黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ヘブル書

ヘブル書第7章

分類
1 教理の部 1:1 - 10:18
1-4 レビ族の祭司に優れるキリスト 7:1 - 7:28
1-4-イ メルキゼデクの特質 7:1 - 7:3  

註解: 本章においてはキリストの型なるメルキゼデクの特質を掲げてキリストの大祭司としての本質を説明し、レビ系の祭司に対する優越を示している。1−3節は原文では一つの長き文章をなしている。▲この点を強調する目的はイスラエルの人々にイエスに対する信仰を与えるためであると同時に、諸国民に旧約聖書の真理がイエスを指していることを示す点にある。

7章1節 ()のメルキゼデクはサレムの(わう)にて至高(いとたか)(かみ)祭司(さいし)たりしが、[引照]

口語訳このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
塚本訳なぜか。この“メルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であった。アブラハムが(四人の)王たちを打破って帰るとき出迎えて彼を祝福したので、
前田訳このメルキセデクはサレムの王、いと高き神の祭司で、王たちを打ち破って帰るアブラハムを迎えて祝福しました。
新共同このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。
NIVThis Melchizedek was king of Salem and priest of God Most High. He met Abraham returning from the defeat of the kings and blessed him,
註解: 創14:14−20の記事をそのままここに応用している。
辞解
[サレム] 後のエルサレムに当る(S2、Z0の182頁脚注参照)、ヨハ3:23のサリムすなわちスキトポリスの南にあるサルミアスなりとの説あれどおそらく然らざらん。要するにサレムの位置は重要問題ではなくその名の意味が型として重要なのである(2節)。

(わう)たちを(やぶ)りて(かへ)るアブラハムを(むか)へて祝福(しくふく)せり。

註解: 創14:19、20。これによりてメルキゼデクはその祭司たることを表示した。かつ彼はアブラハムよりも大なる者であり(7節)従ってレビ族以上の祭司であることが知られる(8−10節)。

7章2節 アブラハムは(かれ)(すべ)ての(もの)十分(じふぶん)(いち)()(あた)へたり。[引照]

口語訳それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
塚本訳アブラハムはすべての(分捕物の)一割税を”彼に分けたのである。(このことは、メルキゼデクがイスラエルの民の上に立つ王であり、祭司であることを示している。)第一に、(メルキはヘブライ語で「王」、ゼデクは「義」で、)メルキゼデクは訳すると「義の王」(である)。つぎに、(サレムは「平和」であり、)“サレムの王は”すなわち「平和の王」である。
前田訳アブラハムは彼にすべての十分の一を分かちました。その名の意味はまず「義の王」、次に「サレムの王」、すなわち「平和の王」です。
新共同アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。
NIVand Abraham gave him a tenth of everything. First, his name means "king of righteousness"; then also, "king of Salem" means "king of peace."
註解: ユダヤ人が始祖として崇敬()かざりしアブラハムもその行為によりてメルキゼデクの自己より大なる祭司たることを認めたことを示す。

その()()けば第一(だいいち)()(わう)(つぎ)にサレムの(わう)、すなはち平和(へいわ)(わう)なり。

註解: メルキは「王」(「メレク」「王」の語尾が変化せるもの)、ゼデクは「義」、サレムは「平和」(シャロームと同語)を意味する。すなわち彼は「義」と「平和」の二性質を具備する「王」であったことによってキリストの型たる性質を有っていた。旧約聖書においてメシヤはしばしば義と(ゼカ9:9エレ23:5イザ11:4)平和(イザ9:5ミカ5:4)とを代表している。

7章3節 (ちち)なく、(はは)なく、系圖(けいづ)なく、(よはひ)(はじめ)なく、生命(いのち)(をはり)なく、[引照]

口語訳彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。
塚本訳(ことに聖書はメルキゼデクの系図を掲げない。)父なく、母なく、系図なく、(生涯の)日の初めもなく、命の終りもなく、神の子に似ていて、(永久に)いつまでも“祭司”である。
前田訳彼は父なく、母なく、系図なく、齢に初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似て、いつまでも祭司です。
新共同彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
NIVWithout father or mother, without genealogy, without beginning of days or end of life, like the Son of God he remains a priest forever.
註解: 創世記十四章におけるメルキゼデクの記事は不思議にもその父母について全く記されていない従ってその系図も全然不明であって、あたかも天より降れる人のごとき姿をもって録されている。またその誕生についても死についても沈黙されていることは如何にも不可思議なる事実であって、アロンの(すえ)にあらざれば祭司となることを得ないこと(出28:1以下。民3:10民18:1以下)、また祭司たる者の母は聖き女たるべきこと(レビ21:7エゼ44:22)また祭司はその系図を明らかにすることを要すること(ネヘ7:63以下)を定めし旧約聖書の中に父なく母なく系図なき祭司メルキゼデクの存在することは一つの不思議である。しかしこれはアロンの(すえ)にあらざるキリストがアロンの(すえ)たる祭司に優り給うことを示さんがための型であり、その生活の始めも終りもなきことはキリストの永遠なる祭司に在すことの型であると解してその意味明瞭となる。

(かみ)()(ごと)くにして(かぎ)りなく祭司(さいし)たり。

註解: 前節に述べしごとく彼は凡ての点において神の子のごとくであって、キリストの型であり、また詩110:4に示されるごとく彼は限りなく祭司たることによって、同じくキリストの永遠の大祭司に在すことの型であった。

1-4-ロ メルキゼデクの優越 7:4 - 7:10  

註解: 次に以上の事実の説明を加えている。

7章4節 先祖(せんぞ)アブラハム[分捕物(ぶんどりもの)のうち]十分(じふぶん)(いち)(もっと)()(もの)(これ)(あた)へたれば、その(ひと)如何(いか)(たふと)きかを(おも)ふべし。[引照]

口語訳そこで、族長のアブラハムが最もよいぶんどり品の十分の一を与えたのだから、この人がどんなにすぐれた人物であったかが、あなたがたにわかるであろう。
塚本訳祖先、“アブラハムが”分捕物の“一割税を与えた”このメルキゼデクが、いかに偉大であるかを、あなた達はよく(考えて)見よ。
前田訳彼がいかに偉大かをごらんなさい。彼に父祖アブラハムがいちばんよい分捕品の十分の一を分かったのです。
新共同この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。
NIVJust think how great he was: Even the patriarch Abraham gave him a tenth of the plunder!
註解: ユダヤ人がアブラハムを先祖として非常に尊んでいたことよりこの一節を見ればその意味は明らかである。
辞解
[最も善きもの] akrothinion は穀物の推積の最上部(すなわち初穂)または戦利品の中の最良品を意味し、これを献げられる神または人は最上の尊敬を払われしことを意味する。

7章5節 レビの()()のうち祭司(さいし)(つとめ)()くる(もの)は、律法(おきて)によりて、(たみ)すなはちアブラハムの(こし)より()でたる(おの)兄弟(きゃうだい)より、十分(じふぶん)(いち)()ることを(めい)ぜらる。[引照]

