ヨハネ伝第8章
分類
3 イエスとユダヤ主義との争闘
5:1 - 11:57
3-3 假廬(かりいほ[お])祭に於けるイエスの御業
7:2 - 10:21
3-3-3 姦淫せる女とイエス
7:53 - 8:11
註解: この物語8:1−11につきては前章末尾の附記を参照すべし。
口語訳 | イエスはオリブ山に行かれた。 |
塚本訳 | イエスはオリブ山に行かれた。 |
前田訳 | しかしイエスはオリブ山へ行かれた。 |
新共同 | イエスはオリーブ山へ行かれた。 |
NIV | But Jesus went to the Mount of Olives. |
8章2節
口語訳 | 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。 |
塚本訳 | 次の朝早く、また宮に行かれると、人々が皆あつまってきたので、座って教えておられた。 |
前田訳 | あくる朝また宮へ行かれると、民が皆彼のところに来、彼はすわって彼らを教えられた。 |
新共同 | 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。 |
NIV | At dawn he appeared again in the temple courts, where all the people gathered around him, and he sat down to teach them. |
註解: ルカ21:37、38と同文書で、これが写本によりこの物語がルカ伝21章末尾に挿入せられし所以であろう。エルサレムの宮の広場に朝日が射している朝のすがすがしき光景を思い浮かべることができる。
8章3節 ここに
口語訳 | すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、 |
塚本訳 | すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、 |
前田訳 | そこへ学者とパリサイ人が不義の現行犯で捕えられた女を連れて来て、真ん中に立たせた。彼らはいう、 |
新共同 | そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、 |
NIV | The teachers of the law and the Pharisees brought in a woman caught in adultery. They made her stand before the group |
註解: 学者・パリサイ人らはユダヤの宗教界の主脳たるべき人物、衆議所の議員であった。姦淫のときそのまま捕えられし女を彼らはまさに衆議所において裁かんとしているのである。その前に彼らはこれをイエスに連れ来りてイエスを陥れるの材料たらしめんとしたのである。彼らの心の冷酷と汚穢とその罪深きを見よ。高慢、悪意、無慈悲がその心に充満している。イエスが口を極めて彼らを非難し給えることはまことに故あることである(マタ23章参照)。
8章4節 『
口語訳 | 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 |
塚本訳 | イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。 |
前田訳 | 「先生、この女は不義の現場で捕えられました。 |
新共同 | イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 |
NIV | and said to Jesus, "Teacher, this woman was caught in the act of adultery. |
8章5節 モーセは
口語訳 | モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。 |
塚本訳 | モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」 |
前田訳 | モーセの律法ではこのような女は石打ちするよう命じられていますが、あなたは何といわれますか」と。 |
新共同 | こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 |
NIV | In the Law Moses commanded us to stone such women. Now what do you say?" |
註解: イエスに向ってかかる質問をなせる所以は、イエスが彼らとは反対の判断をするであろうと予想したからであろう。その故はイエスの態度もその教訓も大体においてパリサイ人らのそれとは全く相反せるものであり、律法の形式を超越し(安息日に関する場合のごとく)愛を特に重視し、罪を赦すことを好み給うこと(マコ2:5、マコ2:15。ルカ19:10)を彼らが感じたからである。而してイエスが彼らの判断と異なる判断を与えた場合にこれを律法違反をもって訴えんとしたのである(B1、H0、T0)。
辞解
[石にて撃つ] 申22:23、24によれば石にて打ち殺さるべき場合は許嫁 の女の場合であり、レビ20:10。申22:22の場合は有夫の女の姦淫の場合で、この際には必ず絞殺の刑に処した。ゆえに本節の場合は許嫁の女の場合である(S2)。
8章6節 かく
口語訳 | 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。 |
塚本訳 | こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。 |
前田訳 | 彼らがこういったのは、イエスを試みて、訴える口実を得るためであった。しかしイエスはかがんで指で地にものを書かれた。 |
新共同 | イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 |
NIV | They were using this question as a trap, in order to have a basis for accusing him. But Jesus bent down and started to write on the ground with his finger. |
註解: 彼らはイスラエルよりかかる罪悪を除かんとする正義観からでもなく、またこの女を赦して彼女を救わんとするの愛からでもない。唯イエスを訴えんとする悪意のみよりかかる行為に出たのである。
イエス
註解: イエスはこの場合にも彼らの言葉を眼中に置かずその心を見給うことは他の場合(ヨハ3:3。ヨハ4:16。マタ19:16等)におけると同様であった。イエスは彼らの悪意に対して答うる必要を認め給わなかった。この心持を態度をもって示し給うたのである。地にいかなる文字を書き給えるかにつきては古来好奇心より種々の推察があるけれども無益のことである。
8章7節 かれら
口語訳 | 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。 |
塚本訳 | しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」 |
前田訳 | 彼らがしつこくたずねていると、身を起こしていわれた、「あなた方の中で罪のないものがまず彼女に石を投げよ」と。 |
新共同 | しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 |
NIV | When they kept on questioning him, he straightened up and said to them, "If any one of you is without sin, let him be the first to throw a stone at her." |
口語訳 | そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。 |
塚本訳 | そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。 |
前田訳 | そしてふたたびかがんで地にものを書いておられた。 |
新共同 | そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 |
NIV | Again he stooped down and wrote on the ground. |
註解: イエスの眼にはこの女の罪にもまさりて彼らの罪が甚だ深きことを感じ給うた。この御心をもって発し給えるこの一言は深く彼らの肺腑 を貫き彼らの良心を射通したことであろう。イエスの御言に接して我らの心の罪は凡て明らかにせられ、彼の前に凡ての口塞がるのである。このイエスの答の巧みであったことは実に驚くべきであって、一方彼らの期待に反して「石を擲 て」と答えてモーセの律法を是認し給いながら、一方「罪なき者」なる正当なる条件を附加して何人も石を擲つことを得ざらしめ、この女を赦してこれを救い給うた。イエスを陥れんとした彼らはかくして自らイエスによって裁かれたのである。
8章9節
口語訳 | これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。 |
塚本訳 | これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。 |
前田訳 | 彼らはそれを聞いて、老人をはじめとして、ひとりまたひとりと去って行き、イエスだけが残った。真ん中の女はそのままであった。 |
新共同 | これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 |
NIV | At this, those who heard began to go away one at a time, the older ones first, until only Jesus was left, with the woman still standing there. |
註解: 彼らの中顧みて罪を感ぜざるものは一人もなかった。この意味において老人も青年も一人も例外がない。イエスの前に立ちて我は罪なしと言い得る者は一人もない。たといこの罪の意味を或学者(M0)のごとく狭義に取り淫行の罪と解するとも、なお彼らの中にはこの審判を免れるものはないであろう。いわんやこれを凡ての罪と解するならばなおさらである。
註解: 罪人とイエスとの対座こそ罪の問題を解決することができる唯一の態度である。キリストの前にその凡ての罪を告白してその赦しを受くる瞬間こそ、罪人にとって最大の幸福の瞬間である。
8章10節 イエス
口語訳 | そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。 |
塚本訳 | イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」 |
前田訳 | イエスは身を起こして彼女にいわれた、「女の方、あの人たちはどこへ行ったか。だれもあなたを罰しなかったか」と。 |
新共同 | イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 |
NIV | Jesus straightened up and asked her, "Woman, where are they? Has no one condemned you?" |
註解: かくやさしき言は罪を犯せる女がこれまで他の人々の口より聞くことができなかった。他の人々は口を極めて女の罪を非難した。これがために女の心は反抗心に固くなっていたのであろう。イエスはこれに対しやさしき一言をもってその凍れる心を溶かし給うた。▲「女のほかに誰も居らぬを見て」はある写本に欠けており口語訳はこれに由ったらしい。
8章11節
口語訳 | 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕 |
塚本訳 | 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」 |
前田訳 | 彼女はいった、「だれもでございます、主よ」と。イエスはいわれた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。これからはまちがいはしないように」と。〕 |
新共同 | 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕 |
NIV | "No one, sir," she said. "Then neither do I condemn you," Jesus declared. "Go now and leave your life of sin." >---------- |
註解: 罪の赦しの福音の要約ともいうべき御言である。罪を悔改めてキリストの御前に平伏す者は、今日も主の口からこの御言を聞くことができる。而してイエスのみは真に罪なきものであって、彼女に石を擲 つの資格を有ち給うた。このイエスがその権を用い給わずして彼女を赦し、従来の罪咎を一掃して新たなる生涯に入り再び罪を犯さざらしめ給いしことは驚くべきことであった。しかもこれ凡てキリストに来る罪人に対するキリストの態度であって、ここに罪の赦しの福音と新生せるものの新たなる歩みが始まるのである。
辞解
[罪せじ] ロマ8:1と同じ。「審判 かじ」より重き意味。
要義 [審判 く心と赦す心]罪深きものほど人を赦すの心に乏しく、反対に義しき者がかえって他人の罪を赦すことが多いことは、この世の事柄においても往々目撃する事実である。而してこの事実が最も著しき姿において顕われたのがパリサイ人とイエスとの対照である。前者は自ら罪人であるにもかかわらず他の罪人を裁きてこれを罪せんとし、後者は自ら心に一の罪も持ち給わずしてかえって他人の罪を赦し給う。この差別の起る所以は前者の正義は誤れる形式的の正義であって、しかもその心に愛なく、後者は愛をもって人の罪を赦す神の義(ロマ3:21)を行い給うが故である。形式的正義は人を善に立帰らしむることができず、濫りに人を裁きて自らも裁きに遭うより他になく、真の正義は自ら人の罪を負いてその罪を赦すことができる。この二者の間に根本的差別がある。
8章12節 かくてイエスまた
口語訳 | イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。 |
塚本訳 | (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」 |
前田訳 | またイエスは人々に語られた、「わたしは世の光である。わたしに従うものは絶えて闇の中を歩まず、いのちの光を持とう」と。 |
新共同 | イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」 |
NIV | When Jesus spoke again to the people, he said, "I am the light of the world. Whoever follows me will never walk in darkness, but will have the light of life." |
註解:曩 にイエスは御自身を生命の水に譬え給い(ヨハ7:37)今「また」ここに祭の中に大なる燈火が神殿の前庭に照らされて全市に耀き渡れることに因みて御自身を「世の光」に譬え給う。前者はキリストが我らの内に住み給う働きを示し、後者は我らの外にありて我らを導き給う働きを示す。光は暗黒の反対であって、我らの罪悪に対する神の正義、我らの無智盲目に対する神の叡智、聡明、我らの虚偽に対する神の真実を表徴するに最も適当しており、神(Tヨハ1:5)およびキリスト(ヨハ1:4)の性質を代表するものとして聖書中にしばしば用いられている。キリストは単に一個人またはイスラエルのみの光に在すのみならず全世界の光に在し、彼に従って歩む者は彼の光に照らされ、彼の道を歩むことを得る結果、罪の暗黒の中に生活することがない。彼らは滅亡を免れて生命に至るの光を握っている(ヨハ1:9。Tヨハ1:5−7)。また自らも「世の光」となりてキリストの光を反射することができる(マタ5:14)。
8章13節 パリサイ
口語訳 | するとパリサイ人たちがイエスに言った、「あなたは、自分のことをあかししている。あなたのあかしは真実ではない」。 |
塚本訳 | パリサイ人が言った、「あなたは自分で自分のことを証明しているから、あなたの証明は信用できない。」 |
前田訳 | パリサイ人が彼にいった、「あなたは自分について証する。あなたの証は真でない」と。 |
新共同 | それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」 |
NIV | The Pharisees challenged him, "Here you are, appearing as your own witness; your testimony is not valid." |
註解: 申17:6、申19:15の準用であって(17節を見よ)、前節のイエスの宣言そのものを否定せずに証言の形式が不備であることをもってこれを無効ならしめんとしている。且つヨハ5:31のイエスの御言を曲解してこれを利用している(B1)。我らもイエスを真に理解するがためには霊的直覚を必要とするのであって、霊と真とをもってイエスを見てのみ彼の神の子メシヤに在し、世の光に在すことを知ることができる。
8章14節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに答えて言われた、「たとい、わたしが自分のことをあかししても、わたしのあかしは真実である。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行くのかを知らない。 |
塚本訳 | イエスは答えて言われた、「たとえ自分で自分のことを証明しても、わたしの証明は信用すべきである。わたしは自分がどこから来たか、どこに行くかを知っているのだから。(わたしは父上のところから来たので、父上がなんでも教えてくださるのである。)しかしあなたたちはわたしがどこから来て、どこに行くか知らない。 |
