黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ヘブル書

ヘブル書第12章

分類
2 薦奨の部 10:19 - 13:17
2-3 忍耐と清潔と恭敬の必要 12:1 - 12:29
2-3-イ 忍耐のすすめ 12:1 - 12:13  

註解: 前章において信仰の人々を凡て網羅せる著者はここに再び立帰って読者に信仰による忍耐をすすめ、これによりて困難に耐え、また潔きに至らんことを薦めている(1−17節)。

12章1節 この(ゆゑ)(われ)らは()(おほ)くの證人(しょうにん)(くも)のごとく(かこ)まれたれば、(すべ)ての重荷(おもに)(まと)へる(つみ)とを(のぞ)け、忍耐(にんたい)をもて(われ)らの(まへ)()かれたる馳場(はせば)をはしり、[引照]

口語訳こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
塚本訳それゆえ、わたし達も、こんなに雲のような(大勢の)証人に囲まれているのであるから、(信仰の障害となる)すべての煩わしさと、すぐにからみつく罪とをぬぎすてて、わたし達の前に置かれている競走を、忍耐をもって走ろうではないか。
前田訳それゆえわれらも、このような雲なす証人たちに囲まれていますから、すべてのからみつく邪魔物と罪とを捨て、忍耐をもってわれらの前に置かれた走り場を走りましょう。
新共同こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
NIVTherefore, since we are surrounded by such a great cloud of witnesses, let us throw off everything that hinders and the sin that so easily entangles, and let us run with perseverance the race marked out for us.

12章2節 信仰(しんかう)導師(みちびきて)また(これ)(まった)うする(もの)なるイエスを(あふ)()るべし。[引照]

口語訳信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
塚本訳(かの)信仰の創始者また完成者であるイエスを見上げて!彼は自分の前にある喜びを捨て、恥をもいとわず十字架を耐え忍んで、(いまや)神の御座の“右に坐られているのである”。
前田訳信仰の手ほどきまた仕上げをなさるイエスを仰ぎ見て走りましょう。彼は、自らの前に置かれたよろこびの代わりに、恥をいとわず十字架を忍び、神のみ座の右におすわりでした。
新共同信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
NIVLet us fix our eyes on Jesus, the author and perfecter of our faith, who for the joy set before him endured the cross, scorning its shame, and sat down at the right hand of the throne of God.
註解: この全文の四つの部分の連絡は原文によれば次のごとくである。「・・・・・証人に囲まれたれば・・・・・イエスを仰ぎ見て・・・・・重荷と罪を除きつつ・・・・・馳場を走るべし」。「この故に」すなわち11:39、40のごとく我らの使命は重大であり、かつ前章に示されしごとく信仰は偉大なることを成し()げし故に、我らは惰眠を貪らず、また困難に辟易せずに、旧約の聖徒らの持ちしごとき忍耐をもって我らの走るべき競争を走り続けなければならぬ。而して我らをしてこれを為すの勇気を得しむる原因は二つある。その一は11章に掲げられしごとき多数の旧約の証人が我らを囲繞(いにょう)しその信仰について証を与えていること、その二は信仰の指揮者大将軍またその完成者として神の右に坐し給うキリストを仰ぎ見ることである。かくして我らは我らの周囲にもまた我らの行先にも信仰の証者および模範を充分に有っているのであって、我らが競争を行うべき外的条件は充分に具っているのである。唯我ら自身に必要なる条件は競技の場合のごとくに重荷(肉慾、名誉、財産、権勢、世の憂慮等に支配される場合、これらは重荷となる、C1)を除き、かつその重荷の中にて最も執拗に我らに纏いつく罪(神をはなれて自己に生きんとする心、およびこれより生ずる凡ての悪行)を除かなければならぬ。然ざれば到底この競争に堪えることができない。しかしながらこれには大なる忍耐を要する。▲信仰について我らに要求されるものは生活そのものである。イエスを仰ぎ見て信仰の馳場を走ることがそれである。
辞解
[雲のごとく] 聖書にも、聖書以外の古典にも大なる群衆を雲にたとえし場合は多くある。
[証人] 11:2、4、5、39と関係す。ただしこれらの場合は神が彼らにつき証し給えることを意味し、この場合は彼らが自己の信仰につき証することを意味する。
[重荷、罪] 重荷は総称、罪はその最も重要なる一部(M0、Z0、B1)。
[纏へる] euperistatos は用例少なき文字で意味も従って種々に解せられているけれども手足に「纏いつく」衣の意味が最も適当である。
[導師また之を全うするもの] achêgos kai teleiôtês はあるいは(1)「創始者また完成者」と読み、「我らの心に信仰を始めて造り給い、またこれを終りに至って完成せしめ給うイエス」(ピリ1:6)の意に解し(M0)、または(2)「信仰の大将軍また完成者」と読み、イエスは信仰の点において11章の諸聖徒の上に立つ指揮者大将軍でありかつ完全無欠の信仰の模範であることを意味する(Z0、B1、I0、E0、A1)。邦訳はこの二説の混合のごとくに見える。本節の場合においては第2節後半より、神の右に坐し給うイエスにつき語っているいる故(2)の説が適当であって、註はこれによった。

(かれ)はその(まへ)()かれたる歡喜(よろこび)のために、(はぢ)をも(いと)はずして十字架(じふじか)をしのび、(つい)(かみ)御座(みくら)(みぎ)()(たま)へり。

註解: イエスが信仰の指揮者大将軍でありまたその完成者である所以は希望と忍耐の模範であるからである。すなわちイエスは天国の栄光に与ることの歓喜のために(ヨハ17:5)最も恥ずべき十字架の死をさえ甘受し給うたのである。そこに恥辱をも軽侮し去るところの勇気があったのは、この世の栄誉が彼の重荷とならなかったためであり、また十字架の苦痛を忍び給いしは彼の忍耐によるのである。ゆえに彼は我らの最高の模範である。
辞解
[前に置かれたる歓喜] 上掲の意義の外に「イエスの前に置かれしこの世の快楽」(C1)、「彼がかつてロゴスとして持ちし歓喜」「彼の罪なき結果地上において苦難に遭い給う必要なきことの歓喜」等種々の解釈があるけれども採らない。

12章3節 なんじら()(つか)れて(こころ)(うしな)ふこと(なか)らんために、罪人(つみびと)らの()(おのれ)(さから)ひしことを(しの)(たま)へる(もの)をおもへ。[引照]

口語訳あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
塚本訳あなた達も倦怠し、無気力になることがないように、彼が(御子でありながら、)“罪人どもの自分に対する”あんな敵対を耐え忍ばれたことを考えなくては。
前田訳お考えなさい、あなた方が心疲れてくじけないように、罪びとらによって自らに向けられたこのような反抗をお忍びの方のことを。
新共同あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
NIVConsider him who endured such opposition from sinful men, so that you will not grow weary and lose heart.
註解: 私訳「意気沮喪(そそう)して疲れ果つることなからんために罪人らの己に対する斯くのごとき反対を忍び給える者を思い比ぶべし」。競争に多くの苦難が伴う、もし終りまで忍ぶ忍耐(1節)が無かったならばあるいは誘惑や反対や苦難のために途中で挫折してしまうであろう。これ信仰の危機である。これより免れるの方法は唯忍耐あるのみであって、この忍耐力は大なる忍耐(Uテサ3:5)を有ち給えるイエスを自己と比較することによってこれを保つことができる。蓋し罪なきイエスは罪人らよりあらゆる反対を受け(その神の子たること、そのメシヤに在すことをも受けいれられず、ついに十字架に()けられ給うた)てもなおこれを終りまで忍び給うたからである。

12章4節 (なんぢ)らは(つみ)(たたか)ひて(いま)()[を(なが)す]まで抵抗(てむかひ)しことなし。[引照]

口語訳あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
塚本訳あなた達はまだ、罪と戦って血を流すまでに抵抗したことがない。
前田訳あなた方は罪に向かって戦いつつ血を流すまで抵抗したことはまだありません。
新共同あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
NIVIn your struggle against sin, you have not yet resisted to the point of shedding your blood.
註解: 信仰の後退しつつあったヘブル書の読者は迫害、困難、反対に遭うや忍耐力を失って意気沮喪(そそう)してしまう者が生じたのであろう。これ彼らの心中の罪(信仰を離れんとする心)と徹底的に闘争し反抗したことがないからである。キリストは己の罪ならぬ世の罪を滅ぼさんがために血を流すまで忍び給うた。我らも彼のごとく自己の罪と闘い迫害を受けて血を流すまでに至らなければならぬ。些少(さしょう)の迫害や苦難のために信仰を棄つるごときは、キリストは勿論多数の殉教者に対しても恥ずべきである。なお迫害や苦難と闘うは自己の罪と闘う所以であることを注意すべきである。

12章5節 また()に[()ぐる]ごとく(なんぢ)らに()(たま)ひし勸言(すすめ)(わす)れたり。(いは)く『わが()よ、(しゅ)懲戒(こらしめ)(かろ)んずるなかれ、(しゅ)(いまし)めらるるとき()むなかれ。[引照]

口語訳また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
塚本訳また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──“わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
前田訳あなた方は子たちへのように語られた勧めをお忘れです。そのことばはこうです、「わが子よ、主のしつけを軽んずるな、主にこらしめられてくじけるな。
新共同また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、/力を落としてはいけない。
NIVAnd you have forgotten that word of encouragement that addresses you as sons: "My son, do not make light of the Lord's discipline, and do not lose heart when he rebukes you,

12章6節 そは(しゅ)、その(あい)する(もの)(こら)しめ、(すべ)てその()(たま)()(むち)うち(たま)へばなり』と。[引照]

口語訳主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
塚本訳なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。”
前田訳主は愛するものをしつけ、受け入れる子をみな笞打ちたもうゆえに」と。
新共同なぜなら、主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」
NIVbecause the Lord disciplines those he loves, and he punishes everyone he accepts as a son."
註解: 箴3:11(七十人訳)のソロモンの教訓は神が我らに向い子として告げ給いし勧告である。すなわちキリスト者に下る苦難は主の愛の証拠であるということである。このことを知るならば如何なる苦難もこれに耐えて血を流すに至るもなお罪を犯さず信仰を持続することができるであろう。もしこの主の愛を知らないならば苦難に際しあるいはこれを軽視しまたはこれがために意気沮喪(そそう)して罪に陥るであろう。
辞解
[忘れたり] 「忘れたるか」と読む説もある(C1、ブレーク、W2等)。叱責の程度がやや緩和されるの差があるに過ぎない。
[()む] 3節の「沮喪(そそう)」と私訳せし ekluomai でここでもその意味。