口語訳さて、レビの子のうちで祭司の務をしている者たちは、兄弟である民から、同じくアブラハムの子孫であるにもかかわらず、十分の一を取るように、律法によって命じられている。
塚本訳まずレビの子孫のうち祭司職を受ける者は、律法によって民、すなわちその兄弟たちから、(同じく)アブラハムの腰から出てきた者ではあるが、一割税を取れと命ぜられている。
前田訳レビの子孫で祭司の務めを引き受けるものは、律法によって兄弟である民から十分の一をとるよう定められています。彼らが同じくアブラハムの腰の出であるにもかかわらずです。
新共同ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。
NIVNow the law requires the descendants of Levi who become priests to collect a tenth from the people--that is, their brothers--even though their brothers are descended from Abraham.
註解: 同じアブラハムの子孫たる諸族の中でレビ族のみが祭司の職につくことができ、他の諸族からその十分の一を取ることを律法によりて命令せられていた(民18:20−32)。これによりてレビ族の他の諸族よりも優っていることが明らかである。かく言いて次節のメルキゼデクの一層優れることを証明する前提としている。なお祭司のみが十分の一を取るのではなく全レビ族がこれを取るのであるが(民18:20)、習慣上祭司がこれを受け取ったのでかく言ったのであろう(A1)。
辞解
[腰より出づ] 子孫後裔(こうえい)の意味。

7章6節 されど()血脈(ちすぢ)にあらぬ(かれ)は、アブラハムより十分(じふぶん)(いち)()りて約束(やくそく)()けし(もの)祝福(しくふく)せり。[引照]

口語訳ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。
塚本訳ところが、メルキゼデクは、彼ら(レビ)の血統(の者)でないにもかかわらず、アブラハムから一割税を取り、また(神の)約束を受けた者(であるそのアブラハム)を“祝福したのである”。
前田訳しかし彼らの系図に属さない彼はアブラハムから十分の一を与えられ、約束を受けたもの(アブラハム)を祝福しました。
新共同それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福したのです。
NIVThis man, however, did not trace his descent from Levi, yet he collected a tenth from Abraham and blessed him who had the promises.
註解: 創12:2以下。創13:14以下の約束を神より受けしアブラハムをすら祝福するのみならず彼より十分の一の献物を受けるということはメルキゼデクの非常なる優越性を暗示している。しかも彼はレビの子らのうちより出でたのではなかった。ゆえにキリストのごとくレビ族より出でずして祭司となることは不可能ではない。

7章7節 それ(せう)なる(もの)(おほい)なる(もの)祝福(しくふく)せらるるは(ろん)なき(こと)なり。[引照]

口語訳言うまでもなく、小なる者が大なる者から祝福を受けるのである。
塚本訳言うまでもなく、小さい者が大きい者に祝福される。(だからアブラハムよりもメルキゼデクの方が大きい。)
前田訳およそ反論の余地のないことですが、小さいものが大きいものから祝福されるのです。
新共同さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです。
NIVAnd without doubt the lesser person is blessed by the greater.
註解: ゆえにメルキゼデクはアブラハムよりも大に従って勿論レビよりも大である。

7章8節 かつ此所(ここ)にては()ぬべき(もの)十分(じふぶん)(いち)()くれども、彼處(かしこ)にては『()くるなり』と(あかし)せられた(もの)これを()く。[引照]

口語訳その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。
塚本訳かつここでは、(すなわちレビの場合は、)死ぬべき人間が“一割税を”受けるけれども、そこでは、(すなわちメルキゼデクの場合は、永遠に)生きている、と証されている者が、それを受けるのである。
前田訳また、一方死ぬべき人間が十分の一を受けていますが、他方「生きている」と証されたものが、それを受けています。
新共同更に、一方では、死ぬはずの人間が十分の一を受けているのですが、他方では、生きている者と証しされている者が、それを受けているのです。
NIVIn the one case, the tenth is collected by men who die; but in the other case, by him who is declared to be living.
註解: 此所(ここ)」はレビの場合、「彼処(かしこ)」はメルキゼデクの場合である。レビ族の祭司は死ぬべき人でありメルキゼデクは活きていることが聖書に証せられている。この点がメルキゼデクの優越を証する第二の点である。
辞解
[「活くるなり」と証せられたる者] (私訳「活き居ると証せられたる者」)とは何れの証を指すやにつき異説あり(I0)、(1)彼の死に関する旧約聖書の沈黙、(2)詩110:4よりの証明、(3)この二者の併用等である。第三説を採る。

7章9節 また十分(じふぶん)(いち)()くるレビすら、アブラハムに()りて十分(じふぶん)(いち)(をさ)めたりと()ふも()なり。[引照]

口語訳そこで、十分の一を受けるべきレビでさえも、アブラハムを通じて十分の一を納めた、と言える。
塚本訳そして、言わば一割税を受けるレビ(の祭司たち自身)も、アブラハムによって一割税をささげたのである。
前田訳いうなれば、十分の一を受けるレビさえも、アブラハムを通じて十分の一を課せられたのです。
新共同そこで、言ってみれば、十分の一を受けるはずのレビですら、アブラハムを通して十分の一を納めたことになります。
NIVOne might even say that Levi, who collects the tenth, paid the tenth through Abraham,

7章10節 そはメルキゼデクのアブラハムを(むか)へし(とき)に、レビはなほ(ちち)(こし)()りたればなり。[引照]

口語訳なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはまだこの父祖の腰の中にいたからである。
塚本訳“メルキゼデクがアブラハムを出迎えた”時、レビはまだ父(アブラハム)の腰にあったからである。
前田訳それは、メルキセデクがアブラハムを迎えたとき、彼(レビ)はまだこの父祖の腰にいたからです。
新共同なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたとき、レビはまだこの父の腰の中にいたからです。
NIVbecause when Melchizedek met Abraham, Levi was still in the body of his ancestor.
註解: アブラハムがメルキゼデクを己より優れる者と認めしのみならず、言わばレビ(およびその一族をも含めたる意味)さえもメルキゼデクの優越を認めてアブラハムを代表者として十分の一を納めたとも言える。(▲それ故メルキゼデクは祭司以上の祭司である。)その故は10節に記されしごとくアブラハムはその子レビをその腰の中に持ちつつメルキゼデクに十分の一をささげたからである。
辞解
[父の腰にあり] 生れる前の状態を指す。

1-4-ハ レビ族の祭司の更迭の必要 7:11 - 7:17  

7章11節 (さて)もしレビの(すぢ)なる祭司(さいし)によりて(まった)うせらるる(こと)ありしならば((たみ)(これ)によりて律法(おきて)()けたり)(なに)ぞなほ(ほか)にアロンの(くらゐ)(ひと)しからぬメルキゼデクの(くらゐ)(ひと)しき祭司(さいし)(おこ)必要(ひつえう)あらんや。[引照]

口語訳もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったら—民は祭司制の下に律法を与えられたのであるが—なんの必要があって、なお、「アロンに等しい」と呼ばれない、別な「メルキゼデクに等しい」祭司が立てられるのであるか。
塚本訳(このようにメルキゼデクはアブラハムにもレビにも勝っている。)それで、もしレビ系の祭司職によって(神の前に人間が)完全になることができるならば──民はこの祭司職の基礎の上に律法を受けたのであるから──(レビ系の祭司)アロンと“同等”でない、“メルキゼデクと同等”と言われるほかの“祭司(イエス)の”あらわれる必要が、なおどこにあるか。
前田訳もし完成がレビ系の祭司職によるとすると−−民はそれによって律法を与えられているのですが−−何の必要があって、メルキセデクに等しくてアロンに等しいとはいわれない別の祭司が立てられるのですか。
新共同ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。
NIVIf perfection could have been attained through the Levitical priesthood (for on the basis of it the law was given to the people), why was there still need for another priest to come--one in the order of Melchizedek, not in the order of Aaron?
註解: これより主として詩110篇の預言を中心として論じている。すなわち祭司職は神と民との間に在りて民の罪を贖いまた執成(とりな)すものであるが、イスラエルの民はレビの系の祭司職と関連しこれを基として律法を授けられており、この律法を成就して完全に達せしむること、すなわち神の前に罪なきものとなすことはレビ族の祭司職の任務であった。さて(oun)このレビ系の祭司職によりてこの完全が得られたならば、詩110:4に言われるごとくアロンの位に(したが)うものと称えられないメルキゼデクの位に(したが)う他の祭司が立てられるという必要は何処にありや、全くない。然るに事実はその反対であったのでこの必要が起ったのである。永井訳「是の故に完成もしレビの系なる祭司職によりてありしならば ─ そはこれに本づきて民は掟を受けたればなり ─ なお何ぞアロンの班に(したが)いて称えられざる、メルキゼデクの班に(したが)う、他の祭司の起ることを要せんや」は原文の意を一層明らかに示す正確な訳文である。ただし「是の故に」はここでは「さて」のごとき意味に訳するを可とする(M0、Z0、A1)。
辞解
[(くらゐ)] ▲▲ヘブ5:6脚注(▲)参照。「位」(taxisの訳)を口語訳で省略したことは遺憾である。

