ヘブル書第1章
分類
1 教理の部 1:1 - 10:18
1-1 キリストの優越を示して信仰固持をすすむ 1:1 - 2:18
1-1-イ イエス・キリストの現顕と栄光 1:1 - 1:4
註解: ヘブル書はこれを二部に大別することができる。第一は教理の部(1:1−10:18)で、凡ての点においてキリストの優越を示しつつ(天使1:5−14。モーセ3:1−6。メルキゼデク7:1−10。レビ族の祭司7:11−17。旧約の祭司8:6−13。等と比較して)信仰の後退、不信仰を戒め、信仰の進歩と苦難における忍耐とを薦めている。ゆえに一見冷静なる理論的書簡のごとくして実は実際問題を熱情をもって取扱っている。第二は教訓の部(10:19−13:17。それ以下は結尾の挨拶)である。まず1:1−2:18においてキリストの優越の第一の点を示して信仰の固持をすすめている。
口語訳 | 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、 |
塚本訳 | 神は昔、(多くの)預言者たちをもって、(一つの御旨を)多くに分け、多くの方法で先祖たちに語られたが、 |
前田訳 | むかし神は多種多様の形で預言者たちによって先祖にお語りでしたが、 |
新共同 | 神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 |
NIV | In the past God spoke to our forefathers through the prophets at many times and in various ways, |
註解: 「昔」は次節の「この末の世」に対するのであってキリスト以前の旧約時代を指す。「預言者」はイザヤ、エレミヤ等の狭義の預言者ではなくモーセ、サムエル、ダビデ等をも含む広義の預言者を意味する。そしてこの「預言者たち」は「キリスト」に対応するのであって旧約と新約とを対象してその差の絶大なることを示さんとしているのである。
辞解
[により] en は「預言者を神の代表者として」の意味である。
註解: (▲「種々の時代に」で、イスラエルの歴史は旧約聖書に多くの時代に区別されて示されている。口語訳参照。)アブラハムの時代よりキリストの時代に至るまで種々の時代的変遷があった、その凡てがユダヤ人に対する意義ある神の黙示であったことは預言者たちによって示された。
註解: 預言、教訓、詩、実行、型、表徴、歴史的事実等を材料として預言者たちをしてユダヤ人に神の黙示を与えしめた。
註解: ユダヤ人の祖先に神の黙示を与え給うた。以上のごとく多くの時代と多くの方法を用いし事実は、旧約の黙示はその何れの一つを取っても不完全であること、(▲▲+また同時に神はキリストを示すために多くの苦心と準備とを為し給うたことを示し)、そしてこれに対してキリストの黙示の一つにして完全なることを示す。
口語訳 | この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。 |
塚本訳 | (いよいよ)この最後の日には、御子[キリスト]をもってわたし達に語られたのである。神はこの御子を万物の相続人と定め、彼によって(この)世界をお造りになった。 |
前田訳 | この末の日にはわれらにみ子によってお語りでした。神は彼をすべてのものの世継ぎとし、彼によって世々をおつくりでした。 |
新共同 | この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 |
NIV | but in these last days he has spoken to us by his Son, whom he appointed heir of all things, and through whom he made the universe. |
註解: キリストの再臨と世の終末近きにあり、神まさに世を審判 かんとしてその前に世を救わんがためにキリストを遣わし給うた。ゆえにキリスト顕れ給える以後世の終末までを末の世と称した(ヘブ10:37および引照)。
註解: 神が先祖たちに対するよりは遙かに優れる方法をもって我らに、その独り子キリストによりて黙示を与え給えることは驚くべき事実である。(ヘブル書全体はこの事実の敷衍であるということができる)かくして神の御言を御子によりて聴くことを得る者はあらゆる聖賢を友とするに優れる幸福を持っている。ゆえにキリスト者は旧約の凡ての聖徒にも優って幸福であり(マタ13:17。ヨハ8:56)また彼らに優って偉大である(マタ11:11)。
註解: これより4節の終りに至るまでキリストの本質が三段に区別して説明され、これによりキリストの神性の完備を示している。第一段(世嗣)は2節中部、第二段(創造者)は2節後半、第三段(支配者)は3、4節であって第三段はさらに細目に区分されている。そして「御子」については5節、世嗣については6−9節、創造主については10−12節、支配者については13、14節に詳説されている。そしてこの第一段は神が天地の創造以前に(M0)、キリストを万物の世嗣(ロマ8:17。マタ28:18)と立て給えることである(詩2:8)。ゆえにキリストは旧約の預言者たちのごとく一時的なる不完全なる存在に比較されるべきではない。
辞解
[曾 て] 原文になく、「立て」が過去動詞のためにこう訳したのであろう。またこの一段を神がキリストを復活昇天せしめ給えることを指すと解する学者も多いけれども(C1、G2、Z0)、第三段すなわち3、4節との対照上上述の註解を正しとした(E0、A1、I0、M0)。
また
註解: キリストはまた万有の「創造者」に在し給う。パウロはこの点を強調し(コロ1:16)、ヨハネもこのことをその福音書の冒頭に掲げている(ヨハ1:1、2)。このことを明らかにせざればキリストの御言に対する信仰の真の意義を知ることができない。
辞解
[諸般 の世界] hoi aiônes = the aeons は主として「諸時代」「諸 の世代」を意味する語であるけれども(ヘブ9:26。ヘブ13:8、ヘブ13:21。Tテモ1:17)、その諸時代の中におけるあらゆる物をも意味する場合がある(ヘブ11:3)。
口語訳 | 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。 |
塚本訳 | 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の“右にお坐りになっている”。 |
前田訳 | み子は神の栄光の輝き、神の本質の型で、すべてをその力のことばによって支え、罪の清めをなして、いと高き所で大能者の右に座をお占めでした。 |
新共同 | 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。 |
NIV | The Son is the radiance of God's glory and the exact representation of his being, sustaining all things by his powerful word. After he had provided purification for sins, he sat down at the right hand of the Majesty in heaven. |
註解: 第三段の中心思想は「稜威 の右に坐し給へり」であって、これに対し、各方面よりかくなるに相応しきことを挙証す。まず第一にそのキリストの栄光は神の栄光が輝き出でたのであって、至聖、至愛に在し恩恵と真理とに充ち、神の稜威 の右に坐し給うのに最も相応しき栄光であった。
辞解
[かがやき] apaugasma 「光輝」の意味と「反射」の意味と両様に解せらる。この場合本文のごとくに見る方が優っている。この語は新約聖書にここに用いられているのみであるけれどもアレキサンドリヤの文献には多く用いられている。