12章7節 (なんぢ)らの(しの)ぶは懲戒(こらしめ)(ため)なり、[引照]

口語訳あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
塚本訳(神の)“訓練”を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)“子”のように取り扱われるのである。なぜなら、父の“訓練し”ない“子が”どこにかあるのか。
前田訳しつけのためにお忍びなさい。神はあなた方を子としてお扱いです。父がしつけない子がありますか。
新共同あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
NIVEndure hardship as discipline; God is treating you as sons. For what son is not disciplined by his father?
註解: 汝らが非常なる苦難に遭いてよくこれを耐え忍ぶならば結局それは汝らの懲戒となり汝らを陶冶(とうや)するに至るものである(A1、E0、I0)。(注意)この一文は「懲戒のために忍べ」と読む説、また「懲戒」を「訓戒」の意味に取る説。その他少数の異本により eis を ei と読むことによりて「もし汝ら懲戒のために忍ばば」と読む説もあり、何れも劣っている。
辞解
[懲戒] paideia は本来「教育」の意味であるけれども聖書においては双方の意味に用いられている(エペ6:4。Uテモ3:16)、蓋し神の教育は苦難による懲戒をもって行われることが多いからである。

(かみ)(なんぢ)らを()のごとく(あしら)ひたまふ、(たれ)(ちち)(こら)しめぬ()あらんや。

12章8節 (すべ)ての(ひと)()くる懲戒(こらしめ)、もし(なんぢ)らに()くば、それは私生兒(かくしご)にして(まこと)()にあらず、[引照]

口語訳だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
塚本訳もし皆が受ける“訓練が”ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)“子”ではない。
前田訳だれでも受けるはずのしつけがあなた方にないならば、あなた方は私生児であって、実子ではありません。
新共同もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
NIVIf you are not disciplined (and everyone undergoes discipline), then you are illegitimate children and not true sons.
註解: キリスト者に下る苦難は父の愛の顕れである。その故は患難によりて我らの信仰は益々陶冶(とうや)せられ「患難は忍耐を生じ、忍耐は錬達、錬達は希望を生ずるに至る」からである(ロマ5:3)。ゆえに患難多ければ多いほど、父に愛せられていることの証拠であって、この懲戒なき者はあたかも父の薫陶を充分に受くることを得ざる私生児のごときものである。「汝らに患難多き所以は汝らを神が子としてあしらい給う証拠である」と著者は叫んでいるのである。苦難の中に在りてこれを聞く者は如何に多くの慰安と力とを得ることであろうか。
辞解
[凡ての人の受くる懲戒] 第11章に記されし聖徒らおよびこの種の凡ての人が懲戒の共受者 metochoi となれる意味で、懲戒は凡ての聖徒に共通なる神の訓練であることを示す。

12章9節 また(われ)らの肉[體](にくたい)(ちち)は、(われ)らを(こら)しめし(もの)なるに(なほ)これを(うやま)へり、()して靈[魂](たましひ)(ちち)(したが)ひて()くることを()ざらんや。[引照]

口語訳その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
塚本訳かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
前田訳さらに、われらにしつけ手である肉の父があって尊敬したのならば、ましてわれらは霊の父に従って生きようとしないわけがないでしょう。
新共同更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。
NIVMoreover, we have all had human fathers who disciplined us and we respected them for it. How much more should we submit to the Father of our spirits and live!
註解: 5節以下において肉の父子の関係と霊の父子の関係を示せる著者は本節および次節においてその差異を示し二つの点より後者の特に重んずべきことを説明している。その第一の点は神は我らを霊によりて新生せしめて我らの霊の父となり給える神であることである。この世の一時的関係に過ぎざる肉の父であって、しかも我らを懲戒(こらし)めし者なる父をも敬うくらいであるならばまして天国における永遠的関係である霊の父をばたとい我らを懲戒(こらし)めたとてこれに服従しこれを敬うのが当然であり、かくして我らはたとい患難のために殉教の死をとげるにしても真の意味において永遠に生くることができる(10:38。申5:16)。
辞解
[肉の父] 「肉体」と訳されし sarx は「肉」と訳するを可とする。「肉」は「自然人」というと同じく肉体と精神との総称で神より出でし「霊の人」と相対立している。
[霊の父] 広義においては神は我らの霊肉を創造(つく)り給うた、狭義においては肉の父は我らの肉体と精神との父であり、神は霊により我らを新たに生むことによりて霊の父であり給う(C1)。

12章10節 そは肉[體](にくたい)(ちち)(しばら)くの(うち)その(こころ)のままに(こら)しむることを()しが、靈[魂](たましひ)(ちち)(われ)らを(えき)するために、その聖潔(きよき)(あづか)らせんとて(こら)しめ(たま)へばなり。[引照]

口語訳肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
塚本訳というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
前田訳肉の父は短い間、自らの考えでしつけましたが、霊の父はわれらを益して彼の聖さにあずかるようになさいます。
新共同肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
NIVOur fathers disciplined us for a little while as they thought best; but God disciplines us for our good, that we may share in his holiness.
註解: 肉の父の懲戒には種々の欠点がある。すなわちそれは「暫くの間」であって我らの一生涯を通して継続しない。またそれは「心のままに」であって従ってあるいは目的や手段において過り、時には自己の気ままの処置に陥ることが有り得る。ゆえに極めて不完全なる懲戒である。然るに霊の父の懲戒の目的は我らの益のためでありこの益たるやこの世の栄達や利益のためではなく、神の聖潔に与らしむることであって我らにとって永遠の益を得しむる処のものである。それ故に9節に示されし教訓の全く真理であることがわかる。

12章11節 (すべ)ての懲戒(こらしめ)(いま)(よろこ)ばしと()えず、(かへ)つて(かな)しと()ゆ、されど(のち)これに()りて練習(れんしゅう)する(もの)に、()平安(へいあん)なる()(むす)ばしむ。[引照]

口語訳すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
塚本訳あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。
前田訳しつけはすベて、その時にはよろこびでなく悲しみに見えますが、後にはそれで練られたものに義の平和な実を与えます。
新共同およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
NIVNo discipline seems pleasant at the time, but painful. Later on, however, it produces a harvest of righteousness and peace for those who have been trained by it.
註解: 「凡ての懲戒」すなわち肉の父のも霊の父のも共にこの中に含まれてはいるけれども、著者は主として神の懲戒につき言っているのであることは明らかである。「今は」すなわちその懲戒の存続している間(M0)肉の心にとってそれは決して喜びとは見えず苦痛である。しかしこの患難によりて訓練する場合においては義の果実を得、神との間の関係は(ただ)しくなりまた神の御旨に(したが)(ただ)しき行為を為すに至るのである。而してこの状態は真に平和なる状態であって如何なる患難の中にも平和を喜ぶことができるのは(ロマ5:3)そのためである。
辞解
[悲し] lupê は他の場合ほとんど「憂」と訳せられている。「悲痛」または「憂苦」等の文字がこれに相当しているであろう。
[練習する] gymnazô 肉体の運動(体操)より転じて精神の訓練にも用いられる。

12章12節 されば(おとろ)へたる()(よわ)りたる(ひざ)(つよ)くし、[引照]

口語訳それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
塚本訳だから、“力の抜けた手と、しびれた膝をまっすぐに伸ばしなさい。”
前田訳それゆえ、無力の手と弱った膝とをまっすぐにし、
新共同だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。
NIVTherefore, strengthen your feeble arms and weak knees.

12章13節 足蹇(あしな)へたる(もの)(あゆ)(そと)すことなく、(かへ)つて(いや)されんために(なんぢ)らの(あし)(すぐ)なる(みち)(そな)へよ。[引照]

口語訳また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。
塚本訳そしてあなた達の“足で、まっすぐな道を歩きなさい”。足なえが脱臼することなく、むしろそれが直るように。
前田訳足にまっすぐな道をそなえなさい。それは足なえが踏みはずさず、むしろいやされるためです。
新共同また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。
NIV"Make level paths for your feet," so that the lame may not be disabled, but rather healed.
註解: 「されば」は1−11節に教えられしごとくキリスト者には忍耐の責任があり、かつ患難は父の愛の懲戒であるのみならず、これによりて陶冶(とうや)される場合に義の平安なる果を得るのである以上、我ら患難に遭遇するも力を落さず、元気を振り起して汝らの足にて一直線に進むべきである(かく読むべきである。辞解参照)。かくするならば、足()えたる者(すなわち信者の中にて患難に遭遇して為す処を知らず信仰動揺して正道を()み外さんとする者、なお辞解参照)さえも汝らの善き模範に(したが)い真直に進むことによりて正道を踏み外さず、かえって(いや)されるに至るであろう故に忍耐は自己のためのみならず全教会のために必要である。
辞解
[衰えたる手、弱りたる膝] この語はイザ35:3、申32:35、智慧書25:23等に用いられし文字で俗語の「グッタリした手、ヒョロヒョロの膝」というに相当し手には力なく足はよろめく姿を示している。信仰なき者は患難に遭えばかかる有様となる。
[強くし] 「真直ぐにし」「もとのごとくにし」等の意。
[汝らの足に直なる途を備へよ(B1、I0)] むしろ「汝らの足をもて真直ぐに歩め」の意に解するを適当とする(M0、Z0、C1、E0。箴4:26、七十人訳)。
要義 [神の懲戒]キリスト者となることは決してこの世において無事息災、平穏安楽の生涯を送ることではなく、むしろ世の人よりもはるかに多くの患難に遭遇することを覚悟しなければならぬ。また多くの事実はその然ることを証拠立てている。しかしながらこれ凡て神の懲戒であって、我らを愛する父の愛の顕われであり、我らはこれによりて義の果を得ることができるのである。ゆえに神の懲戒は益々多くこれを受くるに従って益々幸福であるということができる。このことを思う時我々の忍耐力は強められる。

2-3-ロ 聖潔のすすめ 12:14 - 12:17  

12章14節 (つと)めて(すべ)ての(ひと)(やわら)ぎ、[(みづか)ら](きよ)からんことを(もと)めよ。もし(きよ)からずば、(しゅ)()ること(あた)はず。[引照]

