マルコ伝第13章
分類
6 イエスの受難週間 11:1 - 15:47
6-2 イエスの再臨と世の終り 13:1 - 13:37
6-2-イ 世の終末以前に起るべき出来事 13:1 - 13:13
(マタ23:1-14) (ルカ21:5-19)
註解: 本章はマタ24:1−37。ルカ21:5−36と共にイエスの再臨の預言である。解釈上の困難は、本章の預言がエルサレムの滅亡を指すか、または世の終りにイエスの再臨によりて来る万人の審判と万物の復興とを指すかにつきてであって、14−20節のごときは前者すなわちエルサレムの滅亡に関するごとくに見え、21−27節のごときは後者すなわちイエスの再臨による万物の復興のごとくに見える。唯この両者が非常に接近せるごとくに記録される点に解釈上の難関あり、あるいは(1)この二者を分離し、前者は紀元七十年エルサレムの陥落によりて成就し、後者は遠き未来において成就すべしとなし、(2)あるいはこの両者を分離せずその全部がエルサレムの陥落において成就したものと解し唯その一部を表徴的意味において将来の世界復興の預言であるとなし、あるいは(3)一部が成就したけれども他の一部は成就せず、この意味においてイエスも初代使徒たちも違算をなしたと考える。(1)の解釈はこの記事そのものにかかる
截然 たる区別なき点に困難があり、(2)はこの記事に存する若干の区別と矛盾し、(3)はイエスの再臨を一つの誤れる預言として全然否定し終る点において困難がある。以上のごとき困難の生ずる所以は預言の性質を誤解せるより来るのであって、預言は一々の歴史的事実を具体的に指すのではなく、歴史の流れにおいて必ず実現すべき事実の根本原則を示すものであることを知るならば、この預言の解釈にさほどの困難を来さない。すなわちイエスは将来種々の時期において起るべき事柄の原理を一つの平面に描き、これを弟子たちに示すことによりて、彼らがその場合に処して如何なる態度をもってこれに対すべきかを教え給うたのであって、何時何処に如何なることが起るかに関する具体的指示でもなく、また好奇心的質問に答え給うたのでもない。すなわちこの預言は一つの原理として説明さるべきであって、その一部はエルサレムの没落の場合にも実現したけれどもさらに世の終りにおいても実現し得る性質を有しているのである。これを単に一つの具体的事実にのみ適用すべきではない。なおこれをユダヤ的預言とキリスト教的預言の結合であってイエスの言い給いしものではないと見る説(L2)のごときは、ドイツ人特有の頭脳の所産であってあまりに機械的なる見方である。
13章1節 イエス
口語訳 | イエスが宮から出て行かれるとき、弟子のひとりが言った、「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしょう」。 |
塚本訳 | イエスが宮を出てゆかれるとき、一人の弟子が言う、「先生、御覧なさい、なんと大きな石、なんと堂々たる建築でしょう!」 |
前田訳 | 宮を出て行かれるとき、弟子のひとりが彼にいう、「先生、ごらんください、なんという石、なんという建築でしょう」と。 |
新共同 | イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 |
NIV | As he was leaving the temple, one of his disciples said to him, "Look, Teacher! What massive stones! What magnificent buildings!" |
註解: 宮の輪奐 の美につきては、マコ11:11註参照。ヘロデ大王によりて起工せられ四十六年を経過せるその頃にもなお竣工せざりしこの宮の美には何人も驚嘆せざる者はなかった。弟子たちもまた同様であった。然るにイエスはかかる物に何ら永遠性をも認め給わず、それらの凡てがやがて全世界と共に滅ぼされ、これと異なれる新たなる神の宮(マコ14:58。マコ15:29)にその希望を置くべきことを示し給う。
辞解
[弟子の一人] ペテロにあらざるもののごとし。
[盛ならずや] 原語「何たる石、何たる建造物」で当時の俚諺にも「エルサレムの宮の建築を見ないものは建築美につきて語る資格がない」と言われていた。エルサレムの神殿図の中(D)の内は神殿そのものでこれを naos(聖所)と称し外廊は神殿区域の全体でこれを hielon(宮)と称す。宮の中に異邦人の庭(G)ユダヤ人の庭(L)婦人の庭(J)あり。
13章2節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「この大きな建築を見ているのか。このまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「これらの大きな建築を見ているのか。石は積まれたままで置かれず、ひとつ残らずくずれ落ちよう」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」 |
NIV | "Do you see all these great buildings?" replied Jesus. "Not one stone here will be left on another; every one will be thrown down." |
註解: イエスのこの語は紀元七十年に早速にも事実として現われた。そのためにこの語をイエスの語り給えるものでないとし、事後において事前に預言せるもののごとくに録せるものと解する学者があるけれも、然らず。ミカ3:12。エレ26:6、エレ26:18等にすでにこの預言あり、殊にイエスの眼中には、神に背けるイスラエルの上に下るべき神の審判が明かに見えていたのであろう。学者の目に見えないものをイエスは明かに見ることを得給う。而して弟子たちはイエスのこの御言にいたくおどろき心中に多くの疑問をいだきつつ宮を出でた。
13章3節 オリブ
口語訳 | またオリブ山で、宮にむかってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにお尋ねした。 |
塚本訳 | オリブ山で宮の方を向いて坐っておられると、ペテロとヤコブとヨハネとアンデレとだけでイエスに尋ねた、 |
前田訳 | オリブ山で宮のほうを向いておすわりのとき、ペテロとヤコブとヨハネとアンデレとが内輪でたずねた、 |
新共同 | イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。 |
NIV | As Jesus was sitting on the Mount of Olives opposite the temple, Peter, James, John and Andrew asked him privately, |
註解: 三人の大使徒にアンデレが加わったのはこの場合だけであった。「竊 に」は「個人的に」で、イエスに対し全使徒または全群衆に対する説明を要求したのではなく、彼らのみにこの重大問題を説き給わんことを求めたのであった。
13章4節 『われらに
口語訳 | 「わたしたちにお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。またそんなことがことごとく成就するような場合には、どんな前兆がありますか」。 |
塚本訳 | 「(宮がくずれると言われますが、)そのことはいつ起るか、また、(世の終りが来て)すべてこのことが実現しようとする時には、どんな前兆があるか、話してください。」 |
前田訳 | 「それがおこるのはいつですか、すべてが成就しようとするとき、どんな徴がありますか、おっしゃってください」と。 |
新共同 | 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」 |
NIV | "Tell us, when will these things happen? And what will be the sign that they are all about to be fulfilled?" |
註解: 本節に相当するマタ24:3においては二つの明瞭に区別せられたる質問の形を為している。すなわち宮の神殿の破碎 は何時あるかとの質問とイエスの来り給うと世の終りとには如何なる兆 あるかとの質問である。本節をこのマタイ伝と同様に解すべきか否やにつきては昔より学説が分れているのであるが、マルコ伝の本文のみより見れば、マタイ伝と異なり単一なる質問と見るべきごとくであるけれども(I0、M0)、答弁の内容より見れば、質問者の心が二種の内容を持っていたことと見ることができる(L2、B1)。すなわちすべて「此等の事」は世の終りの出来事と見る。ただし上述せるごとく、当時の人々の心の中にはこの二者に截然たる区別が有った訳ではないことを明かにすべきである。すなわち弟子たちにはエルサレムの宮の破壊も、世の終りにイエスの再臨に際して起るべき事件の一種と思われたのであろう。
13章5節 イエス
口語訳 | そこで、イエスは話しはじめられた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 |
塚本訳 | そこでイエスが話し出された。──「人に迷わされないように気をつけよ。 |
前田訳 | イエスは話しはじめられた、「だれにも迷わされぬよう気をつけよ。 |
新共同 | イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 |
NIV | Jesus said to them: "Watch out that no one deceives you. |
13章6節
口語訳 | 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだと言って、多くの人を惑わすであろう。 |
塚本訳 | いまに多くの人があらわれて、『(救世主は)わたしだ』と言ってわたしの名を騙り、多くの人を迷わすにちがいない。 |
前田訳 | 多くの人が現われて、わが名をかたって『われはそれ』といい、多くの人を迷わそう。 |
新共同 | わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 |
NIV | Many will come in my name, claiming, `I am he,' and will deceive many. |
註解: キリストの再臨と世の終りが来る前には、種々の注意すべき事柄があり、弟子たちにとりて最も必要なることはこれらに惑わされないことである。その第一は非キリスト、偽キリストが現われることである。彼らは「われこそはキリストなれ」と言いて、キリストの再臨を装い、世情の混沌たるに際しては殊にかかる者が多く現れる。弟子たちの最も注意すべきことは、かかる者に欺かれないことである。キリストが真に再び来給う時はマコ13:24−27節のごとくであって、全く異なる故これに注意しなければならない。このイエスの注意が如何ばかり後世の弟子たちを偽キリストより救ったことであろうか。なおこのイエスの注意は4節の「すべて此等の事」がエルサレムの破壊に限らざることを示す。
13章7節
口語訳 | また、戦争と戦争のうわさとを聞くときにも、あわてるな。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 |
塚本訳 | 戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞いた時に、あわてるな。“それはおこらねばならないことである”が、しかしまだ最後ではない。 |
前田訳 | 戦いのひびきや戦いのうわさを聞くときに、あわてるな。それはおこらねばならぬが、まだ最後ではない。 |
新共同 | 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 |
NIV | When you hear of wars and rumors of wars, do not be alarmed. Such things must happen, but the end is still to come. |
註解: (▲「懼る」は「驚駭 する」こと。)世乱れて血腥 き戦争が勃発しまたは戦争の噂が立つ時は、世の終りが来たのではないかと思いて恐怖する。しかしながらそれは世の終りではない。世の終末における出来事は戦争よりもさらに恐るべきものであることを知らなければならない。戦争は世の終りの前兆として必ず起るべきことであるが、これと世の終りとを混同してはならない。
口語訳 | 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである。 |
塚本訳 | (世の終りが来る前に、)“民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がる”のだから。(また)ここかしこに地震があり、飢饉がある。(だが)これは(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。 |
前田訳 | 民は民に、国は国に立ち向かおう。あちこちに地震があり、飢饉があろう。これらは陣痛のはじめである。 |
新共同 | 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。 |
NIV | Nation will rise against nation, and kingdom against kingdom. There will be earthquakes in various places, and famines. These are the beginning of birth pains. |
註解: 世界的動乱が起る、しかしこれは産 の苦難の始であり、世の終りの来るにはさらに多くの苦難を経過しなければならぬ。
また
註解: 戦争は社会的、国家的災禍であるが、その他に「地震」「飢饉」等の自然的災禍も起って来る。天災地変相継いで起る時、我らはこれを世の終りと思い易いけれども然らず、これらは世の終末と新天新地の誕生の始まらんとする時、その陣痛の第一歩として必ず起って来る。それ故に我らはこれに対し恐怖すべきではなく、この苦痛に耐えて新天新地の誕生を待つべきである。
註解: 9−13節はマタ10:17−22にも掲げられる処と相類似している。世の終末に対する心の準備は我らにとりて日常の準備でなければならない。
13章9節
口語訳 | あなたがたは自分で気をつけていなさい。あなたがたは、わたしのために、衆議所に引きわたされ、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対してあかしをさせられるであろう。 |
塚本訳 | しかしあなた達は(こんな外の出来事よりも)自分のことに気をつけておれ。あなた達は裁判所に引き渡され、礼拝堂で打たれる。また、わたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に立たされるであろう。これは、その人たちに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである。 |
前田訳 | あなた方はみずからに気をつけよ。あなた方は裁判所に引き渡され、会堂で打たれよう。わたしゆえに総督や王の前に立たされて彼らへの証とされよう。 |
新共同 | あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。 |
NIV | "You must be on your guard. You will be handed over to the local councils and flogged in the synagogues. On account of me you will stand before governors and kings as witnesses to them. |
註解: 世の終末以前に起るべきさらに一つの事柄はキリスト者に対する迫害である。社会的禍害(戦争)、自然界の禍害(天災)の他に個人的の災禍が必ず起る。すなわち人々はキリストの弟子たる者を罪人として捕えてユダヤ人の法廷たる衆議所に付す。
なんぢら
註解: 会堂はユダヤ人の宗教の中心である。かくしてイエスの弟子たちはその国人より政治的にも宗教的にも迫害される運命にあり、ただしこれは世の終末ではなく世の終末の前兆の一つであり産の苦痛の始めである。
辞解
本節を「人々なんぢらを衆議所に、また会堂に付さん。汝らは打たれ・・・・・」と訳すべしとの説あり、現行訳は文字の上よりやや無理あれど意味よりはこの方可なり、かつ全然誤訳ということはできない。
註解: 「司たち」「王たち」は異邦人の官憲である。かくしてイエスの弟子たちは、ユダヤ人にも異邦人にも迫害せらる。
これは
註解: ▲▲口語訳「証をさせられるであろう」は結果を意味することになるが、原文は文語訳の通りである。
13章10節
口語訳 | こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。 |
塚本訳 | (終りの日が来る前に)福音はまずすべての国の人に説かれねばならないのだから。 |
前田訳 | まずすべての民に福音が説かれねばならぬ。 |
新共同 | しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。 |
NIV | And the gospel must first be preached to all nations. |
註解: 世の終末の来る前には福音が全世界に宣伝えられなければならない。そのためにはキリスト者の上に迫害が下り、司たち王たちの前に引き行かれる。而してこれによりて彼らの前に福音の証をなさしめられるのである。それ故にキリスト者に対する迫害は、福音が全世界に宣伝えられるために必要なる手段である。
13章11節
口語訳 | そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。 |
塚本訳 | 人々があなた達を引いていって(裁判所や役人に)引き渡した時には、何を言おうかと取越し苦労をするな。なんでもその時に(神から)授かるもの、それを言えばよろしい。言うのはあなた達でなく、聖霊だから。 |
前田訳 | あなた方が引き渡されて連れて行かれるとき、何を話そうかと気をもむな。そのときに授かることを話しなさい。話すものはあなた方でなくて聖霊である。 |
新共同 | 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。 |
NIV | Whenever you are arrested and brought to trial, do not worry beforehand about what to say. Just say whatever is given you at the time, for it is not you speaking, but the Holy Spirit. |