前田訳 | イエスは彼らに答えられた、「わたしが自分について証しようとも、わが証は真である。わたしはどこから来てどこへ行くかを知るゆえに。あなた方はわたしがどこから来てどこへ行くかを知らない。 |
新共同 | イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。 |
NIV | Jesus answered, "Even if I testify on my own behalf, my testimony is valid, for I know where I came from and where I am going. But you have no idea where I come from or where I am going. |
註解: イエスはここに彼の独自性を主張し給い、彼は他の何人とも比較し得べからざる神の独り子に在し給うことをもって、その自証の信ずべきことの理由となし給う。原文によれば「知る故」なる一語が最も強く言い表わされているのであって、イエスが神より遣わされて来り給い(何處より)、またやがて神の御許に往き給うこと(何處へ)を明瞭に直接に知る者は唯イエスのみであり、我らはこれを信じて始めてその然るを知るのみである。ゆえに「汝らは・・・・知らず」と断言してこの語中にその不信とその傲慢とを責め給う。イエスはさらに進んでこの「何處より」について18節以下に、「何處へ」について21節以下に説明し給う。キリストの信仰の中心は、このイエスの自証に対して大胆に信頼を献ぐるにある。
口語訳 | あなたがたは肉によって人をさばくが、わたしはだれもさばかない。 |
塚本訳 | あなた達は人間的に(目に見えるもので)裁くが、わたしはだれも裁かない。 |
前田訳 | あなた方は肉によって裁くが、わたしはだれも裁かない。 |
新共同 | あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。 |
NIV | You judge by human standards; I pass judgment on no one. |
註解: 「なんぢの証は真ならず」と言えるなんぢらの審 きこそ(13節)かえって真ではなく誤っている。その故は汝らは霊の導きによらずして肉の思いをもって我を審き、我の霊的存在としての意義を見誤ったからである(C1)。
辞解
[肉によりて] 二つの意味に取り得る。一は上述のごきき解、他は「キリストの外貌によりて審く」との意味(G1、M0、B1、Z0)でヨハ7:24と同義と解す。いずれも正しき解釈である。
8章16節 されど
口語訳 | しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒だからである。 |
塚本訳 | しかしたとえ裁いても、わたしの裁きは真実である。わたしはひとりではなく、わたしと、わたしを遣わされた方と(二人)であるから。 |
前田訳 | もしわたしが裁くとしても、わが裁きは真である、わたしはひとりではなく、わたしとわたしをつかわされた方とはともにいるから。 |
新共同 | しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。 |
NIV | But if I do judge, my decisions are right, because I am not alone. I stand with the Father, who sent me. |
註解: 「汝らは本来審 くべき資格なき者なるに我を審き、しかもその審きは誤っている。その反対に我は本来審くべき権威を委ねられた者であるのに(ヨハ5:22)誰をも審かない。これ我が来れるは世を救わんがためである故である(ヨハ3:17)。されどもし必要ありて審く場合には(26節)その審判は真である。その故は父なる神との霊の一致契合において審くが故である。」イエスは「証」の問題について論じつつ「審判」の問題に移り次節よりまた「証」の問題に移り給うた。自己に関する審きは証であり、他人に関する証は審判であってこの二者同一である。
辞解
[誰をも審かず] 「もし審かば」と矛盾するごとくに見ゆるため、多くの学者はその解釈に苦しみ、「肉によって」、「今」、「一人にて」、「個人的に」等を「審かず」の条件として「誰をも」に附加せんとしているけれどもこれは根拠がない。唯原則と例外とを示すものと見れば理解に難くない。
8章17節 また
口語訳 | あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。 |
塚本訳 | あなた達の律法にも、『二人の証言は信用すべきである』と書いてあるではないか。 |
前田訳 | あなた方の律法に、『ふたりの証は真』とある。 |
新共同 | あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。 |
NIV | In your own Law it is written that the testimony of two men is valid. |
8章18節
口語訳 | わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである」。 |
塚本訳 | わたしがわたし自身の証明者である。その上、わたしを遣わされた父上がわたしのことを証明してくださる。」 |
前田訳 | わたしは自分の証人であり、わたしをつかわされた父もわたしについて証される」と。 |
新共同 | わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」 |
NIV | I am one who testifies for myself; my other witness is the Father, who sent me." |
註解: キリストの証は一人のみでもすでに完全に真理である。彼は律法以上だからである(14節)。しかし仮に「汝らの律法」申19:15、(17節引照)、をイエスに適用して見ても同様にイエスの証は真理である。その故はキリストのみならず父なる神もキリストにつきて証し給う故に二人の証となるからである。すなわちヨハ5:36、37(註参照)の証のみならず、霊の眼をもって見る者にとっては父が常にキリストと偕に在し、キリストにつき証し給うことを見ることができる。キリストの凡ての言語行為にはみな父の証印が押されている。
8章19節 ここに
口語訳 | すると、彼らはイエスに言った、「あなたの父はどこにいるのか」。イエスは答えられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたであろう」。 |
塚本訳 | パリサイ人が言った、「あなたの父はどこにいるのか。」イエスは答えられた、「あなた達にはわたしをも、わたしの父上もわかっていない。もしもわたしがわかれば、わたしの父上もわかるはずである。」 |
前田訳 | 彼らはいった、「あなたの父はどこにいるのか」と。イエスは答えられた、「あなた方はわたしをもわが父をも知らない。もしわたしを知っていたなら、わが父をも知っていたろう」と。 |
新共同 | 彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」 |
NIV | Then they asked him, "Where is your father?" "You do not know me or my Father," Jesus replied. "If you knew me, you would know my Father also." |
註解: パリサイ人らはイエスが神を父と呼び給うこと(ヨハ5:17)をすでに聞き知っていた。それ故に「汝らの父は何處にあるか」との質問は、彼を証人としてここに引出すべしとの要求を含み、これによってイエスをして返答に窮せしめんとしたのである。これに対するイエスの答は「汝ら我と偕にここに在す父を知らずにいるのは我を知らないからである」との意であって霊の眼をもってキリストを見、彼を知ることがすなわち父なる神を知り彼を見る唯一の手段である。ゆえに肉によってキリストを審 く彼らは決して父を知ることができないことを彼らに教えて彼らを沈黙せしめ給うたのである。
8章20節 イエス
口語訳 | イエスが宮の内で教えていた時、これらの言葉をさいせん箱のそばで語られたのであるが、イエスの時がまだきていなかったので、だれも捕える者がなかった。 |
塚本訳 | これらの言葉を、イエスは宮で教えられるとき、宝物部屋のわきで話された。しかし捕える者はなかった。彼の時がまだ来ていなかったからである。 |
前田訳 | イエスは宮で教えられたとき、これらのことを宝庫のところで話された。しかしだれも彼を捕えなかった。彼の時が来ていなかったからである。 |
新共同 | イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。 |
NIV | He spoke these words while teaching in the temple area near the place where the offerings were put. Yet no one seized him, because his time had not yet come. |
註解: エルサレムの神殿の婦人の苑に十三の賽銭箱がある。そこは多くの人々が賽銭を投入れんがために集まる場所である(引照2)。その場所をイエスは特に選び給い、「これらの事」(12−19節)を語り給うた。ヨハネはこの福音書を記しつつその当時の光景がありありと目に浮び出でたことであろう。
辞解
[これらの事] 原語「これらの言葉」。
註解: ヨハ7:30と同じくイエスは前節において己を父と等しくし給うたので、ユダヤ人はこれをもって大なる冒涜と考えたことを暗示している。唯彼が捕えられ給うことを父は未だ許し給わないので誰も手出しを為さなかった。
要義 [イエスの自証]一般に自家広告は価値なきものとせられている所以は、自己を宣伝して名誉利益を獲得せんとの野心か、または自己の罪を隠し、その醜を掩わんとする慾心が包蔵されているからである。もしかかる私慾が全くない場合があるならば、その自証もこれを信ずることができるであろう。ゆえに自己につきて語りし言の価値の有無は、その語る者の私心の有無によりて定まるのである。この意味においてイエスの自証は完全に信ずべきものである。何となれば彼の中には一片の私心がなく、常に父の御旨に服従し給うたからである。イエスはこの完全なる信頼と服従とによって、父の己につきて証し給うことを知ることができ、我らもまたこのイエスを仰ぎ見る時そこに父が彼の傍らに立ち給うのを見ることができる。
8章21節 かくてまた
口語訳 | さて、また彼らに言われた、「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。そして自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所には、あなたがたは来ることができない」。 |
塚本訳 | するとまた(くりかえして)彼らに言われた、「わたしはわたしを遣わされた方の所に行く。(その時)あなた達はわたしをさがすが、(もはや会うことができず、)自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所に、あなた達は来ることが出来ない(からだ)。」 |
前田訳 | またイエスは彼らにいわれた、「わたしは去り行き、あなた方はわたしをたずねよう。そして罪のうちにあなた方は死のう。わたしの去り行くところへあなた方は来られない」と。 |
新共同 | そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」 |
NIV | Once more Jesus said to them, "I am going away, and you will look for me, and you will die in your sin. Where I go, you cannot come." |
註解: ヨハ7:33、34にその死と昇天とを暗示し給えるイエスは、ここに一層明瞭にこれを告げ、かつユダヤ人の不信仰に対して、恐るべき神の刑罰を予告し給うた。「われ往く」は当 に近付きつつあったその死と昇天とを示す。「なんぢら我を尋ねん」イエスの死後に尋ね求ても、汝らは見出さないであろう(ヨハ7:34)。而してその不信の罪のままに死滅するの運命に陥るであろう。我が往く処には不信なるユダヤ人は永遠に来ることができない(弟子たちすらも今暫くは往くことができない。ヨハ13:33、ヨハ13:36。ヨハ14:3を見よ)。
辞解
[罪] 単数、ただし24節の「罪」は複数。
8章22節 ユダヤ
口語訳 | そこでユダヤ人たちは言った、「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。 |
塚本訳 | ユダヤ人たちが言った、「『わたしの行く所に、あなた達は来ることはできない』と言うが、まさか自殺するつもりではあるまい。」 |
前田訳 | ユダヤ人はいった、「彼は自殺するのか、『わたしの去り行くところへあなた方は来られない』というのは」と。 |
新共同 | ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、 |
NIV | This made the Jews ask, "Will he kill himself? Is that why he says, `Where I go, you cannot come'?" |
註解: ユダヤ人は「罪のうちに死なん」とのことをば聞かざるもののごとくに耳を掩うた。従って「わが往く処に云々」なる御言の意義を解することが出来ず、これに対して彼を嘲弄し「もし汝自殺して地獄へ行くのであるならば、御伴 は御免を蒙ろう」というごとき語気をもって嘲弄している。ヨハ7:35よりも一層激しき言葉である。サタンは往々にして人間の心を唆 かしイエスに対してかかる嘲弄の言を発せしめる。
8章23節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「あなた達は下から出た者であるが、わたしは上から出た者である。あなた達は(罪の)この世から出た者であるが、わたしはこの世から出た者ではない。 |
前田訳 | 彼らにいわれた、「あなた方は下からの出、わたしは上からの出である。あなた方はこの世の出、わたしはこの世の出ではない。 |
新共同 | イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。 |
NIV | But he continued, "You are from below; I am from above. You are of this world; I am not of this world. |
註解: イエスは彼らの嘲弄を無視して、さらに根本的に彼らの本質を明示し彼らの不理解の当然なるを論じ給う。すなわちイエスと彼らとの間にはその出所、故郷を異にしているのであって、イエスの出所は永遠の天であり、その故郷は神の支配する義の国である。然るに彼らの出所はやがて朽つべき地であって、その故郷はサタンの支配する罪のこの世である。このことはユダヤ人のみならず凡ての人類に適用し得る事柄であって、「下、世、などの語の中にイエスは人間が自然に所有する凡てのものを包含せしめている」(C1)のである。Tコリ15:46、47もこれと同一の意味である。
8章24節
口語訳 | だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。 |
塚本訳 | だから『あなた達は自分の罪のうちに死ぬであろう』と言ったのだ。あなた達は、わたしがそれ(救世主)であることを信じなければ、自分の罪のうちに死ぬからである。」 |
前田訳 | 『あなた方は罪のうちに死のう』といった。わたしをそれ(キリスト)であると信じなければ、あなた方は罪のうちに死のう」。 |
新共同 | だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」 |
NIV | I told you that you would die in your sins; if you do not believe that I am [the one I claim to be], you will indeed die in your sins." |
註解: 21節に「己が罪のうちに死なん」と言い給える理由は人間が(ユダヤ人も同様)みな罪の子、アダムの子であって地より出でてこの世に属するからである。これを免れるの道はイエスを「それと」信ずること、すなわちメシヤと信ずることより外にない(ヨハ1:12。ヨハ3:15、16。ヨハ6:40)。ここにヨハネはパウロの中心問題たりし「信仰によりて義とされる」ことの真理を、異なりたる形式をもって言い表わしている。イエスを神の子と信ずるものは上より生れ(ヨハ1:13。ヨハ3:3)もはやこの世のものではない(ヨハ17:14)。かかる者のみ審判を免れ永遠の生命に甦り、然らざるものはみな罪のうちに死ななければならない(ヨハ3:18。ヨハ5:24)。
辞解
[我はそれなり] ego eimi = I am でその何たるかを省略している。当然のことであるとして略し給うた。エホバも同様の言い表わしをなし給う。申32:39。イザ41:4。イザ48:12。ここにもイエスの神に在すことの自覚が窺われる(G1)。
口語訳 | そこで彼らはイエスに言った、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼らに言われた、「わたしがどういう者であるかは、初めからあなたがたに言っているではないか。 |
塚本訳 | すると彼らが言った、「あなたはだれですか。」イエスが言われた、「いったいいまさらあなた達に何を言おうか、 |
前田訳 | 彼らはいった、「あなたはだれか」と。イエスは彼らにいわれた、「それははじめからあなた方にいっていること。 |
新共同 | 彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。 |
NIV | "Who are you?" they asked. "Just what I have been claiming all along," Jesus replied. |
