使徒行伝第14章
分類
5 異邦に於けるパウロの伝道
13:1 - 21:16
5-1 パウロの第一伝道旅行
13:1 - 14:28
5-1-6 イコニオムよりルステラまで
14:1 - 14:7
14章1節 二人はイコニオムにて相共にユダヤ人の會堂に入りて語りたれば、之に由りてユダヤ人およびギリシヤ人あまた信じたり。[引照]
口語訳 | ふたりは、イコニオムでも同じようにユダヤ人の会堂にはいって語った結果、ユダヤ人やギリシヤ人が大ぜい信じた。 |
塚本訳 | イコニオムでも、二人は同じようにユダヤ人の礼拝堂に入って(御言葉を)語ったところ、ユダヤ人とギリシヤ人との大勢の群が信者になった。 |
前田訳 | イコニオムでふたりがいつものようにユダヤ人の会堂に入って語ったときのこと、大勢のユダヤ人とギリシア人とが信徒になった。 |
新共同 | イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。 |
NIV | At Iconium Paul and Barnabas went as usual into the Jewish synagogue. There they spoke so effectively that a great number of Jews and Gentiles believed. |
註解: 二人はアンテオケを去ってイコニオムに来た。此処でも彼らは先づユダヤ人に福音を伝えた。彼らは異邦人の使徒であり、また「転じて異邦人に向わん」と云いつつも終生ユダヤ人に伝道する事を罷めなかった。
辞解
[イコニオム] 政治上の区域としては其頃ルカオニヤに属していたけれども従来フリギヤの一市であった。
[相共に] 「同時に」「同様に」等の意味にも取り得る文字であるが「相共に」が適している。
[ギリシヤ人] 会堂内にいた事及び次節の異邦人と対照している事を見れば、神を畏れるギリシヤ人即ち改宗者であった。
14章2節 然るに從わぬユダヤ人ら異邦人を唆かし、兄弟たちに對して惡意を懷かしむ。[引照]
口語訳 | ところが、信じなかったユダヤ人たちは異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対して悪意をいだかせた。 |
塚本訳 | しかし信じようとしなかったユダヤ人は、(パウロ、バルナバだけでなく、)兄弟たち(全体)に対し、異教人の心を刺激して敵意を抱かせた。 |
前田訳 | しかし信じようとしないユダヤ人は、兄弟たちに対して異邦人の心をそそのかして悪意をおこさせた。 |
新共同 | ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。 |
NIV | But the Jews who refused to believe stirred up the Gentiles and poisoned their minds against the brothers. |
註解: 不信のユダヤ人と云うのはベザ写本によれば会堂の司等とその重立ちたる人々即ち教会の有力者と云う如き人々であった。是等は多くは政治家的であって、平日は犬猿啻ならざる異邦人をも巧に利用して自己擁護の為に使役する事を知っている。
辞解
原文は「兄弟たちに対し異邦人の心をいら立たしめ激せしめた」との意、基督教は到る処で人にきらわれる。
14章3節 (それ故に)二人は久しく留り、主によりて臆せずして語り、主は彼らの手により、徴と不思議とを行ひて惠の御言を證したまふ。[引照]
口語訳 | それにもかかわらず、ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。主は、彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた。 |
塚本訳 | それでも二人はかなり長い間(そこに)滞在していて、主を信じて堂々と語り、主は彼らの手で徴や不思議なことをおこなわせながら、(彼らが説く)主の(救いの)恩恵の言葉の正しいことを証明された。 |
前田訳 | それでもふたりはかなりの間滞在して主によってはばからず語り、主は彼らの手で徴と不思議を行なわせてその恩恵のことばの証をなさった。 |
新共同 | それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。 |
NIV | So Paul and Barnabas spent considerable time there, speaking boldly for the Lord, who confirmed the message of his grace by enabling them to do miraculous signs and wonders. |
註解: かくも反対が濃厚なるにも関らず、否、却ってそのゆえに、二人は久しく留って大胆に福音を述べた、これは「主によりて」即ち主に信頼してのみ為し得る事であった、本節後半はこの「主」の説明句である。
辞解
[それゆえに] oun はこの場合に不適当に見ゆる為種々論議される文字であるけれども実は不適当ではない。敵があればある程福音の戦士はその勇気を増す。尚おベザ写本には前節の終りに「されど主は速に平和を与え給えり」とあり、これを採用すれば「それ故に」は問題が無くなるけれども却って味を失う。
[主] この場合は神と見るよりもキリストと見るを適当とする。
[恵の御言] 福音で、使徒たちの手によりて徴と不思議即ち奇蹟が行われたのは、神がこれを行わしめたのであり、これが主自ら福音を証する手段である。ここに於て使徒たちは完全に主の道具となっている。
14章4節 爰に町の人々相分れて或者はユダヤ人に黨し、或者は使徒たちに黨せり。[引照]
口語訳 | そこで町の人々が二派に分れ、ある人たちはユダヤ人の側につき、ある人たちは使徒の側についた。 |
塚本訳 | すると町の住民が(二つに)割れ、ある者はユダヤ人に組し、ある者は使徒たちに組した。 |
前田訳 | すると町の住民は分裂し、あるものはユダヤ人につき、あるものは使徒たちについた。 |
新共同 | 町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。 |
NIV | The people of the city were divided; some sided with the Jews, others with the apostles. |
註解: 福音は人類を二分する。統一の基礎たるべき福音が分離の原因となることは悲しき矛盾である。併し神に対する不信の存する限りこの分離は止むを得ない。
14章5節 異邦人、ユダヤ人および其の司ら相共に使徒たちを辱しめ、石にて撃たんと企てしに、[引照]
口語訳 | その時、異邦人やユダヤ人が役人たちと一緒になって反対運動を起し、使徒たちをはずかしめ、石で打とうとしたので、 |
塚本訳 | そして(とうとう)異教人とユダヤ人とが役人と一緒になって、彼らをひどい目にあわせて石で打とうとする動きが起こると、 |
前田訳 | 異邦人とユダヤ人とが彼らの指導者とともに使徒たちを苦しめて石打ちする企てをしたとき、 |
新共同 | 異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、 |
NIV | There was a plot afoot among the Gentiles and Jews, together with their leaders, to mistreat them and stone them. |
註解: 2節及び前節の不安がいよいよ熟して将に爆発せんとする危機に達した。
辞解
[企て] hormê は感情を指す語で、止むに止まれぬ心持を示す。
14章6節 彼ら悟りてルカオニヤの町なるルステラ、デルベ及びその邊の地にのがれ、[引照]
口語訳 | ふたりはそれと気づいて、ルカオニヤの町々、ルステラ、デルベおよびその附近の地へのがれ、 |
塚本訳 | 彼らはそれと気づき、ルカオニヤ(地方)の町であるルステラ、デルベ、およびその周囲にのがれ、 |
前田訳 | 彼らはそれに気づいてルカオニアの町であるルステラ、デルベとその周辺にのがれた。 |
新共同 | 二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。 |
NIV | But they found out about it and fled to the Lycaonian cities of Lystra and Derbe and to the surrounding country, |
14章7節 彼處にて福音を宣傳ふ。[引照]
口語訳 | そこで引きつづき福音を伝えた。 |
塚本訳 | そこで福音を説いていた。 |
前田訳 | そしてそこでも彼らは福音を説いていた。 |
新共同 | そして、そこでも福音を告げ知らせていた。 |
NIV | where they continued to preach the good news. |
註解: ベザ写本はこれに加えて「全民衆はその教によりて動かされたり、パウロとバルナバはルステラに滞留せり」とあり。パウロ等は是等の暴力による迫害をば出来るだけこれを避けていた。是れ出来るだけ多くの人々に福音を宣伝えん為である。
辞解
[ルカオニヤの町] イコニオムがルカオニヤに属せざるものの如くに言っている所以は1節註の如く従来の習慣によったものである。ルステラにはテモテ及びその母ユニケあり(使16:1-3。Uテモ1:5)、或はパウロが其家に宿泊したのであろう。
要義 [福音と分争]福音は平和の福音であって分争はその望む処ではない。併し乍ら福音はまた悪と妥協せざる純粋なるものたる事を必要とする。それゆえにこの世の悪と妥協して平和を得るかまたはこれと戦って分争するかの二つの中の一途を択ばざるを得ざる場合は、勿論後者を採らなければならない。「われ地に平和を投ぜんために来たれりと思うな、平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり」(マタ10:34)とイエスの言い給いしはこの意味である。平和の福音が分争の原因たる所以はここにある。
5-1-7 ルステラに於ける奇蹟、民衆パウロを拝せんとす
14:8 - 14:18
14章8節 ルステラに足弱き人ありて、坐しゐたり、生れながらの跛者にて曾て歩みたる事なし。[引照]
口語訳 | ところが、ルステラに足のきかない人が、すわっていた。彼は生れながらの足なえで、歩いた経験が全くなかった。 |
塚本訳 | 当時ルステラに、足のきかない一人の男が坐っていた。母の胎内から足なえで、まだ一度も歩いたことがなかった。 |
前田訳 | ルステラに足のきかないある男がすわっていた。生まれつき足なえで、一度も歩いたことがなかった。 |
新共同 | リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。 |
NIV | In Lystra there sat a man crippled in his feet, who was lame from birth and had never walked. |
註解: 路傍に坐して物乞いしていたものであろう。
14章9節 この人パウロの語るを聽きゐたるが、[引照]
口語訳 | この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、 |
塚本訳 | この人がパウロの話を聞いていると、パウロはじっと見つめ、(足が)直るに必要な信仰があるのを見て、 |
前田訳 | この人がパウロの語るのを聞いていると、パウロは彼を見つめ、救われるための信仰があるのを見て、 |
新共同 | この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、 |
NIV | He listened to Paul as he was speaking. Paul looked directly at him, saw that he had faith to be healed |
註解: この「聴きいたるが」は未完了過去形にて継続または反復を示す。この足跛えたる乞食は熱心にまたは幾回もパウロの説教を傾聴していた。
パウロ之に目をとめ、救はるべき信仰あるを見て、
註解: パウロはこの跛者の顔貌の中に誠実と熱心と謙虚の心とが溢れているのを見た、霊は霊と相感応する。
辞解
[救わるべき] 霊魂の救と共にここでは肉体の病より救われる事をも含む。
14章10節 大聲に『なんぢの足にて眞直に起て』と言ひたれば、かれ躍り上りて歩めり。[引照]
口語訳 | 大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は踊り上がって歩き出した。 |
塚本訳 | 大声で、「“自分の足で”まっすぐに“たちなさい!”」と言った。すると(たちまち)躍って歩きまわった。 |
前田訳 | 大声でいった、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と。すると飛びあがって歩き回った。 |
新共同 | 「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。 |
NIV | and called out, "Stand up on your feet!" At that, the man jumped up and began to walk. |
註解: パウロの大喝一声は聖霊の働きであり、その力がこの跛者を立処に医した。尚この奇蹟は多くの奇蹟中の一例と見るべきであらう。(3節参照)。