註解: 衆議所、会堂、司、王の前に審 かれる時、何らの憂慮を必要としない。彼らがたとい如何に困難なる質問をもって苦しめても、聖霊は我らに勇気と智慧と自由の心とを与えて、臆せずに最も確的 なる答を与うることを得しむるであろう。それ故にかかる場合が来たならば如何にせんと予め思い煩う必要はない。この事実は教会史上にしばしば証明せられている。
13章12節
口語訳 | また兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。 |
塚本訳 | また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、“子は親にさからい立って”これを殺すであろう。 |
前田訳 | 兄弟は兄弟を、父は子を死へと引き渡し、子らは両親にさからって殺そう。 |
新共同 | 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。 |
NIV | "Brother will betray brother to death, and a father his child. Children will rebel against their parents and have them put to death. |
註解: 信仰のための迫害は肉親にも及び、信仰の故に骨肉相殺すごとき惨事を醸すに至るであろう。この場合勿論殺される者はキリスト者である。イエスは決して世の終りにおいて全世界がキリスト教徒となりて平和に暮すものとは考えていない。
13章13節
口語訳 | また、あなたがたはわたしの名のゆえに、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 |
塚本訳 | あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 |
前田訳 | あなた方はわが名のゆえに皆から憎まれよう。最後まで耐え忍ぶものこそ救われよう。 |
新共同 | また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」 |
NIV | All men will hate you because of me, but he who stands firm to the end will be saved. |
註解: キリスト者となることは凡ての人に憎まれることであるとするならば、キリスト者たることはまことに不幸なことと言わなければならない。このことは一見甚だ不合理なるがごときも、実は今日も我らの経験し得る事実である。この覚悟なしにキリスト者となってはならない。世はその終末に近付くに従って益々キリスト者に反対する。
註解: 終りはキリスト再臨の時である。その時までは苦難は絶ゆることがない。キリスト者は最後まで忍耐すべきであり、この忍耐を失って半途にしてその信仰を棄てるならば、彼はその救いに与ることができない。
要義1 [所謂共観的終末論について]共観福音書のみに録されるイエスの終末観は、キリストの再臨の思想の難解なるに伴い、種々の困難を伴うものとして取扱われているのであるが、世の終末とイエスの再臨とを信ずる場合においてはこの困難は取除かれる。ただしこの信仰は勿論終末的に起るべき事実を悉 く知り得る意味ではなく、またキリスト再臨の時期を明確に知り得る意味ではない。これらは多くの神秘的なるものの中に包まれているのである。我らは唯その核心的なるものを把握することをもって満足すべきであって、詳細なる項目にまで立入りて未来の光景を推定すべきではない。以上のごとき態度をもって臨むときこの共観的終末論は、これを了解することができる。
要義2 [終末観の理解に関する注意]第一に聖書の終末観は、普通の文化的観点とは全然異なることに注意しなければならない。一般には人類の文明の進歩すなわち教育、科学、法律制度、社会事業、宗教の発達、国際関係の進歩等によりて世界は理想境に近付くものと考えられているけれども、聖書はその反対に、益々悪に進み、戦争、迫害等が益々多くなることを録していることである。第二に聖書の終末観は必ずしも具体的事実の詳細までもこれを明示しているのではなく、具体的事実の記載のごとくに見ゆることはすべて表徴的であるということである。かく解せずしては、我らはこの終末観を正しく理解することができず、多くの荒唐無稽の説を生むの結果となる。
13章14節 「
口語訳 | 荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 |
塚本訳 | しかし“(聖なる所を)荒す忌わしい者が”立ってはならない(聖なる)所に立つのを見たら[読者は(ここに隠された意味を)よく考えるがよい]、その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。 |
前田訳 | しかし忌むべき破壊者が立ってはならぬところに立つのを見たら(読者は悟れ)そのときユダヤにいるものは山にのがれよ。 |
新共同 | 「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 |
NIV | "When you see `the abomination that causes desolation' standing where it does not belong--let the reader understand--then let those who are in Judea flee to the mountains. |
註解: ダニ9:27。ダニ11:31。ダニ12:11にある「荒す悪むべき者」はおそらく紀元前一六八年アンチオクス・エピファネスが燔祭をささぐる祭壇に偶像を祭れることを指したのであろう。これに相当している新約時代の事実は紀元七十年にローマの軍隊がエルサレムを陥れたことか、または紀元四十年ローマの政府がエルサレムの神殿にカリグラ王の像を建てたことであろう。ただしこれらの事実そのものを指したのではなく、かかる種類の事件がエルサレムの宮に対して起った時、それが世の終末に近付いた証拠であるとの意味である。しかしかく見るよりもむしろ表徴的に解し、最も霊的なるもの、この世において最も重んせらるべきものが涜 される時、その時は世の終りが近付いたものであると見るべきである。(読む者悟れ)は記者の書き入れしものか、イエスの御言かにつき異論あり、前者とすれば記者はイエスの言をそのままに記し得ざる事情にあるをもって婉曲に記して読者をして悟らしめんとしたのであり、イエスの言とすればイエスは当時の聴者をして悟らしめんとし、「聴く者悟れ」と言い給えるを後にこれを書き入れる場合、「聴く者」を「読む者」としたのであろう。ただし前者の解が優っている。何れにしても「荒す憎むべき者」の立つべからざる所に立つとは如何なることかを悟れとのことである。
その
註解: その時こそは大なる艱難が来ること故ユダヤの平原は危険なるをもって山に遁 るべきである。
13章15節
口語訳 | 屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。 |
塚本訳 | 屋根の上におる者は、下におりて家に入って何か取りだそうとするな。 |
前田訳 | 屋根の上にいるものは下におりて家に入って何かを取り出そうとするな。 |
新共同 | 屋上にいる者は下に降りてはならない。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。 |
NIV | Let no one on the roof of his house go down or enter the house to take anything out. |
註解: 非常に迅速に逃げ去ることが必要である。すなわち家の上より外側の階段を下りて直ちに逃るべきであり、家の内に入りて財貨を救い出さんとしてはならない。
口語訳 | 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 |
塚本訳 | 畑におる者は上着を取りに“家にもどる”な。 |
前田訳 | 畑にいるものは上着を取りに引き返すな。 |
新共同 | 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。 |
NIV | Let no one in the field go back to get his cloak. |
註解: 畑に出ている者は下衣を着ている故上衣を取らんとて帰らんとすることは有り得ることであるが、危険は非常に切迫しているので、その遑 が無く非常なる困難が急速に襲い来るのである。
辞解
[畑にをる者] 原語「畑に出でてそこにいる者」の意あり。
13章17節
口語訳 | その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 |
塚本訳 | それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ! |
前田訳 | その日気の毒なのは身重の女と乳のみ子を抱く女。 |
新共同 | それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。 |
NIV | How dreadful it will be in those days for pregnant women and nursing mothers! |
註解: 彼らはこの苦難より逃れることの最も困難なる状態にある故である。イエスはこのことを思いて深く彼らの上を憂い給うた。
口語訳 | この事が冬おこらぬように祈れ。 |
塚本訳 | このことが冬にならないように祈れ。 |
前田訳 | それが冬おこらぬよう祈れ。 |
新共同 | このことが冬に起こらないように、祈りなさい。 |
NIV | Pray that this will not take place in winter, |
註解: 冬は逃亡に最も困難だからである。なおマタ24:20には「冬または安息日」とあり。マルコ伝は異邦人に読ませることを主たる目的としたため「安息日」を除いたのであろう。
13章19節 その
口語訳 | その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。 |
塚本訳 | それらの日には、神が(天地を)創造された“その創造の始めから今日までになかった、”また(これからも)決してない“ような苦難が”臨むのだから。 |
前田訳 | それらの日には苦難があろう。それは神が創造されたその創造のはじめから今までなかったほどで、またこれからも決してないほどのものである。 |
新共同 | それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。 |
NIV | because those will be days of distress unequaled from the beginning, when God created the world, until now--and never to be equaled again. |
註解: キリスト再臨の日の前には、空前絶後の大患難がこの世界に臨む、新天新地の産の苦痛であるある故、自然、その苦痛も大きい。
13章20節
口語訳 | もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。 |
塚本訳 | もし主がこれらの(苦難の)日を短くされなかったら、だれ一人助かる者はあるまい。しかし選びをうけた、選ばれた人々のために、これらの日を短くしてくださっているのである。 |
前田訳 | 主がその日々を短くされねば、だれも救われまい。しかし、神の選びによって選ばれた人々のために、神はその日々を短くしてくださった。 |
新共同 | 主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。 |
NIV | If the Lord had not cut short those days, no one would survive. But for the sake of the elect, whom he has chosen, he has shortened them. |
註解: 原文は「・・・・・給わざりしならば・・・・・なかりしならん」との不定過去形を用いているけれどもこれは意味を強くするためである。この苦難の日は少数の選民を救わんがために少なくされるであろう。サタンと神との最後の戦の場面である。
註解: 選民も共にこの患難に与らなければならない。しかしながら神は決してその選民を忘れ給わず、これを救わんがためにその日を少なくし給う。終りまで耐え忍ぶ者は、かくして神の救いに与ることを得るのである。
13章21節
口語訳 | そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 |
塚本訳 | またその時『ここに救世主が!』、『かしこに!』と言う者があっても、信ずるな。 |
前田訳 | そのとき『見よ、ここにキリストが』『見よ、あそこに』というものがあっても信ずるな。 |
新共同 | そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。 |
NIV | At that time if anyone says to you, `Look, here is the Christ !' or, `Look, there he is!' do not believe it. |
13章22節
口語訳 | にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。 |
塚本訳 | 偽救世主たち、“偽預言者たちが”あらわれて、“奇蹟や不思議なことを行い、”あわよくば、選ばれた人々を惑わそうとするのである。 |
前田訳 | 偽キリストら、偽預言者らが現われて、徴や不思議を行なって、あわよくば選ばれた人々を迷わそうとする。 |
新共同 | 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。 |
NIV | For false Christs and false prophets will appear and perform signs and miracles to deceive the elect--if that were possible. |
註解: 患難がその頂点に達する時人々の心は恐怖と不安とに支配せらる。かかる時がサタンの誘惑 の乗じ得る時であって、民衆は勿論、信徒をすらも惑わして偽キリストをメシヤなりと信ぜしめんとするごときことが起り、また彼ら自身奇蹟を行いて人民を惑すに至るのである。今日もキリスト信徒にして往々かかる言動に支配せられて、キリストならざるものをキリストと信ずる者がある位であるが、世の終末の大患難に際してはこの種の事実が非常に起り易くなるのは免れ得ざる処であり、大に注意しなければならないことである。世の終末に至る前にあるいは自らキリストなりとする者あるも、またキリスト此処にあり彼処にありとする者ありともこれを信ずべきではない。キリストの再臨は全くこれらと異なれる状態において起って来るのである。なおマタ24:26−28はマルコ伝に欠如しているが、併せ読むべし。
13章23節
口語訳 | だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。 |
塚本訳 | だからあなた達、気をつけておれ。あなた達には皆前もって言っておく。 |
前田訳 | あなた方は気をつけよ。あなた方にはすべてを予告しておく。 |
新共同 | だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」 |
NIV | So be on your guard; I have told you everything ahead of time. |
註解: イエスは弟子たちが世の終末に際し惑わされること無からんがためにあらゆる注意を彼らに与え給うた。而して彼らは常にこの覚悟をもってイエスの再臨を待っていた。彼らがイエスの再臨を非常に近いと考えたのもこの緊張せる心が然らしめたのである。
要義 [艱難と迫害]艱難は世の不信に対する神の審判としてこの世の上に臨むにもかかわらず、この艱難はキリスト者の上にも臨みて彼らを苦しめ、迫害はキリスト者に対するこの世の審判であるにもかかわらず、これによりてかえって異邦に福音が宣伝えられて彼らの救いとなる。要するにキリスト者はこの世の悪のためにもまたその益のためにも苦しまなければならない。この世の人々を愛しこれがために苦しむことは主イエスの道であった。これがまたキリスト者の踏むべき道程である。
註解: 24−27節は多くの旧約聖書中の預言の文言を引用したものであって、キリスト再臨の時の光景を叙述せる一つの詩と見るべく、これらの旧約聖書の言葉を用いて、イエスの頭脳に描かれし終末的光景を表顕したものである。従ってこれを文字通りに解釈することはかえってその真意を見失わしむるに至るものである。
口語訳 | その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、 |
塚本訳 | しかしそれらの日には、こんな苦難の後に、“日は暗く、月は光を放たず、” |
前田訳 | その日には、こんな苦難ののち、日は暗く、月は光を放たず、 |
新共同 | 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、 |
NIV | "But in those days, following that distress, "`the sun will be darkened, and the moon will not give its light; |
註解: マタ24:29には「直ちに」とあり、大なる患難とイエスの再臨との間には時間的の間隔の存せざることを示す。
辞解
[其の時] 原語「されどそれらの日に」とあり。
13章25節
口語訳 | 星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 |
塚本訳 | “星は”天から“落ち、もろもろの天体が”震われるであろう。 |
前田訳 | 星は天から落ち、もろもろの天体が揺り動かされよう。 |
新共同 | 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。 |
NIV | the stars will fall from the sky, and the heavenly bodies will be shaken.' |
註解: 天体に大変動があること、すなわちキリストの再臨に際しては、宇宙的大変動が行われることの意味である。これに類似せる語句が、イザ13:10。イザ34:4。エゼ32:7以下。ヨエ2:11、12、ヨエ3:3、4。アモ8:9等にあるのを見ても、必ずしもキリストの再臨の時に限れる現象という意味ではなく、神の大なる能力が顕われ、天地万象に絶大なる変化を来すことを示したものである。
13章26節
口語訳 | そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 |
