ヤコブ書第3章
分類
3 義しき心と義しき行為 2:14 - 4:17
3-2 舌を制すべし 3:1 - 3:12
3章1節 わが
口語訳 | わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。 |
塚本訳 | 兄弟達、あまりに多く教師になるな。君達が知っているように、私達教師は(人一倍)厳しい審判を(神から)受けるのに、 |
前田訳 | 兄弟方、おおぜいが教師におなりでないように。ご存じのように、われら教師はより大きな裁きを受けるでしょう。 |
新共同 | わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。 |
NIV | Not many of you should presume to be teachers, my brothers, because you know that we who teach will be judged more strictly. |
註解: 1−12節はヤコ1:19、ヤコ1:26の敷衍で、「語ることを遅くす」べきことを教えている。愛心の乏しきもの、行為を伴わざる信仰を有つものの中に殊に論議に長ぜるもの多きことは有りがちな事実であって、巧言令色鮮矣仁 なる言は甚だ適切であること古今東西を論じない。「教師」とは必ずしもこれを職とする有資格の先生またはラビのみをいうのではない。当時のユダヤ人の集会の習慣により誰にても自由にその所感を述ぶることができた(マタ12:8以下、マタ13:54。マコ1:39。ルカ6:14以下。ヨハ18:20等)。そのようにして当時のキリスト教会には殊に自称先生がむやみに多く輩出したのであろう。ヤコブはかかる態度を取るものの多からざらんことを望んだ。その故は重大なる役目を演ずる者は、神は一層厳格にこれを審判 き給うが故である(マタ23:13。マコ12:40。ルカ20:47)。ゆえに速やかに為すべきことは愛の行為であって、教師となることは慎重なる注意を要する。
辞解
[我ら] ヤコブは己をも教師の中に入れている。
3章2節
口語訳 | わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。 |
塚本訳 | 皆しばしば失策をするからである。もし言において失策をしない者があるなら、それは全身にも轡をつけることの出来る完全な人である。 |
前田訳 | われらは皆多くのまちがいをします。もしことばでまちがわなければ、それは全身を制御しうる完全な人です。 |
新共同 | わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。 |
NIV | We all stumble in many ways. If anyone is never at fault in what he says, he is a perfect man, able to keep his whole body in check. |
註解: 前節の理由を示す。すなわち人間は凡て弱く躓き易きものである。殊に最も躓き易きは教師にとって唯一の道具たる口である。もし我ら注意して厳格に自己の言を吟味するならば不慮の中に多くの躓きを為しつつあることを発見するであろう。教師となることの恐るべき所以はここにある。従ってもしこの至難なる点において躓かざる者、すなわち完全に口を制御し得る者は全身を制御し人間の凡ての慾望や感情を制し得る完全なる人というべきである。
辞解
[我ら] 使徒自身もこの中にあり。
[皆] hapantes は pantesより強き意味。
[躓く、蹉跌 ] 原語同一。
[全身] 種々の慾望や感情の総体として人間の体を指している。
3章3節 われら
口語訳 | 馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。 |
塚本訳 | もし馬を従わせるために口に轡を嵌めれば、その全身を御することが出来る。 |
前田訳 | 馬を従わせるために口にくつわをつけるならば、われらはその全身をも引き回せます。 |
新共同 | 馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。 |
NIV | When we put bits into the mouths of horses to make them obey us, we can turn the whole animal. |
註解:轡 を口に置きて馬の全身を制し得るごとく、人はその舌を制御することによりて全身を支配することができる。この断定は一見過言のごとくであって実は深き真理を含んでいる。
3章4節 また
口語訳 | また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。 |
塚本訳 | また船を見よ。あんなに大きくありながら、また激しい風に追われていても、極小さな舵で、舵手の心のはずみでその欲する処に動かされる。 |
前田訳 | また、舟をごらんなさい。形が大きく、強い風に押されていても、ごく小さな舵で舵とりの思うところに導かれます。 |
新共同 | また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。 |
NIV | Or take ships as an example. Although they are so large and are driven by strong winds, they are steered by a very small rudder wherever the pilot wants to go. |
3章5節
口語訳 | それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。 |
塚本訳 | このように舌も(体の)小さな肢ではあるが、大きなこと(が出来るの)を威張るのである。見よ、あんな小さな火があんな大きな林を燃やすではないか! |
前田訳 | 舌も同様で、小さな部分ですが、大きなことをいいます。ごらんなさい、どんなに小さい火がどんなに大きい森を燃やすかを。 |
新共同 | 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。 |
NIV | Likewise the tongue is a small part of the body, but it makes great boasts. Consider what a great forest is set on fire by a small spark. |
註解: 第二の例として船と舵との関係を掲げ、小なる舵をもってよく大なる船体を舵手の意のごとくに動かすごとく、小なる舌を完全に制し得るものはよく全身を制御し得るのである。それ故に舌は小なりといえども大いに威張っているものである。