註解: イエスは「我はそれなり」と言い給いてメシヤなることを明示し給わなかったので、ユダヤ人はイエスを陥れる材料にせんとてイエスの口よりこれを言わしめんとしてこの質問を発した。
イエス
註解: 原文は聖書中最も難解の節の一つである。幾十種の解釈の中でこの改訳本文のごとくに解するか、または「汝らと語ることは全く無駄である」すなわち何という訳が解らないともがらであろうかと慨嘆せられし意味にとるかが(古代ギリシャの師父の解はみなこれに一致している、Z0)最も適当であろう。予はむしろ後説に加担する。要するにイエスはユダヤ人が陥れんとせる陥穽 に陥らずむしろ彼らの無理解を責め給うた。
8章26節 われ
口語訳 | あなたがたについて、わたしの言うべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」。 |
塚本訳 | あなた達について言うべきこと、裁くべきことが沢山あるにはあるが。(言ってもなんの役にも立つまい。)それでもわたしを遣わされた方は真実であるから、わたしもその方から聞いたことを、この世に語らないわけにゆかない。(あなた達がわかってもわからなくても。)」 |
前田訳 | あなた方について語ること裁くことは多い。しかしわたしをつかわされた方は真であり、わたしも彼から聞いたことをこの世に語る」と。 |
新共同 | あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」 |
NIV | "I have much to say in judgment of you. But he who sent me is reliable, and what I have heard from him I tell the world." |
註解: イエスはユダヤ人の不信に対して心よりの憤りを発し給い、「我の何たるかを語るよりもむしろ汝らにつき語るべきこと、審くべきことがいくらでもある。しかし汝らの不信と無理解の故にこれを差控える。唯曩 に汝らに告げしことどもはみな真なる神より聴けることを汝らに述べたに過ぎない。ゆえに汝らはこれを神の言として信ずべきである」とイエスは彼らに宣言し給う。
8章27節 これは
口語訳 | 彼らは、イエスが父について話しておられたことを悟らなかった。 |
塚本訳 | しかし彼らには、これが(神なる)父上のことをいっておられることがわからなかった。 |
前田訳 | しかし彼らには、父のことをいわれたことがわからなかった。 |
新共同 | 彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。 |
NIV | They did not understand that he was telling them about his Father. |
註解: 「我が父」と言わずして「我を遣し給ひし者」とと宣いし結果彼らは父なる神を指し給えることを解すること能わず他に何人かを指すものならんかと誤解した。
8章28節 ここにイエス
口語訳 | そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。 |
塚本訳 | そこでイエスが言われた、「あなた達は人の子(わたし)を十字架に挙げた時にはじめて、わたしがそれであること、また、わたしが自分では何もせず、ただ父上に教えられたままを語っていたことを知るだろう。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「あなた方が人の子を挙げたときこそ、あなた方はわたしがそれであると知り、わたしが自分からは何もなさず、父がお教えのままを話したことを知ろう。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。 |
NIV | So Jesus said, "When you have lifted up the Son of Man, then you will know that I am [the one I claim to be] and that I do nothing on my own but speak just what the Father has taught me. |
註解: 「汝ら今は知らないけれども汝らが我を十字架に釘けてからは、汝ら我のメシヤなるを知るであろう」。「挙げる」は十字架の死を示すけれども、この場合は同時にその後の復活、昇天、聖霊降臨の出来事をも眼中に置きて語り給えるものと解すべきである(ヨハ3:14。ヨハ12:32、33。使2:33)。
註解: 信ずる者に聖霊が与えられる時、イエスの行為も言語もみな父の御意に従い給えること、すなわちキリストは一人ではなく常に父と倶 に二人にて在すことがわかる。
8章29節
口語訳 | わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない」。 |
塚本訳 | わたしを遣わされた方は(いつも)一しょにいてくださって、わたしを独りぼっちにされたことはない。わたしはいつもその方のお気に召すことをするからだ。」 |
前田訳 | わたしをつかわされた方はわたしとともにおられる。彼はわたしをひとりにはされなかった。わたしはつねに彼のみ心にかなうことをするから」と。 |
新共同 | わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」 |
NIV | The one who sent me is with me; he has not left me alone, for I always do what pleases him." |
註解: これがイエスの内的実感であり同時にまた外的事実であった。イエスと父なる神は完全なる霊的一致共存の状態におり給うたのであって、イエスは完全に父の御意に服従し給い、父なる神は一瞬も彼を離れ給わない(神が彼を離れ給える唯一の瞬間は十字架上にエリ、エリの叫びを発し給える時であった)。信者もこのイエスの模範に倣い常に神の御意に適うことを行わなければならぬ。かくする場合において神彼らと共に在し、彼らは困難の中にも迫害の中にも、不如意の時にも常に神の保護の下にいることができる。
8章30節
口語訳 | これらのことを語られたところ、多くの人々がイエスを信じた。 |
塚本訳 | こう話されると、多くの人がイエスを信じた。 |
前田訳 | このことを彼が話されると、多くの人が彼を信じた。 |
新共同 | これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。 |
NIV | Even as he spoke, many put their faith in him. |
註解: ただしこの信仰は次節以下のごとき試験に敗られるごとき信仰であった。それ故にこの信仰は単にキリストを受入れし程度のものであった。唯不信仰なりし多数の中にもなお彼を信ずる者が少なからずあったことはイエスにとって大なる慰安であった。信ずる者の中には衆議所の議員も有ったのである(ヨハ12:42)。
要義1 [新たなる生命として上より出でしイエス]我らはこのイエスの姿を拝しなければならない。父との完全なる霊的一致、父に対する完全なる服従、父の御意の完全なる実行、これ天より出で給いしイエスの御姿であった。彼の中に罪の一点も存在しなかった、何となれば罪は神に対する従順の放棄であるからである。それ故に神は切にキリストを愛し給いて決して彼を独りおき給わなかった。完全なる神の愛とこれに対する完全なる従順がすなわち天国の民の姿である。我らもまたこのキリストのごときものとならなければならない。我らもし新たに上より生れるならばかくのごとき者となることができる。
要義2 [信仰によって義とされること]パウロは人の義とされるは律法の行為によらず信仰によることを極力主張した。その意味はヨハネがここに「キリストのそれなるを信ぜざる者は罪の中に死なん」と言いしと全く同義である。パウロとヨハネの一致はここにも明らかにされていることに注意しなければならない。
8章31節 ここにイエス
口語訳 | イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。 |
塚本訳 | すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。 |
前田訳 | そこでイエスは彼を信じたユダヤ人にいわれた、「わがことばにとどまっていれば、あなた方は真にわが弟子である。 |
新共同 | イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 |
NIV | To the Jews who had believed him, Jesus said, "If you hold to my teaching, you are really my disciples. |
註解: イエスはヨハ3:10。ヨハ4:14、15の場合のごとく、彼に来る者にさらに一層深き真理を示すことによりて一は彼らを試み、一は彼らを導き給う。かくして信仰の皮相なるものはこれに躓き、信仰の深きものはこれにより一層深きに導かれる。
『
註解: イエスは曩 に21節、24節に彼を信ぜざる者は罪のうちに死ぬべきことを告げ給い、ここにさらに進んでその信仰の本質につきて示し給うた。信仰は単にイエスの人格の偉大さに感じて彼をメシヤなりと信ずることではない。「彼の言に居ること」すなわち彼の口より出でし凡ての言を信じこれに固着し、造次顛沛 もそれから離れないことである。(彼の言を信ずるとは彼の教訓のみならず、その凡ての約束を信ずることであって、彼語り給うが故にその言はすなわち神の言であり真理であると信ずることである。)「居る」menô はヨハネ文書において最も重要なる意義を持つ文字の一であって、滞在、内住、不可離の状態等を意味し、父と子、キリストと信者との関係を示す語として多く用いられている(ヨハ15:4−11に十一回繰返しあり)。ここにもまたイエスはこの語によって信仰は智的承認にあらずして霊的交通であり、一時的感激にあらずしてその持続であることを教え給うたのである。而してかくのごとき信仰を有つ者のみ真にイエスの弟子であるということができるのである。
口語訳 | また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。 |
塚本訳 | 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」 |
前田訳 | あなた方は真理を知り、真理はあなた方を自由にしよう」と。 |
新共同 | あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 |
NIV | Then you will know the truth, and the truth will set you free." |
註解: 真理は抽象的理論にあらずしてキリスト彼自身である(ヨハ14:6)。我らはキリストを真理なりと知りて後に彼の言に居るのではなく、彼の言に居ることによりて彼の真理そのものに在すことを知るのである。彼を真理と知りて我らの目は真に神によりて開かれたのである(マタ16:17)。それまで発見せりと信ぜられるあらゆる真理は、人間の思想の所産に過ぎず、この人格として実現せる真理の前にその光を失う。
註解: イエスを真理そのものと知るに至る時、イエスは我らを罪の束縛より解放して彼に従わしめるのであって、イエス・キリストの恩恵により罪より義とせられし我らは罪の僕であった旧き状態より脱し「罪より解放されて」義の僕、キリストの僕となりて罪に対して自由となるのである。キリストの僕となって始めて真に霊の自由を味わうことができ、然らざれば我らは唯肉の自由を求めてかえって肉の奴隷となっているに過ぎない。而して我らにこの自由を与えるのは真理そのものなるキリストにほかならない。メシヤはローマの政治的束縛よりユダヤ人を救出するものと考えし彼らにとって、このイエスの御言は不可解であり、かつ失望の原因であったろう。なおロマ6:12−7:6参照。
8章33節 かれら
口語訳 | そこで、彼らはイエスに言った、「わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか」。 |
塚本訳 | しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」 |
前田訳 | 彼らは答えた、「われらはアブラハムの末です。いまだかつてだれの奴隷になったこともありません。なぜ『あなた方は自由になろう』といわれますか」と。 |
新共同 | すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 |
NIV | They answered him, "We are Abraham's descendants and have never been slaves of anyone. How can you say that we shall be set free?" |
註解: 彼らの政治上の自由はローマの政権により束縛せられていたけれども、アブラハムの子孫として行うべき宗教生活や日常市民としての生活は自由であり、これについて誇っていた。彼らはその形式的自由に甘んじて霊が罪の奴隷となっていることに心付かなかったのである。ゆえにイエスに躓いた。イエスのこの語に躓いたものは31節の「信じたるユダヤ人」であることに注意せよ。イエスの言の一部のみを信じて他に躓くものは今日でもなお多い。彼らはこのユダヤ人のごときものである。
8章34節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに答えられた、「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。 |
塚本訳 | イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。 |
前田訳 | イエスは答えられた、「本当にいう、罪を犯すものは皆罪の奴隷である。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。 |
NIV | Jesus replied, "I tell you the truth, everyone who sins is a slave to sin. |
註解: 神の言に居らず、これに叛きて罪を犯す者は罪なる力に左右せられてこれを脱することができない状態にあり、非常に苦痛なる不自由な生活を送らなければならない。あたかも奴隷が自由の意思によらず他人の意思によりて動かされるがごとき有様である。その最も著しき表顕は神の子イエス・キリストに反逆を企つることにある(37節)。異本に「罪の」を欠き単に「奴隷なり」とあり、次節との連絡上はこの方が適当であって、「神の家の奴隷」の意味と解して「神の家の子」と対立せしめている。
8章35節
口語訳 | そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。 |
塚本訳 | 奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)子はいつまでも家におる。 |
前田訳 | 奴隷はいつまでも家にとどまらない。子はいつまでもとどまる。 |
新共同 | 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。 |
NIV | Now a slave has no permanent place in the family, but a son belongs to it forever. |
註解: 神の家には奴隷も多く働いているけれども、これらはやがてその主家を去らしめられる運命を有っており、子はその反対に永遠にその家に留まるべきものである。神の子なるキリストを信ぜずして罪の中に居る者は神の家の奴隷であり、神との永遠の交わりに生くることができない。やがては神を離れて永遠の滅亡に帰すべく、子は反対に永遠に神との交わりに生くることができることを示す(ガラ4:21−31)。
8章36節 この
口語訳 | だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。 |
塚本訳 | だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。) |
前田訳 | もし子が自由にすれば、あなた方は本当に自由になろう。 |
新共同 | だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。 |
NIV | So if the Son sets you free, you will be free indeed. |
註解: 私訳「この故に子もし汝らを解き放たば、汝らは実に自主とならん」ロマ8:2、ガラ5:1等はこの節とその意義を同じくするのであって、父より凡ての権を与えられし子なるキリストが彼らを贖い、彼らを奴隷たる状態より解き放つならば、彼らは始めて自主のものとなり神の子とされるであろう。人は生れながらにして神の子ではない、奴隷である。神の子となるがためには、独り子イエス・キリストの十字架の贖いによりて罪の束縛から解き放たれなければならない。
8章37節
口語訳 | わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っている。それだのに、あなたがたはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉が、あなたがたのうちに根をおろしていないからである。 |
塚本訳 | あなた達がアブラハムの子孫であることをわたしは知っている。ところがあなた達は(わたしを信ずるには信じたが、)わたしを殺そうとしている。(それは当然だ。)わたしの言葉が、あなた達の(心の)中で根を張らないのだから。 |
前田訳 | あなた方がアブラハムの末であることをわたしは知っている。しかしあなた方はわたしを殺そうとする、わがことばがあなた方に入り込まないから。 |
新共同 | あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。 |
