黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第1章

分類
1 キリスト・イエスの顕現 1:1 - 2:23
1-1 イエスの系図 1:1 - 1:17
(ルカ3:23-38) 

1章1節 アブラハムの()、ダビデの()、イエス・キリストの系圖(けいづ)[引照]

口語訳アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
塚本訳アブラハムの末のダビデの末のイエス・キリストの系図──
前田訳アブラハムの子ダビデの子 イエス・キリストの系図。
新共同アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
NIVA record of the genealogy of Jesus Christ the son of David, the son of Abraham:
辞解
[イエス] 21節を見よ
[キリスト] 16節を見よ
要義 [特にこの二人の先祖の名を揚げた所以](1)キリストが人類の救世主として生まれ給える事は、偶然の出来事では無かった。単に一人の宗教的天才がたまたまユダヤの地に生まれたと言うのでは無く、神はその約束に従い彼をイスラエルの祖アブラハム、およびイスラエルの王ダビデの子孫として生まれしめ給うた。紀元前2000年ごろ、エホバの神はアブラハムに向かい「天下の(もろもろ)の宗族汝によりて福祉を得ん」(創12:2)といい給いた。また紀元前1000年ごろ、神はさらにダビデ王に向かい「汝の身より出づる汝の種子を汝の後にたててその国を堅うせん」と約束し給うた(Uサム7:12-16)。イエスによって神はこの約束を実現し、神が人類を愛し給うことのいかに宏遠(こうえん)であるかを示し給うた。(2)またアブラハムもダビデも共に信仰の模範であった(創15:6ロマ4:3。詩篇等)。これらの信仰の祖先より完全なる信仰の型なる主イエスは生まれ給うた。(3)マタイ伝は特にユダヤ人即ちイスラエル人に向かって著されし福音書である。ゆえにルカ伝におけるがごとく人類の祖まで遡らずして、ユダヤ人の祖およびユダヤ人の王を特にここに揚げたのである。以上の理由によりこの一節の中に旧約と新約の連鎖と福音の全体の要約とがある事を見る事ができる。

1章2節 アブラハム、イサクを()み、イサク、ヤコブを()み、ヤコブ、ユダとその兄弟(きゃうだい)らとを()み、[引照]

口語訳アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
塚本訳アブラハムの子はイサク、イサクの子はヤコブ、ヤコブの子はユダとその兄弟たち、
前田訳アブラハムはイサクの父、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟らの父、
新共同アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
NIVAbraham was the father of Isaac, Isaac the father of Jacob, Jacob the father of Judah and his brothers,
註解: ▲口語訳で「…を生み」を「…は…の父」と訳したのは原語を意訳したもので、RSVの影響を受けたのであろう。英語の語感として男子が子を産むということが奇異に思われるに至ったためであろう。原語のままで少しも差異がない。

1章3節 ユダ、タマルによりてパレスとザラとを()み、[引照]

口語訳ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
塚本訳ユダの(その嫁)タマルによる(不倫の)子はパレスとザラ、パレスの子はエスロン、エスロンの子はアラム、
前田訳ユダはタマルによるパレスとザラの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
新共同ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
NIVJudah the father of Perez and Zerah, whose mother was Tamar, Perez the father of Hezron, Hezron the father of Ram,
註解: タマルはユダの息子の嫁でパレスとザラは双子であった(創38章)。

パレス、エスロンを()み、エスロン、アラムを()み、

1章4節 アラム、アミナダブを()み、アミナダブ、ナアソンを()み、ナアソン、サルモンを()み、[引照]

口語訳アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
塚本訳アラムの子はアミナダブ、アミナダブの子はナアソン、ナアソンの子はサルモン、
前田訳アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
新共同アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
NIVRam the father of Amminadab, Amminadab the father of Nahshon, Nahshon the father of Salmon,

1章5節 サルモン、ラハブによりてボアズを()み、[引照]

口語訳サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
塚本訳サルモンの(遊女)ラハブによる子はボアズ、ボアズの(異教国モアブの女)ルツによる子はオベデ、オベデの子はエッサイ、
前田訳サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
新共同サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
NIVSalmon the father of Boaz, whose mother was Rahab, Boaz the father of Obed, whose mother was Ruth, Obed the father of Jesse,
註解: ラハブはエリコの町の遊女でカナン人であった。彼女は信仰のゆえに救はれたけれども、異邦人の血がイスラエルの中に入った事に注意すべきである(ヨシ2:1以下。ヘブ11:31ヤコ2:25。)。

ボアズ、ルツによりてオベデを()み、

註解: ルツはモアブの婦人であった(ルツ記参照)。

オベデ、エツサイを()み、

1章6節 エツサイ、ダビデ(わう)()めり。[引照]

口語訳エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、
塚本訳エッサイの子はダビデ王である。ダビデの(将軍)ウリヤの妻による子はソロモン、
前田訳エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父、
新共同エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
NIVand Jesse the father of King David. David was the father of Solomon, whose mother had been Uriah's wife,
註解: 特にダビデのみを王と呼びし所以は、キリストにこの王位が約束せられていたからである。

ダビデ、ウリヤの(つま)たりし(をんな)によりてソロモンを()み、

註解: ダビデは驚くべき姦淫の罪を犯し、これと共に殺人の罪をも重ねた(Uサム11:2-12)。ソロモン以下はマタイ伝とルカ伝とが各々別の系統をたどっている。▲▲ソロモン以下11節のエコニヤまでは北朝歴代の王の名前(若干の省略あり)。

1章7節 ソロモン、レハベアムを()み、レハベアム、アビヤを()み、アビヤ、アサを()み、[引照]

口語訳ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、
塚本訳ソロモン(王)の子はレハベアム、レハベアム(王)の子はアビヤ、アビヤ(王)の子はアサ、
前田訳ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、
新共同ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、
NIVSolomon the father of Rehoboam, Rehoboam the father of Abijah, Abijah the father of Asa,

1章8節 アサ、ヨサパテを()み、ヨサパテ、ヨラムを()み、ヨラム、ウジヤを()み、[引照]

口語訳アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、
塚本訳アサ(王)の子はヨサパテ、ヨサパテ(王)の子はヨラム、ヨラム(王)の子はウジヤ、
前田訳アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、
新共同アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、
NIVAsa the father of Jehoshaphat, Jehoshaphat the father of Jehoram, Jehoram the father of Uzziah,
註解: ヨラムとウジヤとの間にあるアハジヤ、ヨアシ、アマジヤの三代は比較的重要でないのでマタイはこれを省略した。

