黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版黙示録

黙示録第9章

分類
3 この世の審判と救 4:1 - 18:24
3-(2) 第七の封印すなわち七つのラッパの審判 8:1 - 11:13
3-(2)-(ニ) 第五のラッパ(第一の禍害) 9:1 - 9:11

註解: 本章よりラッパの審判の第二部に入る。そして第五、第六のラッパはサタンの配下が種々の形相において人間殊に未信者を苦しめる有様を叙述す。

9章1節 第五(だいご)御使(みつかひ)ラッパを()きしに、われ(ひと)つの(ほし)(てん)より()()ちたるを()たり。この(ほし)(そこ)なき(あな)(かぎ)(あた)へられたり。[引照]

口語訳第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
塚本訳(やがて)第五の御使いがラッパを吹いた。すると私は(今し)天から地上に落ちた(一つの)星を見た。それに奈落の坑の鍵が与えられた。
前田訳第五の天使がラッパを吹いた。すると、わたしは見た。ひとつの星が天から地に落ちて、それに奈落の底への鍵が与えられた。
新共同第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ、
NIVThe fifth angel sounded his trumpet, and I saw a star that had fallen from the sky to the earth. The star was given the key to the shaft of the Abyss.
註解: 第五のラッパは(いなご)の災害であって、星はそのための準備を為す役目に用いられている。この星はルカ10:18のごとくサタンまたはその使を意味すと見るべきであろう。
辞解
[()ちたるを見たり] ()ちているを見たり」ですでに()ちて今地上に在る星を意味す(S3)。星の人格化は古代の文献に多く散見する。
[底なき(あな)] 「底なき処の(あな)」と訳すべし。「底なき処」abyssos は「淵」(創1:2)、「地の深き所」(詩71:20)、「黄泉(よみ)」(ロマ10:7)等の意味あり、本書においてはこの意味に用いられている(黙9:2黙9:11黙17:8黙20:1黙20:3)サタンの住家である。

9章2節 (かく)(そこ)なき(あな)(ひら)きたれば、(おほい)なる()(けむり)のごとき(けむり)(あな)より()ちのぼり()(そら)(あな)(けむり)にて(くら)くなれり。[引照]

口語訳そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。
塚本訳そしてそれが奈落の坑(の戸)を開けると、大きな炉の煙のような煙が(もうもうと)坑から立ち上って、太陽も空気も(その)坑の煙で暗くなった。
前田訳それは奈落の底を開いた。すると煙が底から大きな炉の煙のように上って、日も空も底の煙で暗くなった。
新共同それが底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。
NIVWhen he opened the Abyss, smoke rose from it like the smoke from a gigantic furnace. The sun and sky were darkened by the smoke from the Abyss.
註解: 創19:28出19:18。深き所の(あな)より立上る煙は黄泉(よみ)より出てこの世を暗黒に(おとしい)れるものとして恐怖をもって見られることは当然である。この煙は聖徒の祈なる香の煙(黙8:3)と反対の性質を表わしまた神が光に在し給うことに対して暗黒を作るサタンの働きを示す。

9章3節 (けむり)(うち)より(いなご)地上(ちじゃう)()でて、()(さそり)のもてる(ちから)のごとき(ちから)(あた)へられ、[引照]

口語訳その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
塚本訳そして、煙の中から蝗(の大軍)が地上に出て来た。それに地の蝎が有っている力のような、(人間を苦しめる)力が与えられた。
前田訳煙から蝗が地の上へ出て来た。彼らに地の蝎が持つような権力が与えられた。
新共同そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。
NIVAnd out of the smoke locusts came down upon the earth and were given power like that of scorpions of the earth.

9章4節 ()(くさ)、すべての(あを)きもの(また)すべての()(そこな)ふことなく、ただ(ひたひ)(かみ)(いん)なき(ひと)をのみ(そこな)ふことを(めい)ぜられたり。[引照]

口語訳彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
塚本訳そして地の草も、あらゆる緑のものも、あらゆる樹も害せず、ただ額に神の印の無い人間(だけ)を害するように言われた。
前田訳彼らに告げられた、額に神の印を持たぬ人々のほか、地の草もどんな緑も木も損なわぬように、と。
新共同いなごは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。
NIVThey were told not to harm the grass of the earth or any plant or tree, but only those people who did not have the seal of God on their foreheads.
註解: (いなご)の害は非常に深刻広汎であって当時の人がいたくこれを恐れていた。出10:12以下およびヨエ1章-2章の記事は本項の基礎をなす記事である。ただしこの(いなご)は普通の(いなご)ではなく、(さそり)のごとき力あり、植物を害せずして神を信ぜざるものを害することを命ぜられた。人間の良心がサタンに束縛せられ、罪のために苦しむ姿はあたかも(いなご)軍に苦しめられる野の草木のごとくである。人はその生涯に一度は、かかる罪の苦悶を持ち、人生の意義につき迷うことがある、またある時代には人類の多くの者がかかる苦痛を()める時が来る。

9章5節 されど(かれ)らを(ころ)すことを(ゆる)されず、五月(いつつき)のあひだ(くる)しむることを(ゆる)さる、その苦痛(くるしみ)(さそり)()されたる苦痛(くるしみ)のごとし。[引照]

口語訳彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。
塚本訳且つそれを殺すのではなく、(ただ)五か月の間苦しめること(だけ)が許された。彼らの苦痛は蝎が人を刺した時の苦痛のようである。
前田訳しかし、その人々を殺さぬように、彼らが五か月間苦しめられるように、と命ぜられた。その苦しめ方は人を刺す蝎のようである。
新共同殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。
NIVThey were not given power to kill them, but only to torture them for five months. And the agony they suffered was like that of the sting of a scorpion when it strikes a man.
辞解
[五月の間] おそらく(いなご)の活動期間が約五ケ月なるより取れる数ならん。

9章6節 このとき人々(ひとびと)()(もと)むとも見出(みいだ)さず、()なんと(ほっ)すとも()()()るべし。[引照]