NIV | I know you are Abraham's descendants. Yet you are ready to kill me, because you have no room for my word. |
註解: 彼らは肉的にアブラハムの裔であることをイエスは否定し給わない。唯霊的意義において然らざることを事実をもって証明し給う。その事実はユダヤ人ら(31節のユダヤ人らをもこの中に連帯的に包括し給う)が彼が殺さんと謀ることであって、これ彼らが御言に居ない結果(31節)イエスの御言がその心中において地歩を占めずに死滅してしまうからである。我らも我らのキリスト者たる名称如何によらず、我らの事実によって審 かれる、恐れなければならない。
辞解
[留る] chôreô は種々の意味があるけれども、この場合は前後の文字より判断して「進歩する」「発育する」等の意味に解するか(M0、G1、Z0)または「地歩を占める」意味に解すべきであろう(Thayer、希英辞典RV欄外註)、余は後者による。
8章38節
口語訳 | わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。 |
塚本訳 | わたしは父上のところで見たことを語り、あなた達も同じく(自分の)父から聞いたことをする。」 |
前田訳 | わたしは父のもとで見たことを語り、あなた方はあなた方の父から聞いたことをする」と。 |
新共同 | わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」 |
NIV | I am telling you what I have seen in the Father's presence, and you do what you have heard from your father. " |
註解: イエスの御言と彼らの行為とはその源泉、出所を異にしていた。異なれるものを父として有ち、異なれる生命の源を有ったからである。キリストの父は神、彼らの父は悪魔であった。我らもこのいずれに属するのかを顧みなければならぬ。
辞解
[「見る」「聞く」] 神は光なれば「見る」ことができ、悪魔は暗きにささやくものなれば聞くのみである(B1)。
8章39節 かれら
口語訳 | 彼らはイエスに答えて言った、「わたしたちの父はアブラハムである」。イエスは彼らに言われた、「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムのわざをするがよい。 |
塚本訳 | 彼らが答えて言った、「われわれの父はアブラハムだ。」イエスが言われる、「もしアブラハムの子供なら、アブラハムの(子供らしく、アブラハムと同じ)行いをするはずだ。 |
前田訳 | 彼らは答えた、「われらの父はアブラハムです」と。イエスは彼らにいわれる、「アブラハムの子ならば、アブラハムのわざをなせ。 |
新共同 | 彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。 |
NIV | "Abraham is our father," they answered. "If you were Abraham's children," said Jesus, "then you would do the things Abraham did. |
註解: 彼らは肉の系統を見、イエスは心の源を見給う。我らの為す業はみな我らの心の源より出でる。我らの行いを見て我らの心の父を知ることができる。ユダヤ人におけるも同様であって、真理そのものに在し給うキリストを拒むものは、真理の父より出でているはずはない。▲口語訳に「するがよい」と訳してあるのは poieite を命令形として読んだので文法上はかく訳し得るけれども直説法も同形ゆえ、いずれともなり得るのであって直説法として訳する学者が多い。
8章40節
口語訳 | ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたしを、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。 |
塚本訳 | ところがあなた達は、今わたしを殺そうとしている。神から聞いた真理を語っているこの人間を!アブラハムはそんなことはしなかった。 |
前田訳 | しかるにあなた方はわたしを殺そうとする、父から聞いた真理をあなた方に話した人を。アブラハムはそんなことはしなかった。 |
新共同 | ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。 |
NIV | As it is, you are determined to kill me, a man who has told you the truth that I heard from God. Abraham did not do such things. |
註解: アブラハムは神の言を信じ(創12:4。創15:6。創17:23)神の命を守り(創22:1以下)神の使を受けた(創18:1以下)。然るにユダヤ人らはイエスに対して全く反対の行動を取っている。キリスト者の名のみありてキリストの御旨を行わざる者はこのごとき者である。
口語訳 | あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。彼らは言った、「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」。 |
塚本訳 | あなた達は自分の父の行いをしている。」彼らが言った、「われわれ(ユダヤ人)は、(異教人のように)不品行(偶像礼拝)によって生まれたのではない。われわれの父はただ一人、神である。」 |
前田訳 | あなた方は自分の父のわざをしている」と。彼らはいった、「われらは不身持ちから生まれたのではありません。われらにはひとりの父、神があります」と。 |
新共同 | あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、 |
NIV | You are doing the things your own father does." "We are not illegitimate children," they protested. "The only Father we have is God himself." |
註解: 神の子に対して最も激しき迫害を為すものは悪魔とその子らである。
辞解
[為すなり] 異本に「為せ」とあれど不適当である。
かれら
註解: 彼らはイエスの意味が霊的であることをさとって「もし汝がアブラハムの子を称される我らを、アブラハムの子に非ずというならば、汝は我らが淫行によりて生れしもの、すなわち唯一の神より離れし不信の民(イザ57:3。エゼ16:15以下、エゼ20:30。ホセ2:6等)であるということを主張することとなる。しかしながら我らは未だかつて唯一の神より離れしためしはない。我らは神の初子である(出4:22。ホセ11:1。申1:31。申8:5。マラ2:10)。すならち霊的意味においても我らは完全に神の子である」と主張している。彼らは信仰の何たるかを解せず、イスラエルなる神政制度の下に属することそのことをもって、神の子の資格を充分に保証せられていると誤解した。
8章42節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「神があなたがたの父であるならば、あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「もしも神があなた達の父であったら、あなた達はわたしを愛するはずである、わたしは神から出て、(ここに)来ているのだから。わたしは自分で勝手に来たのではない、神がわたしを遣わされたのである。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「もし神があなた方の父なら、あなた方はわたしを愛したろう。わたしは神から出てここに来ている。わたしは自分で来たのではない。神がわたしをつかわされた。 |
新共同 | イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。 |
NIV | Jesus said to them, "If God were your Father, you would love me, for I came from God and now am here. I have not come on my own; but he sent me. |
註解: イエスは39、40節の論法と同様にユダヤ人の行為を証拠としてその悪魔の子たることを証し、同時に己の父との霊交を基礎として神の子に在し給うことを証し給う。ユダヤ人は肉の系統および宗教制度上より彼らの神の子たることを主張し、イエスはその霊的生命とその使命そのものより彼が神の子に在すことを証明し給う。
8章43節
口語訳 | どうしてあなたがたは、わたしの話すことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉を悟ることができないからである。 |
塚本訳 | なぜわたしの言葉が通じないのだろうか。(神から委ねられた)わたしの福音を聞く耳がないからだ。 |
前田訳 | なぜあなた方はわたしの話がわからないのか。わたしのことばを聞きえないからである。 |
新共同 | わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。 |
NIV | Why is my language not clear to you? Because you are unable to hear what I say. |
註解: この自問自答は感情の激せることを示す。「きくこと能はず」とは聴きて解すること能わざる意味で、その理由は47節を見よ。イエスは彼らが悪魔より出づることを述ぶる前に霊のことに対する彼らの無能力、盲目を指摘し、彼らをして自ら顧みるの機会を与え給う。
辞解
[語ること] 「語」 lalia で「言」 logos と異なり、後者は教理の内容を包含し、前者はただ言語を意味する(M0)。
8章44節
口語訳 | あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。 |
塚本訳 | (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。 |
前田訳 | あなた方は悪魔の父の出で、自分の父の欲を満たそうとしている。彼ははじめから人殺しである。彼は真理に立っていない。彼のうちに真理がないからである。偽りをいうとき、彼は本音をはいている。彼はうそつき、またうそつきの父であるから。 |
新共同 | あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。 |
NIV | You belong to your father, the devil, and you want to carry out your father's desire. He was a murderer from the beginning, not holding to the truth, for there is no truth in him. When he lies, he speaks his native language, for he is a liar and the father of lies. |
註解: ここにイエスは始めて明白に彼らの父すならち彼らの魂の源泉を指示し、彼らは自ら神の子と称しているけれども実は悪魔の子であり、従って悪魔の意慾に従いて行っていることを指摘し給うた。彼らの驚きはいかに大きくあったろうか。また彼らはその誇りを傷つけられていかに憤怒の念に燃えたことであろうか。
註解: その性質が根本的に悪である。悪魔の第一の特徴は人を救わんとせず人を殺さんとすることを示す。すなわちキリストと正反対の性格である。
また
註解: 悪魔の第二の特徴が最もよく言表わされている。すなわち悪魔の性質の中に真がない、虚偽のみであるがために、彼自身真理の上に巍然 として立つことができない。かえって真理を嫌ってこれを避けんとする。すなわち我らの霊魂に対す最も恐るべき大敵は虚偽であることがわかる。我らの心に虚偽が孕まれる時、それだけ悪魔に城を明渡したのである。
註解: 悪魔はその本質が虚偽であり、また虚偽者の父である。従って虚偽を語ることがその本質に叶っていることである。キリストの父の本質は真で、従ってキリストは真を語り給う。この両者の間に根本的の相違がある。イエスはかくして世界を神のものと悪魔のものとに二分し給う。そこに中間の存在はない。
辞解
[虚偽の父] また「虚偽者の父」とも訳すことができる。この場合はユダヤ人が悪魔の子なることを言わんとしていること故、この解釈の方が優っている(G1、M0)。
8章45節
口語訳 | しかし、わたしが真理を語っているので、あなたがたはわたしを信じようとしない。 |
塚本訳 | ところがわたしは真理を言うので、あなた達はわたし(の言うこと)を信じない。 |
前田訳 | わたしが真理を語るがゆえにあなた方はわたしを信じない。 |
新共同 | しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。 |
NIV | Yet because I tell the truth, you do not believe me! |
註解: 虚偽にとって最も忌むべきものは真である。従って、イエスが真理を告ぐる時彼らはこれに堪えることができない。これ彼らの本能だからである。凡て真に対して心を閉づる者は悪魔の子である。
8章46節
口語訳 | あなたがたのうち、だれがわたしに罪があると責めうるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか。 |
塚本訳 | あなた達のうち、だれがわたしに罪があることを立証できるか。真理を言っているのに、なぜわたし(の言うこと)を信じないか。 |
前田訳 | あなた方のうちだれがわたしの罪を確認できるか。わたしが真理を語るなら、なぜあなた方はわたしを信じないのか。 |
新共同 | あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。 |
NIV | Can any of you prove me guilty of sin? If I am telling the truth, why don't you believe me? |
註解: イエスは完全に虚偽なく聖潔なる生涯を送り給うことの自覚があった。この自覚をもってユダヤ人に挑んだのであるけれども、彼らの中一人だにこれに反対し得る者がなかった。ここにイエスの真が証明せられ、彼の完全なる勝利を見ることができる。
われ
8章47節
口語訳 | 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。 |
塚本訳 | 神から出た者は(わたしが話す)神の言葉に聞き従う。あなた達は神から出たのでないから、(わたしの言葉に)従わないのである。」 |
前田訳 | 神からのものは神のことばを聞く。あなた方が聞かないのは、神からのものでないからである」と。 |
新共同 | 神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」 |
NIV | He who belongs to God hears what God says. The reason you do not hear is that you do not belong to God." |
註解: 神によりて新たに生れしものは真の霊を与えられ、この御霊によりて神のことを弁 え知ることができる(Tコリ2:14)。ゆえにキリストの真が証明せられしにもかかわらず、ユダヤ人がキリストの言を受入れないのは、彼らが神より出でし者でないことの証拠である。今日もこれと同様であって、神より出でしものにあらざればキリストの福音を信ずることができない。
辞解
[汝らの聴かぬは・・・] 本節後半を直訳すれば「これによりて汝らは聴かず、そは神より出でぬ故なり」となる。ヨハ10:17辞解参照。
8章48節 ユダヤ
口語訳 | ユダヤ人たちはイエスに答えて言った、「あなたはサマリヤ人で、悪霊に取りつかれていると、わたしたちが言うのは、当然ではないか」。 |
塚本訳 | ユダヤ人は答えて言った、「『君はサマリヤ人だ、悪鬼につかれている』とわれわれが言うのは、ほんとうではないか。」 |
前田訳 | ユダヤ人は答えていった、「あなたはサマリア人で悪霊につかれている、とわれらがいうのはもっともではないか」と。 |
新共同 | ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、 |
NIV | The Jews answered him, "Aren't we right in saying that you are a Samaritan and demon-possessed?" |
註解: 「云へるは」は「云ふは」の誤りである。「汝はサマリヤ人なり」は嘲弄の語で、「汝は異端者なり」などと言うに同じ、ユダヤ人らはイエスが彼らに向けし非難をそのままイエスに向け、イエスこそサマリヤ人でアブラハムの子孫にあらず、悪鬼に憑かれた者にして神の子にあらずと唱え、かく言うは極めて適切にあらずやと主張している。
辞解
[サマリヤ人] ヨハ4:9註解参照。
8章49節 イエス
口語訳 | イエスは答えられた、「わたしは、悪霊に取りつかれているのではなくて、わたしの父を重んじているのだが、あなたがたはわたしを軽んじている。 |
塚本訳 | イエスが答えられた、「悪鬼につかれてはいない。その証拠に、わたしは父上を敬っている。それであるのにあなた達は、(『悪鬼につかれている』と言って)わたしを侮辱する。 |
前田訳 | イエスは答えられた、「わたしは悪霊につかれてはいない。わたしはわが父を敬うが、あなた方はわたしを敬わない。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「わたしは悪霊に取りつかれてはいない。わたしは父を重んじているのに、あなたたちはわたしを重んじない。 |
NIV | "I am not possessed by a demon," said Jesus, "but I honor my Father and you dishonor me. |