註解: 神の本質要素が捺印せられしがごとくにそのままキリストに顕われている。すなわち神の諸徳をそのままに具有し給う(コロ2:9)。要するに彼は神の栄光の輝き、本質の像で共に神そのままの顕れであって、被造物のごとく神の性質の一部分を示すに過ぎざる不完全なるものではない。我らキリストを見ることによって神を見ることができる(ヨハ14:9)。
辞解
[像] charaktêr は新約聖書にここのみに用いられているアレキサンドリヤ文献の用語であって、パウロはこれをTコリ11:7。Uコリ4:4。コロ1:15に「像」 eikôn といい、ピリ2:6に「貌」 morphê なる語を用いている。
註解: 本節の前半でキリストの栄光と本質とを明らかにしたる後、ここにその「職能」を示している、すなわち万物が各々その秩序を保ち、宇宙の運行、生成、発育が一糸乱れずに行われていることはキリストが言をもって命令し給うからで(引照3)、彼はこの絶大なる権能を神より賜っているのである(マタ28:18およびその引照)。主は万物を言をもって創造し給いしごとくまた言をもって保ち給う。我ら万物の秩序と運行に対して主キリストに感謝を捧げなければならぬ。
また
註解: キリストの働きの最大なるもの、またその中心は肉体を取りてこの世に降り十字架の死を遂げ人類の罪の潔めを成就し給うことであった。これによって我らは信仰により罪なきものとして神に近付くことができるのである。
註解: キリストに関する三大特質の第三段としてそしてその頂点として、罪の贖いを終え給えるキリストが最高の光輝を帯びて神の右に坐し給うことを掲げている(ピリ2:9)。神の右に坐するとは詩110:1により最高の光栄とこの世の支配とを示す。この詩は新約聖書においてしばしば引用せられ、キリストの稜威 を示す最適の預言として用いられている。キリストは今もなお神の右に在して我らのために執成し給う(ロマ8:34。マコ16:19。ヘブ7:25)。
1章4節 その
口語訳 | 御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。 |
塚本訳 | (ことに)彼が天使たちより秀でた(子なる)御名を相続されただけ、彼は彼らにまさっておられる。 |
前田訳 | 彼は天使たちにまさるものにおなりです。それにふさわしく、彼が受け継がれた名は彼らにおまさりです。 |
新共同 | 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。 |
NIV | So he became as much superior to the angels as the name he has inherited is superior to theirs. |
註解: 直訳「彼は御使いたちに勝れる名を嗣 ぎ給いしだけ、それだけ彼らより勝れる者となり給いて」であって前節末尾と連絡しこれを完結している。旧約時代において預言者以上に天使を重んじていた。ゆえに御子は預言者たちに優れることを1−3節において示したけれども、なお天使に比較して如何なりやとの問題が生じ得るために、キリストは「御子」なる御名を世の創の先より嗣 ぎ給い、そしてこの御名が「御使いたちに勝れる名」なる故に(このことは5−14節に説明されている)それだけキリストは天使に勝り給うことを論じているのである。そして「勝れる者となり給へり」とは一時肉体を取りて人となり給い、御使いよりも少しく卑 くせられ給いしこと(ヘブ2:7、ヘブ2:9)に対して言っているのであって受肉以前にも御使に優れ給えることを否定したのではない。
1章5節 [
口語訳 | いったい、神は御使たちのだれに対して、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言い、さらにまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう」と言われたことがあるか。 |
塚本訳 | なぜか。神はかつて天使のだれにこう言われたか。“あなたはわたしの子、わたしが今日あなたを生んだ。”またさらに”わたしは彼の父になり、彼はわたしの子になるであろう。” |
前田訳 | 神はかつてどの天使に、「なんじはわが子、きょうわたしはなんじを生んだ」といい、さらに、「わたしは彼の父、彼はわたしの子となろう」といわれたでしょう。 |
新共同 | いったい神は、かつて天使のだれに、/「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、/「わたしは彼の父となり、/彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。 |
NIV | For to which of the angels did God ever say, "You are my Son; today I have become your Father " ? Or again, "I will be his Father, and he will be my Son" ? |
註解: 5−14節において以上の三点より(2節註参照)キリストと天使とをさらに詳細に比較し旧約聖書より七つの引用をなし、キリストの絶対的優越を示して当時の天使に対する信仰のためにキリストに対する信仰を弱むることなからしめんとした。そして5節には「御名」(4節前半)につき説明し6−14節には4節後半の優越につき説明している。そして本節第一の引用は(詩2:7)当時すでに一般にメシヤの預言と解されていたもので、使徒たちもかく解していた(使13:33)。神が「我が子」と呼び給い、「汝を生めり」と言い給うことは、神とキリストとの間に最も密接なる関係あると共に子は復活して神の右に坐し給うことによって最高の身分に在すことが含まれている。天使につきてもこれを「神の子」と称した場合がないではないけれども、(創6:2、創6:4。ヨブ1:6。ヨブ2:1。ヨブ38:7。詩89:6)これらは何れも「天使」の別名として用いられし軽き意味であった。ヘブル書記者がもっぱら引用せる七十人訳にはこれらを「神の使い」と訳している。
辞解
この詩の本来の意義は直接にメシヤを指したのではなく、ダビデおよびその後継者を神がイスラエルの王位に就かしむる意味であるけれども、間接にこれがメシヤの預言であることは一般に認められていた。「今日」を何れの日と解すべきかについては多くの異説あり、キリストの肉体と取り給える日と解すべきであろう。
また『われ
註解: Uサム7:14の引用で、エホバがナタンをしてダビデ王に語らしめ給いしソロモンに関する語で、ダビデの裔 のキリストに関する預言となっており、神とその子との間の親愛の極致を示している。天使はかかる関係に立つことができない。
1章6節 また
口語訳 | さらにまた、神は、その長子を世界に導き入れるに当って、「神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである」と言われた。 |
塚本訳 | なお、神はその長男[キリスト]を、ふたたびこの世界に導きいれようとする(再臨の)時に(つき、)言われる。“神の使たちはみな、彼[キリスト]をおがめ。” |
前田訳 | さらに、初子を世界に引き合わすに際して、「神の使いはみな彼にひれふすべきである」といわれました。 |
新共同 | 更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、/「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。 |
NIV | And again, when God brings his firstborn into the world, he says, "Let all God's angels worship him." |