7章12節 (そは)祭司(さいし)(かは)(とき)には律法(おきて)(また)(かなら)(かは)る[べき](べければ)なり。[引照]

口語訳祭司制に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずである。
塚本訳(しかし詩篇が預言したように、いまイエスは、アロン系にかわるメルキゼデクと同等の大祭司としてあらわれ、これによって、レビ系の祭司職はモーセ律法と同時に廃止されたのである。)というのは、祭司職が変更されるときは、必然に律法の変更をも来たすからである。
前田訳祭司制が変われば必然的に律法の変更がおきます。
新共同祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。
NIVFor when there is a change of the priesthood, there must also be a change of the law.
註解: 前節のごとき必要が起った所以は「前の律法が何をも完成しなかった」ので(19節)、この律法が(かわ)る必要が当然に生じて来たからである。そして律法は祭司の基礎の上に与えられているので祭司の変更は当然律法の変更を意味するのであって、レビの系の祭司職が変わってキリストが大祭司となり給うことは、この律法が一変する必要があったことを示す重大なる意義を有っているのである。

7章13節 (これ)()のことは(かつ)祭壇(さいだん)(つか)へたることなき(ほか)(やから)(ぞく)する(もの)をさして()へるなり。[引照]

口語訳さて、これらのことは、いまだかつて祭壇に奉仕したことのない、他の部族に関して言われているのである。
塚本訳なぜならこの詩篇の言葉は、そのだれもかつて祭壇に携わったことのないほかの族(、すなわちユダ族に属する者)についてである。
前田訳これらのことがいわれている人は、祭壇に仕えるものが出たことのない別の部族に属しています。
新共同このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。
NIVHe of whom these things are said belonged to a different tribe, and no one from that tribe has ever served at the altar.
註解: 「此等のこと」は詩110篇の言であって祭壇に仕えしレビ族以外の族に属する者(単数)すなわちキリストについて言われているのである。(▲ヘブル書の記者は旧約聖書をこの意味での預言と解した。)これ祭司が(かわ)る必要があったからである(前節)。

7章14節 それ(われ)らの(しゅ)のユダより()(たま)へるは(あきら)かにして、()(やから)につき、モーセは(いささ)かも祭司(さいし)(かかは)ることを()はざりき。[引照]

口語訳というのは、わたしたちの主がユダ族の中から出られたことは、明らかであるが、モーセは、この部族について、祭司に関することでは、ひとことも言っていない。
塚本訳(大祭司である)わたし達の主がユダ(族)の出であることは、明白だからである。この族については、モーセは何も祭司に関することを語ったことがない。
前田訳われらの主がユダからお出のことは明らかで、モーセはこの部族について、祭司たちのことは何もいいませんでした。
新共同というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。
NIVFor it is clear that our Lord descended from Judah, and in regard to that tribe Moses said nothing about priests.
註解: 我らの主イエス・キリストがダビデの子孫としてユダの族より起り給いしこと(創49:10イザ2:1黙5:5)は当時の信者の間に周知の事実であった。そしてユダ族に関してはモーセは祭司職のことを語らず、すなわち全く祭司職と無関係であった。ゆえにイエスがメルキゼデクの位に等しき祭司となり給えることは(ヘブ5:6ヘブ7:17)律法の変革が行われる証拠である。キリストによりモーセの律法は終りを告げ(ロマ10:4)、キリストの律法(ガラ6:2)が始った。

7章15節 - 16節 (また)メルキゼデクのごとき(ほか)祭司(さいし)おこり、(にく)誡命(いましめ)(のり)()らず、()ちざる生命(いのち)能力(ちから)によりて()てられたれば、[()()(ところ)]いよいよ(あきら)かなり。[引照]

口語訳そしてこの事は、メルキゼデクと同様な、ほかの祭司が立てられたことによって、ますます明白になる。[16節]彼は、肉につける戒めの律法によらないで、朽ちることのないいのちの力によって立てられたのである。
塚本訳なお一層明白なことは、“メルキゼデク”と同じ“ような”ほかの“祭司(イエス)が”あらわれた以上、[16節]彼は肉にかんする掟の法則によらず、不滅の命の力によって立てられていることである。
前田訳このことはメルキセデクに似た別の祭司が立てられればさらに明らかになります。[16節]彼は肉のいましめの律法によらず、不滅のいのちの力によって立てられています。
新共同このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。[16節]この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。
NIVAnd what we have said is even more clear if another priest like Melchizedek appears, [16節]one who has become a priest not on the basis of a regulation as to his ancestry but on the basis of the power of an indestructible life.
註解: (▲▲この節口語訳は解り易く訳されている。)直訳「また肉の誡命(いましめ)(のり)によらず、朽ちざる生命(いのち)能力(ちから)によりて〔祭司と〕なりし、メルキゼデクに似たる他の祭司立ちたれば、いよいよ明かなり」単にキリストがユダより出で給えることのみではなくメルキゼデクに似たる状態において祭司となり給えることは11節以下に言える事実、すなわちレビの系の祭司によりて全うし得ざりし事柄を全うするために祭司の変革と律法の変革とを必要としそしてこれがキリストによりて実現せることをいよいよ明らかに示すものである。この祭司たるキリストは「肉の誡命(いましめ)」すなわち神がモーセによりて、肉なる人に対して与えし律法の規定によりて祭司となり給いしにはあらずして、(アロンはそれであった)不死の生命を有ちて永遠に生き、今は甦りて神の右に坐し給う。その生命の能力によって祭司となり給うたのであれば、この資格を充分に有ち給う。
辞解
「我が言ふ所」なる文字は原文になし、従って「いよいよ明かなり」の主格は、あるいは11節(B1)あるいは12節(C1、A1、M0、G2)あるいは13節以下(Z0)なりと解せられている、けれども予は11節以下の全部と解した。

7章17節 そは『なんぢは永遠(とこしへ)にメルキゼデクの(くらゐ)(ひと)しき祭司(さいし)たり』と(あかし)せられ(たま)へばなり。[引照]

口語訳それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。
塚本訳(詩篇で、)“あなたは永遠にメルキゼデクと同等の祭司である”と証されているではないか。
前田訳聖書は証します、「なんじこそとこしえにメルキセデクに等しい祭司」と。
新共同なぜなら、/「あなたこそ永遠に、/メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。
NIVFor it is declared: "You are a priest forever, in the order of Melchizedek."
註解: 16節の理由、詩110:4。永遠なること、メルキゼデクの位に等しきこと、祭司たること、これらがキリストの特徴であった。