塚本訳 | するとその時、人々は“人の子(わたし)が”大いなる権力と栄光とをもって、“雲に乗って来るのを”見るであろう。 |
前田訳 | そのとき人々は人の子が多くの力と栄光とをもって雲に乗って来るのを見よう。 |
新共同 | そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 |
NIV | "At that time men will see the Son of Man coming in clouds with great power and glory. |
註解: ダニ7:13の思想をそのままここに引用したもので、旧約の預言の一部が、イエスの再臨を指していることを示す(他の一部例えばイザ53章のごときは、受難のイエス、初臨のイエスを指す)。これらの文言は凡て一つの表徴的形容であって、名状すべからざる荘厳さを示さんがための仮の用語である。
辞解
[雲に乗る] 雲はエホバの座位として考えられていた(イザ19:1。詩97:2)。なお神と自然界との関係につきては詩18:7−16。詩97:1−5等を見よ。
13章27節 その
口語訳 | そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。 |
塚本訳 | するとその時、人の子は天使たちをやって、地の“果てから天の果てまで”“四方から、”選ばれた人々を“集めるであろう。” |
前田訳 | そのとき人の子は天使をつかわして、地の果てから天の果てまで、四方から、選ばれた人々を集めよう。 |
新共同 | そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」 |
NIV | And he will send his angels and gather his elect from the four winds, from the ends of the earth to the ends of the heavens. |
註解: キリストの再臨に際しては、全世界に散り居る凡ての信徒すなわち選民が御許に集められる。Tテサ4:16、17はその時の光景の推測である。すなわち天使によりて集められる選民は復活体を与えられし新しき神の国の民である。従ってその身体の性質、その集る場所等につきては、今日の物質観と全然異なる物質観の上に立ちてのみ解し得る現象である。
要義 [キリストの再臨と世の終末の状態]以上イエスの叙べ給いしことより、我らはキリスト再臨の時の光景と世の終末の有様とを詳細に具体的に知ることができない。またこれらの言葉そのものより直ちに具体的にその光景を描き出してはならない。我らはこれらの言葉の蔭にひそむ心持を汲取り、そこに世の終末の状態を霊的に確認することが必要である。すなわちこれらの預言の精神を霊的に把握して、始めてイエスの再臨と世の終末との光景をその本質において確保することができる。
13章28節
口語訳 | いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。 |
塚本訳 | 無花果の木で(この神の国の)譬を学ぶがよい。──枝がすでに柔らかになって葉が出ると、夏が近いと知るのである。 |
前田訳 | いちじくの木の譬えを学べ。枝がやわらいで葉が出ると、夏か近いと知る。 |
新共同 | 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。 |
NIV | "Now learn this lesson from the fig tree: As soon as its twigs get tender and its leaves come out, you know that summer is near. |
註解: 無花果はパレスチナ地方に到る処に繁っている樹故これを譬に取り給うた。夏の来る前兆として必ず枝が柔かくなり葉が芽 む。かくのごとく人の子の来り給う時にも必ずその前兆がある。
13章29節
口語訳 | そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 |
塚本訳 | そのようにあなた達も、これらのことがおこるのを見たら、人の子(わたし)が門口近く来ていることを知れ。 |
前田訳 | 同様にあなた方も、これらのことがおこるのを見たら、人の子が戸口に近いと知れ。 |
新共同 | それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 |
NIV | Even so, when you see these things happening, you know that it is near, right at the door. |
註解: 「此等のこと」はマタ24:33の「此等のすべてのこと」と同じく6−25節の現象を指したのであろう。この現象がイエスの再臨が近付いた前兆である。人々は懼れ戦 いてその備えをしなければならない。
13章30節
口語訳 | よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消え失せない。 |
前田訳 | 本当にいう、これらすべてがおこらぬうちはこの世代は決して過ぎ去らない。 |
新共同 | はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 |
NIV | I tell you the truth, this generation will certainly not pass away until all these things have happened. |
註解: 「代」は genea で人間の一代を指す。「これらの事」(6−25節)はこの一代の中に悉 く成就するとの預言である。而して事実これらの凡てのことがイエスの死、弟子たちの迫害、エルサレムの陥落等により実現したものと見ることができる。ただしそれと共にイエスの再臨が無かったのは何故かとの疑問が起るけれども、前述せるごとくこれらの事実が起ったことはこの預言の成就の第一歩に過ぎないこと、すなわち将来においてもさらに完全にそれが実現すること、而してこの主の言は今日もなおそのまま適用せらるべきであることを思うべきである。殊に24−26節はその最も顕著なる姿において最後の瞬間に実現するであろう。
13章31節
口語訳 | 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。 |
塚本訳 | 天地は消え失せる。しかし(いま言った)わたしの言葉は消え失せない。 |
前田訳 | 天と地は過ぎ去ろうが、わがことばは過ぎ去らない。 |
新共同 | 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 |
NIV | Heaven and earth will pass away, but my words will never pass away. |
註解: イエスのこの確信を見よ、イエスの再臨はたとい天地が失せ去るとも必ず実現する。イエスがかかる確信をもって叙べ給いし事柄を、簡単に現代の科学や理知主義をもって否定し去るべきではない。
13章32節 その
口語訳 | その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 |
塚本訳 | ただし、(人の子の来る)その日また時間は、父上のほかだれも知らない。天の使たちも、子(であるわたし自身)も知らない。 |
前田訳 | その日その時はだれも知らない。天のみ使いたちも子も知らず、父だけが知りたもう。 |
新共同 | 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。 |
NIV | "No one knows about that day or hour, not even the angels in heaven, nor the Son, but only the Father. |
註解: ただしキリストの再臨と世の終末の来るべき日時は何人もこれを知ることができず、唯父のみの御意の中に存するだけである。「子も知らず」はイエスの神たることと矛盾するがごときも然らず、イエスの神たる所以は人としてはその全知全能なるが故に非ず、かえってその人間としての制限せられし性質の凡てをもって全く神に服従し給える意味において神に在し給うのである。キリストの神性をこの意味に考え得ざる人々は「子も知らず」を(1)イエスの人間性が知らないだけて神性は知っていた。(2)弟子たちに対してのみ知らなかった。(3)知っていたけれどもこれを隠すことが弟子たちに有益と考えた。(4)知らんと欲し給わなかった。(5)アリアン主義者の挿入である等々種々の解釈が試みられているけれども何れも満足なる解答ではない。この問題はキリスト論の中心をなす重大問題であるけれども上記のごとく解すべきであることと思う。なおマタイ伝の異本に「子も知らず」を省略せるものがあるけれども、これも上記の困難を知ってことさらに除けるものなるべく、ルカ伝にも全くこれを欠いている。マルコ伝がこれを率直に録した処にその価値がある。
註解: 33−37節はマルコ伝特有であってマタイ伝ルカ伝には断片的に散在している処のものである。
13章33節
口語訳 | 気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。 |
塚本訳 | 気をつけよ、油断するな。あなた達はその時がいつであるか、知らないのだから。 |
前田訳 | 気をつけよ。目覚めてあれ。あなた方はその時がいつか知らないから。 |
新共同 | 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。 |
NIV | Be on guard! Be alert ! You do not know when that time will come. |
註解: 信者の心掛けの第一は28−32節に示されしごとく、時の兆 を見て再臨の時を知ることであり、その第二はこの時の兆を見分くるために目を覚ましていることである。すなわち信仰の怠惰を警 め、常に緊張せる心をもってキリストの再臨を待つことである。この意味においてキリスト再臨の時期を知らないことはかえって信者を怠惰より免れしむることができる。
13章34節
口語訳 | それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。 |
塚本訳 | それはちょうど、ある人が旅行に出かけようとして家を出るとき、僕たちに全権をゆだねてひとりびとりに仕事をわりあて、また門番には目を覚ましておれ、と言いつけるようなものである。 |
前田訳 | ちょうど旅に出た人のようである。家を出、僕らに権限を与えてめいめいに仕事をあてがい、門番には目を覚ましておれ、といいつける。 |
新共同 | それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。 |
NIV | It's like a man going away: He leaves his house and puts his servants in charge, each with his assigned task, and tells the one at the door to keep watch. |
註解: 僕どもの務めは委ねられし権を忠実に行使し、その務を完全に実行し門守としては目を覚ましていることである。キリスト者がキリストの再臨に至るまでに為すべきことも凡てこの中に含まる。
13章35節 この
口語訳 | だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。 |
塚本訳 | だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は家の主人がいつかえって来るか、夕方か、夜中か、一番鶏か、それとも夜明けかを知らないのだから。 |
前田訳 | それゆえ目を覚ましておれ。あなた方は家の主人がいつ帰るか、夕方か、夜中か、一番鶏か、夜明けか、を知らないから。 |
新共同 | だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。 |
NIV | "Therefore keep watch because you do not know when the owner of the house will come back--whether in the evening, or at midnight, or when the rooster crows, or at dawn. |
註解: キリスト再び来り給う時刻は何人もこれを知ることができない。これに対する唯一の準備は唯目を覚すことのみである。
辞解
ローマ人は夜を四更に分ち交代して夜番をした、この四更は夕の六時頃より朝の六時頃までのを四分したもので、それぞれこれを夕、夜半、鶏鳴、夜明と称していた。
13章36節
口語訳 | あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。 |
塚本訳 | だしぬけに主人がかえって来て、あなた達の眠っているのを見ないとはかぎらない。 |
前田訳 | 主人が突然帰って来て、あなた方が眠っているのを見ないようにせよ。 |
新共同 | 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。 |
NIV | If he comes suddenly, do not let him find you sleeping. |
13章37節 わが
口語訳 | 目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。 |
塚本訳 | わたしはあなた達に言うことをすべての人に言う、『目を覚ましておれ』と。」 |
前田訳 | わたしがあなた方にいうことは、すべての人々にいうのである。目を覚ましておれ」と。 |
新共同 | あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」 |
NIV | What I say to you, I say to everyone: `Watch!'" |
註解: 怠惰なる僕は眠れる間に主人の帰来に遭う。キリスト者はかくあってはならない。イエスは繰返し目を覚ましているべきことを弟子たちに教え給う。
要義 [目を覚しをれ]もし多くの学者の考うるごとくイエスおよび初代の使徒たちが、キリストの再臨の近きを信じていたのが一つの錯誤であったとするならば、而してキリストの再臨は結局無いものであるとするならば我らはもはや目を覚しおる必要無きこととなる。しかしながら、キリストが間もなく再び来り給うことを教え給うたのは、普通の時間の観念を超越しているのであって、昔も今も変わらずに直ちに来り給うのであり、またその日と時とは何人も知らないのである。かくして何れの時代の人間もみな同様の緊張をもって彼を待望むべきであって、目を覚しをれとの命令はイエスの弟子たちに与えられしと同じ強さをもって今日の我らにも与えられており、キリストの再臨が十二使徒たちにとりて近かったと同じく我らにとりても近いのである。
マルコ伝第14章
6-3 受難の序曲 14:1 - 14:42
6-3-イ イエスの死期近づく 14:1 - 14:2
(マタ26:1-5) (ルカ22:1-2)
口語訳 | さて、過越と除酵との祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、策略をもってイエスを捕えたうえ、なんとかして殺そうと計っていた。 |
塚本訳 | 過越の祭と種なしパンの祭との二日前になった。大祭司連と聖書学者たちは、どんな計略でイエスを捕えて殺そうかと考えていた。 |
前田訳 | 過越と種なしパンの祭りまで二日になった。大祭司と学者らはどんな計略で彼を捕えて殺そうかともくろんでいた。 |
新共同 | さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。 |
NIV | Now the Passover and the Feast of Unleavened Bread were only two days away, and the chief priests and the teachers of the law were looking for some sly way to arrest Jesus and kill him. |
註解: 受難週の第四日水曜日、ニサンの月の十三日となった。
辞解
[過越の祭] ニサンの月の十四日に始まり、午前中より全家よりパン種を除き、午後に羊を屠り、夜分すなわちニサンの月の十五日の始まる時日より翌朝に至るまで過越の食を取った。これより二十一日までを除酵祭が行われた。ただし習慣的には十四日もすでに除酵祭として数えられていた(S2)。
14章2節 『
口語訳 | 彼らは、「祭の間はいけない。民衆が騒ぎを起すかも知れない」と言っていた。 |
塚本訳 | 「(早く片付けよう。)祭の時(に手を下して)はいけない。人民どもが騒動を起すかも知れない」と言っていたのである。 |
前田訳 | 彼らはいった、「祭りの間はやめよう、民の乱があるといけない」と。 |
新共同 | 彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。 |
NIV | "But not during the Feast," they said, "or the people may riot." |
註解: 祭の間には全世界の各地より多くの参拝者がエルサレムに集っていた。その中にはイエスを知れるガリラヤその他の地方の人々もあるべくあるいは乱が起らんことを恐れた。祭司長、学者らはくしてその計画を躊躇していたけれども、イスカリオテのユダの裏切りによりて、彼らの予定は崩され神の御旨のごとくに、イエスは過越の羔羊として屠られ給うた。
註解: 3−9節の記事とルカ7:36以下の記事およびヨハ12:1−8の記事との関係につきてはマタ26:6註を見よ。ルカ7:36の記事はこれとは異なる事実なるべくヨハ12:1−8はこれと同一の事実ならんとするのが通説である。ただしヨハネ伝によればこの事件は受難の六日前となりマルコ伝およびマタイ伝によれば二日前となる。何れが事実なるやは確定することができないが、マルコ伝マタイ伝はこれをイエスの埋葬の準備の意味をもってここに置いたのであろう。
14章3節 イエス、ベタニヤに
口語訳 | イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 |
塚本訳 | ベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、食卓についておられると、一人の女が混ぜ物のない、非常に高価なナルドの香油のはいった石膏の壷を持って来て、その壷をこわし、(香油をすっかり)イエスの頭に注ぎかけた。 |
前田訳 | 彼はベタニアでらい者シモンの家におられた。食卓におつきのとき、ひとりの女が混りけのない、ごく高価なナルドの香油を入れた壺を持って来て、壺をこわして香油を彼の頭に注ぎかけた。 |
