ルカ伝第1章
分類
1 著者の序言
1:1 - 1:4
1章1節 我らの中に成りし事の物語につき、[引照]
口語訳 | わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、 |
塚本訳 | わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、) |
前田訳 | 多くの人が、われらの間になしとげられた事どもについての物語をまとめようと手をつけました。 |
新共同 | -2節 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。 |
NIV | Many have undertaken to draw up an account of the things that have been fulfilled among us, |
註解: 1−4節は全福音書の序言として録されしもので原文は複雑なる構造を有する美しき文章である。この短文の中に、この福音書の録されし目的・手段方法・態度、および当時におけるイエス伝研究および記述の状況を見ることができる。
辞解
[成りし] 事件の全体が一つの連なった全体であることを示すごとき文字を用いていることに注意すべし。▲「成りし」は「完成された」ことを意味する。イエスの生と死とに由って神の人類救済の目的は完成されたのであった。
[事] 「事件」。
[事の物語につき] 後掲の私訳参照。
[成りし事] イエスの顕現とその死と復活・昇天、およびこれに伴える種々の事柄を指す。
始よりの目撃者にして、
1章2節 御言の役者となりたる人々の、[引照]
口語訳 | 御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、 |
塚本訳 | 最初から実際に見た人たちと御言葉の伝道にたずさわった人たちとが(語り)伝えてくれたとおりに、一つの物語に編もうと企てた人が数多くありますので、 |
前田訳 | その事どもは、はじめから目撃者でことばの使いであった人たちがわれらに伝えたものであります。 |
新共同 | |
NIV | just as they were handed down to us by those who from the first were eyewitnesses and servants of the word. |
註解: 十二使徒は勿論、七十人の弟子らを指す。目撃者にあらざる者の言は容易に信ずべからず、また目撃者であっても御言の役者とならざる者の言は無責任である場合がある故、ルカはその材料収集に際してこれら二つの条件を重視した。「始より」は必ずしも「イエスの誕生より」またはその「伝道開始より」等厳格に一線を画する必要はない、「以前より」というごとき意味に解して差支えがない。「御言」は「福音」というがごとし、これを「事件」と訳し、または「キリスト」と解する(ヨハ1:1)は不適当である。
我らに傳へし其のままを書き列ねんと、
註解: 以上私訳「我らの中に成り終えしことにつき、始よりの目撃者にして御言の役者となりし人々が我らに伝えしままを物語に書き列ねんと」、「其のまま」を書き列ねることは重要にしてかつ困難なる仕事である。伝説は往々にして多くの異聞を混入する恐れがあるからである。
手を著けし者あまたある故に、
註解: マルコ伝、マタイの語録等はすでに存していたと見るべきであるが(緒言参照)その他にも今日現存せざる福音書類似のものが数多く存在し、または現出せんとしつつあったものと思われる。ルカは本書を記録するに際し、それらの多くの同類の著書中に本書を加うることが決して無益ではないことの確信を持っていた。その理由は次に述ぶる処の中に包含せられている。
1章3節 我も凡ての事を最初より詳細に推し尋ねたれば、[引照]
口語訳 | テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。 |
塚本訳 | テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、 |
前田訳 | それで、テオピロ閣下、それらの一部始終を詳しく調べましたわたくしも、あなたに順序正しく書いて差しあげようと思いました。 |
新共同 | そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。 |
NIV | Therefore, since I myself have carefully investigated everything from the beginning, it seemed good also to me to write an orderly account for you, most excellent Theophilus, |
註解: 「我も」は前節の「多くの人々」と対照している。「推し尋ね」 parakoloutheô は事件に添うてその跡をたどること、往々にして事件の一部をその半途より粗雑に研究せるのみにて充分に推敲を経ざる伝記もあり得るのであって、本節によりルカは自己の記述するイエス伝はかかる類にあらざることを明らかに示している。
1章4節 テオピロ閣下よ、[引照]
口語訳 | すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。 |
塚本訳 | 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります。 |
前田訳 | それはお聞き及びの話についての確かなところをよく知っていただくためであります。 |
新共同 | お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。 |
NIV | so that you may know the certainty of the things you have been taught. |
註解: テオピロの何人なりやにつきては明らかにし得ないが、「閣下」なる尊称をもって呼びかけている点より高位高官にある人であると考えられ、また「兄弟」等の称呼をもって呼ばない処より見れば、信徒の一人ではなかったらしく、熱心にイエスのことを推し尋ねている求道者であったものと思われる。ルカは彼と相当に親密であったことは、使徒行伝も彼に献本せられしことをもっても知ることができる。異教徒たりとて軽蔑せず、高位の人として相当の尊敬を払いつつ、しかも自己の主張する福音の権威を充分に主張するルカの態度は異教徒に対する宣教者の参考とすべき点である。
汝の教へられたる事の慥なるを悟らせん爲に、
註解: その書の記されし目的である。誰がテオピロを教えたかは明示されていない。ルカ自身と見ることも(テオフィラクト)必ずしも絶対に否定す(M0)べきではないが、おそらく多くの他の人々よりもイエスのことを聞きつつも充分に信ずるに至らなかったのであろう。
辞解
[語る] epiginôskô は一層詳しくまたは明らかに知ること。
これが序を正して書き贈るは善き事と思はるるなり。
註解: 必ずしも時の前後に従うという意味ではなく、「系統を立てて」というごとき意。断片的にして雑然たる物語のみでは、全体の確実さを明らかに知り得ない故、ルカはこの序言により自己の著作の系統的であることにつきその効用を主張している。
要義 本書はテオピロ一人のために書かれたこととなっているけれどもおそらく一般の人々にも読ませる意図があったのであろう。しかし万一ルカがテオピロ一人のために書いたのだとすればどうであろうか、ルカがその入信以来、多年の間、多くの労苦を嘗めつつ収集せる貴重なる材料を、単に未信者なる一貴人のためのみに用いていることは、福音の一般的性質に相応しからざるがごとくに思われる。幸にして、この福音書はテオピロ一個人の函底に死蔵されることなく、全世界に流布するに至ったけれども、不幸にして世に顕れずに終るごとき結果となるようなこともあり得ないわけではない。かく考うる時、ルカは果して正しき途を選んだのであろうかとの疑問も起り得るわけである。しかしながら御言の役者が、ある一個の霊魂のためにその全精力・全生涯を投げ出すことは、純真なる愛の行為の顕れであって、この愛の効果は数量的に計算することができない。ルカが一人のテオピロのために、その全生涯の最も貴重なる労作をささげたることは、取りも直さず彼の全人類に対する愛の大きさを示すものである。迷える一匹の羊のためにその生命を棄て得ざるものは、檻の中の九十九匹の羊をも愛し得ない。
分類
2 準備時代
1:5 - 4:13
2-1 イエス出現の序曲
1:5 - 1:80
2-1-イ ガブリエル、ザカリヤに顕る
1:5 - 1:25
註解: 5節以下1、2章はヨハネおよびイエスの誕生および幼時の歴史であって、1−5節のギリシャ的文体は急にヘブル語的文体に変化していることに注意すべし。この事実より、本書をルカの作にあらずとする説あれども、むしろルカがヘブル語による口伝または資料を採用して、でき得るかぎりそのヘブル的色彩を保有せんと努めたためであると考うべきであろう。この部分が本書中に存在することは、マルコ伝、マタイ伝に比してイエス伝が一層広き世界に提供せられていることを感ぜしめられる。すなわちヘブル的色彩の濃厚なるこの物語が、その特徴ある貌においてギリシャ、ローマの世界的舞台に登場せるごとき状態である。これによりて本書の読者はイエスをその誕生以前の世界において見ることができるようになった。もし福音書中にこの部分が存在しなかったならば、共観福音書は異邦人にとって、あまりにも唐突なるもののごとくに感ぜられたことであろう。
1章5節 ユダヤの王ヘロデの時、[引照]
口語訳 | ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で名をザカリヤという者がいた。その妻はアロン家の娘のひとりで、名をエリサベツといった。 |
塚本訳 | ユダヤのヘロデ(大)王の代に、ザカリヤというアビヤ組の祭司があった。妻は、(これも大祭司)アロンの末で、名をエリサベツといった。 |
前田訳 | ユダヤの王ヘロデのころ、ザカリヤというアビヤの組の祭司があった。妻はアロンの末で、名はエリサベツといった。 |
新共同 | ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。 |
NIV | In the time of Herod king of Judea there was a priest named Zechariah, who belonged to the priestly division of Abijah; his wife Elizabeth was also a descendant of Aaron. |
註解: 所謂ヘロデ大王のこと、ヘロデ大王につきてはマタ2:1註参照。またその子孫の系図につきてはマコ6:14−29註ならびにヘロデ家系図参照。
アビヤの組の祭司に(て)、
註解: 祭司アロンの子孫は二十四班に分れアビヤはその第八班であった(T歴24:7−19)。一週間づつ交替し、順番に宮の祭事を掌る。各班の中より籤にて当番を選び、一回これを務めし者は再び選ばれることがなかった。
ザカリヤという人あり。
註解: 大祭司ではなく普通の祭司であった。ザカリヤは「エホバに記憶せらる」の意。
その妻はアロンの裔にて、名をエリサベツといふ。
註解: 両人とも祭司の系統より出でているということは、イエスの先駆者となるべきヨハネの資格に最も相応しき事実であった。
辞解
[エリサベツ] 「神は我が誓いなり」の意。なお「アロンの裔」は原文「アロンの娘らの一人」。
1章6節 二人ながら神の前に正しくして、主の誡命と定規とを、みな缺なく行へり。[引照]
口語訳 | ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。 |
塚本訳 | 二人とも主の掟と定めとを皆落度なく守って、神の目に(さえ)正しくあった。 |
前田訳 | ふたりとも神の前に正しく、主のいましめと定めをすべてつつがなく守っていた。 |
新共同 | 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。 |
NIV | Both of them were upright in the sight of God, observing all the Lord's commandments and regulations blamelessly. |
註解: 後半私訳「主の凡ての誡命と定規とに歩みて缺なかりき」。人の前に正しき人のごとくに見えても、神の前に正しからざる者は無価値である。ザカリヤとエリザベツの夫妻は真面目な人間であって神の誡命と定規の通りに行動しており、非難すべき点がなかった。この種の人々の価値は神の前に非常に高いものである。ヨハネがかかる人の間に生れたことは彼の遺伝的優秀さを示す、ただしこれと新約における「義とせられし人」との差別は無視してはならない。後者は信仰により神との新しい関係に入った人であり、前者は神の誡命と定規とを行わんと努力する人の神の目に映ずる価値である。
辞解
「誡命」 entolai は神の発し給う命令、「定規」 dikaiômata は神が正しきこととして決定せる事柄。前者が道徳的、後者が礼典的であると解するのは(B1)正しくない。創26:5。
1章7節 エリサベツ石女なれば、彼らに子なし、また二人とも年邁みぬ。[引照]
口語訳 | ところが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。 |
塚本訳 | しかしエリサベツが石女であったので、子がなく、かつふたりとももう年を取っていた。 |
前田訳 | しかし、エリサベツがうまずめであったので、彼らに子はなく、それにふたりとも年をとっていた。 |
新共同 | しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。 |
NIV | But they had no children, because Elizabeth was barren; and they were both well along in years. |
註解: アブラハムとサラの場合に酷似す。今やこの二人の間に神の御業が始められんとしているのである。神の御業は人間の力が行詰った処から始められる。
要義1 [神の前における人間]祭司は人類の代表者として神の前に立つ。人類が神の前に義しくあることがユダヤ人にとっての唯一最大の問題であった。異邦人はかかる深刻な場面に自己を置いたことがない。この事実がキリストの十字架の理解を困難にする大原因である。それ故ルカは特にこの物語を掲げてこの点を異邦人に示したのであろう。
要義2 [遺伝の意義]遺伝なる事実が存在することは、否定し得ない事実であると同時に、また遺伝が万事を決定し得ないこともまた事実である。遺伝は厳存する事実ではあるが、神はまたこの事実を如何様にも変化し得る能力を所有し給う。それ故に我らは厳存する事実を無視または軽視することを許されないと同時に、神の絶対的支配を無視または軽視することもまた許されない。バプテスマのヨハネの場合、その両親の祭司系たることと正しき人であったことをルカが記述したのは、神の御業といえども一般的法則を基礎として行われる場合が多いことを示す。我らも遺伝の事実を注意すべきである。
1章8節 さてザカリヤその組の順番に當りて、神の前に祭司の務を行ふとき、[引照]
口語訳 | さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の務をしていたとき、 |
塚本訳 | さてザカリヤの組が当番で、宮にて祭司の務をしていた時のこと、 |
前田訳 | さて、ザカリヤの組が当番で、宮で神の前におつとめをしていたときのこと、 |
新共同 | さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 |
NIV | Once when Zechariah's division was on duty and he was serving as priest before God, |
1章9節 祭司の慣例にしたがひて、籤をひき主の聖所に入りて、香を燒くこととなりぬ。[引照]
口語訳 | 祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。 |
塚本訳 | (ある日)彼が祭司職の習わしに従って籤を引いたところ、主の聖所に入って香をたく役目にあたった。 |
前田訳 | 祭司職の習わしによってくじを引くと、彼が主の聖所に入って香をたくことになった。 |
新共同 | 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。 |
NIV | he was chosen by lot, according to the custom of the priesthood, to go into the temple of the Lord and burn incense. |
註解: ある班の順番の週間になれば、その班に属する人々が籤を引いて祭司の務の中の各分担を行うべき人を決定した。一日四回の籤を引き、朝三回夕一回これを行う。古代人は籤の中にも神意が表れるもののごとくに感じていた。少なくとも選挙等の方法に比すれば人間的要素は混入しない。なお二十四班の順番は一定しているので紀元七十年エルサレムの陥落の時に順番に当った班の名称より逆算してこのアビヤの班の順番に当れる週間を知ることでき、これがイエスの誕生の日を決定する一つの材料となる。
1章10節 香を燒くとき、民の群みな外にありて祈りゐたり。[引照]
口語訳 | 香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。 |
塚本訳 | (きょうザカリヤには一生にただ一度ゆるされる幸運がのぞんだのである。ザカリヤが)香をたいている時、一般の民衆は皆(いつものとおり)外で祈っていた。 |
前田訳 | 香をたく間、多くの民衆が皆外で祈っていた。 |
新共同 | 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。 |
NIV | And when the time for the burning of incense came, all the assembled worshipers were praying outside. |
註解: 私訳「焼香時間中は民の・・・・」。聖所の中ではザカリヤが香を焼きつつあり、聖所の外なる男子の庭、婦人の庭等にはその時刻を計って民の全群が祈っていた。この祈りが香の煙となって神の御許に達すると考えられるのであった。
1章11節 時に主の使あらはれて、香壇の右に立ちたれば、[引照]
口語訳 | すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。 |
塚本訳 | (すると)突然一人の主の使がザカリヤに現われ、香壇の右、(ザカリヤの向かって左)に立っていた。 |
前田訳 | すると主の天使が彼に現われ、香の壇の右に立っていた。 |
新共同 | すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 |
NIV | Then an angel of the Lord appeared to him, standing at the right side of the altar of incense. |
註解: 聖所の中にはザカリヤの外には誰もいない。その場面に神の使があらわれたことは誠に厳粛なる瞬間であった。神の大なる御業の顕れんとする前兆である。
1章12節 ザカリヤ之を見て、心さわぎ懼を生ず。[引照]
口語訳 | ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。 |
塚本訳 | それを見てザカリヤは胸さわぎがし、恐ろしさが彼をおそった。 |
前田訳 | それを見てザカリヤは心騒ぎ、おそれが彼を包んだ。 |
新共同 | ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。 |
NIV | When Zechariah saw him, he was startled and was gripped with fear. |
註解: 全く予期せざりし光景に接してその心は動揺し、恐怖が彼を襲うたのは極めて自然である。
1章13節 御使いふ『ザカリヤよ、懼るな、汝の願は聽かれたり。汝の妻エリサベツ男子を生まん、汝その名をヨハネと名づくべし。[引照]
口語訳 | そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。 |
塚本訳 | 天使が言った、「ザカリヤ、“恐れることはない。あなたの”(かねての)祈りは“聞きいれられた。”妻エリサベツは男の子を産むであろう。その名をヨハネとつけよ。 |
前田訳 | 天使は彼にいった、「おそれるな、ザカリヤよ、あなたの祈りは聞かれた。妻エリサベツはあなたに男の子をもうけよう。その名をヨハネとつけよ。 |
新共同 | 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。 |
NIV | But the angel said to him: "Do not be afraid, Zechariah; your prayer has been heard. Your wife Elizabeth will bear you a son, and you are to give him the name John. |
註解: この「祈願」の内容の何たるかにつき問題がある。すなわち子を得んとの願いは18節より見てもはや放棄しているはず故、この「願」はイスラエルの救われんことの願いならんとする説(M0、I0)と、その後に来る文意との関係より勿論子を得んとの「願」であると解する説(Z0、A1、E0、B1)とである。双方とも事実であった。何となれば年来の祈願であった子を得ることがこの時思いがけなく成就した、のみならずこの時聖所の中にて祈ったこと ─ おそらくイスラエルの救われんこと ─ もこの子によって準備されることとなったからである(15−17節)。神の使の顕現がザカリヤにとって突然であったと同じく、この使の言葉もまた極めて唐突であって、彼が聖所においてその場合に祈っていたこととは無関係であったと考えることができる。我らの祈願も往々にして直ちに聴かれず、祈願せしことを忘れ去った頃にその祈願が聴かれるようなことが少なくない。
辞解
[懼るな] 天よりの最初の呼びかけとして意味深長である(B1)。ルカはしばしばこの語を用いた
(ルカ1:30。ルカ2:10。ルカ5:10。ルカ8:50。ルカ12:4、ルカ12:7、ルカ12:32)
。
[ヨハネ] 「神は恵み深し」又は「神の恩賜」を意味す。
1章14節 なんぢに喜悦と歡樂とあらん、[引照]
口語訳 | 彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。 |
塚本訳 | この子はあなたの喜びであり、楽しみであり、多くの人もその誕生を喜ぶであろう。 |
前田訳 | あなたのよろこびと感激は大きく、多くの人が彼の誕生をよろこぼう。 |
新共同 | その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。 |
NIV | He will be a joy and delight to you, and many will rejoice because of his birth, |
註解: 老境に達して図らずも男子を与えられることの喜悦と歓楽は大である。