註解: 「初子」はキリスト者に対するキリストの地位(ロマ8:29)、「再び」はキリストの再臨の時を指す。その時キリストは世嗣であり(2節)天の使たちは共に来りて(マタ16:27、マタ24:30以下。Tテサ4:16。Uテサ1:7。黙19:14)キリストを拝するであろう。そのキリストの稜威 は如何ばかりであろうか。この引用は申32:43の七十人訳からであって、このモーセの歌はエホバが最後の審判のために顕れ給う時のことを意味しており、キリスト再臨の時の預言として適当している(同様にヘブ10:30の引用を見よ)。この点より見てもキリストの天使に対する優越は明らかである。
1章7節 また
口語訳 | また、御使たちについては、「神は、御使たちを風とし、ご自分に仕える者たちを炎とされる」と言われているが、 |
塚本訳 | 天使については(聖書に)“神はその使を風とし、その奉仕者を燃える焔とされる。”と言うが、 |
前田訳 | そして天使たちには、「使いたちを風とし、仕えるものを炎となしたもうもの」といわれていますが、 |
新共同 | また、天使たちに関しては、/「神は、その天使たちを風とし、/御自分に仕える者たちを燃える炎とする」と言われ、 |
NIV | In speaking of the angels he says, "He makes his angels winds, his servants flames of fire." |
註解: 本節は次節と相対応して天使と御子とを比較している。すなわち御使の地位身分は不安定不確実なもので風や焔のごとく物質的存在にまで解消せられ、神の思いのままに変化さされるごときものであるけれども、御子は不変的支配者なることを示す。
辞解
[事 ふる者] 僕または礼拝者の意。(注意)この引用句は詩104:4の七十人訳のままを引用せるものであって、ヘブルの原語につきては日本訳のごとく「風を使となし、焔のいづる火を僕となし給う」と訳すべしとする説が多い(C1、M0、Z0、I0)。ただしデリッチは反対説を有し、シトラックは昔のラビはみな七十人訳のごとくに解していたこと主張している(A1)。
1章8節 されど
口語訳 | 御子については、「神よ、あなたの御座は、世々限りなく続き、あなたの支配のつえは、公平のつえである。 |
塚本訳 | 御子については(こう言う。)──“あなたの御座は、神[キリスト]よ、永遠より永遠に立ち、公正のつえは、あなたの王国のつえである。 |
前田訳 | み子についていわれますには、「神よ、み座は世々とこしえ、公平の杖はみ国の杖。 |
新共同 | 一方、御子に向かっては、こう言われました。「神よ、あなたの玉座は永遠に続き、/また、公正の笏が御国の笏である。 |
NIV | But about the Son he says, "Your throne, O God, will last for ever and ever, and righteousness will be the scepter of your kingdom. |
註解: 永遠に正しきキリストの王座の栄光を思え。8、9節は詩45:6、7より引用している。「神よ」は「御子キリスト」を指し、その王位の永遠性とその支配の正義とを述べて世嗣としての御子の栄光をたたえている。天使が風や火に比されると対照せよ。
1章9節 なんぢは
口語訳 | あなたは義を愛し、不法を憎まれた。それゆえに、神、あなたの神は、喜びのあぶらを、あなたの友に注ぐよりも多く、あなたに注がれた」と言い、 |
塚本訳 | あなたは義を愛し、不法をにくまれた。このゆえに、神よ、あなたの神は、喜びの油をあなたの仲間でなく、あなたに注がれた。” |
前田訳 | なんじは義を愛して不法を憎み、それゆえなんじの神にいます神は、なんじの友をさしおいてよろこびの油をなんじに注ぎたもうた」です。 |
新共同 | あなたは義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、/あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ。」 |
NIV | You have loved righteousness and hated wickedness; therefore God, your God, has set you above your companions by anointing you with the oil of joy." |
註解: キリストの道徳的優越とその結果として神より油を注がれ、メシヤとして世嗣なる特別の任務に即 かしめられることを示す。かかるキリストを主と仰ぐものは福 である。この詩は婚姻の詩であって王の子の婚莚(マタ22:1以下)におけるキリストの栄光を示せるものと見ることができる。
辞解
[友] 「同輩」の意味で原詩においては他の王たちの意味であるけれどもここには種々の解釈がある。おそらく羔の婚莚に連なるキリスト者を指すと見ることができよう。
1章10節 また『
口語訳 | さらに、「主よ、あなたは初めに、地の基をおすえになった。もろもろの天も、み手のわざである。 |
塚本訳 | また“あなたは、主よ、始に、地の基をすえられた、もろもろの天はあなたの御手の業である。 |
前田訳 | さらにいわれています、「主よ、はじめになんじは地の基をすえたまい、天はみ手のわざである。 |
新共同 | また、こうも言われています。「主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。 |
NIV | He also says, "In the beginning, O Lord, you laid the foundations of the earth, and the heavens are the work of your hands. |
1章11節 これらは
口語訳 | これらのものは滅びてしまうが、あなたは、いつまでもいますかたである。すべてのものは衣のように古び、 |
塚本訳 | これらは消失せる、しかしあなたはながらえる。そしてすべては着物のように古び、 |
前田訳 | これらは滅びるがなんじは永遠(とわ)にいます。すべてのものは衣のように古び、 |
新共同 | これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。 |
NIV | They will perish, but you remain; they will all wear out like a garment. |
1章12節
口語訳 | それらをあなたは、外套のように巻かれる。これらのものは、衣のように変るが、あなたは、いつも変ることがなく、あなたのよわいは、尽きることがない」とも言われている。 |
塚本訳 | あなたはそれを外套のように巻き、また”着物のように“それは変わるであろう。しかしあなたは(いつも)同じあなたであり、あなたのよわいは尽きないであろう。” |
前田訳 | なんじはそれらを上着のように巻きたもう。これらは衣のように変わるが、なんじはつねに同じくいまし、なんじの齢は尽きない」と。 |
新共同 | あなたが外套のように巻くと、/これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、/あなたの年は尽きることがない。」 |
NIV | You will roll them up like a robe; like a garment they will be changed. But you remain the same, and your years will never end." |
