ヘブル書第8章
分類
1 教理の部 1:1 - 10:18
1-5 新約の大祭司の優越 8:1 - 10:18
1-5-イ 天における真の幕屋 8:1 - 8:5
註解: 以上において主としてキリストをその大祭司たる人格的方面より見てアロン(4:14−5:10)およびメルキゼデク(7:1−25)と比較せる後本章においては大祭司としてのキリストをその職務の方面より見、旧約の大祭司に比して新約の大祭司の優れる所以を明らかにしている。
8章1節
口語訳 | 以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、 |
塚本訳 | しかし(ここに言う)要点はこうである。わたし達にはこんな大祭司があって、天で(神の)御稜威の御座の“右に坐っておられ”、 |
前田訳 | ここでいわれたことの要点はこうです。われらはこのような大祭司を持ち、彼は天で大能者の右に座し、 |
新共同 | 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、 |
NIV | The point of what we are saying is this: We do have such a high priest, who sat down at the right hand of the throne of the Majesty in heaven, |
註解: 今現に論じつつあることの主要点は次に述ぶるごとき神の右に坐し給う大祭司があるという点である。この中心点を見失ってはならない。
8章2節
口語訳 | 人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。 |
塚本訳 | 聖所、すなわち人間でなく、“主が建てられた”本当の“幕屋の”奉仕者である、ということである。 |
前田訳 | 人間がでなく、主がお設けの真の幕屋である聖所でお仕えです。 |
新共同 | 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。 |
NIV | and who serves in the sanctuary, the true tabernacle set up by the Lord, not by man. |
註解: 人間の大祭司は神殿の至聖所においてまたイスラエルの幕屋においてそこを神の住居として神に仕えた。然るにキリストは甦りて天に昇り給い稜威 の御座即ち神の御座の右に坐し給い、天をその聖所となし、神の設け給える天の幕屋にて神に仕え給う。地上におけるイスラエルの神殿や幕屋はキリストやがて入り給うべき天の至聖所の型であった。この天の幕屋に入り給える大祭司を持つ者はもはや地上の大祭司を必要としない。
辞解
[事 へ給ふ] 直訳「仕え人として」で、「仕え人」 leitourgos は「公職に在る者」「僕」等の意味があるけれども多くの場合「犠牲を献ぐる祭司」の意味に用いられ、この場合もこの意味に解すべきである。
8章3節 おおよそ
口語訳 | おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。 |
塚本訳 | いったいすべての大祭司が任命されるのは、供物や犠牲を捧げるためである。それゆえ(今言った)イエスもまた、何か捧げるべきものが必要である。 |
前田訳 | すべて大祭司は供え物といけにえをささげるために立てられます。それゆえ、この大祭司もまた何かささげるべきものを持たねばなりません。 |
新共同 | すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。 |
NIV | Every high priest is appointed to offer both gifts and sacrifices, and so it was necessary for this one also to have something to offer. |
註解: 神の幕屋にて大祭司が神に仕うる方法は供物と犠牲とを献ぐることである。従ってキリストもまた同様に献ぐべき何物かを持ち給う必要があった、そしてそれは彼自身の体であった(ヘブ7:27)。
8章4節
口語訳 | そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物をささげる祭司たちが、現にいるのだから、彼は祭司ではあり得なかったであろう。 |
塚本訳 | それで、もし彼が地上におられたならば、祭司ではあり得ないはずである、(ここにはすでに)律法によって供物を捧げる(レビの)祭司たちがいたのであるから。 |
前田訳 | さて、もし彼が地上においででしたら、祭司ではなかったでしょう。律法に従って供え物をささげる祭司たちがあるからです。 |
新共同 | もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。 |
NIV | If he were on earth, he would not be a priest, for there are already men who offer the gifts prescribed by the law. |
註解: 前節のごとくキリストも献ぐべきものを持ち給うとすればそれは天においてかまたは地においてかの何れかでなければならぬ。そしてそれは地においてであり得ない。何となれば地にはすでにレビ族の祭司があって、イエスはレビ族に属し給わないからである。ゆえにそれは天においてである。
8章5節
口語訳 | 彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。 |
塚本訳 | 彼らは天上のことの模型と影とに奉仕しているのである、モーセが幕屋を建てようと(計画)したときお告を受けたとおりである。いわく、“心して、すべてのものを、山であなたに示された型をまねて造れ”と。 |
前田訳 | 彼らは天的な聖所のひな形と影に仕えているだけです。それは幕屋を立てようとしたモーセがお告げを受けたとおりです。それは、「気をつけて、すべてを山で示された型どおりに作れ」でした。 |
新共同 | この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。 |
NIV | They serve at a sanctuary that is a copy and shadow of what is in heaven. This is why Moses was warned when he was about to build the tabernacle: "See to it that you make everything according to the pattern shown you on the mountain." |
註解: レビの族が律法に循 って供物と犠牲とを献げることは、天にある真の聖所において己を神にささげるのではなく、その複写また影に過ぎざる地上の聖所、すなわち幕屋において犠牲たる動物を捧げているのである。真のものは地上にあらずして天にある。
辞解
[型] hupodeigma は実物の複写またはその輪郭のスケッチをいう。タイプtuposと異なる。
モーセが
註解: モーセはシナイの山において幕屋の模型 tupos (Tコリ10:13註ならびに要義参照)を幻に見ることができた(その原物 archetupos は天にあり)。この型に従ってこれを模写したのがイスラエルの幕屋であった(出25:40。使7:44)、ただし天にある原物が幕屋のごとき形を為しこれに多くの器具があると考える必要はない。モーセの示されし型は人間の理解力に応じて与えられし神の黙示であった。イエスによりて我らは始めて天の幕屋の真の姿を考えることができる。
8章6節 されどキリストは
口語訳 | ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。 |
塚本訳 | しかし今イエスは(天上の祭司となり、レビ)より秀でた祭司の務を受けられた。彼は(レビの場合に)まさる約束に基いて制定された、まさる契約の仲介者であるからである。 |
前田訳 | しかしイエスはよりすぐれた務めを得られたのです。それはよりよい約束によって定められたよりよい契約の仲保者とおなりだからです。 |
新共同 | しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。 |
NIV | But the ministry Jesus has received is as superior to theirs as the covenant of which he is mediator is superior to the old one, and it is founded on better promises. |
