黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版黙示録

黙示録第4章

分類
3 この世の審判と救 4:1 - 18:24
3-(A) 神の御座の栄光 4:1 - 4:11

註解: 第3章の終りまでは教会の間を歩み給えるキリストの御声であったが本章よりその光景一変して天上の神の御座の光景となる。そして第4、5章は6章以下の審判に入る前提であって、地上に行われる救いと審判の凡てはその源を神の御座に発することを示す。

4章1節 この(のち、)われ()しに、()よ、(てん)(ひら)けたる(もん)あり。[引照]

口語訳その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。
塚本訳この(異象の)後で、私は(また一つ異象を)見た。そして視よ、天に(一つの)開いた門があった。すると、(前に)ラッパのように(大きな声で)私に語るのが聞こえた(あの)最初の声が、(私に)言うた、「ここに上れ、この後起こらねばならぬ(ように決まっている)ことをお前に示そう。」
前田訳その後わたしは見た。見よ、天で戸が開かれて、わたしが聞いた最初の声がラッパのようにわたしに語った。いわく、「ここに上れ、この後おこるべきことを示そう」と。
新共同その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」
NIVAfter this I looked, and there before me was a door standing open in heaven. And the voice I had first heard speaking to me like a trumpet said, "Come up here, and I will show you what must take place after this."
註解: 天全体の光景ではなく門を開きてその処より窺い得る光景なり。
辞解
[この後われ見しに] 幻が一変する場合、すなわち重要なる光景の変化につきしばしば用いられている(黙7:1黙7:9黙15:5黙18:1)。

(はじめ)(われ)(かた)るを()きしラッパのごとき(こゑ)いふ『ここに(のぼ)れ、(われ)この(のち)おこるべき(こと)(なんぢ)(しめ)さん』

註解: 「ラッパのごとき声」はキリストの御声に相違ない(黙1:10)。ここには唯声のみ聞えてキリストの御姿は見えない。「ここに登れ」は天における御座の有様を示さんがための命令である。ヨハネはこの時より天上における神の御座の奇しき光景を示される。たしかに神の御座の前において地上に行わるべき凡ての事柄が決定されるからである。故に第4章は「この後起るべき事」のいわば帷幄(いあく)(=本陣:広辞苑)の光景であると言うことができる。

4章2節 (ただ)ちに、われ御靈(みたま)(かん)ぜしが、()よ、(てん)御座(みくら)(まう)けあり。[引照]

口語訳すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。
塚本訳(すると)直に私は御霊に感じた。そして視よ、天に玉座があった。そして玉座の上に坐し給う者があって、
前田訳すぐわたしは霊的になった。見よ、天に王座が置かれていて、王座に座したもうものがある。
新共同わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。
NIVAt once I was in the Spirit, and there before me was a throne in heaven with someone sitting on it.
註解: ヨハネの肉体は地上に在ったけれども彼はこの時さらにまた(黙1:10)霊的な状態に陥り、肉の目をもって見得ないものを見ることができた。第一に彼の目に映じたものは天の神の御座の栄光であった。凡ての審判の源は神の御座より出る。3−5aは「神」の説明。

4章3節 その御座(みくら)()したまふ(もの)あり、その()(たま)ふものの(さま)碧玉(へきぎょく)赤瑪瑙(あかめのう)のごとく、[引照]

口語訳その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。
塚本訳その坐し給う者は、外観が碧玉及び赤瑪瑙に似ていた。そして(その)玉座の周囲には、外観が緑玉に似ている虹があった。
前田訳座したもうものは、見たところ碧玉(へきぎょく)または紅玉髄(こうぎょくずい)に似る。そして王座をめぐる虹は見たところ緑玉(りょくぎょく)に似る。
新共同その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
NIVAnd the one who sat there had the appearance of jasper and carnelian. A rainbow, resembling an emerald, encircled the throne.
註解: 神の栄光の形容であって、宝玉のあらゆる美をもって形容されている。
辞解
碧玉(へきぎょく)」 iaspis、「赤瑪瑙(めのう)」 sardion は次に来る「緑玉」 smaragdinos と共に宝玉中の宝玉であるけれども(プラトーン)その各々が今日の如何なる宝玉に相当するかは不明でありまた旧約の宝玉と新約のそれとの関係も明白ではない。それゆえに一々これらに特別の意味を附加することは危険である。碧色は神の恵、赤色は神の怒というがごときこれである。

かつ御座(みくら)周圍(まはり)には緑玉(りょくぎょく)のごとき(にじ)ありき。

註解: 虹は神の契約と関連している。そして契約を与える神は恩恵の神なるが故に恩恵の思想もこの中に含まれる。
辞解
[緑玉] smaragdinos は多分エメラルドならんと想像されている。

4章4節 また御座(みくら)のまはりに二十四(にじふし)座位(くらゐ)ありて、二十四人(にじふよにん)長老(ちゃうらう)(しろ)(ころも)(まと)ひ、(かうべ)(きん)冠冕(かんむり)(いただ)きて、その座位(くらゐ)()せり。[引照]