新共同 | イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 |
NIV | While he was in Bethany, reclining at the table in the home of a man known as Simon the Leper, a woman came with an alabaster jar of very expensive perfume, made of pure nard. She broke the jar and poured the perfume on his head. |
註解: 癩病人はすでに醫されているものと見るべきである。なお学者によりてはこのシモンを次節のマリヤの姉マルタの夫または父と見る説を唱う。次節を見よ。
註解: 「或女」はヨヨハ12:3によればマルタの妹マリヤであった。彼女が壺を毀 せしは、全部を用い尽くす決心であったからで、イエスに対してその持てる凡てをささぐる美しき心の顕れであった。
辞解
[混 なき] 「真物の」の意味で「贋造の」に対す。なおこの原語は難解で諸種の解釈あり。
[石膏] アラバスターで美しき蝋石の一種。
[ナルド] 高貴なる香油で、貴人の用に供されるもの。
口語訳 | すると、ある人々が憤って互に言った、「なんのために香油をこんなにむだにするのか。 |
塚本訳 | 数人の者は(これを見て、こう言って)互に憤慨した、「香油を、なぜこんなもったいないことをしたのだろう。 |
前田訳 | 何人かが怒って互いにいった、「なんのために香油をむだ使いしたのか。 |
新共同 | そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。 |
NIV | Some of those present were saying indignantly to one another, "Why this waste of perfume? |
註解: 彼らはマリヤの心を理解せずにその行為のみを批判した。心を離れて行為のみを批判する時多くの場合重大なる過誤に陥る。
辞解
[ある人々] マタ26:8には「弟子たち」とあり、ヨハ12:4にイスカリオテのユダとあり、ユダが最も強くこれを主張し、他の弟子たちもこれに共鳴したのであろう。
『なに
14章5節 この
口語訳 | この香油を三百デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。そして女をきびしくとがめた。 |
塚本訳 | この香油は三百デナリ[十五万円]以上にも売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」そして女にむかっていきり立った。 |
前田訳 | この香油は三百デナリ以上に売れて貧しい人々に施せたのに」と。そして女をとがめた。 |
新共同 | この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。 |
NIV | It could have been sold for more than a year's wages and the money given to the poor." And they rebuked her harshly. |
註解: 貧民に施すことは勿論褒むべき行為である。しかしながらさらに大切なのは主を愛する心である。主を愛する心より出でざる行為は要するに一つの死にたる行為に過ぎない。
辞解
[デナリ] 一日の賃銀に相当す(マタ20:2)。また二百デナリをもって五千人の一食を求むることを得る(マコ6:37)故に三百デナリは非常に高価なものとなる。
註解: 多くの男子に咎められて女は立つ瀬が無かったであろう。純真なる心をもって為したる行為も往々にして非難の的となることがある。
辞解
[咎む] embrimaomai はプンプン言うこと。
14章6節 イエス
口語訳 | するとイエスは言われた、「するままにさせておきなさい。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「構わずにおきなさい。なぜいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「構わずに。なぜ彼女を困らせるか。わたしによいことをしてくれたのに。 |
新共同 | イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 |
NIV | "Leave her alone," said Jesus. "Why are you bothering her? She has done a beautiful thing to me. |
14章7節
口語訳 | 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。 |
塚本訳 | 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるから、したい時に慈善をすることが出来る。だがわたしはいつも一しょにいるわけではない。 |
前田訳 | 貧しい人々はいつもあなた方といっしょにいるから、すきなときによいことをしてやれる。しかしわたしはいつもいっしょではない。 |
新共同 | 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 |
NIV | The poor you will always have with you, and you can help them any time you want. But you will not always have me. |
註解: イエスはその死を目近に見つつ非常なる寂寞を感じていた時であったので、マリヤの行為の中に非常に美しきものを感得し、これに反しイエスの死を全く気付かざるもののごとくに振舞っている弟子たちの心を見て悲しさにたえなかった。女子は男子よりも遙かに直観的であり、マリヤは漠然とではあったろうけれどもイエスの心の淋しさを直感した。かくしてイエスをなぐさめんとし、また自己の全心をイエスに注ぎ出さんとしてかかる行動を取ったのである。イエスはこれを善きこととして賞揚し給うた。
14章8節
口語訳 | この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。 |
塚本訳 | この婦人はできるかぎりのことをした。──前もってわたしの体に油をぬって、葬る準備をしてくれたのである。 |
前田訳 | この女は力の限りをした。あらかじめ葬りにそなえてわが体に油をぬってくれた。 |
新共同 | この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 |
NIV | She did what she could. She poured perfume on my body beforehand to prepare for my burial. |
註解: マリヤの愛より出づる予感はついに彼女をしてその全力を尽してイエスの体に香油をぬらしめ、これがイエスにとりては葬りのための準備としての塗油と感ぜしめたのであった。マリヤの純真なる愛より為せる行為は、彼女の期待せし以上のことを為したのであった。マタ26:13要義参照。
14章9節
口語訳 | よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」 |
前田訳 | 本当にいう、世界じゅう福音が説かれるところ、この女のしたことも記念して語られよう」と。 |
新共同 | はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」 |
NIV | I tell you the truth, wherever the gospel is preached throughout the world, what she has done will also be told, in memory of her." |
註解: イエスがこのマリヤの行為に如何に重大なる意義を認め給うたかはこの一言をもって察することができる。福音の不滅であると共にこの女の行為もまた不滅である。この行為がかく絶大の賞讃に値する所以を深く味得すべし。マリヤの名を掲げざるは彼女がなお存命中なりし故なるべく、名を掲げずしてその行為を後世に伝うる価値あるほど、この行為そのものが光っていた。
要義 [行為とその価値]一つの行為が如何なる価値を有するやは、その影響の大小、その金銭的価格の多少等によりて判断せらるべきではなく、その心の状態すなわちその愛の多少によりて判断せらるべきである。而してこの愛は神に対しキリストに対する愛より出づるものである場合、最高の価値を有するのであって、その以下の場合もみなこの源より出づるものであることが必要である。打算や結果に対する顧慮より出づる行為または本能より出づる愛の行為は神の前に価値なきかまたは価値少なき行為である。
14章10節
口語訳 | ときに、十二弟子のひとりイスカリオテのユダは、イエスを祭司長たちに引きわたそうとして、彼らの所へ行った。 |
塚本訳 | ここに十二人の(弟子の)一人であるイスカリオテのユダは、イエスを売ろうとして大祭司連の所に出かけた。 |
前田訳 | 十二人のひとりイスカリオテのユダは、彼を引き渡そうとして大祭司らのところへと出て行った。 |
新共同 | 十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。 |
NIV | Then Judas Iscariot, one of the Twelve, went to the chief priests to betray Jesus to them. |
註解: ユダが何故この時イエスを売らんとする心を起したかにつきては確実なる記録はないけれども、おそらくイエスがマリヤを庇護してユダを叱責せることに怨恨をいだき、また彼がイエスによりて大にこの世に活躍せんことを期待していたのにその期待が外れたこと、等であろう。十二弟子の一人ともいうべきものがかかる罪に陥るのを見れば、人間が如何に弱きものであり、自己の感情と慾望とに支配され易きものであるかを知ることができる。
14章11節
口語訳 | 彼らはこれを聞いて喜び、金を与えることを約束した。そこでユダは、どうかしてイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。 |
塚本訳 | 彼らは聞いて喜び、金をやる約束をした。ユダはどうしてイエスを引き渡そうかと、よい機会をねらっていた。 |
前田訳 | 彼らは聞いてよろこび、金を与える約束をした。それで、ユダはいかなる機会にイエスを引き渡そうかと考えていた。 |
新共同 | 彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。 |
NIV | They were delighted to hear this and promised to give him money. So he watched for an opportunity to hand him over. |
註解: マタ26:15によれば銀三十とあり、これは奴隷の値であり(出21:32)またゼカ11:12以下の聖句がこのユダの場合に実現せるごとくに思われる故、マタイ伝はこの預言の成就せるものとしてユダの事件を取扱ったものであるとして、多くの学者は解釈する。ただしユダの受けし銀が三十シケルでなかったことが証明せられざるかぎりこの説は確定的ではない。「機好く」は祭の間なるをもって公然イエスを捕縛することを得ず、竊 かに彼を捕えんとしたのである。
要義 [私慾による信仰]自己の立身出世のため、病を醫されんため、未来の報賞を得んため、永遠の生命を得んため等自己の慾望を動機として信仰に入る者は結局このユダのごとくに主を裏切るに至る。信仰を求むる当初はあるいは私慾がその動機となる場合もあろう。しかしながら一旦信仰に入りたる場合は、自己に属する凡てを神にささげてしまわなければならない。然らざれば結局において主を裏切り主に向って悪声を放つの結果とならざるをえない。我らはイスカリオテのユダたらざらんがためには、利己主義的信仰より脱却しなければならない。
14章12節
口語訳 | 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに尋ねた、「わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか」。 |
塚本訳 | 種なしパンの祭の初めの日、すなわち過越の小羊を屠る日(の朝)、弟子たちがイエスに言う、「どこへ行って過越のお食事の支度をしましょうか。」 |
前田訳 | 種なしパンの祭りの初日、過越の羊がほふられる日、弟子たちは彼にいう、「過越の食事の支度に出かけますが、どこをお望みですか」と。 |
新共同 | 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。 |
NIV | On the first day of the Feast of Unleavened Bread, when it was customary to sacrifice the Passover lamb, Jesus' disciples asked him, "Where do you want us to go and make preparations for you to eat the Passover?" |
註解: ニサンの月の十四日木曜日で受難週の第五日であった。この日午後に過越の羔羊を屠り、夕刻すなわち十五日に入りてより過越の食を食う。
註解: エルサレム参詣のために上京せる者は未知の人の家をも利用して過越を食することができる習慣であった(S2)。イエスもこの習慣に従って最後の晩餐を取り給うた。
14章13節 イエス
口語訳 | そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水がめを持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。 |
塚本訳 | そこでイエスはこう言って二人の弟子を使にやられる、「都まで行ってきなさい。水瓶をかついだ男に出合うから、そのあとについて行って、 |
前田訳 | するとイエスはこういって弟子ふたりをつかわされた、「町へ行きなさい。すると水瓶をかついだ男に出会おう。そのあとについて行きなさい。 |
新共同 | そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。 |
NIV | So he sent two of his disciples, telling them, "Go into the city, and a man carrying a jar of water will meet you. Follow him. |
註解: ルカ22:8によればこの二人はペテロとヨハネであった。
『
14章14節 その
口語訳 | そして、その人がはいって行く家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。 |
塚本訳 | どこでもその人が入ってゆく(家に入って、)家の主人に、『わたしが弟子たちと一しょに過越の食事をする部屋はどこか、と先生が言われる』と言いなさい。 |
前田訳 | どこでもその男が入る家の主人に告げなさい、『先生の仰せです、弟子たちといっしょに過越の食事をする部屋はどこか』と。 |
新共同 | その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』 |
NIV | Say to the owner of the house he enters, `The Teacher asks: Where is my guest room, where I may eat the Passover with my disciples?' |
註解: 水瓶を有てる奴隷に逢うことはイエスの透視先見力によりてこれを知ったのであった。これを予め打合せていたものと見ることはできない。家主に座敷を借用することを言うの態度があまりに馴々 しいため、この主人はイエスの弟子であるとする説、また使12:12よりマルコの父であるとする説等あれど確定的ではない。
14章15節
口語訳 | するとその主人は、席を整えて用意された二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」。 |
塚本訳 | すると主人は敷物のしいてある、用意のできた大きな二階座敷に案内してくれるから、そこでわたし達のために(食事の)支度をしなさい。」 |
前田訳 | すると主人は席を整えて用意した二階座敷へ案内してくれよう。そこでわれらのために支度しなさい」と。 |
新共同 | すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」 |
NIV | He will show you a large upper room, furnished and ready. Make preparations for us there." |
註解: この点もイエスの奇蹟的洞見と解すべきである。「調 へ」は敷物を敷いてあること、またはその他の家具を整えたる場合にも用う。
14章16節
口語訳 | 弟子たちは出かけて市内に行って見ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。 |
塚本訳 | (二人の)弟子たちは出かけて都に行って見ると、はたしてイエスの言葉どおりだったので、(そこで)過越の食事の支度をした。 |
前田訳 | そこで弟子たちは出かけて町へ行くと、彼がいわれたとおりであったので、過越の食事を支度した。 |
新共同 | 弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。 |
NIV | The disciples left, went into the city and found things just as Jesus had told them. So they prepared the Passover. |
註解: すなわち羔羊を屠りこれを調理して夕に至り食し得るように準備した。過越の祭についてはマタ26:30要義1を見よ。
口語訳 | 夕方になって、イエスは十二弟子と一緒にそこに行かれた。 |
塚本訳 | 夕方になると、イエスは十二人をつれて(そこに)来られる。 |
前田訳 | 夕方になると、彼は十二人を連れて来られる。 |
新共同 | 夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。 |
NIV | When evening came, Jesus arrived with the Twelve. |