辞解
[誇るところ大なり] megalancheô 「大事を為す」「有力である」(C1)「大言を為して大害を起す」(A1)等種々の意味に取られるけれども、日本俗語の「大威張りをする」に相当し、悪しき意味に用いられ言語態度等の倨傲 なるを言う。舌もかかるものであって御 し難い。
註解: 舵の例よりヤコブは舌の小さきにもかかわらず制御し難きこと、およびこれを適当に制御せざれば全身を亡ぼす大害をなすことを示している。火と林の例もこの事実を示す。
3章6節
口語訳 | 舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。 |
塚本訳 | 舌も火である。舌は不義の世界として私達の肢体の中に座を占め、全身を穢し、(自らは)地獄の火に燃やされながら、「輪転の一生」を燃やすのである。 |
前田訳 | 舌は火です。不義の世のものです。舌はわれらの肢体のうちにあらわれ、全身を汚し、生育の車輪を燃やし、自ら地獄の火で焼かれます。 |
新共同 | 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。 |
NIV | The tongue also is a fire, a world of evil among the parts of the body. It corrupts the whole person, sets the whole course of his life on fire, and is itself set on fire by hell. |
註解: ここに舌は火のごとく小さいと同時に(▲(+)大なる林をも燃やし)、不義に充満している意味において偉大なる働き(悪しき)を為すことを示す。そうしてこの二性質中、後者すなわち不義に充ちていること(不義の世界)は舌が我らの肢体中に位して全身を汚すの原因となり、また火のごとき性質はあたかも地獄の火のごとく、一生涯の進路を燃やし尽くす作用を為すものである。すなわち舌は小さいけれども全人を焼き亡ぼしまた汚穢に陥らせる異常なる悪魔的力の所有者である。本節は難解の一節である。
辞解
[不義の世界] 不義の充満し(M0)、大なる力となっていること(B1、C1)を示す(異説多し)。
[地獄より燃出で] (▲▲むしろ「ゲヘナによって焼かれ」と訳すべきで舌が結局においてゲヘナの火に焼かれるに相応しきものなることを示す。本節は難解の一節である。)人の心には地獄が潜んでおり、その火はあたかも焔のごとく舌の先から燃え上がる。
[一生の車輪] 人生は車輪のごとく回転して止まない。舌の火はこの人の一生を焼き尽くす。
3章7節
口語訳 | あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。 |
塚本訳 | というのは、凡ての生物は、獣も鳥も、匍うものも海のものも(悉く)押さえつけられるが、そして(既に)人間の性に押えつけられて来たが、 |
前田訳 | あらゆる種類の獣と鳥、地に匍うものと海に泳ぐものは人類に制せられるもので、じじつ制せられました。 |
新共同 | あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。 |
NIV | All kinds of animals, birds, reptiles and creatures of the sea are being tamed and have been tamed by man, |
3章8節 されど
口語訳 | ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。 |
塚本訳 | 舌は如何なる人もこれを押さえつけることが出来ない。舌は休むことなき悪であり、死の毒に満ちている。 |
前田訳 | しかし舌は人々のうちだれも制しえません。それは手におえない悪で、死の毒に満ちています。 |
新共同 | しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。 |
NIV | but no man can tame the tongue. It is a restless evil, full of deadly poison. |
註解: (▲7節後半私訳「…性はみな人の性に制せられまた既に制せられたり)舌の腐蝕力および破壊力を5、6節に述べ、ここに7、8節にはその馴らし難き性質について述べている。地上天上水中の諸動物の性をほとんど凡て人の性をもって馴致 することを得、また事実これを馴致 した。しかしながら舌は容易に制御せられず、動き廻りて制止し難き悪であるのみならず、人を殺しこれを害する毒が充満しているのでこれに触れることすらできないほどである。
辞解
[獣、鳥云々] この四種は創9:2の列挙に類似し全生物を指す。
[種類] phusis はここでは「性」「性質」の意で(A1、B1、M0)「人」とある所も原語「人の phusis」とあり、訳語にこれを欠くは不当である。動物の性質は人の性質に馴らされたことをいう。
[みな人の性に制せられ、またすでに制せられたり − 私訳] 現在動詞は人の能力を示し、過去動詞は事実、経験を示す。
[動きて止まぬ] akatastatos はよろめき廻りて手のつけようなき容(ヤコ1:8)。
3章9節 われら
口語訳 | わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。 |
塚本訳 | 私達はこれで父なる主を讃美し、またこれで”神に象って“造られた人間を呪う。 |
前田訳 | われらは舌によって父なる主を讃美し、舌によって神にかたどって造られた人間を呪います。 |
新共同 | わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。 |
NIV | With the tongue we praise our Lord and Father, and with it we curse men, who have been made in God's likeness. |
3章10節
口語訳 | 同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。 |
塚本訳 | (すなわち)同じ口から讃美と呪詛が出るのである。(しかし、)兄弟達、そんなことがあってはならぬ。 |
前田訳 | 同じ口から讃美と呪いとが出ます。兄弟方、そうであってはなりません。 |
新共同 | 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。 |