1章9節 ウジヤ、ヨタムを()み、ヨタム、アハズを()み、アハズ、ヒゼキヤを()み、[引照]

口語訳ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
塚本訳ウジヤ(王)の子はヨタム、ヨタム(王)の子はアハズ、アハズ(王)の子はヒゼキヤ、
前田訳ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
新共同ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、
NIVUzziah the father of Jotham, Jotham the father of Ahaz, Ahaz the father of Hezekiah,

1章10節 ヒゼキヤ、マナセを()み、マナセ、アモンを()み、アモン、ヨシヤを()み、[引照]

口語訳ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、
塚本訳ヒゼキヤ(王)の子はマナセ、マナセ(王)の子はアモン、アモン(王)の子はヨシヤ、
前田訳ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、
新共同ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、
NIVHezekiah the father of Manasseh, Manasseh the father of Amon, Amon the father of Josiah,

1章11節 バビロンに(うつ)さるる(ころ)[引照]

口語訳ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。
塚本訳ヨシヤ(王)の子は、バビロン追放の当時、エコニヤ(王)とその兄弟たちであった。
前田訳ヨシヤはバビロン追放のころエコニヤとその兄弟らの父となった。
新共同ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
NIVand Josiah the father of Jeconiah and his brothers at the time of the exile to Babylon.
註解: 紀元前587年ごろバビロン王ネブカデネザルの臣エルサレムを攻略し、その金銀財宝を掠めその人民の有力者をバビロンに移した。

ヨシヤ、エコニヤとその兄弟(きゃうだい)らとを()めり。

1章12節 バビロンに(うつ)されて(のち)、エコニヤ、サラテルを()み、サラテル、ゾロバベルを()み、[引照]

口語訳バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、
塚本訳バビロン追放の後、エコニヤの子はサラテル、サラテルの子はゾロバベル、
前田訳バビロン追放ののち、エコニヤはサラテルの父、サラテルはゾロバベルの父、
新共同バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、
NIVAfter the exile to Babylon: Jeconiah was the father of Shealtiel, Shealtiel the father of Zerubbabel,
辞解
[エコニヤ] ▲またの名はエホヤキン。T歴3:16U歴36:9
[サラテル] ▲▲またはシヤテル。エズ3:2参照。

1章13節 ゾロバベル、アビウデを()み、アビウデ、エリヤキムを()み、エリヤキム、アゾルを()み、[引照]

口語訳ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
塚本訳ゾロバベルの子はアビウデ、アビウデの子はエリヤキム、エリヤキムの子はアゾル、
前田訳ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
新共同ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、
NIVZerubbabel the father of Abiud, Abiud the father of Eliakim, Eliakim the father of Azor,

1章14節 アゾル、サドクを()み、サドク、アキムを()み、アキム、エリウデを()み、[引照]

口語訳アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、
塚本訳アゾルの子はサドク、サドクの子はアキム、アキムの子はエリウデ、
前田訳アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、
新共同アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、
NIVAzor the father of Zadok, Zadok the father of Akim, Akim the father of Eliud,

1章15節 エリウデ、エレアザルを()み、エレアザル、マタンを()み、マタン、ヤコブを()み、[引照]

口語訳エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、
塚本訳エリウデの子はエレアザル、エレアザルの子はマタン、マタンの子はヤコブ、
前田訳エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、
新共同エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、
NIVEliud the father of Eleazar, Eleazar the father of Matthan, Matthan the father of Jacob,

1章16節 ヤコブ、マリヤの(をっと)ヨセフを()めり。()のマリヤよりキリストと(とな)ふるイエス(うま)(たま)へり。[引照]

口語訳ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。
塚本訳ヤコブの子はマリヤの夫ヨセフで、このマリヤから救世主と呼ばれるイエスがお生まれになった。
前田訳ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であり、彼女からキリストといわれるイエスがお生まれになった。
新共同ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
NIVand Jacob the father of Joseph, the husband of Mary, of whom was born Jesus, who is called Christ.
註解: ヨセフはキリストの肉体上の父ではなく、戸籍上の父であった。
辞解
[キリスト] キリストなる名称は元来人名ではなく、アラミ語のメシヤすなわち油注がれし者の意である。王、祭司、預言者等が特に神より任命される場合に油を注がれる習慣があった。イエスはすなわちこの油注がれし救世主であった。イエスはギリシャ名でヘブル名のヨシュアに相当し「エホバは救いなり」との意味である。

1章17節 されば(すべ)()をふる(こと)、アブラハムよりダビデまで十四代(じふよだい)、ダビデよりバビロンに(うつ)さるるまで十四代(じふよだい)、バビロンに(うつ)されてよりキリストまで十四代(じふよだい)なり。[引照]

口語訳だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。
塚本訳すなわち、アブラハムからダビデまで合計十四代、ダビデからバビロン追放まで十四代、バビロン追放から救世主まで十四代である。
前田訳すなわち代をあわせるとアブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロン追放まで十四代、そしてバビロン追放からキリストまで十四代である。
新共同こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。
NIVThus there were fourteen generations in all from Abraham to David, fourteen from David to the exile to Babylon, and fourteen from the exile to the Christ.
註解: 14は7の2倍、7は完全を示しユダヤ人特愛の数である。第2段は13代である。マタイはおそらくダビデを2度数えたのであろう。
要義 [イエスの系図の特徴] 最も神聖なるべき主イエスの伝記の中に、ユダヤの習慣に反して四人の女性の名称(タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻)をあげており、かつその中の二人は異邦人で、三人は不倫の関係であったことは特に注意を要することであって、一見するところ聖経の第一ページはこれらの婦人によって汚されしごとくに見える。しかしながらこれには深き意義あることであって(1)人間の歴史はこのすべての不潔のままに神の御前に明らかで、これを隠すことができず、東洋の英雄の伝記のごとくその汚点を隠して美点のみを摘出することは神の前には無効であることを示し、(2)ユダヤ人はその血統を誇り、かつメシヤを以って自国民のための救い主と考えていたことに対し、この最も尊敬する彼らのメシヤの血統の中にも汚れがあり、また異邦人の血も混じていることを明らかにして、ユダヤ人の高慢を(くじ)き、(3)また人類の罪がいかに深くとも、神はその約束を空に帰し給うことなく彼らの罪を潔め、彼らを救いて栄誉の地位に置くことを得た給うことを示して、人類に希望を与えているのである。マタイ伝開巻第一の乾燥無味なる人名の羅列の中にも、神の驚くべき教訓が含まれていることを見逃してはならない。