辞解
[足にて] を加へし所以は足弱き人であったから、使9:34、使9:40参照。
[躍り上り] 不定過去形で一瞬間的行為。
[歩めり] 未完了過去形で継続的行為、原文はこの動作の状態を明示する。
14章11節 群衆、パウロの爲ししことを見て聲を揚げ、ルカオニヤの國語にて『神たち人の形をかりて我らに降り給へり』と言ひ、[引照]
口語訳 | 群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。 |
塚本訳 | 群衆はパウロがしたことを見て、声を張り上げ、ルカオニヤ弁で「神様たちが人間の姿をして下ってこられた!」と言って、 |
前田訳 | 群衆はパウロのしたことを見、声を高めてルカオニア語でいった、「神々が人間と同じ姿でお下りだ」と。 |
新共同 | 群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。 |
NIV | When the crowd saw what Paul had done, they shouted in the Lycaonian language, "The gods have come down to us in human form!" |
註解: 彼ら群衆がパウロの奇跡が人間以上の力による事を認めた点に於て正しかったけれども、これを人造の神のカに帰する点に於て誤っていた。真の神を知らない者は、神の御業をも正しく認識する事が出来ない。
辞解
[ルカオニヤの国語にて] パウロはギリシヤ語にて語り土人はこれを理解しまた自らギリシヤ語を用いた。唯、驚駭とか狼狽とかの如き匆卒の場合には地方の言葉を用うる様になる。
[人の形をかりて] この附近にゼウスの神とヘルメスの神が人間となりて天降ったとの伝説もある由。
14章12節 バルナバをゼウスと稱へ、パウロを宗と語る人なる故にヘルメスと稱ふ。[引照]
口語訳 | 彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもに語る人なので、彼をヘルメスと呼んだ。 |
塚本訳 | バルナバをゼウス(の神)、パウロは重な話し手なのでヘルメス(の神)と呼んだ。 |
前田訳 | そしてバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもな話し手なのでヘルメスと呼んだ。 |
新共同 | そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。 |
NIV | Barnabas they called Zeus, and Paul they called Hermes because he was the chief speaker. |
註解: ゼウスはギリシヤの神々の中、主として崇められる神、ヘルメスは神々の使者、神託伝達者、言語の発明者、雄弁家としての幸運の神、土民は使徒たちをこの二神の化身と信じた。真の神以下のものを神とする者は、容易に人間を神に祭上げる。
14章13節 而して町の外なるゼウスの[宮の]祭司、數匹の牛と花飾とを門の前に携へきたりて群衆とともに犧牲を献げんとせり。[引照]
口語訳 | そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、ふたりに犠牲をささげようと思って、雄牛数頭と花輪とを門前に持ってきた。 |
塚本訳 | また町の(門の)前にあるゼウス(神殿)の神主は、数匹の雄牛と花輪とを門のところに持ってきて、群衆と共に犠牲を捧げようとした。 |
前田訳 | 町の前にあるゼウス神殿の祭司は雄牛数頭と花輪を門の所に持ってきて、群衆とともにいけにえをささげようとした。 |
新共同 | 町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。 |
NIV | The priest of Zeus, whose temple was just outside the city, brought bulls and wreaths to the city gates because he and the crowd wanted to offer sacrifices to them. |
註解: 神々に対する当然の祭として犠牲をささげて神々の怒をさけ幸福を祈らん為であった。祭司自身果してパウロ等を神々と信じたりや否やは疑わし、唯彼はこれを機会に群衆の信心を起さしめ結局これを自己の利益に転ぜんとするに過ぎなかった。
辞解
[町の外なるゼウス] 宮が町の外にあった。ベザ写本では「市外ゼウス」と固有名詞の如くに記さる。
[宮の祭司] 原文「宮の」を欠く、祭司はゼウス神の祭司であって宮の祭司ではない。
[花飾] 牛を装飾せんが為。
[門の前] 門は町の門か宮の門か使徒の宿れる家の門か不明、恐らく宮の門ならん(ラムゼー)。
14章14節 使徒たち、即ちバルナバとパウロと之を聞きて己が衣をさき群衆のなかに馳せ入り、[引照]
口語訳 | ふたりの使徒バルナバとパウロとは、これを聞いて自分の上着を引き裂き、群衆の中に飛び込んで行き、叫んで |
塚本訳 | 使徒たち、バルナバとパウロとはこれを聞いて、自分の上着を引き裂き、群衆の中に飛び出していって、叫んだ、 |
前田訳 | 使徒たち、バルナバとパウロとはこれを聞いて、その上衣を裂き、群衆の中に飛びこんで叫んだ、 |
新共同 | 使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで |
NIV | But when the apostles Barnabas and Paul heard of this, they tore their clothes and rushed out into the crowd, shouting: |
註解: 衣を裂く事は有るべからざる事が行われ、見るべからざるものを見、聞くべからざる事を聞ける時等に、恐懼懺悔等の心を表わす態度(マタ26:65。U歴34:27。Uサム13:19。エズ9:3。ヨブ1:20。ヨブ2:12)群衆のいわゆる神とは、たといエホバの神では無いにしても、幾分たりとも人間以上の栄光を自己に帰せしむる事は、エホバの神に対する冒涜であった。ゆえに彼らは恐懼してその衣を裂いたのであった。
14章15節 呼はりて言ふ『人々よ、なんぞ斯る事をなすか、我らも汝らと同じ情を有てる人なり、[引照]
口語訳 | 言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。 |
塚本訳 | 「諸君、何をするのか。わたし達(二人)もあなた達と同じ人間です。あなた達に福音を説いて、こんな(ゼウスなどのような命のない空な)偶像から離れ、”天と地と海とそれらの中の一切の物とをお造りになった、”生ける(まことの)神に転ずるようにしているのです。 |
前田訳 | 「皆さん、なぜこんなことをするのですか。われらもあなた方と同じ人間です。これらむなしいものを捨てて、生ける神に向かうようあなた方に福音を説いているのです。この神こそ天と地と海とそれらの中にあるすべてをお造りになった方です。 |
新共同 | 言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。 |
NIV | "Men, why are you doing this? We too are only men, human like you. We are bringing you good news, telling you to turn from these worthless things to the living God, who made heaven and earth and sea and everything in them. |
註解: 真の神を知らざる者は容易に人間を崇拝して神の如きものと考え易い。また神を知らざる宗教家は自己を神の地位に高める事によりて信者を瞞く事を常とする。併し乍ら人間は飽くまでも人間であってその間に差別はない。同じ弱点を有する同じ罪人である。多くの宗教や道徳は自己を高きものとする事によりて人を自己にまで導かんとし、キリストの福音は自己を他の人と同一視する事によりて人を神にまで導かんとする。▲もしパウロやバルナバが、自己を宣伝することに専念している宗教家であったならば、この機会を利用して自己を神の地位に置いたことであろう。人は崇拝されることを好む。基督教の伝道者にもこの誘惑ありまたこれに陥って弟子たちに崇められるのを喜ぶ者もある。
汝らに福音を宣べて斯る虚しき者より離れ、天と地と海とその中にある有らゆる物とを造り給ひし活ける神に歸らしめんとするなり。
註解: 福音宣伝の目的は神ならざる虚しき者を神とする事ではなく、天地の創造主なる真の神に立ち帰らしむる事である。
辞解
[斯る虚しき者] 複数、前文を受けるとすれば、「我らや汝等の如き虚しき者」の意となり、もし前文に「従って我らは神々にあらず」の意を含むとすれば「神々」の意味となるがパウロば暗黙にゼウスやヘルメスの神を「虚しき者」と云ったのであろう。
[天と地と・・・] 使4:24。使17:24。出20:11。何人にも理解され納得される神の属性を掲げて是等偶像崇拝の異邦人を教化せんとしているのである。
14章16節 過ぎし時代には神、すべての國人の己が道々を歩むに任せ給ひしかど、[引照]
口語訳 | 神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、 |
塚本訳 | 過ぎた時代には、神はすべての異教人に自分の(好きな)道を歩かせておられたが、 |
前田訳 | 神は過ぎた時代にはすベての民におのが道を行かせておいででした。 |
新共同 | 神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。 |
NIV | In the past, he let all nations go their own way. |
註解: 卒直に言えば勝手に偶像を造ってこれを拝する如き事をもその為すに任せ給うた。従って異邦人が是までに行っていた偶像崇拝の罪である事を彼らは知らなかったのである。是は人類の罪に対する罰であった(ロマ1:24-32)。
辞解
本節及び次節は前節の「神」の説明句である。
14章17節 また自己を證し給はざりし事なし。[引照]
口語訳 | それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。 |
塚本訳 | それでも、天から雨を振らせて実りの季節を与え、(豊かな)食べ物の楽しみであなた達の心を満たすなど、かずかずの恩恵を施されたのであって、御自分のことを証明せずにおられたわけではない。」 |
前田訳 | しかしそれでもご自分のことを証せずにおかれたわけではありません。天から雨を降らせて実りの季節を与え、食物と楽しみであなた方の心を満たすなど、恵みをお与えです」と。 |
新共同 | しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」 |
NIV | Yet he has not left himself without testimony: He has shown kindness by giving you rain from heaven and crops in their seasons; he provides you with plenty of food and fills your hearts with joy." |
註解: 神が人類をその罪のままに放任し給いしは、彼らをして自己の無価値を知らしめんが為であって、決して彼らを亡ばす事を欲し給うたのではなかった。夫ゆえに、神は種々の方法を以て彼らに自己を示し給うた。ゆえに彼らは、既に神の存在を覚るべきであって、その無智に対しては言逃れる術がない(ロマ1:20)。
即ち善き事をなし、天より雨[を賜ひ、](と)豐穰の時をあたへ、食物と勸喜とをもて汝らの心を滿ち足らはせ給ひしなり』
註解: 人類がその生命を維持し社会生活を行って行く事は神の賜物に外ならざる事を示す。人類に衣食が与えられ家庭の団欒が与えられる事は皆神の為し給う善き事である。斯くパウロは人類生活の幸福な方面のみを示して彼らに神を知らしめんとしたのは、この程度の知識が彼らに適当していたからである。
辞解
[善き事をなし] 自然界に於ける凡ての神の恩恵。
[雨] この地方の作物に取って絶対に必要なるもの(ヤコ5:7)。
[歓喜] 酒に酔える場合などにも用うる語、人間の幸福感に酔える心持を示す。本節に於てパウロは神の審判の方面を示さず、神の恩恵のみを示し、彼らをして神に立帰る事を得しめんとした。
14章18節 斯く言ひて辛うじて群衆の己らに犧牲を献げんとするを止めたり。[引照]
口語訳 | こう言って、ふたりは、やっとのことで、群衆が自分たちに犠牲をささげるのを、思い止まらせた。 |
塚本訳 | こう言って、やっと群衆をおし静め、自分たちに犠牲を捧げないようにした。 |
前田訳 | こういって、ふたりはやっと群衆をおさえて、自分たちにいけにえをささげないようにした。 |
新共同 | こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。 |
NIV | Even with these words, they had difficulty keeping the crowd from sacrificing to them. |
註解: 群衆はこのパウロの説教を聴き、パウロ、バルナバ等が神にあらざる事を覚ったのであろう。