NIV | Out of the same mouth come praise and cursing. My brothers, this should not be. |
註解: 舌はかくも動きて止まず、不定、不節操なもので、またかくも有毒にして人を害するものである。かかる二心、かかる呪詛 は有ってはならない。この語はヤコブが自分にも適用しているほど一般的事実であって、今日といえどもこの語を自己に当てはめて、心が咎めない者はないであろう。
3章11節
口語訳 | 泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。 |
塚本訳 | (一体)泉が同じ穴から甘い水と苦い水を出すことがあろうか。 |
前田訳 | 泉が同じ穴から甘い水と苦い水とを吹き出しますか。 |
新共同 | 泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。 |
NIV | Can both fresh water and salt water flow from the same spring? |
3章12節 わが
口語訳 | わたしの兄弟たちよ。いちじくの木がオリブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができようか。塩水も、甘い水を出すことはできない。 |
塚本訳 | (それとも、)兄弟達、無花果が橄欖を、また葡萄が無花果を生らせることが出来ようか。またしおからい泉が甘い水を出すことは出来ない。 |
前田訳 | 兄弟方、いちじくの木がオリブの実を、ぶどうの木がいちじくの実を結びえますか。同様に、塩水も甘い水を作れません。 |
新共同 | わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。 |
NIV | My brothers, can a fig tree bear olives, or a grapevine bear figs? Neither can a salt spring produce fresh water. |
註解: 一つ心から二種の相反する思いや言が流れ出ることができない。ゆえに讃美と呪咀 とを同じ口より出すことができない。またある性質の心からこれと異なった性質の思想や言語が出て来ることはない。ゆえに根本が悪しき心であればそれから善き言が出るはずがない。人を呪咀 う心から神を讃美する言が出るはずがない。もしこれが出されるならばそれは全く虚偽か偽善である。
辞解
「泉」は心に比較し、「穴」は口に比較される。
要義 [舌と心]1−12節によれば舌は諸悪の宿る処、大害を惹起す処であり、しかも制御し難きものであって、これを制し得る者は全き人であるというのである。しかしながら舌は舌そのものとして働くのではなく、心が舌によって外に表われるのである。ゆえに舌の諸悪の宿る処であることも、大害を与うることも、制御し難きことも、実はみなその源なる心が汚れているからである。ゆえにまず聖霊の力によって心そのものを潔めなければならない。泉の比喩はこのことを示す。
3章13節
口語訳 | あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれであるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活によって示すがよい。 |
塚本訳 | 君達の中で知恵があり、分別があるのは誰か。その人は立派な生活により、(真の)知恵から生まれる柔和を以てその行為を示(し、真の知恵を有っていることを証明)せ(よ。) |
前田訳 | あなた方のうちで知恵があって思慮深いのはだれですか。彼が正しい姿勢によってその行ないを知恵ある慎みのうちに示しますように。 |
新共同 | あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。 |
NIV | Who is wise and understanding among you? Let him show it by his good life, by deeds done in the humility that comes from wisdom. |
註解: 舌より進んで心の問題に移って行く。舌が種々の害を及ぼすに至る所以は心に真の智慧がないからである。もし真に智慧がある者があるならば、その人はこれを行為に顕わすべきである。そしてこれを顕わす方法は「善き行為」「立派な態度」でありこれを顕わす手段は「智慧より出づる柔和」である。14−16節は本節の反対の有様を示す。
辞解
[「智 く」「慧 き」]「智 く」 sophia は一般の智慧、「慧 き」epistêmôn は経験を積んでよく知っていること。
[行状] 日常の行為態度。
[柔和なる智慧] en prautêti sophias は適訳ではない。「智慧に叶う柔和」(M0)「智慧と結付ける柔和」(B1)「智慧に相応しき柔和」(A1)等の意味、嫉 、党派心等の反対の心持。
3章14節 されど
口語訳 | しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはならない。 |
塚本訳 | しかし、もし君達の心に苦い嫉妬や争いがあるならば、(知恵があるなどと)誇って(はならぬ。それは虚言である。)真理に反して虚言をいってはならぬ。 |
前田訳 | しかし、もしあなた方の心の中に苦い妬みや欲があるならば、誇ってはならず、真理に反して偽ってはなりません。 |
新共同 | しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。 |
NIV | But if you harbor bitter envy and selfish ambition in your hearts, do not boast about it or deny the truth. |
註解: 彼らはその心中に智慧より出づる柔和の心を持たず反対に苦き嫉妬心(他より己を優れりとして)とこれに伴う党派心を持っていた。かかる悪しき心を持ちつつも人に誇りまたはその良心に偽ることは真理に反する行為である。
辞解
[妬 ] zêlos は「熱心」「嫉視 」等の意あり他の優越を嫉 み、また自己の優越を主張せんとする熱心なる心。
[眞理 に悖 りて] 「誇るな」にも懸けて読むことを可とす。もし彼らにして真理に従うならば「智慧に叶う柔和」を持つべきで、かかる誇りや偽りを持つはずはない。
3章15節 かかる
口語訳 | そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。 |
塚本訳 | そんな知恵は上から降ったものではない。地上のもの、血肉のもの、(然り、)悪鬼のものである。(真の知恵は謙遜であり、柔和である。) |