註解: (▲天的の約束、天的の仲保、天的の職 ─ これがイエスのものであり、新しい契約として旧い契約と対立する。)3−5節に旧約の祭司職および祭事とキリストのそれとを比較したる後ここに2節に遡りてキリストが一層優越なる天における祭職を受け給える所以を説明している。すなわちモーセが旧約の仲保 (ガラ3:19)であったごとくキリストは新約の仲保 (ヘブ9:15。ヘブ12:24)に在して神と民との間に新たなる関係を造るべき位置に立ち給うた。そしてこの新しき契約は勝れる契約であって(ヘブ7:20−22)キリストの十字架の死によりて立てられしものであり(Tコリ11:25。マタ26:28)「更に勝れる約束」すなわち8節以下に記される処によりて定められし契約であった。すなわちその約束も、これより生ぜし契約も、これによりて受けし祭職も凡てキリストにおいて截然 たる優越があった。
辞解
[立てられし] nenomothetêtai は「律法を与えられし」の意味で、旧約が律法として与えられしごとく新約も新しき律法として与えられし意味を表わしている(10節)。
[中保 ] 両当事者(神と人)との間に立ちてその関係を定めこれを保証する人。
8章7節 かつ
口語訳 | もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。 |
塚本訳 | なぜなら、もしかのシナイの最初の契約に非難すべきところがなかったなら、第二の(イエスによる)契約が要求される余地はなかったはずである。(しかしついに、新しい契約が要求された。) |
前田訳 | もしあの第一の契約に落度がなかったならば、その代わりに第二のを求める必要はなかったでしょう。 |
新共同 | もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。 |
NIV | For if there had been nothing wrong with that first covenant, no place would have been sought for another. |
註解: ヘブ7:11に述べしごとくレビの系なる祭司が不完全であったがために新たなる祭司の起る必要があった。これと同様に旧約が不完全で欠点があるがために新約が起る必要があったのである。その欠点をば8節以下にエレ31:31−34を引用してこれを示し、これによりて新約もすでに旧約の中にその起源を有していることを明らかにしている。本節後半を直訳すれば「第二の契約のために場所は求められざりしならん」となる。すなわち第一の契約が完全であるならば第二の契約が入るべき場所がない。
辞解
[虧 くる所なく] amemptos は「非難すべき点なき」ことを意味し次節の「咎めて」 memphomai すなわち「非難して」に対立している。
口語訳 | ところが、神は彼らを責めて言われた、「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る。 |
塚本訳 | なぜか。神が彼ら(イスラエル人を)非難して、こう言われたからである。“「見よ、日が来れば」と主は言われる、「(その時)イスラエルの家に対し、またユダの家に対して、新しい契約をするであろう。 |
前田訳 | 彼らを責めていわれています、「主はのたもう、『見よ、イスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る』と。 |
新共同 | 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、/新しい契約を結ぶ時が来る』と、/主は言われる。 |
NIV | But God found fault with the people and said : "The time is coming, declares the Lord, when I will make a new covenant with the house of Israel and with the house of Judah. |
註解: 預言者の口を通して神語り給う。「彼ら」はイスラエルを指す。
『
註解: これより12節の終りまではエレ31:31−34(七十人訳38:31−34)の引用で8、9節はその新しき契約(すなわち新約)を与えんとの約束の消極的反面を述べている。すでにエレミヤの時代から旧約は廃せられ新約がこれに代るべきことが約束せられているのであって決して突然の出顕ではない。
辞解
[設くる] sunteleô は「全うする」「完成する」の意。
8章9節 この
口語訳 | それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。 |
塚本訳 | それはわたしが彼らの先祖たちの手を取り、エジプトの地から引出した時に、彼らとした契約と同じではない。彼らはわたしの契約に留まらなかったので、わたしも彼らを構わなかった」と主は言われる。 |
前田訳 | 『それはわたしが彼らの父祖たちの手をとってエジプトの地から導き出した日に、彼らとなした契約にはよらない。彼らはわが契約の中にとどまらず、わたしも彼らを顧みなかった』と主はのたもう。 |
新共同 | 『それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、/エジプトの地から導き出した日に、/彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、/わたしも彼らを顧みなかった』と、/主は言われる。 |
NIV | It will not be like the covenant I made with their forefathers when I took them by the hand to lead them out of Egypt, because they did not remain faithful to my covenant, and I turned away from them, declares the Lord. |
註解: 前節に約束せられし新たなる契約は神がイスラエルをエジプトより導き出しシナイの山においてモーセを仲保 として立て給いし旧約と同種のものではなく、全く特別なる契約である。この旧き契約はイスラエルの不従順によりてその目的を達しなかった(ヘブ7:11。ヘブ8:7)。その結果神も彼らを放置し給うた。イスラエルが経てきた不信と苦難の歴史はこの事実を物語っている。本節において神と人との関係をばまず人これを破って神これを罰し給い10節において神まずこれを恢復し給うて人これに従えることに注意せよ(Tヨハ4:10)。
8章10節 「されば、かの
口語訳 | わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。 |
塚本訳 | 「これこそわたしがイスラエルの家と結ぶ契約である、かの日の後に」と主は言われる、「わたしは彼らの悟りにわたしの律法を与え、彼らの心にそれを書きしるすであろう。わたしは彼らの神になり、彼らがわたしの民になるであろう。 |
前田訳 | 『かの日の後にわたしがイスラエルの家に置こうとする契約はこれである』と主はのたもう。『わたしは彼らの思いにわが律法を与え、彼らの心にそれを書こう。そしてわたしは彼らの神となり、彼らはわが民となろう。 |
新共同 | 『それらの日の後、わたしが/イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、/主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、/彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となる。 |
NIV | This is the covenant I will make with the house of Israel after that time, declares the Lord. I will put my laws in their minds and write them on their hearts. I will be their God, and they will be my people. |
註解: 新約の特徴がここに10−12節に四つの点より記されている。その第一は信仰の内的性質であって、旧約においては律法が石に彫られて民全体に外部より与えられたけれども、新約においてはそれが心の肉碑に彫られ内心の革命を起し、人間をその内部より一変するのである(山上の垂訓およびUコリ3:3参照)。
辞解
[かの日] 旧き契約を立てし日。
また
註解: 新約の特徴の第二点は救われし人々が一団の民となりて神がその中に在して彼らを支配し給い、神と民とが密接にして離るべからざる関係になることである。このことはまた旧約の理想であって、もしイスラエルがエホバの法令にしたがったならばこの理想が実現すべきであった(出6:7。レビ26:3、レビ26:12。エレ7:23。エレ11:4)。新約に至ってこれがイスラエルに限らず一般の人類に及び、かつその性質が内面的個人的特質を帯ぶるに至ったのである。
8章11節
口語訳 | 彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。 |
塚本訳 | そしてひとりびとりがその同胞に、ひとりびとりがその兄弟に、『主を知れ』と言って、教えることは決してないであろう、(その時)彼らは小より大に至るまで皆わたしを知るであろうから。 |
