黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版使徒行伝

使徒行伝第7章

分類
2 エルサレムに於ける使徒の活動 3:1 - 7:60
2-5 ステパノの殉教 6:8 - 7:60
2-5-2 ステパノの大弁論 7:1 - 7:53

註解: 本章はステパノの激論とその殉教の死の記事である。使徒以外の証者の弁論が詳細に記載せられし唯一の例であって、これにより如何に聖霊の力の偉大なるかを示すと共に、ステパノの殉教の死が初代教会に於ける極めて重大なる事件であった事を示す。この弁論はイスラエルの歴史の要約であって、一見周知の事実のみを多く含む如くであり、又敵に対する攻撃力を有せざる事件を多く羅列している様にも思われる。しかしながら「この長き弁論を仔細に味読するならば、この中に何等無駄なるものなく、ステパノは必要に応じて非常に適切に語った事を充分に見出す事が出来るであろう」(C1)。ステパノの目的は彼を迫害する人々にイエス・キリストを示す事と、同時にイエスを迫害せる彼等自身の姿を反省せしむる事であった。而してステパノはイスラエルの歴史を以てイエスの姿とイエスの迫害者の姿とを示したのである。而して同時に「神の宮」や「モーセの律法」よりも更に深くその根底に立入り、形式と律法とを超越せる真の信仰に彼らを立たしめんとし、神の選びとその約束と、而して天に於ける神の宮なる復活のイエス・キリストとを示して彼らの誤謬を正さんとしたのである。

7章1節 (かく)(だい)祭司(さいし)いふ『(これ)()のこと(はた)して(かく)(ごと)きか』[引照]

口語訳大祭司は「そのとおりか」と尋ねた。
塚本訳大祭司がたずねた、「はたして事実その通りか。」
前田訳大祭司は問うた、「それはそのとおりか」と。
新共同大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。
NIVThen the high priest asked him, "Are these charges true?"
註解: もし斯くの如くであるならばステパノの罪は当然免れる事が出来ない、神の宮とモーセの律法とはユダヤ人の死守せんとする処であった。

註解: ▲2-4節はアブラハムの神に対する従順を示す。

7章2節 ステパノ()ふ『兄弟(きゃうだい)たち(おや)たちよ、()け、(われ)らの先祖(せんぞ)アブラハム(いま)だカランに()まずして(なほ)メソポタミヤに()りしとき、榮光(えいくわう)(かみ)あらはれて、[引照]

口語訳そこで、ステパノが言った、「兄弟たち、父たちよ、お聞き下さい。わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて
塚本訳ステパノが言った。──「兄弟の方々、お父さん方、聞いてください。(御承知のように、)“栄光の神は、”わたし達の先祖アブラハムがカランに住む前、まだメソポタミヤにいるとき、現われて
前田訳彼はいった、「兄弟方、父がた、お聞きください。栄光の神は、われらの父アブラハムがカランに住む前、メソポタミアにいたときに現われて、
新共同そこで、ステファノは言った。「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、
NIVTo this he replied: "Brothers and fathers, listen to me! The God of glory appeared to our father Abraham while he was still in Mesopotamia, before he lived in Haran.

7章3節 「なんぢの土地(とち)、なんぢの親族(しんぞく)(はな)れて、()(しめ)さんとする()()け」と()(たま)へり。[引照]

口語訳仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。
塚本訳“言われた、『あなたの国、あなたの親類から出て、わたしが示す地に来い』と。”
前田訳『あなたの国、あなたの親族から離れて、わたしが示す地に来なさい』といわれました。
新共同『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。
NIV`Leave your country and your people,' God said, `and go to the land I will show you.'
註解: ステパノはこれによりて(1)神の選びはモーセよりも遙か以前に遡っている事、(2)信仰の祖アブラハムの姿は神の命によりてその故国と親族とより離れて流浪する淋しき姿である事、(3)神は必ずしも神の宮に於てのみ彼らに顕れ給うものにあらざる事を示している。かくして暗黙の中に彼等の(もう)(ひら)き彼らの論点を覆している。尚お創12:1以下によればアブラハムが神の啓示を受けたのはカラン(創11:31にハランとあるのも同一の地名)に移住して後の事であるけれども、事実としては恐らくその以前カルデヤのウル即ちメソポタミヤに於てこの黙示を受けたのであろう。創15:7ヨシ24:3ネヘ9:7はこの事実を裏書している。又フイローン及びヨセフスの歴史もこの点に於てステパノの演説に一致している。
辞解
[親たちよ] 当局としての彼等の地位に対してはステパノも充分の敬意を払っていた事を示す。
[我らの先祖] と言いて祭司らを敵視せざる事を顕す。創12:1に「汝の父の家を離れ」とあるけれども之はカランに於ける啓示として意味があるけれども、父と共にメソポタミヤより移住せる場合には適合しない。
[栄光の神] 神に対するステパノの信仰の態度を示す。

7章4節 (ここ)にカルデヤの()()でてカランに()みたりしが、その(ちち)()にしのち、[神(かみ)は](かれ)彼處(かしこ)より(なんぢ)らの(いま)()める()()(うつ)らしめ、[引照]

口語訳そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、カランに住んだ。そして、彼の父が死んだのち、神は彼をそこから、今あなたがたの住んでいるこの地に移住させたが、
塚本訳そこでカルデヤ人の地(ウル)を出て、カランに住んだ。そしてその父の死んだ後、そこから、今あなた方が住んでいるこの(カナンの)地に、神は彼を移住させられた。
前田訳そこで彼はカルデア人の地を出てカランに住みました。そしてその父の死後、神は彼を、今あなた方がお住まいのこの地にお移しでした。
新共同それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、
NIV"So he left the land of the Chaldeans and settled in Haran. After the death of his father, God sent him to this land where you are now living.
註解: 創世記の記事によればアブラハムがカランを旅立したのは父テラが百四十五才の時(アプラハムは父の七十才の時の子であり、アブラハムがカランを旅立したのは七十五才の時であった。創11:26創12:4参照)であり、テラは二百五才にして死んだ故(創11:32)アブラハムがカランより旅立して後尚六十年生き長らえた事となる。この矛盾を種々の方法にて説明せんとの試があるけれども、何れも牽強附会(けんきょうふかい)である。尚フイローンもこの点ステパノに一致しているより見ればかかる伝説が有ったものらしく、又かかる伝説が起ったのはテラの死が聖書中にアブラハムの出発よりも前に録されているからであろう(E0)。

註解: ▲5-8節はアブラハムに対する神の約束を示す。

7章5節 此處(ここ)にて(あし)蹈立(ふみた)つる(ほど)()をも嗣業(しげふ)(あた)(たま)はざりき。(しか)るに、その()(いま)()なかりし(かれ)(かれ)(すゑ)とに所有(もちもの)として(あた)へんと(やく)(たま)へり。[引照]

口語訳そこでは、遺産となるものは何一つ、一歩の幅の土地すらも、与えられなかった。ただ、その地を所領として授けようとの約束を、彼と、そして彼にはまだ子がなかったのに、その子孫とに与えられたのである。
塚本訳しかしそこには(何一つ)財産を、“一歩の幅の土地をすら、与えず、”ただ“彼と彼の後の子孫とに、その地を所有として与えようと”約束されただけであった、(その時まだ)彼には子が無かったのに。
前田訳しかしここでは財産としては一歩の幅の土地さえ与えず、子がなかったのに、彼と彼ののちの子孫とにその地を持ち物として与えることをお約束でした。
新共同そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。
NIVHe gave him no inheritance here, not even a foot of ground. But God promised him that he and his descendants after him would possess the land, even though at that time Abraham had no child.
註解: (創12:7創13:15)神はアブラハムの信仰を試る為に寸地をもカナンに於て彼に与え給わなかった。アブラハムの与えられたものは単なる約束に過ぎす、しかも子なきに子を与えられ、土地無きに之を与えられる事の約束のみが有るに過ぎなかった。之を信じて疑わずに進んだのがアプラハムの信仰の偉大なる所以であった。イエス及びイエスを信ずる者に与えられし約束も亦その如くであった。大なる信仰なしに之を把握する事は出来ない。基督者を嘲弄し無視する者は、アブラハムを蔑視する者である。
辞解
[足、踏み立つる程の地] 日本語にて「猫の額位」と言う如く一般的に用いられていた(申2:5創8:9[新共同訳では「止まる所」と訳している:編者])。アブラハムの購入せるマクペラの墓地はこの中に入らない。

7章6節 (かみ)また()(すゑ)(ほか)(くに)寄寓人(やどりびと)となり、その國人(くにびと)(これ)四百年(しひゃくねん)のあひだ奴隷(どれい)となして(くる)しめん(こと)()(たま)へり。[引照]

口語訳神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。
塚本訳すなわち神はこう語られた、“彼の子孫は他国に身を寄せ、人々は四百年の間これを奴隷にし、虐待するであろう”と。
前田訳神はこう語られました、『彼の子孫は他国でよそものとなり、人々は四百年間これを奴隷にして虐待しよう』と。
新共同神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』
NIVGod spoke to him in this way: `Your descendants will be strangers in a country not their own, and they will be enslaved and mistreated four hundred years.
註解: 神は又アブラハムの子孫の流浪と迫害とにつき予告し給うた。即ち初の約束は急速に実現せらるべきでは無く、且つその間に多くの苦難を経過しなければならない事を意味す。アブラハムはこの約束を信じ之を望んだ。基督者もまた必ず迫害を受くべき事が預言せられているのである。(創15:13)。
辞解
[四百年] アブラハムが神の約束を受けてよりヤコブがエジプトに移住する迄の年代を加えた場合もあり(ガラ3:17。及び七十人訳の出12:40)その方が事実に近い。創15:13及びヘブル語原典及び本節はこの点異る。ガラ3:17辞解参照。

7章7節 (かみ)いひ(たま)ふ「われは(かれ)らを奴隷(どれい)とする國人(くにびと)(さば)かん、(しか)るのち(かれ)()その(くに)()で、この(ところ)にて(われ)(つか)へん」[引照]

口語訳それから、さらに仰せになった、『彼らを奴隷にする国民を、わたしはさばくであろう。その後、彼らはそこからのがれ出て、この場所でわたしを礼拝するであろう』。
塚本訳神は(また)言われた、“しかし彼らを奴隷にする国の人を、わたしはかならず罰する。そしてその後、彼らはそこを出て、”この所(カナン)でわたしを礼拝するであろう”と。
前田訳また神はいわれました、『彼らを奴隷にする国民をわたしは裁く。そののち彼らはそこを出てこの所でわたしを礼拝しよう』と。
新共同更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』
NIVBut I will punish the nation they serve as slaves,' God said, `and afterward they will come out of that country and worship me in this place.'
註解: 創15:14出3:12とを組合せし如き形をなす。律法が与えられるより以前、又神の宮が建てられるより遙か以前に既に神の恩恵による保護と約束と救とが与えられていたのである。ユダヤ人はこの本末軽重を往々にして転倒する故、ステパノは暗々裡に之を叱責したのである。

7章8節 (かみ)また割禮(かつれい)契約(けいやく)をアブラハムに(あた)(たま)ひたれば、イサクを()みて八日(やうか)めに(これ)割禮(かつれい)(おこな)へり。イサクはヤコブを、ヤコブは十二(じふに)先祖(せんぞ)()めり。[引照]

口語訳そして、神はアブラハムに、割礼の契約をお与えになった。こうして、彼はイサクの父となり、これに八日目に割礼を施し、それから、イサクはヤコブの父となり、ヤコブは十二人の族長たちの父となった。
塚本訳それから彼に“割礼の(規則の)契約を”お与えになった。こうしてアブラハムは、イサクが生まれると(契約に従って)“八日目に割礼を施した。”イサクの子はヤコブ、ヤコブの子は十二人の族長であった。
前田訳そして彼に割礼の契約をお与えでした。こうして彼にイサクが生まれると、八日目に割礼しました。それからイサクにヤコブが生まれ、ヤコブに十二人の族長が生まれました。
新共同そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。
NIVThen he gave Abraham the covenant of circumcision. And Abraham became the father of Isaac and circumcised him eight days after his birth. Later Isaac became the father of Jacob, and Jacob became the father of the twelve patriarchs.
註解: 創17:9-14。割礼の契約を与えられたのはアブラハムに対して嗣業と嗣子の約束が与えられて後でありその約束の固めの式の如きものであった(C1)。之により儀式が信仰に対して如何なる関係にあるかを示す。斯くしてステパノはイスラエルの歴史上に起れる凡ての重要なる事件を列挙しつつ、その真の意義を明かにして行くのである。

註解: ▲▲9-15節はイスラエルに対する神の守護と救いを示す。

7章9節 先祖(せんぞ)たちヨセフを(ねた)みてエジプトに()りしに、(かみ)(かれ)(とも)(いま)して、[引照]

口語訳族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、
塚本訳族長たちは“ヨセフをねたんで、エジプトに(奴隷に)売った。””しかし“神は(いつも)ヨセフと一緒にいて、”
前田訳族長たちはヨセフを妬んでエジプトに売りました。しかし神は彼とともにいまして
新共同この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、
NIV"Because the patriarchs were jealous of Joseph, they sold him as a slave into Egypt. But God was with him

7章10節 (すべ)ての患難(なやみ)より(これ)(すく)(いだ)し、エジプトの(わう)パロの(まへ)にて寵愛(ちょうあい)()させ、また智慧(ちゑ)(あた)(たま)ひたれば、[パロ](これ)()ててエジプトと(おの)全家(ぜんか)との(つかさ)となせり。[引照]

口語訳あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。そこで、パロは彼を宰相の任につかせ、エジプトならびに王家全体の支配に当らせた。
塚本訳あらゆる苦難から救い出し、“エジプト王パロの前で”知恵をあらわさせて“寵愛を得させられたので、”パロは彼をエジプトと王家全体とをつかさどる宰相に任命した。”
前田訳あらゆる苦しみから救い出し、エジプト王パロの前で恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王家全体とをつかさどる高官に引き立てました。
新共同あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。
NIVand rescued him from all his troubles. He gave Joseph wisdom and enabled him to gain the goodwill of Pharaoh king of Egypt; so he made him ruler over Egypt and all his palace.
註解: 創37:28創39章-41章参照。罪なきヨセフを嫉み之を迫害したイスラエルの先祖たちの罪は大きくあった。しかしながら神の御旨は人の悪に勝ち、人の罪を利用して却てヨセフに恩恵を下す手段となし給うた。かくして神に立てられてヨセフは全エジプトの宰相となった。イエスの場合も亦同様である。イエスを最も多く歓迎すべきユダヤ人らはイエスを迫害して彼を十字架につけた。然るに神は彼を甦らせ之を人類全体の主となし給うた。ヨセフはこの点に於て完全にイエスの型であり、従ってヨセフを迫害せる先祖たちは又イエスを迫害せるユダヤ人の型であった。之をきくユダヤ人は内心耐え難き苦痛を感じていた事であろう。凡て巧なる歴史的叙述は、平坦なる事実を活ける声として活躍せしめる。
辞解
[寵愛] charis は又恩恵、恩寵の意味もあり、神の恩恵とも解する事を得
[智慧] パロの夢を解明した事を主として指しているけれども、その他彼の政治的才能をも含むと解して差支が無い。直訳は「パロの前に恩恵と智慧とを与え給い」となる。尚このヨセフの歴史につきては創37章以下に詳しく記載しあり。

7章11節 (とき)にエジプトとカナンの全地(ぜんち)とに飢饉(ききん)ありて(おほい)なる患難(なやみ)おこり、(われ)らの先祖(せんぞ)たち(かて)(もと)()ざりしが、[引照]

口語訳時に、エジプトとカナンとの全土にわたって、ききんが起り、大きな苦難が襲ってきて、わたしたちの先祖たちは、食物が得られなくなった。
塚本訳“するとエジプトとカナンとの全体に飢饉が来て、”大きな苦難が臨み、わたし達の先祖たちは食糧が得られなかった。
前田訳さて、エジプトとカナンとの全体に飢饉が起きて大きな苦しみがのぞみ、われらの先祖たちは食物を得られませんでした。
新共同ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。
NIV"Then a famine struck all Egypt and Canaan, bringing great suffering, and our fathers could not find food.