前田訳 | それは上から下った知恵ではなく、地のもの、欲のもの、悪霊のものです。 |
新共同 | そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。 |
NIV | Such "wisdom" does not come down from heaven but is earthly, unspiritual, of the devil. |
註解:嫉視 や党派心のごとき智慧は「上より」すなわち神より出づる智慧とは正反対のもので、地的、肉的、悪魔的である(Tコリ3:3)。如何に神学上の知識があり処世上の智慧があっても、もし嫉視 、徒党を宗 とするならばそれは世の智慧(Tコリ2:6)に過ぎない。
辞解
[地に屬し] epigeia は天の反対、罪に纏 われ滅ぶべきもの。
[情慾に屬し] psychikos はTコリ2:14には「性来 のままなる」Tコリ15:44には「血気の」と訳せられてし語で、「霊的」に対する「肉的」すなわち人間の自然性に属していることを示す。
3章16節
口語訳 | ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。 |
塚本訳 | 何故なら、嫉妬や争いのあるところには無秩序とあらゆる悪事がある。 |
前田訳 | 妬みと欲のあるところ、混乱とあらゆる悪事があります。 |
新共同 | ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。 |
NIV | For where you have envy and selfish ambition, there you find disorder and every evil practice. |
註解: 自己の知識や智慧を誇っている者は妬 (この中に自己の優越を誇り他を見下す心をも含むことに注意せよ。)と党派心とをもってあたかも神の意に叶う善事を為しまた智慧あるもののごとくに思うけれども、これは大なる誤りである。何となれば神は亂 の神にあらず(Tコリ14:33)、神は悪しき業を為し給わず、また上よりの智慧は17、18節のごとくであるから。
3章17節 されど
口語訳 | しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。 |
塚本訳 | 上からの知恵はまず聖く、次に平和を好み、親切で、温順で、憫れみと善き果実に満ちて居り、党派根性がなく、偽善でない。 |
前田訳 | 上からの知恵はまず純粋、次に平和、思慮、従順で、あわれみと良い実に満ち、公平で偽りがありません。 |
新共同 | 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。 |
NIV | But the wisdom that comes from heaven is first of all pure; then peace-loving, considerate, submissive, full of mercy and good fruit, impartial and sincere. |
註解: 15、16節とは反対に真の智慧の特徴を示す。すなわち「第一」にその本質は「潔く」あることで、地的、肉的、悪魔的なるものに汚れず(15節)、次にその顕われとして「亂 れ」の反対なる平和、寛容、温順あり、「悪しき業」の反対なる憐憫と善き果とに満つ。かつ人を分け隔てせずまた虚偽がない。これみな善き心、真の智慧が泉の源をなしているからである。
辞解
[潔く] hagnos は貞潔、純潔等罪の念や行為に汚されざる状態。
[平和] 党争の反対。党派の原因は自己を正しとして他に対する不寛容より起るが故に「寛容」は党派心の反対。
[温順] eupeithês は高慢の心なく他の意見に聴従すること、これらはいずれも党派を除き「亂 れ」を免れしむる性質である。
[人を偏り視ず] adiakritos ヤコ2:4註解に記せるごとく諸種の意味にも解せられている。邦訳の外に「分離せず」「平和的」「審 かず」「疑わず」等の意味に解せられている。邦訳が適当であろう。私訳「分け隔てせず」。
3章18節
口語訳 | 義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。 |
塚本訳 | そして(この)義の果実は平和を作る人(の心)に、(神によって)平和の裡に播かれるのである。 |
前田訳 | 義の実は平和を行なう人々によって平和のうちにまかれます。 |
新共同 | 義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。 |
NIV | Peacemakers who sow in peace raise a harvest of righteousness. |
註解: 私訳「義の果は平和ならしむる者によりて平和の中に播かれるなり」。平和ならしむる者はマタ5:9のごときまた前節のごとく上よりの智慧を持つ者を指す。かかる人々が平和の中に播ける種がやがて義の果となって刈り取られるのである。自らを義として党争を事とする者は悪しき業により悪の果を結ぶに過ぎない。
辞解
「果を播く」ということは、種を播きて果を得ることの思想上の省略。
要義 [天的の智慧と地的の智慧]党争、分離、嫉視 等は自ら智慧ありと矜 ることより生ずるのであって、一見信仰的態度なるがごとくに見えるけれども、実は然らず、これ地的肉的悪魔的智慧の結果であり、苦き泉より流れ出づる苦き水である。従って種々の悪結果がこれより生ずる。これに反し天的の智慧は潔き泉であり平和によって義の果を結ぶ。そしてこの間の区別は極めて微妙であって、もしこの平和も潔からざる心より生ずる策略上の平和であるならば義の果を結ぶことができず、また争いも潔き心より生ずるものであるならば義の果を結ぶことができる。要するに源泉の如何が問題であることに注意すべきである。▲キリスト教が多くの宗派に分かれているのもこの天的智慧を欠くことから起って来る。
ヤコブ書第4章
3-4 貪慾と世と悪魔に対して闘え 4:1 - 4:10
4章1節
口語訳 | あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。 |
塚本訳 | 君達の間の戦いは何処から(来る)か、また争いは何処からか。君達の五体の中で(いつも良心と)戦っている快楽(の慾)、其処から(来るの)ではないか。 |
前田訳 | どこから戦いや争いがあなた方の間におこりますか。ほかではなく、あなた方の肢体の中で戦う欲からではありませんか。 |
新共同 | 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。 |