註解: 受難週第六日金曜日、ニサンの月の十五日はこの食事の途中より始まる。イエスはベタニヤよりエルサレムに赴きそこに過越の食に就き給う。ペテロ、ヨハネも準備を終えて帰って来て共に行ったのであった。
14章18節 みな
口語訳 | そして、一同が席について食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたの中のひとりで、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」。 |
塚本訳 | 彼らが席について食事をしているとき、イエスは言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人、“わたしと一しょに食事をする者が、”わたしを(敵に)売ろうとしている!」 |
前田訳 | 彼らが席について食事していると、イエスはいわれた、「本当にいう、あなた方のひとりで、わたしと食を共にするものがわたしを引き渡そう」と。 |
新共同 | 一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」 |
NIV | While they were reclining at the table eating, he said, "I tell you the truth, one of you will betray me--one who is eating with me." |
註解: イスラエルの出エジプトを祝する喜びの日にイエスは己が死を記念しなければならなかった。「我と共に食する」は単にその時に共に食事をしている事実を指したのではなく、詩41:9と同様最も親しき仲間を意味す。この一語の中に無量の感慨が含まれているのを感ずる。イエスは以前よりその死を予見し給うたけれども、この時にはさらに最も親しきこの十二弟子の一人が彼を付すことをも予感し給うた。イエスの淋しさは如何ばかりであったろう。しかもイエスはこれを神の御旨と信じ、これに対して何らの策略も手段も用いずこれに忍従し給うた。
14章19節
口語訳 | 弟子たちは心配して、ひとりびとり「まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。 |
塚本訳 | (これを聞くと)弟子たちは悲しくなって、「(先生、)わたしではないでしょう!」(「わたしではないでしょう!」)と、ひとりびとりイエスに言い始めた。 |
前田訳 | 彼らは悲しくなって、「わたしではありますまい」とひとりひとり彼にいいはじめた。 |
新共同 | 弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 |
NIV | They were saddened, and one by one they said to him, "Surely not I?" |
註解: 弟子たちはイエスの御言葉にいたく驚いたに相違ない。有るべからざることをイエスの口より耳にして彼らは彼らの耳を疑った。あまりの不思議に、自ら自分のことをイエスに問うたのであった。「我こそは決してかかることを為じ」と言わなかったところに彼らの謙遜なる心持が」あらわれている。▲「われなるか」は「まさか私ではないでしょう?」の意、口語訳参照。
14章20節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「十二人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が、それである。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「十二人の一人、わたしと一しょにひとつ鉢から食べる者だ。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「十二人のひとり、わたしといっしょに同じ鉢にパンをひたすものだ。 |
新共同 | イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。 |
NIV | "It is one of the Twelve," he replied, "one who dips bread into the bowl with me. |
註解: ユダヤ人の間にはソースのごときものを容れる容器を卓上に具え、これを近き席にいる数人が共同に用いてその中にパンを浸して食する習慣があった。それ故に「我と共にパンを鉢に浸す者」は、最もイエスに近く坐している人を指す。なおマタ26:25にはイエスがユダを指してその裏切者たることを明言し給えるごとくに録され、ヨハ13:26、27にはヨハネに対しユダがそれであることを示し給うた。おそらくこれらはみな小声に行われたものであろう。他の弟子たちはこれをさとらなかった(ルカ22:23。ヨハ13:28−29)。
14章21節
口語訳 | たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。 |
塚本訳 | 人の子(わたし)は(聖書に)書いてあるとおりに死んでゆくのだから。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」 |
前田訳 | 人の子は聖書にあるとおりに去り行く。あわれなのは人の子を引き渡すその人。生まれなければよかったのに」と。 |
新共同 | 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」 |
NIV | The Son of Man will go just as it is written about him. But woe to that man who betrays the Son of Man! It would be better for him if he had not been born." |
註解: イザ53章の預言、その他の旧約聖書の預言のごとく、人の子は苦難の死を遂げなければならない。これは神の予定し給える処であって如何にしても免れることができない。
註解: 人の子は死すべく予定せられている故、受難は止むを得ないけれども、この人の子を売る者は、最大の悪事を行う者であって、最大の不幸者である。かかる人は生れて大なる刑罰を受くるよりも、生れざりし方が善かったのである。
辞解
本節には「人の子」・・・・・「人の子」、「その人」・・・・・「その人」と二回ずつ繰返して対照をなさしめ、ユダの罪とその不幸を明かに掲げている。
14章22節
口語訳 | 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」。 |
塚本訳 | (ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取りなさい、これはわたしの体である。」(皆がそれを受け取って食べた。) |
前田訳 | 彼らが食事しているとき、彼はパンを取り、祝福して裂き、彼らに与えていわれた、「お受けなさい、これはわが体です」と。 |
新共同 | 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」 |
NIV | While they were eating, Jesus took bread, gave thanks and broke it, and gave it to his disciples, saying, "Take it; this is my body." |
註解: この態度は一家の家長、または一団の団長が共同の食事に際して為す普通の態度である。パンを祝するとはそのパンに対する感謝とこれを用うることによる祝福を祈ることであるけれども、今日は、唯感謝の意味にも用いられる。
『
註解: イエスはまさにその体を割 きて弟子たち、否、全人類に与えんとしつつあり給う。イエスの肉体を食いて我が肉体となすことが(ヨハ6:51以下)イエスを信ずる者の必要なる態度である。
14章23節 また
口語訳 | また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。 |
塚本訳 | また杯を取り、(神に)感謝したのち彼らに渡されると、皆がその杯から飲んだ。 |
前田訳 | 杯を取り、感謝して彼らにお与えになると、皆がその杯から飲んだ。 |
新共同 | また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。 |
NIV | Then he took the cup, gave thanks and offered it to them, and they all drank from it. |
註解: イエスの肉体が人類のために裂かれると同じくその血もまた人類のために灑 ぎ出されるのであった。弟子たちはこの血を表徴する葡萄酒をのみてイエスの血に与ることを明かにし、またイエスとの一体の関係に入るのである。イエスが我らのために与え給える処のものは、我ら喜んでこれを受けなければならない。
14章24節 また
口語訳 | イエスはまた言われた、「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「これは多くの人のために流す、わたしの“約束の血”である。 |
前田訳 | すると彼らにいわれた、「これは多くのもののために流すわが契約の血である。 |
新共同 | そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 |
NIV | "This is my blood of the covenant, which is poured out for many," he said to them. |
註解: 多くの人のために十字架に流されしイエスの血は、新しき契約の血、すなわち新しき契約を確める血であった。モーセがエホバとイスラエルの民との間に結ばれし契約の印に犠牲の血をその民に注いだ(出24:8)と同じく、イエスの血は新しき契約の印であった。旧き契約はモーセの律法を守る者は救わるべしとのことであり、新しき契約はイエスを信ずる者はその血によりて罪が贖わるべしとのことである。而してモーセの場合はその血は外より灑 ぎかけられるに過ぎないけれども、イエスの場合はこれを飲むことによって内より更正する。
14章25節
口語訳 | あなたがたによく言っておく。神の国で新しく飲むその日までは、わたしは決して二度と、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、神の国で新しいのを飲むその日まで、わたしはもう決して、葡萄の木に出来たものを飲まない。」 |
前田訳 | 本当にいう、神の国で新しいのを飲むその日まで、ぶどうの木にできたものをわたしはもう決して飲むまい」と。 |
新共同 | はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」 |
NIV | "I tell you the truth, I will not drink again of the fruit of the vine until that day when I drink it anew in the kingdom of God." |
註解: イエスが弟子たちと共にパンを食し葡萄酒を飲み給うことはこれが最後であることをイエスは知悉 し給うた。それ故にこの世において葡萄の果より成るものすなわち葡萄酒を飲むことは永遠に無い。唯神の国が実現する時、そこに再び弟子たちと共に新しき飲物を飲む日が来るのである。
辞解
[新しき] この場合 kainos であって新鮮の意味ではない。種類の新しきことを意味す。すなわち葡萄の果より作れるものとは別種のものなることを示す。
要義1 [イエスは何故ユダを使徒の中に選び給いしや]十二使徒の一人なるユダがイエスを敵に付せしことに関しては多くの難問がある。第一にイエスは何故にユダを誤認し給いしや、その全智全能をもって彼の本質を見破り得ざりしや、第二にサタンがユダの心に入った時これを逐い出しユダを悔改めしめて再びイエスの弟子たらしむることができ得ざりしやの問題である。第一の疑問については人間の意思は自由であって、如何にイエスの弟子であっても何時でも悪を選び得るの自由がある故、イエスといえどもその弟子をして永久に不変ならしむることを得ざることをもってこれを解くことを得、第二の疑問につきてはイエスといえども人間の心を自由に左右し得給わないこと、すなわち人間はこの意味において完全に自主独立なる人間であることをもって答うることができる、従って人間はその凡ての行動につき自己が責任を負わなければならないこと、および如何に卓越せる人間であっても何らかの機会に急速に堕落する可能性があることを知ることができる。
要義2 [聖餐の意義]共観福音書によればこの最後の過越の食がイエスの袂別 の宴となり、弟子たちにとりて最も記念すべき晩餐となった。弟子たちにとりてはこの時の主イエスの一挙手一投足が悉 く意味深きものとして思い出されたのであった。それ故にその後彼らが集って晩餐を共にする度毎に、彼らはこのパンと葡萄酒とをもって主イエスを記念したのである。三福音書の何れによるも主が「かく行いて我を憶えよ」とは言い給わなかった(唯Tコリ11:23−28にこのことが記されているに過ぎない)。それにもかかわらず弟子たちはかく行いて主イエスを記念することを喜んだ。この心持こそ聖餐式の真の意義である。単にイエスの命令なるが故にとてこれを律法的に遵守せんとし、またはこれをもって教会の特有の礼典とし、これに与るや否やによりて信仰の有無を決定せんとするがごときは聖晩餐の起源でもなくまたその意義でもない。
14章26節 かれら
口語訳 | 彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。 |
塚本訳 | (食事がすむと、)みなで讃美歌をうたったのち、オリブ山へ出かけた。(もう真夜中すぎであった。) |
前田訳 | 彼らは讃美歌をうたってからオリブ山へ出かけた。 |
新共同 | 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。 |
NIV | When they had sung a hymn, they went out to the Mount of Olives. |
註解: 最後の酒杯(第四の杯)を終りてハレル詩篇の第二部(115−118)を歌い、エルサレムを出でてオリブ山に行いた。なお過越の祭についてはマタ26:30要義一を見よ。
14章27節 イエス
口語訳 | そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「あなたがたは皆、わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊は散らされるであろう』と書いてあるからである。 |
塚本訳 | (道で)イエスは弟子たちに言われる、「(今夜)あなた達は、一人のこらず(信仰に)つまずくであろう。(聖書に)“わたしは羊飼を打つ、羊はちりぢりになるであろう”と書いてあるからである。(羊飼はわたし、羊はあなた達である。) |
前田訳 | イエスは彼らにいわれる、「あなた方は皆つまずこう。聖書にある、『わたしは羊飼いを打つ。羊は散らされよう』と。 |
新共同 | イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』/と書いてあるからだ。 |
NIV | "You will all fall away," Jesus told them, "for it is written: "`I will strike the shepherd, and the sheep will be scattered.' |
註解: イエスはその死を前にしてゼカ13:7の聖句を思い浮べ給うた。而して今日まで彼に従い来れる弟子たちが、彼の死と共に彼に躓き、その希望を喪失して各所に散乱するならんことを思い、深き淋しさに打たれ給うた。それにも関らずイエスは弟子たちに、その死後も一致団結して天国の福音を宣伝うべきことを命じ給はなかった所以は、彼がやがて復活し、聖霊によりて弟子たちが新に立上がることを予知し給うたからである。イエスにも人一倍人間的の淋しさはあった。それにもかかわらず彼は人間的に弟子たちを束縛し給わなかった。
辞解
ゼカ13:7は「牧羊者を打て」となっており、かつ最後の関係は難解なり。
14章28節
口語訳 | しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。 |
塚本訳 | しかしわたしは復活した後、あなた達より先にガリラヤに行く。(そこでまた会おう。)」 |
前田訳 | しかしわたしは復活してのちあなた方に先立ってガリラヤへ行こう」と。 |
新共同 | しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 |
NIV | But after I have risen, I will go ahead of you into Galilee." |
註解: イエスはその死と共にその復活をも予知し給うた。而して復活し給える後は再び弟子たちの羊群の牧羊者として彼らの前に立ちてカリラヤに往くべきことを告げ給うた。而してマタ28:16以下にその預言の実現せることが記されているけれどもマルコ伝にはそのマコ16:9−20の結尾に、このことが記されていない。この結尾が真正なるものにあらざりし重要なる証拠の一つである。
14章29節
口語訳 | するとペテロはイエスに言った、「たとい、みんなの者がつまずいても、わたしはつまずきません」。 |
塚本訳 | するとペテロは言った、「仰せのとおり皆がつまずいても、このわたしはつまずきません。」 |
前田訳 | ペテロは彼にいった、「皆がつまずいてもわたしは別です」と。 |
新共同 | するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。 |
NIV | Peter declared, "Even if all fall away, I will not." |
註解: 純情にしてイエスを熱愛せるペテロは、如何なることがあっても、自分だけは決してイエスに躓くことはないと確信してこの確信を堂々としてイエスに述べた。人間の熱情や決心ほど頼りにならないものはない。ペテロですら幾程もなく自己の弱さを悉 く暴露するに至った。
14章30節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「あなたによく言っておく。きょう、今夜、にわとりが二度鳴く前に、そう言うあなたが、三度わたしを知らないと言うだろう」。 |
塚本訳 | イエスはペテロに言われる、「アーメン、わたしは言う、きょう今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言う。」 |
前田訳 | イエスは彼にいわれる、「本当にいう、きょう今夜、にわとりが二度鳴く前にあなたは三度わたしを否もう」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 |