又おほくの人もその生るるを喜ぶべし。
註解: 多数の知人も老夫婦とその喜びを分つであろう。ただし両親と知人の歓喜は、単なる個人的ではなく、これはやがて全人類の歓喜となるべきものであった。
1章15節 (そは)この子、主の前に大[ならん](にして)、[引照]
口語訳 | 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、 |
塚本訳 | 主の前に大いなる者となるからである。“彼は決して葡萄酒や強い酒を飲まない。”(そのかわり)母の胎内からすでに聖霊に満たされ、(それに)酔っている。 |
前田訳 | 彼は主の前に重んじられ、ぶどう酒や強い酒を飲まず、母の胎内からすでに聖霊に満たされ、 |
新共同 | 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、 |
NIV | for he will be great in the sight of the Lord. He is never to take wine or other fermented drink, and he will be filled with the Holy Spirit even from birth. |
註解: 本節ならびに次節は「そは・・・・・なればなり」 gar をもって前節に接続し、歓喜の理由を掲ぐ。而してその第一の点は、彼が主、すなわち神の前に大なる者であることであった。神の前に大なる事は必ずしも人の前に大であることではない。人間的に見て最も無価値に見ゆるものでも神の前に大なる者は有り得るのである。ただしヨハネは人間的にも偉大なる預言者と思われていたが、神の前にはキリストの先駆者として一層大なる存在であった。
また葡萄酒と濃き酒とを飮まず、
註解: 第二の点はヨハネが生れながらいわゆる「終身のナザレ(ナジル)人」(S2)であり(民6:3以下およびS2参照、反対説Z0)、禁慾生活をその特徴としたことであった。重大なる責任を負っている者は、自己の慾望のために左右せらるべきではない。▲口語訳の「いっさい飲まず」は ou mê の適訳。
辞解
[濃き酒] 原語 sikera で葡萄以外の材料をもって醸造せる強力なる酒。▲この点口語訳は正しい。
母の胎を出づるや聖靈にて滿され[ん。]
註解: ek koilias mêtros autou は「母の胎を出づるや」すなわち誕生の時より(A1)と見るよりも、むしろ「なお母の胎に宿れる時より」と訳すべきで、すでにその誕生以前にも聖霊にて満たされていたことを意味す(Z0、M0)。これがヨハネが両親および多くの人の歓喜の原因たるべき第三の理由であった。酒精に酔うことと聖霊にて満たされることはそのまま肉的人間と霊的人間との対照である。
1章16節 また多くのイスラエルの子らを、主なる彼らの神に歸らし[め、](むべけらばなり。)[引照]
口語訳 | そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。 |
塚本訳 | 彼は多くのイスラエルの子孫を、彼らの神なる主に立ち返らせるであろう。 |
前田訳 | イスラエルの多くの子らを彼らの神である主に立ち帰らせよう。 |
新共同 | イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。 |
NIV | Many of the people of Israel will he bring back to the Lord their God. |
註解: 第四の最も重要なる点はヨハネの公的使命である。すなわち神に背けるイスラエルの多くの子らを悔改めしめ、主なる彼らの神に向き還らしめることであった。ヨハネは立派にこの使命を果し、多くの人をイエスに導き、イエスによって神に立ち還らしめた。
1章17節 [且](而して彼は自ら)エリヤの靈と能力とをもて、主の前に往かん。[引照]
口語訳 | 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。 |
塚本訳 | (そればかりか、)“(預言者)エリヤの”霊と力とをもって主(救世主)の先駆けをし、“父の心を(ふたたび)子に”(向けさせて家をきよめ、)また不従順な者を義人と同じ考えに“立ち返らせて、”準備のできた民を主のために用意するであろう。」 |
前田訳 | 彼はエリヤの霊と力をもって主の先駆けをし、父の心を子に向け、背くものを義人の考えに立ち帰らせ、整えられた民を主にそなえよう」と。 |
新共同 | 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」 |
NIV | And he will go on before the Lord, in the spirit and power of Elijah, to turn the hearts of the fathers to their children and the disobedient to the wisdom of the righteous--to make ready a people prepared for the Lord." |
註解: エリヤの霊と能力につきてはT列17章、18章を見よ。またメシヤの来臨の前駆として預言者エリヤが遣されることにつきてはマラ3:23-24参照。バプテスマのヨハネはこのエリヤであると考えられた(マタ11:14。マタ17:10−13。マコ9:11−13)。すなわち主キリスト・イエスの先駆者としてその前に往くべき預言者であった。
これ父の心を子に、戻れる者を義人の聰明に歸らせて、整へたる民を主のために備へんとてなり』
註解: 主キリストの来臨に対する準備である。神に逆き戻っている結果、すなわち人倫中の最も重要なる根本たる親子間の愛情が冷却し正しき理解力をすら失っているごとき世界に、主イエス・キリストが来り給うても、それは彼らにとって無意義である。ゆえに親子の間の真情を常態に復し、神に対する不信の結果、何が正義か何が不義かをすら見分け得ざるに至っている者を神に向き帰らせて正しき人々の聡明さを取り返さしめ、かくしてメシヤ王国の建設のために、充分にその道具立てを完備せる者として準備をととのえるためである。ヨハネはキリストの来臨に先立ちて、この任務を全うすべきものとして生れたのであった。
辞解
[父の心を子に] 前に引用せるマラ3:24には「子女の心にその父を思わしめん」が加えられているが本節にはさらにこれをイスラエルの民と神との関係に拡大している。
[戻れる] apeitheis は不信仰、不従順等の意。
[整へたる] kataskeuasmenon は材料や道具立てが揃っていること。
1章18節 ザカリヤ御使にいふ『何に據りてか此の事あるを知らん。我は老人にて、妻もまた年邁みたり』 [引照]
口語訳 | するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。 |
塚本訳 | ザカリヤが天使に言った、「(子をさずかる)その”証拠は何でしょうか。”わたしは老人で、妻ももう年を取っております。」 |
前田訳 | ザカリヤは天使にいった、「どうしてそれがわたしにわかりましょう。わたしは年よりで、妻も年をとっています」と。 |
新共同 | そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」 |
NIV | Zechariah asked the angel, "How can I be sure of this? I am an old man and my wife is well along in years." |
註解: 彼はかかることはもはや考えられないとの心持を表明した。創17:17のアブラハムの心持に類似している。ただしアブラハムは結局神の約束を信ずる信仰に堅く立つことができた(ロマ4:19、20)。
1章19節 御使こたへて言ふ『われは神の御前に立つガブリエルなり、[引照]
口語訳 | 御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。 |
塚本訳 | 天使が答えた、「わたしは(もったいなくも)神の前に立つガブリエルである。あなたにこの喜びのおとずれを伝えるために遣わされたのである。 |
前田訳 | 天使は答えた、「わたしは神の前に立つガブリエルで、あなたに話しかけてこのよろこびのおとずれを伝えるためにつかわされました。 |
新共同 | 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。 |
NIV | The angel answered, "I am Gabriel. I stand in the presence of God, and I have been sent to speak to you and to tell you this good news. |
註解: 当時ユダヤ人の間には神の前に七人の主要なる天使が立っていると信ぜられていた。彼は多くの天の使の主長と考えられた(ダニ8:16。ダニ9:21)。その名はガブリエル、ミカエル(ユダ1:9。黙12:7)、ウリエル、ラファエル等々である。ガブリエルは「神の人」または「神は人なり」の意。神の意を人に伝うる使ならん。
汝に語りてこの嘉き音信を告げん爲に遣さる。
註解: この嘉信は福音であり、単に一家庭内に一男子が出生することではなく、イスラエルが長年の間待望せるメシヤの来臨を告ぐる嘉信である。
1章20節 視よ、時いたらば必ず成就すべき我が言を信ぜぬに因り、なんぢ物言へずなりて、此らの事の成る日までは語ること能はじ』 [引照]
口語訳 | 時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたはおしになり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。 |
塚本訳 | だからいま、あなたは唖になり、このことが成るその日まで、ものを言うことが出来ないであろう。これは、時が来ればかならず成就するわたしの言葉を信じなかった罰である。」 |
前田訳 | いま、あなたは唖者になり、このことがおこるその日まで、ものがいえなくなるでしょう。これは、時が来れば成就するわがことばを信じなかったからです」と。 |
新共同 | あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」 |
NIV | And now you will be silent and not able to speak until the day this happens, because you did not believe my words, which will come true at their proper time." |
註解: 神がその大なる御業を行い給う時、人はその前に口塞がるより外にない。ザカリヤはその不信の言を発した刑罰として唖者とされたのであった。しかしかれはこれにより彼が神の前に如何なる者であるかを知らしめられ、真の謙遜の心が与えられ、また神の御業の偉大さを知らしめられた。▲苦難や不幸は我らを神に立還らしむる神の警報である。神の顕現の前には人間の口が塞がるものである。(ロマ3:19)。ザカリヤの場合は真正の唖となった。
1章21節 民はザカリヤを俟ちゐて、其の聖所の内に久しく留るを怪しむ。[引照]
口語訳 | 民衆はザカリヤを待っていたので、彼が聖所内で暇どっているのを不思議に思っていた。 |
塚本訳 | (外で)待っている人々は、ザカリヤが聖所の中で暇どるのを不思議に思った。 |
前田訳 | 民衆はザカリヤを待ちうけていたが、彼が聖所の中に長くいるのを不思議がっていた。 |
新共同 | 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。 |
NIV | Meanwhile, the people were waiting for Zechariah and wondering why he stayed so long in the temple. |
註解: ザカリヤとガブリエルとの対話は普通の香を焼く時間よりも遙かに長時間を要したのであった。民はザカリヤの出て来るのを今か今かと待っていた。
1章22節 遂に出で來りたれど語ること能はねば、彼らその聖所の内にて異象を見たることを悟る。ザカリヤは、ただ首にて示すのみ、なほ唖なりき。[引照]
口語訳 | ついに彼は出てきたが、物が言えなかったので、人々は彼が聖所内でまぼろしを見たのだと悟った。彼は彼らに合図をするだけで、引きつづき、おしのままでいた。 |
塚本訳 | やがて出てくるには出てきたが、(仕来りの)祝福を人々に与えることが出来なかったので、人々は彼が聖所の中で幻を見たことを知った。ザカリヤは身振りで示すばかりで、口がきけずにいた。 |
前田訳 | 出てくると口がきけなかったので、彼が聖所で幻を見たことが民衆にわかった。彼は彼らに合図するばかりで唖者のままであった。 |
新共同 | ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。 |
NIV | When he came out, he could not speak to them. They realized he had seen a vision in the temple, for he kept making signs to them but remained unable to speak. |
註解: 異象に対する非常なる驚愕が彼をして唖たらしめたのであろうと悟った。ザカリヤは口にて物言うことができなかったので首つきや目つき等にて合図をしてその意思を幾分通じ得るに過ぎなかった。
1章23節 かくて務の日滿ちたれば、家に歸りぬ。[引照]
口語訳 | それから務の期日が終ったので、家に帰った。 |
塚本訳 | そして(その組の七日の)務の日が終ると、家にかえった。 |
前田訳 | つとめの日が終わると、彼は家に帰った。 |
新共同 | やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。 |
NIV | When his time of service was completed, he returned home. |
註解: 一週間の奉仕を終えて帰宅した。それまでは唖のまま聖所におけるその務めを果した。
1章24節 此(らの日)[引照]
口語訳 | そののち、妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていたが、 |
塚本訳 | 数日の後、妻エリザベツはみごもって、五か月のあいだ(家に)引き篭っていたが、彼女はこう考えるのであった、 |
前田訳 | そののち妻エリサベツは身ごもり、五か月の間引きこもっていたが、 |
新共同 | その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。 |
NIV | After this his wife Elizabeth became pregnant and for five months remained in seclusion. |
註解: 聖所における奉仕の日。
の後その妻(の)エリサベツ孕りて、五月ほど隱れをりて言ふ、
註解: 「隠れおり」は「己を隠し」で、その理由は老年に及んで懐胎せるための愧恥心よりか、または感激の余りのことか、または神の御旨に対する謹慎のためか、その他の理由によるか不明である。次節より見ればおそらく最後の理由によるのであろう。
1章25節 『主わが恥を人の中に雪がせんとて、我を顧み給ふときは、斯く爲し給ふなり』[引照]
口語訳 | 「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。 |
塚本訳 | 「主はわたしに目をかけ、人中で“(子供のない)わたしの恥をそそいで”やろうとて、いまこの時にこのようにしてくださった」と。 |
前田訳 | 「わが恥を人の間にそそぐために、主はいまこのようにわたしにしてくださった」といった。 |
新共同 | 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」 |
NIV | "The Lord has done this for me," she said. "In these days he has shown his favor and taken away my disgrace among the people." |
註解: ユダヤにおいては不妊は神の恩恵を遠ざけられし証拠であるとして女子の恥と考えられていた。それ故にこの懐胎の事実はエリザベツにとって大なる歓喜であった。それだけ重大なる責任を感じて自重したのであった。
要義1 [ルカの記述の史実性]ヨハネの誕生前史その他本書第1、2章の記事につき近代の学者の多くはその史実性を否定し、これを歴史と見ず、当時の信徒団、殊にユダヤ的キリスト教団の中に発生せる信仰の理想または結晶としての美わしき神話であると考えんとしているようである。勿論これらの記事は他の福音書に欠けており、果して歴史的事実なりしや否やを決定することは困難であり、また他面、その中に初代信徒の美しき信仰の反映を見ることは事実であるが、同時に我らはこの事実を否定する確乎たる証拠を有するわけではない。唯我らにとって最も確かであることは、キリストの出現というごとき史上最大の事実の発生に際しては神の能力が異常な径路を通して顕われるということである。従ってバプテスマのヨハネのごとき偉大なる前駆者の出現は、神の御旨とその干渉なしには起り得ないということである。この神の御業が如何なる史実として現われるに至ったかは重大なる問題ではない。末梢に拘泥してこの本旨を見失うべきではない。
要義2 [ヨハネの歴史上の地位]8−23節によって示される記載の意義は、ヨハネがこの世に生を享くるに至れる所以は、その両親の願望が叶えられるのではあるが、しかし全く彼らの自然性の能力に依ったのではなく、またその祈願の当然の結果でもなかったということである。すなわち神の能力の発露であり、またその経綸の実現であった。神の能力なるが故に人間の能力の企て及ばざる処にあらわれ、神の経綸の実現なるが故に、人間の祈願以上の事実が実現するのである。これ実に人をして唖然たらしむるに足る偉大なる事実である。ヨハネの誕生はかくも重大なる出来事であった。ザカリヤが唖となったことも、この重大さに相応しき事柄である。
要義3 [祈願と不信]人間はその祈願せる事柄よりも以上に希望が実現されるに至る時、これに対して不信の態度を取りやすいものである。ザカリヤは子を得んことを常に祈願していた。然るに今やその子が与えられんとし、かつ聖所内にてそのことが示され、かつ天下万民の祝福となるべき男児の出生を予告せられし時、事のあまりに彼の念願に超越せるために、彼はついに不信を告白したのであった。我らがイエス・キリストの十字架の死の功績によって贖われ、神の子とせられ、永遠の生命を与えられ、神の世嗣とされることのごときは、あまりにも我らの思想を超越せる事柄なるが故に、かえって我らはこれに対し不信を告白するに至りやすい。ザカリヤの態度を見て自ら反省しなければならぬ。
2-1-ロ 受胎告知
1:26 - 1:38
1章26節 その六月めに、御使ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女のもとに、神より遣さる。[引照]
口語訳 | 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。 |
塚本訳 | (エリサベツがみごもってから)六か月目に(同じ)天使ガブリエルが、神からガリラヤのナザレという町の一人の乙女に遣わされた。 |
前田訳 | 六か月目に、天使ガブリエルが神からガリラヤのナザレという町へつかわされた。 |
新共同 | 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 |
NIV | In the sixth month, God sent the angel Gabriel to Nazareth, a town in Galilee, |
註解: 26−38節はいわゆる受胎告示 annunciatio と称される一條で、処女マリヤの懐胎を御使ガブリエルが告げ知らす記事である。マルコ伝およびヨハネ伝にはこの記事なく、マタイ伝には聖霊によりて孕めることを記すのみである。
辞解
ガブリエルにつきては19節註参照。
[ナザレといふ] 本書の読者層がパレスチナの地誌に暗い人々であること前提とする。
1章27節 この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。[引照]
口語訳 | この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。 |
塚本訳 | この乙女はダビデ(王)家の出であるヨセフという人と婚約の間柄で、名をマリヤといった。 |
前田訳 | それはヨセフというおとこと婚約したおとめのところへであった。おとこはダビデ家の出で、おとめの名はマリヤといった。 |
新共同 | ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 |
NIV | to a virgin pledged to be married to a man named Joseph, a descendant of David. The virgin's name was Mary. |
註解: ダビデの家系はメシヤに関する預言において、メシヤの生れるべき家系として考えられていた。マタ1:1引照3参照。マリヤはユダヤ人の女子に多く名づけられる名称でヘブル語のミリアムに相当す。新約聖書中に六人のマリヤを数うることができる。
1章28節 御使、處女の許にきたりて言ふ『めでたし、惠まるる者よ、主なんぢと偕に在せり』[引照]
口語訳 | 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。 |
塚本訳 | 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」 |
前田訳 | 天使はおとめのところに来ていった、「ごきげんよう、恵まれた人、主があなたとごいっしょです」と。 |
新共同 | 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 |
NIV | The angel went to her and said, "Greetings, you who are highly favored! The Lord is with you." |
註解: この御使の言はマリヤにとりては晴天の霹靂であった。
辞解
[恵まれる者よ] 「恵まれたる者よ」で、マリヤがすでに神の特別の恩恵の下にあることを示す。
[めでたし] chaire は「喜べ」の意で挨拶に用いられる語「恵まれたる者よ」と語呂を合わせている(ラテン語には Ave,gratia plena と訳さる)。
[主なんぢと偕に在せり] 原文動詞を欠くために「在さんことを」(B1)または「在す」(Z0)を補充する説もあり、継続的に神が偕に在し給えることを示すものと解する時、現在動詞を補充することが最も適当なるがごとし(Z0、I0)、異本に本節末尾に「女の中にて汝は祝福せられたる者なり」を加う、42節よりここに転入せるものならん。
1章29節 マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、斯かる挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻らしたるに、[引照]
