ね当てることを意味する。何れも彼らの熱心さを表わす。主イエスを求める者はかかる熱心を必要とする。
2章17節 既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、[引照]
口語訳 | 彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。 |
塚本訳 | 彼らはそれを見ると、幼児について(天使に)告げられたことを(人々)に知らせた。 |
前田訳 | 彼らを見ると、この子についていわれたことを告げた。 |
新共同 | その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 |
NIV | When they had seen him, they spread the word concerning what had been told them about this child, |
2章18節 聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。[引照]
口語訳 | 人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。 |
塚本訳 | 聞く者は皆羊飼たちの話を不思議に思った。 |
前田訳 | それを聞いたものは皆羊飼いたちがいったことにおどろいた。 |
新共同 | 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 |
NIV | and all who heard it were amazed at what the shepherds said to them. |
註解: 告げたのはマリヤとヨセフだけでなくベツレヘムに在る多くの人に告げたのであった。彼らはこれを聞きいたく驚異に打たれた(奇怪に感じた意味ではない)。
2章19節 而してマリヤは凡て此等のことを心に留めて思ひ囘せり。[引照]
口語訳 | しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。 |
塚本訳 | しかしマリヤはこのことを皆胸にひめて、一人でじっと考えていた。 |
前田訳 | しかしマリヤはこれらすべてを胸に秘めて、心の中で考えていた。 |
新共同 | しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 |
NIV | But Mary treasured up all these things and pondered them in her heart. |
註解: 前節の「怪しむ」は不定過去形で、一時的動作を示すのに反し本節の「心に留む」「思ひ囘す」は未完了形または現在分詞でマリヤの心持を示し、永続的心の状態を表わす、マリヤは永くこれを心の中に蔵し、堅くこれを心に懐いていたことであろう。
辞解
[思い囘す] sumballô は多くのことを一つに集めて相互関係を考えること。
2章20節 牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ歸れり。[引照]
口語訳 | 羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。 |
塚本訳 | 羊飼たちは、聞いたり見たりしたことがことごとく(天使の)話のとおりであったので、神を崇め、讃美しながら引き返した。 |
前田訳 | 羊飼いたちは、聞いたこと見たことすべてがいわれたとおりであったので、神をあがめ、讃美しながら帰って行った。 |
新共同 | 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 |
NIV | The shepherds returned, glorifying and praising God for all the things they had heard and seen, which were just as they had been told. |
註解: 凡てのことにおいて彼らは自己の好奇心や利害に捉われず、神に凡ての栄光を帰した。美しき牧羊者たちである。しかしそれにもましてかかる光景をベツレヘムとその周辺に顕し給える神の御旨を我らも深く心にいだかなければならない。
要義1 [天地を貫く歓喜]8−20節の記事はベツレヘムの町とその周囲に関する記事に過ぎないけれども、その小さき物語の中に天地を貫く大歓喜の音楽を聴くことができる。実にキリスト・イエスの降誕は、天地の創造以来の第一の事実であり、新人の初穂の出生であり、彼によって人類の救いは完成し、神の栄光が耀き出るのであって、宇宙的に最大の出来事である。かかる大事件ではあるけれども、それは極めて少数の信ずる者にのみその意義が啓示せられたに過ぎなかった。凡て高き真理はみな少数にのみ示される。天における歓喜の音楽を聴く耳あるものは幸福である。
要義2 [牧羊者の態度に倣え]我らはここにベツレヘムの牧羊者の態度に注意しなければならない。彼らは天の光を見る目と天の声を聴く耳とを具えていた。不断に神を待望む態度を彼らは有っていたのである。また彼らは天の声を聴いて遠路をものともせず、自ら進んでその救主を拝せんとした。真理に対する熱情、福音を信ずる熱心はかかるものでなければならぬ。彼らはまたその見聞したことを人々に伝えた、福音を伝える者の態度である。而して彼らはその凡てにつき、神を崇めかつ讃美した。凡てのキリスト者は正にかくあるべきである。
2-2-ハ イエスの命名と宮詣で
2:21 - 2:24
2章21節 八日みちて幼兒に割禮を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。[引照]
口語訳 | 八日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。 |
塚本訳 | 八日過ぎて割礼の日が来ると、人々は、胎内に宿る前に天使からつけられたイエスという名を、幼児につけた。 |
前田訳 | 割礼すべき八日目になると、幼子はイエスと名づけられた。彼が胎にやどる前に、天使に名づけられたとおりである。 |
新共同 | 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。 |
NIV | On the eighth day, when it was time to circumcise him, he was named Jesus, the name the angel had given him before he had been conceived. |
註解: ルカ1:31参照。神の子イエスは、人間として凡てのことを人間並に行い給うた。ヨハネの誕生の場合に比してむしろ平凡であったことに注意すべし。神の子たることは非凡の人間たることよりも遙かに高いことであるが、人間の目にはそれが理解されず、唯人間としての非凡さのみが崇められやすい。
2章22節 モーセの律法に定めたる(彼らの)潔の日滿ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。[引照]
口語訳 | それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。 |
塚本訳 | 両親はモーセ律法による彼らの“清めの日(四十日)が過ぎる”と、幼児をつれてエルサレムに上った。 |
前田訳 | モーセ律法による清めの日が過ぎると、彼らは主にささげるため赤子を連れてエルサレムへ上った。 |
新共同 | さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 |
NIV | When the time of their purification according to the Law of Moses had been completed, Joseph and Mary took him to Jerusalem to present him to the Lord |
註解: レビ12:1−4によれば男子を生める婦は四十日の間汚れしものと考えられていた。而してその潔の日数が満ちた場合、その潔まりのために燔祭および罪祭として犠牲を献ぐべきものと定められていた(レビ12:6−8)。イエスの誕生の当時、このモーセの律法が果して如何なる程度に行われていたかについては不明である。
辞解
原文「彼らの潔」とあり、潔は産婦のみに関すること故不精確なる記載なり。
2章23節 これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と稱へらるべし』と録されたる如く、幼兒を主に献げ、[引照]
口語訳 | それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、 |
塚本訳 | これは主の律法に、“はじめて生まれた男の子は皆主に聖別しなければならない”と書いてあるとおりに、これを主に捧げるため、 |
前田訳 | 主の律法に、男の初子はすべて主に聖別されること、とあるのによったのである。 |
新共同 | それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 |
NIV | (as it is written in the Law of the Lord, "Every firstborn male is to be consecrated to the Lord" ), |
註解: 出13:2、出13:12、出13:15によれば凡てイスラエルの中に生れし畜の初子はこれを主に献げなければならず、人間の長子のみは献ぐる代りに五シケルの銀(約56g)をもってこれを贖うべきものと定められていた(民3:46、47。民18:15、16)。ルカはこの贖代につきて録していないのでマリヤが果してこれを実行せしや否やは不明である。
辞解
[初子に生れる男子] 原文直訳「母の胎を開く男子」。
[聖なるもの] 聖別されし者の意。
2章24節 また主の律法に『山鳩一つがひ或は家鴿の雛二羽』と云ひたるに遵ひて、犧牲を供へん爲なり。[引照]
口語訳 | また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。 |
塚本訳 | また(母親の清めについて)主の律法に、“山鳩一番か雛鳩二羽(を捧げねばならない)”とある規定によって、犠牲を供えるためであった。 |
前田訳 | また、主の律法にあるとおり、山鳩ひとつがいか雛鳩二羽をいけにえとしてささげるためであった。 |
新共同 | また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 |
NIV | and to offer a sacrifice in keeping with what is said in the Law of the Lord: "a pair of doves or two young pigeons." |
註解: 22節の潔めのための犠牲でレビ12:6−8の規定の中に貧者と富者とにより献ぐべき犠牲を区別しているが、これによればマリヤは貧者の部に属することを知る。
2-2-ニ シメオンの祝福
2:25 - 2:35
2章25節 視よ、[引照]
口語訳 | その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。 |
塚本訳 | さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。 |
前田訳 | さて、エルサレムにシメオンという名の人があった。この人は正しく、つつしみ深く、イスラエルの慰めを待ち望み、聖霊がのぞんでいた。 |
新共同 | そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 |
NIV | Now there was a man in Jerusalem called Simeon, who was righteous and devout. He was waiting for the consolation of Israel, and the Holy Spirit was upon him. |
註解: イエスがかくして主に献げられんとし給う時、老シメオンと老アンナの祝福と預言とが伴奏のごとくにこれに伴うことは奇しき光景である。
エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在す。
註解: 29節によりて推測すればシメオンはおそらく老人であったと思われる。彼につきては何処の何人かは不明であってルカは唯その如何なる人であるかを録している。「義」であって律法を真面目に遵守し、「敬虔」であって神を畏れ敬い、メシヤが顕れてイスラエルを救わんことを切に待望している人であった。而してこれらが単に彼の生来の傾向であったというのではなく神の霊彼の上にあって彼を導いた。(▲口語訳「宿る」は適当でない。 epi は「上に」に当る。)彼は旧約的敬虔の代表的人物であった。「キリスト来たれり」と証しせる最初の人である。