口語訳すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
塚本訳すべての人との“平和を追い求めよ”、また聖潔を。聖潔がなければ、だれも主にまみえることはできない。
前田訳すべての人との平和と聖さとを求めなさい。聖さなしにはだれも主を見ることができますまい。
新共同すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
NIVMake every effort to live in peace with all men and to be holy; without holiness no one will see the Lord.
註解: キリスト者の特徴は神の懲戒を受けてこれを耐え忍ぶことの外は平和と聖潔である。如何に懲戒患難を忍耐する力があっても、不和争闘を事として不浄不潔なる者は神の子たる資格がない、すなわちキリストを見、彼と交わることができず、また彼の世において目のあたり彼を拝することができない(詩11:7。17:15。マタ5:7。Tヨハ3:2)。▲信仰によって罪が赦されたことのみを強調して聖潔を求めないキリスト者は真の信仰を有たない人である。神の御意に順わないのは信仰ではない。
辞解
[凡ての人] キリスト者の全体を指すか、または人類全体を指すかにつき二説あり、この場合は前者であろう。
[主を見る] 現在においては霊の交わりによりて主を見、かの世においては目のあたりに彼を見る。

12章15節 なんじら(つつし)め、(おそ)らくは(かみ)恩惠(めぐみ)(いた)らぬ(もの)あらん。(おそ)らくは(にが)()はえいでて(なんぢ)らを(なやみ)し、(おほ)くの(ひと)これに()りて(けが)されん。[引照]

口語訳気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。
塚本訳よく注意して、神の恩恵に入ることができぬ者が(一人も)ないように、(また、)“(一本の)苦い(毒草の)根が生え出てやっかいをかけ”、それによって多くの人が(罪に)よごされ(るものが一つも)ないように、
前田訳心がけて、だれも神の恵みからもれないように、にがい根が生えて悩まし、それによって多くの人々が汚されないようになさい。
新共同神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。
NIVSee to it that no one misses the grace of God and that no bitter root grows up to cause trouble and defile many.
註解: 「神の恩恵」はキリストによる救いの全体を意味する。而して人は非常に注意深き態度をもって聖潔を慕い求むるにあらずば、この恩恵を完全に把握し得ない。なお詳言すれば聖潔を求むる心を(おろそ)かにする場合においては一旦採伐してキリストを接がれし木の根本より古き芽が生え出づるがごとくこれまで神の聖霊の働きによりて征服せられていた罪の苦き有毒なる根が再び芽を出し、これが我らの新たに生れし霊性を悩まし、(ただ)に我らを悩ますのみならず同じ信仰の兄弟姉妹をこの毒をもって汚すに至るのである。道徳的不潔の生涯は(ただ)に自己に与えられし恩恵を失い、自ら苦悩に陥るのみならず他をも毒する恐るべき罪である。この一節は申29:18、七十人訳を少しく変化せる引用であって、ヘブル原典とも異なる。

12章16節 (おそ)らくは淫行(いんかう)のもの、(あるひ)一飯(いっぱん)のために長子(ちゃうし)特權(とくけん)()りしエサウの(ごと)(みだり)なるもの(おこ)らん。[引照]

口語訳また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
塚本訳(また、たった)一杯の食べ物のために自分の“長子相続権を売り渡したエサウ”のような、不品行の者、野卑な者が(一人も)ないように、せねばならない。
前田訳一杯の食のために自らの長子権を売ったエサウのように不身持ちな俗物にならないようになさい。
新共同また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
NIVSee that no one is sexually immoral, or is godless like Esau, who for a single meal sold his inheritance rights as the oldest son.
註解: 色食の慾のため(すなわち物質的慾望のために)信仰を失いキリスト者として神の子、神の世嗣たる特権をも犠牲にするごときものが起るであろう。エサウが(引照1)一杯の(あつもの)のためにその家督の権を売ったのはその善き(かがみ)である。(注意)この「淫行のもの」 pornos 本来男子の売淫者または淫行者を意味する語であるけれども、ここではこれを性的意味に解せずして、これを単に利慾のためにその節操を売る意味に解し、「恐らく一飯のために長子の権を売りしエサウのごとく邪淫にして汚俗なるもの起らん」と読む説もある(I0、Z0)。文法上は後者優り、意味上は前者が優っている。またこの淫行をユダヤ教に逆戻りする意味に解する説もあるけれども、やや附会(ふかい)に過ぎる。
辞解
[(みだり)なるもの] bebêlos = profane 聖別せられしものの反対卑俗(ひぞく)

12章17節 (なんぢ)らの()るごとく、(かれ)はそののち祝福(しくふく)()けんと(ほっ)したれども()てられ、(なみだ)(なが)して(これ)(もと)めたれど回復(くわいふく)(をり)()ざりき。[引照]

口語訳あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。
塚本訳なぜなら、彼はあとから(その相続権である神の)祝福を相続しようと願ったが、排斥されたことを知っているではないか。涙を流しながら求めたにもかかわらず、悔改めの余地がなかったのである。
前田訳ご承知のように、彼は後になって祝福を継ごうと願いつつも拒否されました。彼は涙をもって求めても悔い改めのおりを得なかったのです。
新共同あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
NIVAfterward, as you know, when he wanted to inherit this blessing, he was rejected. He could bring about no change of mind, though he sought the blessing with tears.
註解: エサウはその肉慾に支配せられて、長子の権を売ったことを後悔し、後にさらに父イサクより祝福を受けようと切願したけれども無効であった(引照1)。このことは我らキリスト者の戒めとなるのであって、キリスト者たることの極めて大なる特権を、極めて些細なる肉の慾のために犠牲にしてはならない。(注意)この一節の原文は種々に訳解せられ、何れとも決定し難い。すなわち「回復の機」は原語「悔改めの場所」topos metanoias で「回復の機」はその適当なる意訳である(A1)。唯この悔改めがエサウの悔改めなりとする説(A1、Z0、I0)とイサクまたは神の後悔なりとする説あり(M0)、その他「之を求む」の「之」は邦訳本文のごとく「祝福」を指すとする説と、「悔改め」を指すとする説とあり。これらが種々に結合して多くの訳解を生じている。
要義1 [聖潔の必要]キリスト者に患難が来ると共に誘惑が襲来する。前者に対しては父なる神の愛を思うて忍耐すべきであり(1−13節)、後者に対しては父の聖を思うて聖潔を保つべきである。もしキリスト者にして汚穢の中にその身を投じているならば彼らは神の国を()ぐことはできない(Tコリ6:9−11)。
要義2 [悔改めの無効なる場合ありや]如何なる罪でも(6:8要義二の場合を除き)悔改めるに遅過ぎるということなく、また悔改むることによりて神はその罪を赦し給う。故に悔改むることが無効に終る場合はない。唯罪を犯せるがために失える祝福は悔改めによりても回復することができない場合がある。エサウのごときその場合であった。

2-3-ハ 新約の福音を拒むなかれ 12:18 - 12:29  

註解: 著者は忍耐と聖潔とを信徒に薦めし後さらに進んで再び旧約と新約との差異の一面を高調し、旧約の恐るべき啓示に対し恩恵に充てる新約の啓示を示し、これを拒むことの罪とこれを持続することの幸福を教えている。18−19節。

12章18節 (なんぢ)らの(ちか)づきたるは、()()ゆる(さは)()べき(やま)(くろ)(くも)黒闇(くらやみ)(あらし)[引照]

口語訳あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、
塚本訳なぜであるか。(いま)あなた達があゆみ寄っている所は、(手で)さわることのできる山ではない、また“燃えている火、また黒雲、また暗やみ、また暴風、
前田訳あなた方が近づいたのは、手で触れうる山にではありません。そこには火が燃え、黒雲、暗闇、竜巻きがあり、
新共同-19節 あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
NIVYou have not come to a mountain that can be touched and that is burning with fire; to darkness, gloom and storm;

12章19節 ラッパの(おと)(ことば)(こゑ)にあらず、この(こゑ)()きし(もの)()(うへ)(ことば)(くは)へられざらんことを(ねが)へり。[引照]

口語訳また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。
塚本訳またラッパの響、また(神の)言葉の声”ではない。この声を聞いた者は(みな恐れおののいて、これ以上)自分たちに一言もつけたして与えられないようにと、断ったのである。
前田訳ラッパの音や、聞き手がひとことも加えられたくないと思ったことばのひびきがありました。
新共同
NIVto a trumpet blast or to such a voice speaking words that those who heard it begged that no further word be spoken to them,
註解: モーセがシナイ山において神より十誡を授けられし時の光景を叙べて新約の光景と対比す。それは引照の各節が示すがごとく畏るべき光景で、場所は天のエルサレム(22節)ならざるこの地上の山(25節)で、また燃ゆる火の中においてであり、その場合には23節のごとき美わしき光景はなく、天変地異起りて人々を恐れしめ、また24節のごとき言ではなくラッパの音が響き渡りて(10節引照4。マタ24:31)人々を驚かし、また神の言が聞えて人々を畏れしめ(19節引照6)、人々恐れて神の声を再び聴かざらんこと願った。

12章20節 これ『(けもの)すら(やま)()れなば、(いし)にて(うた)るべし』と(めい)ぜられしを、(かれ)らは(しの)ぶこと(あた)はざりし(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触れたら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。
塚本訳というのは、“たとい獣がこの山に触れても石で打ち殺される”という(神の)命令に堪えられなかったのである。
前田訳彼らは「獣でも山に触れれば石で打ち殺されよう」と命ぜられたことに堪えなかったのです。
新共同彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。
NIVbecause they could not bear what was commanded: "If even an animal touches the mountain, it must be stoned."
註解: 19節より21節に連絡する中間に介在して19節の末尾の理由を説明したのが本節である。人民の恐怖と緊張は極度に達した有様をこれによりて想像することができる。心なき獣すらかかる罰を受けるほどであるならば心ある人間は如何ばかりであろうか。これ彼らの恐れし所以であった。

12章21節 その(あらは)れしところ(きは)めて(おそろ)しかりしかば、モーセは『われ(いた)(おそ)(おのの)けり』と()へり。[引照]

口語訳その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどである。
塚本訳そしてその光景があまり恐ろしかったので、モーセ(すら)も、「“自分は怯え”かつ震える」と言ったほどであった。
前田訳その光景があまりおそろしかったので、モーセはいいました、「わたしはおそれおののきました」と。
新共同また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。
NIVThe sight was so terrifying that Moses said, "I am trembling with fear."
註解: シナイ山における律法の賜与は人民は勿論モーセをも恐怖をもって支配した。(注意)モーセがこの語を発したことは旧約聖書に記されていない。あるいは伝説によったか、または申9:19を記憶の誤りよりここに転記せるものであろう。聖書に特記されずともモーセも恐怖に支配されたであろうことは想像ができる。人民の声をその代表者なるモーセの声として記せりとする説(C1)は疑わしい。