前田訳 | 彼らはおのおのその同胞に、おのおのその兄弟に主を知れ≠ニ教えなくなろう。彼らは小から大に至るまで、すべてわたしを知ろうからである。 |
新共同 | 彼らはそれぞれ自分の同胞に、/それぞれ自分の兄弟に、/「主を知れ」と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで/彼らはすべて、わたしを知るようになり、 |
NIV | No longer will a man teach his neighbor, or a man his brother, saying, `Know the Lord,' because they will all know me, from the least of them to the greatest. |
註解: 新約の第三の特徴は神との霊交である。旧約時代においては唯民の上に立つ大なる者王祭司などが神を知り、他はこれを知らずに唯従っていた。然るに新約の時代に至れば年齢の多少、地位の上下を問わず(使8:10。エレ42:1、エレ42:8。エレ44:12。ヨナ3:5)凡ての信者はみな直接に神との霊交を有ちて神を知るに至るのである(ヨハ6:45。Tヨハ2:20、Tヨハ2:27)故に神を知れと言ってすすめる必要がない。
8章12節
口語訳 | わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。 |
塚本訳 | なぜなら、わたしは彼らの不正をみのがし、もはや絶対に彼らの罪を記憶しないであろうから。」” |
前田訳 | わたしは彼らの不義をあわれみ、彼らの罪を思い出すまい』」と。 |
新共同 | わたしは、彼らの不義を赦し、/もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」 |
NIV | For I will forgive their wickedness and will remember their sins no more." |
註解: 新約の第四の特点、そして最大の特徴は罪の赦しである。そして罪の赦しは旧約時代においてもその希望として存していたけれども(詩32:1−5)、このことが完成したのはキリストの十字架の贖いによるのである。キリスト我らの罪を負いてすでに十字架にかかり給い我らの罪は消し去られた。従って神は全く我らの罪を、罰すべく憎むべきものとして記憶し給わない。神と人との完全なる平和はここに成立ったのである(Uコリ5:10要義二参照、本節と矛盾するがごときも然らず)。
8章13節
口語訳 | 神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。 |
塚本訳 | (このように)“新しい契約”[新約]と言う以上は、(神みずから)最初の契約[旧約]を古びたものとされたのである。古びたものと老いぼれたものとは、間もなく消失せる。 |
前田訳 | 「新しい」といわれて、はじめの契約を古いとされたのです。古くなり老いたものはやがてなくなります。 |
新共同 | 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。 |
NIV | By calling this covenant "new," he has made the first one obsolete; and what is obsolete and aging will soon disappear. |
註解: エレミヤの口によりて神が語り給えるその時の事を論じているのであって、その時すでに「新しき」と言い給える以上従来の約束を「旧き」もの、すなわちやがて廃せられるべきものと認め給えることの証拠であって、かく旧くして衰え行くものはまさに消え失せて視えずなり行くべき状態にあるのである。すなわち新約の時代となって旧約は亡ぶべき運命にあるのであってヘブル書の読者がなお旧約の律法、儀式に固着していることは大なる誤りである。
辞解
「新しき」と訳されし原語に二種あり、一つはネオス neos であって時間的に見て「若き」ことを意味し(例、新しき葡萄酒、マタ9:17。ヘブ12:24等)、他の一つはカイノス kainos であって従来のものと異なれる性質上の新しさを意味する、そして「旧き」も同様で neos に対するものは ゲローン gerôn で「老年」または「老朽」を意味し kainos の反対はパライオス palaios で旧くより存在しもはや陳套 にして使用に耐えざることを意味する、「新しき」契約はカイノス、「衰ふる」はゲローン、「旧び」はパライオスの動詞形である。各々適切なる意義において用いられていることに注意すべし。
要義 [新約の四大特質]ヘブ8:10−12に引用せられしエレ31:33、34は最も適切に新約の四大特徴を示している。註解にも示せるごとくその一は信仰の個人的内面的性質であって、旧約時代においてはイスラエルの民族に属することをもって救いの要件と考えていたけれども、新約においては各個人がその心開かれて、神の律法がその心に記されることが必要であること、その二は神とその民との密なる関係であって神は民を愛しその中に住みて彼らを支配し導き給い、民はまた神を信じかれを仰ぐの生活を送ることである。旧約時代においてはこのことはモーセとアロンおよびその後継者を通して為されていたけれども新約の時代においてこの間の関係が各個人の直接の関係となっていること、その三は神と人との霊交であって、教会や牧師や祭司にその霊の問題を一任せず直接神との霊の交わりにおいて神を知り奉ること。而してその四は罪を赦され義とせられて恐れなく神の前に立つことを得ることであって、旧約時代においては罪を犯し神の誡めに反するものは凡てその審判を受けて滅ぼさるべきであったのに反し、キリスト我らの罪を負いて十字架につき給えることによって我らの罪は完全に赦され神の怒りは宥められたのである。この四つの特徴を具うるものが新約であって、我らは旧約のみならず他の如何なる宗教の中にもこれを完全に見出すことはできない。
ヘブル書第9章
1-5-ハ 旧約の祭事および犠牲の不完全 9:1 - 9:10
註解: 本章においては前章の比較と相関連しかつさらに一歩を進めて旧約の祭事およびその犠牲は共に不完全にして真のものの型に過ぎず、その実物はキリストにおいて凡て
完 うされることを示している。
9章1節
口語訳 | さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった。 |
塚本訳 | さて、(前に言ったように、)最初の契約にも、礼拝の定めとこの世的の聖所とがあった。 |
前田訳 | たしかにはじめの契約にも礼拝の規則とこの世的な聖所がありました。 |
新共同 | さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。 |
NIV | Now the first covenant had regulations for worship and also an earthly sanctuary. |
註解: 旧約すなわち「第一の契約」(直訳)の特徴は二つある。その一は規則正しき礼拝の規定があったこと(6、7節に詳述されている)その二は「この世に属する聖所」即ち荒野における幕屋を持っていたこと(2−5節に詳述されている)であった。この双方とも新約において全く一変した。
辞解
[世に属する] kosmikon は天上に対する地上の意味を持つと同時に霊的に対する物質的肉的の意味をも含んでいる。▲「この世的の」で「天的の」の反対。
9章2節
口語訳 | すなわち、まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンとが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。 |
塚本訳 | (その構造はつぎのとおり。)すなわち(聖所は二つの幕屋に分れ、前方に)第一の幕屋が設けてあって、その中には燭台と机と供えのパンとがあった。この幕屋を聖所と呼んだ。 |
前田訳 | すなわち、第一の幕屋が設けられ、そこには燭台と机と供えのパンとがありました。それが聖所と呼ばれたものです。 |
新共同 | すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。 |
NIV | A tabernacle was set up. In its first room were the lampstand, the table and the consecrated bread; this was called the Holy Place. |
註解: (▲私訳「第一の幕屋は設けられ、その中に燈台と案 と供のパンとあり、これは聖所と称えられる」)2−5節にイスラエルがモーセの指示に遵 い荒野において設けたる幕屋の簡単なる説明が与えられている。
辞解
[前なるを] 前の部分のこと、幕屋は前後の二部に分かれていた。前部は聖所、後部は至聖所である。各その入口に幕が下されていた。「燈臺」「案 」「供のパン」については引照を見よ、燈臺は純金製、案 はパンを置くためのもので純金をもって掩 われていた。引照参照。
9章3節 また
口語訳 | また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。 |