NIV | "I tell you the truth," Jesus answered, "today--yes, tonight--before the rooster crows twice you yourself will disown me three times." |
註解: イエスはペテロの性格と、人間一般の心の弱さとを知り給うが故に、ペテロのやがて間もなくイエスを拒みイエスとの関係を人に向って否定する時が来るであろうことを知り、これを預言し給うた。雞鳴 の刻限は夜の十二時より午前三時頃までの間を指す(マコ13:35辞解参照)。それ故にイエスは「夜明け前に」との意味でかく言い給うたのであろう。これが偶然文字通りに実現したのであった(マコ14:66−72節)。
辞解
[鶏ふたたび鳴く前] この「ふたたび」はマコ14:72節にも繰返されているけれども、マルコ伝のみにあって他の福音書には存せず、昔より第二回の鶏鳴 をもって時刻を計る習慣あり(L2)、本節もその意味ならん。なおマコ14:68節註解参照、誤解され易きをもって他の福音書にこれを除いたのであろう。
14章31節 ペテロ
口語訳 | ペテロは力をこめて言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。みんなの者もまた、同じようなことを言った。 |
塚本訳 | するとペテロが躍起となって言った、「たとえご一しょに死なねばならなくても、あなたを知らないなどとは、決して申しません。」皆も異口同音にこたえた。 |
前田訳 | ペテロは力をこめていった、「たとえごいっしょに死なねばならずとも、決して否みますまい」と。皆も同じことをいった。 |
新共同 | ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。 |
NIV | But Peter insisted emphatically, "Even if I have to die with you, I will never disown you." And all the others said the same. |
註解: これはこの時のペテロの確信であったに相違ない。かかる確信すら後に至りて破滅すること故、普通一般の決心のごときは頼りとするに足らない。
辞解
[力をこめて] 原語 ekperissôs で「非常特別に」なる語、ここでは「偉い勢いで」と俗に言うごとき意味なり。
要義 [人間の弱さ]人は往々にして自己の最も強しと思われる点において失敗するものである。かかる罪だけは自分は決して犯さないだろうと思うごときことも、案外の機会にかえってその罪に陥るごときことはしばしば起り得る事柄である。ペテロも主を否むというごときことは決して有り得ないと確信していたのであったが、脆 くもこの点において失敗するに至った。頼り難きは自己の力である。
14章32節
口語訳 | さて、一同はゲツセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。 |
塚本訳 | やがて(オリブ山の麓の)ゲッセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子たちに言われる、「わたしの祈りがすむまで、ここに坐って(待って)おれ。」 |
前田訳 | 彼らはゲツセマネという名のところに来た。彼は弟子たちにいわれる、「わたしが祈る間ここにすわっていなさい」と。 |
新共同 | 一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 |
NIV | They went to a place called Gethsemane, and Jesus said to his disciples, "Sit here while I pray." |
註解: ゲツセマネの園はオリブ山の西の麓にありケデロンの谷を隔ててエルサレムと相対す(「油搾り」を意味す)、イエスの祈りを常にせる場所ならん。彼は弟子たちをそこに留めて園の奥深く入り給うた。
14章33節
口語訳 | そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、 |
塚本訳 | そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら |
前田訳 | そして、ペテロとヤコブとヨハネを連れて行かれた。すると、おそれ、おののきはじめられた。 |
新共同 | そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、 |
NIV | He took Peter, James and John along with him, and he began to be deeply distressed and troubled. |
註解: 他の重要なる場合と同じくイエスは三人の大使徒のみを伴い給う。
辞解
[甚 く驚き] 心外憂慮に耐えざる貌、近付き来れる恐るべき死を彼は眼前に見給うたのであろう。彼にとりて最も恐るべきことは神に棄てられることの思いであった。
14章34節 『わが
口語訳 | 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。 |
塚本訳 | 彼らに言われる、「“心がめいって、”“死にたいぐらいだ。”ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」 |
前田訳 | 彼らにいわれる、「わたしの心は悲しみをこえて、死ぬほどだ。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と。 |
新共同 | 彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」 |
NIV | "My soul is overwhelmed with sorrow to the point of death," he said to them. "Stay here and keep watch." |
註解: 夜はすでに遅かった、イエスの苦痛は死ぬるばかりであった。死そのものも勿論イエスには苦痛であった。しかしながらそれよりも遙かに苦痛であったのは神に棄てられる苦痛であった。イエスは人類を愛すれば愛するほど、彼の従来の態度を変更することができず、彼の進み給える道によりて神の国の福音を伝うるより外になかった。その当然の結果は祭司長パリサイ人らに迫害されることであった。イザ53章の語はヒシヒシとイエスの心を打ったことであろう。「目を覚しをれ」は弟子たちをしてイエスとその苦痛を共にせしめ共に祈らしめんがためであったろう。
14章35節
口語訳 | そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、 |
塚本訳 | そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って |
前田訳 | なお少し進んで地に伏し、できればこの時が自分を通りすぎるように祈って |
新共同 | 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、 |
NIV | Going a little farther, he fell to the ground and prayed that if possible the hour might pass from him. |
註解: 祈りの一部は記述的にここに含まる。「若し得べくば」は神の全能を疑って言い給えるにあらず、「神の経綸の上より差支えなくば」の意。イエスは絶対に神に服従するの態度の下に己の欲し給う処を父なる神に祈り給う。かかる祈りは最も強く父の御心を動かすものである。
辞解
[此の時] イエスの最後の受難の時を指す。イエスがこれを避けんとしたのは贖罪の死を避けんとしたこととなるとの理由の下に、イエスの死は罪の贖いにあらずと論ずる学者があるけれども、贖罪の死なる特別の神学的の死に方があるわけではなく、「死」なくして万人を救い得る途があるならばとイエスはこれを望み給うたのであった。
14章36節 『アバ
口語訳 | 「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。 |
塚本訳 | 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」 |
前田訳 | いわれた、「アバ、父上、あなたはなんでもおできです。この杯をわたしからお取りのけください。しかしわが意でなく、あなたのみ心を」と。 |
新共同 | こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」 |
NIV | <"Abba>, Father," he said, "everything is possible for you. Take this cup from me. Yet not what I will, but what you will." |
註解: 死は何人にも苦杯である。しかしながらイエスの目前に髣髴する死は最も恐るべき十字架の死であった。しかのみならず、父なる神より棄てられなければならないのは最大の苦杯であった。イエスは神に対する絶対の服従の中にもこの苦杯より免れ得んことを切に祈った。祈りつつしかも父に対する絶対の従順を誓い父の御意の成らんことを祈り給う。何たる美しき子心であろうか。神の御子にあらざれば何人も充分に解し得ざる絶大なる苦痛も父の御心ならばこれに従わんとするイエスの心こそ、彼が神の子に在し給う最大の証拠である。
辞解
[アバ父] アバはアラム語の「父」の意。これに「父よ」をギリシャ語にて加えたのは、この用法がその後キリスト者の間に一般に用いられるに至ったからで、イエスは単に「アバ」とのみ言い給うたのであった。マルコがここにこれをイエスの口に入れたのは一つの時代錯誤である。
14章37節
口語訳 | それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。 |
塚本訳 | やがて来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「シモン、眠っているのか。たった一時間も目を覚ましておられないのか。 |
前田訳 | それから来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロにいわれる、「シモン、眠っているのか、ほんの一時間も目を覚ましていられないのか。 |
新共同 | それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。 |
NIV | Then he returned to his disciples and found them sleeping. "Simon," he said to Peter, "are you asleep? Could you not keep watch for one hour? |
14章38節 なんぢら
口語訳 | 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。 |
塚本訳 | あなた達、目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」 |
前田訳 | 目を覚まして祈りなさい、誘惑に陥らないように心ははやるが、体は弱い」と。 |
新共同 | 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」 |
NIV | Watch and pray so that you will not fall into temptation. The spirit is willing, but the body is weak." |
註解: イエスは祈り終って弟子たちの許に来りその眠れるを見給う。イエスの心の淋しさは如何ばかりであったことか。人間の心の中の最も深き悲しみは弟子といえどもこれを理解することができない。この時もイエスと弟子とは全く別の世界に住んでいるもののごとくであった。然るにも関らずイエスは彼らに対して一言も怒りの語を発し給わずかえって彼らに同情を表わし、彼らの肉体の弱きを理由としてこれを赦し、唯彼らに誘惑に陥らぬように注意を与え給うた。
辞解
[シモンよ] ペテロをシモンと呼び給うたのはマコ3:16以来始めてである。おそらくペテロなる名称に相応しからずと感じ給うたのであろう。
「心」と「肉体」は原語「霊」pneuma と「肉」sarx である。ただしここではパウロが用いしごとき意味に用いられているのではなく(ロマ8:5−11)、精神と肉体というごとき意味に用いられているものと見るべきである。
[熱す] prothumos で乗り気であること。
口語訳 | また離れて行って同じ言葉で祈られた。 |
塚本訳 | それからまた向こうへ行って、同じ言葉で祈り、 |
前田訳 | それからまた離れて同じことばで祈り、 |
新共同 | 更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。 |
NIV | Once more he went away and prayed the same thing. |
14章40節 また
口語訳 | またきてごらんになると、彼らはまだ眠っていた。その目が重くなっていたのである。そして、彼らはどうお答えしてよいか、わからなかった。 |
塚本訳 | また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。イエスになんと答えてよいかもわからなかった。 |
前田訳 | また来て見ると、彼らは眠っていた。まぶたが重かったのである。彼らは何とお答えすべきかもわからなかった。 |
新共同 | 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。 |
NIV | When he came back, he again found them sleeping, because their eyes were heavy. They did not know what to say to him. |
註解: 一度ならず二度までも弟子たちはその肉体の弱さに負けてしまった。イエスは全宇宙の中に彼を助くる人の一人をも見出すことができなかった。彼は完全に一人で立ち給い、また一人で立ち給うより外になかった。何人もイエスとその使命を共にすることができない。
14章41節
口語訳 | 三度目にきて言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 |
塚本訳 | 三度目に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。もうそのくらいでよかろう。時が来た。そら、人の子は罪人どもの手に渡されるのだ。 |
前田訳 | 三度目に来て、彼らにいわれる、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。よろしい。時は来た。見よ、人の子は罪びとの手に引き渡される。 |
新共同 | イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。 |
NIV | Returning the third time, he said to them, "Are you still sleeping and resting? Enough! The hour has come. Look, the Son of Man is betrayed into the hands of sinners. |
14章42節
口語訳 | 立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。 |
塚本訳 | 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」 |
前田訳 | 起きよ、行こう。見よ、わたしを引き渡すものが近づいた」と。 |
新共同 | 立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」 |
NIV | Rise! Let us go! Here comes my betrayer!" |
註解: 「今は眠りて休め」を「先刻以来眠りて休みしか」と訳すべしとする説(L2)が適当なるがごとし。かく解する時この二節は切迫せる心持より迸り出づる短き語句の連続である。「今まで眠って休んだのか、それで充分だ、時が来た云々」というがごとし。イエスを付す者の近付けるを感得し弟子たちを引き立ててこれに向って進み給う。
辞解
[今は眠りて休め] これを反語的に解する説(M0)、または暫時間隔がある故その間だけ休めとの意に解する説(Z0、本註解マタ26:45をかく解した)等あれど、上記のごとくに解することが前後の関係上最も適切である。
[今は] 原語は to loipon で「残余」の意「残りの時間」で今後のことにも過去のことにも用い得る。この場合は後者の意味ならん。
[足れり] apechei で眠るのはこれで充分なりとの意。
[罪人ら] 一般的に神に逆ける人の意でローマ人、ユダヤ人たるを論じない。
要義1 [イエスの苦闘]何人もゲツセマネにおけるイエスの苦闘の意義およびその心持を充分に理解することはできない。それは何人もイエスのごとき罪無き人となることができず、またイエスのごとき立場に立つことができないからである。しかしながらもし我らイエスの苦闘の意義を推測することを許されるならば、イエスの心には人間としてその自然の死を恐れる心は充分に存在していたであろうけれども、もしイエスの苦闘が単にこの肉体の死に対する恐怖や嫌悪のみであるならば、それは屠所 に曳かる牛豚の恐怖と異なる処はない。イエスの御心は神に対する愛と人間に対する愛とで一杯であった。而してイエスは人間を罪より救わんとしてついに最後に人間の罪のために神より離されることを余儀なくせしめられたのである。愛する人間に捨てられ、愛する神に捨てられ、その己を捨つる人間の罪を負いて神の前に立つこと、世にかかる苦痛は他に有り得ない。かく成らざらんことを望んだのがイエスのゲツセマネにおける御心であったと思われる。
要義2 [祈祷の極致]神は我らの要求を悉 く知り給うが故に我らは唯神に感謝するをもって足れりとし、これに祈願する必要がないと唱うる者がある。しかしながら神に対する絶対服従は、決して機械的服従ではなく、神との間に霊の親密なる交わりの存する上における服従である。ゆえに神に対し自己の希望を悉 く叙べつつしかもなおこれに絶対に服従して神の御旨の成らんことを祈る処に真のキリスト者の祈りがある。
14章43節 なほ
口語訳 | そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、十二弟子のひとりのユダが進みよってきた。また祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。 |