口語訳 | この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。 |
塚本訳 | マリヤはこの言葉にびっくりして、いったいこの挨拶は何事であろうと考えまどうた。 |
前田訳 | 彼女はこのことばにおどろき、このあいさつは何ごとかと思いめぐらした。 |
新共同 | マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 |
NIV | Mary was greatly troubled at his words and wondered what kind of greeting this might be. |
註解: あまりに大なる恩恵を受けていることを知る場合、かえって人の心に不安動揺を与える。マリヤはガブリエルの挨拶が果して如何なる性質の内容を有するかを怪しんで、心中において論議していた。「心いたく」は天使の顕現のためと見る(B1)よりもむしろその言によったのであった。
1章30節 御使いふ『マリヤよ、懼るな、汝は神の御前に惠を得たり。[引照]
口語訳 | すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。 |
塚本訳 | 天使が言った、「マリヤよ、恐れることはない。神からお恵みをいただいたのだから。 |
前田訳 | 天使がいった、「おそれずに、マリヤよ、あなたは神からお恵みを受けましょう。 |
新共同 | すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 |
NIV | But the angel said to her, "Do not be afraid, Mary, you have found favor with God. |
1章31節 視よ、なんぢ孕りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。[引照]
口語訳 | 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。 |
塚本訳 | 見よ、あなたは子をさずかり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。 |
前田訳 | きっとあなたは身ごもって男の子をもうけましょう。その名をイエスとおつけなさい。 |
新共同 | あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 |
NIV | You will be with child and give birth to a son, and you are to give him the name Jesus. |
註解: 御使はマリヤの心の動揺を察して、今後マリヤの上に起るべき重大なる事件を告知した。すなわちその懐胎と男子の出生と、その名称と(31節)、而して32節以下にはその男子のメシヤたる偉大さとその職掌と使命とを示したのであった。「イエス」は「神は救いなり」の意味で、ヘブル語のヨシュアに相当す。本節のみではマリヤが間もなく結婚して子を生むであろうという意味とも取れないことはないが、それでは特に恵まれる者と称することができず、また後節(34、37節等)を見てもルカがかかる意味で記したものでないことは明らかである。
1章32節 彼は大ならん、[引照]
口語訳 | 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 |
塚本訳 | その子は大いなる者となり、いと高きお方の子と呼ばれる。神なる主は先祖“ダビデの王位を”彼に与え、 |
前田訳 | 彼は大いなるものとなり、至高者(いとたかきもの)の子と呼ばれましょう。主なる神は先祖ダビデの位を彼に与え、 |
新共同 | その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 |
NIV | He will be great and will be called the Son of the Most High. The Lord God will give him the throne of his father David, |
註解: 「大ならん」は神を形容する語として当時異教徒の間にも用いられていた語であった。御使はここにイエスの超人的存在たるべきを告げた。
( 且)至高者の子と稱へられん。
註解: 神の子と称えられること(35節)と同意義である。マリヤの驚きは如何に大きくあったことであろう。
また主たる神、これに其の父ダビデの座位をあたへ給へば、
1章33節 ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』[引照]
口語訳 | 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。 |
塚本訳 | 彼は“永遠に”ヤコブの家の“王となり、”その国は果しなく続くであろう。」 |
前田訳 | 彼は永遠にヤコブの家に君臨し、その王国は絶えないでしょう」と。 |
新共同 | 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 |
NIV | and he will reign over the house of Jacob forever; his kingdom will never end." |
註解: イエスに神の与え給う職掌を指す。すなわち旧約に預言せられしダビデの座位の後継者であり、ユダヤ人によりて切に待望せられしメシヤとして立てられ給うことの意味である。ダビデの子孫を立てて永遠にイスラエルを治めしめ、その国は終ることなからんとの神の約束についてはUサム7:13、Uサム7:16。イザ9:6。ミカ4:7。ダニ7:14。詩89篇。ヨハ12:34。ヘブ1:8等を参照すべし。
辞解
「ダビデの位」「ヤコブの家」「その国」等の語はユダヤ人にとっては全然地上の王位、地上の種族、地上の国を意味しており、マリヤもこの告知をかく解したことであろうけれども、これはキリスト・イエスの死と復活とにより、霊的王位(ヨハ18:33−37)、霊のイスラエル(ロマ9:6。Tコリ10:18。ガラ6:16)、霊の国(ヨハ18:36)の意味に転化し、従ってこれによって表顕されるメシヤ(キリスト)の地位も霊の救い主を指すことに一変した。
1章34節 マリヤ御使に言ふ『われ[未だ]人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』[引照]
口語訳 | そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。 |
塚本訳 | マリヤが天使に言った、「まだ夫を知らぬわたしに、どうしてそんなことがありましょうか。」 |
前田訳 | マリヤは天使にいった、「どうしてそんなことがありえましょう、まだおとこを知らぬわたしなのに」と。 |
新共同 | マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 |
NIV | "How will this be," Mary asked the angel, "since I am a virgin?" |
註解: 「知る」は現在動詞を用いており、継続的状態を指す、すなわち「未婚の生活を送っているのに」の意(創4:1)。本節によって明らかなるごとく、マリヤは31節の御使の語を今後間もなく結婚生活に入って男子を挙げるであろうとの意味には取らなかった。またこれをもってマリヤが終生童貞の生活を送る誓言またはその決心の表白であると見るのは牽強付会であり、単にその実生活の説明に過ぎない。またその生れる子の偉大さに対して驚いただけの意味でもない。
1章35節 御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者の能力なんぢを被はん。[引照]
口語訳 | 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。 |
塚本訳 | 天使が答えた、「聖霊があなたの上に臨み、いと高きお方の力があなたを掩いかくすであろう。それゆえ(あなたから)生まれるものは、“聖”であり、神の子“と呼ばれる。” |
前田訳 | 天使は答えた、「聖霊があなたにのぞみ、至高者の力があなたをおおうでしょう。そのゆえに、生まれ出る聖なるものは神の子と呼ばれましょう。 |
新共同 | 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 |
NIV | The angel answered, "The Holy Spirit will come upon you, and the power of the Most High will overshadow you. So the holy one to be born will be called the Son of God. |
註解: 「臨み」 eperchomai は「上に来り」、「被はん」 episkiazô は雲が地を被うごとく「被いかくして陰を造る」ことを意味す。たとい性的行為によらずとも、神の霊が来り臨み、神の能力が働きかける場合、そこに新たなる生命が創造せられないはずはない。男女の性的結合によりて懐胎することを定めし者は神である。この神が他の方法を用い給わないという理由はない。この「臨み」「被はん」を生殖行為の婉曲話法と見るのはあまりにも穿ち過ぎだ観察であろう。
此の故に汝が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。
註解: 聖霊によりて生れたる者は聖いものである。而してそれはそのまま神の子である。イエスの誕生はかくして普通の人間の誕生とはある点において全く異なり、ある点において全く同一である不思議なる誕生であった。
辞解
この一句は「この故にその生れし者は聖者すなわち神の子と称えらるべし」と訳すべしとの説あり(E0、L2、I0、Z0)。この説有力なり。
1章36節 視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月になりぬ。[引照]
口語訳 | あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。 |
塚本訳 | 実はあなたの親類のエリサベツも、あの老年で、男の子をさずかったのだ。石女と言われていた女が、今月はもう六月になっている。 |
前田訳 | ごらんなさい、あなたの親戚のエリサベツさえも、あの老年で子を宿しました。うまずめといわれた彼女が今六か月目です。 |
新共同 | あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 |
NIV | Even Elizabeth your relative is going to have a child in her old age, and she who was said to be barren is in her sixth month. |
註解: 御使はエリザベツの例をマリヤに告知することによりて神の能力の偉大さを悟らしむる準備となした。マリヤの場合はさらにこれよりも一層の度において神の特別の能力によることであった。なお本節よりマリヤはおそらく祭司レビ族の一員であったろうと想像されている(L1、Z0)。
1章37節 それ神の(凡ての)言には能はぬ所なし』[引照]
口語訳 | 神には、なんでもできないことはありません」。 |
塚本訳 | “神には何一つ出来ないことはない”のだから。」 |
前田訳 | 神には何ひとつおできでないことはありません」と。 |
新共同 | 神にできないことは何一つない。」 |
NIV | For nothing is impossible with God." |
註解: ルカ18:27。マタ19:26。創18:14を見よ。「神、光あれと言ひ給ひたれば光ありき」、神は凡てのことを為し得給う。この真理をそのままに信じ得る者は、マリヤの処女懐胎を疑わない。
1章38節 マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女なり。[引照]
口語訳 | そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。 |
塚本訳 | マリヤは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリヤをはなれ去った。 |
前田訳 | マリヤはいった、「はい、ごらんのとおりわたしは主のはしためです。おことばどおりになりますように」と。天使は彼女を離れ去った。 |
新共同 | マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 |
NIV | "I am the Lord's servant," Mary answered. "May it be to me as you have said." Then the angel left her. |
註解: マリヤは極めて謙遜なる態度をもって御使の告知に全幅の服従の態度を取った。理解して始めて服従するというのは真の信仰的態度ではない。
汝の言のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。
註解: 如何なることであれ神の御旨が我が上に成らんことを祈るのが我らの態度でなければならぬ。マリヤはかくのごとくしてその信仰的態度を全うし御使はその使命を終えて離れさった。
要義1 [受胎告知の史実性とその意義]天使の顕現とその告知というがごとき事実は古の時代においては、多く語られまた信ぜられていた。特別なる霊的現象が起った場合、これを神の御告げまたは天使の告知として感ずることは、有り得べきことである。かかる心的状態においては主観と客観、事物とその感覚との間に区別を立てることは、古代の人間にとっては非常に困難であった。それ故に、処女懐胎の事実が起れる場合、マリヤの一身に特別の霊的感動が起り、この霊的感動をもって天使の顕現とその告知であったと感じたことは、真に有り得べきことである。この受胎告知の記事は単に一つの詩に過ぎずとし、その詩的外形の美しさを玩賞するをもって足れりとの理由の下に、その奥底に存する事実を否定し去ろうとすることは正しくない。かえってその内容を為す霊的感動の事実に重点を置き、これを確実に把握することにより、その記事の詩的外形の美しさを一層効果的たらしむべきである。▲そしてこの霊的感動は神の霊の積極的干渉に由ったものであった。
要義2 [聖霊による受胎の可能性とルカの記事の意義]処女懐胎の可能性を信ぜざる人々は、このルカ伝の受胎告知の記事の中に処女懐胎の意味を含まないことを主張しているのであるが、その理由として、31節はやがてマリヤが結婚生活に入る場合の事柄をいえるものと解し、その結果34節のマリヤの質問を無意味としてこれを刪除せんとして(カッテンブッシュやヴァイネル等)、またはこれをもってその当時、またはその即刻に子を孕むはずなしとの意味に解し、または34−37節を後日の挿入として消去せんとしているのであるが、これらは何れもルカの受胎告知が処女が聖霊によって孕むことの意味にあらざることを主張せんとするの結果である。もし処女懐胎の可能を信ずるならば(マタ1:18−25およびその要義一参照)、ルカの記事がその意味において記されたことを明らかに感ずることができ、またマリヤの疑問や驚愕やまた37節末尾の天使の説明も、みな明らかにこれを理解することができる(Z0)。ただし処女懐胎というごとき事実があまりにも超自然的なる故、これを一般人に向って説明することは困難であり、これを信ぜしむることは一層困難であるために、大体はマリヤの心中に蔵せられていたことであろう。
2-1-ハ マリヤ、エリザベツを訪う
1:39 - 1:45
1章39節 その頃マリヤ立ちて山里に急ぎ往き、ユダの町にいたり、[引照]
口語訳 | そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、 |
塚本訳 | その後間もなくマリヤは立って、大急ぎでユダの山地のある町に行き、 |
前田訳 | そのころマリヤは出かけて急いでユダの山の手の、ある町に行き、 |
新共同 | そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 |
NIV | At that time Mary got ready and hurried to a town in the hill country of Judea, |
註解: マリヤ自身に起った不思議な事実に類せる奇蹟が、その親戚エリザベツにも起ったことを御使に知らされたので(36節)、マリヤは濫りに人に語り得ざる神秘につき語るべき相手として、聖霊によってエリザベツに引き付けられた。「急ぎ」往きたのはその止むにやまれぬ心持を示す。
辞解
[ユダ] イスラエルの支族名で町名または地方名にあらず、ユダとユダヤとは常に区別されているのでユダヤ地方の一つの町の意味にも解し得ず、おそらくユタ(またはユッタ、ヨシ15:55、ただし日本語でユダとあるは誤り。ヨシ21:16)の誤写か誤記ならんと想像せらる(Z0)。然りとすればヘブロンの南約二時間ばかりで、山地にあり果実に富む美しき地、死海に向って下る傾斜面の西方に当る。「山里」は山岳地帯と訳すべきであろう。
1章40節 ザカリヤの家に入りてエリサベツに挨拶せしに、[引照]
口語訳 | ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。 |
塚本訳 | ザカリヤの家に入ってエリサベツに挨拶した。 |
前田訳 | ザカリヤの家に入ってエリサベツにあいさつした。 |
新共同 | そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 |
NIV | where she entered Zechariah's home and greeted Elizabeth. |
1章41節 エリサベツその挨拶を聞くや、兒は胎内にて躍れり。[引照]
口語訳 | エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、 |
塚本訳 | エリザベツがマリヤの挨拶を聞いた時、児が胎内で躍った。エリサベツは聖霊に満たされ、 |
前田訳 | エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊で満たされた。 |
新共同 | マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、 |
NIV | When Elizabeth heard Mary's greeting, the baby leaped in her womb, and Elizabeth was filled with the Holy Spirit. |
註解: 聖霊が胎児を動かした。マリヤの懐胎とエリザベツのそれとの間に聖霊の働きの連絡があることを示す。
エリサベツ聖靈にて滿され、
1章42節 聲高らかに呼はりて言ふ[引照]
口語訳 | 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。 |
塚本訳 | 声高らかにさけんだ、「あなたは女の中で、(一番)祝福された方、あなたの胎内のお子さまも(だれより)祝福されたお方です。 |
前田訳 | そして声高らかに叫んだ、「あなたは女の中で祝福豊かな方、あなたの胎内の実も祝福豊かです。 |
新共同 | 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 |
NIV | In a loud voice she exclaimed: "Blessed are you among women, and blessed is the child you will bear! |
註解: 同じ聖霊がまた胎児の母エリザベツをも満したのであった。神によって選ばれし者たちの集いの中には常にこの聖霊の支配がある。
辞解
[呼はる] あたかも何事かを宣告するかのごとき態度、または公けの礼拝における祈りのごとき態度を示す anaphôneô で他に用いられていない。
『をんなの中にて汝は祝福せられ、その胎の實もまた祝福せられたり。
註解: エリサベツはマリヤの受胎の事実を聖霊によって直感した。マリヤはエリサベツの口を通して聖霊の声を聴いた。聖霊を与えられた者同志の間には無言の中に心と心との共感が行われる。42−45節はこの事実を明らかに表明し胎児すらもこの共感を持ったことを示す。
辞解
[をんなの中にて] 最上級を示すヘブル語話法。
1章43節 わが主の母われに來る、われ何によりてか之を得し。[引照]
口語訳 | 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。 |
塚本訳 | 主の母上がわたしの所に来てくださるとは、まあどうしたのでしょう。 |
前田訳 | わが主の母上がわたしをお訪ねとはどういうことでしょう。 |
新共同 | わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 |
NIV | But why am I so favored, that the mother of my Lord should come to me? |
註解: 「主」はユダヤ人が期待していた救い主メシヤすなわちダビデの子。この「主の母」を自宅に迎うることの喜びに溢れてかく叫んだ。この喜びはルカ1:13−17節の御使の言葉を思い合わせて一層エリサベツを動かしたことであろう。
辞解
[われ何によりてか之を得し] 「思いもかけぬことである」というごとき意。▲直訳「このことは私に何処からか」。
1章44節 (そは)視よ、なんぢの挨拶の聲、わが耳に入るや、我が兒、胎内にて喜びをど(りたればなり)[れり]。[引照]
口語訳 | ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。 |
塚本訳 | そら、あなたの挨拶の声がわたしの耳に入ると、児が胎内で喜んで躍りました。 |
前田訳 | 本当に、ごあいさつのお声がわが耳に入りますと、子が胎内でよろこび躍りました。 |
新共同 | あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 |
NIV | As soon as the sound of your greeting reached my ears, the baby in my womb leaped for joy. |
註解: マリヤの胎に宿るところのものは、「主たるメシヤ」であることを聖霊に由って直感したのであるが、これを確むる処のものはエリザベツの胎児の激しき胎動であった。これはやがて主の前に往くべきその胎児(ルカ1:17)が主を迎えて喜び躍ったものと解されたからである。かくてエリザベツもその胎児も共に主の母の前に喜び躍ったのであった。
辞解
本節は前節の理由の説明として gar(そは・・・なればなり)を訳出するを可とす。
1章45節 信ぜし者は幸福なるかな、主の(彼女に)語り給(へる)[ふ]ことは必ず成就すべければなり』[引照]
口語訳 | 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。 |