7章12節 ヤコブ、エジプトに穀物(こくもつ)あるを()きて()(われ)らの先祖(せんぞ)たちを(つかは)す。[引照]

口語訳ヤコブは、エジプトには食糧があると聞いて、初めに先祖たちをつかわしたが、
塚本訳“ヤコブはエジプトに穀類があると聞いて、”まず先祖たちをやった。
前田訳ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわれらの先祖たちをつかわしました。
新共同ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。
NIVWhen Jacob heard that there was grain in Egypt, he sent our fathers on their first visit.

7章13節 二度(ふたたび)めの(とき)ヨセフその兄弟(きゃうだい)たちに()られ、ヨセフの氏族(しぞく)パロに(あきら)かになれり。[引照]

口語訳二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れてきた。
塚本訳二度目の時に、“ヨセフは自分のことを兄弟たちに打ちあけた。”そこでヨセフの素性がパロに知れた。
前田訳二度目のときヨセフは自らのことをその兄弟たちに打ち明けました。それでヨセフの血すじがパロにわかりました。
新共同二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。
NIVOn their second visit, Joseph told his brothers who he was, and Pharaoh learned about Joseph's family.
註解: ステパノはヨセフがその兄弟の旧悪を少しも思わず豊かに穀物を与えて彼らを助けた事につきては言及して居ない。ステパノが一言もイエスの名を言わなかった心持がここにも顕れて居り、イエスに酷似しているヨセフの態度をば言外に之を含蓄せしめているのを見る。即ちイスラエルの一族はその迫害せるヨセフによりて救われたのである。同様に彼らはその救主イエスを迫害しているのである。

7章14節 ヨセフ()(つかは)して(おの)(ちち)ヤコブと(すべ)ての親族(しんぞく)(しち)(じふ)()(にん)(まね)きたれば、[引照]

口語訳ヨセフは使をやって、父ヤコブと七十五人にのぼる親族一同とを招いた。
塚本訳ヨセフは父ヤコブと親類全部、“合計七十五人を”(エジプトに)呼びよせた。
前田訳ヨセフは人をやって父ヤコブと親類全体七十五人を呼びよせました。
新共同そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。
NIVAfter this, Joseph sent for his father Jacob and his whole family, seventy-five in all.

7章15節 ヤコブ、エジプトに(くだ)り、彼處(かしこ)にて(おのれ)(われ)らの先祖(せんぞ)たちも()にたり。[引照]

口語訳こうして、ヤコブはエジプトに下り、彼自身も先祖たちもそこで死に、
塚本訳ヤコブは“エジプトに下り、”“彼自身も”先祖たちも“(そこで)死に、”
前田訳ヤコブはエジプトに下り、彼自身もわれらの先祖たちも死にました。
新共同ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、
NIVThen Jacob went down to Egypt, where he and our fathers died.
註解: ユダヤ人全体の歴史とその運命とを知るならば、神の礼拝をエルサレムのみに局限する如き愚を行わないであろう。
辞解
[七十五人] 創46:27には七十人とあり、七十人訳に七十五人とあるに由りたるものならん。尚七十人訳には出1:5申10:22(異本あり)も七十五人とあり、ヨセフの孫三人、曾孫二人を加えしもの、ステパノはギリシヤ語のユダヤ人として七十人訳によりしものと解せらる。

7章16節 (かれ)()シケムに(おく)られ、(かつ)てアブラハムがシケムにてハモルの()()より(ぎん)をもて()()きし(はか)(はうむ)られたり。[引照]

口語訳それから彼らは、シケムに移されて、かねてアブラハムがいくらかの金を出してこの地のハモルの子らから買っておいた墓に、葬られた。
塚本訳”(なきがらは)シケムに移され、”(前に)銀いくらかをもって、”アブラハムがシケムでハモルの子らから買い取っておいた墓場に”納められた。
前田訳そして彼らはシケムに移され、アブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓地に葬られました。
新共同シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。
NIVTheir bodies were brought back to Shechem and placed in the tomb that Abraham had bought from the sons of Hamor at Shechem for a certain sum of money.
註解: ヨセフ及びその先祖たちは皆カナンの地即ち約束の地に葬られた。但しアブラハムの購入せる墓地はヘブロンのマクペラで、ヘテ人エフロンより買い求めたのであって(創23:16)ハモルの子等より銀をもてシケムに買い求めたのはアブラハムではなくヤコブであった(創33:19)。之を(1)ステパノ又はルカの記憶の誤に帰するもの(C1、M0)又は(2)この二つの事実を半分づつ組合せて二つを包含せしめたとするもの(B1)、又は(3)これ等始祖たちの墳墓は凡てサマリヤのシケムに在りとするサマリヤの伝説によりたるもの(E0)等あり(1)を採る。尚おシケムに葬られたのはヨセフのみで(ヨシ24:32)他はマクペラに葬られた(創50:13)。

註解: ▲17-43節はモーセによる救いとイスラエルの民の不信仰を示す。

7章17節 (かく)(かみ)のアブラハムに(かた)(たま)ひし約束(やくそく)(とき)(ちか)づくに(したが)ひて、(たみ)はエジプトに蕃衍(ふえひろが)り、[引照]

口語訳神がアブラハムに対して立てられた約束の時期が近づくにつれ、民はふえてエジプト全土にひろがった。
塚本訳さて、神がアブラハムに約束された約束の時が近づくと、(イスラエルの)民はエジプトで、“増しかつふえた。”
前田訳さて、神がアブラハムにお立ての約束の時が近づくにつれて、民はエジプトで発展し、またふえました。
新共同神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。
NIV"As the time drew near for God to fulfill his promise to Abraham, the number of our people in Egypt greatly increased.

7章18節 ヨセフを()らぬ(ほか)(わう)、エジプトに(おこ)るに(およ)べり。[引照]

口語訳やがて、ヨセフのことを知らない別な王が、エジプトに起った。
塚本訳ついに、“ヨセフのことを知らない、(新しい)ほかの王がエジプトに出た。”
前田訳やがてヨセフを知らぬ別の王がエジプトに現われました。
新共同それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。
NIVThen another king, who knew nothing about Joseph, became ruler of Egypt.
註解: 17-43節はモーセに関する弁論である。神の約束はその通りに実現しイスラエルの民に対する迫害が起って来た。

7章19節 (わう)惡計(わるだくみ)をもて(われ)らの同族(やから)にあたり、(われ)らの先祖(せんぞ)たちを(くる)しめて()嬰兒(みどりご)生存(いきながら)ふる(こと)なからんやう(これ)()つるに(いた)らしめたり。[引照]

口語訳この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。
塚本訳この王はわたし達の”同族に向かって悪巧みをし、”先祖たちにみどり児を捨てさせ、これを”生かしておか”ないような“ひどいことをした。”
前田訳彼はわれらの血すじに対して策動し、先祖たちを苦しめました。それはみどり子を生かしておかないよう捨てさせるほどでした。
新共同この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。
NIVHe dealt treacherously with our people and oppressed our forefathers by forcing them to throw out their newborn babies so that they would die.
註解: 出1:15、16参照。パロは産婆に命じてヘブル人の凡ての男子をその生れ出る時に殺さしめた。神に選ばれし種族はかくして苦難にさらされざるを得ない、イエス及びその弟子が迫害されるは当然である。
辞解
[悪計をもて・・・・・・あたり] 「づるい手段を取り」の意。

7章20節 その(ころ)モーセ(うま)れて(いと)(うるは)しくして三月(みつき)のあいだ(ちち)(いへ)(そだ)てられ、[引照]

口語訳モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、
塚本訳ちょうどこの時にモーセが生まれた。神の目にさえ“美しい”子であった。“三月のあいだ”父の家で育てられたが、
前田訳このころモーセが生まれました。彼は神のお目にかなっていて、父の家で三か月のあいだ育てられましたが、
新共同このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、
NIV"At that time Moses was born, and he was no ordinary child. For three months he was cared for in his father's house.

7章21節 (つい)()てられしを、パロの(むすめ)ひき()げて(おの)()として(そだ)てたり。[引照]

口語訳そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。
塚本訳(隠しきれなくなって)捨てられたとき、“パロの王女が(見つけて)拾いあげ、自分の子として”育てた。
前田訳捨てられたとき、パロの王女が拾いあげ、自分の子として育てました。
新共同その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。
NIVWhen he was placed outside, Pharaoh's daughter took him and brought him up as her own son.
註解: 出2:1-10参照。モーセはキリストの型である。キリストが嬰児の時にヘロデの為に苦難に遭い給いし如くモーセも嬰児の時既に生命の危険にさらされた。キリストが神の御告によりて救われし如くモーセも不思議なる御手によりてパロの子として育てられた。
辞解
[甚麗しく] 直訳「神に対して麗しく」であって非常に麗しき事を示すヘブル語話法である。但し直訳の通りに訳すべしとの説もある。
[父] アムラム(出6:20)。

7章22節 (かく)てモーセはエジプト(びと)(すべ)ての學術(がくじゅつ)(をし)へられ、(ことば)(わざ)とに能力(ちから)あり。[引照]

口語訳モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。
塚本訳モーセはエジプト人の知恵を残るところなく教えこまれ、その言葉にも行いにも力があった。
前田訳モーセはエジプト人のあらゆる知恵を教え込まれ、ことばとわざに力がありました。
新共同そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。
NIVMoses was educated in all the wisdom of the Egyptians and was powerful in speech and action.
註解: この事は出エジプト記に録されて居ない、唯伝説として残っているに過ぎない。モーセは神の御旨によりエジプト人の尊敬を()ち得るに充分なる教育を受け、弁論と行動とに能力のある偉人となった。
辞解
[学術を教えられ] むしろ「学術を以て薫陶せられ」又は「鍛錬せられ」の如き意味、エジプトの学術は天文学、数学、地理学、医学等であった。出4:10と矛盾する如きも、之はモーセの主観と他人の観察との差である。

7章23節 年齡(よはひ)四十(しじふ)になりたる(とき)、おのが兄弟(きゃうだい)たるイスラエルの子孫(しそん)(かへり)みる(こころ)おこり、[引照]

口語訳四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。
塚本訳四十歳になった時、“同胞イスラエルの子孫を”思う心がモーセに起こった。
前田訳四十歳になったころ、自分の同胞であるイスラエルの子孫を顧みる心がおきました。
新共同四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。
NIV"When Moses was forty years old, he decided to visit his fellow Israelites.
註解: 四十なる年齢も伝説によりたるもの、3036参照。四十才に至るまでその身分がモーセに知られなかったと云うのではない、彼はパロの宮廷に於て栄華の日を過していた為にそのなやめる兄弟の事を忘れていた、四十才に至り神の御霊の働きによりて、彼の心が一変したのである。
辞解
[四十] 聖書に多く用いられる数、
[顧る] 「訪問する」の意あり、心にかけて之を見舞う事。

7章24節 一人(ひとり)(そこな)はるるを()(これ)(まも)り、エジプト(ひと)()ちて、(しへた)げらるる(もの)(あた)(かえ)せり。[引照]

口語訳ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。
塚本訳それで(ある日、同胞の)一人が(エジプト人に)いじめられているのを見ると、その味方をし、“エジプト人を打ち殺して”虐待された者のために仕返しをした。
前田訳それでそのひとりがいじめられているのを見て、その味方をし、エジプト人を打ち倒して、虐待された人の仕返しをしました。
新共同それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。
NIVHe saw one of them being mistreated by an Egyptian, so he went to his defense and avenged him by killing the Egyptian.
註解: 出2:11、12。モーセはその同族の虐待されるを黙視するに忍びず、エジプト人を殺して同族の為の復讐をなした、かゝる勇気と義侠心とは、神によりて与えられたものであった。モーセもイエスと同じく大なる愛国者であった。
辞解
[護り] 相手を撲ちて自己又は友人を守る形。
[撃ちて] 出2:12には「殺し」とあり。

7章25節 (かれ)(おのれ)()によりて(かみ)(すくひ)(あた)へんと為給(したま)ふことを、兄弟(きゃうだい)たち(さと)りしならんと(おも)ひたるに、(さと)らざりき。[引照]

口語訳彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。
塚本訳モーセは(この出来事によって、)神が彼の手で同胞を救おうとしておられることを、みなが悟るものと考えた。しかし彼らは悟らなかった。
前田訳モーセは神が彼の手で同胞に救いを与えようとしておいでのことを、彼らが悟ると思っていましたが、彼らは悟りませんでした。
新共同モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。
NIVMoses thought that his own people would realize that God was using him to rescue them, but they did not.
註解: モーセは同族愛の心に燃えてこの殺人の行為を敢えてしたのであったから、同族はその心に感じて彼をその救手として仰ぐであろうと思ったけれども、その予想に反しヘブル人は彼の心を悟らなかった。イエスの福音もその同族を愛する切なる心からであった、然るに彼らはそれを悟らず、彼を十字架に釘けた。由来真の愛国者は国民に理解せられず、偽愛国者に迫害せらる。▲ステパノ自身も同様イスラエルの救を熱望しつつイスラエルの人々に誤解され迫害された。
辞解
[与えんとし給う] 「与えつつあり給う」の意で、現に一エジプト人を殺したのもその一つの現れである。

7章26節 翌日(よくじつ)かれらの(あひ)(あらそ)ふところに(あらは)れて和睦(わぼく)(すす)めて()ふ「人々(ひとびと)よ、(なんぢ)らは兄弟(きゃうだい)なるに(なん)(たがひ)(そこな)ふか」[引照]

口語訳翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか』。
塚本訳翌日、二人の人が喧嘩をしているところにモーセが現われて、仲直りをさせようとして言った、『君たち、兄弟同士ではないか。なんで、なぐり合いをするのか。』
前田訳あくる日、モーセは彼らが争っているところに現われ、仲直りさせようとしていいました、『あなた方、兄弟ではないか。なぜ互いに傷つけ合うのか』と。
新共同次の日、モーセはイスラエル人が互いに争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。『君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。』
NIVThe next day Moses came upon two Israelites who were fighting. He tried to reconcile them by saying, `Men, you are brothers; why do you want to hurt each other?'