1-4-ニ 新たなる大祭司と新たなる律法との優越 7:18 - 7:25  

7章18節 (まへ)誡命(いましめ)(よわ)く、かつ(えき)なき(ゆゑ)(はい)せられ、[引照]

口語訳このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、
塚本訳(それならば新しい祭司職はどの点が勝れているか。)一方では、(祭司に関する)前の掟は、それが弱くかつ無益なため、廃止の宣告をうけたのである。
前田訳前のいましめはその弱さと無益のゆえに無効となります。
新共同その結果、一方では、以前の掟が、その弱く無益なために廃止されました。――
NIVThe former regulation is set aside because it was weak and useless

7章19節 律法(おきて)(なに)をも(まった)うせざりし((ゆゑ))なり)(さら)(すぐ)れたる希望(のぞみ)()かれたり、この希望(のぞみ)によりて(われ)らは(かみ)(ちか)づくなり。[引照]

口語訳(律法は、何事をも全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。
塚本訳この律法は、(罪の赦しや神との和合などを)何一つ成しとげることが(でき)なかったからである。しかし他方では、(イエスによってレビの祭司職によるものに)まさった希望がもたらされ、わたし達はこの希望によって神に近づくのである。
前田訳律法は何をも完成しえなかったからです。しかしよりすぐれた希望が現われ、それによってわれらは神に近づくのです。
新共同律法が何一つ完全なものにしなかったからです――しかし、他方では、もっと優れた希望がもたらされました。わたしたちは、この希望によって神に近づくのです。
NIV(for the law made nothing perfect), and a better hope is introduced, by which we draw near to God.
註解: これより著者は新たなる祭司が前の祭司に優り、新しき律法が古き律法に優れる所以を三つの点より論じている。その第一はこの二節であって、前にモーセによりて伝わりし肉の律法や誡命は「力弱く」して我らをしてこれを守らしむる力なく(ロマ7:12−8:4)、従って我らを全うして神の前に立たしむることができない(11節)。それ故にこれは「無益」なるものであった。ゆえに廃止されるの結果となり、これに代えてさらに優れる希望(誡命(いましめ)と言わないことに注意せよ)が導き入れられた。この希望はすなわちキリストであって確固不動の錨である(ヘブ6:13−20)。ゆえに我らを全うして神に近付かしむることができる。
辞解
[前の] proagousa は「前に導き入れられし」との意味。
[置かれたり] epeisagôgê は「之に加えて導き入れられたり」の意味。
この二語は同じ「導く」 agô なる語の複合詞で相対応している。

7章20節 かの人々(ひとびと)(ちかひ)なくして祭司(さいし)とせられたれども、[引照]

口語訳その上に、このことは誓いをもってなされた。人々は、誓いをしないで祭司とされるのであるが、
塚本訳それから(イエスの場合には)、それが誓約なくしては行われなかったので──というのは、彼らの方は誓約なしに祭司になったが、
前田訳いかに大きなことが誓いをもってなされたことでしょう。祭司たちは誓いなしで立てられたのです。
新共同また、これは誓いによらないで行われたのではありません。レビの系統の祭司たちは、誓いによらないで祭司になっているのですが、
NIVAnd it was not without an oath! Others became priests without any oath,

7章21節 (かれ)(ちかひ)なくしては()られず、(ちかひ)をもて祭司(さいし)とせられ(たま)へり。(すなは)(かれ)()きて『(しゅ)ちかいて()(たま)はず、「なんじは永遠(とこしへ)祭司(さいし)たり」』と()(たま)ひしが(ごと)し。[引照]

口語訳この人の場合は、次のような誓いをもってされたのである。すなわち、彼について、こう言われている、「主は誓われたが、心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠に祭司である」。
塚本訳イエスの方は、彼に対してこう言われるお方により、誓約をもって祭司とされた、“(神なる)主は(つぎのように)誓われたが、(決して)心を変えられないであろう、「あなたは永遠に祭司である」と”。
前田訳しかし彼は誓いをもってです。彼について聖書はいいます、「主は誓われた。そしてそれを悔いたもうまい。なんじこそとこしえに祭司である」と。
新共同この方は、誓いによって祭司となられたのです。神はこの方に対してこう言われました。「主はこう誓われ、/その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である。』」
NIVbut he became a priest with an oath when God said to him: "The Lord has sworn and will not change his mind: `You are a priest forever.'"

7章22節 イエスは()くも(すぐ)れたる契約(けいやく)保證(ほしょう)となり(たま)へり。[引照]

口語訳このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。
塚本訳──この点において、イエスは彼らにまさった(新しい)契約の保証人となられたのである。
前田訳このように、イエスはよりすぐれた契約の保証人とおなりです。
新共同このようにして、イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。
NIVBecause of this oath, Jesus has become the guarantee of a better covenant.
註解: 原文の語勢から遠ざかっている。私訳「20、また彼は誓なしに祭司とせられざりし故に ─ 彼らは誓なしに祭司とせられたれど 21、彼は、彼に対して「『汝永遠に祭司たり』と主は誓いて悔い給わず」と言い給える者により誓をもって祭司とせられ給えり ─ 22、従ってイエスは優れる契約の保証となり給えり」、すなわち20節前半と22節が相対応して文章の中軸をなし、20節後半および21節はその説明をなしている。そして中心思想は同じく詩110:4であって、キリストはアロンの系と異なり神の誓によりて祭司となり給えることによりて旧約に優れる新約の保証となり給えることを示し、これがキリストの優越の第二の点であることを教えている。
辞解
[彼] キリスト。
[彼ら(かの人々)] アロンの系の祭司。
[言ひ給へる者] 神であることは明らかである。
[契約] diathêkê は「契約」および「遺言」の意味を有し、これより以後本書中に多く用いられている。ヘブ9:16以下には明らかに遺言の意味に用いられているけれども、遺言と訳することが不適当なる場合も多い(ロマ11:27ガラ4:24エペ2:12黙11:19等)。しかしながら聖書中にあらわれるこの文字は普通の契約とも趣きを異にし、(1)神の一方的恩恵による意思表示なること、(2)何物かを与える約束なること、(3)相手方が一定の条件を充たすことによりてこれを得る資格が生ずること等の点より見て遺言のごとき性質を有する契約と見るべきであろう(Z0)。

7章23節 かの人々(ひとびと)()によりて[(なが)くその(つとめ)に](とどま)ることを()ざる(ゆゑ)に、祭司(さいし)となりし(もの)(かず)(おほ)かりき。[引照]

口語訳かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。
塚本訳それから、彼らは死によって(いつまでも)祭司の職に留まることを妨げられるため、祭司になった者(の数)が多いけれども、
前田訳多くの人々が祭司になりますが、それは職にとどまることを死によって妨げられるからです。
新共同また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。
NIVNow there have been many of those priests, since death prevented them from continuing in office;

7章24節 されど(かれ)永遠(とこしへ)(いま)せば(かは)ることなき祭司(さいし)(つとめ)(たも)ちたまふ。[引照]

口語訳しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。
塚本訳イエス(の場合)は、“永遠に”生きながらえるのであって、彼のもつ祭司職は移り変りがないのである。
前田訳しかし彼はとこしえにおとどまりで、不変の祭司職をお持ちです。
新共同しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。
NIVbut because Jesus lives forever, he has a permanent priesthood.
註解: 第三の優越点は死に支配されるレビ族の祭司に対してキリスト永遠に不死に在し給う点である。前者は常に変更する故、我らは祭司その人に依り頼むことができない。然るに後者すなわちキリストは我らの望みに在し、かつ永遠に身につきて離れざる祭司職を保ち給う故に、彼に依り頼む者は平安を得ることができる。