辞解
[イスラエルの慰め] メシヤによるイスラエルの救いを意味する常用の語(イザ40:1)。
2章26節 また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、[引照]
口語訳 | そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。 |
塚本訳 | かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。 |
前田訳 | そして、主のキリストを見ないうちは死なないと聖霊に告げられていた。 |
新共同 | そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 |
NIV | It had been revealed to him by the Holy Spirit that he would not die before he had seen the Lord's Christ. |
註解: 「聖霊」なる語が繰返されるを見よ(25、27節)。おそらく彼はイスラエルの現状を見て悲しみに耐えず、メシヤ(すなわちキリスト)による救いを何とかしてその死の前に目撃したいと熱望していたのであろう。聖霊はこれに応えて、主のキリストすなわち神の受膏者をその目で見るまでは決して死なないことを告げ給うた。熱心なる祈りは聴かれる。
辞解
[主のキリスト] 「主」は旧約の「エホバ」に対して用いられるギリシャ語、「キリスト」はヘブル語の「メシヤ」のギリシャ訳で受膏者、油を注がれし者の意。ゆえに「主のキリスト」は「神の受膏者」に相当す。
[示す] chrêmatizô は神託的に示すこと。
2章27節 此とき御靈に感じて宮に入る。[引照]
口語訳 | この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、 |
塚本訳 | (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、 |
前田訳 | 彼は霊にあふれて宮へ行った。両親が幼子イエスに律法の習わしどおりに行なうために入って来たとき、 |
新共同 | シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 |
NIV | Moved by the Spirit, he went into the temple courts. When the parents brought in the child Jesus to do for him what the custom of the Law required, |
註解: イエスがその両親と共に宮に入らんとする時であったので、御霊が彼を動かして宮に入らずにおられない気持ちを起させた。御霊は何時もかくして人を動かす。
兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、
註解: この時ヨセフとマリヤは23、24節の儀式と犠牲の供物を行うためにイエスを宮の中に連れて来た。エルサレムはイスラエルの主都、神の宮はまたその中心であり、そこに数々の啓示に包まれているその初子をささげ、神のものとして聖別することは両親にとっての最も記念すべき一日であったことは勿論である。
2章28節 シメオン、イエスを取りいだき、神を讃めて言ふ、[引照]
口語訳 | シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、 |
塚本訳 | シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。── |
前田訳 | 彼は幼子を両腕に抱き、神をたたえていった、 |
新共同 | シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 |
NIV | Simeon took him in his arms and praised God, saying: |
2章29節 『主よ、今こそ御言に循ひて、僕を安らかに逝かしめ給ふなれ。[引照]
口語訳 | 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます、 |
塚本訳 | 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、 |
前田訳 | 「今や、君よ、あなたは僕をおことばどおり平和にお暇(いとま)させてくださいます、 |
新共同 | 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。 |
NIV | "Sovereign Lord, as you have promised, you now dismiss your servant in peace. |
註解: マリヤに抱かれている嬰児がその待望のメシヤに在し給うことをシメオンは直感した。聖霊がこれを彼に示したのである。研究や推論の結果ではない。
辞解
[主よ] despotês を用う。
[御言] 26節の啓示。
[逝かしむ] 「解放する」の意。肉体の束縛から解放されて霊の自由を得ることは殊に老人の希望する処である。なお29−32節はそのラテン訳の最初の二語を取り Nunc Dimittis と呼ばれている。
2章30節 わが目は、はや主の救を見たり。[引照]
口語訳 | わたしの目が今あなたの救を見たのですから。 |
塚本訳 | わたしの目が“もうあなたの救いを拝見しました”からです。 |
前田訳 | わが目があなたの救いを見ましたから。 |
新共同 | わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 |
NIV | For my eyes have seen your salvation, |
2章31節 是もろもろの民の前に備へ給ひし者、[引照]
口語訳 | この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、 |
塚本訳 | この救いこそ、あなたが“全人類の(ため、その)目の前で”用意されたもの、 |
前田訳 | この救いはあなたが万民の前にご用意のもの、 |
新共同 | これは万民のために整えてくださった救いで、 |
NIV | which you have prepared in the sight of all people, |
2章32節 異邦人をてらす光、御民イスラエルの榮光なり』[引照]
口語訳 | 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。 |
塚本訳 | “異教人には啓示を、”あなたの民“イスラエルには栄光をあたえる”“光”であります。 |
前田訳 | 異教徒には啓示のための、あなたの民イスラエルには栄光のための光です」と。 |
新共同 | 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」 |
NIV | a light for revelation to the Gentiles and for glory to your people Israel." |
註解: 私訳「そは我が目汝の救を見たればなり、これ汝が諸民の前に備えたまひし所にして異邦人啓蒙の光、御民イスラエルの栄光なり」。「主の救」は救いの主なるイエスを抽象的に表顕す。ゆえに救いが完成せる時を予見したのではなく、イエスにおいて完成せらるべき救いを見たのである。この救いは「もろもろの民」または「凡ての民」の前に主の備え給えるものであって、ここに至ってもはやイスラエルと異邦人との区別は撤廃されている(ガラ3:28)。而してこの救いはまた「光」であり「栄光」である。
辞解
[異邦人を照らす光] 原語によれば異邦人の蒙を啓き(apokalupsis)暗黒に閉ざされているその戸を啓きてこれに光明を投げ与うること。
[イスラエルの栄光] イエスによる万民の救いはイスラエルに約束された処であって、その実現はイスラエルの栄光となる。かくしてシメオンには26節に示される啓示がそのまま実現し、主のキリストを見ることと平安裏に死ぬることとの二重の祝福に与ることができた。
2章33節 かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、[引照]
口語訳 | 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。 |
塚本訳 | 幼児のことをこのように言うのを父と母とが不思議に思っていると、 |
前田訳 | 幼子のことをいうのを父と母はおどろいていた。 |
新共同 | 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 |
NIV | The child's father and mother marveled at what was said about him. |
註解: 未知の老シメオンが如何にしてかかることを知り得たかは驚異に値するものであった。またその語る内容がマグニフィカート(ルカ1:46−55)やベネディクツス(ルカ1:68−79)の内容に等しきことも彼らの驚異の原因であった。凡てが聖霊の為し給える事柄であった。
2章34節 シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の或は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ逆ひを受くる徴のために置かる。[引照]
口語訳 | するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。— |
塚本訳 | シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒させたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。── |
前田訳 | シメオンは彼らを祝福し、母マリヤにいった、「見よ、この子はイスラエルの多くの人を倒し、また立たせるように、また、反対を受ける徴となるように定められています。 |
新共同 | シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 |
NIV | Then Simeon blessed them and said to Mary, his mother: "This child is destined to cause the falling and rising of many in Israel, and to be a sign that will be spoken against, |
註解: (▲口語訳「倒れさせたり、立ち上らせたり」は意味から見ても不適当である。)ここにおいて、シメオンは幼児より転じて両親に向いこれを祝福した。而して彼は聖霊による深き洞察力をもってイエスの来臨が将来イスラエルに如何なる事態を齎すかを告げた。すなわちイエスの存在により世は二つに区分せられ、信ずる者は救われ、信ぜざる者は亡ぼされる。前者にとってはイエスは救いの岩であり、後者にとっては躓きの石である。また彼が徴となる処、すなわち彼が顕われる処には必ず彼に対する反対と人々の間に対立とが生ずる(マタ10:34−35)。ヨハネ伝にはこの反対および対立の姿が最も著しく描写されている。殊にその5章以下を見よ。この世が本質的に神に叛いているという事実が、イエスの来臨に対して反対の立場を取ることの原因である(マタ21:33以下の葡萄園の譬えを見よ)。シメオンはイスラエルのこの反逆性を聖霊によって直感した。
辞解
[言ひ逆ひを受く] antilegomai = contradict 反対のことを言う。
2章35節 ――劍なんぢの心をも刺し貫くべし――[引照]
口語訳 | そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。—それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。 |
塚本訳 | (母人よ、)あなたも剣で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」 |
前田訳 | そしてあなた自身の胸をも剣が刺し通すでしょう、多くの人の心の思いがあらわになるために」と。 |
新共同 | ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 |
NIV | so that the thoughts of many hearts will be revealed. And a sword will pierce your own soul too." |