口語訳また、御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。
塚本訳また玉座の周囲に二十四の座があり、その座の上には、(祭司のように)白い着物を着、その頭に(は王のように)金の冠を被っている二十四人の長老が坐っていた。
前田訳王座をめぐって二十四の座があり、それらの座には二十四人の長老がすわっている。彼らは白い着衣を着、頭に金の冠をつけている。
新共同また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
NIVSurrounding the throne were twenty-four other thrones, and seated on them were twenty-four elders. They were dressed in white and had crowns of gold on their heads.
註解: 神の御座はその周囲に神の謀議に与るべき二十四人の長老の座位があり一層その荘厳さを加える。この長老は、義または純潔の徴なる白衣(黙3:18)と尊貴の徴なる金の冠冕(かんむり)とを戴いている。これらの長老は恐らく栄光の座位に坐する(マタ19:28)十二使徒と十二の族長とを表わすものなるべく(A1、および古代註解家のあるもの)彼らをもって旧約と新約とを貫通せる理想の唯一の教会を代表せしめたものであろう。
辞解
[二十四] 十二の二倍、十二は天の数三と地の数四との積で天と地を貫く神の国の数であり、二は証人の数(緒言参照)。
[長老] 諸説あり。(1)天使の諸王(B3)、(2)ユダヤ人と異邦人とを貫ける理想の教会、(3)T歴24:1−19の二十四班列の祭司、(4)イスラエルの長老(出24:11)、(5)バビロン星占学の二十四の星座等多くの解釈あれど上記のごとくに解す。なお黙11:16黙19:4参照。

4章5節 御座(みくら)より數多(あまた)電光(いなづま)(こゑ)雷霆(いかづち)()づ。[引照]

口語訳御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。また、七つのともし火が、御座の前で燃えていた。これらは、神の七つの霊である。
塚本訳そして玉座からは、電光と、(鳴り轟く雷の)声と、雷霆とが(絶えず)出ている。そして神の七つの霊である七つの炬火が、(その)玉座の前に燃えている。
前田訳王座からいなずまとひびきと雷が出る。そして七つの火の炎が王座の前に燃える。それは神の七つの霊である。
新共同玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。
NIVFrom the throne came flashes of lightning, rumblings and peals of thunder. Before the throne, seven lamps were blazing. These are the seven spirits of God.
註解: 電光(いなづま)雷霆(いかづち)とは神の威力を表わす、出19:16のシナイ山上における律法授与の当時を思い出させる光景であり、審判の神に相応しき有様である。「声」は審判の声である。本書において「声」なる語が非常に多く用いられているのはそのためである。経外聖書にもこの種の表現法多く存す。

また御座(みくら)(まへ)()えたる(なな)つの燈火(ともしび)あり、これ(かみ)(なな)つの(れい)なり。

註解: 本章は「神」と「聖霊」とにつき述べ、次章にキリストについて述ぶ。七つの霊は完全なる霊で(黙1:4註および緒言参照)、燈火のごとく燃え世の不浄を焼き尽す使命をもつ。

4章6節 御座(みくら)のまへに水晶(すゐしゃう)()たる玻璃(はり)(うみ)あり。御座(みくら)中央(ちゅうおう)御座(みくら)周圍(まはり)とに()つの活物(いきもの)ありて(まへ)(うしろ)數々(かずかず)()にて滿()ちたり。[引照]

口語訳御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。
塚本訳また玉座の前には(透徹った)水晶に似た、玻璃の海のようなものがある。そして玉座の真中と玉座の周囲には、前にも後にも一杯に眼がある四つの活者がいる。
前田訳王座の前には水晶に似たガラスの海のようなものがある。王座の真ん中と王座のまわりには前も後も目でいっぱいの四つの生きものがいる。
新共同また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
NIVAlso before the throne there was what looked like a sea of glass, clear as crystal. In the center, around the throne, were four living creatures, and they were covered with eyes, in front and in back.
註解: 玻璃(はり)の海は御座の前の広々とした光景を示す。玻璃(はり)は当時宝玉のごとくに貴重であったのでその海の形容として用いしもの、四つの活物(いきもの)エゼ1:5以下の生物に類似し、智慧の表徴として前後とも目をもって掩わる。この四つの活物(いきもの)の位置は神の御座の四方の中央と云う意味ならん、9節より想像する時はこれらの活物(いきもの)はその顔を御座の方に向けているのであろう。

4章7節 第一(だいいち)活物(いきもの)獅子(しし)のごとく、第二(だいに)活物(いきもの)(うし)のごとく、第三(だいさん)活物(いきもの)(かほ)のかたち(ひと)のごとく、第四(だいし)活物(いきもの)()(わし)のごとし。[引照]

口語訳第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。
塚本訳第一の活物は獅子に似て居り、第二の活物は犢に似て居り、第三の活物は人間のような顔を有ち、第四の活物は(空を)翔っている鷲に似ている。
前田訳第一の生きものは獅子に似、第二の生きものは雄牛に似、第三の生きものは人のような顔を持ち、第四の生きものは飛ぶ鷲に似る。
新共同第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
NIVThe first living creature was like a lion, the second was like an ox, the third had a face like a man, the fourth was like a flying eagle.
註解: この四つの活物(いきもの)は神の創造り給える凡ての活物(いきもの)の中最も優れたもので、獅子は権威、牛は力、人は智慧、鷲は活動を示すものとも解せられ、これらの活物(いきもの)はその諸性質をもって神を表顕し、神の御旨を天使または世界に伝えると同時に(黙6:1−7。黙15:7)被造物中の最優者として神を讃美するのがその使命である(黙4:9黙7:11黙19:4)。すなわち神の被造物を表示している。
辞解
[第四の活物(いきもの)] この四つの活物(いきもの)が何を表わすかにつき多くの説あり。(1)四福音書。(2)四大使徒。(3)四元素。(4)主イエスの救の四方面。(5)四つの徳。(6)被造物の四代表等(その他につきA1参照)種々の解釈があるけれども前後の関係上上記のごとくに解す。なおこの活物(いきもの)エゼ1:5以下イザ6:2以下のセラビムにならえるものでしかもこれを自由に変化したものである。