塚本訳 | 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」 |
前田訳 | さいわいなのは主の仰せごとは成就すると信じたその方!」と。 |
新共同 | 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 |
NIV | Blessed is she who has believed that what the Lord has said to her will be accomplished!" |
註解: 「信ぜし者」原文「信ぜし女」でマリヤを指す。エリサベツは直接「汝」と言ったことから一転して第三人称を用いた。マリヤに語るよりもむしろエリザベツ自身の独白的感嘆の辞と見るべきである。「嗚呼マリヤは何と幸福なる女であろうか」というごとき心持である。なお本節は「主の彼女に語り給へることは必ず成就すべきことを信ぜし女は幸福なるかな」と訳する説もあり、かく訳することも可能であるが現行訳の方可なり。▲▲口語訳参照。
2-1-ニ マグニフィカート(マリヤの讃歌)
1:46 - 1:56
註解: 46−55節はマリヤの讃歌でそのラテン訳の最初の言葉を用いて普通これをマグニフィカート Magnificat と呼ぶ。この部分を古きユダヤ主義キリスト者の讃美歌であったとする説、また純粋にユダヤ教の讃美歌であったとする説、あるいはマリヤ自身の即興詩であるとする説等あり。他に確実なる証拠なき以上マリヤ自身の語(後人により幾分潤色の上伝えられたものと考えることは差支えがない)と見ることを否定する理由はない。人間は霊感によって動かされる時そこに自然に詩的音律が流れて来る。ルカ1:68−79節のザカリヤの讃歌と共に双璧をなし、共に旧約より新約に移らんとする黎明の光景を叙述す。またTサム2:1−10との間に著しき文体の類似あり。
1章46節 マリヤ言ふ、[引照]
口語訳 | するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、 |
塚本訳 | マリヤが(神を讃美して)言った。──“わたしの心は主を”あがめ、 |
前田訳 | マリヤはいった、「わが心は主をあがめ、 |
新共同 | そこで、マリアは言った。 |
NIV | And Mary said: "My soul glorifies the Lord |
註解: 少数の異本に「エリサベツ言ふ」とあれどマリヤを可とする。この讃歌は普通四小節(46−48a。48b−50。51−53。54−55)に区分されているけれども50節を区切りとして二小節に区分する方が適当である。
『わがこころ主を崇め、
1章47節 わが靈はわが救主なる神を喜びまつる。[引照]
口語訳 | わたしの霊は救主なる神をたたえます。 |
塚本訳 | わたしの霊は、“救い主なる神を喜びたたえる、” |
前田訳 | わが霊は救い主なる神をよろこびたたえます、 |
新共同 | 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 |
NIV | and my spirit rejoices in God my Savior, |
1章48節 その婢女の卑しきを[も]顧み給(ひたれ)[へ]ばなり。[引照]
口語訳 | この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、 |
塚本訳 | この“卑しい召使にまで目をかけてくださった”からです。きっと今からのち代々の人々は、“わたしを仕合わせ者と言いましょう。” |
前田訳 | この卑しいはしためまでも顧みたもうたがゆえに。今からのちすべての世代がわたしをさいわいというでしょう。 |
新共同 | 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、 |
NIV | for he has been mindful of the humble state of his servant. From now on all generations will call me blessed, |
註解: マリヤは己の上に神の為し給える御業の偉大さを思い、己が卑賤さの上に及べる神の能力と恩恵とを思い、主なる神の能力を畏敬し、その恩恵に歓喜の心を躍らせた。勿論マリヤはその懐胎の事実の重大なる意義を感得したからであった。
辞解
[「心」と「霊」] 文章の綾。
[崇む] megalunô は「大なりとす」ること。
視よ、今よりのち萬世の人われを幸福とせん。
1章49節 (そは)全能者われに大なる事を爲したま(ひ、)[へばなり。]その御名は聖[なり]、[引照]
口語訳 | 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。そのみ名はきよく、 |
塚本訳 | 力の強いお方がわたしに大きなことをしてくださったのです。“そのお方の名は聖で、” |
前田訳 | 力ある主はわたしに偉大なことをなしたまいました。 |
新共同 | 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 |
NIV | for the Mighty One has done great things for me-- holy is his name. |
1章50節 そのあはれみは代々(彼を)かしこみ恐るる者に臨む(べければ)なり。[引照]
口語訳 | そのあわれみは、代々限りなく主をかしこみ恐れる者に及びます。 |
塚本訳 | “その憐れみは千代よろず代とかぎりなく、そのお方を恐れる者にのぞみましょう。” |
前田訳 | 彼をおそれるものにそのあわれみは世々限りなく、 |
新共同 | その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。 |
NIV | His mercy extends to those who fear him, from generation to generation. |
註解: 48節前半にマリヤは救い主なる神の眷顧を受けていることを述べたので、それを証明するために(gar)、同節後半において、将来の世界は代々マリヤが救い主の母となった幸福をたたえるであろうことを述べている。救主の母たることの光栄は実に永遠であり、かかる光栄を神はマリヤに与え給うた。神が卑しき者を顧み給う時、彼は永遠の幸福を享有する。49、50節は、全部48節後半の理由(hoti)を録せるものと解するを可とす。ゆえに上記のごとく私訳した。すなわち全能(49a)にして至聖(49b)・至愛(50)なる神がマリヤに大なることを為し給えるが故に、マリヤは永遠に幸福者としてたたえられるであろうとの意味である。而して事実その通りになって今日に至っている。しかもマリヤの目は全く至聖至愛の全能の神の上に注がれていることに注意すべきである。▲聖なる主の愛と憐憫とに浴している者の無上の幸福を讃美しているマリヤの心の美しさを見よ。キリスト者の心は常にこの讃美と歓喜とに充たされる。
註解: 51−55節は第二部を形成し、その内容は前半においてエホバの働きを表示するための旧約聖書の慣用の語句を集めたのであるから、一見ユダヤ的思想の範囲を出ていないもののごとくであるけれども、実はこれによってイエスを表顕しており、神がその御子を地上に降し給い、マリヤの胎に宿らしめ給うことの意義の形式的描写法と見るべきである。後半(54、55節)においても同様イスラエルに対する神の憐憫を叙述することによりイエスの誕生を意味せしめている。要するに旧約的の神の観念およびイスラエルに対する約束は、凡てイエスにおいて完全に成就することを示す極めて巧みなる讃歌である。
1章51節 神は御腕にて權力をあらはし、心の念に高ぶる者を散し、[引照]
口語訳 | 主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、 |
塚本訳 | “御腕にて”逞しきことを行い、心の思いの“高ぶる者を”“おい散らし、” |
前田訳 | み腕で力あることをなし、心の思いの高ぶるものを散らし、 |
新共同 | 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、 |
NIV | He has performed mighty deeds with his arm; he has scattered those who are proud in their inmost thoughts. |
1章52節 權勢ある者を座位より下し、いやしき者を高うし、[引照]
口語訳 | 権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、 |
塚本訳 | “権力者を”位から“引き下ろし、”“低い者を高うし、” |
前田訳 | 権力者を王座からおろし、低いものを高め、 |
新共同 | 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、 |
NIV | He has brought down rulers from their thrones but has lifted up the humble. |
1章53節 飢ゑたる者を善き物に飽かせ、富める者を空しく去らせ給ふ。[引照]
口語訳 | 飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。 |
塚本訳 | “飢えた者を宝で満たし、”“富める者を”“空手で追いかえされましょう。” |
前田訳 | 飢える人々をよいもので満たし、富む人々を無一物でお追いでしょう。 |
新共同 | 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。 |
NIV | He has filled the hungry with good things but has sent the rich away empty. |
註解: (▲神は憐憫の神であると共に審判の神であり、世より凡ての不公平を除き不義を審き給う。)49節の全能者(能力ある者 ─ 直訳)としての神、50節の憐憫ある者としての神の働きが顕われる時、人間社会はことごとく転倒し、不義不正不公平はことごとく除かれて理想の世界が完全に実現するに至ることを示す。而してこれはキリストによりて実現するが故に、キリストがマリヤの胎に宿り給える事実が、すでにこれらの凡てが成就せることとして感ぜられたのである。ゆえに不定過去動詞を用う。引照に頼って一々旧約聖書を検討するならばこれらの思想は常に神の働きとして考えられていたことを発見するであろう。
1章54節 また我らの先祖に告げ給ひし如く、[引照]
口語訳 | 主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、 |
塚本訳 | 永遠に“その憐れみを忘れず、”“その僕イスラエルの民を助けてくださるでしょう、” |
前田訳 | その僕(しもべ)イスラエルを助け、とこしえにあわれみを心におとめでしょう、 |
新共同 | その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、 |
NIV | He has helped his servant Israel, remembering to be merciful |
1章55節 アブラハムとその裔とに對するあはれみを永遠に忘れじとて、僕イスラエルを助けたまへり』[引照]
口語訳 | わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とをとこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。 |
塚本訳 | “われらの先祖たち、すなわちアブラハム”とその“子孫に”仰せられた“とおりに。” |
前田訳 | われらの先祖たちであるアブラハムとその子らにいわれたとおり」と。 |
新共同 | わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 |
NIV | to Abraham and his descendants forever, even as he said to our fathers." |
註解: イスラエルの先祖たちに神はしばしば約束を与え、その子孫によりて世界の万民は祝福されることを告げ給うた。この憐憫の心を神は忘れずに、今やこれをマリヤの胎内に実行し給うた。かくしてその僕イスラエルを助け(イザ41:8。七十人訳)、旧約聖書に繰返し約束せられしことが実現したのであった。かく51−55節は一見マリヤの受胎とは全然無関係なることのごとくに見え、単なる旧約聖書よりの引用の集成に過ぎざるもののごとくに見えるけれども、実にこれによって全旧約がイエスにおいて完全に成就することを示す極めて巧みなるかつ重要なる箇所である。マリヤは、全旧約が自己の胎内に宿り、その誕生によってこれがこの世に成就し、神がイスラエルに約束し給えることがイスラエルに行なわれたことを感じたのであった。
辞解
[助く] antilambanomai は好意をもって自らの方に受納れる形。不信仰によりて神の審判をうけていたイスラエルに対しても神は憐憫をもってその約束を実行せんがためにイスラエルを受納れ給う。▲▲かくしてこのマリヤの讃歌の中に神の働きの凡ての要点が要約されているのを見ることができる。
1章56節 かくてマリヤは、三月ばかりエルザベツと偕に居りて、己が家に歸れり。[引照]
口語訳 | マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。 |
塚本訳 | マリヤは三か月ほどエリサベツと一しょにいて、家に帰った。 |
前田訳 | マリヤは三か月ほどエリサベツといっしょにいて、家に帰った。 |
新共同 | マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 |
NIV | Mary stayed with Elizabeth for about three months and then returned home. |
註解: ちょうどエリサベツの産み月より以前、またマリヤの旅行に適せる時を選んだものと思われる。かくして三ヶ月間の二人の祈りにより、神の国の来るべき時の準備がなされたのであった。
要義 [マグニフィカートについて]イエスにおいて旧約は完全に新約に新生した。ユダヤ教はキリスト教として新発足を始めたのである。しかしそれは旧約(律法)を滅ぼして、これと全く無関係な教えを創設したのではない。「われ律法また預言者を毀つために来たれりと思ふな。毀たんとて来たらず反って成就せんためなり」(マタ5:17)。旧約すなわち律法および預言者に神の霊が吹き込まれたのであった。あたかも泥の塊に魂を吹き込んでアダムを造り給えるがごとく、律法と預言者に霊を吹き込んで新約の福音を造り給うたのであった。このことはマリヤの肉体に霊が働いてイエスが生れ給うたのも同様である。それ故にマリヤは旧約的存在であり、しかも彼を通じて新約が生れ出づべき存在であった。而して旧約と新約との関係が前記のごとく旧約の破壊にあらずして、その成就であるという事実がこのマリヤの讃歌において極めて巧みに、しかも極めて深き理解をもって示されているのであって、一見全く旧約的に見ゆるその語句の中より、新約的霊の光が神秘的光輝をもって耀きつつあるのを認めることができる。なおマリヤにつきては特に聖霊にて満されしことを録していないことは注意すべきであって、決して偶然ではなく、マリヤにはすでに聖霊が宿っていたのであった(ルカ1:41、ルカ1:67節参照)。
2-1-ホ 誕生と命名
1:57 - 1:63
1章57節 さてエリサベツ産む期みちて男子を生みたれば、[引照]
口語訳 | さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。 |
塚本訳 | 月満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。 |
前田訳 | 月満ちて、エリサベツは男の子をもうけた。 |
新共同 | さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。 |
NIV | When it was time for Elizabeth to have her baby, she gave birth to a son. |
1章58節 その最寄のもの親族の者ども、主の大なる憐憫をエリサベツに垂れ給ひしことを聞きて、彼とともに喜ぶ。[引照]
口語訳 | 近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。 |
塚本訳 | 近所の者や親類は、主がエリサベツに大きな憐れみをほどこされたと聞いて、自分のことのように喜んだ。 |
前田訳 | 隣びとや親戚は、主がエリサベツにあわれみ深くいましたと聞いて、よろこびをともにした。 |
新共同 | 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。 |
NIV | Her neighbors and relatives heard that the Lord had shown her great mercy, and they shared her joy. |
註解: 後継者なき家庭に男子が与えられるのは神の大なる憐憫である。まして年邁める婦人が子を生みその石女の恥を雪がれることは殊に大なる神の憐憫と考えられたので人々はみなエリサベツと共に喜んだ(ルカ1:14節参照)。
辞解
[最寄のもの] perioikoi 「周囲の家々」向う三軒両隣というがごとし。
[ともに喜ぶ] また「祝詞を陳ぶ」とも訳し得るけれども現行訳の方可。
1章59節 八日めになりて、其の子に割禮を行はんとて人々きたり、父の名に因みてザカリヤと名づけんとせしに、[引照]
口語訳 | 八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。 |
塚本訳 | (誕生から)八日目に、この人々が幼児に割礼を施すためにあつまったときのこと、(慣例もあり)父の名にちなんでザカリヤと名をつけようとすると、 |
前田訳 | 八日目に、幼子(おさなご)に割礼するために彼らが来たとき、父の名にちなんでザカリヤと名づけようとした。 |
新共同 | 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。 |
NIV | On the eighth day they came to circumcise the child, and they were going to name him after his father Zechariah, |
註解: 誕生第八日目は割礼の日であり、また多くこの日が命名の日であった(ただし誕生と共に命ずる場合あり。L2)。親族近隣の人々は口々にザカリヤと名付けたらよろしいであろうと語った。
辞解
父の名を子につけることは常習慣ではなくむしろ祖父の名を継ぐものが多かった。この場合、父の老年なるためと他に子なきためザカリヤを適当と考えたのであろうか。「名づけんとせしに」は適訳ではない。未完了過去形の動詞はこの場合繰返される動作を示す。
1章60節 母こたへて言ふ『否、ヨハネと名づくべし』[引照]
口語訳 | ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。 |
塚本訳 | 母親が、「いけません、ヨハネとつけなくては」と言って反対した。 |
前田訳 | しかし母親はきっぱりと「いいえ、ヨハネと名づけましょう」といった。 |
新共同 | ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。 |
NIV | but his mother spoke up and said, "No! He is to be called John." |
註解: エリサベツはザカリヤとは別に、神からこの名の黙示を受けたものと解する学者もあるが(B1、M0)、必ずしもかく解する必要なく、予めザカリヤより筆談等により13節の御使の言を聴いていたと見るべきであろう(E0、L2、Z0)。
1章61節 かれら言ふ『なんぢの親族の中には此の名をつけたる者なし』[引照]
口語訳 | 人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。 |
塚本訳 | 彼らは、「あなたの親類には、そんな名前の者は一人もいない」とエリサベツに言って、 |
前田訳 | 彼らは「あなたの親戚にはそんな名前のはだれもいない」とエリサベツにいい、 |
新共同 | しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、 |
NIV | They said to her, "There is no one among your relatives who has that name." |
註解: 一族は類似または同一の名をもって呼ばれることが普通であるが全然無関係の名をつけることにつき人々はこれを不思議のことと感じた。
1章62節 而して父に首にて示し、いかに名づけんと思ふか、問ひたるに、[引照]
口語訳 | そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。 |
塚本訳 | 父親に、何と名をつけたいかと身振りでたずねた。 |
前田訳 | 父親に何と名づけてもらいたいか合図してたずねた。 |
新共同 | 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。 |
NIV | Then they made signs to his father, to find out what he would like to name the child. |
註解: 首にて合図をしたことからザカリヤは聾者でもあったと結論する必要はない。むしろ一同の談話を聞きおりし故一遍の合図でその意味を了解したと見るべきであろう。
1章63節 ザカリヤ書板を求めて『その名はヨハネなり』と書きしかば、みな怪しむ。[引照]
口語訳 | ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。 |
塚本訳 | ザカリヤは石板を頼んで、「あれの名はヨハネ」と書いたので、皆が不思議に思った。 |
前田訳 | 彼は石板を求めて、「あの子の名はヨハネ」と書いたので、皆がおどろいた。 |
新共同 | 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。 |
NIV | He asked for a writing tablet, and to everyone's astonishment he wrote, "His name is John." |
註解: ザカリヤの答は決定的であった。すでに(ルカ1:13節)天使によって命名せられてあったからである。ザカリヤとエリサベツの一致は勿論、ザカリヤの決定的態度により、縁遠い名前がつけれらたことを一同怪しまざるをえなかった。
2-1-ヘ ベネディクツス(讃むべきかな)
1:64 - 1:80
1章64節 ザカリヤの口たちどころに開け、舌ゆるみ、物いひて神を讃めたり。[引照]
口語訳 | すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。 |
塚本訳 | するとたちどころにザカリヤの口が開け舌が動き出してものが言えるようになり、神をほめたたえた。 |
前田訳 | するとたちまちザカリヤの口が開け、舌がほどけてものをいい、神をたたえた。 |