口語訳その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
塚本訳そしてそれらの日において、人間は(苦痛のあまり)死を求めるけれども、決してそれを見出さないであろう。死のうと切に望むであろうけれども、死は彼らから逃げる。
前田訳その日になって人々は死を求めても見出さず、死のうと欲しても、死が彼らから逃げよう。
新共同この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。
NIVDuring those days men will seek death, but will not find it; they will long to die, but death will elude them.
註解: 彼らは非常なる良心の苦痛の下に、生よりもむしろ死を欲してしかも死ぬことができない状態に置かれなければならない。不信者のみかかる状態に陥ることはサタンの奴隷たる状態を脱せざる当然の結果である。

註解: 7−11節はこの(いなご)に関する詳細の説明である。大体においてヨエ1章-2章により軍馬との相似点を基礎として(いなご)の形状および運動を描いているけれども、その他に特異の点あり普通の(いなご)をもって説明することはできない。この(いなご)は何を表わすかまたこれらの個々の形状や性質が如何なる事柄の表徴であるかについては、解釈の主義方針如何により、無数の差異が起り得るけれども上述のごとくこれをサタンの配下のものと解することによりこれらの表徴の意義が明かになることと思う。

9章7節 かの(いなご)(かたち)戰爭(いくさ)(ため)(そな)へたる(うま)のごとく、[引照]

口語訳これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、
塚本訳 蝎の外観は戦争の用意をした(軍)馬に似て居り、その顔には金に似た(輝きを有つ)冠のようなものがあった。またその顔は人間の顔のようであった。
前田訳蝗の姿は戦いに備えた馬に似、頭には金の冠に似たものがあり、顔は人の顔のようである。
新共同さて、いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。
NIVThe locusts looked like horses prepared for battle. On their heads they wore something like crowns of gold, and their faces resembled human faces.
註解: (いなご)の顔付やその堅き皮殼がやや軍馬に似ていることは否み難い、殊にその大群の発する羽音は9節のごとくであってヨエ2:4以下はこれによる記載である。そしてこれはサタンの力の強きことを示す。
辞解
[具えたる] 「準備したる」ですなわち武装したる馬のこと、馬が鎧を着けた姿は殊に(いなご)に似ている。

(かしら)には(きん)()たる冠冕(かんむり)(ごと)きものあり、

註解: サタンは常に人間を支配し勝者として振舞っていることを示すと見ることができる。必ずしも(いなご)の頭の形が冠冕(かんむり)を戴けるがごとくであると見る必要はない。

(かほ)(ひと)(かほ)のごとく、

註解: サタンの智慧と能力とを顕わす。これはこの(いなご)特有の形貌であってヨハネの創造せるもの、以下もまた然り。

9章8節 (これ)(をんな)頭髮(かみのけ)のごとき頭髮(かみのけ)あり、[引照]

口語訳また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。
塚本訳女の髪の毛のような髪の毛があり、その歯は獅子の歯のようであった。
前田訳女の髪のようなものを持ち、歯は獅子のようであった。
新共同また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。
NIVTheir hair was like women's hair, and their teeth were like lions' teeth.
註解: その美わしさまた狡猾さを示す。(いなご)の触角を形容せるものと解する説あれどむしろ普通の(いなご)と異なれる姿と見るを可とす。

()獅子(しし)()のごとし。

註解: 非常なる強さを持つことを示す。

9章9節 また(てつ)胸當(むねあて)のごとき胸當(むねあて)あり、[引照]

口語訳また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。
塚本訳また鉄の胸鎧のような胸鎧を著け、その羽音は戦車と多くの馬とが戦争に駈け行く音のようであった。
前田訳鉄の胸当てのようなものを持ち、翼の音は戦いへと走る多くの馬の戦車の音のようであった。
新共同また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。
NIVThey had breastplates like breastplates of iron, and the sound of their wings was like the thundering of many horses and chariots rushing into battle.
註解: 軍馬の鎧のごときものをもって鎧い、敵の襲撃を防ぐの力あり、以上の二者はサタンがよく他を襲いてこれを殺すけれども自分は他の攻撃を防ぐに充分なる防備を有つことを示す。

その(つばさ)(おと)軍車(いくさぐるま)(とどろ)くごとく、(おほ)くの(うま)戰鬪(たたかひ)()せゆくが(ごと)し。

註解: 私訳「その翼の音は戦闘に馳せゆく多くの軍馬車の音のごとし」(いなご)が群を成して飛び行く時は囂々(ごうごう)たる音を発する事実に(ちな)める形容でその威力の恐るべきことを示す。
辞解
「軍馬車」といいて「馬」なる文字が不要に見える故(異本にこれを除けるもあり)これを二つに分け馬車の音と馬の音とに解する説あれど(A1)文法上やや無理なリ。

9章10節 また(さそり)のごとき()ありて(これ)(とげ)あり、この()五月(いつつき)のあひだ(ひと)(そこな)(ちから)あり。[引照]

口語訳その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。
塚本訳そして蝎に似た尾と刺があり、その尾(の刺)に五か月の間人間を害する力がある。
前田訳蝎に似た尾を持ち、それにとげがあり、尾に人々を五か月間苦しめる権力があった。
新共同更に、さそりのように、尾と針があって、この尾には、五か月の間、人に害を加える力があった。
NIVThey had tails and stings like scorpions, and in their tails they had power to torment people for five months.
註解: 3節の詳述で、「(さそり)のもてる力」(3節)はその尾に在ることを示す。かくしてサタンの軍勢たるこの(いなご)は、頭より尾に至るまで、サタン的の力と智慧と勢と毒とに充るものであることが判明(わか)る。「五月の間」は5節辞解参照。

9章11節 この(いなご)(わう)あり。(そこ)なき(ところ)使(つかひ)にして()をヘブル()にてアバドンと()ひ、ギリシヤ()にてアポルオンと()ふ。[引照]