塚本訳 | また第二の幕のうしろには、至聖所と呼ばれる(第二の)幕屋があった。 |
前田訳 | 第二の幕の後に至聖所と呼ばれる幕屋がありました。 |
新共同 | また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。 |
NIV | Behind the second curtain was a room called the Most Holy Place, |
註解: 第一の幕は聖所の入口にあり、第二の幕は聖所と至聖所とを隔てている。
9章4節 その
口語訳 | そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、 |
塚本訳 | そこには金の香壇と、ぐるりと金を張った契約の箱とがあって、箱の中にはマナのはいっている金の壷と、芽を出したアロンの杖と、(十戒の書かれた)契約の(石)板とがあった。 |
前田訳 | そこには金の香壇と、すっかり金でおおわれた契約の箱とがあり、その中にマナのはいっている金のつぼと芽を出したアロンの杖と契約の石板とがあり、 |
新共同 | そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、 |
NIV | which had the golden altar of incense and the gold-covered ark of the covenant. This ark contained the gold jar of manna, Aaron's staff that had budded, and the stone tablets of the covenant. |
註解: 香壇は出30:1−10によれば至聖所の中にあるのではなく聖所の中にある。ヘブル書の著者がかかる重大なる誤りを犯した所以はおそらく七十人訳の本文の誤解し易きより生じたのであろう(例えば出26:35および出25:23−40には聖所に燈臺と案 とのみを配し、出30:6。出40:5、出40:26等は香壇が至聖所にあるかのごとくにも見え、また七十人訳には出35:15。出37:25−28。出39:38以下のごとき香壇に関する記事が除かれている)(C1、M0、I0、S2)またT列6:22等より見てそれが至聖所と密接の関係あることよりかく言ったと解する人もあり(E0、デヴィドソン)また学者によりてはその原語 thumiatêrion は香壇の意味にも用いられるけれども七十人訳においては凡て香爐の意味に用いられているのでレビ16:12により大祭司が年に一回至聖所に持ち込む火盤(ひざら)を意味すと解す(A1、B1、L1、Z0)。何れの解釈にも各重大なる困難あり。只本章の主旨に影響するところ少なければ詳論を略す。
この
註解: イスラエルに対する神の守護の証拠たるマナ(引照3、黙8:3)、アロンの祭司職を保証する芽ざしたる杖(引照4、5)、旧約の中心たる十誡を記せる石碑(引照6、黙11:19)はこの契約の櫃の中に蔵せられて至聖所の中心をなしていた。これらのものはみなキリストによりて成就さるべき表徴であった。(注意)「この中に」とあるはヘブル書著者がラビの伝説によったので(M0、Z0等、反対はS2)、聖書によれば(T列8:9。出16:33。民17:25)「その前」に置かれたのであった。
9章5節
口語訳 | 箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた。これらのことについては、今ここで、いちいち述べることができない。 |
塚本訳 | 箱の上には、(翼で)贖罪所をおおう栄光のケルビムがあった。これらのことについては、今一々述べることはできない。 |
前田訳 | その上に栄光のケルビムがいて贖罪所をおおっていました。それについて、今はいちいち申せません。 |
新共同 | また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。 |
NIV | Above the ark were the cherubim of the Glory, overshadowing the atonement cover. But we cannot discuss these things in detail now. |
辞解
[ケルビム] 翼のある動物で贖罪所の両側に各一つずつ相対して置かれ、面は贖罪所に向けられていた。おそらくそこに上り給う神の栄光を負うもののごとくに考えたのであろう(引照、エゼ10:1以下)。なおケルビムの姿についてはこれを明らかにすることができない(エゼ10:14)。
[贖罪所 ] hilastêrion は契約の櫃の蓋を示すのであってそこに大祭司は年に一回贖罪のために血を灌ぐ例であった。
これらの
註解: この一々の物につきての型としての意義をここに詳論するのが著者の目的ではない。ただ至聖所と聖所における祭事とキリストとの関係を述べんとしているのである。
9章6節
口語訳 | これらのものが、以上のように整えられた上で、祭司たちは常に幕屋の前の場所にはいって礼拝をするのであるが、 |
塚本訳 | このように、これらが設けられると、第一の幕屋には祭司たちが絶えず入っていって、(燭台を整え、香をたき、供えのパンを替える)礼拝を行うのである。 |
前田訳 | これらがこのように備わってから、祭司たちはつねに第一の幕屋にはいって礼拝を行なうのですが、 |
新共同 | 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。 |
NIV | When everything had been arranged like this, the priests entered regularly into the outer room to carry on their ministry. |
9章7節 されど
口語訳 | 幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。 |
塚本訳 | しかし(その奥の)第二の幕屋には、大祭司だけが年にただ一度(七月十日の贖罪の日に入ることを許され)、しかも自分と民との過失のために捧げる血なしでは、許されないのである。 |
前田訳 | 第二の幕屋には大祭司だけが年にただ一度はいります。しかも自らと民との過ちのためにささげる血を持たずにではありません。 |
新共同 | しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。 |
NIV | But only the high priest entered the inner room, and that only once a year, and never without blood, which he offered for himself and for the sins the people had committed in ignorance. |
註解: 幕屋、聖所、至聖所およびその中の器具が設けられた結果、そこに人々の間に階級的差別ができ、普通の人間はこの幕屋に入ることができず、聖所には出30:7以下に示すごとく日に二回祭司ここに入り香を焚き燈火を整え、また週に一度パンを供え(レビ24:8)、至聖所には年に一度大祭司が動物の血を携えて入り自己および民の罪を贖う(レビ16:12以下)、祭司は至聖所に入ることができない。この礼拝の定めによりて神の御前に出づることが如何に至難なるものであるかを示している。
9章8節
口語訳 | それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示している。 |
塚本訳 | これは、第一の幕屋がなお存在しているかぎり、(至)聖所への道がまだ現われていないことを、聖霊が明らかにしているのである。 |
前田訳 | これによって聖霊が明らかにしているとおり、第一の幕屋が立っているかぎり、聖所への道はまだ開かれていません。 |
新共同 | このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているかぎり、聖所への道はまだ開かれていないことを示しておられます。 |
NIV | The Holy Spirit was showing by this that the way into the Most Holy Place had not yet been disclosed as long as the first tabernacle was still standing. |
註解: 幕屋の聖所が人民と至聖所とを隔てるがごとくに、地上の幕屋すなわち「前なる幕屋」は天の至聖所に入る道が開かれるまで、その型として存在しているに過ぎない、すなわち地上の幕屋の至聖所は天の至聖所の型である。今やキリストの死によりて至聖所の幕は上より下まで裂けて二つとなり(マタ27:51)聖所と至聖所との間の境界が撤去された。我らはイエスの肉体の幕が裂かれしその路より至聖所に入ることができる(ヘブ10:20)。地上の幕屋の形式や礼拝の方法は神の言によりてモーセに示された。そしてこの幕屋の有つ霊的意義は聖霊によりて示されなければこれを解することができない。
辞解
[前なる幕屋] 直訳「第一の幕屋」で天の幕屋に対する世に属する聖所の意味に解する事ができる。