註解: シメオンは嬰児の受難の運命を予見しつつこれがためにその母の心に及ぼすべき苦痛に思い及ぼしてこれを中間に挿んだ。ルカ1:48節、マコ3:21等は勿論なれど、イエスの全生涯は母の心配の種であり、また殊にその十字架の死(ヨハ19:25)は母の心を剣をもって貫いた。偉人の母の栄光とこれに伴う悩みである。
これは多くの人の心の念の顯れん爲なり』
註解: 34節に連絡す。イエスの来臨により多くの人々の心の中に隠れていた種々の思いが皆その真相を露出される結果となる。神の前に立つとき如何なる思いもこれを隠すことができない。
辞解
[念] dialogismos 心の中でかれこれと考え囘らすこと。心の中のあらゆる姿。
2-2-ホ アンナの預言
2:36 - 2:38
2章36節 ここにアセルの族パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女のとき、夫に適きて七年ともに居り、[引照]
口語訳 | また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、 |
塚本訳 | また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、 |
前田訳 | また、アセル族のパヌエルの娘にアンナという女預言者があった。年おいていて、娘時代のあと七年夫とともにあり、 |
新共同 | また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、 |
NIV | There was also a prophetess, Anna, the daughter of Phanuel, of the tribe of Asher. She was very old; she had lived with her husband seven years after her marriage, |
2章37節 八十四(歳まで)[年]寡婦たり。[引照]
口語訳 | その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。 |
塚本訳 | (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、 |
前田訳 | そののちやもめで、八十四歳になっていた。宮を離れず、夜昼断食と祈りとでお勤めしていた。 |
新共同 | 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、 |
NIV | and then was a widow until she was eighty-four. She never left the temple but worshiped night and day, fasting and praying. |
註解: シメオンと相対して女預言者アンナ(またはハンナ、恩恵の意)が登場したこともまた意義深きことであった。シメオンと異なりアンナはその素性もよく知られていたことを見れば、この信仰深き老寡婦は多くの人に認められていたものと思われる。
辞解
[八十四年] heôs (迄)を欠く写本による訳であるが、もし多くの良き写本に従いこれを保存するとすれば、また私訳のごとく八十四歳までとも訳することができる。もし前者を取るとすればアンナは当時百六歳以下とは考えられないこととなる。
宮を離れず、夜も晝も斷食と祈祷とを爲して神に事ふ。
註解: 場所的にも時間的にも生活態度においても徹底的に神の宮に対する奉仕の生活であった。ここにアンナの誰であったかに次いで何であったかが示されている。かかる真面目なる神殿奉仕者にして始めてイエスの何たるかにつき神の啓示をうけることができる。
辞解
[宮を離れず、夜も晝も] 必ずしもこれを窮屈に解する必要はない。
2章38節 この時すすみ寄りて神に感謝し、また凡てエルサレムの拯贖を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。[引照]
口語訳 | この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。 |
塚本訳 | (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。 |
前田訳 | 彼女はちょうどそのとき近よって来て神に感謝し、エルサレムの人々であがないを待ち望むものすべてに幼子のことを話した。 |
新共同 | そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 |
NIV | Coming up to them at that very moment, she gave thanks to God and spoke about the child to all who were looking forward to the redemption of Jerusalem. |
註解: アンナは特別の讃歌を唱わなかったけれども、シメオン、ゼカリヤ、マリヤ等の讃歌に応じて神に対して感謝讃美の心持を告白し、かつイスラエルの拯贖を待望している熱心なる愛国者に対して、イエスこそイスラエルの救いであることを語った。アンナの信仰とその崇高なる生活の故に、その証は非常に有力であったことと思われる。
辞解
「エルサレムの拯贖」ということはやや奇異であるが、エルサレムはイスラエルの中心であり、全イスラエルを代表するものと見るべきである。なお「語れり」は未完了過去形で繰返される動作を示す。
要義 [シメオンとアンナ]二人とも老人で旧き時代の人であった。しかしながら真面目に旧き者は、かえって不真面目な新人よりはるかに深く新時代を解す。反対に真面目に新しき者は旧人よりもかえって良く旧時代を知る。不真面目にして固陋なる旧人と、不真面目にして破壊的なる新人とは、いかなる時代においても無用有害なる存在である。イエスの誕生当時において多くの青年が有っても、イエスの救い主なることを覚ったのは唯これらの老人のみであったことは注意すべきことである。
2-2-ヘ 十二歳までのイエス
2:39 - 2:52
2章39節 さて主の律法に遵ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。[引照]
口語訳 | 両親は主の律法どおりすべての事をすませたので、ガリラヤへむかい、自分の町ナザレに帰った。 |
塚本訳 | 両親は主の律法のさだめをすべて果すと、ガリラヤの自分の町ナザレに帰った。 |
前田訳 | 彼らは主の律法のとおりすべてを果たすと、ガリラヤのおのが町ナザレへ帰った。 |
新共同 | 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。 |
NIV | When Joseph and Mary had done everything required by the Law of the Lord, they returned to Galilee to their own town of Nazareth. |
註解: ヨセフとマリヤはナザレを己が居住地としていた。イエスもかくてガリラヤ人と呼ばれた。ナザレに還ったのは必ずしも誕生後四十日目に凡てのことを果して直ちに帰ったものと見る必要はない。
2章40節 幼兒は[漸に]成長して健かになり、智慧みち、かつ神の惠その上にありき。[引照]
口語訳 | 幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。 |
塚本訳 | 幼児は大きくなり強くなって、知恵満ち、神の恵みが彼をはなれなかった。 |
前田訳 | 幼子は成長して強くなり、知恵に満ち、神の恵みがその上にあった。 |
新共同 | 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。 |
NIV | And the child grew and became strong; he was filled with wisdom, and the grace of God was upon him. |
註解: 「成長」は肉体、「健やかになり」は體力、「智慧」は自然人として自然に発達する能力、「みち」は現在分詞で継続的状態、ゆえに智慧は次第に充ちてくること。「神の恵」はかかるイエスの上にさらに上より加わる神の特別の恩恵である。イエスはかくて発育の凡ての条件を具備して何らの故障もなく育ち給うた。偽典福音書に録されるごとき特異の現象は、彼の幼時には無かったものと見るべきである。彼の神性はかかる不可思議なる存在にその基礎があるのではない。むしろ次に録される幼時の唯一の出来事こそ彼の神の子たることを示す重要なる事件である(41−51節)。
2章41節 かくてその兩親、過越の祭には年毎にエルサレムに往きぬ。[引照]
口語訳 | さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。 |
塚本訳 | さてイエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムに行った。 |
前田訳 | 彼の両親は毎年過越の祭りにエルサレムへ行った。 |
新共同 | さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 |
NIV | Every year his parents went to Jerusalem for the Feast of the Passover. |
註解: 信仰厚き家庭は毎年の京詣でを怠らなかった。イエスを携え行きしは次節すなわち彼が十二歳の時が始めてであった(E0)とは考えられない。もし始めてであったらなば、彼を置き去りにして気付かない(43節)ようなことは起らなかったと考えられる。これまでも毎年または度々イエスはエルサレムに連れ行かれたことであろう。
辞解
[過越の祭] マタ26:2註参照。
2章42節 イエスの十二歳のとき、祭の慣例に遵ひて(かれら)上りゆき、[引照]
口語訳 | イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。 |
塚本訳 | イエスが十二歳になった時、両親は(その)祭の習わしに従って、(彼を連れて都へ)上った。 |
前田訳 | 彼が十二歳になったとき、彼らは祭りの習わしによって都へ上った。 |
新共同 | イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 |
NIV | When he was twelve years old, they went up to the Feast, according to the custom. |
2章43節 祭の日終りて歸る時、その子イエスはエルサレムに止りたまふ。[引照]
口語訳 | ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 |
塚本訳 | (祭の)日が終って帰る時、イエス少年はエルサレムにのこったのに、両親はそれを知らなかった。 |
前田訳 | 日程が終わって帰るとき、少年イエスはエルサレムに残っていたが、両親はそれに気づかなかった。 |
新共同 | 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 |
NIV | After the Feast was over, while his parents were returning home, the boy Jesus stayed behind in Jerusalem, but they were unaware of it. |
註解: イスラエルの男子は十二歳をもって律法を学習し始め、また京詣で、断食等宗教的行事にも参加せしめられた。両親がエルサレムにおいてイエスを自由に放任したらしく思われるのは、従来もしばしば京詣でに連れ行かれたことを示す。なおイエスがエルサレムに残り給えるのは神のことにつき子供らしい関心が湧き来り、両親と共に帰路につくことすら忘れたのであろう。
辞解
[祭の日] 原文「日」(複数)で過越の祭の期間すなわち七日。
兩親は之を知らずして、
2章44節 道伴のうちに居るならんと思ひ、[引照]
口語訳 | そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、 |
塚本訳 | 道連れの中にいるとばかり思って、一日路を行ったのち、(はじめてそれに気づき、)親類、知人の中を捜したけれども、 |
前田訳 | 道連れの中にいると思い込んで一日の行程を行ってから、親戚と知人の中を探したが、 |
新共同 | イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、 |
NIV | Thinking he was in their company, they traveled on for a day. Then they began looking for him among their relatives and friends. |