12章22節 されど(なんぢ)らの(ちか)づきたるはシオンの(やま)()ける(かみ)(みやこ)なる(てん)のエルサレム、[引照]

口語訳しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
塚本訳(これは旧い約束が与えられた時のシナイ山であるが、)しかし(今キリストを信ずる)あなた達があゆみ寄っている所は、(目に見えない、喜びと平安の)シオンの山、(然り、)生ける神の都、天のエルサレム、また数かぎりない天使、
前田訳あなた方が近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、何万という天使の会合、
新共同しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、
NIVBut you have come to Mount Zion, to the heavenly Jerusalem, the city of the living God. You have come to thousands upon thousands of angels in joyful assembly,
註解: たといB1のごとく七つの細目にわたりて旧約と新約との対比を示していると見るを得ないにしても18節以下と本節以下とは大体において相対応している。すなわち新約の世界は神の住居、エホバの王座の存するシオンの山およびこれを囲繞(いにょう)する活ける神の都すなわち天のエルサレムであって、これらはみな霊の眼に見えるのみで肉の眼で見、手で触れることができない、而してここに新約の優越さがある。
辞解
[シオン] 旧約聖書においてシオンはしばしば神の住居、エホバの王座として解せられ(詩74:2。イザ8:18。ヨエ3:17、21。詩2:6。48:2。50:2。110:2。132:13)。またイスラエルに対する救いと祝福の源と解せられている(詩50:2。イザ2:3。28:16)。

千萬(ちよろづ)御使(みつかひ)集會(つどひ)

註解: 火、黒雲、黒闇、嵐等の凄愴(せいそう)なる光景に比してここは実に輝ける有様を呈している。その一は神の御座の周囲に集う幾千万の天の使である。天国の有様を形容する最も相応しき美わしき語である。
辞解
[集会] panêgyris は祭のために全民衆が集う会、この文字が何れに連関するかにつき異論(M0、E0、A1)あれど邦訳は正しい(B1、Z0、I0)。

12章23節 (てん)(しる)されたる長子(ちゃうし)どもの教會(けうくわい)[引照]

口語訳天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
塚本訳また、天に登録された(神の)長男たちの祝いの集いまたその集会、またすべての(ものの)裁判官である神、また完成された(天にある)義人たちの霊、
前田訳天にしるされた 長子たちの集会、すべてのものの裁き主なる神、全うされた義人の霊、
新共同天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、
NIVto the church of the firstborn, whose names are written in heaven. You have come to God, the judge of all men, to the spirits of righteous men made perfect,
註解: キリストにありて救われしキリスト者の現にこの世に生存している者の全体を指す。彼らの名は天に録されている(A1、デリッチ、引照1)。
辞解
[長子] 選ばれし者を「初子」と呼ぶ例は旧約聖書に多い(出4:22。エレ31:9)。ただしこの語は種々の意味に解せらる(1)旧約の聖徒殊に父祖(M0、B1、C1)、(2)天使、(3)初代キリスト者、(4)新約の聖徒一般その他多くある。

萬民(ばんみん)審判(さばき)(ぬし)なる(かみ)

註解: 新約の恩恵の国においても審判の神は在したまう。そして万民を正しきに従って審判きたまう。ゆえに殊更に「審判主」kritêsを救助者と訳する(Z0)必要はない。

(まった)うせられたる義人(ぎじん)靈魂(たましひ)

註解: アベル以後の凡ての死せる聖徒の霊をいう。彼らはキリストの故に信仰により神より義人と認められその霊(魂は霊と訳することを可とす)は肉の弱さを脱ぎて全うせられて神と共にある(A1、デリッチ等)。

12章24節 新約(しんやく)仲保(なかだち)なるイエス[引照]

口語訳新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
塚本訳また新約の仲介者であるイエス、また、(地の中から神に復讐を叫ぶ)アベルの血よりも雄弁に語る(イエスの)注ぎの血である。
前田訳新しい契約の仲保者イエス、アベルの血にまさって強く語るそそがれた血です。
新共同新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
NIVto Jesus the mediator of a new covenant, and to the sprinkled blood that speaks a better word than the blood of Abel.
註解: キリスト者も旧約の聖徒もみな神の御前に立つことを得る所以は、そこにキリストなる仲保者が在すからである。而してモーセが旧約の仲保であったと同じくキリストは新約の仲保である。
辞解
「新約」の「新」は他の場合には(8:8、13。9:15)kainê を用いているけれどもここでは nea を用いている。旧約に比して時期より見て新たに起りし契約なることを示さんがためであろう(8:13辞解参照)。

(およ)びアベルの()(まさ)りて(もの)()(そそぎ)()なり、

註解: キリストの仲保はその血を流すことによりて為された。この血は(そそぎ)の血であって、前に至聖所において祭司が犠牲の血を(そそ)いで聖められしと同じくキリストの血を(そそ)がれることにより(すなわちキリストの十字架の贖いを信ずることにより)て凡ての罪は赦され良心は潔められるのである。アベルの血は復讐を求めて叫んでいる(創4:10。また伝説によればアベルの血は神の許に在りて殺人者を訴えているとのことである)。然るにキリストの血は万人の罪を赦すことを宣伝えている点において前者に優っているのである。以上は旧約に対比して新約が如何に異なれる時、場所、および人をもって成るか、またその時の光景が如何に異なっているかを明かにしている。すなわち旧約は恐るべき冬の嵐のごとき律法であり、新約は(やわら)かなる春風のごとき恩恵である。

12章25節 なんじら(こころ)して(かた)りたまふ(もの)(こば)むな、もし()にて(しめ)(たま)ひし(とき)これを(こば)みし(もの)ども(のが)るる(こと)なかりしならば、()して(てん)より(しめ)(たま)ふとき、(われ)(これ)退(しりぞ)けて(のが)るることを()んや。[引照]

口語訳あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
塚本訳あなた達は(キリストをもって)語られるお方をしりぞけないように気をつけよ。なぜなら、もし彼ら(イスラエル人)ですら地上でお告げを下されるお方をしりぞけて罰を免れなかったくらいならば、ましてわたし達が天からお告げを下されるお方にそむいたら、なおさらのことである。
前田訳語りたもうものを拒まないよう気をおつけなさい。もしみ旨を告げる方を拒んだものが地上で逃れえなかったならば、天から語りたもう方を拒むわれらはなおさらです。
新共同あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。
NIVSee to it that you do not refuse him who speaks. If they did not escape when they refused him who warned them on earth, how much less will we, if we turn away from him who warns us from heaven?
註解: 「地にて示し給いし時これを」「天にして示し給う時これを」はそれぞれ「地にて示し給いし者を」「天にて示し給いし者を」と訳すべきである。而して双方とも神を意味するけれどもその啓示の態様および程度において異なっていた。旧約の黙示は全く地的であり、新約の黙示は凡て天的であった。前者を拒む者(即ち結局旧約を啓示し給える神を拒むこととなる)すら罰を免れないとすれば、キリストを拒み、信仰より離れ、聖潔の徳を失い患難のために背教する者は新約の神を拒むものであってその罰はさらに一層甚だしいであろう。かく言いて新約の聖徒を警戒している。
辞解
[示し] chrêmatizô は「黙示を与うる」「警告を与える」等の意味あり。
[拒む] paraiteomai は「御免を蒙る」という俗語に相当する。
[退け] apostrephô 後向きになること、すなわち神を拒み神より離れること。
[(のが)れる] 神の罰を(のが)れること。

12章26節 その(とき)、その(こゑ)()(ふる)へり、されど(いま)(ちか)ひて()ひたまふ『(われ)なほ(ひと)たび()のみならず、(てん)をも(ふる)はん』と。[引照]

口語訳あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
塚本訳その時、そのお声は地を震わせた。しかし今彼は約束をして言われた、“わたしはもう一度、地”ばかりでなく“天を”も“揺り動かす”と。
前田訳かつてそのみ声は地を震わせましたが、今はお約束でした、「もう一度わたしは地ばかりでなく、天をも震わせよう」と。
新共同あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」
NIVAt that time his voice shook the earth, but now he has promised, "Once more I will shake not only the earth but also the heavens."
註解: エホバがモーセに十誡を授け給う時地は震動した(引照1)。然るに神はなお約束(ハガ2:6)を与えて今一度天をも震わんと宣うた。この聖句を引用せる所以は次節の説明を与えんがためである。
辞解
[誓ひて] 「約束して」と訳すべきで新天新地出現についての神の約束を言う。
[地を震えり] 七十人訳には「民甚だしく驚けり」とあり、ゆえに多く七十人訳より引用せる著者もここにはヘブル原典より引用している。
[なほ一度] ヘブル語原典は「今暫くして」の意、七十人訳によった。

12章27節 ()の『なほ一度(ひとたび)』とは(ふる)はれぬ(もの)(のこ)らんために、(ふる)はるる(もの)すなはち(つく)られたる(もの)()(のぞ)かるることを(あらは)すなり。[引照]

口語訳この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
塚本訳しかし、この“もう一度”とは、造られたものとして、震われるものの変更されることを意味する。これは震われることのないものが(永遠に)のこるためである。
前田訳「もう一度」とは、造られたものが震われて除かれることを意味します。それは震われないものが残るためです。
新共同この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
NIVThe words "once more" indicate the removing of what can be shaken--that is, created things--so that what cannot be shaken may remain.
註解: ハガ2:6の預言の意味は神は地のみならず天をも震い給いて、震われるものすなわち一時的の存在を有する無常なる被造物を凡て一掃し給いてそこに永遠に震うことなく動くことなき新しき国を建て給うことを意味している。ゆえにモーセが十誡を授けられし時地が震動したことはその一時的存在であることの証拠であって、やがては新しき約束が完成する時天も震い動かされて新天新地が実現し(黙21:1、2)そこに凡ての希望が成就し、凡ての栄光が輝き出でるであろう。ゆえに新約の福音をすててユダヤ教に帰ること、患難のために信仰を失うこと、罪のためにキリスト者たる特権を失うことは、この無限の栄光をすてて地的、一時的生命を得ることに過ぎない。

12章28節 この(ゆゑ)(われ)らは(ふる)はれぬ(くに)()けたれば、感謝(かんしゃ)して恭敬(うやうやしき)畏懼(おそれ)とをもて御心(みこころ)にかなふ奉仕(つとめ)(かみ)になすべし。[引照]