7章25節 この(ゆゑ)(かれ)(おのれ)()りて(かみ)にきたる(もの)のために執成(とりなし)をなさんとて(つね)()くれば、(これ)(まった)(すく)ふこと得給(えたま)ふなり。[引照]

口語訳そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
塚本訳それゆえ彼はまた、彼によって神に近づく人々を完全に救うことが出来る。彼は人々のために(神に)執成をしようとして常に生きておられるからである。
前田訳それゆえにこそ、彼は彼によって神に近づくものを永久にお救いになれるのです。彼はつねに生きて彼らを弁護なさいます。
新共同それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
NIVTherefore he is able to save completely those who come to God through him, because he always lives to intercede for them.
註解: 「頼りて」dia は「通して」の意味で信仰によりてキリストに連なりキリストに在りて神の前に顕われる者すなわちキリスト者を指す。キリストは神の前にその人々の罪の執成(とりな)しを為さんがために(ロマ8:26、27、ロマ8:34)永遠に生き給うが故に、かかる人々を完全に救い(罪の赦し、身体の復活、永遠の栄光に入ること)得給う。もしキリストにこの永遠性がなかったならば、彼を通して神に来る者は彼の死と共にその目的を達するを得ざるに至るであろう。永遠の祭司を有つ者は(さいわい)である。完全に救うことを得ざりしレビ族の祭司と比較せよ。

1-4-ホ 結論 7:26 - 7:28  

註解: 26−28節は1−25節の結尾であると共に、さらに遡って4:14−5:10の大祭司の思想を呼び起し、同時に次章以下の大祭司に関する思想の発端となっている(7:1−25においては「大祭司」なる語を用いず「祭司」なる語を用いている)。

7章26節 ()くのごとき(だい)祭司(さいし)こそ(われ)らに相應(ふさは)しき(もの)なれ、[引照]

口語訳このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。
塚本訳(わたしはイエスがメルキゼデクと同等の大祭司であることを、くどくどと述べてきた。なぜか。)こんな大祭司こそ、わたし達にふさわしいからである。聖なる、罪のない、汚れのない、罪人と分けられ、もろもろの天よりも高くされた大祭司!
前田訳このような大祭司こそわれらに向いています−−敬虔、実直、純潔で罪びとから離れていて、もろもろの天よりも高くいます方です。
新共同このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
NIVSuch a high priest meets our need--one who is holy, blameless, pure, set apart from sinners, exalted above the heavens.
註解: (かく)の如き」は以上のごときの意味で前節までの説明を受けている。我らに必要であってこの必要に応ずる大祭司は只キリストのみである。

(すなは)(せい)にして(あく)なく、(けがれ)なく、罪人(つみびと)より(とほ)ざかり、諸般(もろもろ)(てん)よりも(たか)くせられ(たま)へり。

註解: (かく)の如き大祭司」の内容の詳説であって、大祭司たるキリストが如何にそれに必要なる諸性質を具備し給うかを示す。「聖にして」 hosios は心も行為も常に神によりて導かれること、「悪なく」は他人に対して悪意を包蔵せざること、「(けがれ)なく」は自己の内外に不潔を帯びざること、以上は神、人、自己に対するキリストの人格的特質である。「罪人より遠ざかり」断然罪人との関係を断ちて聖なる世界に住み、「諸般の天より高くせられ」て神の御前に直接に親しく立ち給う。大祭司はかかる者でなければならない。もし聖ならず、悪意と(けがれ)とを帯び、罪人と()し、この世の中に囚われているならば、かかる者は神の聖前に立ちて祭司の職を果すことができない。レビ21:10−15の規定および贖罪日の前に大祭司は七日間唯一人宮に住むべきこと等はこれらの諸要件の型のごときものであてキリストは事実としてこれらを完成し給うた。

7章27節 (ほか)(だい)祭司(さいし)のごとく()(おのれ)(つみ)のため、(つぎ)(たみ)(つみ)のために日々(ひび)犧牲(いけにへ)(ささ)ぐるを(えう)(たま)はず、その(ひと)たび(おのれ)(ささ)げて(これ)()(たま)ひたればなり。[引照]

口語訳彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
塚本訳彼は(レビ系の)大祭司たちのように、まず自分の罪のために、つぎに民の罪のために、毎日犠牲を捧げるに及ばない。(あとにも先にも)ただ一度かぎり、(山羊や小牛でなく)自分自身を捧げて、これをなしとげられたからである。
前田訳彼は大祭司らのようにまず自らの罪のため、次に民の罪のために日ごといけにえをささげる必要がありません。このことを彼はひとたび自らをささげることによってなしとげられたのです。
新共同この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。
NIVUnlike the other high priests, he does not need to offer sacrifices day after day, first for his own sins, and then for the sins of the people. He sacrificed for their sins once for all when he offered himself.
註解: 人としての大祭司は自己の罪と民の罪のために日々犠牲を献げる必要があった。キリストにその必要がない、その故は大祭司は動物を屠って犠牲をささげるだけで不完全であるけれども(ヘブ9:9)、キリストは己をささげて十字架上に犠牲となり給い(ヘブ10:10−14。ヘブ9:28)、神の御前に自己を献げ給い(ヘブ8:3)、大祭司が日々に為してもなお足らざりしことを一度にて成就し給うたからである。私訳「そは己を献げて一度にこれを成し給いたればなり」(M0、Z0、I0)。
辞解
[日々] 多くの難問を起した文字である。大祭司がまず己の罪のため、次に民の罪のために犠牲をささげるのは年に一回で毎日ではない(ヘブ9:7レビ16:2レビ16:6レビ16:15レビ16:29以下)。毎日の行事は普通の祭司九人により大祭司の名において行われ、始めと終りに民の罪の贖いのための燔祭、中間に大祭司のための素祭が献げられた(S2)。ヘブル書の著者はこの二者を一括して、犠牲の本質を三カ条に要約し、(1)己の罪のため、(2)民の罪のため、(3)日々これを行うとしたのであろう。「之を成し」の中にイエスが「己の罪のため」に犠牲をささげ給いしことは含まれていないことは自明の事柄である。「之」は万人のために必要なる犠牲と解すべきである。

7章28節 律法(おきて)(よわき)みある人々(ひとびと)()てて(だい)祭司(さいし)とすれども、律法(おきて)(のち)なる(ちかひ)御言(みことば)は、永遠(とこしへ)(まった)うせられ(たま)へる御子(みこ)(だい)祭司(さいし)となせ(ばな)り。[引照]