要義1 [異邦人に福音を伝える方法]ルステラに於けるパウロの奇蹟に伴える説教は能く異邦人の心理を把握したものと言う事が出来る。パウロは、彼らの犠牲を献げんとする態度を、真の神に対する冒涜として責めずして、自己の人間としての弱さを彼らに示し、彼らの神の無為無力を直接に非難せずして、真の神の恩恵の豊かさを示した。より善きものを示して彼らの誤を覚らしむることがパウロの説教の方式であった。これ真の神を知らざる者に対する同情ある言葉である。もしこの物語の場合においてパウロが正面より彼らの神々を攻撃したならば、彼らは直ちにパウロを殺したであろう。
要義2 [自然に於ける神の顕現]神の啓示に二種あり、一般的と特殊的とである。一般的恩恵は自然界に於ける人間生活の幸福の原因たるべきあらゆる恩恵であり、衣食住、家庭、自然の風景、愛玩すべき動植物等これに属す。特殊的恩恵とはイスラエルを選びてこれを試みこれを訓練し給う事、ついにイエスを与えてこれによって人類を永遠に救い給う恩恵である。後者を知る者は必ず前者をも知っているけれども、前者を知る者必ずしも後者を知らない。
要義3 [偶像と日本の神社]日本の神社の由緒の正しきものは国民の祖先の功労者または皇室関係の祭神を祭れる記念の営造物で、日本国民の祖先を崇敬する心及び国民の一体観の表顕であって偶像ではない(▲真の神を知らない者は、全く価値なき物をも神として拝するようになる位であるから、日本人も祖先を神として礼拝する誘惑に陥り易い、これは天地の創造主に対する明白な罪である。この区別はこれを明白ならしめる必要がある。)(従って淫祠はこれと混同すべからず、また神社に混合せる宗教的行為はこれを除くべきである)。しかしながらまたその神々は天地の造り主たる神とは異なる。日本語の「カミ」なる語義は頗る広く、内容如何によりてその性質を異にするものはこれを混同してはならない。
5-1-8 デルベを経でアンテオケに帰る
14:19 - 14:28
14章19節 然るに數人のユダヤ人、アンテオケ及びイコニオムより來り、群衆を勸め、而してパウロを石にて撃ち、既に死にたりと思ひて町の外に曳き出せり。[引照]
口語訳 | ところが、あるユダヤ人たちはアンテオケやイコニオムから押しかけてきて、群衆を仲間に引き入れたうえ、パウロを石で打ち、死んでしまったと思って、彼を町の外に引きずり出した。 |
塚本訳 | するとアンテオケとイコニオムとからユダヤ人がおしかけて来て、群衆を説いて味方にし、パウロを石で打って町の外に引きずり出した。死んでしまったと思ったのである。 |
前田訳 | アンテオケとイコニオムからユダヤ人がおしかけて、群衆を説得し、パウロを石で打って町の外に引きずり出した。死んでしまったと思ったのである。 |
新共同 | ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。 |
NIV | Then some Jews came from Antioch and Iconium and won the crowd over. They stoned Paul and dragged him outside the city, thinking he was dead. |
註解: 百三十哩ほどの道を遙にパウロ迫害の目的を以て下り来れるユダヤ人の執拗さを見よ。またパウロを神として崇めんとせし群衆が一転して、彼を石にて撃ちたるその豹変を見よ、かくもパウロを憎ましめし手段は、恐らく、もしパウロを生し置かばユダヤ人の信仰は勿論ゼウスの神の信仰すらも覆えされるであろうと説いたのであろう。
辞解
[石にて撃ち] Uコリ11:25。Uテモ3:11。
群衆の豹変についてはマタ21:9とマタ27:23とを比較せよ。尚使28:6参照。
14章20節 弟子たち之を立囲みゐたるに、パウロ起きて町に入る。[引照]
口語訳 | しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいる間に、彼は起きあがって町にはいって行った。そして翌日には、バルナバと一緒にデルベにむかって出かけた。 |
塚本訳 | (主の)弟子たちが(来て)彼を取り囲んで(見守って)いると、(やがて)立ち上がり、町に入った。翌日バルナバと一緒にデベルへ向かって出発した。 |
前田訳 | しかし弟子たちが彼を取り囲んでいると、彼は起きあがって町に入った。あくる日、彼はバルナバといっしょにデルベへと出かけた。 |
新共同 | しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。 |
NIV | But after the disciples had gathered around him, he got up and went back into the city. The next day he and Barnabas left for Derbe. |
註解: パウロのみ迫害されしはパウロに特に著しき力があるのを敵は感じたからであり、弟子たちがパウロを助けなかったのは力及ばず無益に紛乱を大ならしむるに過ぎなかったからであろう。死にしと思われしパウロが起き上った事は、そこに神の御力が多く加っていた事を示す。
明くる日バルナバと共にデルベに出で往き、
註解: 最早やその町に止まる事の危険と無益とを知りデルベに赴いた。デルベはルステラの東南数哩の処にあり、現在はその場所を確定し難い。
14章21節 その町に福音を宣傳へ、多くの人を弟子として後、ルステラ、イコニオム、アンテオケに還り、[引照]
口語訳 | その町で福音を伝えて、大ぜいの人を弟子とした後、ルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に帰って行き、 |
塚本訳 | 二人は(しばらく)その町で福音を説き、だいぶ大勢弟子にしたので、(来た道をもどり、)ルステラ、イコニオムを経て(ピシデヤの)アンテオケに引き返した。 |
前田訳 | ふたりはその町で福音を説き、かなりの人を弟子にして、ルステラ、イコニオム、アンテオケへと戻った。 |
新共同 | 二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、 |
NIV | They preached the good news in that city and won a large number of disciples. Then they returned to Lystra, Iconium and Antioch, |
註解: パウロとバルナバは如何なる迫害にも屈せず執拗に福音宣伝に固執した。デルベのガイオ(使20:4)はこの時の弟子の一人であろう。斯くしてデルベを第一伝道旅行の終点として再び帰路につき曩に迫害せられしルステラ、イコニオム、アンテオケをも恐れる処なく歴訪した。是れその信仰に入りし弟子たちを訪わんが為であった。
14章22節 弟子たちの心を堅うし信仰に止らんことを勸め、また我らが多くの艱難を歴て神の國に入るべきことを教ふ。[引照]
口語訳 | 弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。 |
塚本訳 | (道々主の)弟子たちの心を力づけ、いつまでも信仰に留まっているように、「神の国に入るには、わたし達は多くの苦難を通らねばならない」といましめた。 |
前田訳 | 弟子たちの心を強め、信仰にとどまるよう勧め、「われらは多くの苦しみを経て神の国に入らねばならない」といった。 |
新共同 | 弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。 |
NIV | strengthening the disciples and encouraging them to remain true to the faith. "We must go through many hardships to enter the kingdom of God," they said. |
註解: 是が信仰に入りし弟子たちに与え得る最善の注意である。心は弱くして動揺し易く、信仰は変化し易く、艱難に遭えば信仰を失い易い。如何なる教の嵐にも心を動かさず、如何なる誘惑にも信仰を離れず、如何なる艱難にも屈せざる者にして始めて神の国に入る事が出来る。迫害は神の国に入る門である。基督者には一般の人よりも多くの艱難が与えられる。
辞解
[入るべき] dei 入る事が当然である事。
14章23節 また教會毎に長老をえらび、斷食して祈り、弟子たちを其の信ずる所の主に委ぬ。[引照]
口語訳 | また教会ごとに彼らのために長老たちを任命し、断食をして祈り、彼らをその信じている主にゆだねた。 |
塚本訳 | また(今度の伝道で生まれた)集会にはどこでも長老を選び、断食をして祈って、(主の)弟子たちを彼らの信じている主にお任せした。 |
前田訳 | 彼らは集まりごとに長老をえらび、断食しつつ祈って、弟子たちを彼らの信じている主にゆだねた。 |
新共同 | また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。 |
NIV | Paul and Barnabas appointed elders for them in each church and, with prayer and fasting, committed them to the Lord, in whom they had put their trust. |
註解: 外部に対して教会を代表し、内部に対して指導訓練を行う為に各教会毎に長老を選ばしめた。是が教会の制度の始めである。唯この時代は主にある信仰団体そのものの生命が主であってこの制度は便宜規定に過ぎなかった。ゆえに彼らをこの制度に委ねずして「主に委ね」たのであった。後世に至って制度が主となりイエスを教会外に放逐するに至った為に教会の堕落が始った。
辞解
[長老] presbyteros 老人の事、但し年令のみによらず教会の主要なる働きを為す人。
[選ぶ] cheirotoneô 本来手を挙げて意思を表明する方式による選挙を意味したのであるが後には方式如何を問わず「選む事」または単に「指名する事」に用う(Uコリ8:19)。この場合如何なる方法により長老を定めたかは確定し難い。当時は是等につきその場合に応じて自由に異れる方法を採ったものと思われる。マツテヤの選任(使1:24-26)。七人の執事の選任(使6:5、6)。パウロとバルナバの選任(使13:2、3)等の場合を比較すべし。
14章24節 斯てピシデヤを經てパンフリヤに到り、[引照]
口語訳 | それから、ふたりはピシデヤを通過してパンフリヤにきたが、 |
塚本訳 | それからピシデヤを通ってパンフリヤ(州)に来、 |
前田訳 | そしてピシデアを経てパンフリアに来、 |
新共同 | それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、 |
NIV | After going through Pisidia, they came into Pamphylia, |
註解: ピシデヤ、パンフリヤは州の名で、そこには伝道しつつ巡回したとしても格別記すべき事件はなかったらしい。
14章25節 ペルガにて御言を語りて後アタリヤに下り、[引照]
口語訳 | ペルガで御言を語った後、アタリヤにくだり、 |
塚本訳 | ペルガで御言葉を語ったのち、アタリヤ(の港)に下り、 |
前田訳 | ペルガでみことばを語ってから、アタリアに下り、 |
新共同 | ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、 |
NIV | and when they had preached the word in Perga, they went down to Attalia. |
註解: ペルガに就ては使13:13を見よ、往路にも多分伝道の機会が有ったものと思われるけれども記事が無い、アタリヤはペルガより約十六哩の海港で近世まで小アジア南岸の唯一の良港である。
14章26節 彼處より船出して、その成し果てたる務のために神の惠に委ねられし處なるアンテオケに往けり。[引照]
口語訳 | そこから舟でアンテオケに帰った。彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。 |
塚本訳 | そこから(シリヤの)アンテオケに船で渡った。このアンテオケから、二人は神の恩恵にゆだねられて(伝道の)仕事に出発したのであったが、(いま見事に)それを終え(て帰ってき)たのである。 |
前田訳 | そこからアンテオケヘ船旅をした。そこはふたりが神の恵みにゆだねられて働きに出たところである。それを彼らはなしとげたのである。 |
新共同 | そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。 |
NIV | From Attalia they sailed back to Antioch, where they had been committed to the grace of God for the work they had now completed. |
註解: 第一伝道旅行の期間及年代につきては緒言の年代表を見よ、かくして二人は再びスリヤのアンテオケなる母教会に帰った。これによりアンテオケの教会は偉大なる世界教化の事業に第一歩を印した次第である。▲異邦伝道がエルサレムの母教会に始まらずアンテオケの異邦人教会から始まったことは注意すべき事実である。
14章27節 既に到りて教會の人々を集めたれば、神が己らと偕に在して成し給ひし凡てのこと、並に信仰の門を異邦人にひらき給ひしことを述ぶ。[引照]