7章27節 (となり)(そこな)(もの、)モーセを押退(おしの)けて()ふ、「(たれ)(なんぢ)()てて(われ)らの(つかさ)また審判(さばき)(びと)とせしぞ、[引照]

口語訳すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。
塚本訳“隣の人をなぐっていた方の者が”モーセを突きのけて言った、”『だれが君をわれわれの司令官や裁判官にしたのか。
前田訳隣人を傷つけていた人がモーセを押しのけていいました、『だれが君をわれらの司や裁き人にしたのか。
新共同すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。
NIV"But the man who was mistreating the other pushed Moses aside and said, `Who made you ruler and judge over us?

7章28節 昨日(きのふ)エジプト(びと)(ころ)したる(ごと)(われ)をも(ころ)さんと()るか」[引照]

口語訳君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。
塚本訳君はきのうあのエジプト人をやっつけたように、わたしをやっつけようと思っているのではあるまいね。』
前田訳君はきのうエジプト人を殺したように、わたしをも殺そうと思っているのか』と。
新共同きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。』
NIVDo you want to kill me as you killed the Egyptian yesterday?'
註解: イスラエル人をエジプトより救い出さんが為には全民族一致してパロに当らなければならなかった。夫故に国民同士の不和はモーセの最も悲しみにたえざる事であった。夫故にモーセは、もし彼らを和睦せしめんとすれば彼らは喜んでモーセの言を聴き入れるであろうと思った。然るに却ってモーセを押退けてその権威を否定し、又モーセの殺人罪を暴露して彼に対する不信を示した。「神の器は人間よりの召命が不完全なりとの理由の下に往々にして拒否せられる」(B1)、又モーセの愛国的行為は単に一の暴行としか解されなかった、偉人の悲哀はここにある。かく言いてステパノは暗黙にイエスに対するユダヤ人の無理解を非難しているのを見る。
辞解
[和睦を勧めて] 「平和にまで和解せしめんとして」の意、企図的未完了過去。

7章29節 この(ことば)により、モーセ(のが)れてミデアンの()寄寓人(やどりびと)となり、彼處(かしこ)にて二人(ふたり)()(まう)けたり。[引照]

口語訳モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。
塚本訳この言葉を聞くとモーセは(恐ろしくなり、エジプトを)逃げ出して、ミデアンの地に身を寄せる者となり、”そこで(妻をめとって、)二人の男の子が生まれた。
前田訳モーセはこれを聞いて逃れ、ミデアンの地に身を寄せ、そこでふたりの男子をもうけました。
新共同モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。
NIVWhen Moses heard this, he fled to Midian, where he settled as a foreigner and had two sons.
註解: 出2:14、15。出4:20出18:3。モーセはパロの宮廷の華美なる生活より急にミデアンの曠野の淋しき生活に移った。しかし彼はその処に深く彼自身を養う機会を得たのであった。人に取りて必要なのは淋しき生活である。モーセの四十年間のミデアンの生活はイエスの四十日の荒野の生活に相当する。
辞解
[ミデアン] シナイ半島の南部を指す、
[二人の子] 妻チツポラによりて得しゲルシヨム(出18:3)とエリエゼル(出18:4

註解: ▲30-35節はモーセの召命。

7章30節 四十(しじふ)(ねん)()(のち)シナイ(やま)荒野(あらの)にて御使(みつかひ)(しば)(ほのほ)のなかに(あらは)れたれば、[引照]

口語訳四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。
塚本訳それから四十年たったとき、シナイ“山の荒野で、燃える茨の薮の焔の中で天使がモーセに現われた。”
前田訳四十年たったとき、シナイ山の荒野で、燃える柴の炎の中で天使がモーセに現われました。
新共同四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。
NIV"After forty years had passed, an angel appeared to Moses in the flames of a burning bush in the desert near Mount Sinai.

7章31節 モーセ(これ)()()るところを(あや)しみ、(みと)めんとして(ちか)づきしとき、(しゅ)(こゑ)あり。(いは)く、[引照]

口語訳彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞えてきた、
塚本訳モーセは見て、自分の目をうたがった。近寄ってよく見ようとすると、主の御声が聞こえてきた、
前田訳モーセはこの光景を見ておどろき、よく見ようと近寄ると、主のお声がしました、
新共同モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。
NIVWhen he saw this, he was amazed at the sight. As he went over to look more closely, he heard the Lord's voice:

7章32節 (われ)(なんぢ)先祖(せんぞ)たちの(かみ)(すなは)ちアブラハム、イサク、ヤコブの(かみ)なり」モーセ戰慄(ふるひをのの)()へて(みと)むることを()ず。[引照]

口語訳『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。
塚本訳『“わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神(である)。”』モーセは震えて、よく見る勇気がなかった。
前田訳『われはなんじの先祖たちの神、アブラハムとイサクとヤコブの神』と。モーセはふるえて、よく見る勇気がありませんでした。
新共同『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。
NIV`I am the God of your fathers, the God of Abraham, Isaac and Jacob.' Moses trembled with fear and did not dare to look.
註解: 出3:1-6。シナイの山に於ける神の顕現の記録である。茲で神は約束の神、即ちアブラハム等の始祖に約束を与え給いし神としてモーセに現われ給い、之によりてモーセはこの神こそイスラエルをエジプトより救ひ出し給う神である事を確知した(創15:14)。その光景のあまりに厳粛なりし為に、モーセは恐れ(おのの)かざるを得なかった。神は何処にてもその欲する処にて御自身を現わし給う。エルサレムの宮に限られて居ない事を注意すべきである。又神の臨在に対してはこの畏敬の心が無ければならない。
辞解
[四十年] これも伝説による、即ちモーセ八十才の時となる。
[シナイ山] 出3:1にはホレブの山とあり、ホレブは連山、シナイはその一峰ならんか
[視るところ] horama 幻象(まぼろし)のこと。
[認めんとして] 「認むること」katanoeô は検閲する心を以て熟視する事。
[アブラハム、イサク、ヤコブの神] 現に彼らに現れて約束を与え給いし神。

7章33節 (しゅ)いひ(たま)ふ「なんぢの(あし)(くつ)()げ、なんぢの()つところは(せい)なる()なり。[引照]

口語訳すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。
塚本訳“すると主が彼に言われた、『足の靴をぬぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる地である。
前田訳主はいわれました、『足の靴をぬぎなさい。なんじの立つ所は聖なる地である。
新共同そのとき、主はこう仰せになりました。『履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。
NIV"Then the Lord said to him, `Take off your sandals; the place where you are standing is holy ground.
註解: 足より鞋(サンダル草履の如きもの)を脱ぐ事はその土地に対する崇敬の印である事は今日も回教会堂に於て之を目撃する。神在し給う処凡てが聖地である。エルサレムに限らるべきではない。而して神は在さざる処なき故、人が神と相対坐する処凡ての場所が聖地である。

7章34節 (われ)エジプトに()()(たみ)苦難(くるしみ)()、その歎息(なげき)をききて(これ)(すく)はん(ため)(くだ)れり。いで(われ)なんぢをエジプトに(つかは)さん」[引照]

口語訳わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。
塚本訳エジプトにおるわたしの民が虐待されるのをわたしは見きわめた。またその呻きを聞いた。そこで彼らを救い出すために(天から)下ってきたのだ。さあ、今すぐエジプトに行きなさい。』”
前田訳わたしは、エジプトでわが民衆が虐待されるのを見、そのうめきを聞いて、彼らを救い出すために下ってきた。さあ、今行きなさい。わたしはなんじをエジプトヘつかわそう』と。
新共同わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。』
NIVI have indeed seen the oppression of my people in Egypt. I have heard their groaning and have come down to set them free. Now come, I will send you back to Egypt.'
註解: 出3:7-10参照。モーセが始めエジプトに於てイスエラル民族を救出さんと決心した時も彼はそれを神の命であると信じた、しかしその処には多分に自己の熱心と熱情と自信とが混在していた。然るに本節の召命は全く思いがけざりし時に神の聖前に立たしめられ、荘厳なる雰囲気の中に、恐れ(おのの)きつつ直接に神の召命を聴いたのである。人間的熱心と神よりの召命との差別はここに在る。又神は人間社会の姿を(ことごと)く知り給う、しかしその嘆息の叫声は一層の強さを以て神の耳に達する。
辞解
[わが民] イスラエルの人々は神の民である事を恐らく殆んど忘れていたであろう。
[遣さん] 単なる未来ではなく、「遣そうと思うが行ってくれまいか」と云う如き心持。

7章35節 ()(かれ)らが「()が、(なんぢ)()てて(つかさ)また審判(さばき)(びと)とせしぞ」と()ひて(こば)みし()のモーセを、(かみ)(しば)のなかに(あらは)れたる御使(みつかひ)()により、(つかさ)また救人(すくひて)として(つかは)(たま)へり。[引照]

口語訳こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。
塚本訳このモーセこそは、“だれが君を司令官や裁判官にしたのか”と言って拒絶された人であったが、この人を、神は茨の薮の中で彼に現われて天使の手をもって、(イスラエルの)司令官また解放者として(エジプトに)遣わされたのである。
前田訳このモーセは、『だれが君を司や裁きびとにしたのか』といって拒絶された人でしたが、この人を神は、柴の中で彼に現われた天使の手によって、司また解放者としておつかわしでした。
新共同人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。
NIV"This is the same Moses whom they had rejected with the words, `Who made you ruler and judge?' He was sent to be their ruler and deliverer by God himself, through the angel who appeared to him in the bush.
註解: 造家者の棄てたる石が隅の首石となると同じく、人間が拒みしモーセを神は立てて司また救人(すくいて)(贖い人)となし給うた。同様にイエスもユダヤ人より棄てられたけれども神は彼を救主として立て給うた(使3:14、15)。かく言いてステパノは「モーセを拒みし先祖の血がイエスを拒みし汝らにも存している故、顧みて注意せよ」と云わんばかりの口調である。▲使6:13-14のユダヤ人の非難が全く当たっていないことを明らかにしている。
辞解
[司] 本節にある始の「司」は archôn で司であり、後の「司」は archêgos で同語源の文字であるけれども意味は「指導者」「統率者」であって更に一層高き位置を示す。「審判人(さばきびと)」に比して「救人(すくいて)」lutrôtês が一層高きが如し、lutrôtês 「救人(すくいて)」、「贖人(あがないぬし)」なる語は神につきても用いられる(詩19:14詩78:35)。

7章36節 この(ひと)かれらを(みちび)(いだ)し、エジプトの()にても、また紅海(こうかい)および四十(しじふ)(ねん)のあひだ荒野(あらの)にても、不思議(ふしぎ)(しるし)とを(おこな)ひたり。[引照]

口語訳この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。
塚本訳この人が、“エジプトの地で、”紅海で、また“四十年のあいだ荒野で、”“不思議なことや徴を”行いながら、彼らをつれだしたのである。
前田訳この人がエジプトの地で、紅海で、また四十年、荒野で不思議や徴を行ないながら彼らを導き出したのです。
新共同この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。
NIVHe led them out of Egypt and did wonders and miraculous signs in Egypt, at the Red Sea and for forty years in the desert.
註解: イスラエルの人々の拒めるモーセは、之によりて確かに神の選の器であった事が証拠立てられた、神によらざればこれ等の不思議と徴とは行われ得ないからである。

7章37節 イスラエルの()らに「(かみ)(なんぢ)らの兄弟(きゃうだい)(うち)より()がごとき預言者(よげんしゃ)(おこ)(たま)はん」と()ひしは、()のモーセなり。[引照]

口語訳この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。
塚本訳この人が、イスラエルの子孫に、“神はあなた達の兄弟の中から、わたしのような一人の預言者をあなた達のために起こされる”と言ったモーセである。
前田訳この人がイスラエルの子孫に、『神はあなた方の兄弟の中から、わたしのようなひとりの預言者をあなた方のためにお立てになる』といったモーセです。
新共同このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。』
NIV"This is that Moses who told the Israelites, `God will send you a prophet like me from your own people.'
註解: (▲▲「ゆえにもし汝らモーセを尊ぶならば、イエスを受けるのが当然である」)申18:15。尚上掲使3:22参照。夫故にモーセを重んずる汝等は、この預言によりて起され給いしイエスを拒むべきではない。モーセとイエスとは完全に調和しているのであって何等の矛盾もない(B1)。又モーセが他の預言者を指示した事は、自己の有限性を示すものと見る事を得、夫故に律法はイエスによりて完成せらるべきである(C1)。「汝ら之に聴くべし」とあるにも関らずこのイエスを拒める汝等の罪は深いとの意。

7章38節 (かれ)はシナイ(やま)にて(かた)りし御使(みつかひ)および(われ)らの先祖(せんぞ)たちと(とも)荒野(あらの)なる集會(あつまり)()りて(なんぢ)らに(あた)へん(ため)()ける御言(みことば)(さづか)りし(ひと)なり。[引照]

口語訳この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
塚本訳この人が、荒野の集会において、シナイ山で彼に語った天使とわたし達の先祖との間の仲介者であり、(そこで)あなた達に伝えるべき生ける御言葉を(神から)授かった人である。
前田訳この人が荒野の集会で、シナイ山で彼に語った天使とわれらの先祖とともにあり、あなた方に伝えるべき生きたみことばを授かったのです。
新共同この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。
NIVHe was in the assembly in the desert, with the angel who spoke to him on Mount Sinai, and with our fathers; and he received living words to pass on to us.
註解: 生ける御言はエホバがモーセに語り給いし凡ての言、殊にその十誡で、モーセの使命はイスラエルにこの神の言を与えんが為であった。かく言いてステパノがモーセの律法を少しも軽蔑せざる事を示す。
辞解
[御使・・・・・・先祖たちと偕に] モーセの仲保者的地位を示す。

7章39節 (しか)るに(われ)らの先祖(せんぞ)たちは()(ひと)(したが)ふことを(この)まず、(かへ)つて(これ)押退(おしの)け、その(こころ)エジプトに(かへ)りて、[引照]

口語訳ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、
塚本訳しかし先祖たちは彼の言うことを聞こうとせず、かえって彼をはねつけ、心は“エジプト(の偶像)にもどって、”
前田訳しかしわれらの先祖は彼に耳傾けようとせず、かえって彼を退け、心はエジプトに向かい、
新共同けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、
NIV"But our fathers refused to obey him. Instead, they rejected him and in their hearts turned back to Egypt.