NIV | What causes fights and quarrels among you? Don't they come from your desires that battle within you? |
註解: この書簡の読者なるキリスト者の中に激しい徒党の争いあり、相闘いつつあった。この状態に陥れる原因は他にあらず彼らの体の中において霊魂と闘う処の肉慾である。ここにヤコブは前章末尾の平和と党争の思想をさらに敷衍してその根本に横たわる罪悪を絶たんとしているのである。
辞解
[戦争] 相敵対する永続的状態。
[分争] machai はむしろ「戦闘」「闘争」と訳すべきで個々の戦闘行為を指す。
[肢體のうちに戰ふ] 霊魂または神の内在の霊(5節)に対して戦うことを意味し(ロマ7:23。Tペテ2:11。B1、E0)、慾が反対党(A1)または反対するすべてのもの(M0)、または慾相互と戦う意味ではない。「慾」hêdonê は次節「貪り」epithumia とほぼ同意義。
4章2節
口語訳 | あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。 |
塚本訳 | 君達は貪る、しかし得ない、妬みまた猾む、しかし取ることが出来ない。君達は争いまた戦う。しかし得ない、(神に)求めないからである。 |
前田訳 | あなた方は欲しても得られず、人を殺し、妬んでも何もかち得ません。戦い争っても何も得られないのは、あなた方が求めないからです。 |
新共同 | あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、 |
NIV | You want something but don't get it. You kill and covet, but you cannot have what you want. You quarrel and fight. You do not have, because you do not ask God. |
註解: 私訳「汝ら貪る、しかも得ず。殺しまた妬む、しかも獲ること能わず。闘いまた戦 す、しかも得ず、求めざるに因 りてなり」。前節の慾が「貪り」より「殺しまた妬む」に至り進んで「闘いまた戦 する」に至ってその極点に達する。貪りは心中の傾向、殺すこと(Tヨハ3:15のごとく兄弟を憎むこと)および妬むことは内心の貪りが他に対して向けられること、闘いまた戦 することは憎悪嫉視 がさらに行為となりて他に対して発動することである。キリスト者の間の争闘はみなかくして貪りの心より生ずるのである。(貪りの目的物は単にこの世の富(M0)のみを指すのではなく、この世に属するあらゆる慾望を包含する。)かくしても彼らがその求むる処を獲得し得ない理由は彼ら神に祈願しないからである。「貪る者、殺す者、争う者は祈ることができない」(B1)。
4章3節
口語訳 | 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。 |
塚本訳 | 求めてしかも受けないのは、悪い心で、自分達の快楽のために費やそうとして求めるからでる。 |
前田訳 | 求めても何も受けないのは、あなた方の求め方が悪いのであって、自らの欲のために使おうとするからです。 |
新共同 | 願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。 |
NIV | When you ask, you do not receive, because you ask with wrong motives, that you may spend what you get on your pleasures. |
註解: 前節において祈りなき生活の陥る状態と、祈りによらざれば求むるものを得ることができないこととを示した。本節においては祈りでもなお与えられざる場合を示す。すなわち我らの希願は凡て神の御栄えのために費やすべきものに向けられるべきであり、かかるものは祈りによりて与えられる。しかしながら自己の慾に支配されつつこれを費やさんとて求むるものは与えられない。かかる求め方は「悪しき求め方」である。
辞解
[妄 に] kakôs は「悪しく」の意。▲2、3節は口語訳が優る。
4章4節
口語訳 | 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。 |
塚本訳 | 姦婦達、世に対する愛情は神への敵対であることを知らないのか。だから誰でも世の友になろうと思う者は自分を神の敵とするのである。 |
前田訳 | 不義の人々よ、あなた方は世への友愛が神への敵意であることを知りませんか。世の友になろうとするものは神の敵になるのです。 |
新共同 | 神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。 |
NIV | You adulterous people, don't you know that friendship with the world is hatred toward God? Anyone who chooses to be a friend of the world becomes an enemy of God. |
註解: 「世」は神に反し悪魔に順 い、悪魔の主義によりて支配せられている。ゆえに「世に対する友情は神に対する敵意であり」(私訳)、この世の富、名誉、権力等を欲する者、すなわちヤコ3:14−16、4:1−3のごとき者は神に対して姦淫を行う者である。従って世の友たらんとする者は取りもなおさず神の敵たる地位に立っているものである。
辞解
[姦淫をおこなふ者] moichalides 女性名詞。イスラエルと同じくキリスト者も神の妻と呼ばれている。ゆえに神に反して世と偕 なる者を姦淫者と呼んでいる(マタ12:39。Uコリ11:2。詩73:27。イザ57:3。エゼ23:27。ホセ2:4、ホセ2:6)。
4章5節
口語訳 | それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。 |
塚本訳 | それとも君達は「(神は)私達の中に住ませ給うた霊を嫉みぶかく慕い給う」と聖書が言うのを空なことと思うのか。 |
前田訳 | それとも、あなた方は聖書に「神はわれらのうちにお住まわせの霊を妬むほど愛したもう」とあるのをむなしいとお思いですか。 |
新共同 | それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、 |
NIV | Or do you think Scripture says without reason that the spirit he caused to live in us envies intensely? |