1-2 イエスの降誕 1:18 - 1:25
(ルカ1:26以下) 

1章18節 イエス・キリストの誕生(たんじゃう)(ひだり)のごとし。その(はは)マリヤ、ヨセフと許嫁(いいなづけ)したるのみにて、(いま)(とも)にならざりしに、(せい)(れい)によりて(みごも)り、その(みごも)りたること(あらは)れたり。[引照]

口語訳イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
塚本訳さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。
前田訳イエス・キリストの生誕はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、彼らがいっしょになる前に、聖霊で身ごもったことがわかった。
新共同イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
NIVThis is how the birth of Jesus Christ came about: His mother Mary was pledged to be married to Joseph, but before they came together, she was found to be with child through the Holy Spirit.
註解: 人類ありて以来唯一の例外的誕生法であった。ルカ伝は一層詳細にこの事情を記している(ルカ1:26以下を参照せよ)。

1章19節 (をっと)ヨセフは(ただ)しき(ひと)にして、(これ)公然(おほやけ)にするを(この)まず、(ひそか)離縁(りえん)せんと(おも)ふ。[引照]

口語訳夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
塚本訳夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。
前田訳夫ヨセフは正しい人で、彼女をさらしものにすることを欲せず、ひそかに彼女と別れたく思った。
新共同夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
NIVBecause Joseph her husband was a righteous man and did not want to expose her to public disgrace, he had in mind to divorce her quietly.
註解: もしこれを公然にする場合にはマリアは姦淫罪に問われ石にて僕殺されるのである(申22:20、21)。これを行わなかった寛容の態度と、こうした女をそのままに(めと)ることをしなかった点とがヨセフの「正しさ」であった

1章20節 かくて、これらの(こと)(おも)(めぐ)らしをるとき、()よ、(しゅ)使(つかひ)(ゆめ)(あらは)れて()[引照]

口語訳彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
塚本訳しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。
前田訳彼がこのことを考えているころ、見よ、主の使いが夢の中に彼に現われていった、「ダビデの子ヨセフよ、おそれずなんじの妻マリヤを迎えよ、彼女が宿すものは聖霊によるから。
新共同このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
NIVBut after he had considered this, an angel of the Lord appeared to him in a dream and said, "Joseph son of David, do not be afraid to take Mary home as your wife, because what is conceived in her is from the Holy Spirit.
註解: 正しき者の悩みは神必ずこれを解決し給う。
辞解
[視よ] 読者の注意を引かんとする時に用いられる慣用語。
[夢] マタイに特に多く記されている

『ダビデの()ヨセフよ、(つま)マリヤを()るる(こと)(おそ)るな。その(たい)宿(やど)(もの)(せい)(れい)によるなり。

註解: 天の使いより「ダビデの子よ」と呼ばれてヨセフはその地位の重大さを意識したことであろう。この呼びかけはメシヤすなわち救い主に対して用いられる用語である。そしてこの言葉をきいてマリヤの胎に宿れる子につきて、何らかある重大なる神の御旨があることを覚ったことであろう。

1章21節 かれ()()まん、(なんぢ)その()をイエスと()づくべし。(おの)(たみ)をその(つみ)より(すく)(たま)(ゆゑ)なり』[引照]

口語訳彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
塚本訳男の子が生まれるから、その名をイエス[訳すると、神はお救いになる]とつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」
前田訳彼女は男の子を生もう。彼の名をイエスとつけよ、彼こそその民をもろもろの罪から救おうから」と。
新共同マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
NIVShe will give birth to a son, and you are to give him the name Jesus, because he will save his people from their sins."
註解: ヨセフはイエスの誕生に関与しなかったのみならず、その命名にも関係がなかった。彼は神の子に在りし給うたからである。「己が民」はイスラエルの民である。けれども、救いは元来イスラエルを通して世界の万民に及ぶべきであって(創12:3)、不思議なる摂理によりてイエスの救は万人に及んだ。「罪よりの救」は人間に取って最も必要なることであり、罪に囚われし人類をその捕囚より解放し、すべての罪を赦して彼に新生命を与え永遠の生命を継がしめ給う、これがイエスのこの世に来たり給う目的であった。ゆえにイエスの救いはユダヤ人の考えしごとき外国の圧迫よりの救いでは無い。ゆえにイエスはローマ帝国の圧迫よりイスラエルを救うべきメシヤとしては来たり給わなかった。

1章22節 すべて()(こと)(おこ)りしは、預言者(よげんしゃ)によりて(しゅ)()(たま)ひし(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。[引照]

口語訳すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
塚本訳これはみな、主が預言者(イザヤ)をもって言われた言葉が成就するためにおこったのである。──
前田訳これらすべてがおこったのは、預言者によって主がいわれたことの成就されるためであった。いわく、
新共同このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
NIVAll this took place to fulfill what the Lord had said through the prophet:
註解: イエスがメシヤに在するならば、その御生涯は必ず旧約聖書の預言に応えるべきである。ゆえに マタイは旧約聖書よりの引照によりて彼のメシヤに在し給う証明とした。この福音書に旧約の預言の引用による証明は非常に多い (マタ2:15マタ2:17マタ2:23マタ5:18マタ8:17マタ12:17その他) のはユダヤ人を目的とせる福音書だからであって、これにより旧約と新約の密接な関係が明らかにせられている。

(いは)く、

1章23節 ()よ、處女(をとめ)みごもりて()()まん。その()はインマヌエルと(とな)へられん』(これ)()けば、(かみ)われらと(とも)(いま)すといふ(こころ)なり。[引照]

口語訳「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
塚本訳“見よ、乙女が身重になって男の子を産み、人はその(子の)名をインマヌエルと呼ぶであろう。”インマヌエルを訳すると“神はわれらと共なり”である。
前田訳「見よ、おとめが身ごもって男の子を生み、人々は彼の名をインマヌエルと呼ぼう」と。訳せば、「神われらとともに」の意味である。
新共同「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
NIV"The virgin will be with child and will give birth to a son, and they will call him Immanuel" --which means, "God with us."
註解: 聖霊が預言者イザやに臨み、かれをしてこの大預言を語らせしめたのである(引照1)。キリストの降生まではこの預言の意味は解らなかった。「インマヌエル」はヘブル語であってその意味はキリストの性質に最も相応しく、旧約時代の無形の臨在が(申7:21詩132:14詩80:1)事実的の臨在となったことを示す。