口語訳 | 彼らは到着早々、教会の人々を呼び集めて、神が彼らと共にいてして下さった数々のこと、また信仰の門を異邦人に開いて下さったことなどを、報告した。 |
塚本訳 | 彼らは(アンテオケに)着くと、集会の人々を集めて、神が自分たちと一緒にいてしてくださったことをのこらず、また異教人に信仰への門を開いてくださったことを、報告した。 |
前田訳 | そこに着くと、彼らは集まりの人々を集め、神が自分たちにしてくださったことすべてを、とくに異邦人に信仰の門をお開きのことを語った。 |
新共同 | 到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。 |
NIV | On arriving there, they gathered the church together and reported all that God had done through them and how he had opened the door of faith to the Gentiles. |
註解: パウロ等は多くの迫害を受けたけれどもそれにつき語って居ない。よし語ったとしてもそれを録してないのはそれが主要の事柄でなかったからである。主要な事柄は唯二つで、其一は神が偕に在して働き給いし事、其二は異邦人にも信仰の門を開き給いし事であった。凡てを神の働きに帰している処に伝道の真の精神があらわれている。
14章28節 斯て久しく留りて弟子たちと偕にゐたり。[引照]
口語訳 | そして、ふたりはしばらくの間、弟子たちと一緒に過ごした。 |
塚本訳 | そして相当長い間(そこの主の)弟子たちと一緒に過ごした。 |
前田訳 | そしてかなり長い間を弟子たちとともに過ごした。 |
新共同 | そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。 |
NIV | And they stayed there a long time with the disciples. |
註解: 「久しく」なる語は使徒行伝のみの八回用いられ他に用いられて居ない。ルカは年月の長短を問題としなかった様に見える。永遠の神の国の事を宜ぶる者に取りてはこの世の年月日は問題にならないからであろう。
使徒行伝第15章
5-2 使徒会議
15:1 - 15:35
5-2-1 パウロ等エルサレムに往く
15:1 - 15:5
註解: 本章はいわゆる使徒会議の記事で第一伝道旅行と第二伝道旅行との間に介在する重大事件である。救に割礼が必要なりや否やの問題で、律法対福音、ユダヤ主義の基督教対異邦人の基督教の問題に関する重要なる分岐点であった。幸にユダヤ主義律法主義の基督者は敗れたけれども、この精神は人間に付随して離れず、其後ガラテヤの教会に於てもこの問題が起り、ガラテヤ書の書かれし原因となり、其後の教会史上にも屡々この思想が台頭した。福音を受納れ難き人間の本性のあらわれである。
15章1節 或人々ユダヤより下りて、[引照]
口語訳 | さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。 |
塚本訳 | すると(そのころ、)ユダヤ[エルサレム]から(アンテオケに)下ってきて(そこの)兄弟に、「あなた達(異教人)も(わたし達と同じに、)モーセの慣例に従って割礼を受けなければ、救われない」と教えた者があった。 |
前田訳 | ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「あなた方はモーセの慣わしどおり割礼を受けなければ救われない」と教えていた。 |
新共同 | ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 |
NIV | Some men came down from Judea to Antioch and were teaching the brothers: "Unless you are circumcised, according to the custom taught by Moses, you cannot be saved." |
註解: この人々は主としてパリサイ派の人々にしてキリストを信じたものであった(5節)。「下りて」はアンテオケに下った事。
兄弟たちに『なんぢらモーセの例に遵ひて割禮を受けずば救はるるを得ず』と教ふ。
註解: こうした思想の起る理由は(1)多年固執し来れる習慣は容易に脱却し得ざる事、(2)信仰のみによりて救われる恩恵主義は理解し難き事、(3)異邦人は穢れて居り、割礼を受けてユダヤ人と同一の資格を得たる改宗者となる事によりて始めて潔き者となるとの思想が脱け切れない事等であって、彼らは真面目にかく信じ、是を主張した。併しこれを認容する事は福音の破滅である。
辞解
[割礼を受けずば] これによりて改宗者となり一旦ユダヤ人と同資格となる事を意味し、従って凡ての律法を遵守する事の意味となるけれども、そこまで徹底的に考えず唯割礼のみを重大視せる習慣に捉われる者が多かったのであると見るべきであろう。この種の人々には律法を与えられこれを遵守している事の自負心と、これを固執する頑固さと、他人をも自分の如くに思わしめんとする野心とが支配している。それゆえに神の恩恵のみによる罪の赦の福音に徹底する事が出来ない。従ってこの人々の為にアンテオケの信徒の心は動揺した(24節)。人間の自然性の目には律法主義が最高のものの如くに見え易い。
15章2節 爰に彼らとパウロ及びバルナバとの間に、大なる紛爭と議論と起りたれば、[引照]
口語訳 | そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。 |
塚本訳 | そのためパウロ、バルナバとその人たちとの間に、相当大きく意見が対立し争論がおこったので、この問題の(解決の)ため、パウロ、バルナバ、そのほかの数人の者がエルサレムに上り、使徒、長老たちをたずねることに決まった。 |
前田訳 | それでパウロ、バルナバとその人々との間に、少なからぬ不和と論争がおこったので、パウロ、バルナバ、その他数人がこの問題のためエルサレムヘ行って使徒と長老たちをたずねることに決めた。 |
新共同 | それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 |
NIV | This brought Paul and Barnabas into sharp dispute and debate with them. So Paul and Barnabas were appointed, along with some other believers, to go up to Jerusalem to see the apostles and elders about this question. |
註解: 正しき教が現れん為には時に紛争も止むを得ない(Tコリ11:19)。福音の真理の純潔の為には虚偽の一致を為すべきではない。聖霊による一致のみが真の一致である(エペ4:3)。パウロは自己の救われしは割礼を受けたからではなくまた律法を守ったからでもない事を充分に知っていた。それゆえに異邦人に割礼を施す必要を認めず、またかゝる律法の行為を必要とする思想を不純なる信仰として排斥したのであった。それゆえに極力ユダヤ主義の基督者と争った。
[大なる] ▲「少なからぬ」(口語訳)の方が正しい。
兄弟たちはパウロ、バルナバ及びその中の(他の)數人をエルサレムに上らせ、此の問題につきて使徒・長老たちに問はしめんと定む。
註解: (1)アンテオケの信者の中にも、窃にこのユダヤ主義に共鳴する者も有りしなるべく、(2)またエルサレムの母教会の使徒・長老たちが、果して如何なる意見なりやも必ずしも明かでなかった点もあり、(3)またこのままにてはパウロ等とユダヤ主義の基督者との間の一致点を見出し得ざる儘物別れとなるより外無く、(4)また同時にアンテオケの教会が二分する処も有ったので、最後の手段としてエルサレムの使徒長老たちの意見を問う事となった。但しパウロ自身は其必要を感じない程自己の信仰の絶対性を信じたであろうけれども、彼はエルサレムに上る事がこの場合最良の策である事を黙示によりて示され(ガラ2:2)エルサレムに上った。
辞解
[その中の数人] 「彼らの中の他の数人」でこの中にはテトスもいた(ガラ2:1)。
[エルサレムに上らせ・・・・] ▲▲以下原文を直訳すれば「この問題について使徒たちに逢わせるためにエルサレムに上らせることにきめた」となる。
15章3節 かれら教會の[人々]に見送られて、ピニケ及びサマリヤを經、異邦人の改宗せしことを具に告げて、凡ての兄弟に大なる喜悦を得させたり。[引照]
口語訳 | 彼らは教会の人々に見送られ、ピニケ、サマリヤをとおって、道すがら、異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた。 |
塚本訳 | さて一行は集会の人々に見送られて、ピニケ、サマリヤを通り、異教人の改信(の様子)を詳しく話したので、(各地の)兄弟たちは皆大喜びであった。 |
前田訳 | 彼らは集まりに見送られ、フェニキア、サマリアを通り、異邦人の回心を物語って、兄弟たちすベてに大きなよろこびを与えた。 |
新共同 | さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。 |
NIV | The church sent them on their way, and as they traveled through Phoenicia and Samaria, they told how the Gentiles had been converted. This news made all the brothers very glad. |
註解: アンテオケの教会の人々が彼らに好意を表示したのみならず、ピニケ、サマリヤ等沿道の同信の人々も彼らに反対せず却ってその伝道の成果を喜んだ、エルサレムにのみ反対があるのは伝統的精神が強過ぎているからである。
辞解
[見送られ] 途中まで送って来る事。
15章4節 エルサレムに到り、教會と使徒と長老とに迎へられ、神が己らと偕に在して爲し給ひし凡ての事を述べたるに、[引照]
口語訳 | エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。 |
塚本訳 | エルサレムに着くと、集会の人々、使徒、長老たちの歓迎を受け、神が自分たちと一緒にいてしてくださったことをのこらず報告した。 |
前田訳 | エルサレムに着くと、集まり、使徒、長老たちに歓迎され、神が彼らとともになさったことを、のこらず告げた。 |
新共同 | エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。 |
NIV | When they came to Jerusalem, they were welcomed by the church and the apostles and elders, to whom they reported everything God had done through them. |
註解: エルサレムの教会全体としてはパウロやバルナバに敵意が無かった事を知る事が出来る。バルナバの存在はこうした場合に調和の為に重要なる役目を果したに相違ない。パウロやバルナバ等の伝道とその効果は神が為し給える御業であった。
15章5節 信者となりたるパリサイ派の或る人々立ちて『異邦人にも割禮を施し、モーセの律法を守ることを命ぜざる可からず』と言ふ。[引照]
口語訳 | ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。 |
塚本訳 | ところが信仰に入ったパリサイ派の者数人が立って、彼ら(異教人)にも割礼を施すべきであり、モーセ律法を守るようにと命ずべきである、と言った。 |
前田訳 | しかし信徒になったパリサイ派の数名が立って、「異邦人に割礼し、モーセの律法を守るよう命ずべきである」といった。 |
新共同 | ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。 |
NIV | Then some of the believers who belonged to the party of the Pharisees stood up and said, "The Gentiles must be circumcised and required to obey the law of Moses." |
註解: 信仰に入りて後も、その以前の性格や思想信念の傾向等は容易に脱け切れないものである。是等のパリサイ人も其例に漏れなかった。是を自己に与えられた賜物または使命として考うる間は正しいけれども、これを他人の上にも強要せんとする場合に誤れる態度となる。またこれを救の必要條件とする場合に本末顛倒となる。パウロ等の極力反対したのは律法を守る事ではなく、守らなければ救はれずとする点であった。
要義1 [律法主義]律法主義とは、律法を遵守する事即ち自己を完全にする事によりて、神の前に義とせられんとする主義である。この思想はユダヤ教殊にそのパリサイ派に於て最も強く現れているけれども、決して彼らに特有なる信仰ではなく、凡ての人間に共通なる自然の傾向である。神に対する信仰を失った人間は、自然の傾向として、自力により自己を美しきものたらしめ、これによって神の前に立たんとるものである。信仰はちょうどその正反対で、自己をその醜さのまま神の御手に投げかけ、神の恩恵による罪の救いを信ずる心である。この信仰と律法主義とは両立しない。而してこの「恩恵の神」の御旨を畏こみ、その戒命を守ることは律法主義とは全然別の心の態度である。ゆえに律法主義と恩恵主義との争いは人間の自然性とその再生せる性質との争であり、アダムとキリストとの争である。