口語訳このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
塚本訳だからわたし達は(永遠に)揺り動かぬ国を授かったのだから、(神に)感謝しようではないか、それによって敬虔と畏怖とをもって、お気に入るように神を礼拝しようではないか。
前田訳かくて、われらは震われぬ国を受けたのですから、感謝をいだき、かしこみおそれて、神のよろこばれるよう奉仕しましょう。
新共同このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
NIVTherefore, since we are receiving a kingdom that cannot be shaken, let us be thankful, and so worship God acceptably with reverence and awe,
註解: 我らキリスト者は現在すでに永遠不変の国を握っていること故(その完全なる実現は勿論新天新地の顕現、キリストの再臨の時にある)、そのキリスト者の取るべき態度は第一に感謝を捧ぐることと第二に神に仕うることである。而して神に仕うる方法は少しも神の御旨に違わざるように慎み畏れ(「恭敬」 eulabeia )、神の審判を畏れかしこみて神の御旨に叶うように神に仕うることである。すなわち神に仕うるの方法は外形の恭敬畏懼(いく)にあらずして心の恭敬畏懼(いく)であり、神の与え給いしキリストの十字架の恩恵を虚しうせず、神の御旨に従って己を潔くし神の審判を畏れて罪より遠ざかることである。
辞解
[受けたれば] 現在動詞なるに注意すべし。
[畏懼(おそれ)] deos 新約聖書中唯ここにのみ用いらる。恐怖の意味で天地を滅ぼし給う神の稜威に対して我らの取るべき態度を示す。

12章29節 (われ)らの(かみ)()(つく)()なればなり。[引照]

口語訳わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。
塚本訳わたし達の“神は焼きつくす火”であるからである。
前田訳われらの神は焼き尽くす火にいまします。
新共同実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。
NIVfor our "God is a consuming fire."
註解: 申4:24その他に示されるごとく神の審判は焼尽す火に譬えられている。而して新約の神は(ただ)に恩恵の神であるのみならず、また審判の神であって、このことを忘れて新約の福音は真の福音たる力を失う。我らはこの審判を畏れて自ら慎まなければならない。
要義 [新約の福音と信者の態度]新約の福音は最も完全に神の愛(12:1−13)と義(14−17)と審判(18−29)とを示している。我らの信仰はかかる神に対する絶対の信頼でなければならない。愛の神に在し給うが故にキリストの十字架によりて我らの罪を凡て赦し給うた。それ故に我らはこの福音より離れて空論や儀式やまたユダヤ教の古き伝統に逆戻りしてはならない。また神は愛に在すが故に患難もその懲戒であり、神は義に在すが故に我らも自らを潔くしなければならず、また神は審判の神に在すが故に我らは畏れて彼の御旨に遵う生涯を送らなければならぬ。この三要素(換言すれば忍耐・聖潔・確信)を確保することがこの著者の読者に対する薦めであった。

ヘブル書第13章
2-4 一般的訓戒 13:1 - 13:17

註解: 前章をもって本書の主要部分は終了した。ここに著者は本書を終る前にさらに一般的勧告を附加している。勿論著者はこれまでも種々の勧告を与えていたけれども、これはベブル人の読者に特有なるものが多かった。本章においてはむしろ一般に通ずべき性質のものが多い。

13章1節 兄弟(きゃうだい)(あい)(つね)(たも)つべし。[引照]

口語訳兄弟愛を続けなさい。
塚本訳(集会では、お互の間に)兄弟愛がいつまでもなくならないように。
前田訳兄弟愛が保たれますように。
新共同兄弟としていつも愛し合いなさい。
NIVKeep on loving each other as brothers.
註解: 1−3節は兄弟の愛に関する教訓である。キリスト者同志は兄弟と呼ばれていた。而して信仰の兄弟の愛は信仰の衰退の場合に殊に減少するのが常であって本書の読者の場合のごとき特にこれを強調すことが必要であった。而して次の2、3節にその内容ともいうべき二三の場合を特に取出している。

13章2節 旅人(たびびと)接待(せったい)(わす)るな、(ある)(ひと)これに()り、()らずして御使(みつかひ)(やど)したり。[引照]

口語訳旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。
塚本訳(また、)旅人の接待を忘れないように。というのは、このことにより(アブラハム、サラなど)ある人々は、(自分でも)知らずに天使を泊め(て、神の恩恵を受け)たからである。
前田訳旅びとのもてなしをお忘れなく。このことにより、ある人々はそれと知らずに天使たちをもてなしました。
新共同旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。
NIVDo not forget to entertain strangers, for by so doing some people have entertained angels without knowing it.
註解: 旅舎の設備の不完全であった当時代において、旅人の接待は殊に必要なる愛の行為とせられていた。然のみならず当時キリスト者は一面世俗の権力より、一面ユダヤ人より迫害せられていたのでキリスト者の旅人を宿すことは自己に対しても危険が多かったので、この愛の行為を避けんとする者が多かったのであろう。而してこの行為をすすむることにつき著者はアブラハムとロトの例を引用し(引照2)、またマタ25:35−40のごとき主の教訓を思い起したのであろう。旅人の接待は神の最もよろこび給う愛の行為であることを知らなければならない。

13章3節 (おのれ)(とも)(つな)がるるごとく囚人(めしうど)(おも)へ、[引照]

口語訳獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。また、自分も同じ肉体にある者だから、苦しめられている人たちのことを、心にとめなさい。
塚本訳(主のための)囚人を、同囚人として記憶せよ。虐待されている人たち(のこと)を記憶せよ、あなた達自身も(なお)肉体においてあるのだから。
前田訳捕われの人々を共に捕われたものとして、苦しめられている人々を自らも肉体にあるものとして、思いやってください。
新共同自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。
NIVRemember those in prison as if you were their fellow prisoners, and those who are mistreated as if you yourselves were suffering.
註解: 当時キリスト者は迫害を受けて多く牢獄に繋がれた。キリスト者はキリストに在りて一体であるが故に、その中の一人が繋がれて苦しむ場合には凡ての肢が自分も繋がれるごとくに苦しむのが当然である。これ一体たる兄弟の愛である(Tコリ12:26)。本書簡の読者の中に迫害を恐れて兄弟愛を実行せず、縲絏(なわめ)の中にある者を見舞わない者が起って来たのであろう。

また(おのれ)肉體(にくたい)()れば、(くる)しむ(もの)(おも)へ。

註解: 「苦しむ者」は「虐待される者」と訳すべきである。すなわち我らも今は肉体に在りてこの世に生存している以上、何時同じ苦痛を受けないとも限らないこと故(M0、Z0、E0、A1、I0、B1)キリスト者として虐待される者を同情すべきである。
辞解
[己も肉體に在れば] 種々に解せられる。(1)「汝も同じ体なれば」すなわち「キリストに在る一体なれば」(C1)、(2)「あたかも汝自身虐待される者のごとくに」(ベザ)等あれど前掲の解が優っている。

13章4節 (すべ)ての(ひと)婚姻(こんいん)のことを(たふと)べ、また寢床(ねどこ)(けが)すな。(かみ)淫行(いんかう)のもの、姦淫(かんいん)(もの)(さば)(たま)ふべければなり。[引照]

口語訳すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。
塚本訳婚姻はすべての点において尊ばれよ。また夫婦の床が汚れないように。神は不品行の者と姦淫する者とを罰されるからである。
前田訳すべての人に結婚は尊いもの、ふしどは清らかであるべきです。神は不身持ちや姦淫のものを裁きたまいます。
新共同結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。
NIVMarriage should be honored by all, and the marriage bed kept pure, for God will judge the adulterer and all the sexually immoral.
註解: 色慾に関する貞潔のすすめである。婚姻は極めて重大なることである。これを極めて軽きことと見、自由に結合し、勝手に離婚し、あるいは政略や金銭等の理由より結婚するごとき何れも婚姻を尊重せざるものである。これを凡ての人に対して警戒している。また結婚の前後を論ぜず貞潔は極めて大切なる徳である。これらを破る淫行および姦淫の罪はあるいはこの世の法律に依りては処罰されないことがあるであろうけれども、神は必ずこれを(さば)き給うが故に懼れなければならない。
辞解
[凡ての人] en pasin はこれを中性に解し「凡てのことにおいて」と解する説があるけれども不可である。「凡ての人」と特に指示せる理由は「禁慾主義者」も「未婚の人も」または「僧侶階級に属し婚姻を汚れと見ている人も」等の意に解する説があるけれどもここではむしろある特種の階級や社会において婚姻に関して殊に放恣(ほうし)なるものがあるから凡ての人と言ったのであろう。

13章5節 (かね)(あい)することなく、()てるものを(もっ)()れりとせよ。(しゅ)みづから『われ(さら)(なんぢ)()らず、(なんぢ)()てじ』と()(たま)ひたればなり。[引照]

口語訳金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。
塚本訳金銭を愛せぬ生活をせよ。(現在)もっているもので満足せよ。神がこう言われたからである、“わたしは決してあなたを見殺しにしない、また決してあなたを見捨てない”と。
前田訳生活では金銭欲を避け、持ちもので満足なさい。神ご自身いわれました、「わたしはけっしてあなたを離れず、またあなたを見捨てない」と。
新共同金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
NIVKeep your lives free from the love of money and be content with what you have, because God has said, "Never will I leave you; never will I forsake you."