[至聖所] ここでは原語「聖所」とあるけれどもヘブ8:2。ヘブ9:12、ヘブ9:24、25。ヘブ10:19。ヘブ13:11等と同じくその意味は天にある真の幕屋、真の至聖所を指している。日本語改訳聖書には以上の諸箇所をあるいは「聖所」あるいは「至聖所」となし訳語が一定していない。
9章9節 こ[の
口語訳 | この幕屋というのは今の時代に対する比喩である。すなわち、供え物やいけにえはささげられるが、儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない。 |
塚本訳 | ──この第一の幕屋は現在の比喩である。──従って供物や犠牲は捧げられるが、礼拝する人の良心を完全にすることはできない。 |
前田訳 | これは今の世に対してのたとえです。それによってささげられた供え物といけにえとは礼拝者の良心を全うできません。 |
新共同 | この幕屋とは、今という時の比喩です。すなわち、供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができないのです。 |
NIV | This is an illustration for the present time, indicating that the gifts and sacrifices being offered were not able to clear the conscience of the worshiper. |
註解: この地上の幕屋は一つの比喩すなわち真のものを示さんがための型であって、この比喩の真意義がキリストによりて実現せられし現時のためのものである。ゆえにキリスト来り給いし今はこの第一の幕屋はもはや存在の必要がない。
辞解
[その時] ho kairos ho enestêkôs は「現時」の意味であるけれども二種の解あり、一つは地的幕屋が存在している間の全時期を指すとなし(M0、B1、E0、C1)、他はこれをキリストの来臨によりて生じたる新たなる時代と解している(A1、I0、Z0、W2、デリッチ)。「その時」と訳したのは第一説によりたるものなるべく、予は第二説を優れるものと思う。
註解: 礼拝をなすものすなわち祭司はもちろん、祭司を通じて供え物や、犠牲をささぐる者も、地上の幕屋における礼拝の定による供え物や犠牲だけではその罪が消されてしまはないのでその良心に満足を得ることができない。神との自由な霊の交わりは旧約の祭事によりてこれを得ることができない。
9章10節
口語訳 | それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎない。 |
塚本訳 | (これらは)食物と飲物、また種々なる洗いごとに関する(もので、キリストの来臨による)完成の時まで有効な、肉体の定めに過ぎない。 |
前田訳 | それはたんに食物と飲物と種々な清めについてで、革正の時まで課せられた肉の規則にすぎません。 |
新共同 | これらは、ただ食べ物や飲み物や種々の洗い清めに関するもので、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎません。 |
NIV | They are only a matter of food and drink and various ceremonial washings--external regulations applying until the time of the new order. |
註解: 私訳「是らは食物、飲物さまざまの濯事 などと共に、改革の時まで負わされし肉的の定 に過ぎず」。この一節は種々の訳し方があるけれども私訳のごとくに解するを可とする(M0、Z0、B1等、なおI0、A1、E0、C1等は改訳に近き訳し方を採る)。上のごとくに訳する場合その意味は「是ら」すなわち供物や犠牲は、同じく律法によりて定められし食物(引照1)、飲物(引照2、レビ10:9。レビ11:34)、濯事 (引照3。マコ7:4。出29:4。レビ14:6−9、レビ15:5以下、レビ16:4、レビ16:24以下。民8:7。マコ7:3以下)等に関する規定等と相並んで肉的なる規定に過ぎない。すなわちこれらを行う事によりてイスラエル人はその民籍に属し、エホバの民たる資格を得るのであって、地上の問題この世的問題に過ぎない。ゆえにキリスト来り給いて凡てを新たにし給う時までこの規定に束縛される必要があり、その以後はもはやその必要を失ってしまう。なお改訳本文のごとくに訳する場合には供物や犠牲が食物、飲物、濯事 等より成っていることを意味する。
辞解
[に係り] epi なる前置詞を基礎、条件、成立要素等の意味に取る場合の訳で、私訳はこれを「共に」「相並びて」「その上に」(ルカ3:20。Uコリ7:13。コロ3:14のごとく)の意味に取りたるもの。
9章11節
口語訳 | しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、 |
塚本訳 | しかしキリストは来るべき善いことの大祭司として(ついに地上に)あらわれ、手で造らない、すなわち、この世界に属しない、より大なる、より完全な幕屋を通って、 |
前田訳 | キリストは来られました。人の手で造られず、この世の被造物でなく、よりよくより完全な幕屋を経て、来たるべきよいものの大祭司としてです。 |
新共同 | けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、 |
NIV | When Christ came as high priest of the good things that are already here, he went through the greater and more perfect tabernacle that is not man-made, that is to say, not a part of this creation. |
註解: 1−10節に記されしモーセよりの旧き契約の定とこの世の聖所の不完全なる点をキリストが完成し給えることを11−22節に述べている、従ってキリストの死がこの点の中心をなしている。「来たらんとする善き事」は現世の汚穢と無常とに反し永遠にして聖なる物を指す。すなわち神との不断の霊交とその救いを永遠に確保することであり「永遠の嗣業」(15節)とも言われている。そしてこの事実は信者が現世においてすでにその前味を味わっており(ヘブ6:4)、後にキリストの再臨に際して完全に実現するところのものである。そしてキリストはこのことの大祭司として来り給うた。
註解: イスラエルの大祭司は神の被造物を材料として人の手にて造れる幕屋の聖所を経て至聖所に入った。キリストの通過し給える幕屋はこれよりも「一層大にして完全なるもの」であった、そして人間が造ったのではなく主の設けたまう所(ヘブ8:2)であり、また「この創造に属せぬもの」(直訳)であって、すなわち天地間のあらゆる被造物にあらざるものから成る幕屋である。この幕屋は諸 の天を指す(ヘブ4:14。ヘブ8:1、2。ヘブ7:26。ヘブ9:24等参照)
辞解
この「幕屋」が何を指すかにつき異説あり、古代のギリシャ教父B1、C1等はキリストの受肉を指すと解し(ヘブ10:20)、その他種々の解釈がある。予はこれを諸 の天と解する説を取った(A1、I0、E0、M0、Z0、G2)、これ本節の場合最も適当なる解釈である。
[この世に属せぬ] ou tautês tês ktiseôs は「この創造に非ざる」との意味であらゆる被造物と無関係なることを示す。
9章12節
口語訳 | かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。 |
塚本訳 | また、雄山羊や小牛の血をもってでなく、自分の血をもって、ただ一度かぎり(至)聖所に入り、永遠のあがないを得られたのである。 |
前田訳 | 彼は山羊や小牛の血によらず、ご自身の血でただ一度聖所におはいりになり、永遠のあがないを全うされました。 |
新共同 | 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。 |
NIV | He did not enter by means of the blood of goats and calves; but he entered the Most Holy Place once for all by his own blood, having obtained eternal redemption. |
註解: 前節はキリストの仕え給う幕屋の場所、本節はその祭事の内容を示す。旧約の大祭司は年に一回至聖所に入る際に贖罪の血を持たずしてはこれを為すことができなかった(レビ16:14、15)。このことはキリストにおいても同様であった。ただその用いし血は、前者は動物の血であり後者は神の子キリスト御自身の宝血であって、無限に永遠に罪を贖うの力を有つものであった。大祭司は年に一度至聖所に入り、キリストはこの血をもって只一度のみ至聖所に入りてその救いの御業を完成し給うたのである。「血」は「死」を意味する。
辞解
[只一たび] ephapax は一度ありて二度無きこと、およびこの一度ありしことの効果の永続することを示す(ヘブ7:27。ヘブ10:10)。