1章24節 ヨセフ(ねむり)より()き、(しゅ)使(つかひ)(めい)ぜし(ごと)くして(つま)()れたり。[引照]

口語訳ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
塚本訳ヨセフは眠りから覚めると、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を(家に)迎えた。
前田訳ヨセフは眠りから覚めて主の使いが彼に命じたようにし、彼の妻を迎えた。
新共同ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
NIVWhen Joseph woke up, he did what the angel of the Lord had commanded him and took Mary home as his wife.
註解: 神の子を託せられるべき父として(まこと)相応(ふさわ)しき従順を示した

1章25節 されど()(うま)るるまでは、(あひ)()(こと)なかりき。[引照]

口語訳しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
塚本訳しかし、子が生まれるまでは、一緒にならなかった。そして(子が生まれると、)その名をイエスとつけた。
前田訳しかし彼女が男の子を生むまでは彼女と相知らなかった。そして彼の名をイエスとつけた。
新共同男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
NIVBut he had no union with her until she gave birth to a son. And he gave him the name Jesus.
註解: 生まれて後に相知るに至ったので、マリヤが終生童貞であったのではない(マタ12:46マタ13:55)。

かくてその()をイエスと()づけたり。

註解: 21節に従った命名である。
要義1 [処女懐胎について] 処女懐胎はあり得べからざる事であるという前提の下に、この記事に対し種々の反対が試みられている。すなわちこれはキリスト御在世当時およびその死後しばらくの間は存在せず、その後の年代に発生せる信仰であって、したがって事実ではないと主張するもの、または全然無知の時代の迷信として否定し去るもの、その他である。しかしながらもし我らの心が直接に天地の創造主に在りし給う神の御前に出で、そこにこの問題について熟考するならば、人類その他の生物が男女雌雄の結合によりて生殖するという事実はなんら必然のものにあらず、また偶然のものにもあらず、ただ神の意思によりてかかるものに創造せられたのであることを知るであろう。その自由の意思によりてかく定め給える神は、またその自由の意思によりて、その一般の方法と異なれる方法を用い給うことができるはずである。神が絶対にかかることを為し給わず、また為し得ないと断定するのは人間の僭越である。しかりのみならずキリスト・イエスが、特にかかる方法にて生まれ給うべき理由として次の点を考えることができる。(い)その一は神の独り子、人類の救い主が生まれ給うときにはこの最も特別の方法を用い給うことはあり得べきである。神の独り子の誕生というごとき事実は宇宙幾億年の歴史における空前絶後の事実で最も特異なる方法によりて顕れることは当然である。(ろ)アダムの裔はすべてアダムの性質を受けて罪人として生まれている。この罪人を救わんがために罪なき人すなわち第二のアダムが生まれることが必要であり、そしてこの第二のアダムはアダムの裔より出ないことが必要であった。しからざれば彼も同じく罪人となるからである。それゆえに彼は聖霊によりてまったく新たなる人として生まれ給うたのである。しかし彼はまた同時に「婦の裔」であり(創3:15)、かつ「我らの弱きを思い遣ることを得る人」でなければならなかった(ヘブ4:15)。この意味において彼は人としてマリヤより生まれ給うたのである。
要義2 [預言およびその成就について] 預言は神より選ばれし預言者が神の霊に感じて語った言葉であって、聖書特に旧約聖書の中に多く載せられている。それゆえに神の意思の表現であって必ず成就すべきものである。しかしながら預言者は預言する際に、数百年後に起こるべき事実を完全に明瞭に察知して言っているものと解する必要はない。彼自身はその当時の時事問題に関して神の黙視を語っている間に、神は彼の口を通してその聖旨を預言せしむる場合があるのである。かかる場合には預言者は無意識に神の器となっているのである。カヤパの預言のごときもこの種類に属している(ヨハ11:47-53)。ゆえに預言者自身の意識せる意味のみを取りてその預言的性質を否定せんとするのは、隠れたる神の御手を認めない誤った議論である。
附記 [第23節について] この節をもって、イザヤがキリストについて預言せるものにあらずとする説がある。その理由とするところは(1)この節はアハズの子ヒゼキヤについて言えるものであってキリストとは無関係であること(2)ここに「処女」と称せられし文字parthenosはヘブル文字アルマーの70人訳に相当する文字であってアルマーは「妙齢の婦人」を意味し必ずしも「処女」を意味しないこと等である。しかしながら70人訳がこれを「処女」と称せるゆえんは、その当時この語がこの意味に解される場合が多かりしことを示し、またヒエロニスムも言えるごとく、旧約聖書においてはアルマーは常に処女の場合にのみ用いられ、かつヒゼキヤのごとき愚王に関する預言としてはインマヌエルなる名称は当たらない。ゆえにこのイザ7:14の語はイザヤが聖霊に感じてキリストにつきて預言せるものであると解すべきである(Z0、C1参照)。

マタイ伝第2章
1-3 東方博士の来訪 2:1 - 2:12

註解: 救い主の降臨を第一に拝したのは、ベツレヘムの野の牧羊者と遥か遠方なる東方の博士達であった。選民なるイスラエルはその祭司制度と律法主義の上に立ちはだかり、預言者の言葉をば聴きてもこれを覚らずにいた。マタイはこの記事によりユダヤ人の不信を責め、彼らを恥しめんとしたのである。

2章1節 イエスはヘロデ(わう)(とき)、ユダヤのベツレヘムに(うま)(たま)ひしが、[引照]

口語訳イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
塚本訳さてイエスはヘロデ(大)王の代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったが、そのとき、東の国の博士たちがエルサレムに来て
前田訳イエスはユダヤのベツレヘムでヘロデ王のときお生まれになったが、見よ、東方から賢者たちがエルサレムへ来て、いう、
新共同イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
NIVAfter Jesus was born in Bethlehem in Judea, during the time of King Herod, Magi from the east came to Jerusalem
辞解
[ヘロデ王] ヘロデ大王と呼ばれ、エドム人であってロマ党であり、有名なる残虐の暴君であった。ヘロデ・アンテパス(マタ14:1)およびその弟アケラオ(マタ2:22)は共にその子でヘロデ・アグリッパ第一世(使12:1)はその孫、アグリッパ第二世(使25:13)はひ孫に当たる。
[ベツレヘム] エルサレムの南数里のところにありダビデの生まれし町であってダビデの町と称せられた「パンの家」という意味、ルカ2:1-7参照。