註解: 宇宙は有限にして変転止まず唯キリストのみ永遠に不変に在し給う。本節(10-12)は詩102:26−28の引用である。この詩はユダヤ人がパビロンに捕われた後の詩で、苦難の中にシオンの回復を祈願し、エホバの変わらざる愛をたたえしもの。ここでは「主」を創造者なるキリストと見(2節終)その創造し給える天地は旧び変るともキリストは永遠に変り給わざることをたたえ、天を住居とする御使たちも素よりこの天地と運命を共にすべきことを暗示してキリストの優越を示す(引照参照)。
1章13節
口語訳 | 神は、御使たちのだれに対して、「あなたの敵を、あなたの足台とするときまでは、わたしの右に座していなさい」と言われたことがあるか。 |
塚本訳 | しかし、神はかつて天使のだれに対して、こう言われたことがあるか。“わたしの右にすわりなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足台にしてやるまで。” |
前田訳 | どの天使にかつていわれたでしょう、「わが右に座しなさい、わたしがなんじの敵をなんじの足台とするときまで」と。 |
新共同 | 神は、かつて天使のだれに向かって、/「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、/わたしの右に座っていなさい」と言われたことがあるでしょうか。 |
NIV | To which of the angels did God ever say, "Sit at my right hand until I make your enemies a footstool for your feet" ? |
註解: 詩110:1で新約聖書において最も多く引用せられし句で(マタ22:44引照参照)、一般にメシヤの預言と解せられていた。すなわち支配者としてのキリストであって(3、4節)メシヤは神の右に坐して光栄と権威とを保ち(3節註参照)凡ての敵に打勝ちてこれを足台とし給う。かかる栄光と権威の地位は唯キリストにのみ与えられている。
1章14節
口語訳 | 御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか。 |
塚本訳 | (要するに、)天使とはみな(ただ)奉仕する霊であり、救を相続すべき者のために務めをなすべく(神から)派遣されたものではないか。(御子にくらべられないのは当然である。) |
前田訳 | 彼らはみな仕える霊で、救いを継ぐものたちに奉仕するようつかわされたのではありませんか。 |
新共同 | 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。 |
NIV | Are not all angels ministering spirits sent to serve those who will inherit salvation? |
註解: 最後に天使の職務を明らかにしてキリストに比較している、すなわち天使は神に仕うる霊であって神の前に跪き(キリストは神の右に坐し給う)、遣わされたる使であり(キリストは自ら支配し給う)、救を嗣 がんとする者すなわち信者に奉仕すべきものである(キリストは自ら彼らを救い給う)。「救を嗣 ぐ」とは世の終りにおける完全なる救いを示す。
辞解
[霊] 複数名詞で霊的存在の意。
[職を執るべく] ▲口語訳に「奉仕する」と訳したのは正しい。
要義 [天使について]新約聖書を通覧するならば、その中に、使、御使等の語が用いられていることの多きに心付くであろう(全部で二百回近い、その中五分の二は黙示録にあり)今日我らの思想より見れば天使についてはほとんど考えていない。従って天使とキリストとの比較は意味をなさないように思われるけれども当時において天使がかくのごとくに重要なる地位を占めており、そして天使が人間よりも高き地位を占めている以上(ヘブ2:7)、キリストと天使との比較は当時代の人にとっては殊に必要であった。我らはこの一章を見て主としてキリストの栄光、地位、権能の高さを見るべきである。
ヘブル書第2章
1-1-ハ 信仰固持のすすめ 2:1 - 2:4
註解: 以上の説明を終るや否や、著者はさらに2:5以下においてキリストと天使との関係について述ぶる前に2:1−4において本書の特質たる信仰保持の奨励をなし、キリストを離れんとする危険を警戒している。
2章1節 この
口語訳 | こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと、おし流されてしまう。 |
塚本訳 | (御子はこのように天使たちにまさっておられる。)だからわたし達は(御子に)聞いたことに一層(深く)耳をかたむけ、押流されないようにせねばならない。 |
前田訳 | それゆえ、われらは聞いていることにますます心を向けて、道をそらさないようにしましょう。 |
新共同 | だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。 |
NIV | We must pay more careful attention, therefore, to what we have heard, so that we do not drift away. |
註解: 「この故に」すなわちイエスが預言者よりも天の使よりもいたく優り給うが故に、イエスおよびその弟子たち(3節)より聞きし新約の福音に一層を意を留めてこれより離れざらんことを勉めなければならぬ、然らざればキリストの救いに与ることができず、その幸福の前を空しく通り過ぎてしまうであろう。
辞解
[▲愼む] 「心に留める」「注意する」等の意味。口語訳参照。
[流れ過ぐる] そこに止まらずにその側を流れ逝ってしまう形、堕落、滅亡等の意味にも用う。
2章2節
口語訳 | というのは、御使たちをとおして語られた御言が効力を持ち、あらゆる罪過と不従順とに対して正当な報いが加えられたとすれば、 |
塚本訳 | というのは、もし天使たちによって語られた(神の)言葉(モーセ律法)ですら効力をもっていて、(その)違反と不従順とがすべて相当の罰を受けたならば、 |
前田訳 | もし天使たちによって語られたことばに力があって、あらゆる違法と不従順がそれ相応の報いを受けたならば、 |
新共同 | もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば、 |
NIV | For if the message spoken by angels was binding, and every violation and disobedience received its just punishment, |
註解: ユダヤの伝説によればモーセがシナイ山において十誡を受けた時千万の天使が神の周囲に集りて十誡を語ったとのことである。その場合の天地の異象や声は天使によりて起されたものであると信じられていた(申4:12。申5:22以下。出19:16、出19:19以下)この十誡は神の権威とこれより生ずる刑罰とによりて堅く動かすべからざるものとせられ、その律法に反して為すべからざることをなせるもの(咎)および為すべきことを行わざるもの(不従順)はみな相当の報いを受くべきものとせられていた。
辞解
[▲▲堅くせられ] 「確固不動となる」こと egeneto bebaios。
2章3節
口語訳 | わたしたちは、こんなに尊い救をなおざりにしては、どうして報いをのがれることができようか。この救は、初め主によって語られたものであって、聞いた人々からわたしたちにあかしされ、 |
塚本訳 | (まして)こんなに大きな救の福音を(聞いた)わたし達は、(これを)なおざりにしてどうして(神の裁きを)免れ(ることができ)よう。この救の福音こそ主(キリスト)によって初めて語られ、聞いた人々からわたし達に確かにされ、 |
前田訳 | われらはかくも大きな救いを無視して、どうして報いを逃れえましょうか。この救いは主によって語られたのにはじまり、それを聞いた人たちによってわれらのために力あるものとされ、 |