7章40節 アロンに()ふ「(われ)らに(さき)だち()くべき神々(かみがみ)(つく)れ。(われ)らをエジプトの()より(みちび)(いだ)しし、かのモーセの如何(いか)になりしかを()らざればなり」[引照]

口語訳『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。
塚本訳“アロンに言った、『どうかわたし達を導いてゆく神々を造ってください。エジプトの地からつれだしてくれたあのモーセは、(山にのぼって以来)消息がわからないから。』”
前田訳アロンにいいました。『われらに先立ち行く神々を造ってください。エジプトからわれらを導き出したあのモーセは、どうなったかわかりませんから』と。
新共同アロンに言いました。『わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。』
NIVThey told Aaron, `Make us gods who will go before us. As for this fellow Moses who led us out of Egypt--we don't know what has happened to him!'
註解: イスラエル人の先祖たちは神を忘れて己の事のみを考えた。夫故に唯モーセのみを眼中に置き、彼らにこの世の幸福を与えざるモーセを排斥し、心は既にエジプトに還り、モーセの不在を理由として偶像を造らんとした。神の遣し給えへるものを拒む事は即ち神を拒む事であり、偶像を造る事はその結果である。ユダヤ人は神の遣し給えるイエスを拒み、自ら宮や律法を偶像として立てているその姿を見るべきである。
辞解
[アロン] モーセの兄
[先立ちゆくべき] 彼らがモーセのシナイ山より帰る事の遅きを待ち兼ねている様子を見る事が出来る。

7章41節 その(ころ)かれら(こうし)(つく)り、その偶像(ぐうざう)犧牲(いけにへ)(ささ)げて(おの)()所作(しわざ)(よろこ)べり。[引照]

口語訳そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。
塚本訳その時“彼らは(金の)子牛を造って”その偶像に“犠牲をささげ、”自分の手で造ったものを(おがんで)楽しんだ。
前田訳そのころ彼らは子牛を造り、その偶像にいけにえをささげ、自らの手で造ったものを楽しんでいました。
新共同彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。
NIVThat was the time they made an idol in the form of a calf. They brought sacrifices to it and held a celebration in honor of what their hands had made.
註解: 彼らの心がエジプトに還ったと同時に彼らの行為もエジプトの行為へと堕落し、エジプト人の神として崇むる(こうし)の像を造り之を拝して歓喜に溢れていた。神がその御手の業を喜び給う事は神に相応しき事であるけれども、我らが我らの手の業を喜ぶ事は相応しくない。人は自己の業を喜ぶ事に於て偶像崇拝者である(B1)。
辞解
[喜べり] によりて彼らの不信仰の姿が巧に浮び出でている。

7章42節 (ここ)(かみ)(かれ)らを(はな)れ、その(てん)軍勢(ぐんぜい)(つか)ふるに(まか)(たま)へり。これは預言者(よげんしゃ)たちの(ふみ)に「イスラエルの(いへ)よ、なんぢら荒野(あらの)にて四十(しじふ)(ねん)(あひだ)(ほふ)りし(けもの)犧牲(ぎせい)とを(われ)(ささ)げしや。[引照]

口語訳そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、『イスラエルの家よ、四十年のあいだ荒野にいた時に、いけにえと供え物とを、わたしにささげたことがあったか。
塚本訳しかし神は彼らを見捨て、彼らが(まことの神の代りに)“天の星々を”おがむに任せられた。預言書に書いてあるとおりである。“イスラエルの人たちよ、あなた達が荒野の四十年のあいだに捧げた供え物や犠牲は、わたしにであっただろうか。(それは星々にではなかったか。)
前田訳それで神は彼らを離れ、彼らが天の星を拝むままになさいました。それは預言書にあるとおりです。『イスラエルの家よ、荒野での四十年の間、あなた方はわたしに供え物やいけにえをささげたことがあるか。
新共同そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ、/お前たちは荒れ野にいた四十年の間、/わたしにいけにえと供え物を/献げたことがあったか。
NIVBut God turned away and gave them over to the worship of the heavenly bodies. This agrees with what is written in the book of the prophets: "`Did you bring me sacrifices and offerings forty years in the desert, O house of Israel?

7章43節 (なんぢ)らは(はい)せんとして(つく)れる(ざう)(すなは)ちモロクの幕屋(まくや)(かみ)ロンパの(ほし)とを()きたり。われ(なんぢ)らをバビロンの彼方(かなた)(うつ)さん」と(しる)されたるが(ごと)し。[引照]

口語訳あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、移してしまうであろう』。
塚本訳あなた達はモロク(神)の幕屋や、ロンパ神の星など、自分で造った(神々の)像をかつぎまわって”おがんだではないか。“だからわたしは(罰として)あなた達を”バビロンの“向こうに移すであろう。”
前田訳あなた方はモロクの幕屋やロンパの神の星をかついでいた。それらはあなた方が拝むために造った像ではないか。それで、わたしはあなた方をバビロンのかなたへ移そう』と。
新共同お前たちは拝むために造った偶像、/モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を/担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちを/バビロンのかなたへ移住させる。』
NIVYou have lifted up the shrine of Molech and the star of your god Rephan, the idols you made to worship. Therefore I will send you into exile' beyond Babylon.
註解: 人の心神を離れる時、神は彼らを離れてその為すがままに委せ給う(ロマ1:24ロマ1:26ロマ1:28)。引用はアモ5:25-27の七十人訳よりであって、その大意はイスラエルは四十年の荒野の生活に於て神に犠牲をささげずして反って異邦の神々を拝した為、神はその罰としてイスラエルをバビロンの彼方に移し、異邦に捕囚として寄寓せしめ給うであろうとの意味である。神を離れて人は益々偶像崇拝に陥って行くのみである。ユダヤ人らも既に信仰を失った結果イエスを拒むのであって、今後益々宮や律法の行為の如き偶像に固執するに至るであろう。
辞解
[天の軍勢] 日月星辰を指す。アモス書よりの引用が原文に異るのは七十人訳によったのである。
[モロクの幕屋] 「王シクテ」が「モロクの幕屋」となっているのは普通名詞メレク(又はその異本)を固有名詞モロクと読み、固有名詞シクテを普通名詞に見て幕屋と解したのである。又「キウン・・・汝らの神とする星」を「神ロンパの星」としたのは、キウン即ちアッシリヤ人が神とする土星はカイヴァンと呼ばれ之がカイフアンとなりその文字KとRの誤写よりライフアン(ロンフア)となりしものならんとの事である。即ち土星の神である。
[星を舁く] 星神の像をかつぐ事。アモ5:27にダマスコとあるをバビロンとしたのは後世に起れる歴史的事実が記録に反映したのであろう(H0)。

7章44節 (われ)らの先祖(せんぞ)たちは荒野(あらの)にて(あかし)幕屋(まくや)()てり、モーセに(かた)(たま)ひし(もの)の、(かれ)()(かた)(したが)ひて(つく)れと(めい)(たま)ひしままなり。[引照]

口語訳わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。
塚本訳わたし達の先祖は荒野において“証しの幕屋”をもっていた。これは“モーセに、(シナイ山で)見た型をまねて造るようにと語ったお方が”言いつけられたとおり(のもので、ここでこのお方はイスラエルの民に語られるの)であった。
前田訳われらの先祖には荒野で証の慕屋がありました。それは見た型によって造るようモーセに語った方がお命じのとおりのものでした。
新共同わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。
NIV"Our forefathers had the tabernacle of the Testimony with them in the desert. It had been made as God directed Moses, according to the pattern he had seen.
註解: 出25章-27章参照。イスラエルは荒野に於て神と共に交るべき集会の幕屋を有っていた、この集会の幕屋は荒野にありその処に契約の櫃が納められていた、神を祭るに必ずしもエルサレムの宮を要せざる事は明かである。
辞解
[証の幕屋] 出27:21出28:43等にある「集会の幕屋(新共同訳では『臨在の幕屋』:編者)」で七十人訳に誤って「証の幕屋」と訳されたもの、イスラエルの荒野に於ける集会所又礼拝所であった。之が発達し定着してエルサレムの宮となった。

7章45節 (われ)らの先祖(せんぞ)たちは(これ)()()ぎ、先祖(せんぞ)たちの(まへ)より(かみ)()ひいだし(たま)ひし異邦人(いはうじん)領地(りやうち)(をさ)めし(とき)、ヨシユアとともに(たづさ)(きた)りてダビデの()(およ)べり。[引照]

口語訳この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取ったときに、そこに持ち込まれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。
塚本訳この幕屋を先祖は受け継ぎ、神が異教人を先祖の前から追い払ってくださったので、その“領土(カナン)を占領した時には、”ヨシュアと共にそれを持ち込み、ダビデ(王)の時代に至った。
前田訳この幕屋をわれらの先祖は受け継ぎ、ヨシュアとともに異邦人の領地に持ち込みました。神が彼らを先祖の前から追放なさったのです。かくてダビデの時代に至りました。
新共同この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。
NIVHaving received the tabernacle, our fathers under Joshua brought it with them when they took the land from the nations God drove out before them. It remained in the land until the time of David,
註解: (▲私訳: -- 「我らの先祖たちはその幕屋をヨシュアと共に引き継ぎ、これを神が我らの先祖たちの面前から追い払い給うた異邦人の土地の中に持ち込んでダビデの時に及んでいる」)イスラエルの先祖たちはこの証の幕屋即ち集会の幕屋を大切に承け継いで来た、ヨシユアのカナン攻略の時はこの幕屋と共にカナンに入りダビデの日に及んだ、この事実を無視してエルサレムの宮のみに特別の意義ある如くに考うる事は誤である。一層広く正しき歴史眼を持つべきである。

7章46節 ダビデ(かみ)(まへ)恩惠(めぐみ)()てヤコブの(かみ)のために住處(すみか)(まう)けんと(もと)めたり。[引照]

口語訳ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。
塚本訳ダビデは神の寵愛を受けたので、“ヤコブの神のために住いを造ることを”神に願ったが、
前田訳ダビデは神の前に恵みを受け、ヤコブの神のために住まいをそなえたいと願いました。
新共同ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、
NIVwho enjoyed God's favor and asked that he might provide a dwelling place for the God of Jacob.

7章47節 (しか)して、その(いへ)()てたるはソロモンなりき。[引照]

口語訳けれども、じっさいにその宮を建てたのは、ソロモンであった。
塚本訳(実際に)“その家を建てたのは(子の)ソロモン(王)であった。
前田訳それでソロモンが神のために家を建てました。
新共同神のために家を建てたのはソロモンでした。
NIVBut it was Solomon who built the house for him.
註解: Uサム7:2以下。神の前に恩恵を得しダビデはエホバの宮(住処)を設くる事を許されず、却って信仰に於てダビデに劣り、その行為に於て多くの不信仰を示せるソロモンが神の宮を建てた。これを見ても神の宮そのものは重大なる意義が無い事を見得べき筈である。
辞解
[住処] skênôma は「幕屋」skênê を一層立派にしたもの
[家] oikos はその更に完全せるもの、ダビデが宮を「住処」と呼んだのは謙遜の心持からである。

7章48節 されど至高者(いとたかきもの)()にて(つく)れる(ところ)()(たま)はず、(すなは)預言者(よげんしゃ)[引照]

口語訳しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、
塚本訳しかし(それは御心にそむいたことで、)いと高きお方は(偶像とちがい、人間の)手で造ったものの中にはお住みにならない。預言者(イザヤ)が言うとおりである。
前田訳しかしいと高き方は手で造ったものの中にはお住みになりません。預言者がいうとおりです、
新共同けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。
NIV"However, the Most High does not live in houses made by men. As the prophet says:

7章49節 (しゅ)宣給(のたま)はく、(てん)()座位(くらゐ)()()足臺(あしだい)なり。(なんぢ)()わが(ため)如何(いか)なる(いへ)をか()てん、わが休息(やすみ)のところは何處(いづこ)なるぞ。[引照]

口語訳『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。
塚本訳“主は言われる、『天はわたしの御座、地はわたしの足台であるのに、どんな家をわたしに建ててくれるのか、どこがわたしの憩いの場所か。
前田訳『主はのたもう、天はわが王座、地はわが足台。あなた方はどんな家をわたしに建ててくれるのか。どこがわたしの休み場か。
新共同『主は言われる。「天はわたしの王座、/地はわたしの足台。お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。
NIV"`Heaven is my throne, and the earth is my footstool. What kind of house will you build for me? says the Lord. Or where will my resting place be?

7章50節 わが()(すべ)(これ)()(もの)(つく)りしにあらずや」と()へるが(ごと)し。[引照]

口語訳これは皆わたしの手が造ったものではないか』。
塚本訳これらは何もかもわたしの手で造ったもの”ではないのか。』
前田訳これらはすべてわが手が造ったのではないか』と。
新共同これらはすべて、/わたしの手が造ったものではないか。」』
NIVHas not my hand made all these things?'
註解: ステパノはイザ66:1、2を引用して神が人造の住家の中に住み給わざる事を強調し、神の宮のみに神が住み給うと考うる事の誤を指摘している。而してこの思想はダビデも(T歴29:10-19、殊にその16節)ソロモンも(T列8:27U歴6:18)自ら之を認めている処であるので、ステパノの主張はダビデやソロモンの思想を否定したのでなく却って之を肯定し、この根本思想を失って神の宮をその本質以上に尊敬せんとするユダヤ人の迷妄を非難したのである。ステパノは神の宮の存在を否定したのではなく、それをその本質のままに把握せんとしたのである。▲イエスは宮より大なる者であり真の神の宮である。

7章51節 項強(うなじこは)くして(こころ)(みみ)とに割禮(かつれい)なき(もの)よ、(なんぢ)らは(つね)(せい)(れい)(さから)ふ、その先祖達(せんぞたち)(ごと)(なんぢ)らも(しか)り。[引照]

口語訳ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
塚本訳“頑固な、”心も耳も割礼も受けていない人たち!”あなた達はいつも“聖霊に逆らってばかりいる、”先祖と同じにあなた達も。
前田訳頑で、心にも耳にも割礼のない人たち、あなた方はいつも聖霊に逆らっています。先祖のようにあなた方もそうです。
新共同かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
NIV"You stiff-necked people, with uncircumcised hearts and ears! You are just like your fathers: You always resist the Holy Spirit!
註解: 本節よりステパノは直接にユダヤ人らに向ってその不信を攻撃する。彼らは(うなじ)強く頑固にして他人の意見を聞かんとしない。又肉体に割礼あるのみで心と耳とに割礼なく、神の御霊を受くる事も出来ず又之を聞入れる耳を持たない、これが昔のユダヤ人の性質であったと同じく、今日のユダヤ人の性質である。これ迄ステパノの論じて来たイスラエルの歴史とその中にあるユダヤ人の罪とは(ことごと)く現在の彼らを指しているのであるにも関らず彼らは之を悟らなかったのは彼らの(うなじ)強く心と耳とに割礼なき故であった。これ以後のステパノの激しき攻撃はイエスのパリサイ人に対する攻撃を思わしめる。

7章52節 (なんぢ)らの先祖(せんぞ)たちは預言者(よげんしゃ)のうちの(たれ)をか迫害(はくがい)せざりし。(かれ)らは義人(ぎじん)(きた)るを(あらか)じめ()げし(もの)(ころ)し、(なんぢ)らは(いま)この義人(ぎじん)()り、かつ(ころ)(もの)となれり。[引照]