「終へたまへり」と訳されし heuriskô はこの場合「見出したまえり」または「獲得し給えり」の意。
9章13節 もし
口語訳 | もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、 |
塚本訳 | なぜなら、もし雄山羊や雄牛の血や(水にまぜた)雄牛の灰を、けがされた人々に注ぐことによって、肉体をきよめて、清潔にする(くらい)ならば、 |
前田訳 | もし山羊や牡牛の血や雌牛の灰がそそがれて汚れた人々の肉体をきよめて聖化するならば、 |
新共同 | なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、 |
NIV | The blood of goats and bulls and the ashes of a heifer sprinkled on those who are ceremonially unclean sanctify them so that they are outwardly clean. |
9章14節 まして
口語訳 | 永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。 |
塚本訳 | まして永遠の御霊の力によって傷のない自分自身を神に捧げたキリストの血が、わたし達の良心を死ぬ行いから清めて、生ける神を礼拝させないことがあるだろうか。 |
前田訳 | まして永遠の霊によって自らを無きずのまま神におささげのキリストの血はわれらの良心をきよめて、死んだわざを去って生ける神に仕えるように向かわせるものです。 |
新共同 | まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。 |
NIV | How much more, then, will the blood of Christ, who through the eternal Spirit offered himself unblemished to God, cleanse our consciences from acts that lead to death, so that we may serve the living God! |
註解: 12節の真理をさらにこの二節において詳しく説明を施し、旧約の献物なる犠牲と新約の犠牲との差別を示す、(1)旧約の祭司は自己の願いによらず律法の規定に遵 いて犠牲をささげ、キリストは己の心の願いより犠牲を献げ給うた。(2)山羊、犢 、牡牛、牝牛等は理智を具えざる動物でその意思によらずして強制的に犠牲とせられ、キリストは永遠の御霊により己の自由の意思より自ら犠牲となり給うた。(3)動物は無人格の被造物に過ぎざるにキリストは神の独り子、神の愛子に在し給い、この間に価値の絶対的差別がある。(4)動物はその肉体に瑕なきものが献げられたに過ぎず、キリストは全く罪なくして心に少しの瑕もなき完全なる御方であった。(5)動物の血はこれをそそぐことによって肉体の穢 を除き(牝牛の灰の場合《民19:9、民19:17、18》、その他祭司が日毎にささぐる犠牲の場合のごとく)またはイスラエルの罪を外部的、形式的に潔めて(大祭司が年に一回ささげる犠牲のごとく)イスラエルの民籍に属する資格すなわち外部的特権を保たしめているに過ぎないのに反し、キリストの血は心の穢 を除き、良心を「死にたる行為(引照3)」すなわち神を離れし行為より潔めて「活ける神に事 へ」神との直接の霊交に入らしめる。前者は凡て肉的地的であり後者は凡て霊的天的である。▲旧約の「いけにえ」の動物の不完全なるに比較して新約のイエスの「いけにえ」は完全である。
辞解
「山羊および牡牛」と言いて前節(12節)のごとく「山羊および犢 」と言わざる理由は「山羊および牡牛」は一般的称呼で一般の犠牲を意味しているからである(イザ1:11。詩50:13)。
「牝牛の灰」によりて死人に関する汚れより潔められることにつきては民19:1−22を見よ、ここでは死人に関する汚れより潔められることと「死にたる行為」より潔められることとを対応せしめている。
[永遠の御霊] ヘブ7:15の「朽ちざる生命」と同じくイエスの中に宿れる不朽不死の霊を指す、これはイエスの肉体の一時的性質に対して永遠であり、永遠の贖罪(12節)に対照する。
[死にたる行為] ヘブ6:1註参照。
口語訳 | それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。 |
塚本訳 | このゆえに、彼(キリスト)は新しい契約の仲介者である。彼は最初の(旧い)契約の下に犯された違反をあがなうために死なれたのであるから、(そのあとは神に)召された者が(すべて)永遠の相続財産の約束をいただくのである。 |
前田訳 | それでこそ彼は新しい契約の仲保者です。それは、はじめの契約の下に犯された罪のあがないのために死がなしとげられて、召された人々が永遠の世継ぎの約束を受けるためです。 |
新共同 | こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。 |
NIV | For this reason Christ is the mediator of a new covenant, that those who are called may receive the promised eternal inheritance--now that he has died as a ransom to set them free from the sins committed under the first covenant. |
註解: 「この故に」は11−14節を受くる語、すなわち旧約の祭事と犠牲に比しはるかに優れる祭事と、犠牲とがキリストによりて完了せられし故にヘブ8:8−12は実現しキリストは新約の仲保者(ヘブ8:6註解および辞解参照)で、神と人との間に立ちて人を神に和らがしめ給う(Tテモ2:5)。
これ
註解: イスラエルは「初の契約」すなわち旧約の下に罪を犯し神の戒めに違反した(ヘブ8:9)。ゆえにエレミヤの預言なる新約の罪の赦しすなわち贖いが必要である(ヘブ8:10−12)。そしてエレミヤは単にこれを預言し宣言したのみでその方法を示さなかったのに、キリストはその方法としてその死を味わい給うた。この死が事実として発生したがために罪の贖いが成就し、召されし者は永遠の嗣業(ヘブ6:12。エペ1:12その他)すなわち神の国を嗣ぐの約束を事実自分のものとして受取ることができる。このためにキリストは新約の仲保となり給うた。
辞解
[死あるによりて] 原文「死が事実生ぜしによりて」の意。
[約束の永遠の嗣業] 原文「永遠の嗣業の約束」であって受けるものは嗣業でなく約束である。嗣業はキリストの再臨の時事実としてこれを受け、約束は旧約時代には単にこれを聴かされたのみであるけれども、キリストの死によりて事実その約束を自分の者として受取る、その保証は我らの受けし聖霊である(エペ1:14)。
口語訳 | いったい、遺言には、遺言者の死の証明が必要である。 |
塚本訳 | なぜなら、遺言[契約]には、遺言者の死んだこと(の証拠)を必ず提出せねばならない。 |
前田訳 | 遺言(という契約)は遺言者の死の確認が必要です。 |
新共同 | 遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。 |
NIV | In the case of a will, it is necessary to prove the death of the one who made it, |
9章17節
口語訳 | 遺言は死によってのみその効力を生じ、遺言者が生きている間は、効力がない。 |
塚本訳 | 遺言は遺言者が生きている間は決して価値がないので、死によって効力を生ずるからである。 |
前田訳 | 遺言は死によって効力を生じ、遺言者が生きているうちは効力がありません。 |
新共同 | 遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。 |
NIV | because a will is in force only when somebody has died; it never takes effect while the one who made it is living. |
註解: キリスト新約の仲保者なりとすれば何故にその死を必要とするかにつき遺言の例をもって説明す。ここに「遺言」と訳されし原語 diathêkê はこれまで「契約」と訳せられしものと全く同文字で(遺言者と契約者とも同文字)これに二種の意味があること、および聖書においては一方の意思表示による契約を意味し遺言とその性質を同じくすることについてはヘブ7:22辞解参照。遺言の効力が遺言者の死によりて発生することは当然である。15節前半によればキリストは新約の仲保にして遺言者(契約者)自身は神であるけれども、キリストは神の像、神の子、神の本質に在す意味において遺言者自身と同一視せられている。ゆえにキリストの死は新約の効力発生の原因であった。
9章18節 この
口語訳 | だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではない。 |