4章8節 この()つの活物(いきもの)おのおの()つの(つばさ)あり、(つばさ)(うち)(そと)數々(かずかず)()にて滿()ちたり、[引照]

口語訳この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。
塚本訳そして四つの活物にはそれぞれ六つずつの翼があり、(その翼には)周囲にも内側にも一杯に眼がある。そして昼も夜も絶え間なく(讃美の歌をうとうて)言う、聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主なる神、全能者、(昔)在り給いし者、(今)在り給う者、(後に)来たり給うべき者!
前田訳四つの生きものはそれぞれに六つずつ翼があり、まわりも内側も目でいっぱいである。そして昼も夜も休まずにいう−−「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者、昔いまし、今いまし、来たるべきもの」と。
新共同この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
NIVEach of the four living creatures had six wings and was covered with eyes all around, even under his wings. Day and night they never stop saying: "Holy, holy, holy is the Lord God Almighty, who was, and is, and is to come."
註解: 六つの翼はイザ6:2以下のセラピムに(なら)えるものであろう。もし然りとすればその二つをもて面をおおい(畏敬)、その二つをもて足をおおい(畏敬)、その二つをもて飛翔る(自由)ためであろう、すなわち造物主に対する被造物の態度を示し、翼の内外の目はこの活物(いきもの)の智慧と視力とを示し、これによりて世界のあらゆる事実がその目に映ずることを意味するのであろう。神の御座の前に(はべ)活物(いきもの)として相応しき姿である。なおこの「翼」および「目」につきても種々の解あることは前節の場合に同じ。

(ひる)(よる)絶間(たえま)なく()ふ、『(せい)なるかな、(せい)なるかな、(せい)なるかな、(むかし)()まし、(())まし、(のち)(きた)りたまふ(しゅ)たる全能(ぜんのう)(かみ)

註解: 被造物殊にその活物(いきもの)の代表たる四つの活物(いきもの)の主なる使命は神を讃美することである。神は全宇宙の絶間なき讃美の中に在し給う。神の至聖に在すこととその永続性とが讃美の内容である。
辞解
聖名三称はイザ6:3と同じ。
[聖] hagios は造物主(つくりぬし)と被造物との間の絶対的離隔を示す、転じて神聖にして近付くべからざる畏敬の意味となる。
「昔在し」以下は黙1:8参照。本書の性質上、神の永遠性、殊にその「来り給う」神なることを強調することが必要である。

4章9節 この活物(いきもの)ら、御座(みくら)()世々(よよ)(かぎ)りなく()きたまふ(もの)榮光(えいくわう)尊崇(たうとき)とを()し、感謝(かんしゃ)する[(とき)]((ごと)に)、[引照]

口語訳これらの生き物が、御座にいまし、かつ、世々限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげている時、
塚本訳そして(この四つの)活物が、玉座の上に坐し永遠より永遠に活き給う者(を斯く讃美しつつ彼)に栄光と栄誉と感謝とを捧ぐる時、
前田訳これら生きものが王座に座して永遠から永遠に生きたもうものに、栄光と誉れと感謝をささげるとき、
新共同玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、
NIVWhenever the living creatures give glory, honor and thanks to him who sits on the throne and who lives for ever and ever,

4章10節 二十四人(にじふよにん)長老(ちゃうらう)御座(みくら)()したまふ(もの)のまへに()し、世々(よよ)(かぎ)りなく()きたまふ(もの)(はい)し、おのれの冠冕(かんむり)御座(みくら)のまへに()(いだ)して()ふ、[引照]

口語訳二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、
塚本訳二十四人の長老は(その座を立ち、)王座の上に坐し給う者の前に平伏して、永遠より永遠に活き給う者を拝し、彼らの冠を玉座の前に投げ出して言う
前田訳二十四人の長老は王座に座したもうものの前にひれ伏し、永遠から永遠に生きたもうものを拝し、彼らの冠を王座の前に投げ出していう−−
新共同二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。
NIVthe twenty-four elders fall down before him who sits on the throne, and worship him who lives for ever and ever. They lay their crowns before the throne and say:
註解: 「御座に坐し世々限りなく活きたまう者」は「神」である(10節にはこれを二つに分けているのは文章の飾に過ぎない)。活物(いきもの)らによりて代表される被造物、天然界が神に讃美をささぐる毎に、長老によりて代表される神の国すなわち教会もまたこれに和して神を拝しこれに服従をささげる。天然界は神の一般的創造、教会はその特別の創造である。
辞解
[伏し、拝し、冠冕(かんむり)を投出す] 神に対する絶対的服従の態度であって、神より賜わりし栄光と尊栄(冠冕(かんむり))すらも神の御前に何らの誇りとならないことを示す、これらは未来形動詞で「感謝する時」の「時」も「与う」なる未来動詞を伴ふ故これをば「栄光と尊貴と感謝とをささぐる度毎に」の意味に解するを可とす。すなわち一回だけの行為でなく毎日毎夜幾度も繰り返されることを示す。なお長老と活物(いきもの)が神の御前に平伏すのは最も重大なる機会に限られている(黙4:9引照2参照)。