口語訳彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。
塚本訳彼の上に王がある。奈落の使いであって、その名をヘブライ語では破壊者(といい)、ギリシヤ語では破壊者という。
前田訳彼らは王として奈落の天使を持ち、その名はヘブライ語でアバドン、ギリシア話でアポリュオン(破壊者)であった。
新共同いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名は、ヘブライ語でアバドンといい、ギリシア語の名はアポリオンという。
NIVThey had as king over them the angel of the Abyss, whose name in Hebrew is Abaddon, and in Greek, Apollyon.
註解: (いなご)には本来王なしと云われていた(箴30:27)けれどもこの(いなご)には王あり、この王は「底なき所の使」である。あたかも風、火、水等にそれぞれ御使があるのと同様 (黙7:1黙14:8黙16:5) 「底なき所」の黄泉(よみ)にもまたその「使」がある。すなわちサタンである。アバドンは破壊破滅を意味し、これを七十人訳にて apô1eia と訳している、これをアポルオン apolluôn としたのは人格化して「破壊者」の意味を持たせたのであろう。これによって見ればこの王の本質は他を破壊破滅に至らしめるものであることが判明(わか)る。サタンは人間を誘いこれを苦しめて破滅に至らしめる。
要義 (いなご)禍害(わざわい)について]この(いなご)がサタンの力を代表していることは、その王が「底なき所の使」でありまた破壊者であること等より推してこれを断定することができる。そしてこの(いなご)の有する力も智慧も美も毒もみなサタンの性質に相応しい所のものである。そしてこの(いなご)が「額に神の印なき人のみを害うことを命ぜらる」ることは人間の心の苦痛はサタンに支配されるがためであることを示したのであって人間の罪を深く洞察して見るならば、この記事の極めて深い真理であることを見ることができる。すなわち人間の悪は、神の直接の審判を受けなければならないことは勿論であるが、それまでに神は悪の力によりて悪を苦しめ給うということである。ロマ7章に記されしパウロの苦悩はこのサタンによる苦悩であった。

3-(2)-(ホ) 第六のラッパ(第二の禍害) 9:12 - 9:21

9章12節 第一(だいいち)禍害(わざはひ)すぎ()れり、()よ、()(のち)なほ(ふた)つの禍害(わざはひ)きたらん。[引照]

口語訳第一のわざわいは、過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。
塚本訳(斯くして)第一の禍は過ぎた。(しかし)視よ、この後なお二つの禍が来る!
前田訳第一のわざわいは終わった。見よ、この後、なおふたつのわざわいが来る。
新共同第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後、更に二つの災いがやって来る。
NIVThe first woe is past; two other woes are yet to come.
註解: 黙8:13の三つのウーアイ ouai 「禍害(わざわい)なるかな」に関連す。「第一の禍害(わざわい)」は原語「第一のウーアイ」でこれを名詞として取扱っている。本節により来るべき二つの禍害(わざわい)の重大さが明かに認識される。13−21節は第六のラッパの災害で、ユウフラテ川の辺より攻め寄する無数の騎馬兵のために起こされる処のものである。ただしこの馬は奇怪なる貌をなし人を(そこな)う力を持っているのを見れば普通の軍隊および軍馬を意味せずサタンの力を示していることは明かである。なお大軍隊の侵入は預言書および黙示文学において世の終りの徴として常に用いられる処の事件である(エゼ38:14以下、イザ5:28エレ1:14以下、エレ6:22以下、ヨエ4:9以下等)。なお紀元前一世紀以下は東方ユウフラテ河辺の強国パルテヤがローマに侵入するならんとの風評が盛んであり、さらにこれに加えるにネロが復活しパルテヤ軍を率いて来らんとすとの評判が行われていたのでヨハネはこれを利用したものであろう。

9章13節 第六(だいろく)御使(みつかひ)ラッパを()きしに、(かみ)(まへ)なる(きん)香壇(かうだん)()つの(つの)より(一つの)(こゑ)ありて、[引照]

口語訳第六の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、一つの声が、神のみまえにある金の祭壇の四つの角から出て、
塚本訳第六の御使いがラッパを吹いた。すると私は神の前の金の香壇の四つの角から一つの声が出て、
前田訳第六の天使がラッパを吹いた。すると、わたしは神の前の金の祭壇の四つの隅からひとつの声を聞いた。
新共同第六の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から一つの声が聞こえた。
NIVThe sixth angel sounded his trumpet, and I heard a voice coming from the horns of the golden altar that is before God.

9章14節 ラッパを()てる第六(だいろく)御使(みつかひ)に『(おほい)なるユウフラテ(がは)(ほとり)(つな)がれをる四人(よにん)御使(みつかひ)()(はな)て』と()ふを()けり。[引照]

口語訳ラッパを持っている第六の御使にこう呼びかけるのを、わたしは聞いた。「大ユウフラテ川のほとりにつながれている四人の御使を、解いてやれ」。
塚本訳ラッパを持っている第六の御使いに(こう)言うのを聞いた、「大ユーフラテス河の辺に縛られている四人の御使いを解き放て!」と。
前田訳それはラッパを持つ第六の天使にいった、「大川エウフラテスにつながれている四人の天使を解放せよ」と。
新共同その声は、ラッパを持っている第六の天使に向かってこう言った。「大きな川、ユーフラテスのほとりにつながれている四人の天使を放してやれ。」
NIVIt said to the sixth angel who had the trumpet, "Release the four angels who are bound at the great river Euphrates."
辞解
[四つの角より] 出づる一の声は恐らく黙8:3−5の聖徒たちの祈に対する答の意味であろう。従ってこの祭壇は馨香(かおり)の壇である。
[大なるユウフラテ川] イスラエルの理想としての領土の東端にあり(創15:18申1:7ヨシ1:4)バビロンおよびアッシリヤに接するが故に神の審判は常にそこより来るものとして恐れられていた(イザ8:7、8。エレ46:10)。
[四人の御使] 黙7:1の四人の御使とは別であって、サタンの使として地の上に審判を行う任務を持つ御使の意味ならん。「四人」は地に関する数である以外に別に意味は無い。