13章6節 ()れば(われ)(こころ)(つよ)くして()()はん『(しゅ)わが助主(たすけぬし)なり、(われ)おそれじ。(ひと)われに(なに)をなさん』と。[引照]

口語訳だから、わたしたちは、はばからずに言おう、「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」。
塚本訳だからわたし達は確信して言う(ことができる)。──“主はわたしの助け人、わたしは(何ものも)恐れない。何を人間がわたしにすることができようか。”
前田訳それでわれらはあえていえます、「主はわが助け手、わたしはおそれまい、人間がわたしに何をしえよう」と。
新共同だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。「主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。」
NIVSo we say with confidence, "The Lord is my helper; I will not be afraid. What can man do to me?"
註解: 色慾と共に最も普遍なるものは所有慾である。而して前者の罪は神の審判を恐れざるより起り、後者の罪は神の保護を信ぜざるより起る。神はしばしばその保護を約束し給える以上(創28:15。申31:6、8。ヨシ1:5。T歴28:20等)我らは彼を信頼して我らの衣食につき憂慮する必要はない。彼は世界の凡ての富者よりも富み給う。ゆえにこの世の人が我らの職を奪い財産を没収するも恐れるに足らない。神は必ず必要のものを与え給う、ゆえに現に所有するものをもって足れりとしてその以上の慾望をばこれをサタンの誘いとして退くべきである。
辞解
[金を愛することなく] 直訳「処生上金銭を愛するなかれ」。
『われ更に云々』の引用は旧約聖書中にこれに類似のものなく、また神の言としてではなく神に関する言として掲げられしものがあるのみなので(5節引照3参照)学者は種々頭脳を絞ってこれを解決しようとしているけれども著者はかかることに拘泥せず、旧約聖書の大体の精神をこの文章に綴って掲げたのであろう(C1)。第6節に詩118を引用したのは、そのごとき事情を思い浮かべてこれをその当時のキリスト者に適用し得ることを考えたのであろう。美わしき信頼の詩である。
[助主] boêthos は呼び声に応じて助けを与える者。新約聖書にはこの一ヶ所にあるのみでヨハネ伝およびヨハネ書簡の助主 paraklêtos と異なる。

13章7節 (かみ)(ことば)(なんぢ)らに(かた)りて(なんぢ)らを(みちび)きし(もの)どもを(おも)へ、その行状(ぎゃうじゃう)(をはり)()てその信仰(しんかう)(なら)へ。[引照]

口語訳神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。
塚本訳神の御言葉を語ってくれたあなた達の指導者たちのことを思え。その生涯の終り(──いかに神の御言葉を証ししながら死んだか)を注意してみて、その信仰をまねよ。
前田訳あなた方の指導者を思ってください。神のことばをあなた方に語ったのは彼らです。彼らの活動の成果を見てその信仰にならいなさい。
新共同あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。
NIVRemember your leaders, who spoke the word of God to you. Consider the outcome of their way of life and imitate their faith.
註解: 私訳「神の言を汝らに語りし汝らの指導者たちを記憶せよ」。1−6節殊に6節のごとき信頼の生活の最善の模範としてここにすでに死せる指導者、先生、先輩達(17、24節)のことを追憶すべきことを薦めている。蓋し当時のキリスト者の中には一生立派なる生涯を送って後殉教せる者多くあり、彼らの指導者たちの中にもそれが多かったのであろう(ローマの読者とすれば勿論のことである ─ 緒言参照)。この行状の終り、すなわちその生涯殊にその死に方を見てその信仰にならうべきである。大切なのは死に方よりも信仰である。
辞解
[神の言] 神の子キリスト、およびこれに関する教え(Tテサ2:13)。
[導きし者ども] hêgoumenoi 「教会の指導者、有力家などに対する普通の用語で、これらの人々には漠然たる権威が与えられていた。公けの身分は未だ決定せず、公への職名は一般的に用いられていなかった」(E0)。
[行状の終] この世における「生活態度の終局」の意味で主として殉教の死を指していると見るべきであろうけれども必ずしもこれに限る必要はない(Z0)、立派なる生涯と平安勝利の死もこれに入れることができる。

13章8節 イエス・キリストは昨日(きのふ)今日(けふ)永遠(とこしへ)までも(かは)(たま)ふことなし。[引照]

口語訳イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。
塚本訳イエス・キリストは、きのうも、きょうも、また永遠に、同じである。
前田訳イエス・キリストはきのうもきょうもとこしえに同じ方です。
新共同イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
NIVJesus Christ is the same yesterday and today and forever.
註解: 有名なる一節であって、前節を受けてこれを結び、さらに9−15節の大前提をなしている。すなわち先輩なる聖徒、殉教者等を導き護り給いしそのイエスは昨日も今日も、否、何時までも同じイエスに在し給う。ゆえにこのイエスに対する信仰が変化するはずはない。指導的地位に在った先輩の信仰に対して恥づる如き信仰に堕落してはならない。この一節原語は「イエス・キリストは昨日も今日も同一に在し、永遠に至るもまた然り」となっている。

13章9節 各樣(さまざま)(こと)なる(をしへ)のために(まどは)さるな。飮食(のみくひ)によらず、恩惠(めぐみ)によりて(こころ)(かた)うするは()し、飮食(のみくひ)によりて(あゆ)みたる(もの)(えき)()ざりき。[引照]

口語訳さまざまな違った教によって、迷わされてはならない。食物によらず、恵みによって、心を強くするがよい。食物によって歩いた者は、益を得ることがなかった。
塚本訳あなた達はさまざまな、異様の教義に惑わされてはいけない。(近ごろ食物が救いに役立つように言う人があるが、それは大きな誤りである。)なぜなら、食物によらず、(神の)恩恵によって、心を確かにされることがよろしいからである。食物によって(信仰の道を)歩いた者たちは、(食物ではすこしも)益されなかったではないか。
前田訳さまざまな異なった教えに迷わされないでください。食物によらず、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物によって歩んだ人々は益を得ませんでした。
新共同いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません。食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした。
NIVDo not be carried away by all kinds of strange teachings. It is good for our hearts to be strengthened by grace, not by ceremonial foods, which are of no value to those who eat them.
註解: 著者は本節より15節まで再び旧約の律法とキリストとを対比しキリストを信ずる者は決して再び旧約の形式主義に逆戻りすべきにあらざることを教えている。すなわちイエス・キリストは永遠に変り給うことなき故、従って彼を信ずる者もまた不動の確信がなくてはならないことを示しているのである。蓋し当時のユダヤ的キリスト者の中には種々の新奇なる教えが行われており殊にそれが飲食について多く行われた(9:10)、あるいはレビに関する規定に従いて(レビ11:34−36)汚れし物を食うべからずと唱え、または禁欲的傾向よりある種の食物を断つべしと唱え(これに対するパウロの反対はコロ2:16−23。Tテモ4:3−5、8。テト1:15)、また肉食につきて困難なる問題を生じ(ロマ14:1−23)、殊に当時のキリスト者の中には祭壇に捧げられし肉を(Tコリ8:1−23)食すべきや否やの難問も存在した。かくのごとく不思議にも飲食のことに関して多くの難問が生じていた。キリストの永遠不変に在すことに関する確信を有たないものは、かかる些末(さまつ)の問題についてその信仰の動揺を来していた。ゆえに「これに惑わさるな」と言いて彼らを誡め、かつ飲食に関する一定の信仰を持つことによりて救われるがごとくに考え、これを基として歩みをなす者は救いについて何の益を得ることもないことを教えている。キリスト者の取るべき態度はキリストの十字架によりて我らを救い給える神の「恩恵により」心を強うし堅き信仰を握るより外にない。
辞解
[飲食] 前掲諸種の場合の何れを指すかは学者間に困難なる問題として論議せられている、A1、M0、Z0等参照。(前掲の外にこれを聖晩餐の意味に取る説などもある、I0。)しかしながら強いてこの中の一つを選ぶ必要は全くない、著書の脳裡にこの種々の場合が浮んでいたものと解しても差支えないであろう。而して飲食に関するかかる面倒なる問題を全く度外して、キリスト者にはかかる旧約的思想の人々の味わい得ざる飲食があること、およびかかる人々とは全く別の世界に住むことを次節以下において明らかにしている。(強いてその一つを選ぶとすれば、次節との関係上ユダヤ教の祭壇に献げし犠牲の肉に関する種々の教えについて言えるものと解するのが最も当を得ているであろう。)

13章10節 (われ)らに祭壇(さいだん)あり、幕屋(まくや)(つか)ふる(もの)(これ)より(しょく)する(けん)()たず。[引照]

口語訳わたしたちには一つの祭壇がある。幕屋で仕えている者たちは、その祭壇の食物をたべる権利はない。
塚本訳(なるほど旧約と同じように、新約の)わたし達にも一つの祭壇がある。(すなわち聖晩餐の食卓であるが、新約の)幕屋に奉仕する者は、そこから(いただいて)食べる権利を持たない。
前田訳われらにも祭壇がありますが、幕屋で礼拝するものはその食物を食べる権利がありません。
新共同わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。
NIVWe have an altar from which those who minister at the tabernacle have no right to eat.
註解: 「幕屋に事ふる者」はイスラエルの祭司を指す。彼らは平常は祭壇にささげし肉を食うの権を持っていた(Tコリ10:18引照を見よ)。これと同じく我らキリスト者には我らの祭壇なるキリストの十字架があり、そこにキリストは犠牲となりて献げられ給い、我らは新約の祭司としてこの肉を食い血を飲むの権利がある(ヨハ6:53)。而して旧約の祭司は年一回の大贖罪日にその犠牲の肉を食うことができないと同様(レビ16:27)この十字架にささげられし肉を食うことの権がない。ここに新約の祭司たるキリスト者と旧約の祭司との間に大差が存する所以であって、キリスト者は何時までも旧約的飲食のことに心を労してはならない。
辞解
[祭壇] あるいは(1)特別に何も指すものがないと解し、または(2)キリスト自身、(3)主の晩餐の卓、(4)天の処、(5)十字架(B1、ブレーク、A1、M0、Z0)等種々に解せらる。
[幕屋に(つか)ふる者] これもあるいは(1)キリスト者と解し、あるいは(2)ユダヤの祭司と解するけれども後者が適当である。

13章11節 (だい)祭司(さいし)(つみ)のために活物(いきもの)()(たづさ)へて()聖所(せいじょ)()り、その活物(いきもの)(からだ)陣營(ぢんえい)(そと)にて()かるるなり。[引照]

口語訳なぜなら、大祭司によって罪のためにささげられるけものの血は、聖所のなかに携えて行かれるが、そのからだは、営所の外で焼かれてしまうからである。
塚本訳なぜなら、(旧約によれば贖罪の日、)大祭司によって、(民の)“罪のための”(犠牲の)獣の“血は聖所に持って入られ(る”けれども)、その体は“宿営の外で焼きすてられる”からである。
前田訳なぜなら、大祭司によって罪の清めのために獣の血が聖所の中に運ばれますが、その体は陣営の外で焼かれます。
新共同なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。
NIVThe high priest carries the blood of animals into the Most Holy Place as a sin offering, but the bodies are burned outside the camp.