4章11節 (われ)らの(しゅ)なる(かみ)よ、榮光(えいくわう)尊崇(たうとき)能力(ちから)とを()(たま)ふは(うべ)なり。(そは)(なんぢ)萬物(ばんもつ)(つく)りたまひ、萬物(ばんもつ)御意(みこころ)によりて(そん)し、かつ(つく)られた(ればな)り』[引照]

口語訳「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」。
塚本訳われらの主なる神よ、貴神は(凡ての創造られたものから)栄光と栄誉と権能とを受け、(また凡ての創造られたものを支配し)給うに相応しい。万物を創造り給うたのは貴神であり、万物は貴神の御意によって存在し、また創造られた(のである)からである。
前田訳「われらの主なる神、あなたは栄光と誉れと力を受けたもうのにふさわしい。あなたはすべてを創造したまい、すべては御意によって存在し、また創造されたゆえに」と。
新共同「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」
NIV"You are worthy, our Lord and God, to receive glory and honor and power, for you created all things, and by your will they were created and have their being."
註解: コロ1:16の思想と同一である。神は創造者に在し、かつ万物の創造もその維持もみな神の御意によるが故に、神は当然に神の国および被造物の代表者すなわち全宇宙によりて讃美さるべきである。
要義1 [神の御座の光景]第4章は神の御座の光景であって、神と聖霊とを中心としてその周囲に神の国(教会)を代表する二十四人の長老と、披造物を代表する四つの活物(いきもの)とあって神を讃美する有様を描いたものである(次章に至りて始めてキリストあらわれ給う)。キリストの再臨とその審判とをもって主題とする本書において、その最初にかかる光景を描き我らの心を天における神の御座に引上げ、凡ての審判がそこより下ることを明かに示していることは本書の後の部分を理解する上に非常に必要でかつ有効である。我らはまず神の稜威の絶対性を確かに認識し、創造主と被造物との絶対的区別を明かにするにあらざれば、神の審判の何たるかを解することができない。
要義2 [神に対する被造物の態度]被造物が創造主に対して取るべき態度は9節10節において適切に言い表わされている。すなわち一方において神に対してでき得る限りの讃美をささげ、栄光と尊栄と感謝とを彼に帰すると共に他方に神の前にひれ伏し、彼を拝し、彼の前に己の冠冕(かんむり)を投出すことである。今日キリスト者のその神に対する態度の軽薄にして、神の愛に()れ、少しの畏敬の念をも持たずその結果神の怒りとその審判とを軽蔑しているのは神を知らないからである。我らは四つの活物(いきもの)、二十四人の長老の取れるごとき態度を神に対して取らなければならない。

黙示録第5章
3-(B) 巻物を開き給う羔羊(こひつじ) 5:1 - 5:14
3-(B)-(a) 羔羊(こひつじ)巻物を受け給う 5:1 - 5:7

註解: 本章は神の審判が屠られ給いし羔羊(こひつじ)なる主イエス、キリストによりて展開されることを示す、かくして前章と本章とをもって三位の神の各々が、その地位を明かに示し給う。

5章1節 (われ)また御座(みくら)()(たま)(もの)(みぎ)()に、(まき)(もの)のあるを()たり、その裏表(うらおもて)文字(もじ)あり、(なな)つの(いん)をもて(ふう)ぜらる。[引照]

口語訳わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
塚本訳そして私は玉座に坐し給う者の右手に(一つの)巻き物(があるの)を見た。それは内側にも外側にも(一杯に)字が書いてあり、七つの封印を以て(固く)封ぜられてあった。
前田訳そしてわたしは見た、王座に座したもうものの右に、内にも外にも書かれている巻物を。それには七つの封印がなされている。
新共同またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。
NIVThen I saw in the right hand of him who sat on the throne a scroll with writing on both sides and sealed with seven seals.
註解: 神の審判の予定は完全に(七つ ─ 緒言参照)封ぜられし秘密であって、何人もこれを窺い知ることができない。この神の計画を一杯に録せる(裏表に文字あること)巻物は神これをその右の手に持ちて容易に手離したまわない。
辞解
[巻物] biblion は普通「書物」biblos の小なるものを意味するけれども必ずしも小なるものに限られたわけではない。その形は普通巻物の形でパピルスを材料とする。
[裏表に文字あり] 内容の豊富にして充実していることを示す。一つの巻物に七つの封印ありてそれが一つ一つ解かれるようにするには如何なる方法によるかにつき種々の想像説あれどそれは空しき好奇心に過ぎない。かかる巻物が具体的に存在するのでは無いから。その証拠にはこの巻物が読まれたことは一回も録されていない。