註解: 元気旺盛な十二、三歳の男児は、両親の許を離れて自由に跳び廻るのが常である故、この不注意は特別に言い立てるほどのことではなく、これに特別の原因や理由を求める必要がない。
一日路ゆきて、親族・知邊のうちを尋ぬれど、
2章45節 遇はぬに因りて復たづねつつエルサレムに歸り、[引照]
口語訳 | 見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。 |
塚本訳 | 見つからないので、捜しながらエルサレムに引き返した。 |
前田訳 | 見つからないので探しながらエルサレムへ戻った。 |
新共同 | 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 |
NIV | When they did not find him, they went back to Jerusalem to look for him. |
註解: 道伴のうちにいないとすればあるいは親族、知辺の家に寄っているかも知れぬと考えた。毎年の京詣でに両親はイエスを伴って時々それらの家に立寄ったものと思われる。見出しかねて止むを得ずエルサレムに戻った。
辞解
[尋ね(44、45節)] anazêteô で丹念に尋ね廻ること。――(異本あり)――
2章46節 三日ののち、宮にて教師のなかに坐し、かつ聽き、かつ問ひゐ給ふに遇ふ。[引照]
口語訳 | そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 |
塚本訳 | そして(都を出て)三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に坐って、話を聞いたり尋ねたりしているのを見つけた。 |
前田訳 | すると三日ののち彼が宮で教師たちの間にすわって、話を聞いたりたずねたりするのを見つけた。 |
新共同 | 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 |
NIV | After three days they found him in the temple courts, sitting among the teachers, listening to them and asking them questions. |
註解: 「三日ののち」は第三日目に当ると見るべきでエルサレムに帰りついた翌日であった。「教師」は律法の教師でユダヤ教の学者。「坐す」教師は坐して教え弟子はまたその足許に坐した。この場合イエスは坐し、教師は立っていたか、または双方とも坐していたものと思われる。イエスが特に教師の態度を取っていたと解すべきではない。子供としての偶然の態度が彼の本質を示すかのごとくである処に、この記事の意義がある。
2章47節 聞く者は皆その聰と答とを怪しむ。[引照]
口語訳 | 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。 |
塚本訳 | 彼の話を聞いている人々は皆、その賢いうけこたえぶりに舌をまいていた。 |
前田訳 | 聞く人々は皆彼の応答の賢さに感心していた。 |
新共同 | 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 |
NIV | Everyone who heard him was amazed at his understanding and his answers. |
註解: 「怪しむ」 existêmi は「魂消る」「ビックリ仰天する」等の俗語の意味に近い。
2章48節 兩親イエスを見て、いたく驚き、[引照]
口語訳 | 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。 |
塚本訳 | 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」 |
前田訳 | 両親は彼を見ておどろき、母がいった、「坊や、なぜこんなことをしてくれましたか。ごらんなさい、お父さまもわたしも心配してあなたを探しているのに」と。 |
新共同 | 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 |
NIV | When his parents saw him, they were astonished. His mother said to him, "Son, why have you treated us like this? Your father and I have been anxiously searching for you." |
註解: 「驚き」ekplassô は驚愕の意。思いがけぬ処に彼を発見したことの驚きであった。
母は言ふ『兒よ、何故かかる事を我らに爲しぞ、視よ、汝の父と我と憂ひて尋ねたり』
註解: 母は両親の心配を告げて子を叱責した。かかる場合における普通の親子間の普通の態度である。彼らは勿論この際におけるイエスの特別に高められた心理状態を知るべくもなかった。
辞解
[尋ね] zêteô 44、45節参照。
2章49節 イエス言ひたまふ『何故われを尋ねたるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬか』[引照]
口語訳 | するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。 |
塚本訳 | 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」 |
前田訳 | 彼はいった、「なぜお探しでしたか。わたしがお父さまの家にいるのが当り前なのをご存じなかったのですか」と。 |
新共同 | すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 |
NIV | "Why were you searching for me?" he asked. "Didn't you know I had to be in my Father's house?" |
註解: 聖書に記されしイエスの最初の御言であり、極めて重大なる一節である。イエスはここに神を「わが父」と呼び給うた。これがイエスの先天的子心であって、何人にもこれを学習したのではなかった。「父」のことを思う時、他に何事をも考えることができず、肉の両親のことをも忘れてしまうほどの熱心さであった。イエスの神の子たるの自覚はこの自然の子心より外にない(要義参照)。このためにイエスは神の宮の中に留まっていることを当然と考え、心配してこれを尋ねていた両親をかえって不思議に思い、その両親がイエスの心理を解しないことを怪しみ問うた。イエスの神の子に在すことの最も良き証拠としてこの御言が残されていたことは感謝すべき務めである。
辞解
[父] 神を父と呼ぶことは旧約聖書その他にも無いではないが、種族の父としての用法が多く、イエスのごとくに密接な関係を示しているものはない。
[父の家に居る] また「父の事に携わる」とも訳し得る語。
2章50節 兩親はその語りたまふ事を悟らず。[引照]
口語訳 | しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。 |
塚本訳 | 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。 |
前田訳 | 両親にはこういわれたことがわからなかった。 |
新共同 | しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 |
NIV | But they did not understand what he was saying to them. |
註解: あるいは「父の家」を肉の父ヨセフの家の意味に解したのか、またはここかしこ尋ね廻らずに父の家なる宮を尋ねたら見付かったはずではないか、との意味に解したのか、または父の家にいるべきであるからこれを尋ぬることをせず放置しておくべきであるとの意に解したのか、何れにしても両親にとっては多分に謎のごとき不可解なる語であった。ルカ1:26、ルカ1:32、ルカ1:35。ルカ2:10以下等を歴史的事実とすればマリヤはこのイエスの御言を解せざるはずなし(M0)とする意見はあまりに機械的に過ぐる見方である。
2章51節 かくてイエス彼等とともに下り、ナザレに往きて(服)[順]ひ事へたまふ。[引照]
口語訳 | それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。 |
塚本訳 | それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。 |
前田訳 | それから彼は両親といっしょに下ってナザレに行き、彼らに仕えておられた。母はこのことすべてを胸に秘めていた。 |
新共同 | それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 |
NIV | Then he went down to Nazareth with them and was obedient to them. But his mother treasured all these things in her heart. |
註解: イエスはかくその両親に従順に服従し給うた。神を父と仰ぐことは、肉の父を無視または排斥することではない。神に遵うが故にまた父母に服うのである。唯イエスにおいては特に父なる神のことを専念務むべき特別の任務がある故、そのために肉の父母を第二に置く場合があり得るのであって、これは天の父と肉の父との間に本質的矛盾背反があるのではなく、順序において等差があるのである(マタ10:37、38)。父母を無視したるがごとき49節の後に本節を録したるルカの注意深さを見よ。
辞解
[順ひ事ふ] hupotassomai は権威の下に服従すること、順よりも服に近し。
其の母これらの事をことごとく心に藏む。
註解: ルカ2:19参照。マリヤはイエスにつき最も多くの不思議を経験していた。それにもかかわらず親と子との間の自然の感も強く働いていたので、イエスを特別の神の子と感ずることにも困難があったであろう。それ故にかかる神秘的の事柄は常にマリヤの心の中に蔵されていた。ルカはこのマリヤよりこれら凡ての史的資料を得たものと思われる。この頃はザカリヤも、エリサベツも、シメオンも、アンナも、すでに世を去り、而して父ヨセフも間もなく他界したものと思われる。唯マリヤと後に生れしイエスの兄弟たちとが静かなる生活を送り、約二十年足らずをナザレに過したことと思われる。
2章52節 イエス智慧も身のたけも彌まさり、神と人とにますます愛せられ給ふ。[引照]
口語訳 | イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。 |
塚本訳 | イエスは知恵も身の丈も、”また神と人との寵愛も、いやましに増していった。” |
前田訳 | イエスは知恵も背たけも、神と人との恵みも増しに増していった。 |
新共同 | イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。 |
NIV | And Jesus grew in wisdom and stature, and in favor with God and men. |
註解: 40節と対比せよ。一段の成人となり給えることを示す。「愛せらる」は「恩恵において進歩した」とあり、神と人とより受くる恵みが増進せることを示す。「人」を加えたのはイエスはその公生涯に入り給うまでは他の人々との間に不和等がなかったことを示さんがためである。すなわち公生涯に入り給うまでは極めて善良なる一市民であった。
要義 [イエスの神の子としての意識]イエスが如何にして神の子たることを意識し、神を父と呼び給うたかは重大にして困難な問題である。聖霊によって孕んだことはマリヤもこれをイエスに告げなかったであろうと思われる。たとい告げても証拠もなく信じ得ない事柄だからである。また後に次第に発揮せられたその奇蹟力からでもない。唯イエスにおいてはその幼時より、己に不可抗力的に彼の心の中に神を父と感ぜざるを得ざる強力なる自意識があったようである。この事実は理論から生れた結論でもなく、また瞑想思索の結果到達した悟りでもなく、唯本能的、直感的に彼の中に起って来る心持であった。この内部意識が果して彼が真に神の子たる証拠なりや否やにつき、彼自身深く自ら考える必要があった。これを確めるまでは、彼の心の中に止むに罷まれない推進力を感ずる伝道心も、これを抑制しなければならなかった。かくて彼は独り荒野に退いて神よりこれに関する黙示を受けんがために断食して祈ったのであった。かくして彼がたしかに神の子でありキリストに在し給うことの確信に達し給うたのであった(なお荒野の試誘の項、マタ4:1−13参照)。この神の子としての子心の自覚はすでに十二歳のキリストにおいても顕れており、人々をして驚嘆せざるを得なくし、またその言葉を両親すら解し得ないほどであった。神とキリストとの関係は徹頭徹尾この中心に帰一していた。ヨハネ文書は殊にこの点を明らかに我らに示している。十二歳のキリストの記事は一つの切り離された物語ではなく、イエスの生涯を貫ける意識の一部分の記録であり、イエスの神性の本質を知る上の極めて貴重なる部分である。