新共同 | ましてわたしたちは、これほど大きな救いに対してむとんちゃくでいて、どうして罰を逃れることができましょう。この救いは、主が最初に語られ、それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され、 |
NIV | how shall we escape if we ignore such a great salvation? This salvation, which was first announced by the Lord, was confirmed to us by those who heard him. |
註解: 天使よりも遙かに優れる御子によりて伝えられし大なる救いを等閑 にしてこれを流れ過ぎさせるならばいかでこれに対する正当なる厳しき審判を免れることができようか。「大なる救」なる所以は内容としてはシナイの律法が神の「命令」であるに反し福音は神の救の「恩恵」である点と、その宣伝えられし方法においてもまた次に述べるごとく大に異なるがためである。キリストすでに万人のために死に給いたれば、万人はすでに罪に対して死んだものと見られている。唯この救いを等閑 にする者は、その罪のために審判に遭う(Uテサ1:7−9、ヘブ10:28−31)。△口語訳「報を」は訳者補充。
この
註解: 最初にこれを語りしものは天使にあらずして天使よりも凡ての点において優り給える御子キリスト(ヘブ1:5−14)であった。
註解: 「聞きし者ども」は十二使徒ならびにキリストの直弟子、彼の目撃者であり「我ら」はヘブル書の著者およびこの書を読むべき信者らであって、これらの人々にとっては刑罰によらず信仰と聖霊の賜物によりてこの救いが堅くせられたのである(2節)。
2章4節
口語訳 | さらに神も、しるしと不思議とさまざまな力あるわざとにより、また、御旨に従い聖霊を各自に賜うことによって、あかしをされたのである。 |
塚本訳 | 神も徴と不思議(なこと)とさまざまの奇跡と、御心のままに聖霊を分け与えることとによって、賛成の意を表されたのである。 |
前田訳 | 神が徴と不思議と多くの偉力とみ旨による聖霊の賦与とによって、ともに証をなさいました。 |
新共同 | 更に神もまた、しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて、証ししておられます。 |
NIV | God also testified to it by signs, wonders and various miracles, and gifts of the Holy Spirit distributed according to his will. |
註解: キリストおよび弟子たちの証に加えて神の証があった。神はキリストおよび弟子たちをして種々の奇蹟やその他の偉大なる能力を示す業を行わしめ、また人の意思や要求によらず神の御旨のままに聖霊を分ち与えることによりて、この救いにつき証拠を与え給うたのである。
辞解
[徴と不思議] ヨハ4:48辞解参照。
[能力 ある業] 原語「能力」の複数、ここでは奇蹟以外種々の能力の表顕。
[證を加ふ] sunepimartyrein 新約聖書中ここにのみ用いられ、「共にかつその上に証す」との意、重ね重ねの証しがある以上、疑う余地がない。
註解: 5節以下18節までは、キリストが肉体を取り天使以下に
卑下 り給える所以とその必要とを述べている。キリストの受肉は一見ヘブ1:5−14に録しし所と矛盾するがごときも然らず、人類を神と和らがしむる大祭司たるがために必要なる経過であった。そしてこれは空なる神学的論争ではなく、著者の救いの実験を基礎とせるものであることに注意せよ(Z0)。
2章5節 それ
口語訳 | いったい、神は、わたしたちがここで語っているきたるべき世界を、御使たちに服従させることは、なさらなかった。 |
塚本訳 | というのは、神はわたし達が(いま)語っている来るべき世界を、天使たちには屈服させられなかった。 |
前田訳 | 神は、われらが語っている来たるべき世界を、天使たちに従わせることをなさらなかったのです。 |
新共同 | 神は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです。 |
NIV | It is not to angels that he has subjected the world to come, about which we are speaking. |
註解: 「来たらんとする世界」とは「この世」の反対で、「キリストの降臨と聖霊の降下によりて始まり、その再臨の時に完成せらるべき未来の世界」である(C1、M0)。然るに神はかかる世界(または代とも訳することができる)をば天使に服従せしめ給わなかった、これ1−4節に示せるごとく御子を信ぜざる者が審判を畏れなければならぬ点である、然らば誰にこの来るべき世界を服 わせ給いしかについては6節以下にこれを論じている。
辞解
[それ] 原語「そは・・・・・なればなり」。
2章6節
口語訳 | 聖書はある箇所で、こうあかししている、「人間が何者だから、これを御心に留められるのだろうか。人の子が何者だから、これをかえりみられるのだろうか。 |
塚本訳 | (詩篇の)ある所で、ある人がこう言って証している。“人間は何者であれば、あなたは記憶されるのであるか。また人の子は何者であれば、心にかけられるのであるか。 |
前田訳 | 聖書のどこかがこう証しています、「み心にとめたもうとは、人は何であるのか、顧みたもうとは、人の子は何であるのか。 |
新共同 | ある個所で、次のようにはっきり証しされています。「あなたが心に留められる人間とは、何者なのか。また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。 |
NIV | But there is a place where someone has testified: "What is man that you are mindful of him, the son of man that you care for him? |
註解: ▲「或篇に人」は原文「或る処に、ある人」で、何故「ダビデが詩篇第8篇に」と言わなかったかについて種々の推測が行われている。おそらくその必要がないほど周知の詩であったためであろう。なお、ヘブ4:2参照。
2章7節
口語訳 | あなたは、しばらくの間、彼を御使たちよりも低い者となし、栄光とほまれとを冠として彼に与え、 |
塚本訳 | (神よ、)あなたは彼を少しのあいだ(だけ)天使たちよりも小さくされた。(しかし)栄光と栄誉との冠をさずけ、 |
前田訳 | 彼をしばし天使たちより低くし、栄光と誉れで彼に冠りし、 |
新共同 | あなたは彼を天使たちよりも、/わずかの間、低い者とされたが、/栄光と栄誉の冠を授け、 |
NIV | You made him a little lower than the angels; you crowned him with glory and honor |
口語訳 | 万物をその足の下に服従させて下さった」。「万物を彼に服従させて下さった」という以上、服従しないものは、何ひとつ残されていないはずである。しかし、今もなお万物が彼に服従している事実を、わたしたちは見ていない。 |
塚本訳 | 万物をその足の下に屈服させられた。”しかし人は抗議して言うかもしれない。一体“万物を屈服させた”と(言う以上)は、彼に屈服しない何者をも残されなかったというのである。しかし今、わたし達はまだ彼に“万物が屈服しているのを”見ない(ではないか、と。然り、この預言はまだ実現していない)。 |
前田訳 | すべてを彼の足もとに従えさせたもうた」と。すべてを彼に従えさせたもうたとあるがゆえに、彼に不服従のものは何もお残しにならなかったのです。しかし今なお、われらはすべてが彼に従っているのを見ていません。 |