5章2節 また大聲(おほごゑ)に『(まき)(もの)(ひら)きてその封印(ふういん)()くに相應(ふさは)しき(もの)(たれ)ぞ』と(よば)はる(つよ)御使(みつかひ)()たり。[引照]

口語訳また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
塚本訳私はまた強い天使が大声で、「誰が(この)巻き物を開いて、その封印を解くに相応しいか」と触れているのを見た。
前田訳そしてわたしは見た、ひとりの強い天使が大声で叫ぶのを、「封印を解いて、この巻物を開けるにふさわしいものはだれか」と。
新共同また、一人の力強い天使が、「封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか」と大声で告げるのを見た。
NIVAnd I saw a mighty angel proclaiming in a loud voice, "Who is worthy to break the seals and open the scroll?"
註解: 神の審判の経綸はこれを地上に実現する力を有てる人が必要である。「巻物を開きて封印を解く」とは単に神の予定の経綸を発見し告知することではなく(このことは御霊により預言者によりて為され得ることである)、これを実現し実行することである。このために強き天使の全世界に響き渡る声をもって、この審判の実行を為し得る人ありや否やが呼びかけられる。
辞解
[巻物を開きてその封印を解く] 順序が転倒しているけれども、これも前述のごとくあまりに具体的に解すべきではなくその精神を見るべきである。

5章3節 (しか)るに(てん)にも()にも、()(した)にも、(まき)(もの)(ひら)きて(これ)()()(もの)なかりき。[引照]

口語訳しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
塚本訳しかし、天にも地にも地の下にも、誰一人(として)その巻き物を開いて、それ(に書いてあること)を見ることの出来る者が無かった。
前田訳天にも地上にも地下にも巻物を開いて読めるものはだれもなかった。
新共同しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。
NIVBut no one in heaven or on earth or under the earth could open the scroll or even look inside it.
註解: 天、地、地の下は神の被造物の全体であると考えられた(キリスト、神の羔羊(こひつじ)はこの被造物以外に在ることとなる)。全宇宙に何物もこの巻物を開き得るものなくまたこれを見得る者が無かった。神の審判の経綸は唯神の御旨の中のみにある。

5章4節 (まき)(もの)(ひら)き、これを()るに相應(ふさは)しき(もの)()えざりしに()りて、(われ)いたく()きゐたりしに、[引照]

口語訳巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
塚本訳私はさめざめと泣いた。(広いこの宇宙に、)その巻き物を開いて、それを見るに相応しい者が一人も無かったのである。
前田訳わたしはさめざめと泣いた、巻物を開いて読むにふさわしいものが、だれも見当たらなかったから。
新共同この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。
NIVI wept and wept because no one was found who was worthy to open the scroll or look inside.
註解: 天使の呼びかけに応ずる者が無かったのでヨハネの失望は大きかった。キリスト在し給わないならば全宇宙の問題は解決せられずに残るのである。ヨハネは泣くより外になかった。

5章5節 長老(ちゃうらう)一人(ひとり)われに()ふ『()くな、()よ、ユダの(やから)獅子(しし)、ダビデの萠蘗(ひこばえ)、すでに(かち)()(まき)(もの)とその(なな)つの封印(ふういん)とを(ひら)()るなり』[引照]

口語訳すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。
塚本訳すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」
前田訳すると長老のひとりがいう、「泣くな。見よ、ユダ族出の獅子、ダビデの根が勝った。彼が巻物とその七つの封印を解く」と。
新共同すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」
NIVThen one of the elders said to me, "Do not weep! See, the Lion of the tribe of Judah, the Root of David, has triumphed. He is able to open the scroll and its seven seals."
註解: ヨハネの哀哭は長老の一人の告知によりて消された。すなわちキリストのみがその巻物と封印とを開くに相応しきことを知ったのである。
辞解
[長老の一人] 黙示文学の特徴として声を発するものは種々あり(黙6:1黙7:13以下。黙8:13黙9:13黙10:4黙10:8黙11:15黙14:7黙16:1黙17:1)。
[ユダの族の獅子] 創49:8−12にヤコブがその子ユダを祝福して「獅子の子の如し」と言い諸族中に君臨することを示し、このユダの中より救主が生まれることは当時一般の信念であり、預言もまたこれを裏書した (ヘブ7:14イザ2:1)。 イエスはユダ族より生れ給いその獅子であつた。
[ダビデの萠蘗(ひこばえ)] メシヤはダビデの子として生れ給うことが預言せられかつかく信じられていた(マタ1:1ロマ15:12イザ11:1イザ11:10黙22:16)。

5章6節 (われ)また御座(みくら)および()つの活物(いきもの)長老(ちゃうらう)たちとの(あひだ)に、(ほふ)られたるが(ごと)羔羊(こひつじ)()てるを()たり、[引照]