塚本訳 | イエスの言葉がまだ終らぬうちに、早くも十二人の一人のユダがあらわれる。大祭司連、聖書学者、長老のところから派遣された一群の人が、剣や棍棒を持ってついて来た。 |
前田訳 | まだ彼が話しておられる最中に、早くも十二人のひとりのユダが現われる。剣や棒を持った群衆がいっしょであった。大祭司、学者、長老からつかわされたのである。 |
新共同 | さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。 |
NIV | Just as he was speaking, Judas, one of the Twelve, appeared. With him was a crowd armed with swords and clubs, sent from the chief priests, the teachers of the law, and the elders. |
註解: 「十二弟子の一人」なることをここに掲ぐる必要なきがごときも、これによってこの事件を一層深刻ならしむる効果がある。ユダがこの場所を知りたる理由につきてはヨハ18:2を見よ。
註解: 人民を代表して神の前に立つ祭司長、神の言を学びこれを人に教うる学者、神の民を治むる任務を負える長老、これらが神の子を捕えんとすることは彼らが神に逆いていることの明かな証拠である。神に最も近き者と自らも信じ人も信じつつ事実最も神に遠い者は今日と雖も少なくない。
辞解
[群衆] ヨハ18:3によればローマの兵隊と祭司長、パリサイ人らの下役であった。
14章44節 イエスを
口語訳 | イエスを裏切る者は、あらかじめ彼らに合図をしておいた、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、まちがいなく引っぱって行け」。 |
塚本訳 | イエスを売る者は、「わたしが接吻するのがその人だ。それを捕えて、手ぬかりなく引いてゆけ」と、(あらかじめ)合図をきめておいた。 |
前田訳 | イエスを引き渡すものは、「わたしが口づけするのがその人だ。捕えて、しかるべく引いて行け」と合図しておいた。 |
新共同 | イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。 |
NIV | Now the betrayer had arranged a signal with them: "The one I kiss is the man; arrest him and lead him away under guard." |
註解: 接吻は当時挨拶として一般に行われていたので、ユダは特にこの場合にのみ行った訳ではなかった。唯この場合イエスに対する敵意を懐きつつ表面親密を装える処にユダの悪質の罪を思わしむるものがある。
辞解
[確 と] マルコ伝にありてマタイ伝になし、マルコの記事の力強さを示す一例である。
14章45節
口語訳 | 彼は来るとすぐ、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。 |
塚本訳 | そこで、来るや否やイエスに近寄って、「先生」と言って接吻した。 |
前田訳 | 来るや否やおそばに近よって、「先生」といって口づけした。 |
新共同 | ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。 |
NIV | Going at once to Jesus, Judas said, "Rabbi!" and kissed him. |
口語訳 | 人々はイエスに手をかけてつかまえた。 |
塚本訳 | 人々がイエスに手をかけて捕えた。 |
前田訳 | 人々は彼に手をかけて捕えた。 |
新共同 | 人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 |
NIV | The men seized Jesus and arrested him. |
註解: ラビは「先生」というがごとし。なおマタ26:50にはこの問いにイエスがユダに対して言い給える語あり、参照すべし。「手をかけて」は言わずとも勿論のことであるが、これによって神の子に手をかけることの重大なる罪たることを明かにせんがためである。
14章47節
口語訳 | すると、イエスのそばに立っていた者のひとりが、剣を抜いて大祭司の僕に切りかかり、その片耳を切り落した。 |
塚本訳 | (イエスの)そばに立っていたひとりの人が剣を抜いて大祭司の下男に切りつけ、片耳をそぎ落してしまった。 |
前田訳 | そばに立っていたあるひとりが剣を抜いて大祭司の僕に切りつけ、その片耳を落とした。 |
新共同 | 居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落とした。 |
NIV | Then one of those standing near drew his sword and struck the servant of the high priest, cutting off his ear. |
註解: この「ひとり」はヨハ18:10によればペテロであり、その僕の名はマルコスであった(ヨハ18:10註解参照)。共観福音書またはその資料たるべき文書が記された頃にはペテロもなお在世中であったためにその名を書くことを遠慮したのであろう。なおマタ26:52にはイエスは「剣をとる者は剣にて亡ぶる」ことの教訓を与え給う。正義は暴力によりて守るべきではない。力によらざれば守り得ざる正義は真の正義ではない。またルカ22:51にはイエスはこの僕の耳に觸りてこれを醫し給える記事がある。おそらく後半に附加されし伝説であろう。
14章48節 イエス
口語訳 | イエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。 |
塚本訳 | イエスは人々に言われた、「強盗にでも向かうように、剣や棍棒を持ってつかまえに来たのか。 |
前田訳 | イエスは人々にいわれた、「強盗に向かうかのように剣や棒を持ってつかまえに来たのか。 |
新共同 | そこで、イエスは彼らに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。 |
NIV | "Am I leading a rebellion," said Jesus, "that you have come out with swords and clubs to capture me? |
14章49節
口語訳 | わたしは毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就されねばならない」。 |
塚本訳 | わたしは毎日宮にいてあなた達の所で教えていたのに、捕えずにおいて、(どうして今、こんな真夜中に来たのか。)しかしこれは、(救世主は罪人のようにあつかわれるという)聖書の言葉が成就するためである。」 |
前田訳 | わたしは日ごとあなた方のところにいて宮で教えていたのに、捕えなかった。しかしそれは聖書が成就するためである」と。 |
新共同 | わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」 |
NIV | Every day I was with you, teaching in the temple courts, and you did not arrest me. But the Scriptures must be fulfilled." |
註解: イエスは宮にて日毎に高き教えを垂れ、何らの悪事を為し給わなかった。これを捕えんとすることすら謂れなきに、あたかも強盗に対するごとくにして捕うることは甚 だしき不合理な態度であった。イエスはこの不合理にして不可解なる出来事の凡てが聖書(例えばイザ53章のごとき)の預言の成就であると考え給うたのであった。然らざれば彼自身全くその理由を解するに苦しんだであろう。而してイエスはこのことを宣告し給うことによりて群衆に彼の死の意義を示し給うた。なおこの捕縛の刹那におけるイエスと彼らとの間の応酬につきてはヨハネ伝と共観福音書の間に若干の差異あり、かかる息詰るごとき瞬間における事件の真相につきては目撃者自身といえども必ずしも正確に凡てを記憶せず断片的になり易く、従って異なれる伝説が後に残っていたのであろう。
14章50節
口語訳 | 弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。 |
塚本訳 | 一人のこらずイエスをすてて逃げた。 |
前田訳 | すると皆が彼を捨てて逃げ去った。 |
新共同 | 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。 |
NIV | Then everyone deserted him and fled. |
註解: 一人もイエスと共に死なんとはしなかった。もしイエスが平生師弟間の道として彼らに殉教を教えていたならば、彼らはこの際おそらく悦んでその師に殉じたであろう。然るにイエスはこれを為すべしとは教え給わず、彼らの自由なる義務心にまかせ給うた。その結果彼らは逃げ去り、これによりて彼らの心の如何に弱く穢れているかを示されることとなった。かくして彼らの欠点を示されることがかえって彼らにとりて幸福であった。
14章51節 ある
口語訳 | ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、 |
塚本訳 | ある青年が素肌に亜麻布をひっかけて、イエスについて来ていた。人々が捕えようとすると、 |
前田訳 | ある若者が素肌に亜麻布を巻きつけてついて来ていた。人々が捕えようとすると、 |
新共同 | 一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、 |
NIV | A young man, wearing nothing but a linen garment, was following Jesus. When they seized him, |
口語訳 | その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。 |
塚本訳 | 亜麻布を(人々の手に)残して裸で逃げていった。 |
前田訳 | 亜麻布は置いて素肌で逃げ去った。 |
新共同 | 亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。 |
NIV | he fled naked, leaving his garment behind. |
註解: マルコ伝特有の二節である。「亜麻布」 sindôn は寝衣の一種であって、これを身にまといて就寝するのである。それ故にこの若者は最後の晩餐に加わった一人ではないことは明かである。またイエスに従えるを見ればその弟子団の一人であろう。寝衣をもって外出せる処を見ると極めて忽卒 の間に家を飛び出したものなるべく、おそらく捕縛隊の騒擾 を聞きイエスの身辺に異変あらんことを恐れて、衣服を更える遑 もなくゲツセマネに駆けつけてイエスの後を追うたものと見える。この事実は全体の記事と極めて関係なき事件であり、他の福音書に全く記載せられない点より見ればマルコにとりてのみ有意義なる事実であったものと解しなければならぬ。それ故にこの若者はマルコ自身であったろうと解する説が最も適切であるように思われる。その他種々の人物が想像されているけれども何れも適切ではない。イエスが最後の晩餐を取り給える家の息子ならんとの想像説もあり、もしこれと前述マルコ説とを結合すれば使12:12の家が主イエスの最後の晩餐の家となり、マコ14:14節の家主はマルコの父であることとなる。ただしこれは一つの興味ある想像説である。
14章53節
口語訳 | それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。 |
塚本訳 | イエスを大祭司(カヤパ)の所に引いてゆくと、(最高法院の役人、すなわち)大祭司連、長老、聖書学者たちが全部集まってきた。 |
前田訳 | 彼らがイエスを大祭司のところへ引いて行くと、大祭司、長老、学者が皆集まって来た。 |
新共同 | 人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。 |
NIV | They took Jesus to the high priest, and all the chief priests, elders and teachers of the law came together. |
註解: 時の大祭司はカヤパであった(マタ26:57)。ただしヨハ18:12-14によればまずカヤパの舅アンナスの処に連れ行き、アンナスよりカヤパに送られたのであった。この集合せる場所はカヤパの邸であった。夜中は宮の中の衆議所は開かれなかったからである。
14章54節 ペテロ
口語訳 | ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。 |
塚本訳 | ペテロは見えがくれにイエスについて大祭司(官邸)の中庭まではいって行き、下役らと一しょにすわって、火にあたっていた。 |
前田訳 | ペテロは遠くから彼について大祭司の中庭まで入り、下役らといっしょにすわって火にあたっていた。 |
新共同 | ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで入って、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。 |
NIV | Peter followed him at a distance, right into the courtyard of the high priest. There he sat with the guards and warmed himself at the fire. |
註解: ペテロは一旦は逃げたけれども(50節)再び師の運命を憂いて遙かに彼の後を追うて来た。中庭には下役どもが火を焚いていたのでペテロは群衆の一人のごとくに装ってその中に交っていた。
辞解
[中庭] aulê は時には邸宅を意味することがあるけれどもここでは中庭を意味す。
14章55節 さて
口語訳 | さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。 |
塚本訳 | 大祭司連をはじめ全最高法院は、イエスを死刑にするためしきりにイエスに不利な証言をさがしたが、見つからなかった。 |
前田訳 | 大祭司らと法院(サンヘドリン)全体がイエスを死刑にするために不利な証言を探したが見当たらなかった。 |
新共同 | 祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。 |
NIV | The chief priests and the whole Sanhedrin were looking for evidence against Jesus so that they could put him to death, but they did not find any. |
註解: 彼らの目的は唯一つイエスを除くことであった。彼らは唯この目的のためにその手段を求め、何らかの証拠を挙げんとしたのであった。なおこの55−65節の記事を甚だ信じ難し(L2)とする理由としてユダヤの法律によればこの判決の手続きに不備の点あること、重罪はその決定に二日を要すること、夜分は死刑の宣告をなし得ざること、イエスの告白はそれだけでは涜神罪とならず、たといなっても石にて打殺される罪に相当すること等を挙げ、この一項を後日の挿入として解せんとする学者があるけれども、この祭司長らが議会においてイエスを訊問したのは翌日ピラトの前にてイエスを死刑に宣告せしめんとする準備に過ぎなかったと見るならば、これにて差支えない。
14章56節
口語訳 | 多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである。 |
塚本訳 | イエスに不利な偽証をする者は多かったが、その証言は合わなかったのである。 |
前田訳 | 彼に不利なように多くの人が偽証をしたが、それらの証言は矛盾した。 |
新共同 | 多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言は食い違っていたからである。 |
NIV | Many testified falsely against him, but their statements did not agree. |
註解: 死刑に処するがためには二人以上の証人の申し出が合致しなければならない(申17:6)。然るに多くの人々が偽の証拠を挙げるけれどもそれでもそれらが一致しなかった。
口語訳 | ついに、ある人々が立ちあがり、イエスに対して偽証を立てて言った、 |
塚本訳 | すると数人の者があらわれ、イエスに不利な偽証をして言った、 |
前田訳 | 数人が立って彼に不利な偽証をしていった、 |
新共同 | すると、数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。 |
NIV | Then some stood up and gave this false testimony against him: |
14章58節 『われら
口語訳 | 「わたしたちはこの人が『わたしは手で造ったこの神殿を打ちこわし、三日の後に手で造られない別の神殿を建てるのだ』と言うのを聞きました」。 |
塚本訳 | 「わたし達はこの人が、『自分は(人間の)手で造ったこのお宮をこわして、手で造らない別のお宮を三日のうちに建てる』と言うのを聞いた。」 |
前田訳 | 「われらはこの人が、『自分は手で造ったこの宮をこわして、手で造らぬ別の宮を三日で建てよう』というのを聞いた」と。 |
新共同 | 「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました。」 |
NIV | "We heard him say, `I will destroy this man-made temple and in three days will build another, not made by man.'" |
註解: ヨハ2:19。マタ26:61参照。イエスは自ら宮を毀 たんとは言い給わなかった。これを悪意をもって幾分変更して、イエスを罪に陥れる材料を造り出したのであった。善意をもってしても他人の言行に些細の変更を加うることは恐るべき結果を招来する。いわんや悪意をもってするにおいておや。この偽証によりてイエスは神の宮に対する叛逆者と見られることとなる。
辞解
「手にて造りたる」「手にて造らぬ」はマタイ伝になし、マルコの解説的附加ならん。
口語訳 | しかし、このような証言も互に合わなかった。 |
塚本訳 | しかし今度も証言が合わなかった。 |
前田訳 | しかしこの場合も彼らの証言は合わなかった。 |
新共同 | しかし、この場合も、彼らの証言は食い違った。 |