新共同 | すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。 |
NIV | Immediately his mouth was opened and his tongue was loosed, and he began to speak, praising God. |
註解: ザカリヤの不信に対する神罰(ルカ1:20節)はここで終った。「神を讃めたり」は68−79節の讃詞を指す(Z0)と見るよりも、一座の人々と共に8−63節の事柄につき語り合い、その凡てにおいて顕われし神の恩恵につき神を讃美したものと見るべきである(現在分詞と未完了過去動詞)。
1章65節 最寄に住む者みな懼をいだき、又すべて此等のこと徧くユダヤの山里に言ひ囃されたれば、[引照]
口語訳 | 近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、 |
塚本訳 | 近所の者に皆恐れが臨んだ。そしてこのことがことごとくユダヤの山地全体の評判になったので、 |
前田訳 | 隣びとは皆おそれをいだき、ユダヤの山の手一帯にこのことすべてが語り草になった。 |
新共同 | 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。 |
NIV | The neighbors were all filled with awe, and throughout the hill country of Judea people were talking about all these things. |
註解: 近隣や親族は恐怖の感に襲われた。数々の不思議を目撃し、またその嬰児を眼前に見ているので如何なることが起るかを恐れたのであった。遠い者はむしろ「之らのこと」すなわち8−63節の諸事実を好話題として言いふらした。
辞解
[ユダヤの山里] ルカ1:39節と矛盾せず、ユッタの町に近き山岳地帯を指す。
1章66節 聞く者みな之を心にとめて言ふ『この子は如何なる者にか成らん』主の手かれと偕に在りしなり。[引照]
口語訳 | 聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。 |
塚本訳 | 聞いた者は皆これを胸におさめ、「この幼児はいったい何になるのだろう」と考えた。主の(恵みの)御手もまたたしかにこの幼児に働いていたのである。 |
前田訳 | 聞いたものは皆心の中にこれをおさめ、「この幼子はいったい何になろう」と考えた。主のみ手も彼とともにあった。 |
新共同 | 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。 |
NIV | Everyone who heard this wondered about it, asking, "What then is this child going to be?" For the Lord's hand was with him. |
註解: ヨハネに関する風評が広く伝わるにつれて、ヨハネの将来につきての疑問とこれに伴う嘱目と期待の心持が一般に行われていた。それは無理もないことで(gar)主の御手が、彼の誕生に先立ちかつその後も彼と偕に在って彼を離れないからである。
辞解
本節後半をも一般の人々の疑問の言葉の中に包含されるものと見ることができるけれども(Z0)むしろ現行訳のままにて可(E0、M0)。
1章67節 かくて父ザカリヤ聖靈にて滿され預言して言ふ、[引照]
口語訳 | 父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、 |
塚本訳 | 父ザカリヤはその時聖霊に満たされてこう預言した。── |
前田訳 | 父ザカリヤは聖霊に満たされて預言した。いわく、 |
新共同 | 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。 |
NIV | His father Zechariah was filled with the Holy Spirit and prophesied: |
註解: ルカ1:41節参照。エリサベツも同様聖霊に満されて語った。ここでも「預言する」ことは未来のことを語る意味よりもむしろコリント前書第12、14章等におけるごとく聖霊に導かれ神に代って語ること。なお次節より79節までは一つの讃美歌であり、形式はマグニフィカート(46−55節)よりもやや自由であるが、これと同様旧約聖書に多く顕われる思想および語句を集輯して、イスラエルに対する神の恩恵とその救いとにつきて歌い、後尾に(76−79節)ヨハネに対する預言とその大なる使命とにつき語っている。この讃歌はラテン語の最初の語を取ってこれを普通 Benedictus ベネディクツスと呼んでいる。なおこの讃歌はザカリヤの思想を根拠として彼自身かあるいは他の人が後日に至って文飾したものであろう。
1章68節 『讃むべきかな、主イスラエルの神、その民をかへりみて贖罪をなし、[引照]
口語訳 | 「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、 |
塚本訳 | “讃美すべきかな、イスラエルの神なる主!”“その民(イスラエル)を”心にかけて“あがないを”なし、 |
前田訳 | 「讃むべきは主なるイスラエルの神、彼はおのが民を顧みてあがないをなし、 |
新共同 | 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、 |
NIV | "Praise be to the Lord, the God of Israel, because he has come and has redeemed his people. |
註解: 引照の箇所を一々参照すべし。旧約的に見れば、これは神が政治的にイスラエルを救うこと、「贖ふ」は神自ら代償を払いてイスラエルを自己のものとなし給うこと。これを新約的に見るならば霊のイスラエル(ガラ6:16)はイエス・キリストの十字架の贖罪の死によりて贖われる。ザカリヤはもとよりイエスの十字架を予見したわけではないが聖霊が旧約的の思想をもってザカリヤにこの語を語らしむる時、すでにその語の有する新約的意義に近いものをザカリヤは朧ろながら示されたであろう。それはザカリヤはマリヤのこと、ヨハネに対する御使の啓示等により何らかの形においてイスラエルの救いの近きことを直感したからである。
1章69節 我らのために救の角を、その僕ダビデの家に立て給へり。[引照]
口語訳 | わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった。 |
塚本訳 | わたし達のために、僕“ダビデの”家に救いの(力強い)“角(なる救い主)をお立てになる”からである、 |
前田訳 | 僕ダビデの家で、われらのために救いの角をおこしたもうた、 |
新共同 | 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。 |
NIV | He has raised up a horn of salvation for us in the house of his servant David |
註解: 角は能力の表徴として攻防の力強さを示し王権につき用いられる。野牛または一角魚よりの連想であろう。救いがダビデの家より出づることはイスラエルの一般的信仰であった(Uサム7:12−16。イザ11:1以下)。而してマリヤより生れるダビデの裔がこの待望のメシヤたることをザカリヤは直感したのである。
1章70節 これぞ古へより聖預言者の口をもて言ひ給ひし如く、[引照]
口語訳 | 古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、 |
塚本訳 | 遠い昔から、聖なる預言者たちの口をもって仰せられたとおりに。 |
前田訳 | 彼の聖い預言者の口を通していにしえから語りたもうたごとく、 |
新共同 | 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。 |
NIV | (as he said through his holy prophets of long ago), |
1章71節 我らを仇より、凡て我らを憎む者の手より、取り出したまふ救なる。[引照]
口語訳 | わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。 |
塚本訳 | その角こそ、われらの“敵から、”“また”すべてわたし達を“憎む者の手から、”すくう救いである。 |
前田訳 | それは、われらの敵から、われらを憎むもの皆からの救いである。 |
新共同 | それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。 |
NIV | salvation from our enemies and from the hand of all who hate us-- |
註解: 旧約的にはイスラエルの救いは地上におけるその仇や敵国の手より救われることを意味し、ザカリヤもまたこの思想の範囲を出でなかったけれども、これがイエスにおいてやがて霊的に実現すべきであった。
1章72節 我らの先祖に憐憫を垂れ、その聖なる契約を思し、[引照]
口語訳 | こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、 |
塚本訳 | 主はこうして、“われらの先祖に憐れみを”ほどこし、また“その”聖なる“契約、” |
前田訳 | 彼はわれらの先祖にあわれみをほどこし、 |
新共同 | 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。 |
NIV | to show mercy to our fathers and to remember his holy covenant, |
註解: (レビ26:42。創17:7)もし先祖に対する神の契約が空しくなるならば、先祖たちの信仰は虚しきものとなる。然るにたといイスラエルがその神を忘れても神はイスラエルの先祖たちと、その契約とを忘れ給わない。それ神の大なる憐憫による。
辞解
[思し] 記憶すること、ザカリヤの名称の意味と相通ずる。
1章73節 我らの先祖アブラハムに立て給ひし御誓を忘れずして、[引照]
口語訳 | すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、 |
塚本訳 | (すなわち)先祖“アブラハムにお立てになった”誓いを“おぼえ、” |
前田訳 | われらの父アブラハムにお立ての誓いをおぼえ、 |
新共同 | これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、 |
NIV | the oath he swore to our father Abraham: |
註解: アブラハムには数回御誓を立て給うたけれども(引照2)、イスラエルの不信の結果、その御誓はことごとく無に帰しているごとくに見えるのが当時の実状であった。しかしながら神は決してアブラハムに立て給いし御誓を忘れたのではなかった。
辞解
「忘れずして」の一語原文になし。文法上の問題はあるが前節の「思し」にかかるものと見るを可とす。
1章74節 我らを仇の手より救ひ、生涯、主の御前に、[引照]
口語訳 | わたしたちを敵の手から救い出し、 |
塚本訳 | わたし達を敵の手から救いだし、不安なく、主に奉仕させてくださるのである、 |
前田訳 | われらがおそれなく敵の手から救われて |
新共同 | 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、 |
NIV | to rescue us from the hand of our enemies, and to enable us to serve him without fear |
1章75節 聖と義とをもて懼なく事へしめたまふなり。[引照]
口語訳 | 生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。 |
塚本訳 | 全生涯を主の前に清く、正しく。 |
前田訳 | 一生み前にきよく正しく仕えさせたもう。 |
新共同 | 生涯、主の御前に清く正しく。 |
NIV | in holiness and righteousness before him all our days. |
註解: イスラエルが救われその民が聖く義しく懼れなく神に事えてその生涯を終ることが彼らの理想でありまた約束の内容であった。仇の下に屈服している間は彼らにこのことが困難であった。而してイエスの贖いによりて新生せる者は、神との間に平和を得ているので何らの懼れもなく、またイエスの血によって潔くせられ、イエスの義を己が義として神の前に立つ者であるから、このザカリヤの預言が完全に成就するに至るのである。この一節に至ってザカリヤの言が著しく新約化している点に注意すべし。
1章76節 幼兒よ、なんぢは至高者の預言者と稱へられん。[引照]
口語訳 | 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、 |
塚本訳 | お前、幼児よ、お前はいと高きお方の預言者と呼ばれる。“主の”先駆けをして“その道を用意し、” |
前田訳 | なんじ、幼子は、至高者の預言者と呼ばれよう。主のみ前に先駆けしてその道をそなえ、 |
新共同 | 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、 |
NIV | And you, my child, will be called a prophet of the Most High; for you will go on before the Lord to prepare the way for him, |
註解: 本節以下ザカリヤはその幼児ヨハネにつき預言す。而してこの預言は事実となって成就した(ルカ20:6。マタ14:5。マタ21:46)。
これ主の御前に先だちゆきて、其の道を備へ、
註解: 王の行幸に際して先駆者がまずその道を準備するごとくヨハネはイエス・キリストの先駆者たるべきであった。この思想はイザ40:3とマラ3:1より来り、マコ1:1−2はこの二つを繋ぎ合わせたものである。
1章77節 主の民に罪の赦による救を知らしむればなり。[引照]
口語訳 | 罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから。 |
塚本訳 | 罪の赦しによる救いを民に知らせるのだから。 |
前田訳 | 彼の民に罪のゆるしによる救いの知識を与えよう。 |
新共同 | 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。 |
NIV | to give his people the knowledge of salvation through the forgiveness of their sins, |
註解: (エレ31:34。エレ33:8。エレ50:20。ミカ7:18)新約に至ってはキリストの贖罪による罪の赦しがその救いの主体となっていること勿論であるが、旧約にもこの思想が欠けているわけではない。唯キリストの十字架によってこの贖いが明瞭確実になった。ザカリヤはヨハネに関する御使の啓示(ルカ1:16、17節)により、また救い主の来り給うことに関する預言によってこのことを知った。
1章78節 これ我らの神の深き憐憫によるなり。[引照]
口語訳 | これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、 |
塚本訳 | これは(みな)われらの神の(深き)憐れみの御心によるのである。またその憐れみによって、高き所よりの光がわたし達を訪れ、 |
前田訳 | われらの神のあわれみのみ心により、いと高きところからの光がわれらを訪ねよう。 |
新共同 | これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 |
NIV | because of the tender mercy of our God, by which the rising sun will come to us from heaven |
註解: 罪の赦しは神の憐憫によるより外にこれを得ることができない(エペ2:4、5、エペ2:8。使15:18)。前節の救いの原因を叙す。
この憐憫によりて朝の光、上より臨み、
註解: 「朝の光」は「神」というべき処を、神を意味する形容辞を用い、この言をそのまま神の意味に転用したのである。次節の「暗黒」等々に対応せしむるためであった。神の憐憫は、あたかも太陽が東に上り、上より万物を照すごとく、世の暗黒を照してこれに光明を与えこれを救う。
1章79節 暗黒と死の蔭とに坐する者をてらし、我らの足を平和の路にみちびかん』[引照]
口語訳 | 暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。 |
塚本訳 | “暗やみと死の陰とに住まう人々を照らし、”われらの足を“平和の道”へと導くであろう。 |
前田訳 | 闇と死の陰にあるものを照らし、われらの足を平和の道へと導こう」と。 |
新共同 | 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」 |
NIV | to shine on those living in darkness and in the shadow of death, to guide our feet into the path of peace." |
註解: 本節前半後半共不定法動詞を用い、「照さんとて」「導かんとて」とあり、「朝の光上より臨む」ことの目的を構成す、すなわち世の暗黒を照らしてこれを光明に変化することと、民の足を平和の路に導き、民をして平和を享有せしむるためである。光明と平和はこの世の姿の反対である。▲世界は今日もなお暗黒と死との蔭に閉ざされている。
1章80節 かくて幼兒は漸に成長し、その靈強くなり、イスラエルに現るる日まで荒野にゐたり。[引照]
口語訳 | 幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。 |
塚本訳 | 幼児は大きくなり霊も強くなって、(洗礼者として)イスラエルの民の前にあらわれる日まで、荒野に(かくれて)いた。 |
前田訳 | 幼子は成長して霊も強まり、イスラエルの民に現われる日まで荒野にいた。 |
新共同 | 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。 |
NIV | And the child grew and became strong in spirit; and he lived in the desert until he appeared publicly to Israel. |
註解: 「成長」は肉体的方面と見るを可とす。霊において強くなることは、神に導かれている証拠である。「現れる」は「公示される」意味で公生活に入ること、彼がヨルダンの荒野に顕れてその神の国を宣伝え始めし時を指す。その時までは彼はおそらくユダヤの南方ヘブロンの近くの荒野にいたのであろう。荒野において唯独り神に祈り、己が使命について考えていたのであろう。荒野は偉人を作るに最も適当な場所である。
要義 [ザカリヤの讃歌について]マグニフィカートと同じくベネディクツスもまたその用語は著しくユダヤ的・旧約的色彩を帯びている。そのために学者の中にはこれをユダヤ教の讃歌の遺物と考え、唯76節以下のみ後年の追加と見るものがあるけれども(L2)前にマグニフィカートにつきて述べしと同じく、聖霊ザカリヤに臨める時、ザカリヤは必ずしもキリスト・イエスによる新約の救いにつき、凡そ語ることができなかったけれども、なおその旧約的用語と形式の中に充分に新約的内容を包含するを得しめており、殊にヨハネに関する預言は、ヨハネの旧約と新約との間の橋であることの意義を充分に明らかにしているのであって、ここにも旧約の形式の中から当に誕生せんとしつつある新約の姿がその頭の先を露出しており、やがてイエス・キリストにより新約の真理が完全にその姿を顕わすことの先駆をなしているのである。
ルカ伝第2章
2-2 イエスの誕生とその幼時
2:1 - 2:52
2-2-イ イエス、ベツレヘムに生る
2:1 - 2:7
2章1節 その頃、天下の人を戸籍に著かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。[引照]
口語訳 | そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 |
塚本訳 | そのころ、全(ローマ)帝国の人口調査の勅令が皇帝アウグストから出た。 |
前田訳 | そのころ皇帝のアウグストゥスから帝国全体の人民を登録せよとのおふれが出た。 |
新共同 | そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 |
NIV | In those days Caesar Augustus issued a decree that a census should be taken of the entire Roman world. |
2章2節 この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督たりし時に行はれし初のものなり。[引照]
口語訳 | これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。 |
塚本訳 | これは(ローマ政府)第一回の人口調査で、クレニオがシリヤの総督であったときに行われたものである。 |
前田訳 | これは最初の登録で、クレニウスがシリアの総督のときのことである。 |
新共同 | これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 |
NIV | (This was the first census that took place while Quirinius was governor of Syria.) |
註解: この戸籍調査は本来課税の目的をもって行われた。