口語訳わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
塚本訳(私は面を上げた。)すると玉座及び(これを取り囲む)四つの活物と、(二十四人の)長老との真中に、(犠牲として)屠られたような、(頚に疵のある)仔羊が立っているのを私は見た。それには七つの角と七つの眼とがあった──この眼は全地に遣わされた神の七つの霊である。──
前田訳そしてわたしは見た、王座と四つの生きものの真ん中、長老たちの真ん中に、ほふられたような小羊が立っているのを。それには七つの角と七つの目があり、それらは全地につかわされた神の七つの霊である。
新共同わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。
NIVThen I saw a Lamb, looking as if it had been slain, standing in the center of the throne, encircled by the four living creatures and the elders. He had seven horns and seven eyes, which are the seven spirits of God sent out into all the earth.
註解: 封印を開くに相応しきは屠られてしかも甦り給える羔羊(こひつじ)であった。イエスはその愛の故に人類の罪を負って屠られ給えるが故にこの封印を解くことを得給う。そしてヨハネは彼が神とその二つの被造物なる天然と教会との間に、換言すれば全宇宙をその舞台として立ち給うを見た。
辞解
[御座(みくら)活物(いきもの)と長老たちとの中間に] 何れの場所なりやを決定し難いので多くの説を生んでいるけれども、これを文字の外形より決定せんとするのが誤りのもとで上述のごとくに解すべきである。
[屠られたるが如き] 今は復活して神の右に在し給うが故に、彼が屠られ給いしことは唯その創痕(きずあと)においてこれを認め得たに過ぎないからであろう。
[羔羊(こひつじ)] 新約聖書に一般に amnos を用いているけれども黙示録にては arnion を用う。本書の特色を発揮させるためであろう。

(これ)(なな)つの(つの)(なな)つの()とあり、この()全世界(ぜんせかい)(つかは)されたる(かみ)(なな)つの(れい)なり。

註解: 「角」は力の表徴、「目」は視力の表徴であり、この目は神の霊であり、全世界に遣されて全世界を監視し、この角の力をもってこれを審くことを意味す。
辞解
[角] 力を表わすことにつきては申33:17ゼカ2:1ダニ7:7以下。
[目] 洞察力を示すことにつきてはゼカ4:10参照。

5章7節 かれ(きた)りて御座(みくら)()したまふ(もの)(みぎ)()より[(まき)(もの)を]()けたり。[引照]

口語訳小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。
塚本訳(やがて)彼は行って、玉座に坐し給う物の右手から(その巻き物を)受け取った。
前田訳彼は来て、王座に座したもうものの右の手から(巻物を)受けた。
新共同小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。
NIVHe came and took the scroll from the right hand of him who sat on the throne.


3-(B)-(b) 活物(いきもの)と長老との讃美 5:8 - 5:10

5章8節 (まき)(もの)()けたるとき()つの活物(いきもの)および二十四人(にじふよにん)長老(ちゃうらう)、おのおの立琴(たてごと)(かう)滿()ちたる(きん)(はち)とをもちて、羔羊(こひつじ)(まへ)平伏(ひれふ)せり、()(かう)聖徒(せいと)祈祷(いのり)なり。[引照]

口語訳巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。
塚本訳彼がその巻き物を受け取った時、四つの活物と二十四人の長老とは、各々竪琴と香の一杯入っている金の鉢とを(手に)持って──この香は聖徒の祈りである──仔羊の前に平伏し、
前田訳彼が巻物を受けたとき、四つの生きものと二十四人の長老は小羊の前にひれ伏した。おのおのが竪琴と香に満ちた金の鉢とを持っている。香は聖徒の祈りである。
新共同巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。
NIVAnd when he had taken it, the four living creatures and the twenty-four elders fell down before the Lamb. Each one had a harp and they were holding golden bowls full of incense, which are the prayers of the saints.
註解: これよりイエスはいよいよ神の御手より審判の巻物を受けてこれを世界に実現せんとし給う。新しき神の御業が始まらんとしているのである。それ故に自然界を表わす四つの活物(いきもの)は各々立琴を持って讃美をささげ、神の国を代表する二十四人の長老は各々香の満ちたる金の鉢をもって祈祷をささげんとして、羔羊(こひつじ)の前に平伏しているのである。
辞解
[おのおの] 多く長老のみに関するものと解される(B3、S3、A1)けれどもこの場合前掲註のごとくに解することが適当であろう。
[立琴] kithara 詩を歌う場合に用いし楽器(詩33:2詩98:5詩147:7。なお黙14:2黙15:2)。
[香] 祈を表はすことは詩141:2ルカ1:10。讃美と祈祷は聖徒の生涯であり、殊にキリストが審判の巻物を主より受取り給う場合になおさらである。

5章9節 (かく)(あたら)しき(うた)(うた)ひて()ふ、なんぢは(まき)(もの)()け、その封印(ふういん)()くに相應(ふさは)しきなり、(そは)(なんぢ)(ほふ)られ、その()をもて諸種(もろもろ)(やから)國語(くにことば)(たみ)(くに)(うち)より[人々(ひとびと)を](かみ)のために()ひ、[引照]

口語訳彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
塚本訳新しい(讃美の)歌をうとうて言う──貴方は巻き物を受け取り、その封印を開くに相応いたもう。貴方は屠られ給うて、その血(の価)によって凡ての種族と国語と民と国民と(の中)から人を神のために買い、
前田訳彼らは新しい歌をうたっていう−−「あなたは巻物を受けてその封印を解くにふさわしい。あなたはほふられ、自らの血ですべての部族と国語と民族と国民とから、人々を神へとあがない、
新共同そして、彼らは新しい歌をうたった。「あなたは、巻物を受け取り、/その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、/あらゆる種族と言葉の違う民、/あらゆる民族と国民の中から、/御自分の血で、神のために人々を贖われ、
NIVAnd they sang a new song: "You are worthy to take the scroll and to open its seals, because you were slain, and with your blood you purchased men for God from every tribe and language and people and nation.