註解: イエスは第一の点に反駁する必要を認め給わず、唯第二の点のみを反駁し給うた。これによりて第一の点は自然に解決するからである。かつユダヤ人が彼を軽視していることは、間接に父なる神を軽視することである。すなわち彼らこそかえってサマリヤ人である。
8章50節
口語訳 | わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。 |
塚本訳 | しかしわたしは自分の名誉を求めない。(だからそんなことはなんでもない。ただわたしのために)これを求め、(わたしを侮辱する者をかならず)裁く方である。 |
前田訳 | わたしはわが誉れを求めない。しかしそれを求め、かつ裁く方がある。 |
新共同 | わたしは、自分の栄光は求めていない。わたしの栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。 |
NIV | I am not seeking glory for myself; but there is one who seeks it, and he is the judge. |
註解: ユダヤ人は前節のごとくイエスを軽んじているけれども、イエスは己の栄光を受くることを求め給わなかった。何となれば神はイエスの栄光のために配慮してこれを与え給い、かつ神はユダヤ人の不信を審き給うからである。
8章51節
口語訳 | よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」。 |
塚本訳 | アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を守る者は(わたしに名誉を帰する者で、決して裁かれない。だから)永遠に死なない。」 |
前田訳 | 本当にいう、わがことばを守るものは永遠に死を見まい」と。 |
新共同 | はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」 |
NIV | I tell you the truth, if anyone keeps my word, he will never see death." |
註解: 前節において神の審判につきて語り給える後イエスは語を和らげて、審判に至らざる方法を教え、ユダヤ人らの中の救わるべき部分に対するその愛を示し給う。而してこの方法はキリストの御言を守ること(31節)である。而して御言を守ることはキリストに従うことであり、また彼を信ずることである(ヨハ3:36参照)。
8章52節 ユダヤ
口語訳 | ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろうと、言われる。 |
塚本訳 | ユダヤ人が言った、「今こそ悪鬼につかれていることが(はっきり)わかった。アブラハムも死に、預言者たちも死んだのに、君は『わたしの言葉を守る者は永遠に死なない』と言う。 |
前田訳 | ユダヤ人がいった、「今こそ悪霊につかれていることがわかる。アブラハムも預言者も死んだのに、あなたは、『わがことばを守るものは永遠に死を味わうまい』という。 |
新共同 | ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。 |
NIV | At this the Jews exclaimed, "Now we know that you are demon-possessed! Abraham died and so did the prophets, yet you say that if anyone keeps your word, he will never taste death. |
註解: 「48節においては幾分の疑いを持ちつつこれを言ったのであった。今はこれを断言して憚らない」との意。
アブラハムも
8章53節
口語訳 | あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いのだろうか。彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。 |
塚本訳 | 君はまさか、われわれの父アブラハムよりもえらいというのではあるまい。アブラハムは死んだではないか。また預言者たちも死んだのに、いったい君は、自分を何だと思っているのか。」 |
前田訳 | あなたは、われらの父アブラハムより偉いのか。彼は死んだではないか。また、預言者も死んだのに、あなたは自分をなんと思っているのか」と。 |
新共同 | わたしたちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。いったい、あなたは自分を何者だと思っているのか。」 |
NIV | Are you greater than our father Abraham? He died, and so did the prophets. Who do you think you are?" |
註解: ユダヤ人らは死を肉体の死と考え、またアブラハム、預言者らを伝統的に価値付けていた。ゆえにイエスが語り給える永遠の生命につきて解することができず、またイエスの霊的価値が遙かにアブラハムらの上にあることを覚らなかった。霊的事実に対して盲目なるものが宗教上の権力を握っていることほど大なる禍はない。かくして彼らは最後に「汝はおのれを誰とするか」との問いに対する答をイエスの口より得てこれをもって彼を訴うるの口実とせんとしていることが見られる(25節)。
8章54節 イエス
口語訳 | イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。わたしに栄光を与えるかたは、わたしの父であって、あなたがたが自分の神だと言っているのは、そのかたのことである。 |
塚本訳 | イエスが答えられた、「もしわたしが自分に栄光を帰するなら、そんな栄光はなんにもならない。わたしに栄光を下さるのはわたしの父上で、あなた達が『われわれの神だ』と言っている方である。 |
前田訳 | イエスは答えられた、「わたしが自ら栄化するなら、わが栄光はむなしい。わが父こそわたしを栄化したもう。あなた方がわれらの神といっているその方である。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、わたしの栄光はむなしい。わたしに栄光を与えてくださるのはわたしの父であって、あなたたちはこの方について、『我々の神だ』と言っている。 |
NIV | Jesus replied, "If I glorify myself, my glory means nothing. My Father, whom you claim as your God, is the one who glorifies me. |
註解: 前節末尾の質問はユダヤ人らの心中に「イエスは己に栄光を帰しているゆえ赦すべからざる冒涜者である」との下心を含んでいることをイエスは看破し給いてこの答を為し給うた。すなわち「我に栄を帰するは自分ではなく汝らの父と自称するその神である。ゆえにもし汝ら我を信じないならば汝ら自身に矛盾しているのである」との意である。父がいかにしてイエスに栄光を帰し給うかについてはヨハ1:14、ヨハ2:11、およびヨハ7:39引照を見よ。
8章55節
口語訳 | あなたがたはその神を知っていないが、わたしは知っている。もしわたしが神を知らないと言うならば、あなたがたと同じような偽り者であろう。しかし、わたしはそのかたを知り、その御言を守っている。 |
塚本訳 | あなた達はその方を知らない。わたしは知っている。もしわたしが『知らない』と言えば、あなた達と同じく嘘つきになろう。わたしはその方を知っており、またその言葉を守っている(からだ)。 |
前田訳 | あなた方は彼を知らない。しかしわたしは知っている。もしわたしが彼を知らないというなら、あなた方に似てうそつきになろう。しかしわたしは彼を知り、彼のことばを守っている。 |
新共同 | あなたたちはその方を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。 |
NIV | Though you do not know him, I know him. If I said I did not, I would be a liar like you, but I do know him and keep his word. |
註解: ユダヤ人らは自ら神を知りかつその言を守っていると誤信しつつ実は神を知らず。その言を守らない。神を知ることがユダヤ人らの考うる処といかに異なっていたかを見よ。イエスはこれを純粋に霊的の事物として取扱い給うた。唯一神に対する信仰を告白していたユダヤ人を「神を知らず」と断定し給えるその洞見は驚くべきである。而してイエスはこの点において彼らの正反対である。ゆえにイエスが父を知ると言い給うともそれは偽りではなく真実である。知らずと言わばかえって偽善者となり給う。ゆえにイエスの自証は自己に栄を帰するためではなく唯事実を語り給うたに過ぎない。
8章56節
口語訳 | あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。 |
塚本訳 | あなた達の父アブラハムは、生きてわたしの日、(わたしが来て神の契約を成就するその日)を見ることを、楽しみにしていた。そして(実際)それを見て、喜んだ。」 |
前田訳 | あなた方の父アブラハムはわが日を見るのを楽しみにしていた。そしてそれを見てよろこんだ」と。 |
新共同 | あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」 |
NIV | Your father Abraham rejoiced at the thought of seeing my day; he saw it and was glad." |
註解: 「我が日」はキリストの地上に顕われ給う日であって、アブラハムは「汝の裔によりて天下の民皆福祉を得べし」(創22:18)との約束を信じてその裔 なるキリストの顕われ給う日を見んことを楽しみにして期待し、今またアブラハムはパラダイスにおいて(M0、G1、L1、T0)キリストの地上に来り給えることを見て喜んでいる。かく言いてイエスはユダヤ人の始祖アブラハムの全希望、全歓喜はみな己に懸かっていることを示して、彼らよりその虚しき誇りを奪い取り、また彼らがアブラハムのごとくにこれを喜ばないことを責め給うた。
辞解
[楽しみ] agalliasthai は「待望んで非常に楽しみにする」こと。
[且これを見て] 過去動詞を用いている。イエスは死後の世界の存在を知り、かつその状態をも認識し給うものと見なければならない。ルカ16:22以下。
8章57節 ユダヤ
口語訳 | そこでユダヤ人たちはイエスに言った、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見たのか」。 |
塚本訳 | するとユダヤ人がイエスに言った、「君はまだ五十にもならないのに、アブラハムに会ったのか。」 |
前田訳 | ユダヤ人は彼にいった、「あなたはまだ五十歳にもならないのにアブラハムを見たのか」と。 |
新共同 | ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、 |
NIV | "You are not yet fifty years old," the Jews said to him, "and you have seen Abraham!" |
註解: ユダヤ人は再びイエスの言を不可能事として嘲弄的の質問を発している。「千余年前のアブラハムを五十にも足らぬ汝が如何で見ることができようか。」「五十歳」はイエスが実際より年老いて見え給うたのではあるまい。五十は人間の完成期であるとされていたことから(民4:3、民4:39、民8:24以下)「未だ老人の部にも入らないのに」との意味である。
8章58節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、アブラハムが生まれる前から、わたしはいたのだ。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「本当にいう、アブラハムが生まれる前からわたしはいる」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」 |
NIV | "I tell you the truth," Jesus answered, "before Abraham was born, I am!" |
註解: ヨハ1:1、ヨハ17:5参照。ここにイエスは明らかにその絶対永遠の神としての存在を自認し給うた。イエスは「あり給う」のであって創造 られ給うたのではない。かかる存在は唯神より外に有り得ないのであって、イエスはこれによって己を神と等しくし給うた。ユダヤ人の怒るのは必然である。
8章59節 ここに
口語訳 | そこで彼らは石をとって、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。 |
塚本訳 | すると彼らは、(自分を神と同じにすると言って、)石を取ってイエスに投げつけようとしたが、イエスは身を隠して、宮から出てゆかれた。 |
前田訳 | すると彼らは石を取って投げようとしたが、イエスは隠れて宮を出て行かれた。 |
新共同 | すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。 |
NIV | At this, they picked up stones to stone him, but Jesus hid himself, slipping away from the temple grounds. |
註解: イエスの神の子たる自証に対し、ユダヤ人はこれを信ずるか、または信ぜずして彼を涜神者となし、これをレビ24:16により石にて打殺すかの二つより外に進むべき途がなかった。彼らは不幸にしてこの後者を選んだのである。「隠れて」は群衆の中に紛れ込み給えることを意味する。かくして宮を出で仮庵の祭におけるその説教を終え給うた。パリサイ人、祭司らはイエスの居給わざる宮を守ることによりて愚なる迷妄に陥っているのであって、「キリストを逐出し、かくして教会を汚していながら彼らは愚にも教会の虚偽の外形に誇っているのである」(C1)。
要義1 [奴隷と自主]ヨハ8:36。我らの真の自由は神より離れることによってこれを得ることができると考えるのは誤りである。神より解放されるや否や我らは罪の奴隷となり、律法や制度の奴隷となり、伝統の奴隷となるのである。その反対に我ら神に従い、キリストの僕となる時、我らはこれらの凡ての束縛より解放されてキリストに在る自由を味わうことができる。これキリストの御霊が我らに与えられ、これによりて自由に神の御旨を行うことができるからである。真の自由は唯キリストに在る場合のみこれを味わうことができ、一旦キリストを離れる否や我らは直ちに肉に従い悪魔に従い、彼らの束縛の下に呻吟 せざるを得ざるに至るのである。
要義2 [ヨハネの自由とパウロの自由]自由が信仰(すなわち常にキリストの言に居ること─32節)によって得られることはパウロが常に熱心に繰返している思想である。ロマ書6−8章、ガラテヤ書全体はこのことを最も明白に論じているのである。この点においてもまたヨハネの信仰とパウロの信仰とが全く一致していることを見るのであって、ヨハネは唯これを異なれる様式の下に言い顕わしたに過ぎない。彼らの一致は用語や理論の一致ではなく、体験の一致であった。
要義3 [イエスとユダヤ人との対照]ヨハネは最も鮮やかにこの対照を記載している。イエスの住み給う世界は真実と真理の神の国、霊の世界、愛の家であった。霊による真のイスラエル、霊によるアブラハムの子孫であった。これに対しユダヤ人の住む世界は虚偽の支配する悪魔の国、形式と伝統と、これを宿す肉とが支配し、霊のことに対する無理解の漲 っているこの世界、憎悪と殺意とに充てる罪の家であった。肉によるイスラエル、肉によるアブラハムの子孫が彼らの主張であった。この二者の間にいかにしても相容るべからざる間隙がある。イエスの宗教は絶対にこれらを超越せる霊界の宗教であった。パウロもヨハネもペテロもみなこのイエスの宗教を祖述したのである。
ヨハネ伝第9章
3-3-7 イエス盲人の目を開き給う
9:1 - 9:41
3-3-7-イ 奇蹟と其の意義
9:1 - 9:12
註解: この奇蹟は全体に霊的意義を包含しているのであって、盲人開目の奇蹟は歴史的事実であるけれども、その裏面に先天的に霊的の盲人として生れし全人類の霊眼が、イエスによって開かれることの意義が示されていることを眼中に置きて読むことが必要である(39−41節を見よ)。
口語訳 | イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 |
塚本訳 | イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。 |
前田訳 | 道すがらイエスは生まれつきの目しいを見られた。 |
新共同 | さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 |
NIV | As he went along, he saw a man blind from birth. |
註解: 宮の中を逃れ出でて途を歩み給う時(M0)であろう。イエスの心は常に静である。
註解: 憐れむべき盲人であった。彼は自然の色も形も、愛する肉親の顔貌 をも知らない。我ら人類はこの盲人のごとく凡てアダムの罪による生れながらの霊的盲人である。天国の光景は全くこれを知らず、またこの盲目はいかなる人力をもってもこれを癒すことができない。
9章2節
口語訳 | 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。 |
塚本訳 | 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」 |
前田訳 | 弟子たちがたずねた、「先生(ラビ)、目しいに生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか、この人ですか、両親ですか」と。 |
新共同 | 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 |