9章15節 (かく)てその(とき)、その()、その(つき)、その(とし)(いた)りて、(ひと)三分(さんぶん)(いち)(ころ)さん(ため)(そな)へられたる四人(よにん)御使(みつかひ)は、()(はな)たれたり。[引照]

口語訳すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間の三分の一を殺すために、解き放たれた。
塚本訳そしてその時、その日、その月、その年のために(長い間)準備されていた四人の御使いは、(今やその時期満ちて)人間の三分の一を殺すために解き放たれた。
前田訳すると四人の天使は解放された。彼らは人々の三分の一を殺すように、この時と日と月と年のために備えられていた。
新共同四人の天使は、人間の三分の一を殺すために解き放された。この天使たちは、その年、その月、その日、その時間のために用意されていたのである。
NIVAnd the four angels who had been kept ready for this very hour and day and month and year were released to kill a third of mankind.
註解: 私訳「斯て人の三分の一を殺さんためにその時、日、月、年のために備えられたる四人の御使は解き放たれたり」神の目には凡ての事件は分秒までも精確に定められていると考えられていた。四人の使はその時まで繋がれておりその時のために備えられていた。今や彼らは解放(ときはな)たれ、神の定め給える審判が行はれるに至ったのである。サタンは神の許可の下に神の審判を行う手先となる。ヨブの場合のごとし。「三分の一」は第一 − 第四のラッパの災害と同じく、災害が全部に及ばないことを示す。

9章16節 騎兵(きへい)(かず)二億(におく)なり、(われ)その(かず)()けり。[引照]

口語訳騎兵隊の数は二億であった。わたしはその数を聞いた。
塚本訳そしてその(御使い達に従う)騎兵(の大)軍の数は二億(ばかり)であった──(見渡すことは出来なかったが、)私はその数を聞いた。
前田訳騎兵の軍勢の数は二億。その数をわたしは聞いた。
新共同その騎兵の数は二億、わたしはその数を聞いた。
NIVThe number of the mounted troops was two hundred million. I heard their number.
註解: ここにヨハネは四人の御使の存在を忘れたるもののごとく、また彼らと騎兵との関係をも明かにせずして突然騎兵の数を記載する。四人の天使はこの軍隊の代表に過ぎないからであろう。「二億」は原語「一万の二万倍」で騎兵の数の莫大なることを示す。この大軍は大なる世界戦争を意味するものと見ることを得、また後節より見れば悪霊の大軍が人類を霊的に襲撃するものと見ることができる。「聞けり」は自ら数を数うることができないから。

9章17節 われ幻影(まぼろし)にてその(うま)(これ)()(もの)とを()しに(かれ)らは()(けむり)硫黄(いわう)(いろ)したる胸當(むねあて)()く。(うま)(かしら)獅子(しし)(かしら)のごとくにて、その(くち)よりは()(けむり)硫黄(いわう)()づ。[引照]

口語訳そして、まぼろしの中で、それらの馬とそれに乗っている者たちとを見ると、乗っている者たちは、火の色と青玉色と硫黄の色の胸当をつけていた。そして、それらの馬の頭はししの頭のようであって、その口から火と煙と硫黄とが、出ていた。
塚本訳そして、私が幻影で見た馬とそれに乗っている者とはこうであった──彼らは火色と紫色と硫黄色の胸鎧を著けていた。馬は頭は獅子の頭のようであり、、その口からは(胸鎧の色に応じて)火と煙と硫黄とが出ている。
前田訳わたしは幻の中に馬とその騎士たちをこのように見た。彼らは真紅と青玉色と硫黄色の胸当てをつけていた。馬の頭は獅子の頭のようで、口から火と煙と硫黄が出ている。
新共同わたしは幻の中で馬とそれに乗っている者たちを見たが、その様子はこうであった。彼らは、炎、紫、および硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄とを吐いていた。
NIVThe horses and riders I saw in my vision looked like this: Their breastplates were fiery red, dark blue, and yellow as sulfur. The heads of the horses resembled the heads of lions, and out of their mouths came fire, smoke and sulfur.
註解: 馬もその騎士も共に馬のロより出づる三種の毒に相当する色の胸当を着けている。馬の頭は獅子の頭のごとくしてその強さをあらわしている。かくしてこの災害は主としてこの馬より出づることを見ることができる。この三種の毒は黄泉(よみ)より出づる処のものであって悪の力を示すものと見るべきであろう。なお黙16:13の三つの穢れし霊と対照せよ。
辞解
[火・煙・硫黄の色したる] 「煙」は原語 hyakinthinos でヒアシンス色または青玉(黙21:20)色を意味し、濃藍色または紫色を意味す、原語に「煙」の意味は無い。ただし次節に馬の口より出づる煙 kapnos がこの濃藍色または紫色を呈している意味であることは三つの対照よりこれを推定することができる。

9章18節 この()つの苦痛(くるしみ)、すなはち()(くち)より()づる()(けむり)硫黄(いわう)とに()りて(ひと)三分(さんぶん)(いち)(ころ)されたり。[引照]

口語訳この三つの災害、すなわち、彼らの口から出て来る火と煙と硫黄とによって、人間の三分の一は殺されてしまった。
塚本訳この三つの災厄で、(すなわち)彼らの口から出る火と煙と硫黄とで、人間の三分の一が殺された。
前田訳この三つの災害、すなわち彼らの口から出る火と煙と硫黄で、人々の三分の一が殺された。
新共同その口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の三分の一が殺された。
NIVA third of mankind was killed by the three plagues of fire, smoke and sulfur that came out of their mouths.
註解: パルテヤ軍の侵入のごとくに見えた第六のラッパの災害も、ここに至ってその然らざるを知るのであって、結局は獅子のごとき頭を有する奇怪なる軍馬の口より出づる三つの禍害(わざわい)が神の審判の本体である。すなわちサタンの偉大なる力があらわれて人間の大部分が殺されることの意味である。これおそらくサタン的悪思想の結果起るべき世界戦争または人類相互の殺戮をいったものであろう。
辞解
[苦痛] plêgê は出エジプト記におけるエジプトの禍害(わざわい)に用いられる語。