()よ、(ひがし)博士(はかせ)たちエルサレムに(きた)りて()ふ、

辞解
[東の博士] 古代ペルシャ、バビロニヤ等に住み天文学、占星術等に通じていた人々である

2章2節 『ユダヤ(びと)(わう)とて(うま)(たま)へる(もの)は、何處(いづこ)(いま)すか。(われ)(ひがし)にてその(ほし)()たれば、(はい)せんために(きた)れり』[引照]

口語訳「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
塚本訳言った、「(今度)お生まれになったユダヤ人の王[救世主]はどこにおられるか。われわれはそのお方の星が出るのを見たので、おがみにまいった。」
前田訳「お生まれになったユダヤ人の王はどこにおられるか。われらは彼の星を東方で見たので、彼を拝みに来ました」と。
新共同言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
NIVand asked, "Where is the one who has been born king of the Jews? We saw his star in the east and have come to worship him."
註解: 東方諸国にも、イスラエルより諸国民の祝福となるべき王が生まれるべきことの伝説が行われた。博士は特別の星によりてこのことが起こったことを知り、これに礼拝をささげんために千里を遠しとせずして来たのである。その謙虚その信仰はアブラハムの子等を恥しめることに充分であった。
辞解
[星] この星が何星であったかを確定することができるならば、主イエスの降誕の年月を知る上で有力なる材料となるのであって、従来多くの天文学者によりて試みられたけれどもなお確定することができない

2章3節 ヘロデ(わう)これを()きて(なや)みまどふ、エルサレムも(みな)(しか)り。[引照]

口語訳ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。
塚本訳(救世主が生まれたと)聞いて、ヘロデ王はもちろんエルサレム中の人々も王と共にうろたえた。
前田訳それを聞いてヘロデ王はうろたえた。全エルサレムもそうであった。
新共同これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
NIVWhen King Herod heard this he was disturbed, and all Jerusalem with him.
註解: ヘロデ王は新たなる王の誕生により自己の王位を失わんことを恐れ、エルサレムは政治的混乱の起こらんことを恐れた。正しきものの顕れるとき正しからざる者悩む。

2章4節 (わう)(たみ)祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)らを(みな)あつめて、キリストの何處(いづこ)(うま)るべきを()(ただ)す。[引照]

口語訳そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。
塚本訳そこで王は国の大祭司連、聖書学者たちを全部集めて、救世主はどこで生まれるべきであるかとたずねた。
前田訳彼は民の大祭司と学者らすべてを集めてたずねた、「どこにキリストがお生まれになるのか」と。
新共同王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
NIVWhen he had called together all the people's chief priests and teachers of the law, he asked them where the Christ was to be born.
註解: 彼らは聖書に精通していたからである。
辞解
[祭司長] 祭司長は本来アロンの後裔のみより一人選ばれた。けれどもこの頃は現職の祭司長のみならず、すべてこの職にありしものまたはその家族の有力なるものでもこの名称をもって呼んでいた。
[学者] 聖書に精通しこれを解釈し、また律法上の難問に答える職をもっていた。▲原語gramateusで口語訳ではこれを律法学者と訳しているが、この訳語はnomodidaskalos(文語訳-教法学者、口語訳-律法学者)nomikos(文語訳-教法師、口語訳-律法学者)と混同しやすい。大差はないにしても区別を示す方が望ましい。

2章5節 かれら()ふ『ユダヤのベツレヘムなり。それは預言者(よげんしゃ)によりて、[引照]

口語訳彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、
塚本訳彼らはこたえた、「ユダヤのベツレヘムで。預言者(ミカ)によって、こう書かれているからです。
前田訳彼らは答えた、「ユダヤのベツレヘムにです。預言者によってこのように書かれています、
新共同彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
NIV"In Bethlehem in Judea," they replied, "for this is what the prophet has written:

2章6節 「ユダの()ベツレヘムよ、(なんぢ)はユダの(をさ)たちの(うち)にて(いと)(ちひさ)(もの)にあらず、(なんぢ)(うち)より一人(ひとり)(きみ)いでて、わが(たみ)イスラエルを(ぼく)せん」と(しる)されたるなり』[引照]

口語訳『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。
塚本訳“お前、”ユダの地なる“ベツレヘムよ、お前はユダの町々の中で、最も劣っているものでは”決してない。“一人の偉大なる支配者がお前の中から出て、わが民イスラエルを牧するのだから。”」
前田訳『なんじユダの地のベツレヘムよ、なんじはユダの司(つかさ)たちのうちでいと小さきものでは決してない、なんじからこそ指導者が現われて、わが民イスラエルを牧するであろうから』と」。
新共同『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
NIV"`But you, Bethlehem, in the land of Judah, are by no means least among the rulers of Judah; for out of you will come a ruler who will be the shepherd of my people Israel.' "
註解: 彼らはミカ5:1ヨハ7:42参照)を引用して直ちに適切なる答えを与えることができた。しかし悲しいかな彼らは聖書の文字を発見するのみで、キリスト御自身を発見することができなかった。博士は聖書を知らずしてキリストを発見し、学者、祭司長らは聖書に精通しておりながらキリストを見出させなかった。
辞解
[ユダの長等] または「ユダの町々」とも訳さる。ユダヤ人は多くの宗族(やから)に別れその族長が居住する町を表していた。
[最も小さきものにあらず] メシヤの生まれるべき土地であるから神の前には大きい町である。
[牧せん] 牧羊者が羊に対するごとき愛を持って

2章7節 ここにヘロデ(ひそか)博士(はかせ)たちを(まね)きて、(ほし)(あらは)れし(とき)詳細(つまびらか)にし、[引照]

口語訳そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
塚本訳そのあとヘロデは内証で博士たちを呼びよせ、(最初に)星の現われた時間を彼らに確かめた上で、
前田訳そこでヘロデはひそかに賢者たちを呼んで星の現われた時を聞きただした。
新共同そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
NIVThen Herod called the Magi secretly and found out from them the exact time the star had appeared.
註解: 「密かに」招いたのはその計略の暴露せざるがため、「星の現われし時」を尋ねたのは嬰児を殺戮せんがためであった、ここに彼の政治的狡猾と用意周到さを見ることができる。

2章8節 (かれ)らをベツレヘムに(つかは)さんとして()ふ『()きて幼兒(をさなご)のことを(こまか)にたづね、(これ)にあはば(われ)()げよ。(われ)()きて(はい)せん』[引照]