口語訳いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
塚本訳先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもあったというのか。先祖は正しい人(イエス)の来ることを予告した人たちを殺し、今(その正しい人が来ると、)あなた達は彼を裏切り、殺す者となった。
前田訳あなた方の先祖が迫害しなかった預言者がひとりでもありましたか。彼らは正しい方の来臨を予告した人々を殺し、今あなた方はその方の裏切りもの、殺し手になりました。
新共同いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
NIVWas there ever a prophet your fathers did not persecute? They even killed those who predicted the coming of the Righteous One. And now you have betrayed and murdered him--
註解: マタ23:29-36。ルカ11:47-51のイエスの激しき攻撃の御言をそのまま思い浮べる事が出来る。ステパノはその最後の場面に於て非常にイエス御自身に似ていた。ステパノは預言者は「義人」イエスの来臨を預言する人であるとし、この預言者を殺ししユダヤ人の子孫らがイエスを殺すに及んで遂に彼らは完全に先祖の桝目を満し、先祖の罪を完成した事を主張した。ユダヤ人らの憤慨するのも当然である。
辞解
[義人] 直接にイエスを指す、イザ53:11によれるものならん(E0)。尚使3:14使22:14Tペテ3:18Tヨハ2:1参照。

7章53節 なんぢら、御使(みつかひ)たちの(つた)へし律法(おきて)()けて、(なほ)これを(まも)らざりき』[引照]

口語訳あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
塚本訳(不思議はない。)天使たちの命令(でモーセ)によって定められた律法を戴きながら、それを守らなかったあなた達のことだから!」
前田訳あなた方は天使の指図で律法を受けましたが、それを守りませんでした」と。
新共同天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
NIVyou who have received the law that was put into effect through angels but have not obeyed it."
註解: もしモーセの律法を真の意味に於て守るならば預言者の言を理解する筈であり、殊にイエスの真価を認識する筈である。汝らはモーセの律法の末節を固執しつつその本体を守らない、かくして我らをモーセの律法を(かえ)えんとする者として非難するけれども、汝らこそ却ってモーセの律法を守らない者である。
辞解
[御使たちの伝えし] 「御使たちの規定としての」の意、当時アレキサンドリヤのフイローン等の学者の思想として神は極めて高く在し、神と人との間に御使ありて仲介を為すと考えていた。ステパノもこの思想に由ったのである。申33:2の七十人訳に「御使たち」とあり。
要義1 [ステパノの弁論の特徴]ステパノがその殉教の死を前にして、詢々(とうとう)としてイスラエルの歴史を叙述しているのは、一見甚だ冗長なるが如くに見えるけれども、実はユダヤ人に対するステパノの愛が斯くならしめるのであった。ステパノは(いたずら)に相手方を刺激する事に快を覚えんとしたのではなく、如何にかして彼らを悟らしめ、悔改むるに至らしめんとしたのであった。その為に彼は出来るだけ穏かにイスラエルの歴史の要点を彼らに語り、その中に彼の言わんと欲する処をことごとく示し、神がイスラエルに与え給える恩恵による約束とその律法の成就者としてのイエスを彼らに示さんとしたのであった。その意味に於てこの弁論はステパノの愛の表現であり、又その聖霊による智慧と、之によりて見しイスラエル歴史観の発表である。
要義2 [ステパノの歴史観]ステパノの弁論の要旨は彼に対するユダヤ人の攻撃に対する暗黙の反駁(はんばく)である。即ち神の宮を(こぼ)つ事の非難に対しては、神は宮にのみ現れ給わず、メソポタミヤにてもカナンにてもエジプトにてもジナイにても彼らに顕現し給いし事、及び宮の前身たる幕屋も、又宮そのものも、神を容れるに足らざる事は宮の建設者たちも之を知り居たる事を述べて、まことの宮なるイエス・キリストを彼らに示し、イエスを信ずる事が真の神の宮を尊む所以たるを論ず。又モーセの律法を()へんとすとの非難に対しては、律法以前にも既に神の約束はしばしば与えられし事、又イスラエルの人々も既にこの律法授与者たるモーセに叛きし事を述べて彼らの反省を促し、又アブラハム、ヨセフ、モーセ等を以てイエスの型と見、彼らに従わず彼らを()むる者を以てユダヤ人の型と見る事によりて、ステパノを迫害するユダヤ人らの姿をその過去の歴史に反映せしめているのである。この意味に於て技工的にもまことに優れた演説であると云わなければならない。これは彼の愛と真実が彼に与えた智慧と技工である。
要義3 [ステパノの信仰]ステパノの信仰は形式や制度を超越せる絶対的信仰であった。イエスを神の子救主なるメシヤとして信ずる事に彼の信仰の総計があった。夫故に彼は到る処に神を拝する事が出来、又モーセの律法を最も完全なる意味に於て守る事が出来た。霊と真とを以て神を拝し、愛によりて律法を完成するイエスの教がステパノに於て美しき実を結んだのである。

2-5-3 ステパノの殉教 7:54 - 7:60

7章54節 人々(ひとびと)これらの(ことば)()きて(こころ)(いかり)滿()切齒(はがみ)しつつステパノに(むか)ふ。[引照]

口語訳人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
塚本訳これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
前田訳これを聞いて人々は心から怒り、ステパノに向かって歯ぎしりした。
新共同人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
NIVWhen they heard this, they were furious and gnashed their teeth at him.
註解: 彼らはイスラエルの歴史を聴きつつその中に示される原理が彼らに適用される事を少しも悟らず(しばら)くの間ステパノの言に耳を傾けていた。ステパノは彼らの(うなじ)強く心と耳とに無割礼なるを見て耐え切れず、彼らに向って最後の爆弾(51-53節)を投じたので彼らは非常なる怒に充されたのであった。
辞解
[怒に満ち] 使5:33辞解参照。

7章55節 ステパノは(せい)(れい)にて滿()ち、(てん)()(そそ)ぎ、(かみ)榮光(えいくわう)およびイエスの(かみ)(みぎ)()ちたまふを()()ふ、[引照]

口語訳しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
塚本訳しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
前田訳彼は聖霊に満ち、天を見つめ、神の栄光と神の右にお立ちのイエスが見えると、
新共同ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
NIVBut Stephen, full of the Holy Spirit, looked up to heaven and saw the glory of God, and Jesus standing at the right hand of God.
註解: この時ステパノは最早や地上の人ではなくその心は聖霊にて充され、その目は天の光景を眺めていた。その処には神の栄光耀き(イザ6:3)イエス神の右に在す。神の右に坐し給いしイエス(マタ26:64マコ16:19ルカ22:69)はステパノが将に殉教の死を遂げんとするを知り立ち上って之を見守り、ステパノを御許に迎えんとの姿勢を取り給うた。
辞解
[神の右に立つ] ここにのみあらわれ(尚ゼカ3:1)、他は「坐す」なる表顕を用う。イエスの緊張し給える姿と考える事が出来る。

7章56節 ()よ、われ(てん)(ひら)けて(ひと)()の、(かみ)(みぎ)()(たま)ふを()る』[引照]

口語訳そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
塚本訳「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
前田訳こういった、「見よ、天が開けて、人の子が神の右にお立ちなのが見えます」と。
新共同「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
NIV"Look," he said, "I see heaven open and the Son of Man standing at the right hand of God."
註解: ステパノの眼中には迫害者は存在せず唯栄光のイエスのみが見えた。信仰の極致はここにある。
辞解
[人の子] 福音書以外には茲だけで他に用いられない。殉教せんとするステパノは最もイエスの御心に近き状態に在った事がこの一語にもあらわれている。

7章57節 (ここ)(かれ)大聲(おほごゑ)(さけ)びつつ、(みみ)(おほ)(こころ)(ひと)つにして()()り、[引照]

口語訳人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、
塚本訳すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
前田訳人々は大声で叫びつつ耳をふさぎ、いっせいに彼めがけて押しかけ、
新共同人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、
NIVAt this they covered their ears and, yelling at the top of their voices, they all rushed at him,

7章58節 ステパノを(まち)より()ひいだし、(いし)にて()てり。[引照]

口語訳彼を市外に引き出して、石で打った。これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
塚本訳彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
前田訳彼を町の外に追い出して石を投げつけた。目撃者たちは自らの上着をサウロという若者の足もとに置いた。
新共同都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
NIVdragged him out of the city and began to stone him. Meanwhile, the witnesses laid their clothes at the feet of a young man named Saul.
註解: 当時議会は死刑を行う権が無かった(ヨハ18:31註参照)。この場合激情の結果の暴行であったけれども議会は之を望んだ事は勿論であり、ローマ政府が之を黙許せるならんと思はれる節が有る。群衆が真理に目覚める事は殆んど無い。
辞解
[大声に叫ぶ] ステパノの弁論を妨げんが為であり、
[耳を掩う] 之を聴かざらんが為である。
[町より逐ひ出し] レビ24:14によりしもの。尚民15:35ルカ4:29ヘブ13:12参照、
[石にて撃つ] 冒涜の罪に対する処罰である。

證人(しょうにん)らその(ころも)をサウロといふ若者(わかもの)足下(あしもと)()けり。

註解: 証人らが先ず彼を石にて撃つべきであった(申17:7)。衣を脱ぎたる所以は、之によりて自由に活動せんが為であった。サウロ後のパウロは当時既に一方の雄であった事が知られる。
辞解
[若者] 25才位より40才位までの人を指す、故にこの一語よりパウロの未婚であった事を証明する事は出来ない(E0)。
[衣を足下に置く] 一肌脱いだ事で大に活躍せんとする身がまえを云う。
[その衣] 証人らの衣。

7章59節 (かく)(かれ)()がステパノを(いし)にて()てるとき、ステパノ()びて()ふ『(しゅ)イエスよ、()(れい)()けたまへ』[引照]

口語訳こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
塚本訳ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
前田訳彼らが石を投げつけていると、ステパノは祈りつづけていった、「主イエス、わが霊をお受けください」と。
新共同人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
NIVWhile they were stoning him, Stephen prayed, "Lord Jesus, receive my spirit."

7章60節 また(ひざま)づきて大聲(おほごゑ)に『(しゅ)よ、この(つみ)(かれ)らに()はせ(たま)ふな』と(よば)はる。()()ひて(ねむり)()けり。[引照]

口語訳そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
塚本訳それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。
前田訳そしてひざまずいて大声で叫んだ、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と。こういって彼は眠りについた。
新共同それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
NIVThen he fell on his knees and cried out, "Lord, do not hold this sin against them." When he had said this, he fell asleep.
註解: ステパノの臨終は主イエスの最後に酷似している。彼の終りまで堅く保ったものは不動の信仰と敵をも愛する愛であった。荒れ狂う敵のただ中に石にて撃たれ迸る血潮にまみれつつ彼は主イエスを呼びその霊を平安の中に彼に委せる事が出来た。又彼に対してあらゆる誤解、非難、暴行を浴せつつあった敵をも愛を以て抱擁し、彼らの罪を彼らの上に置かざらん事を主イエスに祈った。換言すればステパノは愛を以て彼らの罪を自分に引受けたのである。イエスの贖罪の死と同じ心の表われである。斯くして彼は栄光に耀きつつ眠についた。
辞解
[負わせ] 「彼らに帰すな」又は「彼らに置くな」で、彼らの上に彼らの罪を置く意味に取るを可とす。
[眠る] 平和なる死を形容するに最も適当な用語、聖書以外にも用いらる。勿論肉体について言うのであって霊魂までも眠ると云うのではない(C1)。
要義 [ステパノの殉教の意義]ステパノの殉教が当時の人心に非常に大なる影響を与えし事は、之がパウロの回心の一因を為したこと、之が聖書中に詳細に記録される事、又之が為にエルサレムの教会に大なる迫害が起った事等を見ても明かである。多くの殉教の死の中に於て、ステパノの死が殊に偉大なる影響を与えし所以は、彼が徹頭徹尾愛の心を失わなかった事であった。如何なる場合に於ても人を真に感動せしむるものはその雄弁でもなく、豪勇でもなく、又その泰然たる死でもなく、その愛である。

使徒行伝第8章

分類
3 ユダヤ、サマリヤに於ける使徒の活動 8:1 - 10:47
3-1 エルサレム教会の迫害 8:1 - 8:3

8章1節 サウロは(かれ)(ころ)さるるを()しとせり。[引照]

口語訳サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。
塚本訳サウロは(石は投げなかったが、)ステパノを殺すことに賛成であった。その日エルサレムの集会に対して大迫害がおこり、使徒たち以外(の信者)は皆、ユダヤとサマリヤとの田舎に散らばった。
前田訳サウロはステパノの虐殺に賛成していた。その日、エルサレムの集まりに大迫害がおこり、使徒たちのほかは皆ユダヤとサマリアとの諸地方に散らされた。
新共同サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。
NIVAnd Saul was there, giving approval to his death. On that day a great persecution broke out against the church at Jerusalem, and all except the apostles were scattered throughout Judea and Samaria.
註解: (この部分は前章の末節に附加するを適当とす。)これを見てもサウロ即ち後の大使徒パウロは、基督教に対する反対者の頭目であった事が判明る。
辞解
[可しとせり] 原語他の人々の為した事を彼もまた喜んだ事を意味す。

その()

註解: ステパノの殉教の即日であった。敵は一日の猶予をも与えなかった(B1、E0、M0、C1等)。但しこの迫害が一日で終ったものと見る必要は無い(A1)。

エルサレムに()教會(けうくわい)(むか)ひて(おほい)なる迫害(はくがい)おこり、

註解: (▲迫害したのは群集であろうが、祭司学者たちはこれを見てよろこび、これを放置した。あるいは陰からケシカケタものと思われる。一朝にしてユダヤ教と基督者が分裂してしまったのである。)是は基督教に対する一般的迫害の最初のものである。主イエスが迫害をうけ給うた。その弟子もまた迫害されるは当然である。

使徒(しと)たちの(ほか)(みな)ユダヤ(およ)びサマリヤの地方(ちはう)(ちら)さる。

註解: 使徒たちは主の羊の牧者たる責任を重んじて生命の危険を冒して踏止ったのであろう。他の人々は恐らく使徒たちの勧によりて逃れたのであろう、この場合(いたずら)に敵に反抗し彼らを刺激するは無益の事であったから。尚ステパノの事に由る迫害はギリシヤ語のユダヤ人に対して猛烈であったと見得べき理由がある。
辞解
[皆] 大多数の意味ならん。

8章2節 敬虔(けいけん)なる人々(ひとびと)ステパノを(はうむ)り、(かれ)のために(おほい)(むね)()てり。[引照]

口語訳信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。
塚本訳しかし信心深い人たちが(集まって)ステパノを埋葬し、彼のために盛大な哀悼の式を行った。
前田訳敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のためにはげしく胸を打って悲しんだ。
新共同しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
NIVGodly men buried Stephen and mourned deeply for him.
註解: ステパノを殺さんとせし極端者流は勿論多数ではなかった。多数は恐らく心竊(こころひそか)にステパノの死を惜んだ事であろう。唯その中に少数の勇敢なる篤信なる人々ありて大胆に迫害の最中にステパノを葬ってその悲嘆を表明した。こうした勇者は多くはない。これがニコデモとガマリエルであったとの伝説あれど、もとより伝説に過ぎない。
辞解
[敬虔なる人々] ユダヤ人なりや基督者なりやにつき諸説あり、前節の「皆」を全部と解せざる以上、ユダヤ人と基督者の双方(E0)と見て可なり。

8章3節 サウロは教會(けうくわい)をあらし、[引照]