NIV | His disciples asked him, "Rabbi, who sinned, this man or his parents, that he was born blind?" |
註解: 原文の順序に直訳すれば「ラビ、誰が罪を犯ししぞ、己か、その親達か、この人盲目に生れんとは」となり語気やや異なる。疾病(その他の不幸も)はイスラエル人にとっては常にその人の罪に対する神の刑罰と見られていた。これ多くの場合に適切な解釈である。しかしこの盲人の場合にはこの解釈では充分に弟子たちを満足せしめ得なかった。何となればこの盲人は先天的盲目であるから、彼がなお母の胎内にありし時罪を犯したと考えること(創25:22をユダヤ人のラビはかく解していたとはいえ、S2)は、あまりに不合理であり、また後に犯すべき罪を予見して罰せられしものとすればあまりにも残酷であり、またさらばとて両親の罪によりしものとすればあまりに可哀そうだからである。これが弟子の質問となった理由であった。
9章3節 イエス
口語訳 | イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。 |
塚本訳 | イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。 |
前田訳 | イエスは答えられた、「この人が罪を犯したのでも両親がでもない。神のわざがこの人に現われるためである。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。 |
NIV | "Neither this man nor his parents sinned," said Jesus, "but this happened so that the work of God might be displayed in his life. |
註解: イエスは本人もその親もこの盲目の原因たるべき罪を犯したのではないことを教え、かえってこの不幸の真の原因はこの人力をもって如何ともすべからざる先天的疾患が神の力によりて癒され、かくして神の御業とその栄光とが顕われんためであることを示し給うた。人力の極まる処に神の力があらわれる。我らの生来 の罪の上にもかくして神の御業が顕われたのである。人間的に見て全く絶望より外になき人も神の目より見ては絶望ではなく、かえってその上に神はその栄光を顕わし給う。
辞解
原文には「この人もその両親も罪を犯さず」とあれどももちろん全く罪なき人であるという意味ではなく、この盲目の原因たるべき罪を犯さないとの意味。
9章4節
口語訳 | わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。 |
塚本訳 | わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。 |
前田訳 | わたしをつかわされた方のわざをわれらは日のあるうちにせねばならぬ。夜が来る。するとだれも働けない。 |
新共同 | わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。 |
NIV | As long as it is day, we must do the work of him who sent me. Night is coming, when no one can work. |
口語訳 | わたしは、この世にいる間は、世の光である」。 |
塚本訳 | 世におる間、わたしは世の光である。」 |
前田訳 | 世にある間わたしは世の光である」と。 |
新共同 | わたしは、世にいる間、世の光である。」 |
NIV | While I am in the world, I am the light of the world." |
註解: キリストは世の光に在し給う。ゆえに彼この世にい給う間はこの世は昼である。ゆえにイエスも弟子たちも如何なる危険が迫ろうとも、イエスの御在世中に急いで神の命じ給う仕事を為し遂げなければならない。イエスこの世を去り給えばそこに夜来りて誰も何事も為すことができない。かく言い給いてイエスその死の近きために、寸暇だにこれを空費せずに救いの御業を為さざるべからざることを実例をもって示し給う。霊的盲人の救いもキリストその御在世中にこれを成就し給うた。而して聖霊を宿せる我らも今日このイエスと同じ心をもって、聖霊我らを動かす場合には一刻をも空費することなく神の御業を力めなければならない。
9章6節 かく
口語訳 | イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、 |
塚本訳 | こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、 |
前田訳 | こういって地に睡し、睡で練粉を作り、それを目しいの両目の上にぬって、彼にいわれた、 |
新共同 | こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。 |
NIV | Having said this, he spit on the ground, made some mud with the saliva, and put it on the man's eyes. |
註解: イエスが治癒に際して用い給いし手段は常に同様ではなかった(マタ20:34。マコ10:46。マコ7:33、マコ8:23参照)。この場合、唾を用いて盲人にぬり給いしは、彼自身が病者に触れてその力を彼の上に働かしむることをさとらしめんがためであり、泥を用い給いしはこれを洗わしめてシロアムの意義をさとらしめんがためであったろう。この盲人がキリストをして自由に彼の上に、御業を為し給うにまかせしところに盲人の信仰的態度がある。
9章7節 『ゆきてシロアム(
口語訳 | 「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。 |
塚本訳 | 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。 |
前田訳 | 「シロアム(訳せば、つかわされたもの)の池へ洗いに行きなさい」と。彼は行って洗い、見えるようになって帰って来た。 |
新共同 | そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。 |
NIV | "Go," he told him, "wash in the Pool of Siloam" (this word means Sent). So the man went and washed, and came home seeing. |
註解: 特にシロアムの池を選びしことは、一は仮庵の祭の中にはヨハ7:37の註に示せしごとく、毎日祭司がシロアムの池より水を汲みて祭壇に注ぎ、イスラエルの荒野の旅路におけるキリストの救いの型(Tコリ10:4)を示せると、一はシロアムなる語が「遣わされる者」すなわちキリストを指すに適せる名称だからであろう。ここにイエスは霊の眼を開くこともまたイエスの御業なることを暗示し給うたのである。ヨハネがギリシャ人らのために特にこの字義を翻訳したのもこのことを示さんがためである。
註解: 盲人の態度は絶対の服従そのものであった。彼の心中何らの遅疑 することなく、直ちにイエスの御言に従いこれを行った。これイエス・キリストを信ずる者の取るべき真実の態度である。かかる者の上に神の御業は顕われる。彼は眼を開いて始めて世界を見た。いかに美わしく、また新奇であったことであろう。霊の眼が開かれし者の心持もこれに等しい。
9章8節 ここに
口語訳 | 近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。 |
塚本訳 | 近所の人や、彼が乞食であったのを前に見ていた人たちは、「これは坐って乞食をしていた男ではないか」と言った。 |
前田訳 | 近所の人々や前に物乞いであったのを見ていた人々はいった、「この人はすわって物乞いしていたではないか」と。 |
新共同 | 近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。 |
NIV | His neighbors and those who had formerly seen him begging asked, "Isn't this the same man who used to sit and beg?" |
註解: 霊の眼が開かれし者においてもこれに比すべき大変化が起るのであって、隣人知人すらも驚きの眼をもって見るに至るのである。
9章9節
口語訳 | ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。 |
塚本訳 | 「あの男だ」と言う者もあれば、「いや、似ているだけだ」と言う者もあった。本人は「たしかにわたしです」と言った。 |
前田訳 | ある人は「その人だ」といい、ある人は「否、似ているだけだ」といった。しかし本人は「わたしです」といった。 |
新共同 | 「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。 |
NIV | Some claimed that he was. Others said, "No, he only looks like him." But he himself insisted, "I am the man." |
註解: 信じて正直に事実を告白する者は幸福である。また中には不信の心をもって明らかなる奇跡をすらこれを否定せんがために種々の口実を工夫し(18節。マタ12:24。使2:13)、かくして自己の上に神の審判を積重ねていた者もあり、また事実あまり変化が大なりしため彼の同一人なることを認め得なかった人もあろう。
かの
註解: 簡単にして力強き証である(ヨハ8:24、25)。「我はキリストの十字架によりて罪を贖われし罪人なり」との証は人をキリストに導くがための最上の証であると同様である。
9章10節
口語訳 | そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。 |
塚本訳 | すると人々がたずねた、「では、どうして目があいたのか。」 |
前田訳 | そこで彼らはいった、「それならどうして目があいたのか」と。 |
新共同 | そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、 |
NIV | "How then were your eyes opened?" they demanded. |
註解: 何人もきかんとすることはこの方法である。殊に霊の眼は凡ての人が先天的に盲人である以上、何人もその開目の秘訣を知らんと欲すべきである。然るに多くはその盲目を知らずにいるは(41節)悲しむべきことである。
9章11節
口語訳 | 彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。 |
塚本訳 | 答えた、「あのイエスという方が、泥をつくってわたしの目に塗りつけ、『シロアムに行って洗いなさい』と言われた。そこで行って洗うと、見えるようになったのです。」 |
前田訳 | 彼は答えた、「イエスという人が練粉を作ってわたしの両目にぬり、『シロアムヘ行って洗いなさい』といいました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」と。 |
新共同 | 彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」 |
NIV | He replied, "The man they call Jesus made some mud and put it on my eyes. He told me to go to Siloam and wash. So I went and washed, and then I could see." |
註解: 彼が証し得ることは事実そのままであった。すなわちイエスの御名とその御業とその御言のみであった。これを信じてそのままに服従しただけで彼の目は開いた。今日霊の眼の開かれんがためにもこれより以外に方法はない。
辞解
[イエスといふ人] イエスの風評を聞いていたのであろう。唯そのメシヤなりや否やを知らなかった。
[物見ることを得たり] 原語「視力を恢復せり」、本来具有していて、生れてより用いたことがなかった視力を恢復せること。
9章12節
口語訳 | 人々は彼に言った、「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と答えた。 |
塚本訳 | 人々が「その人はどこにおるか」とたずねた。「知りません」と言う。 |
前田訳 | 彼らは「その人はどこにいるか」とたずねたが、「知りません」と彼はいう。 |
新共同 | 人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。 |
NIV | "Where is this man?" they asked him. "I don't know," he said. |
註解: ある者はかかることを行い給えるイエスを見んため、またある者は安息日にこれを行い給いしことにつきて彼を捕らえんがためにこの問いを発し給うたのであろう。
要義1 [霊眼の開かれるには]人は自己の霊の眼が生れながらにして盲であることを知らない。しかしながら「人あらたに生れずば、神の国を見ること能はず」(ヨハ3:3)「性来 のままなる人は神の御霊のことを受けず・・・・・・またこれを悟ること能はず」(Tコリ2:14)とあるがごとく、神の御霊のことは凡ての人間の天性の霊眼をもってこれを悟ることができない。アダム以来人間は神を離れて罪の奴隷となり、その性情は腐敗して神のことを知り得ざる状態に立ち至っている。ゆえに如何なる努力修養も、沈思瞑想も、人をして神を知らしむることができない。唯イエスの御業なる十字架の死を我が身に受け、彼の霊の生命に与ることによってのみ我らの霊眼は開かれ、我ら生れ来てより見ることを得ざりし世界を見ることができる。これ霊の新生であって、その歓喜はあたかもこの生れながらの盲人の開目の際における歓喜に等しい。万物みな新たなる光景を呈する。
要義2 [疾病不幸の原因]疾病、不幸、困難等には種々の原因がある。(1)罪の結果として来るものは勿論その重なるものであって(マタ9:2等。ヨハ5:14)、我らまずこれを顧みてその罪を除くことが必要である。(2)また場合によってはキリスト者をして将来益々罪より遠ざかり、肉の生活を離れしめんがためにこれを与え給う場合がある(Tペテ4:1−3。ヘブ12:10)。かかる疾病不幸はこれを感謝をもって受くべきである。(3)その他神はキリスト者の信仰の従順を試さんがためにこれを与うる場合もある。ヨブの諸々の不幸のごときはそれであった。(4)またこの盲人の場合のごとく神が特にある目的をもって疾病不幸を与え給う場合がある。かかる場合は始めにその苦痛に耐え得ないけれど、ついには神の御業がその上にあらわれて大なる感謝となるのである。人は疾病その他の不幸に際しては深く顧みて、神の御旨のいずれにあるかを覚らなければならぬ。而して(1)の場合には恐懼し、(2)の場合には感謝し、(3)の場合には信頼し、(4)の場合には讃美すべきである。
要義3 [神の御業の顕われんため]人間の能力をもってしては絶対に取除くことのできない困難なる場合に立到る時、人は唯絶望に陥るのであるけれども、もしかかる境遇すら、その上に神の御業が顕われんためであることを思う時、我らの失望は希望に替るのである。人間はその性質の欠陥、境遇の不幸、その他先天的に多くの弱点をもって生れて来る。もしこれが、打ち勝ち難き弱点として一生その人に附着して離れないものであるならば、実に大なる不幸と言わなければならない。しかしながらかかる事情の上にこそ神の御業が顕われるのであって、たとい疾病は治癒せず境遇は変化せずとも、そのまま神の恩恵の下に全く一変せる意義を有つに至るのである。かく考え来る時如何なる弱点も如何なる境遇も、絶望的なるものはない。
9章13節
口語訳 | 人々は、もと盲人であったこの人を、パリサイ人たちのところにつれて行った。 |
塚本訳 | 人々がもと盲のその男を、(最高法院の)パリサイ人たちの所につれてゆく。 |
前田訳 | 人々はかつての目しいをパリサイ人のところへ連れて行った。 |
新共同 | 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。 |
NIV | They brought to the Pharisees the man who had been blind. |
註解: 盲人開目の奇蹟を見し人々は歓喜を希望とに充たされてイエスの御許に来るべきであるのに、彼らはその心に毒をいだきイエスに対してさらにその迫害の手を伸べんとしている。この「人々」は8節の人々である。彼らは宗教上の問題(この場合は安息日問題)については自己に何らの確信なく、唯当局者なるパリサイ人らに問うべきであると考うるごとき平凡なる人々であったろう。この世の制度の下にある人(法王、監督等)をキリストの上に置くほど誤れる愚なることはない。
9章14節 イエスの
口語訳 | イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。 |
塚本訳 | イエスが泥をつくって目をあけられた日は安息日(で、モーセ律法違反)だったのである。 |
前田訳 | イエスが練粉を作って彼の目を開かれた日は安息日であった。 |
新共同 | イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。 |
NIV | Now the day on which Jesus had made the mud and opened the man's eyes was a Sabbath. |
註解: ヨハ5:10の場合と共にこの場合も安息日であった。あたかもイエスは特に安息日を択びてかかる御業をなし給うかのごとくにも見える。固陋 なる迷妄を破るがために時にはかく為し給うことが必要であったろう。
9章15節 パリサイ