ルカ伝第3章
2-3 イエス出現の準備 3:1 - 4:13
2-3-イ バプテスマのヨハネの出現 3:1 - 3:14
(マタ3:1-10) (マコ1:1-6)
3章1節 テベリオ・カイザル在位の十五年、[引照]
口語訳 | 皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、 |
塚本訳 | (ローマの)皇帝テベリオの治世の十五年目、ポンテオ・ピラトはユダヤの総督、ヘロデ・(アンテパス)はガリラヤの領主、その兄弟ピリポはイツリヤおよびテラコニテ地方の領主、ルサニヤはアビレネの領主、 |
前田訳 | 皇帝ティベリウスの治世第十五年、ポンテオ・ピラトはユダヤの総督、ヘロデはガリラヤの領主、その兄弟ピリポはイツリアとテラコニテ地方の領主、ルサニヤはアビレネの領主、 |
新共同 | 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、 |
NIV | In the fifteenth year of the reign of Tiberius Caesar--when Pontius Pilate was governor of Judea, Herod tetrarch of Galilee, his brother Philip tetrarch of Iturea and Traconitis, and Lysanias tetrarch of Abilene-- |
註解: ルカの自任する精確なる研究の結果、世界史と福音の歴史との年代の関連をここに示している。他の福音書は年代につき極めて漠然としている故、ルカのこの一節は非常に貴重なる唯一の史料である。ただしテベリオ(チベリウス)は紀元十四年八月十九日に死去せるアウグスト(アウグスツス)の後を継承したのでその第十五年は紀元二十八−九年となる。ただしかく解することはやや年代が遅すぎるので(ルカ3:23節)、テベリオが摂政の位に即いた年すなわち紀元十二年(十一年末か)より起算する説ありこの説を採る(E0、Z0)と第十五年は二十六年頃となり23節とも適合する。
ポンテオ・ピラトはユダヤの總督、
註解: 第五代目のユダヤ総督(二十六−三十六年)であった。
ヘロデはガリラヤ分封の國守、
註解: ヘロデ大王の死後、その領地はその三人の子に分割され各々その一つを支配して分封の国守と称していた。このヘロデはヘロデ・テンテパスで紀元前四年より紀元三十九年までガリラヤとペレヤを支配していた。このヘロデがその弟の妻ヘロデヤを奪った王である(19節)。
その兄弟ピリポはイツリヤ及びテラコニテの地の分封の國守、
註解: 紀元前四年より期限三三年(三四年か)まで支配す。
辞解
[イツリヤ及びテラコニテの地] 「地」が単数なので問題があり、同一地方に二つの別名があると解する説、または「地」をテラコニテのみに関係せしめんとする説があるけれどもむしろ二つの地方が行政的に合併されて一地方と目されるに至ったものであろう。フレー湖とヘルモン山との間にあり、カイザリヤピリピを含む地方。なおヨセフスによればピリポの領地はその他にも及んでいる。
ルサニヤはアビレネ分封の國守たり、
註解: ルサニヤはユダヤ人にあらず、またイエスの歴史とも関係なき人故、何故ルカがこれをここに加えたのかは不明である。唯この地は三七−四四年間はヘロデ大王の孫アグリッパ一世(使12:1−23)に帰属し、さらに五三〜一〇〇年間はアグリッパ二世に属しており、イスラエルの地の一部と見られたからであろう(Z0。使25:13−26:32)。アビレネはダマスコの西北十六キロ。
3章2節 アンナスとカヤパとは大祭司たりしとき、[引照]
口語訳 | アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。 |
塚本訳 | (そして)アンナスとカヤパとが大祭司であった時、神の(お召しの)言葉が、(ユダヤの)荒野でザカリヤの子ヨハネにくだった。 |
前田訳 | アンナスとカヤパが大祭司であったとき、荒野にいたザカリヤの子ヨハネに神のことばがのぞんだ。 |
新共同 | アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 |
NIV | during the high priesthood of Annas and Caiaphas, the word of God came to John son of Zechariah in the desert. |
註解: 「大祭司」は原語単数、大祭司は本来一人より外無し、当時はカヤパが大祭司であった
(マタ26:3、マタ26:57。ヨハ11:49。ヨハ18:13以下)
。唯アンナスはカヤパの舅で紀元七−一四年大祭司であったが、その退職後も勢力を振るっていた(ヨハ18:12)。それ故に大祭司として取扱った。カヤパは一七〜三五年職に在った。
神の言、荒野にてザカリヤの子ヨハネに臨む。
註解: エレ1:2に類似す。ルカは特に旧約的表現法を用いた。以上第1節およびピラトの就任の時等より考え、バプテスマのヨハネの登場は紀元二十六年と見るべきこととなる。神の言が人の上に臨む時その人は預言者となる。
3章3節 かくてヨルダン河の邊なる四方の地にゆき、[引照]
口語訳 | 彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。 |
塚本訳 | そこでヨハネは(救世主の道を用意するため、)ヨルダン川沿岸の地全体へ行って、罪を赦されるための悔改めの洗礼を説いた。 |
前田訳 | そこで彼はヨルダンの沿岸一帯に行って罪のゆるしへの悔い改めの洗礼を説いた。 |
新共同 | そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 |
NIV | He went into all the country around the Jordan, preaching a baptism of repentance for the forgiveness of sins. |
註解: ガリラヤ湖と死海の間のヨルダン河の両岸を指す。マタイ伝・マルコ伝には荒野とあり。
罪の赦を得さする悔改のバプテスマを宣傳ふ。
註解: 罪の赦しを得んがためには全心全霊をもってする悔改めが必要である。この悔改めを形に表わしたものがヨハネのバプテスマであった。
3章4節 預言者イザヤの言の書に『荒野に呼はる者の聲す。「主の道を備へ、その路すじを直くせよ。[引照]
口語訳 | それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。すなわち「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。 |
塚本訳 | 預言者イザヤの預言集に書いてあるとおりである。──“荒野に叫ぶ者の声はひびく、「主の道を用意し、“その”道筋をまっすぐにせよ。 |
前田訳 | 預言者イザヤの書に書かれているとおりである。いわく、「荒野に呼ぶものの声がする、主の道をそなえ、彼の行く手を直くせよ。 |
新共同 | これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。 |
NIV | As is written in the book of the words of Isaiah the prophet: "A voice of one calling in the desert, `Prepare the way for the Lord, make straight paths for him. |
3章5節 諸の谷は埋められ、諸の山と岡とは平げられ、曲りたるは直く、嶮しきは坦かなる路となり、[引照]
口語訳 | すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ、 |
塚本訳 | すべての谷は埋められすべての山と丘とは低うされ、曲った道はまっすぐに、でこぼこ道は平らになるであろう。 |
前田訳 | すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは低められ、曲がったところはまっすぐに、荒れた道は平らになろう。 |
新共同 | 谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、 |
NIV | Every valley shall be filled in, every mountain and hill made low. The crooked roads shall become straight, the rough ways smooth. |
3章6節 人みな神の救を見ん」』と録されたるが如し。[引照]
口語訳 | 人はみな神の救を見るであろう」。 |
塚本訳 | かくして全人類一人のこらず神の救いにあずかるであろう。」” |
前田訳 | 人皆が神の救いを見よう」と。 |
新共同 | 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」 |
NIV | And all mankind will see God's salvation.'" |
註解: ヨハネの荒野におけるバプテスマはイザヤの預言(イザ40:3−5)の成就せるものであった。あたかも王者の行幸に際し、その先駆者が呼ばわりつつ行幸の道路の凸凹を坦かならしむるごとく、ヨハネはイエスの先駆として、メシヤの来臨の準備をなし、人の心の欠陥を埋め、その高慢不遜を卑からしめ、その邪曲を直くし、その険悪さを滑らかならしめんとするのである。かくして神の救いが現れるであろう。マタイ・マルコ伝はイザ40:4、5の引用を略している。
3章7節 さてヨハネ、バプテスマを受けんとて出できたる群衆にいふ『蝮の裔よ、誰が汝らに、來らんとする御怒を避くべき事を示したるぞ。[引照]
口語訳 | さて、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆にむかって言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか。 |
塚本訳 | それでヨハネは、彼から洗礼を受けようとしてでて来た群衆に言った、「蝮の末ども、(わたしから洗礼を受けて)来るべき(神の)怒り(の裁き)を免れるようにと、だれがおしえたのか。 |
前田訳 | ヨハネは彼から洗礼されに来た群衆にいった、「まむしの末よ、来たるべき怒りをのがれるようだれが教えたか。 |
新共同 | そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 |
NIV | John said to the crowds coming out to be baptized by him, "You brood of vipers! Who warned you to flee from the coming wrath? |
3章8節 さらば悔改に相應しき果を結べ。[引照]
口語訳 | だから、悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく。神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 |
塚本訳 | (ほんとうに悔改めたのか。)それなら(洗礼を受けるだけでなく、)悔改めにふさわしい実を結べ。『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などという考えを起してはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。 |
前田訳 | 悔い改めにふさわしい実を結べ。われらには父アブラハムがある、などとの考えをおこすな。わたしはいう、神はこれらの石からアブラハムの子をおこしたもう。 |
新共同 | 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。 |
NIV | Produce fruit in keeping with repentance. And do not begin to say to yourselves, `We have Abraham as our father.' For I tell you that out of these stones God can raise up children for Abraham. |