新共同 | すべてのものを、その足の下に従わせられました。」「すべてのものを彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。 |
NIV | and put everything under his feet." In putting everything under him, God left nothing that is not subject to him. Yet at present we do not see everything subject to him. |
註解: 詩8:4−6の七十人訳の引用である。この詩は万物に対する人間の地位について語っているのであって、「人」および「人の子」は一般の世の人、アダムの子を意味する。神が人類を創造し給える所以は人類を非常に高き地位に置き、神の像に似せて創造し給い、神に属する光栄と尊貴とを人類に与え、人類をして万物を支配せしむるに在った。創世記一、二章の記事はこのことを録し、一見取るに足らざる極めて小なる人類の偉大なる地位を示しているのである。然るにアダムの堕落の結果人類はこのすべての光栄と尊貴と支配権を失ってしまった。これがためにこの詩は一見不可解なものとなったけれどもキリストによってこの詩が成就されたのである。このことは次節以下に記さる。
辞解
[少しく] 「暫時の間」とも訳することができる。
(注意)ヘブル語聖書には「御使よりも」は「神よりも」とあり(日本訳を見よ)、また七十人訳には7節と8節との間に「彼をその御手の業の上に置き」とあり、ヘブ1:10との関係上これを略したものであろう(Z0)。異本および日本元訳聖書は8節前半の代りにこの句を挿入している。
註解: 神の御旨は人類が万物を支配する位置に立つべきことであって、従って一物もその支配を洩れることがないはずであったけれども事実においては今もなお万物が人類に服従しているのを見ることができない。これ我らが現に目撃して動かすことのできない事実である。
2章9節 ただ
口語訳 | ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。 |
塚本訳 | ただわたし達は、このイエスが“少しのあいだ(だけ)天使たちよりも小さくされ(て地上に遣わされ)た”が、死の苦しみのゆえに“栄光と栄誉との冠をさずけられた”のを見るのである。(そしてここに預言の実現がある。)彼が死ぬことは、神の恩恵によって、万人の(救の)ためであった。 |
前田訳 | われらが見るのは、しばし天使たちより低くされ、死の苦しみを経て栄光と誉れで冠りされたイエスです。それは神の恵みによってすべての人のために死を味わわれるためでした。 |
新共同 | ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。 |
NIV | But we see Jesus, who was made a little lower than the angels, now crowned with glory and honor because he suffered death, so that by the grace of God he might taste death for everyone. |
註解: 以上のごとく詩8:4−6の引用は人類の地位を示しておりながらその事実が全く成就していないけれども、ここに唯一つイエスにおいてこの詩の言が成就しているのを見ることができる。すなわちイエス本来御子に在し天使よりも優れる御方に在し給いしにもかかわらず、肉体を取って人となり給いしことによりて天使よりも少しく卑 き地位に立ち給い、十字架の死に至るまで服従し給いしがために(ピリ2:6−11参照)神は彼を高く挙げて凡ての名に優る名を給い、復活昇天せしめて栄光と尊貴とを与え給うた。そして天の上、地の下にある一切の権を保ち給う(マタ28:18)。キリスト我らのために肉体を取り給えることの大なる恩恵を我ら深く思うべきである。
これ
註解: 前文「死の苦難〔を受くる〕によりて」の理由の説明として加えられたのであって、イエスの受け給いし死の苦難は、ユダヤ人らの考えるごとく彼自身の涜神的行為のためではなく、神の恩恵によりて(ヨハ3:16。Tヨハ4:10。ロマ5:8)万民を救わんがために、キリスト自ら万民に代りて死を味わい、その贖いとなり給わんがためであった(マタ20:28)。イエスが天使よりも卑 きに下り給い恥ずべき死を味わい給いし意味はかかる大なる神の恩恵の発露であって、これを思う時我らの心は深き感謝に溢れるのである。そしてイエスの天使に優りて栄光と尊貴とを受け給える所以を一層明らかにすることができる。この一句を「御使よりも少しく卑 くせられし」ことの理由として解する人もあるけれども(ブラウン)説明としては優れているけれども文法上やや無理である。
辞解
[死を味ふ] 多く用いられる熟語で(マタ16:28等。ヨハ8:52)「死す」という外面的事実よりも一層深く死の苦痛なる内面的経過を表示するに適している語である。イエスは実にこの死の苦難を極度まで味わい給うた(マタ27:34註参照)。
2章10節 それ
口語訳 | なぜなら、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、苦難をとおして全うされたのは、彼にふさわしいことであったからである。 |
塚本訳 | なぜなら、多くの子たちを栄光に導くため、彼らの救の創始者(であるイエス)を苦しみによって完成することは、万物が彼のため、また万物が彼によ(って存在す)る神に、(いかにも)ふさわしいことであった。 |
前田訳 | すべてが彼のためにあり、すべてが彼によって成ったその方にとって、多くの子らを栄光に導くようにと、彼らの救いの君を苦しみによって全うなさることはふさわしいことでした。 |
新共同 | というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。 |
NIV | In bringing many sons to glory, it was fitting that God, for whom and through whom everything exists, should make the author of their salvation perfect through suffering. |
註解: 人類はみなサタンの下に捕われている故、キリスト者がこの中より脱 れて救いの栄光の中に入るがためにはサタンとの激しき闘いを経、多くの苦難を味わわなければならない。そしてこの救いの戦闘の将軍(救の君)はキリストである。そしてサタンに捕われしものはこの苦難のみならず一度死してサタンの束縛から脱 れなければならぬ(ロマ6:1−11)。ゆえに凡てのキリスト者がこの苦難や死を味わいつつキリストのみこれらを免れ給うことは不可能なことである。ゆえに神はその独り子キリストをして多くの苦難殊に死の苦しみを味わしめこの救いの君たる職務を全うせしめて後彼に栄光を与え給うた。キリストは救いの君としてその苦難なしには不完全であったのである。キリストが唯一の救い主に在し給う所以もここにある。またキリスト者もキリストにのみ苦難と死を味わしめて自ら安閑として生くべきではない。キリストのなやみの欠けたるを補い(コロ1:24)、彼と共に十字架に釘 けれられるべきである(ガラ2:20)。かくしてキリスト栄光を受け給いしごとく救いと栄光は彼らに与えられるであろう。
辞解
[多くの子] 神の栄光を受くべき多くのキリスト者を指す。
[救の君] 「救いの先導者」「救いの将軍」の意で、軍隊の先頭に立ちて進む将校(12:2の「導師」も同文字)すなわちキリストを指す。