註解: キリスト者は神の霊によりて新生し神は彼らに聖霊を与えて彼らの中に住ましめ、そしてこの聖霊を熱愛し給う(ヨハ14:16−17)。ゆえにキリスト者は世と姦淫せず、凡ての慾と高慢と党争とより免れて、自己を瑕なく汚点なき潔き状態に置かなければならない(エペ1:4。エペ5:27)。聖書がかく教えることは決して空なる虚言ではなく神の切なる御心である。(注意)「聖書に」は聖書に直接にこれに相当する字句なき故何れの章句を指すかは不明である。それ故に(イ)旧約聖書の大意を要約せりとするもの、(ロ)今日失われし古典中の文句とするもの(W2、S2)、(ハ)新約聖書よりの引用なりとするもの(B1、E0)、(ニ)創4:7、創6:3、創6:5、創8:21。民11:29。申32章。民35:34。エゼ36:27。詩37:1、詩73:3、詩119:20以下、詩132:12、13。箴21:10。イザ63:8−11。ホセ1:2。マタ6:24。ガラ5:17。Tペテ2:1等の意味を表顕せるものとするもの、(ホ)引用にはあらずしてヤコブが6節の引用に移る前に自らの意見を挿入せりとするもの(M0、G2、ラゲ訳、B2、この場合は「汝ら聖書のいう処を虚しきと思うや、神は我らの衷 に住ませ給いし霊を妬むほどに慕い給う。6節、されどさらに大なる恩恵を賜うが故に言い給う云々」となる)等あり。最後の説比較的適当である。なおこの一節は文法上種々に訳し得るが故に異解多し。
4章6節
口語訳 | しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。 |
塚本訳 | 神は(二心の者を必ず罰し給う代わりに、彼を愛する者には)いよいよ大きな”恩恵を賜うのである”。それ故に(また聖書は)言う「“神は横柄な者に抵抗し、謙遜な者には恩恵を賜う”」と。 |
前田訳 | しかし神はより大きな恵みを賜わります。それでこそ聖書に、「神は高ぶるものをしりぞけ、へりくだるものに恵みを賜わる」とあります。 |
新共同 | もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる。」 |
NIV | But he gives us more grace. That is why Scripture says: "God opposes the proud but gives grace to the humble." |
註解: 神は単にキリスト者を愛してその霊を慕い給うのみならず、世を友とせず、世の主義に遵 わず、自ら高しとせざる者にはさらに一層その恩恵を注ぎ、高慢の心(肉につける世的の心、ピリ2:3−5)を有ちて神に遵 わず神を敵とする者をばこれを斥 け給う。この引用は箴3:34(七十人訳)。
辞解
[更に大なる] 前節の恩恵に比して一層大なる恩恵。
4章7節 この
口語訳 | そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。 |
塚本訳 | だから神に従え。しかし悪魔には反抗せよ、すると君達から逃げるであろう。 |
前田訳 | それゆえ神に従い、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば悪魔はあなた方から逃げ去るでしょう。 |
新共同 | だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。 |
NIV | Submit yourselves, then, to God. Resist the devil, and he will flee from you. |
註解: 神に背きて悪魔に従う者は慾に捕われ、高ぶり、戦いと党争とに陥り、世の友となる。キリスト者はかく有るべきではなく、その反対の態度を取るべきである。そしてもし人神に順 いつつ悪魔と戦うならば、悪魔はその打ち勝ち難きを見て彼より逃れ去るであろう。すなわち平和、寛容、温順その他の諸徳(ヤコ3:17)の前には凡ての悪は敗北に帰するであろう。
4章8節
口語訳 | 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。 |
塚本訳 | 神に近づけ、すると君達に近づき給うであろう。罪人達、手を(洗い)潔めよ、二心の者、心を聖くせよ。 |
前田訳 | 神に近づきなさい。そうすれば神はあなた方にお近づきでしょう。罪びとらよ、手を清めなさい。二心のものどもよ。心をきれいになさい。 |
新共同 | 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。 |
NIV | Come near to God and he will come near to you. Wash your hands, you sinners, and purify your hearts, you double-minded. |
註解: 世の友となって神に叛 いている者はまず悔改めて神に近づかなければならぬ。然らざれば神は彼らに近づき給わない。ただしこの一節は我らの行為が先で神の恩恵がこれに伴うことを示したのではない(C1)。神に近づくことは祈りと心全体の態度によるのであって、すでにキリスト者として救いに与りつつも罪に陥り悪魔に捕われている者はまず悔改めてキリストの執成 しにより神に近づかなければならないことを示す。そして神はかく命じつつその聖霊をもって我らの中にこの業を成し遂げしめ給う。
註解: 神に背く者は「罪人」であり神と世との双方に仕えんとする者は「二心」の者である。かかる者はまずその「手」すなわち外に顕われる行為の汚れを去り、「心」に貞潔を保ちて世に汚されぬこと(ヤコ1:27)が必要である。
辞解
[淨 めよ] katharisate は汚れしものを洗い潔めること。
[潔 よくせよ] hagnisate は純潔の状態を保つこと、ヤコ3:17辞解 hagnos 参照。
「罪人」「二心の者」といいて二種の人々をいうのではなく同一種の人をいう。「ヤコブは本書簡において読者を時に兄弟と呼び時に罪人といい動揺常なきもののごとくに指示している」(B1)。これ凡て彼らの実際に対して名付けられし称呼である。
4章9節 なんぢら
口語訳 | 苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。 |
塚本訳 | (自分の惨めさを)嘆け、悲しめ、泣け。君達の笑いを悲しみに、喜びを憂鬱に変えよ。 |
前田訳 | 嘆き、悲しみ、泣きなさい、あなた方の笑いを悲しみに、よろこびを悩みに変えなさい。 |
新共同 | 悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。 |
NIV | Grieve, mourn and wail. Change your laughter to mourning and your joy to gloom. |