口語訳彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
塚本訳こう言ってベツレヘムへやった、「行って幼児の居所を丹念に捜し、見つけ次第、報告せよ。自分も言っておがみたいから。」
前田訳そして彼らをベツレヘムへつかわそうとしていった、「出かけて幼子(おさなご)をくまなくたずね、見つけ次第わたしに知らせなさい。わたしも訪れて彼を拝みましょう」と。
新共同そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
NIVHe sent them to Bethlehem and said, "Go and make a careful search for the child. As soon as you find him, report to me, so that I too may go and worship him."
註解: 悪魔は常に神の子を陥れんと努力している、ここにもヘロデは「我も往きて拝せん」と言い敬虔を装って神の子を襲わんとしているのである。心にもあらずして敬虔の言を発する者はこのヘロデに等しき偽善者である。

2章9節 (かれ)(わう)(ことば)をききて()きしに、()よ、(まへ)(ひがし)にて()(ほし)(さき)だちゆきて、幼兒(をさなご)(いま)すところの(うへ)(とどま)る。[引照]

口語訳彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
塚本訳王の言葉を聞いて博士たちが出かけると、見よ、(前に東の国で)出るのを見た星が彼らの先に立って、幼児のいる所の上まで行って止まった。
前田訳王のいうことを聞いて彼らは出かけた。すると見よ、彼らが東方で見た星が彼らに先立ち、幼子のいるところの上まで行って止まった。
新共同彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
NIVAfter they had heard the king, they went on their way, and the star they had seen in the east went ahead of them until it stopped over the place where the child was.
註解: この地方の習慣に従い博士たちは夜旅立したことであろう。然るに星は彼らを導いて幼児の在すところを知らしめた。聖書によりて導かれる者もまたかくのごとくである。

2章10節 かれら(ほし)()て、歡喜(よろこび)(あふ)れつつ、[引照]

口語訳彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
塚本訳彼らはその星を見たとき、大喜びに喜んだ。
前田訳彼らはその星を見て大よろこびによろこんだ。
新共同学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
NIVWhen they saw the star, they were overjoyed.
註解: 前に東にて見し星に再会し、いよいよその目的の達成が確かであったので歓喜に堪えなかった。長き霊の苦悶の旅行の後に、イエスを見出したときの歓喜はこれと同一である。

2章11節 (いへ)()りて、幼兒(をさなご)のその(はは)マリヤと(とも)(いま)すを()平伏(ひれふ)して(はい)し、かつ(たから)(はこ)をあけて、黄金(わうごん)乳香(にうかう)沒藥(もつやく)など禮物(れいもつ)(ささ)げたり。[引照]

口語訳そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
塚本訳家に入って、幼児が母マリヤと共にいるのを見ると、ひれ伏しておがみ、宝箱を開いて、“黄金、乳香、”没薬を“贈物として”捧げた。
前田訳そして家に入って幼子が母マリヤとともにあるのを見、伏して彼を拝んだ。そして宝の箱を開いて、こがね、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)を贈り物としてささげた。
新共同家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
NIVOn coming to the house, they saw the child with his mother Mary, and they bowed down and worshiped him. Then they opened their treasures and presented him with gifts of gold and of incense and of myrrh.
註解: 礼拝をなし宝物を献ずることは王者貴人に対する礼であった。東方の博士らは信仰によりかかる(いやし)の女とその子に対してこの態度を取ったのである。誠に幸福なる心の態度である。また彼らはその最も貴重なる献物をもって彼に(えっ)した。キリスト者はキリストに見ゆる時最も貴重なるもの、すなわち彼自身をささげなければならない。
辞解
[家に入りて] とあればもはや(うまや)ではなかった。(ロマ2:7)、おそらくイエスの誕生よりやや時日を経過した後のことであろう。
[黄金] 最も貴重の金属であって王としてのキリストを表し、「乳香」は一連の芳香を有する樹脂であって、アラビヤのサバに産し礼拝の際にこれを用いるゆえに神としてのキリストを意味し(出30:34-36)、「もつ薬」もおなじく樹脂であって死体に油注ぐ場合に用いる(出30:23)ゆえに十字架上に死に給いしキリストを意味すると解せられている(C1等)。または金は信仰(Tペテ1:7)、乳香は祈り(詩141:2)、もつ薬は死を示すとも解する。

2章12節 かくて(ゆめ)にてヘロデの(もと)(かへ)るなとの御告(みつげ)(かうむ)り、ほかの(みち)より(おの)(くに)()りゆきぬ。[引照]

口語訳そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
塚本訳それから夢で、ヘロデの所へ引き返すなとのお告げを受けたので、ほかの道から国へ帰っていった。
前田訳そしてヘロデのもとに帰るなと夢にお告げを受け、別の道からおのが国へと立ち去った。
新共同ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
NIVAnd having been warned in a dream not to go back to Herod, they returned to their country by another route.
註解: 彼らはヘロデを恐れずただ神のお告げに従った。神は己を信頼する者を護りその敵の巧を破り給う。
要義1 [キリスト降誕の人々に及ぼせる影響] キリストの降誕が人によりて種々異なった影響を与えていることに注意しなければならない。権勢欲、物質欲より外になきヘロデに取っては、キリストは邪魔者であって彼はあらゆる手段をもってこれを撲滅せんとした。祭司長、学者に取っては彼は研究の対象、好奇心の目的であって信仰の対象とはならなかった。ただ単純にして敬虔なる心を有する東方の博士(その他牧羊者、シメオン、アンナ等、ルカ伝参照)に取ってのみ彼はメシヤであり、王であり、礼拝の目的であった。今日もこれと同じく、真にキリストを拝する者は、権勢と富貴とに憧れている政治家でもなく、教会の監督神学者でもなく、また名義のみのキリスト者でもない、全く予期せざりし方面より来る敬虔なる人々であろう。
要義2 [政治家の宗教に対する態度] キリスト者はいわゆる政治家に戒心しなければならない。彼らはヘロデのごとく宗教をばあるいは邪魔者視してこれを撲滅せんとし、またはコンスタンチンのごとくにこれを利用せんがために懐柔せんと企てる。彼らの求むるところは世の権勢利益であり、キリスト者の求むるところは神の栄光である。相一致しないのは極めて自然の事柄である。ゆえに政治家の迫害があっても恐れるに足りない。神これを護り給うからである。同様に彼らに歓迎されるも喜とするに足らない、彼らの心は常に神に背かんとしているからである。
要義3 [博士来訪の物語より得る教訓] (1)聖書を神の言と信ずることは正しい。しかしながらこれを聖霊をもって読むことなしに単に知的研究の対象となし、一字一句を研究比較するだけでは、この祭司長学者らのごとく結局文字のみに精通してキリストを見失うに至るのである。聖書は聖霊の導きにより信仰をもってこれを読むとき始めてそこにキリストを発見することができるのであって、しからざれば結局空虚なる文学的知識たるに止まってしまうであろう(4、5節)。(2)神は漁夫に対しては魚により (ルカ5:1マタ17:27ヨハ21:6) 、病者に対しては治療により、学者に対しては星によりてご自身を示し給う(2節)。(3)礼拝と献身、これが信仰生活の基調である。礼拝とは単に教会の礼拝に出席することではなく、畏れ(あが)める心をもって神を拝することである。献身とは伝道専門家になることではなく、自分の身も魂も財もみな神のものとしてしまうことである。東方の博士の来訪により宝物をささげてキリストを拝したることは、この信仰の根本を示したものである。