附記 歴史的研究の精確を期したと自認しているルカの記事(ルカ1:1以下)にもかかわらずこの二節は後世学者間に多くの問題と混乱とを惹起し、今日に至ってもなお一般に承認される結論に達していない。問題の重点は(1)かかる全国的戸口調査がアウグスト時代に行われたことにつきては、他の歴史または記録に記されていないこと。(2)ヨセフスの「イスラエル国民史」「ユダヤ戦史」によればクレニオ(ラテン名クイリニウスまたはクイリニヌス)がパレスチナに戸籍登録を行って、その結果ユダの反乱となったのは(使5:37参照)ルカの記事よりも約十年後に当たること。(3)モムゼンによって偽造と決定されたローマ時代の碑銘の一片が、一八八〇年にその他の大部分が発見されて真正のものと決定し、ルカの記事の精確さを証明する助けとなったこと。(4)テルツリアヌスが戸籍登録の時シリアの総督をサツルニヌスであるとすること。その他。(5)本文の解釈上「初のもの」が第一回を意味し、第二回以後もあったものと考え、使5:37をこれに相当すと見るべきか、または「クレニオの時に始めて」と読むべきかの問題。(6)二節を後人の挿入と見る説の当否等々であって、容易に決定しえない処であり、学者は各々その立場に好都合なる方面の材料に重点を置き、種々の結論および推論を固執しているのであるが、もし(1)カイザルの命令が全世界(当時の)を同時に調査すべしとの意味でなかったものとすれば、そのことが歴史的に記録せられずに置かれたことは考えられ(エジプトに十四年毎に戸口調査が行われたとの記事あり)、(2)またヨセフスの歴史は若干の不精確さと矛盾との存すること、またルカよりも年若きヨセフスは、この事件よりの隔りが遠く、かつ何らの記録を資料に持たなかったこと等よりその記事に誤謬がなかったとは言われず、かえってルカにおいて精確さを認めること。(3)確認されたローマの碑文による記録より計算すれば、クレニオがシリヤの総督となったのは、略紀元前四年より紀元四年までの間に相当し、ヘロデの在世中であり得ること。(4)テルツリアヌスの記事はもしサツルニヌスの総督時代(紀元前六年より前)にクレニオが特別任務をもって戸口調査の準備工作を為したものと解する場合その矛盾は除かれ、またヨセフスの記録の不明確さとも一致していること、またルカは使5:37において別の戸籍登録のことを考えていないらしいこと(冠詞)等の説明により、ルカの記事の歴史性はかなりの度において強められることとなる。なお将来多くの研究を要する事柄である(ツァーン、ルカ伝註解参照)。
2章3節 さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷に歸る。[引照]
口語訳 | 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。 |
塚本訳 | すべての人が登録を受けるために、それぞれ自分の(生まれた)町にかえった。 |
前田訳 | すべての人が登録のためにめいめいおのが町へ行った。 |
新共同 | 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 |
NIV | And everyone went to his own town to register. |
註解: 「故郷」は「己が町」でほぼ日本の本籍地に類似の程度と考えられる。
2章4節 ヨセフもダビデの家系また血統なれば、[引照]
口語訳 | ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 |
塚本訳 | ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出、またその血統であったからである。 |
前田訳 | ヨセフもガリラヤはナザレの町からユダヤはベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出で、その血を引いていたからである。 |
新共同 | ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 |
NIV | So Joseph also went up from the town of Nazareth in Galilee to Judea, to Bethlehem the town of David, because he belonged to the house and line of David. |
2章5節 既に孕める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處に到りぬ。[引照]
口語訳 | それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。 |
塚本訳 | すでに身重であった妻マリヤと共に、登録を受けるためであった。 |
前田訳 | 登録は身ごもっていた妻たるべきマリヤといっしょであった。 |
新共同 | 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 |
NIV | He went there to register with Mary, who was pledged to be married to him and was expecting a child. |
註解: この二節より推測される処によれば、ヨセフはおそらく本来ベツレヘムに居住していたのを職業の都合上一時ナザレに移住していたものであろう。この時代は大体その祖先の墳墓の地に子孫も住んでいたものと考えられるけれども全部が然るわけではなく、凡ての地方に散っていたダビデの子孫が、一千年来の古き系図を頼りにみなベツレヘムに集まったとは考えられない。戸籍登録が課税との関係もあった以上、ヨセフとベツレヘムとはその前居住地として密接な関係があったと考うべきであろう。孕めるマリヤを困難を冒してベツレヘムに携えたのはナザレにおける出産は種々の風評を起す虞があり、マリヤをしてこれを避けしめたのであろう。
辞解
[家系、血統] これに加うるに「支族」をもってするのがイスラエル民族の習慣であった。
[許嫁の妻] 自己撞着の称呼の結合。異本に「許嫁」または「妻」とあり。この三者中何れが正しきかは決し難いけれども、当時対外関係においてはマリヤはヨセフの妻として認められていたことは事実であろう。
[ダビデの町] ダビデはベツレヘムに生れ、そこに羊を牧っていた(Tサム17:12、15)。
2章6節 此處に居るほどに、マリヤ月滿ちて、[引照]
口語訳 | ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 |
塚本訳 | するとそこにおる間に、マリヤは月満ちて、 |
前田訳 | 彼らがそこにいるうちに、マリヤは月満ちて、 |
新共同 | ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 |
NIV | While they were there, the time came for the baby to be born, |
2章7節 初子をうみ、之を布に包みて馬槽に臥させたり。旅舍にをる處なかりし故なり。[引照]
口語訳 | 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 |
塚本訳 | 初子を産み、産着にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には場所がなかったのである。 |
前田訳 | 男の初子を生み、布にくるんで飼葉桶(かいばおけ)に寝かせた。宿屋には彼らの場所がなかったのである。 |
新共同 | 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 |
NIV | and she gave birth to her firstborn, a son. She wrapped him in cloths and placed him in a manger, because there was no room for them in the inn. |
註解: 神の子の誕生としては、考え得る最悪の姿であった。神の子はその凡ての栄光を捨て、真に人の子の一人としてこの世に下り給うたのであった。▲かくして神の子は唯霊によって導かれる者にのみ崇められ給う。
辞解
[旅舎] kataluma は pandocheion (ルカ10:34)と異なり、家の全部または一部を借用して休息宿泊その他のために用うるものを指す。ルカ22:11の「座敷」はこの kataluma である。「ゆえに旅舍にをる處なかりし」とあるは旅舍が込み合っていたと見るよりもその借受けた家の部分に出産に適当な場所がなかったことを意味し、また揺籠や寝床等がなかったために手近の馬槽を利用したものと考えられる。
要義 [人の子は枕する処なし]イエスは「狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕するところなし」(ルカ9:58)と嘆じ給うた。実に彼はその誕生に際してすでにこの世に彼を容れる処なく、而してついには十字架上に露と消え給うた。この事実はこの世が神に叛ける罪人の国であることの実相を示しており、この世に容れられなかった彼こそ真に神の子たることの事実を表徴しているものと見ることができる。
2-2-ロ 牧羊者、イエスを拝す
2:8 - 2:20
2章8節 この地に野宿して、夜群を守りをる牧者ありしが、[引照]
口語訳 | さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。 |
塚本訳 | (その晩、)数人の羊飼がそのあたりで、野宿をしながら群の夜番をしていた。 |
前田訳 | そのあたりで、羊飼いが何人か野宿して羊の群れの夜番をしていた。 |
新共同 | その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 |
NIV | And there were shepherds living out in the fields nearby, keeping watch over their flocks at night. |
註解: 冬中は羊は檻の中に入れられているのでその必要がないがその他の季節は野放しにされているので盗人や猛獣を防ぐための番人を要す。
2章9節 主の使その傍らに立ち、主の榮光その周圍を照したれば、甚く懼る。[引照]
口語訳 | すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。 |
塚本訳 | すると(突然)一人の主の使が(現われて)彼らに近づき、主の栄光が彼らのまわりを照らしたので、羊飼たちはすっかりおびえてしまった。 |
前田訳 | すると主の使いが彼らのところにおり立ち、主の栄光が彼らを包み照らしたので、彼らはすっかりおびえた。 |
新共同 | すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 |
NIV | An angel of the Lord appeared to them, and the glory of the Lord shone around them, and they were terrified. |
註解: 図らずも彼らは驚くべき異象を見ていたく懼れた。
2章10節 御使かれらに言ふ『懼るな、[引照]
口語訳 | 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。 |
塚本訳 | 天使が言った、「こわがることはない。いまわたしは、(イスラエルの)民全体への大きな喜びのおとずれを、あなた達に伝えるのだから。 |
前田訳 | 天使はいった、「おそれるな。見よ、わたしは民全体への大きなよろこびをあなた方に伝える。 |
新共同 | 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 |
NIV | But the angel said to them, "Do not be afraid. I bring you good news of great joy that will be for all the people. |
註解: 驚くべく懼るべき事件の最中に「懼るな」との神の声を聴き得る者は幸福である。
視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜の音信を我なんぢらに告ぐ。
註解: 救い主の来臨はイスラエルの全民衆が、永く待望し切望している事実であって牧羊者すら直ちに天使の言に応じた。
2章11節 今日ダビデの町にて汝らの爲に救主うまれ給へり、これ主キリストなり。[引照]
口語訳 | きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。 |
塚本訳 | 実は今夜ダビデの町に、あなた達のために一人の救い主がお生まれになった。このお方が(かねて預言されていた)救世主なる主である。 |
前田訳 | きょうダビデの町であなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主キリストである。 |
新共同 | 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 |
NIV | Today in the town of David a Savior has been born to you; he is Christ the Lord. |
2章12節 なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒を見ん、是その徴なり』[引照]
口語訳 | あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。 |
塚本訳 | あなた達はみどり児が産着にくるまれて飼葉桶に寝ているのを見る。それが(救世主の)目印である。」 |
前田訳 | 赤子が布にくるまれて飼葉桶に寝ているのが見えよう。それがあなた方への目印である」と。 |
新共同 | あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 |
NIV | This will be a sign to you: You will find a baby wrapped in cloths and lying in a manger." |
註解: ベツレヘムと言わずに特に「ダビデの町」と言ったのは預言的意味を含ませたもの。「救主」「主」「キリスト」何れもイスラエルにとって待望の名であった。かかる人が馬槽に臥すということは、最も信じ難きことであった。これを信ぜしが故に彼らは救い主を拝するの光栄に浴したのであった。
2章13節 忽ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、[引照]
口語訳 | するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、 |
塚本訳 | するとたちまち、おびただしい天使の群がその天使のところにあらわれて、神を讃美して言った、── |
前田訳 | するとたちまちその天使に加わって天の大軍勢が現われ、神をたたえていった、 |
新共同 | すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 |
NIV | Suddenly a great company of the heavenly host appeared with the angel, praising God and saying, |
2章14節 『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』[引照]
口語訳 | 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。 |
塚本訳 | いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり! |
前田訳 | 「いと高き所では栄光が神に、地では平和がみ心にかなう人々に!」 |
新共同 | 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 |
NIV | "Glory to God in the highest, and on earth peace to men on whom his favor rests." |
註解: 天使の御言に続いて、天の大軍の讃美歌が聞えて来た。キリストの来臨により天には栄光、地には平和が充ちたのである(「あれ」または「あらんことを」と訳すよりも「あり」が可なからんか)。すなわちキリストをこの世に下し人類をその罪より救うことによりて神の愛と義とが完全に成就せる故、この救いこそ真の意味の神の栄光であり、而して地上においてはキリストの救いに与る者は主の悦び給う人であり、かかる人々の間には神の愛によりて結ばれた平和がある。天の神に栄光、地の人に平和、これに勝れる光景は他にはない。天の万軍が宇宙に満つる声をもって神を讃美するは寔に相応しいことである。
辞解
第14節は写本により若干の差異あり、これを三段に区分し、「いと高き處には栄光神に、地には平和、人には喜悦」と訳し得る写本があるが、写本の性格より見るも、語句の内容よりいうもこの方が劣っている。
2章15節 御使等さりて天に往きしとき、牧者たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』[引照]
口語訳 | 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。 |
塚本訳 | 天使たちが彼らをはなれて天に去ると、羊飼たちは互に言った、「さあ、ベツレヘムに行って、主が知らせてくださった出来事を見てこよう。」 |
前田訳 | 天使たちが彼らを離れて天に去ると、羊飼いたちは互いにいった、「さあ、ベツレヘムに行って、主がわれらにお知らせのこの出来事を見よう」と。 |
新共同 | 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 |
NIV | When the angels had left them and gone into heaven, the shepherds said to one another, "Let's go to Bethlehem and see this thing that has happened, which the Lord has told us about." |
註解: 神の啓示をきき、即刻にこれに従う者は幸福である。この場合天使は彼らに、ベツレヘムに行くことを命じたのではなく、行けば徴を見るであろうことを告げただけであった。それにもかかわらず彼らの心中には救い主を見んとの熱望が燃え上がって来た。十字架の福音を伝えられる人々も当にこの牧羊者たちのごとくなるべきである。「いざ」 dê は非常に強い気分を示す(マタ13:23。使13:2)。
2章16節 乃ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。[引照]
口語訳 | そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。 |
塚本訳 | そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどり児とをさがし出した。 |
前田訳 | そして急いで行って、マリヤとヨセフと飼葉桶に寝ている赤子を探し出した。 |
新共同 | そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 |
NIV | So they hurried off and found Mary and Joseph, and the baby, who was lying in the manger. |
註解: 「急ぎ往き」は牧場がベツレヘムより隔たった場所にあることを示し、彼らの熱心なる態度を窺うことができ、「尋ねあふ」 aneuriskô は熱心に探して尋ね当てることを意味する。何れも彼らの熱心さを表わす。主イエスを求める者はかかる熱心を必要とする。
2章17節 既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、[引照]
口語訳 | 彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。 |
塚本訳 | 彼らはそれを見ると、幼児について(天使に)告げられたことを(人々)に知らせた。 |
前田訳 | 彼らを見ると、この子についていわれたことを告げた。 |
新共同 | その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 |
NIV | When they had seen him, they spread the word concerning what had been told them about this child, |
2章18節 聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。[引照]
口語訳 | 人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。 |
塚本訳 | 聞く者は皆羊飼たちの話を不思議に思った。 |
前田訳 | それを聞いたものは皆羊飼いたちがいったことにおどろいた。 |
新共同 | 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 |
NIV | and all who heard it were amazed at what the shepherds said to them. |
註解: 告げたのはマリヤとヨセフだけでなくベツレヘムに在る多くの人に告げたのであった。彼らはこれを聞きいたく驚異に打たれた(奇怪に感じた意味ではない)。
2章19節 而してマリヤは凡て此等のことを心に留めて思ひ囘せり。[引照]
口語訳 | しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。 |
塚本訳 | しかしマリヤはこのことを皆胸にひめて、一人でじっと考えていた。 |
前田訳 | しかしマリヤはこれらすべてを胸に秘めて、心の中で考えていた。 |
新共同 | しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 |
NIV | But Mary treasured up all these things and pondered them in her heart. |
註解: 前節の「怪しむ」は不定過去形で、一時的動作を示すのに反し本節の「心に留む」「思ひ囘す」は未完了形または現在分詞でマリヤの心持を示し、永続的心の状態を表わす、マリヤは永くこれを心の中に蔵し、堅くこれを心に懐いていたことであろう。
辞解
[思い囘す] sumballô は多くのことを一つに集めて相互関係を考えること。
2章20節 牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ歸れり。[引照]
口語訳 | 羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。 |
塚本訳 | 羊飼たちは、聞いたり見たりしたことがことごとく(天使の)話のとおりであったので、神を崇め、讃美しながら引き返した。 |
前田訳 | 羊飼いたちは、聞いたこと見たことすべてがいわれたとおりであったので、神をあがめ、讃美しながら帰って行った。 |
新共同 | 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。 |
NIV | The shepherds returned, glorifying and praising God for all the things they had heard and seen, which were just as they had been told. |
註解: 凡てのことにおいて彼らは自己の好奇心や利害に捉われず、神に凡ての栄光を帰した。美しき牧羊者たちである。しかしそれにもましてかかる光景をベツレヘムとその周辺に顕し給える神の御旨を我らも深く心にいだかなければならない。