9章19節 (うま)(ちから)はその(くち)とその()とにあり、その()(へび)(ごと)くにして(かしら)あり、(これ)をもて(ひと)(そこな)ふなり。[引照]

口語訳馬の力はその口と尾とにある。その尾はへびに似ていて、それに頭があり、その頭で人に害を加えるのである。
塚本訳というのは、(この)馬の力はその口とその尾にあるからである。すなわち、その尾は蛇に似て居り、(尾の端に蛇の)頭があって、それで(噛んで人を)害するのである。
前田訳馬の力はその口と尾にある。尾は蛇に似て頭を持ち、それで災害を加える。
新共同馬の力は口と尾にあって、尾は蛇に似て頭があり、この頭で害を加えるのである。
NIVThe power of the horses was in their mouths and in their tails; for their tails were like snakes, having heads with which they inflict injury.
註解: ここにヨハネは馬が如何にして人を殺しまた害を与うるかを説明する。すなわち馬の力(権)はその口と尾とに在り、口をもって人を殺すことはこれを前節に述べ、本節においては尾をもって人を害する有様を録している。口と尾とに力があることはこの馬が徹頭徹尾人を害しまた殺すために存在することを示す。尾が蛇のごとくであることはサタンを表徴する。

9章20節 これらの苦痛(くるしみ)にて(ころ)されざりし(のこり)人々(ひとびと)は、おのが()(わざ)悔改(くいあらた)めずして、なほ惡鬼(あくき)(はい)し、()ること、()くこと、(あゆ)むこと(あた)はぬ(きん)(ぎん)(どう)(いし)()偶像(ぐうざう)(はい)せり、[引照]

口語訳これらの災害で殺されずに残った人々は、自分の手で造ったものについて、悔い改めようとせず、また悪霊のたぐいや、金、銀、銅、石、木で造られ、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、やめようともしなかった。
塚本訳しかしこれらの災厄(にも拘らず、これ)で殺されなかった残りの(三分の二の)人々は(ますます頑固になった。彼らは)その手の行為を悔い改めず、悪鬼や、見ることも聞くことも歩くことも出来ない金や銀や銅や石や木の偶像を拝することを廃めず、
前田訳この災害で殺されなかった残りの人々は、自らの手のわざを捨てず、悪霊と見も聞きも歩きもしえない金、銀、銅、石、木の偶像を拝むことをやめなかった。
新共同これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。このような偶像は、見ることも、聞くことも、歩くこともできないものである。
NIVThe rest of mankind that were not killed by these plagues still did not repent of the work of their hands; they did not stop worshiping demons, and idols of gold, silver, bronze, stone and wood--idols that cannot see or hear or walk.

9章21節 (また)その殺人(ひとごろし)咒術(まじわざ)淫行(いんかう)竊盜(ぬすみ)悔改(くいあらた)めざりき。[引照]

口語訳また、彼らは、その犯した殺人や、まじないや、不品行や、盗みを悔い改めようとしなかった。
塚本訳またその殺人をもその呪術をもその淫行をもその窃盗をも悔い改め(ようとし)なかった。(より大なる災厄は来なければならぬ。
前田訳また、その殺人、魔術、不身持ち、盗みを悔い改めなかった。
新共同また彼らは人を殺すこと、まじない、みだらな行い、盗みを悔い改めなかった。
NIVNor did they repent of their murders, their magic arts, their sexual immorality or their thefts.
註解: 殺されざりし三分の二は神の審判が現実に行われしを見て速にその偶像崇拝(20節)と不道徳(21節)から悔改むべきであった、本来神が審判を下して信ぜざるものの三分の一を殺し給うことは他の者を救わんとの思召(おぼしめ)しである。然るにもかかわらず彼らは全く悔改めることをしない。かかる頑固なる心を有する者は如何なる災害もその過去るやたちまち全くこれを忘れてしまう。
辞解
[苦痛] 黙9:18節辞解参照。
「残の人々」も不信仰であるのを見れば殺されし三分の一も不信仰の人々を意味することが判明る(黙9:4節参照)。
[手の業] その作れる偶像を意味す(申4:28)。
[悪鬼] 真の神にあらざる霊。
「殺人云々」の四種は神を知らざる者の間に行われる最も普通の不道徳。なお21節の原語は「またその殺人をもその咒術をもその淫行をも窃盗をも悔改めざりき」とあり一々繰返して意を強めている (黙21:8黙22:15参照) 。なお第六のラッパはこれにて終り黙11:14−19の第七のラッパに連絡する。
要義1 [第六のラッパの審判の性質]東方の国パルテヤおよびその軍馬をもって表示する兵力、獅子をもって表示する国家的権力、蛇をもって表徴するサタン的思想がこの第六のラッパの審判の中心思想である(黙16:12−16参照)。すなわち神に対する反逆者は、第五のラッパのごとく悪そのものによりて審判(さば)かれるのみならず、この世の兵力や国家的権力やまたこれらを支配するサタン的勢力によりてあるいは殺され、あるいは苦しめられる。彼らはこれをもって神の審判と考え、恐れ(おのの)きてその罪を悔改むべきであるにもかかわらず、依然としてその偶像崇拝とその不道徳を改めない。これまで神は幾度か人類を戒めてその罪より立還らしめんがために、この種の世界的戦乱の力を用いて災害を人類の上に下し給うた。然るに人類は依然としてその罪を悔改めないこと黙示録のこの部分に預言せられている通りである。恐るべきは神の個々の審判よリも、ぞの審判によりても悔改めずして最後の審判に至ることである。
要義2 [サタンは結局において自らの徒党を殺す者である]神はその子らに生命を与え給うに反しサタンは結局においてその仲間を殺す、悪の力は自らを主張せんとしてこの世の戦争を起す、然るにこの戦争は遂にその徒党たるサタンの子らを殺す結果となる。サタンの子らは神より審かれる前にまずサタンによりて殺されることを知らなければならない。これが速やかに起らないのは神がその使を引留め給うからである。
要義3 [神は最後に至るまで自ら手を下して人を審き給わない]黙示録は審判の書であるにかかわらず最後まで神は自ら手を下して人類を審き給わない。黙18章のバビロンの覆滅さえも、サタンの子らがその同類に対して反逆を為せる結果であった(黙17:16、17)。これは神が如何に人を愛し給うかを示す最も著しき事実である。