塚本訳 | それゆえ最初の契約も、血なくしては清められなかった。 |
前田訳 | したがってはじめの契約も血なしにはじまったのではありません。 |
新共同 | だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。 |
NIV | This is why even the first covenant was not put into effect without blood. |
註解: 一見契約者(遺言者)の死とは無関係なるがごとくに見ゆる旧約すら血(すなわち死)と無関係に成立したのではない。その証拠は次の三節に示さる。
9章19節 モーセ
口語訳 | すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、 |
塚本訳 | というのは、律法による掟がことごとくモーセから民全体に語られたのち、彼は小牛と雄山羊との血を、水と緋色の羊毛とヒソプと一しょに取り、(これを)律法の書自体と民全体とにそそいで、 |
前田訳 | すべてのいましめが律法どおりモーセによって民全体に告げられたとき、彼は水と赤い羊毛とヒソプとともに小牛と山羊との血をとって書きものと民全体にふりかけ、 |
新共同 | というのは、モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、 |
NIV | When Moses had proclaimed every commandment of the law to all the people, he took the blood of calves, together with water, scarlet wool and branches of hyssop, and sprinkled the scroll and all the people. |
9章20節 『これ
口語訳 | そして、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言った。 |
塚本訳 | こう言ったからである、“これは神があなた達に命じられた契約の血”と。 |
前田訳 | 「これは神があなた方とお立ての契約の血です」といいました。 |
新共同 | 「これは、神があなたがたに対して定められた契約の血である」と言ったからです。 |
NIV | He said, "This is the blood of the covenant, which God has commanded you to keep." |
9章21節 また
口語訳 | 彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。 |
塚本訳 | そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。 |
前田訳 | そして幕屋と礼拝の器すべてにも同じように血をそそぎました。 |
新共同 | また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。 |
NIV | In the same way, he sprinkled with the blood both the tabernacle and everything used in its ceremonies. |
註解: 初の契約も血をもって立てられしことの証拠として出24:3−8その他の部分に録される事実を掲げ、その中心事実は血を灑 ぐこと、すなわち死であって、この血は「神の命じたまふ契約の血」であり、契約の効力発生の確証であることを示している。そして「血」は「死」を示す以上この初の契約(遺言)の効力が発生するについても「死」の表徴をもってその印としたのを見ることができる。キリストの最後の晩餐において「是れ新約の我が血なり」(マタ26:28。Tコリ11:25)と言い給いしもこれとその意義を同じうしている。(注意)19−21節の記事と出24:3−8に記されるモーセが律法を民に告げし場合の事実との間には少なからず相違があるけれどもこれは説明を与えて解決することができる。出24章の記事に「山羊」については記されていないけれども燔祭(出24:5)の記事がある以上山羊をも用いたこととなり(レビ11:10)、「水と緋色の毛とヒソプ」とについても記されていないけれども血を灑 ぐ以上(出24:6)これらのものを用うる必要があったはずであり(民19:6、民19:17以下。レビ14:2以下)、また「書 」に血を灑 ぎしことも記されていないけれども「壇の上」に灑 ぎし以上(出24:6)その上にある「書 」にも灑 がれしはずであり、また「幕屋と祭の器」については記されず唯出30:26−29。出40:9。レビ8:10にこれらに油を注ぎて聖むることが記されているに過ぎない、唯血は檀のまわりに灑 がれたのみであった(レビ8:15、レビ8:19、レビ8:24)。只当時の伝説に幕屋と祭器に血を灑 ぎしことが言い伝えられていたのであろう。ヨセフスの古代史にもこの記事がある(M0)。
辞解
[ヒソプ] 一種の草。
9章22節 おほよそ
口語訳 | こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。 |
塚本訳 | こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。 |
前田訳 | そして律法によれば、ほとんどすべてが血によってきよめられ、血を流すことなしにゆるしはありえません。 |
新共同 | こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。 |
NIV | In fact, the law requires that nearly everything be cleansed with blood, and without the shedding of blood there is no forgiveness. |
註解: 旧約の律法によれば、ほとんどあらゆるものが19−21節にも言えるごとく、神の前に出づるには血をもて潔められることが必要である。その故は神の前には如何なる罪も穢 も生命を犠牲にするにあらざれば赦されず、すなわち生命を以てにあらざれば贖われず、そして血は生命の表徴であり、血を流すことは死すなわち犠牲を意味するからである(レビ17:11)。ゆえにキリストの死は新約の効力の発生の原因である。
9章23節 この
口語訳 | このように、天にあるもののひな型は、これらのものできよめられる必要があるが、天にあるものは、これらより更にすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。 |
塚本訳 | だから、天上のものの模型が必ずこんなにして清められねばならない(くらい)なら、(原形である)天上のこと自体は、これら(地上)のものにまさる犠牲で清められねばならない。 |
前田訳 | さて、天のものの型がこれらによってきよめられるならば、天のもの自体はそれらよりすぐれたいけにえによってきよめられる必要があります。 |
新共同 | このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。 |
NIV | It was necessary, then, for the copies of the heavenly things to be purified with these sacrifices, but the heavenly things themselves with better sacrifices than these. |
註解: イスラエルが有ちし地上の幕屋すなわち聖所は天の聖所に象 ったものであった。そして地上の幕屋なる聖所およびその器具を潔めて神に近付くのに山羊、犢 その他の動物の血を用うるとすれば、天の幕屋なる聖所を潔めるにはこれに勝りたる犠牲すなわちキリストの血が必要である。天の幕屋および聖所は「人の設くるものにあらず主の設け給ふ所」(ヘブ8:2)であってこれを潔むる必要なきがごとくであるけれどもこの聖所に入るべき者は凡てのキリスト者でありこれらの人々は潔められたるものとしてそこに入らなければならぬ。これキリストの血によりて潔められれることが必要なる所以である。
9章24節 キリストは
口語訳 | ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。 |
塚本訳 | というのは、キリストは手で造った、本当の聖所の模型の聖所でなく、天そのものに入って、今わたし達のために神の御顔のまえに現れてくださったのである。 |
前田訳 | キリストは真のもののひな形である手で作った聖所にではなくて、天そのものに入って、今やわれらのために神のみ顔の前に現われてくださいました。 |
新共同 | なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。 |
NIV | For Christ did not enter a man-made sanctuary that was only a copy of the true one; he entered heaven itself, now to appear for us in God's presence. |