註解: 単にバプテスマを形式的に受けたとて、罪を赦され、神の怒りの審判を避け得ると思ってはならない。かく考える汝らはあたかも蝮が野火を避けて逃れんとして逃げ廻るようなものである。汝らはまず悔改めに相応しき行為をしなければならぬ。行為に表われない悔改めは真の悔改めではない。最も忌むべきものは功利主義的信仰(自己の審判を免れたいという)と偽善的信仰(悔改めたように見せかけて悔改めないために行為の果を結ばない)とである。
辞解
このヨハネの叱責はマタ3:7にはパリサイ人とサドカイ人とに対する叱責として録されている。
[蝮の裔] 上記註のごとくに解する説があるけれども、また単に「最も嫌悪すべき存在」として近寄ることも許さない心持とも見ることができる。
なんぢら「我らの父にアブラハムあり」と心のうちに言ひ始むな。我なんぢらに告ぐ、神はよく此らの石よりアブラハムの子等を起し得給ふなり。
註解: ユダヤ人の民族的血統は、救いに何の役にも立たない。神は肉を見ず霊を見給う。神はユダヤ人以外の如何なる種族よりも真のアブラハムの子らを起して真のユダヤ人たらしむることができる。
3章9節 斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし』[引照]
口語訳 | 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」。 |
塚本訳 | 斧はいますでに木の根に置いてある。だから、良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。」 |
前田訳 | はや、斧は木の根に置かれている。よい実を結ばぬ木は皆切られて火に投げ込まれる」と。 |
新共同 | 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」 |
NIV | The ax is already at the root of the trees, and every tree that does not produce good fruit will be cut down and thrown into the fire." |
註解: 切迫せる審判を示して悔改めの一刻も猶予すべからざるを教えている。而して火にて焼かれるかこれを逃れるかは要するに善き果を結ぶや否やに在る。以上7b以下はマタ3:7−10とほとんど逐語的に一致していることに注意すべし。
3章10節 群衆ヨハネに問ひて言ふ『さらば我ら何を爲すべきか』[引照]
口語訳 | そこで群衆が彼に、「それでは、わたしたちは何をすればよいのですか」と尋ねた。 |
塚本訳 | 群衆が尋ねた、「では、わたし達はどうすればよいのですか。」 |
前田訳 | 群衆はたずねた、「それならわれらは何をすべきですか」と。 |
新共同 | そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。 |
NIV | "What should we do then?" the crowd asked. |
註解: 悔改めにかなう果の何たるかを問う。彼らはおそらく非常に高邁なる善行かまたは非常に厳格なる律法を行うことを命ぜられるであろうと考えたのであろう。然るにヨハネの答えは至って平凡であった。
3章11節 答へて言ふ『二つの下衣をもつ者は、有たぬ者に分け與へよ。食物を有つ者もまた然せよ』[引照]
口語訳 | 彼は答えて言った、「下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい」。 |
塚本訳 | ヨハネが答えた、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べる物を持っている者も、同じようにせよ。」 |
前田訳 | 彼は答えた、「下着を二枚持つものは持たぬものに分けよ。食物を持つものも同じようにせよ」と。 |
新共同 | ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。 |
NIV | John answered, "The man with two tunics should share with him who has none, and the one who has food should do the same." |
註解: 何ら特別に高尚な道徳でもなく、また特別に厳格な規律でもなく、唯一般の苦しんでいる人々に対して同情と愛の行為を行うべしというのであった。悔改めはこれを可能ならしめる。ヨハネのこの答はヨハネの偉大さを示し、旧約の律法を超越して新約の愛の教えに一歩を踏み入れたことを表わす。
3章12節 取税人もバプテスマを受けんとて來りて言ふ『師よ、我ら何を爲すべきか』[引照]
口語訳 | 取税人もバプテスマを受けにきて、彼に言った、「先生、わたしたちは何をすればよいのですか」。 |
塚本訳 | 税金取りも洗礼を受けに来たが、ヨハネに言った、「先生、わたし達はどうすればよいのですか。」 |
前田訳 | 取税人も洗礼されに来ていった、「先生、われらは何をすべきですか」と。 |
新共同 | 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。 |
NIV | Tax collectors also came to be baptized. "Teacher," they asked, "what should we do?" |
3章13節 答へて言ふ『定りたるものの外、なにをも促るな』[引照]
口語訳 | 彼らに言った、「きまっているもの以上に取り立ててはいけない」。 |
塚本訳 | 彼らに言った、「きまったもの以上、何も取り立てるな。」 |
前田訳 | 彼はいった、「きめられたもの以上に何も取り立てるな」と。 |
新共同 | ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。 |
NIV | "Don't collect any more than you are required to," he told them. |
註解: 10節の一般人の外にルカは12節のユダヤ人(取税人)と14節の異邦人とを代表的に登場させているが、勿論これで全部ではない。ヨハネは取税人に対してはその最も陥りやすき貪慾の罪に陥らぬよう戒めた。極めて平凡であるがしかし適切である。
3章14節 兵卒もまた問ひて言ふ『我ら[は](も亦)何を爲すべきか』答へて言ふ『人を劫かし、また誣ひ訴ふな、己が給料をもて足れりとせよ』[引照]
口語訳 | 兵卒たちもたずねて言った、「では、わたしたちは何をすればよいのですか」。彼は言った、「人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい」。 |
塚本訳 | 兵卒も「このわたし達は、どうすればよいのですか」と尋ねると、言った、「だれをもゆすらず、しぼり取らず、給料で満足せよ。」 |
前田訳 | 兵卒もたずねた、「われらも、何をすべきですか」と。彼はいった、「だれもゆすらず、かたらず、給与で満足せよ」と。 |
新共同 | 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。 |
NIV | Then some soldiers asked him, "And what should we do?" He replied, "Don't extort money and don't accuse people falsely--be content with your pay." |
註解: 兵卒の陥りやすき誘惑は暴力を用いて人を脅迫することである。而してこれらは多く自己の浪費が原因となりて悪心を起すのであるから、給料をもって足れりとすることを学ばなければならない。なお10−14節は他の福音書にない。おそらく多くの人の間に言い伝えられた物語であろう。
要義 [バプテスマのヨハネの道徳訓]主イエスの先駆として登場したヨハネの道徳的教訓としては、10−14節はあまりに低調であるように感ずるのであるが、この平凡なる道徳を実行し得るや否やが、すでに大なる問題であり、これを真面目に解決せんとして人はみな悔改めの必要に迫られるのである。さらに高きイエスの山上の垂訓を実行することは、聖霊のバプテスマによる新生にあらざれば到底できない。先駆者ヨハネの要求したのは普通の道徳的水準であった。しかし人にはこれすら容易にできない。これすらできない処に、人間の弱さと罪とがある。いたずらに高い道徳訓を民衆に強いないのは、イエスの先駆者たるに最も相応しき態度であった。
2-3-ロ ヨハネはキリストか 3:15 - 3:17(マタ3:11-12) (マコ1:7-8)
3章15節 民、待ち望みゐたれば、[引照]
口語訳 | 民衆は救主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた。 |
塚本訳 | 民衆は(救世主を)待ち望んでいたので皆心の中で、もしかしたらこのヨハネが救世主ではあるまいかと考えていると、 |
前田訳 | 民の待望は久しく、皆心の中でヨハネについて、もしやキリストではないかと考えていた。 |
新共同 | 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。 |
NIV | The people were waiting expectantly and were all wondering in their hearts if John might possibly be the Christ. |
註解: メシヤすなわちキリストの出現を切に望んでいたのが、当時の一般のユダヤ人の心であった。
みな心の中にヨハネをキリストならんかと論ぜしに、
註解: はたしてキリストなりや不明の心持を示す。「ことによったらこの人こそ(autos)キリストなのではないだろうか」との意。
3章16節 ヨハネ凡ての人に答へて言ふ『我は水にて汝らにバプテスマを施す、されど我よりも能力ある者きたらん、我はその鞋の紐を解くにも足らず。彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。[引照]
口語訳 | そこでヨハネはみんなの者にむかって言った、「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが、わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。 |
塚本訳 | ヨハネがみんなに言った、「わたしは水で洗礼を授けているが、わたしよりも力のある方が(あとから)来られる。わたしはその方の靴の紐をとく値打もない者である。その方は聖霊と(裁きの)火とで洗礼をお授けになる。 |
前田訳 | しかしヨハネは皆に明言した、「わたしはあなた方を水で洗礼するが、わたしより偉い方が来られる。わたしはその靴のひもを解くにも値しない。彼はあなた方を聖霊と火で洗礼なさろう。 |
新共同 | そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。 |
NIV | John answered them all, "I baptize you with water. But one more powerful than I will come, the thongs of whose sandals I am not worthy to untie. He will baptize you with the Holy Spirit and with fire. |
3章17節 手には箕を持ちたまふ。禾場をきよめ、麥を倉に納めんとてなり。而して殼は消えぬ火にて焚きつくさん』[引照]
口語訳 | また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。 |
塚本訳 | その手に箕をもって、(すぐ)脱穀場の掃除をしようとしておられる。すなわち麦は集めて倉に入れ、籾殻は消えぬ火で焼きすてられるのである。(聖霊と火の洗礼とはこれである。)」 |
前田訳 | 箕(み)を手にし、打ち場でより分けをなさろう。麦は倉に入れ、籾殻(もみがら)は消えぬ火で焼かれよう」と。 |
新共同 | そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 |
NIV | His winnowing fork is in his hand to clear his threshing floor and to gather the wheat into his barn, but he will burn up the chaff with unquenchable fire." |
註解: この二節についてはマタ3:11、12。マコ1:7、8。ヨハ1:26、27参照。水は人の行為を洗うだけであるが、聖霊は一方人を新生せしめ、他方火をもって不純なるものを焼き尽くす。かくしてイエスのバプテスマによりて人間は一方において聖霊による新たなる存在として救われ他方不純なる者は火にて焼き尽くされる。イエスのバプテスマはこの意味においてあたかも農夫がその麦を収穫する時の姿に比すべく、救われる者は麦のごとく倉に納められ、審判を受けて滅ぼされる者は永遠の火にて焼かれる恐るべき運命に逢着する。