要義2 [旧套を脱する事の困難]長く慣れた習慣や、歴史的に伝わって来た民族的風習の如きは、これを脱却する事は容易でない。而して信仰の根本に反対するものはこれを棄てなければならないと共に、信仰に対して第二義的なるものは、これを他に強制してはならない。この区別を正しく認識する唯一の途は、信仰そのものを本質的に把握することである。パウロがこの問題につきて正しき態度を取る事ができたのは、この点において彼が明瞭なる信仰を持ったからであった。
5-2-2 ペテロの弁明
15:6 - 15:11
15章6節 爰に使徒・長老たち此の事につきて協議せんとて集る。[引照]
口語訳 | そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。 |
塚本訳 | 使徒たちと長老たちとがこの事を解決するために集まった。(集会の人々も一緒であった。) |
前田訳 | 使徒と長老たちはこのことを検討するため集まった。 |
新共同 | そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。 |
NIV | The apostles and elders met to consider this question. |
註解: 教会全体の漠然たる議論では結末が付き難いので、特別に使徒、長老のみの会議を開き、教会の大衆はこれを傍聴していた(12、22、25節)。但しガラ2:2に「名ある者どもに私かに(個人的に)告げたり」とあるのを見れば、この会議の開かれる前にパウロは使徒たちの主なる者にその意見を陳述していたものと見える。是は必要の手段であった。
15章7節 多くの議論ありし後、[引照]
口語訳 | 激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。 |
塚本訳 | 長らく争論があったのち、ペテロが立ち上がって言った、「兄弟の方々、(集会が出来た)始めの時から、神は異教人がわたしの口によって福音の言葉を聞いて信ずるようにと、あなた達の間でわたしを選ばれたことは御承知のとおりである。 |
前田訳 | 多くの論争があったので、ペテロが立っていった、「兄弟方、ご存じのとおり、初めのころから、あなた方の間で、神はわたしの口によって異邦人が福音のことばを聞いて信ずるようお決めでした。 |
新共同 | 議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。 |
NIV | After much discussion, Peter got up and addressed them: "Brothers, you know that some time ago God made a choice among you that the Gentiles might hear from my lips the message of the gospel and believe. |
註解: 議論は神の決定を仰ぐの前提である。神の御旨が明かにされる為には人間の論議は必要である。テトスの割礼の問題(ガラ2:3)もこの議論の題目の一つであったろう。この場合この問題につき論ぜられた事は後世の為に幸福であった。
ペテロ起ちて言ふ
註解: 十二使徒の代表としてペテロは何時もの如く先づ口を開くのであった。
『兄弟たちよ、汝らの知るごとく、久しき前に神は、なんぢらの中より[我を]選び、わが口より異邦人に福音の言を聞かせ、之を信ぜしめんとし給へり。
註解: 「久しき前」は10章のコルネリオの回心の事実を指したるものならん。ペテロはヨツパ及びカイザリヤに於ける当時の出来事の始終を回想して、割礼なきコルネリオの救を毫も疑う事が出来なかった。またその事が神の選によりて行われし事は明かであった。
辞解
[久しき前] 「古き日より」。即ちパウロ等が異邦人に伝道する以前より。
[福音] なる語はルカとヨハネの文書中此処と使20:24以外になし。
15章8節 人の心を知りたまふ神は、我らと同じく、彼等にも聖靈を與へて證をなし、[引照]
口語訳 | そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、 |
塚本訳 | また、(人の)心を御存じの神は、(ユダヤ人たる)わたし達と同じく彼ら(異教人)にも、(信仰で救われる)証拠として聖霊を与え、 |
前田訳 | 人の心をご存じの神は異邦人にもわれらにと同じく、聖霊を与えて彼らに証をなさいました。 |
新共同 | 人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。 |
NIV | God, who knows the heart, showed that he accepted them by giving the Holy Spirit to them, just as he did to us. |
註解: ペテロは先づ神が如何様に異邦人を取り扱い給うかにつき語っている、人の救われるは人が如何に自己を評価するかに由るのではなく、神の判断によるからである。神は第一に異邦人にもユダヤ人の信者と同一の聖霊を与え給うた(使10:44-47)。この事は神がこの両者を同一視し給う証拠である。神の同一視し給うものを人が区別してはならない。
辞解
[人の心を知りたまう神] 即ち人の外面を見給わざる神である、ゆえに割礼の有無の如きは問題とならない事を暗示す。
15章9節 かつ信仰によりて彼らの心をきよめ、我らと彼らとの間に隔を置き給はざりき。[引照]
口語訳 | また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。 |
塚本訳 | 信仰によって彼らの心を清めて、わたし達と彼らとの間になんの差別をもつけられなかった。 |
前田訳 | そして信仰によって彼らの心を清めて、われらと彼らとの間に、何の差別もおつけになりませんでした。 |
新共同 | また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。 |
NIV | He made no distinction between us and them, for he purified their hearts by faith. |
註解: 神は割礼なる外部的手術によりて肉体を潔むる事よりも遙に高く深き処に於て、信仰によりて異邦人の心を潔め給うた。この点に於てユダヤ人の基督者と同一のものたらしめ給うた以上、外部的形式までも同一ならしむる必要は無いではないか、信仰とは我らが我らの心を潔める事ではなく、キリストの潔き心を我らの心に受けることである。
15章10節 然るに何ぞ神を試みて、弟子たちの頸に我らの先祖も我らも負ひ能はざりし軛をかけんとするか。[引照]
口語訳 | しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。 |
塚本訳 | だからあなた達が、わたし達の先祖にもわたし達にも負いきれない(重い)軛を(異教人の主の)弟子たちの首にかけるのは、(信仰だけでよいと示される)神を試すことである。なぜそんなことをするのか。 |
前田訳 | それなのに、なぜ弟子たちのえりもとに軛をかけて神を試みるのですか。その軛はわれらの先祖もわれら自身も負いきれなかったではありませんか。 |
新共同 | それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。 |
NIV | Now then, why do you try to test God by putting on the necks of the disciples a yoke that neither we nor our fathers have been able to bear? |
註解: 神の欲し給う以外の事までも人間が要求する事は明かに神を軽蔑した事であり、神を試みてその怒を招く事である。割礼を受くる事、従ってモーセの律法を凡て守る事は、ユダヤ人自身すら不可能な事であった。況んや異邦人をや。これは負い得ざる軛である。
15章11節 然らず、我らの救はるるも彼らと均しく主イエスの恩惠に由ることを我らは信ず』[引照]
口語訳 | 確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。 |
塚本訳 | わたし達は信ずる、主イエスの恩恵(だけ)でわたし達は救われる。彼らも同様である。」 |
前田訳 | むしろ主イエスの恩恵でわれらは救われ、彼らも同様であると信じます」と。 |
新共同 | わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」 |
NIV | No! We believe it is through the grace of our Lord Jesus that we are saved, just as they are." |
註解: パウロの思想と全く同一である。ロマ3:24。ロマ5:15。エペ2:5、エペ2:8。▲割礼さえも思い切って不要と主張した使徒たちが、洗礼をこれに代えることは思いもよらないことである。
辞解
[彼ら] 異邦人を指す、先祖たち(C1)にあらず。
要義 [ペテロの信仰的立場]律法の行為によらず神の恩恵のみによりて救われる事の信仰をペテロは如何にして把握したかはパウロの場合の如くに明白ではないけれども、罪人たる事の意識の強かった彼として(ルカ5:8。マタ26:75)、またイエスの恩恵の豊さを充分に体験した彼としては、彼の救いの理由をイエスの恩恵以外に見出すことは出来なかったに相違ない。またコルネリオの場合においても、不思議なる恩恵が彼らの間に働いたのであることをペテロは信じたに相違ない。ただ、パウロのごとき律法を完全に守らんとする苦闘がペテロには無かった結果、時々律法主義に転落せんとする場合があったことは注意すべき点である(ガラ2:11、12)。
5-2-3 ヤコブの弁明
15:12 - 15:21
15章12節 爰に會衆みな默して、バルナバとパウロとの己等によりて神が異邦人のうちに爲し給ひし多くの徴と不思議とを述ぶるを聽く。[引照]
口語訳 | すると、全会衆は黙ってしまった。それから、バルナバとパウロとが、彼らをとおして異邦人の間に神が行われた数々のしるしと奇跡のことを、説明するのを聞いた。 |
塚本訳 | すると会衆一同が黙った。そしてバルナバとパウロとが、自分たちをもって神がどんな徴や不思議なことを異教人の間で行われたかを話してきかせるのを、(静かに)聞いていた。 |
前田訳 | 全会衆は沈黙した。そしてバルナバとパウロとが、自分たちを通して神が徴と不思議とを異邦人の間になさったことを話すのを聞いていた。 |
新共同 | すると全会衆は静かになり、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた。 |
NIV | The whole assembly became silent as they listened to Barnabas and Paul telling about the miraculous signs and wonders God had done among the Gentiles through them. |
註解: ペテロの一言によりて会衆は皆黙し静に異邦伝道の際に於ける神の御業に就て聴いた。蓋し真理を真に把握する者は小数であり、また極端にこれに反対する者も同様に小数であり、多数は主なる指導者に従うを常とするからである。
辞解
バルナバを第一に置きしは、エルサレムの教会に於ける一般の観念に従えるものである。
15章13節 彼らの語り終へし後、ヤコブ答へて言ふ[引照]
口語訳 | ふたりが語り終えた後、ヤコブはそれに応じて述べた、「兄弟たちよ、わたしの意見を聞いていただきたい。 |
塚本訳 | 二人の話が終った後、(主の兄弟の)ヤコブが発言した。 |
前田訳 | 彼らが話しおえると、ヤコブがいった、「兄弟方、お聞きください。 |
新共同 | 二人が話を終えると、ヤコブが答えた。「兄弟たち、聞いてください。 |
NIV | When they finished, James spoke up: "Brothers, listen to me. |
註解: このヤコブは十二使徒の一人なるアルパヨの子ヤコブ(C1)ではなく、主の兄弟ヤコブであると見るべきである(使1:14。ガラ1:19。ガラ2:9、ガラ2:12。ヤコ緒言参照)。
『兄弟たちよ、我に聽け、
15章14節 シメオン既に神の初めて異邦人を顧み、その中より御名を負ふべき民を取り給ひしことを述べしが、[引照]
口語訳 | 神が初めに異邦人たちを顧みて、その中から御名を負う民を選び出された次第は、シメオンがすでに説明した。 |
塚本訳 | 「兄弟の方々、聞いてもらいたい。シメオン[ペテロ]は(集会が出来た)始めに、神がいかに御心にかけて、異教人のうちから御自分のために一つの民を得られたかを話してくれたが、 |
前田訳 | シメオンが説明しましたように、初めに神はみ心を配って、異邦人の間からひとつの民をおん自らの名へとお迎えでした。 |
新共同 | 神が初めに心を配られ、異邦人の中から御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。 |