口語訳 | パリサイ人たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。彼は答えた、「あのかたがわたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。 |
塚本訳 | パリサイ人もふたたび、どうして見えるようになったかと尋ねた。彼がこたえた、「あの方が目に泥を塗ってくださったので、洗ったところ、こんなに見えるのです。」 |
前田訳 | パリサイ人もふたたび、どうして見えるようになったかをたずねた。彼はいった、「あの人が練粉をわたしの目にぬりました。洗ったところ、こんなに見えています」と。 |
新共同 | そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」 |
NIV | Therefore the Pharisees also asked him how he had received his sight. "He put mud on my eyes," the man replied, "and I washed, and now I see." |
註解: イエスの御業と盲人の服従がこの奇蹟の要素であった。盲人はその体験せる事実を何人に向っても告白することを躊躇しなかった。事実は最大の力である。
9章16節 パリサイ
口語訳 | そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。 |
塚本訳 | するとパリサイ人の間に、「あれは神のところから来た人ではない、安息日を守らないから」と言う者と、「(いや、神からだ。)罪の人間に、どうしてこんな徴[奇跡]をすることが出来よう」と言う者があって、意見が分れた。 |
前田訳 | パリサイ人のあるものがいった、「あれは神のところからの人ではない、安息日を守らないから」と。しかしほかのものはいった、「罪ある人ならどうしてこんな徴をなしうるか」と。そこで彼らに分裂がおこった。 |
新共同 | ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。 |
NIV | Some of the Pharisees said, "This man is not from God, for he does not keep the Sabbath." But others asked, "How can a sinner do such miraculous signs?" So they were divided. |
註解: キリストを観察するのに、彼らの守り来れる律法を守るや否やをもって標準とすることは誤りである。キリストは律法以上のものを有ち給う神の子に在し給う。今日もキリスト者を判断するのに、従来の伝統に従うや否や、また従来の教会制度に服従するや否やをもってする者が多い。これ彼らはキリスト者に、別にそれ以上に優れる生命があること発見することができないからである。
註解: パリサイ人らのいわゆる「罪ある人」とは、彼らのごとき厳格なる律法遵守の民にあらざる者、すなわち奔放不覊 の生活を送っている人々のこと。イエスが安息日を守らず、また自由なる生活を為し給える故に、彼をも罪人の一人とした。然るに一方イエスの為し給えるこの徴を見て、ある者は彼を罪ある人と断言することの不合理を力説している。イエスにつきては人々の意見は常に必ず二つに分れる。
9章17節 ここにまた
口語訳 | そこで彼らは、もう一度この盲人に聞いた、「おまえの目をあけてくれたその人を、どう思うか」。「預言者だと思います」と彼は言った。 |
塚本訳 | そこで、また盲人に言う、「君はいったいあの人を何と考える、君の目をあけたのだが。」「預言者です」と彼が言った。 |
前田訳 | 彼らはまた目しいにいった、「あなたは彼について何というか、あなたの目をあけた人を」と。「預言者です」といった。 |
新共同 | そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。 |
NIV | Finally they turned again to the blind man, "What have you to say about him? It was your eyes he opened." The man replied, "He is a prophet." |
註解: パリサイ人らが盲目なりし人に問いしは、彼の判断に従わんためではなく、彼が彼らを恐れて彼らの欲する答を与うるならんかと希望したからである。
註解: 然るに彼はパリサイ人らの期待を裏切って勇敢にその信ずる処を告白した。霊の盲目を開かれし我らは彼よりもさらに大なる勇気と大胆とをもって、我らの信仰を告白しなければならぬ。
9章18節 ユダヤ
口語訳 | ユダヤ人たちは、彼がもと盲人であったが見えるようになったことを、まだ信じなかった。ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、 |
塚本訳 | ユダヤ人は、彼が盲であったのに、見えるようになったことをまだ信ぜず、ついに、見えるようになった男の両親を呼んで |
前田訳 | さて、ユダヤ人は彼が目しいであったのに見えるようになったことを信ぜず、ついに、見えるようになった人の両親を呼んで、 |
新共同 | それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、 |
NIV | The Jews still did not believe that he had been blind and had received his sight until they sent for the man's parents. |
註解: かかる明白なる事実そのものをも疑ったのは、彼らの心中の悪念が故意に彼らをしてその心を閉じしめたからである(Uコリ4:3、4)。今日も多くの人はその心の邪 なるがため、その心が故意にイエス・キリストに向って閉じられている。
9章19節
口語訳 | 尋ねて言った、「これが、生れつき盲人であったと、おまえたちの言っているむすこか。それではどうして、いま目が見えるのか」。 |
塚本訳 | 尋ねた、「これは確かにあなた達の息子で、あなた達が言うように盲で生まれたのか。それなら、どうしていま見えるのか。」 |
前田訳 | たずねた、「これはあなた方の息子で、目しいに生まれついたとあなた方がいう人か。それなら、どうして今見えるのか」と。 |
新共同 | 尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」 |
NIV | "Is this your son?" they asked. "Is this the one you say was born blind? How is it that now he can see?" |
註解: 盲人に対する質問に失敗して、ユダヤ人らは転じてその両親に種々の質問を浴びせかけた。彼らはその宗教的特権の侵害者ともいうべき人が顕われしことに対して極端に鋭敏にその神経を刺激し、一人にても多く己の味方を造らんとしつつある有様が見える。
9章20節
口語訳 | 両親は答えて言った、「これがわたしどものむすこであること、また生れつき盲人であったことは存じています。 |
塚本訳 | 両親が答えて言った、「これがわたし達の息子で、盲で生まれたことは知っているが、 |
前田訳 | 両親は答えた、「これがわたしたちの息子で、目しいに生まれついたことは知っていますが、 |
新共同 | 両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。 |
NIV | "We know he is our son," the parents answered, "and we know he was born blind. |
9章21節 されど
口語訳 | しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません。また、だれがその目をあけて下さったのかも知りません。あれに聞いて下さい。あれはもうおとなですから、自分のことは自分で話せるでしょう」。 |
塚本訳 | どうして今見えるのか、わかりません。また、だれが目をあけたのかも、わたし達は知りません。あれに聞いてください。もう大人だから、自分のことは自分で話すでしょう。」 |
前田訳 | どうして今見えるのかは知りません。だれが目をあけたかもわたしたちは知りません。あれにたずねてください。あれはもう大人ですから自分のことは自分で話すでしょう」と。 |
新共同 | しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」 |
NIV | But how he can see now, or who opened his eyes, we don't know. Ask him. He is of age; he will speak for himself." |
註解: 前節の三つの質問に対し第一第二に対して肯定し、第三に対してこれを二つに区別し、いずれもこれを知らずとしてその回答を避け、これをその子に譲った。ここにこの両親の卑怯と狡智 とを見ることができる。彼らはその子よりイエスがいかにして彼を醫し給いしかを聞き知って感謝に充たされていたに相違ない。唯彼らはこれを告白すること、すなわちイエスを言い表わすことによりて破門されることを恐れたのである。もし破門を恐れなかったなら彼らもイエスを信じ、その信仰を告白したであろう。今日もかかる態度に出づる人は多い。ただし両親の答はかく不徹底であったにもかかわらず、大部分その目的を達した。何となればユダヤ人は盲目開目の事実を承認せざるを得ざるに立至ったからである。
9章22節
口語訳 | 両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう答えたのである。それは、もしイエスをキリストと告白する者があれば、会堂から追い出すことに、ユダヤ人たちが既に決めていたからである。 |
塚本訳 | 両親がこう言ったのは、ユダヤ人を恐れたのである。ユダヤ人は、イエスを公然救世主と認める者があれば、礼拝堂追放にすることを、すでに決議していたからである。 |
前田訳 | 両親がこういったのはユダヤ人をおそれたからである。前からユダヤ人は、イエスをキリストと告白するものは会堂から追放することに決めていたのである。 |
新共同 | 両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。 |
NIV | His parents said this because they were afraid of the Jews, for already the Jews had decided that anyone who acknowledged that Jesus was the Christ would be put out of the synagogue. |
9章23節
口語訳 | 彼の両親が「おとなですから、あれに聞いて下さい」と言ったのは、そのためであった。 |
塚本訳 | 両親が、「もう大人だから、あれに聞いてください」と言ったのは、このためである。 |
前田訳 | 両親が「大人だからあれにたずねてください」といったのはこのためである。 |
新共同 | 両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。 |
NIV | That was why his parents said, "He is of age; ask him." |
註解: この両親はこの危険を懼れて唯その子一人をこの危険に晒されるままに放置し自らはこれを避けんとした。浮薄なる人情の発露である。
辞解
[除名] aposunagogos にすることはユダヤ人の集会より除斥されることで、ユダヤ人の民籍を除かれることを意味し、ユダヤ民族の最大の恥辱である。
9章24節 かれら
口語訳 | そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。 |
塚本訳 | そこでユダヤ人は、盲であった男をもう一度呼んで言った、「本当のことを言うように!あの人が罪人であることは、われわれにはよくわかっている(のだから。)」 |
前田訳 | そこで彼らは目しいであった人をふたたび呼んでいった、「神に栄光を帰して真実をいえ。あの人が罪びとのことはわれらにわかっているから」と。 |
新共同 | さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」 |
NIV | A second time they summoned the man who had been blind. "Give glory to God, " they said. "We know this man is a sinner." |
註解: ユダヤ人らは盲人がイエスに栄光を帰さんとするを見てこれを忍ぶことができず、唯神にのみ栄光を帰し、開目の奇蹟も唯神の力なることを告白せしめイエスを否ましめんとした。神のみに栄光を帰し、神のみをあがむることは何人も為さざるべからざる当然の立場である。この点においてその盲人に対するユダヤ人らの要求は正当であった。けれども彼らはイエスを神とせず罪人となせし点において誤っていたので(彼らがイエスを罪人とせし理由は安息日を守らなかったからである)、彼らの正当なる要求そのものも誤謬となってしまうのである。彼らはキリストよりその栄光を奪いてこれを己のものとせんとしたのである。例えばカトリック教会において他の点に正しき信仰をもっていても、法王無謬権のごとき主要の点が誤っている結果全体が誤ると同様である。
辞解
[我らは知る] 彼らの宗教上の権威を楯にして無智の盲人を威圧せんとする語。
9章25節
口語訳 | すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです」。 |
塚本訳 | 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」 |
前田訳 | 彼は答えた、「罪びとかどうかは知りません。ただひとつのことを知っています。目しいであったわたしが今は見えることです」と。 |
新共同 | 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」 |
NIV | He replied, "Whether he is a sinner or not, I don't know. One thing I do know. I was blind but now I see!" |
註解: 盲人の答は立派であった。彼は先にイエスを預言者と信じた。唯彼はイエスが安息日を破ったために罪人と称せらるべきや否やのごとき神学的の問題は「我知らず」として、これに対するユダヤ人の威圧を受け流し、唯彼の上に行われし明瞭なる事実を掲示してこれを証し、堂々として彼らの要求を退けたのである。事実を否定し得べき神学も哲学もなく、また事実を圧迫することができる教権もない。我らの心の中にイエスがこの大なる変化を与え給う時、我らはこの盲人と同じく「さきに盲目たりしが、今見ることを得」るの事実はこれを握っているのであって、これを万人に掲示することを得、またこれ以外の神学論、教権論はこれを無視することができる。
9章26節
口語訳 | そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。 |
塚本訳 | そこでユダヤ人が言った、「あの人は君に何をしたのか。どんなにして君の目をあけたのか。」 |
前田訳 | そこで彼らはいった、「あの人はあなたに何をしたのか。どうして目をあけたか」と。 |
新共同 | すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」 |
NIV | Then they asked him, "What did he do to you? How did he open your eyes?" |
註解: 15節の反復、ただし15節は盲人に対してその見ゆるに至れる経路を問い、本節はイエスの行為の順序を問うている。ここに彼らの当惑の状況を認めることができる。彼らはなおもこの事実を疑い、詳細なる報道を得てその中に欠点を捕うることを得んと望んだのである。
9章27節
口語訳 | 彼は答えた、「そのことはもう話してあげたのに、聞いてくれませんでした。なぜまた聞こうとするのですか。あなたがたも、あの人の弟子になりたいのですか」。 |
塚本訳 | 彼らに答えた、「もう言いました。それを聞かずにおいて、何をもう一度聞こうとされるのです。あなた達もあの方の弟子になりたいのですか。」 |
前田訳 | 彼らに答えた、「もういいましたが、あなた方は聞きませんでした。なぜもう一度聞きたいのですか。あなた方もあの人の弟子になりたいのですか」と。 |
新共同 | 彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」 |
NIV | He answered, "I have told you already and you did not listen. Why do you want to hear it again? Do you want to become his disciples, too?" |
註解: 勝ち誇れる盲人は益々勇気を得、パリサイ人らを愚弄するかのごとき態度に出ている。キリストに在る無智者はキリストを知らざる学者よりも多くを知っている。なおTコリ1:20のパウロの態度を見よ。
辞解
[聴かざりき] また「聴かざりしか」とも読むことができる(M0)。
9章28節 かれら
口語訳 | そこで彼らは彼をののしって言った、「おまえはあれの弟子だが、わたしたちはモーセの弟子だ。 |
塚本訳 | すると彼を罵って言った、「君はあれの弟子、われわれはモーセの弟子だ。 |
前田訳 | 彼らはののしっていった、「そちらはあの人の弟子、われらはモーセの弟子だ。 |
新共同 | そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。 |
NIV | Then they hurled insults at him and said, "You are this fellow's disciple! We are disciples of Moses! |
9章29節 モーセに