註解: 神に背ける罪人、二心の者はこの自己の状態を見て絶え難き苦悩を持ち、笑い歓びつつあるその心は悲嘆と憂鬱とに変らなければならぬ。ただし勿論これらの悲嘆、苦悩、憂鬱そのものが善いのではない(ルカ6:25)。これらは神を離れし者の心の当然の状態であって、この状態に陥って始めて神に立ち返ることを得るからである。
辞解
[惱め] ロマ7:24参照。
[憂] katêpheia 心に恥じて目を下げる容。
4章10節
口語訳 | 主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。 |
塚本訳 | 主の御前に(自分を)低くせよ、すると(主が)君達を高くし給うであろう。 |
前田訳 | 主の前にへりくだりなさい。そうすれば彼はあなた方をお高めでしょう。 |
新共同 | 主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。 |
NIV | Humble yourselves before the Lord, and he will lift you up. |
註解: 1節以下の結尾をなす。「木は上に伸びんがためには深く根をおろさなければならない。同様に自己の魂を謙遜をもって深く固定せざるものは、自らを高うして亡びに至るものである」(A2、C1)。
辞解
[卑 くす] 6節の「謙 る」と同語。▲7−10節はヤコブが自力主義の信を主唱しているように見えるのであり、またヤコブにこの傾向はあるのであるが、これはパウロ的の福音主義を否定したのではなく誤った福音主義に立って自己の凡ての怠慢や不道徳をもイエスの十字架によって贖わせようとする不遜の態度の信者を戒めたのである。
要義 [高ぶりの罪]第3章1節以下においてヤコブの心にある対象は弁舌の巧みなる、しかも心に誠なき牧師、自己の優越に矜 って徒党を作り党争を事としている人々らである。そしてヤコブはかかる高慢の中に神に反する根本的の罪、すなわち自己の慾と世と悪魔とに支配せられている魂を見出したのである。彼らは自ら高からんことを欲するけれども神はかかる者を卑 くし給う。その反対に自らを卑 くし、自己の罪と咎とを自覚し、そのために悲しみ歎く者はかえって神これを高くし給うのである。今日のキリスト教徒の中にも、この高ぶりの罪と徒党の罪は著しいのであって、我らこれを思いて自ら戒め、悔改めて神に近付き、手を潔め心を潔くしなければならぬ。
4章11節
口語訳 | 兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。 |
塚本訳 | 兄弟達よ、互いに譏るな。兄弟を譏る者、兄弟を審く者は、律法を譏り、律法を審くのである。そして君達が律法を審けば、律法を行う者でなく(その)審判者である。 |
前田訳 | 兄弟方、互いにそしりなさるな。兄弟をそしり、兄弟を裁くものは、律法をそしり、律法を裁くものです。もし律法を裁くならば、あなたは律法の実行者ではなくてその審判者です。 |
新共同 | 兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。 |
NIV | Brothers, do not slander one another. Anyone who speaks against his brother or judges him speaks against the law and judges it. When you judge the law, you are not keeping it, but sitting in judgment on it. |
註解: 兄弟を謗 りまたは審 くことをもって律法に忠実なる態度と考えているのは大なる誤りである。事実はその反対で彼らは愛の律法(ヤコ1:25、ヤコ2:9)そのものを無視し蹂躙 し、これを守る必要なきものと非難し、価値なきものと審判 いていると同様である。信仰の熱心をもって誇るものは高ぶりて他を審 き謗 る者が多い。
辞解
[謗 る] 「誹 る」と同一の原語 katalalein 反対の態度で語ること。「審 く」は「謗 る」と類似の意味があるけれども、前者は後者の原因をなす場合が多い。
註解: キリスト者は愛の律法の実行者でなければならない。然るに自ら高ぶりて他を誹 りまたは審 く者は律法の実行者たるべきその地位より潜上して神の立場を取り審判人の地位に自己を置くの誤りに陥っている者である。この上もなき冒涜である。
4章12節
口語訳 | しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。 |
塚本訳 | 立法者また審判者は、(人を)救いまた滅ぼすことの出来る彼(ただ)一人である。(神に代わって)隣人を審く君は(一体)何者だ! |
前田訳 | 立法者また審判者はひとりにいまし、救いまた滅ぼしえたもう方です。しかるに、隣びとを裁くあなたはだれですか。 |
新共同 | 律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。 |
NIV | There is only one Lawgiver and Judge, the one who is able to save and destroy. But you--who are you to judge your neighbor? |
註解: 神のみ真の立法者また審判者に在し、その律法にしたがい救いまた滅ぼす権威を有ち給う。ゆえに自らを審判者の地位に置きて隣りを審 くことは唯一の審判者たる神を審 く大なる冒涜の行為である。
辞解
「唯一人」なる文字を殊に意を強めて読むことを要す。
[誰なれば] いと小さく力なきものでありながらの意。
要義 [審 くことの罪]ロマ14章を参照すべし。他人がよし律法に反せる場合においても、我らは彼に対し愛をもってこれを矯正せんことを試むべきであって、彼らを謗 りまたは審 くべきではない。審 きは神自らこれを行い給う。我らは兄弟であり神は父である。父は審 き兄弟は愛をもって互に矯正すべきである。兄弟相審 く時為すべからざることを為しつつあるのである。マタ7:5要義参照。
註解: 本節以下5:6に至るまでヤコブは激烈なる非難を世俗的信者および富めるキリスト者に向って注いでいる。彼らはキリスト者の中にありながら未信者と
擇 ぶ処なき輩であった。ゆえにヤコブは「兄弟よ」なる語を用うることができなかったのであろう。しかしこれをもってこの一段が信徒以外に宛てられたもの(M0)ということはできない。
4章13節
口語訳 | よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 |
塚本訳 | さあ来い、「今日か明日どこそこの町に行き、一年其処に居り商売をして儲けてやろう」と言う者達! |