口語訳ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。
塚本訳サウロは、しかし、集会をたたきつぶそうとして、(信者の)家という家に押し入り、男女の別なく引っ張っていって牢に入れた。
前田訳サウロは集まりを荒らし、家々に入って、男も女も引っ張って牢に入れた。
新共同一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
NIVBut Saul began to destroy the church. Going from house to house, he dragged off men and women and put them in prison.
註解: (▲1節、3節その他にある「教会」ekklêsia は今日の教会とは全然性格を異にしているゆえ「集会」と訳すべきである。今日の教会のようなものは新約聖書の時代に存在しなかった。)野猪(いのしし)が葡萄園を荒らすがごとくにあらすこと。

家々(いへいへ)()男女(なんにょ)引出(ひきいだ)して(ひとや)(わた)せり。

要義1 [迫害に対する態度]使徒たちと信徒たちが、迫害の際に異れる行動を取った事は注意しなければならない。迫害に際し(いたずら)に反抗して迫害者を刺激する如き事は無益である。また殉教者として英雄視せられん事を欲するが如きは一種の自己中心主義である。しかしながら自己の使命(例えば使徒は牧者としての使命あり)を捨てて逃れるが如き事は卑怯である。我らは静に敵をして反省せしむる如き態度を取り、自己の使命即ち神よリ命ぜられし職務を確保してその一線に踏止るべきである。1-3節に於ける使徒たち及び信徒たちの態度は大体に於て(よろし)きを得ていると見るべきである。
要義2 [エルサレム教会の基督者の財産関係]迫害によりて散される以前に彼らはその資産の大部分を売り弟子たちの足下に置きて教会全体の必要に応じた(使4:32-35)。この一見無謀に見ゆる行為が結局彼らの資産を最善の方法に使用せる結果となった。何となればもし彼らがその資産を所有していたならば、この迫害により凡てを失うに至った事は必然であったからである。神に依頼む者には経済法則以上の経済生活が可能である。


3-2 サマリヤ伝道 8:4 - 8:40
3-2-1 ピリポ、サマリヤに福音を伝う 8:4 - 8:8

8章4節 (ここ)(ちら)されたる(もの)ども()(めぐ)りて御言(みことば)()べしが、[引照]

口語訳さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。
塚本訳さて(この迫害で各地に)散らばった者は、あるき回りながら御言葉を伝えた。
前田訳散らされた人々はめぐり歩いてみことばを伝えた。
新共同さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
NIVThose who had been scattered preached the word wherever they went.
註解: 迫害が却って福音を広むる原因となった。神は人の反逆をも御栄の為に利用したまう。
辞解
[御言] 神の言。
[宣ぶ] euangelizomai 「福音を伝う」の意。

8章5節 ピリポはサマリヤの(まち)(くだ)りてキリスト[の(こと)]を(つた)ふ。[引照]

口語訳ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。
塚本訳一方、(世話役の一人であった)ピリポはサマリヤの町に下り、(そこの)人々に救世主のことを説いた。
前田訳ピリポはサマリアの町に下って人々にキリストをのべ伝えた。
新共同フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
NIVPhilip went down to a city in Samaria and proclaimed the Christ there.
註解: サマリヤ人とユダヤ人は互に相反目していた。その地にキリストを宣伝える事は(あつ)き信仰と、キリストによりて、人種間、国民間の障壁が取除かれた事とに因る。▲福音の普遍性が理論によらずして弟子たちの心に具体化した証拠である。
辞解
[ピリポ] 使徒ピリポではなく七人の執事の一人ピリポ(使6:5。尚お使21:8のピリポも同人)である。福音の宣伝は必ずしも使徒より任命される事を要しない。▲▲十二使徒の中に、その伝道について聖書の中に何も録されていないものが少なくないとういことは注意すべき事実である。
[サマリヤの町] サマリヤ地方の主都の意、尚冠詞を欠く異本あり、此場合サマリヤの或町またはサマリヤなる名称の町の意となる。
[キリストの事を伝う] 原文「キリストを伝う」で、キリストを伝える事が福音の総計である(B1、C1)。

8章6節 群衆(ぐんじゅう)ピリポの(おこな)(しるし)()(きき)して、(こころ)(ひと)つにし、(つつし)みて()(かた)(こと)どもを()けり。[引照]

口語訳群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた。
塚本訳群衆全体が一人のようになって、ピリポの言葉に耳を傾けた。彼の行った(不思議な)徴を聞いたり見たりしたからである。
前田訳群衆はピリポの語に耳傾け、心をひとつにしてそれを聞き、また彼のした徴を見た。
新共同群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
NIVWhen the crowds heard Philip and saw the miraculous signs he did, they all paid close attention to what he said.
辞解
[謹みて聴く] prosechô は此場合愛着の心を以て注意する事。尚ピリポは癒しの霊を多く持てるものの如くである。

8章7節 これ(おほ)くの(ひと)より、(これ)()きたる(けが)れし(れい)大聲(おほごゑ)(さけ)びて()で、また中風(ちゅうぶ)(もの)跛者(あしなへ)(おほ)(いや)されたるに()る。[引照]

口語訳汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。
塚本訳実際、汚れた霊につかれている多くの人があったが、それが大声を出して叫びながら飛び出したのである。多くの中風の者や足なえもなおされた。
前田訳事実多くの人が汚れた霊につかれていたが、それらは大きな叫びをあげて出ていった。多くの中風やみや足なえもいやされた。
新共同実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。
NIVWith shrieks, evil spirits came out of many, and many paralytics and cripples were healed.
註解: サマリヤの人々ピリポの言に耳を傾けたのは主としてその奇跡を見たからであった。これその信仰の不充分なりし原因である。奇跡を見て信ずる者の中には利己心の片影が残存する。

8章8節 この(ゆゑ)にその(まち)(おほい)なる勸喜(よろこび)おこれり。[引照]

口語訳それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。
塚本訳その町は大喜びであった。
前田訳その町には大きなよろこびが訪れた。
新共同町の人々は大変喜んだ。
NIVSo there was great joy in that city.
註解: 人は病を医される時大に喜ぶ。それにも関らず心の病の医されん事を望まない。
要義 [人の業と神の御旨]神は人間の行動を利用して人間の予期せざる結果を造り出し給う。夫ゆえに基督教に於て人の心、思わざりし処の事柄が多く実現する。エルサレムに於ては基督教の撲滅の為に激しき迫害が行われたにも関らず、それが却て福音伝播の原因となりつつある事は全く意想外の事であった。また福音がユダヤ人に嫌われてサマリヤ人に受納れられる如きも、神の為し給う処の不思議の一つであった。これによって我らは唯神の偉大を仰がしめられる。

3-2-2 ピリポとシモン・マグス 8:9 - 8:13

8章9節 (ここ)にシモンといふ(ひと)あり、[引照]

口語訳さて、この町に以前からシモンという人がいた。彼は魔術を行ってサマリヤの人たちを驚かし、自分をさも偉い者のように言いふらしていた。
塚本訳すると前からこの(サマリヤの)町にシモンという男がいて魔術を行っていたが、自分を何か(神通力でもある)えらい者のように言いふらし、サマリヤの住民をびっくりさせていた。
前田訳シモンという人がこの町に前からいて、自分をひとかどのものといいふらしつつ、魔術をしてサマリアの人々をおどろかせていた。
新共同ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。
NIVNow for some time a man named Simon had practiced sorcery in the city and amazed all the people of Samaria. He boasted that he was someone great,
註解: シモン(シモン・マグスと呼ばる、大シモンの意)につきては初代教父たちの著書に多くの記事を見る事が出来る。一、二世紀頃彼の名の下に行われるグノシス派の一派あり、相当の勢力あり、基督教と対立していた事、その所説の内容がグノシス説に近き事、それが二世紀末に於ては極めて少数の信奉者を有するのみとなった事等は事実と見るべきであるけれども、その他の種々の伝説の中には多くの誤伝もあるらしく、殊に全く作話に属するものもある。但し初代教父たちが多くの関心を払った名称であった事は確かである。
辞解
[▲…人あり前に] 口語訳の「以前からいた」が正しい。Prohuparchô

(さき)にその(まち)にて魔術(まじゅつ)(おこな)ひ、

註解: サマリヤ人に魔術を行う者が多いことはエジプトにても知られている位であった。

サマリヤ(びと)(をどろ)かして(みづか)(おほい)なる(もの)(とな)へたり。

註解: 彼は人を驚かすに足るだけの能力を有し、人の前に自らを誇示する芝居気を持っていた、いわゆる中々の「やりて」であった事は確である。しかしながらこの種の人間に尊敬に値すべき人は無い。
辞解
[驚かす] 三度用いらる(1113節)。

8章10節 (せう)より(おほい)(いた)(すべ)ての(ひと)つつしみて(これ)()き『この(ひと)は、いわゆる(かみ)大能(たいのう)なり』といふ。[引照]

口語訳それで、小さい者から大きい者にいたるまで皆、彼について行き、「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていた。
塚本訳彼らは子供から年寄りに至るまで皆、シモン信者になり、「これこそいわゆる大能の(生き)神様だ」と言った。
前田訳小さいものから大きいものまで皆が彼に心を寄せ、「この人こそ神の力で、大能といわれるものだ」といった。
新共同それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。
NIVand all the people, both high and low, gave him their attention and exclaimed, "This man is the divine power known as the Great Power."
註解: 彼はサマリヤ全市民の崇拝の的となり、神より遣されし人として尊敬されていた。
辞解
[つつしみて聴き] 6節辞解参照、尚11節も同様。▲▲「聴き」prosechôは「注意する」「警戒する」(マタ6:1マタ7:15等々)「心を寄せる」(Tテモ1:4Tテモ4:1)等と訳され、心を集中して目を放さないことの意味に用いられる。
[神の大能] 神の人と云う如き意。

8章11節 かく(つつし)みて()けるは、(ひさ)しき(あいだ)その魔術(まじゅつ)(をどろ)かされし(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳彼らがこの人について行ったのは、ながい間その魔術に驚かされていたためであった。
塚本訳彼らが(このように)シモン信者になったのは、かなり長い間魔術でびっくりさせられていたからである。
前田訳人々が彼に心を寄せたのは、かなりの間その魔術におどろかされていたからである。
新共同人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。
NIVThey followed him because he had amazed them for a long time with his magic.
註解: サマリヤの人々は奇跡や魔術に驚かされる性質を多分に有していたものと見える。健全なる信仰の無き処、この種の事柄が非常に暴威を振う。

8章12節 (しか)るにピリポが、(かみ)(くに)とイエス・キリストの御名(みな)とに()きて宣傳(のべつた)ふるを人々(ひとびと)(しん)じたれば、男女(なんにょ)ともにバプテスマを()く。[引照]

口語訳ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
塚本訳しかしピリポが(来て)神の国とイエス・キリストの名とについて福音を伝えると、男も女も(今度は)ピリポ(の言葉)を信じて(信仰に入り、)洗礼を受けた。
前田訳しかしピリポが神の国とイエス・キリストのみ名について福音を伝えると彼らは信じ、男も女も洗礼を受けた。
新共同しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。
NIVBut when they believed Philip as he preached the good news of the kingdom of God and the name of Jesus Christ, they were baptized, both men and women.
註解: 原文直訳は「宣伝えるピリポを信じたる時」となる。この信仰が聖霊を受けざる空虚なる信仰であった事は16節によりて明かである。バプテスマのみにては人に信仰を与える事が出来ない。彼らは恐らく神の国とイエス・キリストの事よりも、ピリポの奇跡におどろかされた為にバプテスマを受けたのであろう。△こうした宣教を信じても16節のようにその宣教が空であったことは反省すべき点である。

8章13節 シモンも(また)みづから(しん)じ、バプテスマを()けて、(つね)にピリポと(とも)()り、[引照]

口語訳シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。
塚本訳ついにシモン自身も信じて洗礼を受け、いつもピリポにくっついていて、 いろいろな(不思議な)徴や大がかりな奇跡が行われるのを見て、呆気にとられていた。
前田訳シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもピリポについていた。そして徴や大規模な奇跡がなされるのを見ておどろいていた。
新共同シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。
NIVSimon himself believed and was baptized. And he followed Philip everywhere, astonished by the great signs and miracles he saw.
註解: シモンの信仰もまた空虚なる信仰であった。ピリポの治癒の力におどろかされたに過ぎないのであった。ピリポより出づる力は魔術師の有する力に比すべくもなく強かったからである。
辞解
[偕に居り] proskartereô は固着して離れない事(使1:14使2:42使6:4辞解参照)。ピリポに対して非常に熱心であった事が判明る。

その(おこな)(しるし)と、(おほい)なる[能力(ちから)](能力(ちから)ある(わざ))とを()(をどろ)けり。

註解: このおどろきの心がシモンをしてピリポに執着せしめし所以であった。福音を信ずる心は純粋に神の前に卑下(へりくだ)りて罪を悔改むる心からでなければならない。
要義 [信仰の階段]信仰には種々の階段があり程度がある。信仰なる一の名称の中に種々なる内容がある事を注意しなければならない。サマリヤ人もシモンも共に信じてバプテスマを受けた。併しこの信仰はイエスを主と呼ぶ聖霊を受けない信仰であった、即ち伝道者ピリポの人格及びその言葉及び業を信受した程度のものであった、こうした信仰を以て救われるや否やに就てはここに何等の言明が無いのは、救うと救わざるとは神の御旨なるが故である。唯聖霊によらざる信仰は罪の救の確信を伴う事が出来ず、神とキリストとに対する絶対信頼の信仰では無い。

3-2-3 ペテロとヨハネ、サマリヤに往く 8:14 - 8:25

8章14節 エルサレムに()使徒(しと)たちは、サマリヤ(びと)(かみ)御言(みことば)()けたりと()きて、ペテロとヨハネとを(つかは)したれば、[引照]

口語訳エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。
塚本訳エルサレムにいた使徒たちは(ピリポによって)サマリヤ(の人々)が神の言葉を受け入れたと聞くと、(さっそく)ペテロとヨハネとをそこにやった。
前田訳エルサレムにいた使徒たちは、サマリアが神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとをつかわした。
新共同エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。
NIVWhen the apostles in Jerusalem heard that Samaria had accepted the word of God, they sent Peter and John to them.
註解: 使徒たちは監督権を行使せんとしたのではなく、福音の伝播につきて責任を感じていたのである。またペテロ、ヨハネ等使徒団の首脳者も、自ら命令権を有したのではなく、彼らの間は極めて自由なる関係にあった。ゆえにペテロ、ヨハネを「派遣する」如き事となる。ペテロが使徒団の首脳者たるは事実関係であって法律関係ではなかった。▲「神の言を受ける」ことと「聖霊を受けること」とは同一ではない。前者は理性的にできることであるが後者は神の賜物であり新生である。

8章15節 (かれ)(くだ)りて人々(ひとびと)(せい)(れい)()けんことを(いの)れり。[引照]

口語訳ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。
塚本訳二人は下っていって、サマリヤの人々が聖霊を受けるようにと祈った。
前田訳ふたりは下っていって、人々が聖霊を受けるよう祈った。
新共同二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。
NIVWhen they arrived, they prayed for them that they might receive the Holy Spirit,
註解: 伝道者の最大の務は祈ることである(B1、C1)この祈が応えられてやがて彼らに聖霊が下った。