NIV | Simon has described to us how God at first showed his concern by taking from the Gentiles a people for himself. |
註解: シメオンはシモンのヘブル語、シメオンの演説は神が異邦人中より神の民を取り給う事であって「著しき逆説」(B1)である。ユダヤ人に取りて是ほど意外な事はない。併し是は実は聖書に預言せられている事実であって信ずべき事柄であるとヤコブは言う。
辞解
[御名を負うべき] 「御名に」であって「彼自身に」と言うに同じ。
15章15節 預言者たちの言も、これと合へり。[引照]
口語訳 | 預言者たちの言葉も、それと一致している。すなわち、こう書いてある、 |
塚本訳 | 預言者たちの言葉はそれと一致している。(ある所に)こう書いてある。 |
前田訳 | 預言者のことばはこれと合っています。それにはこう書かれています、 |
新共同 | 預言者たちの言ったことも、これと一致しています。次のように書いてあるとおりです。 |
NIV | The words of the prophets are in agreement with this, as it is written: |
註解: 次節以下はアモス書よりの引用であるが、他の預言者もこの点に於て一致している。
15章16節 録して、「こののち我かへりて、倒れたるダビデの幕屋を再び造り、その頽れし所を再び造り、而して之を立てん。[引照]
口語訳 | 『その後、わたしは帰ってきて、倒れたダビデの幕屋を建てかえ、くずれた箇所を修理し、それを立て直そう。 |
塚本訳 | “そのあとで[最後の日に]わたしは(イスラエルの民を)顧みて”“倒れたダビデの幕屋[王国]を建てなおす、その崩れた所を建てなおして幕屋を再建する、 |
前田訳 | 『その後わたしは立ち帰って、倒れたダビデの幕屋を建てなおす。そのこわれたところを建てなおして幕屋をもとどおりにする。 |
新共同 | 『「その後、わたしは戻って来て、/倒れたダビデの幕屋を建て直す。その破壊された所を建て直して、/元どおりにする。 |
NIV | "`After this I will return and rebuild David's fallen tent. Its ruins I will rebuild, and I will restore it, |
註解: 16、17節はアモ9:11、12の引用でヘブル原典とも七十人訳とも多少異っている。大意を自由に翻訳したのであろう。ダビデの幕屋即ち神の支配し給うダビデの王国は当時荒廃に帰していた。併し乍ら「こののち」(原文「其日には」)即ち、メシヤの来臨の日には、それが再建せられるであろう。換言すればキリストの来臨により、ダビデの王国は霊的意義に於て再建せられるであろう。ヤコブはアモスのこの預言を斯く解した。
辞解
[かえりて] anastrephô はヘブル原典、七十人訳にはなし。
[これを立てん] 「再びこれを立てん」と訳すべきで、かくしてこの一節に「再び」ara が四回繰返されている。壊滅に帰せるダビデ王国の民に取りて大なる希望である。
15章17節 これ殘餘の人々、主を尋ね求め、凡て我が名をもて稱へらるる異邦人もまた然せん爲なり。[引照]
口語訳 | 残っている人々も、わたしの名を唱えているすべての異邦人も、主を尋ね求めるようになるためである。 |
塚本訳 | これは残りの人々、すなわちわたしの名をもって呼ばれるすべての異教人にも、主をさがし出させるためである。このことをされる主はこう言われる、 |
前田訳 | それは残りの人々と、わが名で呼ばれるすべての異邦人が、主を求めるためである。このことをなさる主はこういわれる。 |
新共同 | -18節 それは、人々のうちの残った者や、/わたしの名で呼ばれる異邦人が皆、/主を求めるようになるためだ。」昔から知らされていたことを行う主は、/こう言われる。』 |
NIV | that the remnant of men may seek the Lord, and all the Gentiles who bear my name, says the Lord, who does these things' |
註解: 回復せられしダビデの王国の民たるものはイスラエルの残れる者及び異邦人の中の信仰を持つものを指す(ロマ9:27。ゼカ14:16)。而してこの預言はイエスの来臨によりて成就した。即ちこれによりてイスラエルと異邦人との完全なる一致が成就した訳である。
辞解
[残余の人々] ヘブル語原典は「エドムの遺余者」とあり、このエドムを七十人訳が誤ってアダムと読みたるもの。
[尋ね求め] ヘブル語「獲ん」を誤訳されたもの、ヤコブはヘブル語を以てこの節を引用したものかも知れないけれどもルカは七十人訳を用いて一層この目的に適切である事を認めた。
[我が名をもて称えられる] 「神の民」と云われる事。
15章18節 古へより此等のことを知らしめ給ふ主、これを言ひ給ふ」とあるが如し。[引照]
口語訳 | 世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、こう仰せになった』。 |
塚本訳 | “遠い昔から知っておられて。” |
前田訳 | いにしえから主はこれを知りたもう』。 |
新共同 | |
NIV | that have been known for ages. |
註解: この一節はイザ45:21より引用してここに附加えたもので、異邦人の救が神の永遠の経綸の中にある事を示している。当時の聖書引用法の自由さを示す
15章19節 之によりて我は判斷す、異邦人の中より神に歸依する人を煩はすべきにあらず。[引照]
口語訳 | そこで、わたしの意見では、異邦人の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。 |
塚本訳 | (このように、主は世の初めから、最後の日の御国に異教人を招こうとしておられるのである。)だからわたしはこういう意見である。異教人の中から(われわれの)神に転ずる人たちを、(面倒なモーセ律法で)困らせてはならない。 |
前田訳 | それゆえわたしは、異邦人の中から神に向かう人々を悩ましてはならないと考えます。 |
新共同 | それで、わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。 |
NIV | "It is my judgment, therefore, that we should not make it difficult for the Gentiles who are turning to God. |
註解: モーセの律法の下にあらざる異邦人も神の御名を以て呼ばれるに至る事は前節の如く聖書に預言される処であって神の御意である故、彼らにモーセの律法を無理強いをなすべきではない。この点に於てヤコブもペテロ、パウロと意見を同うしていた。
辞解
[煩わす] 身動きが出来ない様にする事。
15章20節 ただ書き贈りて、偶像に穢されたる物と淫行と絞殺したる物と血とを避けしむべし。[引照]
口語訳 | ただ、偶像に供えて汚れた物と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい。 |
塚本訳 | ただ偶像に(供えて)穢された物と、(近親との)不品行と、締め殺した動物(を食べること)と、血とを避けるべきであると書き送ったがよかろう。 |
前田訳 | ただ、偶像に汚されたものと、不品行と、絞め殺した生きものと血とを避けるよう書き送るべきです。 |
新共同 | ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。 |
NIV | Instead we should write to them, telling them to abstain from food polluted by idols, from sexual immorality, from the meat of strangled animals and from blood. |
註解: ヤコブはここに四つの注意事項を提出した。是等はいずれもユダヤ人が非常に忌み嫌っているに反し、異邦人は平気で行っていた事柄であった。もし異邦人基督者が是等を行うならば、たとい救の問題に関係なしとしても、これがユダヤ人の基督者を躓かせ、両者の間に不和を来す。それゆえに、是等の点に於て異邦人基督者が自制する事は、この場合必要であると云うのである。この程度の事は異邦人基督者に重荷とならず、また他方この会議に於て、ユダヤ的基督者の側が全敗に帰し、踏みにじられた如き結果を来さぬようにとの政策的配慮も有ったものと思はれる。尚淫行以外の事柄につきてはパウロはこれを異邦人に強要せず自由問題として取扱う様になった(ロマ14章)、時代の推移による。また淫行を他の比較的軽微なる事柄と同列に置きし所以は、当時の異邦の世界はこれを格別の罪と見なかったからであると共に、これを除く場合、他の諸点は益々その重要さを失うからであろう。
辞解
[偶像に穢されたる物] 29節には「偶像に献げたるもの」とあり、犠牲の肉はその偶像によりて穢され、これを食する者はその穢を受くるものと考えられた(出34:15)。尚おTコリ8:1-13。Tコリ10:23-33にはパウロのこれに関する更に進んだ意見が示されている。
[淫行] 姦淫と異る、一般の放佚なる性的行為を云う。当時の世界に於ては、これ等は咎なしに行われた。これを種々特別の意味 -- 例えば蓄妾(C1)、近親結婚(L1)、多妻主義、祭礼日の淫行等 -- に取る必要はない。
[絞殺したる物] 血が身体内に止るゆえに血を食う事を嫌えるユダヤ人は当然絞殺したる物をも忌んだ。尚S2によれば、「絞殺したる物」はレビ17:15の「自ら死たる物また裂ころされし物」を指すとなし、是等は血が流出せざる故生命が体内に窒息し(即ち絞殺され)ていると解す。
[血] 生命を表はすものとしてこれを食う事を禁じていた。レビ3:17。レビ7:26以下。レビ17:10-14。申12:16、申12:23。
15章21節 昔より、いづれの町にもモーセを宣ぶる者ありて安息日毎に諸會堂にて、その書を讀めばなり』[引照]
口語訳 | 古い時代から、どの町にもモーセの律法を宣べ伝える者がいて、安息日ごとにそれを諸会堂で朗読するならわしであるから」。 |
塚本訳 | なぜならば、モーセ(律法)は古い時代から町ごとにこれを説く者たちがあって、安息日のたびごとに礼拝堂で朗読されているからである。」 |
前田訳 | それは、モーセには、昔から町ごとにその律法をのべ伝える人々があって、安息日ごとに会堂で朗読されているからです」と。 |
新共同 | モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです。」 |
NIV | For Moses has been preached in every city from the earliest times and is read in the synagogues on every Sabbath." |
註解: 前節の主張の止むを得ざる理由は、異邦人の居る処、殆んど何処にもユダヤ人が居り、安息日毎にモーセの書を読みその律法を守っている故、是等の人々の躓とならない様にする為である。即ちパウロのいわゆる愛のゆえに、自己の自由を制御する事を要求したのである。(Tコリ8:13。Tコリ10:32、33)。
5-2-4 決議と公文書
15:22 - 15:29
15章22節 爰に使徒・長老たち及び全教會は、その中より人を選びてパウロ、バルナバと共にアンテオケに送ることを可しとせり。選ばれたるは、バルサバと稱ふるユダとシラスとにて、兄弟たちの中の重立ちたる者なり。[引照]
口語訳 | そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。 |
塚本訳 | そこで、使徒と長老とは集会全体と共に、自分たちのうちから人を選んで、パウロ、バルナバと一緒に、アンテオケに派遣することに決した。そして兄弟たちの間で重んじられていた二人、バルサバと言われたユダとシラスとが選ばれ、 |
前田訳 | そこで使徒と長老たちは全集まりとともに、彼らから人を選んで、パウロ、バルナバとともにアンテオケに送ることを決めた。それはバルサバと呼ばれるユダとシラスとで、兄弟たちの中の指導的な人々であった。 |
新共同 | そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。 |
NIV | Then the apostles and elders, with the whole church, decided to choose some of their own men and send them to Antioch with Paul and Barnabas. They chose Judas (called Barsabbas) and Silas, two men who were leaders among the brothers. |
註解: 前節まで記されし如き会議の状況及び結論をアンテオケの教会に伝える為にはパウロとバルナバだけでは不適当と考えられたのでエルサレムよりも人を遣す事となった。是は非常に適当なる処置であった。一方的証言は往々にして相手方の信頼を得兼ねるからである。
辞解
[ユダ・バルサバ] につきては他に録されず、使1:23のバルサバの兄弟たらんとの想像説あり。
[シラス] ラテン名シルワノで其後パウロと共に伝道旅行に赴き、共に苦難をうけ(使15:40。使16:19-29。使17:4、使17:10、使17:14。使18:5)、またペテロと共にも伝道していた(Tペテ5:12)。