黙示録第10章
3-(2)-(第三挿景) 聖書の預言 10:1 - 10:11

註解: あたかも第六と第七の封印の中間に第七章の中間挿景があったと同様第六と第七のラッパの間にも10:1−11:13の中間挿景がある。この中間挿景は二つに分れ第一は強き天使と(ひら)きたる書の幻象であり(10章)、第二は二人の証人の幻象(11:1−13)である。これによりヨハネは一方に神の審判が進展しつつある間に他方に神の言の預言とその証人およびこれがために殉教の死を遂ぐる証人があることの光景を示す。なお注意すべきことはヨハネは黙4:1において天に上げられしもこの時地上に移っていることである(8、9節)。

10章1節 (われ)また一人(ひとり)(つよ)御使(みつかひ)(くも)()(てん)より(くだ)るを()たり。その(かしら)(うへ)(にじ)あり、その(かほ)()(ごと)く、その(あし)()(はしら)のごとし。[引照]

口語訳わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。
塚本訳また私はもう一人(他)の強い天使が天から降りて来るのを見た──(私は何時の間にか地上に立っていた──彼は雲を(身に)纏い、虹を(冠として)頭上に戴いていた。またその顔は(さながら)太陽のよう、その足は火の柱のようで、
前田訳そしてわたしは見た。もうひとりの強い天使が雲に包まれて天からおりた。頭に虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであった。
新共同わたしはまた、もう一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、
NIVThen I saw another mighty angel coming down from heaven. He was robed in a cloud, with a rainbow above his head; his face was like the sun, and his legs were like fiery pillars.
註解: 雲は神の車であり(黙1:7詩104:3)虹は神の契約で、その御座に輝く(黙4:3)。顔の日のごとくなるはキリストの御姿に類し(黙1:16)、火の柱のごとき足もまた然り(黙1:15)。これによりて見ればこの御使は神やキリストにあらずといえども、神とキリストより最も重要なる使命を与えられたる御使であり、神とキリストの栄光をもって耀いていることを知ることができる。

10章2節 その()には(ひら)きたる(ちひさ)(まき)(もの)をもち、(みぎ)(あし)(うみ)(うへ)におき、(ひだり)(あし)()(うへ)におき、[引照]

口語訳彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、
塚本訳手には開いた小さな巻き物を持っていた。そして(全世界に跨がって立ち、)右足を海の上に、左足を地の上に置き、
前田訳手には開かれた小さな巻物を持つ。右足を海の上に、左足を地の上に置き、
新共同手には開いた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、
NIVHe was holding a little scroll, which lay open in his hand. He planted his right foot on the sea and his left foot on the land,

10章3節 獅子(しし)()ゆる(ごと)大聲(おほごゑ)(よば)はれり、[引照]

口語訳ししがほえるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。
塚本訳あたかも獅子が吼えるような大きな声で叫んだ。そして彼が叫んだ時、七つの雷がその声を出した。
前田訳獅子が吠えるように大声で叫んだ。叫ぶと、七つの雷がおのおのの声で語った。
新共同獅子がほえるような大声で叫んだ。天使が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声で語った。
NIVand he gave a loud shout like the roar of a lion. When he shouted, the voices of the seven thunders spoke.
註解: この天使は手に聖書を持ちその偉大なる体躯(からだ)をもって陸と海との間に跨っており大声に呼わっていた、その使命を全世界に伝えんとする貌である。
辞解
[(ひら)きたる小さき巻物] 黙5:1の封印せられし大なる巻物に比較しての意味。この巻物の何たるかにつきては(1)黙5:1以下の巻物の封印がすでに(ひら)かれしもの、(2)本書12章以下の部分(H0)、(3)ヨハネに関する特別の黙示(D0)、(4)エルサレムに関する神話、(5)福音(エリコツト)その他の諸説あれど(a)(ひら)きたる巻物にして何人もこれを読み得る点、(b)この御使の大なる栄光および(c)7節「預言者たちに示し給いし如く」より見て旧約聖書と解して不可なきがごとし。「(ひら)きたる書」の思想はエゼ2:9−3:3より採りたるものである。
[獅子の吼ゆる] 「獅子の吼ゆる」声はヱホバの声に比較される(アモ3:8ホセ11:10)。この御使の姿も声も聖書と同じく凡て神とキリストとの御栄を反射していることに注意すべし。

(よば)はりたるとき(なな)つの雷霆(いかづち)おのおの(こゑ)(いだ)せり。

註解: 御使は唯大声に呼わるのみであったが、これに応じて七つの雷霆(いかづち)が内容ある言葉を発した。
辞解
[七つの雷霆(いかづち)] 定冠詞ありて既知の雷霆(いかづち)たることが明かであるために解釈上の諸説あり、おそらく前に黙4:5黙8:5に記載されし雷霆はその一部分であつたのをここではそれが総動員をなし「七つ」たる意味において既知のものとして定冠詞を付けたのであろう。
[出せり] 直訳「語れり」で雷霆(いかづち)の語りしことの内容如何は記されていないために不明であるが、おそらく聖書に照してやがて下るべき大なる審判についてであろう。