口語訳 | モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこからきた者か、わたしたちは知らぬ」。 |
塚本訳 | 神がモーセと話をされたことは知っているが、あれはどこの馬の骨だか知らない。」 |
前田訳 | われらはモーセに神が語られたことを知るが、あの人がどこの出かは知らない」と。 |
新共同 | 我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」 |
NIV | We know that God spoke to Moses, but as for this fellow, we don't even know where he comes from." |
註解: 果然彼らはその冷静の態度を失いてこの盲人を罵った。本来彼らの眼中になかりし盲人も今や彼らの目に偉大なる敵となりし所以は、彼がイエスに在る者となったからである。ここにユダヤ人らは自らはイエスを軽蔑するつもりに過ぎなかったけれども、これにより結局モーセ対イエスなる根本問題をここに論ぜしごとき結果となったのであって、この問題は律法と福音の岐 れる処、ユダヤ教とキリスト教の分かれる処である。もし彼らが真にモーセを信じたならばキリストをも信じたであろう(ヨハ5:46)。彼らがキリストの天より来り給えることを信じたならば(ヨハ8:23)、モーセとキリストとの真の関係(マタ5:17、ロマ10:4)をも理解したであろう。
9章30節
口語訳 | そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。 |
塚本訳 | その男が答えて言った、「どこの馬の骨だか知らないとは、こいつは不思議だ。(現に)このわたしの目をあけてくださったのに! |
前田訳 | 彼は答えた、「不思議なことです、どこの出かあなた方が知らない人がわたしの目をあけてくれたとは。 |
新共同 | 彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。 |
NIV | The man answered, "Now that is remarkable! You don't know where he comes from, yet he opened my eyes. |
註解: 盲人は益々勇気を得て攻勢に転じた。ユダヤ人の信じおりし理論によりて彼らを攻めたのである。すなわち「奇蹟は祈りに対する応答であり神は罪ある者の祈りに聴き給わないとのこと」である(次節引照参照)。それ故に「我が開目の奇蹟を聞きながらイエスの神より出でしことを認めないのは怪しからん」と言いて彼らを責めているのである。
9章31節
口語訳 | わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。 |
塚本訳 | 神は罪人の言うことはお聞きにならないが、信心深くて御心を行う者の言うことなら、(なんでも)聞いてくださることをわたし達は(皆)知っているではないですか。 |
前田訳 | 神は罪びとらを聞き入れられないが、神をおそれ、そのみ心を行なう人は聞き入れられることをわれらは知っています。 |
新共同 | 神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。 |
NIV | We know that God does not listen to sinners. He listens to the godly man who does his will. |
註解: 盲人は「我らは」と言いて、この知識は凡てのイスラエル人に通有なることを明らかにしている。信仰なく御意を行わずして徒 に祈っても神はこれを聴き給わない。
9章32節
口語訳 | 生れつき盲であった者の目をあけた人があるということは、世界が始まって以来、聞いたことがありません。 |
塚本訳 | 開闢以来、(ただの)人間で、盲で生まれた者の目をあけたなどと、聞いたことがない。 |
前田訳 | 世のはじめから生まれつきの目しいの目をあけた人のことは聞いたことがありません。 |
新共同 | 生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。 |
NIV | Nobody has ever heard of opening the eyes of a man born blind. |
9章33節 かの
口語訳 | もしあのかたが神からきた人でなかったら、何一つできなかったはずです」。 |
塚本訳 | もしあの方が神のところから来たのでなかったら、なんにも出来なかったはずです。」 |
前田訳 | もしあの人が神からの出でなかったら、何もできなかったはずです」と。 |
新共同 | あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」 |
NIV | If this man were not from God, he could do nothing." |
註解: 盲人はその開目の事実が人類歴史上に未曾有のことであるのを理由として、イエスの神より出でし人なることの証拠とした。これ全く正しき論法である。この論鋒の前にユダヤ人らは沈黙せざるを得なかった。我らもイエスの乙女マリヤより生れ給えること、その復活、その昇天等につき何事も知らずとも、またこれを証明することを得ずとも、我らの霊の眼がイエスによりて開かれし事実だけにても彼が神の子に在し給うことを信ずることができる。
9章34節 かれら
口語訳 | これを聞いて彼らは言った、「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」。そして彼を外へ追い出した。 |
塚本訳 | 彼らも負けずに言った、「罪だらけで生まれたお前が、このわれわれを教えるのか。」そして彼を(礼拝堂)追放にした。 |
前田訳 | 彼らは答えた、「全く罪の中に生まれながら、このわれらを教えるのか」と。そして彼を追放した。 |
新共同 | 彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 |
NIV | To this they replied, "You were steeped in sin at birth; how dare you lecture us!" And they threw him out. |
註解: ユダヤ人らより見れば正しき者は彼らのみで、他はイエスもこの盲人もみな罪人であった。ユダヤ人らはこの人の盲目に生れし事実を捕えてこれを罪のうちに神の詛いの下に生れしものと解し、これをもって彼らパリサイ人祭司らの先天的優越の理由となし、もって彼の正しき論鋒を避けんとしているのである。しかしながらこれかえって自殺論法であった。何となればかかる者の上にイエスの御業が顕われし上は、イエスが神より出でしことを否定することができないからである。「彼を追出した」のは、破門の意味ではなく、彼らのおりし部屋より逐い出したことである。誤れる信仰は常に正しき信仰を邪魔もの扱いにする。
要義1 [事実と理論]この奇蹟に対するユダヤ人と盲人の態度の差に注意しなければならぬ。ユダヤ人はその神学説(安息日の聖守の問題、罪と盲目との関係等)とその教権(パリサイ人祭司らの保持せるもの)とその伝統(パリサイ人に属すること)をもってその立場となし、盲人はその開目の奇蹟の事実をもってその寄り処とした。而して事実は最上の理論であって、如何に長き伝統も、如何に強き教権も、如何に深き学識もこの事実を破ることができず、否ユダヤ人らはこれらの学識、教権、伝統を保持するが故にかえって大なる誤謬に陥り、イエスおよび彼を信ずる者を排斥したのである。今日のキリスト者もその霊的新生の事実の上にのみ立つべきであって、学識も伝統も教権もみなこの事実の前に屈服し、この事実の従僕となるべきである。
要義2 [無学者の信仰]全く無学なりし一盲人が多くの博学なるユダヤ人らと相対して、その論議に勝ちを制せし所以は何であったかというに、彼のイエスに対する信仰であった。十歳にも足らざる一少年の信仰が博学なるその父を動かすごとき場合もこの世に多く見ることを得る一例であって、信仰により人はこの世の人の有たざる智慧と力とを与えられ、その見ざる世界を見、その知らざる知識を持つことができる。実に信仰は愚者を賢にし、無智者を智者にし、弱者を強くし、貧者を富ましめ、賎しき者を高くすることができる。
要義3 [モーセ対イエス]第29節にユダヤ人はこの点を論点として提出せることは深き意義あることであって、ユダヤ人はモーセを信じこれに従うものと自ら誇りつつ、実はモーセに叛き彼を殺しているのである。何となればモーセの真の意義はキリストを証し、人をキリストに導くにあり、キリストはモーセの完成者であって、もしモーセの律法がなかったならば人々はその罪を知ることができず、もし人々真にその罪を知ったならば、キリストに来たりてその血潮による贖いを受けなければならないからである。釈迦、孔子のごとくもある意味においてこのモーセの役目を演じているのである。ゆえにユダヤ人がモーセをこの意味において知ることができなかったことは、彼らの霊的眼光の先天的盲目なりしことを証明することであって、凡ての伝統も教権も学識もこれを死守する場合に我らは最大の真理なるイエスを見失うのである。而してイエスは伝統にあらず、教権にあらず、学識にあらず、またモーセにあらず、神の子活ける生命である。
9章35節 イエスその
口語訳 | イエスは、その人が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子を信じるか」。 |
塚本訳 | イエスは彼が追放されたと聞いて、出合ったときに言われた、「あなたは人の子を信ずるか。」 |
前田訳 | イエスは彼が追放されたと聞き、彼に出会ったときいわれた、「あなたは人の子を信ずるか」と。 |
新共同 | イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。 |
NIV | Jesus heard that they had thrown him out, and when he found him, he said, "Do you believe in the Son of Man?" |
註解: イエスはユダヤ人らより追い出されし彼こそ、かえってイエスに対する真の信仰を有ち得る立場に在ることを知りて彼に近付きこの質問を発し給うた。盲人は始めイエスに対する充分な知識がなかったけれども(11、12節)次第に追求せられて彼を「預言者なり」と告白し(17節)、ついに彼を「神より出でし人」と信ずるまでに至ったけれども(33節)未だかれを「メシヤ」として信じなかった。イエスはこの信仰を彼に与えんとし給うたのである。イエスに関する知識とイエスに対する信仰とは同一ではない。
辞解
[人の子] マタ8:20辞解参照。異本に「神の子」とあり。
9章36節
口語訳 | 彼は答えて言った、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが」。 |
塚本訳 | 彼が答えた、「主よ、人の子とはだれのことですか。(教えてください。)信じたいのです。」 |
前田訳 | 彼は答えた、「それはだれですか、主よ、わたしはその人を信じたいのです」と。 |
新共同 | 彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 |
NIV | "Who is he, sir?" the man asked. "Tell me so that I may believe in him." |
註解: 盲人はイエスに人の子を示されんことを要求した。そして彼の目を開きし人をイエスが彼に示すならんと期待した。ただしイエスがその人であることを知らなかった。
9章37節 イエス
口語訳 | イエスは彼に言われた、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「あなたはもうその人に会った。いや、あなたと話しているのが、その人だ。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「あなたは彼を見た。あなたと話している人がそれだ」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 |
NIV | Jesus said, "You have now seen him; in fact, he is the one speaking with you." |
註解: ここにおいてイエスは「我こそ汝の目を開ける人の子である」として彼を示し給うたのである。すなわち「汝は今すでに人の子を見ている」との意。
9章38節 ここに
口語訳 | すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。 |
塚本訳 | すると「主よ、信じます」と言って、イエスをおがんだ。 |
前田訳 | 彼はいった、「わたしは信じます、主よ」と。そして彼にひれ伏した。 |
新共同 | 彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、 |
NIV | Then the man said, "Lord, I believe," and he worshiped him. |
註解: 盲人はイエスに対して神に対する態度をもって礼拝した。これがイエスに対して万民の取るべき真の態度である。
辞解
[拝せり] ヨハネは常にこれを神に対する場合にのみ用いる。ヨハ4:20−24、ヨハ12:20。
9章39節 イエス
口語訳 | そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「わたしは裁きのためにこの世に来た。見えぬものが見え、見えるものが目しいになるために」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 |
NIV | Jesus said, "For judgment I have come into this world, so that the blind will see and those who see will become blind." |
註解: イエスは盲人が霊的の眼力をも与えられしを見て、喜びに溢れて彼のこの世に来り給える使命を宣告し給う。その使命は、自己の霊的盲目を知りて悩む者をば、その眼を開き、反対にこれを知らずして自ら見ゆるごとくに自信して誇る(パリサイ人のごとき)人をばかえって益々盲目とならしめんためである。(イエスを見ざる時よりも、彼の栄光を見てもなお信じ得ざる時の方が彼らの目は一層盲目となったわけである。)▲「審判の為に」は強意的に文章の始めに置かれている。
辞解
[審判] krima はkrisis と異なり、むしろ自然に審判が行わること、または受動的審判を意味する。すなわち「我が来ることによりて人類はこの二種に分たれる」との意味。
9章40節 パリサイ
口語訳 | そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲なのでしょうか」。 |
塚本訳 | イエスと一しょにいたパリサイ人たちがこれを聞いて、彼に言った、「まさか、このわれわれも盲だというのではあるまい。」 |
前田訳 | 彼とともにいたパリサイ人のあるものがこれを聞いて、彼にいった、「われらも目しいですか」と。 |
新共同 | イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。 |
NIV | Some Pharisees who were with him heard him say this and asked, "What? Are we blind too?" |
註解: パリサイ人らは先天的に霊的眼光を具備していると信じていた。ゆえに嘲弄的にこの質問を発し、「我らもまた汝の言う盲者の中に入るのであるか、まさかかかることはあるまい」と揶揄したのである。
9章41節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「盲だったら、罪はなかった。たが今、『見える』と言うから、あなた達の罪はいつまでもなくならない。(光に来ようとしないのだから。) |
前田訳 | イエスは彼らにいわれた、「目しいであったならあなた方に罪はなかったろう。しかし今も『われらは見える』というから、あなた方の罪は消えない」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」 |
NIV | Jesus said, "If you were blind, you would not be guilty of sin; but now that you claim you can see, your guilt remains. |
註解: イエスは彼らの誇りに対し断然たる審判を与え給う。曰く「もし汝ら自己の盲目を悟って卑下 るならば、その罪は赦されて罪なきものとされるであろう。然るに事実霊界のことに対して盲目でありながら自ら見ゆと誇り、イエスに来りてその癒されんことを求めない点に汝らの罪は除かれずに残っているのである」と。ただしこの節は次のごとくにも解することができる。「もし汝ら事実盲目でイエスの神の子たることを知らなかったならば罪がないけれども、知っていながら故意に見ゆと言いてイエスを迫害する故その罪は残っている」(ルートハルト、G1)。前解釈の方が適当である(B1、M0、C1)。
要義1 [イエスに関する知識とイエスに対する信仰]この二者は同一ではない。この盲人は17、33節等にイエスに関する知識を示したけれども、未だこれをもって彼に対する信仰と称することができなかった。38節に「主よ我は信ず」と言いて拝するに及んで、始めて彼の中に信仰が湧き出たのである。信仰はキリストに対する人格関係であり、礼拝の態度である。
要義2 [宗教的知識の誇り]パリサイ人らが宗教的に多くの知識を有することを誇っていることは、イエスの眼には最も罪深きものであった。キリストに対する信仰は人がその霊的盲目を自覚することから始まるのであって、いかに宗教的智識を多く所有すとも、この盲目を自覚せざるものは真の霊眼が開かれることができない。この意味においていわゆる道徳家、宗教家の中にキリストを知らざる盲目者が最も多いことはいずれの時代においても事実である。