「萬の物の帰するところ、萬の物を造り給うところの者」は神である。そして単に「神」と言わずして特に「萬の物の帰することころ、萬の物を造り給うところの者」と言いし所以は万物の創造者であり、万物の帰着点である神にとっては罪が罰せられずに残されることは相応しからざることだからである。
2章11節
口語訳 | 実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない。 |
塚本訳 | というのは、(人を)聖別する者(なるイエス)も、聖別される彼ら(人類)も、皆一つ(の本現たる神)から出た者であるからである。それゆえに、彼は彼ら(人類)を“兄弟”と呼ぶことを恥じられない。 |
前田訳 | きよめるものもきよめられるものも、皆ひとりからの出です。そのために彼は彼らを兄弟と呼ぶことを恥となさいません。 |
新共同 | 事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、 |
NIV | Both the one who makes men holy and those who are made holy are of the same family. So Jesus is not ashamed to call them brothers. |
註解: キリストと信徒とは密接にして不可離の関係にある(11−13節)。これ救いの君に必要なる条件であった。すなわち「潔め給う」キリストは神より生れ、「潔められる」信者もまた聖霊によって神より生れたのであって、この点においてその源を一つにしている。キリスト者の身分の高さを思うべきである。そして人間としてのキリスト者はなお血肉を具えて多くの不完全さを有っているのにもかかわらず、完全に潔き神の子は彼らを兄弟と呼ぶことを恥とし給わなかった。実に大なる謙遜と愛である。
辞解
[「潔め給う者」「潔められる者」] 「潔め給う者」はキリストであり、「潔められる者」は信徒である。何れも「聖別する」「聖別される」の意味を有し、従来サタンに順 い、罪の下にありしものが聖別されて神の民となることを意味する。
[一つ] 「一人」(男性と解する説が通説である)と訳すべきで、種々に解される「神」(A1、M0、I0、E0、G2)、「アダム」(Z0)、アブラハム(B1、W2)等、ここでは「神」と解するを可とする。
2章12節 『われ
口語訳 | すなわち、「わたしは、御名をわたしの兄弟たちに告げ知らせ、教会の中で、あなたをほめ歌おう」と言い、 |
塚本訳 | いわく──“わたしはお名前をわたしの兄弟たちに告げ、集会の中であなたをほめ歌うであろう。” |
前田訳 | こういわれています、「わたしはみ名を兄弟に告げ知らせ、集まりの中であなたをほめうたおう」と。 |
新共同 | 「わたしは、あなたの名を/わたしの兄弟たちに知らせ、/集会の中であなたを賛美します」と言い、 |
NIV | He says, "I will declare your name to my brothers; in the presence of the congregation I will sing your praises." |
註解: 詩22:22よりの引用。この詩はキリストの受難とその勝利との預言である。ゆえに「われ」はキリストに相当し、キリストがキリスト者を兄弟と呼び給うことの証拠としてここに掲げられている。
辞解
[▲集会] 原語は ekklesia で、口語訳のごとく普通「教会」と訳されているが、本節は旧約聖書の引用故、原ヘブル語 qahal に当り旧約の「集会」を指す。ゆえに「教会」と訳すのは適当ではない。
2章13節 また『われ
口語訳 | また、「わたしは、彼により頼む」、また、「見よ、わたしと、神がわたしに賜わった子らとは」と言われた。 |
塚本訳 | またさらに“わたしは彼[神]にたよるであろう。”またさらに“見よ、わたしと、神がわたしに賜わった子らとは…” |
前田訳 | また、「わたしは彼により頼む」といい、また、「見よ、わたしとそして神がわたしにお与えの子らと」ともいわれています。 |
新共同 | また、/「わたしは神に信頼します」と言い、更にまた、/「ここに、わたしと、/神がわたしに与えてくださった子らがいます」と言われます。 |
NIV | And again, "I will put my trust in him." And again he says, "Here am I, and the children God has given me." |
註解: イザ8:17、18より引用し、前者はキリストが神に対し礼拝者の地位に立ちて自ら信者と等しきものとなり給うこと、後者は「子等」と同等のものとして見給うことの例として掲げられている。(この預言の記者元来の意味とは全く独立してこれを神の言と見、キリストの預言として解することは当時一般に行われていた処である。)我らキリストの贖罪の死を理解せんがためにはまずキリストの取り給えるこの態度を知らなければならない。
2章14節
口語訳 | このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、 |
塚本訳 | だから、“子らは”血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、 |
前田訳 | さて、子らが血と肉を共に分かち合うので、彼も同じくそれらをお持ちです。それは死の力を持つもの、すなわち悪魔を自らの死によって滅ぼし、 |
新共同 | ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、 |
NIV | Since the children have flesh and blood, he too shared in their humanity so that by his death he might destroy him who holds the power of death--that is, the devil-- |
註解: 子等の自然性は彼らみな同じく血肉を具有する点に存する。この点においてもキリストは完全に同じ血肉を子等と偕にし給うた。単に12節におけるごとく「兄弟と呼び」給うのみではなく、また13節におけるごとく、兄弟として同様の態度と心持とを持ち給うのみではなく、実にその肉体に至るまで全く同じ肉体となり給うた。あらゆる肉体的慾望、あらゆる感覚がみな我らと同じくしかも完全にこれを具有し給うた。かくまでになり給える必要は次の数節において説明されるごとくである。
これは
2章15節 かつ
口語訳 | 死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。 |
塚本訳 | 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった。 |
前田訳 | 死の恐れのために一生奴隷となっていたものをすべて解放するためです。 |
新共同 | 死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。 |
NIV | and free those who all their lives were held in slavery by their fear of death. |