13章12節 この(ゆゑ)にイエスも(おの)()をもて(たみ)(きよ)めんが(ため)に、(もん)(そと)にて苦難(くるしみ)()(たま)へり。[引照]

口語訳だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。
塚本訳だからイエスも(これと同様に、しかし獣の血でなく)自分の血をもって、民をきよめるために、(エルサレムの)門の外で(十字架の)苦しみをうけられたのである。(すなわち贖罪と同じように、血は天の聖所の中に持って入られたけれども、その肉体は門の外のゴルゴダで滅び失せたのである。だから新約の祭壇では、食べる肉は無い。聖晩餐のパンがキリストの肉である訳はないではないか。)
前田訳それゆえイエスも、自らの血で民を聖めるために、門の外でお苦しみでした。
新共同それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです。
NIVAnd so Jesus also suffered outside the city gate to make the people holy through his own blood.
註解: ユダヤの大祭司は年に一度大なる贖罪の日に犠牲の動物の血を携えて人民の罪を贖う(レビ16:27)。この犠牲はキリストの犠牲の型であり(2:17。4:14−5:10。8:1−10:18)キリストは唯一度己の宝血を携えて天の至聖所に入り給うた。而して犠牲の動物の体は他の場合(すなわち普通の祭事、レビ4:3−21。6:23)におけるがごとく祭司の有に帰せずして汚れしものとして陣営の外で焼かれた。これと同じくキリストの体も祭司をもって代表される旧約の律法の下にあるユダヤ人には与えられずして、陣営と同視すべきエルサレムの町の門外において十字架の苦難を受け給うた。ゆえにキリストの体を食わんと欲する者は旧約の律法、儀式、祭事、飲食のことより離れて門の外に出なければならない。動物の体が陣営の外にて焼かれしことはこれを汚れしものとして陣営の中に留むべきでないとしたのであった。同様にイエスは罪人として町の外に棄てられ給うけれども、これがかえって家の隅の首石(かしらいし)となり救いの源となり給うたことは奇しきことである(レビ24:14。民15:35以下。申17:5)。
辞解
[陣営] parembolê 荒野におけるイスラエルの天幕生活の全体をいう、神の幕屋を中心にしてその周囲を取巻いていた。
[門の外] エルサレムの門外で(マタ27:32。マコ15:20。ヨハ19:17)エルサレムは荒野におけるイスラエルの陣営の代表である。

13章13節 されば(われ)らは(かれ)(はぢ)()ひ、陣營(ぢんえい)より()でてその御許(みもと)()くべし。[引照]

口語訳したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。
塚本訳それならばわたし達も彼(と同様)の罵りを忍んで、(肉のこの)“宿営の外”に出て彼のところにゆこう。
前田訳それで、われらも彼の恥を負って陣営の外で彼のところへ行きましょう。
新共同だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。
NIVLet us, then, go to him outside the camp, bearing the disgrace he bore.
註解: イスラエルの陣営においてその陣営より放逐されることは神の民たるの資格を失うことであって大なる恥辱であった。而してキリストはこの恥辱を受けて門の外に苦しみ給いたれば彼の弟子たるユダヤ人らもまたイエスと共にユダヤ教の範囲より脱出しなければならない。これによりてその同胞なるユダヤ人より多くの非難攻撃を受けるであろうけれどもこれキリストの弟子の負うべき当然の運命であたかもクレネのシモンのごとくキリストの十字架を負う所以である。

13章14節 われら此處(ここ)には永遠(とこしへ)(みやこ)なくして、ただ(きた)らんとする(もの)(もと)むればなり。[引照]

口語訳この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。
塚本訳わたし達にはここにいつまでもなくならない都はなく、ただ来るべき(天の)都をさがし求めているからである。
前田訳われらはこの地上に永遠の都を持たず、来たるべき都をば求めているのです。
新共同わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。
NIVFor here we do not have an enduring city, but we are looking for the city that is to come.
註解: 「来たらんとする者」は「来たらんとする都」と訳すべきである。キリスト者はこの地上に永遠の都を持たない旅人また寄寓者である(11:13)。たといそれがエルサレムであっても永遠ではない(おそらくこの書簡が(したた)められて後間もなくエルサレムは陥ったのであろう)。キリスト者の切に希求するものは来たらんとする天の都(黙21:2。ヘブ11:10)である。
辞解
[求む] epizêteô 切に求むること。

13章15節 ()(ゆゑ)(われ)らイエスによりて(つね)讃美(さんび)供物(そなへもの)(かみ)(ささ)ぐべし、(すなは)ちその御名(みな)()むる口唇(くちびる)()なり。[引照]

口語訳だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。
塚本訳だからわたし達は、イエスによって“讃美の犠牲を”絶えず“神に捧げようではないか。(すなわち)これは御名をたたえる“唇の実”である。
前田訳彼によってわれらはたたえのいけにえを絶えず神にささげましょう。それは、彼のみ名をたたえるくちびるの実です。
新共同だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
NIVThrough Jesus, therefore, let us continually offer to God a sacrifice of praise--the fruit of lips that confess his name.
註解: キリスト者はユダヤ教の(かこい)の外にでなければならぬ。しかしキリスト者にはまた彼ら特有の供物がある。本節および次節はそれである。その供物の第一は神を讃美することであって、この供物は霊的であり(旧約の犠牲の動物と対照すべし)、大祭司イエス・キリストによりて神に献げられ(旧約の大祭司による供物と対照すべし)、しかも時々献げられるにあらずして「常に」「不断に」献げられる供物である。而して讃美の供物は罪を消さんがための血の供物ではなく、すでに罪を赦されし者の感謝の心が口唇を通して溢れ出でて神の御名を()むるに至る口唇の果である。要するにキリスト者は旧約的犠牲を全廃し、罪の恐れを除きて心に溢れる感謝をキリストを通して神に献ぐべきであって、これにまされる供物はない。
辞解
[讃美の供物] 詩50:14、23。
[御名を()むる] 詩54:6。
[口唇(くちびる)の果] ホセ14:2の七十人訳(14:3)によれるものでヘブル原典とは意味を異にしている。

13章16節 かつ仁慈(なさけ)施濟(ほどこし)とを(わす)るな、(かみ)()くのごとき供物(そなへもの)(よろこ)びたまふ。[引照]

口語訳そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。
塚本訳しかし(同様に、)慈善と同情とを忘れるな。こんな犠牲こそ神のお気に召すからである。
前田訳善い行ないと施しをお忘れなく。神はこのようないけにえをおよろこびです。
新共同善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
NIVAnd do not forget to do good and to share with others, for with such sacrifices God is pleased.
註解: 神に対する感謝の心は溢れて隣人に対する愛となる、而して隣人に対して仁慈(なさけ)施済(ほどこし)とを行うことは、すなわち神に対する供物をすることである。これがキリスト者の行うべき第二の供物であり、神はかかる供物を喜び給う。
辞解
[施濟(ほどこし)] koinônia 自分の所有を他人と共に分ち用いること(Uコリ9:13。ロマ15:26)。

13章17節 (なんぢ)らを(みちび)(もの)(したが)(これ)(ふく)せよ。(かれ)らは(おの)(こと)(かみ)()ぶべき(もの)なれば、(なんぢ)らの靈魂(たましひ)のために()(さま)しをるなり。(かれ)らを(なげ)かせず、(よろこ)びて()()さしめよ、(しか)らずば(なんぢ)らに(えき)なかるべし。[引照]

口語訳あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。
塚本訳指導者に従い、(その権威に)服せよ。彼らは(神に)責任を問われる者として、あなた達の魂のために(絶えず)心配しているからである。(こんな注意をするのは、)彼らが呻きながらでなく、喜んでその(仕)事をするためである。そうでなければ、(いかに熱心でも、)そのことが、(すこしも)あなた達の為にならないからである。
前田訳あなた方の指導者に従い服しなさい。彼らは神への弁明者としてあなた方の魂を見守っています。彼らが嘆かずに、よろこびをもってこのことをするようになさい。さもないと、あなた方に益しません。
新共同指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。
NIVObey your leaders and submit to their authority. They keep watch over you as men who must give an account. Obey them so that their work will be a joy, not a burden, for that would be of no advantage to you.
註解: 私訳「汝らの指導者たちは〔汝らにつきキリストに〕陳述すべき者として汝らの霊魂のために目を覚し居る故に、彼らに願い服せよ、これ彼ら喜びてこれを為し歎きつつこれを為すことなからんためなり。かかることは汝らに益なきなり」。7節において死せる指導者らに対する態度を教え、ここに17−19節において現在の指導者らに対する道を教えている。長者を敬うことがキリスト教道徳の重要なる部分であることがわかる。而して現在の指導者たちに対する第一の注意は彼らに「(したが)ひ之に服すべきことである」。「服する」 hupeikô は命令に「従う」よりも一層強き服従であって、自己の不満をも抑えて従うことを意味する(M0)。而してかくのごとくに服従せざるべからざる理由は指導者たちの任務の重大さ(キリスト再臨の時(▲(+)は勿論毎日の祈りの中に)信徒らにつきてキリストの前に陳述すること)とその苦労(彼らの霊魂の状態を知悉(ちしつ)するために、夜の目も寝ずに怠らず注意を払っていること)とである。而して彼らに対し従順を薦むる必要ある所以は、指導者らをして喜びて「愉快に」この重大なる任務を遂行せしめんがためであってもし不従順の態度を示したならば彼らの心は「歎かず」にいられない。而して彼らを歎かすることは結局信徒には何の益をも与えないからである。「従順を特に強調する必要があった所以は当時の状態として指導者たちは国法上または教会法上の権力を持たなかったからである」(Z0)。
辞解
[己が事を神に陳ぶべき者なれば] 原語は三字で「陳述すべき者として」の意(マタ12:36。ルカ16:2。使19:40等)、陳述すべき相手方は再臨のキリスト(A1、E0、Z0等)。
[目を覚す] イスラエルの守望者(まもりて)のごとく(エレ6:17。エゼ3:17以下。33:7以下)目を覚して見張りをしていること。

分類
3 祈祷および挨拶 13:18 - 13:25

13章18節 (われ)らの(ため)(いの)れ、(われ)らは()良心(りゃうしん)ありて(すべ)てのこと(ただ)しく(おこな)はんと(ほっ)するを(しん)ず[る](れば)なり。[引照]

口語訳わたしたちのために、祈ってほしい。わたしたちは明らかな良心を持っていると信じており、何事についても、正しく行動しようと願っている。
塚本訳わたし達のために祈りをつづけてくれ。わたし達は正しい良心を持ち、すべての点において正しく行動しようと念願していることを、(かたく)信じているからである。
前田訳われらのために祈ってください。われらは正しい良心を持つと信じ、何につけても正しくふるまいたく思っています。
新共同わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています。
NIVPray for us. We are sure that we have a clear conscience and desire to live honorably in every way.