前田訳 | よく聞いてください、「われらはきょうかあす、これこれの町へ行って、そこで一年過ごし、商いをして利益を得よう」という人たちよ。 |
新共同 | よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、 |
NIV | Now listen, you who say, "Today or tomorrow we will go to this or that city, spend a year there, carry on business and make money." |
辞解
[聽け] Age nun は本節とヤコ5:1のみに特有の語で注意を引くための呼びかけ。
[言ふものよ] かく言うことが悪いというのではなく、かかる心を持つのが悪いというのである。
4章14節
口語訳 | あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。 |
塚本訳 | (だが)君達は明日のことを知らないのだ。君達の生命は何か。君達は一寸見えて、(直)またあとで見えなく成る湯気ではないか。 |
前田訳 | あなた方はあすのことがわかっていません。あなた方のいのちが何でしょう。あなた方はしばし現われて、それから消える霧です。 |
新共同 | あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。 |
NIV | Why, you do not even know what will happen tomorrow. What is your life? You are a mist that appears for a little while and then vanishes. |
註解: 我らの生命も境遇もことごとく神の支配の下にあり、神凡てこれを掌 り給う。そして我らは神の御計画の如何を知ることができない。我らの生命すら神一指を触れ給えば、たちまち消え去ってしまう。それ故に将来の事柄につき自己の計画や予定が凡てそのままに実現し得るもののごとくに考えかつ行動することは、神を除斥して自己を神の地位に置く甚だしき無信仰冒涜である。これも高ぶりの一種である。そして神を知らざる者がかく考えまたは言うことは当然のこと故、この注意も勿論不信仰なるキリスト者に向けられているのである(箴16:1−3)。
辞解
[霧] atmis は「烟 」「息」「蒸気」等の意味にも用いる語。
4章15節
口語訳 | むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。 |
塚本訳 | その代わりに君達はこう言わねばならぬ、「主の御心ならば、私達はいきていてこのことあのことを為よう!」 |
前田訳 | むしろあなた方はこういうべきです。「主のみ心ならばわれらは生きて、このことあのことをしましょう」と。 |
新共同 | むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。 |
NIV | Instead, you ought to say, "If it is the Lord's will, we will live and do this or that." |
註解: 将来生命を続くることも、またかれこれのことを為すこともみな主の御意の如何によることである。自分の計画や希望は主これを欲し給う時にのみ実現する、自己生命もまた然り。我ら主を仰ぎつつ我らの路を進まなければならない。
辞解
未来の計画を述ぶる際に「主の御意ならば」を挿入することが欧米の習慣の一つになっている。ただし真に主の御旨に従う心なしにこの言を用うることはよろしくない。
4章16節 されど
口語訳 | ところが、あなたがたは誇り高ぶっている。このような高慢は、すべて悪である。 |
塚本訳 | しかし今君達は誇り高ぶっている、こんな誇りは皆悪い。 |
前田訳 | しかるに今あなた方は大言壮語して高ぶっています。すべてそのような高ぶりは悪です。 |
新共同 | ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。 |
NIV | As it is, you boast and brag. All such boasting is evil. |
註解: 頼るべからざる自己の健康、計画、知略 等に倚り頼む心は虚しき高ぶりであって、神の意思を無視するものである。かかる心をもって13節のごとくに誇ることは悪事である。
辞解
[高ぶりて] en alazoneia Tヨハ2:16とこことに用いられる。無きものを有るもののごとくに誇張し、或は転変常なき地上の事物を確かなるもののごとくに誇ること。
4章17節
口語訳 | 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。 |
塚本訳 | だから善を為ることを知ってしないのはその人にとって罪である。 |
前田訳 | さて、善を行なうことを知って行なわねば、それはその人にとって罪です。 |
新共同 | 人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。 |
NIV | Anyone, then, who knows the good he ought to do and doesn't do it, sins. |
註解: 前節を受けて13節以下を結ぶ。すなわちヤコブは前節に虚しき誇りの悪なることを告げし以上、読者はすでに如何にして善を行うべきかの所以を知った訳である。すなわち己を卑 くして主に倚り頼むべきことである。これを知りつつこれを行わないならばその人は罪の状態にいるのである。
要義 [虚しき誇り]信仰ありと称して人を偏り視る者(ヤコ2:1−13)、信仰ありと言って行為なき者(ヤコ2:14−26)、信仰ありと思って人を教えつつ口に轡 を置かざる者(ヤコ3:1−12)、党派心、嫉視 心の強き者(ヤコ3:13−18)、党争を事とする者(ヤコ4:1−10)、兄弟を謗 りまた審 く者(ヤコ4:11、12)、自己の力や計画に頼む者(ヤコ4:13−17)等ヤコブは種々の具体的の場合を拉 し来って教訓を与えているけれども、これらの諸 の場合の根底に横たわっている者は凡て「高ぶり」であることを見出すことができるであろう。そしてこの「誇り」は人が神を離れて自ら高しとする時に起る心であって、謙遜と従順とが信仰の別名であり得るごとく、高ぶりと不従順とは不信仰の別名である。ヤコブはパウロの言えるごとき意味の信仰を直接に論じなかった。しかしながら彼の心の中にはこの信仰が明らかに動いていたのであって、ヤコブはこの信仰がない場合に、それが如何なる結果をもたらすかを各方面より考えて教訓を与えているのである。パウロは信仰をその「実体」において示し、ヤコブはこれをその「活用」において示したものである。