要義1 [天地を貫く歓喜]8−20節の記事はベツレヘムの町とその周囲に関する記事に過ぎないけれども、その小さき物語の中に天地を貫く大歓喜の音楽を聴くことができる。実にキリスト・イエスの降誕は、天地の創造以来の第一の事実であり、新人の初穂の出生であり、彼によって人類の救いは完成し、神の栄光が耀き出るのであって、宇宙的に最大の出来事である。かかる大事件ではあるけれども、それは極めて少数の信ずる者にのみその意義が啓示せられたに過ぎなかった。凡て高き真理はみな少数にのみ示される。天における歓喜の音楽を聴く耳あるものは幸福である。
要義2 [牧羊者の態度に倣え]我らはここにベツレヘムの牧羊者の態度に注意しなければならない。彼らは天の光を見る目と天の声を聴く耳とを具えていた。不断に神を待望む態度を彼らは有っていたのである。また彼らは天の声を聴いて遠路をものともせず、自ら進んでその救主を拝せんとした。真理に対する熱情、福音を信ずる熱心はかかるものでなければならぬ。彼らはまたその見聞したことを人々に伝えた、福音を伝える者の態度である。而して彼らはその凡てにつき、神を崇めかつ讃美した。凡てのキリスト者は正にかくあるべきである。
2-2-ハ イエスの命名と宮詣で
2:21 - 2:24
2章21節 八日みちて幼兒に割禮を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。[引照]
口語訳 | 八日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。 |
塚本訳 | 八日過ぎて割礼の日が来ると、人々は、胎内に宿る前に天使からつけられたイエスという名を、幼児につけた。 |
前田訳 | 割礼すべき八日目になると、幼子はイエスと名づけられた。彼が胎にやどる前に、天使に名づけられたとおりである。 |
新共同 | 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。 |
NIV | On the eighth day, when it was time to circumcise him, he was named Jesus, the name the angel had given him before he had been conceived. |
註解: ルカ1:31参照。神の子イエスは、人間として凡てのことを人間並に行い給うた。ヨハネの誕生の場合に比してむしろ平凡であったことに注意すべし。神の子たることは非凡の人間たることよりも遙かに高いことであるが、人間の目にはそれが理解されず、唯人間としての非凡さのみが崇められやすい。
2章22節 モーセの律法に定めたる(彼らの)潔の日滿ちたれば、彼ら幼兒を携へてエルサレムに上る。[引照]
口語訳 | それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。 |
塚本訳 | 両親はモーセ律法による彼らの“清めの日(四十日)が過ぎる”と、幼児をつれてエルサレムに上った。 |
前田訳 | モーセ律法による清めの日が過ぎると、彼らは主にささげるため赤子を連れてエルサレムへ上った。 |
新共同 | さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 |
NIV | When the time of their purification according to the Law of Moses had been completed, Joseph and Mary took him to Jerusalem to present him to the Lord |
註解: レビ12:1−4によれば男子を生める婦は四十日の間汚れしものと考えられていた。而してその潔の日数が満ちた場合、その潔まりのために燔祭および罪祭として犠牲を献ぐべきものと定められていた(レビ12:6−8)。イエスの誕生の当時、このモーセの律法が果して如何なる程度に行われていたかについては不明である。
辞解
原文「彼らの潔」とあり、潔は産婦のみに関すること故不精確なる記載なり。
2章23節 これは主の律法に『すべて初子に生るる男子は、主につける聖なる者と稱へらるべし』と録されたる如く、幼兒を主に献げ、[引照]
口語訳 | それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、 |
塚本訳 | これは主の律法に、“はじめて生まれた男の子は皆主に聖別しなければならない”と書いてあるとおりに、これを主に捧げるため、 |
前田訳 | 主の律法に、男の初子はすべて主に聖別されること、とあるのによったのである。 |
新共同 | それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 |
NIV | (as it is written in the Law of the Lord, "Every firstborn male is to be consecrated to the Lord" ), |
註解: 出13:2、出13:12、出13:15によれば凡てイスラエルの中に生れし畜の初子はこれを主に献げなければならず、人間の長子のみは献ぐる代りに五シケルの銀(約56g)をもってこれを贖うべきものと定められていた(民3:46、47。民18:15、16)。ルカはこの贖代につきて録していないのでマリヤが果してこれを実行せしや否やは不明である。
辞解
[初子に生れる男子] 原文直訳「母の胎を開く男子」。
[聖なるもの] 聖別されし者の意。
2章24節 また主の律法に『山鳩一つがひ或は家鴿の雛二羽』と云ひたるに遵ひて、犧牲を供へん爲なり。[引照]
口語訳 | また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。 |
塚本訳 | また(母親の清めについて)主の律法に、“山鳩一番か雛鳩二羽(を捧げねばならない)”とある規定によって、犠牲を供えるためであった。 |
前田訳 | また、主の律法にあるとおり、山鳩ひとつがいか雛鳩二羽をいけにえとしてささげるためであった。 |
新共同 | また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 |
NIV | and to offer a sacrifice in keeping with what is said in the Law of the Lord: "a pair of doves or two young pigeons." |
註解: 22節の潔めのための犠牲でレビ12:6−8の規定の中に貧者と富者とにより献ぐべき犠牲を区別しているが、これによればマリヤは貧者の部に属することを知る。
2-2-ニ シメオンの祝福
2:25 - 2:35
2章25節 視よ、[引照]
口語訳 | その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。 |
塚本訳 | さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。 |
前田訳 | さて、エルサレムにシメオンという名の人があった。この人は正しく、つつしみ深く、イスラエルの慰めを待ち望み、聖霊がのぞんでいた。 |
新共同 | そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 |
NIV | Now there was a man in Jerusalem called Simeon, who was righteous and devout. He was waiting for the consolation of Israel, and the Holy Spirit was upon him. |
註解: イエスがかくして主に献げられんとし給う時、老シメオンと老アンナの祝福と預言とが伴奏のごとくにこれに伴うことは奇しき光景である。
エルサレムにシメオンといふ人あり。この人は義かつ敬虔にして、イスラエルの慰められんことを待ち望む。聖靈その上に在す。
註解: 29節によりて推測すればシメオンはおそらく老人であったと思われる。彼につきては何処の何人かは不明であってルカは唯その如何なる人であるかを録している。「義」であって律法を真面目に遵守し、「敬虔」であって神を畏れ敬い、メシヤが顕れてイスラエルを救わんことを切に待望している人であった。而してこれらが単に彼の生来の傾向であったというのではなく神の霊彼の上にあって彼を導いた。(▲口語訳「宿る」は適当でない。 epi は「上に」に当る。)彼は旧約的敬虔の代表的人物であった。「キリスト来たれり」と証しせる最初の人である。
辞解
[イスラエルの慰め] メシヤによるイスラエルの救いを意味する常用の語(イザ40:1)。
2章26節 また聖靈に、主のキリストを見ぬうちは死を見ずと示されたれしが、[引照]
口語訳 | そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。 |
塚本訳 | かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。 |
前田訳 | そして、主のキリストを見ないうちは死なないと聖霊に告げられていた。 |
新共同 | そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 |
NIV | It had been revealed to him by the Holy Spirit that he would not die before he had seen the Lord's Christ. |
註解: 「聖霊」なる語が繰返されるを見よ(25、27節)。おそらく彼はイスラエルの現状を見て悲しみに耐えず、メシヤ(すなわちキリスト)による救いを何とかしてその死の前に目撃したいと熱望していたのであろう。聖霊はこれに応えて、主のキリストすなわち神の受膏者をその目で見るまでは決して死なないことを告げ給うた。熱心なる祈りは聴かれる。
辞解
[主のキリスト] 「主」は旧約の「エホバ」に対して用いられるギリシャ語、「キリスト」はヘブル語の「メシヤ」のギリシャ訳で受膏者、油を注がれし者の意。ゆえに「主のキリスト」は「神の受膏者」に相当す。
[示す] chrêmatizô は神託的に示すこと。
2章27節 此とき御靈に感じて宮に入る。[引照]
口語訳 | この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、 |
塚本訳 | (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、 |
前田訳 | 彼は霊にあふれて宮へ行った。両親が幼子イエスに律法の習わしどおりに行なうために入って来たとき、 |
新共同 | シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 |
NIV | Moved by the Spirit, he went into the temple courts. When the parents brought in the child Jesus to do for him what the custom of the Law required, |
註解: イエスがその両親と共に宮に入らんとする時であったので、御霊が彼を動かして宮に入らずにおられない気持ちを起させた。御霊は何時もかくして人を動かす。
兩親その子イエスを携へ、この子のために律法の慣例に遵ひて行はんとて來りたれば、
註解: この時ヨセフとマリヤは23、24節の儀式と犠牲の供物を行うためにイエスを宮の中に連れて来た。エルサレムはイスラエルの主都、神の宮はまたその中心であり、そこに数々の啓示に包まれているその初子をささげ、神のものとして聖別することは両親にとっての最も記念すべき一日であったことは勿論である。
2章28節 シメオン、イエスを取りいだき、神を讃めて言ふ、[引照]
口語訳 | シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、 |
塚本訳 | シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。── |
前田訳 | 彼は幼子を両腕に抱き、神をたたえていった、 |
新共同 | シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 |
NIV | Simeon took him in his arms and praised God, saying: |
2章29節 『主よ、今こそ御言に循ひて、僕を安らかに逝かしめ給ふなれ。[引照]
口語訳 | 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます、 |
塚本訳 | 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、 |
前田訳 | 「今や、君よ、あなたは僕をおことばどおり平和にお暇(いとま)させてくださいます、 |
新共同 | 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。 |
NIV | "Sovereign Lord, as you have promised, you now dismiss your servant in peace. |
註解: マリヤに抱かれている嬰児がその待望のメシヤに在し給うことをシメオンは直感した。聖霊がこれを彼に示したのである。研究や推論の結果ではない。
辞解
[主よ] despotês を用う。
[御言] 26節の啓示。
[逝かしむ] 「解放する」の意。肉体の束縛から解放されて霊の自由を得ることは殊に老人の希望する処である。なお29−32節はそのラテン訳の最初の二語を取り Nunc Dimittis と呼ばれている。
2章30節 わが目は、はや主の救を見たり。[引照]
口語訳 | わたしの目が今あなたの救を見たのですから。 |
塚本訳 | わたしの目が“もうあなたの救いを拝見しました”からです。 |
前田訳 | わが目があなたの救いを見ましたから。 |
新共同 | わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 |
NIV | For my eyes have seen your salvation, |
2章31節 是もろもろの民の前に備へ給ひし者、[引照]
口語訳 | この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、 |
塚本訳 | この救いこそ、あなたが“全人類の(ため、その)目の前で”用意されたもの、 |
前田訳 | この救いはあなたが万民の前にご用意のもの、 |
新共同 | これは万民のために整えてくださった救いで、 |
NIV | which you have prepared in the sight of all people, |
2章32節 異邦人をてらす光、御民イスラエルの榮光なり』[引照]
口語訳 | 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。 |
塚本訳 | “異教人には啓示を、”あなたの民“イスラエルには栄光をあたえる”“光”であります。 |
前田訳 | 異教徒には啓示のための、あなたの民イスラエルには栄光のための光です」と。 |
新共同 | 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」 |
NIV | a light for revelation to the Gentiles and for glory to your people Israel." |
註解: 私訳「そは我が目汝の救を見たればなり、これ汝が諸民の前に備えたまひし所にして異邦人啓蒙の光、御民イスラエルの栄光なり」。「主の救」は救いの主なるイエスを抽象的に表顕す。ゆえに救いが完成せる時を予見したのではなく、イエスにおいて完成せらるべき救いを見たのである。この救いは「もろもろの民」または「凡ての民」の前に主の備え給えるものであって、ここに至ってもはやイスラエルと異邦人との区別は撤廃されている(ガラ3:28)。而してこの救いはまた「光」であり「栄光」である。
辞解
[異邦人を照らす光] 原語によれば異邦人の蒙を啓き(apokalupsis)暗黒に閉ざされているその戸を啓きてこれに光明を投げ与うること。
[イスラエルの栄光] イエスによる万民の救いはイスラエルに約束された処であって、その実現はイスラエルの栄光となる。かくしてシメオンには26節に示される啓示がそのまま実現し、主のキリストを見ることと平安裏に死ぬることとの二重の祝福に与ることができた。
2章33節 かく幼兒に就きて語ることを、其の父母あやしみ居たれば、[引照]
口語訳 | 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。 |
塚本訳 | 幼児のことをこのように言うのを父と母とが不思議に思っていると、 |
前田訳 | 幼子のことをいうのを父と母はおどろいていた。 |
新共同 | 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 |
NIV | The child's father and mother marveled at what was said about him. |
註解: 未知の老シメオンが如何にしてかかることを知り得たかは驚異に値するものであった。またその語る内容がマグニフィカート(ルカ1:46−55)やベネディクツス(ルカ1:68−79)の内容に等しきことも彼らの驚異の原因であった。凡てが聖霊の為し給える事柄であった。
2章34節 シメオン彼らを祝して母マリヤに言ふ『視よ、この幼兒は、イスラエルの多くの人の或は倒れ、或は起たん爲に、また言ひ逆ひを受くる徴のために置かる。[引照]
口語訳 | するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。— |
塚本訳 | シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒させたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。── |
前田訳 | シメオンは彼らを祝福し、母マリヤにいった、「見よ、この子はイスラエルの多くの人を倒し、また立たせるように、また、反対を受ける徴となるように定められています。 |
新共同 | シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 |
NIV | Then Simeon blessed them and said to Mary, his mother: "This child is destined to cause the falling and rising of many in Israel, and to be a sign that will be spoken against, |
註解: (▲口語訳「倒れさせたり、立ち上らせたり」は意味から見ても不適当である。)ここにおいて、シメオンは幼児より転じて両親に向いこれを祝福した。而して彼は聖霊による深き洞察力をもってイエスの来臨が将来イスラエルに如何なる事態を齎すかを告げた。すなわちイエスの存在により世は二つに区分せられ、信ずる者は救われ、信ぜざる者は亡ぼされる。前者にとってはイエスは救いの岩であり、後者にとっては躓きの石である。また彼が徴となる処、すなわち彼が顕われる処には必ず彼に対する反対と人々の間に対立とが生ずる(マタ10:34−35)。ヨハネ伝にはこの反対および対立の姿が最も著しく描写されている。殊にその5章以下を見よ。この世が本質的に神に叛いているという事実が、イエスの来臨に対して反対の立場を取ることの原因である(マタ21:33以下の葡萄園の譬えを見よ)。シメオンはイスラエルのこの反逆性を聖霊によって直感した。
辞解
[言ひ逆ひを受く] antilegomai = contradict 反対のことを言う。
2章35節 ――劍なんぢの心をも刺し貫くべし――[引照]
口語訳 | そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。—それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。 |
塚本訳 | (母人よ、)あなたも剣で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」 |
前田訳 | そしてあなた自身の胸をも剣が刺し通すでしょう、多くの人の心の思いがあらわになるために」と。 |
新共同 | ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 |
NIV | so that the thoughts of many hearts will be revealed. And a sword will pierce your own soul too." |
註解: シメオンは嬰児の受難の運命を予見しつつこれがためにその母の心に及ぼすべき苦痛に思い及ぼしてこれを中間に挿んだ。ルカ1:48節、マコ3:21等は勿論なれど、イエスの全生涯は母の心配の種であり、また殊にその十字架の死(ヨハ19:25)は母の心を剣をもって貫いた。偉人の母の栄光とこれに伴う悩みである。
これは多くの人の心の念の顯れん爲なり』
註解: 34節に連絡す。イエスの来臨により多くの人々の心の中に隠れていた種々の思いが皆その真相を露出される結果となる。神の前に立つとき如何なる思いもこれを隠すことができない。
辞解
[念] dialogismos 心の中でかれこれと考え囘らすこと。心の中のあらゆる姿。
2-2-ホ アンナの預言
2:36 - 2:38
2章36節 ここにアセルの族パヌエルの娘に、アンナといふ預言者あり、年いたく老ゆ。處女のとき、夫に適きて七年ともに居り、[引照]
口語訳 | また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、 |
塚本訳 | また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、 |
前田訳 | また、アセル族のパヌエルの娘にアンナという女預言者があった。年おいていて、娘時代のあと七年夫とともにあり、 |
新共同 | また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、 |
NIV | There was also a prophetess, Anna, the daughter of Phanuel, of the tribe of Asher. She was very old; she had lived with her husband seven years after her marriage, |
2章37節 八十四(歳まで)[年]寡婦たり。[引照]
口語訳 | その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。 |
塚本訳 | (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、 |
前田訳 | そののちやもめで、八十四歳になっていた。宮を離れず、夜昼断食と祈りとでお勤めしていた。 |
新共同 | 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、 |