15章23節 之に托したる書にいふ『使徒および長老たる兄弟ら、[引照]
口語訳 | この人たちに託された書面はこうである。「あなたがたの兄弟である使徒および長老たちから、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟がたに、あいさつを送る。 |
塚本訳 | こう書いて彼らに託された。「あなた達の兄弟である使徒と長老とから、アンテオケをはじめシリヤとキリキヤとにある異教人出の兄弟たちに敬意を表する。 |
前田訳 | 彼らの筆による手紙が託された、「使徒と長老とはアンテオケ、シリア、キリキアにある異邦人出の兄弟たちにごあいさつします。 |
新共同 | 使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。 |
NIV | With them they sent the following letter: The apostles and elders, your brothers, To the Gentile believers in Antioch, Syria and Cilicia: Greetings. |
註解: 教会をこの中に入れないのはこの書翰の性質を純粋なるものとなさんが為であろう。
アンテオケ、シリヤ、キリキヤに在る異邦人の兄弟たちの平安を祈る。
註解: アンテオケ中心の周囲の教会に宛てられたるもの。
辞解
[平安を祈る] chairein は当時の書翰文の慣用語(使23:26。ヤコ1:1)。
15章24節 我等のうちの或人々われらが命じもせぬに、言をもて汝らを煩はし、汝らの心を亂したりと聞きたれば、[引照]
口語訳 | こちらから行ったある者たちが、わたしたちからの指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、あなたがたの心を乱したと伝え聞いた。 |
塚本訳 | 聞くところによると、当方の者たちが(御地に行き、)われわれの指図なしにいろいろなことを言ってあなた達を騒がせ、あなた達の心を乱したそうであるから、 |
前田訳 | 聞くところによりますと、当方のものたちが、われらから指図されずに、あなた方をことばで騒がせ、あなた方の心を乱したそうですので、 |
新共同 | 聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。 |
NIV | We have heard that some went out from us without our authorization and disturbed you, troubling your minds by what they said. |
註解: これによりて割礼を主張するユダヤ主義の基督者たちの行動は、彼らの勝手な行動であってエルサレムの使徒や長老とは関係なき事を示す。
辞解
[命じもせぬに] 必ずしも全ての事、使徒やエルサレム教会の命によらなければ為されないと云うのではない、パウロの場合を見よ、唯、ユダヤ主義基督者は、これを使徒たちの意見の如くに装った。
[煩はし] tarassô ヨハ14:1の「騒がす」と同じく動揺せしむる事。
[乱す] anaskeuazô 荷造をして掠奪する、都市を荒廃せしむる如き貌、信徒の心を奪い去る事。
15章25節 我ら心を一つにして人を選びて、[引照]
口語訳 | そこで、わたしたちは人々を選んで、愛するバルナバおよびパウロと共に、あなたがたのもとに派遣することに、衆議一決した。 |
塚本訳 | われわれは衆議一決、人を選んで(書面を持たせ、)愛するバルナバとパウロとの供をさせて、あなた達の所に派遣することにした。── |
前田訳 | われらは全会一致、人を選んで愛するバルナバとパウロとともにあなた方につかわすことにしました。 |
新共同 | それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。 |
NIV | So we all agreed to choose some men and send them to you with our dear friends Barnabas and Paul-- |
15章26節 我らの主イエス・キリストの名のために生命を惜まざりし者なる、我らの愛するバルナバ、パウロと共に汝らに遣すことを可しとせり。[引照]
口語訳 | このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々であるが、 |
塚本訳 | この両人は(御承知のように)われわれの主イエス・キリストの御名のために命を捧げている人である。── |
前田訳 | このふたりはわれらの主イエス・キリストのみ名のためにいのちをささげている人です。 |
新共同 | このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。 |
NIV | men who have risked their lives for the name of our Lord Jesus Christ. |
註解: エルサレムの使徒たち及び凡ての教会の意見の一致せる事を書面を以て伝える事、及びバルナバとパウロとを極力推奨せる事は、アンテオケにあるユダヤ主義の基督者に対する最も有効なる反対の意思表示であり、またエルサレムより人を同行せしむるは、この書面の事実を裏書せしめんが為であった
辞解
[キリストの名のために生命を惜まざりし] 基督者としての最大の栄誉である。
15章27節 之によりて我らユダとシラスとを遣す、かれらも口づから此等のことを述べん。[引照]
口語訳 | 彼らと共に、ユダとシラスとを派遣する次第である。この人たちは、あなたがたに、同じ趣旨のことを、口頭でも伝えるであろう。 |
塚本訳 | それでいまユダとシラスとを派遣するが、彼らも口頭で(この書面と)同じことを伝えるであろう。 |
前田訳 | それで、ユダとシラスとをつかわしますが、彼らも直接ことばで(この手紙と)同じことをお伝えするでしょう。 |
新共同 | それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。 |
NIV | Therefore we are sending Judas and Silas to confirm by word of mouth what we are writing. |
辞解
[口づから] 「言葉を以て」。
[此等の事] 「同じ事」
15章28節 聖靈と我らとは左の肝要なるものの他に何をも汝らに負はせぬを可しとするなり。[引照]
口語訳 | すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。 |
塚本訳 | 聖霊とわれわれとは、必要欠くべからざる次のもののほか、それ以上のいかなる重荷をもあなた達に負わせないことに決した。 |
前田訳 | 聖霊とわれらとは、次のぜひ必要なことのほかは、あなた方に何も重荷を負わせないことに決めました。 |
新共同 | 聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。 |
NIV | It seemed good to the Holy Spirit and to us not to burden you with anything beyond the following requirements: |
15章29節 即ち偶像に献げたる物と血と絞殺したる物と淫行とを避くべき事なり、汝等これを愼まば善し。なんぢら健かなれ』[引照]
口語訳 | それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。 |
塚本訳 | すなわち偶像に供えた物と、血と、締め殺した動物(を食べること)と、(近親との)不品行とを避けること。これらのことによって身を汚されずにおれば、よろしい。敬具。」 |
前田訳 | すなわち、偶像に供えたものと、血と、絞め殺した生きものと、不品行とを避けることです。これらから自らを遠ざけていればよいのです。さよなら」と。 |
新共同 | すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」 |
NIV | You are to abstain from food sacrificed to idols, from blood, from the meat of strangled animals and from sexual immorality. You will do well to avoid these things. Farewell. |
註解: 20節註及辞解参照。
辞解
[聖霊と我ら] 彼らは聖霊の導きなしに動かなかった。
[肝要] 「必要」と同じ、但し救の條件として必要なのではなく、その時代に於ける実際上の必要である。
[善し] 「立派な態度である」と云う如き意味で、救われると云う如き意味ではない。
[健かなれ] 書翰の結末の習慣句で「御機嫌よう」とか「健在を祈る」と云う如き意。
要義1 [この四ヶ條の意昧]この四ヶ條は救の条件ではなく、この場合に於けるユダヤ人と異邦人との基督者の間の反目を除かん為に提示せられし、和解条件である。是によって見るも割礼の問題が神学的に提出されたのではなく、ユダヤ人殊にパリサイ派の人々の伝統的精神に執着せる結果であることが判明する。ヤコブがこの四ヶ条を提出して当時の反目を鎮めることは賢明なる処置であった。しかしながらこれは信仰の本質を明らかにする上には何等の貢献をなさなかった。
要義2 [パウロと四ヶ條との関係]パウロは使徒会議が彼の信仰に何ものをも加えなかった事を主張しているのを見ても(ガラ2:6)、この四ヶ條を救の条件として受納れたのでは無かった事は明かである。パウロはこれを以て愛による自己制御の動作と見たのであろう。パウロ自身ユダヤ人にはユダヤ人のごとく、ギリシヤ人にはギリシヤ人のごとくに振舞った。この精神をもって異邦人にも行動せしめ、彼らをしてユダヤ人のごとくにならしめんとしたのであった。なおロマ14:13-23、Tコリ8:12、Tコリ10:32、33参照。
附記 [ガラテヤ書2:1-10との関係]この二者は同一事実の記載であるにも関らず左の如き矛盾を有す。
(1)行伝によれば使徒会議はパウロの回心後第三回目のエルサレム上京であるが、ガラテヤ書によれば第二回目の上京となり、使11:30。使12:25の上京の記事が無い。
(2)行伝によればパウロはバルナバと共にエルサレムに派遣されたのであるけれども(使15:2)、ガラテヤ書によれば、彼は黙示によって上京したのであった(ガラ2:2)。
(3)行伝によれば会議を開いて問題を討議したのであるけれども(使15:6)、ガラテヤ書によればパウロは主なる人々に個人的に説明した(ガラ2:2)。
(4)行伝によればヤコブは四ヶ条の禁止事項を異邦人に書き与えたけれども、ガラテヤ書によれば、パウロは自己の主張を一歩も譲らず、何をもその信仰に加えられなかった(ガラ2:5、6)。
(5)テトスの割礼のこと(ガラ2:3)、貧者を顧みるべき事(ガラ2:10)は行伝の方には録されていない。
このごとくこの二記事は不一致であるけれども、ガラテヤ書はパウロの主観を録し、行伝はルカが客観的に歴史として録したためにこの差異が起こったのであって、(一)使11:30、使12:25の上京は、パウロがガラテヤ書に記載するだけの主観的価値なき上京であったために省略されたのであり、(二)使徒会議にパウロが上京したのは、単に教会に派遣されて機械的に上京しただけではなく同時に聖霊によりて黙示せられしためであり、(三)会議の前にパウロは最も力を盡して大使徒等を個人的に説得したものと考えることによってこの矛盾は解決され、(四)四ヶ条は救いの条件にあらざるがゆえにパウロより見れば彼の信仰に一点の変更を加える必要が無かった訳であり、(五)の事実は行伝に記載する必要なきことであったのであろう、かく解することによりて、この外面的矛盾は返って多くの興味を与え、内面的一致の表示となる。
要義3 [使徒会議の効果]使徒会議の効果が案外微弱であった事は其後の事実がこれを証明する。即ちガラテヤの諸教会に於ては割礼主義が再び台頭してパウロをして憤慨せしめ、またロマ、コリント等の教会に対しては偶像に献げし肉と雖も必ずしも絶対にこれを食う事を禁止しない様になったのを見ても、これを知ることができる。要するに使徒会議はパウロの信仰のみによる救いを否定しなかった点において正しくあり且つ歴史的意義があったけれども、この信仰を積極的に主張することにおいて微力であった。結局この会議は一時の紛争を終焉せしむる政治的効果が有ったに過ぎない。
5-2-5 会議の結果をアンテオケにもたらす
15:30 - 15:35
15章30節 かれら別を告げて[引照]
口語訳 | さて、一行は人々に見送られて、アンテオケに下って行き、会衆を集めて、その書面を手渡した。 |
塚本訳 | さて彼ら(四人)は別れを告げてアンテオケに下り、(集会の全)会衆を集めて手紙を渡した。 |
前田訳 | 彼らは別れを告げてアンテオケに下り、会衆を集めて手紙を渡した。 |
新共同 | さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。 |
NIV | The men were sent off and went down to Antioch, where they gathered the church together and delivered the letter. |
註解: ベザ写本には此間に「数日にして」とあり。