1-4 エジプト逃亡と嬰児殺戮 2:13 - 2:18

2章13節 その()()きしのち、()よ、(しゅ)使(つかひ)(ゆめ)にてヨセフに(あらは)れていふ『()きて、幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へ、エジプトに(のが)れ、わが()ぐるまで彼處(かしこ)(とどま)れ。ヘロデ幼兒(をさなご)(もと)めて(ほろぼ)さんとするなり』[引照]

口語訳彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
塚本訳博士たちが帰ってゆくと、見よ、主の使いが(また)夢でヨセフに現われて言った、「起きて幼児とその母とを連れてエジプトに逃げ、わたしが言うまでそこにおれ。ヘロデがその幼児をさがして殺そうともくろんでいるから。」
前田訳彼らが帰り去ったとき、見よ、主の使いが夢の中でヨセフに現われていう、「起きて幼子と母を伴い、エジプトにのがれよ。そしてなんじに(ふたたび)いうまでそこにとどまれ、ヘロデが幼子を探して殺そうとしているから」と。
新共同占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
NIVWhen they had gone, an angel of the Lord appeared to Joseph in a dream. "Get up," he said, "take the child and his mother and escape to Egypt. Stay there until I tell you, for Herod is going to search for the child to kill him."
註解: この物語もマタイ伝のみにあって他にはない。神の子がその国に来たり給いしにその民彼を迎えず(ヨハ1:11)、かえって日陰者のごとき運命に逢い給うた。これ人類がサタンの支配の下にあり、サタンはヘロデを用いて神の子を迫害したからである。

2章14節 ヨセフ()きて、(よる)(うち)幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へて、エジプトに()りゆき、[引照]

口語訳そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
塚本訳そこでヨセフは起きて、夜のあいだに幼児とその母とを連れてエジプトに立ちのき、
前田訳彼は起きて、夜のうちに幼子と母を伴ってエジプトへ立ち去った。
新共同ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
NIVSo he got up, took the child and his mother during the night and left for Egypt,

2章15節 ヘロデの()ぬるまで彼處(かしこ)(とどま)りぬ。[引照]

口語訳ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。
塚本訳ヘロデが死ぬまでそこにいた。主が預言者(ホセア)をもって“わたしはエジプトからわが子を呼び出した”と言われた言葉が成就するためであった。
前田訳そしてそこにヘロデの死までとどまった。それは預言者によって主がいわれたことの成就するためであった、「エジプトからわが子を呼んだ」と。
新共同ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
NIVwhere he stayed until the death of Herod. And so was fulfilled what the Lord had said through the prophet: "Out of Egypt I called my son."
註解: ヨセフは夢見るやいなやその夜中に出発した。神の御旨に対してはかくのごとくに従順でなければならない、またこの態度にヨセフの従順なる性質を見ることができる

これ(しゅ)預言者(よげんしゃ)によりて『(われ)エジプトより()()()(いだ)せり』と()(たま)ひし(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。

註解: ホセア書(引照2)には「我が子」はイスラエルの国民を意味する。マタイはこれをキリストのエジプトに逃れて、再び還り給えることの預言と解した。

2章16節 ここにヘロデ、博士(はかせ)たちに(すか)されたりと(さと)りて、(はなは)だしく(いきど)ほり、(ひと)(つかは)し、博士(はかせ)たちに()りて詳細(つまびらか)にせし(とき)(はか)り、ベツレヘム(およ)(すべ)てその(ほとり)地方(ちはう)なる、()(さい)以下(いか)(をとこ)()をことごとく(ころ)せり。[引照]

口語訳さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
塚本訳あとでヘロデは、博士たちに出し抜かれたことを知って非常に怒り、ベツレヘムをはじめ、その地方全体にいる男の子のうち、(前に)博士たちに確かめておいた時間で計算して、二歳以下の者を、一人のこらず殺させた。
前田訳そこでヘロデは賢者たちにだまされたと知って大いに怒った。そして人をつかわし、賢者たちから聞きただした時にもとづいて、ベツレヘムとその地方全体にいた二歳以下の男の子を皆殺しにさせた。
新共同さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
NIVWhen Herod realized that he had been outwitted by the Magi, he was furious, and he gave orders to kill all the boys in Bethlehem and its vicinity who were two years old and under, in accordance with the time he had learned from the Magi.
註解: 彼は一歳以下にては満足せず二歳以下の嬰児および、ベツレヘムのみにては不安であってその近辺にまでおよぼした。しかし神の保護の下にその身を託する者は、暴君の用意周到なる計画をも裏切ることができる。▲「時を計り」は口語訳「時に基いて」が正確である。kata

2章17節 ここに預言者(よげんしゃ)エレミヤによりて()はれたる(ことば)成就(じゃうじゅ)したり。(いは)く、[引照]

口語訳こうして、預言者エレミヤによって言われたことが、成就したのである。
塚本訳その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
前田訳そこで預言者エレミヤによることばは成就した、
新共同こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
NIVThen what was said through the prophet Jeremiah was fulfilled:

2章18節 (こゑ)ラマにありて(きこ)ゆ、慟哭(なげき)なり、いとどしき悲哀(かなしみ)なり。ラケル(おの)()らを(なげ)き、()()のなき(ゆゑ)(なぐさ)めらるるを(いと)ふ』[引照]