口語訳律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。
塚本訳(なぜ一度で十分であるか。)律法は弱さをもつ人々を大祭司に任命するけれども、律法の後に来たこの誓約の御言葉は、“永遠に”完成された“御子(イエス)を”任命するからである。
前田訳律法は弱さを持つ人間を大祭司にしました。しかし律法の後になされた誓いのことばは、とこしえに全うされたみ子を大祭司にしたのです。
新共同律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。
NIVFor the law appoints as high priests men who are weak; but the oath, which came after the law, appointed the Son, who has been made perfect forever.
註解: 前節のごとくにレビ族の大祭司とキリストとの間に根本的の差異ある所以は(さき)にも述べしごとく律法によりて定められしレビの系の祭司はあらゆる人間的の霊肉の弱さを有ち(ヘブ5:1、2)、死に支配せられ(23節)ているに反し、「律法の後の誓の御言」(詩110:4)すなわち神が誓いを加えて祭司となし給えるイエスは(7:20、2126節のごとく、罪なく、悪なく、(けがれ)なく、死なく、永遠に(まっと)うせられ給いし神の子であるからである。▲キリストの来臨の後に旧約の祭司の意味が明白になったのであるが、旧約の祭司制度そのものも神がイスラエルの祖先に人間の罪を示し、またかかる人間がどうして神の前に立ち得るかの途を啓示したものであった。すなわち祭司制度そのものが一つの預言であった。
要義 [旧約の祭司制度および祭事の新約的意義]アロン以後イスラエルの祭司制度は連綿として継続して紀元七十年エルサレムの陥落の時に至った。その間に実行上において浮沈盛衰、変遷があったにしてもこれがユダヤ人の信仰の中心であったことには変りがなかった。そして燔祭、素祭、酬恩祭、罪祭等の祭事もまた彼らによって常に行われていた。しかしこれらは従来単に律法の命令として形式的に行われていたに過ぎないのであるけれども、キリスト来り給い死にて甦り給うに及んでこれらの制度祭事がみなキリストの型であり、凡てが彼によりて明らかにせられしことを知ることができた。神はイスラエルを選び、彼らにこの律法による祭司と祭事とを与え給いて彼らの良心を訓練し、かくしてキリストを遣わし給うことの準備たらしめたのである。人間の要するものは旧約的制度や形式ではなく、実にキリストの贖いと執成(とりな)しである。そして凡てにおいて(まっと)うせられ給えるキリストは、己を献げて一度にこれを成就し給いしが故に幕の内に入り給える彼を大祭司として持つところのキリスト者は、彼によりて全うせられ完全なる救いに与ることができるのである。ゆえに新約の時代においては凡ての形式はその存在の意義を失ったのであって唯我らの罪のために十字架に懸り今は甦りて神の右に坐して我らのために執成(とりな)して永遠に活き給う大祭司キリストに凡てをまかせて彼を仰ぎ見ることが我らの凡てでなければならない。

ヘブル書第8章
1-5 新約の大祭司の優越 8:1 - 10:18
1-5-イ 天における真の幕屋 8:1 - 8:5  

註解: 以上において主としてキリストをその大祭司たる人格的方面より見てアロン(4:14−5:10)およびメルキゼデク(7:1−25)と比較せる後本章においては大祭司としてのキリストをその職務の方面より見、旧約の大祭司に比して新約の大祭司の優れる所以を明らかにしている。

8章1節 (いま)いふ(ところ)要點(やうてん)()くのごとき(だい)祭司(さいし)(われ)らにある(こと)なり。[引照]

口語訳以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、
塚本訳しかし(ここに言う)要点はこうである。わたし達にはこんな大祭司があって、天で(神の)御稜威の御座の“右に坐っておられ”、
前田訳ここでいわれたことの要点はこうです。われらはこのような大祭司を持ち、彼は天で大能者の右に座し、
新共同今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、
NIVThe point of what we are saying is this: We do have such a high priest, who sat down at the right hand of the throne of the Majesty in heaven,
註解: 今現に論じつつあることの主要点は次に述ぶるごとき神の右に坐し給う大祭司があるという点である。この中心点を見失ってはならない。

(かれ)(てん)にては稜威(みいつ)御座(みくら)(みぎ)()し、

8章2節 聖所(せいじょ)および(まこと)幕屋(まくや)(つか)へたまふ。この幕屋(まくや)(ひと)(まう)くるものにあらず、(しゅ)(まう)けたまふ(ところ)なり。[引照]

口語訳人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。
塚本訳聖所、すなわち人間でなく、“主が建てられた”本当の“幕屋の”奉仕者である、ということである。
前田訳人間がでなく、主がお設けの真の幕屋である聖所でお仕えです。
新共同人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。
NIVand who serves in the sanctuary, the true tabernacle set up by the Lord, not by man.
註解: 人間の大祭司は神殿の至聖所においてまたイスラエルの幕屋においてそこを神の住居として神に仕えた。然るにキリストは甦りて天に昇り給い稜威(みいつ)の御座即ち神の御座の右に坐し給い、天をその聖所となし、神の設け給える天の幕屋にて神に仕え給う。地上におけるイスラエルの神殿や幕屋はキリストやがて入り給うべき天の至聖所の型であった。この天の幕屋に入り給える大祭司を持つ者はもはや地上の大祭司を必要としない。
辞解
[(つか)へ給ふ] 直訳「仕え人として」で、「仕え人」 leitourgos は「公職に在る者」「僕」等の意味があるけれども多くの場合「犠牲を献ぐる祭司」の意味に用いられ、この場合もこの意味に解すべきである。

8章3節 おおよそ(だい)祭司(さいし)()てらるるは供物(そなへもの)犧牲(いけにへ)とを(ささ)げん(ため)なり、この(ゆゑ)(かれ)もまた(ささ)ぐべき(もの)あるべきなり。[引照]

口語訳おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。
塚本訳いったいすべての大祭司が任命されるのは、供物や犠牲を捧げるためである。それゆえ(今言った)イエスもまた、何か捧げるべきものが必要である。
前田訳すべて大祭司は供え物といけにえをささげるために立てられます。それゆえ、この大祭司もまた何かささげるべきものを持たねばなりません。
新共同すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。
NIVEvery high priest is appointed to offer both gifts and sacrifices, and so it was necessary for this one also to have something to offer.
註解: 神の幕屋にて大祭司が神に仕うる方法は供物と犠牲とを献ぐることである。従ってキリストもまた同様に献ぐべき何物かを持ち給う必要があった、そしてそれは彼自身の体であった(ヘブ7:27)。

8章4節 (しか)るに()()(いま)さば、(すで)律法(おきて)(したが)ひて供物(そなへもの)(ささ)ぐる祭司(さいし)()あるによりて祭司(さいし)とはなり(たま)はざるべし。[引照]

口語訳そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物をささげる祭司たちが、現にいるのだから、彼は祭司ではあり得なかったであろう。
塚本訳それで、もし彼が地上におられたならば、祭司ではあり得ないはずである、(ここにはすでに)律法によって供物を捧げる(レビの)祭司たちがいたのであるから。
前田訳さて、もし彼が地上においででしたら、祭司ではなかったでしょう。律法に従って供え物をささげる祭司たちがあるからです。
新共同もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。
NIVIf he were on earth, he would not be a priest, for there are already men who offer the gifts prescribed by the law.
註解: 前節のごとくキリストも献ぐべきものを持ち給うとすればそれは天においてかまたは地においてかの何れかでなければならぬ。そしてそれは地においてであり得ない。何となれば地にはすでにレビ族の祭司があって、イエスはレビ族に属し給わないからである。ゆえにそれは天においてである。

8章5節 (かれ)らの(つか)ふるは、(てん)にある(もの)(かた)(かげ)となり。[引照]

口語訳彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
塚本訳彼らは天上のことの模型と影とに奉仕しているのである、モーセが幕屋を建てようと(計画)したときお告を受けたとおりである。いわく、“心して、すべてのものを、山であなたに示された型をまねて造れ”と。
前田訳彼らは天的な聖所のひな形と影に仕えているだけです。それは幕屋を立てようとしたモーセがお告げを受けたとおりです。それは、「気をつけて、すべてを山で示された型どおりに作れ」でした。
新共同この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。
NIVThey serve at a sanctuary that is a copy and shadow of what is in heaven. This is why Moses was warned when he was about to build the tabernacle: "See to it that you make everything according to the pattern shown you on the mountain."
註解: レビの族が律法に(したが)って供物と犠牲とを献げることは、天にある真の聖所において己を神にささげるのではなく、その複写また影に過ぎざる地上の聖所、すなわち幕屋において犠牲たる動物を捧げているのである。真のものは地上にあらずして天にある。
辞解
[型] hupodeigma は実物の複写またはその輪郭のスケッチをいう。タイプtuposと異なる。