アンテオケに下り、人々を集めて書を付す。
註解: 彼らは急いでこの事件を落着せしめんとした事が知られる。
15章31節 人々これを讀み慰安を得て喜べり。[引照]
口語訳 | 人々はそれを読んで、その勧めの言葉をよろこんだ。 |
塚本訳 | 人々はこれを読み、励ましを得て喜んだ。 |
前田訳 | 人々はそれを読んで、励ましによろこんだ。 |
新共同 | 彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。 |
NIV | The people read it and were glad for its encouraging message. |
註解: 彼らの教えられし信仰が正しくありまた彼らの救が無条件に成立つ事を知ったのは彼らの非常なる慰安であり、喜びに耐えなかった。四ヶ條の附言の如きも彼らに何等の苦痛を与えなかった。
15章32節 ユダもシラスもまた預言者なれば、多くの言をもて兄弟たちを勸めて彼らを堅うし、[引照]
口語訳 | ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。 |
塚本訳 | ユダとシラス自身も預言者であったから、さまざまの話をして兄弟たちを励まし力づけた。 |
前田訳 | ユダとシラスとは、自らも預言者であったので、多くのことばで兄弟たちを励まし強めた。 |
新共同 | ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、 |
NIV | Judas and Silas, who themselves were prophets, said much to encourage and strengthen the brothers. |
註解: ユダ及びシラスは使徒会議の状況報告及び書簡伝達の任務を果した上、更に進んで福音を宣伝して信仰を堅うした。彼らは到る処主イエスを伝えずにいる事が出来なかったのである。彼らもパウロ、バルナバ等と同じく預言者であり神の御旨を語る人々であった。
15章33節 暫く留りてのち、兄弟たちに平安を祝せられ、別を告げて、己らを遣しし者に歸れり。[引照]
口語訳 | ふたりは、しばらくの時を、そこで過ごした後、兄弟たちから、旅の平安を祈られて、見送りを受け、自分らを派遣した人々のところに帰って行った。 |
塚本訳 | 二人は(ここでしばらく)時を過ごしたのち、兄弟たちに(旅路の)平安を祈られて別れを告げ、彼らを派遣した(エルサレムの)人たちの所に帰っていった。 |
前田訳 | ふたりはしばらくとどまってから、兄弟たちに平安を祈られて別れをつげ、彼らをつかわした人々のところへ帰っていった。 |
新共同 | しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣した人々のところへ帰って行った。 |
NIV | After spending some time there, they were sent off by the brothers with the blessing of peace to return to those who had sent them. |
註解: 私訳「平安の中に兄弟たちより別れて己らを遣しし者に帰れり」アンテオケの全教会はこの時平安を得ていて、ユダとシラスはこの有様を見て心に大なる安心を得てエルサレムに帰る事が出来た。雨降って地固まる結果となった。
15章34節 [なし] [引照]
口語訳 | 〔しかし、シラスだけは、引きつづきとどまることにした。〕 |
塚本訳 | |
前田訳 | 〔しかしシラスはそこにとどまることに決め、ユダだけが去った。〕 |
新共同 | (†底本に節が欠落 異本訳)しかし、シラスはそこにとどまることにした。 |
NIV | |
註解: 34節なし。異本に「シラスはそこに留るをよしとせり」とあり、40節にパウロがシラスを伴える記事ある故、これと調和せんが為の後人の追加である。シラスは一旦エルサレムに帰って再びアンテオケに来たものであろう。
15章35節 斯てパウロとバルナバとは尚アンテオケに留りて多くの人とともに主の御言を教へ、かつ宣傳へたり。[引照]
口語訳 | パウロとバルナバとはアンテオケに滞在をつづけて、ほかの多くの人たちと共に、主の言葉を教えかつ宣べ伝えた。 |
塚本訳 | しかしパウロとバルナバとはアンテオケに滞在して、ほかの多くの人たちと共に、主の御言葉を教えまた伝えていた。 |
前田訳 | しかしパウロとバルナバとはアンテオケにとどまり、ほかの多くの人々とともに主のことばを教え、また伝えていた。 |
新共同 | しかし、パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって教え、他の多くの人と一緒に主の言葉の福音を告げ知らせた。 |
NIV | But Paul and Barnabas remained in Antioch, where they and many others taught and preached the word of the Lord. |
註解: この期間は不明である。尚ガラ2:11以下にあるペテロとパウロの争論はこの間に起ったのであろう。ペテロはこの頃アンテオケに下ったものらしい。
5-3 パウロの第二伝道旅行
15:36 - 18:23a5-3-1 出発及びその間際の激論
15:36 - 15:41
註解: 是より18:22までは第二伝道旅行の記事となる。36-39節はその準備中の事件である。
15章36節 數日の後パウロはバルナバに言ふ『いざ、我ら曩に主の御言を傳へし凡ての町にまた往きて兄弟たちを訪ひ、その安否を尋ねん』[引照]
口語訳 | 幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか」。 |
塚本訳 | 数日の後、パウロはバルナバに言った、「さあ、もう一度行って、前に主の御言葉を伝えておいたすべての町の兄弟たちがどうしているか、見てこようではないか。」 |
前田訳 | 数日ののち、パウロはバルナバにいった、「また出かけて、前に主のことばを伝えたすべての町の兄弟たちがどうしているか、見て来ましょう」と。 |
新共同 | 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」 |
NIV | Some time later Paul said to Barnabas, "Let us go back and visit the brothers in all the towns where we preached the word of the Lord and see how they are doing." |
註解: 信者の信仰状態は決して常に確固不動ではあり得ない。ゆえに伝道者は常にその信者の信仰状態に配慮する事が必要である。
辞解
[そやの安否を尋ねん] は訳語不適当である、「その情態如何を視ん」と訳すべきである。
[数日の後] 若干日の後の事。
15章37節 バルナバはマルコと稱ふるヨハネを伴はんと望み、[引照]
口語訳 | そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。 |
塚本訳 | ところで、バルナバは(今度も)マルコというヨハネを連れてゆこうと思ったのに、 |
前田訳 | それで、バルナバはマルコと呼ばれるヨハネも連れてゆくつもりであった。 |
新共同 | バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。 |
NIV | Barnabas wanted to take John, also called Mark, with them, |
15章38節 パウロは彼が曾てパンフリヤより離れ去りて勤勞のために共に往かざりしをもて伴ふは宣しからずと思ひ、[引照]
口語訳 | しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。 |
塚本訳 | パウロは、(前の旅行の時)パンフリヤから自分たちを離れて、一緒に仕事に行かなかったような者を、連れてゆくべきでないと頑張った。 |
前田訳 | しかしパウロは、パンフリアから自分たちを離れて、いっしょに仕事に行かなかったものを連れてゆかないことを主張した。 |
新共同 | しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。 |
NIV | but Paul did not think it wise to take him, because he had deserted them in Pamphylia and had not continued with them in the work. |
註解: マルコに就ては使12:12の註及び使13:13註を見よ。マルコが第一伝道旅行に於て途中より離れ去った事は、理由は不明であるけれども、何れにしても伝道上またパウロ等の心理上の打撃は大きかった。この一事実に対してパウロの峻厳なる性格とバルナバの寛大なる性格との間に判断の差異を生じたのであった。自己の利害に関する限り寛容は美徳である、併し乍ら公の問題に関する場合善悪邪正は明確になされなければならない。この点に於てパウロのバルナバに優れる所以が明かになった。
15章39節 激しき爭論となりて遂に二人相別れ、バルナバはマルコを伴ひ、舟にてクプロに渡り、[引照]
口語訳 | こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、 |
塚本訳 | それで烈しい仲違いになり、そのため二人は別れ別れになって、バルナバはマルコを連れ、(前回と同じく郷里)クプロへ船で出発した。 |
前田訳 | そこで不和がおこって互いが別れ、バルナバはマルコを連れてキプロスヘ船旅した。 |
新共同 | そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、 |
NIV | They had such a sharp disagreement that they parted company. Barnabas took Mark and sailed for Cyprus, |
註解: 是まで共同していたものが別れる事は人情的にも悲しい事である、然のみならずこの争論は従来世話になったバルナバに対する争であり、また一度は彼らを離れたけれども再び帰り来れるマルコに関する事であり、またマルコの母は使徒たちの庇護者であった点(使12:12)等より考えてパウロがあまりに厳に過ぐとの批難を為す者があるけれども、私情と公職との区別を正しく保持した事はパウロの方が正しかった。この時以後パウロの伝道が栄え、バルナバの働きが鈍った事がこの事を証拠立てる。バルナバがクプロに渡ったのはその故郷であって知人が多いからであろう。
15章40節 パウロはシラスを選び、[引照]
口語訳 | パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 |
塚本訳 | パウロはパウロでシラスを選び、兄弟たちから主の恩恵にゆだねられて出発し、 |
前田訳 | パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恩恵にゆだねられて出発し、 |
新共同 | 一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 |
NIV | but Paul chose Silas and left, commended by the brothers to the grace of the Lord. |
註解: エルサレムに帰ったシラスは(33節)再びアンテオケ来たものと見なければならない。
兄弟たちより主の恩惠に委ねられて出で立ち、
註解: バルナバの場合に兄弟たちが如何なる態度を取ったかは録されて居ない。これを以て直ちに彼に対して冷淡な態度を取ったもの(C1)と判断する事は、ルカの立場より見て正当ではないけれども、少くともパウロに対して好意を持った事は事実であった。
15章41節 シリヤ、キリキヤを經て諸教會を堅うせり。[引照]
口語訳 | そしてパウロは、シリヤ、キリキヤの地方をとおって、諸教会を力づけた。 |
塚本訳 | シリヤ、キリキヤを通りながら、あちこちの集会を力づけた。 |
前田訳 | シリア、キリキアを通って集まりを強めた。 |
新共同 | そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。 |
NIV | He went through Syria and Cilicia, strengthening the churches. |
註解: パウロもまた己が故郷に向って出発した、是が第二伝道旅行の出発点である。
要義 [パウロとバルナバの争]「主の僕は争うべからず」(Uテモ2:24)。寛容は聖霊の結ぶ果実である(ガラ5:22)。併し乍ら事苟も公けの事柄に関する限り正邪曲直を不明に付すべきでなく、従って争は時に止むを得ない。パウロのバルナバに対する争はかくして止むを得ざるに出たのであった。従ってパウロはバルナバ及びマルコに対して、基督者として、また個人的関係に於て最後に親密さを回復していた事は、Tコリ9:6。コロ4:10。Uテモ4:11等よりこれを知る事が出来る。▲割礼問題についての争い、パウロとバルナバの争い等、初代教会にも幾多の難問題があった。その解決に関しても種々の不満もあったことと思う。ただそのすべてが聖霊に由って導かれて適当の線に決着したことは神の力によったものであった。