13章19節 われ(すみや)かに(なんぢ)らに(かへ)ることを()んために、(なんぢ)らの(いの)らんことを(こと)(もと)む。[引照]

口語訳わたしがあなたがたの所に早く帰れるため、祈ってくれるように、特にお願いする。
塚本訳しかし一層(強く)祈るようにあなた達に願う、わたしがすこしでも早くあなた達に戻してもらえるようにと!
前田訳わたしがあなた方のところへなるべく早く戻されるよう、とくにお祈りのほどお願いします。
新共同特にお願いします。どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください。
NIVI particularly urge you to pray so that I may be restored to you soon.
註解: 「我ら」というも単に著者自身を指すに過ぎざることは次節により明らかである(M0、Z0、E0、I0等、A1は反対)。著者は己のためにも祈らんことを読者に依頼した。前後の関係より見て彼も指導者の一人であることは明らかである。而して何れの処にも有り得るごとく彼についてもかれこれの非難は有ったのであろう。しかし彼自身はその良心に顧み、その意思を検してそこに何ら(やま)しきところがないと信じた。従って彼は指導者としてその弟子たちに祈りを要求し得ることを信じた。また彼の切なる願いは再び読者なるその信徒の許に帰ることであった。これがためには殊に信徒の切なる祈りを求めた。彼の愛心の発露である。何故に彼がその信徒の許に再び帰り得なかったかの理由は不明である。唯彼が縲絏(なわめ)の中に在ったのではないことは23節よりこれを知ることができる。

13章20節 (ねが)はくは永遠(とこしへ)契約(けいやく)()によりて、(ひつじ)大牧者(だいぼくしゃ)となれる(われ)らの(しゅ)イエスを、死人(しにん)(うち)より引上(ひきあ)(たま)ひし平和(へいわ)(かみ)[引照]

口語訳永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神が、
塚本訳“羊の”大“牧者”であるわたし達の主イエスを、“永遠の約束の血によって”死人の中から“つれ上られた”平和の神が、
前田訳永遠の契約の血によって羊の大牧者、われらの主イエスを死人の中からお起こしになった平和の神が
新共同永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、
NIVMay the God of peace, who through the blood of the eternal covenant brought back from the dead our Lord Jesus, that great Shepherd of the sheep,
註解: パウロやペテロのごとくこの著者もまさにその書簡を終らんとして神に対する切なる祈願を吐露することを禁じ得なかったのであろう(Tテサ5:23。Uテサ3:16。Tペテ5:10)。まず初めに神の御名を呼ぶに「平和の神」をもってする所以は教会において最も必要なるものは平和であり、神がまず人に対して平和の心を持ち給い(人の罪を消すことによりて)、これによりて人が神に対して平和を持ち(ロマ5:1)その結果信者相互間にも平和が支配するに至ることが最も美わしき状態であるからである。而してこの平和の源は神の御心にあるが故に彼を「平和の神」と呼び奉ったのである(引照5)。この神の働きとしてイエスの復活と昇天(A1)とを記せる所以はこれによりて神の力を認め、かつイエスの羊の大牧者として永遠の存在を確保し給うことを明らかにせんがためである。(このことは次節の祈願に重大なる関係がある)而して永遠に変ることなき人類救済の神の契約、すなわち新約がイエスの十字架の血(10:29)によりて成就し、かつ血判のごとくに保証せられ、これによりて彼は羊の大牧者となり給うたのである。

13章21節 その(よろこ)びたまふ(ところ)を、イエス・キリストに()りて(われ)らの(うち)(おこな)ひ、[引照]

口語訳イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下さり、あなたがたが御旨を行うために、すべての良きものを備えて下さるようにこい願う。栄光が、世々限りなく神にあるように、アァメン。
塚本訳あらゆる善いことをあなた達に備えて御心を行わせ、かつ、御前にお気に入ることをイエス・キリストによってあなた達の中に行われんことを。栄光、永遠より永遠にこの神にあらんことを、アーメン。
前田訳あなた方をすべてのよいことにおいて全うしてみ心を行ないうるようにし、イエス・キリストによってわれらの間にみ心にかなうことを行なわせたまいますように。栄光が世々とこしえに彼にありますように。アーメン。
新共同御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。
NIVequip you with everything good for doing his will, and may he work in us what is pleasing to him, through Jesus Christ, to whom be glory for ever and ever. Amen.
註解: 祈願の第一は前節のごとき能力と平和の神が我らの心の(うち)に働きて、我らの悦ぶことではなく「御前に喜ばしきこと」(直訳)を為し、我らの心をまず神の御旨に叶うものと為し給わんことである。而してこのことはイエス・キリストを通して為され我ら心よりイエスを主と仰ぐことによりてかくせられる。

御意(みこころ)(おこな)はしめん(ため)(すべ)ての()(こと)につきて、(なんぢ)らを(まった)うし(たま)はんことを。

註解: 祈願の第二は本節前半の神の働きの結果として来ることであって、信徒の心の中に凡ての善事を為すべき準備が完成することである。信徒の切願はこれに外ならない。而してかくのごとくに準備整うの必要は自らの義に誇らんがためではなく神の「御意を行わん為」である。
辞解
[全うする] katartizô 11:3辞解参照。

世々(よよ)(かぎ)りなく榮光(えいくわう)、かれに()れ、アァメン。

註解: 使徒の書簡にしばしば見出される頌栄であって(ロマ11:36を見よ)神に対するもっとも美わしき献げ物である、「かれ」は神を指すか(A1、B1、Iデリッチ)、キリストを指すか(Z0、E0、M0)につきて二説あり。文法上は後者のごとくに見えるけれども全体の心持からは前者と解すべきであろう。
要義 [21、22節の祈りについて]この祈りは簡単なる語の中にキリスト者の信仰の重要なる点が凡て網羅されていることは驚くべきことである。我らはこの祈りの中に神の万能、神の愛、キリストの十字架とその復活、聖霊の働きと我らの信仰生活、而して最後に神に対する讃美を見出すことができる。而してこれらが神学的に機械的に羅列せられたのではなく一つの活生命として神と信者との生命の一致の中に顕われ出でし自然の叫びである点に深き意義がある。この祈りを深く味わい、心よりこれを祈り得る者は(さいわい)である。

13章22節 兄弟(きゃうだい)よ、()()(すすめ)(ことば)()れよ、(われ)なんじらに手短(てみじか)()(おく)りたるなり。[引照]

口語訳兄弟たちよ。どうかわたしの勧めの言葉を受けいれてほしい。わたしは、ただ手みじかに書いたのだから。
塚本訳兄弟たちよ、あなた達に勧める。わたしの励ましの言葉を(快く)聞いてほしい。わたしは手短かに書き送ったのだから。
前田訳兄弟たちよ、勧めのことばをお受けのようお願いします。結局、手短にお書きしたのですから。
新共同兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。
NIVBrothers, I urge you to bear with my word of exhortation, for I have written you only a short letter.
註解: 最後にこの書簡の結尾としてこの書簡に記されし著者の薦めの言を受納るべきことを勧めている。而してその理由としては勧告そのものの真理なるは勿論のこと、これに加うるに簡単にこの手紙を(したた)めたことであって、著者の記さんとする大真理は如何に長くこれを記すも尽くることはないけれども読者が迷うことのないように簡単に要点のみを記したこと故これを受納れ得ることであろう。
辞解
[請ふ] parakalô は「薦む」。
「我なんぢらに」以下は kai gar = also because をもって始まり、「そは汝らに簡単に書き送りたればなおさらのことなり」との意を示す。

13章23節 なんじら()れ、(われ)らの兄弟(きゃうだい)テモテは(ゆる)されたり。(かれ)もし(すみや)かに(きた)らば、(われ)かれと(とも)(なんぢ)らを()ん。[引照]

口語訳わたしたちの兄弟テモテがゆるされたことを、お知らせする。もし彼が早く来れば、彼と一緒にわたしはあなたがたに会えるだろう。
塚本訳わたし達の兄弟テモテが釈放されたことを知ってもらいたい。もし彼が早く来れば、彼と一しょにあなた達を訪ねよう。
前田訳われらの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします。もし彼が早く来れば、わたしは彼とともにあなた方にお会いしましょう。
新共同わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。
NIVI want you to know that our brother Timothy has been released. If he arrives soon, I will come with him to see you.
註解: このテモテはパウロの弟子のテモテ(使16:1)と同一人ならん。彼が牢獄に捕われしことは聖書中にも他の文献にも見えず、唯何処かにて何時かかかること有りしことを想像し得るのみである。著者は彼と共に読者の許に至らんとの切望を言表わしている。(注意)「なんぢら知れ」は「汝ら知る」と訳することができる。またZ0、C2等の説によれば「我らの兄弟テモテは旅立せり、彼帰り来るや否や(ean tachion)我かれと偕に汝らを見ん」と訳する説あり文法上正しくまた前後の関係上穏やかに見える。

13章24節 (なんぢ)らの(すべ)ての(みちび)(もの)、および(すべ)ての聖徒(せいと)安否(あんぴ)()へ。イタリヤの人々(ひとびと)、なんぢらに安否(あんぴ)()ふ。[引照]

口語訳あなたがたの指導者一同と聖徒たち一同に、よろしく伝えてほしい。イタリヤからきた人々から、あなたがたによろしく。
塚本訳あなた達の指導者一同、また聖徒一同によろしく。イタリヤの人々からあなた達によろしく。
前田訳あなた方の指導者の皆さんと聖徒の皆さんによろしく。イタリアからの人々があなた方によろしく申しています。
新共同あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。
NIVGreet all your leaders and all God's people. Those from Italy send you their greetings.
註解: この書簡は公けの団体に宛てたものであって、個人的書簡ではない。ゆえに凡ての指導者および凡ての聖徒に安否を問え(挨拶せよ)との依頼は受くる特別の人があったのではなく、まずこの書簡を受けてこれを公開の席において読み聞かせる場合これによりて全員がその挨拶を受け得るのである。「イタリヤの人々」とはイタリヤより来りて(M0、I0、A1、E0)この書簡の(したた)められる時著者と共に在った人である。従ってこの書簡がイタリーに宛てられたものであることを推定することができる。ただし「イタリヤの人々」の原語は「イタリヤに居る人々」(Z0、C2)の意味にも解し得るのであって、かく解する場合にはこの書簡はイタリーにおいて(したた)められたこととなる。要するにこの語よりこの書簡の(したた)められし場所を断定的に決定することはできない。(緒言参照)

13章25節 (ねが)はくは恩惠(めぐみ)なんぢら(すべて)(とも)()らんことを。[引照]

口語訳恵みが、あなたがた一同にあるように。
塚本訳恩恵、あなた達一同と共にあらんことを。
前田訳恩恵があなた方皆さんとともにありますように。
新共同恵みがあなたがた一同と共にあるように。
NIVGrace be with you all.
註解: Tテモ6:21。Uテモ4:22。コロ4:18。テト3:15等のごとく最後に結尾としてキリストの恩恵を読者の上に祈りつつ筆を()いている。