5章10節 (これ)(われ)らの(かみ)のために(こく)[(みん)]となし、祭司(さいし)となし(たま)[へ](ひたれ)ばなり。(かれ)らは()(うへ)(わう)となるべし』[引照]

口語訳わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。
塚本訳これをわれらの神のために王国(の民となし、)また祭司となし給うたから。彼らは地上に王となるであろう。
前田訳彼らをわれらの神のために王となし、祭司となさったから。彼らは地上で王者となろう」と。
新共同彼らをわたしたちの神に仕える王、/また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」
NIVYou have made them to be a kingdom and priests to serve our God, and they will reign on the earth."
註解: 再び来りて審判を行い給うべきキリストこそ、新しき歌をもって讃美されるべきである。彼が封印を解くに相応しき所以は、彼が神の子に在し給うからではなく、または彼の奇蹟や伝道や、または彼の立派な道徳的生活等のためでもなく、彼が万民の贖いのために世のために血を流し給えるが故であった。神の前における我らの価値もまた我らが愛のためにどれだけ己を捨てるかにある。そしてキリストの十字架の功績はその血の値によって、神の国とその祭司とが万民の中より神のために贖い出され、彼らがやがて世を支配するに至ることである。それ故に彼はかく屠られて血を流すまでも世を愛せるが故に、彼に(したが)わざるものを審判(さば)くべき神の経綸の巻物の封印を開くに値し給う。
辞解
[新しき歌を謳う] 何人が謳うかは明示されていないが四つの活物(いきもの)と四人の長老たちと見るべきである(黙14:3)。
[族・国語・民・国] すなわち人種の別、言語の別、民族の別等を論ぜざること、イエスの救いは如何なる人にも及ばない処が無い。地に関すること故、地に(ちな)める四の数を選んだのであろう。「族」phulê は民族をその区別の方面より見た場合、「民」laos は集団として見た場合、「国」 ethnos は人種的に見た場合、「国語」glossa は言語の差別より見た場合の人類の区別。「国民」basileia は「国」「王国」等と訳することができる。キリストによりて贖われしものは神の「国」である。「祭司」キリスト者はみなことごとく神の祭司である(黙1:6ヘブ10:20)。

3-(B)-(c) 御使および被造物の讃美 5:11 - 5:14

5章11節 (われ)また()しに、御座(みくら)活物(いきもの)長老(ちゃうらう)たちとの周圍(まはり)にをる(おほ)くの御使(みつかひ)(こゑ)()けり。[引照]

口語訳さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、
塚本訳また私は見た。そして、玉座と活物と長老との周囲に、多くの天使の声を聞いた。その数は千々万々であって、
前田訳そしてわたしは見た。そして王座と生きものと長老のまわりに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の何万倍、千の何千倍であった。
新共同また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
NIVThen I looked and heard the voice of many angels, numbering thousands upon thousands, and ten thousand times ten thousand. They encircled the throne and the living creatures and the elders.
註解: 神の御座の周囲にある天使の群につきては、ここに始めて記載がある。彼らもまた活物(いきもの)と長老とに和してその讃美の声をあげる。

その(かず)千々萬々(せんせんまんまん)にして、

註解: ダニ7:10より取る、天使の無数なることを示す。

5章12節 大聲(おほごゑ)にいふ『(ほふ)られ(たま)ひし羔羊(こひつじ)こそ、能力(ちから)(とみ)知慧(ちゑ)勢威(いきほひ)尊崇(たうとき)榮光(えいくわう)讃美(さんび)とを()くるに相應(ふさは)しけれ』、[引照]

口語訳大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
塚本訳大声で(仔羊を讃美して)言うた──屠られ給うた仔羊こそ、権能と富と知恵と権力と栄誉と栄光と讃美とを受けるに相応いたもう。
前田訳彼らは大声でいう−−「ほふられた小羊こそ力と富と知恵と強さと誉れと栄光と讃美を受けるにふさわしい」と。
新共同天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、/力、富、知恵、威力、/誉れ、栄光、そして賛美を/受けるにふさわしい方です。」
NIVIn a loud voice they sang: "Worthy is the Lamb, who was slain, to receive power and wealth and wisdom and strength and honor and glory and praise!"
註解: 9、10節はキリストに対して第二人称を用い本節の天使は彼を第三人称として一般的に取扱い、前者がキリストの贖罪の御業をたたえるに反し、後者はキリストに属する凡ての充ち足れる徳(プレーローマ)を讃美している。そしてキリストがこれに相応(ふさわ)しくあられることの原因は同じく彼が屠られ給いしが故である。
辞解
[讃美] eulogia は「祝福」の意味もあるけれどもここでは「讃美」の意(H0、B3、S3)、なおここに七つの性質を掲げたのは七なる数に(ちな)みしものなるべくまたこの七語に唯一の冠詞を用いしのみなるはこの七つを一体と見しが故である。