NIV | Yet even then their testimony did not agree. |
註解: 事実を変更せる証拠なるが故に自然に不一致の点が生じた。
14章60節
口語訳 | そこで大祭司が立ちあがって、まん中に進み、イエスに聞きただして言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。 |
塚本訳 | そこで大祭司は立ち上がり、真中に進み出てイエスに問うた、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」 |
前田訳 | そこで大祭司は真ん中に立ってイエスに問うた、「この人たちがそちらに不利な証言をしているのに、何も答えないのか」と。 |
新共同 | そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」 |
NIV | Then the high priest stood up before them and asked Jesus, "Are you not going to answer? What is this testimony that these men are bringing against you?" |
註解: 証拠が不完全なるが故に彼らはイエスをして語らしめ、イエスの口より証拠となるべき言葉を引出さんとしたのであろう。
辞解
ここに二つの質問の形においてイエスに問うているけれどもこれを一つの質問として訳することもでき、マタ26:62はこの訳し方によっている。ただしこれを二つの質問とする方可なり。
口語訳 | しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。 |
塚本訳 | しかしイエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司がふたたび問うて言う、「お前が、讃美されるお方の子、救世主か。」 |
前田訳 | 彼は黙りつづけ、何もお答えにならなかった。ふたたび大祭司が問うた、「そちらは讃むべき方のみ子、キリストか」と。 |
新共同 | しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。 |
NIV | But Jesus remained silent and gave no answer. Again the high priest asked him, "Are you the Christ, the Son of the Blessed One?" |
註解: イエスの心は神と共にまた神の前に立っていた。神より語れと命ぜられること以外は何も語らんとし給わなかった。悪意をもって彼を陥れんとする者に対して答うる必要を認め給わなかった。
註解: 大祭司はついにイエスをしてそのメシヤたることを告白せしめんとした。メシヤにあらざるものが自己をメシヤとすることは大なる涜神であったからである。
辞解
[頌むべきもの] 神を指す。
14章62節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。 |
塚本訳 | するとイエスは(はじめて口を開いて)言われた、「そうだ、わたしだ。あなた方は“人の子(わたし)が”“大能の(神の)右に坐り、”“天の雲に囲まれて来るのを”見るであろう。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「わたしはそれである。あなた方は見よう、人の子が大能者の右にすわって天の雲とともに来るのを」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」 |
NIV | "I am," said Jesus. "And you will see the Son of Man sitting at the right hand of the Mighty One and coming on the clouds of heaven." |
註解: イエスは自己のメシヤに在し給うことを隠すことができなかった。これを明かに彼らに示すことが、この場合にイエスに残されし唯一の仕事であった。それ故にイエスは彼らの質問を肯定し給えるのみならず、さらにダニ7:13を引用して今後彼が如何なる栄光の位置に坐し給い、如何なる稜威をもって再び来り給うかを彼らに告げ、もって彼らをしてこのイエスを殺すことが如何に重大なる事実であるかを認識せしめ給うた。ここに到れば彼らにとりてはこのイエスをキリストと信ずるかまたはこれを信ぜずして、キリストを涜神者と認めこれを殺すかの二つの途が残されるのみとなった。而して彼らはこの後者を選んだのである。
辞解
「神の右」は神に亞 ぐ最高の地位。「天の雲」は神の乗り給う場所(マコ13:26註参照)。これらは勿論表徴的に解釈せらるべきである。
14章63節
口語訳 | すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「どうして、これ以上、証人の必要があろう。 |
塚本訳 | すると大祭司は自分の着物を引き裂いて言う、「これ以上、なんで証人の必要があろう。 |
前田訳 | 大祭司は衣を裂いていう、「もはやなんで証人が要ろう。 |
新共同 | 大祭司は、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必要だろうか。 |
NIV | The high priest tore his clothes. "Why do we need any more witnesses?" he asked. |
14章64節 なんぢら
口語訳 | あなたがたはこのけがし言を聞いた。あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは皆、イエスを死に当るものと断定した。 |
塚本訳 | 諸君は(今、おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。(この者の処分について)御意見を承りたい。」満場一致で、死罪を相当とすると決定した。 |
前田訳 | あなた方はけがしごとをお聞きである。どう思われるか」と。満場一致で死刑に当たる罪と決めた。 |
新共同 | 諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか。」一同は、死刑にすべきだと決議した。 |
NIV | "You have heard the blasphemy. What do you think?" They all condemned him as worthy of death. |
註解: 衣を裂くことは非常なる悲しみまたは恐懼の場合である(引照を見よ)。大祭司はイエスのこの言葉を捕え、これを聞ける群衆を証人としてイエスを死に定めしめんとした。巧みなる策戦である(レビ24:16参照)。人間はイエスに対する場合、必ずこの二つの途の一つを選ばざるを得ない立場に立たしめられる。これに対して中立の場所はない。群衆は常に付和雷同 する。民の声は必ずしも神の声ではない。
14章65節
口語訳 | そして、ある者はイエスにつばきをかけ、目隠しをし、こぶしでたたいて、「言いあててみよ」と言いはじめた。また下役どもはイエスを引きとって、手のひらでたたいた。 |
塚本訳 | (法院の役人たちの)中にはイエスに唾をかけ、目隠しをして拳でうちながら、「(だれだか)当ててみろ」と言った者もあった。下役らはイエスにいくつも平手打ちをくらわせた。 |
前田訳 | 数名が彼に唾し、目隠しして打ち、「だれか当てよ」といった。下役らは彼を平手打ちにして引きとった。 |
新共同 | それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、「言い当ててみろ」と言い始めた。また、下役たちは、イエスを平手で打った。 |
NIV | Then some began to spit at him; they blindfolded him, struck him with their fists, and said, "Prophesy!" And the guards took him and beat him. |
註解: 彼らはかつてイスラエルの預言者たちに対して為せるごときあらゆる侮辱をイエスに向って為した。彼らはイエスをもって神を涜す大罪人と思ったからである。然るに豈 計らんや、彼らは神を崇むることと自認しつつも為したるその行為をもって彼ら自ら神を涜していたのである。かかる種類のことは今日も多く存する。キリスト者と称する者は自ら戒めなければならない。「預言せよ」はマタ26:68によれば彼を撲てる者の誰なるかを預言せよとのことであるけれどもマルコの真意は一般的に「預言せよ」の意味で、「汝は預言者と自称しているが預言するなら為して見よ」というごとき意ならん。
要義 [われは夫 なり]イエスが自らを神の子と告白し給えることは全人類にとりて非常なる出来事である。この場合我らはこれに対して三つの途の何れか一つを取らなければならぬ。その一は彼を狂人としてこれを相手にしないこと、その二は彼を涜神者としてこれを殺すこと、その三は彼を真に神の子としてこれを信ずることである。彼を単に偉大なる道徳家または宗教家としてある程度の尊敬を払うごときは、彼自身の宣告を真面目に受けないことであって、彼を尊敬するがごとくに見えて実は無視することである。
14章66節 ペテロ
口語訳 | ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりがきて、 |
塚本訳 | ペテロは下の中庭にいたが、大祭司の女中が一人来て、 |
前田訳 | ペテロは下の中庭にいたが、大祭司の下女のひとりが来て、 |
新共同 | ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、 |
NIV | While Peter was below in the courtyard, one of the servant girls of the high priest came by. |
14章67節 ペテロの
口語訳 | ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。 |
塚本訳 | ペテロが火にあたっているのを見ると、じっと見つめながら、「あなたもあのナザレ人と一しょだった、あのイエスと」と言う。 |
前田訳 | ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼にじっと目をすえていう、「あなたもあのナザレ人といっしょでした、あのイエスと」と。 |
新共同 | ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」 |
NIV | When she saw Peter warming himself, she looked closely at him. "You also were with that Nazarene, Jesus," she said. |
註解: ペテロはまさかそれらの人々の中に彼を知っている者はあるまいと考えていたのであろうけれども思いがけない人間が彼がイエスの弟子たりしことの目撃者であったことを知りいたく驚いた。隠れたるより顕れるはなし。ペテロはこの一介の婢女 のために自己の凡ての弱さを暴露される結果となった。
辞解
[下にて] 中庭が一段と低くなっていたこと。
原文「ナザレ人」と「イエス」と離れており語気の荒々しさを示す。
14章68節 ペテロ
口語訳 | するとペテロはそれを打ち消して、「わたしは知らない。あなたの言うことがなんの事か、わからない」と言って、庭口の方に出て行った。 |
塚本訳 | しかしペテロは、「あなたが何を言っているのかわからない、見当もつかない」と言って打ち消した。そして前庭に出てゆくと、鶏が鳴いた。(すると) |
前田訳 | 彼は否んでいった、「知らない、わからない、あなたのいうことは」と。そして前庭へ出て行った。 |
新共同 | しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。 |
NIV | But he denied it. "I don't know or understand what you're talking about," he said, and went out into the entryway. |
註解: ペテロは空とぼけて知らぬふりをしたのであった。胡麻化す態度の卑怯なるを見よ。十二弟子の筆頭たるペテロすらこの有様であった。しかしながら何人か自己を顧みてかかる場合無かりしと言い得る者ぞ、異本に「その時雞鳴けり」とあり(▲塚本訳参照。)、重要なる写本に無きを見れば72節に対して後代の挿入ならん。72節を見よ。
14章69節
口語訳 | ところが、先の女中が彼を見て、そばに立っていた人々に、またもや「この人はあの仲間のひとりです」と言いだした。 |
塚本訳 | その女中がペテロを見て、そばに立っていた人たちに、またも「この人はあの仲間だ」と言い出した。 |
前田訳 | すると下女が彼を見て、そこにいる人々に、またいい出した、「この人はあの一味です」と。 |
新共同 | 女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。 |
NIV | When the servant girl saw him there, she said again to those standing around, "This fellow is one of them." |
註解: マタ26:71によればこれは「他の婢女 」であり、ルカ22:58によれば「他の男子」であり、ヨハ18:25によれば「人々」である。これを強いて調和せしめんとしても不可能である。多くの伝説があったのであろう。
14章70節 ペテロ
口語訳 | ペテロは再びそれを打ち消した。しばらくして、そばに立っていた人たちがまたペテロに言った、「確かにあなたは彼らの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから」。 |
塚本訳 | ペテロはまた打ち消した。しばらくすると、そばに立っていた人たちがまたペテロに言った、「確かにあの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから。」 |
前田訳 | 彼はまた否んだ。しばらくして、そばにいる人々がペテロにいった。「本当にあの一味だ。そちらもガリラヤ人だから」と。 |
新共同 | ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」 |
NIV | Again he denied it. After a little while, those standing near said to Peter, "Surely you are one of them, for you are a Galilean." |
註解: ヨハ18:26によればこの時ペテロに向って口を開いた者はペテロに耳を切り落されし者の親戚であってその光景を目撃したものであるとのことである。ヨハネが如何にしてこの事実を確めたかにつきては問題があり得るけれども、ペテロはこれに対しては一言も反対し得ない訳である。
辞解
[汝もガリラヤ人なり] 「なればなり」で、ペテロの訛がこれを示したのであったろう(マタ26:73)。
14章71節
口語訳 | しかし、彼は、「あなたがたの話しているその人のことは何も知らない」と言い張って、激しく誓いはじめた。 |
塚本訳 | しかしペテロは、「あなた達が言っているそんな男は知らない。(これが嘘なら、呪われてもよい)」と、幾たびも呪いをかけて誓った。 |
前田訳 | 彼は呪って誓いはじめた、「あなた方のいうその人をわたしは知らない」と。 |
新共同 | すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。 |
NIV | He began to call down curses on himself, and he swore to them, "I don't know this man you're talking about." |
註解: 一つの虚偽は更に第二の虚偽を生む、ペテロはついに盟 いを立ててまでもイエスを明かに否むに至った。虚偽は早く悔改めなければならない。然らざれば虚偽はさらに虚偽を生みて収拾すべからざるに至るものである。
口語訳 | するとすぐ、にわとりが二度目に鳴いた。ペテロは、「にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、そして思いかえして泣きつづけた。 |
塚本訳 | するとすぐ、二度目に鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」とイエスに言われた言葉を思い出して、わっと泣きだした。(いつまでも涙が止まらなかった。) |
前田訳 | するとすぐ、二度目ににわとりが鳴いた。そこでペテロは、「にわとりが二度鳴く前に三度わたしを否もう」とイエスがいわれたことばを思い出した。そして泣きくずれた。 |
新共同 | するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。 |
NIV | Immediately the rooster crowed the second time. Then Peter remembered the word Jesus had spoken to him: "Before the rooster crows twice you will disown me three times." And he broke down and wept. |
註解: 「また」は原語「二度目に」で一度目のことは記されていない。68節の異本はこのために後より加えられたものと思わる。第二回目の雞鳴 が第三更と第四更との境目と定められているとすれば別段第一回目のことは記す必要なきはずである。
ペテロ『にはとり
註解: ここに至ってペテロは始めて己に帰り己の罪の如何に深きかを思い、主の御前に誇りし彼と、この敗戦の彼とを比較して自己の如何に弱きものであるかを発見して心の底より涙が流れ出づるを禁ずることができなかった。かくしてペテロはイエスの前に心中深くその罪を懺悔した。
辞解
[思ひ返して] 原語の意味難解で種々に解せられているけれどもおそらく「思ひ返して」が適当であろう。あるいは「頭を掩 いて」と訳する説あり、また異本により文字を変更して「泣き始めたり」とも訳され、または「飛び出でて泣けり」とも訳さる。
要義 [ペテロの堕罪]ペテロが主イエスを否める記事は我らに多くの反省を促す処のものである。人の前にてイエスを否む者をばイエスは父の前にこれを否み給う。而して人の前に明白にイエスを告白することの難きは何人も経験する処であって、これを幾分たりとも曖昧に終らしむることは取りもなおさずペテロの罪を重ぬることである。我らは三度主を否めるペテロの中に我ら自身の姿を見ることを悲しまざるを得ない。