▲口語訳に「麦をふるい分け」と訳された diakathairô (異本 diakatharizô) は打場を奇麗に片付けること。
2-3-ハ ヘロデとヨハネ 3:18 - 3:21(マタ3:11-12) (マコ1:7-8)
3章18節 ヨハネこの他なほ、さまざまの勸をなして、民に福音を宣傳ふ。[引照]
口語訳 | こうしてヨハネはほかにもなお、さまざまの勧めをして、民衆に教を説いた。 |
塚本訳 | ヨハネはそのほかなお多くの訓戒をあたえながら、民衆に福音を伝えた。 |
前田訳 | 彼はこのほかにも多くの勧めをなし、民に福音を伝えた。 |
新共同 | ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。 |
NIV | And with many other words John exhorted the people and preached the good news to them. |
註解: 「勧め」もまたヨハネの教訓の内容をなしていた。単に叱責のみがその凡てではない。
3章19節 然るに國守ヘロデ、その兄弟の妻ヘロデヤの事につき、又その行ひたる凡ての惡しき事につきて、ヨハネに責められたれば、[引照]
口語訳 | ところが領主ヘロデは、兄弟の妻ヘロデヤのことで、また自分がしたあらゆる悪事について、ヨハネから非難されていたので、 |
塚本訳 | ところが領主ヘロデは、その兄弟(ピリポ)の妻ヘロデヤ(との結婚)のことについて、また自分の行ったすべての悪事について、ヨハネから非難されたので、 |
前田訳 | しかし領主ヘロデは、兄弟の妻ヘロデヤのことや自分のした悪のすべてについてヨハネから責められたので、 |
新共同 | ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、 |
NIV | But when John rebuked Herod the tetrarch because of Herodias, his brother's wife, and all the other evil things he had done, |
3章20節 更に復一つの惡しき事を加へて、ヨハネを獄に閉ぢこめたり。[引照]
口語訳 | 彼を獄に閉じ込めて、いろいろな悪事の上に、もう一つこの悪事を重ねた。 |
塚本訳 | ヨハネを牢に閉じこめ、(これまでの)ありとあらゆる悪事に、もう一つこの悪事をつけたした。 |
前田訳 | すべての悪にこのことを加えた−−ヨハネを牢に閉じ込めたのである。 |
新共同 | ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。 |
NIV | Herod added this to them all: He locked John up in prison. |
註解: ヨハネは当時の暴君ヘロデに対し、少しもその面を憚らずしてその凡ての悪行を非難した。これは生命を犠牲にすることなしにはでき得ないことであった。果然ヘロデは彼を後に獄に投ずることにより、さらにその悪の上塗りをした。その後の出来事についてはルカ7:18−35参照。
要義 [ヨハネの性格と態度]ヨハネは自ら正しと信ずる処に向って真直ぐに進み行き、何ものをもまた何人をも恐れない性格であって、またこの性格に従って勇敢に行動した。それ故に彼は世人と相伍して世の人と共に一般社会の汚穢の中に留まることができず、自ら荒野に出でて仙人の生活を送った。かかる生活を送ったことが一面において人々を引付け、ヨハネを預言者として崇めしめた原因であり、また彼の悔改めの叫びが人々の心に深く響いた原因であった。自ら実行せざることを人に教えても何らの権威もない。また彼が悪と信ずることは王の行為であっても忌憚なく大小ともこれを叱責し、ついにこれが自己の不幸となることを少しも恐れなかった。かかる性格であるにもかかわらず、かかる種類の人間に特有の傲慢さがなく、その弟子がイエスの弟子となることを喜び、またその弟子や民衆を自己と同じ荒野の生活や禁慾生活に強制せず、また律法主義をもって人々を束縛せず、普通の道徳をもって彼らを導いた。己を処するに厳であったために、よし他人に求むるに寛であっても、なおそれが強い力をもって人に迫ったのであった。かくして多くの人々を真面目なものとしたことが、ヨハネが主イエスの先駆者たる責任を果す所以であった。
2-3-ニ イエスのバプテスマとその出現 3:21 - 3:23(マタ3:13-17) (マコ1:9-11)
3章21節 民みなバプテスマを受けし時、イエスもバプテスマを受けて祈りゐ給へば、[引照]
口語訳 | さて、民衆がみなバプテスマを受けたとき、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、 |
塚本訳 | さて民衆が皆(ヨハネから)洗礼を受けた時、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開けて、 |
前田訳 | 民が皆洗礼を受けたとき、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開いて、 |
新共同 | 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、 |
NIV | When all the people were being baptized, Jesus was baptized too. And as he was praying, heaven was opened |
註解: 他の福音書と異なり、ここではイエスは何時何処で、誰よりバプテスマを受け給えるやにつき詳述していない。おそらく次節の出来事に重点を置いたためであろう(▲ルカ伝のみからイエスの受洗を解釈すれば、イエスは一般民衆と全く同じ立場に自己を置き、その間に何等の区別を置かれなかった。そして民衆が罪を悔改めるのを全面的に支持することを示すためにイエスも受洗されたのであろう。もしイエスが受洗を拒んだならばイエスの無罪を知らない民衆は、自分たちの受洗につき躓いたかも知れない。ここにイエスの愛があった)。「祈り」はルカ伝において主イエスにつきしばしば録されており、祈りの人イエスを髣髴せしめる。何故イエスがバプテスマを受け給いしやにつきてはマタ3:15註および要義参照。なお次節の要義を見よ。
天ひらけ、
3章22節 聖靈、形をなして鴿のごとく其の上に降り、かつ天より聲あり、曰く『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』[引照]
口語訳 | 聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 |
塚本訳 | 聖霊が鳩のような形で彼の上に下ってきた。そして「あなたは(いま)わたしの“最愛の子、”わたしの心にかなった”」という声が天からきこえてきた。 |
前田訳 | 聖霊が鳩のような形で彼の上にくだった。そして天から声がした。いわく、「あなたこそわがいとし子、わがよみするもの」と。 |
新共同 | 聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 |
NIV | and the Holy Spirit descended on him in bodily form like a dove. And a voice came from heaven: "You are my Son, whom I love; with you I am well pleased." |
註解: 天よりの幻象と声とはイエスの生涯における最大事件であり、これによってイエスはその公生涯に発足し給うたのであった。イエスは聖霊によって母の胎内に宿り、その降誕後も常に神の恵みの下に成長し給い、十二歳の時すでに異常なる霊的直覚を示し給うたけれども、その内から燃え上る子心にも関らず、神より遣わされた神の子として当然にその使命に立上がる決心は未だ明らかにされなかった。それがこの天よりの幻象と声とによってイエスに確然たる決心ができたものと解すべきである。換言すればこれまでも心の中にかくあるべしと感じておられた神の御旨が、あたかも任命式における宣言のごとくに公然とイエスおよび列び居れる人々の前に宣言されたのであった。神の悦び給う愛子であることが一旦明らかにかつ公然にされた以上、イエスは徹頭徹尾神の御旨のままに生き給うより外になかった。
辞解
天よりの声が「汝は我が子なり、我今日汝を生めり」とある写本(D0)および古文献がある。詩2:7(七十人訳)の引用である。これをルカ伝の本来の形ならんとする興味ある研究についてはZ0を見よ。
要義 [何故イエスはバプテスマを受け給いしや]この重要なる問題につきマタイ伝はそのマタ3:15に録しているのであるが(註および要義参照)、イエスの心に悔改むべきものが有ったと考えることができず、おそらく当時イエスの中に益々盛り上がって来る「神の子意識」とこれに伴う使命感とは、抑えんとして抑えることができず、従ってイエスにとっては、断然神の召しに応じて立ち上がるべき何らかの機会を求めておられたのではあるまいか。その時ヨハネよりバプテスマを受ける民衆が、みな断然たる決意をもって悔改めのバプテスマを受けるその有様を見て、イエスにも自然これを「正しき事」(マタマタ3:15)と感じて同様にバプテスマを受くるに到り給うたのであろう。ここに到るまでに聖霊の推進作用があったことは当然である。しかるに図らずもこの時天よりの幻象と声とがあったことはイエスにとって最も重大な出来事であって、イエスの生涯の一大飛躍はこの時に起ったのである。
3章23節 イエスの、[教を宣べ]始め給ひしは、年おほよそ三十の時なりき。人にはヨセフの子と思はれ給へり。[引照]
口語訳 | イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子、 |
塚本訳 | このイエスは(伝道を)始められたとき、三十歳ばかりであった。(聖霊による子であったが、)世間ではヨセフの子と思われていた。ヨセフはヘリの子、 |
前田訳 | このイエスは働きはじめのころ三十歳ほどで、ヨセフの子と思われていた。ヨセフはヘリの子、 |
新共同 | イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、 |
NIV | Now Jesus himself was about thirty years old when he began his ministry. He was the son, so it was thought, of Joseph, the son of Heli, |
註解: 嬰児イエスを殺さんとしたヘロデ大王は紀元前四年に死去し、而して本章1節のテベリオ・カイザルの在位十五年が前記註のごとく紀元二十六年とすれば御年凡そ三十となる。「思はれ給へり」はルカ1:35の事実に対する説明として附加えられている。
ヨセフの父はヘリ、
2-3-ホ イエスの系図 3:24 - 3:38
(マタ1:1-16)
3章24節 その先はマタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、[引照]
口語訳 | それから、さかのぼって、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、 |
塚本訳 | ヘリはマタテの、マタテはレビの、レビはメルキの、メルキはヤンナイの、ヤンナイはヨセフの、 |
前田訳 | その先はマタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、 |
新共同 | マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ、 |
NIV | the son of Matthat, the son of Levi, the son of Melki, the son of Jannai, the son of Joseph, |
註解: 本節より38節までは主イエスの祖先の系図であるが、マタ1:1−16の系図との間に著しき差異があるので学者の論議の的となっている。ただしマタイがアブラハム以前に遡らなかったことはユダヤ人を主として録された福音書であったためであり、ルカがアダムまで遡ったのはルカがイエスの福音を全人類的に取扱ったことと、イエスを第二のアダムと見るパウロの思想の影響と見るべきであろう。なおマタイがその録せる系図の中に数人の婦人の名を交えたのに反し、ルカはこれを無視したのは系図にマタイと同様の意義を含めようとしなかったためであろう(この点マタ1:17要義参照)。なおダビデ以後マタイはソロモンの系図により、ルカはナタンの系図によっており、途中ゾロバベル、シャルテル(マタイ伝に日本訳語を異にすることは誤り)において両者の一致を見るのみであって全く異った系図を追うている。これらに関する説明については次の附記参照。