8章16節 これ(しゅ)イエスの()によりてバプテスマを()けしのみにて、(せい)(れい)いまだ()一人(ひとり)にだに(くだ)らざりしなり。[引照]

口語訳それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。
塚本訳彼らには、まだだれにも聖霊が下っていなかったからである。ただ主イエスの名で洗礼を受けていただけであった。
前田訳それは彼らはただ主イエスのみ名によって洗礼を受けていただけで、まだだれにも聖霊が下っていなかったからである。
新共同人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。
NIVbecause the Holy Spirit had not yet come upon any of them; they had simply been baptized into the name of the Lord Jesus.
註解: 聖霊をうけし者は異言をかたりまた預言した(使10:46使19:6)。併し是は聖霊の多くの賜物の一種であって(Tコリ12:1-12、Tコリ12:28-31)、決してこれに限られたのではない。夫ゆえに聖霊を受けていると然らざるとは、是等の多くの賜物の一つもそこに存在せざる事を意味す。ペテロとヨハネはサマリヤに下りて先づこの欠陥を感じたのであった。バプテスマの式は必ずしも聖霊を受けた事の証拠とはならない。

8章17節 (ここ)二人(ふたり)のもの(かれ)らの(うへ)()()きたれば、みな(せい)(れい)()けたり。[引照]

口語訳そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。
塚本訳そこで二人が彼らに手をのせると、聖霊を受けた。
前田訳そこで使徒たちが手をのせると、彼らは聖霊を受けた。
新共同ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
NIVThen Peter and John placed their hands on them, and they received the Holy Spirit.
註解: 按手なる形式が聖霊を与える力がある訳ではなく、使徒たちの熱心なる祈と、その愛心の発露としての按手即ち自己に与えられしものを分与するこの形式とが神の御心にかない、神によりてこの結果を招来したのである。▲▲ピリポの為し得なかったことをペテロとヨハネが為し得たのは賜物の大小の差であろう。

8章18節 使徒(しと)たちの按手(あんしゅ)によりて()御靈(みたま)(あた)へられしを()て、[引照]

口語訳シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、
塚本訳使徒たちが手をのせることによって御霊が授けられるのを見たシモンは、二人に金を差し出して
前田訳シモンは、使徒たちが手をのせることによって霊が与えられるのを見て、彼らに金を差し出し、
新共同シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、
NIVWhen Simon saw that the Spirit was given at the laying on of the apostles' hands, he offered them money
註解: ここに「見て」とある以上聖霊の賜物を受けし人の有様が以前と異る著しきものがあったに相違ない。

シモン(かね)()(きた)りて()ふ、

8章19節 『わが()()くすべての(ひと)(せい)(れい)()くるやうに()權威(けんゐ)(われ)にも(あた)へよ』[引照]

口語訳「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。
塚本訳言った、「手をのせれば、人が聖霊を戴くことのできるその力を、わたしにも授けてください。」
前田訳「わたしが手をのせたものが聖霊を受けるようなその権威を、わたしにもください」といった。
新共同言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」
NIVand said, "Give me also this ability so that everyone on whom I lay my hands may receive the Holy Spirit."
註解: シモンはその心未だ神の前に歩まず、唯自己の慾心と野心とに支配せられていた。神の賜物の何たるかを知らない結果金銭を以てこれを買取り得べしと考え、またこれによりて人々に聖霊を与えんとする事は、実はこれによりて自己の名声や勢力を得んが為であった。これを以て見るもシモンのバプテスマは彼に何をも与えなかった事が判明る。
辞解
[権威] exousiaは「権」を伴った「力」であって、単なる「力」dynamisと同一ではない。10節および口語訳参照。

8章20節 ペテロ(かれ)()ふ『なんぢの(ぎん)(なんぢ)とともに(ほろ)ぶべし、[引照]

口語訳そこで、ペテロが彼に言った、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。
塚本訳ペテロがシモンに言った、「金もお前も地獄行きだ!神の(恩恵の)賜物を金で手に入れようと考えたのだから。
前田訳ペテロが彼にいった、「お前の金はお前もろとも亡びよ。お前は神の賜物を金で得ようと考えているから。
新共同すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。
NIVPeter answered: "May your money perish with you, because you thought you could buy the gift of God with money!
註解: 汝の心は汚れて居り従ってその金も汚れている。共に亡びてしまうがよいとの意、強き心持を表す。
辞解
[亡ぶべし] 「亡びんことを」との祈願法。

なんぢ(かね)をもて(かみ)賜物(たまもの)()んと(おも)へばなり。

註解: こうした者は神の賜物の何たるか、またその如何に貴きかを知らない。神の賜物は唯打砕かれし心にのみ与えられ、その値は千金よりも貴い。

8章21節 なんぢは()(こと)關係(かかはり)なく干與(あづかり)なし、なんぢの(こころ)(かみ)(まへ)(ただ)しからず。[引照]

口語訳おまえの心が神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。
塚本訳お前はこの事の分け前にも相続にも、あずかれない。“心が”神の目に“真直ぐでない”からだ。
前田訳お前はこのことの分け前にも相続にもあずかれない、心が神の前にまっすぐでないから。
新共同お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。
NIVYou have no part or share in this ministry, because your heart is not right before God.
註解: シモンの如き者は聖霊を与える権威とは全然無関係である。神の前に正しからざる心を以て、神の賜物を受くる事は出来ない。

8章22節 ()ればこの(あく)悔改(くいあらた)めて(しゅ)(いの)れ、なんぢが(こころ)(おもひ)、あるひは(ゆる)されん。[引照]

口語訳だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。
塚本訳だからこの悪いことを悔改めて、主に祈ったがよかろう。あるいはお前の(曲った)出来心を赦していただけるかも知れない。
前田訳それゆえこの悪を悔い改めて主に祈りなさい。あるいはお前の出来心がゆるされるかもしれない。
新共同この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。
NIVRepent of this wickedness and pray to the Lord. Perhaps he will forgive you for having such a thought in your heart.
註解: 自ら大なる者と唱えていたシモンはこの時その真の姿を示された。即ち、その心は次節に示される如く全く悪の固であった。彼に取りては神の審判によりて亡されるより外に途がなく、この亡より免れる唯一の途は、その心の悪を悔改め、打砕かれし心を以て神の前に平伏す事であった。ペテロは「あるいは」と云いて「必ず」と云わなかったのは、シモンの罪があまりに重大だからであった。

8章23節 (われ)なんぢが(にが)膽汁(たんじふ)不義(ふぎ)(つなぎ)とに()るを()るなり』[引照]

口語訳おまえには、まだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。それが、わたしにわかっている」。
塚本訳お前が“胆汁のような苦い心”また“不道徳の虜”になっているのが、わたしに見えるからだ。」
前田訳お前がにがい胆汁と不義の絆(ほだし)の中にいることがわたしには見える」と。
新共同お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」
NIVFor I see that you are full of bitterness and captive to sin."
註解: 申29:17イザ58:6参照。汝の心は苦き悪念に充ち、また不義を愛する心の繋につながれている。かゝる心を悔改むる事が汝の(ほろび)を免れる唯一の途である。
辞解
[胆汁] cholê はまた「にがぜり」(申29:17)なる一種の植物とも見る事を得、ヘブル語のローシに当る。またヨブ20:14には「毒」の意味にも用う。
[不義の繋] 不義を以て人を繋ぐ意味にも解する人があるけれども不可。
[居る] 「陥り居る」と訳すを可とす。eis を用う。

8章24節 シモン(こた)へて()ふ、『なんぢらの()(ところ)のこと(ひと)つも(われ)(きた)らぬやう(なんぢ)()がために(しゅ)(いの)れ』[引照]

口語訳シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。
塚本訳シモンが答えて言った、「あなた方が、わたしのために主に祈ってください、いま言われたことが決してわたしに起こらないように。」
前田訳シモンが答えた、「あなた方がわたしのため主に祈ってください、おっしゃったことがわたしにおこらないように」と。
新共同シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」
NIVThen Simon answered, "Pray to the Lord for me so that nothing you have said may happen to me."
註解: シモンはペテロの大喝(だいかつ)により戦慄し、神の審判を甚しく恐れた。彼は未だ自己の罪を悟らずこれを悔改むる事をしなかった。彼は聖書のこの記事によるも徹頭徹尾利己主義、自己中心主義である事が判り、また後の時代の伝説もこれを裏書する。▲要義5参照。

8章25節 (かく)使徒(しと)たちは(あかし)をなし、(しゅ)御言(みことば)(かた)りて(のち)、サマリヤ(びと)(おほ)くの(むら)福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へつつエルサレムに(かへ)れり。[引照]

口語訳使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。
塚本訳さて使徒たちは証しをし、また主の言葉を語ったのち、エルサレムに帰った。(道すがら、)多くのサマリヤ人の村々でも福音を伝えた。
前田訳さて使徒たちは証をし、主のことばを語ってエルサレムヘ帰った。彼らはサマリア人の多くの村でも福音を伝えた。
新共同このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。
NIVWhen they had testified and proclaimed the word of the Lord, Peter and John returned to Jerusalem, preaching the gospel in many Samaritan villages.
註解: 福音はその当初に於て既に世界的であり、人種国籍の差を眼中に置かない事、また当初より伝道的である事がこの事実を以て知る事が出来る。ユダヤ人は本来サマリヤ人とは交らなかったのに、ペテロ等はこの習慣を克服して福音を伝えた。
要義1 [使徒団の地位]福音がサマリヤに伝わりしを聞くや否やエルサレムの使徒団はペテロとヨハネとを遣した。是は見様によっては使徒団が全世界にその監督者を行使せんとする政治的意味にも取り得ない事はなく、かく解する事によりて使徒団が全教会の上に統率権を有するとする説の根拠ともなし得ざるに非ざるも、実は使徒団は主イエスより全世界に福音を宣伝うべき事を命ぜられし為に、各地に於ける福音宣伝の実情に対し重い責任感を有っていた為であった。夫ゆえにサマリヤにもアンテオケにも(使11:22)使徒たちを遣して彼らを助けたのであって、これを自己の権威の下に置かんとする政治的野心の為と解する事は使徒たちの心を理解しないものである。
要義2 [ペテロの権威]ペテ口は十二使徒の首であった事は聖書の到る処にこれを見る事が出来る。しかしながら是はその信仰、人格、徳望が自然使徒団中に重きをなし、イエスの信任が最も厚く、多くの場合使徒団の先頭に立ちて活躍したのであって、ペテロが使徒の首長たる法律的または制度的資格を有ったのではない、14節にペテロが使徒団の命に従う如き事はこの事実を証明するのであって、ローマ・カトリック的の意味に於けるペテロの地位または権威は聖書に根拠を有って居ない。尚マタ16:15-20註及び要義を見よ。
要義3 [洗礼と按手と聖霊賜与との関係]使徒行伝の示す処によればこの三者には何等必然的の関係はない。使8:17使19:6に於ては手を按く事によりて聖霊が下った様に録されているけれども、使2:4使10:44に於ては手を按かずして聖霊が降り、使6:6に於ては手を按いているけれども聖霊の降下が無い。またバプテスマと聖霊の降下とも関係が無い事は使8:12使8:16使19:2によりてこれを知る事を得。且、使19:3-5によればヨハネのバプテスマは無効なれども主イエスの名によるバプテスマが聖霊降下の原因となりし如くであるけれども、使8:16によれば主イエスの名によりてバプテスマを受けても無効であった。また使10:44-48によれば聖霊を受けて後にイエス・キリストの名によりてバプテスマを受けた。即ちこの両者の間にも因果関係は無い。また按手が使徒のみの特権では無いことは使9:17にアナニヤがパウロに手を按けるを見てこれを知る事が出来る。要するに是等の形式を特に意義あるものとし、これによらずしては聖霊の賜物を受け得ざるが如くに主張するに至ったのは、後世に至って教会が制度化したる後の産物である。
要義4 [聖霊を受けし証拠]使2:2-4に於ては風の如き響、火の舌の如きもの、及び異邦の言にて語る等の外的現象が伴い、また使10:46使19:6等にも異言を語り、または預言する等の現象が起った。然らば是等の現象が起らなければ聖霊の降下が無かったかと云うに然らず、Tコリ12:8-10によれば聖霊の賜物は(1)智慧の言、(2)知識の言、(3)信仰、(4)治病、(5)異能ある業、(6)預言、(7)霊を(わきま)うる力、(8)異言、(9)異言を釈く力等の種類あり、またTコリ12:28-30によれば聖霊の賜物の種類により人の使命を分類して、(1)使徒、(2)預言者、(3)教師、(4)異能ある業、(5)治病の力、(6)補助者、(7)治むる者、(8)異言等を挙げている。夫ゆえに異言と預言とのみが聖霊降下の証拠ではない。以上に列挙せられし如き現象の何れか一つでも実在すれば聖霊降下の証とする事を得。但し是等の中の一も存在しないならば聖霊が与えられて居ないと云う事が出来る。
要義5 [シモニー(聖職売買)に就て]シモン・マグスの記事よりシモニーなる語が生じ、中世紀に於て行われた聖職売買の事実を指す名称となった。今日も信仰の事柄、神の事柄を、金銭や、この世の制度や、運動や、人間の力を以て為し得ると考へえるのはこのシモニーの一種であると云う事が出来よう。この意味に於けるシモニーは今日の基督教会に充満しているのであって、彼らはシモンを非難する資格が無い。

3-2-4 ピリポ、エチオピヤの閹人(えんじん)に福音伝う 8:26 - 8:40

8章26節 (しか)るに(しゅ)使(つかひ)ピリポに(かた)りて()[引照]

口語訳しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。
塚本訳時に主の使がピリポに言った、「立って、南の方に向かって行き、エルサレムからガザ(の町)へ下る道に出よ。それは人通りの少ない道である。」
前田訳主の使いがピリポにいった、「立って南に向かい、エルサレムからガザに下る道を行け」と。そこは砂漠である。
新共同さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。
NIVNow an angel of the Lord said to Philip, "Go south to the road--the desert road--that goes down from Jerusalem to Gaza."
註解: ピリポは天使の声を聴いた、これを強てピリポの内心の声と解すべきではない。
辞解
[然るに] de は「時に」または「さて」と云う程の意。

『なんぢ()ちて(みなみ)(むか)ひエルサレムよりガザに(くだ)(みち)()け。そこは荒野(あらの)なり』

註解: 北に向って行ったピリポが南に向って進むべく命ぜられた事は特別の神の御言による事であった。
辞解
[そこは] ガザの町を指すか、ガザに至る途を指すかにつき説分る。多分後者が適当であろう。即ちあまり人通りの無き途に行けと命ぜられ、これに従って行きしに大なる獲物に邂逅(かいこう)した事は神の導きに相違なかった事を示す。尚ガザは昔は繁華な市であったが紀元前九十六年に戦乱に由り荒廃に帰した。新しきガザの町は別に建設されたけれども古き町は荒野であった。この意味に於て前説も理由ある事となる。

8章27節 ピリポ()ちて()きたれば、()よ、エテオピヤの女王(にょわう)カンダケの權官(けんくわん)にして、(すべ)ての寳物(はうもつ)(つかさ)どる閹人(えんじん)、エテオピヤ(びと)あり、[引照]