モーセが幕屋(まくや)()てんとする(とき)に『(つつし)め、(やま)にて(なんぢ)(しめ)されたる(かた)(なら)ひて(すべ)ての(もの)(つく)れ』との御告(みつげ)()けしが(ごと)し。

註解: モーセはシナイの山において幕屋の模型 tupos (Tコリ10:13註ならびに要義参照)を幻に見ることができた(その原物 archetupos は天にあり)。この型に従ってこれを模写したのがイスラエルの幕屋であった(出25:40使7:44)、ただし天にある原物が幕屋のごとき形を為しこれに多くの器具があると考える必要はない。モーセの示されし型は人間の理解力に応じて与えられし神の黙示であった。イエスによりて我らは始めて天の幕屋の真の姿を考えることができる。

1-5-ロ 新約の優越 8:6 - 8:13  

8章6節 されどキリストは(さら)(まさ)れる約束(やくそく)(もとづ)きて()てられし(まさ)れる契約(けいやく)中保(なかだち)となりたれば、(さら)(まさ)(つとめ)()(たま)へり。[引照]

口語訳ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
塚本訳しかし今イエスは(天上の祭司となり、レビ)より秀でた祭司の務を受けられた。彼は(レビの場合に)まさる約束に基いて制定された、まさる契約の仲介者であるからである。
前田訳しかしイエスはよりすぐれた務めを得られたのです。それはよりよい約束によって定められたよりよい契約の仲保者とおなりだからです。
新共同しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。
NIVBut the ministry Jesus has received is as superior to theirs as the covenant of which he is mediator is superior to the old one, and it is founded on better promises.
註解: (▲天的の約束、天的の仲保、天的の職 ─ これがイエスのものであり、新しい契約として旧い契約と対立する。)3−5節に旧約の祭司職および祭事とキリストのそれとを比較したる後ここに2節に遡りてキリストが一層優越なる天における祭職を受け給える所以を説明している。すなわちモーセが旧約の仲保(なかだち)ガラ3:19)であったごとくキリストは新約の仲保(なかだち)ヘブ9:15ヘブ12:24)に在して神と民との間に新たなる関係を造るべき位置に立ち給うた。そしてこの新しき契約は勝れる契約であって(ヘブ7:20−22)キリストの十字架の死によりて立てられしものであり(Tコリ11:25マタ26:28)「更に勝れる約束」すなわち8節以下に記される処によりて定められし契約であった。すなわちその約束も、これより生ぜし契約も、これによりて受けし祭職も凡てキリストにおいて截然(せつぜん)たる優越があった。
辞解
[立てられし] nenomothetêtai は「律法を与えられし」の意味で、旧約が律法として与えられしごとく新約も新しき律法として与えられし意味を表わしている(10節)。
[中保(なかだち)] 両当事者(神と人)との間に立ちてその関係を定めこれを保証する人。

8章7節 かつ(はじめ)契約(けいやく)もし()くる(ところ)なくば、第二(だいに)契約(けいやく)(もと)むる(こと)なかりしならん。[引照]

口語訳もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
塚本訳なぜなら、もしかのシナイの最初の契約に非難すべきところがなかったなら、第二の(イエスによる)契約が要求される余地はなかったはずである。(しかしついに、新しい契約が要求された。)
前田訳もしあの第一の契約に落度がなかったならば、その代わりに第二のを求める必要はなかったでしょう。
新共同もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
NIVFor if there had been nothing wrong with that first covenant, no place would have been sought for another.
註解: ヘブ7:11に述べしごとくレビの系なる祭司が不完全であったがために新たなる祭司の起る必要があった。これと同様に旧約が不完全で欠点があるがために新約が起る必要があったのである。その欠点をば8節以下にエレ31:31−34を引用してこれを示し、これによりて新約もすでに旧約の中にその起源を有していることを明らかにしている。本節後半を直訳すれば「第二の契約のために場所は求められざりしならん」となる。すなわち第一の契約が完全であるならば第二の契約が入るべき場所がない。
辞解
[()くる所なく] amemptos は「非難すべき点なき」ことを意味し次節の「咎めて」 memphomai すなわち「非難して」に対立している。

8章8節 (しか)るに(かれ)らを(とが)めて()(たま)[引照]

口語訳ところが、神は彼らを責めて言われた、「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る。
塚本訳なぜか。神が彼ら(イスラエル人を)非難して、こう言われたからである。“「見よ、日が来れば」と主は言われる、「(その時)イスラエルの家に対し、またユダの家に対して、新しい契約をするであろう。
前田訳彼らを責めていわれています、「主はのたもう、『見よ、イスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る』と。
新共同事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、/新しい契約を結ぶ時が来る』と、/主は言われる。
NIVBut God found fault with the people and said : "The time is coming, declares the Lord, when I will make a new covenant with the house of Israel and with the house of Judah.
註解: 預言者の口を通して神語り給う。「彼ら」はイスラエルを指す。

(しゅ)いひ(たま)ふ「()よ、(われ)イスラエルの(いへ)とユダの(いへ)とに、(あたら)しき契約(けいやく)(まう)くる()(きた)らん。

註解: これより12節の終りまではエレ31:31−34(七十人訳38:31−34)の引用で8、9節はその新しき契約(すなわち新約)を与えんとの約束の消極的反面を述べている。すでにエレミヤの時代から旧約は廃せられ新約がこれに代るべきことが約束せられているのであって決して突然の出顕ではない。
辞解
[設くる] sunteleô は「全うする」「完成する」の意。

8章9節 この契約(けいやく)(われ)かれらの先祖(せんぞ)()()りて、エジプトの()より(みちび)(いだ)しし(とき)()てし(ところ)(ごと)きにあらず、(かれ)らは()契約(けいやく)にとどまらず、(われ)(かれ)らを(かへり)みざりしなり」と(しゅ)いひ(たま)ふ。[引照]

口語訳それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。
塚本訳それはわたしが彼らの先祖たちの手を取り、エジプトの地から引出した時に、彼らとした契約と同じではない。彼らはわたしの契約に留まらなかったので、わたしも彼らを構わなかった」と主は言われる。
前田訳『それはわたしが彼らの父祖たちの手をとってエジプトの地から導き出した日に、彼らとなした契約にはよらない。彼らはわが契約の中にとどまらず、わたしも彼らを顧みなかった』と主はのたもう。
新共同『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、/エジプトの地から導き出した日に、/彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、/わたしも彼らを顧みなかった』と、/主は言われる。
NIVIt will not be like the covenant I made with their forefathers when I took them by the hand to lead them out of Egypt, because they did not remain faithful to my covenant, and I turned away from them, declares the Lord.
註解: 前節に約束せられし新たなる契約は神がイスラエルをエジプトより導き出しシナイの山においてモーセを仲保(なかだち)として立て給いし旧約と同種のものではなく、全く特別なる契約である。この旧き契約はイスラエルの不従順によりてその目的を達しなかった(ヘブ7:11ヘブ8:7)。その結果神も彼らを放置し給うた。イスラエルが経てきた不信と苦難の歴史はこの事実を物語っている。本節において神と人との関係をばまず人これを破って神これを罰し給い10節において神まずこれを恢復し給うて人これに従えることに注意せよ(Tヨハ4:10)。

8章10節 「されば、かの()(のち)()がイスラエルの(いへ)()つる契約(けいやく)(これ)なり」と(しゅ)いひ(たま)ふ。「われ()律法(おきて)(かれ)らの(おもひ)()き、そのこころに(これ)(しる)さん、[引照]