NIV | and then was a widow until she was eighty-four. She never left the temple but worshiped night and day, fasting and praying. |
註解: シメオンと相対して女預言者アンナ(またはハンナ、恩恵の意)が登場したこともまた意義深きことであった。シメオンと異なりアンナはその素性もよく知られていたことを見れば、この信仰深き老寡婦は多くの人に認められていたものと思われる。
辞解
[八十四年] heôs (迄)を欠く写本による訳であるが、もし多くの良き写本に従いこれを保存するとすれば、また私訳のごとく八十四歳までとも訳することができる。もし前者を取るとすればアンナは当時百六歳以下とは考えられないこととなる。
宮を離れず、夜も晝も斷食と祈祷とを爲して神に事ふ。
註解: 場所的にも時間的にも生活態度においても徹底的に神の宮に対する奉仕の生活であった。ここにアンナの誰であったかに次いで何であったかが示されている。かかる真面目なる神殿奉仕者にして始めてイエスの何たるかにつき神の啓示をうけることができる。
辞解
[宮を離れず、夜も晝も] 必ずしもこれを窮屈に解する必要はない。
2章38節 この時すすみ寄りて神に感謝し、また凡てエルサレムの拯贖を待ちのぞむ人に、幼兒のことを語れり。[引照]
口語訳 | この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。 |
塚本訳 | (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。 |
前田訳 | 彼女はちょうどそのとき近よって来て神に感謝し、エルサレムの人々であがないを待ち望むものすべてに幼子のことを話した。 |
新共同 | そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 |
NIV | Coming up to them at that very moment, she gave thanks to God and spoke about the child to all who were looking forward to the redemption of Jerusalem. |
註解: アンナは特別の讃歌を唱わなかったけれども、シメオン、ゼカリヤ、マリヤ等の讃歌に応じて神に対して感謝讃美の心持を告白し、かつイスラエルの拯贖を待望している熱心なる愛国者に対して、イエスこそイスラエルの救いであることを語った。アンナの信仰とその崇高なる生活の故に、その証は非常に有力であったことと思われる。
辞解
「エルサレムの拯贖」ということはやや奇異であるが、エルサレムはイスラエルの中心であり、全イスラエルを代表するものと見るべきである。なお「語れり」は未完了過去形で繰返される動作を示す。
要義 [シメオンとアンナ]二人とも老人で旧き時代の人であった。しかしながら真面目に旧き者は、かえって不真面目な新人よりはるかに深く新時代を解す。反対に真面目に新しき者は旧人よりもかえって良く旧時代を知る。不真面目にして固陋なる旧人と、不真面目にして破壊的なる新人とは、いかなる時代においても無用有害なる存在である。イエスの誕生当時において多くの青年が有っても、イエスの救い主なることを覚ったのは唯これらの老人のみであったことは注意すべきことである。
2-2-ヘ 十二歳までのイエス
2:39 - 2:52
2章39節 さて主の律法に遵ひて、凡ての事を果したれば、ガリラヤに歸り、己が町ナザレに到れり。[引照]
口語訳 | 両親は主の律法どおりすべての事をすませたので、ガリラヤへむかい、自分の町ナザレに帰った。 |
塚本訳 | 両親は主の律法のさだめをすべて果すと、ガリラヤの自分の町ナザレに帰った。 |
前田訳 | 彼らは主の律法のとおりすべてを果たすと、ガリラヤのおのが町ナザレへ帰った。 |
新共同 | 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。 |
NIV | When Joseph and Mary had done everything required by the Law of the Lord, they returned to Galilee to their own town of Nazareth. |
註解: ヨセフとマリヤはナザレを己が居住地としていた。イエスもかくてガリラヤ人と呼ばれた。ナザレに還ったのは必ずしも誕生後四十日目に凡てのことを果して直ちに帰ったものと見る必要はない。
2章40節 幼兒は[漸に]成長して健かになり、智慧みち、かつ神の惠その上にありき。[引照]
口語訳 | 幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。 |
塚本訳 | 幼児は大きくなり強くなって、知恵満ち、神の恵みが彼をはなれなかった。 |
前田訳 | 幼子は成長して強くなり、知恵に満ち、神の恵みがその上にあった。 |
新共同 | 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。 |
NIV | And the child grew and became strong; he was filled with wisdom, and the grace of God was upon him. |
註解: 「成長」は肉体、「健やかになり」は體力、「智慧」は自然人として自然に発達する能力、「みち」は現在分詞で継続的状態、ゆえに智慧は次第に充ちてくること。「神の恵」はかかるイエスの上にさらに上より加わる神の特別の恩恵である。イエスはかくて発育の凡ての条件を具備して何らの故障もなく育ち給うた。偽典福音書に録されるごとき特異の現象は、彼の幼時には無かったものと見るべきである。彼の神性はかかる不可思議なる存在にその基礎があるのではない。むしろ次に録される幼時の唯一の出来事こそ彼の神の子たることを示す重要なる事件である(41−51節)。
2章41節 かくてその兩親、過越の祭には年毎にエルサレムに往きぬ。[引照]
口語訳 | さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。 |
塚本訳 | さてイエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムに行った。 |
前田訳 | 彼の両親は毎年過越の祭りにエルサレムへ行った。 |
新共同 | さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 |
NIV | Every year his parents went to Jerusalem for the Feast of the Passover. |
註解: 信仰厚き家庭は毎年の京詣でを怠らなかった。イエスを携え行きしは次節すなわち彼が十二歳の時が始めてであった(E0)とは考えられない。もし始めてであったらなば、彼を置き去りにして気付かない(43節)ようなことは起らなかったと考えられる。これまでも毎年または度々イエスはエルサレムに連れ行かれたことであろう。
辞解
[過越の祭] マタ26:2註参照。
2章42節 イエスの十二歳のとき、祭の慣例に遵ひて(かれら)上りゆき、[引照]
口語訳 | イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。 |
塚本訳 | イエスが十二歳になった時、両親は(その)祭の習わしに従って、(彼を連れて都へ)上った。 |
前田訳 | 彼が十二歳になったとき、彼らは祭りの習わしによって都へ上った。 |
新共同 | イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 |
NIV | When he was twelve years old, they went up to the Feast, according to the custom. |
2章43節 祭の日終りて歸る時、その子イエスはエルサレムに止りたまふ。[引照]
口語訳 | ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 |
塚本訳 | (祭の)日が終って帰る時、イエス少年はエルサレムにのこったのに、両親はそれを知らなかった。 |
前田訳 | 日程が終わって帰るとき、少年イエスはエルサレムに残っていたが、両親はそれに気づかなかった。 |
新共同 | 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 |
NIV | After the Feast was over, while his parents were returning home, the boy Jesus stayed behind in Jerusalem, but they were unaware of it. |
註解: イスラエルの男子は十二歳をもって律法を学習し始め、また京詣で、断食等宗教的行事にも参加せしめられた。両親がエルサレムにおいてイエスを自由に放任したらしく思われるのは、従来もしばしば京詣でに連れ行かれたことを示す。なおイエスがエルサレムに残り給えるのは神のことにつき子供らしい関心が湧き来り、両親と共に帰路につくことすら忘れたのであろう。
辞解
[祭の日] 原文「日」(複数)で過越の祭の期間すなわち七日。
兩親は之を知らずして、
2章44節 道伴のうちに居るならんと思ひ、[引照]
口語訳 | そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、 |
塚本訳 | 道連れの中にいるとばかり思って、一日路を行ったのち、(はじめてそれに気づき、)親類、知人の中を捜したけれども、 |
前田訳 | 道連れの中にいると思い込んで一日の行程を行ってから、親戚と知人の中を探したが、 |
新共同 | イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、 |
NIV | Thinking he was in their company, they traveled on for a day. Then they began looking for him among their relatives and friends. |
註解: 元気旺盛な十二、三歳の男児は、両親の許を離れて自由に跳び廻るのが常である故、この不注意は特別に言い立てるほどのことではなく、これに特別の原因や理由を求める必要がない。
一日路ゆきて、親族・知邊のうちを尋ぬれど、
2章45節 遇はぬに因りて復たづねつつエルサレムに歸り、[引照]
口語訳 | 見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。 |
塚本訳 | 見つからないので、捜しながらエルサレムに引き返した。 |
前田訳 | 見つからないので探しながらエルサレムへ戻った。 |
新共同 | 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 |
NIV | When they did not find him, they went back to Jerusalem to look for him. |
註解: 道伴のうちにいないとすればあるいは親族、知辺の家に寄っているかも知れぬと考えた。毎年の京詣でに両親はイエスを伴って時々それらの家に立寄ったものと思われる。見出しかねて止むを得ずエルサレムに戻った。
辞解
[尋ね(44、45節)] anazêteô で丹念に尋ね廻ること。――(異本あり)――
2章46節 三日ののち、宮にて教師のなかに坐し、かつ聽き、かつ問ひゐ給ふに遇ふ。[引照]
口語訳 | そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 |
塚本訳 | そして(都を出て)三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に坐って、話を聞いたり尋ねたりしているのを見つけた。 |
前田訳 | すると三日ののち彼が宮で教師たちの間にすわって、話を聞いたりたずねたりするのを見つけた。 |
新共同 | 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 |
NIV | After three days they found him in the temple courts, sitting among the teachers, listening to them and asking them questions. |
註解: 「三日ののち」は第三日目に当ると見るべきでエルサレムに帰りついた翌日であった。「教師」は律法の教師でユダヤ教の学者。「坐す」教師は坐して教え弟子はまたその足許に坐した。この場合イエスは坐し、教師は立っていたか、または双方とも坐していたものと思われる。イエスが特に教師の態度を取っていたと解すべきではない。子供としての偶然の態度が彼の本質を示すかのごとくである処に、この記事の意義がある。
2章47節 聞く者は皆その聰と答とを怪しむ。[引照]
口語訳 | 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。 |
塚本訳 | 彼の話を聞いている人々は皆、その賢いうけこたえぶりに舌をまいていた。 |
前田訳 | 聞く人々は皆彼の応答の賢さに感心していた。 |
新共同 | 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 |
NIV | Everyone who heard him was amazed at his understanding and his answers. |
註解: 「怪しむ」 existêmi は「魂消る」「ビックリ仰天する」等の俗語の意味に近い。
2章48節 兩親イエスを見て、いたく驚き、[引照]
口語訳 | 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。 |
塚本訳 | 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」 |
前田訳 | 両親は彼を見ておどろき、母がいった、「坊や、なぜこんなことをしてくれましたか。ごらんなさい、お父さまもわたしも心配してあなたを探しているのに」と。 |
新共同 | 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 |
NIV | When his parents saw him, they were astonished. His mother said to him, "Son, why have you treated us like this? Your father and I have been anxiously searching for you." |
註解: 「驚き」ekplassô は驚愕の意。思いがけぬ処に彼を発見したことの驚きであった。
母は言ふ『兒よ、何故かかる事を我らに爲しぞ、視よ、汝の父と我と憂ひて尋ねたり』
註解: 母は両親の心配を告げて子を叱責した。かかる場合における普通の親子間の普通の態度である。彼らは勿論この際におけるイエスの特別に高められた心理状態を知るべくもなかった。
辞解
[尋ね] zêteô 44、45節参照。
2章49節 イエス言ひたまふ『何故われを尋ねたるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬか』[引照]
口語訳 | するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。 |
塚本訳 | 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」 |
前田訳 | 彼はいった、「なぜお探しでしたか。わたしがお父さまの家にいるのが当り前なのをご存じなかったのですか」と。 |
新共同 | すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 |
NIV | "Why were you searching for me?" he asked. "Didn't you know I had to be in my Father's house?" |
註解: 聖書に記されしイエスの最初の御言であり、極めて重大なる一節である。イエスはここに神を「わが父」と呼び給うた。これがイエスの先天的子心であって、何人にもこれを学習したのではなかった。「父」のことを思う時、他に何事をも考えることができず、肉の両親のことをも忘れてしまうほどの熱心さであった。イエスの神の子たるの自覚はこの自然の子心より外にない(要義参照)。このためにイエスは神の宮の中に留まっていることを当然と考え、心配してこれを尋ねていた両親をかえって不思議に思い、その両親がイエスの心理を解しないことを怪しみ問うた。イエスの神の子に在すことの最も良き証拠としてこの御言が残されていたことは感謝すべき務めである。
辞解
[父] 神を父と呼ぶことは旧約聖書その他にも無いではないが、種族の父としての用法が多く、イエスのごとくに密接な関係を示しているものはない。
[父の家に居る] また「父の事に携わる」とも訳し得る語。
2章50節 兩親はその語りたまふ事を悟らず。[引照]
口語訳 | しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。 |
塚本訳 | 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。 |
前田訳 | 両親にはこういわれたことがわからなかった。 |
新共同 | しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 |
NIV | But they did not understand what he was saying to them. |
註解: あるいは「父の家」を肉の父ヨセフの家の意味に解したのか、またはここかしこ尋ね廻らずに父の家なる宮を尋ねたら見付かったはずではないか、との意味に解したのか、または父の家にいるべきであるからこれを尋ぬることをせず放置しておくべきであるとの意に解したのか、何れにしても両親にとっては多分に謎のごとき不可解なる語であった。ルカ1:26、ルカ1:32、ルカ1:35。ルカ2:10以下等を歴史的事実とすればマリヤはこのイエスの御言を解せざるはずなし(M0)とする意見はあまりに機械的に過ぐる見方である。
2章51節 かくてイエス彼等とともに下り、ナザレに往きて(服)[順]ひ事へたまふ。[引照]
口語訳 | それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。 |
塚本訳 | それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。 |
前田訳 | それから彼は両親といっしょに下ってナザレに行き、彼らに仕えておられた。母はこのことすべてを胸に秘めていた。 |
新共同 | それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 |
NIV | Then he went down to Nazareth with them and was obedient to them. But his mother treasured all these things in her heart. |
註解: イエスはかくその両親に従順に服従し給うた。神を父と仰ぐことは、肉の父を無視または排斥することではない。神に遵うが故にまた父母に服うのである。唯イエスにおいては特に父なる神のことを専念務むべき特別の任務がある故、そのために肉の父母を第二に置く場合があり得るのであって、これは天の父と肉の父との間に本質的矛盾背反があるのではなく、順序において等差があるのである(マタ10:37、38)。父母を無視したるがごとき49節の後に本節を録したるルカの注意深さを見よ。
辞解
[順ひ事ふ] hupotassomai は権威の下に服従すること、順よりも服に近し。
其の母これらの事をことごとく心に藏む。
註解: ルカ2:19参照。マリヤはイエスにつき最も多くの不思議を経験していた。それにもかかわらず親と子との間の自然の感も強く働いていたので、イエスを特別の神の子と感ずることにも困難があったであろう。それ故にかかる神秘的の事柄は常にマリヤの心の中に蔵されていた。ルカはこのマリヤよりこれら凡ての史的資料を得たものと思われる。この頃はザカリヤも、エリサベツも、シメオンも、アンナも、すでに世を去り、而して父ヨセフも間もなく他界したものと思われる。唯マリヤと後に生れしイエスの兄弟たちとが静かなる生活を送り、約二十年足らずをナザレに過したことと思われる。
2章52節 イエス智慧も身のたけも彌まさり、神と人とにますます愛せられ給ふ。[引照]
口語訳 | イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。 |
塚本訳 | イエスは知恵も身の丈も、”また神と人との寵愛も、いやましに増していった。” |
前田訳 | イエスは知恵も背たけも、神と人との恵みも増しに増していった。 |
新共同 | イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。 |
NIV | And Jesus grew in wisdom and stature, and in favor with God and men. |
註解: 40節と対比せよ。一段の成人となり給えることを示す。「愛せらる」は「恩恵において進歩した」とあり、神と人とより受くる恵みが増進せることを示す。「人」を加えたのはイエスはその公生涯に入り給うまでは他の人々との間に不和等がなかったことを示さんがためである。すなわち公生涯に入り給うまでは極めて善良なる一市民であった。
要義 [イエスの神の子としての意識]イエスが如何にして神の子たることを意識し、神を父と呼び給うたかは重大にして困難な問題である。聖霊によって孕んだことはマリヤもこれをイエスに告げなかったであろうと思われる。たとい告げても証拠もなく信じ得ない事柄だからである。また後に次第に発揮せられたその奇蹟力からでもない。唯イエスにおいてはその幼時より、己に不可抗力的に彼の心の中に神を父と感ぜざるを得ざる強力なる自意識があったようである。この事実は理論から生れた結論でもなく、また瞑想思索の結果到達した悟りでもなく、唯本能的、直感的に彼の中に起って来る心持であった。この内部意識が果して彼が真に神の子たる証拠なりや否やにつき、彼自身深く自ら考える必要があった。これを確めるまでは、彼の心の中に止むに罷まれない推進力を感ずる伝道心も、これを抑制しなければならなかった。かくて彼は独り荒野に退いて神よりこれに関する黙示を受けんがために断食して祈ったのであった。かくして彼がたしかに神の子でありキリストに在し給うことの確信に達し給うたのであった(なお荒野の試誘の項、マタ4:1−13参照)。この神の子としての子心の自覚はすでに十二歳のキリストにおいても顕れており、人々をして驚嘆せざるを得なくし、またその言葉を両親すら解し得ないほどであった。神とキリストとの関係は徹頭徹尾この中心に帰一していた。ヨハネ文書は殊にこの点を明らかに我らに示している。十二歳のキリストの記事は一つの切り離された物語ではなく、イエスの生涯を貫ける意識の一部分の記録であり、イエスの神性の本質を知る上の極めて貴重なる部分である。