附記 [ルカによるイエスの系図とマタイによるそれとの関係について]
この難問題の解決につき種々の説が唱えられている。詳細はここに録すに不適当なる故梗概を以下に記す。すなわち、
1. 両者の中ルカ伝をマリヤの系図なりとする説(3:23を「ヨセフの子と思はれ給へり。〔されど実はマリヤの子にて〕その父はエリ」との意味に解す)。
2. 二者の一つを血脈による系図、他を法的系図と見る。すなわち養子と実子との相違と見る。
3. 申25:5−10により兄の死後その妻を娶る規定があるが(ルカ20:28。マタ22:24。マコ12:19)ヨセフの父ヤコブ(マタ1:16)はその兄ヘリ(ルカ3:23)の死後その妻を娶り、兄ヘリのために子ヨセフを挙げたと見る。而してヘリとヤコブを同母異父兄弟とする。
等であるが、何れも細目に至って種々の難問題を生じ、未だ充分なる解決に到達していない。ルカはおそらくマタイの系図またはその原資料を知らず、自ら研究の結果独特の資料または伝説に到達したのであろう。
3章25節 マタテヤ、アモス、ナホム、エスリ、ナンガイ、[引照]
口語訳 | マタテヤ、アモス、ナホム、エスリ、ナンガイ、 |
塚本訳 | ヨセフはマタテヤの、マタテヤはアモスの、アモスはナホムの、ナホムはエリスの、エリスはナンガイの、 |
前田訳 | マタテヤ、アモス、ナホム、エスリ、ナンガイ、 |
新共同 | マタティア、アモス、ナウム、エスリ、ナガイ、 |
NIV | the son of Mattathias, the son of Amos, the son of Nahum, the son of Esli, the son of Naggai, |
3章26節 マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ、[引照]
口語訳 | マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ、 |
塚本訳 | ナンガイはマハテの、マハテはマタテヤの、マタテヤはシメイの、シメイはヨセクの、ヨセクはヨダの、 |
前田訳 | マハテ、マタテヤ、シメイ、ヨセク、ヨダ、 |
新共同 | マハト、マタティア、セメイン、ヨセク、ヨダ、 |
NIV | the son of Maath, the son of Mattathias, the son of Semein, the son of Josech, the son of Joda, |
3章27節 ヨハナン、レサ、ゾロバベル、[引照]
口語訳 | ヨハナン、レサ、ゾロバベル、サラテル、ネリ、 |
塚本訳 | ヨダはヨハナンの、ヨハナンはレサの、レサはゾロバベルの、ゾロバベルはサラテルの、サラテルはネリの、 |
前田訳 | ヨハナン、レサ、ゾロバベル、サラテル、ネリ、 |
新共同 | ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シャルティエル、ネリ、 |
NIV | the son of Joanan, the son of Rhesa, the son of Zerubbabel, the son of Shealtiel, the son of Neri, |
註解: マタ1:12にゼルベバルと発音す(文語訳、口語訳共にゾロバベルとなっている:編者追加)。
サラテル、
註解: マタ1:12にサラテルとあり、以上二人においてマタイとルカは系図が合流している。
ネリ、
3章28節 メルキ、アデイ、コサム、エルマダム、エル、[引照]
口語訳 | メルキ、アデイ、コサム、エルマダム、エル、 |
塚本訳 | ネリはメルキの、メルキはアデイの、アデイはコサムの、コサムはエルマダムの、エルマダムはエルの、 |
前田訳 | メルキ、アデイ、コサム、エルマダム、エル、 |
新共同 | メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、 |
NIV | the son of Melki, the son of Addi, the son of Cosam, the son of Elmadam, the son of Er, |
3章29節 ヨセ、[引照]
口語訳 | ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、 |
塚本訳 | エルはヨシュアの、ヨシュアはエリエゼルの、エリエゼルはヨリムの、ヨリムはマタテの、マタテはレビの、 |
前田訳 | ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、 |
新共同 | ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタト、レビ、 |
NIV | the son of Joshua, the son of Eliezer, the son of Jorim, the son of Matthat, the son of Levi, |
註解: (原音イエス)
エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
3章30節 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリヤキム、[引照]
口語訳 | シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリヤキム、 |
塚本訳 | レビはシメオンの、シメオンはユダの、ユダはヨセフの、ヨセフはヨナムの、ヨナムはエリヤキムの、 |
前田訳 | シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリヤキム、 |
新共同 | シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エリアキム、 |
NIV | the son of Simeon, the son of Judah, the son of Joseph, the son of Jonam, the son of Eliakim, |
3章31節 メレヤ、メナ、マタタ、ナタン、ダビデ、[引照]
口語訳 | メレヤ、メナ、マタタ、ナタン、ダビデ、 |
塚本訳 | エリヤキムはメレヤの、メレヤはメナの、メナはマタタの、マタタはナタンの、ナタンはダビデの、 |
前田訳 | メレヤ、メナ、マタタ、ナタン、ダビデ、 |
新共同 | メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、 |
NIV | the son of Melea, the son of Menna, the son of Mattatha, the son of Nathan, the son of David, |
註解: ダビデ以下アブラハム(34節)までは大体マタイ伝と一致す(マタ1:2-6)
3章32節 エツサイ、オベデ、ボアズ、サラ、[引照]
口語訳 | エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナアソン、 |
塚本訳 | ダビデはエッサイの、エッサイはオベデの、オベデはボアズの、ボアズはサラの、サラはナアソンの、 |
前田訳 | エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナアソン、 |
新共同 | エッサイ、オベド、ボアズ、サラ、ナフション、 |
NIV | the son of Jesse, the son of Obed, the son of Boaz, the son of Salmon, the son of Nahshon, |
註解: (異本サルモン マタ1:5)
ナアソン、
3章33節 アミナダブ、アデミン、アルニ、[引照]
口語訳 | アミナダブ、アデミン、アルニ、エスロン、パレス、ユダ、 |
塚本訳 | ナアソンはアミナダブの、アミナダブはアデミンの、アデミンはアルニの、アルニはエスロンの、エスロンはパレスの、パレスはユダの、 |
前田訳 | アミナダブ、アデミン、アルニ、エスロン、パレス、ユダ、 |
新共同 | アミナダブ、アドミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、 |
NIV | the son of Amminadab, the son of Ram, the son of Hezron, the son of Perez, the son of Judah, |
註解: (マタ1:3には以上二人の代りにアラムとあり)
エスロン、パレス、ユダ、
3章34節 ヤコブ、イサク、アブラハム、[引照]
口語訳 | ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、 |
塚本訳 | ユダはヤコブの、ヤコブはイサクの、イサクはアブラハムの、アブラハムはテラの、テラはナホルの、 |
前田訳 | ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、 |
新共同 | ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、 |
NIV | the son of Jacob, the son of Isaac, the son of Abraham, the son of Terah, the son of Nahor, |
註解: 以下はマタイ伝になし、以下は創5:1−52。創11:10−26による。なおT歴1:1−27参照。
テラ、ナホル、
3章35節 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、サラ、[引照]
口語訳 | セルグ、レウ、ペレグ、エベル、サラ、 |
塚本訳 | ナホルはセルグの、セルグはレウの、レウはペレグの、ペレグはエベルの、エベルはサラの、 |
前田訳 | セルグ、レウ、ペレグ、エベル、サラ、 |
新共同 | セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、 |
NIV | the son of Serug, the son of Reu, the son of Peleg, the son of Eber, the son of Shelah, |
3章36節 カイナン、[引照]
口語訳 | カイナン、アルパクサデ、セム、ノア、ラメク、 |
塚本訳 | サラはカイナンの、カイナンはアルパクサデの、アルパクサデはセムの、セムはノアの、ノアはラメクの、 |
前田訳 | カイナン、アルパクサデ、セム、ノア、ラメク、 |
新共同 | カイナム、アルパクシャド、セム、ノア、レメク、 |
NIV | the son of Cainan, the son of Arphaxad, the son of Shem, the son of Noah, the son of Lamech, |
註解: このカイナンは創世記、歴代誌などになし、これを欠く写本あり。
アルパクサデ、セム、ノア、ラメク、
3章37節 メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、[引照]
口語訳 | メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、 |
塚本訳 | ラメクはメトセラの、メトセラはエノクの、エノクはヤレデの、ヤレデはマハラレルの、マハラレルはカイナンの、 |
前田訳 | メトセラ、エノク、ヤレデ、マハラレル、カイナン、 |
新共同 | メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、 |
NIV | the son of Methuselah, the son of Enoch, the son of Jared, the son of Mahalalel, the son of Kenan, |
3章38節 エノス、セツ、アダム[に至る。アダムは]、神[の子]なり。[引照]
口語訳 | エノス、セツ、アダム、そして神にいたる。 |
塚本訳 | カイナンはエノスの、エノスはセツの、セツはアダムの、アダムは神の子、である。 |
前田訳 | エノス、セツ、アダム。アダムは神の子である。 |
新共同 | エノシュ、セト、アダム。そして神に至る。 |
NIV | the son of Enosh, the son of Seth, the son of Adam, the son of God. |
註解: 最後は上記のごとく「アダム、神」と簡単に訳すべきである。ルカはかく無造作に神をアダムの父と記すことによりイエスが神の子に在し給うことは何ら差支えなきこと、またイエスが第二のアダムに在し給うことを暗示しているものと見ることができる。