註解: 前節は一般的提言であり本節にこれをキリストに適用している。旧約の大祭司と新約の大祭司なるキリストとの差が、ここにも明らかにせられている。真の天とこれに象 れる幕屋(ヘブ8:5)、神との直接の面接と、単に神の御座なる贖罪所とケルビム(しかも香の煙をもってこれを掩 いつつ、レビ16:2、レビ16:13)との前に立つこととの間に絶大なる相違がある。
辞解
[象 れる] antitypa はヘブ8:5および前節 hupodeigma 「象 りたる」とほとんど同意義に用いられ、モーセに示されし型に則 って造れるもの。
9章25節 これ
口語訳 | 大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。 |
塚本訳 | また、大祭司が自分のものでない血をもって毎年(至)聖所に入るように、彼は幾度も自分を捧げるために入られたのでもなかった。 |
前田訳 | 大祭司が年ごとに他のものの血を持って聖所に入るようには、キリストはたびたび自らをおささげではありませんでした。 |
新共同 | また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。 |
NIV | Nor did he enter heaven to offer himself again and again, the way the high priest enters the Most Holy Place every year with blood that is not his own. |
註解: 旧約の大祭司とキリストとの差は前節の差のみではなく、さらにその犠牲をささぐる回数において、およびその犠牲の性質において差異があった。旧約の大祭司は毎年一回これをささげ、そして自己の血にあらざる他の動物の血であった。キリストは然らず、彼にはこの犠牲の反復の必要がなかった。
9章26節 もし
口語訳 | もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。 |
塚本訳 | そうでなければ、世の始から(罪人はあったのだから)、彼は幾度も苦しみをうけねばならなかったのである。しかし今や世の終に、キリストは(人々の)罪を除くため、自分の犠牲によって、ただ一度自分を現わされたのである。(彼の犠牲は空前絶後である。) |
前田訳 | それならばキリストは、世のはじめからたびたびお苦しみになるはずでした。しかし今や自らのいけにえによって罪を除くために、世々の終わりにただ一度お現われでした。 |
新共同 | もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。 |
NIV | Then Christ would have had to suffer many times since the creation of the world. But now he has appeared once for all at the end of the ages to do away with sin by the sacrifice of himself. |
註解: もしキリストの犠牲が旧約の大祭司のそれのごとくに不完全で一時代または一部の人の罪を贖い得るに過ぎないものであるならば、キリストは世の創 より、すなわち罪人が起りし以来幾度も死の苦を受けなければならぬはずである。「己を献ぐる」ことと「死の苦難を受くる」こととは同一事を意味する(ヘブ2:9。ヘブ13:12)。
註解: 然るにキリストの現われ給うたのは、世の始 よりではなく、世の季 に至りてであり、また「他の血」を犠牲とせずして己を犠牲とし給い、人類の一部の罪にあらずして世の創 以来のあらゆる人類の凡ての罪(単数定冠詞)を除かんがためであり、しばしばではなくして唯一度であった。
9章27節
口語訳 | そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、 |
塚本訳 | そして、ただ一度死ぬことと、そのあとで(神の前に出て)裁きを受けることとが人間にきまっていると同様、 |
前田訳 | およそ人はただ一度死に、その後に裁きがありますが、 |
新共同 | また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、 |
NIV | Just as man is destined to die once, and after that to face judgment, |
註解: 凡ての人間は一度は必ず死ななければならず、また死後に(その時期につきここに示されていないけれども)審判を受けなければならないことは人間の定めであって、如何なる人もこれを免れることができない。
辞解
[如 く] kath' hoson(ヘブ3:3。ヘブ7:20。出22:16)には「故に」の意味を含む、すなわち本節は単に次節と類似しているだけではなく次節の原因または理由となる。
9章28節 キリストも
口語訳 | キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。 |
塚本訳 | キリストも、ただ一度“多くの人の罪を負う”ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。 |
前田訳 | そのようにキリストも多くの人々の罪を負うためにただ一度自らをおささげになり、二度目には自らを待ち受ける人々を救いに導くよう、罪を負うためでなくお現われになるでしょう。 |
新共同 | キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。 |
NIV | so Christ was sacrificed once to take away the sins of many people; and he will appear a second time, not to bear sin, but to bring salvation to those who are waiting for him. |
註解: これによりキリストにおいて万人の死と審判とがすでに成就せられた。その故はキリスト多くの人の罪を負うて十字架にかかり、彼らに代りて罪の審判を受け給いしが故に、凡ての人類が一度は必ず経なければならない死と審判はキリスト一たび己を献げ給いしことによりてすでに成就したからである。キリストの唯一度の死の効果は実に無限である。
註解: 私訳「二度目には己を待望む者を救いに導かんために罪を負わずして現れ給ふべし」。キリストの贖罪の死は唯一度現われてこれを完成し給うた(26節)。第二回に現われ給う場合には(すなわち再臨の場合には)すでに罪を贖われて神の子とせられ、再び来給うキリストを待望んでいる者(すなわちキリスト者)を救わんがためである。この場合にはこれらの人々はすでに罪を贖われ罪なきものとせられているのでキリストはもはや人類の罪を負い給う必要がない。従ってモーセ以来千余年間イスラエルに行われた祭事と幕屋はキリストの一たびの犠牲により完成し、もはやその必要を失ったのである。
辞解
[救 ] 二義あり、罪の赦しも救であり、赦されし者が復活栄化せしめられることも救である。本節の救およびロマ5:9−10の救のごときは後者の場合である。
要義1 [一たびの意義]ヘブル書は好んで「一たび」 hapax 又はephapaxの文字を用いている。これらの文字は多くの場合一度であってその効果が永続し、従って二度ある必要なきことを意味しているのであって、キリストの顕現(26節)も、その犠牲の死も(27節)唯一度で永遠にその効果があることを示さんがためにこの文字を繰返し用いたのである。実にキリストの顕現とその死は人類歴史の上に千九百年前に唯一回起った事実に過ぎなかった。ゆえにもしこれが普通の人間の生と死であったならば、そこに特別の意義が有り得ない。然るに預言者に優りモーセに優り天の使に優り、神の像に在し給うキリストが一度現われて一度己を献げ、一度天の至聖所に入り給えることは深き意義があることであって、これによりて人類は永遠より永遠にわたって贖われ、その罪を赦され神の子とせられたのである。この「一たび」の意義を充分に理解することによりてキリストの顕現と死とが宇宙の歴史における最大最要の事実であり旧約の律法に比して如何に優っているかを知り、また旧約の完成であることをも知ることができる。
要義2 [罪の赦しと血]ヘブル書においては罪の赦しと血すなわち生命を犠牲とすることとの密接なる関係を記しているけれどもその理由はこれを記さない。たしかに人間の罪の値は死である以上(創3:19。ロマ6:23)罪を贖うがためには同じく死をもってしなければならない。この事実が旧約の祭事と犠牲において表徴せられ、キリストの死によりて成就せられたのである。ゆえにキリストの死が罪の贖いであることは、近代の神学者の説明するがごとくにパウロ等が旧約の思想に支配せられしに過ぎないものではなく、人間の罪と神の審判との本質上当然の必要であり、神はこのことを表徴をもってイスラエルに示し、そしてキリストにおいて始めて人類の罪の贖いを完全に成就したのである。