5章13節 (われ)また(てん)に、()に、()(した)に、(うみ)にある(よろづ)(つく)られたる(もの)、また(すべ)てその(うち)にある(もの)()へるを()けり。[引照]

口語訳またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。
塚本訳そして、天と地と地の下と海の上に[ある]凡ての造られた物と、その中にある凡てのものとが(これに応えてこう)言うのを私は聞いた──願わくは、玉座に坐し給う者と仔羊とに、讃美と栄誉と栄光と統治とが、永遠より永遠にあらんことを!
前田訳そして天と地上と地下と海上の万物がいうのをわたしは聞いた−−「王座に座したもうものと小羊とに讃美と誉れと栄光と力とが、永遠から永遠にあれ」と。
新共同また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、/賛美、誉れ、栄光、そして権力が、/世々限りなくありますように。」
NIVThen I heard every creature in heaven and on earth and under the earth and on the sea, and all that is in them, singing: "To him who sits on the throne and to the Lamb be praise and honor and glory and power, for ever and ever!"
註解: 天使に続いてヨハネは全被造物の讃美の声をきいた。かくして全宇宙はキリストが封印を解かんとするに際して大なる讃美に包まれたのである。
辞解
[凡てその中にある物] 重複または蛇足のごとくに思われるけれどもこれはあるいは同格的説明と見るか、または出20:11または詩146:6のごとき語気に(なら)つたものであろう。

(いは)く『(ねが)はくは御座(みくら)()(たま)ふものと羔羊(こひつじ)とに、讃美(さんび)尊崇(たうとき)榮光(えいくわう)權力(ちから)世々(よよ)(かぎ)りなくあらん(こと)を』

註解: 最後の全被造物の讃美的祈祷は神とキリストとに向けられ第4章、第5章の全体の総括と見るべきである。讃美、尊敬、栄光の三つは第12節の七つの属性の中の最後の三つでありこれに権力を加えて四つとなしたのは四が地に関しまたは被造物に関する数だからであろう。またこの四者の各々に冠詞を付したのはその各々を独立に考えたからである(黙5:12節註参照)。かくして全宇宙はその神に対する大なる讃美を終った。地およびその上にあるものはやがてキリストの再臨により審判を受くべきであるに関らず、なお讃美をささげたのは理由なきがごとくに見えるけれども、ヨハネが天上において見聞せるこの光景は、やがて実現されるべき天国の理想のもしくは代表的の光景であると見るべきであろう。

5章14節 ()つの活物(いきもの)はアァメンと()ひ、長老(ちゃうらう)たちは平伏(ひれふ)して(はい)せり。[引照]

口語訳四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。
塚本訳「アーメン」と四つの活物が言うた。そして長老が平伏して拝した。
前田訳そして四つの生きものはいった、「アーメン」と。そして長老たちはひれ伏して拝した。
新共同四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。
NIVThe four living creatures said, "Amen," and the elders fell down and worshiped.
註解: かくして神とキリストとに対する讃美祈祷礼拝が天において神の御座の前に行われたのである。
要義1 [封印ある巻物]宇宙の運行、世界の変遷、社会の趨移(すうい)(移り変わり)、文化の興亡、国家の盛衰、人事の栄枯、天変地異、戦争、飢饉等が何故に行われしかまた今後も行われるかは全く一つの謎であって、人々はその直接の原因結果の一部を説明することができても、その真の理由の何であるかはこれを知ることができない。これらは全く「封ぜられたる書物」である。そして悲しいかな何人もこの封を解きて書物の内容を明かにするの能力が無い。従来幾多の哲人、歴史家がこれを解かんとして解き得なかった。
然るに唯一人これを解き得る人があった。そして彼がこれを解き得る理由は彼が人類の罪を負って屠られ給うたからであった。すなわち彼の完全なる愛の行為が、不可解なる宇宙の問題を解くの鍵となったのである。その故は彼の十字架にあらわれし神の愛と彼の十字架の贖いとが明かにされる時は、人が宇宙人生を観るの眼が全く一変してしまうからである。この屠られ給いし羔羊(こひつじ)を見るにおよび始めて従来全く不可解の謎であった凡ての事柄が、整然たる神の経綸の中にあり、凡てが神との関係において神の御旨によって成り、今後もまた然るであろうことを知ることができるのである。誠に宇宙の謎を解くものは科学にあらず歴史哲学にあらず、実に屠られ給いし羔羊(こひつじ)である。
要義2 [屠られ給える羔羊(こひつじ)]愛の故に屠られることによって始めて宇宙の神秘がその人のものとなることは一つの争うべからざる事実である。愛の故に屠られることの事実の前には不可解は一つもなく、またこの事実によらざれば何事もこれを真の意味において解することができない。屠られ給える羔羊(こひつじ)なるキリストこそは実にそのために神より至上の権と栄光とを受け給うに相応しき方に在し給う。我らも屠られることなくしてこの栄光と尊貴とに与ることができない。
要義3 [キリストの御業]9、10節には福音の中心真理が要約せられているのを見る。すなわち(1)キリストは十字架上に屠られ給えること。(2)そしてこれは人々を全世界より神のために贖わんがためなること。(3)かくして贖われしものは神の国とせられしこと。(4)かかる神の国の民はみなことごとく祭司たることである。これパウロの福音と全く同一であり新約聖書を貫く中心的真理である。