口語訳わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
塚本訳「これこそわたしがイスラエルの家と結ぶ契約である、かの日の後に」と主は言われる、「わたしは彼らの悟りにわたしの律法を与え、彼らの心にそれを書きしるすであろう。わたしは彼らの神になり、彼らがわたしの民になるであろう。
前田訳『かの日の後にわたしがイスラエルの家に置こうとする契約はこれである』と主はのたもう。『わたしは彼らの思いにわが律法を与え、彼らの心にそれを書こう。そしてわたしは彼らの神となり、彼らはわが民となろう。
新共同『それらの日の後、わたしが/イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、/主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、/彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となる。
NIVThis is the covenant I will make with the house of Israel after that time, declares the Lord. I will put my laws in their minds and write them on their hearts. I will be their God, and they will be my people.
註解: 新約の特徴がここに10−12節に四つの点より記されている。その第一は信仰の内的性質であって、旧約においては律法が石に彫られて民全体に外部より与えられたけれども、新約においてはそれが心の肉碑に彫られ内心の革命を起し、人間をその内部より一変するのである(山上の垂訓およびUコリ3:3参照)。
辞解
[かの日] 旧き契約を立てし日。

また(われ)かれらの(かみ)となり、(かれ)らは()(たみ)とならん。

註解: 新約の特徴の第二点は救われし人々が一団の民となりて神がその中に在して彼らを支配し給い、神と民とが密接にして離るべからざる関係になることである。このことはまた旧約の理想であって、もしイスラエルがエホバの法令にしたがったならばこの理想が実現すべきであった(出6:7レビ26:3レビ26:12エレ7:23エレ11:4)。新約に至ってこれがイスラエルに限らず一般の人類に及び、かつその性質が内面的個人的特質を帯ぶるに至ったのである。

8章11節 (かれ)らはまた各人(おのおの)その國人(くにびと)に、その兄弟(きゃうだい)(をし)へて、なんじ(しゅ)()れと()はざるべし。そは(せう)より(おほい)(いた)るまで、(みな)われを()らん。[引照]

口語訳彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。
塚本訳そしてひとりびとりがその同胞に、ひとりびとりがその兄弟に、『主を知れ』と言って、教えることは決してないであろう、(その時)彼らは小より大に至るまで皆わたしを知るであろうから。
前田訳彼らはおのおのその同胞に、おのおのその兄弟に主を知れ≠ニ教えなくなろう。彼らは小から大に至るまで、すべてわたしを知ろうからである。
新共同彼らはそれぞれ自分の同胞に、/それぞれ自分の兄弟に、/「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで/彼らはすべて、わたしを知るようになり、
NIVNo longer will a man teach his neighbor, or a man his brother, saying, `Know the Lord,' because they will all know me, from the least of them to the greatest.
註解: 新約の第三の特徴は神との霊交である。旧約時代においては唯民の上に立つ大なる者王祭司などが神を知り、他はこれを知らずに唯従っていた。然るに新約の時代に至れば年齢の多少、地位の上下を問わず(使8:10エレ42:1エレ42:8エレ44:12ヨナ3:5)凡ての信者はみな直接に神との霊交を有ちて神を知るに至るのである(ヨハ6:45Tヨハ2:20Tヨハ2:27)故に神を知れと言ってすすめる必要がない。

8章12節 (われ)もその不義(ふぎ)(あはれ)み、この(のち)また()(つみ)(おも)()でざるべし』と。[引照]

口語訳わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
塚本訳なぜなら、わたしは彼らの不正をみのがし、もはや絶対に彼らの罪を記憶しないであろうから。」”
前田訳わたしは彼らの不義をあわれみ、彼らの罪を思い出すまい』」と。
新共同わたしは、彼らの不義を赦し、/もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」
NIVFor I will forgive their wickedness and will remember their sins no more."
註解: 新約の第四の特点、そして最大の特徴は罪の赦しである。そして罪の赦しは旧約時代においてもその希望として存していたけれども(詩32:1−5)、このことが完成したのはキリストの十字架の贖いによるのである。キリスト我らの罪を負いてすでに十字架にかかり給い我らの罪は消し去られた。従って神は全く我らの罪を、罰すべく憎むべきものとして記憶し給わない。神と人との完全なる平和はここに成立ったのである(Uコリ5:10要義二参照、本節と矛盾するがごときも然らず)。

8章13節 (すで)に『(あたら)し』と()(たま)へば、(はじめ)のものを(ふる)しとし(たま)へるなり、(ふる)びて(おとろ)ふるものは、消失(きえう)せんとするなり。[引照]

口語訳神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。
塚本訳(このように)“新しい契約”[新約]と言う以上は、(神みずから)最初の契約[旧約]を古びたものとされたのである。古びたものと老いぼれたものとは、間もなく消失せる。
前田訳「新しい」といわれて、はじめの契約を古いとされたのです。古くなり老いたものはやがてなくなります。
新共同神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
NIVBy calling this covenant "new," he has made the first one obsolete; and what is obsolete and aging will soon disappear.
註解: エレミヤの口によりて神が語り給えるその時の事を論じているのであって、その時すでに「新しき」と言い給える以上従来の約束を「旧き」もの、すなわちやがて廃せられるべきものと認め給えることの証拠であって、かく旧くして衰え行くものはまさに消え失せて視えずなり行くべき状態にあるのである。すなわち新約の時代となって旧約は亡ぶべき運命にあるのであってヘブル書の読者がなお旧約の律法、儀式に固着していることは大なる誤りである。
辞解
「新しき」と訳されし原語に二種あり、一つはネオス neos であって時間的に見て「若き」ことを意味し(例、新しき葡萄酒、マタ9:17ヘブ12:24等)、他の一つはカイノス kainos であって従来のものと異なれる性質上の新しさを意味する、そして「旧き」も同様で neos に対するものは ゲローン gerôn で「老年」または「老朽」を意味し kainos の反対はパライオス palaios で旧くより存在しもはや陳套(ちんとう)にして使用に耐えざることを意味する、「新しき」契約はカイノス、「衰ふる」はゲローン、「旧び」はパライオスの動詞形である。各々適切なる意義において用いられていることに注意すべし。
要義 [新約の四大特質]ヘブ8:10−12に引用せられしエレ31:33、34は最も適切に新約の四大特徴を示している。註解にも示せるごとくその一は信仰の個人的内面的性質であって、旧約時代においてはイスラエルの民族に属することをもって救いの要件と考えていたけれども、新約においては各個人がその心開かれて、神の律法がその心に記されることが必要であること、その二は神とその民との密なる関係であって神は民を愛しその中に住みて彼らを支配し導き給い、民はまた神を信じかれを仰ぐの生活を送ることである。旧約時代においてはこのことはモーセとアロンおよびその後継者を通して為されていたけれども新約の時代においてこの間の関係が各個人の直接の関係となっていること、その三は神と人との霊交であって、教会や牧師や祭司にその霊の問題を一任せず直接神との霊の交わりにおいて神を知り奉ること。而してその四は罪を赦され義とせられて恐れなく神の前に立つことを得ることであって、旧約時代においては罪を犯し神の誡めに反するものは凡てその審判を受けて滅ぼさるべきであったのに反し、キリスト我らの罪を負いて十字架につき給えることによって我らの罪は完全に赦され神の怒りは宥められたのである。この四つの特徴を具うるものが新約であって、我らは旧約のみならず他の如何なる宗教の中にもこれを完全に見出すことはできない。