口語訳「叫び泣く大いなる悲しみの声がラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。
塚本訳“声がラマに聞えた、──(ラケルの)”はげしい“わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。”
前田訳「声がラマに聞こえた、それは大きななげきと叫びであった。ラケルはその子らを思って泣き、慰められようとしなかった、子らはもはやいなかったから」と。
新共同「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」
NIV"A voice is heard in Ramah, weeping and great mourning, Rachel weeping for her children and refusing to be comforted, because they are no more."
註解: エレ31:15より引用したのであって、該節はエフライム族の祖なるラケルがユダヤ人がバビロンに捕らわれていったことを嘆いていることを意味している。ラケルがベツレヘム人の先祖であり、かつその墓がベツレヘムの近くにある(創35:19)のでマタイはこの預言とこの嬰児殺戮の事実とを連結したのであろう。
辞解
[ラマ] エルサレムの北56里のところにあり、バビロン捕囚の徒が幽閉せられていたところである。ラケルの慟哭がそこまで聞こえたとのことである。

1-5 イエス、ナザレに人となり給う 2:19 - 2:23

2章19節 ヘロデ()にてのち、()よ、(しゅ)使(つかひ)(ゆめ)にてエジプトなるヨセフに(あらは)れて()ふ、[引照]

口語訳さて、ヘロデが死んだのち、見よ、主の使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った、
塚本訳ヘロデが死ぬと、主の使いが夢でエジプトのヨセフに現われて
前田訳ヘロデが死んだとき、見よ、主の使いが夢の中でエジプトのヨセフに現われていう、
新共同ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
NIVAfter Herod died, an angel of the Lord appeared in a dream to Joseph in Egypt

2章20節 ()きて、幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へ、イスラエルの()にゆけ。幼兒(をさなご)生命(いのち)(もと)めし(もの)どもは()にたり』[引照]

口語訳「立って、幼な子とその母を連れて、イスラエルの地に行け。幼な子の命をねらっていた人々は、死んでしまった」。
塚本訳言った、「起きて、幼児とその母とを連れて、イスラエル(の民)の地に行け。その幼児の命をねらっていた者は死んだから。」
前田訳「起きて幼子と母を伴い、イスラエルの地に行け、幼子のいのちをうかがうものどもは死んだから」と。
新共同言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
NIVand said, "Get up, take the child and his mother and go to the land of Israel, for those who were trying to take the child's life are dead."
註解: ヘロデは嬰児殺戮後まもなく恐ろしい熱病にかかり、その内臓は虫に蝕まれ、絶望の中に死んだ。

2章21節 ヨセフ()きて、幼兒(をさなご)とその(はは)とを(たづさ)へ、イスラエルの()(いた)りしに、[引照]

口語訳そこでヨセフは立って、幼な子とその母とを連れて、イスラエルの地に帰った。
塚本訳そこでヨセフは起きて、幼児とその母とを連れて、イスラエルの地にかえった。
前田訳彼は起きて幼子と母を伴い、イスラエルの地に入った。
新共同そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
NIVSo he got up, took the child and his mother and went to the land of Israel.

2章22節 アケラオその(ちち)ヘロデに(かわ)りてユダヤを(をさ)むと()き、彼處(かしこ)()くことを(おそ)る。[引照]

口語訳しかし、アケラオがその父ヘロデに代ってユダヤを治めていると聞いたので、そこへ行くことを恐れた。そして夢でみ告げを受けたので、ガリラヤの地方に退き、
塚本訳しかしアケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞き、恐ろしくなってユダヤへ行かずにいると、また夢でお告げを受けたので、(ユダやをやめて)ガリラヤ地方に引っ込み、
前田訳しかしアケラオが父ヘロデにかわってユダヤを治めると聞いてそこに行くことをおそれ、夢にお告げを受けてガリラヤ地方に立ち去った。
新共同しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
NIVBut when he heard that Archelaus was reigning in Judea in place of his father Herod, he was afraid to go there. Having been warned in a dream, he withdrew to the district of Galilee,
辞解
[アケラオ] アケラオはヘロデ王とサマリヤ夫人との間の子、9年間位にあり、実は王位に登らず諸侯であった

また(ゆめ)にて御告(みつげ)(かうむ)り、ガリラヤの地方(ちはう)退(しりぞ)き、

2章23節 ナザレといふ(まち)(いた)りて()みたり。[引照]

口語訳ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。
塚本訳ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレ人と言われる」と、預言者たちをもって言われた言葉が成就するためであった。
前田訳そしてナザレという町に来て居を定めた。それは預言者たちのことば「彼はナザレ人と呼ばれよう」が成就するためであった。
新共同ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
NIVand he went and lived in a town called Nazareth. So was fulfilled what was said through the prophets: "He will be called a Nazarene."
註解: マタイはナザレがヨセフ、マリヤの故郷であったことをば省略している。

これは預言者(よげんしゃ)たちに()りて、『(かれ)はナザレ(びと)()ばれん』と()はれたる(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。

註解: 正確に旧約聖書を引用したものではない、ゆえに「預言者たち」という。イザ11:1にキリストの預言としてエッサイの株より出づる「芽」なる話あり、芽の原語はネゼルである。マタイはこれとナザレとを掛けこの節の意味を引用したのであろう。
要義1 [新生命は迫害に逢う] 土より萌え出でしばかりの新芽が常に虫類に害せられると同じく、人の中に新たに萌え出づる新生命も常に肉と世と悪魔とに迫害せられる。キリスト者の迫害はすなわちこれである。そしてこの迫害の初穂ともいうべきものはキリストが降誕と同時に逢い給いし迫害であった。一方彼の降誕を迎えしものは東方の博士の外、牧羊者、アンナ、シメオン等少数の人々に過ぎなかった(ルカ1、2章)にも関わらず、彼に対する迫害は非常に激しかった。キリスト者の新生に際してもこれと同一の現象が起こるのである。
要義2 [聖書におけるエジプトの意義] 聖書においてエジプトは常に「この世とその富」を代表する。ゆえにソドムと共に主の十字架の立っている場所とされている(黙11:8)。したがって神の民はその民の中より逃れなければならない(出エジプト記)。しかしながら時にはエジプトは神の民の祝福となった。ヨセフがここに逃れ、その兄弟を飢餓より救った場合、およびイエスがヘロデの迫害をそこに逃れ給えるがごとき場合がそれである。要するに「この世とその富」すなわちエジプトは、神これを用い給う場合には呪うべきものではないことを示しているのであろう。その他の場合においてはエジプトはキリスト者の留まるべきところではない。
附記 嬰児殺戮の物語がヨセフスのユダヤ歴史に記されていないがために、これを否定する人があるけれども当時ベツレヘムは小邑に過ぎなかったので、その中の2歳以下の嬰児の数も極めて少なく、かつ暴君ヘロデに取ってはかかる種類の残虐は茶飯事であったことを考えるとき、この理由はこの事実を否定するに充分ではない。