口語訳そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、
塚本訳彼は立って出かけた。ちょうどそこに一人のエチオピヤ人が通りかかった。この人はエチオピヤの女王カンダケの宮内官で、女王の全財産を監理している宦官であったが、礼拝のためエルサレムに行って、
前田訳彼は立って出かけた。すると、見よ、ひとりのエチオピア人がいた。それはエチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理している宦官であった。彼はエルサレムヘ礼拝に行き、
新共同フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、
NIVSo he started out, and on his way he met an Ethiopian eunuch, an important official in charge of all the treasury of Candace, queen of the Ethiopians. This man had gone to Jerusalem to worship,
註解: ピリポは思いがけなくも荒野に於てエテオピヤの顕官(けんかん)に出逢った。神の御使の言葉の意味はこれであった事をピリポは悟ったのであろう。
辞解
[エテオピヤ] その女王がソロモン王を訪問して以来聖書を信ずる国民となった。
[カンダケ] ツアールとかカイゼルとか云う如き、女王に共通の称呼。
[閹人] また宦官とも云う、去勢せる男子の高官、単に「顕官」の意味にも用いらる。但しこの場合は真の閹人であったろう。

禮拜(れいはい)(ため)にエルサレムに(のぼ)りしが、

註解: 過越の祭その他の祭礼に際して巡礼の為にエルサレムに上る事は当時多く行われていた。

8章28節 (かへ)(みち)すがら馬車(ばしゃ)()して預言者(よげんしゃ)イザヤの(ふみ)()みゐたり。[引照]

口語訳その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
塚本訳今はその帰り道であった。車の上に坐り、(声を出して)イザヤ預言書を読んでいた。
前田訳今帰るところで、車にすわり、イザヤの預言を読んでいた。
新共同帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
NIVand on his way home was sitting in his chariot reading the book of Isaiah the prophet.
註解: 神はこの閹人(えんじん)を悔改めしむべき凡ての準備を整え、彼をして主イエスを信ぜしめん為にイザ53:7、8を彼に読ましめ、彼をしてその意味を考慮せしめ給うた。神の御手はかくして我らを導く。

8章29節 御靈(みたま)ピリポに()(たま)ふ、『ゆきて()馬車(ばしゃ)近寄(ちかよ)れ』[引照]

口語訳御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。
塚本訳御霊がピリポに、「行って、あの車にぴったりついて歩け」と言った。
前田訳み霊がピリポにいった、「近づいて、あの車について行きなさい」と。
新共同すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。
NIVThe Spirit told Philip, "Go to that chariot and stay near it."
註解: 御霊は一方にカンダケの權官をしてイザヤ書を読ましめ、他方ピリポを彼に近寄らしめ給うた。

8章30節 ピリポ(はし)()りて、その預言者(よげんしゃ)イザヤの(ふみ)()むを()きて()ふ『なんぢ()()むところを(さと)るか』[引照]

口語訳そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。
塚本訳ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」
前田訳ピリポが駆け寄ると、イザヤの預言を読んでいるのが聞こえたので、「あなたがお読みのことがおわかりですか」といった。
新共同フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。
NIVThen Philip ran up to the chariot and heard the man reading Isaiah the prophet. "Do you understand what you are reading?" Philip asked.
註解: イザ53のエホバの僕の記事の意味はイエスの来り給うまではピリポにも不明であったが、イエスによりてその凡ての謎は解けたのであった、閹人(えんじん)には全く不明であったのは当然である。

8章31節 閹人(えんじん)いふ『(みちび)(もの)なくば、いかで(さと)()ん』(しか)してピリポに、()りて(とも)()せんことを()ふ。[引照]

口語訳彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。
塚本訳彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。
前田訳彼は答えた、「だれかが手引きしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と。そして車に乗っていっしょにすわるようピリポに頼んだ。
新共同宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
NIV"How can I," he said, "unless someone explains it to me?" So he invited Philip to come up and sit with him.
註解: 閹人(えんじん)の態度は非常に謙遜であった。熱心なる求道心は人を謙遜にする。

8章32節 その()むところの聖書(せいしょ)(ぶん)(これ)なり[引照]

口語訳彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。
塚本訳読んでいた聖書の文句はこれであった。“屠り場に引いてゆかれる羊のように、毛を切る者の前に黙っている小羊のように、彼は口を開かない。
前田訳彼が読んでいた聖書の箇所はこれであった、「ほふり場に引かれゆく羊のように、毛を切るものの前にもだす小羊のように、彼は口を開かない。
新共同彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。
NIVThe eunuch was reading this passage of Scripture: "He was led like a sheep to the slaughter, and as a lamb before the shearer is silent, so he did not open his mouth.
辞解
[文] 原語「内容」の意。

(かれ)(ひつじ)屠場(はふりば)()くが(ごと)()かれ、羔羊(こひつじ)のその()()(もの)のまへに(もく)すがごとく、(くち)(ひら)かず。

註解: イザ53:7。イエスの最期、ピラトの前の審判の光景の預言として是より以上に適切なるものを見出す事は出来ない(イザ53の全部につき斯く云う事が出来る)。イザヤ書の記者が如何なる意味にてこれを録したにしても、彼は聖霊に導かれてイエスの預言を語った事は確である。

8章33節 (いや)しめられて審判(さばき)(うば)はれたり、[引照]

口語訳彼は、いやしめられて、そのさばきも行われなかった。だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、彼の命が地上から取り去られているからには」。
塚本訳(しかし)謙遜によって裁きをまぬかれ(て死に勝っ)たのである。だれが(地上にあふれるであろう)彼の子孫[信者]のことを語り得ようか。彼は(神の右に坐るために)その命を地上から取り去られるのだから。”
前田訳彼ははずかしめられ、裁きも行なわれなかった。だれが彼の子孫のことを語りえよう。そのいのちが地から取り去られたから」。
新共同卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」
NIVIn his humiliation he was deprived of justice. Who can speak of his descendants? For his life was taken from the earth."
註解: イエスは十字架の(はすかしめ)を受くる事によりて、彼の上に審判は下らない事となった(ピリ2:8-11)。尚おこの一句はヘブル原文によれば「虐待と(不正なる)審判とによりて彼は取去られた」となる故(イザ53:8日本訳を見よ)、これによりて本文も彼は屈辱を受け、彼に対する正しき審判は行われず、不正な審判の下に置かれ殺されたとの意味にも解する事を得。この解釈の方がイエスの預言として適当である。

(たれ)かその()(さま)()()んや。その生命(いのち)地上(ちじゃう)より()られたればなり』

註解: メシヤの来り給う時代の悪しき事は言語に絶す、其故はメシヤなるイエスの生命が地上より取り去られたからである。斯くメシヤ(キリスト)は非常なる苦難の中にその一生を終り給う(B1、C1、E0)。尚この部分を「誰か彼の後裔の数を述べ得んや、其故は彼の生命は地上より取り去られて、天に在りて無数の後裔の父となり給える故なり」(M0、ラツクハム)と解する説あれど不適当である。

8章34節 閹人(えんじん)こたへてピリポに()ふ『預言者(よげんしゃ)(たれ)()きて()()へるぞ、(おのれ)()きてか、(ひと)()きてか、()(しめ)せ』[引照]

口語訳宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。
塚本訳宦官がピリポに答えた、「お願いです、この預言者はだれのことを言っているのでしょうか。自分のことですか、それともだれかほかの人のことですか。(教えてください。)」
前田訳宦官はピリポに答えた、「うかがいます、だれについて預言者はこういうのですか、自分についてですか、だれかほかの人についてですか」と。
新共同宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」
NIVThe eunuch asked Philip, "Tell me, please, who is the prophet talking about, himself or someone else?"
註解: イザヤ書の預言はもしキリスト来りて苦難を受け給わなかったならば全く不可解な預言であった。それゆえに閹人(えんじん)はピリポにこれを質問したのであった。

8章35節 ピリポ(くち)(ひら)き、この(せい)()(はじめ)としてイエスの福音(ふくいん)宣傳(のべつた)ふ。[引照]

口語訳そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。
塚本訳そこでピリポは口を開いて、この聖書の句から始めて、イエスの福音を伝えた。
前田訳ピリポは口を開き、この聖書のところからはじめてイエスについての福音を伝えた。
新共同そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。
NIVThen Philip began with that very passage of Scripture and told him the good news about Jesus.
註解: この聖句は明にイエスの預言であり、またイエスにつきて語る事は即ち罪の赦の福音を語る事であった。ピリポはまことに善き伝道の機会と善き聖句とを与えられたのであった。
辞解
[口を開き] 重大なる発言をなす身構え。

8章36節 (みち)(すす)むる(ほど)(みづ)ある(ところ)(きた)りたれば、閹人(えんじん)いふ『()(みづ)あり、()がバプテスマを()くるに(なに)(さは)りかある』[引照]

口語訳道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。
塚本訳そして道を進んでゆきながら、とある水辺に来ると、宦官が言う、「水がある!洗礼を受けてはいけないでしょうか。」
前田訳彼らが道を進みゆくと、水のあるところに来た。そこで宦官はいった、「ごらんなさい。水があります。わたしが洗礼されるのに何の差支えがありましょう」と。
新共同道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
NIVAs they traveled along the road, they came to some water and the eunuch said, "Look, here is water. Why shouldn't I be baptized?"
註解: 閹人(えんじん)はイエスの事を聞きその眼開かれ、聖書の預言を解し、イエスを信じバプテスマの決心をした。あたかもよし神はまた水をそこに備へ給うたのであった。△37節を(口語訳を見よ)読む場合、この部分が余程後の時代に神学的思索や形式的信仰告白が洗礼の条件となった時代の挿入であることがわかる。この一節は八世紀時代のE写本にあり、この種の挿入は聖書の源泉的新鮮さを失わしめる結果となる。

8章37節 [なし][引照]

口語訳〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕
塚本訳[無シ]
前田訳〔ピリポはいった、「あなたが真心から信じるならです」と。彼は答えた、「わたしはイエス・キリストが神の子であると信じます」と。〕
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。
NIV

8章38節 (すなは)(めい)じて馬車(ばしゃ)(とど)め、ピリポと閹人(えんじん)二人(ふたり)ともに(みづ)(くだ)りて、ピリポ閹人(えんじん)にバプテスマを(さづ)く。[引照]

口語訳そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
塚本訳そこで車を止めさせ、ピリポと宦官は、二人とも水の中に下りて、ピリポが宦官に洗礼を授けた。
前田訳そこで車を止めさせ、ピリポも宦官もふたりとも水の中に下り、洗礼を行なった。
新共同そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。
NIVAnd he gave orders to stop the chariot. Then both Philip and the eunuch went down into the water and Philip baptized him.
註解: この場所につきて二三の想像説あり、ピリポはかくして福音をエチオピヤまで及ぼすに至った。福音は其自身の力によりて世界の極にまで及ぶ、尚バプテスマは当時入信の式として一般に行われていた。

8章39節 (かれ)(みづ)より(あが)りしとき、(しゅ)(れい)、ピリポを取去(とりさ)りたれば、閹人(えんじん)ふたたび(かれ)()ざりしが、(よろこ)びつつ()(みち)(すす)()けり。[引照]

口語訳ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。
塚本訳しかし二人が水から上がると、主の御霊がピリポをさらっていったので、宦官はもう二度とピリポを見ることはなかった。彼は(救われたことを)喜びながら、旅行をつづけたからである。
前田訳彼らが水から上がると、主の霊がピリポを連れ去り、宦官はもはや彼を見なかった。よろこびながら宦官は旅をつづけた。
新共同彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。
NIVWhen they came up out of the water, the Spirit of the Lord suddenly took Philip away, and the eunuch did not see him again, but went on his way rejoicing.
註解: ピリポと閹人(えんじん)との物語は徹頭徹尾聖霊の著しき働きによりて行われた。あたかもエリヤが大風にのりて天に昇れる如く(U列2:11)ピリポは急に見えなくなった、閹人(えんじん)に取りてもこの事件は全く夢の如く、ビリポに取りてもまた然り、凡てが聖霊の働きであった。それにも関らず、否、それゆえに閹人(えんじん)は、聖霊による救を疑わず、歓喜に、充されて帰国の途に上った。

8章40節 (かく)てピリポはアゾトに(あらは)れ、町々(まちまち)()福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へつつカイザリヤに(いた)れり。[引照]

口語訳その後、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた。
塚本訳しかしピリポは(ガザの北)アゾトにあらわれ、(海岸の)町々をのこらずあるき回って福音を伝えた末、カイザリヤに来た。(そしてそこに住んだ。)
前田訳ピリポはアゾトに現われ、町々を皆まわって福音を伝えてからカイサリアに来た。
新共同フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。
NIVPhilip, however, appeared at Azotus and traveled about, preaching the gospel in all the towns until he reached Caesarea.
註解: ピリポはペリシテ人の居住する海岸地方を上って行ったものであろう。アゾトはガザの北にあり(旧約聖書にアシドドと称す)、有名なる市邑であった、カイザリヤは更に北の海岸にありヘロデ王によりて大都市に拡張せられローマ皇帝の名によりて名付けられた都市であった。新約時代に関係多き都市である。かくして福音は驚くべき力を以て広まった。
要義1 [そこは荒野なり]伝道者は神の命に従い荒野に出て行くのである。人影すらなき荒野に出でて伝道するの決心なくして伝道者となる事が出来ない。もし自己の周囲に多数の人を蝟集(いしゅう)せしめんとする如き希望をいだきて伝道するならば必ず失敗と失望とに終るであろう。ピリポは神の言に従い荒野に向って出発した。而して神はそこに最も特異なる伝道の相手をピリポの為に備え給うたのであった。
要義2 [個人伝道]ピリポは唯一人エチオピヤの權官に向い渾身の熱誠を以て伝道した。而して伝説によればこの時以来今日に至るまでエチオピヤは基督教国として継続して来ているとの事である。大衆に向っての伝道よりもむしろこの種の対個人の伝道が最も効果ある真の伝道である。肉体の病を癒す医師さへ個人的施術を必要とする以上、霊魂を救う伝道は尚更の事である。
要義3 [聖霊ピリポを取り去る]伝道は自己の功績を挙げんが為になされてはならない。「弟子一人も候わず」と言いし親鸞の如く、己が伝道によりて救われし魂は凡てこれを主の御霊に委ねなければならぬ。これを自己のものの如くに考え自己の勢力範囲とせんとするが如き宗派心は堅くこれを戒めなければならない。聖霊ピリポを取り去り給いしはまことに意義ある事実であった。
要義4 [聖言に対する謙遜なる態度」エチオピヤの閹人(えんじん)は聖書の真理を知らんとする熱心と、聖書の言に対する深き謙遜とを持っていた。ピリポに対し礼を厚くして真理を問い、その解答によりて聖書を信じた事が彼の救の原因であった。基督者の中には往々自己の思想によりて聖書の言を否定せんとする者があるけれども結局に於て自己の思想の中には救が無い。唯謙遜なる態度を以て聖書を信ずる者のみ救を把握する事が出来る。高慢は滅亡の入口である。