10章4節 (なな)つの雷霆(いかづち)(かた)りし(とき)、われ()(しる)さんとせしに、(てん)より(こゑ)ありて『(なな)つの雷霆(いかづち)(かた)りしことは(ふう)じて()(しる)すな』といふを()けり。[引照]

口語訳七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書きとめようとした。すると、天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。
塚本訳(斯く)七つの雷が語った時、私は(それを)書こうとした。すると天から声が(あって、)「七つの雷が語ったことを封ぜよ。それを書くな」と言うのを私は聞いた。
前田訳七つの雷が語ったとき、わたしはそれを書こうとした。すると天から声を聞いた。いわく、「七つの雷が語ったことを封ぜよ。それを書くな」と。
新共同七つの雷が語ったとき、わたしは書き留めようとした。すると、天から声があって、「七つの雷が語ったことは秘めておけ。それを書き留めてはいけない」と言うのが聞こえた。
NIVAnd when the seven thunders spoke, I was about to write; but I heard a voice from heaven say, "Seal up what the seven thunders have said and do not write it down."
註解: 書き記すことを禁じたる理由としてあるいはヨハネの経験があまりに神秘的で、たといこれを書き記すとも唯耳ある者のみこれを聞き得るが故にこれを記すも無益なるためとなし(カーペンター)、または雷霆(いかづち)の語れることの内容は重要ならざる故これを記すを嫌いしためとなし(B3)、またはあまりに神秘的にして記載し得なかったためとなし(S3)、または本書が尨大になり過ぎないようにこれを省いたとなす(H0、ブーセット)等種々の想像を(ほしいまま)にしているけれども何れも適切ではない。もしこれが判明するならば書き記すことを禁ぜられたことが無益となる訳である。唯もし想像を許されるならば聖書はそれ自身で充分なる黙示であってさらに他の黙示をもってこれに加える必要なしとの意ならん。

10章5節 (かく)()()しところの(うみ)()とに(またが)()てる御使(みつかひ)(てん)にむかひて(みぎ)()()げ、[引照]

口語訳それから、海と地の上に立っているのをわたしが見たあの御使は、天にむけて右手を上げ、
塚本訳すると海と地の上に立っているのを私が見た天使が、天に向かってその右手を挙げ、
前田訳そして、わたしが海と地との上に立つのを見た天使は右手を天に上げて
新共同すると、海と地の上に立つのをわたしが見たあの天使が、/右手を天に上げ、
NIVThen the angel I had seen standing on the sea and on the land raised his right hand to heaven.

10章6節 (てん)および()(なか)()るもの、()および()(なか)にあるもの、(うみ)および()(なか)にある(もの)(つく)(たま)ひし世々(よよ)(かぎ)りなく()きたまふ(もの)()し、(ちか)ひて()[引照]

口語訳天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。
塚本訳永遠より永遠に活き給う者、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものとを創造り給うた者にかけ誓っ(て言う)た、「(時が迫った、)最早時はない。
前田訳誓った。誓いをかけたのは世々とこしえに生きたもう方、天とそこにあるもの、地とそこにあるもの、海とそこにあるものを創造された方にである。いわく、「もはや猶予しえない。
新共同世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。すなわち、天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを創造された方にかけてこう誓った。「もはや時がない。
NIVAnd he swore by him who lives for ever and ever, who created the heavens and all that is in them, the earth and all that is in it, and the sea and all that is in it, and said, "There will be no more delay!
註解: 七つの雷霆(いかづち)が記載すべからざる語を発して後、始めの大なる御使は誓の言を神に向って発した。聖書に録されし凡ての奥義の実現を確信したからである。
辞解
[手を挙げ] 誓う貌(引照参照)。ダニ12:7によれるものであることは明かである。神の創造の御業を特に強調せる所以は、神の審判により、凡ての預言が成就して新天新地が実現するに至るのはみな神の創造の御業なるが故である。

『この(のち)(とき)()ぶることなし。

10章7節 第七(だいしち)御使(みつかひ)()かんとするラッパの(こゑ)()づる(とき)(いた)りて(かみ)(しもべ)なる預言者(よげんしゃ)たちに(しめ)(たま)ひし(ごと)く、その奧義(おくぎ)成就(じゃうじゅ)せらるべし』[引照]

口語訳第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。
塚本訳第七の御使いが吹こうとしているラッパの声の(響くその)日、彼がその僕たる預言者達ちに宣べ伝えた通りに神の奥義は成就するであろう。」
前田訳第七の天使の声がする日、彼らがラッパを吹こうとするとき、神の奥義が成就しよう。彼がその僕である預言者たちにお伝えのように」。
新共同第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」
NIVBut in the days when the seventh angel is about to sound his trumpet, the mystery of God will be accomplished, just as he announced to his servants the prophets."
註解: 黙6:11に殉教者たちの訴に応えて「暫く安んじて待つべき」ことを言聞けられているのに対し、もはや時は遅延することなきことを示して彼らの祈が応えられ神の審判が至らんとすることを示す、すなわちまさに吹かれんとする第七のラッパの声とともに旧約新約を貫いて神が福音を宣伝えることにより啓示し給える奥義は完全に成就するに至るであろう。ゆえに如何なる苦難の中にも安んじていることができる。
辞解
[神の僕なる預言者たち] ヨハネは本節においては旧約の預言者を指したものと見るべきであるけれども今日の我らは旧約と新約の預言者使徒たちを凡て包含するものと見て差支えが無い。
[示し給いし] euangelizô を用い「福音を宣伝える」の意。
[奥義] 神の隠れし智慧とその経綸で一般の人には示されず特に霊の眼を開かれし人のみ悟り得るもの。パウロの場合は特にキリストとその救贖の御業の各方面を指している場合が多い (エペ3:3−9。コロ1:27Tコリ15:51) 。ここでは神の国に関する凡ての神の経綸にして預言者たちに示されしものを総称すと見るべきであろう。
[御使の吹かんとする云々] ラッパを吹き始めると同時にというごとき意。