註解: 悪魔は人を誘いて罪を犯さしめ、人類を捕虜としてその上に権を握っている(創3:1以下)。そして「罪の値は死なる」が故に悪魔は死の権力を握っているのである。ゆえに神はキリストを罪ある肉の形にて罪のために遣わし、これを十字架につけて肉において罪を処罰し給うた(ロマ8:3)。これにてサタンの活動の目的物は終局となった。それ故にイエス・キリストに在る者はその罪の値なる死をキリストによりて弁済し終わったので、彼らをばサタンはもはや死に付すことができない。すなわち死の権力を持つ者なる悪魔はキリスト者にとって全く亡びて無権力者となってしまった。それ故にイエスの贖罪復活昇天を信ずる者は全く死の恐怖より解放され、死はその刺を失い(Tコリ15:54−57)、死より生命に移され(ヨハ5:24)キリスト再臨の時、すでに眠れる者は甦り、なお生残れる者は霊の体に化されるのである。それ故にキリストが肉体を取りて来り給える所以は、決して彼の地位が天使より低きことを証明するものではなく、かかる偉大なる神の救いを実現するがための必要から起ったのである。
2章16節
口語訳 | 確かに、彼は天使たちを助けることはしないで、アブラハムの子孫を助けられた。 |
塚本訳 | 然り、イエスは天使たちを世話(しようとは)されない。“彼は(人類を)、アブラハムの子孫を世話される”。 |
前田訳 | 実に彼は天使たちをお助けにならず、アブラハムの末をお助けです。 |
新共同 | 確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。 |
NIV | For surely it is not angels he helps, but Abraham's descendants. |
註解: 肉体を持たない天使をば扶 け給わず、肉を持てるアブラハムの裔 、すなわち人間を主は扶 け給う。「アブラハムの子孫」とは創12:7。ガラ3:29。ロマ4:16に示されるごとく約束によりて祝福を嗣 ぐべき人類を総称し、ユダヤ人も異邦人もこの中に含まれている。要するに栄光を嗣 ぎて来たらんとする世界を服 わする者はこの人類であって天使ではない。
2章17節 この
口語訳 | そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。 |
塚本訳 | そのため、彼はどの点からしても“兄弟”(である人間)に似ざるを得なかったのである。彼は(人間に対して)憐れみぶかい、神に関することについては忠実な大祭司となられた。それは民の罪を贖うためであった。 |
前田訳 | それゆえイエスは何につけても兄弟に似る必要がおありでした。それは民の罪をあがなうよう、神の前にあわれみ深い忠実な大祭司におなりのためです。 |
新共同 | それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。 |
NIV | For this reason he had to be made like his brothers in every way, in order that he might become a merciful and faithful high priest in service to God, and that he might make atonement for the sins of the people. |
註解: キリストが人類の大祭司に在すことはヘブル書において特に繰返して示されている真理である(ヘブ4:14。ヘブ5:9以下。ヘブ6:19以下。ヘブ7:24−26。ヘブ8:4。ヘブ9:24)そして大祭司は他の祭司に対し特別の地位を有し(出28章)頭に油を注がれ(レビ8:12)特別の服装をなし、一年に一度唯一人至聖所に入りて凡ての民のために罪の贖いをなし(レビ16章)神の怒りを宥めなければならない。そしてキリストは民に対しては憐憫に充ち、民の凡ての苦痛を知り給い、神に対して忠実にその職務を果し給うた(「贖はんため」とはこの意味である。Tヨハ4:10)。これがためにキリストは「凡ての事において」すなわちあらゆる点において例外なしに兄弟たる人類と同じ性質のものとなり、あらゆる弱さに対し同情し得る者となり給うことは必要なことであった。
2章18節
口語訳 | 主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。 |
塚本訳 | というのは、みずから誘惑にあって苦しみをうけたので、(同じく)誘惑にあう者を助けることが出来るからである。 |
前田訳 | 彼自ら試みられてお苦しみでしたので、試みられるものたちをお助けになれるのです。 |
新共同 | 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。 |
NIV | Because he himself suffered when he was tempted, he is able to help those who are being tempted. |
註解: キリスト神の子に在し給うと言いて決して神のごとくに誘惑を超越し給える方ではない。凡ての点において兄弟すなわち人間のごときものとなり給い、色慾、食慾、名誉慾、権勢慾、生命慾など凡て人間の味わい得るあらゆる誘惑のために苦しみ給うた。ゆえにキリストは我ら人類の凡ての試誘 につき同情を持ち我らを助けることを得給う。我らはこの主イエス・キリストに対し無限の親愛を感ずる。そしてかく誘われて罪を犯し給わざりし彼を神として仰ぐより外はない(ヘブ4:15)。
要義1 [キリストの受難の意義]ベンゲルは2章10節を下のごとくに分解している(当サイトのグノーモン新約聖書註解参照)。
「(1)イエスは救 いの君(キャプテン)である
(2)苦難 によりて救いを遂ぐることが必要であった
(3)イエスは苦難によりて全うせられ 給うた
(4)子等の栄光 はこのキリストの完成と関連している
(5)子等の数は多い
(6)この全経綸は最も神に相応しき ことであった、たとえ不信仰はこれを汚辱と思うとも
(7)キリスト苦難をうけて子等を救うことが神に相応しき所以は神が万物の帰する 処であるから
(8)キリストが全うせられ子等が栄光に導かれることが神に相応しき所以は、神が万物の創造者 に在し給うから」
以上の各項を深く考慮することによりて、キリスト受難の意義の如何に深きかを知ることができる。キリストの苦難はサタンに捕われ罪の奴隷となっている全人類の受くべき当然の苦難を代りて受け給うのであって、人類はその罪のために当然に死すべきであったけれどもキリストは罪無きが故に当然に死すべきではなかった。ゆえにキリストの死によりて一方人類の凡ての罪は贖われ、人類の罪の問題は片付き、他方キリストは「死に繋がれ居るべき者ならぬ故」(使2:24)神は彼を甦らしめてサタンに対して勝誇り給うた。キリストの苦難は人類を「サタンの権威より神に立ち帰らする」(使26:18)がための苦難であった。この世はサタンの支配下にある、キリストこの世に降り給い人類をこの世より神の国に救出さんがためにはこの苦難は当然であった。死はサタンに属する凡てのものに当然来らなければならない。そしてその中より神に属する霊のみ新たなる生命に甦えらせられて永遠の国を
嗣 ぐことを得るのである。
要義2 [キリストの受肉の意義]キリストの受肉の一つの意義はその肉において罪の審判を受け給い人類の罪を贖わんがためであった。そしてその第二の意義は、我らと同じ心を持ち我らの凡ての罪に同情し給うことによって神の前に大祭司の職を執り給うことであった。前者としてキリストは我らのために悪魔と戦い給い、後者として彼は我らのために神の前に執成し給う。神の経綸の深さを思うべきである。
要義3 [キリストの身分および活動の諸相]本章にキリストの身分および活動の諸相が極めて多方面より観察せられていることに注意すべきである。すなわち、御使いよりも少しく卑 くせられて肉体を取りて来り給い(6節、14節)、我ら万民のために死を味わい給い(9節)、多くの子等を光栄に導き給い(10節)、苦難によりて全うせられ給い(同)、潔め給い(11節)、卑下 り給い(11−13節)、サタンを亡ぼし給い(14節)、サタンの奴隷たる状態より人類を解放ち給い(15節)、大祭司となりて試みられる者を助け給い(17、18節)、光栄と尊貴とを冠せられ給う(9節)。我らこの一章にキリストの万全の御姿を仰ぐことができる。