10章8節 (かく)()(さき)(てん)より()きし(こゑ)のまた(われ)(かた)りて『なんぢ()きて(うみ)()とに(またが)()てる御使(みつかひ)()にある(ひら)きたる(まき)(もの)()れ』と()ふを()けり。[引照]

口語訳すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。
塚本訳すると(前に)私が天から(出るのを)聞いた声が、再び私に語って言うのを聞いた、「行って、海と地の上に立っている天使の手にある開いた巻き物を取れ。」
前田訳そしてわたしが天から聞いた声は、ふたたびわたしに語っていった、「行け、海と地との上に立つ天使の手にある開かれた巻物を受けよ」と。
新共同すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」
NIVThen the voice that I had heard from heaven spoke to me once more: "Go, take the scroll that lies open in the hand of the angel who is standing on the sea and on the land."
註解: ヨハネに預言の使命が与えられんとする時、まずこの(ひら)きたる巻物すなわち聖書を神の使の手より受けなければならない。これなしに人は預言することができない。

10章9節 われ御使(みつかひ)のもとに()きて(ちひさ)(まき)(もの)(われ)(あた)へんことを()ひたれば、(かれ)いふ『これを()りて(くら)(つく)せ、さらば(なんぢ)(はら)(にが)くならん、()れど()(くち)には(みつ)のごとく(あま)からん』[引照]

口語訳そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。
塚本訳そこで私は天使の所に行って、その小さな巻き物を私に(渡して)くれるように言うた。すると彼が私に言う、「(さあ、)これを取って食ってしまえ。お前の腹は苦くなるが、しかし口には蜜のように甘いであろう。」
前田訳そこでわたしは天使のところへ行って「小さな巻物を与えるように」といった。彼はいう、「受けよ、そして食べ尽くせ、それは腹ににがく、口には蜜のように甘かろう」と。
新共同そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」
NIVSo I went to the angel and asked him to give me the little scroll. He said to me, "Take it and eat it. It will turn your stomach sour, but in your mouth it will be as sweet as honey."
註解: この小さき巻物は単にこれを持ちまたは読むだけではいけない。これを喰いて自分の血と肉とにしなければならない。そして神の言は口には蜜のごとくに甘いけれども(詩119:103)これが心の奥底に徹する時、そこより生ずる重大なる使命とこれに伴う苦難とを思い、非常なる苦さを経験しなければならない。使徒預言者は神の言の甘味を味いつつ苦しまなければならない。

10章10節 われ御使(みつかひ)()より(ちひさ)(まき)(もの)をとりて(くら)(つく)したれば、(くち)には(みつ)のごとく(あま)かりしが、(くら)ひし(のち)わが(はら)(にが)くなれり。[引照]

口語訳わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。
塚本訳私は小さい巻き物を天使の手から受け取った。そしてそれを食ってしまった。果たして(それは)口には蜜のように甘くあったが、それを食った時、私の腹は苦くなった。
前田訳わたしは天使の手から巻物を受けて、食べ尽くした。それは口に蜜のように甘かったが、食べると腹ににがかった。
新共同わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。
NIVI took the little scroll from the angel's hand and ate it. It tasted as sweet as honey in my mouth, but when I had eaten it, my stomach turned sour.
註解: 神の言なる聖書はこれを食い尽す者にとりてこの甘さと苦さとを経験せしめる。神の言は救いでありまた審判であるから、安息でありまた使命であるから。この二者の一方を欠くものは真に神の言を喰ひ尽したものではない。

10章11節 また(ある)(もの)われに()ふ『なんぢ(ふたた)(おほ)くの(たみ)(くに)國語(くにことば)(わう)たちに()きて預言(よげん)すべし』[引照]

口語訳その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。
塚本訳すると(その天使と七つの雷が)私に言う、「お前はもう一度多くの民と国と国語と王達とについて預言せねばならぬ!」
前田訳また彼らはいう、「なんじはふたたび多くの民族と国民と国語と王たちについて預言せねばならない」と。
新共同すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」
NIVThen I was told, "You must prophesy again about many peoples, nations, languages and kings."
註解: ヨハネは神の御言を喰い尽した時、また誰からともなく新なる命令をきいた、多分神と御使の声であろう。その使命は従来の預言者たちの為せる小さき巻物の預言に加えて今「再び」世界万国の民の運命について預言すべきことであった。本書も勿論この使命の中に包含され新約聖書の諸書もこれに属する。
辞解
[民・国・国語] 黙5:9-10註および辞解参照。
[王たち] 「王たち」を特に加えたのは黙16:1416:14。黙17:10−17等のごとく特に諸王の運命につき預言しなければならないからである。
要義1 [聖書と預言]黙示録においてその中間挿景は主として神の救いの方面を表顕しているのであって、本章における小き巻物も、神の奥義を示せる聖書であり、これを喰ひ尽すことによって預言の霊が宿ることを示さんとしたのであろう。聖書はかくして強き天使により全世界に宣伝えられているのであって、我らはこの聖書を血とし肉としている人々すなわち預言者たちよりその示されし奥義の預言を聞くように努めなければならない。
要義2 [甘くして苦き神の言]神の言は神の恩恵を伝え神の救いを述べるが故に我らの口には極めて甘い。しかしながら神の言が我らの腹に入り我らの血となり肉とならんとする時、我らは神の僕としてサタンとの戦を闘わなければならない立場に立つが故に、神の言は我らに苦きものとなる。また自己の罪この世の罪が神の言によりて益々明かにされる故に神の言は我らに苦きものとなる。もし神の言の甘さを知って苦さを知らない者があるならばそれは自己の何たるかまたこの世の如何なるかを知らない者である。もしまた神の言の苦さを知ってその甘さを知らないならばそれは神の恩恵の豊さを知らない者である。この何れも預言者となるの資格はない。